おやすみなさい。
----------------------------------------------------------
古川さんの掲示板を読みました。
「彼ら」が「もっぱら」揚げ足取りをしているとは思えませんでした。
齋藤さんの話には枝が生えすぎるのだと思います。
それが人々の勘にさわるのだと思います。
----------------------------------------------------------早速、御覧になって頂き有難うございます。
これは、根石さんの誤解です。根をはやすもとを作ったのは彼らです。
彼らは、私の基本的ですが重要な質問をはぐらかす為、同じ質問をするなとか、
こんな質問は、聞いたことがないと言って難癖をつけているのです。
つまり、私の最初の質問が気に障ったのです。
私の最初の投稿(4月20日)から御覧になれば、お分かりになると思います。
私には、彼らが、瑣末な英文法にこだわっているように思えたのです。
痛いところを指摘されたように思って、彼らはいらだっていると思うのです。
今古川さんの掲示板で何を言っても無駄だと思います。
彼らはあなたが一生会うこともない人たちです。
悪い夢を見たとでも思って放っておかれたらいかがでしょうか。私は4月20日からの書き込みを相当時間をかけて読みましたが、
斎藤さんが「知能を疑う」とまで言われることはないと思います。腹にすえかねるでしょうが、放っておきましょう。
Let they say what they want.ついでですが・・・
He don't ...の類は教育程度のあまり高くない英語母語者が
よく使います。決してめずらしいことではありません。
私はアメリカ人の大学生が we was..と言うのを聞いたことも
あります。歌詞には必ずしも端正な言葉遣いの英語が使われるわけでは
ありませんから、He don't know nothing などが出てきても
それは英語母語者である作詞者が間違えたのではなく、
わざとそんな英語を書いているのです。
>話に枝が生えたうえ、しちめんどうな話になってしまって恐縮ですいえいえ、大変興味深く読ませて頂いています♪
「一致」と「同致」、「イメージ」・・・仰りたいことが、よくわかりました。それに、ここは管理人たる根石様がルールブックですから、その方が自分のサイトでお書きになることは、そのサイトにとって有用なことなのです。
だから、枝ではないと考えます。
大いにお書き下さいませ。
大変興味深く、また楽しく読ませて頂いております。
おひさしぶりです。お元気でしょうか。
「英語発音10のポイント」作成時は、ご協力いただきましてありがとうございました。
あれは、生徒に口を動かさせながら、その動きの中にポンと置いてやるという使い方をしないとあ
まり意味がないとその後考えました。単なる基礎的知識の羅列であるなら、あれはそれほどの意味
はない。生徒が口を動かす動きの中に置く知識として使うなら、その場で動きを変えることができ
ると思いますし、もしそのように使うならば、たった10ばかりのポイントでも、生徒の口の動き
として実現するためには、1年や2年はかかると思います。
動きの中に置かないとあまり意味はないという註釈をいずれ書かねばならないと考えています。
あのね、イメージの探求ということで、「机上」と「生活」の関係なんだけど、ワタシ、中学の体育の授業を思い出しちゃって・・・
ハードルを跳ぶ授業があって、授業中になかなかうまく跳べない。悔しくて、家に帰って教科書を何度も読んで、跳ぶフォームを鏡の前で練習した。そして、きっとイメージを組み立てていったのでしょう。次の授業のとき、きれいな跳び方の模範演技に指名されちゃって。
この作戦はバスケットボールのシュートのフォームや器械体操なども同様でした。
・・・どうもワタシは詰めが甘い。根石さんのようにバシっと決まらない。
机上と生活じゃなくて、理論と実践の関係? そうだよね、ハードル跳びなんて、非日常だから、身につかないものね。ワタシは「会話」能力がないから「英会話」が出来ないとあきらめていた。英会話のために人格を変えられるか!ってね。でも、英語をしゃべればいいのか! 目からうろこ。
次の次くらいに電話でレッスンの空きがでたら立候補してみようかなあ。
実は私は以前、古川さんの掲示板で、Speed Flex というお方をののしることをやりまして、古川さんに記事を削除されたことがあります。削除された分は、復元できなかったのですが、一部が残っています。
以下のページは、斎藤さんはすでに読まれていますが、このページの一番下に Speed Flex へのののしりがあります。この喧嘩が、掲示板「大風呂敷」を自分で開設するきっかけになりました。
↑と訂正します。
新学期になり色々忙しくしております。高校1年生の担当をしています。
中学からそのまま引き続き高校に入学した生徒たちと新たに高校入試を経て
入ってきた生徒たちの両方を教えていますが、後者は中学校三年間をほぼ
英語の音作りなしで過ごしてきた連中ですから、現在の授業では三年前に
中学一年生に使わせたプリント教材を使って「高校版音作りの道」を歩み
始めたところです。彼らに発音練習をさせていると、中学一年生の教室からも大きな声が
聞こえてくることがあります。中学一年生担当の英語教員は私の「弟子」で、
彼が使っているのは、私が作ったプリントですから、中学一年生と高校一年生が
同じ教材で発音を学んでいるわけです。
ふうむ。ハードルを跳ぶために、教科書を何度も読んだ!
偉い! 偉いやっちゃ、と思いました。
まったく私の論と共通するものがあります。
教科書を読むのは、言葉を読むわけです。それで、言葉が喚起するイメージがまず生じます。そのイメージを身体化するために、鏡の前でフォームを練習した、と。この私の読み方でいいと思うのですが、これって、ほとんど原理が語学です。
それとも、言葉が喚起するイメージじゃなくて、ハードルを跳ぶ写真とかを参考にしたのでしょうか。だけど、それなら、テレビでアスリートたちのフォームを見ても、参考になる。教科書をよく読んだというところが、ずばぬけていると思います。
模範演技に指名された!
偉いやっちゃ。
私はなぜだかうれしくなりました。>ワタシは「会話」能力がないから「英会話」が出来ないとあきらめていた。英会話のために人格を変えられるか!ってね。でも、英語をしゃべればいいのか! 目からうろこ。次の次くらいに電話でレッスンの空きがでたら立候補してみようかなあ。
英会話のために人格を変えられるか!
頼もしいです。
この言葉は、英語フリークどものための口に苦い良薬なのですが、どうせ、フリークたちは無視するでしょう。こういう言葉をちゃんと考えることをしないフリークたちを、私は戦後の亡霊たちだと思ってきました。「次の次くらいに」っていうのはどういうことですか?
立候補して下さい。私はすぐにでも、さくらさんに英語を仕込んでみたいです。
今なら、私の枠が空いています。金曜日です。
土曜日にも1時間分空いていますが、この枠は今月から、日曜日に30分枠で使っていた生徒さんが、試しに一ヶ月使うことになっています。一ヶ月間1時間枠を使って、再び日曜の30分枠に戻られるかもしれないので、両方を空けておく必要があります。
なんとか、さくらさんをゲットすることはできないものか。
立候補してくれたら、「根石吉久の暮らしの手帳」(ミッドナイト・プレス)、「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館)を一冊ずつプレゼントするっていうのでは駄目かな?
あなたが申し込んでくだされば、私がこの掲示板を開設して以来、掲示板から直接申し込まれた最初の生徒さんになります。なんとかゲットしたいものだ。----------------------------------------------------
「電話でレッスン」の生徒さんへ
さくらさんに、「電話でレッスン」というのはどういうものか、生徒さんの立場から説明していただけたらうれしく思います。
>彼らに発音練習をさせていると、中学一年生の教室からも大きな声が
聞こえてくることがあります。中学一年生担当の英語教員は私の「弟子」で、
彼が使っているのは、私が作ったプリントですから、中学一年生と高校一年生が
同じ教材で発音を学んでいるわけです。ああ、Eliot さんのいる学校だ、と思いました。
いい風景です。
どうか、お弟子さんと「音づくり」を貫いていただきたくお願いいたします。
まだ細い細い流れですが、私もこの流れを絶やさないようにやっていきます。
sbさんも、「音づくり」を始められたようですが、一人の生徒を相手に、生徒の口の動きの途中で、コツをポンと置いてやり、その音が変化するのを他の生徒たちが聞くというプロセスをとばしてしまっているようでしたので、このプロセスはとばさない方がいいと先日「電話でレッスン」のときにアドバイスしました。またお暇ができましたら、この掲示板にもおいで下さい。
またしちめんどうなものを書く予定でおりましたが、今日はふらふらと松本方面へでかけ、穂高
温泉郷で、温泉につかってきました。穂高温泉は熱いので、ずいぶんとぼうっとしました。
そんなわけで、しちめんどうは明日以降にいたします。
おやすみなさい。
彼らは、私を掲示板荒しと呼んでいますが、私のどこが掲示板荒しなんでしょう?
私の冷静な議論に対して、彼らが過剰に反応しているだけです。
自分達でかってに興奮しておいて、それを私の責任にしようとしているんです。
もっとも、わざと過剰反応しているとも勘繰ることもできますが。
>実は私は以前、古川さんの掲示板で、Speed Flex というお方をののしることをやりまして、古川さんに記事を削除されたことがあります。削除された分は、復元できなかったのですが、一部が残っています。あの人の言っていることは、支離滅裂です。いかにも自分が一般読者を代表しているような
ご大層な口振りなんですが、そのくせ単に根石さんや私の言っていることが気にくわないだけ
なんです。
しっかりペーストを続けています♪
さて、私ごとをチョット
連休中は、執筆者のお一人が怪我でリハビリ中なのでお見舞いに(これが遠くって半日かかります)。更に会社の役員が退院後一週間の予定で信州某所で別荘暮らし、ここも寄れたら行かねば・・と 連休こそは普段の
欠礼先に顔を出しながら・・と考えると、なかなか全部はこなせないことがわかり頭をいためています。国民温泉、いいですねぇ・・
村田 様
>レジのお姉さんに心の中で言い訳しながら、即刻入手された、というさるご本、
辺見VSチョムスキー、読後感はどうでしたか?
どうぞ、ご用事をなさって下さい。
実にしちめんどうで、私は書きながら頭の中がいつにも増してぐちゃぐちゃです。
まあ、ちょっとこの掲示板で少しお休みになって、また道場破りの旅に出られたらどうでしょ
うか。
どの掲示板も、常連という方がいらっしゃると思うので、その場その場の雰囲気が出来ている
と思いますが、ポイントを絞られて議論され、議論が噛み合うなら激しい議論もいいものだと思
っております。その意味では応援します。
あなたは相手の指摘がその通りだと思えば、その通りだと言明するところがいいところだと思
います。これは議論の基本になる一点ですが、この基本を踏まえる人はなかなかいません。しかし、あまり細かいところにいちいちくってかかると、うるさがられるということもあると
思います。刀の振りが少し大きすぎるような気がします。私もときどき大きな空振りをやらかし
ますので、まあ、人のことは言えませんが・・・。古川さんの掲示板は、あのままでは語学論が育つことはないと見ています。
些事は些事で大切なのですが、些事ばかりでは面白みがありません。
英語関係の談話室としての掲示板だと見ています。
言葉の回りには状況があると言えばいいのか、言葉は状況とともにあると言えばいいのか。
状況といったからといって、何も特別な事態や、政治的な事件やらをさしているわけではない。「腹が痛い」とか、「医者は遠いから車で連れていってやろう」とか、「ケーキが潰れちゃった」とか、「潰れたケーキでもいいから俺にくれ」とか、「今朝顔を洗うのを忘れちゃった」とか、「ああいいお天気だなあ」とか何でもいいが、これらの各種の言葉が発せられるところに、いつも何らかの具体的な状況があると言っているにすぎない。それが、現実の状況であろうと、想像的な状況であろうと・・・。例えば、「腹が痛い」である。
どこで、いつ、誰がなど、具体的な細部がわからないままに、とにかく一人の人が「腹が痛い」と言っているという事態は「想定」できる。
私は、「腹が痛い」という言葉を、言葉と状況の関連を説明しようとする文の中に、文字として書いた。読者の中に何かの状況が想定されたとしたら、文字として固定された「腹が痛い」が喚起したものである。実質は書き言葉が読者の意識にもたらした「想定」であるが、「腹が痛い」を取り囲むカッコの存在によって、書き言葉を話し言葉として「想定」する人が多いかもしれない。
これは、具体的な人から面と向かって言われた言葉ではないし、読者が何か実際の状況の中にいるわけでもない。ここにあるのは、「想定」だけである。それがどんなものであれ、それは「想定」にすぎない。状況そのものではなく、状況の「想定」なのである。
だから、おそらくこの「腹が痛い」には何の切実さもない。
腹が痛い現実の当人にとって、「腹が痛い」は切実な言葉であるだろうが、状況を想定させるきっかけとしての「腹が痛い」には切実さはともなわない。「腹が痛い」がもたらす「想定」に切実さがともなわない事情と似た事情が、あらゆる語学の言葉にある。
本当に腹が痛い人が「腹が痛い」と言っているとき、それは生活言語である。切実な生活言語である。もしも、腹が痛くない場合に「腹が痛い」と言っているのであれば、それも生活言語であるかぎり、嘘として本物である。嘘という実質がある。
語学で扱う「腹が痛い」は嘘でも本当でもない。語学の世界には嘘とか本当というものはない。いったん語学の世界に入ってしまえば、英語の音として通用するかどうかとか、イメージ自体として真であるか偽であるかという問題はあっても、現実世界の嘘と本当というものは一切何も関与しない。嘘であるか本当であるかが一切関与しないということをさして、語学は「からっぽ」なのだと言ってもいい。
「腹が痛い」が語学の対象になったとたんに、切実さは完全に「からっぽ」になる。すべては想定されたもの、あるいは想像されたものにすぎなくなる。あらゆる文が、語学の対象となったとたんに、「からっぽ」になるのだ。あらゆる文を「からっぽ」にするのが、語学なのだと言ってもいい。「からっぽ」という性質こそが、語学における言葉の本質規定となる。
(これの唯一の例外が、外国語による「読書」であろう。これは机上の世界におけるものであるし、生活過程そのものではないし、語学力を養うことがあるので、語学に含めたくなる。厳密には読書は読書であり、語学は語学だが、読書と語学の境界はいつもあいまいである。読んで楽しみながら、言葉を覚えるということが成立するからである。)
語学の言語が状況を想像させるのは、そこに本当の状況が「ない」からである。「ない」から「想像」「想定」することが必要になるのだ。
生活言語では、状況は想定するまでもない。状況は、想定するまでもなくすでにある。生活言語において必要なのは、状況自体の想定や想像ではなく、状況に対する判断である。これは決定的な違いである。
生活言語にだって「想像」や「想定」はあるぞと言う人がいるかもしれない。話の途中で、「だけど、お前、ちょっと考えてみろよ」と言われて、何かを思い直した人がいたとする。それは、ちょっと考えてみろよと言われて、何かを想像したり、想定したりして、思い直すということをしたのだから、生活言語にも「想像」や「想定」はある、と。
しかし、この場合でも、現に話している場の状況自体は想像されたり想定されたりすることはない。それは、想定するまでもなく、想像するまでもなく、現にそこにある。現に自分が生きている場であるから、想定はできないのである。生活言語というものはそういうものだ。生活言語においては、ある一つのことは「想定」されることがないのだ。「想定」されないその「一つのこと」とは、生きている場そのもののことである。
語学がただちに「想定」するものを、生活言語は「想定」しない。
そこを生きることと、そこを想定することはまるでうらはらなものである。これは両立しない。
逆に言おう。語学には、「想像」や「想定」しかないのだ。とりわけ、最初からその文にまつわる状況そのものを「想像」したり「想定」する必要が生じるのが語学である。あくまでも仮の世界だから、「状況」でさえも「想定」する必要がある。
ここから何が導かれるか。語学とは、「状況」さえも「想像」「想定」するような、何から何までも、「想像」「想定」だけでできた世界なのだということである。どしゃぶりに雨が降っているときに、部屋の中で英語を勉強している人が、It's a beautiful day, isn't it? という文を繰り返し言い続けているとする。その人の想像の中では、青空が広がっていたりする。現実はどしゃぶりだが、語学の机上には青空が広がる。まるでうらはらである。これが、生活言語と語学の言語の間にある「うらはら」な関係である。
生活言語と語学の言語との間には、生きたものと死んだものとの間の距離に等しいほどの距離がある。距離として考えるなら、ひとまず無限大と言うしかない。生と死の間の距離を無限大と言うならばそうなるだろう。
一方が実であれば、もう一方は虚なのである。ここから、語学の言語の「からっぽ」という性質が導かれる。
これが、語学の言語の本質規定なのだということに気づいている人はあまりいない。語学とは死を扱うことであるとか、虚を扱うことなのだということが本当に認識できているならば、人は決して英会話学校などに通うことはないだろう。「生きた英語」などにだまされることはないだろう。しかし、現実を見るならば、だまされる人は後をたたない。語学の言語が「からっぽ」であるとは思っていないのである。語学が死を扱う技術なのだと思っていないからである。どんなに生き生きとしたイメージでも、それはからっぽである。一人の人間の意識という場所では、それがなまなましかったり、生彩を帯びていたりするだろうが、それがどれほどなまなましかろうと、生彩を帯びていようと、それは一人の人間の意識という場所に閉じられている。単に閉じられているだけでなく、現実の状況とは何の関係もないままに、なまなましさを増したり、生彩を帯びたりもする。現実の状況と「ひとまず」何の関係もない想定や想像がイメージをもたらすのであるから、語学で強く作り出されるイメージはすべてことごとく「からっぽ」である。ひとまずは、「からっぽ」である。
優しいお言葉、有難うございます。
根石さんのSpeed Flexさんへのコメント(批判)が載っているリンク、
あれは、痛快です。
私は、別に道場破りをしようなんて思っていません。
議論は大いにやっていいんじゃないんですか(個人攻撃、揚げ足取りは除いて)。
人それぞれ意見が異なるのは、当然であって、皆、同じ意見を持っていたら、それこそ
異常です。議論をとことんやってみて、初めて分かることがあると思います。
これは、友人、恋人同士でも言えるんじゃないですか?
ケンカをして、初めて、お互いが良く分かり、本当に相手を好きになるということがあると
思います。ケンカをするということは、相手(または、相手の言っていること)に関心を
持っている証拠です。怖いのは、議論が噛み合わない(ケンカが成立たない)場合です。
こうなったら、対等な人間関係は、成り立ちません。
なお、根石さんと私の考え(英語に対してだけでなく)は、かなり似た部分があると思っています。
金曜日9時20分〜50分の空き枠が埋まりました。日曜日、10時10分〜40分の枠で使ってきた高校生が、土曜日の1時間枠を試しに使うことになっており、この生徒さんが土曜日に移った場合は、日曜日に30分の空き枠が生じます。今月はこの日曜日の空き枠を空けたままにしておく予定でしたが、もし根石吉久による「電話でレッスン」の希望者があった場合は、日曜日の30分枠を埋めることを再考しています。
土曜日に移った生徒さんが、続けて土曜日を使ってくれるなら、日曜日の30分枠が生じるということです。生徒さんの都合を訊いてみます。なお、根石せいのレッスンの空き枠は現在以下の通りです。
火曜日 9時20分〜50分
同 10時〜10時30分
古川さんの掲示板に、誰かが根石さんのSpeed Flexさんへのレスを投稿しています。根石さんに無断で誰かが載せたと思いますので、お知らせしておきます。
ご存知でしたら、お許し下さい。
教えていただきありがとうございました。
行って読んできました。
ずいぶんと荒れているのでびっくりしました。私はもう少し眺めていようと思います。
>ケンカをして、初めて、お互いが良く分かり、本当に相手を好きになるということがあると
思います。ケンカをするということは、相手(または、相手の言っていること)に関心を持
っている証拠です。怖いのは、議論が噛み合わない(ケンカが成立たない)場合です。これは大切な考えです。
しかし、これを実践するととてもくたびれます。
斎藤さんは、今何歳ですか?あなたは小さくまとまっていないのがいいと思います。
4月28日の毎日新聞の書評から引用します。
河合隼雄「ナバホへの旅 たましいの風景」への書評で、森谷正規さんの文章です。----------------------------------------------------
河合さんは、ナバホと対比させて、白人、日本人の問題を考える。個人主義を育てて、自立を指向してきた白人も、現代社会では不安や孤独にさいなまれて、アルコール依存、薬物依存が増えている。
一方、日本人は「個」に強くなく、したがってグローバリゼーションの波の中で、白人の中に取り入れられて、ナバホの人たちと同じように白人の文化の下層の沈んでいくおそれがあるという。----------------------------------------------------
(以下根石)この本は現在、町の本屋さんに注文してあります。
森谷さんが捉えた河合隼雄の思考に非常に興味がありました。
私が亡霊どもと呼んできた英語フリークたちのことを思いました。
「白人の文化の下層に沈んでいく」人々のことです。
日本で利口そうな顔をしている英語フリークたちは、日本のもっとも淋しい姿を構成しています。あの人々があのままでいられるのであるなら、河合隼雄の危惧は遅かれ早かれクリティックを通り越して、予言となるしかないでしょう。アフガンの現状に目を注ぐことは必要なことです。
しかし、その根が、ヨーロッパを蹴立ててきた白人どもの「インディアン」に対する視線がはらんでいた傲慢とその犯罪にあると私は考えてきました。「インディアン」殺しと、現在のアメリカの自己標準化は同一の根から生えた別の茎です。私にとってのアメリカは、ヨーロッパを蹴立ててでてきたWASPどものアメリカではありません。WASPとユダヤの結託ではありません。
私にとってのアメリカとは、アメリカ黒人の暗さと明るさに代表されるものです。
白人どもの冷血によってアメリカにいることになっている人々の表情です。
あるいは、決して自分がいる場所を蹴立てたわけではないのに、ただただ住む場所を奪われたためにアメリカを選んだ人を「受け入れたアメリカ」です。
それ以外にアメリカに意味はないと考えています。
リアルパワーを「からっぽ」として扱えないならば、語学にも意味はないと考えています。
なぜチョムスキーは、「インディアン」のことを言わないのかなとずっと思っています。
--------------------------------
>教えていただきありがとうございました。
行って読んできました。
ずいぶんと荒れているのでびっくりしました。私はもう少し眺めていようと思います。
--------------------------------彼等が私の投稿にあんなに過剰反応しているのは、私も驚いています。
たぶん、私の言ったことが図星だったからでしょう。
つまり、日本人の英語コンプレックスを指摘したことです。
あの、クリスチャンセンというバイリンガルは自分を何様だと思っているのでしょう。
私のまっとうな質問を、低レベル過ぎて答えられないとぬかしました。
newsgroupでアメリカ人に質問したら、すぐまともな答えが返ってきました。
案の定、彼等もビジネス文書を書くとき文法書など参照しません。
Eliotさんの助言さえも功を奏しなかったのは残念です。
--------------------------------------------
> これは大切な考えです。
しかし、これを実践するととてもくたびれます。
斎藤さんは、今何歳ですか?あなたは小さくまとまっていないのがいいと思います。
--------------------------------------------確かにくたびれます。私もいつも議論やケンカをしている訳ではありません。
少し、奇麗事を言っちゃいましたね。
私の年は、根石さんとあまり違わないと思います。
>私の年は、根石さんとあまり違わないと思います。私の歳の間違いでした。
Speed Flexさん
>Eliotさんの助言さえも功を奏しなかったのは残念です。彼等がかってに私の質問に対して過剰反応しているのですよ。
私の質問に対して、同じ質問をするなとか、こんな質問は初めてだとか、低レベルだとかアホだとか言っているのです。
彼等の罵詈雑言を私のせいにされても、それはお門違いだと言うことが、Speed Flexさん、あなたには、未だお分かりにならないようですね。
Speed Flexさん、いかにも一般読者を代表するように公平ぶるのはおやめなさい。
見苦しいです。あなたが公平でないのは、無断引用に関するRayさんと私に対する扱いを見なくともわかります。少しは恥を知ったらどうですか?
ところでH堂セミナーの日程は決まりましたでしょうか?
まだ、連絡がありません。
こちらに連絡していただくことになっています。
あなたは英語の書き言葉によるディベートで獲得した感覚で、日本語のディベートをしているので
はないでしょうか。あなたの言っていることは、感情を排して読めば、あなたに理があることが多いと思いました。
あなたは、英語のディベートで日本語を荒らされた人であると思います。
あなたの日本語はバタ臭いのです。
これを英語フリークが集う掲示板の人々が叩くという現象が、日本の英語フリークやそれと仲良し
をやっているバイリンガルの限界を示しているとも思います。しかし、あなたの論点が一挙に変化することがあるのは、自省の必要な点だと思います。
奈良・Xeno さんが、<クラス十十>から、<クラス十十五>に移りました。
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------<クラス五>なし
<クラス十>なし<クラス十五>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.21<クラス十十>
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.67
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.61
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.53
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「E.T」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.77
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26<クラス十十十>なし
----------------------------------------------------
<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.32
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.6
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.17
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.34
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
----------------------------------------------------
<一時間枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集30<一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集202
----------------------------------------
あなたは英語の書き言葉によるディベートで獲得した感覚で、日本語のディベートをしているのではないでしょうか。
----------------------------------------そうかもしれませんが、良くわかりません。
私が、趣味で数学をやっていることも関係しているかもしれません。>あなたは、英語のディベートで日本語を荒らされた人であると思います。
>あなたの日本語はバタ臭いのです。プロの物書きの根石さんのおっしゃることなので、多分そうなのでしょう。
それで、私の日本語がバタ臭いと何が問題となるのでしょうか?
そして、その問題を解決するには、どうしたらよいとお考えでしょうか?
>それで、私の日本語がバタ臭いと何が問題となるのでしょうか?
そして、その問題を解決するには、どうしたらよいとお考えでしょうか?バタ臭いこと自体は、料理法で文章の持ち味に変えることはできると思います。それをどう料理するかということについては、一般論な料理法はないと思います。斎藤さんの文章の味というものは、斎藤さんに固有のものです。これは、長ネギやタマネギみたいにスーパーで売っている野菜の料理法ではなく、行者ニンニクとか、ノビルをどう料理するかみたいなものなのかもしれません。
野のものかもしれないと思います。その野の香りは、実は私は好きです。
生なバタ臭さは、日本人の反発を買うと思います。外人のバタ臭さはそんなもんかで済ます人も、日本人のバタ臭さには反発します。英語の書き言葉でディベートをやってこれだけのバタ臭さを体臭にしたというのは、珍しい人です。しかし、人々ははるかにお上品にエーゴをやっていますので、反発になります。英語回りの掲示板などといったところで、多くはすまし汁の好きな日本人の淡泊な性質は保たれています。そこが日本語で営まれる場所だからです。英語という言語の中では当然のやりとりも、日本語でやると異様なものになるということだと思います。
斎藤さんが、英語回りのフリークたちが、これまで伏せてタブー化しているものに触っていることは確かです。これがやたらな反発を買うだけだったらもったいないと思っています。
私が気づいたことは、どんどん枝が繁茂する、あるいは話が跳ぶという性質でした。
これが、ディベート育ちの性質ではないかと思ったわけでした。
何が何でも勝とうというねらい方は、問題に枝をはやして別の論点を生じさせてでも、優勢を保とうとします。ディベートでは誰でもそうやるようになると思いますが、辛抱強く一つのことを言い続ける、何度でも起点に戻り、何度でも同じところから出撃するということをやってみられたらどうかと思いました。これやっているのを、古川さんの掲示板では少し見ることができました。
さらに、その起点が何を根拠にして生じているのかを掘り当てられれば、「英語をやるのはいいこと、みんなでやろう」みたいな暗黙の了解で集うフリークを撃ち貫く言葉の質が手に入るかもしれません。その時は、斎藤さんは強力な論者になると思います。私が好きな性質というのもはっきりあります。
あなたの文章が、過激に率直なところです。
タブーを恐れないところです。私は否定しているのではありません。文章の性質を言ったのです。率直だが、脇が甘いから、斎藤さんが正面から振りかぶっているところを、人は横から叩くのです。この構えだけでやっていくと、相当ダメージが大きいから損だなと思います。
しかし、あなたの打たれ強さにはびっくりしています。横殴りにいくら叩かれても、正面から振りかぶる構えを崩さない。
この構えに関しては、私なんぞが口を出すことではないかもしれないとも思いますが、この構えで論点のひとつひとつにいちいちつっかかっていくと疲れが大きい。へなちょこな横槍はざっと流して、譲れない一点に立ち続け、その一点の動きを深めることかと思います。
文章に関しての料理法は提示できなくても、論点の多発に関しては言えるかと思い、書きましたが、的外れであったらお聞き流し下さい。
古川さんの掲示板でのごたごたについて私は、
別にRay/クリスチャンセン/Speed Flexさんたちの
肩を持ち、斎藤さんに「いいかげんにバカなことは
やめなさい」と言っているのではありません。どちらかと言えば、私は斎藤さんの方を好意的な目で
見ています。斎藤さんの4月20日からの書き込みを
読んでも、人をばかにしたりする意図があるようには
思われないのに、斎藤さんを攻撃している人たちの
発言はその逆のように感じられ、不愉快です。私が、「斎藤さん、もうやめましょう」とか、you are
making a bigger fool of yourselfと書いたのは、もう
これ以上斎藤さんが攻撃され、笑いものにされるのは
見るに忍びないという気持ちからであり、斎藤さんを
批判する意図はなかったということをご理解ください。
根石さんの書かれたことは、重要なことだと思っています。
少し時間をください。後ほどお返事します。
Eliotさん、有難うございます。
録音、録画 − 複製物 生な言葉の死
語学の対象物としての死物
語学の場 − 一人の机上 − 一人の意識
逆葬式 死物としての言葉をイメージの連続体へ状況自体をもイメージとしてしまう語学
生な状況から切れた場 語学の場
言語の磁場の磁力が直接に届かない場所
すべては仮の意味、仮の状況、仮の想定
仮で架空で空っぽである語学の場において、唯一生のもの − イメージなぜことさらに、語学の対象物が死物であり、語学の場が空っぽであると隈取る必要があるのか?
死物と空っぽを認識しない語学が、磁場だけが作る言語スキルが絶対にあることを認識していない現状があること。
そのことによって、日本の英語という語学が死物化していること。
あるいは、英語の私物化による語学の死物化。死にさらに激烈な死を与える。
その方法。
からっぽをさらにからっぽにし、生なイメージを独在させる − 繰り返し
貴殿の姿勢については私はおっしゃるように認識しています。あのまま進んでも
好転する気配はなかったので、Eliotさんの助言は光明に思えただけです。
なお、Eliotさんも誤解されているようですが、私は斎藤さんの行動は問題視して
も人格を攻撃してはおりませんし、その手の発言の肩も持っておりません。むしろ
抑止を試みました。そう映らなかったとしたら残念です。
Speed Flexさん----------------------------
なお、Eliotさんも誤解されているようですが、私は斎藤さんの行動は問題視して
も人格を攻撃してはおりませんし、その手の発言の肩も持っておりません。むしろ
抑止を試みました。そう映らなかったとしたら残念です。
----------------------------私の行動のどこが問題なんですか?
どんな抑止を試みたんですか?
説明してください。
-------------------------
生なバタ臭さは、日本人の反発を買うと思います。外人のバタ臭さはそんなもんかで済ます人も、日本人のバタ臭さには反発します。英語の書き言葉でディベートをやってこれだけのバタ臭さを体臭にしたというのは、珍しい人です。
-------------------------根石さんのおっしゃるバタ臭さの意味が分かりかけてきました。
多分、私のはっきりものを言うところや物事を理詰めで言うところを指していると思うのですが、そうであれば、これは、ディベートで獲得したものではありません。
これは、私の性格の一部です。アメリカ人でさえも、この点では、(一般に)私ほど理詰めでないように思います。この性格は、自分でもちょっと持て余しています。---------------------------
斎藤さんが、英語回りのフリークたちが、これまで伏せてタブー化しているものに触っていることは確かです。これがやたらな反発を買うだけだったらもったいないと思っています
---------------------------彼等が何故反発したのか、今になって、良くわかるような気がします。
それは、私がクリスチャンセンさんを、図らずも地上に引きずり降ろしたからだと思います。
クリスチャンセンさんは、彼等のアイドル(偶像)だったのです。
彼は、いつしか自分自身をスターかなにかのように錯覚したのです。
それで、私の質問に知ったかぶりで答え、私が追求すると、答えに窮したのですが、
スターですから、今更、知りませんとは答えられなかったのです。
それで、私の質問を馬鹿げていると答えたわけです。
彼等は、クリスチャンセンさんが偶像に過ぎないことは、うすうすには知っているのでしょう。
しかし、それを認めることは、自分達のプライドが許さないのです。
そこで、私に怒り狂った訳です。このあたりのことは、分析するとまだまだありそうですが、
大体は、こんなところだと思います。根石さんの他のコメントに関しては、また後ほど感想を述べさせていただきます。
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------<クラス五>なし
<クラス十>なし<クラス十五>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.21<クラス十十>
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.67
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.61
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.53
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「E.T」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.77
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26<クラス十十十>なし
----------------------------------------------------
<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.32
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.6
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.25
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.7
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.34
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
----------------------------------------------------
<一時間枠・十十>山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集30
<一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集202
進学補講に音作りを取り入れる試みが始まりました。
高校生が覚えておくべき構造文法事項を組み込んだ基本例文集はどこでもやられていることですが、そこに音作りの技法グラウンドの発想を取り入れてみました。
学習方法の提示といくつか実際に音作りを行うことで自分でどんどん出来るようにしていきたいと思っています。自主的参加の講座だからこそとりあえずはじめることができました。私の力量というか今の時点ではまだ普段の授業で5分の3以上もエリオットさんのように授業で音作りができません。でもフォニックスのことを勉強し、リズムや連結などの教え方をじっくり学びいつかエリオットさんのような授業ができる日を夢見ています。
私の理想とする授業は根石さんの技法グラウンドにエリオットさんの音作りを融合させたある種の授業の理想の姿です。
もちろん生徒の志望大学や短大の過去問題を解くこともやりますが、これはプリントで英文の構造を図式化したダイアグラムを提示したプリントを配ることで十分だと思っています。もちろんダイアグラムの説明はしますが。。。それからエリオットさんが作っておられたスラッシュ訳のプリントも作る予定です。これがあれば本当にあとはできるだけ音作りをやってあとは筆写をやればいいと思っています。そのやり方を提示してあとは個々人の英語を学ぶ緊急性と集中力と練習力(実際は技法グラウンドや回転読み回転書きなど)さらに言えばその練習を記録しておくこと、進捗度を学習者自らが知りどれだけ学べばどれだけの成果が得られたかまで記録しておくことだと思っています。私は今練習の真っ只中で私のやっていることを学習者に提示することで学習者自身が学んでくれたらこんなにうれしいことはありません。
今日はその初日でした。
受験英語がないことをしゃべりました。
実用英語がないこともしゃべりました。
それからもちろん英会話なんて言葉が本当はないことも説明しました。
生徒はきょとんとしていました。
でもたった12名はきちんと視線を向けてくれました。
選択の講座なので義務はないとも説明しました。
でも1名でも希望者がいればこの講座は開講されることも告げました。
来週12名がまたくると行って手を挙げました。
でも最終的に何人が残るか分かりません。
例年では2,3名残ればいいほうです。
1人でも音作りを一生涯取り入れてくれればとてもうれしいのですが。。。
来週が楽しみです。
明日は1年の普通科でTT=teamteachingがあります。
コミュニケーションごっこが相変わらずあります。
こんなことを繰り返していてもちっとも実力はつかない。
でもオーラルコミュニケーションの授業はチームを組んでいてテストもあるし、進度も合わせなければならない。ストレスがたまります。
でも私は今は「出る杭」にはなれません。
「出る杭」もエリオットさんくらいになれば「出すぎて高すぎて打てない杭」になり誰も杭を打てないようになります。そこまでいくにはあと5年くらいは最低でもかかりそうです。しかも私自身が根石方式を忠実に守り、かつ自分自身の知識の枠組みを日本語と英語の両方において着実に増やしていけるかどうかです。ネイティブに迎合するのはもちろん駄目です。でもネイティブがモデルになっていることも完全には否定は出来ないと思います。外国語学習は神経症です。辞書を眺めているだけでも気が狂いそうになるというのが正直なところではないでしょうか。
分けて考えた方がいいと思います。
一人(モノ)でできる「質」の段階・・・音読と筆写(この段階は技の習得、型の習得、教材を広げない)
オブジェクトが必要な「量」の段階・・・新聞、英語を話す人との会話、映画などこの2つにはっきり線を引いたのがある意味根石さんのような気がします。
でも線引きをしにくいという面もあります。
でもそこにつけこんでいるのが英会話学校というのもわかります。
でも真実はその間にあるような気がするのです。。。
部活。 サッカー部 テニス部 バスケット部 ブラスバンド。 放課後 2時間は練習する。一週間で 12時間以上は練習するのではないだろうか。
朝練が ある部もある。 みんな上手くなりたりから 練習をする。毎日 毎日練習して やっと上達する。
それにくらべ 英語上達に対しては なぜみんな 速効性をきたいするのだろうか。
公立中学で 週3,4時間 だ
英会話学校では 週2回 各一時間で 計 2時間。
一年かよって 「一年も英会話かよったのに 上手くならない」という。
計100時間だ。 部活に換算すると 入部2ヶ月というところか? 玉ひろいの段階。ああ わからないかな。 わかんねえだろうな。わからないから 英会話学校 英会話教材がうれるのだろうな。
こんにちわ
中学校の先生なのですね。
コミュニケーションごっこ、、このごろの中学の教え方は 昔とかなりかわったのでしょうか?
日常の レッスン運びを おしえてください。
音読筆写SBさんと 他の先生とは またちがうのでしょうね。
中学週3時間。 クラスは40人。そして あの教科書。 うーん。大変そうだ。
(SBさんの学校の教科書はサンシャインですか?)研修会情報、 教え方の教本をみると 教授法が花盛り。
教授法ばかりで なんだかなあはじめから 英語で導入して 授業中英語しかしゃべらない先生 も HPを検索するといらっしゃいますが 週何時間も英語づけなら ともかく 少ない時間なのに 英語で教えるのは効率が悪いと思う。
現状はどうなのですか?
住みません 高校の先生だったのですね。
オーラルコミュニケーションの授業はとくにいろんな面で問題を抱えていると思います。
普段の授業でもそうです。
変えたい気持ちはあります。
持ち続けています。
進学補講では始めた部分もあります。
実績を100%含めてしまうほどのエネルギーと理念が必要です。
出る杭でも打たれないくらい出てしまえばいくらでも理想のことができると思います。
今は根石さんのレッスンでただひたすら自分を鍛えるのみです。
その際に役立つのは回転読みと回転書き、それに技法グラウンドという発想です。
TOEICの学習方法として学習ダイアリーなるものが出版されていますが、基本的にはあのやり方です。それに5回ないしは7回連続して音読する練習方法である「技法グラウンド」の方法が非常に役に立つのです。
それをやったものにしかわからないイメージと音(声)の一致という体感があります。
---------------------------------------
私が気づいたことは、どんどん枝が繁茂する、あるいは話が跳ぶという性質でした。
これが、ディベート育ちの性質ではないかと思ったわけでした。
何が何でも勝とうというねらい方は、問題に枝をはやして別の論点を生じさせてでも、優勢を保とうとします。ディベートでは誰でもそうやるようになると思いますが、辛抱強く一つのことを言い続ける、何度でも起点に戻り、何度でも同じところから出撃するということをやってみられたらどうかと思いました。これやっているのを、古川さんの掲示板では少し見ることができました。
---------------------------------------話が跳ぶというのは、私は無意識でやっていると思います。
AならBという話のもって行き方は、私にとって自然なのです。
しかし、多分、他の人には突飛に見えるのでしょう。
この傾向は自分でも自覚していますが、別に悪気でやっているわけではありません。
出来る限り避けるつもりですが、何ぶん私にとっては自然なことなので、
完全になくすことは難しいと思います。
AとBという二つの事柄を自然な関連があるとみなすことは、その人の経験および考え方
に当然依存します。人それぞれ、経験や考え方が違うのですからある程度はしかたないと思います。私の話が跳ぶと思われたときは遠慮なさらずに指摘してください。----------------------------
私が好きな性質というのもはっきりあります。
あなたの文章が、過激に率直なところです。
タブーを恐れないところです。
----------------------------有難うございます。
しかし、これは、根石さんにもあてはまると私は思っています。-----------------------
いますが、この構えで論点のひとつひとつにいちいちつっかかっていくと疲れが大きい。へなちょこな横槍はざっと流して、譲れない一点に立ち続け、その一点の動きを深めることかと思います。
文章に関しての料理法は提示できなくても、論点の多発に関しては言えるかと思い、書きましたが、的外れであったらお聞き流し下さい。
-----------------------確かにおっしゃるとうりです。
ただ、古川さんの掲示板の連中の言っていることが余りにもひどいので、
私の闘争本能をかき立てられたこともあります。
too drunk
新井英一の日本語は変だが、非常に正確だ。
良い。
>話が跳ぶというのは、私は無意識でやっていると思います。無意識が問題なのだと思います。
いくら数学をやっても、無意識が野放しだと、問題だと思います。完全になくすなんていうような、数学的な思考でなく、
単に意識すればいいだけです。なくすなんてことは考える必要はないと思います。
単なる幼年のトラウマかなんかなんです。
久々にやってきました。面白いプロキシを見つけましたよ。
このプロキシを通してホームページを見るとテキストを全部英語に変換して表示してくれます。
http://203.115.234.98:8890/-_-たとえば、この掲示板の書き込みを英語に変換して見たい場合は、
ブラウザのURL入力の欄に、
http://203.115.234.98:8890/-_-http://8246.teacup.com/nessy/bbs
と入れてみてください。
皆さんの書き込みが英語に翻訳されて表示されます。
いろいろな使い道が考えられますね。
ではまた。^-^
生きてましたか。
よかった。
って、のは、どう翻訳されるのか、試してくれませんか。
試してからここへ載せてみてくださいますか。
私は広島に原爆が落とされた日のことを今も覚えている。あの日、私は文字通り誰とも話がで
きなかった。誰もいなかったのだ。私は夏休みのキャンプに行っていた。ニュースを訊いて、
私は林の中へひとりで入っていき、二、三時間たったひとりで過ごした。広島の原爆投下につ
いて誰とも話ができなかった。他人の反応がまったく理解できなかった。私は自分が孤立して
いることを感じた。
その後、戦後民主主義のなかで、原爆投下は戦争の終結を早めるため必要だった、と説明された。
わたしは素直に受け入れた。しかし、最近になって「黙殺」(仲晃、NHKブックス、2000
年刊)といった本によってあの原爆投下が、戦争の終結にまったく関係のない単なる殺戮であっ
たことを知って愕然とした。あれは、戦争行為に名を借りたテロではなかったか、という疑惑が
湧いてきた。そして、アメリカの民主主義というものが、必ずしもわたしが信じ込まされてきた
ものとは違うのではないか、と思い始めた。
相変わらず、翻訳ソフトは馬鹿ですね。
技術系以外には通用しない。
思想のニュアンスなんぞ、まるで出来ていない。
思想のニュアンス→
思想の肌合い
---------------------
無意識が問題なのだと思います。
いくら数学をやっても、無意識が野放しだと、問題だと思います。
--------------------出来る限り避けるつもりですと前回の投稿に書きました。
無意識で人を傷つけてはまずいでしょうが、話が跳ぶというのはそんなに気に障りますか?
例えば、私の投稿での具体例を挙げていただくと助かります。
あの、数学と無意識の関係が良くわかりません。失礼ですが、根石さんも話が跳ぶのでは?
クリック↓
私は「ゴースト」のレッスンを始めて、まだ20Pそこそこです。
ただここのところ、最初から最後まで回転読みをすると、
一回1時間以上かかりはじめました。
仕事等の関係上、一日これ以上の時間を費やすのが厳しいのが現実です。
この先のことを考えると多少不安があります。
レッスンを受けられいる皆様の時間配分あるいは、方法等
お聞かせ願えれば幸いです。
お懐かしいです。
こうじさんの耳に期待しています。
就職一段落したとおもいますので
お会いできませんか?
また、Hawai'iさんのHPの掲示板をご覧になり
ご意見を投稿していただくとありがたいです。
映画の聞き取りを、まったく違う角度で
攻めています。
こうじさんに耳の役割が大きく役立つとおもいます。>
その後、戦後民主主義のなかで、原爆投下は戦争の終結を早めるため必要だった、と説明された。
わたしは素直に受け入れた。しかし、最近になって「黙殺」(仲晃、NHKブックス、2000
年刊)といった本によってあの原爆投下が、戦争の終結にまったく関係のない単なる殺戮であっ
たことを知って愕然とした。あれは、戦争行為に名を借りたテロではなかったか、という疑惑が
湧いてきた。そして、アメリカの民主主義というものが、必ずしもわたしが信じ込まされてきた
ものとは違うのではないか、と思い始めた。
/98440
すいません。下の投稿は、また間違って投稿ボタンを押してしまったものです。原爆投下の目的はソ連に対する示威と原爆の威力を見るための実験です。
広島だけでなく長崎にも落としたのは、両方の原爆のタイプが違っていたからです。
戦争終結を早める為というのは、まったくのデタラメで、
逆に、原爆投下の準備が整うまで、日本を降伏させないように、降伏条件として
天皇の戦犯としての引渡しを要求したのです。
その証拠に原爆投下後、すぐにこの条件を引っ込めました。
根石さん
お久しぶりです。
>生きてましたか。
>よかった。
>って、のは、どう翻訳されるのか、試してくれませんか。
>試してからここへ載せてみてくださいますか。
Living, * be - - - - - .
It was good.
Don't I have the kindness how to try - - - as it is translated?
After trying, does it have the kindness to try to be put here?という翻訳になりましたよ。
「って、のは、どう翻訳されるのか、試してくれませんか?」が
'Don't I have the kindness how to try ..'
となっているあたり、根石さんの性格がよくでているような意訳になっていると思いますが。
何はともあれ、お元気そうなのでほっとしました。パクパクさん、こんにちは。
Hawai'iさんのURLさっそく行ってみます。皆さんへ、
私は最近YAHOO USAのチャットでヒアリングの練習をしています。
YAHOO USAからYAHOO MESSENGERを無料でダウンロードできますので、後は、MESSENGERを立ち上げるだけで世界中の人たちとチャットでお話ができます。パソコンにマイクやウエッブカムを接続すれば相手の顔をみながらマイクでお話もできます。
カテゴリーがいろいろあるのですが、英語のヒアリングに役立つのは、
Regional > UnitedStates > Sanfrancisco Bay Area 1
Regional > Australia > Australia 4
です。
Australia 4 には なぜか(日本の深夜の時間帯に)カナダ人達がとても楽しい雰囲気で会話を楽しんでいます。
だまされたと思って一度試してみてください。マイクやウエッブカムがなくてもPCから音がでる環境であれば自分以外の人の声を聞いたり、ウエッブカムは見ることが出来ますので。なお、日本のYAHOO MESSENGERでは上記のカテゴリーがありません。
また、音声チャットはMAC, Windowsのみ対応で、LINUXでは使用できません。それではまた。
>what Kouji recommends 投稿者:根石吉久あまり慎重にとらないでください。
こんな面白いものもあるよ、というニュアンスですので。
^-^
補足―
YAHOO USA CHATの
Regional > UnitedStates > Sanfrancisco Bay Area 1
は(日本時間の)深夜よりも夕方の5時から7時にかけて、ベイエリア付近にいる人達がよく会話しています。
こうじさん、おひさしぶりです。yahoo.comのチャットは混沌としてて、面白いですね。
私がときどき覗くのは、Asia Global Chatです。
強烈な訛りの英語とアメリカへの呪詛が、満ちあふれています。
Jackie様、はじめまして、>英会話学校では 週2回 各一時間で 計 2時間。一年かよって 「一年も英会話かよったのに 上手くならない」という。計100時間だ。 部活に換算すると 入部2ヶ月というところか? 玉ひろいの段階。
ああ わからないかな。 わかんねえだろうな。わからないから 英会話学校 英会話教材がうれるのだろうな。現在のわが国の英語教育の貧困さを改めて喚起させるご意見だと思いました。「英会話」教育なるものが大手を振ってまかり通っている現状は改める必要があると思います。この根本にあるのは「学校(受験)」英語の弊害です。少数の心ある先生達が教えるものを除いて、「学校(受験)」英語は使い物になりません。むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。文法至上の英語をやっている限り、やればやるほど喋り難くなるのは当たり前です。結局ラジオ英会話や英会話学校などでの「補習」が必要になる訳ですが、これらの機関が本当に喋れるようになる工夫をしているとは思えません。私は近所で英会話サークルを主宰していますが、小規模ですがその工夫に四苦八苦しています。 何故か? 理由は「金」です。「金」のためには英会話能力向上のために「本当に必要なこと」を言わない、或いは言えないということがあります。つまり、それを言うと学習者にアッピールしない、ということです。学習者にアッピールしなければ、人を集めることが出来ません。英会話学校もラジオ英会話プログラムも英会話サークルも成り立ちにくくなるのは明白です。「本当に必要なこと」とは、大量の英語構文・語彙の多読、多聴によるインプットです。勿論その前に英語音の徹底的な修得が必要なことは言うまでもありません。 日常会話に必要な英語とは、英会話学校やラジオの英会話学習プログラムで教える定型的な構文のインプットだけでは使い物にならないのは明白です。そんなものをいくら覚えてもそれらを意識的に使うことが無理なのは、明白なのですが、大抵の学習者はそれに気が付きません。途中で挫折するのは自明の理です。 前述の各機関の指導者達はどうかというと、「金」のために口をつぐんで「本当に必要なこと」を言おうとしません。(私の主宰する英会話サークルでは言いますが、参加者の反応は今ひとつです) 最近やっとインターネット上で「本当に必要なこと」を言っているサイトが噴出してきました。 しかし、そのようなサイトはまだ「本当に必要なこと」を言っているとは多くの学習者に認知されていません。指導者間でも、同じようなことを言っているのに、往々にして枝葉末節で意見の不一致が見られ、「本当に必要なこと」を学習者に明確に提示できていないのが現状のように思われます。私が「英会話学習法フォーラム」と名付けてHPを開いたのは英会話学習に関して活発に意見を述べ合い明確な学習法の確立を目指したいと考えたからです。
もっこりさん>
お久しぶりです。お元気そうで。^-^浜谷さん>
>「むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。」
なるほどと思い当たる経験があります。自分が中学生の頃、英語の選択問題で、[look]の正しい使い方を選ばせるもので、「私の方をみて」の意味として、
(1) look at me.
(2) look to me.
というのがありました。
ここで、(1)が正解で(2)は誤り、なんていう回答をする教科書や先生がいます。
正しくは、英語を母国語とする人たちにはどちらも正解です。
look at me は 私の顔や体の方をむいてくれ(見てくれ)、 look to me は 私の方を向いてくれ(私の気持ちが分かるように私の顔をみてくれ)というようなニュアンスです。
英語を母国語とする人たちには「正しい」文法で英語をしゃべる人は「ロボットのような人(良い意味でも悪い意味でも)」のように映ります。(私の奥さんいわく。) 英語を母国語とする人たちにとって正しい文法と言うのは、「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」ということです。だからスペルが間違っていても、グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいればネィティブは皆さんの英語を理解します。こんな感じの解釈でいいですか?
>・・・英語を母国語とする人たちにとって正しい文法と言うのは、「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」ということです。だからスペルが間違っていても、グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいればネィティブは皆さんの英語を理解します。こんな感じの解釈でいいですか?こうじさん、レスありがとうございます。申し遅れました、お帰りなさい! また以前のように「こうじブシ(?)」をお聴きできること楽しみにしています。仰るとおりだと思います。我々も日本語を話す時、文法に合ってるかなど考えずに話していると思います。 発音については根石さんの10のポイントなどのような基本を抑えておけば、後は少々違っていてもいいということだと思います。ネイティブの奥さんのお話は大変参考になります。
問題集届きました。どうもありがとうございます。これからゆっくりと拝見させていただきます。取り急ぎお礼まで。
畑が忙しくなりました。同時に新しい教材を作り始めたので、なかなかここへ来られません。なるべく来ます。「電話でレッスン」の生徒さんへ
nishiazabu さんが質問なさった一週間の時間のやりくりについて、それぞれの生徒さんの工夫を書いていただけたらと思います。
特に、<十十五>で、レッスンを先に進めておられる方々にお願いしたいと思います。<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「E.T」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.77
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------<クラス五>なし
<クラス十>なし<クラス十五>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.23<クラス十十>
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.67
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.61
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.53
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「E.T」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.77
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26<クラス十十十>なし
----------------------------------------------------
<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.32 (4月)
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.6
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.25
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.7 (5月)
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.36
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
----------------------------------------------------
<基礎問題集・臨時使用>
松代・Y(高1) 基礎問題集42<一時間枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集45<一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集211
----------------------------------------------------
>無意識で人を傷つけてはまずいでしょうが、話が跳ぶという
のはそんなに気に障りますか?
例えば、私の投稿での具体例を挙げていただくと助かります。
あの、数学と無意識の関係が良くわかりません。失礼ですが、
根石さんも話が跳ぶのでは?話が跳ぶのは私もよく跳びます。とりわけ、酒を飲んで書いているときは、とっぴょうしもない方向へ跳びます。翌日、起きて読んでみると汗がじわっと出てきたりします。
酒をくらってヨタ話をしたときは、制御不能だとよくわかります。
また、言っても無駄な相手だとわかったときは、一切の制御を自爆テロして、とことん口汚くののしりにののしりを重ねることがあります。
それ以外の場合では、実に私はおとなしいのです。
生身の私がどんなにおとなしいかは、「電話でレッスン」の生徒さんたちは知っています。ただ、話がヘヴィーな時は、あんまり私の話は跳ばないような気がします。跳ぶとしても、より根拠を探る方向へ移ろうとすると思っています。
斎藤さんの議論は、ヘヴィーな議題がそのまま横っ飛びして、まるで別の話題になる。こりゃ、議題に対して申し訳なくないか、と思うことがあったのです。数学との関連ですが、数学的な論理は、文章を書く場合はそのまま使えるようなものではないと思います。そして、斎藤さんは、自分では理詰めだとおっしゃるのですが、私から見ると、理詰めには見えないのです。相手に議論の根拠を提示することを求めることをされますが、自分の議論の根拠を自分で掘り下げる方向へ向かう文章が見あたらないと思っています。
具体例を挙げよとのことですが、古川さんの掲示板の一連の記事は削除されてしまいましたし、私の掲示板は現在記事数100までしか保持していませんので、すでに板上から外れてしまっています。ですから、具体例に関しては少しお待ちください。
村田君が毎日、掲示板の記事を保存してくれていますので、村田君のところには、古い記事があります。今日、村田君に、斎藤さんが議論している時の記事をメールで送ってくれるように依頼しました。
浜谷さんが引用なさった Jackie さんの文は、まことに日本人の異質シンタックスへの
なめた態度を示していると思います。
英会話学校なんどに通うやつらは、本当は、英語という異質シンタックスをなめてかか
っているのだと思います。
妻へカーネーションをありがとうごダイアンサス。
えっ、カーネーションはダイアンサスでしたか?
どわすれ。妻は一度ならずコンピュータを教えたのですが、ついにいじるようになりませんでした。
よろしくお礼申し上げるようにといいつかりましたので、代わってお礼申し上げます。
日本語の磁場において英語をやることは、しょせん英語そのものの獲得ではない。
正確に言うなら、英語の磁場に置かれたり、英語の磁場に触れたときに、それを受け、それに応じることのできるボディを作るだけのことではないか。
このボディの存在を英語の磁場で英語を使う人たちは意識しない。
同じく、日本語の磁場で日本語を使う人たちは、日本語を感じ応じるボディそのものが自己の元であることを意識しない。当該の磁場においては意識されず、語学においては意識的に作られる当のものを、感応体と名付けよう。
語学が作りうるものは、せいぜいが感応体である。
英語力そのものは、英語という言語の磁力を発するはずであるが、日本にいて語学として英語をやるだけでは、磁力を発するものが作れたとしても、その磁力はきわめて微弱なものでしかない。できているもののほとんどを占めるのは感応体だ。
生活言語に「渡る」行為自体をも語学に含めるべきではないか。
また、渡って以後の生活言語は、語学から峻別されるべきではないか。生活言語の中にいて、言葉を習って身につけることはある。
しかし、これは厳密には語学とは言えない。
意識を直に磁場がとりかこみ、意識が直接に磁場に接しているところでは、語学が行われているのではない。そこにあるのは、生活言語による生活言語の豊富化だけだ。
しかし、子供ででもないかぎり、生活言語による生活言語の豊富化を可能にするものは、人工的に作られた感応体以外にはない。感応体は語学においては人工的に作られる。
「音づくり」の外科手術的性質 つまり、人工的性質。
知識的理解。知識が知識にとどまるレベルの理解。知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そして、文法は重要でないなどと言うことは、自分のたどった道を隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。
文法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物として必要なのだ。
媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとことん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識的理解・文法的理解は必要なのである。知識的理解をしたから英語が使えるようにならないのではない。英語の磁場を欠いた日本では知識的理解が必要であるのは当然である。
知識的理解自体が悪いのではない、それが知識的理解のレベルのとどまって止まってしまうことが駄目なだけだ。知識的理解がたどるべきプロセス
知識的理解 → 自明化(慣れ) → 感覚化・瞬間化
私>・・・この根本にあるのは「学校(受験)」英語の弊害です。少数の心ある先生達が教えるものを除いて、「学校(受験)」英語は使い物になりません。むしろやればやるほど喋れなくなるような英語です。文法至上の英語をやっている限り、やればやるほど喋り難くなるのは当たり前です。こうじさん>・・・英語を母国語とする人たちにとって正しい文法と言うのは、「正しく自分の気持ちを伝えられる文法」ということです。だからスペルが間違っていても、グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいればネィティブは皆さんの英語を理解します。こんな感じの解釈でいいですか?
根石先生>知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そして、文法は重要でないなどと言うことは、自分のたどった道を隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。
文法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物として必要なのだ。
媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとことん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識的理解・文法的理解は必要なのである。
知識的理解をしたから英語が使えるようにならないのではない。英語の磁場を欠いた日本では知識的理解が必要であるのは当然である。
知識的理解自体が悪いのではない、それが知識的理解のレベルのとどまって止まってしまうことが駄目なだけだ。私は文法至上主義が良くないと思っています。現在の学校(受験)英語は明らかにこれに陥っていると思っています。先生も上記の記述で同じことを仰っていると解釈致しました。
ところでこうじさんの記述は私の上記の記述に対するコメントだと思いますが、この記述だけみたら文法軽視と思われても仕方がないと思いますが、私の上記記述を敷衍して解釈して下さったのだと思います。すなわち、<私の記述=こうじさんの記述> ではなく<私の記述+こうじさんの記述> だと思いました。その意味でこうじさんの記述に賛成しました。
すなわち、こうじさんの記述中「グラマーの教科書にでているように正確な文法ではなくても、極端な話、単語の発音が間違っていても、ニュアンスが正しく伝わってさえいればネィティブは皆さんの英語を理解します。」というのは私が言う「文法至上主義」にならないように注意を喚起する文章だと私は解釈しました。これは初心者に文法を軽視してよいととられる怖れがあるよ、ということでしたら素直に反省します。
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数学との関連ですが、数学的な論理は、文章を書く場合はそのまま使えるようなものではないと思います。そして、斎藤さんは、自分では理詰めだとおっしゃるのですが、私から見ると、理詰めには見えないのです。相手に議論の根拠を提示することを求めることをされますが、自分の議論の根拠を自分で掘り下げる方向へ向かう文章が見あたらないと思っています。
----------------------------私が自分の議論を数学の論理と同じようにしているとは、言った覚えがありません。
根石さんは、私に対して偏見を持っているような気がします。
私がアメリカ人と討論をしていると書けば、それが原因でバタ臭いといわれたり、
数学をやっていると聞けば、議論も数学と同様にしているのだろうというように。
そういう、はっきりしない原因論は不毛な気がします。
確かに関連はあるかもしれませんが、はっきりしたことは、分からないはずです。
原因論より現象論で行きましょう。
具体的に指摘してください。
では、私が理詰めでないとして、バタ臭いとは具体的にはどういうことでしょうか?
自分の議論の根拠を自分で掘り下げる方向へ向かう文章が見あたらないとは、例えば?
それはそうと、何故こんな話になったんでしょうね?(笑)
>妻は一度ならずコンピュータを教えたのですが、ついにいじるようになりませんでした。
よろしくお礼申し上げるようにといいつかりましたので、代わってお礼申し上げます。いたみいります。いつも勉強させて頂いておりますと。折あらばご鳳聲くださいませ。
>えっ、カーネーションはダイアンサスでしたか?
むむっ、そのやふなことを私が知る由もない、さりとて、急に興味も涌いてきたので
たずねてみました。曰く
「14世紀ごろからはカーネーションの原種のダイアンサス・カリオフィルスも栽培されるようになって、ピンクもカーネーションも広く愛好されるようになった。ピンクという言葉の由来はヘブライ語、ドイツ語、ケルト語起源の諸説があって判然としないが、18世紀ごろには、その花色からピンクが桃色を意味する言葉にもなった。花弁に濃色の縁取りが入るレイスド・ピンクはそのころすでに愛好されていたらしいが、19世紀に入るとグラスゴー地方の職工の間でレイスド・ピンクの栽培ブームが起こり「オーリキュラ」と同じくフローリスト・フラワーとして育種に拍車がかかったという。
(もっと ダイアンサス)http://www1.odn.ne.jp/alm/dianthus.htmでは、どちらさまも火の元をご確認の上今夜はこれでおやすみなさ〜い♪
久しぶりに掲示板に現れました。
あのー「電話でレッスンの進展」における≪十十五≫の戸倉町Kさんとは、つまり私のことだと思いますが、(ET終了)ではなく(ゴースト終了)なので訂正願います。・・・・(-_-;)
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知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そして、文法は重要でないなどと言うことは、自分のたどった道を隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。
文法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物として必要なのだ。
媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとことん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識的理解・文法的理解は必要なのである。
-------------------------------文法は必要としても、毎日1時間、3ヶ月もやれば(どんな言語でも)十分な気がします。
典型的な受験の基本例文の文法解析と音読・暗唱を進学補講で取り入れています。12名中10名集まりました。
うち一人だけですが、何度も何度も音読練習を授業意外でやっていたようです。
たった一人でしたが、うれしかったです。
Jackie さん以下の文は、酔っぱらって書いたので、読みようによっては実に不遜な文章になることに、先ほど気がつきました。そのように気がついた私がすでに酔っぱらいであることはどうしたらよいのか、ついについにわかりません。
>浜谷さんが引用なさった Jackie さんの文は、まことに日本人の異質
シンタックスへのなめた態度を示していると思います。Jackie さんの文が、「なめた態度を示している」という文脈ですと、こりゃ、私が言いたかったこととはまるで違ってしまうのが実にまずい。私が言いたかったのは、Jackie さんの文が、「日本人の異質シンタックスへのなめた態度」を掘り起こしている、ということです。Jackie さんは、アメリカ帰りの方に珍しく、日本語の綾も理解される方だと承知しておりますが、私の書いたアルコール度の高い文の、論理が論理ですから、万が一の誤解を恐れてこれを書いております、ところが、今日も酔っぱらいで、Jackie さんに失礼になるのかならないのか、とにもかくにも酔っぱらいであります。
お見捨てなきよう。
sbさん、先日、妻がカレーを作ったのを覚えていたので、カレーを食ってやろうと、皿にご飯
を盛って、鍋の蓋をあけたら、カレーが底に少量こびりついていただけだった。淋しかった。
sb食品の社長さんが、公立高校の英語の先生だというのは不思議ですが、まあ、いいんじゃな
いでしょうか。
SB食品だと、まじな話ですが、sb食品ですから。いいことにSue Bear.----------------------------------------------------
その一人の生徒、大事にして下さい。
その子を指名して、「発音10のポイント」の「簡潔な言い回し」で発音がその場で変わるこ
とを他の生徒の耳にわかるようにしたら、他の生徒もついてきてくれるかもしれません。
Jackie さんへの文の訂正掘り起こしている
→
掘り起こして、示している
----(根石)---------------------------
> 知識的理解は不要ではない。これを軽視する人が、昔、知識的
理解をさんざやったことがあるというケースはよく見られる。そ
して、文法は重要でないなどと言うことは、自分のたどった道を
隠す犯罪である。これは初心者に対する上級者の犯罪なのだ。文
法的理解、知識的理解は、理解がセンスに化する途中では媒介物
として必要なのだ。
媒介物にすぎないものを目標物にしてしまう、学校英語がとこ
とん間違っているだけのことである。用・不要を言うなら、知識
的理解・文法的理解は必要なのである。-----(斎藤)--------------------------
>文法は必要としても、毎日1時間、3ヶ月もやれば(どんな言語でも)十分な気がします。私は、文法を軽く扱うことで上級者ぶるやつらに蹴りを入れました。
これは浜谷さんやこうじさんに対するものではなく、こういう上級づらが昔から気に入らなかったという事情があってのことです。もちろん、語学を原理的に考えてのことです。あいつら、現象面だけに関してものを言って、語学を語り得たつもりなのだ、ケッ、という心意気は昔から私にあります。
さてさて、ポイントはそこにはない。
私が蹴りを入れた文法軽視について、斎藤さんは、「毎日1時間、三ヶ月」という時間の長さを言われました。
これが横ッ跳びです。
いけなくはありませんが、横っ跳びは横っ跳びです。
蒸散と俺が書いたのに、散蒸とヒネルあたりがあんたは偉い。何だ、散蒸って?
惨状じゃないよね?
三畳に住むこともないだろう、あんたは。わりい、わりい。
俺の提示するデータは、まるで意図は欠いた上で、大間違いが多々頻繁によくある話だから、そ
んなに神経質に気にすることはないないない。気にして欲しいのは、あんたの英語や英語圏やアメリカに対する卑屈な態度を見ていると、俺は
英語なんぞやめてやるかと思うことがあるということだよ。
まだ火事には至らないようです。今日は、土方をやりました。
>私が自分の議論を数学の論理と同じようにしているとは、言った覚えがありません。
根石さんは、私に対して偏見を持っているような気がします。
私がアメリカ人と討論をしていると書けば、それが原因でバタ臭いといわれたり、
数学をやっていると聞けば、議論も数学と同様にしているのだろうというように。
そういう、はっきりしない原因論は不毛な気がします。
確かに関連はあるかもしれませんが、はっきりしたことは、分からないはずです。
具体的に指摘してください。
では、私が理詰めでないとして、バタ臭いとは具体的にはどういうことでしょうか?
自分の議論の根拠を自分で掘り下げる方向へ向かう文章が見あたらないとは、例えば?
それはそうと、何故こんな話になったんでしょうね?(笑)
----------------------------------------------------斎藤さんは、「自分の議論を数学の論理と同じようにしている」と言ったことは、この文以前にはないと思います。私もそんなことを言ったことはないと思います。私は、「同じようにしている」という言葉の「している」がわからない。論理は「する」ことができるようなしろものなのか。
それとも、「している」というのは、「扱っている」ということでしょうか。私が斎藤さんに対して偏見を持っているかどうかですが、偏見を持っているかもしれないし、偏見を持っていないかもしれない。それは、私が決められることではないし、斎藤さんが決められることでもありません。人々が決めることです。ここは書き言葉の場ですから、人々の判断はなかなか声にならないだけで、読んでくださる方が何らかの判断を持つことは信じていいと思っています。それがどんな判断であるかは、本当に本当にわからないのです。私は人々が判断するという一事を静かに信じているだけです。
斎藤さんのように大きな声ではない声もあります。声、というものに関してなら、私は、声にならない声を信じています。くどく申し上げますが、私はアメリカ派ではありません。リアルなパワー。圧倒的なパワー。それが何だというのか。
アメリカが血にまみれた罪深い国であることは自明のことです。
そして、勝ち続けてきた国であることも自明のことです。
それが何だというのか。>原因論より現象論で行きましょう。
いやです。
現象論で行くかぎり、アメリカは自由の国です。
それはヨーロッパという旧世界を蹴立た自由です。
しかし、インディアンを虐殺し続けた「自由」が別にあり、この根はヨーロッパにあります。
根とは、アジア、アフリカに対する「未開人」というものの見方そのものです。
あいつらヨーロッパのやつらにとって、「未開人」は未開であるゆえに、殺していいものなのです。したがって、私は、この21世紀の日本にあって、プラスチックやダイオキシンの散蒸する惨状のただ中で、三畳間の思考として、ヨーロッパ的思考こそが野蛮で未開であると強くほざきたいと思います。フランスのデュポン・カンパニーが化学物質を作ったまではいいとして、それが政治の中に動く金の動きによって、つまり袖の下を通る金によって、野放しにされた。それが、現代の野蛮の起点です。この野蛮がもっとも強力な場所がアメリカと日本です。なんで、こんな話になったのでしたっけ、というのは、私の頭がアルコールに支配されているためでしたっけ、という原因論です。
現象論は現象するもののすべてにつきあうわけですか?
つきあいきれたものではない。それは論にはならない。ただただ感覚がそれに応じることができるだけです。ひたすら分裂するしかやることはない。それでいいのなら、なぜ斎藤さんは文章なんか書くのでしょうか。
現象論は、現象の背後に働くものを意識するのでしょうか。それを意識した途端に、それは現象論ではなく、原因論になりませんか。目に付く文を対象として、割と具体的に指摘したと思います。
文法至上主義の件、わかりました。
しかし、誰もそれを文法至上主義だと思っていないのです。
そのただ中にいる人たちが、そうは思っていない。
普通の英語をやっているつもりなのです。浜谷さんが、英会話主義のただ中にいるのに、自分を英会話主義だと自覚しないのと同じです。
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------<クラス五>なし
<クラス十>なし<クラス十五>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.23<クラス十十>
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13 (「ボディ・ガード」終了)
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.67
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.61
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.53
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.17<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.27 (「ゴースト」終了)
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.78
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.56
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26<クラス十十十>なし
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<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.32 (4月)
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.15
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.34
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.11 (5月)
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.36
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
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<基礎問題集・臨時使用>
松代・Y(高1) 基礎問題集42<一時間枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集45<一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集211
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