この本とその著者の副島という人はあまりにひどいです。この人、
以前、研究社のライトハウス英和辞書を批判した本を出したのが
名を売った最初の出版でした。でもほとんどが批判とは言えず罵倒や
誹謗中傷で、その後研究社に訴えられ、反論されたらしっぽを巻いて
逃げてしまって集中砲火を浴びました。裁判は負け。しかし、その後
でも自分のサイトで、こんなことを書いています。
----引用---------
この国は、やっぱりこの程度の、土人どもの国だ。10年昔、
私が、『欠陥英和辞典の研究』を書いて、研究社と東京外語大の
英語辞書学者たちから裁判に訴えられたときの嫌な気分が、私の
全身によみがえった。「この国は、学者と称する、土人の
まじない師どもの国だ。その土人(原住民)のまじない師どもが
支配している愚か極まりない国だ。かならす、事実 facts
ファクツ の力で打ち倒してみせる」と。私は、今でもあのときの
苦汁を思い出す。何十年かかっても、私は、全てを明らかにし続けるぞ、と。私は、あのとき自分の書いたものを、一行も訂正すること
なく、かならず、再び、この国民の前に、示してみせる。私の深い
決意に付き合ってくれる人などいなくてもよい。私は、鬼になっても
やりとげる。
---引用終了------
これは、裁判に負けた後で書いた文章ですよ。でもその後、控訴して
争っているという話はないのです。負け犬の遠吠え。
「英文法の謎をとく」のでたらめさは↓でかなりわかります。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Q-Higuchi/retsuaku.htm
さらに↓ではアンカー英和辞典の編集主幹が彼のことを的確に批判
しています。
http://jiten.cside3.jp/efl_dictionaries/efl_dictionaries_l.htm
副島氏がいかにでたらめな人物かがわかるのは↓
http://members.jcom.home.ne.jp/nohoho/
なお、副島氏は今では学者、思想家を気取っています。このような
人物をたてまつる取り巻きがいるとは信じられませんが、その様子が
ごらんになりたければ、↓を見てください。
http://soejima.to/
そのページから掲示板「日本英語の謎をとく」に行けますので、
そちらものぞいてみてください。
-------------------------------後書き------------------------------------
このことを考え出したのは、斉藤氏が誰かに「孤児で両親の語りかけがなくても言葉は覚える」
と反論していたことを考えていたとき。
愛情のこもった肉親の語りかけのなかった、彼ら言葉は単なる「コミュニケーションの道具」
に近いのではないか?
人を動かしたり、感動させる豊潤な言葉ではないのではないかと考えたのがきっかけ。
貧乏な出自の偉人・有名人は色々思いつくが、孤児院出身の有名人はなかなか思いつかない。
一生懸命考えたら、マリリン・モンローがそれに近かった。
しかし、彼女の言葉は豊潤にはほど遠い。。ケネディーの誕生日の歌、不器用な生き方
彼女が孤児院や親戚の家を転々としたのではなく、幸せな家に生まれたら。。
と色々考えていたのと、磁場の話が結びついたので、斉藤さんに感謝かな。。
---------------------------------- 完 ----------------------------------
私も、磁場が出来た外人の友だちがいました。根石さんとあのドイツ野郎との
間にも「磁場」が出来ていると思います。そちらが松本であり、飲み仲間、
バカ話相手としての「関心」から、その磁場が形成されていても。。(^^;;
私が学習初期に「一対一で」ネイティブと数回話すことを強調するのは、私の経験も
ありますが、こう考えてみると、あの時私とハoッキン女学生先生♪との間に磁場が
走ったのが、英語を学ぶ大きなきっかけになったからです。
電話でない回転読みの生徒さんに、ネイティブを会わせて話させたことはありますか?
基礎が出来ているのですから、私の昔より話せるかも知れませんね。
しかし、話したことがない人が「ネイティブに通じた」という経験を持つことは
大きいと思います。何より、「英語が日本語と同じことばだ、気持ちが通じるんだ」
という実感を持つのは、その後の英語学習において、目指すものが明確になり、
大変なインセンティブになると思いますが、どうでしょう?
教室に「関心を寄せる学生」と「関心に答える英語は下手だが内容が豊かな教師」の間に強い磁場が形成された。
学内で小さな講演をし、他の大学からもお呼びがかかり、小さな日本文学の世界とはいえ人気者になる。
その職と地位と実績は彼に研究者などを呼び寄せ、彼はよそ者ではなく、somebodyとして
プリンストンの一員になった。パーティーを催すなど、短期で江藤はそこが「自分のうち」との感覚を得られた。
彼は、渡米するまでネイティブに英語を習っていないが、日本にいるときから外人との
交渉はあったようで、通じる英語は話せた模様。私と同様、発音記号英語だったのか?
語学の才能は母方の遺伝とあるので、文学の専門だけあって、書いていないが「読む」
のは相当だった模様。
D漱石の留学失敗を繰り返さないと考えたのか(記述はない)、江藤は圭子夫人を同伴し夫婦で暮らした。
カップル単位でつき合うアメリカではこれは正しい選択であり、一人前として扱われる基礎になった。
上記のパーティー開催などは、夫人がいてこそ可能なことであった。
しかし、滞米初期の孤独を免れ愛情と励まし、相談相手としての妻がいたことの意味の方が大きいだろう。
(愛妻家の彼が妻を追って自ら命を絶ったことは、記憶に新しいところである。)
このように、江藤が集めたアメリカ人「関心」は、その量質とも、漱石の受けたものと比較にならない
膨大なものであり、その関心によって生じる「コミュニケーション磁場」があったからこそ、多くの
会話が生じた。これを考えると「発音」がどうのこうのが、如何に些末なものであるかが分かる。
伝えたいことが沢山あるもの、商社員のように向こうにもメリットがあるものを持っているもの
でなくては「関心」を持たれない。
(ただし、商売の損得のような「関心」のがもたらす磁場は、人間的な相手への関心、
学問的な好奇心等がもたらす関心、敬意や愛情がもたらす磁場より、はるかに弱い。)
自分の方から、ネイティブの関心を引きつける積極的な姿勢のない、いわゆる「ダメ語学留学生」
は、関心を持たれず、自己の周囲に言語磁場が発生しないので、英語圏に住んでも
用を足す言葉しか使う機会がない。これが彼らの語学的な上達の非常に小さい理由と思われる。
つまり、「内容」の重要性はこのように考えても理解されよう。しかし、唯一例外がある。
子供、特に幼児である。
幼児は何にでも関心を持ち話しかける。花でも木でも蝉でも話しかけて、反応を待つ様子はよく
目にするところである。反応のないものにもこうするくらいだから、言葉を解さない来たての
外国人の幼児は、「話しかけ」の絶好の標的である。言葉は解さなくても、反応はするからである。
大人は、言葉の分からない外国人に言葉で交流することを試みることはないが、
幼児は「語りかけ続ける」のである。相手が分かろうが分かるまいが。
つまり、大人のものと比較にならない「本気の関心」を示す。これにより、最も強い磁場が生じ、
初期には、違う言葉同士で話ながら遊ぶという不思議な現象が生じる。
これを何ヶ月か続けることでその国の言葉を外国人の幼児は解し話すようになる。
脳が言語習得モードにあるから、幼児は学習が早いと一般にいわれていることは事実だが、
幼児(それに小学生低学年くらいまで)を幼稚園や小学校に入れると、両親より遥かに
短期間に言葉の習得をするのは、この「関心の形成する磁場」の強度の差異がもう一つの
大きな要因であることは疑いないのではなかろうか。
>根石さん
bodyさんのカキコに関して、発音の話から、論理的な思考の授業・国語の授業・人のあり方の授業、
そして愚痴……なんかをどんどん書いていったら、3万字近くなって、お終いには
こ・ん・な・ん・出・ま・し・た !
他の部分もお蔵入りになったのには、惜しいのもありますが、多分
分かってくれないので根石さんに関心のありそうなこれだけを載せます。
---------------------国内英語派に朗報♪〜〜---------------------
仮説
言語磁場とは共通の言語を理解する、
「関心を持つもの同士の間」に形成される
(磁場を共有するものが言語の母国にいるか否かは本質的には関係がない)
ただし、A.下層の用を足すためだけの「コミュニケーションの道具」としての言語はここでは対象外である。
また、上層の、B.殆ど母語環境のみで形成可能な、早口・同時発話の映画の会話の聞き取り能力や
最も困難な「グループで歌う歌」等、歌の歌詞の聞き取りを可能にするネイティブ磁場はここでは扱わない
Aは想定される外国語学習者の目的としては極端に不十分であり、Bはマスメディアの
なかった時代には考えなくて良かったという意味で人工的なものだからである。
また、習得に膨大な努力と時間がかかるのに比して、得られるものが小さすぎるからである。
Bを習得する時間はPB500冊読むような、大量な時間をビデオの学習などに使うことを
意味するが、その中で使われる、ネイティブならではの表現等は、外国人が使うと不自然なも
になるというような理由もあるが複雑になるので省略。
-----------------------------検証------------------------------------
夏目漱石のロンドン留学と江藤淳の米プリンストン大学滞在の比較を通して
参考:江藤淳著「アメリカと私」
-------------------------------漱石の場合 --------------------------
ロンドンに留学した漱石は誰にも関心を持たれなかった
周りで磁場が発生している(関心や関係のある者同士の会話)のを指をくわえてみるしかなかった
関心を持たれなかった理由
@何より、日本の知名度がなく野蛮な東洋の小国から来た A留学費用が十分ではなく貧乏
Bイギリスという国自体が自然も土地も豊かでないためか世知辛く、メリットのないものに
親切にする伝統がない。人種差別も今よりきつく、無名のアジアの野蛮人扱いされたのかも
C漱石の能力を生かすような地位や職がなかった
D単身留学だった。
したがって、留学中に彼の英語力は大した伸びを示さなかったであろうし、会話力の上達も小さかったはず。
----------「夏目漱石」でデビューし1960年、アメリカ2年滞在の文芸評論家、江藤淳の場合 --------------
何といっても漱石の研究者なので、漱石の留学失敗を反面教師にした
@当時、まだまだ経済大国ではないとはいえ、真珠湾を爆撃して戦争をおっ始めた日本は有名すぎ(爆)
A着いてすぐ、招致したカーネギー財団とかけ合って、滞在費用の賃上げを勝ち取って貧乏ではなかった
B何だかんだ言っても、経済自然条件に恵まれたアメリカ人は、個人としては大らかでよそ者に親切である。
大学と言うこともあって、人種的差別も、以前の敵国からきたということでの差別もなかったらしい。
この国のホスピタリティー、よそ者に親切なことは、駐在員の子供たちが異分子として
イジメを受けることもなく、却ってユニークな存在として「関心」をもって、磁場の対象に
なることや、最初は渡米を嫌がっていたかれらが帰国したくなくなるのに現れていると思われる。
Bプリンストン大学でが江藤の滞在した地だが、一年目は特に何をしろと言うこともなく、
彼はnobodyだったので磁場を形成しようとしてきたのは、刑務所をでてきたばかりの
無職の大家の息子とあと少しだけで、結構情けなかった
しかし、招致期間の一年が終わる前に、日本文学の講師に要請される
二年目に完全に漱石との差異がでる。日本の文学に飢えていたのは6000人の教員学生のうちの十数人だとはいえ
大きな関心が寄せられ、彼の日本文学の見識と上記の飢えを見たそうとする彼の努力は学生の尊敬を得た。
>boysome228さんのおっしゃっていることもよくわかります。私自身、
ネイティブそっくりを目指して、アメリカ英語やイギリス英語の
ものまねは相当やってきましたし、できるだけ日本語訛りのない
英語発音ができるように今でもネイティブ英語に耳を傾け、音読
練習を続けていますから、はたから見るとこれは相当な発音フリーク
と言えるでしょうね。
Eliotさんの発言には99.9%同意できます。しかし、今後の議論の発展のために、私の考えをはっきり言っておくことは意味のある事だろうと思って、敢えて自分のネイティブ信奉論を述べさせて頂きました。少しは考え方の違う人間がこの掲示版に混じっているのも悪くないでしょう。
私はネイティブ発音を真似するのにいかなる努力も惜しみませんが、必ずしもネイティブの英語教師がベストとは思っていません。Eliotさんのようにネイティブ発音と日本人の発音の欠点をよくご存知の日本人の英語教師が本当はベストと思っています。この意味ではネイティブ信仰はありません。
>boysome228さんのお仕事が何かは存じませんが、仕事で要求される
英語のレベルが「相手の言う事(更に映画、英語のTV番組など)が
100%理解でき、ナチュラルスピードで話せ、かつ英語ですらすらと
考えられる、相手もこちらのいう事を理解するのに全く差し障りが
ないというレベル」なのですか。あるいは、趣味あるいは特技と
しての英語の到達目標として、そんなに高い目標を持っておられる
のですか。
英語フリークだからでしょうね。でもいつの日にか自分の努力が他の人の役に立つ日も来るのではないかという期待もあります。
>相手はこっちの話す内容が分かれば、発音は気にしないということ
>なんですね。考えると、ドナルド・キーンの日本語が聞き
>にくくても、内容に興味があれば一生懸命聞くので、「内容が
>分かれば少々聞きにくくてもOK」は日本人が外人の日本語を聞く
>ときも同じこと>でしょう。
これに反論はありません。ただ、ドナルド・キーン氏の発音は私たち
日本語人にとって聞き取り不能な部分はないほどのレベルには達して
います。たとえ、外国語訛りが強くても、そういう水準にまで到達
していれば、何も問題はないと思いますが、平均的日本人英語学習者
の発音はそのレベルにも達していないのは明らかです。つまり、
しばしば聞き取り不能箇所があるような発音です。こういう発音の
まま中高の英語学習に取り組むのは効率的学習ではないと思います。
>内容はあるが発音の悪い外人の話>発音は良いが内容のない外人の
>話でしょう。
これもその通りです。でも
「内容があり、発音のいい外人の話」がさらに上に来ませんか。
>むしろ、いくらこっちでカタカナでない発音をさせても、学校から
>カタカナ英語を持って帰るので、英語は週一時間くらいの塾の英語の
>授業では影響力がなく、数年でめげて、余り発音はうるさく言うのは
>諦めたという次第です。
学校の英語教員の責任ですよね。これがどうにかならない限り、
現実は変わりません。しかし、悲観的にならざるをえませんね。
教員が実力をつけ、一生懸命に教えたら一学期間でも相当変わる
というのを今教えている高校一年生で体験したので、なおさら
残念な気持ちです。
副島氏が研究社との裁判に負けたが、控訴したということはない
と書きましたが、あれは間違いでした。一審で負け、控訴したが
控訴棄却でまた負け(96年)、上告を断念し、裁判は決着した、
というのが事実のようです。また、研究社は副島氏ではなく、
本を発行した宝島社を相手として裁判を起こしたものです。
いずれにせよ、副島氏はその後、2000年になっても「一行も
訂正しない」と豪語しているのです。間違いだらけの批判を書いて
おきながらです。どういう神経をしているのか理解に苦しみます。
>このように、江藤が集めたアメリカ人「関心」は、その量質とも、
>漱石の受けたものと比較にならない膨大なものであり、その関心に
>よって生じる「コミュニケーション磁場」があったからこそ、多くの
>会話が生じた。これを考えると「発音」がどうのこうのが、如何に
>些末なものであるかが分かる。
大人についていえば、その通りだと思います。ただし、私が発音を
訓練している相手は中高生です。この段階で発音を鍛えれば、
初級〜中級の英語学習に多大のメリットがありますし、大人に
なって、江藤氏がやったようなことをしようとするときに、より
容易に英語を通じさせることができるのではないでしょうか。
「立派な内容を上手な発音で>立派な内容を下手な内容で>つまら
ない内容を上手な発音で>つまらない内容を下手な発音で」の順
でしょう? ただし、後者の二つは聞くに値しませんけど。
私が「発音、発音」とうるさく言っている相手は中高生であり、
ドナルド・キーン氏の英語バージョンのような日本人英語話者に
けちを付ける気は全然ありません。その発音で活躍できている
のであれば、その人に、はたからとやかく言うべきではありません。
>脳が言語習得モードにあるから、幼児は学習が早いと一般にいわれていることは事実だが、幼児(それに小学生低学年くらいまで)を幼稚園や小学校に入れると、両親より遥かに短期間に言葉の習得をするのは、この「関心の形成する磁場」の強度の差異がもう一つの大きな要因であることは疑いないのではなかろうか。
幼児の言語習得が大人より格段に早い一つの理由として私が考えているのは、幼稚園などで友達とのインタラクションから受ける影響が、実は両親から受けるそれよりも遥かに強力だからではないかというものです。日本人の場合でも家庭にいる間は言葉の発達がイマイチだった子供が、幼稚園に行きだすととたんに語彙が増えて生意気な表現も使い出します。方言の影響をモロに受けだすのもこの頃からで、両親が全く使わないような表現も友達から頂戴するようです。また、発音が確立する時期と幼児期は一致しているようです。この頃は文字をまだ十分知りませんから、音をそのまま素直に真似ようとします。
とにかく、教師は皆んな話せる人だけにしないといけない。
単語とかテキストを読むのだけ発音が正しいなんてあり得ない
ですからね。今時外人なんて国内に沢山いるんですから。
だから、私は、教師に関しては、「発音重視」というより
通じる程度の発音は絶対必要主義なんです。
はっきり言って、話せない教師なんて普通クビでしょう?
犬小屋も造れない大工みたいなのが高給をはんでいる今の状況は異常。
外国だって、発音を切り離して指導できるEliotさんみたいな
教師なんて、殆どいないから皆んな訛るんですよね。
でも、先生は訛っていても「英語で話している」から
生徒が話せるようになる。授業も英語でやる部分を増やしていく。
日本でこれをやろうにも、話せる先生が少なすぎる。
ということで、大体アドバイス求めるのはこれから英会話を
やりたい段階の人なので、そういう人に発音発音と言うと
上に言ったみたいな事態になるから、発音軽視の
ように聞こえるのです。
この段階の人は、1にシンタックス2に単語3にイディオム
4に発音位の時間配分でも言いと思います。
発音は、朗読なんかする時間ではないです。(これは1〜3の訓練)
発音を単独にやるのにあてる時間のことです。
話して必要性を感じたら言われなくてもやるんだから。
唐突ですが、Eliotさんが発音に傾けている努力と実績には、
私、敬服しているんですよ。でも、私は学校の先生をどうにも
できる立場ではないので、現状で困っている人に発音を
強調しないことを書くことが多かっただけです。
まず、飛び込んで泳いでみろ、そういう体験をすれば
自ずとやることは決まってくるし、正しいことを言ってる
のが誰か分かって、それを取り入れたりできる。
ってことなんですがね。
つまり、現実は英語に関心があって英会話をやりたい人は、例外はいるだろうけど
勉強の英語もそこそこ出来た人と考えると、取りあえず話してしまえば、こういう
風に、発音がカタカナだと通じないのを実感するんですね。
「正しい発音でないと通じない」なんて、いくら言葉で言われても、
Eliotさんみたいに、音の出し方を説明して音を出させて、欠点を
直してくれるなんていう先生は百人に一人もいないでしょ?
結局、自分で発音で通じなかったり、直したら通じたというような
経験をして、少しずつ修正していくのが、今英語が話せる人たちの
殆どだと思うんですよね。
「江藤淳が発音をちゃんと習っていたら」というのがあり得ない仮定の
ように、相談者に「君がちゃんと良い先生に発音を習っていたら」と
言っても無理な相談だから、学校が何とかならないうちは、自分で
どうにかするのの手助けぐらいがこっちに出来ることなんです。無給が
頑張って、給料取ってる方がサボってるってのもへんなんですけど。。(^^;;
この現状で考えると、「取りあえず発音は気にしないで話せ」に
なるんです。実感のない者に、「ちゃんとCDなどで発音を矯正して
から英会話を始めろ」なんていっちゃっうと、結局、そんな面倒なこと
するなら、いいや」になるでしょ?
指導者がいて、言われるようにやるなら楽です。しかし、例えば
サッカーを始める中学生に、「サッカーはスタミナが基本だから
入部する前に、毎日自分で20キロ、100分で走れるようになったら、
入部を許す」と言ったら、皆んな恐れをなして入らないでしょう。
しかし、ボールを触って、練習試合をすれば持久力のなさを実感して
ランニングを自主的にやったりするんですよね。
サッカーの楽しさが分かって、今度は心底、強くなりたいとか
レギュラーになりたいと思いますからね。それと同じです。
ちなみに、昨日発音記号が分からないと言う中3のカキコを発見して
勝手に「発音の重要性」に燃えて、長いレスをどっかにしてしまった
のは私の別人格です。。(^^;;
中高生は、自分で発音を練習しようとしないから、先生が
意識して教えないとA君みたいなことが毎日起こっていると
思います。しかし、A君は、自分で何とかするのが好きなので
良かったのですが、皆んなできるとは、限らないから、学校の
役割は重要でしょう。
私、思いますが、英語を話せる日本人は殆ど、発音記号英語
くらいは話せますから、話せる教師がカタカナ英語で
教えることはないんですね。通じなくて困った経験なんかが
話す人ならあるから、Eliotさんのように完璧には行かないけど
それなりには、生徒の発音をカタカナにならないように、
色々工夫して、やるんですね。
根石さんが「般若、卵を挟む」とか説明のテクニックのこと
言っていましたけど、創意工夫の私。。。の別人格も凝り性
ですから、そんなことやってたんですよ。
でも、英語の話せない先生がカタカナ英語を使って授業して
、周りの生徒も、ひどいときは教師までも、ちゃんとした
発音をしようとすると、笑ったりして、やらないようになっちゃう。
異なることをやっているのがいても、許せばいいのに、
日本特有の「画一化圧力」かけるんですよね。
だから、めげたのはこっちは根石さんのような、迫力やカリスマが
なかったためで、創意工夫がないからじゃないんですね。
最初は言えるようするのに、そのうち学校でその発音をすると
笑われたり、先生に嫌な顔されるので、言わなくなる。
こっちは、気が弱いから「でも、そういうと笑われるから
これでいいよ」とか言われちゃうと、悲しくなって
無理にやらすパワーが出てこなくなる。
テクニックを考えるのは得意なんですが、迫力とか
カリスマは天性なんで無理なんですね、努力や工夫では
そういうのは作れませんから。
まず、Eliotさんに分かっていただきたいのは私が現状の制約の中で考える人だと言うことです。
中学生には発音はちゃんとしろと言います。高1くらいまでは言うけど、受験を控えた人は
取りあえず受験に役立つものをさせるかも知れません。私は、相手の状況によって
色々になるから分かりにくいのですが、病気に万能薬がないように、勧める薬は
患者によって違うのが英語に関しては理解されにくいみたいです。
英語を自分で話そうと思うのは、殆どが大学生〜社会人からだと思います。
その時点で、テキストを読んだときEliotさんの求めるレベルではなく、
発音記号の区別の通り(もちろん完璧ではありませんが)の発音ができるのは
1%もいないかも知れません。
具体例で言うと、勉強は得意だったが発音の勉強は発音問題が正解できるだけで、
口の作り方、舌の置き方などは殆どやっていない学生がいたとします。A君とします。
私はアドバイスするだけで、教えないと言う前提で私が言うのは
まず、英語話者と話せということです。話してみて、始めて
英語が「言葉」であって勉強でないことが分かり、苦しかったり
面倒なものではなく、心を通じさせてニコッと笑えるように
うまく行った場合は「嬉しいもの」であるということを実感
するでしょう。
しかし、Aがあるとき、「赤と黒」という言葉のゲームの
種明かしを相手の外人にするとします。彼は勉強英語では一応優等生です
から、ゲームの説明くらいのシンタックスは「英作文」できます。
単語も大したことがないでしょう。
しかし、今まで頷いていた外人が級に眉をひそめて、怪訝そうに
What did you say?と聞き返すのです。
「こんな簡単な文が通じないはずはない」とA君は思って
もう一度、If it is something bloock, that is the right thing.
といいます、you said "something bloock????" "yes, blook"
これを何度か繰り返します。さすがにAはブラックが通じてない
ことに気がつきます。「おかしい、確かにLの音は辞書のように
日本語のラでなくて、歯茎に舌を付けていったのに。。通じないなんて
こんな単純な単語が・・・」
ふと発音問題には自信のあったA君の頭にブラックの発音記号が
ひらめきます。blaek あ、これか!塾の先生が、カエルが踏まれたときの
アともエともつかない変な音じゃないと通じないと言ってたあの変な音
か。ものは試し、言ってみよう。。
"ブラェェク" "Oh, I see. you mean if what you tell me is
something black, that is the answer."とあっさり通じました。
A君は「あらら、やっぱ、あの発音記号は、面倒だけどちゃんと
ああ言わないと通じないのか」と納得しました。
これは、something blackという組み合わせが滅多に出てくるものではないからでしょう。
頻出するthank you を sankyuと発音しても類推で補えるものとは、事情が違うもの
だったために起きた事態です。
それからは、A君は朗読するときにaeの発音記号を持つ単語はチャンと
発音するようにしましたし、リスニングするときもその音を注意して
自分も真似をすることをしばらく続けました。ついでに他の発音も、
イラストの絵を見て口の形や舌の位置に気を付けるようになりました。
そんなことを、三ヶ月も続けていると、英語を滑らかに発声できるようになって
気持ちのいいことが分かりましたし、外人に発音のために通じないということも
なくなりました。半年後には、もう意識しなくてもその音で発音するクセが
付いていました。もちろん自分の発音が完璧だなんて、余り器用ではない
A君は思いませんでしたが、「まあ、いいや、通じるんだから」と
それからは英字新聞のリーディングや単語習得、それに恋♪!など
に時間を割くようになりました。
なんで、お話書かないと気が済まないんだろう?(゚_。)?
なお、相当創作していますが、black事件は経験談です。
私は、そのつもりで書いています。言語の磁場は、母国語でも働くのです。
子供同士の磁場は、本物の関心同士だから強力です。少し年上の子が混じると
下の子は多くのことを覚えるでしょう。
しかし何といっても、愛情深い両親(特に母親)の関心も強力ですから、専業主婦で会話の多い子は言葉が早いでしょう。
ただ、母国語は習得済みなので外国語学習と離れるので触れませんでした。
証拠です!しかし、正確に言うと「私の別人格も」です。。(^^;;
http://www.eigotown.com/cgi-bin/bbs/wforum.cgi?no=9319&reno=9317&oya=9317&mode=msgview&page=0
根石さん。
急な用件のため今夜の帰宅が遅くなりますので、
レッスンをお休みさせてください。
旧掲示板のほうに書き込みしようかと思いましたが、
当日の連絡なので、こちらを利用させていただきました。
すみません。
承知しました。
勘が鈍らないように、普段の練習は続けていてください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
中3生へのアドバイス、読みましたよ。とてもいい回答でしたね。
私もつい一言書いてしまいました。
長文のお返事(1〜3)、どうもありがとうございます。
おっしゃること、大変よくわかります。
>だから、私は、教師に関しては、「発音重視」というより
>通じる程度の発音は絶対必要主義なんです。
>はっきり言って、話せない教師なんて普通クビでしょう?
私が中高生の頃、言ったり聞いたりしていたことです。
「ねえ、(英語担当の)○○先生、英語が話せるんだってよ」
「へえ、すごいねー」
今でもこれが現実ですね。英語が話せないからクビになった英語教員
の話は聞いたことがありません。少なくとも、公立中・高ではそんな
ことは起こりえませんね。私立校でも英語を話すことができないから
という理由だけで解雇されることはないでしょう。
今は公立高校の英語教師に採用されるのは非常に狭き門です。先日
知り合いの大学生が福岡県(人口五百万以上)の県立高校英語教員
採用試験の一次試験を受けたけど、競争率150倍だったと言って
いました。
どのような採用試験をしているかがわからないので、断定は
できませんが、少子化と不況の影響で公立校の英語教員になるのは
非常に難しく、採用される人の英語力は三十代以上の英語教員の
それと比べると、かなりましなのではないでしょうか。
しかしながら、三十代〜六十代の英語教員たち数万人はこれから
何十年も教壇に立つはずですし、過去数年の超狭き門の教員採用
試験を突破して採用された人たちは非常に数が少ないので、全体と
して見ると、英語力の不足する教員がうようよいるという困った
状況は続くでしょうね。
>でも、英語の話せない先生がカタカナ英語を使って授業して、
>周りの生徒も、ひどいときは教師までも、ちゃんとした発音を
>しようとすると、笑ったりして、やらないようになっちゃう。
>異なることをやっているのがいても、許せばいいのに、
>日本特有の「画一化圧力」かけるんですよね。
私は中学生のときから教室でも英語の発音らしく言っていましたが、
だれからも揶揄もいじめもされませんでした。しかし、同僚の若い
教員(発音抜群にいい)は、教室ではわざとヘタに発音していたと
証言しています。
私が教えた生徒たちのクラスでは上手な発音ができる人が賞賛され、
ヘタな人はもっと上手になりたいと思っています。中学生のとき、
学期末の反省文の中で、各教科の反省と今後の課題とかいう項目に
「英語: 発音をもっと頑張らねばいけない」のようなことを書く
生徒が何人もいました。
他教科の授業中に先生が何か英語の単語を言うと、生徒たちが
「先生、発音が違いま〜す。○○ですよ」と訂正するので、
「あの三クラスではおちおち英語を口にできないよ」と笑い話に
なっていました。でも、それは中学の頃の話で、今は生徒たちも
それほど無邪気に言わなくなりましたけど。
長文の「新磁場論」ありがとうございました。
私が「磁場」という語を使いだしたのは、「文化的背景」だの「英語圏」だの「ネイティヴとして育つ場合に英語に触れる総時間数」だのでは、どうしても解けない言語スキルの現象があると思ったためです。
私にとっては、「磁場」はもっとも簡略な言い方をすれば、「英語圏の内側」ということです。その「場」のことです。この「内側」にいて語学をやるのと、「外側」にいて語学をやるのとでは、語学がこうむる「磁力」はまったく違ってくるとにらんでいるのです。
江藤淳の回りに「磁場」が形成されたという場合、江藤の文学への理解の深さがもちろん作用したのだと思います。江藤の限界は、後年、国家を単位にしてものを考えてしまったところにあります。それにもかかわらず、この人の文学への理解は非常にすぐれたもので、文学に固有の視線の柔らかさや、たった一人で弱さに徹していく心が、表現の強さというバネを持つとき、それがどんなふうに社会総体を照らし出していくか、その固有の意味を救い出すことが批評の仕事であることをよくわかっていた人だと思います。
漱石がロンドンで「磁場」を形成しえなかったという言い方をされますが、「磁場」は形成しうるものであると同時に形成することのできないものです。
江藤は、刑務所帰りの大工の息子とだけ話を交わしていた間も、自分の机上の練習は放り出していなかったのではないかと私は推測しています。外から見れば、大工の息子と世間話をしているとしか見えないかもしれませんが、非常に戦略的な思考の持ち主でもある江藤がそんなことだけしていたとは考えられないのです。私の言い方で言うなら、「机上と磁場との激しい往復」をやっていたに違いないと思っています。
この江藤の戦略が、「磁場」を引き寄せたと私は考えています。その中心にあるものは、もちろん文学理解ですが、それはアメリカに渡って手に入れたものではない。日本にいてすでに自分のものとしていたものだ。では、「磁場」を引き寄せた直接的な力は何か。語学力にほかならないと思います。この語学力自体も、その基盤となるものは日本で作ってあったでしょう。それでも、私の言い方での「机上と磁場との激しい往復」がなければ、一年で「磁場」を引き寄せることはなかっただろうと思います。このことにもっとも貢献しているのは、大工の息子かもしれません。
漱石は、ロンドンで異和と孤独を噛みしめていた。封じられて生きた。江藤にだって、その異和と孤独はあったに違いないが、おっしゃる通り江藤は日本人の奥さんを伴っていました。孤独と分裂を耐えるのに、奥さんの存在は非常に大きなものだっただろうと思います。異質磁場のくぐり方として、奥さんの存在に着目されたのは、すばらしい着眼だと思いました。(語学留学生などは普通、若さと若さのもつやみくもさによってくぐるのだと思います。)
村上春樹なども奥さんと共に異質磁場をくぐっています。文学的な人は、異質磁場が柔らかい心にどれほどの作用を及ぼすのかを本能的に知っているのかもしれません。
江藤や村上と非常に対照的なのが漱石です。吹きさらしの漱石というような言葉を思います。また、無防備という言葉も思います。漱石の神経症は知られています。漱石の神経症は、日本の急作りの近代社会が必然的にかかえてしまった亀裂を真っ正直に生きたためであるという解釈が通用しています。日本における漱石はだけを見れば確かにその通りなのですが、私のような語学屋からは、英語(磁場に溶解できない英語)が直接的な契機となって生じている神経症ではないかという観点もありうるのです。直接的に神経症をひき起こしたのは英語だろう、と。後に漢詩に深く入ろうとしたのも、その治癒を求めてのことだと。
そのことを言うためには、私の漱石理解は薄すぎます。漱石をよく読むような時間がとれたなら、漱石の神経症と英語の関係を念頭に置いて読むことにはなるでしょう。
木枯らし紋二郎が突然ロンドンへ放り出されたような、あるいは寒風が肌身に直接つきささるような漱石の孤独というものを今は思うことができるだけです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
日本にいて、「英語の磁場」を「形成」している例を私は身近に見ています。以前、私の塾の塾生だった娘が、アメリカで結婚し、子供と亭主を連れて日本に帰ってきました。彼らは現在、私の家から車で5分ほどの近所に暮らしています。ここに何度か登場させてしまいましたが、例のドイツ語方言なまりの英語をしゃべるウドというやつが、この亭主です。
女房の方はトミコと言います。「根石さん、私のことを掲示板に書かないでよ、やだあ、根石さんは何でも書くから」とトミコは言っています。「大丈夫だよ、トミコって、ヒラガナにしてあるから」と言うと、「やだあ」と言います。
こいつは、いわゆる英語ぺらぺらです。夫婦喧嘩も英語でやり、しかもまくしたててでかい喧嘩をやっています。子供をしつけるのも英語でやっています。トミコが子供がすわっているテーブルにご飯を置いてやって、子供が黙っているので、
What do you say?
と上げ調子で言うと、子供が、
Thank you, Mam.
とくぐもった声で言っていました。先日、遊びに行って見ました。
で、トミコとウドの間には、「磁場」が形成されていると私は見ています。
住んでいるところは、日本です。ウドもトミコも英語ネイティヴではありません。トミコは日本語ネイティヴ、ウドはドイツ語の方言ネイティヴです。しかし、トミコとウドの家には、英語の「磁場」が形成されています。この根元は、何なのか。ウドのゲルマン・シンタックスであるというのが私の理解です。
日本の英語亡者や英語信者は、発音のネイティヴ性ばかりを問題にし、シンタックスのネイティヴ性にはほとんど言及しない強い傾向があります。しかし、私は、真性ネイティヴを真性ネイティヴたらしめるものは、発音ではなくシンタックスにあるという考えです。いくら発音がネイティヴそっくりでも、シンタックスの身体への食い込みの度合いがネイティヴと同じでなければ、ネイティヴ同様もネイティヴ並もみんな化けの皮です。嘘こけ馬鹿やろと言えば済むしろものです。
発音は感覚でき、他人にもわかるものです。シンタックスの身体への食い込みの度合いは決して目には見えません。例えば、日本語ネイティヴの私にも、日本語のシンタックスがどれだけ自分の身体に食い込み、どれほど自分の感覚や思考と同一化しているのかは、容易にはわかりません。英語亡者やネイティヴ発音亡者というものは、目に見えるものだけを見ている人たちにすぎません。気楽なものです。
トミコとウドの家にあるものは、真性の英語磁場です。どちらも英語ネイティヴではないにも関わらず、英語磁場は真性のものです。これを決めているのは、決して英語の発音なんかではない。ウドの身体と同化しているドイツ語方言のゲルマンシンタックスに他なりません。
これを見ると、「磁場」は個人と個人が二人だけで話している場所でも形成されるもののように見えます。また、英語圏の「外側」でも形成されるように見えます。
しかし、私は地理的な名称や国家の名前が問題ではないと思っています。
ウドのゲルマン・シンタックスは、完全に身体化されているので、ウドが日本に住んでいても、ゲルマン・シンタックスの根はアメリカやオーストリアにまで伸びているのです。目に見えないだけです。ウドの身柄は日本にいても、シンタックス(=身体)は日本にいるのではないのです。「シンタックス=身体」と極論するなら、身柄は日本にいて、身体はアメリカを突き抜けて、オーストリアの田舎町にあるのです。そこまで極端化しなくても、総じてゲルマン・シンタックス地域にあるのです。これは、ウドの自分にとって、もっとも自然な感覚や思考がその地域にあるということです。
ですから、個人と個人が「日本で」「英語で」話して、「英語の最小の磁場」を形成している場合には、その二人のうちの少なくとも一人は、英語のシンタックスをまったく身体化している場合に限ると考えています。日本語で育った日本人同士が、ディベートなんかやって英語で話していても、私はそこに「磁場」や「磁力」が形成されるとは思っていません。そう思っているとしたら、まったくの錯誤です。なるほど、使用言語は英語でしょう。しかし、シンタックスの身体化の度合い(自然性)からすれば、お互いどうし、「まがいもの」にすぎないのです。「まがいもの」どうしで議論なんかして、「ほんものごっこ」をやっているにすぎません。「ネイティヴごっこ」と言ってもいい。「ネイティヴ・イングリッシュごっこ」と言ってもいい。馬鹿みたいだ。
私は、「もどき」の自覚に徹したいと思っています。「ほんものごっこ」ばかりは口が裂けてもやりたくない。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
「磁場」にだって根というものがあります。個人と個人が形成する「最小の磁場」は、大きな「磁場」=「語圏」に根を生やしています。身柄がどこにあるかの問題ではない。トミコとウドも、二人で話すときの「最小の磁場」をとりかこむアメリカという英語圏=「磁場」の中にもともといたのです。日本に引っ越してきても、「最小の磁場」が継続しているのは、ウドの英語のシンタックスがゲルマン言語圏に根を生やし続けているからに他なりません。もしも、ウドが日本語だけをしゃべる人間になって、トミコも自分のネイティヴの言語に完全に回帰してしまうなら、そこで英語の磁場は消滅します。根が絶たれるからです。しかし、ウドはなまけものであり、日本語がまるで上達しないので、英語の磁場が消滅するわけにはいかないだけのことです。人様はどう見るのか知りませんが、私が見るかぎりでは、あそこに真性の英語の磁場があることの最大の原因はウドがガンコで怠け者であるからです。
細い根です。しかし、ウドの日常の中で、細いながら、シンタックスの根は遠くアメリカ、さらに遠く生まれ故郷のオーストリアの小さな町にまで伸びています。非常に細いが非常に遠くまで伸びている抽象的な根なのです。私の目にもそれは見えません。見えませんが、それはやつと話していると、私の側の「違和=内的な感覚」としてはっきりと触知できるものです。
この観点からすると、松本道弘が「日本在住のままネイティヴと同じほどの闊達な英語スキルを獲得した」という言い方には詐術がひそんでいると思います。私の考えでは、この「日本在住のまま」というのが、「磁場を欠いて」という意味であるならば、それが詐術を成立させているまやかしの等式です。松本道弘信者は現在も多いようですが、「日本在住のまま=磁場を欠いて」という詐術を信じてしまっている人たちだと思っています。
「磁場」の有無は、身柄が地理的にどこにあるかとは関係がありません。日本人の体に英語のシンタックスが内在化されるときに、相手の言語のシンタックスがどの語圏に根を伸ばしているかの問題です。
証拠はありませんが、松本は何らかの形で「最小の磁場」だけは確保していた人だろうというのが私のにらんでいるところです。それが、「外人ハント」によるものか、仕事場(商社)で電話線を通じた取引により、受話器から浴びていた磁力によるものか、具体的にはわかりません。しかし、「最小の磁場」を確保していたのでなければ、「ネイティヴと同じほどの闊達な英語スキル」というものは形成されることはないというのが私の考えです。そして、そんなものを形成する必要もないとも考えています。
外国語の力というものは、「自分に必要なだけ」形成すれば足りる。仕事で必要なら仕事で必要なだけ、人づきあいに必要なら人づきあいに必要なだけ、研究に必要ならば研究に必要なだけ。それぞれのそれは個々の事情によってみんな違ってくるが、なにもかもあらゆるスキルが獲得可能だなどと思い、「ネイティヴと同じ」幻想なんかにとりつかれたら最後、悪あがきのドン・キホーテの一丁あがりになるだけだ。
この悪あがきのドン・キホーテを大量に生み出したのが、松本道弘の罪だと思っております。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
また、英語教育にたずさわる人は「闊達さ」に注意を奪われたら、生徒のためにならないとも思っています。Eliot
さんが書かれたように、私も「英語に不自由しながら」生きていこうと思っています。この「不自由する」感覚が英語教育にたずさわる人には必須のものだと思っています。もしも「ネイティヴ並み」が英語に不自由を感じないレベルを意味するならば、そんなふうに不自由を感じなくなってしまった人は、英語教育にたずさわるべきではない。自分が「不自由する」からこそ、英語をやる日本人がどこでどういう苦労をするのかが「内在的に」わかるのです。だから、「不自由する」ということは、英語教育にたずさわる人の必須の条件です。
しゃべれもしないのに英語科教員をやっているというのは、「不自由する」ことすらできない人たちのことです。それすらも回避できてしまっている「自由な税金泥棒」のことです。
言いたいことは、英語科教員というのは、松本道弘みたいにスキルだけ一丁あがりでは済まないということです。積極的に自覚的に「不自由する」ことによって、その中で方法を探りつづける必要がある。「不自由」であることが、方法的な沃土であることがわからない教員が多すぎるのです。
「不自由」すらできない教員は本当に今すぐにでも首にすべきだと言いたいところですが、これは教員個々の責任であるとともに、大学の責任なのです。英語の音の繊維が備わっていない者をも教員にしてしまう、教員養成課程や教員採用試験の責任でもあって、本当はこちらの責任の方がはるかに大きい。
民間できちんと方法を開発している者に目を向けず、ぬるま湯につかっている大学教員の言うことなどを聞いている文部省のぼんくらどもの責任だと言っても同じです。
また松本道弘に触れてしまいましたが、この人とこの人のまわりの信仰は、私の「磁場論」からは非常に面白い問題を提起するところがあるためだと思われます。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
こんにちは。
回転読み最近の状況を。
1日10文(だいたい5語文くらいの長さです)を100回くらい読んで、5回連続で回転させるということを平日を中心に行っています。
回転読みにかけている時間は1日あたり30分から1時間くらいです。
また、その日練習する分(目標の30文)の音声CDをMDに録音すると10分くらいになるので、それを駅まで歩いていく間に聞いています。行きと帰りと乗り換えなどで計30分くらいです。
気づいたこと
・音作りが少し楽になって、文によっては100回以前に滑らかに読めるようになることもでてきました。その場合も、100回まで滑らかに読んでいます。
・それでも音作りの荷が重いので意味については後回しにしています。とりあえず、音作りを目標に1冊を終らせ、2巡目で、意味も含めて取り組んでいこうかと思っています。
・意味を後回しにしても、何回も読んでいると、言葉に馴染んだ感じがあります。
・日本語を口ずさんでいるような、自分の言葉になったような感じをもつことがありました。
・回転させることに気をとられすぎて、はやくよもうとあせるより、最初はゆっくり発音に注意して読むほうが、早く音ができあがると、つい最近気づきました。
今は、最初は単語ごとに発音を確かめてから(気になるときは音節ごと)、文全体をゆっくり読んでいます。ちゃんと「どんでん」にも始めはゆっくりと書いてあるのにね。
・Naimaさんの記事はとても参考になります。やっぱり上級者は違うなと感心させられます。どうもありがとうございます。
1日の目標が30で10しか達成できてないのですが、最初に割り振った計画で歯抜けのまま進んでいます。(1日目1〜10しかやれなくても、次の日は31〜41と20〜30をとばしてしまう)歯抜けだろうがまず1冊を仕上げてみます。
課題は、この歯抜けを減らすことと、発音をどう取り組んでいくかです。
(HIRATA Mさん、ジングルズの紹介をありがとうございました。今後、参考にさせていただきます。)
最後にこれまで使った教材について書きます。
8月下旬頃
「Non Stop English Wave」(CD音声付)という雑誌の記事の「月の名前の由来」で回転読みをやりました。このコラムの原文は、「エイゴタウン」というサイトで読むことができます。
原文は↓
http://www.eigotown.com/eigocollege/nav.php3?item_id=1119
上のリンクで飛ばなかったら↓にこれまでのバックナンバーがあるので、
http://www.eigotown.com/eigocollege/archive_menu.shtml
このページの○クロスカルチャー(Chris Jennings)へ行って、さらに2001年9月18日のところへ飛んでください。
“April is the cruellest month...”となっています。
9月からは「英語の頭に変わる本」中田憲三著です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4806116173/qid=1032243392/br=1-17/ref=br_lf_b_17/250-0656861-4290665
リズムトレーニングというので、大変気に入っております。
Eliot さん
エレベーターのボタンを押す場面で、 Push three. という文を見つけて口を動かしていましたところ、sh
と th のつながりが言いにくいことに気付きました。
sh を言うときに、舌の位置がかなり th に近いところ(歯の先のすぐそば)にあり、sh
の擬音のようなものを作っていることに気付いています。
これでよろしいでしょうか。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
根石さん
sh/zh/ch/j/s/z+th/THのth/THは速い発話ではsあるいはzになる
ことがあります。
e.g.
Push three.⇒Push sree.
garage there⇒garage zere
Catch them.⇒Catch zem.
Judge them.⇒Judge zem.
Kiss the bride.⇒Kiss ze bride.
Who's that?⇒Who's zat?
ですから、Push three.と言うときに注意すべきことは、pushのshは
単独でpushと発音するときのように、あくまで/sh/として強く
はっきりと発音し、次のthに移るようにすることです。その際に、
舌先が結局前歯まで届かず、/th/が/s/になってしまっても、それは
容認されます。Push three.のthの方を生かすために、shをth側に
変化させるより、thの方をshの方に引き寄せてしまう方が正しいと
思います。
ts/dz+th/THも同様です。
What's the answer?
She always stands there.
これらの文では/ts/と/dz/が本来の音でしっかりと発音され、
/th/と/TH/の方が/s/あるいは/z/に近くなります。ただし、
これらの場合でも、また先ほどの例でも/th/と/TH/を本来の音で
発音しても自然な発音ですから、無理に/th/→/s/や/TH/→/z/と
変化させる必要はありません。
Eliot さん
エレベーターのボタンを押す場面で、 Push three. という文を見つけて口を動かしていましたところ、sh
と th のつながりが言いにくいことに気付きました。
sh を言うときに、舌の位置がかなり th に近いところ(歯の先のすぐそば)にあり、sh
の擬音のようなものを作っていることに気付いています。
これでよろしいでしょうか。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今、一度書いた質問をまた送ってしまいました。
Eliot さんありがとうございました。
後ろ側の音が勝つとは限らないのですね。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
「回転読み」の最近の様子をありがとうございます。
駅に歩く間もMDを聞いて歩いているべいべさんが目に浮かぶようです。
>1日10文(だいたい5語文くらいの長さです)を100回くらい読んで、5回連続で回転させるということを平日を中心に行っています。
この「5回連続」というのは、「間違いなく完全に回転が効いている状態で5回連続」ということでしょうか。「一息で5回連続」ということでしょうか。
>・音作りが少し楽になって、文によっては100回以前に滑らかに読めるようになることもでてきました。その場合も、100回まで滑らかに読んでいます。
5語程度の文の回転が早めに仕上がるようになったら、7語程度の文に移ってやってみてください。100回読むことは継続なさるようにおすすめします。
>・それでも音作りの荷が重いので意味については後回しにしています。とりあえず、音作りを目標に1冊を終らせ、2巡目で、意味も含めて取り組んでいこうかと思っています。
複製音声教材があれば、この順序でやることができます。意味がわからないままでも、ひとまず複製音声教材のイントネーションで、「回転読み」ができます。コーチあるいは複製音声教材は、この順番でやるには不可欠です。
>・意味を後回しにしても、何回も読んでいると、言葉に馴染んだ感じがあります。
意味の受け皿ができつつあると考えていいと思います。これは多分、私が最近考えている「中間項」のひとつだと思いました。慣れてくると、「回転読み」の最中に、意味がとれてしまうようになります。いずれ、「電圧装置」を噛ませてください。
>・回転させることに気をとられすぎて、はやくよもうとあせるより、最初はゆっくり発音に注意して読むほうが、早く音ができあがると、つい最近気づきました。
これは「回転読み」をやる際の、非常に大事なポイントです。音の連続性が確実なものになり安定したら、「後は脱兎のごとく」でスピードをあげていっていいのですが、最初は「ゆっくりとていねいに」を心がけてください。
>・Naimaさんの記事はとても参考になります。やっぱり上級者は違うなと感心させられます。どうもありがとうございます。
Naima さん。Naima さんのドイツ語版の報告をこれからもお願いしますよ。
>(HIRATA Mさん、ジングルズの紹介をありがとうございました。今後、参考にさせていただきます。)
ジングルズをやるのであれば、私の「電話でレッスン」もご検討ください。
はるかに安いでしょう。そして、はるかにわかりやすいと思います。
どうも根石の発音は、このあたりに不審なところがあると思った場合は、この掲示板で
Eliot さんに質問すれば答えていただけます。そういう質問は、Eliot さんは歓迎してくださると思います。そうすることが、Eliot
さんが書かれる本の内容に反映することも考えられます。
>“April is the cruellest month...”となっています。
おお、田村隆一だ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
Eliotさんのハンドルネイムを見る度に…
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
酔いが回ってきたので、しばらく前の恋人ファンさんの記事で覚えているものについて書きますが、「芸のためなら女房も捨てる」は、「芸のためなら女房も泣かす」が正しいと思います。また、この歌は「浪速恋時雨」とかいう歌ではなかったかとも思います。うろおぼえのまま、復元してみますと、以下のようになります。
芸のためなら 女房も泣かす
それがどうした 文句があるか
雨の横町 法善寺
浪速囃子か 寄席囃子
今日も呼んでる 今日も呼んでる
ど阿呆 はぁるぅだんんじぃぃ
桂ハルダンジが私は漢字で書けません。Naima さん教えてください。
駄目です、この歌は。
泣けてしょうがありません。
Naima さん、これをハンブルクで歌ったら、フォークソングでしょうかねえ。
松本道弘がらみの「王将」の女房は小春だと思います。
愚痴も言わずに 女房の小春
という一節が確かあったように覚えています。
吹けば飛ぶような将棋の駒に命をかけるような馬鹿の女房が泣いていないはずはないですが、まあ、あえて言わないでおくのがいいという歌詞です。
松本道弘も王将の大将も、私に言わせれば勝手な野郎です。
ちくしょう、英語なんぞをしこしこやってる俺がかわいそうだ。
俺がかわいそうでならんぞ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
エリオットの詩の引用ありがとうございます。
いい。この詩はいいです。
荒地派の田村隆一や鮎川信夫に強く影響したのは、エリオットとオーデンだ
ったと思います。
オーデン詩集は机の上にあるのですが、英語病の狂気につきあっていると、
開く暇もないのが切ない人生です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
昨日駅の階段を踏み外し右足首関節の骨が複雑骨折してしまいました。 ロボットみたいなギプスを履いて松葉杖で歩く羽目になりました。 全治6週間だと... 痛いし不便なのですがドイツの病院に通えるってのはなかなか楽しい経験です。 病院にもよるのでしょうが、待合い室ではコーヒーからジュース、ミネラルウオーターなどただで飲み放題だし。 受け付け嬢達はピッチピチで胸が大きく開いた白いT-シャツに白のジーパン姿です。
回転読みですが、教科書から選んだ語数別の文でやっていると、筋のある読物をやりたくてやりたくてうずうずし、気が散ってしまいます。 きっちりやり始めてからまだ間がないのですが、前置詞や名詞の複数形などは考えずにスラッと出る様になっていると思います。 たとえば一例をあげると、「ベルリンへ」と言う場合、英語に引かれて「zu Berlin」(to Berlinに音が似ているので)とつい言ってしまっていたのですが、「nach Berlin」ときっちりインプットされています。 複数形も数字を言えば理解出来るやんか、とばかりいい加減にしていたのですが語尾の変化も考えずに出る様になりました。 以前はそんな簡単な事すらも頭でこねくりまわさなければ出て来ない状況でしたので、成果が着々と出て来ている様です。
回転読みをするまではドイツ語を英語で理解していたと思います。 ドイツ語は従属節では動詞が文の最後に来るのですが、英語を介すると頭の中で単語の組み換えをやったりしなければ言えなかったので言葉がなかなか出ませんでした。 回転読みをするとシンタックスそのものが受肉され、ドイツ語を話しはじめると(私程度のドイツ語では「話している」とはいえないのですが)頭がドイツ語モードに瞬時に切り替える事が出来るのではないか、と思います。
足がこんな状態なので10月は帰国しない事になりました。
春団治だったかな...
は、玉緒らしいです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
骨折?
何やってんだ。
まさか、「回転読み」のせいじゃあるめえな。
そうか、10月駄目ですか。
じゃあ、正月ですか?
正月は長野で過ごすってのはどうでしょう。
どか雪でも降って、また複雑骨折させたら一生恨まれるかもしれんが。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
酔っちゃいましたあ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
日経ネット関西版
【2002年9月8日】. 初代・桂春団治の面白さ──上方演芸いま・む かし(2)
古川 綾子(9月8日). 「芸のためなら女房も泣かす」という歌い出しで有名
な『浪花恋しぐれ』(作詞・たかたかし ...
ヤフーで検索して、一部を上に引用しました。
1480件ヒットしました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
寝よ
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ほんとに駄目。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>受け付け嬢達はピッチピチで胸が大きく開いた白いT-シャツに白のジーパ
ン姿です。
俺もハンブルクで複雑骨折したいです。
多分、村田君もです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
語学論、がんばろ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
イチローのパッティングと同じで、「まがいもの」でも訓練していれば、本物をするとき全然違いますよ。
「単語・イディオム知ってる競争」みたいのをいつもESSの会話の中でやってるので文章もスッと出るし、
「英語口」も出来ていますから。
「日本人同士で話すのはこっぱずかしいと言わない約束」というのに同意した人だけが入るのがESSですし。
「日本語が通じない韓国人とイラン人になったつもりごっこ」の方が長いけど、適切かも。。(^^;;
活動以外の友だち同士としての本気の会話は英語なんか使おうとも思いませんし、活動以外の場の
人前で英語を話すこともなかったです。やっぱそれは変だと無意識に皆んな感じていたんですね。
普段の活動は、日常会話なんかはさすがに恥ずかしすぎて出来ないから、興味がなくても前日の英字新聞の
社説が中東問題だったら、皆んな予習してきて「中東問題に興味があるふりをする韓国人とタイ人になった
つもりごっこ」をして順番にサマライズして、相手が文章の理解がちゃんと出来ているかチェックしたり、
文章の取り方で議論したり、意見があったら言うのを一時間くらいかけてしつこく英語でやるから、
2分で日本語で読んだのより深く理解しちゃって内容も新聞レベルには詳しくなるし単語も増える。
勉強は全般に「興味があるふり」をして最初は取りかからないと、狭い範囲のことしか
いつまでも分からない人でいることになりますから、特に問題があったとは思えないんですよね。
激しい気性の根石さんですから、こんなにディベートとESSを罵倒するのは、絶対裏に、
「個人的な恨み辛み」を持つに至った、ESSのやつがいたとかがあるんだと思います。
「私がESSとディベートを不倶戴天の敵にしているわけ(経験編)」とか書いてくれません?
私はともかく、Naimaさんも元ディベート師!、じゃなくてディベーターだったのですから。
でも、彼女、「松本道弘信者」でもあったんですよね!!また、切れて原始人妻にならないかなあ〜 ワクワク♪〜
でも、私の体験も一般的ではないかも知れないので、ESSの研究を誰かがしないと平均的ESS像が
どうなっているのかは、不明なんですが。。。そうだハッ( ゚o゚) Eliot元ESS部長に聞こう!
>Eliotさん
ということで、今度時間があったらEliotさんのESS体験について教えて下さい。
レスと英語タウンのフォローしていただいて感謝です。
URL張ったとき、発音教材の紹介をEliotさんにお願いするの忘れたので
もう一回書こうかと思ったところでした。以心伝心だったようですね♪
私は教材の知識とかさっぱりですから、助かります。
Eliotさんのレスで考えたことがありますが、さすがに書き過ぎなので今日は寝ます。。
>根石さん
長い私の駄文に長いレス、有り難う御座います。
新磁場論で、母国語と外国語に関係なく、私が磁場の形成の要素として、相互の「関心」を重視している理由はもう
少し詳しく書かないと伝わらないようなので、それは次に回すとして、今回はESS・ディベート問題の反論を少々。
で、いつも思うのは
>この人の文学への理解は非常にすぐれたもので、文学に固有の視線の柔らかさや、たった一人で弱さに徹してい
>く心が、表現の強さというバネを持つとき、それがどんなふうに社会総体を照らし出していくか、その固有の意味
>を救い出すことが批評の仕事であることをよくわかっていた人だと思います。
ここまで良質な、この掲示板に来るまで何十年も「機械の雑誌」以外の日本語の印刷分を読んでいない私が
逆立ちしても書けない格好いい文章を書ける根石さんが
>日本人同士が、ディベートなんかやって英語で話していても、私はそこに「磁場」や「磁力」が形成されると
>は思っていません。そう思っているとしたら、まったくの錯誤です。なるほど、使用言語は英語でしょう。しかし、シ
>ンタックスの身体化の度合い(自然性)からすれば、お互いどうし、「まがいもの」にすぎないのです。「まがいも
>の」どうしで議論なんかして、「ほんものごっこ」をやっているにすぎません。「ネイティヴごっこ」と言ってもいい。
>「ネイティヴ・イングリッシュごっこ」と言ってもいい。馬鹿みたいだ。
と、この問題になると日本人と韓国人の英語での会話も「まがいもの」だと決めつけているに等しい、自己検証を怠った
文章が書けるのでしょうか?欧米人以外と英語で話す機会が、根石さんにはあまりなかったからかも知れませんが。。。
アジアなど非英語圏での英語の授業の多くは*生徒間の会話練習で占められているはずなのに、
日本人がそれをすることを、根石さんは何故これほど忌避し罵倒するのでしょうか?
*確証はありませんが彼らがまがいなりにも話せていることとその訛からの推察です。
生徒間というのは教師一人では会話の訓練をクラス全員で出来ないからです。
貧しい国が多いですから教師も自国人なので 教師とたまに話すにしても、
根石さんの言う「まがいもの」の「ほんものごっこ」ですが、なにか?←2チャンネル風(^^;;
根石さんの言い方だと、ネイティプ(または英語シンタックスに近い言語を持つドイツ語などを母語にする人)
と、実際に日常的に英語で話す機会ができるまでは、NOVAなんかに行けない貧乏な学生は英語を話すな、
と言っていることになりませんか?回転読みの独学はいいが、学習者が集まって英会話の練習は御法度?
ESS経験者から言うと「ネイティプになっているつもり」なんて皆んな全然思っていませんでしたよ。
どっちかというと、「曇っているのに、It's fine today.を回転読みでやっている机上の勉強を
相手の言うことに合わせて、速攻でやる英作文と発声の訓練に変えたもので、イチローが昔
バッティングセンターで「野球まがい」をしていたのと同じようなもんなんですね。
ネイティブと話すのとは全然違うのを知っていましたから、月に何度かは外人宅訪問とか
若い外人を呼んでディスカッションをしていたんですね。
あの歌、「芸」のためなら女房も「泣かす」でしたか。。
実は、違うのは分かっていて、10分悩んでいっそネット検索しようと
思ったんですが、さすがにそこまではやめて誰かの突っ込み待っていました。
持つべきものは、オジン友だちですねえ。。(^^;;
語学論、がんばろ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
村田先輩にもお伝え下さい。
ベルリンでは公園のサイクリング路の脇の芝生で、一糸まとわぬ若い男女が日光浴しています。
うちの春団治に「根石さんがあんたに会って回転読みの手ほどきしたいらしいよ」と言ったら、「酒飲みやったら会うてもええねんけどな...」と言ってました。
どう返事しときましょ?
日本人同士で英語を話すのは確かに「こっぱずかしく」「ほんまに笑わしよるで〜」体験なんですけど、会話する事が問題ではなくて、「何が言えないか」「これはどういうのか」を知る上では役にたちました。 それを自宅の机の上で検証して練る、または文法書や辞書の例文と照らし合わせて文章を作ってみる作業が大切だと思うんですが。
言いっぱなし、垂れ流し英語は意味がありませんよね。 「うちら英語でコミュニケートしてるね〜〜ん」気分に酔ってるだけやわね。 自慰行為か...
日本人同士のディベートで「磁場」や「磁力」が形成される事はありませんが、ディベートの準備で英文の資料を読む、情報を仕入れる、自分の考えを「英借文」して使う、などなど英語の勉強に役立つ作業はいっぱいあると思います。
けれど、私もディベートは嫌いなので止めてしまいました。 大事な問題をゲーム仕立てにして英語で討論する事の「後ろめたさ」とか「そうまでして英語を伸ばしたいか」という自己嫌悪感とかは、根石さんのもたれているディベートに対する思いと共通する様に思います。 英語アウトプットの機会を得る為にボランティア通訳をかって出る事を勧める人もありますが、どうも嫌だ...
「背に腹は変えられん」とか「手段を選ばん」と言う人は,
ボランティア通訳でもディベートでも勝手にやったらいいと思います。
ディベートでは強制的に自分と反対の立場で討論させられる事によって、自分の無知、偏見、頑迷さ、事実誤認とかに気付かされる事が多々ありますが、これは英語とは関係ないですし。
ビジネスシーンでも、事務的な会話と世間話などがほとんどで、ディベートが必要とされる様な場面は皆無だと言っていいと思います。 それでもクレーム処理なんかで、押しの強い英語でタフネゴシエーターを気取らない場合も出て来る場合には、相手の出方を研究する必要もあるんだろうと思います。 松本道弘は自分の英語を「宮本武蔵の二刀流」だと言った事があると思うのですが、仕事もせにゃならん、英語も勉強せにゃならん商社マンの為に一石二鳥を狙った苦肉の策でもあったろうと思うのです。 ま、ビジネスの事はようわからんけど...
松本道弘の英語道は時代の産物ではないか、と思います。 日本の企業が世界的に認められる様になりアメリカなんぞにやっかまれたり叩かれたりした時代に、肩ひじ張って英語と言う敵の土俵でがっぷり四つに組まなければならなかった時代があったんだろうと思うんだけど、それも女房の小春には想像でしかありまへん。
根石さん
> この「5回連続」というのは、「間違いなく完全に回転が効いている状態で5回連続」ということでしょうか。「一息で5回連続」ということでしょうか。
5回連続で回転させるぞと決意をして5回連続しているので「一息で5回連続」と思います。「間違いなく完全に回転が聞いている状態」というのは、回転が安定していて、その中で5回連続はクリアできるという解釈でよいのでしょうか?
> 5語程度の文の回転が早めに仕上がるようになったら、7語程度の文に移ってやってみてください。100回読むことは継続なさるようにおすすめします。
今日は長いなと思って、テキストを開いて数えてみたら7,8語くらいになっていました。
>いずれ、「電圧装置」を噛ませてください。
まだまだ先になりますが、この本を使って「回転書き」と「電圧装置」にも取り組んでいきたいと思っています。
> ジングルズをやるのであれば、私の「電話でレッスン」もご検討ください。
はるかに安いでしょう。
発音を指導する学校は関東にはその他にもいくつかあるのですが、どれより根石さんが破格に安いです。(発音指導を行う学校は、個人指導のところが多いことを考えれば、法外な値段とは思わないです。)
> そして、はるかにわかりやすいと思います。
「技法グラウンド」のテープを聞きました。生徒さんにあわせて根石さんがお手本に読む読みも変化していくし、アドバイスも生徒さんの状況を考えて出しているから、生徒さんも気が抜けないのでしょうね。
「電話でレッスン」をやる前に、順番が逆さなのですが、もう少し独学で頑張ってみようかと思っております。
普通、最初にコーチについて、独り立ちしていくのですが。。。
なんだか、だれています。
「回転読み」の様子を報告してくださってありがとう。
「回転読み」をやると、頭脳的に処理していたものが、感覚化するという過程を報告してもらえたと思います。ドイツ語の文法はちっともわかりませんが、理屈が感覚になっていく様子がよくわかりました。
Naima さんは、早めに激化してもいいんじゃないでしょうか。
音が安定したら、スピードをあげていって、かなりなスピードで回転させながら、その回転という坩堝に、語法もイメージも意味も理屈もみんな放り込んで攪拌します。
最高速度が獲得できてからは、スピードはわざとゆっくりさせるなど、緩急自在にしてください。速めたりゆるくしたりして、語法、イメージ、意味、理屈など、収まるところに落ち着くようにしてみてください。
普通のスピードで言って、意味が一緒に動くなら、もう実用レベルの文なので、多少間違えても、単語を様々に代入したりして使ってみるのがいいと思います。
机上と磁場の往復は、ドイツ語の磁場にいる間しかできないので、是非やってください。Naima さんはくっちゃべるのが嫌いではないみたいだから、友達んちへ遊びに行ってくっちゃべるのがいいかもしれない。
旦那さん、長野に酒飲みに行くんならいいって言ってるんですか。
じゃあ、「電話でレッスン」をやらせろというすけべ心はひとまず棚にあげて、酒を飲んじゃいましょう。
学校の生徒のレッスンは女房にまかせて、私は現に英語が押し寄せている波打ち際にいる人を相手にレッスンをやりたいという希望があるので、旦那さんをねらってみたわけです。
また、ごきげんのいいときに口説いてみてください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>間違いなく完全に回転が効いている状態
「間違いなく」というのは、ひっかかったり途切れたりしないでという意味です。
発音はいつも現時点での自分のベストをめがける、イントネーションはCDなど複製音声を媒介にして決めるなどして、こちらの方面での「間違いなく」にも当然留意しなければなりませんが、「回転読み」での「間違いなく」はひっかかりがない、途切れないというくらいの意味だと考えてください。
「回転が効いている」というのは、一種の「ノリがいい」状態です。
これはうまく言葉になりません。
音とイントネーションの問題がクリアできれば、独学がいいと思います。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
なんだか、ぐったり疲れてしまいました。
ESS のこと、少しお時間をください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
回転読みを今までは69回で留めていたのですが、(回数を数える為のおはじきの数が70個。 荷造りの時に1個紛失して69個)昨日何年も前に音読用に買って一度も使った事のないカウンター(通行人の数を数えるあれです)を持って来ていた事を思い出しました。 (私もなかなかやるね。 不実行だったけど目のつけ所は良かったわけです。)
それでべいべさんに遅れを取るのも悔しいので100回回転読みする事にしました。 ネタには教科書を使っているのですが、7〜8語文が出て来はじめました。 (5語文でも13文やるのに小1時間かかってしまいました。) べいべさんと競争するのに丁度いい頃合です。 各々の文の回転読みが終わると全体を「通し」で10回読む事にしました。 10回連続で回転読みって事になりますか? むはは。 かかって来んかっ!
ドイツ語の「r」の音は喉を震わせて発音します。 rで始まる単語の場合には「r音を出すぞっと」ばかりに準備出来るので簡単なのですが、Ihre Adresse (your address)など他の子音の後にくっついて来ると難しく、今までは誤魔化してしまっていました。 回転読みするとr音の前の子音を発音する時の口の形や舌の位置などを自分なりに工夫できる様になり、正しい音を出す様になってきます。 テープ教材はついているので「中途のr」の音は聞き取れますが、音声法の訓練を受けたわけでもないので自分で工夫する以外にありませんので。 100回の内3〜4回は「これなんだっ」と思える音が出てます。 その内もっとうまく出る様になると思います。
> 普通のスピードで言って、意味が一緒に動くなら、もう実用レベルの文なので、多少間違えても、単語を様々に代入したりして使ってみるのがいいと思います。
1課終了毎にドリルをやってこれを回転読みしてもいいですか? 緩急自在にやってもいい、と言われてほっとしてます。 丑年B型双子座生まれなので(何か関係あるのか?)単調だと飽きてしまうのです。
音が安定したら、ご指示の様に「その回転という坩堝に、語法もイメージも意味も理屈もみんな放り込んで攪拌」する事にします。 回転読みを実際に試して初めておっしゃる事の意味が解ります。 回転読みの中で、「ん、なんでや?」と疑問が湧いて来、その内に理屈が「あ、そうやったんや」と腑に落ち、回転させる中で血肉になって行く感じがします。 私の場合にはまず学校で一通り習ったと言う前提があるので、高校生が教科書を回転読みするとこんな感じになるのかな、と思える瞬間があります。
「くっちゃべり」はまだとうてい無理ですが、朝市のおっちゃんやおばちゃんとのやりとりくらいはご愛嬌でちょっとはマシにやれそうです。
>むはは。 かかって来んかっ!
言い過ぎました...
回転読みを終わったセンテンスをまだ覚えているかどうか気になって仕方がありません。 こういう事に気を取られてはいけないと思ってはいるのですが... その為に寝つけない時もあります。 頭が興奮状態なのでしょうか?
それはそうと、怪我の為自宅軟禁状態になったので、今日から回転読みに使う時間を増やす事にします。
明日はErich Kaestonerの「エミールと探偵達」の14課の音読もします。 金曜日の午後のプライベートレッスンの予習です。
Naimaさん
> 各々の文の回転読みが終わると全体を「通し」で10回読む事にしました。 10回連続で回転読みって事になりますか?
「通し」っていいですね。さっそくやってみます。
> 回転読みを終わったセンテンスをまだ覚えているかどうか気になって仕方がありません。
朝に時間がとれたら、前の日の復習でこの「通し」をやると少しは気にならなくなるかと思います。まさに「寝かし」たものを再確認できるので効果ありそうに思います。「通し」のアイデアをいただいたので、私は、朝に早起きをして挑戦してみます。
>>むはは。 かかって来んかっ!
>言い過ぎました...
どうもありがとうございます。これからもよろしくお願いします〜。
根石さん
私のレベルではまだまだ先の話ですが、音作りが一段落し、「電圧装置」などにより英語の「イメージ」が自分の中にたまってきたら、媒介音声をもとに聴き書き(つまり、ディクテーション)をすると、練習の質が高まるように思います。根石さんがコーチとしてついている場合は、レッスン時間(これが「技法グラウンド」ですよね?)が質を高める働きをもっているので、独学の場合にはということですが。
>>間違いなく完全に回転が効いている状態
> 「間違いなく」というのは、ひっかかったり途切れたりしないでという意味です。
> 「回転が効いている」というのは、一種の「ノリがいい」状態です。
> これはうまく言葉になりません。
ありがとうございます。
発音の参考に「英語発音は日本語でできる」(斉藤厚見)ちくま新書という本を購入しました。還付金(カンプキン)は、/kampkin/と発音しているので、/k/を/p/にすれば、pumpkinと同じとか、春先(ハルサキ)のルは/r/で昼間(ヒルマ)は/l/で舌の位置が違う。など、既に発音のできている日本語からスタートするので、独習の手助けになりそうと思っています。「電話でレッスン」の指導の時にも使えるかもしれないと思います。
この本では、新カナ表記として、カナにいくつかの記号を足して発音記号の代わりをさせようとしているのですが、それには馴染めず読むのに多少苦労しています。(発音記号も併記してあるのですが)
Amazonでのこの本の紹介
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480058710/ref=sr_aps_b_/250-0656861-4290665
>朝に時間がとれたら、前の日の復習でこの「通し」をやると少しは気にならなくなるかと思います。まさに「寝かし」たものを再確認できるので効果ありそうに思います。
なるほどそうですね。 3歩歩いて2歩下がる...か... 私も夫を会社に送りだした後にやってみる事にします。
英検受験の為に単語の用例を音読していた時に、「8時間放置すると忘れる率が高くなるので8時間経たない内に覚え直すと定着率が高い」と勉強仲間の1人が言いました。 それでパラノイアみたいになって、8時間おきにノートの前日のノルマを「通し」で音読して確認してたことがあります。 覚え切れないものは翌日のノルマに付け足す、などもしていたのですが、流石によく定着しました。 でも科学的根拠があるのかないのかは定かではありません。
>「通し」のアイデアをいただいたので、私は、朝に早起きをして挑戦してみます。
し、しまった... パクられてしまいやしたな。
。。・、・・ォ、マオ、、ォ
。。、「、ホコヘフマコ、ソ、チ、マ。「、ノ、ヲ、キ、ニ、、、、ホ、ヌ、キ、遉ヲ、ヘ。」
。。ソソイニ、ホコヘ、マ。「、ハ、ト、ォ、キ、、。」
管理人様
ダジャレー夫人の恋人様が書き込みをしたところ、文字化けしてしまったの
で削除したいのだが、やり方がわからないとの電話をいただきました。
下の文字化けした記事の削除をお願いします。
私の手でやれないものかと思い、適当にパスワードを設定してやってみまし
たが駄目でした。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ダジャレー夫人の恋人様の書き込みを削除しないで下さい。 じっと見つめていると、なんかそこはかとなく面白いです。宇宙人が駄洒落を言っているみたいで...
>Eliotさん
やっぱり副島先生は英語業界の方には評判が悪いようですね。私も一応、師事しているその取巻き
の一人です。もっとも、副島先生の英語関係の著作には余り興味をもっていません。英語をマスター
するのに役に立つかといえば、そうではないからです。でも、細かな点で誤りがあるのかもしれませ
んが、面白いこともたくさん書いてある本だと思います。「英文法の謎を解く」の9ページの図など
もそうです。アジア諸国の英語は、土台のしっかりした英語の上に成り立っていますが、日本の英語
はその土台が極めて脆弱で、その上に学校英語、英会話、ビジネス英語が乗っかっていて、不安定こ
の上ないのです。根石さんは日本の英語におけるしっかりした土台作りの方法を実践されているのだ
と思っています(なんでも根石さんに引き寄せてしまう…)。
Eliotさんが副島先生の著作をお読みになった上で批判されるのであれば結構ですが、他人がこう
言っている、という理由だけでの批判は控えて頂きたい、と思います。私は是々非々を自分自身で判
断する人間です。また、私は直接お会いして話をしたこともあるので、人格的にどうこう、という非
難も受けつけません。願わくば、Eliotさんには副島先生の他の著作に目を通して頂きたいと思いま
す。先生は政治経済分野で本領を発揮される方です。英語関係ですと、「英語で思想を読む」(ちく
まライブラリー38)という本はとてもユニークです。この手の本を出せるのは副島先生くらいでし
ょう。それと、映画関係の著作が2冊あります。これは知識として読んでおくべきであると思います。
Eliotさんの発音聞かせていただきました。正直ビックリしました。日本語訛りがないどころではな
く、普通のネイティブより上手いのでは?と思いました。
>根石さん及び皆さん
今度の土曜日から一ヶ月程、fasting placeに篭りますので暫くお暇致します。目的は二つ、体の
overhaulと集中的な英語の勉強のためです。水分補給のみで、英語漬けになるつもりです。どのくら
い英語をやっつけられるのか挑戦です。なんらかの効果が実感できるようになったら、"根石さん"で
はなく"根石先生"とお呼びするようにしたいと思っています。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
夜になったらやろうかなと思っていましたが、人が飲みに来ることになりま
したので、これから酔っぱらいモードになります。
酔っ払って、元気になったら、夜中に来るかもしれません。
そのまま寝てしまうかもしれません。
Naima さん
なるほど。
管理人様
じゃあ、Naima さんのために残しておいてあげてください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>今度の土曜日から一ヶ月程、fasting placeに篭りますので暫くお暇致し
ます。目的は二つ、体の overhaulと集中的な英語の勉強のためです。水分
補給のみで、英語漬けになるつもりです。どのくらい英語をやっつけられる
のか挑戦です。なんらかの効果が実感できるようになったら、"根石さん"で
はなく"根石先生"とお呼びするようにしたいと思っています。
どういうことですか?
禅寺へこもるわけでもなさそうだし、英語をやって、体の overhaul がで
きるわけじゃないし、人間ドックに入るには期間が長すぎるし、何をやられ
るつもりなのか、まるで見当がつきません。
「回転読み」を集中的に試してみるということなんでしょうか。
効果がはっきり出たところで、俺は「根石さん」と呼ばれる方が気分がい
いです。「先生」と呼ばれるのは、好きではありません。
まあ、ともかく何をやるのかわからないががんばってください。
何をやられたのかをいずれ書いていただけるものと期待しています。
さて、飲みに入るぞ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
Naima さん、 べいべさん
回転読みのご報告へのお返事は書く予定ですので、少しお待ちください。
恋人ファンさん
ESS 論というか、ディベート論ですね。これ、はっきり言いたいので、考え
ています。少しお待ちください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
削除の件、了解しました。
根石さん私もこれから飲みに入ります。
明日の仕事に差し支えない程度で切り上げられればいいのですが…。
根石さんもお身体に気をつけて下さいませ。
>副島先生は英語業界の方には評判が悪いようですね。
数年前、副島氏の「英文法の謎を解く」を読みました。 今回これを投稿する前に2時間ほどかけてざっと読み直しました。 やはり「嘘や間違い」が多いのは致命傷だと思います。 「謎を解く」と言うタイトルは魅力的なのですが、内容は体系づけられた理論と言うより、副島氏が思い付いた事、聞き齧った事の羅列の様に思われました。
HIRATA M様は、他に読みごたえのある著書を紹介しておられるので、機会があれば読んで見ようと思ってます。
下記はある英語講師の方のサイトからの引用です。
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Q-Higuchi/retsuaku.htm
けど、ダジャレー夫人の恋人様はどんな駄洒落を飛ばされたのでしょうか。 「化け文字」の翻訳がぜひ必要です。
カタカナ英語読みの「画一化圧力」はEliotさんが生徒だったときは
はなかったとのこと了解です。
Eliotさんの教師自身は発音が良くなかった(=話せなかった?)
のにカタカナ読みを強制しなかったのは、「自分は発音は良くない。
Eliotの方がいい」と謙虚に認めていたのかも知れません。
そうだとすると、その先生は英語教師としての能力は劣っていても
教師として求められる人間性には問題のない人だったのでしょう。
よく、帰国子女が日本に帰って、ネイティブ発音で教科書を読んだり
すると、「アメリカ人」と他の生徒からイジメめられることがあると
いうことを耳にします。
子供は仕方ないのですが、問題なのはそういうときの英語教師の
対応なんですね。何かで読んだ話では、
「君の読み方はアメリカ人の英語だ。ここは日本なんだから、
日本人の英語の読み方をするように」などと、大人が見ていない
のをいいことに無茶苦茶なことを言う、アホ英語教師が未だに
生息しているようなんです。
帰国子女の方はナンセンスと思っても、自己防衛のために
カタカナ英語を覚えて、やっとイジメられなくなるなんて
馬鹿なことがよくあるみたいです。
このへんは、もう教師の英語力の問題じゃなくて、人間性に係わる部分です。
前回、「話せない英語教師はクビ」と書きましたが、「話せる」
のは必要条件の一つなので、それだけではダメだということは
余り言われません。
これを言うのは、私は中学の時発音の良い「話せる」という
噂のあった教師に2年習いましたが、彼の良い発音は
2年習っていても、誰にも「移りません」でした。
音の出し方についての一切説明せず、生徒の発音の間違いの
修正もしない教師だったからです。
高校のリーダーの教師はもっとたちの悪いのでした。
アメリカ留学帰りで「話せる」のが自慢のヤツだったんですが、
やはり、自分が良い発音で読むだけで、発音指導は一切ありませんでした。
それなら中学の教師と同じなんですが、最悪なことに彼の場合は
生徒の発音を、自分が教えてもいないのに、バカにするのが
嬉しくてたまらないんですね。低脳(←どっかで見た気が。。(^^;; )です!
大分前に、別人格が向こうに書いていたようですが、そう、私が children
をチャイルドレンと読んだら、「おめえの英語は田子作イングリッシュだ」
と嬉々として馬鹿にしてくれたあの先公のことです。
この一言で、中学では「好きでも嫌いでもない」英語が、本格的に
嫌いになりましたからね。
ということで、英語教師のもう一つの必要条件は「発音指導をちゃんとする」
というより、「他人の気持ちを思いやる/生徒のためを考える」ということ
でしょう。
そういう、人間としてまっとうな気持ちを持っている「話せる」教師は
生徒に発音指導をしておかないと、将来話すときに困るだけではなくて、
今の勉強の英語だって身に付きにくいというのは分かりますから、
発音指導も真剣にするでしょう。
結局、教師全体に言えることですが、英語教師のもう一つの必要条件は簡単に言うと
「親切なこと」なんで、なかなかこれがいないのが今の教員採用の仕方の問題なんです。
「親切な教師」というのが、Eliotさんみたいな10人に一人とかの例外
(ネットで親切に解説している学校の先生を見たのはEliotさんが最初で最後です)
をのぞいては、「黒い白馬」みたいな形容矛盾になっているんですね。
私立はそれでも結果を出せないとまずいですから、勉強が嫌いになるような授業
をする教師の比率は低いでしょうけど、私が習ったときと教えたときの経験から
言うと、公立は最悪だと思います。
他に、「話せないと英語教師になれない」前提だと、大学を出て直ぐ教師になれるのは
留学帰りやNOVAに何年も通えるオボッチャマか、根石さんの大嫌いなESSくらいしか
いなくなっちゃうので、それでいいのかという問題もあります。
帰国子女は、日本語の能力が問題になりますし。
しかし、この手の「英語教育改革」はいくら良い案を思いついたとしても
影響力ゼロの私には空しいだけなので、この先は考えないことにしています。
そんな大問題より、発音記号が分からない中学生一人に長い解説を書く方が
まだ意味があるってもんです。影響力が「完全なゼロ」にはなりませんから。。
Eliotさ〜〜ん、早くもっとエラくなって、なんとかして下さ〜〜〜い!!
文字化けのままにしておいてください。
改めてのカキコは感興をこわしますので・・・。
ついでに、もうひとつ。→ イルカは居るか
ふとんを投げ付けないよう、抑えてくれよーー。
>下記はある英語講師の方のサイトからの引用です。
すみません。 すでにEliotさんもこのサイトを紹介されていました。 Q-Higuchiと言う英語講師は私の英語の先生のお知合いで、私も2度ほどお会いした事があります。 私の先生は米国人ですが、「Q先生の英語はネイティブの英米人より立派で間違いのない英語をしゃべる」と言ってはりました。 その彼の書評ですので、あながちええ加減な事は言うてはれへんと思います。
で、ディベートですが、私はそんなにディベートを本格的にはやってないんですよ。先輩や大会のディベートを見ていた方が多いので、この思考法が英語をやる前から
あったのか、英語の本の乱読の影響か、生徒の顔色をうかがいながら、色々に説明して
分からすことを長くやっていた影響なのか、よく分からないんですね。
私、PCがないと字が書けない人なので、昔書いた文章なんか一切ありませんし、
どうなんでしょう??少なくとも、英語は関係している臭いのですが。。。
日本語は、論理の通った文章を理解したり書くためには、「多読」でまともな本を
沢山読むしか手がないので、「論理」の教育の促成栽培ができないんですよね。
で、まともに本を読んでいない人がネットに来るから、ややこしいことになる。。
根石さんの「英語をやると日本語が薄っぺらになる」は、本当は「元々日本語が薄っぺらなのが、
英語をやってもっと薄っぺらな英語を身に付け」ているだけの話しだと思うんですけどねえ。
アメリカなんかは、多読をしなくても短時間に論理的思考の促成栽培ができるように
ゲームディベートを開発したんじゃないかって気がします。
向こうではESS的なゲームディベートを 中高でよくやるみたいですしね。
本当に自説を信じている逆の立場のもの同士がやるアカデミック・ディベートもあるという
ことですし、大統領候補のディベートもあるので、色々ですね。立論→反証→結論とか忘れ
ちゃいましたが、時間と形式が決まっているのとこの形式を学校でやっていて見る方も
馴染んでいるから、どっちが説得力のあることをいっているのか分かりやすいということ
もありそうです。
大勢の前で立論なんか格好いい文章を作っておいてやるから、スピーチの練習にもなるし。。
そういえば、一時TVで日本語のディベートを流行らそうと仕掛けたことがありましたが、
公衆の面前で「音声のことば」で相手の論理にけちを付けるようなのは、日本人/日本語の
生理に合わなかったためか、すぐ萎んでしまいましたね。
準備無しのアドリブの朝生とか日曜朝の政治ものはは長くやってて根強い人気のに反して、
ディベートは会話でなく、時間がちゃんと配分されている演説の応酬が日本語に合わないのかも知れません。
向こうの演説はカッコがいいのに、日本語で言葉として格好いい演説は無理みたいですしね。
で、怪我の具合はいかが?外出できないので回転読みグルグルで目が回る思いだったりして。。
↑これは昨日書いたものです。やっぱり当たっていましたね!
>それも女房の小春には想像でしかありまへん。 ←ナイス結びです♪ お大事に!
PS. 芸のためなら女房も泣かす〜〜♪ は、都はるみの「浪花恋時雨」でした。
これを打っていたらラジオで当人が出て流していました。
松本さんの方は、王将だったから完全な勘違い!
ディベートだったら、突っ込まれて負けてますねえ。。(^^;;
>Naimaさん この長文はレスというより、Naimaさんの文をネタにした「屁理屈」ですので
蘊蓄たれ!と思ったら読まなくていいです。。。(^^;;
>言いっぱなし、垂れ流し英語は意味がありませんよね。
>「うちら英語でコミュニケートしてるね〜〜ん」気分に酔ってるだけやわね。
これは、町の英語学校あたりでやっていると起こりそうですね。何でも言える友だちでやってるわけ
ではないですから、それこそboyさんがいったみたいに「気を使って」間違っていても指摘しないとか。
私のいたESSだと、「突っ込みをしないのは悪」の雰囲気があって、間違いの指摘のしあいは多かったです。
私はもっぱら、文脈・論理(屁理屈とも言う!)がおかしいのを突っ込んで、(お察しの通り)発音の
間違いを突っ込まれていました。
一番記憶に残っているのは、私のtoがtsuと日本語の「つ」になっているのを言われたことですね。
テープにとって聞いてても自分では気がつかなかったんだから、当時から完全にカタカナ耳だったらしいです。
で、苦労してtsuの「S抜き」に成功したんですが、なにしろtoはよく出てくるので、今度は日本語の
「いつ、待つ」なんかの「つ」が みんな to になってるって、また突っ込まれて戻すのに一苦労(爆)
>ディベートでは強制的に自分と反対の立場で討論させられる事によって、自分の無知、偏見、頑迷さ、事実誤認
>とかに気付かされる事が多々ありますが、「これは英語とは関係ないですし。」
お言葉ですが、これ関係あるかも知れません。
ネットで文章を書くようになってはっきり自覚したのですが、私の思考法には
「一旦仮説(例えば、日本人だけでの会話練習は有効)を立て、それを裏付ける事実
(私のESS時代の英字新聞朝特訓)を延べ、更に私のみの特殊例というそしりを免れる
ために、一見関係ないようだが実は共通した性質を持つ、よく知られている事実
(子供時代のイチローのパッティングセンターでの練習)を付加することによって、
その仮説のの正当性を主張するという、前回とったやりかたです。
意識してやっているわけではないのですが、こういう形式にしないで、boyさんのように
自分の経験も他の実例も挙げないで「抽象的な結論」だけ書いても説得力がゼロなの
が経験的にも身に滲みているので、そういうのは耐えられない生理になっているんですね。
作家でも、英語などをかなりやった人の日本語は小林秀雄でも江藤淳でも村上春樹でも
明晰な気がするので、ディベートはともかく英語をやると「脳内ディベート」の習慣がついて
分かりにくいのはほっておけなくなるからかもしれません。
根石さんの、「英語が日本語を破壊する」っていうのは、こういう意味では分かるんですよね。
「破壊する」というより「変質させる/外国語習得以前には戻れなくなる」っていうことはあるでしょうね。
>「Q先生の英語はネイティブの英米人より立派で間違いのない英語をしゃべる」
けったいな日本語でした。 「Q先生はネイティブの英米人より立派で間違いのない英語をしゃべる」でした。
>Eliotさん
と、勝手に想像しててもしょうがないんですねえ。。(^^;;
なんか、文科省あたりで、「非英語圏諸国に於ける英語教育の実態」
とか調査してそうですが、心当たりないですか?
ネットにそれらしいことが書いてあるHPご存知でしたら教えて下さい。
それから、まだ読んでない人がいると思いますから、良かったら
もう一回あの作文を載せてもらえます?
画一化圧力のことですが、場合に寄りますが、私は正しいものと誤ったものが存在すると思います。
Eliotさんが築き上げた「間違った発音をすると教師ですら生徒に指摘される」という
雰囲気、つまり一種の画一化圧力と言えますが、これはカタカナ英語が当たり前の場合も
多い日本の学校現場で例外的に「正しい」ものです。
「カタカナ英語で読まないと笑われる」多くの学校の雰囲気は間違ったものです。
「日本人同士で英語を話す」という当たり前の英語の訓練は、ESSの内部でのみ
「正しいもの」であって、一歩外に出ると「偽物英語で話す変人の集団」のように、間違った
ものと見なされ、「おかしなことをやっているな」という画一化圧力がかけられるのが殆どだと
思います。ですから、ESS部員は外では英語で話すことはしないのが暗然の合意事項と
ならざるをえないのだと、私は思います。
英語タウンにEliotさんがリンクを書いてくれた、シュリーマンの勉強法は回転読みにも通じています。
話し相手になる学習仲間が存在しない状況では、ああいった「激しい」修行的学習が必要でしょう。
仲間がいても、より短期間に効果を上げる独習の手段としても効果は大きいはずです。
シュリーマンもあのリンクの文章を書いた人も独学するしかなかった人たちです。
しかし、その「激しい学習」に耐えられるのはほんの一握りです。昔のESSの女の子たちを
思い浮かべても、その種の「根性的修行」に耐えそうな子はあまり思い浮かびません。
それが彼女たちが「そこそこ話せる」ようにしかならなかった原因とも言えますが、彼女たちの
求める英語力にあったものと言えます。
それ以上を身に付けたものは、ESSの場を発表の場と捉え、独学的なことも激しくやっていた人たちです。
所詮人のやることですから、同じESS部員と言っても、日常会話で使う英語を求める人と
ディベートの英語をやる人、読解力つけることに力点を置く人と様々です。
一人や集団で大声でテキストを何回も朗読するのと、不自由ではあっても学習者同士で
「英語のお喋り・議論」をするのとを比較すると、後者の方がより人間の
「自分の思うことを伝えたい」という欲求に添っているという意味で「自然」だと感じます。
せっかく、同じ英語を勉強している仲間が沢山いて、(たまにはですが)話せる指導者もいる
学校という場で、「生徒間で英語で会話する」ということはもっと考えられていいと思います。
しかし、中高では「受験」の問題を考えないわけにはいかないので、生徒同士で英語の会話を
授業に取り入れるのは、現状ではなかなか難しいことだとは思います。
現場で教えておられるEliotさんは「学校英語のESS化」についてはどうお考えでしょうか?
私は英語科ですから、周りを見回しましたが、ESSの三人以外、
卒業までに「一人も」まともに話せるようになっていないのです。
40人のクラスにネイティブ教師一人の週二回英会話の三年は、
一人につきESSの三日分の会話時間にも及びません。
ESSは言いたいことを言っているのに対し、「聞かれたことに返事をする」
という短い会話に多くを求めても無駄です。
中には外の会話学校に行ったものも数人いましたが、全滅でした。
結局、ネイティブは「ほんもの」かも知れませんが、時間が決定的に
不足しています。自分たちで積極的に行動しないと何も始まらない
ESSに対して、「習う」英語は受け身です。
ネイティブを含む英会話を本物に例えると、40人の大学の授業での
生徒は「本物の球場で、ファンサービスで選手と10秒話ができる」
ファンの立場と言えます。外部の会話学校では、これが5分に増える
かもしれません。両者とも受け身で、自分はプレーヤーではありません。
ESSの英語は「野球ごっご」です。球場なんて贅沢なものはありません。
プロの野球選手(=ネイティブ話者)など一人もいないのです。
街角の空き地の隅で、どろんこになってやっています。何時間も。。
用具も自分で作ったりするので粗末です。ユニフォームも手に入る
色々な種類のものを勝手に来ています。それもボロボロです。
コーチも監督もいません。「こうしよう」「いや、こうだ」と
声高に喧嘩しながら「野球ごっこ」は暗くなるまで続きます。。。
どっちが、「本物の野球」ができるようになるでしょう?
どっちが、野球に必要な体力をつけたでしょう?
これが、ESSです。少なくとも私のESSでした。
学習者各自がウドの店を持つことは出来ません。
持てても、誰もが根石さんのような人に「関心」を抱かせる性質と話題を
持っているわけでもありません。
基本的にネイティブにとって、英語初心者の会話相手など退屈なものです。
大人が一時は子供の遊びに入れても、直ぐに飽きてしまいます。
こどもは全てが新鮮なので、大人からみたら詰まらない遊びでも、子供同士
飽きずに続けます。
子供たちが野球ゴッコを、ときに本物の野球をしているつもりになって真剣に
やっているのを笑えないように、英語が「声」だと実感して一年経ったか
経たない若者たちが、たとえ自分たちの英語が「本物の英語」だと勘違いをして
ディベートに熱中していたとしても、誰がそれを嗤うことができるでしょう?
多くの非英語圏の人が基本的な英語を操れているのを見ると、それらの国の
学校英語は「様々な訛のESS英語」ではないのかと私は見るのです。
授業では生徒が何人かのグループに分かれて、侃々諤々と大声で
勝手に「自分の言いたいこと」を伝え合っているのではないか?
教師は、授業の最初に少し文型や文法を解説をするだけで、
後はそれを使った会話を生徒に勝手にさせているのではないか?
>根石さん
>ESS 論というか、ディベート論ですね。これ、はっきり言いたいので、
>考えています。少しお待ちください。
了解です。私も、根石さんがよくしているように、自分の考えをまとめるために
書いている面もありますので、この件を検討するのが自分の思考のコンテックスで
必要になったときにでも、またお考え下さい。
ただ、これは「ESSのこと」でも「ディベート」のことでもなくて
「日本の英語教育」全般のことだと思っています。
「ことば」とは、「相手の言いたいイメージ」の言語化である音声を聞き取り理解し、
それに対する「自分の伝えたいことのイメージ」を言語化し音声化するという、
基本的には一対一の意味イメージの音声での交換を指すと言えるとでしょう。
文字のことを考えないのは、「ことば」の存在していた歴史の中で文字が登場したのは
ほんの最近で、ことばの本質はあくまで「音声」だと思うからです。
こう考えた場合、「外国語学習」とは「会話学習」だと言えるはずです。
相手の意見や欲求を聞き、それに答える、あるいはその逆ができることが
基本的な目的のはずです。
文字はあくまで、音声を記録できない私達の頭脳を補助するものであり、
世代を越えて自己の思考を伝達するという、重要なものでありますが
あくまで、本質ではありません。
こう考えると、この国の英語教育に「会話」が全く欠如しているのは
大問題と言わざるを得ません。
Jakieさんだったか、「学校の800時間の学習時間ではたりない」と
書かれていましたが、私の経験では、その800時間の中で、「ことば」
としての英語の時間は見事に0時間でした!!
つまり、私は中高と「誰かが伝えたくて仕方のないこと」を英語で
伝えられたり、「自分が伝えたいこと」を他者に伝えた記憶が
一切ないのです。
「伝えられる」と言ったのは、音声としても文字としてもなかった
ということです。
実は、私が一番Eliotさんを尊敬するのは、彼の発音に関する学識とそれを
実践されて大きな実績を上げておられることもありますが、なにより私が
Eliotさんの生徒さんが英語で書いた「ジスイズ作文」を読んだからです。
Eliotさんは、いわゆる英作文(=和文英訳=赤の他人のいいたいこと)
ではなくて、「自分の言いたいことを書く」自由作文を生徒に
やらせているんです!私は、そういうことをやっている学校は
一つも知らないので、かなり驚きました。
まあ、人の書いた日本語を英語に直させておいて、「英作文」もないのですが。
人は、なにより「言いたくてしょうがない」動物です。私をはじめ。。(^^;;
ネットには「言いたくてしょうがない」人の書いた「作文」で溢れています。
人は自分の言いたいことを言いたいとき、大きな力がでます。頭の中に隠れている
知識や言葉を総動員してなんとか相手に伝えようとします。
ESSとは当たり前のそんな欲求を「英語で言っていいよ、誰も笑わないから」
と許す集まりです。日本人同士が外国語で話す不自然さに耐え、その
「こっぱずかしさ、不自由さ」を引き受ける覚悟を決めている集団です。
(もちろん、これは今思ったらそういう覚悟がやっているうちについてゆくということで、
入る段階でそんなことは分かりませんし、現役のときは意識はされないことです。)
指導者はおらず、一部は先輩の見よう見まねをしますが、
基本的には自分たちで、話しやすいような素材を選んで試行錯誤して
効果のあるものが、ディベートなどESSを代表する活動になっている
だけです。
(政治のような大問題を素材にすることが多いのは、背伸びを好む若者らしい
気概もありますが、実は身近な自分に関係があるようなことは、話す
相手を選びますし、気持ちにピッタリする根のある日本語でないと伝え
られないのが、試行錯誤の伝統で分かっているからかも知れません。)
ボロの部室と電気代程度が学校の負担ですがその他はゼロです。
しかし、効果は抜群でした。少なくとも私がいたESSでちゃんと
活動に参加していたものは、程度の差こそあれ、そこそこの会話は
全員出来るようになりました。活動には書くことも含まれるのでこれも
効果が出ています。題材は印刷物から取りますから、読むのも上達します。
私の英語発音をほめていただき、ありがとうございます。
>Eliotさんが副島先生の著作をお読みになった上で批判されるので
>あれば結構ですが、他人がこう言っている、という理由だけでの
>批判は控えて頂きたい、と思います。私は是々非々を自分自身で
>判断する人間です。
私も読みましたよ。少なくとも「欠陥英和辞典の研究」は。あの本が
発行されたときに買いました。そして、あまりの「毒気」に辟易しま
した。ああこの人は人格的に困った人だなと思いました。その理由は
私が先般URLを紹介した、アンカー英和辞典の編集主幹の山岸氏が
あのサイトで述べている通りです。以下、引用します。
-------------------------------------
@著者は一方において、英米で使われる国民辞典に明らかな間違いが
あるわけがないと言っておきながら、他方において、研究社の
両辞典は間違いだらけだと断定しているが、これは結果的には著者が
陥った一大自己矛盾である。なぜなら、著者が問題とする語句や
表現は、私が調査した限りでも、そのほとんどが英米発行の英語
辞典等にその典拠を有するからであり、著者がそれらを綿密に
参照していれば、当然知り得た事実だからである。これによって、
著者が無責任に挙げた数字の信憑性はまったく認められなかった。
(AB省略)
C著者は「(研究社は)日本国民すべてに、土下座して謝罪せよ」
(p. 49)、「無能な研究社の人びと」(p. 54)、「辞書学者
ふぜい」(p. 149)等々の暴言を頻繁に吐いているが、これは言論の
自由に名を借りた言葉の暴力である。しかも、「おわりに」では、
「研究社には、何の反省も謝罪も、『弊社に対する中傷への抗議』
もしてもらわなくてもよい。ただ、早々に、この欠陥辞書たちと
いっしょに消えてなくなってくれ、とお願いしたい」と、一方的に
弁明の道を閉ざしている。アンフェアの極みである。
辞書批判は常に創造的・建設的であるべきであり、『欠陥』の
著者のように「破壊的」であってはならない。嘘で固めた「“欠陥”
英和辞典の研究」であった。
------------------------------引用終了
私もあの本に「間違い」と決め付けられた英文のかなりが実は何の
問題もない英語であると思いました。あんな本を書き、そしてその
あとで多くの人から明らかな間違いを指摘されながら、きちんとした
釈明もせず(orできず)に、最近になっても、全く反省している
様子がないような人は、私は「私自身の判断で」批判します。
2000年の秋に副島氏は次の文を自分のサイトに書きました。
----以下引用----
この国は、やっぱりこの程度の、土人どもの国だ。10年昔、
私が、『欠陥英和辞典の研究』を書いて、研究社と東京外語大の
英語辞書学者たちから裁判に訴えられたときの嫌な気分が、私の
全身によみがえった。「この国は、学者と称する、土人のまじない師
どもの国だ。その土人(原住民)のまじない師どもが支配している
愚か極まりない国だ。かならす、事実 facts ファクツ の力で打ち
倒してみせる」と。私は、今でもあのときの苦汁を思い出す。何十年
かかっても、私は、全てを明らかにし続けるぞ、と。私は、あのとき
自分の書いたものを、一行も訂正することなく、かならず、再び、
この国民の前に、示してみせる。私の深い決意に付き合ってくれる
人などいなくてもよい。私は、鬼になってもやりとげる。
---引用終了----
「一行も訂正しない」ですって? 「欠陥英和辞典の研究」に
あれほど不正確な記述をしたくせに? やはり、この人の神経は
尋常ではないと思わざるをえませんね。
>私は直接お会いして話をしたこともあるので、人格的にどうこう、
>という非難も受けつけません。
私は副島氏と会う機会がありませんので、氏にたずねることができ
ません。HIRATA Mさん、機会があれば、ぜひ↓に書かれていることの
真偽を聞いてみてください。↓に書かれていることの半分でも事実で
あれば、副島氏はやはり相当困った人格ではないでしょうか。
http://members.jcom.home.ne.jp/nohoho/soe.html
>根石さん
>ESS 論というか、ディベート論ですね。これ、はっきり言いたいので、
>考えています。少しお待ちください。
了解です。私も、根石さんがよくしているように、自分の考えをまとめるために
書いている面もありますので、この件を検討するのが自分の思考のコンテックスで
必要になったときにでも、またお考え下さい。
ただ、これは「ESSのこと」でも「ディベート」のことでもなくて
「日本の英語教育」全般のことだと思っています。
「ことば」とは、「相手の言いたいイメージ」の言語化である音声を聞き取り理解し、
それに対する「自分の伝えたいことのイメージ」を言語化し音声化するという、
基本的には一対一の意味イメージの音声での交換を指すと言えるとでしょう。
文字のことを考えないのは、「ことば」の存在していた歴史の中で文字が登場したのは
ほんの最近で、ことばの本質はあくまで「音声」だと思うからです。
こう考えた場合、「外国語学習」とは「会話学習」だと言えるはずです。
相手の意見や欲求を聞き、それに答える、あるいはその逆ができることが
基本的な目的のはずです。
文字はあくまで、音声を記録できない私達の頭脳を補助するものであり、
世代を越えて自己の思考を伝達するという、重要なものでありますが
あくまで、本質ではありません。
こう考えると、この国の英語教育に「会話」が全く欠如しているのは
大問題と言わざるを得ません。
Jakieさんだったか、「学校の800時間の学習時間ではたりない」と
書かれていましたが、私の経験では、その800時間の中で、「ことば」
としての英語の時間は見事に0時間でした!!
つまり、私は中高と「誰かが伝えたくて仕方のないこと」を英語で
伝えられたり、「自分が伝えたいこと」を他者に伝えた記憶が
一切ないのです。
「伝えられる」と言ったのは、音声としても文字としてもなかった
ということです。
実は、私が一番Eliotさんを尊敬するのは、彼の発音に関する学識とそれを
実践されて大きな実績を上げておられることもありますが、なにより私が
Eliotさんの生徒さんが英語で書いた「ジスイズ作文」を読んだからです。
Eliotさんは、いわゆる英作文(=和文英訳=赤の他人のいいたいこと)
ではなくて、「自分の言いたいことを書く」自由作文を生徒に
やらせているんです!私は、そういうことをやっている学校は
一つも知らないので、かなり驚きました。
まあ、人の書いた日本語を英語に直させておいて、「英作文」もないのですが。
人は、なにより「言いたくてしょうがない」動物です。私をはじめ。。(^^;;
ネットには「言いたくてしょうがない」人の書いた「作文」で溢れています。
人は自分の言いたいことを言いたいとき、大きな力がでます。頭の中に隠れている
知識や言葉を総動員してなんとか相手に伝えようとします。
ESSとは当たり前のそんな欲求を「英語で言っていいよ、誰も笑わないから」
と許す集まりです。日本人同士が外国語で話す不自然さに耐え、その
「こっぱずかしさ、不自由さ」を引き受ける覚悟を決めている集団です。
(もちろん、これは今思ったらそういう覚悟がやっているうちについてゆくということで、
入る段階でそんなことは分かりませんし、現役のときは意識はされないことです。)
指導者はおらず、一部は先輩の見よう見まねをしますが、
基本的には自分たちで、話しやすいような素材を選んで試行錯誤して
効果のあるものが、ディベートなどESSを代表する活動になっている
だけです。
(政治のような大問題を素材にすることが多いのは、背伸びを好む若者らしい
気概もありますが、実は身近な自分に関係があるようなことは、話す
相手を選びますし、気持ちにピッタリする根のある日本語でないと伝え
られないのが、試行錯誤の伝統で分かっているからかも知れません。)
ボロの部室と電気代程度が学校の負担ですがその他はゼロです。
しかし、効果は抜群でした。少なくとも私がいたESSでちゃんと
活動に参加していたものは、程度の差こそあれ、そこそこの会話は
全員出来るようになりました。活動には書くことも含まれるのでこれも
効果が出ています。題材は印刷物から取りますから、読むのも上達します。
師匠、ご挨拶遅れました。では、ファンも一発!
What is an animal which is bigger than a whale and smaller than a sardine?
It's a dolphin.
うん?(゚_。)? だじゃれになってイルカ????
はい、そこ! センベイ布団投げ付けないよう、ゆるしてくれよーーー。
ESSの1が一個、ダブってしまいました。削除して下さい。
遅くなりましたが、お見舞い申し上げます。
早くよくなってください。
私の生徒の一人が中学三年生だった昨年六月頃に書いたものです。
When I was in the first year at ○○ Junior High School, I once went
to a juku in the summer vacation.
I studied Math and English there.
And once at English class, an English teacher said, "this is 〜." But
he didn't read "this". He read "Jisu". I didn't understand at all. So
I asked him, "What do you mean?"
Then he surprised to me. "You're kidding! Don't you know the word's
mean?" he said.
"No. I don't know it." I said.
Then he wrote on my notebook "this", and said "You know this word don't
you?"
"Yes," I said, "I don't know "jisu", but I know "this"."
On the way home, I thought that English is only for exams to them,
and maybe most Japanese
students call this word "jisu".
This problem is thought by me that accent is very important.
最後の文は This problem has made me think that pronunciation
is very important.の意味ではないかと思います。
今も生徒たちに英文日記を書かせていますので、他にも傑作が
あります。そのうちに皆様にご披露いたします。
>作家でも、英語などをかなりやった人の日本語は小林秀雄でも江藤淳でも村上春樹でも明晰な気がするので、ディベートはともかく英語をやると「脳内ディベート」の習慣がついて 分かりにくいのはほっておけなくなるからかもしれません。
う〜ん。 ひっくり返すと、わかりにくい事をあいまいなままにしておくのが、日本人気質って事ですか?
話しがコロっと変わりますが、最近とみに話す事は「よく聞く」事だと思う様になりました。
斬れ者は英語でなくても斬れると思うんです。 英米文化は「しゃべった方が勝ち」文化なのかどうか、旅行でちょこちょこっとシアトルとロンドンを齧っただけ、知合いの英米人と言えば、片手に足りないほどなので、なんとも言えませんけど、そんな気がするんです。(結局、そうやと言うてる様なもんなんですが)
根石さんが「ウドと議論になると一言二言しか言わないのに、激高して反論して来る」と言うてはったのですが、斬れる英語というのは、そういうもんではないでしょうか。
流暢な英語で百万言を呈しても、ポイントは1つか2つ、それを押さえ、盲点や弱点を突くのもジッと相手の発言を聞く事で初めて出来る。 これは英語やディベートなんかで鍛えた「しゃべくり」とか「ロジック」とかとは関係なくて、人間の洞察力とか知恵とかの問題だろうと思うのです。 こういう人達は、たとえ英語が多少ショボくても「斬れる」英語をしゃべると思いますが、どうでしょうか?
ガンガンしゃべってくる奴でも、こっちがアホになり切って質問攻めしまくると、自分から「こてっ」とこけるのも居るし、目くらましの為に喋り続けているやつもいます。 しゃべればしゃべる程、自家撞着に陥るやつもいる。(私、だ...) 英語の流暢さに酔ってる人の中には、ちゃんとした「受け答え」の出来ないのも沢山います。 しゃべる事ばっかりに気を取られて来たからだろうと思うのです。
「聞ける」英語が大切だ、と思う。
お見舞いありがとうございます。
皆さんに悪態ついていたビッチーが、こうして皆さんからお見舞いの言葉をいただける等、去年には思いも寄りませんでした。
あなたがおっしゃったことで、俺が言いたいことは尽きておりました。
ありがとう。
ちゃんと、俺の体力が弱っていると、助太刀してくださいました。
おかげで、今日は、よく酔いましたわ。
今夜は日本の月がきれいです。
よく澄んでいます。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
好きです。この英語。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>こう考えた場合、「外国語学習」とは「会話学習」だと言えるはずです。
相手の意見や欲求を聞き、それに答える、あるいはその逆ができることが
基本的な目的のはずです。
私も近頃そんなことの真似をしておりますが、全面的には賛成できません。
言葉が会話だとは思えないところがあります。
会話が言葉になってるときと、全然なっていないときとあります。
テレビのようにしゃべるおばちゃんが嫌です。
そいつらが NOVA とか行くんだと思います。
金使いたいんだから、使えばいいけど。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>こう考えると、この国の英語教育に「会話」が全く欠如しているのは
大問題と言わざるを得ません。
欠如しているのは、「会話」ではない。
「会話」なんかじゃない。
英語教育に欠如しているのは、英語そのものです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>Eliotさんは、いわゆる英作文(=和文英訳=赤の他人のいいたいこと)
ではなくて、「自分の言いたいことを書く」自由作文を生徒に
やらせているんです!私は、そういうことをやっている学校は
一つも知らないので、かなり驚きました。
ESS の部長をやったにもかかわらず、Eliot さんが偉いのはここです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>ESSとは当たり前のそんな欲求を「英語で言っていいよ、誰も笑わない
から」と許す集まりです。
まあね。
腹の底は知らないけど。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>日本人同士が外国語で話す不自然さに耐え、その「こっぱずかしさ、不自
由さ」を引き受ける覚悟を決めている集団です。
どんな覚悟か想像することしかできませんが、そういう集団だから嫌です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
・
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
同じように読める(わかる)のが大事
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
福島先生と俺は違うよ。
俺は根性まで貧乏する気はねえ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
/
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
私の「電話でレッスン」は普段英語に触れて困っていた人からわりと評判が
いいです。「効果」がありますと言っていただいています。
でも、俺は「効果」なんか考えてやっていない。
國弘さんの只管朗読だって、効果を考えてやったんじゃない(と思う)。
「効果」なんて貧乏くせえじゃん。
面白くてやるだけで、英語なんざ喋れるようになる。
それだけで、「音」を大事にしないと、聞こえるようにはならんが。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
下を読みました。
副島センセエは、斎藤さんに似ている。
http://members.jcom.home.ne.jp/nohoho/soe.html
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
努力して英語に本気になって、人間が駄目になっちゃった人かもしんないね。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
「あなたの」ESSだと思います。
どろんこ野球もそういうものだと思います。
私は、「僕たちどろんこだよお」ってやってるのを横目に見て、けっ、と
思っていました。
そんなもん、一人でやれ、と。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html