>「決して英語大好き人間ではない人達が必要に迫られて、英語の磁場がない日本で、シンタックスが違う英語を、修得する」方法がなければならない、そして、それをやってのける事の出来るのは素読舎ではないか、と思い始めています。
もっともうれしい評価です。
実際、私はそう考えています。
実際、私は英語大好き人間ではないのです。
糞くらえ、英語なんざ、と思って生きている日もあります。
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斎藤さんが私のことを、英語ができることを鼻にかけて自分を(斎藤さんを)見下していると思われたということ自体が、斎藤さんが、ご自分が古川さんの掲示板でも、またここ大風呂敷においても多くの人たちから無視されたり、揶揄されたり、非難されたりする原因をちっともご理解なさってないというということを証明しています。
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以前からのEliotさんの言葉の端々から、そう感じたのです。ついでにフロイトによると、言い間違いというのは、深層心理を反映している場合が多いそうです。しかし、私の見当違いということも大いにあり得ますので、その場合は、謝ります。
しかし、どうもEliotさんが、私に突っかかる理由がよく分かりません。
私が前に恋人ファンさんか、Naimaさんに書いた言葉が、気に触ったのかもしれません。私が、以前(3ヶ月くらい前かな?)古川さんの掲示板であばれたときは、確かEliotさんは、それほど批判的ではなかったと記憶しています。
mailto:genkisaito@hotmail.com
現在、書店に行けば、CD付きの英語学習本がたくさん売られている。
また、ネイティヴの音声の複製は、CD以外にも、映画、テレビコマーシャル、インターネットラジオなどにも沢山流れている。英語で歌われている歌も多い。だから、「音」だけに関して言えば、日本人は結構多くの英語「音」に触れ続けていると言える。
もしも、言語の上達がその言語の「音」に触れている時間の長さと相関関係があるならば、映画好きの人々の中には、映画をみるだけで英語に上達してしまったという人が現れても不思議ではないのに、そういう人に会ったことがない。
一見屁理屈のように見えるが、私は「音」と「声」というものを区別して考えてきた。あらゆる語学の机上(あるいは教室)の中の音声現象は「音」であり、生活言語における音声現象は「声」であるという区別がある。「音」は語学に対応し、「声」は生活言語に対応する。もちろん、赤ちゃんがネイティヴ言語を獲得している過程で触れ続けているのは、本質的には「音」ではなく「声」なのだ。
日本人の英語学習の時間を、英語ネイティヴが生まれてから英語に触れ続ける時間の絶対量と比較する論を見ることがあるが、「声」と「音」とでは、その相互の質が違うので、本当は比較の対象にはならない。一方は「音」であり、一方は「声」であるものを同一平面上で比較することはできない。
机上の英語学習においては、学習者は扱っている言語の「当事者」ではない。ひとたび、机上を離れれば、そこが日本であれば自分の日本語の「当事者」であり、そこが英語圏であれば、自分の英語の「当事者」である。
磁場がないということは、「当事者性」がないということであり、磁場に生きることは、自分の言葉の当事者として生きるということである。この「当事者性」というものには、言語を無意識に沈める作用がある。
磁場においては、言葉そのものではない、用件そのもの、感情そのものが大事である。
語学の机上においては、用件そのもの、感情そのものは仮のものであり、言葉そのものが大事になる。
これは、実に実にうらはらな場面なのだが、このうらはらは軽視されている。
当事者性を欠如する語学というものの性質を、きちんと基礎に据えて語学論を作らなければ、すべては疑似語学論に終始するだろう。疑似語学論は、ある語学的な行為が成り立つために何が前提となっているかを無視して自説に固執したり、ネイティヴ言語獲得過程を語学のモデルにしたり、世に流布するメソッドのいくつかを並列するだけでその相互関係を見極める作業を省いたりする。これらはすべて、俗流語学論にしかならない。
当面は、「音」と「声」の関係が私の関心だが、この相互の違いを決めているのは、生の磁場における、当事者同士が発する「声」の蜜(甘い蜜であれ、苦い蜜であれ)であろう。
(「声」の蜜とでも言う他はない。あの、「当事者」同士の関係を絶えず更新していく力のことは。)
机上には、この「蜜」という栄養がないのだ。
語学の机上においての「音」は、いつ「声」になるのか。
ひとまずは、机上において、「仮の声」に。
次に、生活言語において、「声」に。
「仮の声」には、意味もそれがひきつれている状況も、想像的にすべて理解されている。語法的知識も文法的知識も、瞬間化されセンス化されて動いている。たった一つの文でも、ひとつの有機的な総合体となる。しかし、それでも「仮の」ものでしかない。語学の机上では、言葉の当事者となることは「仮に」しか実現しない。
この「仮」というものに見事に対応しうるものが、外国語による読書というものだろう。
読書というものが、生活からすれば「仮」のものであるのは、読んでいる本の上に蠅が一匹とまっても、イメージの流れは中断され、蠅に注意が行ってしまうことがあるのを考えればわかる。(私の場合は、猫に本の上に座られることで中断されることが多い。無論、猫に座られてしまった時に流れ出すのが現実の時間だ。それまでの時間が「仮」のものであったことが判明する時である)
「しゃべる・聞く」英語では、「仮の声」が「声」になる。ここには大きなジャンプがある。語学と生活言語の間の断層を越えるジャンプがある。強い意識にはそれが可能だ。しかし、生気のないような英語をしゃべる英語使いも多く、生活言語の場面においても「仮の声」から抜け出せていないような例も多い。日によっては、私もこの「生気のない言語」をしゃべる。
「回転」というような「凝縮過程」「瞬間化過程」は必須だと思うのだが・・・。
>お母さんの一番上のお兄さんは、日本に来られたときは何歳だったのか
>後戻りのきかない年齢というものがあると思ったのでした。
確か、14〜5歳だったと聞いています。
個人差もあるでしょうし、母の一家だけを見て決めつけることはできませんが、
私も、この事実は何かを物語っているように思われるのです。
根石さんのおっしゃっていることは、一言でまとめると人工的な「磁場」は、本物の「磁場」には、しょせんかなわないということでしょうか?
私も、非ネイティブがネイティブ並の言語能力を獲得するのは(ごく若いときに、その国で生活しない限り)、不可能に近いと思っています。
mailto:genkisaito@hotmail.com
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------
<クラス五・(ハイキング)>
佐賀・K ゴースト(一冊目) p.12
<クラス十・(低山)>
松代・Y(高1) ゴースト(一冊目) p.21
<クラス十五・(アルプス夏山)>
<クラス十十・(アルプス冬山)>
埼玉・S ゴースト(一冊目) p.24
山梨・shima 逃亡者(一冊目)p.19
<クラス十十五・(岩登り)>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.33 (「ゴースト」終了)
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.16 (「ボディ・ガード」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.72
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.73
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.43
<クラス十十十・(ヒマラヤ)>
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.124
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.73
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.83
----------------------------------------------------
<中学教科書音読クラス・(基礎体力作り)>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.75 (7月)
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.15
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.84
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.59
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
東京・S(自営業) ニュークラウン p.22
中野・K(小6) ニューホライズン1年 p.67 (7月)
----------------------------------------------------
<基礎問題集30分枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集180
<基礎問題集一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集241
----------------------------------------------------
8月11日(日)〜8月17日(土)
の間、例年通り夏休みをいただきます。
再開は、
8月18日(日)
からです。
よろしくお願いいたします。
素読舎 根石
語学の机上においての「音」は、いつ「声」になるのか。
回転読みをして「イメージ」と「音」が一致した時、その人にとって「声」になるのではないでしょうか?根石さん?
同じ複製音声を聞いていても、意識しているときとそうでないときでは「声」となっているかなっていないかは違うと思います。いつどこでどんな音声が入ってくるか分かりません。だからこそ「イメージ」と「音」を限りなく自分の中で一致させる「回転読み」などの技法が必要になるのだと思います。
http:
実学ということですか?
身体論ということですか?
習うより慣れろということですか?
8月11日(日)〜8月17日(土)
の間、例年通り夏休みをいただきます。
再開は、
8月18日(日)
からです。
よろしくお願いいたします。
素読舎 根石
>フォニックスを導入している先生達も、やはりこれも「磁場のある人達の為のものだ」と言う前提を無視して教えているのが現状です。 私は英会話学校で教えた経験があるのですが、なぜフォニックスが思う様にうまく行かなかったのか、やっと分かった気がします。
もう少し詳しく教えてもらえませんか?どのようにうまくフォニックスを使えなかったのか?
外国語を学ぶときにはあまり馴染まない部分もあるのでしょうか?
>確か、14〜5歳だったと聞いています。
このあたりに、何か境界があるとは以前から思っていたのです。
鶴見俊輔という批評家がいまして、この人はお父さんとえらく仲が悪く、ずいぶん若いときにアメリカに渡った人です。何かの座談会か対談の記事で読んだのですが、私がびっくしりたのは、鶴見は、文章を書くときに、最初に英語で考えて、それを日本語に直すのだという発言を読んだ時でした。
また、別の座談会だったと思いますが、十代のある時期までに外国語に取り囲まれると、しばらくは全然わからないが、ある程度の時間がたつと、急にわかりはじめるという記事があったと思います。つまり、この頃までは、意識に言語を完全に入れ替える能力が残っているということを意味すると思います。その年齢が、14,15あたりだったように覚えているのですが、うろ覚えです。16あたりだったかもしれません。とにかく、17,18という数字ではありませんでした。
仮に、14,15あたりだとして、日本ではこれはちょうど中学生が高校生になるあたりです。
そして、これで思い出すのが、國弘正雄なのです。この人は中学の時に、「只管朗読」をやった。
しかし、この「中学」は旧制中学なのでしょうか。今、急にこの疑問が出てきました。旧制中学なら、14,15あたりは通り越して、17,18という年齢かもしれません。
私は、戦中の学校制度のことを知りませんので、ご存じでしたらお教えください。
これまでの私の考えでは、國弘正雄は14,15になるまでの2,3年間、激しい「只管朗読」をやったことで、18、19でようやく音読にめざめた私などより、英語ははるかに無意識の深いところに届いているはずだというものでした。
準備としては完全な準備を整えて、アメリカに渡って暮らしたことが、彼の同時通訳の能力を作っていると考えてきましたが、書いているうちに、國弘正雄における「中学」が17,18歳あたりのものなのか、新制中学の年齢に相当するものか、わからなくなってしまいました。
>根石さんのおっしゃっていることは、一言でまとめると人工的な「磁場」は、本物の「磁場」には、しょせんかなわないということでしょうか?
私の考えでは、日本には英語の磁場はありません。米軍基地とその周辺、英語ネイティヴが多数を占める外資系企業の社内などの他には英語の磁場は「ない」と考えています。
斎藤さんが言われる「人工的な磁場」というものがどんなものかがわかりません。
多読を強く言い張った方ですので、多読によって生じる磁力が形成するものなのかと思いました。以下、それを前提にして書きます。
多読で考えるなら、一冊の書物が発する磁力が形成するのは、すべて脳内磁場に過ぎないと思っています。すべては個人の脳内のできごとにすぎません。
私にとっての、磁場は身体を直接に取り囲むものです。のっぴきならない場のことです。いつも「当事者」であることを避けられない場のことです。つまり、現在の私にとっては、磁場は日本語の磁場です。それ以外に私に磁場はありません。
もし英語による読書によって磁力を得るとしても、磁力はきわめて微弱なものであり、これは磁場を形成することはないと考えています。身体内の磁力はあっても、身体を取り囲む磁場はできません。
しかし、たとえ脳内であっても、たとえ微弱なものであっても、磁場のようなものができるなら、それを名付けることはできないかと考え、疑似磁場と呼んできました。
生の磁場と疑似磁場が違うのは、マクロという概念とミクロという概念が違うほどに違うと考えています。「話す・聞く」のスキルの発達を促す力においては、しょせんかなわないどころではなく、決定的に違うと思っています。
英語の磁場がない場所で英語をやることの利点ははっきりとあり、それは、語学論を備えた語学力ができるということです。これは、ネイティヴ言語の獲得過程や、生の磁場における言語スキルの発達に求めても得られないものです。
つまり、日本人の日本語、アメリカ人の英語は、語学論など必要とせず成立していくが、磁場を欠いた場所での外国語修得には、語学論というものが育つ。
これが本当の宝物だと思っています。
おしゃべりのスキルで言うなら、東大の英語の先生は絶対に、アメリカの5,6歳の子供にかなわないのです。わかりきった話だと思います。
頭にくるのは、東大の先生(とか大学の先生)は、これまで、磁場を欠くことが日本人の英語学習に何をもたらし、何をもたらさないのかをきちんと語ることをしてこなかったことです。
語学論を備えた語学力というものは、私にとっては、単なる言語スキルよりもはるかに大切なものであり、「日本の英語」を作りつつある人にとっても、大切なものであるはずだと考えています。
横レスですが…。
根石さんの「音」「声・仮の声」という論点は、私にとっても初めて聞く根石term
でした。
sbさんwrote:
>回転読みをして「イメージ」と「音」が一致した時、その人にとって「声」になるのではないでしょうか?
sbさんの書いている「声」、これは多分「仮の声」ではないでしょうか。
なぜなら、根石さんはこう書いているからです。
>語学の机上においての「音」は、いつ「声」になるのか。
>ひとまずは、机上において、「仮の声」に。
>次に、生活言語において、「声」に。
「声」は根石termでいうところの「磁場」と密接にかかわっていると思いました。
以下、ちょっと極端な例ですが。
「回転読み」でいわゆるfour lettersってやつを激しくやっても、それは机上の
「語学」であり、練習している本人には感情を込める必要もない。そこですごく
回転させて、音とイメージが一致するようにしたとしても、それはあくまで想像
の範囲のことだと思うのです。
しかし、例えば私が「フルメタルジャケット」で慣れ親しんだ、
Fuck you, scumbag!
なんてのを、調子こいてNYあたりで言ったとします。
…ここまでは、多分、「仮の声」。だって、何回言っても、私の気持ちも、身体
も、全然「平気」だし。
でも、言った途端、ボコボコにされるか、ひややかに無視されるか、あるいは…
(言ったことないからよくわかりませんけど)。
まあ、いずれにしろ、なんらかの反応があると思います。(状況にもよるだろう
けど、多分、痛い目にあってるんだろうなあ)
それ以後、私は「あ〜、こういうこと言うと、相手はこう感じるらしいな」とい
うように感じはじめるだろうなあ、と思います。
で、「磁場」の中で、ある程度時間が経って、私がほんとに腹に据えかねたこと
があったとして、相手に腹の底から
Fuck you, scumbag!
と言った時、それは「声」になってるのではないか、と思いました。
mailto:murataya@avis.ne.jp
>回転読みをして「イメージ」と「音」が一致した時、その人にとって「声」になるのではないでしょうか?
そうだと思います。
イメージと音が一致するというより、一体のものとなったときだと思います。
それでも、これはまだ「仮」のものです。
「仮の声」だと思います。
今、書いて投稿したら、村田君の記事が先にありました。
Thanks.
>実学ということですか?
身体論ということですか?
習うより慣れろということですか?
身体論であり、語学論だと思っています。
>根石さんの「音」「声・仮の声」という論点は、私にとっても初めて聞く根石term
でした。
「仮の声」というタームはないけど、「音」と「声」のことなら、「どんでん」にあるよ。
あなた、本当に俺の対談相手だったっけ?
「仮の声」ということばにひっぱられて…
いやっ!言い訳はしませんっ!
mailto:murataya@avis.ne.jp
は、書かないようにするつもりです。
が、やけに面白い話が飛び出したら、書かないでいる自信はありません。
うどんを喰いにいきます。
その後は寝ます。
みなさん、ひとまずさようなら。
フォニックスの事ですが、沢山英語を聞いた後でないと、c,a,tがcatと撥音出来ない、と言うか... 文字で説明しにくいんですが、前にも書いた様に、個々の文字の撥音を「ク、ア、ト」と指導して生徒が正確に撥音できる様になっても、それを「キャット」と繋げるのが難しい、と言うか。 フォニックスを独立させて教えると、生徒にとって、c-a-tとcatはいつまでも別物と言うか...
例えば、"This is a cat."と言う英語に耳が馴染んだ後、あるいは回転読みしている時、"catのaは一瞬般若の口をしてaと撥音する"(根石さんのtermですが)と言う事を指導してやる方が、はるかに効果的だと思うのです。 これは、素読舎で根石さんから直接、お話を聞いてはじめて気がつきました。 それこそ、「目からうろこ」でした。
音のassimilationと言うのでしょうか、a worm in an apple と言う句があったとしましょう。 これが「あわーみななぷる」と繋がると言う事も、回転読みの中で、nの音を指導する事で、体得出来ると思うのです。 根石さんは、「動きの中に置いてやる」とおっしゃった様に記憶していますが、理に叶っていると思います。
勉強仲間に根石さんの「音づくり」や「回転読み」について説明したのですが、言葉にすると画期的な学習論である様には聞こえないのです。 説明がへたなせいもあります。 「回転書き」にしても、「読んで聞きながら書く、って事でしょ。 誰でもやるじゃん」で終わってしまうのですが...
「磁場がない」と言う認識をもてば、根本の所で、従来の学習論とは、雲泥の差がある事に気付くと思うのです。
なんか、うまく説明できないな〜
話が変わりますが、
佐々木さんと言う方が、少し前まで、本当の初心者が英語力をつけるにはどうするか、と言う質問をされていて、根石さんが彼女の為にカリキュラムを組みませんか、と呼び掛けておられました。 今、私は、自分が曲がりなりにも英語がしゃべれる様になった経緯をつらつらと辿っています。 紆余曲折、試行錯誤の中で英語の勉強をしてきたので、どれが「効いた」のか考えています。 その辺りをしっかりと検証しないと、「外国人としゃべる機会を多くする事」とか、「なんでも好きな本を沢山読む事」とか、言う漠然とした事しか言えなくなってしまいます。
ひとりでしゃべってますが...
例えば、「英語の歌を沢山聞いて一緒に歌ってみる」のが「効く」と良くいわれますが、これも自分は具体的にどうしたか、を思い出すと、曲をかけながら、歌詞カードを見てついて歌っています。 歌詞カードのない輸入盤などの場合には、(今ではネットで歌詞を取り出す事が出来ますが)ディクテーションをやって、それを読みながら何十遍となく歌ってました。 歌の場合には、掛け値なく、「メロディー付きの回転読み」をやっていたわけです。
その中で、All I have to do is think of her (George Harrison "Something") などと言う語法を見て、「なんで be 動詞のすぐ後に動詞が来るねんやろ?」と疑問をもち、学校で習い覚えた構文"All you have to do is to study."などと照らし合わせて、文脈から意味を類推し、さらに、「実際には、toのない裸の不定詞を使うんやろか」と気付いたりするわけです。
これは、歌の「多聴」においても文法知識が働いている事、「音読」が適用されている事の証しではないでしょうか。 こうやって詳細に検証して行くと、多聴/多読/多会話(?)するだけで、「自然に身に着く」わけではない事が明らかになると思うのですが...
どんなもんでしょう...
>斎藤さんが言われる「人工的な磁場」というものがどんなものかがわかりません。
私の言う「人工的な磁場」とは、多読をするとか、映画を見るとか、音読するとかいうことです。これらは、意識的な努力を必要とするので、「人工的」と呼んだのです。根石さんの仰る疑似磁場と同じことのようです。
>英語の磁場がない場所で英語をやることの利点ははっきりとあり、それは、語学論を備えた語学力ができるということです。
語学論を備えた語学力の利点とは、どのようなものでしょうか?
mailto:genkisaito@hotmail.com
磁場にいると 結構 机上の学習がおろそかになる。
正しい発音 文法でなくても 身振り手振り その場の状況により 通じてしまうこともあるため
ま いいか となることも あるからだ。 海外に長く滞在して磁場で 息をしているにもかかわらず磁場を 活かすことができず いつまでたっても 片言英語 という人も多く 存在する。自ら行動して 多くの人に会い 話さない限り 英語をあまり 使わなくても
生活できてしまうこと 、、ということもできるからだ。
私が磁場にいたとき もっとも 有効だったのは
テレビのコメディーをみることだった。 NHK教育テレビで夕方やっている あの手のコメディーだ。 大概は ある家族の日常を描いているので 擬似ホームステイとでも いうべきか。
実際にホームステイするより ある面いろんな ボキャブラリーや 感覚が学べる。実際のホームステイも 初期には 家族という中にはいることで 強烈な ショックと 磁場感覚が 得られるが なれてしまうと 日常をすごす上で そんなに単語は必要でない。あるときから 勉強するのが 面倒になり 机上での学習をおことると そこから 進歩がえられなくなる。家族との意思の疎通も そこで 滞ってしまうことも おこりうる。
テレビをみながら テレビでいったことを 身振り手振りを交えてくりかえし言い 気に入った表現があったら メモに取り
何度も何度も繰り返していう 「Jackieは よくテレビと話してた。」とは ルームメイトに
後日言われた言葉だ。
もうひとつは ラジオの英会話。 家族に頼んで 録音してもらったものを 現地でやった。
これは 習ったものを すぐ使えるという点で とても有効だった。
だから海外滞在の人が 電話でレッスンをすること とても 役に立つだろうとおもう。
机上での勉強を 継続するという意味で そして 磁場にいることが 相互作用を生み出すことだろう。
>英語を始めて習う人達は、きっと「キャット」ではなく「クッェアトゥ」になってしまうと思います。 (あかん、とても字では説明出来へん)
>フォニックスを導入している先生達も、やはりこれも「磁場のある人達の為のものだ」と言う前提を無視して教えているのが現状です。 私は英会話学校で教えた経験があるのですが、なぜフォニックスが思う様にうまく行かなかったのか、やっと分かった気がします
現場は どうなのか 直接きいたわけではないのでわかりませんが
子供英会話を教えている 日本人講師のHPをみるかぎり 多くの子供英語教室が フォニックスをとりいれているように思います。なかには フォニックス第一=すべて みたいなところもある。
そのわりに 高校生で 昔から英会話をならっていた生徒でも 英語の音のできている人は少ない。 英検の面接で 英語の音ができている生徒は あまり いない と Eliotさんもおっしゃっていた。
なぜだ なぜなんだ? フォニックスは 有効なんだろうか? と 疑問がわいていました。
Naimaさんの 説明で 少しなぞがとけました。
Eliotさんは 最初の3ヶ月で フォニックスをやり 英語の音を つくってしまう。
毎日英語の授業があることで連続性がとれて とても 有効だと思う。
そして 教科書一年分を毎回聴かせることで 音が はいり 二つの相互作用で 相乗効果を生み出す。
全国のがっこのせんせ 皆Eliotさんのところに 研修にいってくれませんかあ?
子供英会話教室などは 多くが週一回 50分。 この中でフォニックスメインに教えても
普段の生活で 使うことがないのだから 一週間後には綺麗さっぱり 忘れているのではないだろうか?大人の英会話も たいてい週1,2回だから 英語の上達は 自宅で基礎トレしないかぎりは難しい。
子供英語といえば 水曜か木曜の夜11時 NHK教育テレビで えいごりあん(小学生むけテレビ英語番組)を使った 英語の教え方というのを あと3回ほど やるので 見てみてください。
総合学習の時間をつかって 英語を教える小学校が 増えてきているようです。
私は 高校生以上を教えまずが 中学一年教科書からはじめます。最初に 中学一年レベルの英作をさせるとできない人が多くいるからです。 中学1年後半の長文を 英作に出すともうぼろぼろです。
ほとんどが基礎ができていません。
教科書の基本文を使ってかんたんな 文法のおさらいもします。 Be動詞は教科書にある文と意味にとどめて軽くながし一般動詞を徹底的に最初にやります。
アルクの起きてから寝るまで英会話の 絵と基本文を使い 長崎玄弥の96文型の方法で
現在形過去形未来、進行形までを九九のように活用させ 時間をはかります。最初は一分 なれてきたら 40秒ぐらいで 現在形の肯定文質問文否定文WH文 過去形 未来形進行形のそれまでをやります。
タイマーを使って 生徒にチャレンジを生み出すことで 同じことを 何回もあきさせずに 繰り返し 定着をはかれます。
そして 現在形の質問文に 答えたり 過去形の質問文にこたえたりして Do Q Did
Qにフルセンテンスでこたえられるようにします。3人称も徹底してやります。
そして 自分の毎朝の出来事 今朝の出来事 などを 習った基本文と 辞書をつかって言いたいことをしらべてもらったりして 話させます。
30秒のうちに なるべく多くの文を話すように カウントします。
一般動詞の活用が 定着したところで Be動詞や形容詞詳しくを教えて 形容詞や名詞をつかった物や説明させる 練習をします。
本文は 頭から 訳していくことをします。主語も訳させるので直訳です。口でやります。
そして 本文の日本語から英語への 口での 英訳もします。
かなり 音や本文がはいったところで 筆写を宿題に出します。だいたい一文につき 3回から5回ぐらいです。
中学2年からは ホライズンノートも始めます。
ノート見開きに 左に 英文 右に 日本文の直訳をかき 暇があったら 日本文から 英文にして口でいったり 手で書いたり(足じゃ書けませんが)してもらいます。授業でもノートを使って英語訳してもらいます。
中学2年教科書の途中に フォニックスと発音を教えます。
それまでも 音は 口伝えで教えますが とりあえず 一年生のテキストは 教科書本文のみの入った20分テープを何十回も家で暇があったら きいたり かけながし 後をついて音をまねてしゃべったりしてもらいます。 音読もです。
毎回始めの20分は学習した 単元まで テープをきいて その後テープといっしょに 口パク(リズムをつかむため) テープと一緒に何回か音読 そして 素読をします。 これは脳 、耳口の筋肉 ウオーミングアップ というところでしょうか。
家での音読をさぼっていると ばればれです。
2年の教科書の途中で うださんの30音をやります。
30音をはじめる前に 教科書の本文や うださんの練習文を 読んでもらい録音します そして30音の子音をやったところで もう一度 本文や練習文を録音し 二つをくらべます。
なんとなく 英語っぽい音がでるようになった 自分の英語に 生徒はおどろき「おおー」と感激します。 そこで 30音のテキストを渡し レッスンでやったところまで 30音を毎日やることと 子音の発音に気をつけながら 教科書を 読んで 録音する宿題をだします。
自分の英語の音に酔い始めた生徒たちは自分でやってきます。
そして 次のレッスンの時に 音読してもらい 細かいところを直していきます。
一気にやります。 そうしないと そのうち 飽きてきて 練習をだらけてしまいます。
「鉄は 熱いうちに打て。発音は 熱くなったときにやっていまおう。」
フォニックスもこのごろに教えます。hat pet winに eをつけると hate pete
wine になる と教えると 「おおー 面白い」との反応。驚きの声。 講師への 尊敬の眼差し?
教えるほうをすごいことをおしえたような いい気分のさせてくれます。だから あえて 始めにおしえないのかもしれません。 けちです。
音作りを始めにしないことは 邪道だとは 思いますが だらけそうになるときの 英語への惚れなおしにも 利用しています。
>文章を書くときに、最初に英語で考えて、それを日本語に直すのだ
>十代のある時期までに外国語に取り囲まれると、しばらくは全然わからないが、
ある程度の時間がたつと、急にわかりはじめる<
これらのお話、私も英語の早期教育についての論議かなにかで、聞いたことがあります。
叔父のことが頭にあって、少々気になったので、おぼえていました。
>しかし、この「中学」は旧制中学なのでしょうか。今、急にこの疑問が出てきました。旧制中学なら、14,15あたりは通り越して、17,18という年齢かもしれません。
私は、戦中の学校制度のことを知りませんので、ご存じでしたらお教えください。
今、ちょっと調べてみたのですが、國弘氏は1930年の生まれということでした。
そして、旧制中学は1947年に六・三・三制となるまであったようです。
なお、旧制中学は、12〜17歳の五年制だったということです。
たしか当時は、飛び級のように、四年終了後、旧制高等学校に進学できたのでは
なかったでしょうか。
詳しい経歴は存じ上げませんが、國弘氏は12歳〜16歳まで旧制中学に在籍していた
と考えても言いように思います。
だとすると、國弘氏が「只管朗読」をやった推定年齢は、根石さんがお考えになった
年齢と重なる可能性が高そうです。
こんなところですが、お役に立てば幸いです♪
>例えば、「英語の歌を沢山聞いて一緒に歌ってみる」のが「効く」と良くいわれますが、これも自分は具体的にどうしたか、を思い出すと、曲をかけながら、歌詞カードを見てついて歌っています。 歌詞カードのない輸入盤などの場合には、(今ではネットで歌詞を取り出す事が出来ますが)ディクテーションをやって、それを読みながら何十遍となく歌ってました。 歌の場合には、掛け値なく、「メロディー付きの回転読み」をやっていたわけです。
Naimaさん 歌詞カードのない 輸入版の 歌詞を ネットで 取り出す方法を 教えてくださいますか? 安いので 輸入版を買って どうしてもききとれないところが あって くやしいといくか気持ち悪いというか。 お願いします。
やっぱり 金はただとらない。けちるんじゃなかった と後悔。
まあ歌詞カードが無い場合 Naimaさんのおっしゃる通り 自分でディクテーションをせざるをえないので 力が つくという おまけもついてきますがね。自分でディクテーションした曲のほうが 覚える率が多いですね。 歌詞がついてると 私はディクテーション怠けて 先に歌詞を頼るから。
英語の歌や JazzChantも レッスンにいれています。歌はオールディーズ が多いですね。 これらの曲は 永遠に歌い継がれるので 十八番になります。外人の友達づくりにも 役に立ちます。
20分ほどのテープに 何曲か録音し かけ流しをしてもらいます。 そして ディクテーションを宿題にだします。 わからないところはきこえたとおり カタカナで書きます。
授業で 正しい歌詞を やって 何回か 素読みしテープといっしょに うたいます。ここでも頭出しで いみを とります。 ちょっと 発音や つながる音もやります。 家でも練習してもらい 何曲かマスターしたところで カラオケに行きます。
カラオケはいいですね。 歌詞が どんどん現れて消えていくので 頭から意味をとるのに役立つし 文字をみることによって 気付きがあります。 カタカナも ついているので 新しい曲にも チャレンジできます。
私は音痴なんで 歌のレッスンはできませんが
英語の曲を歌いたい人は 多いので カラオケ指導ができれば 結構 金になるかもしれません。
エルビスの Love me tenderを 鵜田さんの30音の前にやります。30音の子音をやってから
Love me tender を聴きなおすと いままで 聞こえてなかった 音に気付き 「おおー」と声があがります。
T D P などの破裂音が はじけるように聞こえるようになります。Tender,comPlete,
Take me to, Tell me, Darling がはっきりきこえるようになります。
そして never の N let me go Myの Mの ねっとりした 鼻の下が長い発音の仕方、口の動きと音が連携して見えてきます。
For のF も 摩擦音としてきこえます。
いままで きいていた 音とまったく違ったおとが聞こえてきて あたらしい発見となります。
「おおーっ」
英語の音がわかるようになると 教科書本文が 前より楽に 体にはいってくるようになるようです。覚えるのも楽になります。
本文を学ぶときは
>毎回始めの20分は学習した 単元まで テープをきいて その後テープといっしょに 口パク(リズムをつかむため) テープと一緒に何回か音読 そして 素読をします。 これは脳 、耳口の筋肉 ウオーミングアップ というところでしょうか。
教科書本文をまとめたテープは家できいてきてもらっています。
新しい課にはいるときは もう一度その課をきいて教科書の絵に対する質問や本文に対する質問を 英語でたずねます。 それから教科書を開いて 新しい単語を学び 本文を何度か読み また テープをききます。
頭から 訳します。基本は 誰が何を どうする どこで いつです。 この語順を頭から 訳すことで意識させます。基本文の文法と それに対する日本語での説明も 音読します。そして テープをききながら 口パクよみをしたり テープと一緒によんだりします。
一つの文を Read & look up 本文を見て 顔をあげて 今見た文章を言うことも
します。
根石さんの技法クラウンドに近いですが 私の場合はせいぜい一文につき4、5回までです。ここでいいながら 状況イメージしてもらいます。 一文が2センテンスに増え だんだんとパラグラフひとつながりに言えるようにします。
あとは 本文を 質問形にかえてもらったり WHQに変えて受け答えをします。スピーチのようにたって 聴衆にむかって伝えるように よんだり 恋人にささやくようによんだり(そんなロマン砂内容は教科書にはありませんが) とにかくいろんな 読み方をします。本文をシャドーイングもします。
最後は テープをききながら イメージトレーニングをして イメージと 音をつなげます。
また 本文の単語を入れ替えて 文をつくっていく練習もします。そして 後から本文の音読筆写
ホライズンノートにつながっていきます。
前にいっていた 大人のための教科書づくり さぼって 未だに検定教科書を使っています。
今回の検定教科書 特に2年生、3年のテキストには 不満なのですが そういいながらも使っています。
>相手に腹の底から
Fuck you, scumbag!
と言った時、それは「声」になってる
経験と語学が結びつかないと「声」=生活言語にはならない。。。
自分自身の経験不足を感じます。
>大人のための教科書づくり さぼって 未だに検定教科書を使っています。
今回の検定教科書 特に2年生、3年のテキストには 不満なのですが そういいながらも
いいんじゃないでしょうか?新たなものを作るより、実際にやってみせたり、学習者自身がやることの方が大切だと思います。
>イメージと音が一致(=あ)するというより、一体(=い)のものとなったとき
「あ」と「い」の違いは、イメージがイデアになったという感じですか?それとも、村田さんがおっしゃるように、語学と体験の蓄積があった後のということですか?
>「磁場がない」と言う認識
そういう認識を持つと「ひとり」で出来ることの大切さが浮き上がってくる。
これが「subjectの世界」だと思います。
でもそれだけでは駄目だと思います。「objectの世界」がないと。。。これが世に言うcommunication。。。
でもcommunicationという言葉と使うと「磁場」という言葉が行き場を失う。。。
やはりbalanceが大切だと思います。
根石さんは「実践しなさい!」と言われているのだと思います。
根石さんの作られた教材でも何でもとにかく「インプット」しなさいと言われていると思います。
二重丸(◎)を思い浮かべます。
内側のマルをAとします。外側のマルをBとします。
Aはsubjectの世界です。「ひとり」で出来ることをやります。つまり「回転」モメントです。
Bはobjectの世界です。新聞、ペーパーバック、ニュースなんでも広げます。
Aの世界を限りなくBに近づける。これが総合学習だと思います。アウトプットの世界です。
でも経験などと同じくBの世界もどんどん広げていく。そしてそれに応じてAの世界も広げていく。
人間の自然な欲求の一部だと思います。
以下の文章は、太宰治の如是我聞からの引用です。
肝に銘じます。
自分は、かつて聖書の研究の必要から、ギリシャ語を習いかけ、その異様なよろこびと、麻痺剤(まひざい)をもちいて得たような不自然な自負心を感じて、決して私の怠惰からではなく、その習得を抛棄(ほうき)した覚えがある。あの不健康な、と言っていいくらいの奇妙に空転したプライドの中に君たちが平気でいつも住んでいるものとしたら、それは或いは、あのイエスに、「汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、云々(うんぬん)」と言われても仕方がないのではないかと思われる。
勉強がわるくないのだ。勉強の自負がわるいのだ。
mailto:genkisaito@hotmail.com
Jackieさん、お尋ねのlyricsのサイトです。
http://lyricsplayground.com/home.html
http://www.lyricsxp.com/
私はgoogleで、曲名、歌手などの名前を入れて検索する事も多いです。 すでにご存じの事だと思いますが、 「Bruce Springsteen Born in the U.S.A. lyrics」と入れると、ずばりそのものにたどり着けます。
本当に便利な世の中になりました。
私は、フォニックスの説明を書いていて、日本語もままならぬ事に気がつきました....
(^^;
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私の記憶には賛成しない人など一人も居なかったと思いますが。
どなたの事でしょうか?
------------
例えば、もっこリさん。
------------
「多読が必須か否か」が論点になった記憶はございません。最初から多読は必須と皆様
おっしゃっています。最初から最後迄論点は「多読に文法は必要か否か?」です。
ですから、Eliotさんが「今頃になって〜」「あ〜アホらし」と申されたのです。
お分りいただけましたか?
------------
単にあなたに記憶がないだけです。よく過去レスを読んでから、私を批判してください。もっこりさんと「多読が必須か否か」で議論していたのです。
そこに、Eliotさんが、横レスをお入れになったのです。
daiさん、あなたは、勘違いをされています。全然、話になりません。
mailto:genkisaito@hotmail.com
あら探し見たままを言う無神経
歌詞サイトありがとうございます。
ネットって 便利ですね。
パソコンの使い方に詳しければ 一層便利なのでしょうが
ネットサーフインと 教材づくりと メールと ゲームぐらいしか 使っていません。
パソコンで電話代いらずで 海外と 話せる方法なども あるらしいのですが。
それを使えば 海外に住むネイティブと パソコン電話で レッスンなどが できますね。
生〔目の前)で話すのが 一番ですが時給2500円から3000円しはらうのは きついし ばからしい。
海外なら $10/Hぐらいで バイトしてくれる よい外人が見つかるかも。
>パソコンで電話代いらずで 海外と 話せる方法なども あるらしいのですが。
是非、知りたいです! どなたか御存じでしょうか?
http://www.dialpad.ne.jp/index1.html
先に投稿した アドレスの
左のグリーンの 欄の serviceをクリックしてください。
または
NEC/BIGLOBE
詳しくはhttp://phone.biglobe.ne.jp/dialpad/へ
K-OPTICOM/eonet
詳しくはhttp://www.kansai.com/eo/?http://cs.eonet.ne.jp/voip/index.html
Yahoo のBB phone みたいなものでしょうか?
Dialpadは BIGLOBE などの プロパイダー加入(Biglobeるんるんコースでもよい)
が必要で その他月200円。 アメリカ3分10円。
私はISDNでなく ケーブルTV加入なので 残念ながら利用は無理のようです。
英文を読んで(文法書に頼らず)文法規則を学ぶ一つの方法として、以下のようなものがあります。ある英語学習サイトからの引用です。これは、ライティングの際に非常に役立つと思います。
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You don't have to use grammatical terms. The idea is to spend some
time wondering about:
- why a given part of the sentence was phrased in this way, and not
some other way
- what are the implications of some particular phrasing ("Oh, so this
means I should say ... and not ...")
- whether anything in the sentence seems to contradict previously gained
knowledge
When I do this, I sometimes make my own grammar rules. I don't learn them by heart, but they help me to focus on all the aspects of a sentence. I don't feel "reading for meaning" is as effective, because often it boils down to quickly sweeping your eye over the main object and the verb in the sentence and grasping the general meaning. I don't see how you can learn much grammar by reading this way, because you skip over the articles and a number of other words which are not important for the meaning, but important grammatically. Let me give you an example of the thoughts I'd get when reading some English sentences (I won't include the thoughts on vocabulary):
Former President Jimmy Carter will visit Venezuela next week to mediate talks between the government and its opposition, which have been locked in a power struggle since a failed coup.
- "Former President" - not "The former President", so I guess "President
Carter" and not "The President Carter"
- "to mediate talks" not "mediate in the talks" or something like that
- "since a failed coup" -- so I can say "since an accident" (preposition
use), not only "since an accident happened" (conjunction use).
Jennifer McCoy, of the Atlanta-based Carter Center, told reporters Saturday that Carter may be able to help break the political deadlock when he visits beginning July 6.
- "of the Center" - not "from the Center" (in Polish it would be "from")
- "Atlanta-based" = "based in Atlanta" - "Saturday" not "on Saturday"
-- seems I can skip the "on" sometimes
- "may be able" -- not "might be able" == lack of reported (indirect)
speech. And my English teacher told me I should say "She said she MIGHT
stay", etc. - "to help do sth" -- used without an object (not "help SB
do sth"), and without "to" (not "help TO do sth") - when he visits -- not
"when he will visit", even though it will be in the future - "to visit
beginning July 6" -- interesting structure - "beginning" replaces "on"
("to visit on July 6")
------------------------------------------------
mailto:genkisaito@hotmail.com
>ご自分の意見(その結論に至る理由は、はっきり述ていません)を正当化する為に、
>大勢の他人の意見(彼らも、その結論に至る理由は、はっきり述ていません)や,
>この掲示板の管理者である根石さんの意見(彼も、その理由をはっきり述べて
>いません)を持ち出すのは、いただけません。人の尻馬に乗っているみたいです。
理由がわからないのはあなただけでしょう。とにかく延々と斎藤さんとのお話に
付き合っているのは時間の無駄遣いだと思っておりますので、これにて失礼します。
私の書き込みで気を害されたことについてはお詫びします。ではさようなら。
残念ながら、いまだに、どうどう巡りしてはります。
齋藤さんの言われる文法は、こ難しい文法用語を使って文法を論じる事を指しておられる様ですが、皆さんのおっしゃる文法は、語法や構文に通じる事だと思うのです。 いわば、英文の鋳型を沢山揃える事と、言っていいのではないでしょうか。(見当はずれだったら、皆さん、ごめんなさい。) しかし、齋藤さんの誤解を恐れず、敢えて言えば、文法用語も、独立懸垂分詞(そんなんあったかな?)、なんぞと言う文法学者の使う様な専門語でなければ、基本的なものを知っておく事も必要だと思います。
先の英文解析と題するご投稿ですが、これは英語の入門者にはあてはまる例ではない様に思います。 齋藤さんもご存じの通り、皆さんは、「こういう英文を書ける学習者」ばかりを相手にされているのではないのです。 皆さんが問題にしておられるのは、中学生の文法の基礎も危うい学習者に「多読のみ」の英語学習を勧めてよいものだろうか、と言う事だと思うのです。
また、学習法について解説されるのであれば、入門者、初級者の目線に立って説明して下さる様、お願い致します。 この英文は、学習者の為を思って引用されたのだと思いたいですが、これでは入門者や初級者には通じません。 出来れば、この英文を初級者にも理解出来る様に和訳して上げて下さい。
話が前後しますが、齋藤さんがドイツ語の独学をされた経過は、初心者にとって非常に有意義な示唆を含んでいると思います。 英語ではなく、ドイツ語の学習過程をもう一度、振り返って御覧になれば、皆さんのおっしゃる英語学習法と、根本の所では同じだと言う事に気付かれる様にも思えますが。
私は、同じ事を何度も言ってますが、齋藤さんが「どうどう巡り」をされる限り、同じ事を口を酸っぱくして言い続けようと、たった今、決意致しました。 齋藤さんへの「反論回転書き」であります。
Jackieさん、お礼が遅れましたが、ネットフォンの情報ありがとうございます。
>単にあなたに記憶がないだけです。よく過去レスを読んでから、私を批判してください。もっこりさんと「多読が必須か否か」で議論していたのです。
そこに、Eliotさんが、横レスをお入れになったのです。
daiさん、あなたは、勘違いをされています。全然、話になりません。
ならば、あなたがいつもおっしゃるように
具体的に過去レスを提示して私の「勘違い」を否定されて下さい。
「多読が必須か否か」など、議論するまでもなく
「必須」です。ただし、「最低限の文法も必須」です。
これは、NaimaさんやEliotさんはたまたその他の方々が
延々とおっしゃっている事です。
あなたは、意識的に論点をズラしています。
これではただの「荒らし」と同等のモノです。
以下Naimaさんからのレスを引用させて頂きます。
>先の英文解析と題するご投稿ですが、これは英語の入門者にはあてはまる例ではない様に思います。 齋藤さんもご存じの通り、皆さんは、「こういう英文を書ける学習者」ばかりを相手にされているのではないのです。 皆さんが問題にしておられるのは、中学生の文法の基礎も危うい学習者に「多読のみ」の英語学習を勧めてよいものだろうか、と言う事だと思うのです。
ずっと、論点になっている事はこの事です。
あなたが勝手にこのことを「捻じ曲げて」解釈し発言するから
「すれ違い」が起るのです。
中学生の文法も理解出来ていないような方たちに
一生懸命「多読の恩恵」を説いたところでタダの遠回りにしかならないでしょう。
先の英文解釈云々の投稿すら「入門者」は読むことさえ出来ないのですよ。
このことをまず理解して下さい。
>で、ここで一度整理しますと、
>多読には反対するものはいない。ただし、多読が何時でも誰にでも
>『即』効力を発揮するのではない。
>中学生レベルの「読みの理解に必要な文法」は最低限身につける必要がある。
>これが殆どの皆さんのお考えだと思います。
>この事に斎藤さんは反論あります?
>皆さん最初からこう言ってるのですよ!
>それを斎藤さんが「文法を学ぶ必要はない」と言ったものだから
>反論が生じたのです。
>最初から「読む事に必要な文法は学ぶ必要があると思います」と
>言ってくださっていれば,双方の意見が一致した事になり
>論議になるほどの事はなかったのです。
あなたが私の投稿に対してまずレスすべきは上記に対してではないですか?
以下、Naimaさんの投稿が非常に「的」を得ていますので、私も「回転書き」に
参加させて頂きます。Naimaさん今後とも宜しくお願いします。
今回のログは保存させて頂きましたので、このNaimaさんの投稿を「回転書き」に
流用させて頂く事をご了承下さいませ。私の言葉では「彼」には伝わらないようです。
また、学習法について解説されるのであれば、入門者、初級者の目線に立って説明して下さる様、お願い致します。 この英文は、学習者の為を思って引用されたのだと思いたいですが、これでは入門者や初級者には通じません。 出来れば、この英文を初級者にも理解出来る様に和訳して上げて下さい。
これが本質です。あなたが留意すべきはこの事なのです。
この掲示板には「文法を文法としてだけ」学ぶ方など存在しない筈です。
あなたは、誰に対して先の英文を提示しているのでしょうか?
勝手に論点をズラさないで頂きたい。
実は私も随分長い間、多読や多聴が万能の様に思って来たのですが、夫の転勤の為にドイツ語を習う羽目になって、中高で習った英文法の基礎があったからこそ、多読や多聴で自学自習が出来るのだと気がついた次第です。 磁場のある所にいてさえ、構文や人称代名詞や動詞の変化の反復練習をしたり、こまめに辞書を引きながら教科書を読みテープを聞いて音読しなければ「自然」には身につかない事が、基礎クラスを落第して, (^^; 身にしみました。
根石さんの奥様と村田さんがコーチされている授業風景をずっと見学させて頂いて、自分の英語の基礎体力のなさをつくづく思い知りました。
初級者のレッスンでは、回転読みの予習をされて来た生徒さんに、まずコーチが言われた和文を生徒さんが反復し、その後に、美しい撥音で流暢に該当の英文を10回ほど言う、のがその手順の様です。 私は、奥様の横の席に座らせて頂いていて、その和文を頭の中で英訳してみようとするのですが、中2〜高1レベルの英語であるにもかかわらず、非常な困難を感じて愕然と致しました。 学校の教科書を、まるで呼吸をする様にすらすら言える様になった生徒さんの将来の英語運用力はどんなにかすばらしいものだろう、とおもわずにはいられませんでした。 3年間、腹をくくって素読をやれば、どんでん返しは夢ではないと思います。
「どんでん返し..」を拝読した当初、素読は苦しい修行の様にも思え、かえって英語嫌いを増やすのではないか、と思ったりもしていたのですが、すらすらと英語が出て来ると、素読が楽しくなって来る生徒さんが沢山おられる様でした。 英語を習いはじめの初期にこれだけの基礎訓練を積む事の意義は大変大きい様に思います。
いろいろと齋藤さんに「突っ込み」を入れて来たのですが、我が身を振り返れば、齋藤さんと同様の主張をしていた、一昔前の自分にも激しい「突っ込み」を入れて置きたいと思います。
dai様:
>中学生レベルの「読みの理解に必要な文法」は最低限身につける必要がある。
>これが殆どの皆さんのお考えだと思います。
>この事に斎藤さんは反論あります?
>皆さん最初からこう言ってるのですよ!
>それを斎藤さんが「文法を学ぶ必要はない」と言ったものだから
>反論が生じたのです。
この斎藤様の「文法」と他の方の「文法」とがそれぞれ別なものを差しているように
私は感じました。
斎藤様自身それをお感じになられ「文法といっているものはどういうこと?」という
ご発言があったように記憶しております。
また、文法について少し定義つけを試みられ「文法それ自身を目的とする文法学習」
というような呼び方をし、こういう学習については斎藤様は否定されました。
「文法」の議論において、斎藤様が論点をずれされたわけではないと思います。
また、その後、最初に数ヶ月(たしか3ヶ月?)くらい、NHKのテキストのような
簡単な読み物の文に文法の解説がついているもので学習をしたらどうかと提言され
ております。
その後、議論はさらに進み、それで文法はもうマスターできたとするのか?
そんなに文法は簡単なものなのか?というようなところであったように思います。
あるいは、音作りについても斎藤様はわりと簡単に仕上がると述べられていたように
思います。
つまり、大量インプット(多聴、多読)の前の段階について、斎藤様は、軽く扱われ
いるのが、議論ではなかったでしょうか?
最後になりますが、Naima様の、根石さんの奥様と村田さんがコーチされている授業風景・・・
は大変、参考になり、私は、これを読んで、「回転読み」頑張るぞ!と決意しました。
どうもありがとうございました。
あと、斎藤様、議論のきっかけを大変うまく作られており、感謝いたしましております。
また、大方について真摯な回答を作られておるように思います。
ただ、簡単には答えられないような質問に対し、返答が少ないですが、そこにこそポイント
があるように思います。(えらそうにすみませんがこう感じました。)
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
何もわざわざ宣言される必要はないです。黙って、私を無視されればいいんです。ところで、説明もせずに、ひとを非難するのは、頂けません。子供のすることですよ。さようなら。
mailto:genkisaito@hotmail.com
dai様:
>中学生レベルの「読みの理解に必要な文法」は最低限身につける必要がある。
>これが殆どの皆さんのお考えだと思います。
>この事に斎藤さんは反論あります?
>皆さん最初からこう言ってるのですよ!
>それを斎藤さんが「文法を学ぶ必要はない」と言ったものだから
>反論が生じたのです。
この斎藤様の「文法」と他の方の「文法」とがそれぞれ別なものを差しているように
私は感じました。
斎藤様自身それをお感じになられ「文法といっているものはどういうこと?」という
ご発言があったように記憶しております。
また、文法について少し定義つけを試みられ「文法それ自身を目的とする文法学習」
というような呼び方をし、こういう学習については斎藤様は否定されました。
「文法」の議論において、斎藤様が論点をずれされたわけではないと思います。
また、その後、最初に数ヶ月(たしか3ヶ月?)くらい、NHKのテキストのような
簡単な読み物の文に文法の解説がついているもので学習をしたらどうかと提言され
ております。
その後、議論はさらに進み、それで文法はもうマスターできたとするのか?
そんなに文法は簡単なものなのか?というようなところであったように思います。
あるいは、音作りについても斎藤様はわりと簡単に仕上がると述べられていたように
思います。
つまり、大量インプット(多聴、多読)の前の段階について、斎藤様は、軽く扱われ
いるのが、議論ではなかったでしょうか?
最後になりますが、Naima様の、根石さんの奥様と村田さんがコーチされている授業風景・・・
は大変、参考になり、私は、これを読んで、「回転読み」頑張るぞ!と決意しました。
どうもありがとうございました。
あと、斎藤様、議論のきっかけを大変うまく作られており、感謝いたしましております。
また、大方について真摯な回答を作られておるように思います。
ただ、簡単には答えられないような質問に対し、返答が少ないですが、そこにこそポイント
があるように思います。(えらそうにすみませんがこう感じました。)
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
>また、文法について少し定義つけを試みられ「文法それ自身を目的とする文法学習」というような呼び方をし、こういう学習については斎藤様は否定されました。「文法」の議論において、斎藤様が論点をずれされたわけではないと思います。
べいべさんのおっしゃる通り、私も齋藤さんが「文法それ自身を目的とする文法学習」と言う事をおっしゃってたと記憶しています。 また、根石さんや他の方々が、文法とはどういうものか、をはっきりと説明されています。 だから、文法の定義の違いについてはもう2〜3ヶ月も前に決着がついたはずなのです。
しかしそれでもなお、皆さんが「文法それ自身を目的とする文法学習」に固執しているかの様な、齋藤さんのご発言があったので、これでは議論が先へ進まない、と思いました。 齋藤さんの説が「正論であればあるほど、彼等は逆上する」と言うご主旨のご投稿もあったと思います。
私も、齋藤さんは故意に論点をずらされていないとは思います。 けれど、真正面から反論されない為に議論が噛み合わない、と言う事は皆さんがお感じの通りです。 結果的に、「論点をずらされてしまった」感を与えられる事になってしまいます。
話がそれますが、私を「完全主義者だ」と決めつけた友人は、「とにかく外国人と英語でしゃべる機会を多くする事」と中学生の生徒にも言っています。 しかし、かの女にしても、ネイティブスピーカーと会話しながら、覚えておきたい表現や単語など、ちょこちょこっとメモし、それを後で反復練習して使ってみる、と言う作業を必ずしています。 こういう「地道な心掛け」が必要だと言う事を、まったく説明しないのです。 それが地道な学習だ言う事にすら気付いていないので、「自然に身につく」などという曖昧な言葉でおさめてしまってます。 生徒さんや、学習法をたずねて来る人には、きめ細かに説明してあげる責任がある、と思います。 でなければ、巷の英会話学校の「甘い誘い」となんら変わりなくなってしまいます。
私は、齋藤さんも多読をする中やネイティブとのディベートのサイトで、そういう小さな心掛けの積み重ねをされているのではないか、と思います。 でなければ、話しはまた振出しに戻りますが、並みのネイティブスピーカー以上の膨大な読書量をこなさなければ、多読による「無理のない」英語力の獲得は至難だと思うのです。 文法の基礎がテキト〜なまま、自分に手の会う100冊や200册程度の本を読んだくらいで、英会話がものになるとは、私には到底信じられません。
齋藤さんご自身の多読による学習の経緯を、順を追って教えて頂きたいと、何度がお願いしましたが、まだお返事は頂いておりません。 これも同じ事の繰り返しになりますが、多読を始めた時点でのご自分の英語力、どの程度集中して多読されたか、できれば現在のレベルなどを教えていただければ、説得力もあり、参考にもなります。 今のままでは、まるで雲を掴む様な話でしかありません。
執拗な投稿で、まことに申し訳ありませんが、このままでは、齋藤さんは「論点ずらし」の汚名を着たまま、私達も「暖簾に腕押し」の空しい議論が続くばかりです。
Naimaさんから先日この掲示板でリクエストされていた根石さんの「根石吉久暮らしの手帳」の読後感想文です。私の掲示板からの転載です。なおこのご本(発行所:ミッドナイト・プレス 発売元:星雲社)は私も是非購入して私の蔵書に加えさせていただくつもりです。
『お借りした根石氏の「根石吉久の暮らしの手帳」は今日お盆休みの1行事として安土城や近江八幡に家内と行って来たJR車内でほぼ読み終わりました。 すごいですね。 根石さんのお人柄に改めて敬服したしだいです。 またユーモアたっぷりで、タイトルをちょっと変えれば(例えば「田舎のおっしゃん破天荒英語塾講師」など)もっと売れるのではないか、惜しいなと思いました。 また多くの人に読んでもらって現在の学校教育改革などに一石を投じて欲しいとも思いました。(落ちこぼれ、暴力教室、いじめ、諸問題改善に重要な提言をされていると思います。)
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
>私は、同じ事を何度も言ってますが、齋藤さんが「どうどう巡り」をされる限り、同じ事を口を酸っぱくして言い続けようと、たった今、決意致しました。
すばらしいです。冗談や冷やかしではなく大マジです。
>しかしそれでもなお、皆さんが「文法それ自身を目的とする文法学習」に固執しているかの様な、齋藤さんのご発言があったので、これでは議論が先へ進まない、と思いました。 齋藤さんの説が「正論であればあるほど、彼等は逆上する」と言うご主旨のご投稿もあったと思います。
ここがポイントですよ! 古川さんの掲示板においてもトレイシーさんというひとが、解説をしたのですが、斎藤さんはそれをいっこうに受け入れず認めませんでした。そればかりか、不愉快な書き込みをされました。困ったことです。その掲示板はここです。もしご興味がありましたら。
操作を間違えてリンクを入れ損ないました。ここです。
http://www.tk.airnet.ne.jp/furukawa/english/bbs/
Naima様:
>執拗な投稿で、まことに申し訳ありませんが、このままでは、齋藤さんは「論点ずらし」
>の汚名を着たまま、私達も「暖簾に腕押し」の空しい議論が続くばかりです。
お返事をどうもありがとうございます。
恥ずかしながら、「確信犯」である斎藤様にのせられ逆上したりもして、(私のことです)
よく整理がついてないところもあったので、参考になりました。
前の投稿に失礼な書き方をしてしまったと反省しております。
私も斎藤さんが自らの体験を語っていただけるとよいなあと思っております。
また、Naima様のように丁寧に議論の要となるところを押さえて、そこから
はずれないように回答を求められることは、この場にとってとてもよいこと
であると思います。
Eyewitiness様がすでに賛意を示されておりますが、私も。
>私は、齋藤さんも多読をする中やネイティブとのディベートのサイトで、
>そういう小さな心掛けの積み重ねをされているのではないか、と思います
こういうのをまとめるのは難しいですよね。
自分では、役立ったと意識してないところが効果を発揮している可能性もあ
ります。
本当に大事なことが見えないということは以外とよくあることです。
−>自分と斎藤様へむけて
Naima様の求めていることは、ほんとうにこの議論に役立つことと思いますし、
斎藤様自身にとっても役立つはずです。
それにしても、ここ数日で、大量インプット前に音つくり、文法などが重要なこと
を実感しました。
「ぜったい音読・入門編」(講談社)をテキストに回転読みに挑戦してみます。
そのうち、状況を報告できたらと思っています。
これからもよろしくお願いします。
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
今日、「ケイゾク」というビデオをぶっ続けで見ました。これで3回目
くらいかな…。
ご存じの方も多いでしょうけど、敏腕だけど、どこかが壊れた刑事たち
の、血なまぐさい物語です。私は、八話以降で、いつも泣けてしまうの
です。(泉谷しげるが実にいい感じなんですよね…)
この作品は、映像も物語も、「キツい」。この傾向は、一部の若者に熱
狂的支持を受けた「新世紀エヴァンゲリオン」に始まり、最近では「ケ
イゾク」と同じ演出家のてがけた「TRICK」にもあります。実は私はその
いずれも好きなんですが、これらの作品の底流には、80年代の日本に蔓
延した「精神世界」ブームという前提があると思うのです。
20代前半がこの時期にほぼ重なった私は、これが、オウムに引き寄せら
れる心性と通ずるものであることが、感覚としてわかります。
はたから見たら、なんでもそろってて、不満なんかないだろ?という人
でも、なんともいえない欠落感、さびしさ、不安、をかかえている。
80年代は、「元気印」が流行する一方、こういった暗闇が深化した時代
だったのではないかと思います。
ちょっとしたきっかけで、カルトの方へ行く人もいる。自己啓発セミナー
の方へ行く人もいる。マルチ商法にはまる人もいる。そして、どこにも
行かなかった人のうちで、ある人は、自分の「神」を作り出して「儀式」
を行なう(「儀式」とは、「ケイゾク」の中の儀式を装った殺人
を見てて感じたことですが、根石さんは、神戸の事件に関して「儀式」
と言っていましたね)。その「神」は、閉ざされた中で・その個人の脳
内のみではぐくまれるので、必然的に「邪悪な神」になる。そしてそれ
は、無制限に膨れ上がる一方。
そこで、「語学」です。自らの発声を伴う「語学」は、実は身体技法で
もあります。自分の意識によって、自分の身体と精神に暴力を加える・
鍛えることです。自らの作りだした「神」に帰依するのではなく、自分
の意志の力を信じることです。
語の「イメージ」をつかみとることとは、混沌としたものに、自ら形を
与えることだと思います。これは、自分の混沌とした身体を掘り起こし、
形を与える作業のような気がします。(「身体がかかわる」、というこ
とが重要だと思います。)
jackieさんが「語学は内面に向かうもの」と以前書かれていたと思います。
私も、今ではその通りだと思います。
「語学」は、激しく内面に向かって行ったとしても、決して「邪悪な神」
は育てないのではないかと思います。なぜなら、自分にとって異物である
外国語を常に相手にするからです。このとき、「ひとりよがり」が介入す
る余地はありません。文の意味がわからなかったらしょうもないから。そ
れゆえ、「語学」をする者は、その言葉を実際に使う・使わないかにかか
わらず、どこかで外につながっているのではないかと思います。
根石さんは「『空っぽ』に『空っぽ』を対置する」とおっしゃってました。
私の書いた文が、皆様に通用するかどうか、わかりませんが、今日、その
意味がわかったような気がします。
mailto:murataya@avis.ne.jp
私も相手かまわず,八方破れの逆上ばかりしてましたが、最近、自分で言うのもなんですが、毒気が抜けてしまい、えらい殊勝になってしまいました。 年かな... やっぱり年やねんやろな... けど、その内、またヒステリーを起こすと思いますが、その時には「喝」入れて下さい。
>本当に大事なことが見えないということは以外とよくあることです。−>自分と斎藤様へむけて
→ 私にもこの矢印を向けて置きます。 m(__)m
浜谷さん、
親友に「根石吉久の暮らしの手帳」の「私は切ない」を読ませた所、「うわ〜、こんな純情な人いるんや..」と言ってました。
死人にグチなし
星が欲しがる
ワニの輪にはいる
豚がぶたれた
猫が寝ころんだ
虫を無視した
蛙が帰る(これは古典か)
素読舎におじゃました時はいろいろお世話になりました。 今日、根石さんに頂いて帰った月刊「コテンパン」の0号〜3号を読ませて頂きました。 これ以降のバックナンバーがあれば購入したいのですが、宅急便の着払いで送って頂く事は出来ますか?
0号には「千の文を身体にたたきこむと何がおこるのか?」と題した座談会のレポートでしたが、「無意識化した言葉だけが本当に使える」と言う言葉には、大した学習経験のない私にも、納得、です。 私も「千の文を身体にたたき込む」ところから、出直したいのですが、今、勉強仲間と初めている、大学受験重要文法/語法1000と1100でやってもいいでしょうか? 根石さんにお尋ねした時には、これを50回音読練習した後、テープに50〜60回録音し、回転書きすればよい、との事でした。 もし、素読舎に1000の基本文をまとめた教材があれば、そちらを使う方が効果的かな、とも思い迷っているのです。 これって、長文の教材ですか? 左に文と解説があって、右が空白になっていて和文がある、と言うあれですか? 参考にと、250番あたりからを頂いたのですが、1番から購入出来れば、やってみたいです。
中高生達が熱心に素読している姿を見てしまい、大学合格対談やトップお祝い対談などの小冊子などを読んでしまうと、私にも出来るかもしれない、とおちおちしていられなくなりました。
私は今だに「からっぽの電池」と言うのが、よく理科出来ないのですが、これは私が自分なりに「鋳型をたくさんそろえる」と言ってるのと同じ事なんでしょうか? つまり、構文や例文を沢山そろえる、と言う....
良く理解出来ない、です。 (はずかし...)
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>単にあなたに記憶がないだけです。よく過去レスを読んでから、私を批判してください。もっこりさんと「多読が必須か否か」で議論していたのです。
そこに、Eliotさんが、横レスをお入れになったのです。
daiさん、あなたは、勘違いをされています。全然、話になりません。
ならば、あなたがいつもおっしゃるように
具体的に過去レスを提示して私の「勘違い」を否定されて下さい。
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では、提示します。
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斉藤さん 投稿者:もっこり 投稿日: 7月28日(日)17時32分23秒
>私の多読にたいして、文盲の人を持ち出すのは、それ自体、屁理屈です。
どこがどのように屁理屈だとお考えなのでしょう?
また、私が挙げたもう一つの例はどうでしょうか?
>私は、多読だけが、唯一の有効な方法だとは、書いていません。
ありゃりゃ。
斉藤さんは、英語ができるようになるためには大量に英語を読む<しか>ない、って
ここの掲示板かよその掲示板かどこかで、何度もおっしゃっていたじゃないですか。
主張が変わったんなら、変わったと書いておいてくださいな。
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どうです、daiさん? あなたの勘違いだということが、おわかりでしょうか?
mailto:genkisaito@hotmail.com
では、提示します。
---------------------
斉藤さん 投稿者:もっこり 投稿日: 7月28日(日)17時32分23秒
>私の多読にたいして、文盲の人を持ち出すのは、それ自体、屁理屈です。
どこがどのように屁理屈だとお考えなのでしょう?
また、私が挙げたもう一つの例はどうでしょうか?
>私は、多読だけが、唯一の有効な方法だとは、書いていません。
ありゃりゃ。
斉藤さんは、英語ができるようになるためには大量に英語を読む<しか>ない、って
ここの掲示板かよその掲示板かどこかで、何度もおっしゃっていたじゃないですか。
主張が変わったんなら、変わったと書いておいてくださいな。
-----------------------------------------
どうです、daiさん? あなたの勘違いだということが、おわかりでしょうか
え?
どのように解釈したところで
意味がないのですが????
齋藤さん、この暑さで脳味噌が煮えているせいもあるんですが、私も理解出来ません。 理解出来ない人が2人いると言う事は、まだ他にも理解出来ない人がいるかもしれません。
「過去レスのどこに書いたるねんっ!」と言う類いの発言に、いちいちひっかかっていてると、ポイントにスモークが掛かって来て、そのうちにわけがわからなくなってしまいます。
こういう発言は、激高した時に、「おまえ、証拠あんのか、え、しょ〜こ出せよ」とか「おまえ、ボケとるんちゃうか?」と言う売り言葉の様な物とお考えになって、簡単に「お互い様じゃい」とでも応えて、やり過ごす方が得策か、と思います。
daiさんがせっかくポイントを箇条書きにされたんですから、齋藤さんはこのポイントにだけかかずらわったらいいのです。
>多読には反対するものはいない。ただし、多読が何時でも誰にでも
>『即』効力を発揮するのではない。
>中学生レベルの「読みの理解に必要な文法」は最低限身につける必要がある。
>これが殆どの皆さんのお考えだと思います。
>この事に斎藤さんは反論あります?
>皆さん最初からこう言ってるのですよ!
>それを斎藤さんが「文法を学ぶ必要はない」と言ったものだから
>反論が生じたのです。
>最初から「読む事に必要な文法は学ぶ必要があると思います」と
>言ってくださっていれば,双方の意見が一致した事になり
>論議になるほどの事はなかったのです。
それと、齋藤さんのドイツ語学習過程は、まったくの0からの出発なので参考にすべき事が沢山あると思います。 これについてもう少し掘り下げて説明して頂き、英語入門者、初級者の学習方法に関連させて、ご自身の多読学習説をもう一度、整理して頂いた上で、議論を再出発すればよいのではないか、と思うのですけど。
酔っ払って書き込んだもので日本語が可笑しかったですね。
しかし、酔いも冷めた今読んでも、以下のもっこりさんの
書き込みは「多読が必須か否か?」という事が論点とは
とても思えませんね。
どう読んでも、斎藤さんが「多読は誰にでも有効である」と言い続けていた事に
対してのレスでしょう。もっこりさんが盲目の方の例を出されたのは
厭くまでも「極端な例」であって、「多読は誰にでも出来るものではないのですよ!」
と言う事が主旨ですよ。Naimaさんや私も含めその他の方が
せっかく歩み寄ろうとしているのに、何故あなたはオカドチガイなレスをなさるのでしょうか?
私には「故意」でやっているようにしか思えません。
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斉藤さん 投稿者:もっこり 投稿日: 7月28日(日)17時32分23秒
>私の多読にたいして、文盲の人を持ち出すのは、それ自体、屁理屈です。
どこがどのように屁理屈だとお考えなのでしょう?
また、私が挙げたもう一つの例はどうでしょうか?
>私は、多読だけが、唯一の有効な方法だとは、書いていません。
ありゃりゃ。
斉藤さんは、英語ができるようになるためには大量に英語を読む<しか>ない、って
ここの掲示板かよその掲示板かどこかで、何度もおっしゃっていたじゃないですか。
主張が変わったんなら、変わったと書いておいてくださいな。
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>どうです、daiさん? あなたの勘違いだということが、おわかりでしょうか
そっくりそのままお返しします。
斎藤さんは、「ちょうちょは虫だよ。」と書いて、もっこりさんは「とんぼも虫だよ。」と言ったわけで、「ちょうちょが虫である」ことを否定したわけではないのです。
屁理屈かどうかですが、ちょうちょに対してとんぼをわざわざ持ち出したのは、きっと、ちょうちょも前は青虫だった、とんぼだって前はやごだった、今はお外を飛び回っているけど、そのきれいな姿だけでなく、その前の泥臭いところにも目を向けなくてはという気持ちがあったのではと推察すると、屁理屈ではなさそうです。
泥臭いところというのは、「文法」とか「音つくり」に相当すると思います。
ものごとの上達は、今までの積み重ねた知識がリンクしていくせいか、2,4,8、16、32、・・・、512、1024と指数的に進んでいくそうです。
どうしても上達したという実感は512→1024のところで感じるのでそこに目を向けがちですが、2から4にしたと4から8にした努力も忘れてはいけないと思います。
また、今2から4にしかならなくても、続ければいずれ1024になると思うと元気がでてきますよね?
だから、Naimaさんが書いたように、
>それと、齋藤さんのドイツ語学習過程は、
>まったくの0からの出発なので参考にす
>べき事が沢山あると思います。 これに
>ついてもう少し掘り下げて説明して頂き、
>英語入門者、初級者の学習方法に関連さ
>せて、ご自身の多読学習説をもう一度、
>整理して頂いた上で、議論を再出発すれ
>ばよいのではないか、と思うのですけど。
からお答えするのがこの議論にとって一番有益だと思います。
たしか、これに近いことを斎藤さんがお書きになったとき、根石さんが「ぐっとよくなったじゃねいか」とコメントされていたように思うのですが。
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
Naimaさん
「からっぽの電池」=「鋳型をそろえる」っていい例えですね。鋳型も、からっぽで、そこに溶鉄がそそぎこまれるんですものね。溶鉄が生活言語にあたるのでしょうか?
で、そうやってできた鋳物も、日本語という環境で浸食されてすぐ錆びる。
村田さん:
「空しさ」には「空っぽ」で対抗するというように理解してよいのでしょうか?私も「空しさ」に対する不安があるので、「空っぽ」で対抗してみようと思います。英語の「回転読み」と日本語の素読を試みたいと思います。
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
>溶鉄が生活言語にあたるのでしょうか?
あんまり深くは考えてなかったんです...
まず構文と言う鋳型があって、そこにその場その場で必要な単語を入れて行くと、銀のネジが出来たり、鉄のネジが出来たり、する、な、と漠然と思っただけなんです。
基礎構文1000とかをやってる時に、「お、これってクッキーの焼き型と同じやんか」と思ったのです。 (私自身は、そんなしゃれた面倒臭いもんは作らず、お店で買ってきますが。) ナッツ入り、とか、チョコチップ入り、とか、出来るし、両方を作ってクリームを挟んで、ナッツ&チョコチップなんてのも出来る。 そこまで気付いたあたりで、すべて悟ってしまった、気になった、って言うか....
そんな風な理解でもいいんですか?
奥さんと温泉かなんかに行ってはるかな?
「英語の話し方」読みました。 感想を浜谷さんとこの掲示板に書きました。 本は浜谷さんからお借りしたのですが、自分でも買います。 「買う値うちはあるよ」とおっしゃった通りです。
ドイツ語の回転読みですが、試してみようと思った事あるのです。 何度も。 でも思うだけでなかなか手につかなくて。 本当に理屈こくわりには、実践が伴わないやつなのです。仲間が居る、とかコーチがついている、とかでないと、無理な性分かも。
「馬鹿、やれ!」と怒鳴られそうです...
やってみるか... ドイツ語なんかにかまってると英語がガタガタになりそうで、どっちつかずになってしまえへんかな...
とも思って揺れ動いております。
パーマン2号があったら、問題解決です。
だらだらしゃべってんと、お仏壇の掃除します。
>で、そうやってできた鋳物も、日本語という環境で浸食されてすぐ錆びる。
うん、そうですね。 べいべさんもうまい事言いますね。 クッキーも日本の湿度で、カビたり湿気たりしてしまいますね。
赤字経営の町工場みたいでもあります。 自転車操業っていうか...
根石さんがいないとさびしいですね。
>まず構文と言う鋳型があって、そこにその場その場で
>必要な単語を入れて行くと、銀のネジが出来たり、鉄
>のネジが出来たり、する、な、と漠然と思っただけなんです。
私の理解はNaimaさんより漠然としてしまうのですが。。。
構文や文法を含んで文や単語が鋳型になるのだと思います。
例えば、It's going to rain.というのが、It's going to clear up.になったりするから、It's
going to ...でも鋳型(クッキーの金型)といえるのですが、他に、It's going
to rain.だけでも鋳型ではないかと思います。
(*)素晴らしい快晴の日にも、It's going to rain.と呪文のように繰り返して、鋳型にしていきます。これは、完成した文章ですが、この段階では、自分の内面のことなので「空っぽ」なのです。
それが、アメリカに旅行に行って、ホテルに泊まって、朝起きてみたらどんより曇っていた。
出かけようとホテルのフロントにいって、これは練習したぞとIt's going
to rain.と言ったみた。その時の、どんより曇ったとか、フロントが、I hope
it won't rain.と返してくれたり、
なんだお天気の話しかい、能天気野郎と軽蔑の表情をしたりとかそういうのが鋳型の中に入っていき、It's
going to rain.が生活言語となっていくのではないかと思います。この時、頭の中のIt's
going to rain.の質が変化していっていると思います。で、せっかく、変化して満たされても、日本に戻れば、錆びちゃう(しけっちゃう)ので(*)にもどってやり直しの「自転車操業」(うまい!)となります。
重箱の隅をつつくようなところで違う!って騒いでいるような気もするのですが、いかがでしょうか?
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
と膝をたたいております。
>(*)素晴らしい快晴の日にも、It's going to rain.と呪文のように繰り返して、鋳型にしていきます。これは、完 成した文章ですが、この段階では、自分の内面のことなので「空っぽ」なのです。
「空っぽ」ってのは、実感を伴わない英語の台詞って事ですね? へぼ役者の、心情のこもらない台詞みたいなもんですね? 台詞は理解して覚えているけれども、そのバックグラウンドにある経験を共有した事がないので、空虚な言葉になるって言うか... そういう理解でいいですか? なんとなく「空っぽの電池」がわかってきました。
ありがとうございます。 違ってたら、また教えて下さい。
古典中の古典。
ダジャレは、内容が無いよう !!
「千の文を身体にたたきこむと何がおこるのか?」
1000という数字は、根石さんが大学受験の時に、だいたい1000くらいの例文を体に入れた時に力がついたと感じた、という流れで出てきたと思います。
私が感じたのは、特定の本でなければだめ、ということではなく、問題集なり、参考書なりを物色してみて、自分にとってある程度の負荷を感じるものを選び、最後までやり通し、何回も復習して、自分のものにしてしまう、ということです。
「大学受験重要文法/語法1000と1100」に関しては、私はやったことないんですが、確か私が素読舎に入門した時に、大学受験を控えた塾生の一人が、1100をやってたはずです。
naimaさんのお手元にある教材は、番号からするとおそらく「基礎問題集」だと思います。これは根石さんに連絡すれば、送ってもらえると思います。
(250番台というと、「基礎問題集」だけで毎回、最低限、新しい部分が3ページ、直近の復習が6ページ、復習6ページが2個という感じでしたので、私はナキが入っていた頃…復習部分は1ヶ所間違えればそれだけで復習範囲が3倍になるのでした)
それから、「コテンパン」ですが、私がへたれなもので、3号で止まっています…。
=====================================
一つ一つの単語は、空っぽの電池。
単語が何個かつながって、熟語とか、イディオムとか呼ばれるものは少し容量の大きい空っぽの電池。
例文は、大きめの空っぽの電池。
=====================================
「空っぽの電池」について、私は、こう思います。
「空っぽ」とは言うけれど、実はそこには学習者の「意識の力」が充満している。
ある単語に対しての自分のイメージを意識の力によって強く形作る。
ある例文を「回転読み」しながら、いろいろなことを思い出しつつ、さらに回転させる。単語そのもの、例文そのものの音、音のつながり、イメージを、くっきりと意識すること。それを、学習者にとっての当たり前のものにすること。無意識化すること。
単語・例文を復習した時、または新しい文に出会った時、既知のはずの単語の意味を時間をかけて「思いだす」状態は、まだ、学習者にとって当たり前になっていない。しょぼい放電。もうすぐ忘れる。
瞬時に、イメージできる状態。放電。かなり意識の底に沈んでいる。学習者にとって、「当たり前」になっている。性能の良い電池が作れた状態。自分にとって新しい文に手持ちの電池を見つけたとき、放電・再充電が瞬時にできる。(自分が形作ったイメージの想起・修正)
さらに、復習しているとき、電池の放電・充電がされて、さらに性能の良い電池になっていく。
性能の良い電池がいくつもできると、新しい電池をさらにすばやく作ることができる。
…はずしてるかもしれませんが。
クッキーの鋳型って面白い言い方だなあと思いました。最初、「時間」とか「意識」とかそういうことが表せないんじゃないかな、と思ったんですが、ここまで書いてきて、「自分の鋳型」を作る作業が「空っぽの電池」を作るという感じに思えてきました。で、実際にクッキーを作ったりするのは、「生活言語」ではなかろうか、と思いました。
>「空しさ」には「空っぽ」で対抗するというように理解してよいのでしょうか?
根石さんは、ずばりそのように書いてます。
最初に聞いた時、あんまりピンと来なかったのですが…。
欲しいよぅ。
コテンパン、活き活きした対話が面白く為になったんですが。
>大学受験を控えた塾生の一人が、1100をやってたはずです。
これが自分の手にあうので、まずやってしまいますね。 実は今日、おハジキを(ったって銃弾じゃありません。)70個用意して、一回素読するごとにひと粒を箱に入れる、と言うお婆んくさい原始的なやり方でやりはじめてます。 基礎問題集は10月に伺えれば、その時にやり方を教えて頂く事にします。
「1100」の一番はじめの文は、"When he got the letter, he burned it
without reading it" ですが、70回も読むと途中でいろいろなイメージが湧いてきます。 (イメージでも湧かせないと疲れてしまうので...)
手紙は恋人からのだ、とか、道楽娘からの無心の手紙だ、とか、いろいろ。 すると、感情移入できて結構面白いです。 2番目は、"Many
American high-school students do not know that the Civil War took place
between 1861 and 1865." ですが、「近頃の高校生は勉強せんで!」と怒りながら読んだり、嘆息しながら読んだり、楽しんでます。 妄想を働かせるのは得意芸ですので。 これは村田さんのおっしゃった 「イメージを、くっきりと意識すること。」に通じますか?
>"When he got the letter, he burned it without reading it" ですが、70回も読むと途中でいろいろなイメージが湧いてきます。 (イメージでも湧かせないと疲れてしまうので...) 手紙は恋人からのだ、とか、道楽娘からの無心の手紙だ、とか、いろいろ。 すると、感情移入できて結構面白いです。
夕べは 久々の日本酒に酔ってしまい 早寝。
夜中に目覚めて こちらに立ち寄り Naimaさんの投稿を目にしました。
>"When he got the letter, he burned it without reading it" Naimaさんのこの文に対するイメージが おもしろく それから この文が 一番中 頭の中をかけめぐりました。
主演 アルカポネ マイケルダグラス リチャードギア ジャックレモン ロビンウイリアムス
エディーマフィー
He をSheにして ビビアン・リー グレースケリー や アリーMy loveの アリー。
もう この文が朝まで ♪飛んで飛んで飛んで飛んで 回って回って回って回ってました。
ぶつぶつぶつぶつ ♪どうにもとまらない
"When I got the letter, I burned it without reading it"
さて 誰からの手紙だったか、、、
日常で話す言葉以外は、実感のない仮の言葉であるというのは、賛成できません。
このようなことをいう人は、映画で感動もしたこともなければ、本を読んで涙をこぼしたことのない人ではないでしょうか?
mailto:genkisaito@hotmail.com
根石さんのおっしゃることも、分かります。
中学の教科書のような、初歩的な文章では、実感を持てといっても難しいでしょう。しかし、それも文章次第(例えば、Penguin
Graded Readersのような)でしょう。
mailto:genkisaito@hotmail.com
>"Many American high-school students do not know that the Civil War took place between 1861 and 1865." ですが、「近頃の高校生は勉強せんで!」と怒りながら読んだり、嘆息しながら読んだり、楽しんでます。 妄想を働かせるのは得意芸ですので。 これは村田さんのおっしゃった 「イメージを、くっきりと意識すること。」に通じますか?
横レスです。「1100」とか「700選」などの要点をまとめた文法書(参考書)で”イメージをくっきり意識する”というのは無理があるように思います。これらの参考書でできることは飽くまでも要点を要領よくまとめるという効率を重視した学習であって、そこから多読、多聴、ビデオ、TV番組あるいは実際の会話などの本物のコンテキストを伴った(仮想)磁場を通して初めてイメージと表現が結びつくように思います。イメージと表現の結合はこうした”場数”を踏む事を抜きにしては無理だと思います。これが、私や斎藤さんが言っているいわゆる文法書を超越した英語脳の構築というものです。つまり、効率重視の学習が最初にあってもよいが、最終的には文法的知識に頼らずイメージを脳ミソに焼き付けないと使い物にならないというのが言いたいポイントです。
mailto:boysome228@hotmail.com
村田さん
タイガー・ウッズは自分が調子のいい状態のことを「ゾーンに入る」と表現しているそうです。この状態と「無意識化」できているということは同じではないでしょうか?
私は、はるか昔、中学校の定期試験で、数学の試験でしたが、そういう感じにとらわれたことがあります。普通は、ここまでは、きちんとマスターした、とか、ここはきっと出る、とか、重要な定理を順に追えたりしたのですが、そのときは、意識にはなんにも残ってなく、試験の前は、ああ、今回は点数かなり悪いだろうなあと不安に思っていたのに、いざ試験になると、すすーと解けて、あまりに試験前に思っていたことと試験の手ごたえのなさに、よりいっそう不安だったのに結果は、今までと比べてとびきりよかったです。今にして残念なのは、その後、そのような経験が何回かはあったのですが、それをもっと意識して作り出すことを試みなかったことです。
語学でも、そういう文を1文ずつ増やしていき、そして、それを500、さらには1000までつんだ時の自分を想像すると(いつになるかはわかりませんが)わくわくします。そのためには、激しくやらなくては。
Naimaさん、70回素読の話をどうもありがとうございました。70回という激しい動きが、イメージをくっきり意識させるのですね。
mailto:tkfm@da2.so-net.ne.jp
お久。
今、私のコンピュータの横にはダジャレー夫人の恋人様がいらっしゃいました。
処女の馬鹿野郎。
斎藤さん、好きです。
好きだよ。
やってらんねえよ。
何かあったんですか。
うふん。
斎藤さんて、virgin ?
お久。
ひざけないでください。