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「電話でレッスン」への問い合わせをいただき、お返事を
書きました。最近の、空き枠や、レッスンの実質部分など
について、一般に公開したい記述がありますので、転写い
たします。
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お返事がまたしても遅れてしまいました。申し訳ありません。
正味二日ほど、メールを気にしながら、用事にかまけておりました。
今日は土方仕事をしながら、Sさんの問い合わせに返事を書かなくてはと何度も思っておりましたが、レッスンを終えてメールを受信してみたら、私が返事を書くより先にまたメールをいただいてしまいました。まことに申し訳ありません。S> ホームページの情報から予約可能な時間帯は
S> 毎日12:00〜23:00までということがわかりました。予約可能な時間帯というのは、予約や問い合わせのお電話をいただくことのできる
時間帯という意味です。レッスンのできる時間帯は、これよりもずっと狭くなります。S> 第1希望:水曜日22:30〜23:00
S> 第2希望:月曜日22:30〜23:00
S> 第3希望:金曜日22:30〜23:00ご希望の時間帯についてですが、水曜日は、信州中野というところまででかけてお
り、小学生と中学生の合同の教室をやっています。行き帰りにそれぞれ1時間かかり
ますので、教室を終えて帰ると、酒を飲んで寝るだけです。月曜日はご希望の時間でレッスン可能です。月曜日は、夜でしたらこれ以外の時間
帯でもできます。金曜日は午前零時まで埋まっておりますので、不可能です。
もう一つ、
日曜 夜、10時10分〜40分 という枠が空いています。
こちらもご検討下さい。
S> 申し込み対象は”電話でレッスン”英語シンタックス獲得です。「英語シンタックス獲得」ということで言うなら、シナリオを使ったレッスンでも
同じことができます。こちらは、詳しい文法解説がないだけで、レッスンの実質部分
は同じものになります。また、映画という(語学に遠慮していない)疑似磁場教材が
ありますので、リスニングに結びつけることを考えておられるなら、こちらの方がお
すすめです。
料金も、私の自作教材でない分だけ、月額で2千円安くなります。(月額1万円で
す)シナリオを使ったレッスンは、初めからリスニングを射程に入れてあります。
「シンタックス獲得」の方は、ひとまずリスニングは棚にあげておき、自分の言い
たいことを曲がりなりにでいいから、口に出せるようにすることを当面の課題として
います。ここで、おたずねしたいことは、中学・高校の文法はどの程度終えたと自覚してお
られるかです。基礎的な文法はわかっているのでしたら、シナリオを使ったレッスン
をご検討下さい。最近も、「英語シンタックス獲得」を申し込まれた方がありましたが、お電話でお
話をお聞きし、「映画でリスニング」の方を受講されている方がおられます。
私の自作教材を使うか、市販のシナリオを使うかで、レッスンの方法が変わるわけ
ではありません。これは、生徒さんの文法理解のレベルによってどちらを使うべきか
が決まるだけです。中学英語が身についていない方はおられます。
「英語シンタックス獲得」のための教材は、こういう方々のために作ったものです。
非常に基礎的なことの解説が多くなります。Sさんが、「シンタックス獲得」が適するのか、「映画でリスニング」が適する
のか、判断がつきかねています。多分、シナリオを使う「映画でリスニング」の方が
向いているのではないかと推測しています。
これまでに申し込まれた生徒さんは、実際の英語歴をお聞きすると、ほとんどの方
が「映画でリスニング」をお勧めすべき方々でした。一度、お電話でお話をお聞きしたいと思います。さしつかえなければ、こちらから
お電話さしあげますので、お電話していい時間など、ご都合をお知らせください。あるいは、こちらにお電話をいただくのでも結構です。
026−272−4330正午から午後5時頃まででしたら、どの曜日でも結構です。
月曜日と木曜日は、終日結構です。上記の番号で留守でしたら、畑に出ているか庭仕事をしていますので、
090−3316−4180
へお願い致します。
最後に、メールのお返事が遅れましたこと、重ねてお詫び申し上げます。
ご連絡をお待ちしております。
一昨日か? 酔っぱらって、台所から鋏を持ってきて、テレビを観ながら、手探りで頭の毛を切っていたら、トラ刈りになった。小便をしにいく途中で、洗面台の鏡を見たら、ヒデエコトになっていた。そして、そのことをまた忘れた。
翌日起きて、あらためて、ヒデエコトになってることを確認した。
ありゃあ、と思い、どうしよう、どうしようもねえ、と思ったが、ヤマケンに電話した。
「ヤマケン、俺、バリカン買うけど、在庫ある?」
と聞いたらあるという。どんなのがあるのかと聞いて説明を受けるが、何が何やらわからない。これから店に行くからと行って、何を思いついたのか、俺は足の指の爪を切り始めた。どうも自分のすることがもう一つわけがわからない。
10本の足の指の爪を切り終わったら、ヤマケンから電話があった。
「根石さん、店にバリカンの在庫あるって言っちゃったけど、在庫のやつは犬の毛を切るやつだった」
「犬の毛を切るやつじゃ駄目だ。俺は猫っ毛だから、猫用のバリカンがいい。猫用のバリカンを持ってこい」
と言うが、ヤマケンは律儀なのか、犬用のやつや猫用のやつを人間用に売ることはできないと言い、相手にしてくれない。何で駄目なのか。俺は昔、犬用の餌を金魚にやって、すごく金を節約したぞ、年間で400円くらいもうかった、と言おうとしたが、どうも自分の言おうとすることがどういうわけのものだかいま一つよくわからない。
しばらくしたら、ヤマケンがにこにこして我が家に来て、人間用のバリカンのカタログを広げた。どれがいいんだと訊くが、ヤマケンは電話で話したようなわけがわからないことを日本語でしゃべるだけだ。
仕方がないから、スポーツ刈りとショートと丸刈りのできるやつに決めた。
というわけで、あと数日して、バリカンが手に入ったら、私は坊主頭になると決まった。
今度こそ先に進むぞ!
>浜谷さんが、英会話主義のただ中にいるのに、自分を英会話主義だと自覚しないのと同じです。「英会話主義」というお言葉の理解に苦しんでおります。おそらく先生は私の「私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。・・・」を対極において従来から私が主張している「英会話(使える英語)至上主義」を指して仰っておられると思います。「使える英語」を教えることを現在の学校(受験)英語は放棄していると思います。だから、学校を卒業した人達が英会話学校やテープを売らんかなの「聴くだけで英会話が上達する」という巨大新聞広告に懲りずにはまり湯水のように金をつぎ込んでいるのだと思います。
この意味で私は、私の「英会話(使える英語)至上主義」をはっきり自覚しておりますし、将来ともHPや諸掲示板等で訴えていきたいと考えています。私は「語学」は喋れるようにならなければ、意味がないとさえ思っています。現在私はフランス語とスペイン語を英語の時と同様、多読中心の学習法で学習し、フランス語はかなり、スペイン語も少々喋れるようになっていますが、その経験を少しでも皆さんに参考にしてほしいと考えてHPを開いております。
翻って先生のHPなり、ご著書「英語どんでんがえしのやっつけ方」、洋画の電話レッスン等は語学の真髄をとらえていると思いますし、おおいに参考にさせていただいています。先生の「語学」そのものの捉え方は全く正当なものだと思っています。私の捉え方はどちらかというと「泥縄式」で英語が喋れなくて悩んでいる方達を念頭においた「語学」です。
>「私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。・・・」を対極において・・・↓
「私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。・・・」との前回の書き込みの文章を対極において・・・
と訂正いたします。お見苦しい書き込深謝申し上げます。
リンク「http://www.tk.airnet.ne.jp/furukawa/」はなんら関係がありません。お詫びして削除いたします。
根石さん、あいかわらず酔っぱらってますね。 先日、浜谷さんに詫びを入れて仲直りしました。 私が一方的にヒステリーを起こしてただけなんですが。浜谷さん、私のビッチぶりには慣れてきはったみたいです。 ハンブルクは相変わらず、1日の内に、土砂降り、快晴、曇天、雹、嵐と天気が目紛しく変わります。 根石さんのようだ...阿呆なので、とても議論には入って行けませんが、根石さんの敵を1発でしとめる語り口を楽しみに、かかさず拝見しています。
ほな、また
>私は、文法を軽く扱うことで上級者ぶるやつらに蹴りを入れました。文法不要論を述べている人とは、具体的には誰でしょうか?
「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」は「正しいグラマーの文法とは違う」ということを解りやすく説明します。「正しいグラマーと正しい発音」であなたが何かを話した時、ネィティブはあなたの言葉を理解できるでしょうか?不思議に思われるかもしれませんが、あなたのグラマーに間違いはありません。あなたの発音やイントネーションも完璧です。でも時々ネィティブは「何をいいたいのかわからない」と質問を返してくることがあるのです。ここで「え?自分の英語は何かおかしい?」と聞き返すと、「英語はおかしくないよ。何を喋っているか解らないだけだよ。」という答えが返ってきます。(自分の過去の経験から。)これって解ります?
足りないものは「何を伝えたいのか」という気持ちです。日本語の漢字には意味があります。日本語は言葉を聞いただけで、おおよその漢字が頭に思い浮かび、一つ一つの単語の意味が理解できます。英語は違います。漢字がありません。言葉を並べただけでは何を言っているのか解らないのです。英語の「漢字」にあたるものは「気持ち」です。「漢字」を使って日本語を表現したら皆さんは相手が何を言いたいのか良くわかるでしょう。でも私が今話していることをすべてカタカナで表現したならそれはとても解りにくくなると思います。英語は「漢字」ではなく「気持ち」で表現します。だから「何を言いたいか」という「気持ち」をうまく使えなければそれは「カタカナ表現の日本語」と同じです。「漢字が日本語を引っ張る」という言い方なら「気持ちが英語を引っ張る」という言い方もできます。「気持ちの伝え方」の上手な人は文法や発音がめちゃくちゃでもちゃんとネィティブは理解します。
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ここで「え?自分の英語は何かおかしい?」と聞き返すと、「英語はおかしくないよ。何を喋っているか解らないだけだよ。」という答えが返ってきます。(自分の過去の経験から。)これって解ります?
----------------------原因としては、いろいろ考えられます。
一番可能性のあるのは、文化の相違だと思います。
言語と文化は密接に関連しているので、文化を理解しないと、意思疎通に支障をきたすと思います。
私の職業は俳優です。(今回初めて明かします。^-^")
演技を職業にしている私達は、言葉にとても敏感です。
感情と言葉を正しく使えなければ明日の仕事がないのです。
演技初心者のクラスでは先生達がよくこのような表現で生徒に説明します。
「あなたの言葉の発音やイントネーションはそれであっています。でも気持ちが入っていないので私はあなたが何を言っているのかまるでわかりません。もう一度やってください。」
斎藤様。そう、「文化」の違いも大きな理由ですね。
ディベートみたいな表現になってしまいますが、「英語圏文化教育」を日本の英語教育の中にとりいれることで日本人の英語能力は向上すると思います。でも反対意見も多いでしょうね。このように言うと「アメリカ帝国主義云々、、」という人たちが必ずでてくるのは目に見えています。でも私は現在の英語教育はそのままでもいいと思います。今の若い人達は昔の人達と違って「日本の英語は通じない」ことをよく知っていて、自分が将来、英語の実力が必要になると思えば、どんどん外国に出て行ってよく勉強していますよ。英語留学で挫折して帰ってくる人たちも多いですが、自分の目標を持って最後まで頑張っている人たちもいます。最近のオリンピックをみても日本人だってたくさん金メダルをもらっているじゃないですか。それでいいと思います。映画「猿の惑星」の猿の顔のメーキャップを担当したのは日本人です。「タイタニック」の海や波のシーンはすべてがCGで出来ています。この海や波のCGを作ったのも日本人です。「U.S.A.ゴジラ」のゴジラの爪のCGも日本人が製作しました。ペルーの警察特殊部隊で一番の射撃手は日系人です。日本のアニメーションは世界でとても有名です。コンピュータゲームだってそうです。大都市の病院にある救急医療の現場にだって日本人医師が活躍しています。こういう現場で仕事をしている人達はみなネィティブのように英語を喋ります。日本人って本当はとても優秀だから、ちょっとしたきっかけさえ作ってやれば英語だってどんどん話せるようになるんだと思います。
>日本語は言葉を聞いただけで、おおよその漢字が頭に思い浮かび、
>一つ一つの単語の意味が理解できます。英語は違います。漢字がありません。
>言葉を並べただけでは何を言っているのか解らないのです。ことさら日本語と英語とを対比させる意味が理解できません。
「今の映画、おもしろかったね」と日本語で声に出したとき、
相手には「意味」と「気持ち」の両方が伝わると考えられます。
そのさい、話者と聞き手が漢字を知っていて頭に思い浮かべることで
「意味」は伝わりやすくなると思いますが、「気持ち」は別問題でしょう。その証拠に、漢字を知らない幼児を相手に、
「いまのえいが、おもしろかったね」
と気持ちを込めて、(こうじさん流に言えば、「気持ちを使って」)
同様の会話をしたら、言いたいことはよく伝わるはずです。逆に、英語だろうと日本語だろうと、気持ちを込めずに台本を棒読みしたら、
>「あなたの言葉の発音やイントネーションはそれであっています。
>でも気持ちが入っていないので私はあなたが何を言っているのかまるでわかりません。
>もう一度やってください。」という状況に陥ると思われます。
「ちょっとしたきっかけで英語が話せるようになるなら日本人は皆英語が話せていてもおかしくない」という突っ込みが帰ってきそうなので明確にしておきますが、私が言う「ちょっとしたきっかけで英語が話せるようになる人」というのは「ちょっとしたきっかけで自分が最後まで努力して英語が話せるようになる人」という意味です。英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。人生がもったいないと思いませんか?
nishiazabuさん、
遅レスですみません。>私は「ゴースト」のレッスンを始めて、まだ20Pそこそこです。
>ただここのところ、最初から最後まで回転読みをすると、
>一回1時間以上かかりはじめました。
>仕事等の関係上、一日これ以上の時間を費やすのが厳しいのが現実です。
>この先のことを考えると多少不安があります。
>レッスンを受けられいる皆様の時間配分あるいは、方法等
>お聞かせ願えれば幸いです。私も、回転読みに1時間とれるのは週末くらいで、平日は30分が精一杯、
全くできない日もあります。なので、あまり参考にはならないと思いますが、
いちおう心がけているのは、レッスンの後に30分くらいかけて、
復習と、来週の範囲の予習をしておくことです。
早めに1週間後のテスト範囲を把握していると、
暇なとき思い出して、口の中や頭の中で反芻できます。「ゴースト」のレッスンを始めてちょうど1年がたちます。
1年あれば最後までいくだろう、と考えていたのですが甘かったです。
今のペースでいくと、今年中に終わるかどうか怪しいところ。
まあ、別に悲壮感はないので、あきらめずに続けていきますが、
要は進度ではなく、回転読みの深度だろうと自分に言い聞かせているところです。
こんばんわ。「いまのえいが、おもしろかったね。」では短すぎます。
こちらの説明不足です。申し訳ありません。
なんと表現したらいいんでしょうか?たとえば英語表現の場合、息を吸ってから吐ききるまで、3から5くらいの文が連続して続くときがあります。私が言っているのは「日常英会話初級レベル」ではなく、ネィティブの大人が使う通常英語表現レベルです。たとえばNHKのニュースアナウンサーに原稿をすべてカタカナで書いて渡すとどうなるか?」というレベルのことです。それをみたアナウンサーはなんとか日本語を喋ることができるでしょうが、何を言いたいのか視聴者に正しく伝わるかどうかは疑問です。
ただ単にひとつの簡単な感情や気持ちを相手に伝えるレベルではなく、自分の考えや感情の細かい部分まで正確に相手に伝えようとするレベルです。
「その映画のどういう部分が、どういう具合に、どういう理由で面白かったのか」を伝えられるレベルです。
nishiazabuさん、
遅レスですみません。>私は「ゴースト」のレッスンを始めて、まだ20Pそこそこです。
>ただここのところ、最初から最後まで回転読みをすると、
>一回1時間以上かかりはじめました。
>仕事等の関係上、一日これ以上の時間を費やすのが厳しいのが現実です。
>この先のことを考えると多少不安があります。
>レッスンを受けられいる皆様の時間配分あるいは、方法等
>お聞かせ願えれば幸いです。私も、回転読みに1時間とれるのは週末くらいで、平日は30分が精一杯、
全くできない日もあります。なので、あまり参考にはならないと思いますが、
いちおう心がけているのは、レッスンの後に30分くらいかけて、
復習と、来週の範囲の予習をしておくことです。
早めに1週間後のテスト範囲を把握していると、
暇なとき思い出して、口の中や頭の中で反芻できます。「ゴースト」のレッスンを始めてちょうど1年がたちます。
1年あれば最後までいくだろう、と考えていたのですが甘かったです。
今のペースでいくと、今年中に終わるかどうか怪しいところ。
まあ、別に悲壮感はないので、あきらめずに続けていきますが、
要は進度ではなく、回転読みの深度だろうと自分に言い聞かせているところです。
こうじさんが、「気持ち」と表現しているのは、
「漢字仮名交じりの原稿を読むアナウンサー」にあって、
「仮名だけで書かれた原稿を読むアナウンサー」には無い、そういうものなのでしょうか?
ならば、「気持ち」ではなく、「意味」と言う方が適切なのでは?「気持ち」と聞いて私が想定していたのは、
声のトーンやイントネーションやスピードの違いによって、
「はーい」という返事一つでも相手に伝わるものが全然違ってくるような、
微妙で高度な感情や含意のことでした。
その場合、たとえ「今の映画、おもしろかったね」という短い文であっても、
初級レベルではなく、「通常日本語表現レベル」になります。
nishiazabu さんへのレスありがとうございました。今日は、というか、今日も、というか、Walter だか Waltur だか知らないが、貧乏なガイジン
とたくさん話をして、日本の group thinking は水田の水の流し方に根拠があったというよう
な話をたくさんして、くたびれた。いや、特別なことが言いたいわけでもないのです。
今日も、酔っぱらいだというだけのことです。くたびれますぜ。基本がわからんガイジンが多いのですぜ。
別に、いじめるつもりはないにせよ、こうじさんは、現象論しかしていないような気がします。
>声のトーンやイントネーションやスピードの違いによって、
というのは演技で言うところの「技術的」、「表面的」なものです。
自分が言わんとしているのはもっともっと奥に位置しているもので、
ああ、すみませんがこの議論はこのくらいにしましょう。
おそらく自分は特殊な職業についているので「言葉」を一般の方とは違う「捕らえ方」をしているのだと思います。「気持ちが言葉を引っ張る」というのは確かに日本語でも言えるかもしれませんが、それはもっと別な意味合いがあるのです。おそらく英語をネィティブと同じ速さで聞いたり話すことの出来る方ならばその「別な意味合い」が少しはわかっていただけるのではないかと思います。
またまたおかしな議題をもちだしてしまって申し訳ありませんでした。
ハンブルグくんだりにいて、あなたも奥ゆかしいお人です。
生きてるのか死んでるのかわかりませんでしたよ、長い間。もっと登場せよ。と、命令口調で言うと、えらいめに会うのですが、あたしゃ知ったこっちゃな
いわい。そうか、ハンブルグは天気が変わりやすいのか。それは、例のなんとかとかいう海流のせいなの
ですか?ハンブルグはどこにあるのかもよくわからないままに書いておりますが、とにもかくに
も、Naima さんのいるところだとは把握しています。書いてくれよ、もっと。
こうじさんて、割と、差別するんじゃねえのか。
差別されたからか?
こうじさん母語以外の第二言語を習得するために、
言葉に乗せられる感情に敏感にならなければならない、というのはよく理解できます。
しかし、それは外国語を習得する過程で誰もが通らなければならない共通の課題だし、
英語だけではなく、日本語や他の言葉を学ぶ際にも言えることではありませんか?
つまり、言葉とコミュニケーションに関わる普遍的な問題を、
英語や英語文化だけの特徴だとして捉えているところが、こうじさんの誤りだと思います。
もっこりさま、ありがとうございます。>私も、回転読みに1時間とれるのは週末くらいで、平日は30分が精一杯、
>全くできない日もあります。なので、あまり参考にはならないと思いますが、
>いちおう心がけているのは、レッスンの後に30分くらいかけて、
>復習と、来週の範囲の予習をしておくことです。
>早めに1週間後のテスト範囲を把握していると、
>暇なとき思い出して、口の中や頭の中で反芻できます。プライベートなレッスンですので、他の方の進め方が気になっておりました。
参考になります。
私もよく酔っぱらって全く出来ない日がありますので、
少し安心しました。
レスが遅くなりました。
>「本当に必要なこと」とは、大量の英語構文・語彙の多読、多聴によるインプットです。勿論その前に英語音の徹底的な修得が必要なことは言うまでもありませんそうですね 同意いたします。
>浜谷さん 現在のわが国の英語教育の貧困さを改めて喚起させるご意見だと思いました。「英会話」教育なるものが大手を振ってまかり通っている現状は改める必要があると思います。この根本にあるのは「学校(受験)」英語の弊害です。少数の心ある先生達が教えるものを除いて、「学校(受験)」英語は使い物になりません。むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。文法至上の英語をやっている限り、やればやるほど喋り難くなるのは当たり前です。私が某英会話学校で教えていたときのことです。
現在完了 I have lived here since I was seven. (for 10 years)
初中級のクラスで 現在完了を教えていました。(英語で―英会話学校は 日本人も 英語でおしえなければなりません)
for と since の使い分けのレッスンが終わって 生徒の一人、20代半ばのビジネスマンの生徒が 「僕文法は得意だったから 今日のはかんたんだった。」といいました。うーん レッスン中の彼を見ると 知識はもっていても それを体得 反射的にてるまでには 獲得しているとは いえませんでした。 だからもって 週2回のレッスンの片方が 日本人講師 もう一つは外人講師のレッスンな わけです。
きっと その生徒は文法が 得意だったそうです。もちろん受験も突破
知識が多い割に 話せない という人は多いですね。
これは 中学英語の基礎(音読することも含む)を シンクタックスとして獲得しないうちに 語彙文法をふやしてしまったからでしょう。 基礎がないのに 家をたててしまった、、今の高校の授業の進み方が わからないのですが どうなのでしょう?
私のころは SVOCからはじまり これがどこを修飾するだの 難しい文法用語が多く
その日本語で つまづいてしまった口です。(高校生用の参考書 問題週をみるといまでも頭がいたくなります。 難しい 私には理解不能だ。わかりやすいのがないですね フォレストぐらいしか ーお勧めのものがありましたら教えてください。)
おまけに()をうめろ だことの so that を 書きかえよ だことのパズルのことし問題に
頭をかかえてしまっていました。 それで 高校の英語の成績は 2と3をいったりきたり。英語なんてもっと簡単なのに だれだ!難しくしたのは!
学習塾でも 死んでしまう英語をおしえているのでしょうか? 点をとらせるだけ テクニックだけの英語は もったいないですね。 第一つまらない。
長文も 分析せずに 頭からよみこなせる。
きちんと中学英語をやりシンクタックスを獲得してから 長文をよむと 楽しいはず。
根石さん>差別じゃなくて区別です。努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことですか?差別なんでしょうか?努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。もっこりさん>私は自分は間違っていると思いません。実際に英語は日本語よりも早いスピードで意思の疎通が行われます。日本語で意思の疎通をするときよりも何倍も自分の気持ちで強く言葉を引っ張らなければいけません。欧米人のゼスチャーが大げさになるのはその為です。もっこりさん、どうか英語がネィティブと同じ位の実力になるように努力された後でもう一度私の言っていることが正しいかどうか確認してください。そこまでこなければ私の言っていることが理解できないと思います。
nishiazabu さんへ私ももっこりさんと同じく、レッスンを受け始めてまもなく一年になろうとしております。現在のところ一日30〜40分ほどの読みの練習をしています。
練習場所は、通勤のときの車の中です。車にはカセットの機器がないので、ウォークマンを使っています。
車に乗り込むと、すぐさまイヤホンを耳に入れ、映画の音声を聞き始めます。聞く場所は手当たり次第で、そのときにかかっているところです。たいていは、最新の復習範囲のところです。
テキストを見ながらやるわけにはいかないので、覚えている文をやります。だから、一番最新のところは、車に乗る前に、一文でも二文でも、くり返し読んで、覚えてしまいます。それから、車に乗って、その文が自分の身に付くまで言い続けます。
テキストを見ていないので、自分の記憶と音だけを頼りにします。無理ならあきらめて、別のできるところをやります。
こんな感じでやっていると、通勤の20分で、一つの文をひたすら言い続けていることもあります。よく定着している場所は、最新のところから10ページ〜15ページ前のまでの部分です。
そろそろ回転書きをやろうと思い、自分の音声を録音したのですが、実行に移してはいません。
なかなか先に進まなくなってきていますが、練習をしている通勤時間は充実しています。やはり、すらすら口をついて英語がでてくるのは楽しいです。
「ゴースト」に関しては、どんな音を発しているか区別が付くようになってきています。しかし、まだ、音を聞いて意味がすんなり入ってくるところまではいきません。まだまだ長い道のりだと感じています。
こうじさん はじめまして。>英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。人生がもったいないと思いませんか?
せっかく生まれてきたのだから もったいない という 気持ちは大事にするのはいいです。
けれど人に 「あなたは 生きている価値がない」なんて 誰にも言える資格はありませんね。目的を持とうが持つまいが 努力をしようがしまいが 個人の自由です。>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことですか?
はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。
>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。
努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と思うのはかまわないです。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう?
本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?いろんなことにおいて人と違うことをする 違った行き方をするのは 日本の中では とても苦しいことですね。
英語の面では 根石さん エリオットさん 浜谷さんも 戦いをしています。私も やっぱり 英語を お金に したいですね。でも 方法が 努力を要するので なかなか 理解してもらえず 苦しいです。 楽しく身になる努力なのですが。みなさん 楽をしたいもので。(笑)
ま 辞めてしまうまたは 体験レッスンではいらなかった人達(単純なほうほうだから 独学でできるとおもってしまったらしい。コーチは必要)
のことは つくづく もったいないなあ。 やれば 伸びるのに。と
でも それだけです。自己反省は しました。どうやったら 力をのばすことができるかも考えました。
でも 考えているうちに 具合をわるくしてしまったので もう
自分の実力のせいにしないで 他人のせいにすることにきめました。ほんとうのところ 現在病人なので 生きる価値をいわれると つらいので
いろいろごたごたと理屈をならべてみました。P.S.俳優業は 楽しそうですね。
こうじさん>実際に英語は日本語よりも早いスピードで意思の疎通が行われます。
>日本語で意思の疎通をするときよりも何倍も自分の気持ちで強く言葉を引っ張らなければいけません。
>欧米人のゼスチャーが大げさになるのはその為です。すみません。
私には、この3つの連続した日本語の文のつながりが全く理解できません。
まさにこうじさんのおっしゃる、
「一つ一つの単語の意味はわかるが、何を言いたいのか全然わからない」状態です。
英語以前に、日本語での意志の疎通に問題があるのではありませんか?>もっこりさん、どうか英語がネィティブと同じ位の実力になるように努力された後で
>もう一度私の言っていることが正しいかどうか確認してください。そこまでこなければ
>私の言っていることが理解できないと思います。これでは、新興宗教の教祖と同じです。
上級者にしか共有できない境地があることを否定はしません。
しかし、書き言葉だけが頼りの「掲示板」というフィールドで、
こうじさんのように、「わかる人にしかわからない(わからない人にはわからない)」と
議論の前提を最初から否定したような言い方をされると、こちらは沈黙するしかありません。
こうじさん、そしてJackieさん、>>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことですか?
>はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。
>>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。
>努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と思うのはかまわないです。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう?
本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?私もJackieさんのご意見に賛成です。こうじさん、ホームレスに炊き出しをしている人を貴重だとお思いになりませんか? そのような人に救いの手をさしのべているマリア・テレサを偉大な人だとお思いになりませんか?
Jackieさん、どうされたのですか? 元気を出してください。
こうじさん、そしてJackieさん、>>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことですか?
>はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。
>>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。
>努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と思うのはかまわないです。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう?
本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?私もJackieさんのご意見に賛成です。こうじさん、ホームレスに炊き出しをしている人を貴重だとお思いになりませんか? そのような人に救いの手をさしのべているマリア・テレサを偉大な人だとお思いになりませんか?
>自己反省は しました。どうやったら 力をのばすことができるかも考えました。
でも 考えているうちに 具合をわるくしてしまったので もう
自分の実力のせいにしないで 他人のせいにすることにきめました。>ほんとうのところ 現在病人なので 生きる価値をいわれると つらいので
いろいろごたごたと理屈をならべてみました。Jackieさん、どうされたのですか? 元気を出してください。
新興宗教だとか、マリアテレサ だとか、生きている価値がないとか、ここは何のサイトなのかと思ってしまいましたよ。 英語論に戻したら?
今日、坊主頭になりました。
頭の中も外も寒いので、温泉に行きました。信州中野のぽんぽこの湯。
帰りに須坂のとら食堂で飯を食いました。ここはチャーシューがうまい。坊主頭の俺は、鏡で見る限りでは、破戒僧のつらだなと思いました。
坊主頭というのは、撫でると気持ちがいいものだということも発見しました。
子供の頃も坊主頭だったんだが、自分の頭を撫でるということをしなかったなあ。
女を撫でたりしてきたので、撫でることを覚えたのかなあ。
わかんないや、ぼく。
努力はしたいやつはしろ。
そんなめんどうくせえこと、俺はしたくねえ。俺は英語が面白いからやってるだけだ。
努力なんて馬鹿くせえ。
俺は生徒には練習しろと言う。
努力しろと言ったことは一度もない。
そんなことを言うやつは不遜なやつだと思う。努力か。
ああ、やだやだ。
Naimaさんおひさしぶりです。ここは何のサイトか?
何でもありのサイトでしょう。
もともと英語を素材にしてあっちこっちに話が飛ぶ掲示板ですし、
目に余る人格攻撃などにエスカレートしないのであれば、いいんじゃないでしょうか。私自身も脇道にそれるのが好きで、
すぐ仕切る人が出てきて本題に戻れと指図する掲示板は苦手だし、
少々行き違いがあったり、争いがあったりする方がおもしろいと思っているので、
全然気になりません。
その意味ではこうじさんに感謝です。
まあ、広い意味では英語論の範疇に入る議論ですし。
ちょいとお見苦しいのは、どうかご容赦のほどを。もちろん、「いわゆる英語論」もバンバン並行していていいと思うので、
そっち方面は、どうかNaimaさん遠慮なくやってください。
脇道にそれて、無駄話をしながら、英語の話もしていけばいいんで、そういうことでいきましょ
う。脇道の楽しみってのがなかったら、元の道にもどる楽しみもないや。Naima さん、もっとハンブルグのこと書いてくれ。
ありがとう。
>俺は英語が面白いからやってるだけだ。 努力なんて馬鹿くせえ。俺も、あ、いや、私も...
「努力してまんねん、私らこんだけやってまんねん」と言うて口に出すのが気色わるい。 なんか気恥ずかしくないか? 実際に英語を聞くまでは、そんなもん、言うてもかいない。
所詮英語の勉強でしょうが、マリアテレサとか、新興宗教とか、生き死にとか持ち出すほどの事もないし、とか思ってしまいましたんです。 たま〜に来たと思ったら、しきるばっかりでごめんなさいね。 もっこりさん。英語ばなしをもっと聞きたかったもので。
ハンブルクは、今、白アスパラガスが旬。(うおっ、夫がお帰りだ。) こちらは夜の8時前。 外は明るいです。 夜の11時頃、日が暮れて、朝は4時頃になるともうしらじらと明るい... (そうそう、お風呂先にはいってね?)
しかし、素読舎の皆さんは、えっ? 夜中の2時に討論やってはるんですね?
(今、風呂へタオルもっていったので、中断。)あの、すぐ突っ込みを入れたい癖に、「あかんたれ」(意気地なしの事)なので、「うちが突っ込まれるのはヤダッ!」という身勝手な人間なんで。 「十字砲火を受けるとすぐ退散するよっ!「 と、まずは、防弾チョッキを身につけといて、と。
他の英語関係の掲示板で、撥音についてむちゃくちゃ難しい細かい事を議論してるサイトがあって、もう辟易したので、こっちへ戻ったら、壮大なスケールの無駄話じゃない?
日本語でも「五月みどり」を「シャツ黄緑」と聞き間違う事もあって、それでも実際には、そうたいして問題はおこらんだろう、と言う事をあるサイトで読んだ事があるんですが、それもそうさな〜、と感心した事があるんです。
どこまでも、でれ〜とかる〜いノリの私にこのサイトは不向きかも... :'-(
しかし素読舎の皆さんに、いつかお会いしてみたいです。 (根石さんは、ヤマアラシみたいなおっさんですか?)
とにかく、もっこりさんに諭されて、すごすご帰る、ハンブルク。
またぞろNaima這い出してくる...私の英語は実は、英語圏で暮らした事もなく、日本にいて獲得した英語です。 獲得したなどと偉そうな事をいいましたが、実にショボイものです。 でも、
根石さん、ちょっと自分の英語学習について書いていい? 二つだけ。これはと思う映画をカセットテープに録音して、(英語教材として見込んだわけじゃなく、自分が観て面白いと思っただけの映画なんですけど)、テープがビロンビロンになるまで聞きぬいた事が、私の様な「おばはん」にもあるのです。 ERの小児科医Rossのエピソードだけを毎回編集してテープに録音しリスニング教材にした事もあります。これは、勉強でも努力でもなんでもなくて、好きでやってたので、ほとんどいつも集中して聞いていたと言っていいと思います。 どれだけ聞き込んだか、と言う事を証明してみせるのに、潰れたウォークマンを台数を示して見せる、古典的な手法がありますが、私は半年に一回、買い替えなければなりませんでした。
ビデオも毎日1本から3本、劇場映画は隔週1回、と言う年もありました。(ビデオデッキは3台潰れたと思う)
Enlish Express1冊丸ごと、テープについて読むpaced readingだっけ?と言うやつを毎月集一回つづけた事もあります。 毎回、一回目は聴解と撥音、連音、イントネーションを聞く為に、あと10回は、テープをかけながらスクリプトを音読。 最後の回には、シャドーイング(ただし、これは集中力が続かないので、数分だけ)
精聴と多聴の両方の経験をしてみて思ったんですけど、
1年かかって(かかりすぎか...)1本の映画の70〜90%理解を目指すより、50%程度の理解で良しとして、365本の映画を見る方が良いんじゃないかな〜〜。
浜谷さんの掲示板に投稿した事を繰り返してるだけで、申し訳ないですが、5数十年に一度しか出会わない表現、俳優独特の言い回しや撥音の癖、"Wow!"だとか"and.." だとかイントネーションひとつで、何通りの意味も出てくる様な言葉の、特殊な状況下の言い方などに、振り回されるより、頻度数の高い表現、言い方、単語、等に気付いて行く方がかえって効率がよいのではないか、と自分では思ってるんですが...
それと文法についてなんですが...
根石さんがハンブルクの事、書けよ、言うてはりましたので、ハンブルクの事をちょっと引き合いにしてみます。
外国語は、当たり前の事ながら、言いたい事、言わなければならない事から覚えて行きますよね。 ドイツ語学校に通い始めて、まっさきに覚えて行ったのは、やはり切羽つまった必要のあるドイツ語ばかりです。 これは、状況によって決まりきった文章を、単語をちょこちょこっと入れ替えて言うだけで、ほぼ間に合います。 (このあたりはドイツ語会話、なんてなものではなく、クレジットカードみたいなもんで、さし込みさえすりゃ金が出る、それだけの事です。 会話などとは、と〜てい程遠い代物。 なんか見当はずれの喩えやったな...) 学校では、そんな丸覚えさえしときゃすむ様なドイツ語のモデルダイアローグは、すっとばして行きます。
話が前後しますが、私の通っていたドイツ語学校は、ハンブルクで一番歴史と実績のある所でしたが、意外にも文法中心の授業でした。 私どもは、英会話を学ぶ際、文法を軽んじがちですが、すでに中学/高校で曲りなりにも学習した、と言う土台の上にある事を忘れるわけには行きません。
このドイツ語学校で文法を学んだ、と言う事が後で非常に役に立っているのです。 自学自習の基礎になっていると思っています。 多読、多聴、などによる学習も, 文法の基礎があっての事です。 成人が外国語を学ぶ場合、文法から入る、と言うのは間違ってはいないと思います。 根石さんも文法はおろそかになさらない、と記憶しています。
実のある会話をするには、文法をしっかり固めて、多読、多聴、(私の場合は、質より圧倒的な量)で攻めていくのが、いいのではないか、と思うのです。 あくまでネイティブスピーカーの様な英語を目指したいですけれど、少々、言い回しが不自然でも、誠実な英語、と言うか、真摯な英語を目指したいと思っています。
私は、"Thank you."だの"Vielen Dank"など言いながら、頭を下げている様な英語の達人になりたいな〜〜
なんか、去年、浜谷さんの掲示板に書いた事ばっかりやわ。 ボケたか...
「おまえ、ブツクサ、独りで何言うとるんやっ!」とか、もっこりさんから、「それはそれでいいんじゃないですか?」と突っ込みが来そうですが、来ない所をみると、
むむ、やっぱり皆、寝てるンやね。。。
帰りまっさ。 わかりもせん癖に、わかったげな事を言いました。 ほな、また、いつか。
退散、退散、
努力 言葉が わるかったですかねえ。努力っていうと したくないことを無理やりするような イメージですかね。
そう 練習です。 発音をきれいにしたいから 練習する。 恋人と話しをするために 外国語を覚える。 ヒットを 打ちたいから練習する。
サッカー選手になりたい子は 毎日 練習します。努力とは思わないでしょうね。
すきなら とことん練習する。
逆に 嫌いなことをやることは 努力好きでないものを しなくちゃならないときは 努力が必要。私にとっては 高校の英語は 努力が必要はものでした。 あ 数学も。 で 放棄いちゃったですね。 なぜか 教科書の英語テープは高価だったのに かってもらって テープみたいに読める練習はしてました。
英語はきらいでも 音は好きだったみたい。英会話学校に来る人の一部は
話したいから家でもStudyしますが でも まったく やらないで 上達を期待するやからが多い。 高い学費にみあう 上達をきたいする、
ちっとは 努力(練習)しておくれ。翻って学校でやる英語 努力の方向がまちがっているようなきがする。
私みたいな 英語嫌いが 多いのは そのせい?と思う。
はじめまして。私、Jackieさんのご投稿をまったく読まずに、根石さんの「努力」について発言を、そのまま受けて放言してましたね。 ごめんなさい。 皆、努力はしないといけない、とわかってると思います。 根石さんの事は、個人的には全く存じ上げないのですが、あれは根石さん特有の「偽悪者ぶり」なんだと思ってるんですけど。 もっこりさん、どうですか?
私も努力はする方だと思いますが、「努力した、努力した」といいつのるのか、恥ずかしかないかい? と思ってるわけでして、努力の結果がすべてだ。 と思って、奮闘している所は見せたくないな〜、と言う事をいいたいだけでした。 でも、好きな事ばっかりしてたから、これは努力でないな、と言う感じはありますね。 けれど、これも「努力」と言う言葉の捕らえ方が、それぞれ違うからかもしれません。
見当はずれの投稿ばかりして、まぜっかえしてる自分を反省しています。 すこし自嘲して、あれ、自重します。 (変換間違いしたけど、どっちもあたってるわね...)
今週は、とち狂ってしまい投稿が過ぎました。 ハンブルクは木の芽時ですから。
さようなら
シャドウイングという方法は、英語がシンタックスごとで使えるようになった人がやるのに適し
ていると思っています。
それ以前の人がやると害が大きいだろうと思います。私の方法は音読を激化したものです。
これは基礎作りに適しています。
基礎作りのひとまずの目標は、「イントネーションの自己決定力」の獲得だと思います。この「イントネーションの自己決定」ができない段階の人がシャドウイングをやると、実に害が
大きいだろうと思います。語学をいっぱいやって、何の味もしないような人間になってしまう人がいます。語学の害に無頓
着だと、語学の達者な幽霊みたいな人ができます。
ありがとう。
今日は猛烈に眠い。寝ます。
きわめてご丁寧なご説明、有難うございます。
ベースを作り上げるところから、10. 英語使用(イマージョン方式のような、と現段階では
想像していますが)、1つ1つ、納得できました。>この「イントネーションの自己決定」ができない段階の人がシャドウイングをやると、
実に害が大きいだろうと思います。特に、ここは大きい、し、おっしゃるとおりであることは 極めて良くわかります、し、
この間の強調されてきていたことの重大性がわかったように思います。英語を聞く耳を育てることと、このための方式を踏まえ、更に、これを持ち帰り、しっかり頭に入れたいと思います。
ありがとうございました。
私も朦朧寸前に眠いので 寝ます
お返事を書かなくてはと思っていて、それができず、流れてしまった記事がいくつかあります。
手短かに2,3行でお返事できる性質のものでないために、流れてしまった記事もあったように
思います。
前に、こういうことを書いたがまだ返答がない、今でも同じ疑問がくすぶっているという方がお
られましたら、再度お書き下さい。
脳味噌に汗をかかせて考えてみます。さきさん、ご質問をお待ちしていますので、遠慮なさらずに書いて下さい。
車の運転が危険な行いであることは誰でもよく承知している。語学が車の運転と同様に危険な行いであることを承知している人がどれほどいるだろうか。語学も、場合によっては、実に危険なものであり、凶器に変わるのだ。母語が培ったやわらかい心の動きに対する凶器に。
軍隊のスパイ養成の課程で訓練を受ける人の中から、発狂する人がよく出るという話を聞いたことがある。この訓練は、半年ほどで、異質シンタックスを聴解できるようにするものだとのことである。通常の語学レベルから、異質シンタックスを聴解できるようにするまでの期間が半年!
出るだろう。発狂者は何人も出るだろうと思う。発狂に至らないまでも、神経症は頻発するだろう。ちまたでのんきに英会話などと言っているものも、軍隊の訓練で人が発狂に至る過程を水で薄めて時間を引き延ばし、発狂を避けているだけのことであり、めざしているものは同じものであるはずだ。目をひんむいてちゃんと見ろ。「異質シンタックスの聴解」「異質シンタックスによる発話」だろうが、めざしているものは。磁場の下支えのないそれらだろうが。
軍隊の語学叩き込みが発狂者を出すのは、個体に圧倒的な無理がかかることが大きな原因だろう。
この強制による無理というものがなくても、語学は実は危険な技なのである。それは、語学が「からっぽ」を本質としているからなのだ。
語学で扱う文は、実際の状況を生きる生きた文ではない。
一見生きた文のように見えるだけだ。文はことごとく、びっしりと死んでいるのだ。「死んだ文=もぬけの殻」の成り立ちを調べたり、強引にイメージを捻出したり、強引に作ったイメージを「殻」の中に押し込んだり、「殻」からイメージがなめらかに流れ出すように調整したり、一切の意味からいったん離れて、「音」だけを言いやすくするために、繰り返し同じことを言い続けたり、およそ生活言語では見られないような奇妙奇天烈なことが繰り広げられているのが、語学の机上という場所である。
母語や生活言語とのバランスを損なって、こういう奇妙奇天烈ばかりを続けていた場合、語学の「からっぽ」という本質が、人間の心の性質に写る。
日本人は日本在住のままに英語をものにしようとして格闘する。
アメリカ人がアメリカ在住のままに日本語をものにしようとして格闘するか。そんな気配はない。日本がアメリカの文化政策による属国だからである。日本人の多くが危険な道を歩く。あくせくしている。
アメリカ人は、英語だけ知っていればいいと信じ切っている人が多いので、安泰という石に腰掛けてのんびりしている。英語をやることは、アメリカの「自由」や「平等」がすばらしいのと同じようにすばらしいことだと信じている信者がたくさんいる。馬鹿な話である。語学は、どこまでいっても「死」を扱うことなのに。
英語をやって、果実が得られる場合と、人間そのものが「からっぽ」になる場合との分かれ道はどこにあるのか。スキルに目を奪われ、スキルを至上価値とするかどうかではないか。英語だって、たんにスキルではない。言葉なのだ。英語から言葉の富というものが得られれば、それが自分の日本語を鍛えることになるはずなのだ。英語をやるのも、日本語を鍛えるのも、どちらも言葉に向き合うこととして同じではないか。英語ができて日本語が「からっぽ」になった人間をどうしても認めることができようか。スキル亡者がついに言葉と出会えないでいる無惨なざまはひたすらに悲しい。
スキルがいくら人目をひくからといって、スキル亡者になったのでは元も子もない。日本在住のままに英語が使えるレベルになり、そのことが日本語を鍛える力をもたらすならば、この宝ばかりはアメリカの安泰が決して手にすることのない宝だろう。
どの国の人も自国語を鍛えるために英語をやるべきだ。これは細い細い道だが、道がないわけではない。
畑へ行きます。
夜、来ます。
他の生徒は直された発音を聴いていました。シャドーイングをする生徒も増えました。
でもまだまだ道のりは遠そうです。
先日本屋でフォニックス40時間とかなんとかいう本を見つけました。この指導案に沿って中1の最初は指導されたのですか?
最近フォニックスに少し興味を持っています。
sbさんその本は松香フォニックス研究所が出している本です。私はこの本を
そのまま使ったわけではありませんが、参考にはしました。実は私は
7年ほど前に松香フォニックス研究所主催のフォニックスの教え方の
講習会に参加したことがあり、その際のテキストがこの本だったのです。松香ではフォニックス関連の教材をたくさん作っていますので、フォニックスに
興味がある人は利用なさったらよいと思います。sbさんが見た本の紹介は
↓の松香フォニックス研究所のページにあります。
先ほどのリンク先のページの画面の上の方の「カテゴリ別」の
「フォニックス」をクリックして、Take Off with Phonicsを
クリックしてください。
>コロンビア大学在学中にシャドーイングを研究している教授のクラスがあ
って拝見させていただいたことがあります。ちょっと驚いたのはそこで私よ
り1ヶ月早く日本から来た友達が6ヶ月くらいで向こうの人くらいにぺらぺ
らな発音で喋れるようになっていたことです。目を閉じて聞いたらおそらく
ネィティブが話しているように聞こえるのじゃないかしら。Jackie さんはもの言いの柔らかい方なので、柔らかく疑いを提出しておられましたが、私はちょっとはっきり言ってみたいと思います。
シャドウイングという練習を日本語で育った日本人がやれるようになるためには、かなりの練習で下地(基礎)を作ってある場合に限ると思います。基礎が弱い段階でシャドウイングをやっても、難行苦行になり挫折するだけでしょう。
練習にはただただ苦しいばかりのものと、苦しいが楽しいというものとあります。
ただただ苦しいばかりのものは、やらない方がいい。必要な前段階の練習が不足しているのです。
苦しいが楽しいという性質の練習はどんどん力がつく練習なのでどんどんやるべきだと思います。
お友達は、アメリカに渡って英語の生の磁場に下支えされて語学として英語をやるという最も有利な条件の下にいたわけですが、それでも、その6ヶ月は、苦しいが楽しい、という練習だったのではないかと推測しています。
つまり、アメリカ在住という条件の下で、シャドウイングが、苦しいが楽しいものになるだけの下地を日本で用意してあったという推測です。
さらに推測を重ねますが、お友達が日本にいて下地を準備するのに、おそらく音読をやったのではないかと思います。まだおつきあいがあるようでしたら、訊いてみていただけませんでしょうか。非常に興味があります。
あるいは、日本にいながら、シャドウイングができるというレベルに達しておられたかもしれません。その場合でも、そのレベルになるまでに音読は通っているだろうと推測しているのです。音読はまったくの初心者から、シャドウイングが可能になるまでのレベルをカバーできる非常に汎用性のある練習方法です。上級者の盲点というものはあるのです。
上級者は、自分の英語がブレイク・スルーした時点での練習ばかりを人に薦める傾向があるということです。先日、こうじという人がこの掲示板でおおっぴらに見せていたのも、上級者の盲点に対する盲目さ加減でした。
確かにその方法で、ブレイク・スルーしたのですから、その方法が有効であるのは間違いないことですが、それが有効になるための下地は、また別の方法で、長い時間かけて作られています。こうじさんは、そこを伏せてくらがりにしています。
この長い時間を、「醜いアヒルの子の期間」と呼ぶとすれば、この期間では、音読のような練習をじっくりやる必要があります。音読・文法的理解・醸成のような雑食の期間です。醜いアヒルの子が白鳥になるためには、雑食によって醜いアヒルの子が十分に大きくなっていなければならないのです。
醜いアヒルの子が白鳥になる寸前にシャドウイングが有効だとしても、醜いアヒルの子がそこまで大きくなるためには、音読・文法(理解・醸成)・多読・その他が必要なのです。そして、その柱となるものを音読に代表させるなら、音読 → シャドウイング
この前後関係は絶対的だと思っています。
上級者というものは、醜いアヒルの子の時期をなかったことのようにして涼しい顔をしたがる傾向があります。これはきつい言い方をするなら、上級者による初心者への犯罪行為なのです。醜いアヒルの子の期間をなかったことのようによそおい、僕は白鳥なんだみたいなつらをするやつがいると、私はちゃんとその首をひねってやることにしています。
また、シャドウイングは英語の磁場に下支えされてやるのがいいと考えています。
そうでないと、神経症などになる危険が大きいと思っています。
この点に関しては、私は英語フリークたちのような楽天性は持ち合わせがありません。
>ご自分の経験則から、根石式はダメだった、から、といったご発言がありました。
これですと、読者は、比較する何者もないので、説得力が希薄になります。
また、根石さんの推進する方式をどの程度 こうじさんが把握されておられるのかも
わからないので、批判の根本となるところが弱い、と考えながら読みました。以上が、こうじ君に対する Ton さんの質問です。
こうじ君さあ、苦労して英語が上達したことを自慢するのもいいけどさ(あんまりよくねえか)、こういうまともな質問にはちゃんと答えるべきだと俺は思う。
おまえはさ、なんか、かわいい。
でもね、論を張るんなら、こういうところで逃げていては駄目なんだよ。
>一人に音読させました! 投稿者:sb 投稿日: 5月20日(月)21時37分35秒
他の生徒は直された発音を聴いていました。おめでとうございます。これがベストですよ。
一人に音読させたというのは、技法グラウンド方式ですか。
一回だけ音読させたのですか。
できたら、せっかく「電話でレッスン」を受けておられるのですから、「技法グラウンド」を試してみてください。一人の生徒に、一つの文を数回繰り返し言わせる。
問題があったら直す。(手短かに舌の位置などを指示する)
(他の生徒は、音の変化を聴いている)
全員に繰り返し音読する時間を設ける。>シャドーイングをする生徒も増えました。
ここでsbさんが言われているのは、こうじさんが言われたシャドーイングとは違うとおもいますが。
5月18日に私は貴方に次のようにお尋ねしました。こうじさん>英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。人生がもったいないと思いませんか?
Jackieさん>せっかく生まれてきたのだから もったいない という 気持ちは大事にするのはいいです。けれど人に 「あなたは 生きている価値がない」なんて 誰にも言える資格はありませんね。目的を持とうが持つまいが 努力をしようがしまいが 個人の自由です。
こうじさん>努力する人間と努力しない人間を区別するのは悪いことですか?努力しない人間を「生きている価値がない」と言う言葉を使って戒めるのは悪いことですか?
Jackieさん>はい 悪いです 人を 踏みにじるような言葉を いうのは 悪いことです。
こうじさん>努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。努力する人間は自分よりもっと頑張っている人間をみて自分の次の目標を立て、それに向かって実行します。ただそれだけです。
Jackieさん>努力する人間は もくもくと努力すればいい。 または 努力する人間と友達になればいいのです。努力しない人を もったいないなあ と思うのはかまわないです。
こうじさんが 苦しいのは なぜでしょう? 本当は 楽をしたいから? 人が 努力しないで 楽をしているのが にがにがしいのかな?私>というこうじさんとJackieさんのやりとりを拝見していて、私はホームレスに炊き出しをしている人たち、道端で死にかけている乞食に愛の手を差し伸べているマリアテレサのことを思ったのでした。ホームレスや道端で死にかけている乞食の中には努力してもそうならざるを得なかった人もいるとは思いますが、多くのそれらの人達はある時期に努力しなくなった人たちだと思います。そういう人達のことをこうじさんはどうお思いになるのでしょうか? やはり上記の最後に述べておられる通りお思いになるのでしょうか?
私>ホームレスに炊き出しをされている方、道端で死にかけている乞食に愛の手を差し伸べているマリアテレサとその教えに従って同じように献身されている尼さん達、それらの方々が努力されていることは分かりますが、その努力の根源についてお考えいただきたいと思います。「努力する人間は、努力しない人間の中にいたり、中途半端な生き方をする人間の中にいるのがとても苦しいのですよ。」ということからそういう献身をされているとお思いになるのでしょうか? 「英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。」とのお言葉ですが、前述のように献身されている人たちがそのように考えておられるとは到底考えられないのですが・・・。
貴方は直ぐ同日付で次のようにレスして下さいました
こうじさん>私の「苦しい」は向学心のない人間の中にいるのが「苦しい」という意味。
お解りか?勉強したいのに勉強したくない生徒が沢山いるクラスにいたって面白くもなんともないし、はっきり言ってそいつらが迷惑だというのと同じです。はっきり言ってこのレスに失望しました。こうじさんは前回投稿された際、ネイティブに対して相手を信用すれば100%聴き取り可能である旨のご持論を展開されていました。私は100%は大袈裟ですが、それに近い数値で聞き取れるかもしれないなあ、と思っていました。しかし、今回のこの回答でそれも信用できなくなりました。私の質問がこうじさんの今回展開されている「努力をしない学習者」に対するこうじさんの憤りというのは分かるのですが、私がお尋ねしたかったのは
こうじさんがそのような「努力しない人は生きている価値がない」と仰ったことです。「100%云々」の時も感じたのですが、例え話が飛躍過ぎて、聴いている人に分かり難くなっているのではないでしょうか? 「生きている価値がない」というのがそれです。「100%分かる」というのと同様に飛躍しすぎていると思います。あなたは「揚げ足とり」と非難されますが、対話される場合政治家のように寸分の空きもなく話してくれとは言いませんが、もう少し慎重に話されるようにお願いしたいと思います。前回は就職活動のために忙しいというご理由で退去されましたが、今回はどうされるのでしょうか? シャドーイング方法論争を提起された後、Ton様のシャドーイングが根石さんの回転読みより優れているという貴方の論拠を尋ねられていますが、そのレスと、私の上記「英語でも何でも同じですが、目的をもって最後まで努力をしない人は生きている価値がないと思います。」という貴方様の議論に関しお尋ねしました趣旨をご理解いただいた上でのレスを切にお願い致したいと思います。
先ほどの書き込みの題名が違っていました。正しくは「こうじさん、」です。お詫びして訂正致します。
子牛さんだったかも。
なにしろ、かわいいや、あいつは。
畑はくたびれる。
Ton様やっと、プレイボーイのチョムスキーvs辺見庸の感想書きます。
でも、未だ、うまくまとまらない…。=======================================================
チョムスキーってほんとにラジカルな人なんだと思いました。「サダム・フセインを作り出したのはブッシュの父親であり、
そのことを知識人は知っているけれど、決して言う事はない。」
「アメリカは自国を攻撃する恐れのある勢力すべてに対して、
あらかじめ反撃する戦術を取り始めている」
「アメリカは、石油のために戦争している」これが単なる推測ではなくて、アクセスしようと思えば誰でも
アクセスできる、公式な文書を根拠に言っているから、とても
説得力があります。
知っている人は知っているらしいけれど、誰もそれを言わない。
それを脅迫をものともせず「公式に」言う。すごく勇気がある
と思いました。自分としては、真摯に受け止めなければならないと思ったのは
次のくだりです。『何度も言うようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやす
い。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」
と言っているのは簡単です。日本の人たちがいましなければな
らないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。』大人はもっとしっかりしなきゃいけないよ、と思います。
「あぁ、癒される」なんて言ってる場合じゃねえよ、と思いま
す。また、書きます。
「パレスチナに平和を京都の会」というグループがあり
ます。ここは以前、この掲示板に転載した「ヨシュアの
眼」というページを運営しています。大風呂敷に転載す
るにあたって、サイト運営の方にメールを送ったんです
が、それ以降、いろいろと興味深いメールを送っていた
だいています。
今回、また興味深いメールを送ってもらったので、転載
します。
**************************************************
「パレスチナ子どものキャンペーンより」
http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/
★兵役拒否者の声(1)
イタイ・ハビーブ予備役大尉は兵役拒否のかどで
3月14日に21日間の禁固刑を言いわたされた。*「黒旗」 (イタイ・ハビーブ)
私はイスラエル軍の実戦士官として、西岸地区およびガザでの軍務に服してきた。
私は世の中がどんなものかを知っているつもりだ。生き残るために人を殺さなければならない時もある。
イスラエル国家のために、私は石を投げてきた子どもたちを追いかけた。
難民キャンプの路地をパトロールした。真夜中、粗末なドアをばんばんとたたいた。
プロパガンダ用の資材を見つけるために、マットレスの中をさぐった。
赤んぼうが泣きさけぶのを聞いた。
人々をベッドから引きずりだして、壁にかかれたスローガンを消すように命令した。外出禁止令を出した。電柱にひるがえるパレスチナの旗を取りはらった。
車両を停めた。IDカードを没収した。手錠をされた捕虜をジープに乗せて運んだ。
暴徒に向けて発砲した。道路閉鎖では何百台もの車を停車させた。
ガザのメインストリートにあるケーキショップの屋根に監視場を作った。
そして、占領地区での毎日の作業をこなしてきた。
ずっとずっと35年間も。これは避けられない戦争なのだと信じていた。
今になってみると、平和を追いもとめて何一つ達成できなかった。私たちは100をこえる入植地を作ってきた。200,000人の入植者を送り出した。
私たちは兵士を、子どもを、母親を亡くした。すべては国家防衛のためだった。
すべては平和のためだった。新たな自爆者を出さないためだった。35年間、私たちの頭上には黒い旗がひるがえっていたのに、
だれもそれを見ようとはしなかった。
もうたくさんだ!
目が覚めた。そんだもんで、提案を一つさせていただきます。
提案。
相も変わらず非常に語学的で申し訳ないのですが、有志で、「ほぼ同じごっこ」というのをやりませんか。どうやるのかというと、ある一つの英文を提示して、これはこう言っても「ほぼ同じ」ことが言えるというものを考え、下の文と並列して提示するのです。
例。
Say cheese!
You guys, smile!She's a real looker!
She's so beautiful!He took her in his arms and kissed her.
Neishi-san wants to do so.最後のやつは、私のすけべによる冗談ですが、想像的本音です。ああ。
こういうゲームをやって、相互批評が行われ、いや、それはちょっとまずいのではないか、それだと結構別のことを言ってることになるんじゃないかなどと意見が交換されればいい勉強になります。
さて、私は実に商魂たくましいのですが、こういう相互批評によって、2つの英文の良質の対比が作れると、私は私の月曜日のクラスの生徒のために教材が作れるのです。
誰か、この掲示板につきあってくれる英語ネイティヴがいるといいんですがね。
英語でコメントしてくれると助かる。
ウドというやつは忙しすぎるし、そもそも英語をまくしたてるだけで、英語の書き言葉は苦手だからあんまり期待できない。私の側の商魂を明らかにした上で、ご参加下さる方を募ります。
また、このゲームの流れを他の話題から区別するために、記事のタイトルを同じものにしておく必要があるとも考えています。案としては、「二卵性」というのを提示しておきたいと思います。
下の文と並列して提示するのです。→
元の文と並列して提示するのです。
腹たててるか?
あんたがバカアメリカのバカプレジデントのバカクリントンと握手したという話を、てんしんら
んまんに俺にしてうれしそうな顔をしたとき、おまえ、クリントンがスーダンで何をしたのか知
ってるのか、と思い、ああこいつが知ってるわけがないと思い、暗澹とした気持ちになり、あん
たのてんしんらんまんづらを眺め、あんぽんたんと思い、でもいい女だなと思ったことなど、あ
んなは何も知らない。
あんたが知らないのは、
知の悲しさ
もう、あんたは若くはないのだから、
肉の悲しさ
だけじゃやっていけない。その次に俺が異様な思いをしたのは、9.11のときのあんたの次の発言。
「どうせ逆らったって駄目なのにね」
あんたへの今の時点でのおすすめの本は
「9.11」(ノーム・チョムスキー)
今、村田君に貸してあるから、出版社が確認できない。読むべし。
あんたの脳味噌がもう少し重量が増すことを願っています。少しずつ増すことになれば、あんた
はますますいい女になると思うので、俺はますます苦しいことになるが、我慢してやるからさ、
少し脳味噌を重くしろ。以上、O嬢へ。
寝るぞ。寝る「努力」をするぞ。
生きている価値があるように「努力」するぞ。
寝る。
きわめてつとめて激しく「努力」するぞ。そんなことしたら、余計眠れないけども。
生きている価値がないなんて、すこぶる平気だぞ。
あんなは何も知らない→
ハンナは何も知らない→
あんたは何も知らない
こうじ君は、もっこりさんの真摯な質問にも何も答えてないな。
いつもながら、本質的なことになると何も言わなくなるのだな。
困ったもんだな。
俺、山下清口調になっちゃってるな。
お前、元気でやってるか。
ここへ書いてもいいんだぞ。
せつねえ目にもあうかもしれんが、いい修行になるはずだぞ。
おーい、ビールもう一本持ってこい。
寝ちゃったのか、俺の奥さん。
みんな寝ちゃうんだな。
私はこの掲示板の過去ログを、自分が持っているリソグラフという印刷機で印刷して、出版物に
しようかと思いつきました。
過去ログに書かれた記事で、印刷物にすることはごめんこうむるという方がおられましたら、こ
の掲示板でハンドルネームを明記して言明して下さい。やる場合は、安いコピー用の紙を使用します。事務用上質紙です。
多分、版形はA版でいきます。
これをシリーズで出していって、Ton さんか Kawakami さんに目を通していただき、ダイジェス
ト版として出版していただけたらと願っています。どの部分を採用し、どの部分を削除するかは、
すべて編集者様におまかせしたいと思います。Ton さん、どうでしょう、この案。
さっき旅行から帰って来て、さっそく3日間の投稿に目を通した所です。Eliotさんが松香フォニックス研究所を紹介されていますが、私も夫の転勤でこちらへ来るまで、会員として定期的にワークショップに参加していました。入会当初に撥音矯正を受けた時は、th や v/f の撥音より、p j y の撥音の方が私には難しく難儀しましたが、後にリスニングの向上の為に非常に役に立ちました。 息子が中学生になった時、フォニックスを教えてやったのですが、学校で、「"name"の綴りは『なめー』と覚えると簡単だ、と先生が言われた」と聞いて、がっくりした事があります。 先生はおもしろおかしくおっしゃったのだとは思うのですが。
斉藤さんが、文法の事について述べておられましたが、別に文法至上主義だと言ってるわけではありません。 語学を修得するのに、文法を無視するわけにはいかない、と思ってるだけです。 学校英語(そんなカテゴリーがあるのもおかしいんですけど)が文法を強調したあまり、文法に対して拒絶反応を起こす人達が多いのも無理ないと思いますが、やっぱり大切。 私は語学の専門家ではありませんので、経験上感じた事を書いただけですので。
根石さん、私のちゃらんぽらんな投稿もそのまま活字になるんですか? ならないんでしょ? ええい、なってもいいか... 今後は口に気をつける事にします。
齋藤さんのお名前を変換間違いして、簡単な方の"斉藤"さんとしてしまいました。
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私はこの掲示板の過去ログを、自分が持っているリソグラフという印刷機で印刷して、出版物に
しようかと思いつきました。
過去ログに書かれた記事で、印刷物にすることはごめんこうむるという方がおられましたら、こ
の掲示板でハンドルネームを明記して言明して下さい。
---------------------これは、かなり問題がありそうです。
インターネット上の掲示板に投稿された意見には、自動的に著作権が発生します。
従って、原則として他の公共的媒体への転載は禁止されると考えられます(当該掲示板内での
引用やリンクは問題ないようです)。
従って、転載する場合、書いた本人の承諾が必要になると思います。
本人の反対が無ければ良いというものではないと思います。
もし、そうなら、書いた人は常にその掲示板を見ていなければならないことになります。
さらに、本人の承諾をとるとしても、どのようにして、本人の確認をとるのでしょうか?
これも難しそうです。赤の他人が本人になりすますこともインターネット上では簡単に出来そうです。
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斉藤さんが、文法の事について述べておられましたが、別に文法至上主義だと言ってるわけではありません。 語学を修得するのに、文法を無視するわけにはいかない、と思ってるだけです。
学校英語(そんなカテゴリーがあるのもおかしいんですけど)が文法を強調したあまり、文法に対して拒絶反応を起こす人達が多いのも無理ないと思いますが、やっぱり大切。 私は語学の専門家ではありませんので、経験上感じた事を書いただけですので。
--------------------この問題はかなり複雑な気がします。
文法が必要というときの「文法」とは、何を指しているのかがまず問題です。
学校で習う英文法のことでしょうか?
学校で習うような英文法が出来たのは19世紀後半だそうです。
そうだとすると、19世紀以前に英語を習った非英語圏の人々はどのようにして英語を習ったのでしょうか?
>インターネット上の掲示板に投稿された意見には、自動的に著作権が発生します。そうですか。弱りましたな。
私は、独立した形で語学論をやろうかとも思ったり、この掲示板で議論されることを語学論の方へ引っ張ることで継続しようかと思ったりして迷っています。
掲示板の議論を語学論の方へ引っ張るのであれば、元の議論が見えていないと、記事で言いたいことの輪郭がはっきりしなくなる。
その意味で、元の記事を書いた人の記事が必要になるなあと考えていたのでした。
再考します。>さらに、本人の承諾をとるとしても、どのようにして、本人の確認をと
るのでしょうか?これも難しそうです。赤の他人が本人になりすますこと
もインターネット上では簡単に出来そうです。これもなるほどと思います。
「大風呂敷」というタイトルの脇に、この掲示板に書かれた記事は、ハンドル・ネームを変更した上で、根石吉久が印刷物にする可能性があります、というお断りの文をあらかじめ書いておいたらどんなことになりますか。これなら、赤の他人が本人になりすます問題もクリアできると思うんですが。私自身が作る印刷物は粗末なもので、発行部数も数十程度のものです。これをたたき台にして、本を構想できるのではないかと考えたのでしたが、Ton さんの方からの Go ! がなければ、この案はひとまずは棚に上げてしまいます。
同人社Web編集部 村上です。
20日を過ぎますと、月末までは、編集山積で、TonがなかなかHPへ来られません。
継続書き込みはペーストの上、Ton宛送付しております。ご要望の件は、5乃至6月に弊社からお伺いする際にお打ち合わせさせていただく形がベストと存じます。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
齋藤さん、私やこの掲示板を閲覧している私の友人達は、熱心な英語学習者です。 ですけれど学校で習う文法が19世紀後半に出来たとかいう専門的な事などについては全く知らないのです。 一般の学習者が考えている文法、というあいまいな定義では前に進まない様な難しい議論であれば、私の手に負えかねます。 それ以前の人達がどうしていたか、私は会った事もないので、さっぱりわかりません。
his ate vicious cat pretty dog the この単語の羅列を整理して意味のある文章にするのが文法だと理解している、と言うのが関の山です。 19世紀後半以前の非英語圏の人々がどの様に英語を習ったか、についてはこちらから逆に、齋藤さんに教えをこわなければなりません。
近代の英文法の成立とそれ以前の英語の学習について、誰にでも理解しやすい言葉で教えて頂けますか?
Naima 様19世紀以前に英語を習った非英語圏の人なんかいないでしょ?
大英帝国があっちこっちに手をつけたのは19世紀じゃないですか?
コロニアルの側は奴隷をしばいていれば良かったのですが、文法なんぞ、というのは
大英帝国進出以前は必要がなかったのでは?
ハプスグルグと・・と書いていて笑ってしまいました。
斎藤さん、 Naima さん----------------------------------------------------
駄目だあ。書いているうちにどんどん酔いが回ってきた。以下の文は、まだ比較的酔いが回らないで書いたものです。不備があっても、酔いが回ってからの「良い判断・酔い判断」よりは酔い・良い・ヨイヨイと思うので、今のうちにUPするぞ。
(酔わないで文法回りのことを書くのはきわめて難しい。人よ、これを知れ)----------------------------------------------------
言語の中に法則が見つかれば、それはどんな素朴なものでも文法と言っていいのではないかと思っています。
I と am がセットであらわれ、you と are がセットであらわれるのだなと気づいたら、きわめて単純ながら、そこには法則性が見いだされているので、この法則をつかんでいる意識を「文法的意識」と呼べると思います。
文法的意識の強い人が、自分が気づいたものの数を増やしていき、他人が気づいたものでも、なるほど確かにそういう法則もあるなと確認できたものを数に加えていけば、素朴に把握された文法事項の項目がどんどん増えていきます。初めはかなりランダムに増えていった項目の中に、さらに共通性が見いだされたりすれば (am, are, is は同じグループに含まれるんだな、など)、文法は抽象性を獲得します。斎藤さんに教わった、「19世紀の英文法成立」は、この抽象性の成立期のことなのかどうか?
なにはともあれ、そうして、いったん抽象的な体系が成立してしまうと、これが規範化し、この体系を「語学の初めにおいてでも」、「体系として」理解しなければならないかのような幻想が成立します。
これが、学校や受験の世界で、かなり抑圧的な幻想として作用していると思います。この幻想を学校が産出するのは、「先生」とか「教育」とかという幻想が崩れないようにするための姑息なタヌキが学校回りに多く棲息しているためです。こいつらの巣は、鼻が曲がるほど臭い。(少なくとも、私の鼻で嗅ぐかぎりでは・・・)。
スコラ的な文法知識で頭を混乱させて、語学が嫌いになる人が多く出てくるのは、この悪質な幻想のためです。(学校的「正しさ」を、しっかりと裏切ることのできる心の力を持てない子供がたくさん出てくるのは、日本の学校の背後にアメリカイデオロギーが聳えているためです)。斎藤さんは、初めに文法ありき、という考えをとらないのだととらえてよいでしょうか。
これは、いかにも斎藤さんらしく、抑圧的な幻想に対して against です。
この場合の「文法」は規範として成立した体系という意味でよろしいでしょうか。Naima さんのおっしゃる「文法」は、いわゆる基礎文法事項のことではないでしょうか。
体系に深く分け入ることで全体を把握し、その全体を書き直そうとするような作業のことではなく、語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ、というような意味での、文法事項のことを言っておられるのではないでしょうか。(違うかも知れん)
文法体系のことも、文法事項のことも、同じく「文法」と呼ばれてしまうのですが、この両者はまるで別のレベルのものです。以上の理解でよろしければ、斎藤さんの捉え方と Naima さんの捉え方は対立しないと思います。
英語という言語についてよく言われるのは、中学文法はちゃんとおさえる必要があるというような言い方です。語学のための損得では、これは素直に受け入れてしまった方が得になります。体系の全体に分け入って、全体を書き直すというような「文法のための文法」ではなく、役にたつ基礎事項をおさえるという、あくまで語学のための文法の扱い方です。「役にたちゃいいわい」という考え方における文法です。
斎藤さんのこれまでのいくつかの記事に見られるものに、「文法よりもインプット」というものがあります。しかし、文法を、体系と捉えず、必要な基礎事項と捉え、さらにもっとプリミティヴな行為として、具体的な文の中に法則性を見ようとする文法意識として捉えるなら、これはインプットという行為においてもとても役にたちます。
文に働く文法的な法則性を理解してインプットしたほうが、文は立体的に理解されてインプットされます。特に初心者では、インプットという行為に文法的意識が働いていたほうがいい。(この意識は次第にハイパー化し、まるで小さな点のようなものになりますが、語学ではこの微少な点はかなり後まで残ります。)これは、ネイティヴ言語と語学の対象としての言語との違いに基づきます。
これまでの日本の語学状況は、ネイティヴ言語・生活言語・語学言語が味噌糞一緒です。味噌と糞は全然違うのに(笑)。(俺はみそ汁を作るときに糞は使わないぞ・再度((笑)))。ネイティヴ言語は、一度も文法を意識しなくても身に付きます。文法意識も、それがハイパー化された微少な点としての一瞬の意識(センス)もないままに、文法は無意識に備わっていきます。文法意識をまったく欠いた言語がネイティヴな言語なのだと言ってしまってもいいはずです。
文法を「根」だとした喩えばなしだと次のようになるかと思います。
ネイティヴ言語の「文法にとって」、意識は大地そのものであり、そこに種がこぼれさえすれば、勝手に根を張り始めます。種から「直接に」根が出てきます。子供の意識の活力さえあれば、これにはどんな世話も要りません。親やその他の人の生活言語が生活言語を育てるのであり(糞や小便の世話をして、言語の世話をしなくても)、すべてはきわめて自然な過程として、言語が備わります。
「なぜ自然に」文法が備わるのかと問うならば、一挙に巨大な謎が立ち上がりますが・・・。(このあたりが、チョムスキーの文法理論の問題意識なのかと推測していますが、不勉強のため見当違いなことを言っていることを恐れます)さてさて、語学に目を転じるならば、語学の言語の文法は、「文法にとって」、園芸の世界の挿し木が扱われるような扱いを受けます。場所は小さな鉢であったりするので、保水に気をつかい、時期外れに扱われるために保温が必要だったりする。文法事項は切り取られた一本の枝ですから、根がついていない。(感覚の自然性ではなく、知識という外来物である)。だから、挿し木によって、根を出させるところから始めなければならない。(根は人工的な工夫によって生じさせるしかねえのだ)。
ネイティヴ言語が文法を意識しなくても身につくから、語学でも同様なことが可能なのではないかと考えるのは、乱暴な考えであるばかりでなく迷妄でもあります。これは、語学の多くが「磁場」に下支えされることがないことを無視した論です。(とりわけ、日本人が英語をやるような「異質シンタックス」を扱う世界においては、これがてきめんに当てはまります)。
語学はどこまで行っても、意識的=人工的なものです。こうじ君が生きているような俳優・女優の世界に通底します。(こうじ君、元気かな?)
初心者のひとまずの目標は、「音づくり」と「イントネーションの自己決定力の確立」だというのが私の持論ですが、この段階で、すでに文法(的意識)がからみます。意味がわかってこそ、イントネーションは自己決定できる。その時に、文法的理解は媒介されるはずです。逆から言えば、本当の初心者は、イントネーションが自分で決められない人のことです。
この段階では、コーチなり、音声複製教材という「他力」あるいは、「モデル」が必要です。自分以外の人や教材が作り出すイントネーションを真似することでイントネーションをなぞり、作るしかありません。
また、この真似をするのに、どんどん口を動かして口を動かしやすくするような「音づくり」の過程が先行する(か同時進行する)必要があります。ですから、私の(「磁場」を欠く場での練習順序の)私案では、最初に「音づくり」があります。この点では、Eliot さんとまったく考えを同じくします。
この「音づくり」は英語ネイティヴにはできないという認識は、まだ Eliot さんと共有できていませんが・・・。Eliot さんと私が違うのは、この過程をすっとばしてしまった(学校英語の犠牲者になってしまった)人の面倒をみるかみないかが最大の違いです。
それ以外では、思考としては、とても共通しています。まずは、「他力」あるいは「モデル」にならうことで「音づくり」を兼ねながら、(他力から成る)イントネーションを備えた文を一定量インプットする。次第に、法則性を見いだそうとする文法的意識を備え、既存の文法知識を媒介にし、そこから生まれる理解を媒介にし、(同じ文に繰り返し立ち戻る=「復習範囲を手放さない」ことで)音と意味が一緒に動く状態を作り出す。
この全体を繰り返すことで、醸されるのが、「イントネーションの自己決定力」です。 これには、(いわゆる)正しい発音も、意味(的理解)も備わっているはずです。
この過程で、文法的意識は働いており、文法的知識は媒介にされ、次第にセンスと化して動くようになります。もはや、知識ではなく、すばやい種々の点(センス)の連続的な移動となります。これが、私が考えている「使える英語」の基体です。
文法的知識は、理解を媒介にし、イメージを確定するためにも必ず必要なものです。言葉にして言えば実に面倒ですが、私がレッスンでやっていることは実にシンプルです。
文法的知識は、知識のレベルを脱して、センスとならなければならない。
これは語学をやる人が、とりわけ意識していないだけで、誰でもがたどっている過程です。(これに対して意識的になれれば、語学論が立ち上がるでしょう。)イントネーションが「自力」で確定できるようになった人は、斎藤さんが言われるように、どんどんインプット量をかせぐ段階に入ればいいと思います。インプット量を急激に増大させる必要のある時期が来たら、必要な練習です。この時期では、浜谷さんが推奨しておられる多読も大いに有効です。
この段階では、基礎体力ができているので、相当きつい「雑食」に耐えられるようになっています。斎藤さんの主張は、初心者のレベルを脱した人のための練習法ではないでしょうか。
Naima さんの主張は、この世を生きていく上で、バランスを失わないためには必要なものだと思います。
私の記憶では、フォニックスはアメリカへ移民した人々に英語の撥音とスペルを指導する為のものだったと思うのですが、間違っていたらEliotさんに正しい成り立ちについて教えて頂かなければなりません。フォニックスも撥音とスペルの規則を体系化(そんな大層な事でもないか?)したものです。 この規則性を覚える事で、始めて耳にする音を70〜80%、文字化出来、自学自習する際、読解や聴解の大きな助けになると聞いています。
外国語を修得する場合、大量のインプットが必要な事は言うまでもありませんが、母国語の様な過程を経て、それと同様の時間を費やすわけには行かないと言うのも、哀しいかな、現実です。 ネイティブスピーカーが数十年かけて体得した言語を、私達は数年、場合によっては数カ月で形にしなければならない事もあります。
膨大なインプットが出来る物理的な環境にあればそうしたいと思いますが、一般の学習者にはそんな時間はとれない事の方が多い様に思います。外国語を学習するにおいて、規則を一通り学んでおく事は必要な事だと思っています。
根石さんが助け舟を出して下さった通り、「語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ」と言いたかっただけの事で、19世紀以前にまで遡る事になろうとは、夢にも思いませんでした。 ちょっとびびってしまい、涙目になってました。
根石さん、私は言葉をしらないので、自分の思いを十分に伝えられない腑甲斐無さにいつもヒステリーを起こしていますが、ちょっと頑張って書いてみます、
私の回りには英語の上級者と言われる人達が沢山いますが、流暢に喋ってはいても、自分の言葉に実感がわかない、と言う思いを皆一様に経験しています。
日本を出ずに学習して来た友人達は特にそうです。 たとえば flimsyと言う言葉を使えたとしても、意味が判ったとしても、どういう状況で使うかを英英辞書で引いて例文を覚えたとしても、インターネットでこの語が使われている文章を片っ端から読んだとしても、映画の中で出て来たのを真似したとしても、なかなか自分の血肉にはならない、と言う歯痒さを、年がら年中しているわけです。
そこまで突き詰めて自分の英語を「どないかしたい」と思えば、ちょっとやそっとの量のインプットでは話にならない、と言うので、延々と英語をやってる様な気がします。
上級者になればなるほど、ネイティブスピーカーは、その人の英語を額面通り受け取る様になります。 私達がひとつひとつの言葉に持つイメージと母国語として話している人達が同じ言葉にもつイメージとに、どれ程隔たりがあるのか、と考えると、空恐ろしくなってきたりします。 もっとも私は上級者ではないのですが、それでも自分の言葉が空回りしてないか...と気になるのです。 (実際の所、空回りしてるんだと思う) 所詮、外国語やねんから、そこまで求めるのが無理、とは思っても、ウナギの様にぬらりくらりと両手の先から逃げ出ていく英語を追っかけてるのが現状です。 しかも「なまもの」なので、賞味期限の短い語や文法規則があったりして、なんとか曲りなりにも身に着いた頃には、腐ってしまっていたりもするのです。
根石さんの英語論は難しい事が多いのですが、根石さんが「語学が意識的なもの」「人工的なもの」とおっしゃるのは、こういう事なのだろうか、と思ってるんですけど。 そういう所に気付かない、と言うか、そういう所を無視して「英語が出来る」と言う人達に対して、辻切りをやってはるのか、な、と思ったりするんですが。 見当はずれでした?
自分の日本語と同じレベルの実感をもって英語で話せたらいいなと思うのですが、(まずそういう場もないだろうし、一生かかっても無理だろうけど。)、ここに投稿されている齋藤さんやこうじさんは、どの様にしてそれを克服されたのか、素直に聞いてみたい気がしています。
>根石さんが「語学が意識的なもの」「人工的なもの」とおっしゃるのは、こういう事なのだろうか、は、
根石さんが「語学が意識的なもの」「人工的なもの」とおっしゃるのは、こういう事も含めておっしゃっているのだろうか、
に変えて下さい。 (変えてもやっぱり見当はずれだったりして...)
英文法が成立したのは19世紀後半と書きましたが、これは、人から聞いただけなので、念のため、今日、本屋にいって「英語の歴史」というような本を見てきました。
それによると、規範英文法がイギリスで成立したのは、18世紀末だそうです。
18世紀の初め頃から、規範文法の本が出始め、約100年かかって成立したそうです。
何故、18世紀の初め頃に規範文法が出てきたのかの理由は詳しく書かれていませんでした。
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自分の日本語と同じレベルの実感をもって英語で話せたらいいなと思うのですが、(まずそういう場もないだろうし、一生かかっても無理だろうけど。)、ここに投稿されている齋藤さんやこうじさんは、どの様にしてそれを克服されたのか、素直に聞いてみたい気がしています。
----------------------私は、「自分の日本語と同じレベルの実感をもって英語で話せます」と書いたことはもちろん、それに似たようなことも書いた覚えはありません。
私の英語は、英語ネイティブに較べたら、謙遜抜きでお粗末なものです。
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根石さんが助け舟を出して下さった通り、「語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ」と言いたかっただけの事で、19世紀以前にまで遡る事になろうとは、夢にも思いませんでした。 ちょっとびびってしまい、涙目になってました。
------------------------19世紀ぐらいでびびっていたら、英語なんて、いや、現代人なんてやってられないと思います。現代の文化は過去の遺産のもとに築かれています。その証拠に、英語の言い回しには、聖書やシェークスピアの言葉が今でも残っています。
>「語学で余計な苦労を省力化するために、基礎事項を最初に押さえてしまえ」と言いたかっただけの事で、英語の基礎事項は、大抵の日本人が、中学、高校でイヤと言うほどやらされているので、特に強調しなくてもいいのではないのでしょうか。
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斎藤さんの主張は、初心者のレベルを脱した人のための練習法ではないでしょうか。
Naima さんの主張は、この世を生きていく上で、バランスを失わないためには必要なものだと思います。
----------------中学校で学ぶ英語を一応理解すれば、ひとまず、初心者のレベルを脱したといえるのだと思います。