酔いが回る前に、前に書いていただいたことへのお返事から始めます。
>以前(5年ほど前)、私はCompuServeというOnlineサービスでアメリカ
人(複数)と広島・長崎の原爆について議論(喧嘩)しました。やつら
の反駁手段は、真珠湾と南京事件です。結局、やつらの潜在意識には、西
欧はアジアを蹂躙してもいいが、非西欧(日本)がアジアを蹂躙するのは
許せないということがあるのです。
ところで、中国・朝鮮がこれに関して、日本のみを責めるのも、おかし
いと思います
日本は、中国・朝鮮にきちんと謝罪すべきですが、その謝罪の言葉が同時に欧米の傲慢さを掘り出し浮き彫りにするだけの質を備えなければならないと思います。
それがどんな言葉になるのか、日本人は真剣に考えるべきだと思っています。
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例えば、冗談で言うのですが、もし2年以内に英語に上達しなければ、自分の命が無くなるとなれば、大抵の人がその期間内に上達するのではないでしょうか? 私のことを言えば、単純にアメリカかぶれでした。物心がついたころには、テレビでアメリカのドラマを沢山やっていました。1960年代の始めでしたから、日本は貧しかった。それに較べて、アメリカは輝いて見えました。初めて中学校で英語の教科書をもらった時の嬉しさを今でも覚えています。
結局、私の潜在意識には、アメリカに対する深いあこがれが有った(今でも有る)のでしょう。これが、私の英語に対する動機だと思います。
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2年以内に上達しなければ、自分の命が無くなるという条件づけと、アメリカへのあこがれということとは関連がなく、困っています。並列できない事柄ではないでしょうか。
2年以内に上達しなければ命がない場合ですが、おっしゃる通り、大抵の人が上達すると思います。そりゃそうですが、その間、生活の世話は誰がしてくれるんだろうと思いました。日本在住のまま、日本語の磁場で英語に上達して英語が使えるようになるには、2年という時間は通常の生活をしていたのでは短かすぎます。どこか蔵の中にでも閉じこめ
てもらって、生活の世話は誰かがしてくれるのであれば、ようやく2年という数字が現実的になります。
埴谷雄高という人は、左翼活動で監獄に閉じこめられて語学をやったと聞いておりますが、監獄のような場所は非常に語学に適していると思います。いくらまずい飯でも、飯は国家が食わせてくれるわけですから。
民衆を一人残らず監獄に入れて、国家がやっていけるものならやってみてくれと言えばいいだけのことです。
語学をやりたいから監獄に入れてくれと私が国家にお願いして、監獄に入れてもらえるならば、私は2年くらいは監獄暮らしをしてみたいとも思います。
アメリカ(の文明)へのあこがれについて。
私にはこれがなかったのです。今もまるでありません。
これが、多くの英語好きな人々と私が違うところだと思っています。
私は、単純に、日本語と異質である言語が面白かっただけなのです。優位にある文明の魅力などとはまるで関係なく、言語の異質性が面白かっただけです。リービ秀雄が「日本語の勝利」という意味とまったく同じ意味で、「英語の勝利」は私の中にありました。どこまで遡っても、異質な言語に対する興味という「言語的興味」が見つかるだけです。
異質言語の面白さに、19歳頃にめざめて、今も面白がっているだけです。
アメリカの魅力というものはあると思っています。
一つの国の中に異質な文化が二つや三つどころでなく、無数にせめぎあうこと。そのせめぎあいから生まれる渾然とした活力を容れていることです。つまり、ニューヨークに集約される魅力です。それ以外のアメリカの文化の質に魅力を感じたことはありません。
アメリカのパワーやそれを踏まえた政治はこの世界でもっとも嫌いなものの一つです。
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例えば、冗談で言うのですが、もし2年以内に英語に上達しなければ、自分の命が無くなるとなれば、大抵の人がその期間内に上達するのではないでしょうか? 私のことを言えば、単純にアメリカかぶれでした。物心がついたころには、テレビでアメリカのドラマを沢山やっていました。1960年代の始めでしたから、日本は貧しかった。それに較べて、アメリカは輝いて見えました。初めて中学校で英語の教科書をもらった時の嬉しさを今でも覚えています。
結局、私の潜在意識には、アメリカに対する深いあこがれが有った(今でも有る)のでしょう。これが、私の英語に対する動機だと思います。
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2年以内に上達しなければ、自分の命が無くなるという条件づけと、アメリカへのあこがれということとは関連がなく、困っています。並列できない事柄ではないでしょうか。
2年以内に上達しなければ命がない場合ですが、おっしゃる通り、大抵の人が上達すると思います。そりゃそうですが、その間、生活の世話は誰がしてくれるんだろうと思いました。日本在住のまま、日本語の磁場で英語に上達して英語が使えるようになるには、2年という時間は通常の生活をしていたのでは短かすぎます。どこか蔵の中にでも閉じこめ
てもらって、生活の世話は誰かがしてくれるのであれば、ようやく2年という数字が現実的になります。
埴谷雄高という人は、左翼活動で監獄に閉じこめられて語学をやったと聞いておりますが、監獄のような場所は非常に語学に適していると思います。いくらまずい飯でも、飯は国家が食わせてくれるわけですから。
民衆を一人残らず監獄に入れて、国家がやっていけるものならやってみてくれと言えばいいだけのことです。
語学をやりたいから監獄に入れてくれと私が国家にお願いして、監獄に入れてもらえるならば、私は2年くらいは監獄暮らしをしてみたいとも思います。
アメリカ(の文明)へのあこがれについて。
私にはこれがなかったのです。今もまるでありません。
これが、多くの英語好きな人々と私が違うところだと思っています。
私は、単純に、日本語と異質である言語が面白かっただけなのです。優位にある文明の魅力などとはまるで関係なく、言語の異質性が面白かっただけです。リービ秀雄が「日本語の勝利」という意味とまったく同じ意味で、「英語の勝利」は私の中にありました。どこまで遡っても、異質な言語に対する興味という「言語的興味」が見つかるだけです。
異質言語の面白さに、19歳頃にめざめて、今も面白がっているだけです。
アメリカの魅力というものはあると思っています。
一つの国の中に異質な文化が二つや三つどころでなく、無数にせめぎあうこと。そのせめぎあいから生まれる渾然とした活力を容れていることです。つまり、ニューヨークに集約される魅力です。それ以外のアメリカの文化の質に魅力を感じたことはありません。
アメリカのパワーやそれを踏まえた政治はこの世界でもっとも嫌いなものの一つです。
酔いが回ってきました。
いつものごとく、いいかげんモードに入ります。
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実用を「めざす」という考えが何故貧しいのかよくわかりません
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私は口が酸っぱくなるほどに、「使える英語」ということを言い続けてきました。
しゃべれる英語でなくてもいい。読める英語でもいい。しかし、読めると言われている日本人の英語は、頭から読み下すのではなく、昔の漢文式に視線をあちこちさせて、パズルをいじるように英語をいじってきました。
これでは駄目だ、と言い続けてきたと思っています。
「使える英語」というものは、英語のシンタックスが内在化されている英語のことです。
一方、「実用英語」と言われているものは、早い話が産業界から要請されている英語の質のことです。日本が世界を相手に、ショーバイを続けていくのに役に立つ英語のことです。言葉そのものの魅力とか、異質言語や異質シンタックスの魅力とは関係のないことです。この「実用英語」の眼目は、なにはともあれ、ショーバイで得ができる英語のことであり、これが現在の日本に必要だということはわかっているつもりですが、英語に注ぐ労力の焦点をここに合わせてしまったら、貧乏くせえ話だと思うのです。
語学の原動力は、言葉そのものの魅力だという考えは一歩も譲る予定がありません。
議論なさっている途中で横槍のようになってしまって申し訳ないのですが、
私は
根石
です。
根岸
と間違われることは、日常的なことなのですが、
根石
ですので。
ネイシ・ネギシ
のことは別として、
思う存分に議論をお続けください。
注目しています。
男どもは、産業界の要請に尻尾を振り英語をやる。
女どもは、白人と白人文化に尻尾を振り英語をやる。
どっちも駄目なんじゃないか?
「キャラクター」とか、よこしまなことを考えずに、「英語どんでん返しのやっつけ方」の受け皿を、同人社でやっていただけないでしょうか。
文庫という現代の貧乏文化で世に出た「英語・・・のやっつけ方」でしたが、もっと読みやすいダイジェストは作れると思っています。それを、同人社で活字にしていただければ、私は時間をかけてでもじわじわ売る努力は続けたいと思います。
小学館との契約期間は確か3年だったと思います。
これが切れたら、自分の印刷機を回して、読みたい人のために備蓄しなきゃならんのかと思っておりましたが、同人社様で活字にしていただけるなら、できる限りの協力はいたします。村田君との対談も、新たに行うこともできると思います。
あるいは、Kawakami さんと対談してみたいとも思っています。
私のような日本土着民の考えを把握するのは、Kawakami さんには荷が重すぎるとも思っています。Kawakami さんは対談相手として起用し、本づくりには別の編集者さんの方が向いていると愚考し続けてきました。
Ton 様が私の編集者をやっていただくのが、私の最大の願いです。
Kawakami さんが帰国なされたら、時期をみはからって、長野に遊びにおいでくださることを
願っております。
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アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます
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パクパクさんの書かれた言葉ですが、私にはわかりません。
アメリカに動く金、アメリカから世界にばらまかれる金の多くをユダヤ人が牛耳っているということならわかります。
しかし、そんなことと関係なく、アメリカに対する憧れは日本の人々にあります。
今もあります。
「あります」どころか、英語をやりたがる人々の非常に多くがこの病気です。
「言葉そのもの」という基点から、この病気を覆すことはできないのかとずっと考えてきました。
>住んでみるとわかりますが、洗練されたしゃべり方に聞こえる、ああ、やっぱり、
ああいうふうにしゃべりたいな、という刺激を受ける人も多いようです。
これはとても自然な心の動きだと思います。
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「さくら」をご覧になりましたか?
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今日だったか昨日だったか、初めて見ました。
日本の英語教育のどこに問題があるのかを提議することはやっているのだと思いますが、さくらの授業で、日本人が英語をしゃべるようになるとは思えませんでした。
しかし、あの何ていう人でしたっけ、「パッとサイデリア」のコマーシャルで日本中にサイディングを売った太ったおやじ。
あの人は、実になんというか、
味がある。
なまじ才能があったおかげで、日本中にサイディングを普及しちゃった罪はあると思いますが、実に、味があるのであります。
読んでるか?
あんたの潔癖性は問題だな。
書いてしまったが、あっしは明日は屋根葺きがあるから、もう寝る。
皆様
おやすみなさい。
>それで、深酔いすると、それが噴き出してくるわけです。
おじさん、それじゃぁ、書く相手間違えてる。
私の潔癖性もほとほと困ってるんだけど、なんかそれ以前の問題だと思いますよ。
おじさんが気軽に言ったことは理解してるんですが。
どう〜反応して良いかわからず、ただのグチに見えたなら、そのままで良かったんでしょうけど、なんか私に向けて書いてるかのように見えたので。。。。
で、私としては抗議したわけで。。。。。
女の人にもよるけど、自分はあまり生々しい性の表現は好きじゃないですね。
おじさんは英語の専門家だから、不純な(って言い方でいいのかな?)英語を使う人々が
嫌なんだろうし、それは何か理解できます。 でも、そんなのに引っ掛からなくてもいいんじゃないかな? おじさんみたく真剣に純粋に英語を勉強してる人たちだっていっぱい居るわけだし、邪道を相手にすることなんかないですよ。
>しかし、そんなことと関係なく、アメリカに対する憧れは日本の人々にあります。今もあります。「あります」どころか、英語をやりたがる人々の非常に多くがこの病気です。
「言葉そのもの」という基点から、この病気を覆すことはできないのかとずっと考えてきました。
上の2行はここのところ熱く議論されて来ました。最後の1行に私は惹かれました。私は英語の他にフランス語とスペイン語をかなりの期間学習して来ました。 最近サッカーの全日本監督がフランス語でまくし立てているのをよく耳にしますが、私のフランス語はかなり錆び付いているためよく聴き取れないのですが、やはりかなり惹かれます。また、スペイン語も時々FM放送などで耳に入ってきますが、やはり惹かれます。私が両方の言葉を習い始めた動機は、多読中心で学習してきた英語の学習方法がその両言語で応用出来るかどうか確かめたい、ということが一つ、そして英語とその両言語が世界でもっとも多くの国で喋られていて実用性があるということが2番目にありました。つまり学習結果が仕事に結びつく可能性がもっとも高い言語であるということでした。
何が言いたいかというと、アメリカに対する憧れというのは普通わが国の学校で米国語を教えているという事象から導き出された当然の結果だと思うのです。もし学校で英国語又はフランス語、スペイン語が教えられていればそれぞれの言語が話されている国が憧れのまとになると思うのです。私は米国の他フランスやスペインにもそしてそれらの言語が話されている国々にも憧れています。言葉を習っていなかったらそういう憧れはおこらないように思います。実際大学などで第二、第三外語を習っている人達のなかには、勿論それらの言語を習う前からそれらの国に憧れていたという人もいると思いますが、大学卒業後仕事に結び付けたいとかの動機で習い始めて、それらの国に憧れるようになったという人の方が多いのではないでしょうか。ですから習おうとしている言語の話されている国やその国の人々に憧れを抱くというのは「病気」ではないと思います。 いやむしろ「語学」を始めるためにはその「病気」がある方が良いとさえ考えます。 その「病気」を転じて語学をやる「動機付け」にうまく誘導してやる国家の英語教育方針や施策が間違っていることや、まともな英語教育者が不足しているのが問題だと思っています。
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私は口が酸っぱくなるほどに、「使える英語」ということを言い続けてきました。
しゃべれる英語でなくてもいい。読める英語でもいい。しかし、読めると言われている日本人の英語は、頭から読み下すのではなく、昔の漢文式に視線をあちこちさせて、パズルをいじるように英語をいじってきました。
これでは駄目だ、と言い続けてきたと思っています。
「使える英語」というものは、英語のシンタックスが内在化されている英語のことです。
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同感です。 ただ,「使える英語」と「実用英語」の違いが良くわかりません。
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一方、「実用英語」と言われているものは、早い話が産業界から要請されている英語の質のことです。日本が世界を相手に、ショーバイを続けていくのに役に立つ英語のことです。言葉そのものの魅力とか、異質言語や異質シンタックスの魅力とは関係のないことです。この「実用英語」の眼目は、なにはともあれ、ショーバイで得ができる英語のことであり、これが現在の日本に必要だということはわかっているつもりですが、英語に注ぐ労力の焦点をここに合わせてしまったら、貧乏くせえ話だと思うのです。
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「実用英語」をこのように規定するのは、少し窮屈な気がします。
私は、「使える英語」と「実用英語」は、ほぼイコールという意識で
意見を述べさせていただいたつもりです。
ショーバイだけでなく、学問、芸術の世界でも「実用英語」は必要なはずです。スポーツもそうでしょう。
ただ、ショーバイ、学問、芸術、スポーツの間に貴賎は無いと思っています。ショーバイが下賎で学問が高尚というのは、学者一般を買いかぶっていると思います。立派な商売人もいるし、立派でない学者もいるでしょう。
その逆も、もちろん有るでしょう。
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語学の原動力は、言葉そのものの魅力だという考えは一歩も譲る予定がありません。
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根石さん個人の御意見としては、反論しようもありません。
私も、言葉そのものの魅力は同感する部分が有ります。
ぱくぱくさん、
>浜谷さんの紹介の仮定法のサイトにつぎの記述があります。
>>
"If he will come tommorrow, I will not go "などの文は存在し、
上の規則は事実にも反していることも付け加えておきます。
もちろん、"If he comes tommorrow, I will not go."とは文の意味が違います。
>この2英文は、そんなに意味が違うのでしょうか?
ご紹介したサイトの掲示板で質問してみました。下記に転載いたします。
(無断での転載ですが、下記に改めて当該サイトのリンクを載せ、PRする
ことによりお許しを願うことにしたいと思います。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
If he comes tomorrow と If he will come tomorrow の違いを感覚的に
捉えられることができないのは、He like her. と He likes her.の違いを
感覚的に捉えられないことと同じです。
日本では、機械的に言葉を処理しようとしてしまって、He like her.
はただの「文法的誤り」として処理されてしまっているのです。
He lile(likeのあやまり? 浜谷注) her.は He likes her.とは異なるだけであって、それなりの意味
があるのです。(? 浜谷注)
さて、学校文法では「未来を表す副詞節の動詞の現在形は未来の代用をする」という「未来を表す場合は未来形を使う」という動詞の形態が時によって
決まるという法則に対する、日本の中学生が出会う最初の例外です。
日本の英語関係者の間では、動詞の形態は、主語の人称、数、および
時によって決まっているということを全く疑うことを知らないため、
仮定法という概念がつかめていないようです。
動詞の形態を決定しているのは、人称や数や時ではなく、話し手の
「感情の入れ込み方」なのです。
if he comes tomorrow の方が if he came (=did come) tomorrow よりも感情の注入度が低いのであって、後者の "came" は過去のことを表している
のではないということです。
質問の "if he will come tomorrow" の意味は、if he insists he come tomorrow のことで、もちろん、"if he comes tomorrow" とは意味がかなり
異なることがお分かりですか?
仮定法というのは動詞が時によって支配されるという「法則」に対する
例外であるという見方に従うならば、「未来のことを表すのに現在形を
使う」ということも仮定法の一種であるという考え方をするのが論理的です。
尚、"if he will come tomorrow" は、仮定法未来ではなく、直説法現在
です。仮定法 (Subjunctive mood) に対して、直説法 (Indicative mood)
が存在するということも理解しておいて下さい。"if で始まる文”を
仮定法と思ってしまっているある翻訳学校のテキストなどもあるくらい
ですから、生徒レベルでは混同するのは無理もないと思いますが、
直説法という用語くらいは覚えておいてください。
とにかく、動詞の形態は時によって決定されているという呪縛からまず
自分を解放してください。
そんな規則が通用するのは直説法の場合だけなのです。
http://www.smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html
パクパクさんのお名前とリンクが違っていました。お詫びして訂正いたします。http://smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html
どうも貴重な情報ありがとうございます。
>
動詞の形態を決定しているのは、人称や数や時ではなく、話し手の
「感情の入れ込み方」なのです。
このことは、学校文法では、なかなかお目にかかりませんね。
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2年以内に上達しなければ、自分の命が無くなるという条件づけと、アメリカへのあこがれということとは関連がなく、困っています。並列できない事柄ではないでしょうか。
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関連は有ります。私の言いたかったことは、強い動機付けの重要さです。
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2年以内に上達しなければ命がない場合ですが、おっしゃる通り、大抵の人が上達すると思います。そりゃそうですが、その間、生活の世話は誰がしてくれるんだろうと思いました。
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"これは、冗談ですが"と断ったはずです。あくまで、例えです。
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アメリカ(の文明)へのあこがれについて。
私にはこれがなかったのです。今もまるでありません。
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ちょっと、想像しにくいですが、あり得ることと思います。
前にも書きましたとおり、現在の私はアメリカに対して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。アメリカの文化は底が浅いです(歴史
が浅いので当然ですが)。
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日本は、中国・朝鮮にきちんと謝罪すべきですが、その謝罪の言葉が同時に欧米の傲慢さを掘り出し浮き彫りにするだけの質を備えなければならないと思います。
それがどんな言葉になるのか、日本人は真剣に考えるべきだと思っています。
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これは、難しいです。国が国に謝罪するのは、個人が謝罪するのとは、違います。謝罪するとなると、当然、賠償問題が出てきます。莫大な金額になるでしょう。その場合、当然、我々の税金からとなります。我々の爺さん連中がやらかした事の責任を何故、我々が取らなければならないのかという疑問が
出てくるでしょう。
中国は中国で現在もチベットを蹂躙しています。どの面下げて、日本に謝罪を要求しているのでしょうか?
韓国に関しては、日本が出て行かなかったら、ほぼ確実に韓国は共産化
(北朝鮮化)していました。日本も共産化していたでしょう。
日本も韓国もロシアの属国です。
だからといって、日本の責任が無くなるとは思いませんが。
>おじさん、それじゃぁ、書く相手間違えてる。
そうそう。間違えてる。ごめんな。酔っぱらいはそんなもんだ。今日ももう酔ってるけど。
でも、あんたも一時英語をやりたいと言っていたから、俺がよく目にするような英語病にならないようにと願ってるよ、ということもあったかもな。
それと、酔っぱらってブコウスキーを聞いていて、頭の中がだるくなってのかも。
ブコウスキーが酔っぱらって詩(だと思う)を吹き込んだテープが手元にあって、これを昼間聞くと、ほんとに以後仕事する気がなくなる。ひたすらだるくなる。
だから、やはり、夜になって、酔っぱらったら聞くことにする。
そうすると俺の頭の中が痒くなったり、だるくなったりしてあんたが迷惑するわけだ。
ごめんね。
>なんかそれ以前の問題だと思いますよ。
そうそう。「なんかそれ以前の問題」が俺には多すぎて・・・。
あんたみたいにしっかりした人に怒ってもらわんと、わしゃなんにもわからん。
おいらますます馬鹿になる(マザーグース)状態でありんすよ。
>女の人にもよるけど、自分はあまり生々しい性の表現は好きじゃないですね。
ちょっと待てよ、おい。俺がそんなこと書いたか。全然自覚がねえのだが、どのあたりだよ。教えてくれ。お願い。読んでみたい。その「生々しい性の表現」とやらを。俺もついにそういうものを書けるようになったのか。どこにそれはあるんだ。
探しているんだが、みつからんぞ。どこにあるんだ。教えてくれ。
糞。みつからん。「生々しい性の表現」は俺は好きだが、これに関しては、ウドの店に川上宗薫(この字でよかったかどうか自信ない)全集があるから、これを読むことをすすめる。
数学頭にゃ、いい教科書だと思う。
数学の定理には将来に亘って昇格するこたあねえだろうが、定理を一つ教えておくかな。
「すけべでない人間は冷たい。すけべの本質は優しさだ」
俺のすけべは、オーガニックすけべで、化学肥料も農薬も使ってないから、そんなに恐怖するこたねえって。
すけべなくらいでちょうどいいんだぞ。
すけべだから人間なんじゃねえか。俺は、これまですけべな猫やすけべな犬には会ったことがない。あいつらは食に飢えて食うだけで、拒食症なんかやらねえし、性に飢えて腰を振るが、ビデオのコレクションなんかやらねえし、素直なもんだ。
あんたの数学好きもすけべも同じようなもんだ。どちらも醜いほどに美しく、美しいほどに醜いのだ。
こういう論述も「生々しい性の表現」てことになるんですかね、数学頭からすると。
性を差別しないでね。
お願いね。
正午、起きる。
しばらくぐったりする。
午後1時、薪小屋の屋根に登って屋根を葺くが、暑い。下へ降りる。
午後3時まで、妻とよもやま話。
午後3時過ぎ、再び屋根に登り、暗くなりかけるまでに全部葺き終える。
ビデ足場の再利用で作った薪小屋だが、ちょいと恰好が悪いので、これから恰好をいじる予定。しかし、ひとまず一番広い部分の屋根葺きが終わったので、しばらくは放置することにする。
明日からは、西側の壁のサイディングをやることにする。
夕方7時、国民温泉に行く。湯に入ったり出たりして、10時までいる。湯に入ったり出たり、出たり入ったりしていると、人の話が聞こえてきて、これが実に面白い。
今日、信濃鉄道で飛び込み自殺があったという話だった。
人体は挽肉状態になり、骨もろくにみつからないとのことだ。
国民温泉から帰り、掲示板を見るがKぼんが書いてくれただけ。他には誰も書いていない。
Kぼんに「すけべ論」を書きかけた途中で、隣町Y美人の笑い声がするので、二階から一階に降りる。村田君に隣町Y美人の英語の上達が近頃めざましいので、その記事を掲示板に書いておいてくれと頼んでおいたのに、やってくれないから、村田君に文句を言う。ひとしきり、英語の話。隣町Y美人は、英語に対する感覚がどんどんまともになってきている。英語出来る自信過剰日本男に最近文句を言われたそうだが、英語出来る自信過剰日本男は根性の狭いのが多いから、そんなやつには爪で鼻くそをピンと飛ばしてやればそれでいいのだと隣町Y美人に教えを垂れる。
塾の部屋から出て、またブコウスキーのテープを聴く。
再び二階に戻り、Kぼんへ書く。
それをUPしたら、どかどかと皆さんが書いてくれてあった。
今日はしかし、3時間も温泉にいたので、どうにも・・・。
根石様
はじめに、根石姓を、こともあろうに間違えて書き込んでしまったことをお詫びし
訂正します。
>Ton 様が私の編集者をやっていただくのが、私の最大の願いです。
それらを踏まえまして、Kawakamiが戻り次第、先生のところへ差し向けます。
キャラクターの部分は、一アイディアで、ちゃぶ台をひっくり返しているアレ、かも
わかりません。
>パクパク さま
本日、
>習おうとしている言語の話されている国やその国の人々に憧れを抱くというのは
「病気」ではないと思います。
いやむしろ「語学」を始めるためにはその「病気」がある方が良いとさえ考えます。
という浜谷さんの書き込み、どう思われましたか?
ズバリ、これと同意見の者が、本日の会議で多数でした。そのことを
書こうと思ったら、既に書かれてあってニンマリ。
つまり、憧れから入って、英語をマスターしていって、更に憧れているかどうか
は別問題だが、動機は、これが圧倒的であり、それでいいのではないか、というものです。
どんなものなのでしょうか?
但し、『その「病気」を転じて語学をやる「動機付け」にうまく誘導してやる国家の
英語教育方針や施策が間違っていることや、まともな英語教育者が不足しているのが
問題だと思っています』。
については教育フェティシスムに陥るところまで、「教師の責任だ」といって教師が
胸をはるようなことでもない、ということ。(先生だったら、志を傷つけるようで、
ごめんなさい、ですが)
生徒に手助けはいいとして、生徒が好きならやるでしょう。
だからといって受験英語で受かるというものでもないが
好きな部分と、やらねばならないという部分は違う、ということは至然だと思うのです。
「国家の・・・・〜」は、生徒、誰も考えていないのでは。
学校へ行けば英語が好きになる、というのは大幻想。
したがって先生が動機づけをしてどうにかなる、というものでもない、
とも考えるのです。
語学は、ツールである、
何の為に英語をやるのか。
それでもって自分が為したいことを実行する。(同時通訳は別として)。
と考えるのは間違いですか?
突き抜けたところ、に、論が進んでいくのが楽しみです。
門外漢の論(たわごと)かも知れませんが。
根石様、土曜のレッスンお疲れ様でした。
SAMのAの発音慣れるまで、少々練習が必要です。
それを意識してCNNを見てたら、アジア系のキャスターが
その音を発音する時、かなり無理に口の端を吊り上げて発音してました。
彼も苦労してるんだなと感じた。
ところで最近ブコウスキー聴いてるんですね。
私は彼の詩集を数冊持っているので、今度送りましょうか?
あこがれが動機で、英語が通じるようになった人は、
在外経験があるか否かがチェックポイントとして大切だとおもいます。
あこがれが強いと、米国留学(米国勤務)をして、そこで英語磁場を照射されますので
結果として、英語ができるようになるとおもいます。
わたしは、あこがれだけの在日英語学習者は、どんなに学習しても
英語が通じるようになるとはおもえません。
あこがれを廃し、語学として(英語磁場でなく、日本語磁場での
外国語学習の明確な自覚をともなう学習行為)、ただ只管、素読するなら
別でしょう。
ここで、国弘さんは、音読という表現ですが、私は、素読の表現の
方がいいとおもいます。
素読の、素の語感を残した方がいいとおもいます。
根石先生
昨夜はレッスンありがとうございました。ちょうど月曜日生徒の中で「最近、先生見ないね。」
と話していたところで、久しぶりにお話したような気がします.
この1カ月、塾へ行くのが遅れたりして毎回復習範囲で終わっていた私は何だか練習も
サボリ気味でした。やっぱり私には聞いてくれる人が必要だと改めて思いました.一人では
すぐに止めてしまいそうです。「唄を忘れたカナリヤ」じゃないですけど音読を私からとって
しまったら何か気が抜けてしまいそう、と月曜日のレッスンから長野のゆいまあるにうつった
友人Sさんと話してました.
昨日も話しましたが英会話クラブの友人に「難しい単語を質問してみて」と言われ、自分が
やっているシナリオ「逃亡者」からちょっと出題してみたのですが「英語らしくもっと言ってよ」
なんて言われてガーンと来ていた所でした。英会話クラブの仲間は気の知れたとても良い
仲間だと私は思います。でも何か英語に対する考えがちょっと違うような気がします.
その人は特にクラブの中でも英語を勉強してます。「日常会話なんて勉強しても対して使わない
。」 何か、何か違うんですよね。先生。長くなりそうなので又あったときにお話したいです。
日本語に逆らって、英会話の仲間にも逆らって、、って思うんですけど、、このまま進んで見たいんです。
P.S いつも時間が無くてあまり話せないので、たまにはMさんとかと、ウドさんの店に行く時とかは誘って下さね。
それと。Eliottさん元気ですかぁ。この前逃亡者のシナリオをやっていたPです。覚えてますか?難しいお話はできないので書きこめ
ないですけど。ほんとうにEliottさんの音読はすばらしかったです。また長野に遊びに来て下さいね。
>しかし、あの何ていう人でしたっけ、「パッとサイデリア」のコマーシャルで日本中にサイディングを売った太ったおやじ。あの人は、実になんというか、味がある。なまじ才能があったおかげで、日本中にサイディングを普及しちゃった罪はあると思いますが、実に、味があるのであります。
作曲家小林亜星だと思います。私は何とも感じないのですが。。。
でも「さくら」は毎週土曜日にまとめてみる予定です。
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隣町Y美人は、英語に対する感覚がどんどんまともになってきている。英語出来る自信過剰日本男に最近文句を言われたそうだが、英語出来る自信過剰日本男は根性の狭いのが多いから、そんなやつには爪で鼻くそをピンと飛ばしてやればそれでいいのだと隣町Y美人に教えを垂れる。
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英語が出来る位で自身過剰になるのは、日本人と韓国人くらいでしょう。
つまり、両国とも語学音痴でありながら、妙にアメリカかぶれなんです。
アメリカでは10歳の餓鬼でも英語ペラペラというあたりまえのことを認識しましょう。
隣町Y美人は、つい近頃書いてくれた p さんです。この人は偉い人だと私は思っています。私の教室に通ってきてくれて、英語がどんどん変わりました。
この人は、それ以前から隣町の英語クラブとかいうのに所属していて、このクラブの人たちを私はウドの店で見かけたことがあります。中へ入って話したことはありませんが、どうも雰囲気が大学のESSの社会人版みたいな感じでした。よくいる英語病の方々のようにお見受けし、近寄らずにおりました。
p さんの英語がどんどん変わったので、そのクラブの年輩の方がほめてくれたこともあったらしく、p さんがすごく喜んでいたことがありましたが、最近、どうも別の若いクラブ員から意地の悪いことを言われたらしい。発音がまともでないとか、会話なんかやってもしょうがないとかいうようなことを言ったらしい。
このことに関して、この若いクラブ員は、p さんの英語が変わるまでは、何も言わなかったのではないかと私は勘ぐっています。人の英語が変わると、気になって、「追い越されるんじゃないか」というように思って、水を差すようなことを言ったのではないかと勘ぐっているのです。もしも、そうなら、根性の狭い野郎だと思うのです。
嫌なやつはどこにでもいますが、特に英語をやる若いやつに多いと思っているのは私の偏見でしょうか。
>作曲家小林亜星だと思います。私は何とも感じないのですが。。。
そうですか。私は感じてしまって困るの。
あのろくにセリフを言わない仏頂面がいいですね。
あの人だけが、テレビドラマの臭いがあまりしない。
あまりしゃべらないからかもしれませんが・・・。
他の人は、ドラマの臭いがして、どうも嫌だ。
ドラマドラマしてるってのが嫌で、私はドラマは見ないのです。
それだけでなんか馬鹿くさくて・・・。
>昨夜はレッスンありがとうございました。ちょうど月曜日生徒の中で「最近、先生見ないね。」と話していたところで、久しぶりにお話したような気がします.
月曜のクラスについて、妻と話しました。現在、私の活動の主体部分は「電話でレッスン」に移っています。月曜のクラスの扱いが、「電話でレッスン」とまるで整合性がとれないということを妻に言いました。生徒5人に対して、2人で2時間見るということは無理だから、月曜は、私の「電話でレッスン」の受け皿として私の体を空けておくということにしたいと思い、4月からは、私がレッスンから抜けたらどんなふうになるかを試しています。
月曜のクラスも「ゆいまある」のクラスも、「電話でレッスン」の標準からすれば、一種の「お試しクラス」だと思ってください。どんな方法か知っていただくためのものです。この方法が有効であるとわかっていただけたなら、いずれは「電話でレッスン」に移行していただきたいというのが、私どもの願いです。
妻と話して、以下のような方針を立てました。
・月曜クラスも「ゆいまある」クラスも妻が一人でやる。
・定員を5人とする。
・定員をオーバーした場合は、オーバーした人数分だけ、毎月交代で「電話でレッスン」
の生徒さんになっていただく。(練習が先に進んでいる人から始めます)
来週の月曜日に、以上のことを全員にお話する予定です。
>昨日も話しましたが英会話クラブの友人に「難しい単語を質問してみて」と言われ、自分がやっているシナリオ「逃亡者」からちょっと出題してみたのですが「英語らしくもっと言ってよ」なんて言われてガーンと来ていた所でした。英会話クラブの仲間は気の知れたとても良い仲間だと私は思います。でも何か英語に対する考えがちょっと違うような気がします.その人は特にクラブの中でも英語を勉強してます。「日常会話なんて勉強しても大して使わない。」 何か、何か違うんですよね。先生。長くなりそうなので又あったときにお話したいです。日本語に逆らって、英会話の仲間にも逆らって、、って思うんですけど、、このまま進んで見たいんです。
「英語らしくもっと言ってよ」なんかと言うのは、多分その単語を知らなかったんだと思います。こんな知識量較べなんかは、どうでもいいくだらないことだと思って、放っておけばいいのです。私の感触では、なにやら根性の狭い野郎だという感じです。
何が「難しい単語を質問してみて」か。くだらない。
あなたのように真剣にやっている人の気持ちをくじくようなやつは、どうにも頭にきます。私はろくでもねえ野郎の鼻っ柱をへし折ることはいくらでもやりますが、あなたがやってきたような真剣な練習の気持ちに水を差すような野郎には、どうも腹がたって仕方がありません。
一発、臭い屁でもかませてやればいいのです。
もっとも、美人に臭い屁というのもあんまり似合わないので、是非やれとは申しませんが・・・。
>P.S いつも時間が無くてあまり話せないので、たまにはMさんとかと、ウドさんの店に行く時とかは誘って下さね。
おお、そうだそうだ。ウドの店に行くときに誘うから、ちゃんと電話がつながるようにしといてね。なにしろ、p さんは電話がつながらないことにかけては定評がある。
俺は、木曜日しか空いてる日がないので、たいていは木曜日に電話するから。
Mさんていうのは、村田君だよな。
村田君たら、p さんとウドの店に行くって言えば、ほいほいって言って、出かけてくるよ。
>それと。Eliottさん元気ですかぁ。この前逃亡者のシナリオをやっていたPです。覚えてますか?難しいお話はできないので書きこめないですけど。ほんとうにEliottさんの音読はすばらしかったです。また長野に遊びに来て下さいね。
これは勘違い。俺の家へ来ていたのは、Eliot さんじゃなくて、sbさん。
>わたしは、あこがれだけの在日英語学習者は、どんなに学習しても
英語が通じるようになるとはおもえません。
あこがれを廃し、語学として(英語磁場でなく、日本語磁場での
外国語学習の明確な自覚をともなう学習行為)、ただ只管、素読するなら
別でしょう。
まさにこれが私が言い続けてきたことです。
「あこがれ」で始めてもかまわないけれど、語学そのものの面白さ、言葉そのものの面白さに目覚めなかったら、ちんちくりんのままで終わりです。
>ここで、国弘さんは、音読という表現ですが、私は、素読の表現の方がいいとおもいます。素読の、素の語感を残した方がいいとおもいます。
國弘さんは、「朗読」と言っています。私は「素読」と言ってきました。
落としどころは「音読」です。朗読だろうが、素読だろうが、音読には変わりがない。
私も「素読」の方が好きです。「素」は「素うどん」の「素」でもありますが、「素人」の「素」でもあります。
國弘さんはもう明らかに「玄人」です。私は人様からお金をいただいているくせに、自分のことを「素人」なんだと思うことがあります。
國弘さんが、在米経験を経て「同時通訳」の能力を得たことは間違いないと思っています。いくら「只管朗読」を激しくやっても、日本在住のままでは「同時通訳」はできるようにならないと思います。
この方がまったくの「玄人」でありながら、「素人」以前の初心者のための方法を密教として提示されたことの意味は非常に大きい。こういう玄人が言うのでなければ、初心者は信じないのです。そして、さすがに「玄人」だけあって、余計なことは言わず、自分の方法を密教としています。そして、密教的にでなければ言えないことは言い切っています。
私は、この密教を顕教としようとしています。この一点で私は國弘正雄と違います。
それで私は、やたら理屈を言うやつだとして嫌われています。
損な役回りは私の身上です。
少なくとも、私の元で英語をやる人は、英語フリークでなくても英語ができるようになります。國弘さんの回りに集まったのは、英語フリークがほとんどだったと思いますが、英語フリークたちのためだけの英語を覆すには、密教が顕教にならなければならない。英語が英語フリークの専有物であってたまるか。それが、日本の英語の惨めさがいつまでたっても覆らないところなのです。國弘正雄に対する私の批判があるとすれば、この人が日本の英語教育を根底から批判しなかったことです。
私が「シンタックスの内在化」、「音づくり」などと、英語密教系の人々の使わない語を作り出さなければならなかったのは、英語フリークどもでは日本の英語がどうにもなりはしないという絶望があったためです。
> 根石様、土曜のレッスンお疲れ様でした。
SAMのAの発音慣れるまで、少々練習が必要です。
それを意識してCNNを見てたら、アジア系のキャスターが
その音を発音する時、かなり無理に口の端を吊り上げて発音してました。
彼も苦労してるんだなと感じた。
ところで最近ブコウスキー聴いてるんですね。
私は彼の詩集を数冊持っているので、今度送りましょうか?
[ae] の音をきちんと出している日本人は少ないと思います。
あるいは、逆になんでもかんでも[ae]にしてしまう人が少数います。
このあたりは、学校英語はまったくの暗がりにしてきました。
nishiazabu さんは、[ae] に関してこちらが指示したら、その日のうちにその音が出ていましたから、レッスンを続けていかれるうちにまもなく自然に備わると思います。
この音は、子音と子音に挟まれた a のときに生じる率が高いという程度の認識しか私にはありませんが、もっと細かい見つけ方があるのかもしれません。
Eliot さんが読まれておられましたら、ご教示いただけるかもしれません。
ブコウスキーについて。
ウドにお前はブコウスキーに似ているところがあるから、ブコウスキーを読めと数年前に言われて、その後ほったらかしておりました。nishiazabu さんが私の記事を読まれて、ブコウスキーを思い出すと書いてくださったので、これで二人の人から言われたことになり、最初に言ったウドに、お前、なんかブコウスキーのものを持っていただろうと言いましたら、ブコウスキーが酔っぱらって朗読したCDだかテープがあるから、出てきたら貸してやるということになりました。翌日、信州中野で小学生・中学生の混成クラスのレッスンの最中に、ウドから携帯に電話があり、テイピング(ダビングのこと)したものを届けておいたからとのことでした。
その後、聴いております。素っ気なくて好きです。
しかし、仕事をやる気がうせるのがまずい。
詩集はどんなのをお持ちなのでしょうか。
日本でも簡単に手に入るのでしょうか。
村田君が、船長が飯を食いに出ている間に船員どもが船をのっとったとかいうような意味のタイトルの本を昨日貸してくれました。女房にコピーしといてくれと依頼してあります。
私の手元には、村田君が貸してくれたこの一冊しかありませんが、nishiazabu さんのお持ちの本のタイトルを教えていただけますか。
もし、日本でも手に入るようでしたら、ブコウスキーをまとめ買いしていただけるとありがたく思います。
お金は払いますので、面倒なことをやっていただけるならお願いしようかと思っています。
ウドはブコウスキーの声は light だと言っていましたが、テープを聴いた限りではそんなに light ではない。詩集が響かせる声をウドは知っているので、それと較べると、生身の声の方が light だということだと思いました。
ブコウスキーの詩集を我が身で音読にかけてみたいと思っています。
ウドからもらったテープ、ダビング可能です。
自分の部屋で、ブコウスキーが吹き込んでいます。
途中で、タバコでせきこんで、
Wonderful ciger とか言っています。
お持ちでなかったら、ダビングしてお送りしますが・・・。
ciger
→
cigar
この cigar がもし ciger だと、「狭い音」になります。力の入っていない音です。
cigar だと、「開く音」になります。
cigar の方が、肺から口に戻った煙がもくもくといっぱい出ていくので、こちらが正解でした。
>それらを踏まえまして、Kawakamiが戻り次第、先生のところへ差し向けます。
Kawakami さんだけ差し向けないで、Ton 様も一緒に遊びに来られたらいかがでしょう。
お二人が、都合のつくときで結構です。
一杯やりましょう。
>一杯やりましょう。
もちろん そのつもりでおります。
宜しくお願いいたします。
>"これは、冗談ですが"と断ったはずです。あくまで、例えです。
承知しております。
語学をやりたいから監獄に入れてくれと国家にお願いするというようなもの言いも、私の冗談です。国家の監獄の世話になぞならんで、わしゃ、英語をやる。英語病のウイルスをかき分けかき分け、わしゃ、なんとか生活ができるようにする。そんでもって、英語は続ける。
しかし、それにしても私のもの言いはなかなか人が受け入れてくれない。
それで、生活が苦しいのが30年も続いたので、すっかりがらっぱちになってしまいました。
>前にも書きましたとおり、現在の私はアメリカに対して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。アメリカの文化は底が浅いです(歴史が浅いので当然ですが)。
現在の私は日本に大して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。日本の近代は底が浅いです。
アメリカに対しては、愛もなければ憎もない。
ニューヨークに対してなら、愛がありますが・・・。
友だちのウドというやつはニューヨークのしかもマンハッタンのしかもダウンタウンに住んでいたことがあるのですが、こいつに、私が、ニューヨークはアメリカじゃないと言ったことがありました。その通りだ、と返事が返ってきて、あんまり簡単に話が通じてびっくりしたことがありました。
アメリカ人のくったくのないところが私は好きですが、同時にあの人たちの自己標準化がどうにも嫌いです。
アメリカの政治はこの自己標準化によってできており、これはとことん嫌いです。
つまり、アメリカに対しては、愛憎ではなく、好悪があるだけです。
楽しみにしています。
>アメリカに対しては、愛憎ではなく、好悪があるだけです
説得力ありますねぇ。貴重な掲示板ですので、チャット化させてはいけませんので
控えますが、納得です。
>楽しみにしています。
こちらこそ、得がたい機会と思っています。
>中国は中国で現在もチベットを蹂躙しています。どの面下げて、日本に謝罪を要求しているのでしょうか?
賛成です。しかし、だからといって、日本がやったことが帳消しになるわけではありません。
>韓国に関しては、日本が出て行かなかったら、ほぼ確実に韓国は共産化
(北朝鮮化)していました。日本も共産化していたでしょう。
日本も韓国もロシアの属国です。
このあたりのことは、私は無知です。
村田君が詳しいです。
村田君、何か一言あっていいんじゃないか。
読ませていただいて、すぐにお返事を書きたくなったので、
すでに貴重な掲示板はチャット化しております。
どんどんやってください。
まだ、最近の記事についてお返事しきれていないと思いながら、寝ます。
私の持っている本は「パルプ」「ブコウスキーと町でいちばんの酔いどれ天使」
「指がちょっと血を流した始めるまでパーカッション楽器のように酔っ払った
ピアノを弾け」の3冊です。
事務所のすぐ近くにけっこう取り扱っている本屋がありましたので、明日覗いてみます。
ふと思ったのですが、根石さんはもしかして原書をお望みですか?
近くの本屋に並んでいたものは、すべて翻訳本だったような気がします。
それでもよろしければ、まとめ買いします。
またダビングの件、是非お願い致します。お手数おかけします。
つぎの表現は、この掲示板ではじめてみるような気が
します。
>私は、この密教を顕教としようとしています
>素読の素は、素人の素でもある
>>それと。Eliottさん元気ですかぁ。この前逃亡者のシナリオをやっていたPです。覚えてますか?難しいお話はできないので書きこめないですけど。ほんとうにEliottさんの音読はすばらしかったです。また長野に遊びに来て下さいね。
>これは勘違い。俺の家へ来ていたのは、Eliot さんじゃなくて、sbさん。
今日のカレーはスパイスを聞かせたシーフードカレー。楽しみです。でもアトピーがでる。。。
Pさん、お元気ですか?素読舎へはまた行きたいと思っています。いつになるかは未定ですが。。。Pさんの原稿を読んでエリオット先生がすでに音読CDを根石さんと作られたのかと勘違いしてしまいました。でもあの教材は必ず仕上げてほしいと思っています。日本人がつくる日本人による日本人のための教材。楽しみにしています。
小林亜星さん、私は感じてしまって困るの。あのろくにセリフを言わない仏頂面がいいですね。
あの人だけが、テレビドラマの臭いがあまりしない。あまりしゃべらないからかもしれませんが・・・。他の人は、ドラマの臭いがして、どうも嫌だ。
これは私も嫌いです。なぜこのドラマが今作られるのかというスケベ根性や集められたキャストの芝居くささが私もあまり好きではありません。あどデフォルメされた展開も嫌いですが、今回のは英語教育に関する部分がかなりあるので、思考の材料としてはとてもいいと思っています。あの吉田研作さんも監修されているようですし。以前自腹を切って受けた東京でお会いしました。実は吉田さんには(もちろん直接は会っていませんが)3回も講演をきいていました。よく考えてみたら。京都の大学の講演会、大阪の教材販売会社の宣伝も兼ねた講演会、そして先ほどの東京の講演です。いずれも非常に具体的でわかりやすい講演だったと思っています。
ドラマドラマしてるってのが嫌で、私はドラマは見ないのです。
それだけでなんか馬鹿くさくて・・・。
上3行と下3行は根石さんの投稿です。
技法グラウンドの語数設定には深いふかーーーーーーーーーーーい意味がありますね。
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現在の私は日本に大して愛憎半ばしています。むしろ憎さの方が強いと思います。日本の近代は底が浅いです。
アメリカに対しては、愛もなければ憎もない。
ニューヨークに対してなら、愛がありますが・・・。
---------------------------------------------------------------------------
日本の近代(特に戦後)はとことん、アメリカに影響されています。憲法、自衛隊もそうですし、
国字改悪もそうです。ウーマンリブ、セクハラなんぞもそうでしょう(私はこれらがイケナイとはいいませんが)。愛憎がなくて好悪のみですか? 余計なお世話ですが、沖縄の人の前では言わないほうがいいと思います。私はとても、根石 様のようにアメリカに対して(常には)冷静ではいられません。といって、いつもカッカしているわけではありませんが。
薬代ぐらい稼ごうと プライベートをうけることにしました。
それで新課程用の教科書を
今日 販売店で買ってきました。 サンシャインとホライズン。
どちらもとても カラフルで 絵が多い。 会話文が80%。リスニング問題も多くがユニットのはじめて練習問題にある
一年の教科書はゆっくり読んでたった8分 2年用は15分。
とてもつまらなくなってやめてしまった。こんなので英語の力がつくのだろうか?リスニングが多いが 生徒にスクリプトがぐばられるのだろうか?
まあシンプルな教科書は 使いようなのかもしれないが 私は 今度の教科書がすきではありません、
あとは教科書ガイドを見てきめるしかないなあ。
改定前の教科書の方が面白い。 私は テープを繰り返しきいてもあきなかったのと文法の導入がよかったのでニューホライズンをつかっていました。(ホライズンの 英語ガイドは 使い物になりませんが)クラウンは光波だが 文法がわかりやすかった。 コロンバスは口語が多かったが文字数も多かった。
皆様 新課程の教科書について どうおもわれますか?
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>アメリカに対しては、愛憎ではなく、好悪があるだけです
説得力ありますねぇ。貴重な掲示板ですので、チャット化させてはいけませんので
控えますが、納得です。
-----------------------------------------------------------------
どこが説得力あるのでしょう? どこが、納得なんでしょう?説明していただけますか?
失礼を承知で言わせてもらいますと、何だか茶坊主のゴマスリに聞こえます。
>英語フリークどもでは日本の英語がどうにもなりはしないという絶望があった
1つ年下の同僚のKさんは理系なのです。その人は根石さんやエリオットさんの考え方に非常に近く独自の考え方を持っている人です。その人に教えてもらった言葉「守破離(しゅはり)」
まず型の習得(守る)、それを自分自身で分析し(破る)、自分自身の考え方を発展昇華させる営み(離れる)。根石さんと國弘さんはこの関係なのですね。「どんでん」を追加注文したいと思います。20冊はほぼ完売しました。
はじめまして。
>どこが説得力あるのでしょう? どこが、納得なんでしょう?説明していただけますか?
失礼を承知で言わせてもらいますと、何だか茶坊主のゴマスリに聞こえます。
うん、取りかたでしょうね。それぞれの目線、琴線、はちがいます。
逆に聞きます。
詰まらん思想次元におちいらず、ほうようとした中に、一言、「(私は)愛憎はない、
(好きか嫌いか)好悪あるのみ」、。。スッキリしていてわかりいいじゃないですか?
しかして、わかりいい、納得できる、こういう考え方なのだなぁ、自説を理解させるに説得力がある、と書いてあります。
これをゴマすりととるのは あなたの勝手です。
こんなところですが これでよろしいですか?
まだご質問があれば、単純明快にどうぞ。
--------------------------------------------------------------------------
>中国は中国で現在もチベットを蹂躙しています。どの面下げて、日本に謝罪を要求しているのでしょうか?
賛成です。しかし、だからといって、日本がやったことが帳消しになるわけではありません。
-----------------------------------------------------------------------------
当然です。 しかし、正直言って、私は日本が中国、韓国で何をしたのかよくわかりません。この辺の事は、本屋に言っても、詳しく書いてある本は、なかなかみつかりません。だからといって、中国、韓国の言い分を鵜呑みにするのは、脳天気だと思います。
それにしても、なぜ日本だけが責められるのでしょう? 英国なんぞ、中国にインドのアヘンを輸出して大もうけをしたあげく、中国が堪り兼ねてアヘンの輸入を禁止すると軍隊を差し向けて戦争をしかけ、香港を奪い取りました。その香港もやっと2、3年前に中国に返還されたのです。この英国のやり口なんて、コロンビアの麻薬王が聞いたら、脱帽するでしょう。
アメリカもハワイを20世紀の初頭に(軍隊を使って)奪い取って、しまいには、自分の州にしてしまいました。どの面下げて、イラクのクエート侵攻を非難したのでしょう?
結局、冷徹なパワーポリティクスの前では、素朴な書生論など通用しないのではないでしょうか?
>韓国に関しては、日本が出て行かなかったら、ほぼ確実に韓国は共産化
(北朝鮮化)していました。日本も共産化していたでしょう。
日本も韓国もロシアの属国です。
このあたりのことは、私は無知です。
村田君が詳しいです。
村田君、何か一言あっていいんじゃないか。
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詰まらん思想次元におちいらず、ほうようとした中に、一言、「(私は)愛憎はない、
(好きか嫌いか)好悪あるのみ」、。。スッキリしていてわかりいいじゃないですか?
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残念ながら、日本とアメリカの関係はスッキリもしていなければ、分かり良くもないのですよ。
それが証拠に、日本にはアメリカにかぶれていながら、それを自覚していない人が大勢いるじやないですか。 ロックミュージシャンの一部には、日本語を英語風のアクセントで歌っているのがいるじゃないですか。あれをカッコイイと思う人の気がしれないです。
大分、お疲れのようです。
>残念ながら、日本とアメリカの関係はスッキリもしていなければ、分かり良くもないのですよ。
それが証拠に、日本にはアメリカにかぶれていながら、それを自覚していない人が大勢いるじやないですか。 ロックミュージシャンの一部には、日本語を英語風のアクセントで歌っているのがいるじゃないですか。あれをカッコイイと思う人の気がしれないです。
>あれをカッコイイと思う人の気がしれないです。
むこうもあなたをかっこいいとはおもっていないでしょうね。
これはスペースの無駄です。そうおもいませんか?
ぼくは思います。
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むこうもあなたをかっこいいとはおもっていないでしょうね。
これはスペースの無駄です。そうおもいませんか?
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確かに。なにぶん、馴れていないので。申し訳ありません。previewの機能があるといいのですが。
では、この掲示板本来の「英語」に関する本論に掲示板機能を戻しましょう。
根石吉久 様
いよいよ、ことは、44年未顕真実、第7の鐘とも、真言秘法とも 神がかってきましたが
その先へとご講義をお進めください。パクパクさんも「初出ですか?」と
目を輝かせ、小躍りしているのが目に浮かぶようです。
今日はだいぶにぎやかですね。
明日、ちょっと早起きしなければならない用事がありますので、明日以降に書き込みさせていただ
きます。
明日、H堂へ行って、話を聞いてもらうことになっています。
その結果によって、講演をやるかどうか決まると思います。
「回転読み」の一分枝として、「技法むすんでひらいて」というやつを工夫しました。
これは、コーチ付きのレッスンとしての「技法グラウンド」とは別物で、あくまで机上でひとり
で行うものです。
ある程度「回転読み」ができるようになった人が、手の指を一本ずつ折っていって、全部折った
ら一本ずつ立てていくと、「むすんでひらいて」になります。つまり、10回数えるのですが、
ミソは、途中で言い間違えたら、ご破算にして、最初から数え直すというところです。
この練習過程をビデオに録画しました。安物のテープにダビングしたせいで、画質がたいへんよ
ろしくないのですが、これを明日持参してみてもらおうと思っています。
講演をやることになったら、改めてお知らせします。
ともあれ、ありがとうございました。
Pです。
エリオットさん、Sdさん大変失礼しました。m(__)m Sdさんが根石宅に来ていた時にエリオットさん
の話題が多かったので混乱してしまったようです。ゆるしてください。
根石先生「一発臭い屁でもかませてやればいいのです。」の教えありがとうございます。
何かすっきりしました。因みに先生は私を隣町Y美人などといってますが、ただの間抜けな者凡人
(友人は変人と言う)です。^^
<アメリカでは10歳の餓鬼でも英語ペラペラとうあたりまえのことを認識しましょう。
斉藤さんの言葉、本当にそうだなぁと感じました.
私は昔から音楽が好きで英語の歌もよく聞いていて、口ずさんだりしていました。
でもうまく発音が出来なかったりで人にはとても聞かせられなくひどかったんですけど、
素読書のおかげでしょうか?最近はそんなに苦労しないで唄えるようになりました。
こりゃ、私にとって一石二鳥かも。やっぱり素読はすべてに置いて必要なんだと感じました
過去ログを辿るのが大変でした、、、
うーん。 私がかけ離れてうげっとなっただけかもしれないんですけど、
その・・・以前うげっとなったところはどこか探しました。
なんか引用するのも・・・余り乗り気でないのですが、
おじさんが「どこだ?」と聞くので、それじゃあ、UPします、、、。
>女の蜜にひかれて、今日も男はトチ狂う。あちゃあ!
> 英語も空しいけど、女の蜜にトチ狂うのも空しい。だって、女は近頃冷たいんだもん。
> アメリカなんぞに股広げてる女は、もう全員アメリカに輸出して叩き売るのがよろしい。
ですね。 なんかわざわざUPしてなんかこれを読んだ人みなさんに笑われそうだわ、、、
ところで、今日の夕刊にウドさんたちの展示会が載っていましたね! すごいですね。
父がこれと教えてくれて「明日、行ってみよう」ってことになりました。
(明日まで覚えていたらですが)
で、だめだあ。
ごゆっくり おやすみくださ〜い。
空き枠のお知らせです。
金曜日、夜、9時20分〜9時50分の枠が空いています。
シナリオ「ゴースト」を使って、映画のリスニングを目指すコース(社会人向け)か、中学の教科書を音読し、音のこなれを作り授業の吸収をよくするコース(中学生向け)のどちらかで埋めたいと思っています。
いずれにせよ、英語の音読講座です。「復習範囲を手放さない」という原理によって、音のこなれを作り、「技法グラウンド」というレッスン方法によって、新しい文を身体化していきます。
お問い合わせは、携帯電話にお願いいたします。
090−3316−4180
引用いただき恐縮しております。
だけど、どこが「生々しい性の表現」なんだ?
自分の文章ながら、がっかりしちゃったよ。
ウドの展示会は是非行ってみて下さい。
私も明日、時間がとれれば行く予定です。
昨晩も、ウドの店で友だちと飲んでいて、やたらに「生々しい性の表現」ばっかりしゃべっていたらしい。ときどき、しゃべり言葉でも、私は人をうげっとさせます。よろしくお願いいたします。
pさん
>エリオットさん、Sdさん大変失礼しました。m(__)m Sdさんが根石宅に来ていた時にエリオットさんの話題が多かったので混乱してしまったようです。ゆるしてください。
ゆるす。ゆるす。
でも、また勘違い。
sd さんじゃなくて、sbさん。
6月頃に、H堂で講演をやることにほぼ決まりました。
ビデオはさしあげて、見ておいていただくことにしました。
具体的になったら、電話いただくことになっています。
イギリスは bitch です。アメリカは son of a bitch です。
日本が、韓国や中国に謝罪する言葉が、そのまま植民地主義の傲慢によって、自分のものでないものを自分のものにした国々、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、アメリカ、日本、中国などのすべてを射抜く質を備えなければならない。その植民地主義の傲慢を射抜く言葉でなければならないと以前に書いた通りです。
アメリカに関しては、インディアン( native American )に対して、白人どもがやった行為がそのまま建国の歴史です。間違いなく泥棒行為です。
ほぼきまりでおめでとうございます。
ただ、わたしの親戚の米寿のお祝い
が6月15日にあります。
できれば、その日を避けていただければと
おもいます。
>1つ年下の同僚のKさんは理系なのです。その人は根石さんやエリオットさんの考え方に非常に近く独自の考え方を持っている人です。その人に教えてもらった言葉「守破離(しゅはり)」
まず型の習得(守る)、それを自分自身で分析し(破る)、自分自身の考え方を発展昇華させる営み(離れる)。
「守破離」という言葉は、最近 google で「素読」を検索語にして、ネットの記事を検索しましたら出会いました。Kさんにも、この掲示板に登場してくださいとお伝え下さい。
この「離」によって得られる質(文法にせよ、音にせよ、です)をなんとか名付けられないものかとずっと考えていますが、いい言葉を思いつきません。
「守破離」の全課程に働くものは、語学においては身体化ではないかと思っています。
身体化による「こなれ」というものがもたらすもの、その成立時が「離」の時だと思いますが、そこで穫れるものを「昇華物」と言っても、「結晶」と言っても、私が体感しているものとそぐわない。
「破」によって、質的な変化がもたらされ、それが「離」をうながすのだと思います。
以前からイメージとして私の中にあるものは、飛行機です。
飛行機が停まっている状態 「守」
飛行機が滑走している状態 「破」
飛行機が飛行している状態 「離」
あるいは、飛行機が滑走を始める時点 「破」
飛行機が離陸する時点 「離」
「離」によってもたらされる状態は「滑空」となりますが、状態ではなく質を言う言葉が欲しいとずっと思ってきました。
文法的理解なら文法的理解がセンスと化して動いている状態があります。「音づくり」によって得られる「通じる」という音の質があります。これらを串刺しにして言い当てる言葉が欲しいとずっと思ってきました。それは「暗算」のレベルだと、以前、Duffy さんからご教示いただいたのですが、これは計算については当てはまっても、語学についてはどうもいまひとつぴったりしない。
私が最近、「イデア」という語を使っていないとパクパクさんが指摘して下さいましたが、小学館文庫で書いたのは、軽く速く動くようになったイメージのことでした。これも同じようなことを言いたかったのですが、いまひとつ、言葉がこなれていない。
「イメージ」 → 「イデア」
「文法的知識」 → 「センスと化した文法」
「滑走」 → 「滑空」
「峰にたなびく横雲の空」の「横雲」のことなんですが・・・。
「上位運動態」とでも言えば、理科的には割と正確なんですが・・・。
(これ、セックスの体位とは関係ありません → Kぼん)
なんかないものか。
>薬代ぐらい稼ごうと プライベートをうけることにしました。
病気をお持ちなんですか。やばい薬じゃないですよね。
「プライベートをうける」というのは、プライベートで行うレッスンのコーチを受けたということだと読みました。それが最高です。
皆様へ
素読舎がやっている「電話でレッスン」もプライベートのレッスンです。
ご検討下さい。
再度 Jackie さんへ
サンシャインとホライズンなら、生徒さんは中学生ですね。
サンシャインはこのあたり(長野県北信地方)では使っていないようです。
ホライズンは私の「電話でレッスン」で信州中野の中学生を相手に使っています。
今年からずいぶんと水っぽくなりました。
しかしまあ、こんなものは水っぽくても、少し濃くても、しょせん同じなのです。
しょせん、学校は「音づくり」をやれていないのですから。
「音づくり」をやってみれば、教科書の中身が濃くても薄くても、しょせん、生徒に必要な時間は、そのそれぞれの生徒にとっては同じです。教科書の中身が薄くなったら、速めに一冊片づけて、何か別の教材を選んであげればいいだけのことです。検定教科書を越えた教材なんざ、いくらでもある。
ニューホライズンの教科書ガイドの質がよくないこと、まったく同じことを思っておりました。クラウンの方が、教科書ガイドは明らかに質が上です。
しかし、ニューホライズンを採用する学校が、私の住んでいる場所の回りで増えてきています。学校の教科書も、すでにショウバイ・レベルで決まるようになっているのだと思います。クラウンの方がショウバイは下手だが、質はいい。
>技法グラウンドの語数設定には深いふかーーーーーーーーーーーい意味がありますね。
ふかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい意味があるかもしれません。
とにかく、初心者は、語数が多いかで、「音づくり」の苦労がまったく違います。
ただ単純にそこに目をつけたのでした。
しかし、データが太っていかない。俺が忙しすぎるのだ。人間というのは、一人だけだとどれほどのこともできませんね。
「どんでん」完売ありがとうございました。
深く感謝いたしております。
お問い合わせのURLは、以下の通りです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/sodokusy/kazuhyo.htm
多いかで
→
多いか少ないかで
ごめんなさい。
寝ます。
なんで春はこんなにすぐに眠くなるのか。
なにはともあれ・・・。
私は趣味で数学をやっているので、たまに数学のnewsgroupのsci.mathというところに投稿するのですが、いまだに自分の書く英語に自信がありません。最低限、文法的に正しい英語を書きたいですが、難しいです。特に冠詞の使い方がよく分かりません。aかtheか無冠詞かによく悩みます。以前、アメリカ人におまえの書く英語は"somewhat poor"だと言われた(書かれた)ことがあります。これは、かなり例外的な状況で言われたことなのですが、ちょっとムッときました(私の英語がpoorなのは、言われなくてもわかっていますが)。まともな英語を書くには、どうしたらいいのでしょうか?
テープのダビング、少しお待ち下さい。
フルメタルジャケットのリスニングの記事は
非常に興味深かったです。
では、ゴーストの方はトライされてみたでしょうか?
チェックとして、冒頭のデミムーアのセリフを解説して
いただくとありがたいです。
(今、Hawai'iさんのサイトでも解説をお願いしています)
Molly:and that will leave us with all this space.
実に簡単な単語ばかりからなる英文ですが、聞き取りは
フルメタルジャケットより難解ではないかとおもいます。
なぜ、村田さんを指名したかというと、一音一音丁寧に
はじめは発音して練習すると、全体が聞こえるようになる
という記述があったからです。
ところが、このデミムーアのセリフは、化学結合して
まったく異音になっている感じがします。
(Jackie さん宛てのもの)
レッスンのコーチを受けた
→
レッスンのコーチを引き受けた
以前、Eliot さんが教えて下さった方法が参考になると思いました。
自分が書きたい分野の英文で、まともなものを手に入れるのは、google を使ってネットで手に入れると手に入れやすいのではないでしょうか。あるいは、newsgroup の投稿の中から、自分がまともな文章だと判断できるものを手本として手に入れるのでいいと思いますが、ともかくまともな文章を手に入れて、これをひたすら音読、筆写する過程で、とりわけ冠詞に注目しながらやれば、感覚的に身につけることが可能ではないかと思いました。
私もそんな勉強をやってみたいと思いますが、貧乏暇なしで、なかなか自分のやりたいように英語をやることができません。
google はヤフーで、google を検索語にして検索するとみつかります。
google で、自分の書きたい分野の英文にのみ使われるような語を使って検索すると、おびただしい数の文章がみつかると思います。
この検索エンジンを教えて下さったのも Eliot さんですが、現在非常に重宝しています。
Eliot さん、この場を借りてお礼申し上げます。
6月15日は、調べてみたら土曜日ですね。
電話してみます。
お返事、有難うございます。
確かに、いい方法だと思います。早速、実行してみます。
googleは、私も愛用しています。
Ton 様
>いよいよ、ことは、44年未顕真実、第7の鐘とも、真言秘法とも 神がかってきましたが
その先へとご講義をお進めください。パクパクさんも「初出ですか?」と目を輝かせ、
小躍りしているのが目に浮かぶようです。
44年未顕真実って何でしょうか。未顕真実は言葉としてわかりますが、44年ていうのは何でしょうか。ご教示下さい。
第7の鐘っていうのも教えて下さい。
パクパク様
何を書いたんでしたっけ?
ああ、そうだ。國弘密教と根石顕教でした。それと、何でしたっけ。
ああ、素読の「素」は「素人」の「素」でもある、でした。
どちらも、初出です。
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44年未顕真実って何でしょうか。未顕真実は言葉としてわかりますが、44年ていうのは何でしょうか。ご教示下さい。
第7の鐘っていうのも教えて下さい。
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googleで検索されるといいと思います。
創価学会の教えらしいです。
>
Pさんの原稿を読んでエリオット先生がすでに音読CDを根石さんと作られたのかと勘違いしてしまいました。でもあの教材は必ず仕上げてほしいと思っています。日本人がつくる日本人による日本人のための教材。楽しみにしています。
私の案では、例の「語数別分類」のデータを充実させ、1語〜10語でできた文をそれぞれ、100くらいずつの基礎データを作る。このあたりは著作権の問題は生じないで作りやすいと思います。これだけで一冊作り、CDをつける。
11語〜20語あたりは、例文を集める際に、著作権がからんでくるものがあるので、これをどうクリアするかが課題です。
まずは最初の1語〜10語でできた文だけで一冊作る案ですが、CDの他に、「発音10のポイント」あるいは、それを改訂したものを付ける。
CDを Eliot さんに吹き込んでいただく。
まずは、基礎データができないとどうにもならんのですが、例文がまともなものかどうかの判断が私には難しい。皆さんの協力を仰いで、データの候補を集め、数百の中から百を絞り出し、ネイティヴにまともな文ばかりかどうかチェックをいれさせる。これをやれそうな人はいます。私の友だちの息子です。アメリカで英語を教えています。日本でいえば、国語の先生というところでしょうか。
基礎データとして各語数でそれぞれ100ずつ集めたら、文字の基礎データ自体は私のホームページの語数別分類を改訂することで公表できます。
ホームページにアクセスできる人には、CDと「発音10のポイント」(の改訂版)だけをお買い求めいただき、コンピュータをやらない方には、書籍とCDと「10のポイント」のセットをお買い求めいただくというようなことを考えています。
出版してくれる出版社がみつかれば、出版社から出す方がいいが、みつからなければ、私の塾に印刷機がありますので、自分で必要なものを印刷してしまうことができます。また、CD作成に関して相談するところも、心当たりがあります。
自分で作った場合は、ネット上で売ることになると思います。
基礎データ作成にご協力いただけませんでしょうか。
そうですね。
灯台元暗しでした。
今日はレッスンの時間になっても、塾生を相手に熱くなっておりまして、すっかり時計を見ること
を忘れてしまい、申し訳ありませんでした。お許し下さい。
ブコウスキーの本についてですが、もしも東京で原書をみつけられましたら、入手してお送りいた
だけたらうれしく思います。いずれお願いするかもしれないというようなことを今日申しましたが、
本はあったときに手に入れないと後で手に入れるのが難しくなることがありますので、お願いしよ
うと思い返しました。ついでの時で結構ですので・・・。
村田君が東京でブコウスキーの原書をみつけてきて、私に一冊貸してくれています。
ウドも一冊貸してくれました。
・ The captain is out to lunch and the sailors have taken over the ship
・ Factotum
以上の二冊が手元にあります。
これ以外のものでみつけられたらお願いしたいと思います。
よろしくお願い致します。
下記の件、了解しました。
如説修行抄(501P)
)かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生まれけるこそ不祥なれ、法王の宣旨背きがたなれば経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を着て妙教の剣を提(ひつさ)げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上げて未顕真実の弓をはり正直捨権の箭(や)をはげて大白牛車(ごしゃ)に打乗って権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或いはにげ或いはひきしりぞき或いは生取られし者は我が弟子となる、或いはせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍(いくさ)やむことなし、法華折伏・破権門理の金言なれば終には権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗となって妙法一人繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱えた奏らば吹く風枝をならさず雨壌(つちくれ)を砕かず、代は義農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法ともに不老不死の理(ことわり)顕れん時を各々御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。
問うて云く如説修行の行者と申さんは何(いか)様に信ずるを申し候べきや、
答えて云く当世日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会(かいえ)しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深あることなし、念仏を申すも真言を保つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云、
予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり我等が本師・釈迦如来は初成道の始めより法華を説かんと思食(おぼしめし)しかども衆生の機根未熟なりしかば先(ま)ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、
以の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり、
所謂以方便力・四十余年・未顕真実是れなり、大荘厳等の八万も大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて領解(りょうげ)して言く法華経以前の歴劫修行の諸経は終不得成・無上菩提と申しきり給ひぬ、然して後正宗の法華に至って世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして・・・(如説修行抄)
ここでは、「如説修行の行者(仏説の通りに修行する者)というのは、どんな風に信心をする人をいうのですか?」
という問いをあげ、その答えとして、
「世間の人は "鰯の頭も信心から" というような事を言っているが、これはとんでもない間違いである。
法華経のみが唯一絶対の法であることは、仏の金言である。
法華経以外の法は、各宗の宗祖、開山等の人師が何といおうとも、仏が "方便であって、真実を説いていない" と仰せられているのであるから、絶対に捨て去るべきである。
仏の教えをもととして一乗の法たる法華経に帰依し信仰する人こそ、如説修行の人である」
と、まず第一段階の答えを出している。
「法華経も余経もおなじ仏説と いうがそしるのはじめ也けり」
釈迦如来は、初めて悟りを開かれたときから、その悟りの内容、根本である法華経を説こうと思われたのであるが、
これを聞く衆生は能力が低くて理解が出来なかったので
やむを得ずかりの教えである方便教を四十年余りもお説きになり、受け入れ態勢の整った所で、最初からの目的であった法華経を説かれたのである。仏は十九才で出家、三十才で悟りを開かれた。その悟りを開かれた始めの時。
法華経の序分にあたる無量義経を説かれた時に、その中で権教と実教のけじめを示し、方便教と真実教とを分けた。
それは、無量義経の中にある、
「今までの法はすべて方便であった。今までの四十余年間の教えの中には真実を説いていない」
というお言葉がそれである。
「釈迦如来説教すべて五十年 諸教方便法華真実」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まだまだありますが・・・
私は見る。君が世の引き起こす喧噪の中で聴覚を奪われ、
世の小人達の持つ針に刺されて責めさいなまれているのを.....
蠅叩きになることは君の運命ではない。
逃れよ、孤独の中へ。
ニーチェ:ツァラトゥストラ(市場の蠅)
ということで、本日はこれにて。
況や仏陀は無量広劫よりの不妄語の人。されば一代五十余年の説教は、外典外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。初成道の始より泥Tの夕にいたるまで、説くところの所説皆真実なり。 但し仏教に入て五十余年の経経八万法蔵を勘たるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり、顕教密教、軟語麁語、実語妄語、正見邪見等の種種の差別あり。
但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり。
大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給しかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身の諸仏来集して長舌を梵天に付く。 此の言、赫赫たり明明たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰て信ぜよ。伏して懐ふべし。 但し此の経に二箇の大事あり。倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず。華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗て自宗の骨目とせり。日蓮「開目抄 」)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仏教的歴史観を表するために、お釈迦さまが入滅されて以降の時代を、正法・像法・末法という三つの区分で示すこともあります。
(浄土真宗本願寺派 浄土真宗教学研究所「正法」について)
さて、この禅師の言葉からして、こんにちの私たちが学ぶことは何であろうか。こんにちは、すべてを社会の悪、機構の罪に帰せしめる考え方が支配的であるが、それは鎌倉時代の人々が、いまは末法の世であるとして、修行を棚上げして、罪を末法に帰せしめたのと、同じ風潮ではあるまいか。こんにちの人は、悪いことは何でも責めを世の中のせいにしているが、そこにかんじんな人間自身のことがおき忘れられているのではないか。大事なのは、なすべきことを自分がしているかどうかである。いたずらに外のものに追いまわされている眼を、一歩、内へ向けてみよ。「人々みな仏法の機なり」という禅師の言葉は、人間の尊貴にめざめしめる言葉として、私たちの反省をうながすのである。 (正法眼蔵随聞記 「人々皆仏法の機なり」 )
*曹洞宗宗務庁発行「正法眼蔵随聞記に学ぶ」(現在絶版)より抜粋
関連:弥勒菩薩
仏教の菩薩の名前。サンスクリットのマイトレーヤの音写。釈迦が予言した未来に出現する救世主。伝説によると南インドのバラモンの出身でと兜率天に上生し、釈迦滅後56億7000万年たって下生して、衆生を救うといわれている。梵語ではマイトレーヤで慈悲を意味する。慈氏菩薩とも呼ばれている。
未来仏、当来仏とも言われ、末法の世に釈迦の後継者として誕生し、苦しみのない弥勒浄土を実現する。
兜率天(とそつてん)において衆生の救済に尽力している。日本では盛んに信仰されている。
・末法思想・・・釈迦の滅後、時代の経過とともに正しい仏法が衰退していくという思想。正法(しょうぼう)、像法の時代を経て、教(仏説)のみ残り、行(実践)、証(その結果)の失われた末法にはいる。・終末観・・・正法、像法、末法の三時に分け、末法時における救いがたい退廃期あり、エゴの充満した世界を意味する。
真言・・・おん まいとれーぃや そわか
弥勒印にて 十誦(密教)
また云く、世間の人多分云く、「学道の志あれども、世のすえなり、人くだれり、我が根劣なり。如法の修行に堪(た)ふべからず。ただ随分にやすきにつきて結縁(けちえん)を思ひ、他生に開悟を期(ご)すべし」と。
今は云く、この言ふことは、全く非なり。仏法に正像末(しょうぞうまつ)を立つ事、しばらく一途(いっと)の方便なり。真実の教道はしかあらず。依行せん、皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有(けう)に浅間しき心根、下根なるもあり。仏、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の機なり。非器なりと思ふ事なかれ、依行せば必ず得べきなり。 (正法眼蔵『随聞記』巻五、第八節)
道元禅師当時にあっては、正法・像法の時代はもう過ぎて、世は末法に入ったと多くの人々から信ぜられた。この末法思想は、当時の杜会不安と結びついて、広く世間を風靡(ふうび)し、人の心を極度の不安と絶望におとしいれたのである。それ故に、浄土宗を開いた法然上人、浄土真宗を開いた親鸞聖人、日蓮宗を開いた日蓮上人等は、立場こそちがえ、いずれも末法の自覚に立って、末法にふさわしい教えを立てたのである。これに対し、道元禅師だけは、本節に見られるように、末法思想を強く否定されている。この末法否定の禅師の主張は、『正法眼蔵弁道話』にもみられるのであって、『弁道話』では、いまの末代悪世でも修行すれば証を得ることができるかという問いを設けて、「大乗実教には、正・像・末をわくことたし。修すればみな得道すといふ」と答えて、同じ趣意を強調されている。
禅師は、当時の社会を濁流のように押し流し、呑みつくす勢いであった末法思想に、身を挺(てい)して反対されたのである。門下の人々に、末法の金縛(かなしば)りから脱出するよう、強く呼びかけられたのである。それでは、どうして同じ時代の各宗の祖師がみな末法の自覚に立って、末法にふさわしい教えを立てたのに、道元禅師だけこれによらなかったかと言えば、それに答えるものがこの「人々みな仏法の機なり」という宣言である。
「人々みな仏法の機なり」とは、人は誰でも仏に成れる素質の持ち主であるということである。仏とは、十億万土のかなたにいますのではなく、五十六億七千万年ののちに現われるものでもなく、この娑婆(しゃば)世界で苦しんだり、悩んだりする、人間のほかにないというのである。人間はいつの時代であっても、どこの国であっても、人間であることに変わりはないのであり、人間であるかぎり誰でも仏に成れるという、高らかな人間尊重の宣言である。しかし、「人々みな仏法の機なり」とは、人がただそのままで仏であるというのではない。人が仏であるのは、自分を磨くという修行によってはじめて言えることである。このように言えば、この末法の世に修行して仏に成るなんて、と尻ごみするものがあるかも知れないが、禅師からは「修すればみな得道す」と説かれるのである。この禅師の言葉は、仏教の教理のたて前として、教学をよりどころとして述べられたのではなく、自分自ら修行し、自分自ら証を得た実証の事実として述べられているのであって、その言葉に千釣の重みがあるのである。
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では、この掲示板本来の「英語」に関する本論に掲示板機能を戻しましょう。
根石吉久 様
いよいよ、ことは、44年未顕真実、第7の鐘とも、真言秘法とも 神がかってきましたが
その先へとご講義をお進めください。パクパクさんも「初出ですか?」と
目を輝かせ、小躍りしているのが目に浮かぶようです。
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ある特定の宗教団体の教義上の言葉(44年未顕真実、第7の鐘)をあたかも誰もが知っているべきもののように一般公開の掲示版に書くのは、いかがなものでしょうか?
この行為こそ、この掲示板本来の「英語」に関する本論とは何も関係ないですし、
勘繰れば、その宗教団体の宣伝のようにもとれます。
これに対して、密教・顕教という言葉は十分に一般的な言葉ですので、問題はまったく無いと思います。
況や仏陀は無量広劫よりの不妄語の人。されば一代五十余年の説教は、外典外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。初成道の始より泥Tの夕にいたるまで、説くところの所説皆真実なり。 但し仏教に入て五十余年の経経八万法蔵を勘たるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり、顕教密教、軟語麁語、実語妄語、正見邪見等の種種の差別あり。
但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり。
大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給しかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身の諸仏来集して長舌を梵天に付く。 此の言、赫赫たり明明たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰て信ぜよ。伏して懐ふべし。
但し此の経に二箇の大事あり。倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず。華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗て自宗の骨目とせり。(開 目 抄 )
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
七の区分関連
仏教的歴史観を表するために、お釈迦さまが入滅されて以降の時代を、正法・像法・末法という三つの区分で示すこともあります。
浄土真宗本願寺派 浄土真宗教学研究所 御染筆「正 法」について
有人云く四十余年未顕真実とは成仏の道ばかり未顕真実なり往生等は未顕真実にはあらず、又難じて云く四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ給はば雙観経に云う不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給うか、若し爾らば四十余年の経経にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はずば法蔵比丘の成仏すでに妄語なり、若し成仏妄語ならば何の仏か行者を迎え給うべきや、又かれ此の難を通して云ん四十余年が間は成仏はなし阿弥陀仏は今の成仏にはあらず過去の成仏なり等と云云、今難じて云く今日の四十余年の経経にして実の凡夫の成仏を許されずば過去遠遠劫の四十余年の権経にても成仏叶いがたきか、三世の諸仏の説法の儀式皆同きが故なり、或は云く不得疾成無上菩提ととかるれば四十余年の経経にては疾くこそ仏にはならねども遅く劫を経てはなるか、難じて云く次下の大荘厳菩薩等の領解に云く「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過るとも終に無上菩提を成ずることを得ず」等と云云、此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏はかたきか。
有は云う華厳宗の料簡に云く四十余年の内には華厳経計りは入るべからず、華厳経にすでに往生成仏此ありなんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん、答えて云く四十余年の内に華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の義なり、(日蓮「顕謗法抄」)
有人云く四十余年未顕真実とは成仏の道ばかり未顕真実なり往生等は未顕真実にはあらず、又難じて云く四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ給はば雙観経に云う不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給うか、若し爾らば四十余年の経経にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給はずば法蔵比丘の成仏すでに妄語なり、若し成仏妄語ならば何の仏か行者を迎え給うべきや、又かれ此の難を通して云ん四十余年が間は成仏はなし阿弥陀仏は今の成仏にはあらず過去の成仏なり等と云云、今難じて云く今日の四十余年の経経にして実の凡夫の成仏を許されずば過去遠遠劫の四十余年の権経にても成仏叶いがたきか、三世の諸仏の説法の儀式皆同きが故なり、或は云く不得疾成無上菩提ととかるれば四十余年の経経にては疾くこそ仏にはならねども遅く劫を経てはなるか、難じて云く次下の大荘厳菩薩等の領解に云く「不可思議無量無辺阿僧祇劫を過るとも終に無上菩提を成ずることを得ず」等と云云、此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏はかたきか。
有は云う華厳宗の料簡に云く四十余年の内には華厳経計りは入るべからず、華厳経にすでに往生成仏此ありなんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん、答えて云く四十余年の内に華厳経入るべからずとは華厳宗の人師の義なり、
無量義経には正く四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して四十余年の内にかずへ入れられたり、人師を本とせば仏に背くになりぬ。
第一に教とは如来一代五十年の説教は大小権実顕密の差別あり、華厳宗には五教を立て一代ををさめ其の中には華厳法華を最勝とし華厳法華の中に華厳経を以て第一とす、南三北七並に華厳宗の祖師日本国の東寺の弘法大師此の義なり、法相宗は三時に一代ををさめ其の中に深密法華経を一代の聖教にすぐれたりとす、深密法華の中法華経は了義経の中の不了義経深密経は了義経の中の了義経なり、三論宗に又二蔵三時を立つ三時の中の第三中道教とは般若法華なり、般若法華の中には般若最第一なり、真言宗には日本国に二の流あり東寺流は弘法大師十住心を立て第八法華第九華厳第十真言法華経は大日経に劣るのみならず猶華厳経に下るなり、天台の真言は慈覚大師等大日経と法華経とは広略の異法華経は理秘密大日経は事理倶密なり、浄土宗には聖道浄土難行易行雑行正行を立てたり浄土の三部経より外の法華経等の一切経は難行聖道雑行なり、禅宗には二の流あり一流は一切経一切の宗の深義は禅宗なり一流は如来一代の聖教は皆言説如来の口輪の方便なり禅師は如来の意密言説にをよばず教外の別伝なり、倶舎宗成実宗律宗は小乗宗なり天竺震旦には小乗宗の者大乗を破する事これ多し日本国には其の義なし。
〔以下2つ 開 目 抄 〕
涅槃経の是諸大乗の文計りこそ雙林最後の経として是諸大乗ととかれたれば涅槃経には一切経は嫌はるかとをぼうれども是諸大乗経と挙げて次ぎ下に諸大乗経を列ねたるに十二部修多羅方等般若等とあげたり無量義経法華経をば載せず、但し無量義経に挙ぐるところは四十余年の阿含方等般若華厳経をあげたり、いまだ法華経涅槃経の勝劣はみへず密厳に一切経中王とはあげたれども一切経をあぐる中に華厳勝鬘等の諸経の名をあげて一切経中王ととく故に法華経等とはみへず、阿弥陀経の小善根は時節もなし善根の相貌もみへず、たれかしる小乗経を小善根というか又人天の善根を小善根というか又観経雙観経の所説の諸善を小善根というかいまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。
又大日経六波羅蜜経等の諸の秘教の中にも一代の一切経を嫌うてその経をほめたる文はなし、但し無量義経計りこそ前四十余年の諸経を嫌い法華経一経に限りて已説の四十余年今説の無量義経当説の未来にとくべき涅槃経を嫌うて法華経計りをほめたり、釈迦如来過去現在未来の三世の諸仏世にいで給いて各各一切経を説き給うにいづれの仏も法華経第一なり、例せば上郎下郎不定なり田舎にしては百姓郎従等は侍を上郎といふ、洛陽にして源平等已下を下郎といふ三家を上郎といふ、又主を王といはば百姓も宅中の王なり地頭領家等も又村郷郡国の王なりしかれども大王にはあらず、小乗経には無為涅槃の理が王なり小乗の戒定等に対して智慧は王なり、諸大乗経には中道の理が王
なり又華厳経は円融相即の王般若経は空理の王大集経は守護正法の王薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王雙観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王大日経は印真言を説く経の中の王一代一切経の王にはあらず、法華経は真諦俗諦空仮中印真言無為の理十二大願四十八願一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり、これ教をしれる者なり而るを善無畏金剛智不空法蔵澄観慈恩嘉祥南三北七曇鸞道綽善導達磨等の我が所立の依経を一代第一といえるは教をしらざる者なり
根石吉久様
>44年未顕真実って何でしょうか。未顕真実は言葉としてわかりますが、
44年ていうのは何でしょうか。ご教示下さい。
第7の鐘っていうのも教えて下さい
△斎藤伸夫説
>googleで検索されるといいと思います。創価学会の教えらしいです。
斎藤さんに一言、申し上げます。
これまでも、まともにひざをつきあわせるような形でお返事するになじまなかった
のは、浅薄、ないし論の飛躍が多く、時には論のするかえなど日本語にもなっていない
と読んできたからです。私は教育者ではありませんので、一々、これはどうしてこういう取りかたをするのかなどと
細かに正しながら長く対論することをしてきていません。時間的にも、また私の任でもないと考えているからです。
横レス、を為される場合も、どなたかが「質問」があった場合、
あなたが、その事実を認識している場合にはじめて、入れるのがNETでのマナーです。
勉強をしあいましょう・・・
私は一宗教法人のみの主張する思想を「例にあげること」は過去にも今後もありません。
■44年未顕真実
先ず、結論です。
「世間の人は "鰯の頭も信心から" というような事を言っているが、これはとんでもない間違いである。
法華経のみが唯一絶対の法であることは、仏の金言である。
法華経以外の法は、各宗の宗祖、開山等の人師が何といおうとも、仏が "方便であって、真実を説いていない" と仰せられているのであるから、絶対に捨て去るべきである。
仏の教えをもととして一乗の法たる法華経に帰依し信仰する人こそ、如説修行の人である」
と、まず第一段階の答えを出している。
「法華経も余経もおなじ仏説と いうがそしるのはじめ也けり」
釈迦如来は、初めて悟りを開かれたときから、その悟りの内容、根本である法華経を説こうと思われたのであるが、
これを聞く衆生は能力が低くて理解が出来なかったので
やむを得ずかりの教えである方便教を四十年余りもお説きになり、受け入れ態勢の整った所で、最初からの目的であった法華経を説かれたのである。仏は十九才で出家、三十才で悟りを開かれた。その悟りを開かれた始めの時。
法華経の序分にあたる無量義経を説かれた時に、
その中で権教と実教のけじめを示し、方便教と真実教とを分けた。
それは、無量義経の中にある、
「今までの法はすべて方便であった。今までの四十余年間の教えの中には真実を説いていない」
というお言葉がそれである。
「釈迦如来説教すべて五十年 諸教方便法華真実」
の釈迦の言です。つまり、ここの、「法華経」の文字を「根石英語」といいかえ、これまでの、を、文字通りこれまでの英語教育、といいかえたものです。
言い換えると、仏教における末法思想によく活用されますが、
基督教における終末思想においても関連して幾多の類例があります。
●第7の鐘第7の・・というは、仏教における700年、700年で切っていく時代区分で、創価学会の「七つの鐘」の場合はこれにそって、「七年ごと」にこの教団におこった区分をのべていますが、私はこれを差した覚えはありません。
以下にこの文献的証明を上に挙げますが、ここには元来無用ですので、質問された根石先生がごらんになったら、削除勝手とさせていただきます。