俺も上級者じゃないよ。
いわゆる上級者になっちまうと、初心者のことがわからなくなるので、俺は、中級後半にいよう
と思っています。
中級後半にいるくせに、平気で上級者のレッスンをやるところなんぞが、俺の肝の太いところだ
と思っています。
なんでそんなことができるのか。
俺は、なんなら、ネイティヴにでもレッスンしちゃうのです。
日本人に英語を持たせるための方法に関してなら、ネイティヴにでもレッスンすべきことがある
と思っているからです。
そんなことをやっていると、ヤボ用がやたらに出てきて、自分の英語を太らせることができない。
それで、中級の後半にとどまっているということもあります。
Naima さんには怒られるかもしれないが、そのあたりにとどまるのは、日本在住英語を考えるた
めには必要な条件の一つではないかという考えもあるのです。
いくら上達しても、初心者のことはわかるというのが正解かもしれません。
しかし、私にはその自信があまりありません。
いわゆる上級者になってしまうと、考え方が「あちら」に行ってしまうので、日本で英語をやる
初心者のことで、わからなくなることがあるんじゃないかという疑いが私にあるのです。
とが出てくる
今書いた記事の最終行はゴミです。
>日曜から火曜にかけて滞在していただくと、私の拙いレッスンが多めにご覧になれます。
私もその方が段取りがいいので、8月初旬に伺います。 今週中に日を決めますので、よろしくお願い致します。
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しかし、私がこだわったのは、「前提」というものです。
私は、「前提」を何も持たない人(赤ん坊ではないです)にも有効な方法が普遍的だと考えて
いる者です。言葉は古めかしいですが、國弘正雄さんの「只管朗読」「只管筆写」が実に普遍
的だと思っています。
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このことに、異論は、ありません。私がドイツ語を学んだときも、何回も入門書を「只管朗読」をしました。
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「前提」というものがある。
「前提」というものを作る仕事がある。
私はそれをやっている者です。
-------------
良く分かります。
mailto:genkisaito@hotmail.com
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あなたの主張に答えるために考えることで、私の語学論を深めることができます。
しかし、相手の話を自分流に解釈するのではなく、民族学者や民俗学者が、よく話を聞くように
ひとまずは相手が言っていることに、耳を傾ける努力はする必要があります。
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肝に銘じます。
mailto:genkisaito@hotmail.com
何回も入門書を「只管朗読」をしました。ーー> 何回も入門書を「只管朗読」しました。
mailto:genkisaito@hotmail.com
文部科学省が7月12日に発表した文書です。くだらないと思いますが、
話の種に読んでみてください。五年後に日本の英語教育はいい方向に
変わっているでしょうか? ありそうもないですね・・・。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm#plan
外国から来た 単なる英語を話す人 ”先生”を もっと 増やしたり
小学生の英会話活動促進
コミュニケーション重視とやらで 今年から ”使える会話” と リスニングが 教科書に増えた。、基礎ができてないのに 会話、、
文部科学省 授業時間を減らしておいて なにをおっしゃる。
小学生に 国語の素読 加えて中学生からは 英語の素読の時間を もうければよろし。
>小学生に 国語の素読 加えて中学生からは 英語の素読の時間を もうければよろし。
私の息子たちは小学生ですが、遅い日は午後4時過ぎまで放課になりません。それなのに
国語や算数の授業はそれぞれ週に45分×3=2時間15分しかありません。午前中の
授業が終わってから午後の授業が始まるまでに2時間近くも間があいており、給食時間(40分)
+昼休み(50分)+掃除(15分)+片付け(5分)があります。
ニュージーランドの小学校の事情を聞いたことがありますが、あちらの学校は3時で放課、
生徒も教師もさっさと帰宅するそうです。掃除は業者がします。給食指導の時間もなく、
生徒たちは昼休みに弁当を食べるか、食堂で昼食を買って食べるそうです。
4時を過ぎてから帰りの会などをして、歩いて帰宅すると場合によっては5時近くになる
こともあります。そんなに長く学校に拘束しておきながら、子供たちが学習する内容は
レベルダウンする一方です。最近、公立小学校での勉強ではどうしようもないと、多くの
子供たちが私立中受験のために夜に学習塾に通います。学校は遊ぶところ、勉強は塾でする、
という、いびつな状況がますます進みそうです。
公立中学校も惨憺たる状況です。先日、公立中の英語教員と話す機会がありました。彼女の
勤務校の教務主任や教頭は、とても公立中には行かせられないと思って、自分の子供たちは
私立中に通わせているそうです。その中学校の今春の卒業生の約一割は、進路未決定で卒業し、
親に食わせてもらいながら、ブラブラしているとのこと。お金がなくて進学できないのではなく、あまりの低学力のせいで行く学校もないのです。
さて、私が教えている今春高校入学した生徒たちですが、英語を音読させると本当に下手です。
中学校三年間に英語の音を習って、音読練習をさせられたというような者はほとんどいません。
一学期間、週に三回の授業でできるだけ多く英語を聞かせ、音読練習をさせたのですが、
「こんな下手な自分の英語発音では英語学習に今後重大な支障きたすので、徹底して練習して
英語の音を身につけねばならない」
という「意識革命」を起こすことができたのは、ほんのわずかの者だけで、多くの生徒の
口から出るのは相変わらず100%日本語の音です。中学校や塾での三年間の英語「学習」は
彼らにとって、「災難」であったとつくづく思います。
先週の日曜日は英検の二次試験の日で、私は面接委員として準2級と3級の受験生の発音を
聞く機会がありました。私の所に来た約60人の中高生の99%は英語の音が出せませんでした。
"They are in the tent."と答えるべきところで、「インテント」とだけ答えた女子中学生も
いました。彼女の発音は完全にカタカナで「インテント」でした。
ついでにそのときの受験生の受け答えの中で傑作だったのをご紹介します。
私 What time did you go to bed last night?
生徒 Twenteen.
私 My name is ・・・・・・. (面接官は最初に自分の名前を名乗ります)
生徒 No!
私 What did you eat for breakfast?
生徒 It's パン.
私 How are you today?
生徒 How are you?
私 Oh, I'm fine, thank you. How are YOU?
生徒 I'm fine, thank you. And you?
私 I'm fine, too, thank you again.
根石さん
今週國弘先生からCD受領の礼状が届きました。中国から帰国したばかりで
CDはまだ聞いていないけれど、ありがとうございますという内容の葉書でした。
家宝にします。
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文部科学省 授業時間を減らしておいて なにをおっしゃる。
小学生に 国語の素読 加えて中学生からは 英語の素読の時間を もうければよろし。
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大賛成です。野口某の「超勉強方」にもありましたが、英語の教科書を何回も暗記するまで朗読すれば、中学生の英語力は、今の数倍になるでしょう。
mailto:genkisaito@hotmail.com
>口から出るのは相変わらず100%日本語の音です。中学校や塾での三年間の英語「学習」は
彼らにとって、「災難」であったとつくづく思います。
>先週の日曜日は英検二次試験の日で、私は面接委員として準2級と3級の受験生の発音を
聞く機会がありました。私の所に来た約60人の中高生の99%は英語の音が出せませんでした。
小学生を対象とした日本人講師の開いている英会話教室では
近頃 多くの所が フォニックスを取り入れているようですが
成果はあまりないということでしょうか?
それとも 英語を英語らしく読むことへの 照れで 中高生は 日本語の音で読んでいるのか。
んー 試験に憂かろうと思ったら わざと下手な読み方はするようなことは ないでしょうね。
多読により、ある程度英語に慣れたら、リスニングにも力をいれます。
この方法として、字幕無しビデオを沢山見ることも、有力な方法だと思います。
今日、久ぶりに、TVの洋画の二カ国語放送(元playmateシャノン・トウィードの一寸Hなやつ)を英語版で見たところ、思ったより理解出来ました。もっとも、内容は、つまらなかったので、30分ほど見て、スィッチを切りましたが。字幕があると、どうしても、そっちに気を取られて、肝心の英語を聞き取ることが、うまく出来ません。
洋画を字幕なしで見ると、初めは、チンプンカンプンなので、いくら見ても効果はないように思えますが、これは、違うと思います。自分のわかる単語や決まり文句が必ず出てきます。これを手がかりにすれば、多読により、英語に慣れた人なら、必ず得るところがあるはずです。
mailto:genkisaito@hotmail.com
これを、どうやって手に入れたらいいのでしょうか?
どなたか、教えて下さいませんか?
mailto:genkisaito@hotmail.com
彼等には、英語ライティングの添削をしてもらいたいと思います。
mailto:genkisaito@hotmail.com
アマゾン日本で買えます。↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/489986/249-2345762-1132336
これは、知りませんでした。貴重な情報、有難うございました。
mailto:genkisaito@hotmail.com
根石さんが、前に、磁場無し英語の不利な点として「仮のもの」での学習を挙げていました。つまり、実際は、雨が降っているのに、"It's
a fine day, today"と練習するようなことです。これに対して、私は、映画、芝居、小説などを取り上げて、「仮のもの」と実際は、それ程大きな違いは無いと書きました。
論点をずらすというのは、例えば、このことでしょうか?
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斎藤さん、皆さん
アマゾン日本で買うと安いですが、Movies Unlimitedというアメリカの業者は
取り扱っているビデオの多さがすごいです。ここのカタログは送料込みで
三千円以上しますが、まるで電話帳のように分厚いものです。一見の価値が
あります。業者のサイトに出ているこのカタログの宣伝文句をお読みください。↓
If you like movies, you'll love our catalog. It's your one source for EVERYTHING on video. Make your choices from classics of the '30s, '40s and '50s, rare "B" westerns and movie serials, musicals from Hollywood's Golden Age, an amazing array of foreign films, video rarities, Japanese animation, TV shows, drama, comedies, cult favorites and much, much more!
送料はかかりますが、元の値段が安いものが多いので、送料込みでも手ごろな値段で
買えます。オンラインで注文すれば、在庫なら航空便で10日ほどで届きます。
私はここから色々買いました。アメリカで昔放送された鉄腕アトムの英語版やゴジラ
映画の英語吹き替え板なども持っていますよ。
http://www.moviesunlimited.com/musite/default_ie.asp?mscssid=3VP6X2T6LVSH2GPC00LHRULEWDBW6LW1
英語吹き替え板→英語吹き替え版
「論点」問題ですが、自分で書いたものを現物で確認しようとして掲示板の100番までの記事を読んでみましたら、すでに流れてしまっていました。記憶だけを頼りに書きます。
語学で扱う言語が「仮のもの」であることについては、斎藤さんが、映画、小説などの例を出された時に、「俺はあくまでも生活言語と語学の言語の質の違いを問題にしているのだが」と思ったことを覚えています。そう思ったので、語学の言語の「仮のもの」という性質が、語学の言語を生活言語と決定的に異なるものにしてしまうと書いたと思います。それについて、斎藤さんがわかってくれたのか、わからなかったのかが、私にわからなかった。それが淋しかったことを覚えています。
話し言葉なら、話がわかったのかわからないのか、顔を見ていてわかることもありますが、書き言葉だと、わかったことはわかったと、わからないことはわからないと書いてくれないと、わかったのかわからないのかわからないことが多いわけです。
論点がずれますが、補足させてください。
映画、小説などの言語も、「仮のもの」です。そして、これらも生活言語とは、まったく質の違うものです。これらの言語の基底は、映像や言葉ですが、その映像や言葉を元にして、展開されていく想像的な言語が総体となります。作品全体として、面白いとか面白くないとか、リアルであるとかないとか、個々の作品の出来不出来はありますが、そもそもが想像という行為から発する言語であるという点で、大きな枠で囲えば、小説の言語や映画の言語も語学の言語の仲間だと言えます。
これら想像的な言語から画然と区別されるのが、生活言語であり、これは何もフィクショナルな要素がないままに成立します。「仮にそうだとして」とか、「ちょっと考えてもみろ」とか、生活言語にも、想像行為や仮定する行為はいくらでもありますが、話している相手そのものを想像したり、議論している問題そのものを仮定したりすることはない。ここが、生活言語が、あらゆる想像的言語と違うところです。私が、「生の磁場」と言うのも、「想像を不要とする」ものが充満している場のことです。
小説や映画は、ことごとく「仮の磁場」だと思います。ここでは、基底そのものが想像物でできています。
生活言語は、ことさらに想像などする必要のない現実を相手どる言語であって、議題や話題や話の相手は目の前にある。それについては、想像の余地はありません。
そして、この「生の磁場」だけがもたらしうる語学的スキルが絶対にあると考えています。
以上、補足です。
「論点のずれ」に戻ります。
「論点のずれ」をもっとも感じたのは、斎藤さんが、ドイツ語をやって短期間に力がついたと書かれたときに、それまでに蓄積された英語の力が「前提」として働いているという私の指摘に対して、中国語やロシア語ならどうなのかと書かれたときでした。
(根石が)「前提」という言葉で言っていることはわかった。(斎藤が)ドイツ語をやる場合に、それまでに得ていた英語の力が作用していたことは納得できる。では、(一般に人が)中国語をやる場合や、ロシア語をやる場合はどうなんだという具合に書かれたなら、私も、中国語の場合やロシア語の場合の方へ、話を移して考えていくことはできたのですが、相手(根石)の主張のここは納得できる、ここが納得できないということをはっきりさせないで、別の場面(別の外国語の話)へ展開されてしまうと、私が「前提」と言う語に込めて書いたものを軽視されたように感じ、急に応対する気力を失うということがあったのです。
英語をやっておいた人が、ドイツ語をやる場合に、英語の力が「前提」として作用するということについては、ロシア語や中国語を持ち出すのではなく、「前提」がどれだけの作用を及ぼすのかを議題として話を続けることができたはずなのです。
斎藤さんは、話に多くの枝を生やすので、応対する相手が多く生じます。
私が、斎藤さんが生やした枝の一本に応対している間に、もっこりさんや、Naima
さんが別の枝について応対することになり、斎藤さんの手元はてんやわんやになるだろうと想像しました。ほぼ同時にいくつもの別のことを考えることになりますから。
そこから、いちいち相手のここが納得でき、ここが納得できないということをはっきりさせている時間もないままに、さらにどんどんと話に枝を生やしてしまう、あるいは議題を横滑りさせる。斎藤さんの流儀として、それが一つあると思います。これは結構、相手に淋しい思いをさせることがあるのではないでしょうか。
以上です。
私も國弘さんからお礼状をいただきました。
私も家宝にします。
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話し言葉なら、話がわかったのかわからないのか、顔を見ていてわかることもありますが、書き言葉だと、わかったことはわかったと、わからないことはわからないと書いてくれないと、わかったのかわからないのかわからないことが多いわけです。
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はっきり言いますと良く分かりませんでした。そうならそうと、そう書けばいい? 確かにそうでした。謝ります。
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「生の磁場」と言うのも、「想像を不要とする」ものが充満している場のことです。
小説や映画は、ことごとく「仮の磁場」だと思います。ここでは、基底そのものが想像物でできています。
生活言語は、ことさらに想像などする必要のない現実を相手どる言語であって、議題や話題や話の相手は目の前にある。それについては、想像の余地はありません。
そして、この「生の磁場」だけがもたらしうる語学的スキルが絶対にあると考えています。
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これには、異論があります。ただ、今の論点とは違いますので、ここで書くのは控えます。
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「論点のずれ」をもっとも感じたのは、斎藤さんが、ドイツ語をやって短期間に力がついたと書かれたときに、それまでに蓄積された英語の力が「前提」として働いているという私の指摘に対して、中国語やロシア語ならどうなのかと書かれたときでした。
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そうだと思っていました。「英語嫌い人」さんが顔を出したのはこの直後でしたから。
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(根石が)「前提」という言葉で言っていることはわかった。(斎藤が)ドイツ語をやる場合に、それまでに得ていた英語の力が作用していたことは納得できる。では、(一般に人が)中国語をやる場合や、ロシア語をやる場合はどうなんだという具合に書かれたなら、私も、中国語の場合やロシア語の場合の方へ、話を移して考えていくことはできたのですが、
-----------------------
これは、そっくりそのまま、当時の私の考えです。ドイツ語を習う場合に英語の知識が、役立つということは、根石さんが書いていたとおり当然です。
私は、この事を当時、間接的に書いていたと思います。中国語やロシア語を持ち出したときにもう少し説明すればよかったかも知れません。
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英語をやっておいた人が、ドイツ語をやる場合に、英語の力が「前提」として作用するということについては、中国語やロシア語やを持ち出すのではなく、「前提」がどれだけの作用を及ぼすのかを議題として話を続けることができたはずなのです。
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それは、そうですが、議題は、私の外国語習得方法が普遍的かどうかでした。つまり、3ヶ月で基礎を終えて多読に入るというやり方です。
これを「ドイツ語」を例にして、お話したのですが、それは、例には、ならないというのが根石さんの主張でした。これに、反駁するのは非常に難しいです。そこで、中国語やロシア語を持ち出したのです。これらを、私の方法で勉強してうまくいったら、ある程度、わたしの方法の有効性を納得してもらえると思ったのです。論点は、ずれていないのです。単に説明が不足していたのです。
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そこから、いちいち相手のここが納得でき、ここが納得できないということをはっきりさせている時間もないままに、さらにどんどんと話に枝を生やしてしまう、あるいは議題を横滑りさせる。斎藤さんの流儀として、それが一つあると思います。これは結構、相手に淋しい思いをさせることがあるのではないでしょうか。
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議題を横滑りさせるつもりは、毛頭ありません。論点がそれていると思われたときは、遠慮なく指摘して下さい。
mailto:genkisaito@hotmail.com
長野・B 七年目の浮気(二冊目)(「ボディ・ガード」終了)
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)
両名が、<クラス十十・(アルプス冬山)>から、<クラス十十五・(岩登り)>
へ進まれました。
おめでとうございます。
練習は一段ときつくなりますが、頑張ってください。
すごいサイトですね。有難うございました。
mailto:genkisaito@hotmail.com
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------
<クラス五・(ハイキング)>
佐賀・K ゴースト開始予定
松代・Y(高1) ゴースト(一冊目) p.9
<クラス十・(低山)> なし
<クラス十五・(アルプス夏山)>
戸倉・M ミッドナイトラン(二冊目)p.27(「フルメタルジャケット」終了)
戸倉・Y 逃亡者(二冊目)p.27(「E.T」終了)
埼玉・S ゴースト(一冊目) p.18
<クラス十十・(アルプス冬山)>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.31
山梨・shima 逃亡者(一冊目)p.19
<クラス十十五・(岩登り)>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.30 (「ゴースト」終了)
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.16 (「ボディ・ガード」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.116
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.72
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.58
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
<クラス十十十・(ヒマラヤ)>
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.68
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.83
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<中学教科書音読クラス・(基礎体力作り)>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.75 (7月)
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.15
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.73
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.11 (5月)
(一時使用)中野・U(中1) ニューホライズン1年 p.39 (6月)
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.49
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
東京・S(自営業) ニュークラウン p.22
中野・K(小6) ニューホライズン1年 p.67 (7月)
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<基礎問題集30分枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集138
<基礎問題集一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集226
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了解です。
「仮の磁場」と「生の磁場」に関しては、今後も考えていく予定です。
ひとまず、現在の考えを少し書いてみます。
「生の磁場」でしか手に入らない栄養(言語スキル)が絶対にあるという主張は、私はずいぶん前からしています。これは、「仮の磁場」(映画、小説等)が作る磁場とは、根底が異なると思っているのです。根底が異なる磁場からは、根底的に異なる言語スキルが得られるだけだという考えです。
「仮の磁場」(映画、小説等)は、仮構物です。それは仮構され、作品として閉じられている。どんなに見事に作られたものであっても、疑似世界です。この仮構物が、私が生きていることに直結されることがあるのは、感動ということを通してです。つまり、作品総体の意味を通してです。
語学で扱う言語には、この「感動」というものがなかなかない。語学として扱いながら、いちいち感動なんかしていられない。「調子はどうだい」というのに、"How are you doing?" と言うのだと知って感動することはあるかもしれませんが、それは、how という語の核のイメージがわかったぞ、とか、進行形の感じが瞬間的につかまえることができたぞ、というようなあくまでも語学的な感動です。語学につきものの「繰り返し」によって、文まるごとに慣れてしまえば、そういう語学的感動すらも、どんどんすり減ってなくなっていきます。語学という行為は、むしろ、感動をすり減らす殺生石みたいなもので、実は危ないものだという考えは、私にはずいぶんと前からあります。
「生の磁場」というものは、私が感動しようがしまいが関係なく、私に直結されています。
私がいちいちそれを「生の磁場」だとか「世界」だとか思わなくても、あるいは思うまでもなく、私はそこに生きています。記憶に頼って書きますので、記述が間違っているかもしれませんが、
強かろうが、弱かろうが
とにかく俺はここにいる
それは強さというものだ
(ランボウ・小林秀雄訳の記憶)
これは、強く意識された場合の、世界との直接的な結びつきです。ここでは、世界と自分との間に、どのような仮構物も作品も疑似世界も介在していません。
外国語としての言語スキルの獲得を考える場合に、この「世界との直接的な結びつき」の有無は決定的なのだという考えが私にあります。言語スキルの獲得の場面では、「生の磁場との直接的な結びつき」ということになりますが・・・。
語学では、実際の生活とはひとまず何の関係もないような文を大量に覚えたり、同じ文を繰り返し読んだり書いたりすることが、そもそも世界との直接的な関係から切れた行為です。教材という疑似世界を世界と自分の間に置き、ひとまず世界を忘れて、疑似世界にとことんつきあうような行為です。ここで本当にリアルなものは、ただイメージというものがあるだけだと思います。
語学が好きな人というのは、本当は、コミュニケーションやら異文化交流やらとは関係なく、ただイメージが好きなのではないでしょうか。
やはり、わかりにくいでしょうか。
方法の普遍性について。
なぜ斎藤さんが、ロシア語や中国語を持ち出したのか、少しわかったような気がしています。
英語とドイツ語は、同じゲルマン語の仲間で、すこしおおげさに言えば、言語として兄弟みたいなものです。それに属さないロシア語や中国語ならどうなるのだ?という疑問だったのではないでしょうか。そうだとすると、まんざら脈絡のない話ではない。
英語をやっておいたことが、ドイツ語の上達を早める場合に、同じゲルマン語であることが大いに作用するとして、ゲルマン語に属さない言語をやる場合にはどうなるんだ、という疑問だったのかもしれません。二番目の外国語として語学をやる場合、3ヶ月で基礎をやり、以後多読に入るという斎藤さんの方法の「3ヶ月」が一般的に成立するかどうかに、このことは関わってきます。
最初の外国語として英語をやった場合に、英語のシンタックスがどの程度内在化されているかに大きく依存するので、「3ヶ月」というのは関数となります。ロシア語や中国語の場合でも、英語のシンタックスが内在化されている人の場合は、有利だとも言えますし、Naima さんが言うように、文法的には、似ているところがあると、かえって紛らわしいものが増えて不利だとも言えます。
何に焦点をあてて見るかだと思います。私は、いつもながらシンタックスの内在化を見ておりますので、英語のシンタックスを内在化した人は、ドイツ語だろうがロシア語だろうが、中国語だろうが、「有利」であるという観点を持っています。Eliot さんのように「音」に焦点をあてれば、何をやろうが、新しく始める外国語はみんな苦労です。
「3ヶ月」に関しては、ネイティヴ言語との親近性、第一外国語との親近性などとの複雑な関数になると思います。「6ヶ月」とか「1年」とか、これは個々別々であり、決めることはできない。絶対的な数値というものは、成立しないと思っています。
斎藤さんが、ドイツ語をやって、3ヶ月で基礎を終え、以後多読に入ることができたことが、「初めての外国語をやる場合」にあてはまるかどうかについては、すでに書きましたが、私にはあてはまるとは思えません。
斎藤さんにとって、ドイツ語は英語に次ぐ二番目の外国語であり、二番目の外国語をやる場合に起こったことを最初の外国語学習に当てはめることはできません。英語の知識を持っている人は、当然、半ば無意識に応用可能なものを援用しています。それがあるから、3ヶ月で基礎部分をやり、多読に入るなどという荒技も成立したのであり、日本語だけで育った人が、最初の外国語としてドイツ語をやる場合には、およそ成立しないことだと思います。
日本語だけで育ち、まったく白紙から英語(あるいはドイツ語でもいいです)を始めて、3ヶ月後には多読の過程に入り、80パーセントの理解を成立させたまま、多読を続けるというような人がまったくいないと断言することはできません。世界はいつも私が思っているよりも広いから、そういう怪物がいないとは限りません。しかし、よほど体力気力の充実したきわめて少数の例外となることは確かだと思います。3ヶ月で基礎獲得、以後多読という方法が普遍的とは言えないのは、それで確かに外国語をものにしたという例を知らないし、私がつきあうことの多い初心者の英語獲得過程の長い道程から類推しても、とうてい成り立つことはないと思われるからです。これが最初にやる外国語に普遍的に採用できる方法ならば、なんで日本人がこんなに英語で苦労することがあるでしょうか。
私が、何も「前提」を持たない人にも有効な方法でなければ、普遍的な方法とは言えないと考えていることについてはすでに書きました。
日本語だけで育ち、まったく白紙から韓国語を始め、数ヶ月で基礎を終え、多読の過程に入るという人は、多く生じるだろうと思います。これは、ネイティヴ言語と最初の外国語との、シンタックスの親近性に大きく依存していることだと思います。
私は、日本語、韓国語、モンゴル語などを SOVシンタックス言語、ドイツ語、英語その他のヨーロッパ系の言語を SVOシンタックス言語と名付けたことがあります。
中国語は、英語、ドイツ語と同じような SVOシンタックスの言語です。その点で、英語をやっておくと、シンタックスの内在化という面では楽になる言語ではないでしょうか。
ロシア語も SVOだと思います。確かではありませんので、どなたかロシア語をご存じの方に教えていただけたらと思っています。
アメリカに来て2ヶ月しか経たないというロシア人が話す英語を聞いていたことがありますが、日本人のようにシンタックスの逆立で苦しんでいるような様子はありませんでした。
最近びっくりしたのは、タイ語がどうやらSVOシンタックスの言語らしいということでした。まだ確信は持てないのですが、ほんの少しかじってみたところでは、どうも
SVO くさい。
日本語が属している SOVシンタックスグループというのは、もしかしたら言語の中では圧倒的にマイノリティなのかもしれません。
今のところ、日本語、韓国語、モンゴル語、ネパール語くらいしか、SOVシンタックスの言語を知りません。ご存じでしたらお教えください。
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「生の磁場」でしか手に入らない栄養(言語スキル)が絶対にあるという主張は、私はずいぶん前からしています。これは、「仮の磁場」(映画、小説等)が作る磁場とは、根底が異なると思っているのです。根底が異なる磁場からは、根底的に異なる言語スキルが得られるだけだという考えです。
-----------
世の中には、実際に経験しなければ、分からないというものがあります。これが本物の磁場の特性で「仮の磁場」に無いものというのなら、確かにそうです。あと、「生の磁場」でしか手に入らない栄養(言語スキル)があるとしたら、それは、インタラクティブ性(会話)でしょう。これらを除けば、「生の磁場」は「仮の磁場」と質的な差はあまりないというのが、私の考えです。
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「仮の磁場」(映画、小説等)は、仮構物です。それは仮構され、作品として閉じられている。どんなに見事に作られたものであっても、疑似世界です。この仮構物が、私が生きていることに直結されることがあるのは、感動ということを通してです。つまり、作品総体の意味を通してです。
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確かに、そうです。ただ、作品の、ディテールが妙に何十年も記憶に残るということもありますので、総体の意味だけが、重要なのではないと思います。
前にも書きましたが、人々の生活の重要な部分をファンタジーが占めています。だからこそ、ディズニーランドがあんなに大もうけ出来るのです。
何故、彼等は、ファンタジーを求めるのか?それは、ファンタジーを通して生きる意味を探しているのです。物語のヒーローの活躍を見て、自分も現実世界で、ああなりたいと思うのです。ファンタジーは、生きる意味と活力を与えてくれるのです、または、人々はそれを無意識に期待しているのです。
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語学で扱う言語には、この「感動」というものがなかなかない。
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ごく初級レベルでは、そうかもしれません。初級を少し超えた簡単な英語なら、感動を得ることは、可能です。たとえば、わたしは、高校生のころ「足長おじさん」を読んだときに感動したのを覚えています。
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これは、強く意識された場合の、世界との直接的な結びつきです。ここでは、世界と自分との間に、どのような仮構物も作品も疑似世界も介在していません。
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残念ですが、これは、良くわかりません。私は、仮構物の無い世界を考えることが出来ません。例えば、サラリ−マンというものを考えてみましょう。彼等は、ある意味で、サラリ−マンを演じているのです。たとえば、勤務中に彼女の事を考えていても、真面目に仕事をしているふりをします。父親というものもそうかもしれません。彼等は、父親を演じているのです。
うそっぱちの現実にも、真実の瞬間というものがあります。これは、感動的です。しかし、それを言うなら、小説や映画にも真実の瞬間というものがあります。
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語学では、実際の生活とはひとまず何の関係もないような文を大量に覚えたり、同じ文を繰り返し読んだり書いたりすることが、そもそも世界との直接的な関係から切れた行為です。教材という疑似世界を世界と自分の間に置き、ひとまず世界を忘れて、疑似世界にとことんつきあうような行為です。ここで本当にリアルなものは、ただイメージというものがあるだけだと思います。
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これは、題材によると思います。たとえば、グリム童話。わたしは、「ヘンゼルとグレーテル」をたいへん面白く読みました。あれは、ほぼ実話だと思いました(お菓子の家とハッピーエンドを除いて)。
疑似世界は、読者にとって現実以上にリアルになり得るのです。
ちょうど、「更科日記」の作者にとって、「源氏物語」がそうであったように。
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語学が好きな人というのは、本当は、コミュニケーションやら異文化交流やらとは関係なく、ただイメージが好きなのではないでしょうか。
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ファンタジーが好きなのは、大部分の人間です。
私の父親は、小説など嘘っぱちだと軽蔑していましたが、そのくせ、自分の好きなTVのドラマなど(沢山ではないですが)、熱心に見ていました。
>やはり、わかりにくいでしょうか。
「生の磁場」でしか手に入らない栄養(言語スキル)が絶対にあるというということは、わかりやすいですし、ある意味で当然だと思います。
わからないのは、根石さんの「仮の磁場」に対する見方です。
言語というものは、そもそもバーチュアルなものです。本物または架空の物を描写する手段であって、本物ではありません。これが、「仮の磁場」が、
「生の磁場」と本質的には違わない理由だと思います。
mailto:genkisaito@hotmail.com
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中国語は、英語、ドイツ語と同じような SVOシンタックスの言語です。その点で、英語をやっておくと、シンタックスの内在化という面では楽になる言語ではないでしょうか。
ロシア語も SVOだと思います。確かではありませんので、どなたかロシア語をご存じの方に教えていただけたらと思っています。
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根石さんのお考えだと、英語を学んだ日本人は、ほぼ全世界の言語に「前提」を持っていることになりますね。
しかし、はっきりと説明は出来ませんが、SVOとSOVの違いは、言語を学ぶ上で、たいした障害ではないというのが、私の感じです。
このことは、英語ネイティブから、日本語を学ぶのは、比較的易しいということを何回か聞いたことも影響しています。
mailto:genkisaito@hotmail.com
根石さん
トルコ語もSOVですね。↓のページでSVO言語とSOV言語についての
若干のデータを見ることができます。SOV言語は決して珍しいものでは
ないようですよ。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/ro8709.html
根石さん
↓によると世界の言語で一番多いのはSOVのようです。また、母音の数も
5〜7が一番多いとのことです。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:oXm2QRARcxAC:lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/soron/handout3.pdf+SOV++SVO&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8
ご教示ありがとうございます。
SOVが最大派閥ですか。なんだか安心しました。なぜ安心するのかよくわかりませんが。
メジャーな言語は、ほとんどがSVOなので、世界ではSVOが圧倒的に強いと思っておりましたが、数の上では、SOVの方が多いということなのですね。ちょっとほっとします。
SOVの弱小言語に滅びてほしくない。日本語と韓国語はそのグループの旗頭として頑張って欲しいですが、なかなかそうもいかない。
日本もアジアに出ていって、植民地作りの猿まねをしました。そのことを棚にあげてものを言うわけにはいかないにもかかわらず、SVOシンタックスの言語を持つ国は歴史上、aggressive
だった。人のものは自分のものという、よく言えば拡張性、悪く言えば侵略性は、SVOという主語明示、主語の意志明示、客体はその後というシンタックスと何らかの関係があるのではないかという非常におおざっぱな推測が私にはあります。
主語明示、主語の意志明示によって、対象を客体とする構造は、日本語にはきわめて希薄であるばかりでなく、関係を決定する語が真打ちの位置(文末)に来るところが、日本語の非常に面白いところだと思っています。否定語、疑問語など、論理を言うための重要な語が、文末にくるというのは、論理のためには実にまだるこしい構造ですが、この言語が私にとってのネイティヴなものなので、ときどき、英語の主語明示、意志明示の構造に非常に嫌気がさすことがあります。
以前から、モンゴル語に興味があり、いつかやってみたいなと思っていたのですが、この地の遊牧の民は、変身すれば侵略の民でもあるのです。騎馬の技術は、家畜を放牧し、集めるための技術にもなるが、転じれば人里を攻撃する技術にもなる。だから、かつてモンゴル帝国というものがあった。
この農耕の民でない人々が、SOVシンタックスで暮らしているということに非常に興味があるのです。
SOVシンタッスクは受容型であり、SVOシンタックスは閉鎖性、それが転じるから攻撃型になるというような私のきわめておおざっぱな推論を、モンゴル語はひっくり返してしまうのではないかとも思ったのでした。私の考えにとって、モンゴル語の存在は一つのアポリアです。
なぜ、モンゴル人は攻撃に転じたのか。それを知りたいと思っています。
タイ語がSVOシンタックスであったことが、タイが植民地となることから救ったのではないのかというとっぴょうしもない推論です。
しかし、中国はSVOであったにもかかわらず、ヨーロッパにずたずたにされた。
植民地にされて、ヨーロッパの泥棒どもに勝手に体をいじりまわされた南のアジアの国々に、SOVシンタックスは多いのだろうか。カンボジア語、ベトナム語など、使えるようにならないまでも、シンタックスを知りたいと思っています。
(アメリカ)インディアン、アイヌ、モンゴルなど、農耕を主体としない人々の言語がSOVだとしたら、もしかしたら、計画性を必要としない人々、計画や企画や設計ではなく、自然の富によって生かされていると感じる人々のシンタックスがSOVなのではないか。
これらは、まことにまことにおおざっぱな推論にすぎません。
(アメリカ)インディアンの言語がSOVなのかどうかも実は知らないのです。
アイヌ語も知らないのです。
>しかし、はっきりと説明は出来ませんが、SVOとSOVの違いは、言語を学ぶ上で、たいした>障害ではないというのが、私の感じです。
ここは、私とはっきりと違うところですね。
私は、初心者の生徒さんを相手にしていると、頭で考えてまごまごする現象というものをしょっちゅう目にします。無意識化されて根付いている日本語のシンタックスが、英語に逆らっているのだとも言えますし、そのことによって、英語のシンタックスが根付くことを阻止しているのだとも言えます。英語をやるのに、英語のシンタックスが根付くことを阻止していたんじゃしょうがないのですが、日々を日本語で生きる人々の「自然」だと思います。
シンタックスの逆立によって生じるこの種の日本人の苦労を、私は愛しています。そこに、日本語をネイティヴ言語とする日本人をはっきりと感じるからです。
愛していますが、そのまごまごを続けていると、英語のシンタックスが根付くことはないとみきわめてもいますので、「音の全体を先に行かせろ」と生徒さんに言います。英語をやろうという人は、自分に逆立するシンタックスをねじ込む覚悟のある人なのだという基本的な認識に立ちたいのです。学校の生徒さんを相手にしていると、「自分に異質シンタックスをねじ込む覚悟」など、しょっぱな前提にするわけにはいかない。中学生になったから英語をやってるだけだというのが、多くの中学生です。「自分に異質シンタックスをねじ込む覚悟」などを持ち出しても、彼らにはなんのこっちゃと言われるだけです。しかし、その覚悟に立たないと英語が身体化されることがないので、私はずいぶんと苦しみました。
一時、ウドというSVO男に、私の社会人相手の教室を手伝わせていたことがあります。教室がはねて、雑談になって、ウドが生徒さんの一人が焼くパンを定期的に買いたいと言ったとき、パンに混ぜる何かの粉の話になって、私の生徒さんはその粉のことがわからなかったことがありました。それで、パンを焼く教室にも通っていたらしいその生徒さんは、「先生に聞いてみます」というつもりで、Teacher
ask と言ったのですが、ウドは頭を混乱させただけでした。
実に、草の根レベルでの交流の障碍になっているものはシンタックスだと思ったのを覚えています。このレベルでのおもしろおかしい話はいろいろあるのですが、斎藤さんはそのあたりをあまり重要視しない。
これは、アメリカ文化(文明?)への「憧れ」があったかなかったかによって大きく違ってくるところなのかもしれません。
私には、その「憧れ」がなかった。英語という言語そのものをおもしろがることはあったが、アメリカ文明に憧れるということは、ついぞありませんでした。
私には、「シンタックス」の逆立こそが最大の面白みでもあり、最大の苦しみでもあります。
ここにこそ、「日本人の英語」の最大の眼目があるという考えが私のものです。
〈書く〉ということのなかには充たされない〈沈黙〉の集合が、ほとんど書かれた言葉とおなじ重さと量で
伴われている。発語においてはまったくの〈沈黙〉と考えられるものが
、発字のなかでは〈沈黙〉の言語的意味として存在する。この関係はちょうど〈言語〉学的な水準で〈沈黙〉が〈なんでもないこと〉を意味するのに、<発語〉の水準では有意味性に転化するのとおなじことである。
「沈黙の有意味性について」『吉本隆明著作集4』
>しかし、はっきりと説明は出来ませんが、SVOとSOVの違いは、言語を学ぶ上で、たいした障害ではないというのが、私の感じです。
ここは、私とはっきりと違うところですね。
私は、初心者の生徒さんを相手にしていると、頭で考えてまごまごする現象というものをしょっちゅう目にします。無意識化されて根付いている日本語のシンタックスが、英語に逆らっているのだとも言えますし、そのことによって、英語のシンタックスが根付くことを阻止しているのだとも言えます。英語をやるのに、英語のシンタックスが根付くことを阻止していたんじゃしょうがないのですが、日々を日本語で生きる人々の「自然」だと思います。
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彼等は、英語を日本語に一度翻訳して理解しようとしているのではないでしょうか? これをやっている限り、外国語は決して上達しません。英語を勉強するのは、英語脳を作る過程と言ってもいいかもしれません。日本語に翻訳していると、英語脳が出来ないのです。このことは、英語だけでなくどんな外国語を学ぶ上でも同じです。シンタックスの違いの度合いが問題なのではないと思います。
mailto:genkisaito@hotmail.com
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「3ヶ月」に関しては、ネイティヴ言語との親近性、第一外国語との親近性などとの複雑な関数になると思います。「6ヶ月」とか「1年」とか、これは個々別々であり、決めることはできない。絶対的な数値というものは、成立しないと思っています。
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これは、そのとうりだと思います。わたしの3ヶ月というのは単なる目安です。入門書を何回も音読して暗記するまでの期間と考えてください。
これだけでは、厳密にいうと、まだ多読には入れないです。このあと、1000語から2000語の語彙を、辞書を引きながら獲得する期間が必要です。
ある程度の語彙量がないと多読には入れません。
mailto:genkisaito@hotmail.com
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最近びっくりしたのは、タイ語がどうやらSVOシンタックスの言語らしいということでした。まだ確信は持てないのですが、ほんの少しかじってみたところでは、どうも
SVO くさい。
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タイ語は、現地の人が話しているのを聞いて中国語に似ていると感じたことがありました。
素人の印象ですから、これが、まったくの見当違いであっても別に驚きませんが。
mailto:genkisaito@hotmail.com
>ごく初級レベルでは、そうかもしれません。初級を少し超えた簡単な英語なら、感動を得ることは、可能です。たとえば、わたしは、高校生のころ「足長おじさん」を読んだときに感動したのを覚えています。
斉藤さん 高校生の時に 英語の本を 読んで感動する これって すごいことです。高校の時点でペーパーバックに手をつけることができることは すなわち その時点でかなりの力がついているということになる。 多くの高校生は とても そんな与力はありません。
>わたしの3ヶ月というのは単なる目安です。入門書を何回も音読して暗記するまでの期間と考えてください。
これだけでは、厳密にいうと、まだ多読には入れないです。
ほとんどの初心者には これがかけています。 教科書を 何度も音読したりすること基礎の文法を血肉かすること これは ほとんどの英会話学校 塾 ましては 学校では身につけることは現在できません。 斉藤さんのように独学で それだけのガッツと継続ができる人は少数なのです。
>このあと、1000語から2000語の語彙を、辞書を引きながら獲得する期間が必要です。
ある程度の語彙量がないと多読には入れません
中学で学習する単語は約千語 −多読にはいるのには 大変ですね。
その上 ー3ヶ月というのは単なる目安です。入門書を何回も音読して暗記するまでの期間ー
ーこれは 一般人には とても3ヶ月では無理といえましょう。
学習した単語数が少ない上に 中学レベルの基礎を 音読もせず 暗記にまでなど 到底いたらない多くの学習者が 多読にはいるのは やはり かなりむずかしいということには なりませんか?
多読に入る前どうしても 中学レベルの礎をしっかりする必要があります。
>彼等は、英語を日本語に一度翻訳して理解しようとしているのではないでしょうか? これをやっている限り、外国語は決して上達しません。
英語で 考え始めることが できるのは かなり 上級になってからだと思います。
"Good morning" "This is a pen" ぐらいなら 日本語で考えずとも 英語ででてくるでしょうが。 中学レベルの内在化が先に必須です。
そして このレベルは やはり日本語を 使って学習したほうがてっとりばやい。
私のいた英会話学校では 初心者は日本人講師担当ですが
中学レベルの文法や会話をを英語で教えていました。日本語は原則的に使いません。
英語を 英語で学ぶ これは ある種錯覚を生みます。
英語で習っているということが学ぶ人のプライドをくすぐるのです。
習っている事は中学1,2年の内容です。
英会話学校は 英語で英語を学ぶことが 英語で考えるから 英語が身につく近道だと説明します。
私は とても非効率にかんじました。
日本人講師もすべて英語なら日本人が教えるメリットがありません。
名詞は 絵のカードで理解可能としても
exciting interesting crowded 形容詞は難しい。
日本語で 一言意味を教えればすむことです。
中学で行われているAETと日本人教師が英語で教える
チームティーチングとやらも 私は疑問を持たざるえません。
だって 英語の時間が公立中で週3時間 ですよ。
決まりきった指示は 英語でいいでしょうが なかには すべて英語でやる授業も増えてきているとか(ここのところは 人から聞いた話しなので 本当ではないかもしれません、 現場はどうですか?)
こんなことより 先に 音読させろ!テープを何度もきかせろ!基本構文を活用自在に練習させろ。
これから 英語はどこに行く・・
入学レベルチェックインタビューにてのこと。
What did you do this morning?
Get up. Washed face. eat breakfast, brushing teeth,,
主語抜け現在過去混同 おちゃのこさいさい。 代名詞(my your)
はいわずもがな。
レッスンで 朝の基本文 I get up, I washed my face. i eat breakfast.
I brush my teeth.などを 現在過去未来 また 主語をShe などに変えて やってもらうのですが
(長崎玄弥 96文型)
生徒 : I wash face.
私 : 誰の顔を?
生徒 : あー my face. I wash my face. Do you wash my face?
私 : Do you wash MY FACE?? (アクションつきで)
生徒 :あはは No. Do you wash your face?
私 :基本文を 訳してみて
生徒 :私は起きます。私は私の顔を洗います。私は朝食をたべます。私は 私の歯をみがきます。 疲れるぅ!
私 :普通に話すと?
生徒 : 起きる 顔をあらう。 朝食を食べて 歯を磨く。 楽だ、、。
生徒:誰がなんて いわなくても 話している私に決まってるし、
誰が誰の顔をあらうかなんても あたりまえなのに。
英語って 面倒!!
でもそれが英語なのだ、、
だからこの 活用が考えずともでてくるように 長崎式で トレーニングすると
時制と主語が しっかりしてきます (割と、、、ですが)
やはり 英語は面倒くさい!と私も思います。
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斉藤さん 高校生の時に 英語の本を 読んで感動する これって すごいことです。高校の時点でペーパーバックに手をつけることができることは すなわち その時点でかなりの力がついているということになる。 多くの高校生は とても そんな与力はありません。
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そうですか? もし、辞書を引きながら簡単な本が読めないなら、彼等は、中学、高校の間、英語をほとんど勉強してないのでは?
私は、「ヘンゼルとグレーテル」を、ドイツ語で読むことが出来ました。このときは、ドイツ語をやり始めてから3ヶ月しかたっていません。
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ほとんどの初心者には これがかけています。 教科書を 何度も音読したりすること基礎の文法を血肉かすること これは ほとんどの英会話学校 塾 ましては 学校では身につけることは現在できません。 斉藤さんのように独学で それだけのガッツと継続ができる人は少数なのです。
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やれやれ。ガッツなんていらないですよ。単にCDをまねて音読するだけですよ。要は、単純なことを馬鹿にしないでやることです。皆さん、おりこうさんなのでしょうね。
mailto:genkisaito@hotmail.com
>やれやれ。ガッツなんていらないですよ。単にCDをまねて音読するだけですよ。要は、単純なことを馬鹿にしないでやることです。
ある中学生から聞いたのですが、最近学校では一人一人が指名されてテキストを朗読という事はなく、生徒全員が先生の後について(小さい声で!)リピートする程度らしいのです。これではいくら視聴覚教材を充実させ、ALTなど使っても昔の英語授業よりもむしろ効果は薄いのではないかと不安を覚えました。皆さんの知っている学校ではいかがでしょうか?
mailto:boysome228@hotmail.com
>単にCDをまねて音読するだけですよ。
それで英語の音声が身に付く人は少数派です。だからこそ、私や根石さんは
日々生徒たち(受講生たち)の英語の音作りの指導に苦労しているのです。
失礼ですが、「斎藤さん、わかっちゃいないなあ」と思いましたよ。
>生徒全員が先生の後について(小さい声で!)リピートする程度らしいのです。
教員は全然声を出さず、CDプレーヤーなどのスイッチを押すだけという授業を
私の住む校区の中学校の授業参観日に見たという保護者の話を最近聞きました。
生徒の一部が小さい声でカタカナ読みをし、他の生徒は黙っているか、寝ている
という授業だったそうです。全部ではないにせよ、これが日本の公立中学校での
英語教育の実態です。
長野・Akkaさんが、<クラス十十十・(ヒマラヤ)>に挑まれます。
これで<ヒマラヤ>クラスは3人となります。
おめでとうございます。
今日は引き締まっていました。一週間の間にやっておいた練習の成果です。
暑いですが、この夏はこの調子で頑張ってください。
<ヒマラヤ>クラスを維持なさることを願っています。
Eliot さんが作られたCDを明日送りますので、感想をこの掲示板にお願いします。
また、<ヒマラヤ>クラスの人には、新しい生徒さんをご紹介いただきたく、ひとまずは、私のホームページ及びこの掲示板をお読みいただくよう、回りに声をかけてご案内くださることもお願い致します。
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------
<クラス五・(ハイキング)>
佐賀・K ゴースト開始予定
松代・Y(高1) ゴースト(一冊目) p.15
<クラス十・(低山)> なし
<クラス十五・(アルプス夏山)>
戸倉・M ミッドナイトラン(二冊目)p.27(「フルメタルジャケット」終了)
戸倉・Y 逃亡者(二冊目)p.27(「E.T」終了)
埼玉・S ゴースト(一冊目) p.22
<クラス十十・(アルプス冬山)>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.31
山梨・shima 逃亡者(一冊目)p.19
<クラス十十五・(岩登り)>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.30 (「ゴースト」終了)
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.16 (「ボディ・ガード」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.72
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.58
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
<クラス十十十・(ヒマラヤ)>
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.122
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.70
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.83
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<中学教科書音読クラス・(基礎体力作り)>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.75 (7月)
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.15
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.74
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.11 (5月)
(一時使用)中野・U(中1) ニューホライズン1年 p.39 (6月)
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.52
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
東京・S(自営業) ニュークラウン p.22
中野・K(小6) ニューホライズン1年 p.67 (7月)
----------------------------------------------------
<基礎問題集30分枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集153
<基礎問題集一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集229
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今日、「電話でレッスン」の仕込みをやっている間に、ar がうまく作れたような気がしました。ar
なんて、赤ん坊はみんな上手に出す音なのですが、口の動きのエネルギー消費量の小さい日本語で育って大人になってしまうと、なかなかこれが難しい。
はっきり言って、私は苦手です。
今日の仕込みの時、上の歯茎の裏側に息を当てるようにしたら、うまく出ました。
「カラスのカー」に含まれる音、とか、Eliot さんに教わったように、「診察室のアーン」に含まれる音とか言う言い方は常用して、生徒さんの口を動かしています。また、これも
Eliot さんに教わって使わせてもらっている注意点に、「舌の先を下の歯の裏につけたまま口を開く」というものもあります。
そういうことを全部意識して口を動かすのですが、どうもうまい具合に
ar の音が作れないなという感覚はずっと持っていたのでした。
今日、これまでに留意していたことの他に、喉から来る息の束を上の歯茎の裏側に当ててやるとうまく出るということを発見。
しかし、これは実に内的な感覚であって、他の人にすぐに了解してもらえる言い方かどうかは、いまひとつ自信がありません。
ともかく、これまでの留意点にこれを加えたらうまく出たということだけは確かなので、ひとまず報告致します。
これから我が家は夕飯です。
午前1時を回って夕飯になる家も珍しいですね。
私は英語で考えて英語でしゃべると、自分が知的に退行してしまった様な感じがします。 自分の知っている英語の範囲内でしか、思考できないからです。 ドイツ語をドイツ語で考えて喋ろうとすると、もう完全に赤ん坊レベルです。
根石さん、8月4日(日)と5日に伺おうと思います。 篠井駅付近に宿泊出来るホテルをご紹介頂ければ助かります。 ご面倒をお掛けしますが、よろしくお願い致します。
今日は、ちょっと掲示板に書いている時間がとれませんので、連絡だけにします。
うちへ泊まってもらえませんか。ホテルは屋代駅の近くにあり、それがうちから一番近いですが、
それでも車で10分ほどかかります。歩くにはちょっと大変な距離です。
浜谷さんが見えたときは、借家で狭く、塾の座り机をたたんで、生活空間を得ていたので、うち
に泊まってもらうことがかないませんでしたが、現在は大丈夫です。
ホテルとの間の送り迎えをやるより、うちに泊まってもらう方が、こちらは楽です。
8月4日に見えられることはOKです。
念のために、書いておきますが、私は、英語を読むときに日本語に翻訳しないで読むようにしましょうと主張しただけで、英語で考えなさいとは一言も書いてません。
mailto:genkisaito@hotmail.com
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>単にCDをまねて音読するだけですよ。
それで英語の音声が身に付く人は少数派です。だからこそ、私や根石さんは
日々生徒たち(受講生たち)の英語の音作りの指導に苦労しているのです。
失礼ですが、「斎藤さん、わかっちゃいないなあ」と思いましたよ。
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Eliotさん、仰いますね。(笑) 浜谷さんが聞いたら、目を丸くしますよ。
私が、言う分には、彼も馴れているでしょうが。
外国語の発音は、入門時にまず最初に基礎を勉強すべきだと思います。
私は、中学生か高校生のときかよく覚えていませんが、辞書に載ってあった、発音記号の説明を読んで、発音を勉強したのを覚えています。其の当時は、カセットレコーダーも気軽に買えるものでは無かったので、実際の発音はラジオやテレビで外人教師の発音を聞いただけです。いまでは、良い入門書やCDがあるので、発音を学ぶのは、はるかに簡単なはずです。
mailto:genkisaito@hotmail.com
下のリンクにリーディングが如何に効果的がうまく書かれています。この中に、two interesting casesというサブリンクがあり、興味ある例が載っています。
http://www.antimoon.com/how/reading.htm
mailto:genkisaito@hotmail.com
EliotさんのCOをダビングしたテープを、根石さんから送っていただきました。
指導されている中学生の卒業記念英語朗読集です。
朗読のレベルの高さに驚きました。というより、
生徒間のばらつきはあるけれど、私より上手な朗読ばかりでした。
中学校の3年間で、これほど確かな音とイントネーションを身につけることができるのですね。
入学時のレベルはどのようなものだったのでしょうか?
それにしても脱帽しました。ありがとうございます。
Eliotさん>それで英語の音声が身に付く人は少数派です。だからこそ、私や根石さんは
日々生徒たち(受講生たち)の英語の音作りの指導に苦労しているのです。
よく分かります。特にEliotさんのご苦労が・・・。英語が始めての人に教えるのは難しい、特に現在の英語教育環境下の渦中(学校教育現場)では並大抵ではないとお察しします。sb先生も頑張って下さい。(最近投稿がないですが、元気ですか?)根石さんは渦中外(塾)ですが、ご苦労なのは一緒で、よくご自分の方針を貫いて塾生のうち英語が始めての中、高生に音作りをやってらっしゃると感服しています。(咋夏塾を見学させていただきましたが、各塾生が競って回転読みに励んで、その喧騒たるや、田舎だから出来るのかな、とも思いましたが、そういう塾がもっと作られるべきだと思いました。)因みに私も中学1年の時に塾と学校で良い英語の先生に出合ったことが多読中心の英語学習の基礎になっていることを痛感しています。
なお英語が2度目、3度目のトライで始められた方達中心に根石さんがやってらっしゃる映画スクリプト回転読みでの音作りに関しては最近ヒマラヤ・クラスの方も増えてきて、この方式によるそのような方達への補習授業ともいえる学習法が更に広まり、従来の「英会話」教育をどんどん蹴散らしていく日が来ることを念願しています。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
>外国語の発音は、入門時にまず最初に基礎を勉強すべきだと思います。
その通りだと思います。でも、斎藤さんのこの発言は私の書いたことへの
反論になっていませんね。私は過去二十年以上英語教員をしてきた経験から
「単にモデルの録音を聞いて真似するだけでは英語の音は身に付かない」と
言ったのです。これに対して反論なさるなら、「単にモデルの録音を聞いて
真似するだけで英語の音を習得できる」ということを、理由や例をあげて
述べてください。
>私は、中学生か高校生のときかよく覚えていませんが、辞書に載ってあった、発音記号の>説明を読んで、発音を勉強したのを覚えています。其の当時は、カセットレコーダーも気>軽に買えるものでは無かったので、実際の発音はラジオやテレビで外人教師の発音を聞い>ただけです。
斎藤さんはそうだったでしょう。実は私もそうでした。ただ、私はカセットテープ
レコーダーが普及し始めたころに中学生だったので、テレビやラジオの英語番組や
字幕映画などを録音して何度でも聞いて練習しました。私の英語発音習得はまったくの
独学です。
しかし、斎藤さんや私は例外的なケースです。先日もこの掲示板に書きましたが、
英検の面接試験にやってくる中高生や、私が今教えている今年の新入生の高1生たちの
ほとんどが、発音記号を読めも書けもせず、個々の子音と母音もイントネーションも
全然英語になっていないのです。四月から私の生徒になった連中はその多くが中学校で
英語の成績はよかったのに、ちっとも英語の発音ができないのです。これが日本の
中高生の典型的な姿なのです。
こんな状態の生徒たちに「簡単だよ。CDを聞いて真似すればいいのさ」と言っても
それをそのまま実行する生徒はわずかでしょう。もちろんモデル発音は何度も聞いて
真似することが必要です。しかし、彼らには「音づくりの道」を導いてくれる指導者が
必要です。時には厳しい練習を強制し、時にはほめちぎり、またある時には適切な
助言を与えて、学習者の口から英語の音が出るようにしてくれるコーチがいるのです。
>いまでは、良い入門書やCDがあるので、発音を学ぶのは、はるかに簡単なはずです。
そうです。しかしそれでも、日本人中高生のほとんどが発音が下手なのです。斎藤さん、
失礼ですが、また申します・・・「そうおっしゃるのは簡単ですよ。でも現実はそう
簡単ではありませんよ」
>入学時のレベルはどのようなものだったのでしょうか?
ほぼ全員まったく英語ができませんでした。いわゆるゼロからのスタートでした。
>私は英語で考えて英語でしゃべると、自分が知的に退行してしまった様な感じがします。 自分の知っている英語の範囲内でしか、思考できないからです。 ドイツ語をドイツ語で考えて喋ろうとすると、もう完全に赤ん坊レベルです。
英語で考えるのはあくまでも「社交的に喋る」ことが主眼で、英語で考えて自分の考えを主張することは余程上達してからでないと難しいと思います。そのような主張の場に出る必要のある人は常日頃から関連のある英語雑誌・文献とかを多読しておく必要があると思います。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
mailto:t-hamaya@nyc.odn.ne.jp
浜谷さん、
海外駐在員が一番難しいと思っているのが、この「社交的にしゃべる」という事です。 よく「日常会話」程度なら大丈夫、と豪語、「豪語」です、をする人達がいますが、「日常会話」「社交的にしゃべる」ほど難しいものはない、と思います。 言葉尻をとらえる様ですが。 ディベートなどは、浜谷さんのおっしゃる通り、その気にさえなれば、TIMEやNewsweekまでいかなくても英字新聞を読んで、英語のネタを仕入れて煙に巻く事も出来ます。 かえって簡単。 私はこの「社交的」「日常的」会話が出来る様になるために、四苦八苦しています。
「英語で考える」と言う事をつきつめて考えると、アイデンティティーまで失いかねない様なあぶない感じがします。 ここで浜谷さんがおっしゃるのは、「しっている英語を駆使してとにかくしゃべってみる」と言う事だと思うのです。 自分の言いたい事を多読で仕入れるのは、プールで落としたコンタクトレンズを探す様なものです。 出来る人には、ずっと継続して多読はやり続けるに越した事はないのですが、やはり文法や語法を基礎として身につけてそれをつかって自分の文章を作ってみるなどの作業は、ついて回るだろうと思います。
「社交的に喋」っていて「こんな風に言いたかった」と気付いた日には、1人になった時にそれを構文などにあてはめて作文する、という作業を私はしています。 うまく言えないのですが、実践の会話ではそういう「気付き」やネイティブスピーカーからの「ネタの仕入れ」はあり、自分の英語が通じると言う「確認」とか「励み」とかもあるのですが、やはり「お勉強」はついて回ります。 英語圏での生活経験があったとしても、それは同じだと思っています。
根石さん、
見ず知らずの者を宿泊させる、と言うお申し出、恐縮に存じます。 奥様にはご面倒おかけすると思いますが、ご好意に甘えさせて頂きます。 ありがとうございます。 口では大暴れしますが、口ほどにもないやつなので、ご安心下さいませ。 実は1人度は生まれて始めての「箱入り婆あ」なので、夫がしきりに心配しております。 お会いしてご夫妻から英語学習についていろいろお聞きするのを、心待ちにしています。
1人旅の変換違いでした。 すみません
>実は1人旅は生まれて始めての「箱入り婆あ」なので、夫がしきりに心配しております。
一人旅は初めてですか。そりゃあ、過保護だぞと旦那様に言っておいてください。
斎藤さんとの議論で、斎藤さんはシンタックスの違いは大した問題ではないと言い、私は、シンタックスが違うことにこそ難題が潜んでいるのだと言いました。
私の習慣に、車に乗っている間は、映画の音声だけをMDに録音したものを聴いているということと、トイレを使っている間は、英語の本を読んでいるというものがあります。共に、疑似磁場とのおつきあいです。
この他に、「電話でレッスン」の仕込みが日常的にあります。仕込みをすることで、自分の英語の錆び付きを防ぐ作用があります。
車に乗っている間、英語を聴いているということと、トイレを使っている間、英語を読むということを継続していて感じることですが、今日は調子がいいと思える日と、どうも調子が出ないなと思える日があることです。気持ちに元気がある日とない日ということでもあると思うのですが、この調子の良さ・悪さは、私の意志とは「まったく別物」だという感触があります。
とりわけ集中して聴こうなどとしていなくても、どんどん聴きとれていく日もあれば、よく聴こうと思っても、まるでうまくいかず、以前に聴きとれていたところがくらがりになったりするようなことさえあります。
理論的には、「聴き取り」の能力がもっとも退歩しないものだと考えているのですが、私の場合は退歩します。これは、「生の磁場」で「一発どかんとやる」ということを私の英語がくぐっていないせいでもあるのですが、日本語で日常生活をしていること自体が英語のシンタックスを弱体化させるということがはるかに大きく作用しているからなのだと考えています。
どんどん読み進められるとか、英語の音の繊維がクリアに聞こえて、英語の音の流れに意味の流れがずっと沿っていくと感じられる日(調子のいい日)には、私の内部の半無意識部分で、「シンタックスが立っている」という感じがあります。
純粋に語学的に語るなら、日本語で日常生活をして、日本語を使うこと自体が、「シンタックスが立っている」状態を維持「させない」のです。
私は、日本で生きているかぎりは、日本で普通に生きている人と同じように生きていこうと思っているので、日本語を使う場面を減らそうとか、自分を英語漬けにしようとかはしません。車の中とか、トイレの中とか、閉ざされた空間に一人でいるときに英語に浸かっているだけであり、普段はまったく日本語の人間です。
日本人として普通に生きていること、つまり、日本語で日常生活が営まれることの中に、英語のシンタックスの根が浮いてしまうことの最大の原因があります。日本人にとって、もっともあたりまえで普通のこと、つまり日本語を使って生活すること自体が、英語の根を浮かせる原因なのですから、日本人に容易に英語が根付かないことには、有無を言わせぬ根拠というものがあるのです。
日本語が、英語の根を浮き上がらせてしまうこと。これが、まさに英語のシンタックスが根付かないことなのです。日本人の日常生活が、英語のシンタックスを寝かしつけてしまう。蒔いた英語の種をほじりだしてしまう。
ゴンベが種蒔きゃ、カラスがほじくる ホーイ、ホイ
「シンタックスが立っている」という言葉で言おうとしていることは、シンタックスが理解できるということとはまったく別のことです。
例えばトイレで本を広げる場合でも、調子の悪い日は、書かれている文からシンタックスを「読みとる」という感じなのですが、調子のいい日は、書かれている文のシンタックスと、自分の中に立っているシンタックスとが、うまく片っ端から「照応していく」という感じがします。
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>外国語の発音は、入門時にまず最初に基礎を勉強すべきだと思います。
その通りだと思います。でも、斎藤さんのこの発言は私の書いたことへの
反論になっていませんね。私は過去二十年以上英語教員をしてきた経験から
「単にモデルの録音を聞いて真似するだけでは英語の音は身に付かない」と
言ったのです。これに対して反論なさるなら、「単にモデルの録音を聞いて
真似するだけで英語の音を習得できる」ということを、理由や例をあげて
述べてください。
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反論もなにも、私は、「単にモデルの録音を聞いて真似するだけで英語の音は身に付きます」とは、一言も書いてないです。
Eliotさんは、私の意見を誤解(というか、早とちり)されているのです。わたしが、何回も音読と書いたときには、発音の基礎を学んだ上でということが当然前提としてあります。
>いまでは、良い入門書やCDがあるので、発音を学ぶのは、はるかに簡単なはずです。
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そうです。しかしそれでも、日本人中高生のほとんどが発音が下手なのです。斎藤さん、
失礼ですが、また申します・・・「そうおっしゃるのは簡単ですよ。でも現実はそう
簡単ではありませんよ」
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良い入門書とCD。これを使って、尚且つ発音が下手というのは、彼等にやる気が全然無いということだと思います。馬を川につれていくことは、出来るが水を飲ませることは出来ないという古いイギリス(またはアメリカ)の諺どうりです。
mailto:genkisaito@hotmail.com
>Eliotさんは、私の意見を誤解(というか、早とちり)されているのです。
>わたしが、何回も音読と書いたときには、発音の基礎を学んだ上でということが
>当然前提としてあります。
話がかみ合わないので、この件についてはもう終わりにします。
>良い入門書とCD。これを使って、尚且つ発音が下手というのは、彼等にやる気が
>全然無いということだと思います。馬を川につれていくことは、出来るが水を
>飲ませることは出来ないという古いイギリス(またはアメリカ)の諺どうりです。
生徒にやる気がないというのは妥当ではないでしょう。教師に発音教育をやる気が
ないことが問題なのです。別の言い方をすれば、生徒に英語の発音を習得したいと
いう気持ちが生じないのは、いびつな日本の学校英語教育にその原因があるので
あって、生徒たちは被害者だということです。彼らを責めることはできません。
私は、シンタックスの内在化は簡単だとは、一言も書いていません。
私の趣旨は、例えば、SVOのドイツ語だろうが、SOVの日本語だろうが、英語ネイティブが学ぶ場合、彼等にとって、ドイツ語脳を作る困難度と日本語脳を作る困難度の違いの理由は、ドイツ語と英語のシンタックスの差の程度と日本語と英語のシンタックスの差の程度の違いとは、別のところに有るだろうということです。言い換えますと、外国語のシンタックスの内在化は、自国語とのシンタックスとの疑似性とは、あまり関係無しに、別の理由により困難だったり、比較的容易だったりするだろうということです。何故、こう思うかといいますと、外国語を内在化しようとする場合、脳内の外国語神経回路は、自国語神経回路とは独立した部位に、出来るだろうということです。これは、ある意味で当然で、独立していなければ、干渉して、ろくに外国語は使えないのではないかと思います。従って、神経回路が独立していれば、シンタックスの疑似性は、あまり関係無いと思うのです。ただし、このへんは、あくまで、推測です。
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日本人として普通に生きていること、つまり、日本語で日常生活が営まれることの中に、英語のシンタックスの根が浮いてしまうことの最大の原因があります。日本人にとって、もっともあたりまえで普通のこと、つまり日本語を使って生活すること自体が、英語の根を浮かせる原因なのですから、日本人に容易に英語が根付かないことには、有無を言わせぬ根拠というものがあるのです。
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これは、単に、英語漬けの時間が、日本語で日常生活を営むことにより十分取れないということだと思うのですが。
根石さんの仰っていることを、誤解しているのかもしれません。
mailto:genkisaito@hotmail.com
>SVOのドイツ語だろうが、SOVの日本語だろうが、英語ネイティブが学ぶ場合、
>彼等にとって、ドイツ語脳を作る困難度と日本語脳を作る困難度の違いの理由は、
>ドイツ語と英語のシンタックスの差の程度と日本語と英語のシンタックスの差の
>程度の違いとは、別のところに有るだろうということです。言い換えますと、
>外国語のシンタックスの内在化は、自国語とのシンタックスとの疑似性とは、
>あまり関係無しに、別の理由により困難だったり、比較的容易だったりする
>だろうということです。
>神経回路が独立していれば、シンタックスの疑似性は、あまり関係無いと思うのです。
↓の中の「どれくらいの学習時間が必要なのか」をお読みになれば、明らかに
言語系統の遠近が言語習得に関係するということがおわかりになるでしょう。
http://www.nullarbor.co.jp/tg/contents/tg_2.htm
昨年ソウルに行ったときにたくさんの日本語を話す韓国人観光ガイドや店員の
日本語を耳にしましたが、その日本語の流暢さと正確さは相当なレベルでした。
ある観光地では日本語ガイドたちも英語ガイドたちもいましたが、日本語ガイド
たちの日本語には文法的間違いがほとんどないのに、英語ガイドたち(韓国人
女性)はそれなりに流暢に話してはいるものの、冠詞や名詞の単複の区別などでは
間違いがかなり聞かれました。韓国語と日本語は非常に似ているので、韓国人は
英語よりもはるかに容易に日本語を身につけることができると思われます。以前
どこかで、日本国内の日本語学校に来る外国人たちの中では韓国人がずば抜けて
上達が速いと聞いたことがあります。
私自身も英語を三十何年も勉強しているのにいまだに英語には不自由します。一方、
韓国語はお遊び程度の取り組み(ラジオやテレビの講座をある程度の期間利用する、
テープ付きの入門書を音読するなど)を気が向いたときにするくらいなのに、
昨年の韓国旅行ではホテルのコンシエルジュに韓国語でソウルタワーへの観光バスの
利用などについて質問し、10分程度の会話を続けることができました。あれはやはり
韓国語と日本語の類似のおかげだったと思います。
オッチョダ センガギ ナゲッチ ネンジョハン サラミジマン
ときどき 思い出すでしょう 薄情な 人だけど
クロッケ サランヘットン キオグル イジュル スヌン オプスル コヤ
あんなに 愛していた 記憶を 忘れる ことは ない でしょう
↑歌謡曲「イビョル」の歌い出し部分です。イビョルとは「別れ」という意味で、
漢字語です。漢字で書くと「離別」です。
イルボン サラミ ハングンマルル ペウヌン ゴスン クダジ オリョプチ
日本 人が 韓国語を 学ぶ ことは それほど むずかしく
アンタゴ チェガ コギソ マンナン ハクセグン ヘッスムニダ
ないと 私が そこで 会った 学生は 言いました
どうですか? 英語より簡単そうでしょう?
http://www.nullarbor.co.jp/tg/contents/tg_2.htm
今日、久しぶりにアメリカ人の恩師に会って英語をしゃべりましたが、3ヶ月も使っていないと、すごい事になってました。 錆び付いた、と言うよりメッキが剥げた、と言うべきです。 それで国広氏のCDつきの音読の本を買いました。 顔を洗うて出直し、ですわ。
もうすっかり酔っぱらいです。
「うんこファシズム」という原稿を書いて、くたびれ果てました。
で、訂正です。
Naima さんの記事の「国広」は、「國弘」だと思います。
「くにひろ」さんという方で、Naima さんほどの人に強く影響する人は他にいませんので、
Naima さんの中では問題ありません。
でも、同じ本を買う人がいたら、「國弘正雄」さんの本を注文してください。
まだ私の手元にはありませんが、最近いただいた國弘さんの葉書によると、
「英会話・ぜったい・音読・入門編」が出ています。
出版社は、「講談社インターナショナル」です。
私は、講談社から一円もいただいておりません。
斎藤さん
くたびれておりますので、明日以降に考えます。
てめえ、フライパン野郎なんだってな。
てめいは何でそういうふうに言われるのか
わからんだろうな。そうだろう。へっっ!!
てめいの言ってることは「ああ言えば、こう言う」の
類いに過ぎないんだよ。
その動機は、相対している人に常に優位を維持することなんだな。
なぜか妙にプライドが高い。
まあ確かに英語、他の語学が得意なんだろう。
それを武器にしてただ自分の優位を振り回しているようにしか見えん。
世間的には、ただのこましゃくれたガキなんだよ。
自分のバカを、ここで晒していくのもいいかもな。
屁理屈の花束は、いいかげん誰でも疲れるぜ。
しゃらくせえ。
>字幕無し洋画ビデオ 投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 7月18日(木)22時36分53秒
> これを、どうやって手に入れたらいいのでしょうか?
> どなたか、教えて下さいませんか?
斎藤さん、酔ってて悪いんだけどさ、字幕なんか、そこらの新聞の広告かなんかを使って、セ
ロテープで隠してしまうのさ。
テレビに下の方にびろんと紙がぶらさがるのがみっともないけど、俺はそうしてる。
そうすっと、メジャーな映画は借りてきて、びろんと紙をぶらさげるだけで、「字幕無しビデ
オ」になるんだよ。違法コピーをやれる店を知っていれば、数百円で、「字幕無しビデオ」はわ
が家に常備できる。これはおおっぴらに人に薦めるわけにはいかないので、俺は、薦めない。ふ
り、しても、みるわけだが。更埴市のどの店が、そういうことをやってるかは、斎藤さんの役に
は立たないが、俺の近所の生徒の役にはたつ。それで、そういう店のことを知りたかったら、俺
が今日酔っぱらいであるのと同じくらいに、俺に酒を飲ませなければ駄目さ。
ってなことを言ってるが、そのうちにブロードバンドだかなんだか知らねえが、ビデオの一本
や二本、メールで送れるようになるかもしれない。そうしたら、コピー禁止も糞もねえのさ。
コピー禁止なんて言ってるやつらは、糞作品でも高く売りつけたいって根性なので、そこらの
英会話学校と根は同じだ。
俺は本当にいい作品だと思った場合は、誰にだって、「金を出して損はしないから、買え、買
って手元に置け」と言ってきた。これが、最良のコピー禁止思想ではなかろうか。
どうせ、語学に役に立つようにという貧乏根性で映画を見るんだから、少しくらい映像の下の
方が見えなくたって、全然問題はない。だいたいが、字幕の字の後ろ側に何が映っているかなん
て、ほとんど誰も気にしちゃいない。
それより何より、俺は映画ってもんがあんまり好きじゃない。
語学にはとびきりの教材だと思うから、相手にしてるだけ。
「感動」はまた借りてこれるわ。
いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。
>Naima さんの記事の「国広」は、「國弘」だと思います。
いつもproofreadingしないで投稿するわるい癖から抜け切れません。 人様のお名前を間違うのは本当に失礼な事で、申し訳ありません。
>字幕なんか、そこらの新聞の広告かなんかを使って、セロテープで隠してしまうのさ。
私も紙をくっつけます。 静電気が起きていてセロテープもいらない事があるのです。 スイッチを切ると、はらっ、と勝手にはがれてくれて便利がいいような悪い様な。 あとはamazon.com(UK)でDVDを取り寄せるのが便利で安上がり。 他言語に切り替えも出来ますし、英語以外の言語を学びたくなった場合にも重宝です。 スクリーンプレイはインターネットで拾ってくる事も出来ます。
そこに異端児!!!!
(根石さんは英語界の異端児なんだろうか? 英語界なるものはあるのでしょうか)
毎日お暑うございます。どうぞご自愛下さいませ。
http://www.doujinsha.com
上手く表示できませんでした。すみません。
URLを↓クリックして下さい。
http://www.doujinsha.com/summer03.jpg
まいりました。(笑)
大変、面白いサイトのご紹介有難うございました。
mailto:genkisaito@hotmail.com
私も、新聞紙を貼り付けたことがあります。人間が考えることは、皆同じですね。
ただ、付けたりはがしたりが面倒なのと、見ていて気分が悪いのです。これは、私の個人的な意見でして、人様に押し付けるつもりは毛頭ありません。
mailto:genkisaito@hotmail.com
それを言っちゃお終いなんだよ。議論をしている相手に、屁理屈だの「ああ言えばこう言う」だのと非難すれば、それ以上議論は進まないって。議論というのは、あくまで、冷静に論理的にするもんだぜ。俺の議論におかしなところがあったら指摘してみろよ。それが、筋の通ったものなら、潔く兜を脱ぐっての。それが出来ないなら、黙ってろ。
mailto:genkisaito@hotmail.com
大体、人を非難するときは、本名を名乗れよ。それが、最低限の礼儀だぜ。汚い野郎だぜ。
mailto:genkisaito@hotmail.com
フライパン野郎。だいぶお気に障りのようだな。いい傾向だ。
>>議論をしている相手に、屁理屈だの「ああ言えばこう言う」だのと非難すれ
ば、それ以上議論は進まないって。
これは勘違いだぜ。てめえが議論の進行を阻んでいるから一言入れたんだよ。
>>議論というのは、あくまで、冷静に論理的にするもんだぜ。
てめえ、自分が、そういう議論を進めてないんだぜ。もっと考えろ。
>>俺の議論におかしなところがあったら指摘してみろよ。
まったく自覚のない野郎だな。問題意識を強く持った議論をジャマしている
のが、あんたの屁理屈と「ああ言えばこう言う」という自分のプライドの保身
なんだよ。これが、てめえにはわかっていない。
>>それが出来ないなら、黙ってろ。
ちゃんと指摘したぜ。おれが黙っているかどうか、おれの自由だろ。
カッカするんじゃねえよ。まだガキなんだな。
>>本名を名乗れよ。それが、最低限の礼儀だぜ。汚い野郎だぜ。
礼儀がどうした。おれは名乗るつもりはない。汚くて悪かったな。
汚い言葉遣いは不愉快です。
受験 大学 就職のため
趣味 旅行のため 映画を字幕なしで。
世界の人とお話したい。
国際交流。
これからは コクサイカの時代。英語がはなせなくちゃ。
生涯学習 ボケ防止。
楽しいから 面白いから
なぜだかわからないけど英語。
などなど。
飯の種。
人それぞれ いろいろ。
>これは勘違いだぜ。てめえが議論の進行を阻んでいるから一言入れたんだよ。
これは、そちらの勘違いという可能性はないのですか?
人のことを罵ったのだから、間違いでしたじゃ済みませんよ。以前英語嫌い人さんが、私のことを論点をずらすと非難していましたが、あの件もはっきりした根拠は無かったはずです。
-------------------
>>俺の議論におかしなところがあったら指摘してみろよ。
まったく自覚のない野郎だな。問題意識を強く持った議論をジャマしている のが、あんたの屁理屈と「ああ言えばこう言う」という自分のプライドの保身 なんだよ。これが、てめえにはわかっていない。
-------------------
一般論はいいですから、具体的にどこがどうおかしいのか指摘して下さい。
mailto:genkisaito@hotmail.com
暑中お見舞い申しあげます。
>> これは、そちらの勘違いという可能性はないのですか?
全くないな。残念だったな。
>> 人のことを罵ったのだから、間違いでしたじゃ済みませんよ。
間違いないぜ。「済みませんよ」とは、どいう意味だ?
てめえ喧嘩売ってんのか。答えろ。
>> 以前英語嫌い人さんが、私のことを論点をずらすと非難していましたが、
あの件もはっきりした根拠は無かったはずです。
てめえの頭はどうかしてるのか? この掲示板のやり取りは、みんなが
見てるだろ? 何人かに「論点のズレ」を指摘されていただろう。てめえ
が言われてんじゃないのか。本当に身に憶えがないのか? 自分のことだぜ。
てめえ、人に言われたこと忘れちまうのかよ。掲示板を遡ってよく読んで
みろ!! たわけが。
>> 一般論はいいですから、具体的にどこがどうおかしいのか指摘して下さい。
なにか、てめえ、俺の具体的な指摘が、一般論だと。ふざけるんじねえぞ。
どこ読んでるんだよ、このボケ!! 人をおちょくってんじゃないぜ。
もう一度書くぜ。
問題意識を強く持った、ここの掲示板の議論をジャマしているのが、てめえ
の屁理屈と「ああ言えばこう言う」という不適切な受け答え。つまりは自分の
プライドの保身の方が大事なんだよな。これが、てめえにはわかっていない。
つまり、今ここで俺が、てめえとやり取りしている様が、俺の具体的な指摘
そのものなんだぜ。
その頼りねえ頭で、わかるか?
てめえフライパン野郎。このやり取りは、この掲示板であれこれ言われている
ことが背景にあるんだぜ。こんな当たり前のこと俺にいわせるんじゃねえよ。
ところで「人の意を酌む」って言葉、意味わかるか?
不愉快です。そんな言葉遣いで人に何を言っても無駄です。
あなたの罵倒は、斎藤さんの「議論のジャマ」よりももっと
迷惑な行為だということを理解してほしいものです。
--------------
間違いないぜ。「済みませんよ」とは、どいう意味だ?
てめえ喧嘩売ってんのか。答えろ。
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書いたとうりです。ちゃんと落とし前をつけてもらいます。
具体的にどうするか? そうですね、あなたの本名を名乗ってもらい、ここで正式に私に謝罪してもらいましょう。しかも、そのログは、この掲示板がある限りいつでも誰でも見られるようにしてもらいましょう。
--------------
その頼りねえ頭で、わかるか?
--------------
済みませんが、わかりません。仰るとうり、私の頭は、最近歳のせいか、頼りないかもしれません。この頭に免じて、私のどの発言が屁理屈か指摘して下さいませんか?
>> 書いたとうりです。ちゃんと落とし前をつけてもらいます。
てめえ何いってんのかわかってるのか。笑っちゃうぜ。
俺は「間違いないぜ」と言ったんだよ。てめえの言ってるのは
「間違いました」と俺が言った場合だろうが。ボケ。
>> 具体的にどうするか? そうですね、あなたの本名を名乗ってもらい、こ
こで正式に私に謝罪してもらいましょう。
てめえはバカか? どこが具体的なんだ?
俺は名乗る気もなく、謝罪なんぞクソ喰らえだ。
で、どうするの具体的に?
>> 済みませんが、わかりません。
やはり頭が悪いか。しょうもねえな、あんちゃんよ、
もう顔出すんじゃないよ。みんなのジャマだぜ。
>> 私のどの発言が屁理屈か指摘
して下さいませんか?
いいかげん、とぼけるのはやめな。白々しい。
てめえフライパン野郎は、天然ボケのパーってか。
つまらんやつだな。相手をする気がうせたぜ。
Eliot さん
>> あなたの罵倒は、斎藤さんの「議論のジャマ」よりももっと
迷惑な行為だということを理解してほしいものです。
よく理解しているつもりだぜ。俺はガラッパチで育ちが悪いからな。
あんた面白いこと言うね。フライパンが「議論のジャマ」で迷惑だっ
てこと認めているんだな。
わかったよ。俺は野次馬席に戻るぜ。フライパン! てめえも引っ込め。
言っとくが後の展開によっちゃあ、また顔出すからな。
安心するんじゃないぜ。
ちょいと口を挟みます
論点をずらすとは、たとえば次のようなことじゃないでしょうか。
先日、斉藤さんと私との間に、多読は普遍的か否かという議論がありました。
斉藤さんは、多読はすべての人にとって有効な外国語習得方法である、
つまり普遍的な方法である、と主張されていました。
それに対して私が、
(1)文盲の人はそもそも本を読めない。多読自体不可能である。
(2)活字を見たら頭が痛くなるような、本読みが嫌いな人にとって多読は苦痛である。
つまり(1)(2)の人々にとって、多読は有効な学習法とはいえない、と反論しました。
すると斉藤さんが、
・文盲の人は母語の読み書きを学ぶのが先だ
・本を読むのが嫌いな人は、母語で本を読むトレーニングをする方が先だ
つまり彼らにとって外国語の学習は尚早である、と返されました
普遍性、つまり誰にとっても有効かどうか、を議論しているのに、
反証を提示されたときに、
「『誰に』の中にそれらの人々は最初から入っていなかったんだ」
と後出しで反駁するのは、反則というものでありましょう。
----------
わかったよ。俺は野次馬席に戻るぜ。フライパン! てめえも引っ込め。
言っとくが後の展開によっちゃあ、また顔出すからな。
安心するんじゃないぜ。
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ここで引っ込むのは、ないでしょう。散々人を罵倒しておいて。
御託は、いいですから、きっちり説明してください。それとも、ひょっとして説明出来ないということは、ないですよね、当然?
さっき過去ログ読んで気づいたんですけど、
>根石さん 投稿者:斉藤伸夫 投稿日: 7月20日(土)13時35分53秒
>
>-----------------------
> 「論点のずれ」をもっとも感じたのは、斎藤さんが、ドイツ語をやって短期間に力がついたと>書かれたときに、それまでに蓄積された英語の力が「前提」として働いているという私の指摘に>対して、中国語やロシア語ならどうなのかと書かれたときでした。
>-----------------------
>
>そうだと思っていました。「英語嫌い人」さんが顔を出したのはこの直後でしたから。
斉藤さん、もしかして、「英語嫌い人」さん=根石さん、だと思って書いてません?
そりゃあんまりってものでしょう。
別に私も、物証があって言うわけではないですが、
主張の中身や文体からして、いくらなんでもそれは違うだろー、と思いますし、
斉藤さんが、ただの憶測で書いているのだとしたら、
それはご両人に非常に失礼ですよ。