>
子供だから発音は上手になるだろうと期待して週に1、2回通わせるだけ
では、まったくだめだということを実感させられる出来事でした。
>
子供英会話教室はだましであると以前から思っていました。
そんなものに通わせても、金をどぶに捨てるだけのものです。
私どもの、「般若の面」「殻をむいたゆで卵を唇でくわえる感じ」「カラス
のカー」「診察室のアーン」「舌をあげて息が通るのを邪魔する」「舌をさ
げて、息の通路を邪魔しない」「th の舌の位置で、t を言ったつもり」な
どという低級に見える説明が、もっとも高級なものだと思います。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
Eliot さんが作られてCDのダビングテープお送りします。
聞いていただけば、Eliot さんが体現された音はおわかりいただけると思い
ます。
「日本人のための感じのいい英語音」が体現されています。
実に見事です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>
ネイティブの音を目指す →ネイティブ信仰→ アメリカ信仰 ともなりかねない。飛躍しすぎだろうか。
>
少しも飛躍しすぎだと思いません。
そういう信者たちはたくさんいると思います。
病気です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>
野球選手は野球をするために必要な筋肉をつけるべきなのです。私が発音に関して言
っているのはそこまでです。
>
「そこまでです」が深く信頼できます。
この一点が、HIRATA さんが「ネイティヴ音信者」ではないことを証明している。
HIRATA さんは理系の人でしょうか。
理系の人は、「ネイティヴ音信者」を目の前にしても悪く言わない人が多いような気がします。私はずぶずぶの人文系(文学部)ですので、まあ、悪口を言うこと、言うこと!
「ネイティヴ音信者」になるかならないかは、思想の問題だと思っているのです。
「ネイティヴ音信者=思想音痴」は、例えばアメリカ人、例えばイギリス人に会わせるのが恥になりかねない。いや、全世界どこの人間に会わせるのも恥ずかしいしろものだと思っています。
語学の主体を放棄することは、恥ずべきことなのです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今の投稿は、boysome228 さんへのものでした。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>
語学というのは総合力であるので、ある点のみがずば抜けて良くて、他はさ
っぱりというのでは勝負になりません。
>
そうだと思います。
しかし、どの人の語学力も多かれ少なかれ、でこぼこしたものだろうとも思っ
ています。「他はさっぱり」じゃ、話にならないが、でこぼこは自然なものだ
ろうと思っています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>
その人はウダ式発音訓練に疑問を呈し、次のように言っています。
“口の動きのみを訓練し、スペルとの関係をどんなに頭にたたきこんだ
ところで完璧なネイティブ並みの発音が出せるようになるというのは
信じがたいのです。。。。”
>
言葉尻をとらえるようですが、「完璧なネイティヴ並み発音が出せるようになる」という言い方には反吐を吐きたくなります。私が管を巻いたのは、この発言についてでした。
>
私も口の動きだけでなく、呼吸法(=腹式呼吸発声)もマスターした方がよりネイティブ英語発音に近くなると思います。でも、鵜田さんが共鳴音と言っているのは、多分腹式呼吸発声音の事ではないかと思われますので、実際には両者はそれ程違わないのではないかと思っています。
>
腹式呼吸は、「回転読み」がうまくなると自然に身に付きます。
腹式呼吸自体を練習するのは、ヨガや整体法だけでたくさんで、語学で腹式呼吸自体にとらわれるのは本末転倒だと思います。
鵜田さんの共鳴音は、腹式呼吸発声音だとは考えてきませんでした。
フランス語などによくある、鼻に抜ける音のことだと思ってきました。
口腔と鼻の空洞が共鳴する現象だろうと思います。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
松本道弘の記事のことが頭にずっとありました。
松本道弘の何という本だったかタイトルを忘れましたが、松本亨(字合ってますかね?)と松本道弘が最初に会った時のことを道弘の方が書いていたのを覚えていました。
手元に本がありませんので(誰かに貸して返してもらってない?)私の記憶だけで書きますが、そこに以下のようなことが書いてあったと思います。
松本亨は、アメリカで英語を鍛えてきた人で、この人の英語のスキルがいいのは衆目の認めるところである。一流である。松本道弘は、商社勤めをしてきた。商社の英語というのは、ぶっきらぼうだったり下手だったりするが、肝心要のところは外すことがない。肝心要のところとは、商売で損をするわけにはいかないということだ。そして、自分(道弘)の英語は商社の英語である。大阪の松本が東京の松本の英語に挑みにいくのだ。王将の歌の気分である。
これはあくまでも、私の記憶だけに頼ったものなので、誤読を多く含んでいるかもしれません。しかし、松本道弘が自分の英語を商社の英語としていたような気がします。読み違いだったら、肝心要のところを外してしまったぼんくらが私であるということになります。どなたか、この話が書いてある本をお持ちでないでしょうか。そのあたりを掲示板に引用していただけると助かります。
上に言及した本の日本語はまともなものでした。
松本道弘に関しては、文庫本で非常に日本語が粗雑な本を読みました。
これも手元にありません。とにかく、日本語がひどいと思ったのを覚えています。
この文庫を読んでから、私は松本道弘を信用するのをやめました。
日本語に対する態度がこれじゃ、いくら英語ができても駄目なんだとはっきりと思いました。それほどひどかったのです。半年以上も前の引っ越しの荷物をまだダンボール箱に入れたままの状態ですので、本が参照できないのがなさけないですが、いずれ出てきたら松本道弘のひどい日本語を引用してみたいと思います。もしかしたら、あまりひどい文庫だったので、薪ストーブで燃やしてしまったかもしれません。その場合は引用できません。こちらに関しても、どなたか本をお持ちの方に引用していただけるとありがたく思います。
松本道弘は確かに「日本在住」だったかもしれない。しかし、どこかで英語の小型の磁場を確保していたか、電話線を伝ってくる英語の磁場の磁力を日常の中で浴びていたかしていた人だろうと私は考えています。
だから、松本道弘の「日本在住」は、「英語の磁場(磁力)を欠いて」という意味ではない。「磁場」や「磁力」という語を持ち出すと、松本の「日本在住」のままに形成したというスキルはその成り立ちが解けると考えてきました。
>
話がそれますが、もう一つ印象に残っているのは、日系人のふりをしてデパートなどの英語の多少使えそうな店員に英語で話し掛けを行ったということです。これは、根石さんのいう自分を高みにおいたということでしょうか?
>
これを読んで、やはり松本道弘、いやなやつだぜと思いました。
「自分を高みにおいた」という気味合いは感じますね。
Ray さn
読まれておられますでしょうか。
以前、松本道弘の著書で、良書として薦めておられた本の書名を再度教えていただけたらうれしく思います。その本は、読んだことがなかったし、Ray
さんがいい本だと言うものだったら買ってみようかと思い、そのままになってしまいました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
自分で書いたものの中にずいぶんと誤字をみつけました。
急いで書くのでどうしても見落としてしまいます。
ごめんなさい。
皆様
寝ます。
ひとまずさようなら。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
佐賀・Kさんと、埼玉・Oさんが、それぞれ進級されました。
おめでとうございます。
クラス別の進展表は、明日以後、旧板(連絡帳)の方に掲載いたします。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>根石さん
私のハンドルネイムは"HIRATA M"であり、"M.HIRATA"ではありません(笑)。
実は私は、自分のHNに込めた意味があります。日本にいるのだから、ローマ字表記であっても、姓と名をひっくり返す必要性はない、という考えです。
私は政治思想的には完全なるpatriotでアメリカ・イギリス崇拝はありません。発音に関してもありません。ただ、英語には正しい発音があり、それを目指しているだけです。
因みに私は文系人間です。最初は理系に進みましたが授業についていけなくて辞めてしまいました。
欧米人が日本に来た時は、日本流に名と性をひっくり返して欲しいものです。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
おはようございます。
次のようなセミナーがあるとのことです。
━━◆特別セミナー「脳科学から見た『音読』の効用」のお知らせ◆━━
「音読」の効果については最近注目が高まってきました。
皆さんの中でも、その重要性を感じ、実践している方もいらっしゃると思います。
しかし、科学的に「音読」の効果を十分に理解している方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。
そこで、今回は「音読」をテーマにした特別セミナーのご案内をさせていただきます。
プログラムは前半部「講演会」と後半部「パネルディスカッション」に分かれています。
プログラム前半の講演会では、まず東北大学医学部教授の川島隆太氏に「音読」を脳科学の見地から語っていただきます。
「音読」がいかに素晴らしいかを深く理解していただけること間違いなしです。
次に、同時通訳の神様といわれている國弘正雄氏が氏の提唱されている「只管朗読」について講演されます。
続いて、英語学習法指導の第一人者である千田潤一氏の講演会では、実際に参加者の皆様に「音読」トレーニングを行っていただき、その効果を体験していただきます。
プログラム後半のパネルディスカッションでは、講演いただいた3人の講師の方々に「音読」による学習の効果について、それぞれの見地から話し合っていただきま
す。
このセミナーは主催のパナ教育システム株式会社の新商品である「ITキオークマン」の発売を記念して開催されます。
「音読」についての理解を深められる、またとないチャンスですので、ご都合のよろしい方はぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
参加費は、なんと無料です。
開催日 平成14年9月18日(水)
時間 14:00-16:50
主催 パナ教育システム(株)
参加費 無料
会場 中央大学駿河台記念館 370号館
(東京都千代田区神田駿河台3-11-5)
最寄駅 JR「御茶ノ水駅」徒歩3分、千代田線「新御茶ノ水駅」B1-B3徒歩5分
丸の内線「御茶ノ水駅」徒歩6分、都営新宿線「小川町駅」B5徒歩5分
講師 東北大学医学部教授 川島隆太氏
英国エジンバラ大学特任客員教授 國弘正雄氏
(株)アイ・シー・シー代表取締役 千田潤一
HIRATA M.さん
>日本にいるのだから、ローマ字表記であっても、姓と名をひっくり返す必要性はない、という考えです。
これは、賛成です。
>欧米人が日本に来た時は、日本流に名と性をひっくり返して欲しいものです。
これは、反対です。
姓名の順序は母語での順序に従う、というのがよいと思います。
日本人の山田太郎さんは、英文中でも"YAMADA Taro"でよく、
アメリカ人のJohn Smithさんは、日本語中でも「ジョン・スミス」で
よいのではないでしょうか。
そもそも、行った先の呼び方に合わせる原則を貫くなら、
イスラム圏に山田太郎さんの息子の山田二郎さんが行くと、
「ジロウ・イブン・タロウ」(かな?)と名乗らなければなりません。
それはそれで意味のある文化交流ではありますが、
通常は、姓名あわせてひとまとまりの名前として扱うのがよいと思います。
>根石さん
私のハンドルネイムは"HIRATA M"であり、"M.HIRATA"ではありません(笑)。
このHNには込めた意味があります。日本にいるのだから、ローマ字表記であっても、姓と名をひっくり返す必要性はない、という考えです。
私は政治思想的には完全なるpatriotでアメリカ・イギリス崇拝はありません。発音に関してもありません。ただ、英語には正しい発音があり、それを目指しているだけです。
因みに私は文系人間です。最初は理系に進みましたが授業についていけなくて辞めてしまいました。
欧米人が日本に来た時は、日本流に名と性をひっくり返して欲しいものです。
(注)誤記があったのでいったん削除しました。本当はべいべさんの書き込みの下にありました。
>もっこりさん
貴殿の考え方が正しいと思います。納得です。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
著明な作家などの名前、たとえば夏目漱石は「Natsume Souseki」とひっくりかえざずに言うと思います。 学校の教科書でも日本人の名前はひっくりかえさなくなっている様です。 (New Crownだったかな...)
これは私にとっては日本人のプライドの問題です。 何で自分の名前まで英米風にしないといけないのか。 話しがそれますが、英会話学校などで(「某」ECC)各生徒に英語の名前をつけて呼ぶ所がありますが「笑わしてくれるやんか」と思います。
そうそう、「笑かす」の歴史はかなり古く全国的に使われていた様ですが最近は関西方面でのみ盛んにつかわれている、とどこかで読んだ覚えがあります。 私は生っ粋の大阪人でスタンダード大阪弁の達人と自負していますが、最近になるまで「笑かす」と言う人には出会った事がありませんでした。 親兄弟、親戚、友人達、皆、「笑わしてくれるやんか」「笑わしよんな」と言いますよ。
友達の娘息子達のガイドで旅行していて回転読みがまったく進んでいません。 今日からガイドなしで旅する様なので、ようやく再開できる事になりました。
>中間音には、こちら岸に近い音もあれば向こう岸に近い音もある。しかし、もっとも中間音らしい中間音は、理論的には橋の真ん中あたりの音になる。この音を、日本語くさい音だとか和臭だとか言って、馬鹿にしたり劣ったもののように扱う者どもを私はいつでも蹴飛ばす用意があります。
そうですね。
出身大学で斎藤さんの聞きました。私もあまり好きではありません。
でもS氏は義務教育段階での教育を長く経験された方です。でもだめですね。
日本語はどちらかというと「絵」で理解する言語。
英語はどちらかというと「音」で理解する言語。
言葉は「絵」寄りの言語と「音」寄りの言語があり、その中間に「イメージ」があるのではないかという感じを持っています。
またまた雑誌「NHKアナウンサーのはなす きく よむ」 からの引用です。
少し長いのですが、とても参考になったので、引用させてください。
アナウンサーの仕事は、昔に比べ大きく変わりました。一言で言えば、原稿を読む比率が年々少なくなってきているのです。しかし、私は、今でもアナウンサーの仕事の基本は、「読む」ことにあると思っています。
自ら取材しコメントを書くリポートでも、アドリブの多い司会でも、アナウンサーは読むことで習熟した技術を、いわは援用しながら仕事を進めていきます。これがアナウンサーの仕事の大きな特徴だと思います。ですから、読みの上手なアナウンサーは、他の仕事でもかなりの効率で「いい仕事」ができているはずです。
しかし、私は「読む」ことは、現行の字面を音声表現化することと単純にとらえてはいません。読むとは、読んで「伝える」ことであり、字面の音声を伝えることではなく、メッセージを伝えることと、考えています。
私は若手のアナウンサーを指導する場合、「読む意識を捨てる」ことを要求しています。職業的訓練のたまものと言えなくもありませんが、私たちアナウンサーは字面を見ると無意識に音声化する癖をもっています。若き日、天気予報を放送した直後、「今日の天気はどう?」と先輩に聞かれ、今読んだ内容を何も覚えていない自分に愕然とした経験があります。
アナウンサーは放送しながら、「残り時間はどれくらいか」(テレビなら)「今どんな映像がでているのか」などなど、実は様々なことを考えなければならないのです。そのせいか、気がついたら、ただただ文字面を発声しているだけということもあるのです。この、字面を読み上げる意識を捨てることから、伝えるための「読み」がはじまると思うのです。
先ほどの続きです。
アナウンサーがニュースを読む場合、普通は事前に原稿を読んで(「下読み」といいますが)、時間がどれくらいかかるか、読めない漢字がないか、論旨が通っているかを確認しますが、このとき、時間や字面ばかりに気を取られていると、ニュースのないように無感動のまま、放送に入ることになります。これでは視聴者に伝わるニュースにはならないのです。読むという意識を捨て、意味を考え、そのニュースが伝える事実の把握に時間をかけるべきなのです。伝えるべきニュースの内容が、伝え手の頭の中に、しっかり叩き込まれていれば、視聴者にとっても、わかりやすいニュースになっているはずです。
長い間ニュースの現場で仕事をしていますが、私は、原稿は「メモ」と考えることにしています。内容を理解した上で、そのメモを見ながら「伝える」。それが私のニュースのスタイルです。若手と呼ばれた頃、リポーターとして現場から伝えることの多かった、私独自のやり方です。このやり方で、何とか「読む意識」を捨てようというわけです。こうして読む意識を捨てたときから、本当に伝わる「読み」になると考えています。
とはいえ、ニュースというのは、「下読み」の出来ない今入ったばかりのニュースも多いのです。こういう場合私は、ニュースの頭書き部分(リードといいます)を目で一読して「何のニュースか」を把握した上で、視聴者に伝える瞬間と自らが意味を取る瞬間を共有しようと思っています。平たく言えば、「私も今この原稿を初めて読むのですが」というスタンスでお伝えすることにしています。今入ってきたニュースですから、その方が自然であり、説得力も増すと思うのです。
アナウンサー生活二十七年。今もニュースというは難しい仕事だと感じています。
この川端アナは私の好きなアナウンサーの一人です。一度京都にも講演に来られました。その時の自己紹介やいろんな話から「イメージ」で話す人という感じを持っています。
今回の文章で好きなのは「共有」という言葉です。根石さんの意見にだんだん賛同できない部分が出てきたのは実はこの「共有」という部分です。でも根石さんはこの部分は超越しておられると思います。最近の語法問題の増加やきちんとした意味での「コミュニケーション」という言葉はやはり必要だと最近感じています。ただし青山学院大学の本名信行さんなども述べておられます。ナショナリティーやアイデンティティーは大切なものだと思っています。シュリーマンの学習方法などに寄り添う際、ネイティブの語法に気をつけないわけにはいかないと思うのです。というよりお互い楽しく楽に「共有」することのほうがずっと大切なことだと思うのです。
ずいぶん前にこの「大風呂敷」で書いた記憶があります。
サブボーカライゼイション、つまり黙読する際、唇や舌を無意識的に動かしているということです。
意味の良くわかった英文を速読したい際、サブボーカライゼイションはさまたげになる。だから意識的に舌や唇を動かさないようにして速読の速さを上げるというときにこの言葉は使われると思います。
HIRATA Mさん、いろいろ教えてください。よろしくお願いします。
根石さん、松本道弘が松本亨に会いにいった際のことを書いていただきありがとうございます。
たしかに、西の松本道弘が東の松本亨に会いに行くとき、英語界の巨人と交えるので、いかに自分の闘いに持ち込めるか悩んだと書いてあったように記憶してます。二人が会ったとき、道弘は商社に入社ししばらくたっているので、その頃には、英語の飛び交う職場に移っていたかもしれません。
それから、日系ハワイ人に化けていた話ですが、これは入社前後くらいの話のようです。たしかに、いやなやつですね。(気迫が伝わってはきますが)
ただ、松本が磁場がなく英語を身につけた可能性もあると思っています。それは、松本のもつ英語への激しさと、媒介として映画やTIMEという良質なものを選んだからではないかと思います。
ハリウッド俳優の中には、発声や発音のトレーニングを受けるものもいると聞きます。また、役作りをする中では、せりふを何度も情景をイメージして読んだりもしていると思います。これは、音と意味を溶接した後の回転読みですよね。こうして作られたものを媒介にしたのがよかったのではないでしょうか?根石さんが映画は磁場でないとおっしゃっていたように思います。ですが、媒介として良質なものであり、それを求めて何度も映画館へ通った松本の激しさが、磁場なく英語を身につけさせたのではないかと思います。
根石さん、むりに松本論へ引き込んだのではと心配しております。松本論は、ほんとうに気がのった時でよいので、「ごめん、今から散歩に行くので松本道弘はまた今度。」ってお返事で、結構ですよ。
>日系ハワイ人に化けていた話ですが、これは入社前後くらいの話のようです。
関西学院大学の柔道部に所属していた時の事だと書いてあったと記憶しています。 高校生時代には外国人英語講師の言う事がさっぱりわからず、聞こえたままをカタカナにしてノートに書き取ったりした、と言うエピソードも読んだ事があります。 生意気盛りの学生時代、彼なりに手探りで編み出した方法であったと大目に見ればいいのではないでしょうか。
いやなやつ、と言う事ですが、英語をものにしようと五里霧中で自分なりの方法を必死で探り出していた学生の頃のエピソードを関西人の乗りで面白おかしく書いているだけの事だろうと思います。
英語学習にディベートを取り入れた彼の功績は大きいと思ってます。 現場の人間にとって、敵の論理を知る事は大切です。 敵の土俵で丁々発止の交渉をしなければならないのです。 英語で交渉の現場に立たねばならない前線のサラリーマンにとっては、「英語屋」とはまた違った苦労がつきまといます。
英語表現の間違いで数億円が動き、会社の存続がかかってくる事もあります。自分と家族が喰いっぱぐれるだけではすみません。 彼等はTOEIC500〜700程度、初級に毛が生えたくらいのつたない英語力で海外駐在員として出征します。 ろくに浮く事も出来ないのに海に放り出される様なものです。
現地では当然、英語そのものだけをやってれば良いわけでもありません。 私は英語だけに専念して物にした人達も尊敬しますが、そういう人達は「お幸せ」な立場におられたとも思います。 英語そのものだけに係わっていられる様な贅沢な立場にないサラリーマンにとって、TIMEやCNNをつかった速読/速聴は一石二鳥の学習法であり、もと商社マンだった松本道弘氏ならではの方法だと思います。
ただ初級者までが速読だのCNNだのと言い出したのは、「かなりおかしい」とは思います。
すこし個人的な思いがあり、書かずにはいられませんでした。
>以前、松本道弘の著書で、良書として薦めておられた本の書名を再度教えていただけたらうれしく思います
ご指名ですので、以前のカキコを再録します。
------------------------------------------------------------------------------
それはそうと、ディベートの話ですが、良い本がありました。多読論争に触発されて、
定番の英語道有段者!松本道弘氏の「速読の英語」(プレジデント社)を読んだら、
この人は日本の英語ディベートの総本山みたいな人ですから、ディベートの効用も
あちこちに散りばめられていました。私が書くより的確なので、是非一読して下さい。
ディベートもですが、リーディングの重要性が具体的な英文とともに書かれていますし、
やはり、名著です。特に、ここで問題になっていた、タイムやその時々の話題の小説を
含め、政治・経済・文明論等、大人の読むにたるものを読むことを「多読」と暗に定義
していて、SSSような、表現と語彙を制限した、内容も読書が趣味の大人には幼稚で
耐えられないリライトものは問題にもしていないのが我が意を得たりの思いでした。
(しかし、これは私のような本好きの人に対してで、まともに日本語の本も読んでいない
一般的な英語学習者を指導する場面でSSS方式が無駄だと言っているのではありません)
------------------------------------------------------------------------------
私は以前に、この続編の「速聴の英語」の方を読んだのですが、こっちは二番煎じだったようで
それ程感心しませんでした。日本語の分からないハワイ人の振りをして英語で通した逸話や
何段とか英語道など柔道用語を好む等、エクセントリックなところが反感を買う人ですが
私は、一種の英語修行者だと思います。また、安易に大手と組んで金儲けに走らないところを
見ても、風変わりですがしっかりした自己規範を持った人と見受けます。
ハワイ人の振りで英語で通したのは、「自分を高みに置いている」とは無関係で、
自分を追い込む修行だったのですが、山伏になったつもりで、都会を山奥に、
デパートを滝に見立てたのか。。とにかく不可思議かつ過激な人ではあります。
ひどい日本語のことは、2チャンネルでも話題になっていましたが、私が二冊読んだ限りでは
それは感じませんでした。國弘さんと違い、感情や精神の起伏が激しそうな人なので
コンディションの良くないときに書いたものは、日本語が乱れるのかも知れません。
「私のは商社の英語だ」と、言っていた件も、「自分を高みに置いている」とは言えないでしょう。
「俺はアメリカの大学で勉強してアカデミックな世界で生きているような英語エリートではない」
という、卑下と矜持が入り交じった表現だと思います。それに続く、坂田三吉の心境という記述
でそう取れます。
賭け将棋で斬った張ったをすることで将棋の修行をした坂田が、東京に正統派の将棋エリートと
対局に行く様子を歌った、「〜のためなら女房も捨てるぅぅう〜〜♪」とかいう歌が
あったと思います。。(^^;;あの坂田を自分に重ねた表現ではないでしょうか。
「商社」では、外人と口頭で交渉するような部署では無かったということですから、
そのときたまたま商社員だったので、そう言っただけでしょう。
明治の森有礼文部大臣だったか、日本語を使っていると日本は一流国になれないのでフランス語
を国語にしろとか無茶を言ったことがありましたし、戦後は仮名漢字をやめてローマ字を国字
にしろとかの運動まである始末で、これほど自国語をないがしろにする国民も珍しいでしょう。
日本語が可哀相で仕方がないのですが、この虐待のしっぺ返しが始まっていると感じるのは
根石さんも感じているかも知れませんね。
話を戻してっと、ですから、発音は(Eliotさんのような高い基準を設けなければ)
それ程問題ではないと思います。
話す人の発音がそこそこ平均的に良いというのは、逆から言うと、圧倒的多数の話さない人が
「英語は良い学校にはいるために勉強でするもので話すものではない=発音なんか関係ない」
と思っているか、実際に話す機会の無かった昔のように「英語=一方的に知識を吸収する手段=
翻訳or英文和訳」という伝統が未だに根強いからでしょう。
人の目が気になる他者指向で、車をビカビカに磨いたりする国民性ですから自分が人に
どう見えるか気になるので、話したいor話さなければいけないとなったら、一番目立つ
「発音」や「通じること」が気になるので、会話学校が流行るのでしょう。
逆に、大切でも人目に立たない「書く」や「読む」は、人前で話していても「見えない」
ので、地味に思われ勝ちで大切なのに人気が出ないようです。
会話学校へ行っても発音が良くならないという例は良く聞きます。ドナルド・キーン氏の
ように、日本の古典については古事記から歌舞伎・長唄・端唄まで、内容面ではあれほどの
日本古典の大家が、日本語の発音に関しては才能がゼロということもあります。
この前、ラジオで聞いた六歳で中国から来てずっと日本にいたのに、聞いた瞬間、中国の人だ
と分かった人の年齢はなんと78歳でした!
しかし、このような発音音痴を除けば、余り努力しないでまあまあの発音はつくということも
あるでしょう。何より、教師と何人かの前で話す=格好良く思われたい/恥はかきたくない
のが他人指向の普通の日本人ですから、家で発音の勉強するモチベーションも上がるはずです。
ですから、学校教育でも「話す」をメインにすべきでしょう。「話す」と言っても、
無意味にテキスト通りの会話をするとか、挨拶や決まり切ったパターンブラクティスを
するのではありません。「言いたいことを英語で言う」のです。
ちょうど、エリオットさんの生徒さんが書いた素晴らしい「ジス・イズ作文」のように
あれを口で言って、他の人が感想を言ったり自分の考えを述べたりできると、使える英語
が自然に身に付きます。他人指向の生徒は、発音のことも気になって勉強する気に
なるでしょう。
所詮、英語を「仕事の道具」に使っている、商社員や私のいたプラントエンジニアリング会社の
人たちの英語は、言葉が目的ではなく、「もの」が目的なので「正確に内容が通じればいい」と
いう英語で、仕事の中味が重要視されるので、英語の質自体は余り問題にされていない感じです。
微妙なニュアンスや感情の機微までは伝えられない英語ですから、それがネイティブとよく摩擦
を起こすのも事実です。
しかし、向こうは日本語を全然学ぼうとしないのですから、文句を言えた義理ではありません。
巨額な契約が絡むような仕事は、ネイティブのコントラクト・エンジニアというのを高給で
雇っていますから、微妙な表現の違いが大損失をもたらすような文書は日本人は、私のいた
会社ではかきませんでしたしね。
まあ、相手が英語国ではないことも多いので、そういうときは勉強英語同士ですから、
松本氏の「斬れる英語」なんか使うと、却って相手に伝わらないから、覚えるだけ無駄
ということもあります。
ということで、海外にも行かず、大学でESSにも入らず、何百人も部員のいるEESの
部長を独学で超えた猛勉強の成果が彼の英語の核で、商社等は余り関係ないと思います。
「野武士英語/柔道部英語」の方がより彼らしいとは思いますが。
発音について話題になっていましたが、向こうの大学での日本人の研究者の事情に詳しい人が
何かに書いていたのを覚えています。記憶ですが、インド人や中国人の訛のきつい英語のことを
ネイティブの教授だかが話していたので、「日本人はどう?」と聞いたところ「特に共通な
聞き難いような訛は気がつかない」と答えたそうです。
私の経験でも、話せる人は流暢と言えない人でも、RとL、FとV、THの発音や
日本語にない母音は、「区別できるレベル」で気を付けて発音しているようです。
私も、インド人や本土の中国人と上に書いた会社で話しましたが、国際電話での聞き取りは
物凄く大変でしたし、直接合って話しても聞き取るのが大変でした。
これはどうも、中華思想に関係ありそうで、「おれは大中国/インド人だ、訛があって何が悪い!」
と、日本人のように生真面目にCDで発音練習したりする気はハナからないんですね。
それが証拠に、同じ中国でも台湾人は物凄く発音がいい人が多かったです。
経済的に恵まれていて、放送関係や教材も本土より恵まれていますし、ネイティブに
直接英語で話せる機会が多いと言うこともあります。しかし、もっと大きいのは、
頻繁に本土から侵略を受け「相手に合わせて」きた歴史のために、中華思想が無く、
英語を学ぶならネイティブを手本にすることに何の抵抗も感じないからかも知れません。
日本の占領が友好的にいったのも、双方の気質が似ていたのが大きいのではないでしょうか?
中国・韓国は逆ですからね。
中華思想がないことは日本も同様で、昔は言葉も文物も何の抵抗もなく嬉々として
中国のものを取り入れ、戦後はアメリカと英語のカタカナ語一辺倒ですからね。
こんな事を言うのは、あんな発音が無茶苦茶な中国人やインド人が何であんなに
ベラベラ話せるのか考えたからです。奴ら、国内で絶対仲間同士で英語で喋っているのです。
インドは知りませんが、中国ではきっと早朝公園太極拳ならぬ早朝公園英会話をやって
いそうです。
日本人だと、仲間の発音が変だったりすると直ぐ指摘し合うのですが、彼らは皆んな
発音の勉強なんか真面目にやってなんかいないですから、誰も気にしません。
それより、自己主張の国民性があるので我勝ちに喋るのです。
勿論、中国語版/インド晩カタカナ英語ですから、ネイティブや日本人には意味不明
なんです。まあ、書けば英語になっている文章なんでしょうが、英語ではあり得ない
表現(自国語の直訳)や文法の間違いなんか満載でしょう。
それでも話しちゃうわけで、そういう人が外国に出てくると聞く方の負担は大変ですが、
そんなことは知ったことでは無いという感じで話していくんですね。
そのうちに、相手も慣れて発音の対象関係が分かってくるし、中国人達も、相手の話を
聞くためには、ネイティブの発音を理解しようとしますから、次第に、モロの
カタカナ中国語の英語から、キッツイ中国語訛英語程度にはなっていきます。
慣れてない人でも集中すれば分かる程度の英語にはなって行くんだと思います。
まあ、ちょっと上で言ったのは、学校英語のESS化なんですが、「話す」ことを
やる以前に、Eliotさんのいう発音練習や大家さんの回転読みがないと、
中国人のようなカタカナ英語で喋りまくることになります。
でも考えてみると、日本人も逆にその位の逞しさがあったら爽快ですね。
ネイティブを一生懸命真似して毎日何時間も練習する。。なんかいじましい。。
って、σ(^^;)って、中華思想@日本版かも。。。(^^;;
と、とりとめがなくなったのでこの辺で。
次回は、私の別人格が古屋さんちで教える君をしているわけ(予定)
>ネイティブのコントラクト・エンジニアというのを高給で
雇っていますから、微妙な表現の違いが大損失をもたらすような文書は日本人は、私のいた
会社ではかきませんでしたしね。
あなたのおられた様な立派な商社ばかりが商社ではありません。 商社と言ってもピンからキリまでです。 そんな者を雇えない商社も沢山あります。 雇う必要がある、とさえ思わない会社もある、とも言えるか...
感情的なもの言いで申し訳ありませんが、 私、あなたのこういう言い方嫌いです。 まあ、たいした事ない商社マンの嫁はんの僻みですねんけど。
>相手が英語国ではないことも多いので、そういうときは勉強英語同士ですから、 松本氏の「斬れる英語」なんか使うと、却って相手に伝わらないから、覚えるだけ無駄ということもあります。
私の夫はドイツですから、英語国で働いているわけではありません。 だからお勉強英語同志の交渉になりますね。
「斬れる英語」なんぞ使うとかえって邪魔だ、と言う事ですが、私は「そういう英語を使いたい」と切実に思う商社マンや駐在員の気持ちがわかる様な気がするのです。 わかったげに「ちょん」と切り捨てないで。
☆4は見て来た様な「十把ひとからげ」論です。
私、本質ではない所で喧嘩売ってますね。 ちょっと気が立ってるので、寝まっさ。
好かん
商社の件は、Naimaさんが商社の旦那様のいらっしゃる方とは知らなかったので、書きました。
気に障ったら申し訳ないです。私のいた方は、エンジニアリング会社です。確かに大手ですが、
私はタダの外人の人事の派遣社員なので、全然対したことないです。海外なんか出ませんし。
ただ、色々な国の英語と接せられたのと英語「で」仕事をする人の英語に多く接したのが、
英語について考えるときの、データとして面白いものになっただけです。
とはいえ、何百人もいる英語を話す社員の中には英語修行者的な人もいたかもしれません。
一般化しないと、但し書きが多くなってくどくなる、インパクトが減るということで
切り捨てるのですが、関係者が読むと適当なことを書いていると思うのは分かるのですが、
全ての可能性に対応するのもなかなか難しいと言うことで、一つご理解の程をm(_
_)m
>>日系ハワイ人に化けていた話ですが、これは入社前後くらいの話のようです。
Naimaさん:
>生意気盛りの学生時代、彼なりに手探りで編み出した方法であったと大目に見ればいいのではないでしょうか。
はい。そう思います。この話は、激しさと、それがゆえの多少の滑稽さで印象に残っています。
商社に入社してからも仕事上、英語を使うことがなかった松本は、宮本武蔵の「飯ははしで食うもの、剣ではくわぬ」の言葉で「仕事では英語を使わぬ」と覚悟を決め、英語に取り組んでいることを会社では一切示さないようにしたと思います。
松本松本会談はそれからしばらく後のことなので、異動により英語のやりとりをする部署に行っている可能性もあるのですが、やはり違和感を感じます。
恋人ファン♪さんが書かれたように、松本は磁場にはいなかったように思います。
>ということで、海外にも行かず、大学でESSにも入らず、何百人も部員のいるEESの部長を独学で超えた猛勉強の成果が彼の英語の核で、商社等は余り関係ないと思います。「野武士英語/柔道部英語」の方がより彼らしいとは思いますが。
松本は、磁場の中で英語を身につけたのでなく、しかし、回転読みのような一書を激しく読み込んでいき英語と身につけたのでもなく、違う方向からアプローチしたのではないでしょうか?
「外国語をどう学んだか」(講談社現代新書 1992年)より
セルゲイ・ブラジンスキー氏(1959年モスクワ市生まれ。
モスクワ国立大学卒業。1991より横浜市立大学商学部助教授)の
体験記を引用します。なお、この本は絶版です。
引用開始-------------------------------------------
発音の練習こそ私が日本語を勉強した時にもっとも力を入れた分野
だった。
小さい時は東京で三年あまり普通の区立の小学校に通い、基盤は
ある程度できていたが、大学に入るまで六年間の空白があって、
一からのやり直しであった。大学一年生からなぜか発音に異常な
までにこだわっていた。
「日本人と間違えられるほど発音をきれいにすることは外国人に
とって絶対無理」と先生に言われたことが逆に「オレなら絶対
無理なことでもやれるぞ」と発奮させたのかもしれない。しかし、
あとになって振り返ってみると、この発音重視の訓練は他の能力
(ヒアリング、会話力等々)をも大きく伸ばしたとてもよい
思いつきであった。
外国語で話そうとする時にまずぶつかってしまう問題は「相手の
言うことが聞き取れない」、そして二番目は母国語でまず考えて
から、外国語でどうやって表現したらよいのかと考えることである。
聞いても分からないということから生ずる焦りは二番目の問題を
さらに深刻化させる作用を持つ。
発音の訓練は次のようにして行なった。
まずは非常にやさしいテキスト(三年生になっていたが一年生の
教科書を使ったことなど)をテープで聞きながら何度も読む。
アナウンサーの声の入ったテープを間をあけながら別のテープに
録音しなおす。そしてその間に自分の声を吹き込んでみる。
一つ一つのフレーズをさらに細かく区切ってやるのだが、吹き
込んだあとはアナウンサーの声と自分の声を細かく聞き比べて、
何度もやり直して同一の発音になることを目指す。
最初は十フレーズぐらいの簡単なテキストに毎日三〜四時間ずつ
三日も四日もかけたことがあった。リンガフォン室にたまたま
入ってくる同級生からは「また一年生になるつもりか」と皮肉
られるほどだった。
一〜二ヵ月ほど続けているとだんだんやりやすくなってききた。
さらに、発音が上達した以外にももう一つ意外な効果を発見した。
これまでやってきた簡単なテキストは自然にただ頭に入っていた
ばかりでなく、いわば「内在化」されていた。つまり、母国語で
考えなくとも必要なときに必要な表現がでてくるようになって
いた。そしてもっとも驚いたのは、この「内在化」された簡単な
表現で意外に多くのことを言い表せるということであった。
そのとき、私は語学の学習について一つの非常に重要なことを発見
したという気がした。
つまり、語学は経済と同じで、限られた資源の有効利用が鍵で
ある、と。ネイティブ・スピーカーよりも自分のほうが常に
語彙等の言葉の資源が少ない。それらを増やすことも大事だが、
それだけに集中して活用に力を入れないと、過剰な設備投資を
している企業と同じである。遊休設備を持っていてはならない。
持っているものを完璧に活かせるようになってからもっと
むずかしい文法とより広い語彙を順次マスターすればよい。
数百語ぐらいの語彙と簡単な文法さえあればほとんど自分の意思を
何でも相手に伝えられる。鍵は使いこなしだ。そしてその使い
こなしに大きく貢献したのが、やさしいテキストを使った発音
練習であったわけだ。
簡単なテキストで満足のいく結果が安定的に出始めたころ、もっと
むずかしい課題に挑戦するようになった。
日本語のニュース番組をテープに録音して、それを聞きながら
文書にする。つまり、まずは聞き取り練習になる。聞いても
すぐには分からないところが、当然、最初のうち非常に多かった。
そういうところは何十回も聞いて、あくまで完璧に聞き取れるまで
あきらめない。どうしても不可解なところは辞書をひっくり返して、
似た発音の単語を全部調べてあててみる。もちろんそれでも駄目で
あきらめざるを得なかった箇所もあったが、最終的にはそれほど
多くなかった。
その次の段階では、今度はこの自分で作ったテキストを目の前に
してもう一度、あるいは再三テープを聞く。そして簡単な
テキストでやったと同じような訓練をする。ニュースの
アナウンサーについて繰り返すのはきわめてむずかしいが、
効果もそれだけ大きい。最後にはテープを止めないで、そして
間も入れないで流し、アナウンサーと同じペースで声を重ね
ながら自分で読む。もちろんそこまでやればテキストはもう
暗記状態。「内在化」の状態である。
この特訓をしばらく続けたあとは、そのまま生のニュース放送を
流してアナウンサーのあとを繰り返せるようになった。ちなみに、
当初その意図はなかったが、振り返ってみると、これは同時通訳の
ための最初の訓練にもなった。
要するに、発音の訓練のつもりで始めたこういった勉強方法が、
ヒアリングに対する自信をまずつけて、会話力もとても大きく
伸ばしてくれた。
言葉というものは、あくまで読んで翻訳して文法を習って覚え
られるものではない。いくら努力しても語学力が伸びないという
悩みを多くの日本人の友達から聞かされたが、私に言わせると
それは才能がないためではなく、努力が足りないためでもなく
(もちろんそういうケースもあるだろうけど)、やり方が
間違っているためである。具体的には上記のようなlistening
comprehensionとoral practiceからなる勉強方法を勧めたい。
最初はじれったい思いがしても次第に必ず効果が現れる。
引用終了-------------------------------------------------
松本さんの 修行?は格好いい。
しかし一般人向けではないですね。
もちろん ある時期 我を忘れるほど英語づけになる必要はある。
そのことは 英会話なんて 通うだけで上手くなるという 英会話幻想信者
そして 今の小学生の英会話(親)には
いくら言ってもいいたりないほどだ。
残念ながら 彼らに聞く耳がないが。
お手軽な英会話に通うだけじゃ絶対に絶対に 話せるようにもきけるようにも書けるようにもならない。
松本さんのは 一段だの 黒帯びだの 英語フリーク以外は ついていけない世界。
一般人にはできそうもない。
ブロークンで訛りのある英語は、アジアの共通語だという気がします。
台湾を旅したときのことを思い起こしてみると、
電車や食堂で仲良くなった台湾人の英語は、相当な訛りがありました。
ただ彼らは、ゆっくりと、単語か2,3個のフレーズだけで話すので、
聞き易しかったです。
時々、とても流暢な人に出会って、話を聞いてみると、
留学か、それに近い経歴を持っている人でした。
タイでも、ミャンマーでも、同じような経験をしました。
中国大陸のほうは旅したことがありませんが、都市部ではやはり、
流暢に喋るエリート層と訛りのきついその他大勢、
という構図になるのではないかと想像します。
一般民が喋るアジア英語の長所は、覚えやすく、聞き取りやすく、
発音や文法に寛容なことでして、ここで評判の悪い
日本人のベタな訛りでも、十分にストライクゾーンです。
私自身、何度か旅することで、英語に対する苦手意識が、
ずいぶん薄らいだように思います。
インドは少し事情が違っていて、英語が公用語です。
その結果、訛りを持ったまま流暢になっていき、
恋人ファン♪さんの指摘される押しの強さも手伝って、
あの独特の音が完成していったのだと思います。
もはや、訛りというより、イギリス英語、アメリカ英語と同等な、
インド英語と呼んだほうがいいのかもしれません。
週刊の英字新聞Asahi Weeklyで紹介されていたのですが、インド出身の英語教師が人気だとのことです。
少し前の新聞なのできっとうちで探しても見つからないと思います。
Webで検索すると次のようなものが見つかりました。
以下引用です。
インド人は文学, とりわけ詩を愛する. 英語の学習でも, 18 世紀や 19 世紀の英文学を教材にする.
だから古典的で, 文学的なことばを好む. old は ancient, pretty は comely,
happy は blithe, eat は consume, home は place of residence となったりする.
彼らの英語が丁寧とか華麗といわれるのは, このような傾向を指してのことだろう. また, “May I know your good name, please?” という言い方もよく耳にする. 「お名前をおうかがいしたいのですが」 の意味だが, your good name には思わず恐縮してしまう. しかし, こう言われて, 悪い気はしない.
アメリカ人やイギリス人が言わない表現だからといって, これを変な英語とみるのは禁物である.
おもしろいことに, このようなイギリス臭のとれた英語は, 海外でけっこう評判がよい.
アラブ諸国はインド政府に英語教師の派遣を依頼している. インドは英語教師の輸出国なのである.
インド人の英語運用能力の高さは, 非母語話者 (ノンネイティブ・スピーカー)
のよき手本となるだろう.
引用終わり
アジア英語辞典 (本名信行 編著)紹介のWebサイトより
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/asia_eigo.html
ピアノは曲そのものを練習する以外に、毎日かならず音階の教則本で指の基礎訓練をします。 プロはこれを毎日何時間もやると聞きました。 一流のピアニストの演奏を聞いてお手本にする努力をするのも、映画などで生の英語に触れる事と似ている様に感じられます。 曲を弾く場合、頭で考えている間は感情を込めて弾く事も出来ないので、まず指が楽譜通りスラスラと動く様に訓練する事から始めるのも似ています。 引けないフレーズは「回転弾き」しますし。 根石さんは音楽と語学は違うとおっしゃってた事があると記憶していますが、私には語学は音楽に良く似ている様に思います。
松本氏はみずから口にされている「英語修行」についてですが、私は「どんでん返し...」を読ませて頂いた時、「こら修行やがな」と思いました。 かっこいいか悪いかは別にして、日本人の英語学習には「修行」がついて回るんかな、と漠然と思っております。
恋人ファン様、
私は超ド級の原始的な女なので亭主と子供にかかわる事になると、論理や常識など「**喰らえっ!」状態になってしまいます。 blanket statementと言うかover generalizationには、「統計でもとったんか」と過剰反応してしまいます。 その両方が重なると野獣になってしまいます。 すみませんでした。 「サラリーマンは胡麻擂りである」と言った坊さんに喰ってかかりコテンパンに叩きのめした事があります。(言葉で、です) 法事、月参り、一切ボイコットしたりしてました。 こういう場合には上下もへったくれもなく長年の親交などもチャラにしてしまうくらい破壊的になりますので、「そんな奴なんや」と思って下さい。 (居直ってどうする)
私が曲りなりにも英語がしゃべれる様になった経過を辿ってるのですが、今だによくわかりません。 ただ素読舎に出会うまでは、松本道弘の速読/速聴が王道だと思い込んでそれに従って勉強していました。 (フリークと誹られそうですが。) べいべさんだったかが、素材が良いとおっしゃってたと思いますが、私もそう思います。 私はタイムやCNNは中級以上の素材だと思いますが、松本道弘氏は講演会や講習会で「無理を承知でタイムの速読を勧めている」と言っていたと記憶しています。 「英語を修得しようとするなら、英語を忘れ記事に込められた情報に集中せよ」とも言うてはりました。
ここの所はどうなんでしょう。 今思えば、当時(今も、と言うべきか...)基礎英語力のない私にはかなり無理がありました。 背景知識だけでなんとなく読める記事もありましたが、会話力をつけると言う事に限って言うと、松本氏の学習法は使えないと思いました。 すでに現場で英語を使える人達がさらに磨きをかける為の英語学習法だと思います。 でも背伸びをする事で学習に対する継続意欲も湧きましたから、一概にケチョンケチョンにけなす事もないでしょう。 「おまえ遠回りしたな」と言われると思いますが、私が学習を続ける原動力は、いつかタイムをcover to cover で読める様になりたい、映画が字幕なして解る様になりたい、と言うフリーク特有のものでしたので。 今も限り無くフリークに近いかもしれません。
皆さんの毛嫌いされている英会話学校でフォーマルディベートを1年間学びました。 松本道弘信者の頃です。
ディスカッションやディベートでは「準備の時に文献や資料を沢山読み、それを『英借文』などして音読し頭に入れてから」クラスに臨みます。 デイベートそのものは好きにはなれませんでしたが力にはなったと思います。
ディベートは好き嫌いは別にして、「使える」と思います。 ディベートそのものではなく、準備中に学習する内容が大きいです。 それほど難しいトピックでなければ初級者にも「副教科用」として使えないかな、と思ったりしてます。フリートークと称する「だらだらしゃべり」よりはずっといいんじゃないでしょうか。 卑近なトピック、たとえば「猫も引き綱をつけて飼うべきか」とか... (ん? なんか私、急速に齋藤化している様な気がする。 背後霊か...)もちろん準備の際には音作りあり回転読みあり英作文あり、と言う条件でです。
タイムの定期講読はずっと続けていますが、CNNニュースなどと併用すると理解の為には相乗効果があり、これも勉強になっていると思います。 海外に出た事のなかった私にとって、映画や洋楽も 貴重な疑似磁場(と言う定義でいいのかな?)でした。
けれど、その下に必ず流れているのは、回転読みもどきの音読であったり回転書きもどきであったり英借文もどきであったと思います。 知らず知らずの内に根石流もどきを実践していた事が効を奏したのかもしれません。
素読舎に出会ってから、音作りや回転読みなどの基礎体力づくりは、英語力が向上しても常にやっておくべきだと痛切に感じています。 根石さんのおっしゃる「復習範囲を手放さない」事でもあるかと思います。
素読舎の掲示板に参加する事について、私は敵国から「移民」して来た人間の様な気持ちでいます。 おどおどしていながら、時には虚勢も張ったりと、「どうしたらいいの?」状態です。
子供英会話学校を大阪と自宅で持っていましたが、子供を沢山教えて来た事は私にとって大きな恩恵でした。 「おまえ、子供の生き血を吸いながら太って来たんやろ」と言われそうですが、これでも熱心で良心的な先生であったと思っています。
以前、Jackieさんや根石さんに「塾経営の文句言うな」と噛み付いてEliotさんにたしなめられた事がありましたが、私も英語塾経営のしんどさは身に染みております。 しかし、今の御時世、どの様な職業でも良心的な方は苦労されていますから、私は不平を言わずに来ました。
子供を教える為に苦心する中で、自分の基礎英語力も磨かれていくという有り難さもありました。 留学しなくてもここまでくらいは行けるぞ、と生徒達に身をもって証明したい事もあり、それを形にして見せてやりたくて自分も資格試験勉強を続けていました。 どういう勉強法が一番効果的かと、いろいろ試しもしました。
しかし自分が英語力を着々とつけているのに、子供の英語は伸び悩んでいると言う本末転倒状態に陥ってしまいました。
一番頭が痛かったのは、「語学は自分で練習しなければどうにもならん」事を生徒に納得させる事が出来ない事でした。 彼等は理解はしていて「うん、わかった」と言うのですが、自宅で一人で毎日それを続けると言う事が出来ないのです。 夏休みなどつきっきりで講習をしてやりたい気持ちでした。
英語が好きな子供は大学生になってからも通い続けてくれ、かなりの英語力は身に付いていますが、親に言われていやいや放りこまれた子達は1時間を潰しにだけ来ている状態です。 それでも学校の成績が上がってくれば意欲も湧いてくるのですが、せっかくのフォニックスも学校の先生の御蔭で台なしになる事もあります。 「nameはなめ〜と覚えたらいいねん」と言われた子もいます。 しかしながら、基本的には講師の私のだらしなさ、が根本的問題だと思います。
根石さんの「コーチが必要である」との節は、腑に落ちるものでした。 学校の英語を教材にするという着眼点にも魅力を感じました。 英語塾講師の多くは学校英語を「煮ても焼いても食えない」と批判して文句を言うだけで、その料理法を知りません。 素読舎にはそれを喰えるものにする秘伝がある様な気がしたわけです。
夫が帰任すれば、そしてまだ私に体力と気力が残っていれば、友人に任せていた英語教室で根石流をやってみるつもりになるかもしれません。
告白タイムでした。
>ネイティブを一生懸命真似して毎日何時間も練習する。。
>なんかいじましい。。って、σ(^^;)って、中華思想@日本版
>かも。。。(^^;;
先の書き込みで紹介したセルゲイ・ブラジンスキー氏は
ロシア人です。
sbさん
東後勝明氏(早稲田大学教授、元NHKラジオ英会話講師)も
好きじゃないとのことですが、理由をお聞かせ願いますか。
ブラジンスキー
↓
ブラギンスキー
>ピアノは曲そのものを練習する以外に、毎日かならず音階の教則本で指の基礎訓練をします。 プロはこれを毎日何時間もやると聞きました。
Naimaさん
ピアノだと 家で練習しなければ レッスンにいくだけでは 上手くならないとみなさん わかるのですが
英語は 家で音読したり英作したりテープを聴いたりしなくても出来るようになるはずだ というのが 多くの人が思っていることだと思います。
なぜ? 日本語を自然に そう自然に身につけたからです。
子供が発話し始めるのに 親や回りが一日中話しかけ2,3年かかることを
すっかり忘れているのです。そもそも この幻想と 中学高校の6年間をくらべてしまうことが 英会話幻想の元。
かたや 一日中2年間 かたや中学高校の授業で850時間―(塾や宿題などで英語にふれていても 実は中身は日本語で構文理解だったりする)
時間で計算すれば ”自然”が どんな”自然”なのか わかるはずなのですが。
ましてや 英会話学校では週2時間 年に100時間たらず。こんなんで話せるようになるわけないやん。 心の中で 英会話は 詐欺やないか これ?と教えつつさけんでおりました。
そこで 講師がいかに上手く生徒のやる気を引き出し ホームワークをさせるか ということが重要になってきます。
なかなかね、 ファッションでならってるOLさんは 汗水ながして音読など地道なことは 好きくないみたいですし
ビジネスマンは時間におわれ 出席するのに精一杯。
よほど 逼迫した必要性のないかぎり家で英語のトレーニングを実行できる人はまれです。
そこで 学生にはホームステイをすすめ 社会人には旅行をすすめ
習ったことを実践することで なんとか モチベーションを維持してもらう。
>一番頭が痛かったのは、「語学は自分で練習しなければどうにもならん」事を生徒に納得させる事が出来ない事でした。
>しかしながら、基本的には講師の私のだらしなさ、が根本的問題だと思います。
上記二つ Naimaさんとまったく同じ気持ちです。
自らの不徳を恥じながらも ピアノの毎日の練習なしには上達がないということを 英語で 理解してもらえないことにジレンマを感じる日々でした。
一流のピアニストの演奏を聞いてお手本にする努力をするのも、映画などで生の英語に触れる事と似ている様に感じられます。 曲を弾く場合、頭で考えている間は感情を込めて弾く事も出来ないので、まず指が楽譜通りスラスラと動く様に訓練する事から始めるのも似ています。 引けないフレーズは「回転弾き」しますし。 根石さんは音楽と語学は違うとおっしゃってた事があると記憶していますが、私には語学は音楽に良く似ている様に思います。
東後先生は尊敬していますが、あまり好きではありません。それは私とある面で少し性格的に似ている部分があるかもしれません。
「英語ひとすじ」の増補版というか、そういう感じの本が最近出ていて、買い求めました。最終章は「英語ひとすじ」というこの本のオリジナルが出版されて以降、著者自身やその周りに起こったことが書かれてあります。自分自身が病気になったこと、娘さんが登校拒否状態になったこと、コロンブスという教科書を出版したこと、キリスト教の話、中学校へ模擬授業にいったときの話などが書いてあったと思います。そのどれもがすばらしいご経験であり、すごい体験ばかりです。でも私はあまりいい印象は持ちませんでした。それは単なる性格上の問題かもしれません。またどちらかというと英語を中心に追いかけている人の性(さが)といったものなのかもしれません。
最近京都に講演にこられたのです。その際、その講演に行く同僚にテープにとってきてもらうように頼み、そのテープを借りて聞きました。「英語ひとすじの道?」の改訂版の最終章の内容とほぼ同じ内容でした。人間はどちらかというと同じタイプの人とはあまり合わない部分があると思います。まあそんな感じです。こんなことは好きでない理由と言えないでしょうが。。。
因みに教科書「コロンブス」は好きです。学習方法に関してもほぼ賛成です。あまりに性格的に似ているのであまり好きではないのです。
続きです。
Naimaさんからの引用。
>一流のピアニストの演奏を聞いてお手本にする努力をするのも、映画などで生の英語に触れる事と似ている様に感じられます。 曲を弾く場合、頭で考えている間は感情を込めて弾く事も出来ないので、まず指が楽譜通りスラスラと動く様に訓練する事から始めるのも似ています。 引けないフレーズは「回転弾き」しますし。 根石さんは音楽と語学は違うとおっしゃってた事があると記憶していますが、私には語学は音楽に良く似ている様に思います。
そうですね。似ています。モデルの曲をきいたり 実際にひいてみたり
回転弾きしたり。たかだか一曲マスターするだけでも何度も何度も練習をする。
英語で話すことは即興演奏ににている。
咲いた咲いたのチューリップレベルなら すぐひけるが 本当にアドリブ演奏が出来る人というのは 少ないだろう。かなりの練習が必要だ。
一番難しいはずの アドリブ演奏(英語で話す) 一番簡単そうにみえることが 問題。
違いーピアノは合奏,セッション以外は 一人舞台。一人の世界。
英語は 練習は一人練習、そこまではピアノと同じだが 言葉は相手があること、か。
コミュニカティブアプローチを乗り越えた、置き換え練習を支持しておられる部分は賛成できます。しかし、どちらかというと構造重視を若い時代に重視しておられたように思われます。現在の英語学習に対するお考えは止揚された後のお考えだと思います。でも早稲田の教授になっても「講演(京都)でついでに来ましたというのはあまりいい感じがしませんでした。」(つまり静岡と広島の途中下車でついでにきたということは普通コミュニケーションを研究している人なら言わないと思うのですが。。。)でもそこが嫌なところでコミュニケーションに関して一言ある人ほどコミュニケーションに無頓着な部分があるように思えるのです。私がそうです。そういう自分があまり好きになれません。でも
>言葉というものは、あくまで読んで翻訳して文法を習って覚え
られるものではない。いくら努力しても語学力が伸びないという
悩みを多くの日本人の友達から聞かされたが、私に言わせると
それは才能がないためではなく、努力が足りないためでもなく
(もちろんそういうケースもあるだろうけど)、やり方が
間違っているためである。具体的には上記のようなlistening
comprehensionとoral practiceからなる勉強方法を勧めたい。
最初はじれったい思いがしても次第に必ず効果が現れる。
発音重視賛成です。発音は単なる音に留まらず、意味、理解と密接に関連しているように思います。その言語である程度スムースに発音できなければ、その表現を頭に定着させることは著しく困難なように思います。このレベルにならなければ、英語で考えるという事は到底無理だと思います。文字や文法を頭に浮かべながら英語で考えるという事はありえず(これでは翻訳です)、思考する時はあくまでも音がベースになっているはずです。即ち、音が言語の極めてベーシックな部分を構成しているように思われます。
さっき、ドイツ語のプライベートレッスンから戻って来ました。 子供っぽい報告で申し訳ないのですが、今日、ドイツ語の先生に「初見なのに発音もいいし読み方がうまい」と誉められました。 回転読み効果か。 *(^o^)*
自分の過去を自白し、気が楽になりました。
>
一番頭が痛かったのは、「語学は自分で練習しなければどうにもならん」事を生徒に納得させる事が出来ない事でした。 彼等は理解はしていて「うん、わかった」と言うのですが、自宅で一人で毎日それを続けると言う事が出来ないのです。 夏休みなどつきっきりで講習をしてやりたい気持ちでした。
>
よくわかります。
私は最近、次のようなことを「電話でレッスン」を受けてくれている生徒に言っています。
「語学はしょせん一人でやるもんだ。始めたばかりの頃は、コーチがいる方が絶対にいい。その方が絶対に有利だ。だけど、それでも、語学は一人でやるもんだ。一人でやるってことをやれるようにならないと、語学はものにはならない」
生徒は「うん、わかった」と言ってくれるのです。しかし、「一人でやる」という言葉で私が言おうとしたことを、実際にやってくれる生徒はとても少ないです。
そのことを、口を酸っぱくしてでもわからせようということは、もう最近はやりません。しかし、機会がある度に言ってはいます。
「電話でレッスン」は大人の人の生徒の方がはるかに多く、この方々は真剣にやってくれます。私は大人を相手にしてやり始めてよかったと思っています。
女房は子供が好きですので、塾は女房にまかせています。
>
学校の英語を教材にするという着眼点にも魅力を感じました。 英語塾講師の多くは学校英語を「煮ても焼いても食えない」と批判して文句を言うだけで、その料理法を知りません。 素読舎にはそれを喰えるものにする秘伝がある様な気がしたわけです。
>
学校の教科書を塾でも扱うのは、その方が子供の負担がずっと少なくなるからです。点もとらせやすい。点をとらせることが目標ではなくても、点がとれた方が子供はやる気になる。私自身は点はどうでもいい。だけど、子供にとっても、親にとってもそれはそうではない。これは妥協だとは思っていません。要するに、実力が作れればいいのだということです。
秘伝というほどのものではなく、私は聞かれればすべて公開する用意があります。ただ、書き言葉で説明しても、なかなかうまく伝わらないので、自分からそれを公開していこうとは思っていません。塾を見たいと言う方がおられればいくらでも見ていただこうと思いますし、掲示板上で質問があれば、なるべくわかりやすく書こうとは思っています。
塾のノウハウを書くよりも、語学論をやる方が本質的だと考えています。
語学の原理が開示されなければならない。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
実は「商社」の件は、確信犯でした。。(^^;;
最初、↓には「商社員」なんか入れてなかったんですよ。
>所詮、英語を「仕事の道具」に使っている、商社員や私のいた
>プラントエンジニアリング会社の人たちの英語は・・・
でも、見直した後、「プラント・エンジニアリング会社」なんて言ったって皆んな何のことだか
ピンとこないから商社を加えちゃったんです。↑の英語との係わりを説明すると相当長くなるし。。
しかし、以前ここで
>Don't generalize. Don't exaggerate. は、英会話の先生とESSのディベートで
>うるさく言われたので、「国民は皆」の土井さんの言い方が、気になって仕方なかったんですね。
って自分で書いたくらいだから、それこそMainaさんの言うように>「統計でもとったんか」と
元ディベーターの私は「脳内ディベート」したんですよ。
私が思ったのは、「商社なんか知り合いいないし、英語そのものでなくて英語周辺のことを
書いた日本語の本なんて、ここに来て英語論やるまで全然読んでないから、『商社員の英語』
についての記述も記憶がない。。でも、分かりやすさ優先!エエイッ、「商社員」入れちゃえ!」
の乗りで入れちゃいましたm(_ _)m ディベートで言うと、データがないが、たった一語
だしそれでイメージが伝わればいい、「データ元は?」と突っ込まれることもないと甘く
見たのが運の尽き。。(^^;;
@ >喰ってかかりコテンパンに叩きのめした事があります。(言葉で、です)
という、Naimaさんに、ノックアウトされました。。。(ちなみに、以前古川さんの
ところで、斉藤さんに彼の言葉を借りれば「コテンパンに」されたのは私の別人格です。
あそこは中高生まで質問に来るところですから言い争いするわけにはいかないから、
黙っていたら、コテンパンにされたことになっていました。。(;_;)
>(ん? なんか私、急速に齋藤化している様な気がする。
Naimaさ〜〜ん、確かに斉藤さんが入っていますよ!
「コテンパン」聞いた(見た)のはこの何年かでこの二回だけですからね。
しかし、@の後の>(言葉で、です)← には、笑った(^O^)V
「Cave woman」と「原始的な女」で「はじめ人間ギャートルズ」の原始人妻?を
イメージしたのは私だけでしょうか?(^^;;
現地に行った実体験を教えていただいて有り難う御座います。
>中国大陸のほうは旅したことがありませんが、都市部ではやはり、流暢に喋るエリート層と
>訛りのきついその他大勢、という構図になるのではないかと想像します。
一点、こちらの趣意が伝わってなかったところは、「中華思想の強い中国本土からアメリカの大学に
『長期に滞在している』研究者の中国語訛が抜けない」という事実で、それに対して、「中華思想
のない台湾からの留学生などは訛りを除こうとするのできれいな英語になる。」ということでした。
>訛りというより、イギリス英語、アメリカ英語と同等な、インド英語と呼んだほうがいいのかもしれません。
↑と「言葉における中華思想」で、少し考えたんですが、国内にも中華思想が強くて訛も方言も抜こう
とせずに使いまくって、ついに最近では正当の日本語の一角を占めた感のある方言がありましたね。
国内のインド英語に当たるヤツね。
「方言使ってアカンことあるわけないやん!訛ってる言うてもこっち?の方が
気持ちが伝わるっちゅうの。標準語?へっ、知らんわ!」っていうあれ。。
(↑→の神奈川県人の関西弁、おうとるん?>Naimaさん )
山形弁とか、音楽的でフランス語に似ているってよく言われるけど、英語の世界の日本語訛
みたいに恥ずかしがって自分で方言殺しちゃうから、若い人なんかだんだん使えなく
なっているので、これは文化的損失。
関西弁が混じったカキコはよく(^^;;見るけど、それ以外は滅多に目にしないですからね。
考えるほど、最初はカタカナ英語でもなんでも、喋った方がいいような気がする。
自分の経験でも、教会で初めて話したときは無茶苦茶なカタカナ英語で話していたと思う。
でも、取りあえず言いたいことが言えるようになってくると、先輩やTV英会話の先生
みたいな発音のきれいさが分かってきて、自分もああなりたいと思うから、発音の練習は
誰にも言われなくても、するようになったので、発音がある程度できてから、話したのではない。
それに、外人に発音の間違いを指摘されたことはないな。皆んな一生懸命集中して理解しようと
してくれたし、特別に個人教授で発音の矯正を頼むのでもなければ、向こうも慣れない外国語で
一生懸命何かを伝えようとしている日本人の発音の間違いを指摘するなんて失礼だと思うはず。
大体、訛英語でも何でも英語ノンネイティブが英語を話すということは、それなりの習得の苦労が
あるのだから、習得に関しては何の(意識的な)努力もしていないネイティブは、集中して外国人の
英語を理解しようとする「義務」がある。負担をかけても構わない。(人間対人間として話す場合)
電波少年のチュウヤンの日本語なんて、相当聞きにくいけど何言っているか分かりたい人は
集中して聞くじゃない。彼の周りにいるタレントもそうしてるんだから、こっちが英語圏に
行くときも同じじゃないかな。。?
勿論、Eliotさんが発音が大切というのは分かるし、どんな分野でも高みが高ければ、裾野も広くなる。
例えば、Eliotさんが英語教員の発音を(教える側は自己の能力の及ぶ限りの良い発音になることは大切)
一変させられる側の地位につくようなことがあったら、何年後にかは、中高生は良い発音を最初から習える
ことになるけど、実現はなかなか難しいし。。
Eliotさんのような学校の先生や素読舎のような塾が全体の1%もない現状で
指導者もいないのに「発音を最初にキチンとやってから会話を始めなさい」は
無理だし、もし、昔自分がそんな風に思っていたら、恐くて英会話教室なんて
行けませんでしたしね。
今見たら↓がありました
>先の書き込みで紹介したセルゲイ・ブラジンスキー氏はロシア人です。
読みましたから覚えています。ただ、私の昨日書いた結びの↓はその人のこととは無関係です。
>ネイティブを一生懸命真似して毎日何時間も練習する。。
>なんかいじましい。。って、σ(^^;)って、中華思想@日本版
>かも。。。(^^;;
訛丸出しでも、堂々と英語で自己主張する中国人と(過去の自分を含めて)
生真面目に、色々な手段で発音を練習して、(私なら)アメリカ人の真似を
しないといけないと思ってたのが、なんか情けなくなってきたと言うことです。
文脈が取りにくかったでしょうか。
向こうで歌手や俳優をやろとうするのでもないのに、何でそんなに苦労して
何の苦労もしないで英語を操っているネイティブに合わせないといけないのか?
という前に、向こうはそんな自分たちのものに近い発音なんか求めてない
気もします。発音を注意されたのは、ESSの仲間がよく言ってくれましたが
私の習った何人かの英会話の先生は、誰も発音の注意はしませんでしたね。
こっちの言うことが通じないとき、せいぜい聞き返すくらいのものでした。
それ以来、相当の外人と話しましたが誰も発音がどうとか言わなかったのを
考えると、相手はこっちの話す内容が分かれば、発音は気にしないということ
なんですね。考えると、ドナルド・キーンの日本語が聞きにくくても、内容に
興味があれば一生懸命聞くので、「内容が分かれば少々聞きにくくてもOKは」
日本人が外人の日本語を聞くときも同じことでしょう。
内容はあるが発音の悪い外人の話>発音は良いが内容のない外人の話 でしょう。
と言っても、私も英語を含む色々な科目を教える仕事をしていたので、生徒の
発音を直そうと努力したので、別に発音を教える必要がないといっている
のではありません。
むしろ、いくらこっちでカタカナでない発音をさせても、学校からカタカナ
英語を持って帰るので、英語は週一時間くらいの塾の英語の授業では影響力が
なく、数年でめげて、余り発音はうるさく言うのは諦めたという次第です。
Eliotさんのような、理想的な先生が(昔の私を含めて)皆んなにいればいいのですが
そういうわけにはいかないので、話すのが先で、話していたら発音が問題で通じないのなら
本気で発音を訓練する気になりますし、人によってはより美しい発音に憧れて、
努力する人もいるでしょう。発音は通じればいいで、英語も含めた様々なことを
学んで、話す内容が豊かになる人もいるでしょう。
ラッキーな人は、ネイティブと話す前に良い指導者に良い発音をつけてもらえる。
しかし、そうでない殆どは先ず(アジアの他の国と同じに)カタカナ英語でも
話して、もっと発音を改良したい人は、色々な手段で勉強すればいいのだと思います。
しかし、黙っていても自己主張してうるさくて適わないアメリカ人や中国人のような
外国人と違って、なるべく目立たないように授業では発言しない日本人の生徒に
話させるのも大変なんですよね。(40人位いた大学の英会話の授業で、
ネイティブ教師相手に無駄話は殆ど独占していたのは私です。。。(^^;;)
というか、この時代に話せない教師がまだまだ多いという話にならない状況が。。。
この不況、英語の教師の資格を英検2級なんて温いことを言っていないで、ネイティブ
との面接で話せないと教師になれないようにしても、人材に事欠くことはないでしょうに。。
やはり、コネ採用とかが多いから、教職も実力・適性本位にならないんでしょうかねえ?
うう、配列を固定したらどんどんカキコが長くなってきた。。(^^;;
>ましてや 英会話学校では週2時間 年に100時間たらず。こんなんで話せるようになるわけないやん。 心の中で 英会話は 詐欺やないか これ?と教えつつさけんでおりました。 そこで 講師がいかに上手く生徒のやる気を引き出し ホームワークをさせるか ということが重要になってきます。
そうだと思います。母国語の場合でも、学校での国語の授業がすべてという事は全くありませんね。友達や家族との対話、或いは自分で本や雑誌を読んだり、映画やテレビを見たり、あるいは国語以外の算数や社会や理科や音楽など、実はすべてが言語(日本語)の勉強だといっても過言ではありません。授業でのフォーマルな国語の時間は、単に既に持っている知識をフォーマルに整理する場に過ぎないように思います。
英語などの外国語の学習の場合でも同じです。学校の授業や、英会話学校の授業だけで言葉が自由自在に使いこなせるようになる訳はありません。習った事をベースに自力でどれだけ総合的に、多角的にその言語を勉強するか(或いはその言語を使って、何か別のものを勉強するか)でその言語の運用能力が決まるのではないでしょうか?
>
今日、ドイツ語の先生に「初見なのに発音もいいし読み方がうまい」と誉められました。
>
よかったね。
俺の大学受験浪人時代に作った英語をやっつける方法が、ハンブルクでドイツ語を相手に実践され、ドイツ人の先生に誉められるようになるとは、大学受験当時は思ってもみなかった。俺は、本当にうれしいです。
>
回転読み効果か。 *(^o^)*
>
「か」はねえだろ、「か」は。
回転読み効果だ、と断定してくれ。間違いないと思うよ。
激しくやってみてください。そうすれば、はっきりします。
Naima さんは「回転読み」のツボを外すことはないと思い、信頼しています。
----------------------------------------------------
ついでに私信。
ハンブルクの名物のタオル届きました。
ありがとうございます。
額に入れて飾ろうかと思っています。
10月、日本に帰られる時、旦那様にも会わせてください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>向こうで歌手や俳優をやろとうするのでもないのに、何でそんなに苦労して何の苦労もしないで英語を操っているネイティブに合わせないといけないのか?
理由は簡単です。言語はコミュニケーションの手段ですから、相手と自分が共通要素が多ければ多い程、誤解無く情報が伝わりやすいからです。例えば日本語の場合でもバリバリの鹿児島弁で話されては、東京や大阪の人はさっぱり理解できないでしょうね。なるべく万人が標準とみなしているスタンダードにあわせた方が得策という単純な理由です。
>という前に、向こうはそんな自分たちのものに近い発音なんか求めてない
気もします。発音を注意されたのは、ESSの仲間がよく言ってくれましたが私の習った何人かの英会話の先生は、誰も発音の注意はしませんでしたね。
それは多分、そんな事言っては失礼だし、ある程度諦めの境地にあるからではないでしょうか?本当はもっと分りやすく喋れよと思ってるのではないでしょうか?
>内容はあるが発音の悪い外人の話>発音は良いが内容のない外人の話 でしょう。
それはそうですね。だけどこれは違うディメンジョンの話です。イタリア料理も日本料理も味は違いますから、比較する事自体が変です。自分は日本料理は上手にできるから、イタリア料理はまずく作っても良いという事にはなりませんね。
>
山形弁とか、音楽的でフランス語に似ているってよく言われるけど、英語の世界の日本語訛みたいに恥ずかしがって自分で方言殺しちゃうから、若い人なんかだんだん使えなくなっているので、これは文化的損失。
>
同感です。しかし、これは一時代前の話になったと思います。
いまや、日本全国、方言は瀕死の状態です。
うちの女房は土佐ですが、年に二度、盆と正月に土佐に帰ります。
土佐弁も瀕死の状態だということです。若い人が土佐弁をしゃべれなくなっている。年取った人の土佐弁を聞いても、若い人がわからなくなっている。
若い人が方言を恥ずかしがるということもあると思いますが、それと平行してテレビがまき散らす「標準語」の影響が圧倒的に強いと思います。
うちの娘は、私とそっくりのへそ曲がりなので、おやじがやってる程度の英語なんか馬鹿くさいし辛気くさいからやーめたです。しかし、こいつは高校生時代、ワルとばかり仲がよくて、仲間と方言復興運動をやっていました。いや、まじめにやっていたんじゃない。とにかく自分たちのばあちゃんやじいちゃんの言葉を使って、仲間どうしで話をするのに使っていました。初めのうち、それを言うこと自体がおかしくて、げらげら笑いながら使っていたんですが、使っているうちにしっかり定着して、ちゃんと自分たちの言葉にしていました。
東京へ行って困ったらしいです。もぉらしい。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>
訛りというより、イギリス英語、アメリカ英語と同等な、インド英語と呼んだほうがいいのかもしれません。
>
同等だと思います。シンタックスとして英語シンタックスが駆使できていれば、同等だと思います。同等か同等でないかは、シンタックスの問題だと思っています。
訛りということで言うならば、アメリカ英語はイギリス英語の訛りです。この10年ほどで、訛りはひどくなったと思います。
古いアメリカの映画だと、それよりもはるかに古い時代のイギリスの音を保存していたと思いますが、ここ10年ほどのアメリカ英語の音は訛っていると思います。
だから、Eliot さんの音が貴重だと思うのです。
Eliot さんはアメリカに発音指導に行ってもいいくらいに思っています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>
むしろ、いくらこっちでカタカナでない発音をさせても、学校からカタカナ英語を持って帰るので、英語は週一時間くらいの塾の英語の授業では影響力がなく、数年でめげて、余り発音はうるさく言うのは諦めたという次第です。
>
これは私が塾をやりながらたどった過程とまったく逆です。
週に1回のレッスンでも、単に感覚だけでなく知識(一瞬般若・ゆでたまごを銜えたつもり・カラスのカーなどの一見低級な知識です)とともに練習させてやれば、学校の多量のカタカナ発音に抗することはできると考えています。
私は50歳を過ぎて、英語の発音にやかましくなってきました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>なるべく万人が標準とみなしているスタンダードにあわせた方が得策という単純な理由です。
「得策」という言い方に賛成します。
要するに、損か得かという世知辛い話なのです。
それなのに、英語好きな日本人はそれを美意識の問題にしてしまうのです。
転倒であり、錯誤です。
ですから、アホか、と思うことを避けられません。
>>という前に、向こうはそんな自分たちのものに近い発音なんか求めてない気もします。発音を注意されたのは、ESSの仲間がよく言ってくれましたが私の習った何人かの英会話の先生は、誰も発音の注意はしませんでしたね。
>それは多分、そんな事言っては失礼だし、ある程度諦めの境地にあるからではないでしょうか?本当はもっと分りやすく喋れよと思ってるのではないでしょうか?
それもあるかもしれません。
しかし、私がよくしゃべっている外人野郎は、本当に腹の底から発音を問題にしないので、こいつとしゃべっていても全然発音は上達しません。そもそも、私がこいつから発音を習おうという気がありません。しかし、しゃべっていると、こいつの発音がこちらに移ってくるのです。英会話学校に通って、先生のお説拝聴をやってるかぎり、発音はウツラナイのですが、気心の知れた外人野郎と馬鹿話をしているとウツルんです。
とにかく、発音なんか通じればいいと思っている外人はいますよ。
もっと分かりやすく喋れよ、というのは、外人野郎の日本語に対して、私どもが言っていいことのはずなのですが、私は全然言う気になりません。日本語のヒアリングに関しては、日本人である私は許容の巾がどの国の人よりも大きいので、全然気にならない。語法の間違いの方がはるかに気になる。
日本人の練習の結果による英語のヒアリング能力の巾は非常に狭い。ネイティヴのヒアリングの許容の巾とはまるで比べものにならない。三歳児と力道山(ああ、なつかしい)がプロレスをやるようなものです。ヒアリングに関してはこれはそうなんだと思っています。
磁場を欠いた努力が手に入れられないものが、磁場で育てば簡単に手に入るのです。
この点では、私は決定論者です。
ちなみに、私が普段つきあって、喧嘩したり大笑いしたりしている外人野郎は、ドイツ語なまりの英語をしゃべります。オーストリアでドイツ語の方言で育ったやつです。
薪ストーブの薪を集めに、こいつとよく舗装してない林道を車で走ることがありました。こいつが「まつらいd」というので、松がどうしたんだと松林を見ながら聞き返したことがありました。どうも要領を得ない。そのうちに、ああ、mud
slide かとわかって、こいつのドイツ語なまりを再認識した次第です。v と f
の区別もこいつはよくできません。
coffee を covvee とは言いませんが、逆は言います。
v を f で発音しちゃうのです。具体例を今思い出せないでいますが、よく耳にします。
損得で言うなら、こいつと英語をしゃべっていても発音上はあまり得はしない。
しかし、ドイツ語と英語はゲルマン兄弟なので、シンタックス上を咀嚼しようと思うと、非常に得をします。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
これからちょっとやらなければならない教材づくりがありますので、これで失礼します。
お応えしなければと思っていたことは、今日一日の記事でもたくさんありましたが、いずれ後日、過去ログができて、放置してはならない問題と再度思った時に書かせていただきます。
sb さん
>今回の文章で好きなのは「共有」という言葉です。根石さんの意見にだんだん賛同できない部分が出てきたのは実はこの「共有」という部分です。でも根石さんはこの部分は超越しておられると思います。最近の語法問題の増加やきちんとした意味での「コミュニケーション」という言葉はやはり必要だと最近感じています。ただし青山学院大学の本名信行さんなども述べておられます。ナショナリティーやアイデンティティーは大切なものだと思っています。シュリーマンの学習方法などに寄り添う際、ネイティブの語法に気をつけないわけにはいかないと思うのです。というよりお互い楽しく楽に「共有」することのほうがずっと大切なことだと思うのです。
あまりにも多くのことが、これだけの文章の中に含まれているように思います。
実のところを申します。
私は、このsbさんの日本語を読解できません。
この文章を英語に翻訳することを考えてみてください。翻訳する人は困り果てると思います。
direct translation をやったところで、その翻訳結果を読んだ英語ネイティヴが
sbさんが言いたいことを受け取ってくれるとお思いでしょうか。
日本人が日本語で読んでわからないのですから、もう少し日本語で書くということをしっかりと考えられるよう希望します。
「共有」が大切だと言われることはいい。
しかし、そう言っている人が書く日本語が、人と共有されないなら、「共有」が大切だと言うことを自分で裏切ります。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
シンタックス上を咀嚼しようと思うと、
→
シンタックスを咀嚼しようと思うと、
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
私>向こうで歌手や俳優をやろとうするのでもないのに、何でそんなに苦労して
何の苦労もしないで英語を操っているネイティブに合わせないといけないのか?
boyさん> 理由は簡単です。言語はコミュニケーションの手段ですから、相手と自分が
共通要素が多ければ多い程、誤解無く情報が伝わりやすいからです。例えば日本語の場合
でもバリバリの鹿児島弁で話されては、東京や大阪の人はさっぱり理解できないでしょうね。
なるべく万人が標準とみなしているスタンダードにあわせた方が得策という単純な理由です。
あはは、大笑いです。「理由は簡単です」とはまた斉藤さんを思い出しますね。断定と
根拠のない能力批判、似たような言葉遣いをする人は似た思考法を持つようです。
答も月並みですが、私は「いけないのか?」と皆さんに質問していたわけではありません。
こういう表現を「反語」というのはご存知?「合わせないといけないのか?」の後に、
「いや、そんなはずはない。」が省略されてるのは気の利いた小学生なら分かりますが。
インド人や中国人が訛りの強い英語を堂々と話すという前述の部分との関連を無視して、この
部分だけ切り取り、単なる「発音軽視」の意見と取っているのも読解に於ける集中力不足です。
反語:断定を強めるために、言いたい意の肯定と否定とを反対にし、
かつ疑問の形にした表現。「そんな事知るものか」の類。(広辞苑)
私>という前に、向こうはそんな自分たちのものに近い発音なんか求めてない
気もします。発音を注意されたのは、ESSの仲間がよく言ってくれましたが
私の習った何人かの英会話の先生は、誰も発音の注意はしませんでしたね。
boyさん> それは多分、そんな事言っては失礼だし、ある程度諦めの境地にあるからでは
ないでしょうか?本当はもっと分りやすく喋れよと思ってるのではないでしょうか?
ほほー、超能力でもお持ちのようですね。私がネイティブと話しているのどっかで見ました?
自分がここ何十年かで至近距離で話した百人を越す外国人が皆んなそう思っていたのに、
その口振りからも目つきからも、その後の言動からもそんな単純なことに気付かな
かった鈍感な人だったとは、我ながら情けないです。
普通聞きにくかったら、何回か一度は聞き返されるか筈なんですが。。
「あきらめの境地」というのは日本的発想ですし、初心者に英会話を教える
時なら兎も角、仕事仲間や友だちになった人間には、欧米人は思ったことを
はっきり言うものですがね。。。言葉の行き違いで誤解が生じたこともないし。。
私が散々音声学やらラジオ講座やらを利用して発音をやり、リーディングやリスニングに
どれだけ時間をかけたかご存知の上で、こういうことをおっしゃっているのでしょうか?
推測だけで、このように知らない人間の能力批判する方が余程「失礼」だと思いますよ。
自分のやったような「英語修行」をやらないと英語が話せないとしたら、
私が教えた数百人の生徒で、話せるようになるのは10人もいないので、
そんなにハードルをあげる必要はないという意なんですが。
自分でやった上で、「そこまで、一般的な英語学習者がやる必要があるのか?」
(反語です。。疲れる。。(^^;;)というのが、全体的な文章の流れなのが
お分かりになっていないようです。
自分がやっていないから「発音なんてどうでも言い」と言っていると取って
いるようですが、長い文章に慣れている人なら、そんな取り方はしません。
診断:英語の前に、日本語の読解力不足が顕著ですので幅広い分野での大量の読書をお勧めします。
>>今回の文章で好きなのは「共有」という言葉です。根石さんの意見にだんだん賛同できない部分が出てきたのは実はこの「共有」という部分です。でも根石さんはこの部分は超越しておられると思います。最近の語法問題の増加やきちんとした意味での「コミュニケーション」という言葉はやはり必要だと最近感じています。ただし青山学院大学の本名信行さんなども述べておられます。ナショナリティーやアイデンティティーは大切なものだと思っています。シュリーマンの学習方法などに寄り添う際、ネイティブの語法に気をつけないわけにはいかないと思うのです。というよりお互い楽しく楽に「共有」することのほうがずっと大切なことだと思うのです。
>あまりにも多くのことが、これだけの文章の中に含まれているように思います。実のところを申します。私は、このsbさんの日本語を読解できません。
私も書きながら「なんと焦点の絞れていない文章」だなと感じていました。頭に浮かんだことをそのまま書いてしまったのです。根石さんなら一部でも理解してくださるかなあ、という感じもありましたが。
「共有」という部分に関して書きたかったのはこういうことです。日本人の作ったもの、またネイティブチェックを受けた例文の暗記はとても大切です。シンタックスの獲得、基本構造の定着などの点で必要なものだと信じています。だから700選に取り組んでいます。一方で、「自分が興味・関心のあること」や「相手も理解できるやさしい表現」を使うこともとても大切だと最近感じているのです。ネイティブスピーカーを盲信するわけでもありませんが、外国語の学習にはバランスが大切だと思います。つまり、「ひとりででもできる例文の暗記」と「あいての必要なコミュニケーションの重要性」のバランスです。
また書きながらわけがわからなくなってきました。また書きます。
メールを送りましたので、ぜひご覧ください。
今日のレッスンも、いつもどおり、よろしくお願いします。
>なるべく万人が標準とみなしているスタンダードにあわせた方が得策という単純な理由です。
自己レスです。(これなら誰からも怒られないかな。。)
ネイティブ発音にできるだけ近づけた方が良い、”単純でない”理由は、もし訛りのある誤った発音で英語表現を覚えてしまったら、正統な英語音でその表現を聞いた場合、咄嗟にはその音を正しい表現に結び付けて理解する事が難しくなるからです。カタカナ発音英語を覚えてしまった場合のリスニングでの弊害はこの典型的な例ですね。これはコーチにつかず我流でスポーツを覚えた後で、フォームを矯正をする時の苦労と同じです。やはりまず正しい発音を覚えた後で、表現を記憶した方が、後で散々苦労して矯正するという二度手間が防げます。初心者には特にこの順序で英語に取り掛かってもらいたいです。訛りの無い英語を目指すもう一つの効用は、確かに相手がインド訛りや中国語訛りで話していても意味さえ理解できたら気にならないように、自分がなカタカナ発音で英語を話しても、相手がその発音の聞き取りに慣れていたら、多分コミュニケーションには何ら支障はないでしょうね。でも、自分としてはそういう訛りの激しい人から英語を習おうとはまず思いませんね。特に私は発音重視派ですから。自分としても人に英語を教える時にALTの世話にならなくても良いレベルの発音を(できれば)目指したいですね。これは贅沢な望みでしょうか?自分がそう望む以上、自分が教える人たちにも同じ事を言わざるを得ません。
boysome228さん、
>でも、自分としてはそういう訛りの激しい人から英語を習おうとはまず思いませんね。特に私は発音重視派ですから。
私も発音に興味が出てきたので、訛った英語を習ってみたいです。
できれば10人ぐらい、いろんな地域のいろんな種類の訛りを。
>根石さん
カセットテイプ届きました。ありがとうございました。
全部は聴いていないのですけど、Eliotさんの教え子さんの朗読集という理解でよろしいのでしょうか?
優しくて柔らかい英語であると思います。個人的にはアドヴァイスしたい部分もあります。ですが、中学生でここまでキレイに発音できると、将来が末恐ろしいです。
私の母親が根石さんからの郵便物を見て、こう言いました。
「鋳物屋さんから手紙が来てたわよ」(爆笑)
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
お忙しい中、テープを送っていただきありがとうございました。
すばらしい発音ですね。びっくりしました。
まさに「感じのいい音」そのものですね。
生徒さん方の「英語の音」がとても心地よくて
ずっとずっと聴いていたい気持ちになりました。
昨日はいろいろと貴重なアドバイス、それに電話でレッスンの後もいろいろとご指導いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。それから掲示板に書くときは話がつながるように注意します。私が前後脈絡のない文章を書くことで根石さんにずいぶんご迷惑をかけたことお詫びします。ごめんなさい。
どうも。
お説教めいたことを申しましたが、お気を悪くなさらないように。
英語だけでなく、日本語も大事にしていただきたいと願っております。
多読と「電圧装置」の組み合わせ方の記事、読まれましたか?
流れてしまっていたら、過去ログができるまでお待ちください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
Eliot さんの生徒さんたち、いい音を出しますね。
柔らかい感じがするのは、整った音だがまだ少し弱い音なのかもしれません。
HIRATA さん
姓名の順番を間違えましてごめんなさい。
聞いて欲しかったのは、最後に録音されている Eliot さんの音でした。
ダライラマの言葉を吹き込まれていたと覚えています。
自分の音を鍛え込むのはここまででいい、これから時間を注ぎたいのは授業の方法なんだと
Eliot さんが言われた時の、ここまででいいという質です。
日本人が持ちうる英語音の中で、最上の音だと私も思っています。
アメリカ帰りのアメリカ訛りの音より、私ははるかに好きです。
上手でもあり、きれいでもあるのですが、上手だとか、きれいだとかいうよりも、「感じのいい音」というのがぴったりだと思います。
Eliot さんが吹き込まれた部分はわずかな時間ですが、これだけでも Eliot さんが体現された音はわかります。
お送りしたもののうしろの方にありますから、聞いてみてください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>「鋳物屋さんから手紙が来てたわよ」(爆笑)
これは、HIRATA M さんのお母さんが私の住所を読んで、鋳物屋さんからの手紙だと思われたということです。
長野県更埴市鋳物師屋というのが、現在の住所です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>私も発音に興味が出てきたので、訛った英語を習ってみたいです。
できれば10人ぐらい、いろんな地域のいろんな種類の訛りを。
贅沢なことをいう人ですね。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
多読(ペーパーバックス等での読書)と「電圧装置」との組み合わせ、是非やってみてくれませんか。
この掲示板では、今のところ「回転読み」しか話題になっていないような感じですが、「どんでん」に書いたいくつもの方法は、相互に関連があり、「電圧装置」も大事な練習方法です。
これを実験して、自分の英語の変化を報告して下さった人はいまのところいません。
村田君は、大学受験の時に、旧版の「英語のやっつけ方」で「電圧装置」のやり方を理解してやったところ、受験に大いに役立ったと言っていました。
ですから、sb さんがやられる場合は、村田君が先輩ということになります。
なお、現在、べいべさんと Naima さんが「回転読み」を実験してくださっています。
べいべさんは日本で英語を対象に、Naima さんはハンブルクでドイツ語を対象に始めてくださいました。sb
さんは、「回転読み」については、このお二方の先輩ということになります。
相互に掲示板で話してみてください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>ネイティブ発音にできるだけ近づけた方が良い、”単純でない”理由は、もし訛りのある誤った発音で英語表現を覚えてしまったら、正統な英語音でその表現を聞いた場合、咄嗟にはその音を正しい表現に結び付けて理解する事が難しくなるからです。
この部分は賛成です。ネイティヴの音をきちんと媒介にして「音づくり」すべきだと私が考える根拠は、聞き取りが楽になるからということがあるだけです。それ以外に、ネイティヴ音を尊重したり崇める理由はありません。
机上の練習では、アングロサクソンの音で練習するのでいい。イギリス→アメリカ・カナダと流れた音の流れが備えているもともとの音の繊維を備えた音のことです。英語の源流から中流にかけての音です。やつらの植民地主義や尊大さをひとまず棚にあげて、アングロサクソンでいいよと思っているのです。
インド英語はよく知りませんが、私はネパールの英語の音は好きでした。10日ほどネパールにいましたが、まるで尊大さのない音でした。ネパールにせよ、インドにせよ、地付きの言語の音と混ざった音が、よく練り込まれて再生産が繰り返された結果、独特の音を作り出しています。シンタックスが英語のままに駆使できているならば、これは英語としてまともな英語です。だから、インドの英語もネパールの英語もまともな英語です。
モデル音として媒介にするのはアングロサクソンでいいや、と思っています。アメリカとの商売はでかいのだし、これからも日本はアメリカにモノを売っていかなくてはならないのだろうから、と。
モデル音はアメリカの音でいいやとどこかで書きましたら、「アメリカでいい」とは何事であるか、「アメリカの音でやるべきだ」と反論されたことがあったような覚えがありますが、私は今でも、「アメリカでいいや」という感じです。
私がこだわるのは、アメリカ音のコピーをやるべきではなく、アメリカ音を「媒介」にすべきだという点です。日本語音を起点にして、アメリカ音を「媒介」にすべきだという考えです。そっくりになるならなるでいいが、貫かれていなければならないのは、語学の主体がアメリカ音を媒介にするという姿勢です。
コピーして、そっくりになることがいいことだというようなお馬鹿な考えが大手を振っているのがアホらしいと思っています。
ここから、私は「中間項」ということを考えています。
語学の本領は「中間項」にあるという考えです。
Eliot さんから非常におかげをこうむって作った、「ゆでたまごを唇でくわえる感じ」「一瞬般若」「診察室のアーン」など、独特の言い回しを、私は「電話でレッスン」で駆使していますが、ここでひとまず穫れる音は「中間項」だと思っています。これが確保できると、急にネイティヴ音を媒介にするのが楽になります。
また、英和辞典を調べた時、一つの英単語に対していくつかの訳語がある場合、この複数の訳語を煮詰めて一つのイメージにしろと私はよく人に言います。ここで作られたイメージが、ネイティヴの人がその単語に対して持っているイメージの核とずれている場合はありえます。しかし、それでいい。ひとまずは自分なりのイメージを作れと言います。ひとまず自分なりのイメージがしっかりとできれば、その同じ単語に読書などで何度も何度も出会っているうちに、次第にイメージの核はネイティヴが持っているイメージの核に重なっていく。
まずは自分なりのイメージを作る。その時のイメージも「中間項」です。
これまでの語学論というものは、この「中間項」というものを無視してきたと思われてなりません。
「中間項」がちゃんと作れれば、ひとまず使えるのです。
使っているうちに、だんだん自分の英語ができてくる。それでいいと思っています。
boysome さんには多少、ネイティヴ音信仰の臭いがある。
それが、恋人ファンさんの勘に触ったのかもしれないと思いました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
どんな調子ですか。
俺、旦那さんを相手にレッスンしたくなった。
Naima さんは放っておいても大丈夫な人だと思う。
まあ、素読舎方式でかせげるものならかせいでほしいと思うけど、素読舎自体が地元から干されてきた塾だってことは覚えておいてね。
Naima さんより、旦那さんの方が、商用にせよ、コミュニケーションにせよ、何にせよ、じかに外国語が必要なんだなと思ったんだよ。
俺のレッスンは、今、現に、じかに英語が必要な人に評判がいいです。
日本語の縁、外国語がうち寄せている波打ち際にいる人に評判がいいので、俺は旦那さんのレッスンをやりたいと切に思う。
Naima さんは、また俺の塾を見に来たりもできるし、掲示板でああやれこうやれとアドバイスしたりもできるから、一人でやっていける人だと思ったな。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
「回転読み」、どんな調子ですか。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>自分でやった上で、「そこまで、一般的な英語学習者がやる必要があるのか?」(反語です。。疲れる。。(^^;;)というのが、全体的な文章の流れなのがお分かりになっていないようです。
>自分がやっていないから「発音なんてどうでも言い」と言っていると取っているようですが、長い文章に慣れている人なら、そんな取り方はしません。
この場合の、はらわたの煮えくり返るような思いは共有できます。
私もこの掲示板一つのつきあいで、はらわたが煮えくり返るような思いは何度かしました。
まあ、しかし、boysome さんを斎藤さんに比するのはちょっとひどいと思いますが。
斎藤さんは、何を言っても駄目でしたが、boysome さんはそんなことはないと思っています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>ネイティブ発音にできるだけ近づけた方が良い、”単純でない”理由は、もし訛りのある誤った発音で英語表現を覚えてしまったら、正統な英語音でその表現を聞いた場合、咄嗟にはその音を正しい表現に結び付けて理解する事が難しくなるからです。
再度読んでみましたが、どうもひっかかるのは「正統な英語音」という言い方です。
正統も糞もないと思っております。
「正統」の根拠は政治力や経済力にほかならないと思っています。
アングロサクソンがこの方面で強いのです。それだけの話です。
政治力や経済力を本当にきれいに捨象できれば、インド英語もまともな英語なのだということがおわかりでしょうか。
日本英語は、シンタックスが駆使できないものが多いし、クレオール化すらする気配はありませんので、まともな英語とは言えないと思っています。しかし、アメリカ英語のアホ版(コピー版)に転ばなければ、この英語のシンタックスが駆使できない日本英語こそ未知の可能性を秘めたものではないかという妄想に類するものを私は抱いています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>boysome さんには多少、ネイティヴ音信仰の臭いがある。
それが、恋人ファンさんの勘に触ったのかもしれないと思いました。
この点(=ネイティブ発音信仰)は相当なものだと自認しております。多少どころではなく、筋金入りです。より正確に言えば、世界的に標準英語と考えられているアメリカ、イギリス英語のことを指していっています。インド人やフィリピン人も母国語が英語ですから彼らも英語ネイティブと言えますが、これらは方言と言えるので私はあまり真似したくありません。中国人の英語はネイティブ英語とはいえません。彼らは英語が母国語ではありませんので。英語に似た別の言葉と言った方が適切かも知れません。
スタンダードの真似をするのは良いことだと思いますが、結果として全く訛りのない英語になるべきだとまでは思っておりません。目的は、相手の言う事(更に映画、英語のTV番組など)が100%理解でき、ナチュラルスピードで話せ、かつ英語ですらすらと考えられる、相手もこちらのいう事を理解するのに全く差し障りがないというレベルに達したところまでと思っています。要するに、コミュニケーション、思考の道具として問題のないレベルに達しておればよいというように思います。お気づきのように、これでも相当高い目標と言えるでしょうね。
人間の言葉というものは大変不思議なものです。私も相当長いこと英語をやっていますが、発音や聞き取りの練習をしていて、未だに新たな発見に出くわすことがあります。まだまだこの先、何が起こるか分らないという心境です。そのためにも、もうこれでよいと自分で納得できるレベルに達するまではネイティブ発音信仰を止めるつもりはありません。
P.S.: この掲示版は皆さんのお陰で大変居心地よくなりました。恋人ファンさんのcaveman
mode程度は何ら問題なく受容できます。遠慮がちに物を言い過ぎると、核心をついた議論はできません。掲示版ですから少しばかりヒートアップした方が面白いのかも知れません。
boysome228さんのおっしゃっていることもよくわかります。私自身、
ネイティブそっくりを目指して、アメリカ英語やイギリス英語の
ものまねは相当やってきましたし、できるだけ日本語訛りのない
英語発音ができるように今でもネイティブ英語に耳を傾け、音読
練習を続けていますから、はたから見るとこれは相当な発音フリーク
と言えるでしょうね。
数日前に同僚のイギリス人青年ALTに「私の発音に日本語訛りを
感じる部分(音)があるか」とたずねたところ、「ない」と言われ
ました。彼は日本に1年ほど住んでいますが、いわく「今まで知り
合った日本人で、日本語訛りのない英語発音ができる人は二人しか
いない。あなたはその一人だ」
もちろん、boysome228さんの言われるように、この先新しい発見が
あるかもしれませんので、勉強は続けたいと思いますが、もう
ネィティブ音を追い求めていく必要はないと考えています。それ
よりは、この自分の発音を生徒にどう伝えていくのかということに
力を注ぎたいのです。
>目的は、相手の言う事(更に映画、英語のTV番組など)が100%
>理解でき、ナチュラルスピードで話せ、かつ英語ですらすらと
>考えられる、相手もこちらのいう事を理解するのに全く差し障りが
>ないというレベルに達したところまでと思っています。要するに、
>コミュニケーション、思考の道具として問題のないレベルに達して
>おればよいというように思います。お気づきのように、これでも
>相当高い目標と言えるでしょうね。
boysome22さんは、以前この掲示板でネィティブ発音(アメリカ
西海岸発音)を必要とするという自称俳優さんが展開した「100
%聞き取り論議」をご存知でしょうか。大風呂敷の記事の過去ログの
125にその人は初めて登場し、それからしばらく100%聞き取り
論議が続きました。よろしければ、そのときの経緯を追ってみてくだ
さい。
私は英語の音の100%聞き取りなどできません。できるようになる
ために残りの人生の時間を費やして努力しようとも思いません。私に
とって英語は飯の種ですから、仕事が能率よくできるように英語の
力を付けていくことが必要なことは当然ですが、その勉強の中に
「英語の100%聞き取り」は含まれていません。そんな能力は
優れた日本語ネィティブ英語教員には不要だからです。
もっと正確に言えば、不要であり、かつ不可能だからです。何語で
あれ、外国語が100%聞き取れるようになるなど、ありえない
話です。母語でもそんなことはできないのに、外国語でできるわけが
ありません。
100%というのはあくまで100%です。99.9999%では
だめです。映画を見ていて、歌を聴いていて、ある箇所が速すぎたり
不明瞭だったりして、聞き取れない経験はありませんか? 英語では
なく、日本語での話です。私はあります。ですから、私は日本語の
聞き取りが100%できるということはないのです。その私が英語の
聞き取り100%ができるようになることを目指すのは、むだな努力
です。
boysome228さんのお仕事が何かは存じませんが、仕事で要求される
英語のレベルが「相手の言う事(更に映画、英語のTV番組など)が
100%理解でき、ナチュラルスピードで話せ、かつ英語ですらすらと
考えられる、相手もこちらのいう事を理解するのに全く差し障りが
ないというレベル」なのですか。あるいは、趣味あるいは特技と
しての英語の到達目標として、そんなに高い目標を持っておられる
のですか。
私はおそらく一生英語に不自由しながら生きていくことでしょう。
それでいいと思っています。これはあきらめではなく、悟りです。
少なくとも私にとってはそうです。その不自由な英語を操り、友人を
作り、生徒を教え、生活の糧を得ることができるのであれば、勉強を
してきた甲斐は十分にあったと思っています。
根石さんが送ってくださった生徒の英語音読の録音は、彼らの中学
卒業記念として作ったもので、録音は今年の3月に行いました。
彼らが読んでいるのは、それまでに学習した課のうちで暗記暗唱まで
課せられた文章ばかりなので、相当読み込みをした英文です。
生徒の発音には相当差があります。例えば、一番最初に Mika's
Speech Mika gives a speech...と読んでいる少年は抜群に
上手ですが、中にはrの音が出せず、ラ行の音になっているような
生徒たちもいますし、三年間私から言われ続けても、thの発音が身に
付いていない人もいます。
しかし、彼ら全員が教科書を音読できます。また、彼らの教科書には
カタカナの書き込みはまったくありません。英語の音をカタカナで
書くという習慣がないのです。また、英語の音が出せる、教科書を
音読できるということは彼らにとって大きな誇りであり、そのお陰で
英語嫌いがほとんどいません。たとえテストの点が悪くても、英語は
好きという生徒が多いのです。
昨日の文化祭で、四月に入学してから私の指導を受けている高校一年
による英語暗唱大会を行いました。出場したのは二クラスの生徒(約
90名)の中から希望した18名でした。発音が上手なのに、希望
しなかった生徒もいたので、必ずしもベスト18というわけではない
のですが、非常にレベルの高い暗唱を聞かせてくれました。
18人のうち、二人だけは小学校低学年のときに英語圏に滞在した
経験を持っていますが、他の16人は中学校の英語学習の過程で
英語の音作りをほとんどしていない、普通のカタカナ発音の持ち主
だった生徒たちです。そういう彼らですが、週3回の授業で訓練を
受けてきた成果を発揮し、数ヶ月前に比べると別人のような発音を
するようになっています。
録音状態があまりよくないのですが、この18人の発表の様子を
カセットに入れてありますので、根石さんにお送りして、聞いて
いただくつもりです。
>あまりに性格的に似ているのであまり好きではないのです。
東後先生の性格とご自分の性格が似ているということがどうやって
わかるのでしょうか。著作の内容からですか。また、性格的に似て
いる人のことが嫌いということが私には理解できません。ご自分の
性格も嫌いということでしょうか。
>私も発音に興味が出てきたので、訛った英語を習ってみたいです。
できれば10人ぐらい、いろんな地域のいろんな種類の訛りを。
もっこりさん
同じ文章や会話を いろんな地方の訛りで読んだテープなんてのは
どうでしょうね。発音のコツつきで。
アメリカ北西部 南部 カリフォルニア訛り
イギリス カナダ オーストラリア シングリッシュ インドの英語
案外 売れたりして。
>より正確に言えば、世界的に標準英語と考えられているアメリカ、イギリス英語のことを指していっています。インド人やフィリピン人も母国語が英語ですから彼らも英語ネイティブと言えますが、これらは方言と言えるので私はあまり真似したくありません。
より正確に言えば、アメリカ英語は方言ですから、boysome さんはあまり真似しないほうがいいということになります。
世界的にアメリカ、イギリス英語が標準英語だと考えられているかどうかは私は知りません。英語の源流に近いものがイギリス、アメリカ英語だというのならわかりますが。
ことは、勢力と政治の問題なのです。
それに抵抗感のない人と抵抗感を持っている人がいるのです。
boysome さんには抵抗感がまるで感じられない。
信仰であるゆえんです。
語学をやって、勢力や政治が見えなくなる信仰に入るとは困りものです。
型に入って、型を出る。
「私はまだ型に入っていく段階なのだ」と言えばいいところなのだと思います。
信仰にする必要はありません。
方言を一段低いものに見る必要もありません。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
標準英語というものがあるとすれば、英語をネイティヴ言語としない人たちがしゃべっているうぞうむぞうの英語だと思います。
ところが、この英語には基準というものがない。だから「しょうがないから」アメリカ音でも基準にするか、ということだと私は認識しています。
本来、「しょうがないから」やっているだけのことを信仰にすることはアホくさいことではないでしょうか。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
英語の力を付けていくことが必要なことは当然ですが、その勉強の
中に「英語の100%聞き取り」は含まれていません。そんな能力は
優れた日本語ネィティブ英語教員には不要だからです。
↓
優れた日本語ネィティブ英語教員になるためには不要だからです。
世界的な意味での標準英語など存在しません。通じやすい英語と
通じにくい英語があるだけです。発音について言えば、通じやすい
英語とはCNNのアナウンサーたちが話している英語の発音です。
ところが、彼らの話している英語の発音は一様ではなく、アメリカ
英語、BBC英語、オーストラリア英語、(BBC英語に近い)シン
ガポール英語など、様々です。
その中でも日本人学習者が利用しやすい(ラジオやテレビの講座、
教科書の録音教材など)のはアメリカ英語の発音を真似すること
でしょう。他のものをやりたくとも、アメリカ英語発音の教材しか
ないので、とりあえずアメリカ英語発音を基準に練習するのが
現実的です。そして、アメリカ英語の発音が上手にできるように
なれば、世界中どこに行ってもその英語はよく理解されるでしょう
から、その意味でも現実的な選択でしょう。
しかし、根石さんがおっしゃるとおり、これは、本来「しょうがない
からやっていること」だと思います。何もアメリカ音が美しいだとか
他の英語に比べてすぐれているとかいうことではありません。
>録音状態があまりよくないのですが、この18人の発表の様子を
カセットに入れてありますので、根石さんにお送りして、聞いて
いただくつもりです。
楽しみにしています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ネイティヴのコピーを作ることではない。
生徒の中に「中間項」を作ることだ。
こちら岸と向こう岸の間に橋をかけ、橋のまんなかあたりまで歩かせてやれ
れば上出来なのだ。
後は、生徒は自分で歩く。
こちら岸へ戻ってきちまうやつが大半だが、何人かは向こうへ歩いてくれる
だろう。
英語教育をやる人がネイティヴもどきになった場合が最悪だろうと思う。
ネイティヴもネイティヴもどきも、なるほどなめらかに英語をしゃべり英語
で考えたりするかもしれない。
しかし、生徒はただ珍獣でも眺めるように眺めていることしかしないだろう。
技(音やシンタックスを生徒に根付かせる技)を持たないネイティヴもどき
がこれから増えていくだろうが、そうなればますます日本の英語に希望はな
い。
岸寄りのところまで
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今の投稿の最終行はゴミです。失礼しました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ありますよ。いろんな訛りの英語を聞けるテープやCDとか、
解説本が売っています。
↓は一人のアメリカ人が演じ分けているものです。参考になると
思いますが、Amazon.comのユーザーコメントでは下手だとけなされて
います。でも、私たちが聞くと、ああ、こんな感じなのか〜と、
雰囲気は十分伝わりますよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-us&rank=+salesrank&field-keywords=dialect%20monologues&bq=1/ref=sr_aps_all_eb/249-2345762-1132336
↓こちらはイギリスの各地の訛りの解説本で、テープも買えます。
録音を聞いたら、ぶったまげますよ。さっぱりわかりませんから。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0340614455/qid=1032164234/sr=1-4/ref=sr_1_0_4/249-2345762-1132336
もうひとつありました。これは世界中で母語あるいは公用語として
話される英語を解説した本です。録音も売っています。これは
本当に世界各地の出身の人たちの声の録音なので、参考になります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0340808349/qid=1032165054/sr=1-4/ref=sr_1_0_4/249-2345762-1132336
>同じ文章や会話を いろんな地方の訛りで読んだテープなんてのは
>どうでしょうね。発音のコツつきで。
>アメリカ北西部 南部 カリフォルニア訛り
>イギリス カナダ オーストラリア シングリッシュ
>インドの英語
>案外 売れたりして。
最後に紹介したやつがほぼそれです。
International English: A Guide to the Varieties of Standard English
という本と録音です。
根石さんにも言った事があるのですが、 頭に血が昇ると「後で平身低頭で謝る羽目になったとしても、この場は取りあえず勝っておきたい」性分なのです。 改めようと思った事もありますが、業みたいなもんで改めるのは止めて其の都度謝る事に決めてます。 平身低頭 m(__)m
可愛い居候連中が今晩日本に発ちます。私のHPも修復のメドがたったので、いよいよ本格的にお勉強に専念出来ます。
私が「英語どんでんがえしのやっつけ方」を初めて読んだ時、すぐさま、この根石さんという方
は日本英語がcreole化された場合の、あるべき日本英語の姿を考えているのではないか、また、そ
れを追い求めているのではないか、と直感しました。
・通じないのでは困るが、通じさえすれば、日本人は日本型英語をどんどん使うべきたというのが
私の考えです。(同書12頁)
・日本型英語、あるいは日本英語をきちんと位置づけたい。それが、この本を作る動機のひとつで
す。(同書12頁)
pidgin Englishでしかない日本英語が、もしcreole化されると想定すれば、発音に関して言うと、
日本人は日本語訛りの英語を話すようになるでしょう。その場合の理想的な日本語訛りの英語のス
タンダード作りを根石さんはされているのないでしょうか?私はそのように理解しています。
そうであれば、発音は通じるレベルまで達成されていればいい訳で、それ以上の発音を追求した
い人はどうぞご勝手に、ということになるでしょう。私はこの考え方が正しいと思います。とうこ
とは、ネイティブ級の発音になるにはどうしたら良いのか、また、それを目指すべきか否かという
議論はこの掲示板にそぐわないと思います。私もずっと発音を習って来て、そこそこの発音はでき
ますが、ここの掲示板にやって来た理由は"英語のやっつけ方"の実践と理論をもっと知りたいと思
ったからなのです。
なお、"pidgin"と"creole"の考え方については「英文法の謎を解く」(副島隆彦著 ちくま新書)に
依っています。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp