>このまま順調に回転読みを続ければ絶対ものになるぞ、との実感をすこしづ
つ得はじめると、あれだけやる気のなかったドイツ語に対しての意欲も湧い
て来ています。
こういうのが、うれしい言葉というものです。
姉御、どんどんやれよ。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
[d]なんかの連続が、エイトビートがフォービートになるような感じで言え
ないという問題は、音読(回転読み)の回数の問題に帰着すると思います。
Eliot さんの舌の位置に関する説明をよく消化した上で、なにはともあれ、
回数を回すこと。音が安定したら、徐々に回転を速くしていくこと、あたり
がポイントかと思いました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
初めまして。
よろしくお願いいたします。
全国に散在するまともな英語の先生たちが、ここへもっと出てきてくれること
を願っていますが、皆さん、何か差し障りがあるのかどうか、出てきてくれま
せん。
若いもんが、蛮勇くらいなくてどうするのか、と思うのですが・・・。
なにはともあれ、よろしくお願いいたします。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
俺って、「なにはともあれ」ってのが、口癖かもしれない。
なにはともあれ、寝る。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>姉御、どんどんやれよ。
がってんでがす。
Eliotさん、ありがとうございました。
舌の先の位置が少し変化しただけでも音が変わっていくのですね。
自分の感覚ですがずいぶんよくなったように思います。
根石さん
回転読みの回数の問題に帰着するとのこと、おっしゃるとおりに思います。
連続すると舌がついていかないので、音が英語らしさを失ってくるのですね。今は100回以上の音読が必要に思っています。(2語、3語くらいの文なので100回もたいそうなことではないのですが)
また、この語数の文ですと、連続して10回は回転させようと挑戦しております。
>全国に散在するまともな英語の先生たちが、ここへもっと出てきてくれることを願っていますが、皆さん、何か差し障りがあるのかどうか、出てきてくれません。
差し障りがあるのか忙しすぎるのか この掲示板を知らないだけか、教師の研修会でじゅうぶんなのか。
全国に英語教師はいったい何人いるのでしょう?
私も 中学高校 英語教師の生の声をもっとききたいです。
教師の情報交換は研修会、英語教育雑誌が中心と思いますが
この掲示板にも 来てくれないかなあ。
英語にかかわるいろんな人々が 立場をこえて話し合えるといいですね。
>全国に英語教師はいったい何人いるのでしょう?
公立中・高の英語教師は6万人いるそうです。私立を足すと
10万人以上でしょうか? これに学習塾と予備校、英語教室、
さらには小学校で英語を教えるはめになった教員を足すと
相当な数でしょうね。
Eliotさん
10万人ですか。 ここへももっと参加して欲しいですね.
教師のHPがあったら お誘いの書きこみでもしてみます。
学校教師の研修会は閉ざされた世界かと思っていたら
英語教育 達人セミナーというのを みつけました。こちらは 学校の英語教師でない者も参加可能とか。
もうちょっと 体調が回復したら 参加してみたいです。
http://homepage1.nifty.com/goto/eigo/tatsusemi/index.htm
「英語情報ポータルサイト エイゴタウン」というサイトがあります。
http://www.eigotown.com/
このサイトは便利な情報が集まっていて便利です。
この中に、英語教師のためのリンク集があって、英語教師のメーリングリスト、掲示板などの情報も集まっています。
Jackieさんの「達人セミナー」へのリンクもあります。ダイレクトにリンク集に行くなら↓から。
http://www.eigotown.com/shokuin/resource/index.shtml
(余談)
実際に参加はしていないし直接関係があるわけではないのですが、「達人セミナー」と縁がありまして、ここでも紹介しようかなと思っていたら、ちょうどJackieさんの投稿で紹介されておりうれしく思いました。
私が今行っている音声授業は、日本の学校ではほとんど行われていません。それはみなさんよくご存じのことだと思います。はっきり言って異質なことをしていると自分ではよく分かっていますが、生徒の反応はとてもいいです。少なくともだらだらと文法を説明して、カタカナ発音で音読させるよりよっぽど活気があります。何より、何も隠さずありのままを見せた授業参観では、「目から鱗でした」「私もあんな授業を受けたかった」「今後とも是非続けてください」というお褒めのことばしかありませんでした。国が考えている英語教育と、子供たちがそして親たちが求めている英語教育にはまだまだ大きな違いがあるのだと思います。具体的にどういう授業かは今後少しずつ書こうと思います。文法の授業を削ってまで音声教育をしているので今現在文法の力は十分ではありませんが、何度も正しい音で読む練習をしていこうと思っています。「量はいつか質にかわる」、音声教育は100利あって1害なしだと思います。
>新しいことをやる時間を「もぎとる」ことができるかどうかは、一週間
の間の練習の質次第です。具体的には、まずは音読の回数を増やしていた
だくことで対処できるはずです。まずそれをやっていただきたくお願いい
たします。
レッスン日だけ練習することもありました。何とか時間をうまく作りとにかく「ゴースト」を終わらせたいです。「ゴースト」を終わらせるのは私にとってたいへんです。「ゴースト」を終わらせることにどれだけ意味があるか今の私は本当に理解していません。でも最近、初見の文の10数回程度の回転だけで5回連続できるようになることが多くなってきました。とてもうれしいことです。これはたいへんなことです。「電話でレッスン」の収穫です。確かに700選もいろいろあるようです。エリオットさんにもいろいろ教えてもらいました。根石さんの丁寧な解説プリントもいつでも参照できるように送っていただきました。700選はシンタックスの内在化(文語体口語体共に)と割り切っています。コロケーションや現代の用法などの頻度(つまり本当に頻繁に使われてそれが相手にとってもイメージしやすく、コミュニケーション上もよい使い勝手のよいチャンクや文)もクリアしなければなりません。まずは、根石さんのアプローチで「質」を確保する。その次に「英語のあふれ」としてそれこそ千田さんらのコレクションの文(1語〜せいぜい7・8語までくらいの文)や「今・ここ・私」に「近しい」ものを少しでも多く「アウトプット」することで「インプット」していきたいと思っています。今後ともいろいろアドバイスをよろしくお願いします。
>advertisement 米/"adv&r'taizm&nt/ 英/&d'v&:tism&nt/ 以外にも
vase 米/veis/ 英/va:z/
laboratory 米/'lab&r&"to:ri:/ 英/l&'bor&tri:/
など、たくさんありますよね。
&はschwa?ですね。laboratoryの英音、知りませんでした。私はlaboratoryは米語で、advertisementは英語と米語が自分の中に混在していることを、いま意識しています。
発音の基本書を作られるのなら、付属CDはエリオットさんの音がいいと思います。本当に発音に関する出版物はお粗末過ぎます。エリオットさんに教えていただいた「発音パーフェクト辞典?」で、初めてほぼまともなものに出会いました。でもエリオットさんが初心者向けの本当に基本的なものを出版されることで、「日本人の日本人による日本人のための英語発音(音読)基本書」の誕生です。楽しみにしていいですか?「発音パーフェクト辞典」を読んでの質問がいくつかあるのですが、この「大風呂敷」で質問させていただいてもよろしいですか?
題「発音の基本書」
5行目:英語と米語(×)
英音と米音(○)
マクミラン英英辞典、ありがとうございました。
作りが大修館のジニアス英和っぽい感じがしました。大きな意味を持つ語には最初にキーワードを羅列してあるところなんか。
ロングマンのとはまた趣が違ってますね。
ハリウッドアクション物を見てると無線交信中に Juliet, Hotel とか言ってます。あれ、アルファベットを聞き間違わないようにしてるんですね。
Phonetic Alphabets というらしいです。名前を知らなかったので、しばらく全部の文字についての言い方がわからなかったのですが、ようやっとわかりました。
ラジオで盗難車両のナンバーを言うときに『「あ」は「あひるのあ」』と言ってるのと変わらないんですが、ちゃんと言い方が決まってるんですね。
A=Alpha / B=Bravo / C=Charlie / D=Delta / E=Echo
F=Foxtrot / G=Golf / H=Hotel / I=India / J=Juliet
K=Kilo / L=Lima / M=Mike / N=November / P=Papa
Q=Quebec / R=Romeo / S=Sierra / T=Tango / U=Uniform
V=Victor / W=Whisky / X=X-ray / Y=Yankee / Z=Zulu
以上は、NATO制式。ハリウッドはほぼこれ。
他にも英国空軍やらなんやらで微妙に違ってるんですが、興味のある方、詳しくはこちらを参照してください。
http://www.soton.ac.uk/~scp93ch/morse/fp5.html
ちなみに、「ベトナムもの」で米軍が南ベトナム民族解放戦線をCharlieと呼んでいるのは、Viet
Cong => V.C. => Victor Charlie から来ているようです。
「それでも英語やりますか─英語病を克服しないと英語も上達しない!」(藤田悟 編著:洋泉社MOOK)という本を読みました。著者は大学の先生です。
冒頭の総論的な部分を読んでいて、根石さんの言ってることとかなり近い感じがしました。
例えば、語学をする理由。
著者は、現代日本で英語(外国語)を学ぶ理由は、文化的価値のみ、と言ってます。
「英語を学んだ非英語人は、英語の言語世界のことを知ることができるが、同時に英語以外の言語の世界(自分の母語の世界)も知っている、英語を使う場面ではそれなりの英語的作法・思考法で自分を表現したり情報を得たりする一方で、英語以外の言語世界でもそれにふさわしいやり方で考えを整理したり、表現したり、発想したりすることができる。一人の人間の中に複数の言語世界が共存していることになる。言語は特有の発想法や文化的色づけを伴っているから、複数の言語世界に生きていれば、一人の人間の中に矛盾・葛藤が生じてくることは避けられない。自分でバランスよくコントロールしないと、人格の統合が破壊されてしまうことさえあり得る。
複数の言語を一人の人間が使うということは、そこに生じる矛盾や葛藤を引き受けることになるが、同時にいろいろな意味で活力のもとにもなる。これと比べて、(たとえば)英語一色の世界にしか生きていない人間の貧しさというものは容易に想像することができる…(p.33-34)」
根石さんは、英語をやる理由のひとつとして、「語学をすることによって日本語の言葉の富が豊かになる、そして英語側の富も豊かになる」ということを挙げていましたが、相通ずるものを感じました。
この本には、國弘正雄さんへのインタビュー「英語は必要悪です」と、著者とピーター・バラカンの対談「わたしが日本語を話せるようになるまで」というのが収録されてます。ピーター・バラカンの部分はまだ読んでいませんが、面白そうです。
>私はlaboratoryは米語で、advertisementは英語と米語が自分
>の中に混在していることを、いま意識しています。
私も混在してる単語あるなあ、と思いました。振り返ると、受験の時に覚えた単語がそんな感じです。
>「日本人の日本人による日本人のための英語発音(音読)基本書」の
>誕生です。楽しみにしていいですか?
ぜひ本は作りたいと思っています。あまり先のことにならないように
取り組むつもりです。
>「発音パーフェクト辞典」を>読んでの質問がいくつかあるのですが、
>この「大風呂敷」で質問させていただいてもよろしいですか?
どうぞ何なりとお願いします。
どんでんとHPの中にある この言葉はインパクトありますね。
根石さんの次の著書のタイトルにぴったり。
------------------------------------------------------------
A/o:r/の/r/を発音する習慣のない人は、/o:r/は@の要領で/o:/と
発音すればよい。あくまで/ou/との区別をつけるようにすること。
一方、/o:r/の /r/を発音する習慣のある人は/o:r/の出発点の音は
日本語のオに聞こえる音でありさえすれば問題ない。
------------------------------------------------------------
上の記述に補足します。
/o:r/の/r/を抜いて発音しても一向にかまいません。無理に/r/を
言おうとすると/o:/の母音がきちんと発音されずに間違った音に
なってしまう心配があります。"Of course."と言うつもりで、
"Of curse."と発音した大学生がいましたが、これではだめです。
/o:r/の/r/を発音しない人は、語末に/o:r/が来る場合に/o:/の
代わりに/o:&/のように/&/(=あいまい母音=さかさe)をつけて
言ってもいいと思います。そうすれば、/ou/との区別がいっそう
はっきりします。語中でも/o:&/と発音してもいいのですが、
言いにくいと思いますので、語中では/o:/と「むきゆで卵くわえ」の
要領で言えばいいでしょう。
例えば
store /sto:&/ ただし storm は /sto:m/
for, four /fo:&/ ただし fork は /fo:k/
このように storeとstormの母音として/&/ありとなしの二種類を使う
ことは英米人の間にも存在することであり、決して間違いではありません。
東京・nishiazabu さんが、
<クラス十十五・(岩登り)> から
<クラス十十十・(ヒマラヤ)> へ進まれました。
おめでとうございます。
Nishiazabu さん
いよいよ、本格的に追いつめます。
東京・I さんをご紹介いただいた時から、レッスン枠は5分延長が可能に
なっています。次回のテスト範囲が増えすぎるからということで、延長を辞
退なさることがありましたが、この<ヒマラヤ>クラスをしばらくおやりに
なると、この5分が実に貴重だということを実感なさるのではないかと思っ
ております。どうぞ、ご活用下さい。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
根石先生こんにちは 佐賀Kです
皆様 初めまして
「電話でレッスン」を始めてから、2ヶ月程経ちましたので、少し感想を
書いてみたいと思います。
パソコンの初心者である私は、ネットサーフィンがおもしろくあちこちで
「ホームページ」を楽しんでいました。その時「素読舎」を知りました。
今年の5月のことです。「素読舎」は中身が濃く1ページ1ページが、花火が
ドカンと上がるくらいに迫力があって本当にびっくりしたものです。
共感するところが多く、早速「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読みました。この本を読んでしまってからレッスンの申し込みをしようと思って
いましたが、根石さんの時間枠が埋まらないうちにと思い、50ページ位
読んだところで申し込みをした次第です。
でも早くレッスンを受け始めてよかったなあと思いました。
「回転読み」はとてもおもしろいです。
初めての文を読む時、口は重く頭も重いのですが、くるくる読んでいく
うちに、口が少しずつ軽くなって頭もすっきりしてきます。一文につき
100回程読むと音が安定してきて口がなめらかになってくるようです。
50回ずつ分けて読む時もありますが、やはり連続して100回の方が感触が
違い、その後の練習も楽になるように思います。
私は17.8年程前に、国弘正雄さんの「英語の話しかた」という本を読み
ました。その中で「只管朗読」という言葉と「中学校の教科書を500回
ないしは1000回も読んだ」ということが、とても印象に残りずっと頭の
片すみにありました。
かといって何をするでもなく、気まぐれに「NKHのラジオ講座」を聴いたり
「テレビ講座」を見たり英会話学校に行ったり・・・
恥ずかしいのですが、何一つインプットすることもなく今日まできて
しまいました。
もう一度英語をやり直したいと思った時に、根石さんと出会うことが
できたことを大変感謝しています。それと同時に幸運に思っています。
また、私が大切に持っていた国弘さんの本が(ここでは新しい方の本
ですが)たびたび登場するので嬉しいです。
話は変わりますが、13年程前に「松香フォ二ックス研究所」の
「フォ二ックス講習会」と「発音クリニック」に参加したことがあります。
「フォ二ックス」(音と文字の関係)は、新鮮で興味深くその後
スペリングを覚えるのにとても役に立ちました。 「クリニック」の方は
今のことは知りませんが、その頃は30人程のクラスでネイティブの先生が
すべて英語で講義されたので、初級者である私にはよくわかりませんでした
それに根石さんもおっしゃっているように、ネイティブの人には日本人の
口の動かし方は、わからないと思いました。
「電話でレッスン」は1対1で丁ねいに教えていただけるので、
よくわかります。
「apple]の「a」は参考書などには「口をエの形にしてア」とか
「アの形にしてエ」とか書いてあって、口がまごまご、もぐもぐしてしまい
ます。でもレッスンでは、その音を「一瞬般若」とか「口の両端をつり
上げて」と教えていただいたので、パッと出せるようになりました。
それでは根石先生 これからも御指導よろしくお願い致します。
皆様 いろいろとアドバイスをよろしくお願い致します。
初めに少しと言っておきながら、だらだらと長くなってしまい
申し訳ありません。
「電話で
これは失敗しました。
すみません。
よろしくお願いします。
発音パーフェクト学習事典の175
押してしまいました。175ページの子音が4つ続く場合に関してです。
twelfthsとglimpsedではなぜ後者が発音しやすく、前者が難しいのかということです。
もうひとつはtexts4つ続く子音の中の最後の/ts/というのは一つの子音と数えないのですか?逆になぜ音が一つのようなのに(/ts/)記号が一つなのかということです。
以上です。またパーフェクト事典以外でも質問させていただきたいと思いますので、よろしくご教示ください。
>意味がわからないものをいくら読んでも「それだけでは」力にならない
ということを國弘さんは「意味のわかった後の音読」という言い方で
おっしゃっていたのではないでしょうか。
ありがとうございます。その通りですね。「意味の充電以降の作業」に移る前の長いながーーーい、「いろんなことを考える段階」がありますね。「いろんなこと」とは「構造、音声、文法など」です。
twelfthsの/l-f-th-s/のは連続の方がglimpsedの/m-p-s-t/よりも
は難しいのは、舌や唇のが動きが大きくならざるを得ないからです。
texts /teksts/の/k-s-ts/のように三つの子音の連続と考えるべき
です。なぜなら、この語をどんなにて区切って発音しても /ts/ を
/t/と/s/に分けて発音することがないからです。/ts/は/ch/と同様に
一つの子音と考えるべきです。
次のペアの/ts/と/t s/は別の発音です。/ts/は一つの音、/t s/は
二つの子音です。
knots and /na:ts and/
not sand /na:t sand/
レッスン体験記、書いていただきありがとうございます。
今日はちょっと時間がとれませんので、また後ほど。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今日他校からの転入生3名に前の学校で音声について教えてもらいましたかと質問したところ、「まったくない」と言っていました。ちなみに私立ですので、転入考査を受け、それなりの成績がないと入学できない学校です。試しに教科書を読ませたところ、単語の読み間違いというのはほとんどありませんでした。本人たちも、実際に教えていた英語の先生、塾の先生もそれで満足だったのでしょう。しかしやはりカタカナ読みでした。ちなみに私が教えているのは中学1年生で、ほぼ全員中学校になってから英語を習い始めた生徒たちです。1学期約2ヶ月間教科書、文法をいっさいしないでひたすら発音指導をしました。教科書に入ってからも音読ばかりして、さらに発音についてやってきました。夏休みの1ヶ月を引いたとして約4ヶ月分の差は大きいと感じています。転入生たちには意識改革をまずしなければいけません。ただ、私の授業について話をしたところ、目を輝かせ興味深そうに聞いてくれていました。やはり、ほとんどの人が正しい発音で上手に読めるようになりたいと思っているんでしょうね。
>「意味の充電以降の作業」に移る前の長いながーーーい、「い
ろんなことを考える段階」がありますね。「いろんなこと」と
は「構造、音声、文法など」です。
「いろんなこと」が必要な段階では、すべての「いろんなこと」をきちんとやるのがいいと思います。それらすべてに共通する肝要なコツは、しっかりと「思う」ということです。
考えること、推理すること、解析すること、断定すること。イメージを作ること、イメージを動かすこと、イメージを動かして抽象度を高めること。これらはすべて、「思う」ということから派生する様々な姿態です。様々な姿態をそれぞれに名付けたものに過ぎず、中心にあるものは、「思う」ということです。
さまざまな心の労働による姿態は、心に動くすべての仮象によって、心を耕すことのためにあります。政治や経済の道具となるためではないと思います。
語学の対象としての言語の中では、英語はもっとも世知辛いものです。
英語以外の語学をやる人の多くに自明のことが、英語をやる人々には自明でないことがままあります。
自分の意識の力を信じること(イメージの多産を信じること)と、現世の力を信じること(アメリカを機軸とする信仰に入ること)とは、私においてはうらはらなことです。
英語をやりながら英語信仰に逆らうこと、これは私において、深いところで一致しているもと思われます。
例えば通訳、例えば翻訳、例えば英語教育。例えば、例えば、例えば、道具としての英語。
それらは身過ぎ世過ぎです。そして、それもまた語学でしょう。
しかし、語学の星はまったく違う空に光り出すものと私は思っています。
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深いところで一致しているもと
→
深いところで一致しているものと
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>今日他校からの転入生3名に前の学校で音声について教えてもらいました
かと質問したところ、「まったくない」と言っていました。
日本の英語教師たちの皆が皆無能なわけではないと思います。
Eliot さんに向けて書いたことがありますが、日本に日本人のための英語
の音声学が成立していないことが諸悪の根元だと私は考えています。つまり、
大学がおさぼりを続けていることが諸悪の根元です。
例えば、Eliot さんが書かれた「殻をむいたゆで卵をくわえるつもり」の
口の形という言い方などは、実に秀逸です。
こういう種類の知識を私ども英語に関わる人間で集積していく必要がある
と私は強く信じています。英語を学ぶ日本人にもっとも必要な言葉は、こう
いう種類の言葉だと思います。
音でさえ、一度はこういう言葉で理解し、その理解を通して、ネイティヴ
音の複製を媒介にするというのが、日本での英語音声の扱い方としてもっと
もまっとうなものだと考えています。そうすれば、英語の音の繊維が見えて
くる。
日本の学校の英語音の扱い方は、何の説明もしないまま、ネイティヴ音の
複製を聞かせ、それをそのまま真似して言えというようなことばかりやって
きたと思います。英語フリークには羞恥心があまりありませんので、そんな
やり方でも喜んで真似するかもしれません。喜んで真似しているうちに、上
手になって、後に留学などして、ぺらぺらになって帰ってくるなどというこ
ともよく見られる光景かもしれません。そして、心がぺらぺらにうすっぺら
ということもよくあることです。
Eliot さんや Eric さんがやっておられる音声教育は絶対に必要なもの
です。しかし、それとまったく同等の比重で必要なものは、語学の領域にお
ける意味論だと考えています。
音がいいかげんだと、語学をやっていく上で、圧倒的に不利です。つまり、
損得でいうなら、圧倒的に損です。語学での音の問題は、正しいとか正しく
ないという問題よりも、はるかに損得の問題だと考えています。
音と意味の合体の問題こそが眼目だと思っています。
これは損得を越えた問題です。むしろ語学の成否を決める肝要な一点であ
り、音と意味の合体(同時性)を欠いたら、いくら良質な音を教室で成立さ
せても、語学は成立しません。
そして、生徒の脳味噌に手をつっこんで、音と意味を合体させることはで
きず、音と意味の合体は、ただただ生徒の主体性にまかせられるしかないと
いうことが、原理として成立します。
だとすれば、そこで説得力を持ちうる語学論が肝要ではないでしょうか。
もちろん、日本に英語のまともな音声教育がほとんどないことは重大な問
題ですが、それ一つが解決すればすべてが解決するというようなことではな
いでしょう。
大学の教師どもをどやしつけて、音声学をちゃんと作らせること、さらに、
音と意味の合体(同時性)に導くことのできる言葉(語学論)を成立させる
こと。
日本の英語に緊急に必要なことは、そういうものだと思っています。
まともな英語の音声教育は、音と意味の合体(同時性)を成立させる
ためにこそある。そう考えていますが、いかがでしょうか。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
異質シンタックスを越えて、その向こうへ歩くこと。
これが、日本在住のままに英語を作ってきて、ほぼ30年に近い私においても、いまだ苦労するところです。
この苦労は、ちまたの英語フリークどもの知ったことではないでしょう。
異質シンタックスを越えた地点で、エセアメリカ人みたいな歩き方だけはしたくない。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
もういちど、「電話でレッスン」を受けられての感想を読み直して、本当にうれしい思いをいたしました。感謝いたします。
うちの女房の世間での評判は、「お前には過ぎた女房だ」というものですが、tiny
sandさんが書いてくださったものを読まれた方々は、「お前には過ぎた生徒だ」と言うかと思いました。女房に関しては、私にも言い分があり、世間の評判をそのまま鵜呑みにするものかと思っていますが、tiny
sand さんに関して「お前には過ぎた生徒だ」と言う人がいたら、私は「その通りだよ」と言えると思いました。
> 初めての文を読む時、口は重く頭も重いのですが、くるくる読んでいく
うちに、口が少しずつ軽くなって頭もすっきりしてきます。一文につき
100回程読むと音が安定してきて口がなめらかになってくるようです。
50回ずつ分けて読む時もありますが、やはり連続して100回の方が感触が
違い、その後の練習も楽になるように思います。
「くるくる読んでいく」という言い方が面白いです。
本当に女の人は語学が好きな人が多いですが、どうしてなんだろうと以前から不思議に思っています。私の場合は、「うなろぅ、英語めが」という感じで、当初から非常に敵対的というか、「やっつけるべき対象」だったのですが、tiny
sand さんはまるでそうではない。私は、語学に対してそんなに融和的になれず、いまでも、「野郎、語学めが、てめえ、論にしてまるめてやるから待ってろ」ってな感じです。
私のホームページを読まれてから「電話でレッスン」を申し込まれる方は、非常に練習の質がいい人が多いと私ははっきり感じています。語学論をやってきてよかったと思える時は、そう感じることができる時です。どうぞ、今の練習の眼目を外さず、続けてください。必ず飛躍のある方だと見込んでいます。
> 私は17.8年程前に、国弘正雄さんの「英語の話しかた」という本を読み
ました。その中で「只管朗読」という言葉と「中学校の教科書を500回
ないしは1000回も読んだ」ということが、とても印象に残りずっと頭の
片すみにありました。
國弘さんは、私の先達であると私は勝手に決め込んでいます。
直に教えを乞うたこともなく、お会いしたこともなく、著書の書評をやったことがあるだけですが、戦後の日本でまともな「語学論」を成立させた人は、この人一人だと思っています。
多読、ディベートなどを唱えた松本道弘などは、自身が毎日、商社でキッタハッタの商取引を英語でやっていたことが、電話線を通じて日々英語の磁場の磁力を浴びていたことであることを、言い切れておりません。多読、ディベートなどの練習が成立しうるための前提を提示できておりません。そのくせ、「英語道」などを唱え、語学を修練に変え、まったく英語の磁場を欠いて生きる人々に、スキルを信仰させ、自分を高みに上げるという間違いを犯しています。私は、いつか松本道弘について、しっかり論じてみたいというもくろみがあります。
「磁場」という一語によって、松本のスキルの種明かしは可能だと思っている者です。
國弘さんの「只管朗読」は、松本が欠いた「前提への認識」によるものです。
私の先達は、今だ國弘正雄一人です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
> また、私が大切に持っていた国弘さんの本が(ここでは新しい方の本
ですが)たびたび登場するので嬉しいです。
私は古い方のやつを持っていないのですが、お貸しいただけませんでしょうか。
読んで必ずお返しいたしますので。
> 「電話でレッスン」は1対1で丁ねいに教えていただけるので、
よくわかります。
「apple]の「a」は参考書などには「口をエの形にしてア」とか
「アの形にしてエ」とか書いてあって、口がまごまご、もぐもぐしてしまい
ます。でもレッスンでは、その音を「一瞬般若」とか「口の両端をつり
上げて」と教えていただいたので、パッと出せるようになりました。
実のところを申し上げると、tiny sand さんが出される発音は、私が出せないでいる音を多く含んでいて、忸怩たる思いを持つことがあります。
個々の音に関しては、私よりはるかに上手に出されるものが多いです。
たまに直すべきだなと思う音があって、直します。そのあたりでは私には蛮勇というものがあります。
また、イントネーションが盆踊りだなどと、私はづけづけと言います。また、音読が安定した後で少しずつ音読のスピードをあげてみてくれというような注文をつけました。そして、一週間後には、音の流れの中にきれいな子音の連続が穫れていました。そして、盆踊りが少しダンスっぽくなっていました。こういう素直さには本当に頭が下がります。
必ず飛躍される方だと思うことには、こういう根拠があります。
> 皆様 いろいろとアドバイスをよろしくお願い致します。
皆様
tiny sand さんは、私の可愛い生徒さんです。
アドバイスをよろしくお願いします。
Eliot さんの講義をすべてその場で理解できるだけの音をすでに備えておられる方です。
個々の音に関してより、tiny sand さんが求めておられるのは、「音と意味の同致」のレベルの練習方法だと私は考えています。
このあたりに比較的分け入った方は、sb さんですが、このあたりのことを言葉にしてみることを
sb さんにお願いします。
また、最近ここに踏み込まれているのは、札幌・Okada さんです。
Okada さんにも、お願いしたいと思います。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
Jackie さん
お知り合いに、出版社の方がいらしたら、この私をご紹介ください。
言いたいことは、この掲示板で言っていきますが、もっとすっきりした形で
読めるものを編集してくれる編集者が、喉から手が出るほど欲しいです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
> 「それでも英語やりますか─英語病を克服しないと英語も上達しない!」(藤田悟 編著:洋泉社
MOOK)という本を読みました。著者は大学の先生です。
その本、貸してください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
これから、「電話でレッスン」の進展・後退をご報告します。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
焼酎、届きました。ありがとうございます。
地元の生徒たちと飲みます。
ところで、「どんでん」はお持ちでしたか。
お手元になければお送りします。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
一度コンピュータの電源を切って、いつものように英語のペーパーバックを持って、寝床に横になりましたが、sb さんに書いておこうと思い、もう一度机に戻りました。
ヴォキャブラリーの増強に関して、今後、私がやっていこうと思っている練習方法の一つを書いておこうと思ったのでした。
現在、私はコナン・ドイルの The Hound Of Baskervilles というやつを読んでいます。
最終章になり、もうすぐ種明かしになります。この次は、ドストエフスキーの
Idiot の英訳本を読む予定です。
で、お奨めしたいのは、ペーパーバックスを読むことです。
適当なページを開いてみて、1ページに5つくらいわからない単語がある本を選ばれると、ストレスなく読めます。
いわゆる「多読」を勧める人たちは、読みながら辞書をひくなと言っています。この点に関しては私も賛成です。また、「多読」派の人々は、とにかく読め、たくさん読め、推理を働かせて意味をとり、単語になじめと言っています。この点に関しては、私は半分賛成で、半分反対です。
私が勧めたいのは、辞書をひかないで読み進めるときに、シャープペンシルを使うというやり方です。やることは単純で、知らない単語があったらシャープペンシルで印をつけるということだけです。それ以外は、普通に読書していきます。
印は、アンダーラインだけでもいいですが、私は最近老眼がすすんでしまい、後でわかりやすいように知らない単語を四角で囲んでいます。いずれにせよ、後ですぐにわかるように印をつけます。
いわゆる「多読」派の人々のやり方と違うのは、知らない単語に印をつけていくということだけです。こうして、何冊もどんどん読みます。
単語の練習ですが、「電圧装置」をお勧めします。
読書は読書で進める。ただし、印だけつけておく。
単語練習は単語練習で別にやる。印がついている単語を拾って、「電圧装置」でやります。読書と単語練習の二本立てに、「電圧装置」をかませるだけです。
ヴォキャブラリ増強は、しょせん少しずつたくさんやる以外にないので、この方法はお薦めできます。読み終わった英語の本(未知の単語に印がついている)を本棚の同じ場所に固めておきます。一冊ずつ、少しずつ「電圧装置」で単語を殺します。一冊目が終われば、二冊目をやります。その間に、読書は十何冊目かに進むかもしれませんが、二本立ての間のスパンが開くのは気にしないでやってください。単語練習で片づけるのが、4,5冊目になれば、未知の単語として印をつけておいたもののいくつもが既知のものに変わっているのに気付くだろうと思います。
私はなかなか時間がとれず、ヴォキャブラリ増強はとぎれとぎれにやっています。
いずれにせよ、この作業はきりがなく、しょせん死ぬまでやるしかないものだと思ってやっています。
わかりにくいところは、ご質問ください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>もちろん、日本に英語のまともな音声教育がほとんどないことは重大な問
題ですが、それ一つが解決すればすべてが解決するというようなことではな
いでしょう。
大学の教師どもをどやしつけて、音声学をちゃんと作らせること、さらに、
音と意味の合体(同時性)に導くことのできる言葉(語学論)を成立させる
こと。
知り合いのAETが大学講師の口を探していて その手伝いに 教官公募のHPを見ている。( BA MAとも日本語専攻のバイリンガル。TESOLは持っていないが 小,中、高で AETとして英語を教えた。教育に熱意のある日系女性)
大学の教師になるのは 現在かなり狭き門みたいですね。
非常勤講師でも博士号が必要なことも多い。いくつかの論文提出、日本人でも英語で講義ができることが 条件になっている。
優秀な方々が教鞭をとっている。
近頃の授業は 映画を使ったり。ディベートがあったり、通訳もどきの訓練があったり HPのシラバスを垣間見る限り とても 面白そうだ。 私も取りたい授業がわんさかある。
それなのになぜ 一向に日本の英語は改善されないのだろう。 一クラスの人数が多すぎるのだろうか? 教授講師たちが自分の論文,研究に急がしすぎるのだろうか?
それとも日本で生活していく上で一部の人を除き英語なしで生きていける=必要性がないからだろうか?
いや、
大学受験をくぐりぬけても 多くの大学生の 英語の土台がぐらぐら(音声素読 内在化)だからかもしれない。
おはようございます。
根石さんの書かれた松本道弘が私が持っている松本道弘への印象と少し異なり、また、その違いが「磁場」とはどういうものだろうと考えようとするとき干渉してしまうので、相違することを書きます。
私が現在持っている著書は「TIMEを読む」と「FENを聴く」(講談社新書)だけですが、その他の著書で次のよう書かれていて、今でも覚えています。
・商社に入社したが、海外とのやりとりの全くない部署に配属された。
・そのため、もどかしさのような気持ち(だったかな?)にとらわれた。
・商社の雰囲気としては英語をやっていくことに理解があったが、松本は会社では英語のえの字も見せまいと決意する。
・その後、英語を使わない業務に従事した。
とあるので、「きったはった」の世界に生きる松本とは違う印象があります。
話がそれますが、もう一つ印象に残っているのは、日系人のふりをしてデパートなどの英語の多少使えそうな店員に英語で話し掛けを行ったということです。これは、根石さんのいう自分を高みにおいたということでしょうか?
自分をネイティブにおくことにより、強引に、日本において磁場を作ったようにも思えます。
ずいぶん話をそらしてすみませんでした。今、松本道弘論を聞きたいわけではなく、根石さんにその準備ができましたら、その時に伺えればと思っております。ですが、私にとっては強烈な印象でしたので、磁場を論じるたとえとして松本道弘が登場すると混乱してしまうので書きました。
皆さんはじめまして。HIRATA Mと申します。
根石さんからのお誘いもあり、初登場です。
私は、現在のところカタコトの英語しかしゃべれないのですけど、2年半近く、地元横浜鶴見
にある、発音を専門に教えてくれる学校に通っています。通い始めたきっかけは、佐伯智義さ
んの「英語の科学的学習法」(講談社)という本を読み、英語の学習は発音から始めなければ
ならない、と書いてあったからです。同書では日本語と英語の音素数の違いや、発声器官の筋
肉の違いについて触れてあり、成る程!英語はまず発音だ!と納得したからです。さらに良い
事に、家の近くに発音を教えてくれる英語学校があったのです。今現在、予め決められた文章
であれば、ほぼネイティブに近い発音ができるようになりました。発音をPHYSIOLOGICALと
TECHNICALの両面から数値化して測定してくれるので自分の上達度合いや弱点がよく分かるよう
になっています。PHYSIOLOGICAL面からは、腹筋、肋間筋など8種の筋肉の発達度合いを測定し
てくれます。発音の中の音質については、こつこつと筋肉トレーニングを積み重ねることによ
り、ネイティブ並になることができます。"twelfths"という単語も楽に発音できるようになり
ました。子音の発声力を鍛えないとこの単語は上手く言えないでしょう。
前述の佐伯さんは発音について次のように述べています。
転載開始
発音の良し悪しは、英語の上達を左右します。そこで、発音に自信のない方は、発音の理論
も教えてくれる英語学校を探して(残念ながら、その数は少ないようです)、発音クラスを少
なくとも3年間は、繰り返し受講します(発音クラスがなければ、それは良い学校とは言えま
せん)。
転載終了(「英語の科学的学習法」22頁)
私の通っている英語学校はHPがあります。URLは載せませんが、興味のある方は"THE
JINGLES-SUMMIT"で検索してみて下さい。色々書きたいことがあるのですが、今回は発音につい
て少し書いてみました。これからも書き込みをさせて頂きます。
>Eliotさん
失礼ですが、ハンドルネイムはT.S.Eliotからですか?
>村田さん
ピーター・バラカン氏は私の音楽上の師匠なのでできれば名前の後に"さん"か"氏"をつけ
ていただきたくお願いします(笑)。
はじめまして
>私の通っている英語学校はHPがあります。URLは載せませんが、興味のある方は"THE
JINGLES-SUMMIT"で検索してみて下さい。
HIRATA Mさん
87?段階とか発音がレベル分けされているものですよね?
前に資料をとりよせましたが 授業料が高すぎて、、あきらめました。
3年間、週何回で どのくらい授業料がかかったか
よろしければ 教えてください。
どのように発音上達されたのかも 興味がありますので
方法なども いろいろきかせてください。
「驚異の英語革命・・」
スティーブさんの著書、棚のおくから引っ張り出してきました。
腹部,胸、喉の筋肉の使い方が 英語と日本語では違う、と割と詳しくかいてありますね。
昔読んだときは わけがわからなかったけれど 今は 理解できます。
もう一度腰をすえて 読んでみます。
一日5分のトレーニング×200日から2年の訓練でネイティブに近い発音ができるようになると書いてあります。
日本人は平均数値84から始めてネイティブの発音90を目指す。
HIRATA M さん、 トレーニングと上達の実感をレポート お願いします。
sbさん
訂正です。別に酔っ払っていたわけではなく、慣れないキーボードの
コンピューターであわてて書いたので、妙な日本語にしてしまい
ました。
twelfthsの/l-f-th-s/のは連続の方がglimpsedの/m-p-s-t/よりも
は難しいのは、舌や唇のが動きが大きくならざるを得ないからです。
↓
twelfthsの/l-f-th-s/の連続の方がglimpsedの/m-p-s-t/よりも
難しいのは、舌や唇のが動きが大きくならざるを得ないからです。
HIRATA Mさん
Eliotは映画E.T.の主人公の少年Elliotからですが、うっかり
Lをひとつ抜かしたので、T.S.Eliotのようになってしまいました。
しかし、私の本名のイニシャルがT.S.なので、T.S.Eliotからと
言ってもいいですね。もっとも、私は別にT.S.Eliotの愛読者では
ありませんが。
ザ・ジングルズのことについてほとんど何も知らないのですが、
興味深そうですから、さっきアマゾン日本で本を注文しました。
ちょっと気になることがあるので、もう少し書かせていただきます。
THE JINGLES-SUMMITのサイトを読んでみたところ、「ネイティブ並に
なる」という言葉が使われていました。HIRATA Mさんも「筋肉
トレーニングを積み重ねることにより、ネイティブ並になることが
できます」とお書きになっていますね。
鵜田さんのサイトにお便りのコーナーがあり、そこにスティーブ・
ウォーカー氏を発音の師とするという人の文があります。URLは
http://www.uda30.com/OTayori/oTayori24.htm
です。
その人はウダ式発音訓練に疑問を呈し、次のように言っています。
---------------------------------------------------
口の動きのみを訓練し、スペルとの関係をどんなに頭にたたきこんだ
ところで完璧なネイティブ並みの発音が出せるようになるというのは
信じがたいのです。わたしがここでネィティブ並みといっている
のは、ネィティブが聞いてまったくその英語の中に日本語訛りが認識
できないレベルです。
---------------------------------------------------
うーむ・・・私は日本人が「ネィティブが聞いてまったくその英語の
中に日本語訛りが認識できないレベル」になることができるのを否定
する立場ではありませんが、それを英語学習の目標にした場合は
おそらく99.9%の日本人英語学習者は目標に到達せず、彼らの
英語学習は「失敗」の烙印を押されるのではなかろうかと危惧します。
上のお便りをウダさんに出した人が言いたいことは、ウダ式では
いくら頑張っても「日本人訛りゼロのネイティブ並発音には到達
しない」から、鵜田さんの方法は不十分だろうということでしょう。
鵜田さん自身の発音をも疑っているようです。以下、引用します。
---------------------------------------------------
発音に関して「ザ・ジングルズ」方式にまさるものに出会った事の
ないジングルズ信者の私としては、Udaさんの発音がジングルズ方式で
診断して90に達しているのかが非常に気になります。
---------------------------------------------------
ここまでネィティブ並志向が強いのは、一種の信仰のようにも
思えます。以前この掲示板にもそういう感じの自称俳優さんが来られ
ましたが、一般の学習者が「ネィティブ発音」でなければ価値なしと
思い込んではならないと信じます。
誤解がないように申しておきます。私の発音は実用上全く問題が
ありません。大学生として留学したときにはアメリカ育ちと思われた
ことさえあります。しかし、私は自分の発音を「ネィティブ並」だと
思ったことなどありません。非常に上手だが、それでも外国訛りは
逃れられないものだと割り切っています。また、英語学習者はやはり
ネィティブの発音をモデル(根石さんは「媒介」と言われますね)と
して、一生懸命に発音練習に励み、聞き手に「不快感も大きな負担も
与えない、理解しやすい発音」を身につけるべきだし、その過程では
ネィティブに「近い」音を出すよう努力をせねばならないと思います。
そのような練習を経て日本人英語学習者が獲得した「英語の音」と
「ネィティブ並の音」を比較して、後者の方に価値があると考える
ことには強く反対です。
なお、私は英語学習の過程で「発声器官の筋肉トレーニング」など
したことがありません。
私が4月から教えている高校1年生たちはほぼ全員が中学校で
英語の発音訓練を受けていません。ですから、カタカナ発音しか
できない状態で高校に来て、私の指導を受けることになった
生徒たちです。あまりに下手なので、授業時間の多くを発音指導に
割いても、効果が見られず、1学期には私は「もう手遅れか」と
暗い気持ちになったことが何度もありました。
しかし、最近は明らかに変化が「聞かれ」ます。なぜ発音が大切
なのかということをしつこく言い聞かせ、何度も何度も同じことを
練習させているうちに、発音を練習することはこれからの英語学習に
欠かすことができないものだとという理解や、発音を上達させたいと
いう気持ちが生徒たちに広がってきたようです。
さらに彼らのやる気を刺激するため、勤務校の文化祭(9月15日)
で、高校新入生の英語暗唱大会を企画しました。15名の枠に対して
20名以上が希望しましたので、予選をせねばなりません。4月の
頃に比べ、相当上達した生徒もいますから、ぜひ多くの保護者にも
見てもらいたいと思っています。週3時間の授業で1学期やっただけ
でも、これだけの成果があるということを。
よろしければお近くの方はおいでになりませんか。9月15日(日)
の午前11時から1時間半程度の予定です。場所は佐賀市のK学館
中学校・高等学校(佐賀の方はおわかりでしょう)です。
英語発音講座は今書き溜めているところです。もう少ししたら
掲示板に書き込みを始めますので、もう少しお待ちください。
私は学校に通ってまで発音の練習をする人たちのことを尊敬こそ
すれ、批判する気持ちはまったくありません。ただ、「ネィティブ
並」でないとだめということについての私の考えを述べただけです。
>THE JINGLES-SUMMITのサイトを読んでみたところ、「ネイティブ並に
なる」という言葉が使われていました。HIRATA Mさんも「筋肉
トレーニングを積み重ねることにより、ネイティブ並になることが
できます」とお書きになっていますね。
鵜田さんのサイトにお便りのコーナーがあり、そこにスティーブ・
ウォーカー氏を発音の師とするという人の文があります。URLは
http://www.uda30.com/OTayori/oTayori24.htm
です。
その人はウダ式発音訓練に疑問を呈し、次のように言っています。
“口の動きのみを訓練し、スペルとの関係をどんなに頭にたたきこんだ
ところで完璧なネイティブ並みの発音が出せるようになるというのは
信じがたいのです。。。。”
私も口の動きだけでなく、呼吸法(=腹式呼吸発声)もマスターした方がよりネイティブ英語発音に近くなると思います。でも、鵜田さんが共鳴音と言っているのは、多分腹式呼吸発声音の事ではないかと思われますので、実際には両者はそれ程違わないのではないかと思っています。
私には、ネイティヴ並みだとか、ネイティヴと同じだとかいう種類の発音にあこがれたり、そこに価値を見ている人たちの気持ちがわかりません。わからないだけでなく、そんなものが価値であるもんかと思っている者です。あるいはまた、彼らの価値(幻想)をひっくりかえしてやろうという強い気持ちはいつも持ち続けて生きてきた者です。
これらの人々は、世の中に拝金主義者がいるのと同じような意味で、拝音主義者たちなのだと思っております。阿呆か、という気持ちをどうにも消すことができない。
世の中の拝音主義者たちの音の扱いは、盆栽好きが盆栽が好きなのと変わらないとも思っています。枝振りがどうだの、景色がどうだのと言っているのとレベル的には何の変わりもない。
別に人の趣味をどうこう言うことはないが、しょせん趣味じゃねえか。
こう書くと、私が発音を鍛えること自体を否定しているかのように聞こえるところがやっかいです。私は、発音を鍛えること自体はまったく否定しません。否定しないどころか、下手ながら、人様の発音を変えたりすることも仕事の一部としている人間です。これまでもやってきたし、今後もやろうと思っていることの一部に、発音の細部に分け入って、日本人用に「一発でわかる言い回し」を工夫していくこともあります。
発音というくらいで、ことは「音」に関わるものです。つまり、どこまでも語学の机上の話です。「音」というものがどこまでも語学的なものであることを認識していない拝音主義者が掃いて捨てるほどいて、まことに困ったものだと常日頃思っています。
確かに、物理学的には空気をふるわせて私たちの耳に聞き取れるものは「音」です。しかし、私たちは、日本語をしゃべって、自分が「音」を出していると思っているでしょうか。だれもそんなことを思っているとは思えません。私たちが出しているのは、「音」ではなくて「声」です。誰も「音」そのものなんかしゃべっちゃいないし、聞いちゃいない。言葉は感情であり、相手の存在そのものです。だから、相手の「声」はいつも細かな神経を働かせて、しっかりと聞いています。
語学をやっているくせに、「机上」と「生活場面」の区別もできないようなお馬鹿はたぶん死んでもなおるまい。
語学の言語の「音」は、生活言語に渡るときに「声」にならなければならない。「声」になれないような「音」は「音」として未熟者であるため、語学の机上にすっこんでいろと言えばいいしろものに過ぎません。
どんなに発音がよくても、「声」になれない「音」というものがあります。
発音が下手くそでも、ちゃんと「声」になる「音」というものがあります。
どっちがまともなのか。
「声」になれる「音」がまともなのはわかりきった話です。語学の言語が「言葉」になれるのですから、軍配はこちらにあがる。
「言葉」になれない上手な「発音」に何の意味があるのか。
馬鹿なことを信仰しているくらいなら、声楽家にでもなれ。こちらは、「声」楽家とはいうものの、声を「音」に鍛え込み、しかも純粋音をめざす職業だ。審美趣味は邪魔にならんだろう。しかし、語学は審美趣味とは何の関係もない。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
私にとって、「音」に意味があるのは、外国語の「音」を「声」に渡らせるために必要であるからに過ぎまない。あるいは、生活場面で相手の外国語の「声」をちゃんと受け止めるために、机上では「音」を鍛える必要があるから、「音」に意味があるに過ぎない。
あたしゃ、盆栽趣味の人々や、拝音主義の人々のような審美趣味は、糞食らえだと考えている者であります。
「音」は語学をやるうえでの、損得や必要性の問題に過ぎないのだ。
さてさて、しかし、外国語をやるのですから、真似することは必要です。そして、語学の机上で、ネイティヴ音を真似するときに、「より下手に」真似しようとする人はいないのではないでしょうかね。誰でも、「より上手に」真似しようとすると思います。英語の音を真似しようとするだけで、穴があったら入りたいような気持ちになるおやじさんだって、いざ真似を実行し始めたら最後、必ず「より上手に」真似しようとします。「より下手に」真似しようとしたら、そもそもそれは真似ではないからです。
これが、審美性やら、盆栽的音いじりやら、拝音主義が生じる根元です。だって、誰でもが「より上手に」真似しようとするのだから、より上手に真似のできた人の方が、上等であるということになります。で、ここにご立派に、「ネイティヴと同じ信仰」や「ネイティヴ並み信仰」が生じます。
実に日本人だ。実に盆栽だ。何が「ネイティヴと同じ」か!
どこがいったい同じなのか言って見ろ。発音に関して、「ネイティヴと同じ信仰」や「ネイティヴ並み信仰」を持ったそのことによって、「ネイティヴと同じ」ではないのだ。どこまで行ってもあんたらに欠けているのは、語学を語学として認識する哲学なのだ。
「音」や「発音」の質が信仰になった限りにおいて、私は、アホか、と言うことを全然ためらう気がないのです。
アホくせえ。音信仰。「音」を鍛えることは、読む書くしゃべる聞くのあらゆることに通じており、英語の音の繊維がわかる方が絶対に得なのであるから、あるいは、意味を本当に抱きしめるために、音の繊維がわかることが絶対に必要であるから、ただその一点において「音」が大事なだけだ。
しかし、言ってみりゃ、「音」なんざ、必要性と損得だけのもんじゃねえか。審美性やら、「きれいな発音」やら、「ネイティヴと同じ」なんかはいつでも蹴飛ばしてやる。語学という天地においてはくだらない信仰である。
言葉は「音」じゃねえよ。言葉は「声」だ。
肝心なものは「音」じゃねえよ。それが「声」になるかならないかだ。
ジングルズにせよ、鵜田式にせよ、その回りに集まる人たちにとことん欠けているものは、「音に関する認識」です。それを欠いて、いくら「音」が上手になったところで、それがなんぼのもんじゃい。誰か答えてくれい。
ちなみにかつて私は鵜田さんとはメールのやりとりがあり、以上の考えは手短ながら伝えてあります。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今、発音に関する Eliot さんの考えをもう一度読ませていただきました。
もっとも基本的なところにおいて、私は賛成です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
ちなみに申し添えます。
そこらによくいる「ネイティヴ並み」のアメリカ帰りの英語発音より、私は
ご自身で「非常に上手」だと言われる Eliot さんの発音の方がはるかに好
きです。
聞かせていただけば、確かに「非常に上手」な発音ですが、私にとってはそ
れだけのものではない。この音には、日本人の心が通っていると思うところ
があるのです。
日本人のための「感じのいい英語発音」という Eliot さんの考えを強く支
持します。そして、Eliot さんが自分の体でそれを実現しておられることに
敬意を抱いています。
これからの日本の英語に必要なのは、「ネイティヴ並み」なんかではありま
せん。Eliot さんが体現しておられる発音です。
日本の現在の英語の状況がどんなに暗いものであっても、Eliot さんの体現
された音こそは一筋の光だと思っています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
音と意味が同致しないならば、意味がない。
音だけがあって意味がないのだから、文字通り、それこそ文字通り、意味が
ない。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
送っていただいたダンボール箱を開けたら、うわあ、一升瓶だ。
焼酎、まことにありがとうございます。今、封を切って、飲みながら書かせて
いただいています。
丁寧な梱包ありがとうございました。
また、身重のところを、私ごときのために焼酎をていねいにくるんでいただき
ありがとう御座いました。
素読ファンさん
地元の生徒と飲みますと先日書いたにもかかわらず、一人で封を切り、すで
に飲み始めてしまいました。自分の意地のきたなさにはほとほと弱っておりま
す。だって、酒がねえんだもの。
でも、私は腹が弱いので、あまり量は飲めません。
この掲示板を読んでいる地元の生徒が、焼酎のにおいをかぎつけて、近寄っ
てきたら、飲ましてやるつもりです。鼻のきかない生徒もいますので、油断し
てこの掲示板を読まないでいたら、そのうちに、私一人が飲んでしまうのかも
しれません。
ちゃんと味があるのに、飲みやすい焼酎ですね。
地元のぼんくらどもが放っておいてくれれば、私一人ですべて飲んでしまう
可能性は出てまいりました。ぼんくらどもが風邪でもひいて、鼻が一段ときか
なくなってくれれば、そうっと飲んでしまおうと思います。
私の方からの報告はそんなところです。
できましたら、「・・・・の暮らしの手帳」の感想をいつか書いていただけ
たらと願っております。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
お書きいただきありがとうございます。
ジングルズのことは、2,3年前にある人からお聞きして、本だけは買いま
した。ジングルズをやられた方には、お送りした私の発音などは、「なんじ
ゃ、こんなもの」という程度のものかもしれません。
>発音の良し悪しは、英語の上達を左右します。そこで、発音に自信のない
方は、発音の理論も教えてくれる英語学校を探して(残念ながら、その数は
少ないようです)、発音クラスを少なくとも3年間は、繰り返し受講します
(発音クラスがなければ、それは良い学校とは言えません)。
HIRATA さんが引用なさった佐伯智義さんの文章を上に引用させていただき
ましたが、この中で、「発音の良し悪しは、英語の上達を左右します」という
部分にはまったく賛成の意見を持つ者です。
また、「3年間」という期間に関しては、人様の発音をつべこべ言ってきて、
生徒さんの音の変化を見てきた経験から言うと、下手な部類に属する人が、上
手な部類に属するようになるのに必要な期間としては、根拠のある期間の提示
だとも思います。確かに中学生くらいの口の筋肉のやわらかい年齢層の生徒で
もそのくらいはかかります。
音と意味で、どちらが先決問題かと言うならば、私は音が先決されるべきだと
考えているのですが、当初から意味に触れるならどんどん触れとも考えていま
す。
微視的に見て、音と意味では音が先決されなければならないというだけです。
巨視的に見るなら、國弘正雄の「只管朗読」でいいと思います。
その動態の中で、徐々に音を鍛えていくのでいっこうに構わないと思ってい
ます。
私の提示した定式の中に、
回転読み → 音と意味の同致(理解) → 回転読み
というものがあります。同じ一つの文を繰り返し読むのが「回転読み」です
が、例えば、一つの文を繰り返し繰り返し10分なり20分読み続けるとし
て、その過程で、
回転読み → 音と意味の同致(理解) → 回転読み
をやった場合、最初の「回転読み」と、「音と意味の同致(理解)」を経た
後の「回転読み」では、実は内実が違っています。後の方の「回転読み」は
意味(理解)を伴った「回転読み」になります。
回転読み → 音と意味の同致(理解) → 回転読み
の過程の全体をもさして、「回転読み」と呼ぶこともありますので、私の「回
転読み」は意味も扱うものです。音を鍛える過程も、意味を音に合体させる過
程も含んでいます。この点で、Uda 式ともジングルズとも違います。
「音」を大事なものと思うのは、あくまでも「意味」と合体させるときの「
音」が質的に「通じるもの」でなければならないからです。この語学における
意味論、あるいはイメージ論こそは、「音派幼稚園」の授業に欠けているもの
であると考えてきました。
ご意見をお願いいたします。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
松本道弘に関しては、明日以降に書かせていただきたいと思います。
なにしろ、べろべろに酔っ払ってしまいました。
皆様
ひとまずさようなら。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
私の初めての書き込みに対してレスがたくさん来てしまい少々面食らっています。
本当はジングルズより佐伯智義さんの著作に対する意見を期待していたのですが…。
私が”ネイティブ並”という言葉を用いたのがいけなかったようですね。
私はスティーブ・ウォーカー氏やジングルズの崇拝者ではありません(氏はとても面白い人です。もともと
理系出身の方です。)。発音を習ってみよう、と思い立った時のとっかかりがジングルズだっただけなので
す。一番の動機は家から歩いて通えるということでしたが(笑)。
発音に求めるレベルというのは、各人の目標に従えば良いのだ、と思います。コミュニケイトできるレベル
でよければ、それでよいでしょうし、ネイティブのようになりたいのであればそうすればよいし、ネイティ
ブより上手くなりたいのであればそれを目指せばよいのだ、と思います。ジングルズのユニークな点、功績
は、その人の発音レベルを数値により客観評価する手法と、発音を上達させるためのメソッドを開発した点
にあると思います。
さて、自分の体験からですが、発音がよくなると聞き取り能力が増します。自分が発音出来ない音は聞き取
れない、というのはある程度まで事実です。さらに、知らない単語を自信を持って発音できるようになり、
また記憶しやすくなります。発音に対する不安がなくなるからです。発音がよくなるとは、発音に自信が持
てるようになることです。一つでも自信のある分野があれば、勉強は楽しくなるものです。発音が良くなる
ことは英語の勉強に対する動機付けとしてとても有効です。私は”ネイティブ並”と書きましたが、自分で
は正しい発音、きれいな発音と言う意味で使っています。そのスタンダードを持つこと、知っていることは
重要であると考えます。
Eliotさんは
>なお、私は英語学習の過程で「発声器官の筋肉トレーニング」などしたことがありません。
と書かれていますが、英語の学習環境のなかで発音を身に付けられたのだと思います。逆に自然に身に付け
たものを他人に対して効果的に教えることは困難なことであると思います。生徒に発音を教えるとは、生徒
に筋肉トレ−ニングをさせることではありませんか?
私は専門家でもなんでもないのであまり発音論の細かな話には立ち入りたくありません。
これから”英語のやっつけ方”を本格的に実践しようとしているところなので。
>Jackieさん
お教えしますので、メイルを下さい。商業的なことは掲示板に書きたくないので…。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
↓にお書きになっていることに賛成します。ただ、私が英語学習の
過程で自然に英語の発音を身に付けたわけではないということだけは
言わせてください。中学校で英語学習を始めて、たくさんの英語に
耳を傾け、発音教本を読み、こうかな、ああかな、と唇や舌の形や
位置を確かめ、膨大な音読練習を積み重ねた成果として身に付けた
ものです。ですから、私が学校英語、受験英語の現場で生徒たちに
発音を教えることができるのも、そういう経験をした者だからです。
もちろん生徒に発音を教えるということは、彼らに口と口の周りの
筋肉のトレーニングをさせるということです。私はそれには情熱を
注いでいます。一方、ジングルズではもっとたくさんの筋肉を
鍛えねば、日本人には英語の音は出せないということのようですが、
私はそんな筋肉鍛錬の方法は知らないので、自分でもしたことが
ないし、生徒にもさせたことがありません。でも、ウォーカーさんの
本を読んで、役に立ちそうなものを見つけたら、取り入れていきたい
とは思います。
>私はご自身で「非常に上手」だと言われる Eliot さんの発音の方が
>はるかに好きです。
あちゃ〜、自分で言うことじゃなかったですね。皆さん、失礼
しました。
日本人訛りゼロのまるでアメリカ人(あるいは英国人、カナダ人、
エトセトラ)そのもののような発音を要求されるのは、日系米人
なんかを演じたい俳優志望者かスパイ志望者だけではなかろうかと
思います。私はどちらの願望もないので、今の英語発音で満足です。
根石さん
よろしかったら、そのおいしそうな焼酎の銘柄を教えてください。
私も買いに行きます。
>私の「回転読み」は意味も扱うものです。音を鍛える過程も、意味を音に合体させる過程も含んでいます。この点で、Uda
式ともジングルズとも違います。
「音」を大事なものと思うのは、あくまでも「意味」と合体させるときの「音」が質的に「通じるもの」でなければならないからです。この語学における意味論、あるいはイメージ論こそは、「音派幼稚園」の授業に欠けているものであると考えてきました。
ご意見をお願いいたします。
根石さん。回転読みが意味と音との合体を意図したものであるという点、この点が鵜田さんやジングルズとの違いという主旨はよく分りました。鵜田さんが発音を重視しているからと言って、意味を軽視しているとはも思いませんが、意味と発音の合体について特に何も触れていないので、その点は根石さんの手法の方が更に一歩踏み込んだものである事は確かだと思います。
それでも、意味は意味、発音は発音と独立したディメンジョンの事象であるので、どちらもより良いに越したことはありません。その意味で、よりネイティブに近づこうとするのは決して悪いことではないと思います。語学というのは総合力であるので、ある点のみがずば抜けて良くて、他はさっぱりというのでは勝負になりません。語彙力・文法力が抜群にあって、自らこの点は上級だと自認する人は、自分の発音を更に磨きをかけて全体のバランスをとろうと思うのは極めて自然な事であると思います。
>さて、自分の体験からですが、発音がよくなると聞き取り能力が増します。自分が発音出来ない音は聞き取れない、というのはある程度まで事実です。さらに、知らない単語を自信を持って発音できるようになり、また記憶しやすくなります。
平田さん、仰る事よく分ります。私も貴方のご意見に全面的に同意するものです。私は完璧な(あるいはそれに限りなく近い)ネイティブ発音ができる人は、映画やニュースなどの英語が100%聞き取れるという説を支持するものです。逆に言うと、そうでない人はまだ発音の改善の余地があると思っています。確かに皆がこのレベルを目指す必要はないでしょうけど。。。そこに山があるから登りたい、という心境でしょうか?まあ英語フリークと言えるかも知れませんが、それ程不可能とも思えません。英語が聞き取れれば聞き取れるほど、例えば英語放送などを楽しみながら語彙を増強できるという正のフィードバックも働きますし。。。やはり改善したらそれだけの効果は期待できると思います。
発音論の細かな話には立ち入りたくない、と書きつつまた書きます(笑)。
>Eliotさん
”自然に身に付けた”という表現は適切ではありませんでした。私はEliotさんが発音を習得した方法
は、Eliotさんが書かれた通りであろうと推測してました。Eliotさんには才能があるのだと思います。
本当に耳が良い人は、聴いた音を再現することができます。舌の位置や口の開き方や音を変化させること
(例えば、ア→アとエの中間→エの発音を微妙にズラして行き適合する発音を探し出すこと)により、正
確な音を探し出せる能力があるのです。多分、その能力がない人はこの作業をすると膨大な時間を費やし
てしまうことでしょう。なので、会社員など、時間がない人は発音法を習ってしまった方が手っ取り早く
効率的なのです。
>膨大な音読練習を積み重ねた成果として身に付けたものです。
これがすなわち筋肉トレーニングなのだと解釈します。力士がジムに通ってトレーニングするのではなく、
"てっぽう"や"しこ"といった、昔ながらの方法で体を鍛える方法がそれに該当するのだと思います。
佐伯智義さんは次のように書いています。
転載開始
英語の発音は難しいのですが、発音練習は発声器官の筋肉トレーニングなので、発音の仕方を学び、
辛抱強く、発音練習を3年、続ければ外国人に通じる発音をマスターできるでしょう。
転載終了(「英語の科学的発音法」22頁)
私はこれを読んでジングルズを始めました。
さらに、根石さんも次のように書いています。
転載開始
t,d,v,f,th,l,rなどの日本語にない音をきちんと音作りしながら、「回転読み」をやると、口の筋肉
がつくづく痛くなる。これは、腕立て伏せをやって、腕の筋肉を鍛えるのと本質的に同じだ。口の筋肉
を鍛えるんだ。
転載終了(「英語どんでんがえしのやっつけ方」102頁)
私はこの部分を読んで、この人は本物だ、と断定する一つの理由になりました。
>私はどちらの願望もないので、今の英語発音で満足です。
私は英語に限らず、何事においても満足したら進歩はない、と考える者です。
最後に、長くなりますが、佐伯智義さんの著書から引用させて頂きます。
転載開始
ですから、Listen carefully.(注意して聞きなさい)とかRepeat after me.(私の後について繰り返し
唱えて下さい)とか、ネイティブの教師が言っても、日本人の耳では、日本語にない英語の発音は聞き取
れないのです。そこで、ます発音の仕方から教えるべきなのですが、ネイティブの素人教師は。このこと
に気付いてくれません。
「発音の理論を学ぶことが、発音を良くするためには必要(M.Antier)」なのですが、英語の音声学(
Phonetics)を母国で学んだネイティブは、日本に何人いるのでしょうか? 殆どいないと言っていいでし
ょう。ですから、ネイティブの教師は、理論的に発音の仕方を日本人に教えることができないのです。
従って、教師がネイティブだからといって、英語の発音が必ずしも良くなるわけではありません。そこで、
「外国で音声学を学んだ日本人教師から英語の発音を習う方が良い」と言えるでしょう。
転載終了(前掲書22頁)
発音はうつらない、まさにその通り。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
「聞き手に『不快感も大きな負担も与えない、理解しやすい発音』」
が重要であって、日本語の訛りが残ることは弱点ではない、
というEliotさんの考えに私も賛成です。
日本語の訛りを消してしまおう、というような努力は、たとえて言えば、
競技力を上げるためにウェイトトレーニングを始めた野球選手が、
必要な筋力を身につけて成績を向上させただけでは飽きたらず、
筋骨隆々とした見栄えの良い身体を目指してボディビルディングに励む、
というような努力だと思います。
筋肉の見栄えや美しさは、野球の上手下手とは無関係です。
同様に、英語の音に母語の訛りが残っているかどうかは、
英語の良し悪しとは別次元のことだと思います。
これはどちらかというと、
各人の価値観や美意識に属する問題ではないでしょうか。
私は、旅先で出会う訛りまくった英語が大好きです。
訛りの中に母語や出自や生きてきた環境が透けて見えることで、
話し相手がとても魅力的に感じられるものです。
Eliot さん
「子鹿」です。
いい焼酎ですよ。
皆さん
この時間まで人と話をしており、眠くなってしまいました。
また、明日以降にします。
おやすみなさい。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
”発音について”の書き込みで誤りがありました。
正…「英語の科学的学習法」
誤…「英語の科学的発音法」
です。
もっこりさんのおっしゃりたいことは良く分かりますが、比喩は不適切であると思います。野球選手は野球をするために必要な筋肉をつけるべきなのです。私が発音に関して言っているのはそこまでです。野球選手が皆清原のようになってはいけないのと同様です。
人それぞれの色々な考え方を知るのは面白いものですね。私の英語の力はまだまだなので、もっと上達してから再考してみたいと思います。
どなたか、佐伯智義さんの本に言及して下る方はいらっしゃいませんか?
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
通じる音の発音を身につけることは MUST。なぜならば
皆さんがおっしゃるとおり 聞き取りも楽になる 文を読むときも意味が つかめるようになる いいことばかりだからだ。
ただし
ネイティブ発音 =ネイティブ信仰となるならば(可能性はあると思う) 本末転倒。
ネイティブと同じ発音になることをめざすことに 2、3年の年月と高額を費やすことは どちらかというと 個人の趣味の 領域となる。
心の中の昔の私 = アメリカミーハ― ー
は Tryしてみないかと 今の私にささやいている。面白そうジャン、やってみろし。(方言。)
まあ英語講師としては 発音がネイティブに近づくにこしたことはない。
商売道具は磨いておいて損はない。
公教育で 音がないがしろにされている中 Eliotさんは 音作りに重点をおいて 実践している。 (HP内 音作りへの道 参照)
根石さんは 電話でレッスンを通じて 文章丸ごと 意味と音を獲得させるレッスンをしている。
>英語の音声学(Phonetics)を母国で学んだネイティブは、日本に何人いるのでしょうか? 殆どいないと言っていいでし
ょう。ですから、ネイティブの教師は、理論的に発音の仕方を日本人に教えることができないのです。
従って、教師がネイティブだからといって、英語の発音が必ずしも良くなるわけではありません。
まったくその通りです。
小さいときからネイティブに習えば ネイティブのような発音になると思う日本人が多い中 (たかだか 週2時間ほどでありえません。 英語耳ができるかもあやしい)
また それを利用する英会話学校と どシロウトな外国人講師の多い中
Steveさんは 日本にいる数少ない発音を教えることのできる講師だと思います。期待したいです。
発音のレベルを数値化(84からネイティブレベル90)しているところは発音を 数値化してよいのかどうか また それができるのかかどうか
個人的にちょっといただけないですが。
英語発音検定試験「J-TEP まで作ってしまっている。おみそれいたしました。 日本人の資格好きを見抜いているところ なんとも 商売人。
あまり賛成できかねますが 本当は見習うべき根性かもしれません。
話しを戻します.
ネイティブの音を目指す →ネイティブ信仰→ アメリカ信仰 ともなりかねない。飛躍しすぎだろうか。
私は 通じる音であればいいと思う. 現在は 通じる音さえ つくれない 日本の教育〔学校 塾 英会話学校)のだから。
通じる音+ NOと言える、意見を言える日本人。
願わくば 小泉さんも はっきり意見を言えるといい。
その際 敵の土俵 (英語)で相撲をとらず 日本語を使って欲しい。
ネイティブの発音をめざすより NO といえる 日本人でありたいとおもう。
根石さんは 電話でレッスンを通じて 文の中で 音と意味をまるごと内包させるレッスンです。
>>私はどちらの願望もないので、今の英語発音で満足です。
>私は英語に限らず、何事においても満足したら進歩はない、
>と考える者です。
HIRATA Mさんが一般論としておっしゃっているということを理解した
上で、さらに、また自慢のように聞こえるとわかってながら、あえて
付け加えさせてください。
私は自分の発音についてはもうこれ以上直すところはなかろうと思う
水準であり、実用上も仕事上も本当にこれで十分だから、満足して
いるのです。「商売道具」としても十分に磨かれていると考えています。
だからといって、何もしていないわけではなく、それなりに研鑚は続けて
います。それは主に音読です。読書も兼ねて、音読をたくさんしています。
最近ではHarry Potterのシリーズを第一巻から第三巻まで全部音読しま
した。固有名詞の発音がわからないことがあるので、カセットブックも
買って参考にしました。
自分の発音をどうこうよりも、私がどうにかしたいのは学校の授業の
方です。この面では試行錯誤の連続で、満足には程遠い状態です。私は
自分のエネルギーと時間をこちらの方に向けたいと思っています。
こちらでは進歩の余地は山ほどありますので。
佐伯さんの本は、フランス語の教科書も含めて三冊とも持っています。
コメントについてはそのうちにということにさせてください。
>小さいときからネイティブに習えば ネイティブのような発音になると
>思う日本人が多い中 (たかだか 週2時間ほどでありえません。
>英語耳ができるかもあやしい)
とある英語教室に小学校1年生のときから通っていたという中学1年生の
女子の英語音読を聞いたことがありますが、まるっきりのカタカナ発音
でした。彼女の英語塾はそれなりに英語の録音などを聞かせて練習させる
ようなところだったので、子供だから発音は上手になるだろうと期待して
週に1、2回通わせるだけでは、まったくだめだということを実感させ
られる出来事でした。
今、小学校の一部では国際理解教育の名のもとに「英語教育」がなされて
います。英語指導の素人の小学校教員と、素人の英語ネイティブによる
「英語教育」で何が達成できるのか。「歌やゲームを通じて英語の音に
親しませる」というようなお題目が掲げてありますが、なんと能天気な
ことだろうと思わざるをえませんね。
私もEliotさんのように中学生の時から独学で発音
について勉強していて、アメリカにも約9ヶ月滞在しさらに
発音について修行してきました。その甲斐あって(アメリカ英語として
なら)誰が聞いても上手ですね、と言われるレベルです。
そんな私ですが、教員になる前ある大手の学習塾で英語の非常勤講師として働いたことがあります。そのとき当然のように私ができる限りの
きれいな発音で授業していたのですが、それを見た社員の英語の
先生から、「Eric先生はとても発音がお上手ですね。でもその発音だと
生徒がわからないので、できるだけカタカナ発音でお願いします。」
と言われました。
非常勤講師という立場上抵抗することもできななったのですが、
これが現実なんだな、と思い知らされました。
高校入試を受けるほとんどの生徒が、いわゆる学習塾に行っています。
生徒は学校での週3時間の英語の時間より塾での学習に力を入れます。
素読舎のような塾の方が珍しいわけで、私やEliotさんのように発音を
教えてくれる先生もほとんどいないわけです。今までこの掲示板で
日本の英語教育についての多くの議論がなされてきましたが、行き着く
ところは「このままではだめだ」と言うことだと思います。私も強く
そう思います。
早速、御丁ねいなお返事をいただきありがとうございました。
その上、ほめていただいて嬉しいです。恐縮しつつ素直に喜んでいます。
大きな励みとなりました。
一人一人の音に耳を澄ませ神経を集中させ、音を聞き分けるということは
大変な事と思います。熱意を持ってご指導いただき、こちらこそ頭が下がり
ます。
今はオダ・メイが登場するのを楽しみにがんばっています。
「英語の話し方」は近いうちにお送り致します。
根石さん
一般的には「笑わせてくれるぜ」と言うと思いますが、
「わらかしてくれるぜ」って長野県の言い方ですか?
HIRATA.Mさん、こんにちは。
私が妙な比喩を用いたためにかえってわかりにくくなってしまいました。
すみません。
言いたかったことは、
相手がストレスなく聞き取れる発音をめざすことは必要だが、
ネイティブそっくりの発音にこだわることは、
過剰な努力、多くの日本人にとって不必要な努力だということです。
ネイティブの発音からの距離を得点化し評価するジングルズでは、
日本語訛りの英語をどう判定されるのかを知りたい気もします。
また、公用語として流通しているインドやシンガポールの英語は
どうでしょうか?
「英語の科学的学習法」という本は読んだことがあります。
文法的分析というやり方を面白いと思った記憶があります。
英文を音読するだけでなく、*は単数の名詞で主語である。
#は他動詞で現在形である。&は単数の名詞で#の間接目的語である。
というように、一つ一つの単語の品詞や文の中での機能を<英語で>
聞いて音読する、という方法だったでしょうか?
面白いとは思ったのですが、文法テープ1本を4年間、
聞き続け音読し続けるというやり方を、やり通せるとは思えず、
手をつけませんでした。
HIRATA.Mさんが、もし実践されているならば、
感想を聞かせていただけないでしょうか?
Eliotさん。
関西弁じゃないのかなあ。
鶴瓶やさんまがよく喋っているので、そう思っていました。
でも九州人の私も、日常的に使っています。
焼酎「こじか」、すっきりして香りのいい、うまい焼酎です。
さて、さっきおっしゃんちから出てきたところで、パトカーと会いました。
パトカーはどうしようか迷っていたようですが、ゆるゆると行ってしまったので、私もゆるゆると杭瀬下に戻りました。
おっしゃんちの前の道も、いまや幹線道路です。
この時間まで人と話をしていました。
話が終わったら、やはり疲れたしまいましたので、大事な話は明日以降に
させていただきます。
眠い。
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私はテレビをほとんど見ませんので、関西のコメディアンの
言葉遣いには詳しくありませんが、大阪生まれで滋賀育ちの
同僚にたずねたら、あちらでは普通に使うという答えでした。
私は生まれも育ちも福岡市ですが、「笑かす」というのは
使ったことがありません。私のまわりではみんな「笑わかす」と
言っていたような気がします。
英語では Don't make me laugh.あるいは That's a laugh. もよく
使いますね。
仕込みの時間が来てるのに、ゆうべ朝まで飲んだ酒が抜けない。
もっこりさんの時間までには、抜けていると思うが、今が困る。
もう、15分後に一人レッスン。
ほぼ絶対絶命状態である。
Eliot さん
「笑かす」はこの辺では使う人と使わない人が混在しています。
更埴市という小さな市ですが、北陸経由で糸魚川だったか姫川だったかに
沿って伝わってきた関西の文化が薄くある場所と、北陸街道ぞいに江戸との
往来で来た関東の文化とが出会っている場所ではないかと思ったことがあり
ますが、私は郷土史を知らないのであてずっぽうかもしれません。
「笑かす」を使う人は、多くありません。
しかし、私は自分で使っていて何も違和感もありません。
どういうことだろう。テレビで関西芸人から受け取った言葉なんだろうか。
何も思わずに使っていたので、急にわからなくなってしまいました。
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北陸街道ぞい
→
北国街道沿い
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良く使います。京都では。。。
NHKアナウンス室制作の「NHKアナウンサーのはなす きく よむ」という雑誌があります。今年度1年間ラジオ第二放送で放送されている一種のテキストです。杉原 満(すぎはら みつる)アナウンサーの「意味を考えて読む」<9月15日(日)午前7時10分からラジオ第二放送で再々放送があります。>の中の3ページ目=このテキストでは9ページに「いきなり声に出して練習するのは禁物です」という項目と「十分な黙読が大切です」という項目の一部に興味があったので少し引用させてください。
先程の「声」になれない「音」で。。。
4行目で
9ページ(×)
95ページ(○)
です。すみません。。。
読書をしていて、ふと他のことを考えてしまうと、もう一度元に戻って読み始めるという経験が誰しもあるはずです。黙読は内容を考えながら読まないと先へ進めません。これに対して、音読はほかのことを考えながらでもできます。いきなりの音読では内容をきちんと理解しないまま、理解した気分になってしまう恐れとともに、一度音として発したことばの音の高さやスピードは、あとから修正するのが難しくなってきます。
黙読をしっかりして、自分の頭の中に、文章に書かれた情景や状況を想像しましょう。その想像したものが映像として明瞭になっていれば、そのシーンに合わせた語句の音の高さやスピードが、自分の脳裏に聞こえてくるはずです。そこまで十分な黙読をすれば、自然なイントネーションで話すように読んでいるはずです。また、間の取り方などもおもずから自然になります。
この一節を読んで根石さんのレッスンを受けている意味が少しわかったような気がしました。
ですね。。。
話すように読むうえで、もうひとつ大事な要素があります。それは読み手が、文章に書かれた情景や状況を、自分の脳裏に、映像として作り上げられるかどうかです。映像として想像できれば、わたしたちは無意識のうちに、それに合わせた息の容易をしているのです。(もちろん限界はありますが)。
「息」を根石さんは「電話でレッスン」の時に聞いておられるのですか?
最後の一節、の「限界」はありすが。。。という部分、気になるのですが、やはり「思う」「思う」「思う」しかないのですね。。。やるしかないですね。
"黙読が必要"とのsbさんの意見に対して疑義を呈します。
私がさかんに引用する佐伯智義さんが次のように書いています。
転載開始
"語学力"での"音韻"つまり、英語の発音が文章を読むのに、どうして必要なのか、分からない方もいらっ
しゃるでしょう。『科学的な外国語学習法』に「ほとんどの欧米人は、本を読む時、聞こえるか、聞こえな
いか位の小さな声を出すか、または、声帯をほんのわずか震わせている」と書きましたら「嘘だ!」とのお
叱りを受けました。「印刷された文字を目で見て、それを発音し、自分が発音した音を、まるで会話での相
手の言葉のように聞いて文章を理解する」という読み方は、発声器官をまったく動かさず目だけで文章を読
む日本人には理解できないことなのでしょう。しかし、英語は音を表すアルファベットで書かれています。
したがって、英語は発音記号で書かれていると言ってもいいのです。印刷された英文は、音に変換されない
と意味を持たないのです。
転載終了(「英語の科学的学習法」講談社188〜189頁)
皆さんは上記の引用に関してどのように思われますか?
映像化することの意義の一つは記憶を容易にすることにあります。もっというと、視覚化である映像化に
他の五感、つまり、味覚・聴覚・嗅覚・触覚などを加えると印象が強まるので更に記憶保持力が増します。
お試し下さい。
mailto:minoru01@mue.biglobe.ne.jp
>一度音として発したことばの音の高さやスピードは、あとから修正するのが難しく
なってきます。
アナウンサーは日本語の磁場にいて、日本語で書かれたものをちらちら見ながらアナウンスをやるのですが、この条件下においては最初に黙読というのはなるほどと思うところがあります。
語学では、音づくりのできるコーチさえいれば、最初から音読でいくべきだと思っています。コーチがいない場合では、何らかの方法で、発音のコツの説明を読むことが必要です。
日本語の音で口の動きが形成された後に英語をやる場合は、こちら岸の音からむこう岸の音へ橋を歩いて渡るようなものだと考えています。橋のこちら岸に近いところもあれば、橋の真ん中もあれば、橋の向こう岸に近いところもある。こちら岸にいて、日本語を使っている時間は語学ではないし、向こう岸に渡り終わって英語を通用させている時間も語学ではない。語学は橋の上にあると思っています。
一度音として発した言葉の音の高さやスピードは、あとから修正するのが難しいなどとはまるで思いません。アナウンスの練習でだって難しいとは思わないのですが、語学では修正に次ぐ修正が橋を渡るという行為そのものです。修正に次ぐ修正がなければ、こちら岸の音(日本語の音)から、むこう岸の音(英語の音)に近づくことが成立しません。
私はまた、この語学という行為を載せている橋というものを考えると、初心者が練習すべきものは、英語の音と日本語の音の中間音だとも思っています。
ネイティヴ発音の複製音を聞かせて真似して言ってみろと言っても、ネイティヴが repeat
after me と言っても、それで、日本人の初心者が真似や repeating ができるわけではない。しかし、学校を含めたほとんどの英語の機関がそれしかやれていない現状です。
中間音には、こちら岸に近い音もあれば向こう岸に近い音もある。しかし、もっとも中間音らしい中間音は、理論的には橋の真ん中あたりの音になる。この音を、日本語くさい音だとか和臭だとか言って、馬鹿にしたり劣ったもののように扱う者どもを私はいつでも蹴飛ばす用意があります。
この音は日本人が日本に住んで英語をやる場合には必要不可欠な音だと考えているのです。ここを通ることが必要であり、中間音をちゃんと作れれば、橋のむこう岸に近い場所では、ネイティヴ音の複製音の媒介が有効になります。
音に関してのコーチの仕事とは橋の真ん中か、向こう岸に近いあたりまで生徒を連れていくことです。橋の真ん中以前(こちら岸寄り)では、絶対にコーチがいた方が有利です。
この中間音を作ることを無視して、英語をやり始めたばかりの人にネイティヴ音や、その複製を聞かせ真似ろというのは、こちら岸からむこう岸に飛び越せと言っているのと同じです。小川ならともかく、英語と日本語の音の間には橋が必要な距離がある。橋が必要な場所で、飛び越せと言っているのですから、飛び越そうとした人の多くが溺れ死ぬ。(使えない音のままになる)。
語学をやり始めた人に必要なのは、ネイティヴ音を媒介にしうる中間音であることを指摘したものを読んだことがありません。私が知らないだけかもしれませんが・・・。
話が逸れておりますが、語学では、音と意味を同致させ、さらにそれを声にする必要がありますが、アナウンスの練習では、音と意味の同致はことさらに練習する必要がないと思います。引用されたものは、声と意味の同致に関するもので、あくまでもこちら岸においての話です。その場合には、意味を先に確定し、それに声を合わせるという練習は有効だと思います。こういう練習は、外国語の語学とは相似形にならないだろうと考えました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>英語は発音記号で書かれていると言ってもいいのです。印刷された英文は、音に変換さ
れないと意味を持たないのです。
英単語一つを音に変換せず、一つの漢字を見るように見ることはできます。
そして、それは一つの漢字がそれだけで意味を喚起しうるのと同じように、意味を喚起しうると思います。英語の速読ができる人は、それをやっていると思いますが・・・。
>映像化することの意義の一つは記憶を容易にすることにあります。もっというと、視覚化である映像化に他の五感、つまり、味覚・聴覚・嗅覚・触覚などを加えると印象が強まるので更に記憶保持力が増します。
「思う」ことのによって、英単語や語法をイメージ化する場合のことを言っておられるのでしょうか。英語を読んだり理解しようとする場合に、通常は「映像化」ということは行われていないと思います。あくまでもイメージ化か、イメージの抽象度を高めることしかやっていないと思います。
あるいは、まったくそういうことを言っておられるのではなくて、引用させていただいた部分は、語学が生活言語に渡って、生活過程の中で、視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚を伴いながら、言葉が使われる場面のことを言っておられるのでしょうか。こちらでしたら、異議はありません。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>「息」を根石さんは「電話でレッスン」の時に聞いておられるのですか?
「息」を聞くということがどういうことかよくわかりません。
お教えください。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
三省堂から来たメルマガより転載します。あまりにあほらしいので
皆様にも見ていただきたいと思いました。
転載開始----------------------------------------------
2002年8月26日、三省堂主催のオープンセミナー「小学校の英語活動の
新たな展開を探る」が都内にて開催され、小学校教師ら120名が
集った。<中略>また、「これからの英語活動 教師がすること
考えること」で関西大学の斉藤栄二氏は「小学校教師が英語活動を
始めるにあたり必要な英語力を短期間で身につけるための方法」に
ついて講演した。
英語活動に必要な英語力を身につけるには? 関西大学 斉藤栄二氏
小学校の英語活動で必要なのは、まずは教師が正確な発音で、
易しい英語を話すことです。今日はみなさんが「時間をとられず」
「エネルギーも最小限で」「どこでも出来る」勉強方法で「正確な
発音」と「易しい英語を話せる」力をつけるため方法をお教えします。
まずは「易しい英語を身に付ける」方法です。
今日はサンプルテキストとしてNHKの英語会話のテキストをお持ち
しました。
テキストは中学生用の教科書でもいいですよ。まずこれを
1 本文を写し書きする
2 訳文を書く
3 訳文を見て英文を復元する
これだけで英語の力は身に付きます。一日テキスト1ページで
よろしい。
英語の力は、どれだけたくさんの基本英文を自分の頭に蓄えて
いるか、で決まります。これを1か月続ければ、あなたは自分の
話す英語に自信が持てるようになるのです。
次に「正確な発音を身につける方法」です。
何でも良いので、英語のテープを用意します。
それを一文づつ聞き、繰り返すだけです。聞き取れなかったり
言えなかった場合はテープを巻き戻し、何度でも納得いくまで繰り
返します。これを習慣化し、毎日繰り返してください。1カ月で
あなたは自分の発音に自信が持てるようになるでしょう。
易しい英語で授業を展開・つなげていくことは、実はそう簡単な
ことではありません。プロダクション能力が必要になるんですね。
私は、小学校英語を「あいさつの英語」の領域として私は捉えて
います。
ねらいは「英語など、外国語を好きにさせること」「異文化の
背景を持つ人に自然になじませること」。
到達目標は、人間として基本的な英語の表現を身に付けさせる
こと。
お礼が言えて、きちんとお願いすることができて、あいさつ
できればいい。
「あいさつ」や「お礼」はコミュニケーションの基本ですからね。
あいさつの後に、自己紹介ができたり、買い物が出来るといった
コミュニケーションがとれるようになればもっといい。
あいさつができ、お礼が言えて、質問をしてその人に助けてもらう
ことができれば、私たちはその国の人たちと戦争をしない、そう私は
考えています。
転載終了---------------------------------------------------
これで「正確な発音」と「易しい英語を話せる」力をつけることが
できるそうです!!!
「思う」というのは、一つの英単語なら英単語のイメージの核をつかむことそのものです。つかむというより、最初は強引に核を作っちゃうんですね。ただただ意識の力だけをあてにして強引に作ってしまう。そうすると、ネイティヴ達が共通に感覚している核のありかと、ちょいとずれた場所に核を作ってしまうこともありうる。それはまるで構わない。というか、それは避けられないだろうと思います。
しかし、その同じ単語に別の文脈で何度も何度も出会っていけば、最初ずれていたイメージの核の場所は、徐々にネイティヴ達が共通感覚として持っている位置へ重なっていくはずです。少しのずれを修正するのに、すごく時間がかかる場合もありますが、その修正の過程そのものが語学であるというのは、音に関してもイメージの核に関しても同じように言えると思っています。
いずれにせよ、初動は「思う」ということにあります。
また、イメージの核のずれの修正も「思う」ということによって行われます。
このあたりの語学的な意味論、語学的なイメージ論は、非常に手薄です。「音派幼稚園」の方々は、意味論やイメージ論にはまるで言葉を届かせ得ていないと思います。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
皆さん、名前を覚えましょう。
日本の英語を腐らせているエライお方の一人がみつかりました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今日、俺が千曲川の河川敷のサッカー場で少し走ってから家に帰ろうと歩い
ていたら、車の上のライトを消したパトカーが俺の横まで来て非常にスピー
ドを落とした。その後、ゆるゆると行ってしまった。
夜中の1時、2時あたり、俺の家の近所にパトカーが走り回っているのは、
確認できました。
いよいよ、幹線道路ですかね。五月蠅くなるな。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
>相手がストレスなく聞き取れる発音をめざすことは必要だが、
ネイティブそっくりの発音にこだわることは、
過剰な努力、多くの日本人にとって不必要な努力だということです。
私は、「同化」と「媒介」という言葉で考えています。
相手がストレスなく聞き取れるだけでなく、自分が相手の言うことをストレスなく聞き取れるようになるためにも、自分の発音をネイティヴ音に近づけることは必要です。
自分の音にネイティヴ音の繊維を備えようとすること自体は、語学的には何も問題のないことだと思います。
ネイティヴ音に近づけること自体には問題はないが、それが「同化」なのか「媒介」なのかで、語学的態度としていやなものになったりならなかったりするのだと思いました。
語学をやる人の語学的主体性が問題ではないかと考えています。
ネイティヴ音を信仰する人たちは、「同化」したいのです。
主にアメリカ音に「同化」したいのだと思います。
私は「同化」が語学だと思っている人々が嫌いです。いくら大きなエネルギーを音の獲得に費やそうが、その行為が「同化」であるかぎり、「日本人の」英語という主体が放棄されているからです。「同化」とは、水が低きに流れるような、安易な態度です。
私はもっこりさんにも、Hirata さんにも「同化」を感じません。Eliot さんが鵜田さんのホームページから引用してくださった、なんとかという人の文章に、この「同化」を見たのでした。糞くらえと思ったのは、その文章でした。
音読のような動態において、ネイティヴ音を「媒介」にする行為は、その「媒介」ということをする語学的主体があって始めて成り立ちます。「同化」は主体を放棄してもやれることでしょうが、「媒介」は主体を欠いては成り立たない。
ネイティヴ音信仰者たちを見るたびに、私の中には「あほくせえ」という思いがどうしても湧いてきます。この人たちは、例えば私が必要だからやるにすぎない行為を、ネイティヴ音信仰という信仰に変えてしまう。
この信仰こそが、過剰であり不必要なものではないでしょうか。
語学に余計な信仰を混ぜる必要はないと思っています。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
今日、Eliot さんが作られたCDからダビングしたテープお送りしました。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
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そんな私ですが、教員になる前ある大手の学習塾で英語の非常勤講師として働いたことがあります。
そのとき当然のように私ができる限りのきれいな発音で授業していたのですが、それを見た社員の英語の先生から、「Eric先生はとても発音がお上手ですね。でもその発音だと生徒がわからないので、できるだけカタカナ発音でお願いします。」と言われました。
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ありうる話だと思います。
私の女房の生徒は、公立中学や公立高校の生徒たちばかりです。
私は「電話でレッスン」の専従ですので、今は学校の生徒を塾で見ることはしておりません。
しかし、どうも、私の生徒たちも学校の授業中にテキストを読まされると、塾の中で出している音をわざわざカタカナ発音に変換して読むらしい感触があります。なぜか。Eliot
さんや Eric さんのような先生がまるでいないからです。私の塾で出している音で発音すると、一人だけ浮き上がってしまうからです。
悲しい話です。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html