------------------------------------------------------------
他人の掲示板でこういう書き方はおかしい。掲示板は子ども達も見ています。
------------------------------------------------------------
前述したように、間違って書いてしまたのです。謝ります。
---------------------------------------------------------------------
あなたが主張したい英語に関する問題があれば、それだけ書き込むのがマナーです。
---------------------------------------------------------------------
私の書いたことは、ほとんど英語に関係しているはずです。
-----------------------------------------------------------
嵐行為に近いと思いながら、飛ばします。
-----------------------------------------------------------
意味が分かりません。
-----------------------------------------------------------
この書き込みをするのも、他の真面目な英語の専門者に対して
申し訳ないと私などは思っているんですよ。
良識の無い人にこれ以上いいっても無駄かな。
あなたの書き込みは飛ばして読むことにしますが。
-----------------------------------------------------------
わたしのどこが、良識がないのか、説明してください。
>他人の掲示板でこういう書き方はおかしい。掲示板は子ども達も見ています。
よく言いますね。どこの子供が、”面倒なら批判するな”を聞いて、悪影響をこうむるのでしょうか?どのように、お育ちになった、お上品な天使のようなお子さんなんでしょうか?
のどちんこさん、元気?
私はハードもないのに、Pay It Forwardを買った。
弟に頼んで見せてもらったが、やはりすごい。
字幕を自由自在に出したり隠したりできるなんて。
昔?の人は苦労したんでしょ?
テレビ画面にガムテを張ったりなんかして。。。
根石さん。
せいさん。
千代ちゃん。
いくこさん。
のどちんこさん。(まだ言ってるって!?)
Pさん。
それから。。。
エリオットさん。
エリオットさんの奥様。おいしいワンタン鍋ご馳走様でした。。。
郵便局に関係するような漢字一文字の名前のかわいい二人のお子様。
sbはお陰さまで元気でやっております。(とやっとまともに書けるようになってきました!)
感謝。感謝。感謝。
は→はなれてみる
と→とまってみる
の→のんびりしてみる
い→いきをはいてみる
き→きいてみる
はと→平和の象徴
いき→生命の象徴
こんなんでましたけど。。。
どすこいさん!
レスポンスに感謝します。
dosukoiさんの掲示板に、私のことが載っていたので、あれはdosukoiさんの誤解ですと
書いたら、ものの、30分もたたない内に消されてしまいました。
私のサイトから、そのまま、引き写しで恐縮です。
*「素読社」に書き込みす
sb さんの音読・筆写プリントレポート
斎藤さんという方はいつから管理人になったのかな?
ご自分のHPはないのかな?
横レスから代理レスへと移って目障り。
sb さんの音読・筆写プリントレポート、早く知りたいと思います。
http://dreamcity.gaiax.com/home/dosukoi/main
-----------------------------------
「この人がここへきた。発信及び住所の特定もできるリモートホストをキープした。
「素読社」では出入り制限をされていないようだが、
ここへの出入りは来てもらわなくていいので削除した。〔理由は後記)
dosukoi さん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月24日(水)21時37分16秒
>よく、投稿を追って下さい。追うのが面倒なら、批判するな。
乱暴な言葉使いになりましたが、これは本意ではありません。
手がすべって投稿ボタンを押してしまったのす。
追うのが面倒なら、批判しないで下さい。と書くつもりでした。
ほとんど、意味は同じですが。
ーーーーーーーー
dosukoi さん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月24日(水)21時57分50秒
------------------------------------------------------------
他人の掲示板でこういう書き方はおかしい。掲示板は子ども達も見ています。
------------------------------------------------------------
前述したように、間違って書いてしまたのです。謝ります。
---------------------------------------------------------------------
あなたが主張したい英語に関する問題があれば、それだけ書き込むのがマナーです。
---------------------------------------------------------------------
私の書いたことは、ほとんど英語に関係しているはずです。
-----------------------------------------------------------
嵐行為に近いと思いながら、飛ばします。
-----------------------------------------------------------
意味が分かりません。
-----------------------------------------------------------
この書き込みをするのも、他の真面目な英語の専門者に対して
申し訳ないと私などは思っているんですよ。
良識の無い人にこれ以上いいっても無駄かな。
あなたの書き込みは飛ばして読むことにしますが。
-----------------------------------------------------------
わたしのどこが、良識がないのか、説明してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
dosukoi さん 投稿者:斎藤伸夫 投稿日: 4月24日(水)22時04分35秒
>他人の掲示板でこういう書き方はおかしい。掲示板は子ども達も見ています。
よく言いますね。どこの子供が、”面倒なら批判するな”を聞いて、悪影響をこうむるのでしょうか?どのように、お育ちになった、お上品な天使のようなお子さんなんでしょうか?
たった数分の間にあやまったり開き直ったり、正気の沙汰ではない。
こういう屈折したひととはおつきあいしたくないなぁ。
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*たった数分の間にあやまったり開き直ったり、正気の沙汰ではない。
こういう屈折したひととはおつきあいしたくないなぁ。
また、会いたいな。。。 投稿者:sb "投稿日: 4月25日(木)00時01分55秒
根石様。
せい様。
千代様。
いくこ様。
のどちんこ様。(まだ言ってるって!?)
P様。
エリオット様。
sb様
ton様
kawakaki様
ジェーン様(おひさしぶりです)
また、かつてのように書き込みをしてください。
DVDいいっしょ?
今日はチャーリーズ・エンジェルを半分見ましたです、はい。
やっぱりキャメロン・ディアスはよいのです。
ところで、
カレー屋って…もしかしてもしかして、SB食品…?
>男脳と女脳についてこと細かく書かれた本で、この本が今まで読んだ中で1番ぐらいに面白か
ったです。
そりゃ、あまりにもものを知らねえってもんだ。
と、根石吉久様が申しておりました。
「読書という迷宮」(齋藤愼司・小学館)を、根石吉久さんはただいた読まれているようです。
松岡祥男を知らねえ馬鹿が多いからな。
読んでもわからん馬鹿が多いからな。
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>他人の掲示板でこういう書き方はおかしい。掲示板は子ども達も見ています。
よく言いますね。どこの子供が、”面倒なら批判するな”を聞いて、悪影響をこうむるのでしょうか?どのように、お育ちになった、お上品な天使のようなお子さんなんでしょうか?
たった数分の間にあやまったり開き直ったり、正気の沙汰ではない。
こういう屈折したひととはおつきあいしたくないなぁ。
----------------------------------------------------------------------
私が間違って書いたことを謝るのと、dosukoiさんのコメントを批判することは、
両立するはずです。間違いは、間違い。おかしなコメントは、おかしなコメントです。
『哀愁のストーカー』松岡祥男(ボーダーインク)1-13
(含む『精神病を知る本』別冊宝島編集部(宝島社文庫)14-17)
読んでます♪
続き、期待しています。
とりわけ『出版ニュース』誌連載書評から選ばれた52編
<img src="http://www.bk1.co.jp/bookimages/02/10/75/69/021075690000.jpg">
「夏への扉」「秋庭歌」、評論集「偏愛的名曲事典」なども読んだ記憶があります。
ここの掲示板ははタグ使用が出来なかったんですね。下記、書き直します。
『哀愁のストーカー』松岡祥男(ボーダーインク)1-13
(含む『精神病を知る本』別冊宝島編集部(宝島社文庫)14-17)
読んでます♪
続き、期待しています。
とりわけ『出版ニュース』誌連載書評から選ばれた52編『哀愁のストーカー』やよし。
松岡さんでは「夏への扉」「秋庭歌」、評論集「偏愛的名曲事典」なども読んだ記憶があります。
皆様
昨夜は、素読舎読書係が泥酔して私の名を騙ったようです。
失礼いたしました。叱っておきます。
ただいま、課長から叱られました。
親分(根石吉久さんのことです)も酔っぱらって書かれるようですが、私もついついやってしまうんです。親分の悪影響ですね。
翌日起きて読んでみると、あれえ?ってなでかいつらをしているので、穴があったら入りたい、穴が、穴がと穴を探すはめになります。
Ton 様
>松岡さんでは「夏への扉」「秋庭歌」、評論集「偏愛的名曲事典」なども読んだ記憶があります。
この三冊は松岡祥男ではないと思います。
『哀愁のストーカー』の奥付には、松岡さんの評論集の名前が出ています。単行本としては網羅してあると思いますので、当該の『哀愁のストーカー』を加え、以下に記します。
・『意識としてのアジア』(深夜叢書社)
・『アジアの終焉』(大和書房)
・『論註日記−<世界史>と日常のはざまから−』(学藝書林)
・『物語の森』(ミッドナイト・プレス)
・『哀愁のストーカー』(ボーダーインク)
たまたま開いた『哀愁のストーカー』にランボオからの引用があったので、孫引きします。
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束縛されて手も足も出ない
うつろな青春。
こまかい気づかいゆえに、僕は
自分の生涯をふいにした。
ああ、心がただ一すじに打ち込める
そんな時代は、ふたたび来ないものか?
(ランボウ「一番高い塔の歌」金子光晴訳)
ご丁寧なご教示ありがとうございます。
>松岡さんでは「夏への扉」「秋庭歌」、評論集「偏愛的名曲事典」なども読んだ記憶があります。
とあるは
齋藤愼司さんでは「夏への扉」「秋庭歌」、評論集「偏愛的名曲事典」なども読んだ記憶があります。
と訂正いたします。*『物語の森』(ミッドナイト・プレス)注視します。
>「読書という迷宮」(齋藤愼司・小学館)を、根石吉久さんはただいた読まれているようです。
に対して書き込んだものです。
ここでランボーがでてきたところは面白いな、と思いました。
有り難うございました。
おこころづかいありがとうございます。
齋藤愼司さんはいいですね。
最近、根石さんが松岡さんにプレゼントしてもらった本です。
貸してもらって味読しています。
根石吉久さんは、今日、「midnight press」の原稿にとりかかり、ようやく先ほど送稿された
ようです。
タイトルは「椋鳥」です。
「midnight press」の次号は16号だったと記憶しております。
書店に並びましたら、よろしくお願い致します。
根石吉久さんは、原稿を執筆なさる前に、村田様を訪問なさり、DVDの再生装置で何ができるのか
を調査なさいました。
ただいまのところ、素読舎は以下の人材によって運営されております。
根石吉久は物忘れが激しいため、以下、忘備のために記しおきます。
おばさん
おじさん(根石吉久)
村田様
いくこ様
素読舎従業員
素読舎読書係
素読舎秘書
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「この人がここへきた。発信及び住所の特定もできるリモートホストをキープした。
「素読社」では出入り制限をされていないようだが、
ここへの出入りは来てもらわなくていいので削除した。〔理由は後記)
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*たった数分の間にあやまったり開き直ったり、正気の沙汰ではない。
こういう屈折したひととはおつきあいしたくないなぁ。
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これが、私の投稿を削除した理由ですか?
自分の気に入らない人間の投稿は、即削除。まるで、独裁者ですね。
dosukoiさんの言うことを信用すると、記者だそうですが。言論の自由を重んじる
職業と思っていた私が甘いのでしょうか?
私のことを、良識が無いと書いてましたが、よくいいますね。
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発信及び住所の特定もできるリモートホストをキープした。
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それがどうしたんでしょうか?
私は、もともと本名で投稿しています。
なにも、やましいことがないから、本名で出ているんです。
やはり何事も仕込が一番大切ですね。
お客様から喜ばれるものを提供するするためには、時間は関係ありません。
じっくりと煮込む。。。
お客様からの声は常に謙虚に受け止め、ノートに記載しておく。
そういう積み重ねが大切だと最近感じています。
>1に仕込、2に仕込、3,4がなくて5が仕込
>お客様からの声は常に謙虚に受け止め、ノートに記載しておく
全てに言えることですね。今日は いい ことばを 見ました。
違ったかもしれない。
あんたは「これまで読んだ全部の本」の中で、あれが一番面白いって言ったんじゃないかもしれ
ないと今日、思った。
「あの分野の本の中で」は、あれが一番だったと言っていたのかもしれない。
俺は、「これまで読んだ全部の本」の中であれが一番だとしたら、それはあまりにも貧しい読書
じゃねえかと思ってしまったのだ。
「あの分野の本の中では」なら、至極納得。
日本語は難しいや。
更埴市回りに住んでいる人におすすめします。
戸倉町の「国民温泉」へ行って、2時間くらいぼうっとして、温泉につかったり、出て体を冷や
したりを3回ほど繰り返すと実に疲れが軽くなります。
お試し下さい。
アメリカに行けば、英語はただの石だ。ごろた石にすぎない。それを飛行機に乗せて日本に持ってくれば、そのまま宝石扱いされる。この落差は、以下の言い方でも言及されてきた。曰く、アメリカでは子供でも英語をしゃべっている。あるいは、アメリカでは馬鹿でも英語をしゃべっている。
話はその先へ進むべきだ。アメリカで子供でも馬鹿でもしゃべる英語が、なぜ日本に住んだままではこれほどに難しい課題になるのか、と。
巨額の税金が無駄づかいされている。日本の学校で雇っているAETたちに払われている金のことである。ごろた石の宝石扱い以外の何だというのか。彼らのほとんどがしろうとである。語学の何たるかを心得た人たちではない。日本人が働いて得た金を、単なる英語のネイティヴにばらまいているのだ。どぶに捨てているのだ。
ごろた石に宝石の代価を払っているのだから。
英語の塾をやってきて見てきたことから断言する。AETが日本の学校に来るようになっても、日本の英語は何も変わっていない。
原因は語学論の払底にある。文部科学省の英語教育についてのお題目はいつまでたってもお題目にすぎず、何をどうすべきかが提示できたためしがない。欠けているのは、語学論なのだ。英語のハウツウ本ならあふれかえっている。しかし、語学論をみつけようとしたらまるでみつからない。
もう断言すべきだろう。
本当の宝石は、日本在住のままに英語を使えるようになった日本人の英語なのだ、と。
これは同時に語学論を備えた英語でもあるだろう。
もしも、英語ネイティヴというごろた石の中に宝石があったとしたら、アメリカ在住のままに日本語をものにしたというような人だろう。こういう人になら金を払って来てもらう価値がある。
AETの採用基準は以下のものとなるべきだ。
アメリカ(その他英語圏)在住のままに、日本語をものにした英語ネイティヴ。この一項目が絶対に必要なのである。この条件を満たす者のみが、日本にいて英語をやることの困難を知るからである。これを知らないアメリカの大学出など、ごろた石にすぎないことを認識すべきである。
>AETの採用基準は以下のものとなるべきだ。
アメリカ(その他英語圏)在住のままに、日本語をものにした英語ネイティヴ。この一項目が絶対に必要なのである。この条件を満たす者のみが、日本にいて英語をやることの困難を知るからである。これを知らないアメリカの大学出など、ごろた石にすぎないことを認識すべきである。
ぜひ、冊子にしたいですね。顕教に入ったら、同時に、しかるべき行動と建白書は必須です。
>「あの分野の本の中で」は、あれが一番だったと言っていたのかもしれない。
でも、読み返してみると、どちらにも取れますね。 失礼しました。
>じゃねえかと思ってしまったのだ。
おじさんは、あの部類の本を他にも読まれていて、それで、それは知らなすぎる、と
お怒りになったのだと解釈しておりました。
>「あの分野の本の中では」なら、至極納得。
えっ、案外他にもあるかもしれませんよ。
あの本も8章までだっけか。 そこまでは凄いと思うのですが、
残りの9章、10章はひと昔の、というか、調査国がもっと開放的な国からも調べたら
もう少し違った答えが出たような気がする。 ただ、あくまでも脳みそとしての男脳か
女脳かの話だから、あれはあれでいいのかなぁ。 読んでいて最後の2章があまりピンと来なかった。
えっとここのところ、アメリカと香港から英文が来てやりとりしています。
アメリカは母国語のせいか、思ったより簡単な英語で書いてきて驚きました。
中学3年から高校1年ぐらいのレベルかも。 頭からすんなり訳せて意味が理解しやすかったです。 香港の方は、訳すのに時間がかかってしまい、知らない単語ばかりでした。 香港の方には4社ほどだして、そのうち1社から反応がありました。
香港のほうは中国のお国柄がよく出ていました。
意外に難しい文章を書くのは母国語が英語でないところかなぁ?と思ったり、
いや、シンガポールの人とかつて文通したときは相手は高校3年レベルで書いてきたので
そうでもないのかなぁ。 アメリカの会社はたまたま輸出のプロだったから、簡単に書いてきてくれたのかなぁ? と。
自分が仕事で使って3日ぐらいですが、
なんだか学校で5文型だの、現在完了形だのと難しい授業でダメだーと逃げていたのが
あれは、英語得意な人向けの授業なんだろうなぁ、と思っていました。
英語が得意でない人たちのほうが多いと思われるので(私みたく)
そのまますぐバシバシ使っていくのがもっとも簡単で解け込みやすいんじゃないかな?
とここのところ思っています。
ふぅ、初めて「英語に関する思っていること」を書いたぞ。 でもまだひよこ。
先の記事にもありましたが、戸倉上山田温泉にある国民温泉はなかなかいい温泉です。
銭湯の温泉版といったところです。清潔だし、お湯も良いし、ぐーです。
でも、できれば、大将のつくった湯船へのお湯の注ぎ口を見たかったなあ(過去)。
あれは、男湯だったか(^^;。
道路ができて、おじさんちからは一本道で行けるようになったので、おじさんはさぞかし国民温泉をたんのうしているのではないかと思います。といっても忙しくて行っている間がないかもしれませんが。
おじさんちの近所の人んちからも、近いです。
おすすめです。
>ぜひ、冊子にしたいですね。顕教に入ったら、同時に、しかるべき行動と建白書は必須です。
よろしくお願いいたします。
将来的にホームページの1ページにする予定のものを書き始めました。
断片的にここへ掲載いたします。
言語的磁場のことを考え出して、二年ほどになるだろうか。
磁場の作用をなぜ人々ははっきりと見ようとしないのだろうかと思ってきた。
人間の子供が言語を獲得する能力として生まれてくるという謎は今は謎のままに置いておくしかない。そんな能力を持った生き物がなぜいるのかという謎はついに解けない。なにはともあれ、人間の子供は言語を獲得する能力として生まれてきて、その能力を使うと言うことができるだけだ。この時、その能力を活性化し、その能力と交流するものを名付けて「磁場」と呼ぶことができる。人間は、言語の磁場の中に生まれてくると言ってもいい。
ネイティヴ言語の獲得にとって、言語の磁場の有無は決定的である。狼に育てられた人間の幼児は、人間の言語を持つことがなかった。育てられる過程に言語の磁場がなかったからである。磁場がなかったら、ネイティヴ言語は決して育たない。ここが語学とネイティヴ言語が決定的に違うところである。
語学の過程を、ネイティヴ言語の獲得過程と同一視しようとする論をしばしば目にするが、語学とネイティヴ言語獲得の間にはよく似た現象がいくらあっても、その本質がまるで違う。
ネイティヴ言語の獲得には、磁場が無意識に直接働きかける作用が働く。これは言語を獲得している者にとって、なまの情動を伴うものである。
なまの情動。これこそが無意識と連動しているものだ。言語を無意識まで沈めるものだ。
これに対して、語学はあくまで架空のものである。仮の感情であり、からっぽの実用だ。
語学は、ひとまずはとことん架空の仮のからっぽのものだ。
語学とは意識的に無意識を作る作業であり、無意識的に意識が形成されるネイティヴ言語の獲得過程に対して逆立ちした領域である。
語学をもっとも厳密に定義してみれば次のようになるだろう。
「当該の言語の磁場を欠いた場所で行う意識の意識的な激化」
これが本来の語学の姿である。磁場を欠いてなされる行為こそが語学なのだ。「当該の言語の磁場を欠いた場所」とは、個室のようなところ、あるいは、個人の机の上のような場所だ。あるいは、もっと厳密に限定するなら、具体的な人間との交流を「欠いた」個人の意識である。貫く性質は、「一人の場所」というものである。
たとえアメリカに住んでいても、英語を語学とするならば、その場所は個室、個人の机の上、具体的な人との交流を欠いた個人の意識がその場所になる。この「語学の場所」で作ったイメージは、そこを離れて、人々と交わることで、すぐに英語の磁場に迎えとられ、生彩を帯びる。しかし、厳密な意味では、人々との交流はすでに語学ではない。それは、すでに生活過程であるからだ。
アメリカ(などの英語圏)に住みながら英語を語学とするならば、それがもっとも語学に有利な場所であるということは明らかだ。語学という孤独な行為を、磁場が取り囲み、語学の場を離れた直後から、その意識を磁場が支えてくれる。語学と生活過程の間にうまくへその緒がつながるのである。しかし、その場所がいくら語学にとって有利であろうとも、その場所で獲得された語学のスキルそのものは、語学としては亜種である。
語学の本質をスキルだと思わない方がいい。それは、結果だけしか見ないものの見方である。スキルだけを見ていては、語学そのものをとらえることはできないだろう。
イメージの鍛え込みを外してしまえば、語学論は成立しないだろう。
厳しい冬のような語学。それが日本人が日本にいて英語をやる場合の語学だ。不利といえば不利な条件が揃っている。しかし、これがもっとも純粋な語学の姿だ。もっとも純粋な語学を成立させられる場所にいながら、人々は語学を英語病に変えてしまい、語学としてすっきりと洗い出すことをしない。かくして、もっとも純粋な語学を成立させられる場所にいながら、やたらにみつかるのは語学まがいばかりということになる。英会話学校の繁盛とは語学まがいの繁盛だと言えばいい。
語学の場所とは「一人の場所」だから、英会話学校であろうと、文部科学省管轄下の学校であろうと、教室という場所は本当は語学の場所ではない。
語学には本当は先生というものは要らない。あったほうがいいものはコーチというものであって、先生ではない。初心者の「音づくり」の場面では、絶対にコーチはいたほうがいい。先生は要らない。
語学を微分していくと、「イメージする」という端的な行為にぶつかる。これは、知識的に教えて扱える領域ではない。イメージの存在は、一人の人間の意識においてその当人にだけ明らかになるものであり、教室という場であろうと、生活という場であろうと、あらゆる社会的な広がりのなかでは点として閉じられている。
社会的には非存在に等しいものであろうとも、当人の意識に明らかに存在するもの、それがイメージである。
だから、イメージの存否を知るためには、「訳」というものを使う以外にない。そして、生徒にあてて訳させるという日本の英語の教室に蔓延した授業方法がある。イメージの存否を確認するためには、「訳」を使う以外にないのは確かだが、生徒に訳させてこと足れりとする「訳」の扱い方は間違い続けてきただけの話である。
いるのは要らない先生ばかりである。コーチがまるでいないのだ。
必要なのは先生ではない。語学論を備えた腕のいいコーチだ。
イメージそのものは、イメージしている当人にしかわからない。また、イメージを成り立たせるのは、端的にイメージするという意識の具体的な力の行使以外のものではない。
「イメージそのもの」を扱える場所は、一人の人間が自分に対する場所だけである。
教室では、(あるべき)イメージをたどらせることはできても、イメージそのものを扱うことはできない。
ある程度力をつけた生徒に対して、長大な文を覚えさせ発表させるというような課題は有効である。20語程度までの文なら、ただ音の連続として覚えてしまうことはできるが、100語を越える複数の文からなる論述やストーリーを覚えようとすれば、イメージをたどることを避けられなくなる。そして、この長大な論述やストーリーを覚える場所は、決して、教室のような場所ではないだろう。それは、個室、机の上、個の意識においてであるだろう。そこに語学の領野が広がる。そこが語学の場所だ。
「英文語数別分類」についてですが、あれは、みんなで作ってみんなで使うというものにしようと思っています。
「音づくり日誌」を楽しみにしています。
今度、輸出・輸入関係の参考書をみせて下さい。
おひさしぶりです。
今日は、国民温泉へ行きそびれた。
国民温泉は常連が多いのだが、あの人たちの話を湯につかって聞いているのが楽しみのひとつ。
>将来的にホームページの1ページにする予定のものを書き始めました。
断片的にここへ掲載いたします。
まとまりましたら、同人社で掲載させてください。
あわせて、文教関連への委員全員への配布、及び、根石様の見解を示す場、は
こころある主務官庁三役のどなたかと担当責任者への説明の場は用意してみたいと考えます。
>将来的にホームページの1ページにする予定のものを書き始めました。
断片的にここへ掲載いたします。
まとまりましたら、同人社で掲載させてください。
あわせて、文教関連への委員全員への配布、及び、根石様の見解を示す場、は
(こころある主務官庁三役のどなたかと担当責任者への説明の場は)
用意してみたいと考えます。
うちにあるのは企業との取り引きのものだったりとか、
あとわけわかんない分厚い本だとか
で、おじさんの要望に合ったものとなると現地の人との取り引きのようなことですよね?
それが1番安いのですが、さらにもっと言えば友人知人を介す方法がもっと安いかもしれません。
それに関しての資料は無いですね。。。
たぶん、1番安い方法だと(ここのところ聞いた話も総合すると)
<輸入>
・まず現地での仕入れやを確保。(友人知人が安い。 専門家は高いと思います)
・カタログや情報を収集。(ホームページが1番手っ取り早い。 おじさんは英語できるから強いですよ)
・仕入れの発注。 仕入れやに日本に送るよう手配。
・小さいものなら船便、航空便、業者で運べます。 業者の場合は支払い時に関税がかかる。
・大きいものの場合、関税も含めての運送屋が居るようです。(東京とか横浜などに)
安いところを探すと良いかと思われます。
・支払いは先払いかクレジットなど。 八十二は篠の井、長野銀行は屋代で、しんきんは本店で
海外に振り込み手続きを取ってくれるそうです。
ホームページからの発注も十分可能だったりします。 そしたら仕入れ人は要らないわけで。。
<輸出>
わかりません。
うちにあるのは、企業と企業間のものしか無いので、参考となるものは見当たりません。
時々、しんきんでは「個人輸入セミナー」が無料でしかもお茶付き&資料付きですから
そちらのほうに参加されてみてください。
詳しいことは判りかねますので、しんきん本店に問い合わせてみてください。
ジェトロ個人輸入のページがありました。 しんきんでもだいたいこのぐらいの説明と印刷物なのかもしれません。(といいますのは、しんきんの方でジェトロアドバイザーの資格を取った方がいらして、ジェトロに出向いて記事を書かれることがあるからですが)
もうこのぐらいしかわかりません。
ありがとうございます。
その時はよろしくお願いいたします。
なかなか店を作る段取りにならないから、実際にやるのは先のことなんだが、何をどうするのか
の最初のとっかかりくらい知っておかないといけないなあとは思っているのです。
どうやら、しんきんがその方面に力を入れているということらしいですね。
これを知っただけでも収穫です。
まあ、娑婆が私の英語の方法をまともに遇してくれて、おまんまの心配をしなくていいなら、雑
貨屋なんかやることを考える必要もないのですが、英語の語学論はやたらにくたびれるだけみた
いな気がしてもいます。語学論は金にはならんし。
以下の3つにしばらく限定して、考えていこうと思っています。
・磁場の不在
・シンタックスの内在化
・イメージの逆輸入
これらは、日本在住英語(在日英語)を言い当てるための語です。
「音づくり」などの重要なタームが別にありますが、これは練習の必須項目を成すものであり、
日本在住英語を表す語というわけではありません。
こんなサイトがありました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
公文の英語には驚きました。
<K教室>では、
公文でG〜というテキストを使って英語を学習している子どもが春期講習を受けに来た。
テキストの内容は中3だが、be動詞の意味も知らず、なおかつ過去形の 〜ed の発音
が無声音の後では[t]になることも知らない。よく聞くと先生自身が知らないので、
watched (ウォッチト[t])なのに何年もの間(ウォッチド[d])と言われ続けてきたそうだ。
ひどい話はよく聞く。いいのはテキストの本文だけ。設問も解説もまるでダメですね。
<H教室>でも、同様のことがあった、この子は公文の成績優秀者にもよく顔を出す
子どです。やはりG〜の英語を終わらせていたが、英語は単語の訳を頼りにいい加減
な訳ができるだけで全く英語を理解してはいなかった。つまり、英語力ではなく、
その子が元々持っていた国語(日本語)の力で推測して訳していただけなのだ。
それなのに、公文の先生からは「できるから」と中3の教科書と高校入試用の
文法問題集を与えられていた。当然のことながら、全くダメ。即座に公文を辞めさせて
0から英語を教えている。理解力はあるので回復は驚異的に速い。このまま公文に
行っていたら潰されていただろう。算数・数学にも同じ事が言えるようだ。
(〜考える力を育てる「どんぐり倶楽部」のホームページ〜)
http://homepage.mac.com/donguriclub/comment.html
種々、整備の重要性を痛感いたします。
*今日はGW下のお休みです。赤坂でシークカバブ、タンドリーチキン、とマトンマサラ
インドカレーを食べます。
>「英文語数別分類」についてですが、あれは、みんなで作ってみんなで使うというものにしようと思っています。
著作権を見逃していただいてありがとうございます。
ことわざが載っているのは学研の「スーパーアンカー英和辞典」です。
>なかなか店を作る段取りにならないから、実際にやるのは先のことなんだが、何をどうす
拝見してなんかよくわかりました。。。
おじさんも私と同じようなものだったわけですか。。。。(失礼な発言でしたらごめんなさい)
>どうやら、しんきんがその方面に力を入れているということらしいですね。
>これを知っただけでも収穫です。
よかったです。 ここでお名前を挙げることはできませんが、うちの会社がその昔輸入を
していたころからお世話になっていた方です。
ジェトロの公認アドバイザーは長野県でも2名ぐらいしか居ないほどの難しいものみたいです。
>まあ、娑婆が私の英語の方法をまともに遇してくれて、おまんまの心配をしなくていいなら、雑
>貨屋なんかやることを考える必要もないのですが、英語の語学論はやたらにくたびれるだ>けみた
>いな気がしてもいます。語学論は金にはならんし。
まぁ、素敵な奥様をなんという表現で。。。
でもなんかすごく共感しちゃいますね、、 一般向けじゃないですものね。。。
現に私もわからないし、学者同士で競っているようなものですし、
かといって頭脳労働で頭疲れる割にお金にならない。。。
おじさんぐらいの英語仙人(風貌もかも)だったら、論文書いて、どこかの大学で教べんできるんじゃないかしら???(素人目で物を言ってますが。。。)
けっこう、面白いかも。 なんか個性がかなり強いし、あれ今、田嶋陽子さんとか連想しちゃったぞ。 法政とかは公募してると思った。
東大だったら、おじさんの才能開花しそう。 東大生ってのは、自分で調べて興味を持った人にコンタクトとるんですって。 (なんかまた突かれそうな内容書いてしまったかも)
なんかいろいろ墓穴掘ってるみたいなので一旦ここまでにしときます。
でもおじさんは埋もらせたら、もったいないです。
怒ってばかりで困るけど、良い面もたくさん持ってる憎めない面白い人です。
あ、たぶんね、更埴でも、そんな感じじゃないのかなぁ?
特に。。。誰もどうとかって思ってるわけじゃなくて。。
むしろね、嫌がられてるのは、もっと公の議員さんとかのほうだと思います。
(以下削除)
・磁場の不在
・シンタックスの内在化
・イメージの逆輸入
>これらは、「日本在住英語(在日英語)」を言い当てるための語です。
「音づくり」などの重要なタームが別にありますが、これは「練習の必須項目」を「成すもの」であり、「日本在住英語」を表す語というわけではありません。
今月は「磁場と個」、以来、どんどん書き込みをキープしはじめています。
Exinport、殿様商法に終りそうな話題が飛び交っていて冷や冷やします。
”娑婆”はあんまり甘くないようです(バコツ)。
この続編、ゾクゾクしながら待っております(ゾクッ)
>イメージ
以前ちょっとここに書きましたが、私の母は日系2世です。
といっても、日本に来たのが子どもの頃だったので、今では英語での会話は出来ません。
でも、相手が英語でしゃべっている内容は、今でもわかると言うんですね。
これ、ずうっと不思議な感じがしてたんですが、そういうことだったのか、と考えると何となく納得がいくんです。
イメージって、ふだん使わなくてもあんまり風化しないものなのでしょうか?
>生徒にあてて訳させるという日本の英語の教室に蔓延した授業方法
こんなつまんない授業、最初に考え出したヤツはだれだ〜!って思います。
私、学校で習う英語ほどつまらないものはありませんでした。
これからの楽しみに拝読させて頂きます。
では♪
娑婆と婆々を混同するな。
俺の女房に言いつけるぞ。
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------
<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.12
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.?
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.12
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.30
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
<クラス五>なし
<クラス十>なし
<クラス十五>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.21
<クラス十十>
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.66
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.60
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.52
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集開始予定
<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「ゴースト」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.75
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26
<クラス十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集199
<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.12
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.?
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.12
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.30
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
初回は誤植が多いですが、今後、「電話でレッスン」をやった後に、生徒さんの進展をご報告いた
します。
初回の今回は間違いがあっても見逃して下さい。寝不足でもうろうとして作りました。
次回のご報告は月曜日、って今日か。
人生は忙しい。
寝ます。
酒が入っておりますうえ、もうろうとしています。
明日、書きます。
>娑婆と婆々を混同するな。
まったくです。 じつは、「老婆」と間違えておりました。
私も反省の意を込めてしばらくおとなしくしております。。。。
おばさんにもごめんなさい、、、、、
時々大風呂敷を眺めていたけど、どうやらこれは英会話上達法というより語学論だったのですね。
どうも・・・論ってヤツは苦手なんだけど、英語の磁場とかイメージとかのところで、根石さんが妙に的確に根石語を作るあたり、「こいつ天才!」って思って、つい文章嫌いのワタシがキーボードを叩くはめになってしまった。
しょうがない。前のページに戻って「磁場と個」を読み直した(どうも言葉が身に付いていかない)。
日本で英語を学ぶって磁場がないのか。これって、数学や物理などの実際に使わないことを理論立てて学ぶのと同じように思える。でも違うか。ひとつの真実がある学問と、同じ状況をいろいろに表現できる語学とでは。
すみません。肉体労働をして足が痛いので、ただいまより布団にへたばります。
はじめまして。
>時々大風呂敷を眺めていたけど、どうやらこれは
英会話上達法というより語学論だったのですね。
そうです。「英会話」の元にも「語学論」が必要だと考えています。
それがないから、役にもたたないエイカイワガッコウが繁盛しているのだとも思っています。つまり、まともな語学論が日本に育たないから、幻想にだまされる人々が後をたたないのだと思っています。
「会話」というとらえかたが嫌いなためだと思いますが、「英会話」というとらえかたも嫌いで、私は時流に合いません。
「会話」能力というのは、日本語であろうと英語であろうと、気さくであるとか、そつがないとか、おしゃべり自体を楽しめるとか、そういう能力だと考えています。私はその能力が不足しており、日本語でもじきにべらんめえになり、「なにいってやんで、あほくせえ」などと言い出しますので、そこで「会話」が凍ったりします。
日本語でのおしゃべりが好きな人は、「英会話」の素質があると思います。この場合、「会話」の能力はすでにあるわけですから、それに組み合わせるべきものは、英語力自体です。必要なのは「英会話」ではなく英語力、と思います。
おしゃべりが好きな人はおしゃべりをすればいい。しかし、必要なものは、「英会話上達法」というようなものではなく、単に英語力だろうと思っています。
「英会話」をやるかやらないかは各自勝手に決めればいいことで、私自身は今後も「英会話」などをやる予定はありません。英語力自体を鍛えるということは続ける予定ですし、英語力というものが幹だと思っています。「英会話」は日本独特の幻想の一つで、もしも英語力から生える枝だとしても、奇形の枝だと思います。
「会話」能力が不足する私のような者にはとうてい向かないものだと思っていますから、私は単に英語でしゃべるだけです。「会話」なんかしたいと思わない。
>英語の磁場とかイメージとかのところで、根石さんが妙に的確に根石語を作るあたり、「こいつ天才!」って思って、つい文章嫌いのワタシがキーボードを叩くはめになってしまった。
ようやく、私の造語の意図を汲み取っていただける方が登場してくださったかと思っています。英語が作る磁場がない場所で作る英語力は、語学論を備えなければならないのではないでしょうか。そうでなければ、自分のごつごつ英語が何に根拠があるのかを言明できないし、これが言明できなければ、妙な劣等感から出ることもできないはずだと考え続けてきました。英語フリークの英語好きというのは、裏返せば劣等感なのかもしれないのです。英語フリークが駄目なのは、「英会話」などの幻想に頭をやられてしまって、語学論を持とうとしないところです。
>日本で英語を学ぶって磁場がないのか。これって、数学や物理などの実際に使わないことを理論立てて学ぶのと同じように思える。でも違うか。ひとつの真実がある学問と、同じ状況をいろいろに表現できる語学とでは。
例えば、イメージの探求という面に関して、語学が「机上」で行われている場面では、ひとまずは「生活(実用)」から切れています。しかし、語学が他の学問と違うところは、「机上」から「生活」に渡る方向に常時開かれていることです。その逆、「生活」から「机上」に帰る方向にも常時開かれています。数学はその抽象性の清潔さのおかげで、抽象の高みから生活に直接に戻る経路が閉ざされてしまうのが大きな違いでしょうか。
生活に「渡る」こと、生活から「帰る」こと。この二つの行為をも私は語学に含めてしまっています。「渡る」ことをして、生活過程に入ってしまえば、そこでの言語はすでに生活言語であり語学の言語だとは考えませんが、「渡る」という行為自体は語学に含めてしまっていいと思っています。
喩えで言えば、日本を発ってアメリカに着くまでの飛行機の中の時間もまだ語学だということです。アメリカに着いて、人々と交わることはすでに語学ではないと・・・。
めんどうくさがらずに、またキーボードを叩いていただきたくお願いいたします。
>以前ちょっとここに書きましたが、私の母は日系2世です。
といっても、日本に来たのが子どもの頃だったので、今では英語での会話は出来ません。
でも、相手が英語でしゃべっている内容は、今でもわかると言うんですね。
これ、ずうっと不思議な感じがしてたんですが、そういうことだったのか、と考えると何となく納得がいくんです。
イメージって、ふだん使わなくてもあんまり風化しないものなのでしょうか?
英語の磁場のないところで英語をやった人の英語が、ごつごつするがしゃべれる、しかし、英語ネイティヴ同士のしゃべりの速度についていくには非常な困難を覚えるというのと、ちょうど逆の現象ではないかと思いました。
磁場の磁力を浴びて英語を内在化させた(ネイティヴな言語とした)方が、その後、英語の磁場を欠いた場所で暮らし続けた場合にそうなるのだろうと思います。
「風化」というふうに考えた場合に、もっとも「風化」しにくいものは音だろうと思っています。この音の風化しにくい性質がなかったら、イメージは宿る場所を失います。ネイティヴの英語音がお母様の体の中に生きているということだと思いました。また、しゃべりのシンタックスはもっとも急激に「風化」するものだとも思っています。日本語の磁場は、英語のしゃべりのシンタックスを風化させる力がすごいとも思います。
お母様には、英語の音とイメージとが「一致」していた幼児経験が生きているのだと思いますが、この音とイメージが「一致している」がネイティヴな言語の性質です。
日本人が英語をやる場合は、自覚的に(あるいは強引に)イメージと音を「一致させる」という意識的な作業になります。意識にイメージが動けばほぼ同時に音にすることができるようになった状態、あるいは、相手の話の音を聞けばイメージがほぼ同時に生じるようになった状態のことを、私はイメージと音の「同致」と呼んで、ネイティヴ話者の「一致」と区別してきました。
「一致」の場合、音とイメージは最初から関連があります。この関連を個の意識に与えるのが磁場です。音とイメージの関連を最初から備えて人々が話している場所に赤ん坊の意識は置かれます。音とイメージの関連を、関連しているそのままの状態で赤ん坊は内在化していきます。音とイメージが最初から関連しているので、音もイメージもまるごとで「一つ」のものとなり、「一致」がもたらされます。
「同致」の場合は、まるで事情が違います。相互にばらばらであるというより、そもそも存在していないイメージを強引に意識に生じさせ、音やつづりに宿らせるような作業になります。かなり強引に荒削りのままにこの作業を行い、徐々にイメージの核を洗い出すような作業です。磁場から切れた個の意識で、これらの作業のすべてが行われます。別々のものであったものを、なんとか「同じ場所に重ねる」ような作業によって得られるものであるから、「同致」という語で表そうとしてきました。「同致」は私の造語です。
話に枝が生えたうえ、しちめんどうな話になってしまって恐縮です。
またご登場ください。
娑婆はあんまり甘くなく、時間がとれず、難渋していますが、近々、「イメージの逆輸入」について書いてみたいと思っています。
英単語を眺めている一人の日本人の意識に生じるイメージというものを思い描いています。このとき、生じたイメージとその英単語とは、実はまだばらばらである。これを「同致」に持ち込むには、國弘さんの「只管朗読」とか「只管筆写」、あるいは、私の「回転読み」とか「回転書き」というような身体化を通さないと、イメージと単語は「同致」しない。練習者の意識に則せばそうなると思います。
その意識の動態を一歩離れて考えると、いったん生じたイメージというものは、英語でもなければ日本語でもないというのが私の言いたいことの眼目です。
イメージはイメージであり、すでに具体的な単語ではない。だから、具体的な言語でもない。
英語でなければうまく言えないイメージというものがあり、日本語でなければ言い表せないイメージというものがある。また、英語にも日本語にもなれるイメージというものもある。いずれにせよ、イメージはイメージであり、具体的な言語ではない。イメージは具体的な言語から喚起されたり、具体的な言語を動かすことはあるが、イメージは言語そのものではなく、生きた人間の中に生きて動く不定の動態そのものである。
「逆輸入」というのは、英語でのコミュニケーションという妄説が跋扈している現状を撃つための考えです。英語まわりの人間どもの中には、この妄説をまぬかれている人は非常に少数です。しかし、語学がコミュニケーションに奉仕しなければならないというような考えはいくら労多くして実り少なくても、はっきりと撃つ必要があります。これは、語学というからっぽを生きる作業に対して実に失礼なイデオロギーだからです。からっぽを身上とする語学を、この妄説の垂れ流しの時流から救い出したいと考えています。
「逆輸入」とは、ひとまずは英語から日本語へのイメージの逆輸入ともとらえることができますが、本当は、英語にも日本語にも限定されない、個の言語能力への逆輸入だととらえています。
このあたりのことを書いてみたいのですが、娑婆はやはり甘くなく、なかなか時間がとれません。
>むしろね、嫌がられてるのは、もっと公の議員さんとかのほうだと思います。
Kぼんがこう書いたのは、多分、以下の記事を念頭に置いたものと思われます。
お読み下さい。
公文は私は昔から嫌いです。
あれは、子供の頭をロボットにすることがうまいだけです。
考える力を奪う方式だと思います。
根石吉久様
1、>いったん生じたイメージというものは、英語でもなければ日本語でもない
というのが私の言いたいことの眼目です。
ここでいうイメージとは、equus(ラテン語 馬)といおうがhorseといおうが、英語でもラテン語でもない「馬」、そのもののイメージ、が無い限り意味をなさない。(言語学= ソシュールだが言ったのだったように思いますがか、忘れました)ということを言っておられる、と、解してよろしいですか?
2、>公文は私は昔から嫌いです。
あれは、子供の頭をロボットにすることがうまいだけです。
考える力を奪う方式だと思います。
多くの親も、本省の心ある人間もにも「覚醒」的なご意見です。
これも、しっかり、まとめて、世にぶつけてみたい、部位だと感じます。
2、「逆輸入」というのは、「英語でのコミュニケーション」という「妄説」が跋扈している現状を撃つための考えです。英語まわりの人間どもの中には、この妄説をまぬかれている人は非常に少数です。しかし、語学がコミュニケーションに奉仕しなければならないというような考えはいくら労多くして実り少なくても、はっきりと撃つ必要があります。これは、語学というからっぽを生きる作業に対して実に失礼なイデオロギーだからです。からっぽを身上とする語学を、この妄説の垂れ流しの時流から救い出したいと考えています。
「逆輸入」とは、ひとまずは英語から日本語へのイメージの逆輸入ともとらえることができますが、本当は、英語にも日本語にも限定されない、個の言語能力への逆輸入だととらえています
これは非常に難解です。さっぱりわからないんです。「学問するためにあるのか、言語学であって言語ではない、英語学であって英語ではない ツールではない、などと読めてしまいます。
この解明、しっかり読み進んでいきたい、
このスタンスをはじめにしっかり打ち出すことによって、これを必要とする客層は違ってくる、と感じます。
母国語が存在し、これで基本的なイメージが確立してから、外国語を学ぶ時、いくら言われても「空っぽ」になることは、極めて至難、か、と思います。
英語にあって日本にないものは、知らないものは知らない(のですから成立はすると思いますがティータイムにスコーンを食べますか?と聞かれてスコーンってな〜に?、といった、場合=こういう環境=異文化=知らないからもともと空っぽなわけで、これは隙間として成り立つと思いますが)。
空っぽを埋めていく作業において、
空っぽのタームも類推でしか、分かりませんので、楽しみです。
語学・からっぽ論、近々書いてみたいと思います。
これは、語学で扱うあらゆる文は、現実の切実な状況で使われている生な文ではないということ
を根拠にしています。生な状況から切れており、状況があるとすれば、すべてが想像的なもので
あるということです。すべては仮のものであり、生な状況を生きる文ではない。語学とは、まさ
にこの死物を扱う行為だということです。
>語学とは、まさにこの死物を扱う行為だということです。
死物とは これまた挑発的な!
検死官のようですネ。ここから更に続く展開に
興味をそそられ 期待いっぱい、と言った感を覚えます(意外性、という意味で) 。
-----------<<電話でレッスン・進展>>-----------------
<中学教科書音読クラス>
中野・K(中2) ニューホライズン2年 p.32
中野・H(中2) ニューホライズン2年 p.?
名古屋・K塾(主婦) ニューホライズン2年 p.17
中野・S(中2) ニューホライズン2年 p.
山口・S(小6) ニューホライズン(旧版)1年 p.30
東京・M(中2) プログレス1年 P.190
<クラス五>なし
<クラス十>なし
<クラス十五>
東京・nishiazabu ゴースト(一冊目)p.21
<クラス十十>
長野・B 七年目の浮気(二冊目)p.13
奈良・Xeno ミッドナイトラン(二冊目)P.8 (「スピード」終了)
長野・Akka ミッションインポシブル(一冊目)p.96
更埴・いくこ 七年目の浮気(一冊目)p.66
札幌・OKADA ゴースト(一冊目)p.60
須坂・ねこむすめ ノッティングヒルの恋人(一冊目) p.52
山梨・shimatani 逃亡者(一冊目)p.16
<一時間枠・十十>
山口・S(高1・一時間枠) 基礎問題集開始予定
<クラス十十五>
戸倉・K 逃亡者(二冊目) p.26 (「E.T」終了)
福岡・もっこり ゴースト(一冊目) p.77
埼玉・O ボティ・ガード(一冊目)p.53
京都・sb ゴースト(一冊目) p.53
更埴・N E.T(一冊目) p.26
<クラス十十十>なし
<一時間枠・十十十>
名古屋・K(高2・一時間枠) 基礎問題集199
>ここでいうイメージとは、equus(ラテン語 馬)といおうが
horseといおうが、英語でもラテン語でもない「馬」、そのもの
のイメージ、が無い限り意味をなさない。(言語学= ソシュー
ルだが言ったのだったように思いますがか、忘れました)という
ことを言っておられる、と、解してよろしいですか?
そうです。「馬そのもの」のことです。この「そのもの」は、horse にも化けるし、equus にも化けるし、日本語の馬にも化ける。horse、equus、馬のそれぞれを貫いて共通するが、いかなる言語にも属さないもの。
あるいは、horse、equus、馬 のどの語も、その「そのもの」を喚起しうるので、言語以後のものでありながら、いったんそれが立ち上がってしまえば、horse、equus、馬 のいずれにも化けて出るので、言語以前のものでもあります。
言語以後、言語以前を貫くものがイメージだという考えです。
去年今年貫く棒の如きもの
誰の俳句でしたっけ?
ソシュールのことは私はわかりません。
私の語学論は、自分の語学という動態から抽出したものですので、既存の学問をふまえておりません。
>Kぼんがこう書いたのは、多分、以下の記事を念頭に置いたものと思われます。
> お読み下さい。
そんなことないです、、、 念頭に置いてないです、、、
別件で色々思ったことがあったんですよ。。。
こちらに来て日の浅い自分に起きた出来事があって、
こんな感じだと、、、古くから居る人たちにとっては、特に新幹線誘致に関しては
利害関係もすごくあると思うし。。。それはできたら便利ですよ。 でも戸倉はもっとさびれちゃう。 そのことで立候補した人たちの間にこれに関する発言が無かったわけで。。。
でも。。。更埴みたいな小さなところは、誰でも立候補しているうちにだんだんと同情票でみんなが入れてくれることも聞いたことがあったから、小さなサークルなんだと思った。 そのぐらいの認識しかないですね。。。。
それだったら気にならないですよ。
>でも戸倉はもっとさびれちゃう
そんなことはないですね、、、失礼しました、、、
>このスタンスをはじめにしっかり打ち出すことによって、これ
を必要とする客層は違ってくる、と感じます。
確かにおっしゃる通りで、言語学とかに興味のある方の方が私の言っていることをつかんでくれるかもしれないとは思います。
しかし、本当は、英語でも何でもいいですが、日本で語学をやっているすべての人にわかってもらいたいことです。これがわかってもらえないので、人々は相変わらずエーカイワガッコウに無駄な金を払っているのです。あるいは何年もNHKの番組を聞き続けて、同じところをぐるぐる回っている人がたくさんいるのです。
既存の学問の成果を踏まえて、その学問領域でものを言うことをせず、耳慣れない「語学論」などを言い出しているのは、本当は語学をやっている人にはどなたにも踏まえて欲しいと願っているためです。学問として成仏したくないのです。
生きた英語とか、生きた表現とか、みんな嘘なのです。生の磁場がない場所では、あらゆる英語の文が複製物であり、レプリカです。
語学は、ひたすら死物を扱い、死物を徹底的に死なせることで生き返らせる行為だと考えています。これは、生な英語の磁場で英語を身につけた人には、およそうかがい知れない激烈な行為です。
死にはさらに激烈な死を与えよ。そこにイメージが立ち上がる。これは、異言語相互を貫いて生きるであろう。
言葉には道具としての一面がありますので、語学の成果を実用とすることに不服はありませんが、語学が実用のためのものであるという「規定」が生じたなら、これにはとことん逆らうつもりでおります。そんなはずはない。外国語の実用とは、語学から生える一本の枝にすぎない。語学には語学の天地がある。それは、イメージが火花を散らす王国なのだ。イメージによるイメージのためのイメージ。語学とはイメージの王国なのです。
そこから、実用という枝が生えたってかまわないが、実用が目的化されたときは、語学をおとしめるイデオロギーとして、語学を生きる者は牙をむくということです。
Ton 様が以前、素読は素養のためのものなのだとおっしゃったこととそれほど違わないことを言っているつもりなのですが。
何をあせっているのかわからんのだが、今度よく聞かせてくれ。
あの記事が念頭になかったのに、なんで議員が俺を嫌うの?
戸倉はもっとさびれちゃう。なるほど。そういうふうにちゃんと頭が動くのだな。
俺は、そういう方面はまるきし駄目。
現在「ボディガード」で電話でレッスンをうけている埼玉のOです。
今年の1月から始めたのですが、最近復習範囲が10・15ページ(合計25ページ)
になり、すこし大変になりました。
しかし、練習時間は以前とあまり変わらず、レッスンの直前に
30〜40分程度(余裕のあるときは前日にも20分程度)です。
ただ、以前と比べると、最近は復習の範囲を練習するのにあまり
苦労しなくなってきました。
別の言い方をすると、復習範囲は増えているのに、テストにかかる時間は
あまり変わらないのです。
それが慣れなのか、同じところを何回も繰り返しているからなのか
自分ではよく分かりませんが、そんな現状です。
ただ個人的には、テストでつっかえるところがまだまだたくさんあるので、
復習範囲の練習をさぼらずにやっていきたいと思っています。
別のことで言うと、テストの時に文章を(文法の)構造としてつかんで
言うことは何とかできていると思うのですが、それと意味がうまく
結びつかない、というところが現在の悩みといえば悩みです。
多分まだまだ練習の量が足りないのだと思うのですが、どうなんでしょうか?
何をあせっているのかわからんのだが、今度よく聞かせてくれ。
あの記事が念頭になかったのに、なんで議員が俺を嫌うの?
戸倉はもっとさびれちゃう。なるほど。そういうふうにちゃんと頭が動くのだな。
俺は、そういう方面はまるきし駄目。
ご報告ありがとうございます。
私は、アサヒスーパードライの缶ビールが3本目になると、いよいよいけなくなるので、今日は
お礼だけ申し述べて、あらゆるすべてを明日以降に持ち越します。
なにはともあれありがとうございました。
>あの記事が念頭になかったのに、なんで議員が俺を嫌うの?
え???????
なんか話しを混乱させてしまったみたい。 ごめんなさい。
おじさんがなんかわからないけど、自分は更埴からつまはじきにされてると被害妄想に走って居たのをたびたび見て居た、ってのは前提にあって、最初のことを書いたんです。
その意味ではそれが前提でした。
でも、一般市民の私達からすると、「おじさんは被害妄想だよ。 だれも一市民の特定の誰かを嫌うなんてことないよ。 むしろ公の人たちの言動に問題あるんじゃないの?」
と思ってるんですよ。
選挙依頼に来たある議員さんは、「ゴミをあさって片付けにくるから」といって来ないでいて今日まで至っており、そのときもいい加減な感じがしたし当てにはしてなかったけど、
議員さんになってから新聞紙面に交通安全かなにかで表賞されているのを見て何か違和感を覚えました。
更埴市議員はサークル活動だと思えば何か全部納得できてしまうからいいです。
田中知事さんはなんだかんだとよく頑張っていると思うので、緊急なことがあれば
そちらに直接問い合わせてもいいわけだし。 そのための1F知事室なんでしょ???
あーちっとも自粛してない。。 すみません、、、またトンチンカンなことしそうだわ、、、、
>私は、アサヒスーパードライの缶ビールが3本目になると、いよいよいけなくなるので、今日は
お礼だけ申し述べて、あらゆるすべてを明日以降に持ち越します。
ちなみにその缶はロング缶ですよね。
では、明日また改めてまいります♪
ローソンで漫画雑誌を物色していたら、「月刊PLAYBOY」の表紙が目に入りました。
対論 辺見 庸×ノーム・チョムスキー「根源的な反戦・平和を語る」
対談見出し
闘争なくして言論の自由はない/知識人は闘わなかった/脅し?大したことはない/
ブッシュは「枢軸」の意味を知らない/日本の知識人は天皇を告発したか/最大の危
険は宇宙の軍事化だ/すでに核兵器なみの兵器を使用/チョムスキー証言を日本が妨
害/中央アジアでグレートゲーム再現/数百万人の餓死を推定して空爆/米英はアフ
ガンに賠償を支払え/日本よ、対米批判の前に自らの像を鏡に見よ
レジのお姉さんに心の中で言い訳しながら、即刻入手しました。これから読みます。
俺は仕事場にしていた場所を二度追われている。
塾みたいな場所を必要とする仕事が場所を追われることが何を意味するかわからんわけだ。
俺は、「電話でレッスン」で生き延びているが、これは「電話でレッスン」の方へ追われたのだ
とも俺は思っているよ。
イメージに関する部分。
凡そ理解できました。
余談部分
>去年今年貫く棒の如きもの
こぞ ことし つらぬく ぼうの ごときもの
高浜虚子です。
スタンス部分
承りました。もう少し、咀嚼と、お書きになるものを追ってまいります。
>一般市民の私達
「一般市民の私達」っていうのは、英会話学校へ大金をくれてやり、素読舎を枯らしていくあん
たたちのことだろう?なあにが一般市民。そんな実態のねえくらげみたいなものに依るわけには
いかない。俺が信頼するのは、ものが見える一人の人間というものだけだ。
更埴市議会がサークル活動だなんてとんでもねえぞ。
私腹を肥やして、噂では毎回名前が出るけど、悪知恵が働くので、証拠をつかませねえって野郎
がちゃんといるんだよ。
今工事だらけで、不便きわまりないが、この下水道工事だって、これまでの家庭用合併浄化槽と
技術レベルは同じなんだそうだ。家庭用合併浄化槽のばかでかいやつを、下水の下流に作るだけ
のことだそうだ。それでどれだけの金が動くのか知らないし、市議会レベルのことなのか県議会
レベルのことなのかも知らないけど、議員どもと土建屋の結託で、各家庭から100万から15
0万の金をまきあげているのだ。一戸から100万からの金だぞ。
どういうサークル活動なんだ?
先日、妻と話していて、埼玉のOさんのことが話題になりました。Oさんは妻の生徒さんで、毎回のテストを軽々とパスするというのは以前から聞いていました。現在、Oさんは、<クラス十十五>のレベルで練習をされています。これは皆さんご存知のように、復習範囲のテストで出す一つの文を一問と数えて、10問+10問+5問の意味です。
先日の妻との話では、Oさんが<十十五>になってもテストを軽くクリアしてしまうというので、私がびっくりしました。妻がOさんに聞いた話によると、<十十五>になると、同じ範囲が繰り返し繰り返しテストされるようになるので、「こなれ」が生じ、<十十>でやるよりかえって楽だということでした。
現在、<十十五>レベルで苦しんでおられる生徒さんが何人かおられるので、このつらいところを抜けると、「かえって楽になる」というOさんの経験を、Oさん自身に掲示板に書いてもらえないか頼んでくれと妻に言っておきました。
その話が伝わり、Oさんが昨日書いて下さったものと思います。
----------------------------------------------------
Oさん
ただ、以前と比べると、最近は復習の範囲を練習するのにあまり
苦労しなくなってきました。
別の言い方をすると、復習範囲は増えているのに、テストにかかる時間は
あまり変わらないのです。
「復習範囲を手放さない」という原理がもたらしているものだと思います。「こなれ」が生じているからに違いないと思っています。
>別のことで言うと、テストの時に文章を(文法の)構造としてつかんで
言うことは何とかできていると思うのですが、それと意味がうまく
結びつかない、というところが現在の悩みといえば悩みです。
多分まだまだ練習の量が足りないのだと思うのですが、どうなんでしょうか?
発音や文の構造に注意が行くと、意味の方に注意が行かなくなります。
発音や文の組立を意識しないでできるレベルになると、意識の全部を意味に注ぐことができます。発音や文の構造への意識と、意味の全体をまるづかみする意識との間には二律背反があります。
Oさんは発音に関しては、ほとんど何の問題もない方でした。
構造(組立)に関して妻に聞いてみましたが、難度を含む文の場合、妻が二度か三度言うとクリアできるということでした。これを、一度か二度でクリアするレベルをめざしてみて下さい。
二度か三度でクリアできるレベルだと、おそらく「組み立てる」という意識がどこかにあるのではないかと推測しています。一度か二度でクリアできるレベルでは、コーチ側の一度か二度の読みによって、(すでに知っている)意味の全体が自分の意識に生じて、文の全体が口から出てくるという順序になります。
「組み立てる」感じではなくなると思います。
このレベルを確保したら、「わざとゆっくりと読む」ということをやってみていただきたいと考えています。つまり、「組み立てる」という意識を捨て、最初から全体を全体として扱い、全体を全体として扱えることがきわめてなめらかになったら、「わざとゆっくり読む」ことによって、「組み立て」を後から確認する練習です。
全体として扱う → 組み立てを意識する → 全体として扱う
という具合にやるのですが、まずは全体として扱うことのレベルをあげてみてください。
試してみていただきたく思います。
不明の点はおたずね下さい。
>
ちなみにその缶はロング缶ですよね。
情けなくも、並サイズです。腹が弱く、これだけで翌日は下痢です。
失礼しました。
外人と話すことは語学ではない、というこの単純なこと一つがなかなか通じないのだ。もしも、外人と話すことを語学にするのであれば、これはその外人に対してきわめて失礼なことをしているのだというあたりまえのこともわからない日本人が多い。生活の場を語学の場にするということは、根底的に失礼きわまりないことなのだが、英語フリークの皆様は頓着しない。こういう人たちは、言葉というものに関して感度が鈍いのだとしか思えない。
生活の場を語学の場とするというのは、大して用もないのに質問するということである。質問して、質問が通じるかどうかを試すために質問する。質問のための質問だ。
質問のための質問のような「からっぽ」が許されるのは、語学の場面だけである。日本にいる外人だって、生活しているのだ。生活の場面を勝手に語学の場面に変えることは、ぶしつけなことである。そして、こういうことをするのは、たいてい語学の場面で、「からっぽ」をきちんと生きるということをしない人たちである。
まあ、相手になる外人にもよる。大して意味もないことでも、なんだかんだ話しているだけで楽しいという人もいるのだから、そういう人は迷惑だとも思わないかもしれない。
しかし、そうじゃないやつもいるのだ。
私の外人の友だちが言っていたことがある。日本人が話しかけてくれば、同じことしか聞かない。「どこの国から来たか」「日本の食べ物は何が好きか」「何歳か」「納豆は食べられるか」などなど。「納豆は好きかと聞くやつに、納豆はどうやって作るんだと聞き返す」とにやにやしてどこかへ行ってしまう。蝿みたいなやつらだ、と。こいつは、日本にいても日本語が上達しないような頑固なやつなので、特別な例かもしれない。日本にいて英語をやることがどれほどの困難を秘めたものかなど、気にもかけていない。どっちもどっちだと言えないこともない。
何が言いたいのか。生活で話す言葉が空っぽであることは許されないが、語学では空っぽが常態なのだということである。
生きた英語、生きた表現などという言い方があるが、片っ端から嘘だと思うのがいいと思う。私はひとまずは言葉をその通りに受け取るので、生きた英語というものは、生きた英語の磁場における英語だとしか考えない。それ以外の英語は、すべて「死んでいる」。単純にそう思っている。
日本で英語を語学とする場合、ほとんどの場合、複製技術によるものを相手にすることになる。本(テキスト)が印刷技術という複製技術によるものであるのは言うまでもないが、他に、映像複製技術(映画など)、音声複製技術(CD教材など)など、要は複製技術が複製したものを相手に語学をやることになる。これは、決して「生きた英語」なんかではない。それどころか、みんな片っ端から「死んだ英語」なのである。
複製技術が生み出すのは、おびただしい死なのだ。本屋さんから、本を一冊買ってくることは、死を一冊買ってくることなのだ。
日本で普通に英語をやることは、死をどう扱うかという技術になる。
複製技術が生み出す死をどう扱うか。つまり、複製技術による死のお弔いであるから、日本で英語をやるということはお葬式をやることである。お別れすることである。何にお別れするのかと言えば、複製技術による死にお別れする。普通のお葬式なら、人が死ぬからお別れするのだが、複製技術による死は最初から死なのだから、こちらが何もしなくてもあらかじめ死んでいる。それが死んでいるからといって、じゃあ、さようならとテキストやCD教材を放り出したのでは、お別れしたことにはならない。それは、ただ単に離れただけのことだ。
普通のお葬式なら「南無阿弥陀仏」を何度も唱えたりするだろう。これは宗教によるお葬式だからそうなるが、私らがやろうとしている語学によるお葬式では、同じ英文を何度も何度も唱える。「繰り返し」という点で同じだ。
違うのは人のお葬式では、一人の人を「あの世」へ送ればいいのに対して、語学というお葬式では、無数の死を次々に扱い、「この世」で生きるものに変えてしまう点にある。
私の提唱する「回転読み」は、「南無阿弥陀仏」を唱えることに非常によく似ている。「南無阿弥陀仏」を唱えるコツは、小声であまり明瞭でなくぼそぼそと言うことだが、「回転読み」はここがまるで違う。「もっとはっきり、もっと強く」と語学葬式のコーチである私は生徒さんによく言う。明確なアーティキュレーションを備えろと言う。これは、絶対に「南無阿弥陀仏」のお葬式ではやってはならない。ただ単に変な人になるだけである。
語学のお葬式ではやっていいのだ。「強く、はっきりと」口を動かし、ひたすら同じ文を繰り返し言い続ける。なぜ、強くはっきりなのか。あらかじめ死んでいるものを生き返らせる逆葬式だからだ。
(以後、続く)
私の提唱する「回転読み」は、「南無阿弥陀仏」を唱えることに非常によく似ている。同じことを繰り返し繰り返し言い続けるという点において非常によく似ている。しかし、はっきりと対立する性質もある。「南無阿弥陀仏」を唱えるコツは、小声であまり明瞭でなくぼそぼそと言うことだが、「回転読み」はここがまるで違う。「もっとはっきり、もっと強く」と語学葬式のコーチである私は生徒さんによく言う。明確なアーティキュレーションを備えろと言う。これは、絶対に「南無阿弥陀仏」のお葬式ではやってはならない。ただ単に変な人になるだけである。明確なアーティキュレーションを備えた「南無阿弥陀仏」は不気味なものだ。
しかし、これは語学のお葬式ではやっていいのだ。「強く、はっきりと」口を動かし、ひたすら同じ文を繰り返し言い続ける。激烈にやっていい。なぜ、強くはっきりなのか。なぜ激烈になのか。あらかじめ死んでいるものを生き返らせる逆葬式だからだ。
(以後、続く)
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語学=逆葬式。これでは商品にならんかもしれませんね。
>語学=逆葬式。これでは商品にならんかもしれませんね
いえいえ仏教でも唱えるのが「南無妙法蓮華経」、法華であれば、これは明瞭、明確、大音声可。
繰り返し繰り返し何度も何度も、仏に聞こえるように 明瞭に、五体をあげて取り組んで何百万便辺、体が覚えていきます。
段々よく鳴る法華の太鼓、これは立派な奨品になります〔失礼しました)
*本日のペースト、終了いたしました。
なんか。。。かなり。。。深刻な話のようで、うっかり返事できるものではなさそうですね。
本題からズレているんですが、私は英語のためにお金かけたことがあったのは書籍代と
素読舎だけです。
ご無沙汰しておりました。
最近、下記の掲示板に投稿しておりました。
そこの掲示版でも、ちょっとした論争になってしまいました。
彼らは、私の質問にまともに答えずに、もっぱら揚げ足取りに近いことをしております。
時間がありましたら、御覧になって下さい。
古川さんの掲示板を読みました。
「彼ら」が「もっぱら」揚げ足取りをしているとは思えませんでした。
齋藤さんの話には枝が生えすぎるのだと思います。
それが人々の勘にさわるのだと思います。
まあ、仕事場を追われるなど、あなたの知らない事情もあったことだし、気軽に被害妄想などと
言われたくないとは思いました。
>いえいえ仏教でも唱えるのが「南無妙法蓮華経」、法華であれば、これは明瞭、明確、大音声可。
なるほどそうですね。しかし、いくら日蓮系の宗派でも、葬式の時にはそんなに明瞭、明確、大音
声はやらかさないのではないでしょうか。
これから、語学=逆葬式の続きを書いてみます。
>いくら日蓮系の宗派でも、葬式の時にはそんなに明瞭、明確、大音
声はやらかさないのではないでしょうか。
まさしく!
伊丹十三「お葬式」は絶対ポシャる、と言われたものの、なんと空前の大ヒットとなりました。
それよりもっと、いいもの・・のはずです。
逆葬式の続き、お待ちしております♪
まずは謝ります。
後でよく読み返してみたいと思います。
複製技術による「死んだ英語」を、國弘方式であるなら「只管朗読」「只管筆写」で、素読舎方式なら「回転読み」「回転書き」で、身体化し、逆葬式をとりおこなう。死物を激しい身体化によって、生き返らせることを行う。これを貫く原理は、「繰り返し」である。
この「繰り返し」が初心者にとっては、絶対に不可欠なものなのだが、なかなか人はこれをやらない。やっても、数回の繰り返しで止めたりする。思う存分に「繰り返す」、英文が自分の中で質的な変化を起こすまで「繰り返す」。こういう作業が必要なのである。國弘正雄さんは、五百回、千回という数字を提示しておられる。これが思う存分に繰り返すときの具体的な数字になるだろう。笹野洋子さんという方は、最低五十回と言っておられる。一方が「思う存分」、一方が「最低でも」ということであるから、どちらも的を射抜いた言説だと思う。私は、「電話でレッスン」というものをやっていて、復習範囲のテストを常時行う。「復習範囲を手放さない」という原理を一つ置いてあり、レッスンによって「繰り返し」が生じるようにシステム化してある。生徒が「繰り返し」を繰り返すように、テストを繰り返す。いずれにせよ、原則は「繰り返し」なのである。
「繰り返し」が必要な理由は、日本には英語の磁場がないという一事に尽きる。あるいは英語圏のように英語の磁場においてでも、語学では「繰り返し」が必要であるのかもしれないが、日本で英語をやる場合に比較すれば、はるかにその必要は少なくて済むのではないだろうか。これは、日本にだけ住んで英語をやってきた経歴を身上としている私には、正確なところはわからない。
いずれにせよ、日本にいて英語をやる場合は、自分が日本語に取り囲まれ、日本語を日々使いながら英語をやるのだという絶対的な条件を自覚する必要がある。英語の側から見れば、日本語は英語を簡単に錆びさせる強力な酸なのだということを自覚する必要がある。この酸を日々浴びながら英語を作り英語を持ち続けるのであれば、酸に逆らう作用をもつ何かが必要である。それが「繰り返し」なのだ。
「繰り返し」だ、「繰り返し」だと「繰り返し」書いているから、しつこいやつだと思う人が必ずいるだろうと思うが、「繰り返し」は繰り返し繰り返し必要なのだと、繰り返し言っておこう。しつこさは語学に必要なものなのである。
「繰り返し」は馬鹿くさい。馬鹿くさいので、馬鹿にしやすい。そして、実体は死んでいるもの(複製技術によるコピー)を「生きた英語」であるなどを信じてしまう。あるいは、英会話学校の英語ネイティヴの英語が「生きた英語」であるなどと信じてしまう。教室というところは、シミレーションしかできない。教室を単なるおしゃべりの会の場所にしてしまう外人教師もいて、これならシミレーションではなくなるが、先生一人に日本人多数なら、まずはそこは英語の磁場ではない。ということになると、英語の磁場ではないところにある英語だから、「生きた英語」ではない。外人一人だけが、故郷の磁場の磁力を身から放出するだろうが、そこは英語の磁場という場ではない。
教室をおしゃべりの場に変えてしまうようなふとどきな外人教師の教室に通っても、生徒の英語が上達しないのは、そこが磁場たりえないからである。
「繰り返し」問題に戻ろう。
「繰り返し」は退屈であり、馬鹿くさい。だから、それを馬鹿にする人はたくさんいる。
私の生徒さんにもそういう人がときどきいる。五百回も千回も繰り返すなんて、宗教じゃあるまいに、と言うのである。英語はもっと生き生きとしたものだ、と言うのである。そういう人は、「生きた英語」とか「生き生きとした表現」とかを信じてしまっているので、語学は死物を扱う行為であるという私の考えとはまっこうから対立する。
「生きた英語」とか「生き生きとした表現」というものがないというのではない。それはあるところにはある。それは英語の磁場にだったらあるのである。「生きた日本語」とか「生き生きした表現」が日本語の磁場にあるのと同じように、英語の磁場には英語のそれがある。それはいつも、その言語の磁場の中にあり、その磁場の中にしかない。だから、日本語で日常を暮らしている人の場所では、英語の「生き生きとした表現」というものは、たいていは複製技術による複製物の中にしかない。
そして、「生きた英語」も「生き生きとした表現」も、複製技術によって、あらかじめすべては死物である。この、死物というものをちゃんと死物として見ないから間違うのである。
「繰り返し」を馬鹿にした人の英語はまずとうていものにならない。「繰り返し」を馬鹿にしてしまうということは、日本には英語の磁場がないという厳然たる事実を馬鹿にしたことと同じなのである。
「繰り返し」を馬鹿くさいように思う人は、「何かいい方法」を探す。そういう人は、何をどう言っても「何かいい方法」を探す。探してさまよう。やらせておくしかない。しかし、一応の親切を示すために、断言をもうひとつ、どんと置いておくくらいはすべきだろうか。
「何かいい方法」を探して、それをちゃんと見つけられた人は何をみつけるのか。「繰り返し」をみつけるのだ。それが最上の「何かいい方法」なのである。とりわけ日本で英語をやる場合においては、これは絶対的なのである。
さまよいたい人の前には、断言を置くことしか他にすることはない。
日本で英語をやって、「繰り返し」を排除して、英語をものにした人がいたらお目にかかりたい。そんな人は一人だっていないはずである。だったら、これはもう法則と言っていい。「繰り返し」は、誰にも無視することのできない語学の法則と言っていい。
「語学=からっぽ」論になかなか突入できません。
つい、その回りのことを書いてしまいます。
しかし、いずれ突入します。