2401 村田さん 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 4日(木)15時28分47秒

教科書音法を捨てて、回転読みをしたから聞こえるのだと
おもいます。
多くの人は、実際に聞こえてくる音を正確に捉えていると
おもいます。
しかし、教科書音に拘泥するため、聞きのがすのだとおもいます。

例)
get up ゲラッpに聞こえるにも関わらずに、 [get]+[up]と
一単語ずつ 正確に発音記号どうりに言うのが教科書音法です。
発音記号のかわりに、ゲラッpとはじめから発音表示すれば
いいのではないかとおもうのが、生活音法です。

質問
この掲示板で、文字フォントの大きさはどういうやり方で
変えるのか教えてください。


2402 生活音法(文をひとまとまりの音) 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 4日(木)15時48分37秒

教科書音法How fast is it on skates? 
生活音法 ( How fa ~sisu~ on skate ? )
    スケートでどのくらいの速さ?

説明
 How fa st is it on skate?
    - *  u*

  - 長音
  * 黙字
  u 変字(i-->u)

このような、説明を不要とするのか、あった方がいいのかが
議論の分かれ目だとおもいます。


2403 フォントの大小 投稿者:村田  投稿日: 4月 4日(木)16時14分46秒

書き込み欄の上の
「内容(自動改行します。利用可能タグ一覧)」
という部分をクリックするとやり方がわかります。htmlのタグです。
ここでそのままやり方を投稿欄に書くと、大きい字だけが表示されて、
やり方がわからなくなると思いますので、そちらを参照してください。

それから「教科書音法を捨てて…」というご意見なんですが、私とし
てはちょっと違うと思うのです。考えがまとまらないので返事は少し
お待ちください。


2404 もう一例 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 4日(木)16時33分54秒

フォントの件、わかりました。

生活音法もう一例。
They both say they don't want to jump into any commitment thus far.
     se* ze* ***** wan* na

両者ともこれまでのところどんな約束事にも急に発展させたくはないと言っています。

教科書音法を信奉すると、don't をどうしても、聞き取ろうとします。
ネィティブは、高速に言っているのではなく、飛ばしているのだとおもいます。


2405 おまけ 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 4日(木)17時04分32秒

You must never do this or that. 
        di du* ** se*

    決して、あれこれできないですよ。

最後の聞こえは、ディドゥセになります。
これをこう言っていると考えるわけです。
教科書音法をいくら早読みしても、でて
こない音です。


2406 音法と文法 投稿者:sb  投稿日: 4月 4日(木)23時33分10秒

生活音法も学校音法もないと思います。
生活文法に学校文法がないのと同じこと、と言ったら言いすぎでしょうか?

学校文法がしっかりしていればいるほど、生活文法も使える。でもただ「文法」があるだけ。
学校音法がしっかりしていればいるほど、生活音法も使える。でもただ「音法」があるだけ。

私はそう思っています。

今はエリオットさんに薦めていただいた本を読んで音法を学ぶのが楽しいです。
文法もそうですが、自分が知っているのと人にうまく説明できるのは次元が違うと思います。


2407 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 5日(金)10時51分54秒

>学校音法がしっかりしていればいるほど、生活音法も使える。でもただ「音法」があるだけ。

 「学校音法がしっかりしている」ということの内実がわかりません。
 現在の学校では、音法と呼べるほどのものが成立していません。Eliot さんの教室は例外中の例外です。ほとんどの学校の英語の教室というものは、音に関してだけ言えば、草ぼうぼうです。この現状を目の前にして、「学校音法がしっかりしている」という理念を言うなら、それがどういう内実を備えたものかを言っていただかないとわかりません。


2408 パクパクさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 5日(金)11時39分37秒


   You must never do this or that. 
           di du* ** se*

       決して、あれこれできないですよ。

   最後の聞こえは、ディドゥセになります。
   これをこう言っていると考えるわけです。
   教科書音法をいくら早読みしても、でて
   こない音です。

 「決して、あれこれできない」とはどういうことをおっしゃっておられるのでしょうか。

 「ディドゥセ」ともし聞こえたとして、それをこのようにカタカナで固定しても、「これをこう言っている」と考えたことが外れになることはいくらでもあると思います。また、固定された「ディドゥセ」という表記を使って、始めて英語に触れる日本人の生徒が練習した場合に、通じる音が作れるようになるとは考えられません。こんな程度のものでどうにかなるのは、決まり文句だけです。決まり文句以外に適応したら、混迷が深まるばかりでしょう。

 もしも、原音と「ディドゥセ」との間の法則が確定できればすごいことになると思いますが・・。パクパクさんがおっしゃっているのは、そういうレベルの話だとは思えません。

 日本人の耳に「聞こえる通りの音」というのは、アメリカ人の耳に「聞こえる通りの音」とは違っているはずです。違っていると考える根拠は、日本人は、日本語という音の体系をすでに持っているということです。語学をやらないアメリカ人はアメリカ語を体感として自然化しただけの一枚岩ですから、日本語の音をすでに体感として自然化している日本人が英語をやる場合に抱え込む「異質さ・異和」などとはおよそ無縁です。馬鹿と利口が違うくらいに違います。もちろん、馬鹿の喩えは一枚岩の側に対してのものです。
 このあたりを無視して、日本人が日本人の耳に「聞こえる通り」の音を表記として固定化したところで、「生活音法」の内側にもぐることはできないでしょう。

 「教科書音法をいくら早読みしても」に関して。
 「教科書音法の速読み」という語は、私は使いません。「教科書音法」などというものが日本に存在しているとは思えないからです。存在しているのは、日本語の音体系から英語を読んだ場合に実現してしまう「通じない音」だけです。
 しかし、村田君が自分の音法を「教科書音法」の加速化ととらえているので、ここであえて「教科書音法」という語を使ってみます。
 「教科書音法の速読み」で映画の音に迫れるのは、「回転読み」の「回転」という身体化・内在化の力によってです。「回転読み」はいったん馬鹿になって、一つの文を何十回と読み込むわけですから、激しい「繰り返し」と考えてもよく、繰り返しの「回数」と考えてもいいのですが、そこをなんとかうまく言えないものかと思って、「回転というモメント」と言い方をしてきました。これこそが、身体化・内在化の力です。
 音に関して限定して言えば、「回転読み」の過程で、音が「質的に変化する」ということが起こります。余計な音(主に母音)を回転の動きで飛ばす(蒸散させる)こともできます。そのまた途中で、ネイティヴ音の複製を媒介にし、さらに回転させ続けると、音の全体がふわっと軽くなり、重力を感じないような感覚が生じます。滑走状態から飛行状態に入ったような感じです。
 「生活音法」というものは、この「飛行状態」のみでやりとりされる音法ですから、「教科書音法」との間に巨大な距離があるだけでなく、質的にも大きく違うものとなります。
 しかし、村田君の実験によって明らかにされていることは、「教科書音法」を鍛え込み、ネイティヴ音の複製を媒介にすることで、「生活音法」に肉薄することまでは充分に可能だということです。この後に、シャドウイングなどを行えば、さらに距離は縮められますが、私はシャドウイングという奴隷行為が嫌いなため行っていません。

 パクパクさんの嘆きは、音を外から眺めて、生活音法の内側にもぐりこめないという嘆きです。「外から眺めて」という姿勢には、語学にとって根本的に間違ったものがありますから、この嘆きが終わることはないでしょう。


2409 パクパクさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 5日(金)11時46分30秒


   They both say they don't want to jump into any commitment thus far.
        se* ze* ***** wan* na

   両者ともこれまでのところどんな約束事にも急に発展させたくはないと言っています。

   教科書音法を信奉すると、don't をどうしても、聞き取ろうとします。
   ネィティブは、高速に言っているのではなく、飛ばしているのだとおもいます。


 「両者とも云々」が意味不明のままコメントさせていただきます。
 don't を「飛ばす」はずはありません。
 それがあるとないとでは、論理が逆になるような重大な語を「飛ばす」などということがあるわけがない。

 don't は、音が「気配」に変化しているだけであり、目に見えなくても空気の中に水分が実在するように実在しています。この「気配」にとって、複製音声というものは実にまだまだのものだと思います。

 音声複製技術を信じ過ぎないことがいいと思っています。


2410 複製音声 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 5日(金)13時27分14秒

>don't は、音が「気配」に変化しているだけであり、目に見えなくても空気の中に水分が実在するように実在しています。この「気配」にとって、複製音声というものは実にまだまだのものだと思います。


気配や気や臭いは、複製技術がありません。


2411 量質転換 クリティカル数値 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 5日(金)14時08分38秒

>
音に関して限定して言えば、「回転読み」の過程で、音が「質的に変化する」ということが起こります。

村田さんの記述では、100回という数値がでています。
この数値こそ、M値と命名していいかも知れません。
初心者は、ともすれば、5、6回で量質転換を期待するからです。
30回でも、50回でも起こらない。
99回でも起こらない。
その100回目に起こる。


2412 パクパク様 投稿者:村田  投稿日: 4月 5日(金)15時38分34秒


パクパクさんに返事を書こうとしてうんうんうなっていたら、
とっくの昔に根石さんがすごいこと書いてた。「死を扱う技術」。

さらにまごまごしているうちに私が言いたかった以上のことを書
かれた。すごい。

でも書きます。


パクパク様
私は「教科書音法」「生活音法」という言い方にずっともやもやし
たものを感じていたのです。ずっともやもやしていて、言葉になり
ませんでした。

以前のパクパクさんの書き込みの、『「教科書音法」はすでに破綻し
ていることが指摘されています』という部分で挙げられていた「破綻」
の中身が、どうも私が読むときのルール(私が昨日書いた「自分ルー
ル」)と重なっているように感じたため、『「教科書音法」で練習して
も映画は聞き取れるのではないでしょうか』を書きました。
だから、「『教科書音法』を捨てたから聞き取れるようになった」と
言われると、なんか違うなあ、と思ったのです。

それから
「音が消える」とか、「このように聞こえる」、だからそういう音を
教える・学ぶべきだ、というご意見。
これは順序が逆だ、と直感的に思いました。しかしどのように逆か、
というのを考えて丸一日かかってしまいました。それでもうまく伝わ
るかどうかわからないんですけど…。

今まで練習してきた中での私の感覚からいうと…。
聞こえない、と言われる音は、気配を感じ取っていると思います。
その気配を感じ取るのは、自分の発声に関わる筋肉の動きだと私は
思っています。相手が話す音に無意識に自分の筋肉が反応して、実
際には自分は筋肉を動かしてはいないけど、筋肉が運動するのを感
じる感覚。

聞こえない音と言っても、実際は話し手は確実に筋肉を動かしてい
るわけで、その動きを感じ取る・聞き取る(ほんとは聞こえてると
思うんですよ)のです。

そして、そのような音に反応する感覚は、鍛えられて、速さを備え
た運動を持てるようになった筋肉にしかできない。

その基盤がないところに「こう聞こえるから」「この音は聞こえな
いから」といって、最初からそのように教えたり学んだりしたら、
ほんとに聞きとれなくなってしまうと思うんですよ。

筋肉に英語の音を受容できる動きをもたせること。それがまずある
べきだと思います。

最後に、私が長々と書いてきたことは、根石さんが、あえて私の書き
方に合わせて書かれた文章に集約されると思いますので、引用させて
いただきます。

> 「教科書音法の速読み」で映画の音に迫れるのは、「回転読み」の「回転」という身体化・内在化の力によってです。「回
>転読み」はいったん馬鹿になって、一つの文を何十回と読み込むわけですから、激しい「繰り返し」と考えてもよく、繰り返
>しの「回数」と考えてもいいのですが、そこをなんとかうまく言えないものかと思って、「回転というモメント」と言い方を
>してきました。これこそが、身体化・内在化の力です。


2413 根石様 投稿者:村田  投稿日: 4月 5日(金)15時39分13秒

根石先生。
前の私の投稿
『「教科書音法」で練習しても映画は聞き取れるのではないでしょうか』

>でも、私の練習の仕方の基本は、「教科書読み」です。
と書いたのは言葉足らずでした。

私の本意はこうです。
「私の練習の仕方は「回転読み」です。そして私は「回転読み」を「学校
でのゆっくり読む読み方=教科書読み」を練習者がその時点での速度の限
界に近づけるものでもあると捉えています」
です。
このように訂正させてください。


2414 パクパクさん教えてください、 投稿者:Hawai'i  投稿日: 4月 5日(金)15時43分34秒

パクパクさんに個人的にお願いがあります。先日のパクパクさんの
書かれた


   They both say they don't want to jump into any commitment thus far.
        se* ze* ***** wan* na

これと


   You must never do this or that. 
           di du* ** se*

この2つなんですが、とても興味があります。一度自分でも実際にそう聞こえるのか
試してみたく思っています。そこでご迷惑でなければ、これらの元になる資料を
お教えいただけないでしょうか。 
 

よろしくお願いします。


2415 パクパク様 投稿者:村田  投稿日: 4月 5日(金)15時46分38秒

初心者にとって音が滑らかになる一つの目安としての「回転読み」100回以上
というのは、以前、Duffy様の体験報告に基いて根石さんが示した回数です。

それから、「回転読み」における繰り返しの回数は、デジタルなものではな
いと思います。人間って、数字が一つ違うだけで劇的に変わるもんではない
と思います。


2416 筋肉知覚 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 5日(金)15時48分11秒


今まで練習してきた中での私の感覚からいうと…。
聞こえない、と言われる音は、気配を感じ取っていると思います。
その気配を感じ取るのは、自分の発声に関わる筋肉の動きだと私は
思っています。

私もたぶんそうではないかとおもいます。

昔、自転車乗りの練習をはじめたとき、
補助車輪を使う方法をやめろといわれた
ことがあります。
補助車輪に頼るからです。
これは、大昔の話です。
いまは、補助車輪で皆、練習しているとおもいます。

A:聞こえ音声表記(生活音法)+回転読み
B:教科書発音記号表記(教科書音法)+回転読み

Aの方が、補助車輪方式です。
Aのやり方でも、回転読みをします。
回転読みの練習時間は同じでしょう。
Bのやり方だと、教科書音声と実際の聞こえ音声の
開きがありすぎるので、途中でいやになるとおもいます。


2417 Hawai'iさんへ 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 5日(金)16時52分30秒

You must never do this or that. 
        di du* ** se*

これもつけて、3本の音声ファイルをお送りしました。
貴メールアドレス宛てです。
それぞれ、教科書音声と、ネィティブ音声を入れてあります。


2418 訂正 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 5日(金)16時57分31秒

 How fa st is it on skate?
    - *  u*

をつけました。


2419 パクパクさんへ 投稿者:Hawai'i  投稿日: 4月 5日(金)17時44分09秒

資料を早速お送りいただいたようで、ありがとうございます。
ただ現時点(5:42)メールを確認できる状況にないもので、
確認でき次第、早速聞かせていただきます。

繰り返しになりますが、ありがとうございました。


2420 ただ「音法」がある。ただ「文法」がある。 投稿者:sb  投稿日: 4月 6日(土)00時54分39秒

>「学校音法がしっかりしている」ということの内実がわかりません。現在の学校では、音法と呼べるほどのものが成立していません。

私が言ったのは学校音法とは音素の講義に終始しているという意味です。それも意識のある教員によってのみです。日本のほとんどの仏教と同じで日本の英語教育における音法教育は「インポテ」ではないでしょうか?でも発音記号でもやらないよりはましということです。村田さんが言っておられることに賛成です。根石さんも学校文法をしっかりやってきたプロセスがあったからこそ生活としての英語(黙読する場合など)に渡れたのではありませんか?
本当に必要な「音法」は「発音パーフェクト事典」に載っている順番で(リズムの項目から始まる)ポイントを押さえたものだと思います。



2421 村田君 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 6日(土)01時08分00秒

 村田君が教科書音法と言っているものに相当するものとして、教科書準拠のCDの吹き込み音などがあると、今思いつきました。
 しかし、これも教科書「音法」というほどのものではなく、ただゆっくりとていねいに読んだだけの音です。これに対して、パクパクさんが言っている生活音法は、映画のせりふの質(速度)に対応させることができます。こちらは本来語学用ではないので、語学をやる者に何の遠慮もしてくれません。(だから、あるレベルに達した人にはいい教材になるのです)

 私は基本的には、「音法」というからには、学校の教室などで使えるものでなければならないはずだと考えていますが、ひとまず、上の定義の元で書いてみます。

 ここで、論じられているのは、「教科書音法」でゆっくりとていねいに読むと顕れる音が、「生活音法」では気配に化けてしまうという問題だと思います。

 日本人が映画の「気配としての音」に応じているときに働いているものとして、

>  その気配を感じ取るのは、自分の発声に関わる筋肉の動きだと私は
   思っています。相手が話す音に無意識に自分の筋肉が反応して、実
   際には自分は筋肉を動かしてはいないけど、筋肉が運動するのを感
   じる感覚。

 これでどんぴしゃりだと思います。
 いよいよ、「回転読み」に秘められていたものを勘づいてくれたかと思っておりますぞ。

 「気配の音」を聞き取っているのは、口の筋肉の動きの感覚が内在化した二次的な感覚。実際の口の動きの感覚に対する影のような感覚という感じがします。
 英語だけで育って、英語だけを持っている人たちのしゃべりは、英語音に100パーセント特化されているわけで、この人たちの間では、「気配の音」はまったく自明なものとして聞き取れていると考えています。影のような感覚が共通感覚になっているからだろうと思っています。

 英語ネイティヴの人たちどうしの間の「気配の音」の自明性を成立させているものとして、「影の感覚」に劣らず重要なのがシンタックスの自然性だと思います。
 日本人は外在的な英語のシンタックスを力技で内在化させるしかないわけですが、英語しか持たない人たちは、子供時代に半ば無意識にシンタックスを内在化させてしまうので、シンタックスそのものは意識されないもの=自然性となっています。
 私たちが日本語をしゃべるときに、シンタックスなど意識しないのと同じです。
 この自然性こそは、「磁場」以外のものが育てることはできないものだと思っています。

 実は、「気配の音」が最初から聴きとれるか聴きとれないかは、シンタックスの自然性(無意識化の度合い)と大いに関連しているのだと思います。このあたりが、日本の英語教育界ではほとんどまったく理論化されていません。
 音だけを熱心に聞いていれば聴きとれるようになると思うのは、大いなる迷信だと思っています。自然化された(無意識化された)シンタックスが働いていないはずはない。

 日本語を主言語とする私たちは、意識的にシンタックスを内在化させることで、映画の音などに含まれる「気配の音」に肉薄するというところまでやればそれでいいのではないでしょうか。それで、英語の複製音声に対する義理は全部果たせると思います。

 映画の音の100パーセントの聴き取りをめざすということは、神経症的な行いになる可能性が高いと思っています。そんなふうに複製音声につきあう必要はない。
 私も複製音声は役に立てられるだけはとことん役に立てるつもりですが、複製音声を100パーセント聴き取ろうとは考えていません。複製音声なんぞに、そこまでつきあう必要はない。

 「気配」だって、録音技術の最高のレベルを使い、再生技術の最高レベルを使うならまざまざと聞こえてくるかもしれません。おそらく、再生装置だけでも数百万の金が必要でしょう。そんなものに金をかける気にはなる前に、そんな金がないと気づくだけのことです。2万円か3万円の機械でたくさんだと思っています。オーディオマニアになりたいのならともかく、語学に上達したいのであるなら、機械の質より「回転読み」の質をあげる方がずっとましです。

 人々が、「回転読み」の質の向上自体を伝授しうる「電話でレッスン」にもっと目を向けてくれないものかと思ってもいます。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


2422 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 6日(土)01時16分47秒

> 本当に必要な「音法」は「発音パーフェクト事典」に載っている順番で(リズムの項目から始まる)ポイントを押さえたものだと思います。

 この「音法」は、学校の授業で生徒の口の動きとして実現できるものでしょうか。
 それとも、個人で学んでやるしかないものとしてお考えでしょうか。

 本当は、学校でもできるはずです。Eliot さんの実例がすでにあるのですから。
 (しかし、公立と私立の間の、巨大な溝があります。)

 生徒の口の動きとして実現しないならば、「学校音法」などは存在しないと考えるのがいいのではないでしょうか。「インポテ」とおっしゃっている通り、「インポテ」だと思います。


2423 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 6日(土)01時33分05秒

>根石さんも学校文法をしっかりやってきたプロセスがあったからこそ生活としての英語(黙読する場合など)に渡れたのではありませんか?

 この場合の「学校文法」ですが、学校でやる文法の意味でしょうか。
 それだと、私はほとんどまったく学校から受け取ったものはありません。

 文法の骨子は、大学受験の浪人の一年で、自分で勝手に決めました。
 感覚でつかんだので、何ともこの「文法」を言葉では表せません。
 後で、文法の本を読んでみたら、たいがいは自分で決めたもので理屈は合っていました。
 (しかし、こんな文法用語で考えたら、簡単なものが難しくなるとは思いました)

 「学校文法」というものに、大学入試で点をとる文法というものも含めていいのでしたら、私は「学校文法」はどかどかやりました。学校でやらなかっただけで、これはやりました。学校でやらなかった「学校文法」というのも、しかし、おかしなものです。

 この意味での「学校文法」は実に役に立っています。
 黙読だの、しゃべりだのに使っているのは、この感覚と化した「学校文法」です。


2424 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 6日(土)01時36分16秒

>ただ「音法」がある。ただ「文法」がある。

 この言葉がとても好きです。
 sbさんらしい言葉です。


2425 これまた、一大発見! 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 6日(土)08時33分01秒

>実は、「気配の音」が最初から聴きとれるか聴きとれないかは、シンタックスの自然性(無意識化の度合い)と大いに関連しているのだと思います。

 根石さんへ。
 これは、初出の表現でしょうか?
 気配の音、シンタックスの自然性、それらの相互関係は、私には
 この掲示板がはじめてです。

 もうひとつ日ごろの疑問があります。
 外人が日本語を学ぶ場合です。
 一般的には、外人の日本語は、すごく上達が早いようです。
 それは、現象面だとおもっています。
 語学としてはいかがでしょうか?
 わたしは、米国人が日本語を学ぶ難しさは、日本人が英語を学ぶ難しさと
 ほぼ同じだろうとおもいます。
 このあたりの考察もしていただければとおもいます。


2426 パクパクさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 7日(日)02時39分01秒

 済みません。すでに深く酔ってろります、じゃねえ、おります。
 ろりますは、村田君だった。

>気配の音、シンタックスの自然性、それらの相互関係は、私にはこの掲示板がはじめてです。

 パクパクさん、村田君、私の協同作業で、私から出た言葉だと思いますが、こんなことばかり、昔から考えておりました。

>外人が日本語を学ぶ場合です。
 一般的には、外人の日本語は、すごく上達が早いようです。
 それは、現象面だとおもっています。
 語学としてはいかがでしょうか?

 H株式会社に来たオランダ人のことで、以前にお答えしたことを覚えております。
 外人が日本語を学んでいる「場所」をお考え下さい。
 そこは日本です。日本語の磁場です。「すごく上達が早い」のでなければ嘘だと思います。この場合、上達が早くなければ、お馬鹿さんです。
 これは、語学の問題であると同時に、まったく語学の問題ではない。
 語学の問題であるのは、ヨーロッパ系の言語から日本語に渡る行為をしているから。
 語学の問題でないのは、日本語の磁場の中で上達しているだけのことだから、です。


2427 起きました。 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 7日(日)11時51分26秒

パクパクさん

多少まだ、二日酔い気味です。
昨夜のものに書き加えます。

>語学の問題であるのは、ヨーロッパ系の言語から日本語に渡る行為をしているから
 語学の問題でないのは、日本語の磁場の中で上達しているだけのことだから、です。

>英語しか持たない人たちは、子供時代に半ば無意識にシンタックスを内在化させてしまうので、シンタックスそのものは意識されないもの=自然性となっています。(略)この自然性こそは、「磁場」以外のものが育てることはできないものだと思っています。

 この「磁場」は大人にも作用しています。
 私たちがとりわけ訓練を続けていなくても日本語を忘れないのは、日本語の磁場の中に暮らしているためです。私は、18歳でアメリカに渡り、数年暮らした後に、まったく日本語を忘れた英語フリークを一人知っています。磁場がなければ、ネイティヴ言語も体から抜けていくのです。
 逆に、日本に来た外人が語学的に日本語を勉強するなら、日々の暮らしの中に働く日本語の磁力が、その外人の習ったばかりの日本語を補強し、複層化し、自動化し、自然化します。
 私が「磁場だけがもたらす言語能力が絶対にある」と言ってきたものは、この、補強、複層化、自動化、自然化の作用によるものです。


2428 補正 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 7日(日)11時59分15秒

 「語学」という語でさえ、一般的に使われている意味以外のものを私は込めてしまっています。一般的な用法でも使っていますが、私が「語学」という場合、

 当該の言語の磁場を欠いた場所で、ただ意識だけを場として行う行為

 です。
 しかし、このあたりもだんだんと腑分けしていかないと、話が混乱しますので、これまで「語学」と呼んできたものを以下のように呼ぶことにしたいと思います。

 異質磁場における語学

 これは、例えば、日本語の磁場の中で英語をやるような行為です。
 つまり、日本に広く見られる英語学習はこれに該当します。


2429 「英語下手のすすめ」津田幸男(KKベストセラーズ) 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 7日(日)12時58分37秒

 私は「英語フリーク」という語を使ってきた。これは英語好きな個人をさす言葉だが、この種の人々が作り出す社会現象をとらえて「英語信仰」と名付け、これを否定する本である。

 読み始めた時は面白いと思ったが、読み進めるうちに次第に違和が増幅していった。とりわけその味のしない学術的文体について。

 鈴木孝夫の「日本人はなぜ英語ができないか」(岩波新書)と同様に、現状指摘はいい。しかし、そこから導き出される意見が、アメリカの歴史のように浅い。この人にも、骨に届くまでアメリカで英語をやった人に特有の意見の浅さがある。
 文体が、英語に脱臭されており、デオドラント効果が効いてしまっている。
 日本語が病気にかかっているのである。ハウス栽培の野菜のように、この人の日本語は日本語の味があまりない。これは、著者がかつて「英語信仰」の信者であったことのなごりであるだろう。あるいは、アメリカで論文を書いて高い評価を得、日本に帰って学者の地位を手に入れた人によく見られる病気のなごりだろう。
 私などと比べると、この人は劇的な人である。徹底した「英語信仰」の信者から、徹底した「英語信仰批判」に移った人だからである。
 非常に共感できる部分と、違和をもたらす部分とが交互に現れる書物であり、部分部分を引用し、引用部分についてコメントすることで、現在の日本の英語現象に関する私自身の考えを検証してみたいと思った。

----------------------------------------------------

(引用)
・・「英語信仰」は一種の人種差別を生み出す認識体系でもある。
 しかし現実には`信仰`に染まっているとは、誰も思っていない。誰もがこれらの考えを、正しく、ゆるぎのない`真実`としてとらえている。`信仰`を`真実`と思い込んで、知らぬ間に人種差別的な態度や行為を日本人は行っているのである。そこに「英語信仰」の重大な問題性があるのである。
 「英語信仰」はさらに「自己植民地化」を生み出してしまう。「自己植民地化」とは「自ら進んで支配者と同一化する」ことである。

 この指摘はいい。意見としていい。
 しかし、この日本語には、英語を読んでいるかのようなにおいがある。論述だから当然だろうというのかも知れないが、英語にローラーをかけられたような日本語という印象は私の中にはっきりとある。
 「英語にローラーをかけられたような日本語」という病態は、現在の日本で静かに進行しているだろう。しかし、この著者は、「英語信仰」を言い、それを批判し、否定するのであるから、こんな病態の中にとどまっていてはいけないはずである。そうでなければ、この人の「英語信仰」批判も、「英語信仰」から抜け出してはいないということになってしまう。

 いきなり「重大な問題性」に踏み込んでしまったが、以後は、なるべく各論を意見として扱うにとどめて書く。

 いずれ、量がたまってホームページに独立したページとする場合は、この本の末尾にあるメールアドレスに著者ご本人に読んでいただくようご案内するつもりである。


2430 「英語下手のすすめ」津田幸男(KKベストセラーズ)  投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月 7日(日)19時21分18秒

>この指摘はいい。意見としていい。
>しかし、この日本語には、英語を読んでいるかのようなにおいがある。

現代日本人のほとんど全員の日本語が英語の影響を受けていると思います。
人称代名詞(私、彼、彼女)の使用は特にそうです。
”自分を棚に上げて”批判するのも止むお得ない面があるのではないですか?
これは、よくある話で、自分を棚に上げずに批判していけないのなら、教師、評論家など
やっていられないでしょう。






















2431 訂正 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月 7日(日)19時26分05秒

>これは、よくある話で、自分を棚に上げずに批判していけないのなら、教師、評論家などやっ>ていられないでしょう。
すみません。”自分を棚に上げずに批判していけないのなら”は、”自分を棚に上げて批判していけないのなら”の間違いです。























2432 (無題) 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月 7日(日)20時00分11秒

根石吉久さん。  

>外人が日本語を学んでいる「場所」をお考え下さい。
>そこは日本です。日本語の磁場です。「すごく上達が早い」のでなければ嘘だと思います。こ>の場合、上達が早くなければ、お馬鹿さんです。

どうでしょうか?
日本人が米国に行って、英語の上達が早いとは特に聞かないですが。
人にもよるでしょうし、言語の特性も関係があるように思います。
外人(オーストラリア人)が中国語は難しいと言っているのを聞いたことがあります。
その人は日本語が話せます。









 


2433 根石さん 投稿者:sb  投稿日: 4月 7日(日)23時03分02秒

>この「音法」は、学校の授業で生徒の口の動きとして実現できるものでしょうか。それとも、個
人で学んでやるしかないものとしてお考えでしょうか。

音法も文法も「その気」になれば一人でも十分できるだけの学習環境は今の日本にはいくらでもあると思っています。「音法」が授業で生徒の口の動きとしてできるかどうかは、まだ実践していないのでわかりませんが、できると思います。いややってみて初めて「できる」と言えると思います。「文法」に関しては根石さんが素読舎で「実践」され「どんでん」も出版されています。そこで「文法」の基礎を教えずに「学習者が学びたくなるまで質問力を保留する」することを実践されています。「音法」も同じではないでしょうか。「学習者が学びたくなるまで質問力を保留する」ことを「音法」においても「実践」したいと考えています。公立と私立の「溝」とおっしゃいますが、私塾であろうが、公立であろうが、できると思います。ただエリオットさんのおっしゃる「巨大な金魚鉢」が特に「公立」には立ちはだかっているとは思いますが。。。
 


2434 根石さん 投稿者:sb  投稿日: 4月 7日(日)23時12分48秒

>この場合の「学校文法」ですが、学校でやる文法の意味でしょうか。それだと、私はほとんどまったく学校から受け取ったものはありません。

そうでしたね。すみません。sbとしたことが。以前お話されていましたね。忘れていました。

>文法の骨子は、大学受験の浪人の一年で、自分で勝手に決めました。感覚でつかんだので、何ともこの「文法」を言葉では表せません。

その通りですね。そうですね。

>後で、文法の本を読んでみたら、たいがいは自分で決めたもので理屈は合っていました。

それが根石さんのすごいところだと思います。テレビを見ないのもすごいけどちょっと変わったおじさん。家を建てるのもめちゃくちゃすごいけど、かなり変な人という感じかな。。。

>「学校文法」というものに、大学入試で点をとる文法というものも含めていいのでしたら、私は「学校文法」はどかどかやりました。学校でやらなかっただけで、これはやりました。学校でやらなかった「学校文法」というのも、しかし、おかしなものです。

これもその通り。私が「学校文法」なんて言葉を使ってはいけませんよね。ここで「学校文法」なんて言葉を使うこと自体、私がいかに学校で教えられている「文法」にしばられているかがわかります。反省しきりです。ただ「文法」があるのみですね。

>この意味での「学校文法」は実に役に立っています。

この意味とはその意味です。

>この感覚と化した「学校文法」です。

感覚と化すまでには「自分自身への質問力のタメ」が必要だということですね。


2435 斉藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 8日(月)00時40分11秒

>現代日本人のほとんど全員の日本語が英語の影響を受けていると思います。
 人称代名詞(私、彼、彼女)の使用は特にそうです。

 ちょっと正確ではないと思います。
 おっしゃっているのは、語法のレベルのことですが、私が問題にしたのは、津田という人の文体についてです。
 英語にローラーをかけられたような味のしない文章と私は言いました。

 「彼、彼女」という人称代名詞を日本語の文の中に使うことは、別にまるで英語をやったことがない人でもやります。これは明治の頃からの語法ではないでしょうか。最初に使われ始めてからすでにかなりの時間がたっており、すっかり日本語の中に定着していると思います。そもそも最初にこれらの語を使い出した人たちには、英語かどうかはわかりませんが、西洋語の影響があったと思います。「私」という語の使用が西洋語の影響であるということはないのではないのでしょうか。
 間違っておりましたら、どなたでも結構ですからご指摘下さい。

 いずれにせよ、私が言っているのは、「語の使用」のレベルのことではありません。



”自分を棚に上げて”批判するのも止むお得ない面があるのではないですか?
これは、よくある話で、自分を棚に上げて批判していけないのなら、教師、評論家などやっていられないでしょう。

 そういう輩がいくら多くいたところで、本来、批評や批判というものはそういうしろものではないと思っています。


2436 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 8日(月)03時19分47秒

>日本人が米国に行って、英語の上達が早いとは特に聞かないですが。
 人にもよるでしょうし、言語の特性も関係があるように思います。

 さきほどは、簡略字で斉藤様と書きまして失礼しました。

 そもそも、パクパクさんが提示された問題は、異シンタックスの問題でした。
 アメリカ人が日本語をやれば、日本人が英語で苦労するのと同等の苦労になるはずだということをパクパクさんはおっしゃっていたと思います。これだけのことならその通りだと思います。
 しかし、言語の「磁場」の観点を外すわけにはいきません。

 日本人が英語をやる場合、日本にいて英語をやるのと、アメリカにいて英語をやるのとでは、まったく事情が異なります。
 アメリカ人が日本語をやる場合、アメリカにいて日本語をやるのと、日本にいて日本語をやるのとでは、同様にまったく事情が異なります。

 日本人が米国に行って英語の上達が早いかどうかですが、もちろん人によります。
 ですから、あくまで理論的に仮定した話として聞いていただくと以下のようになると思います。

 同等の語学的センスを持った日本人が、同じだけの努力を傾けて、一人は日本で英語をやり、もう一人はアメリカで英語をやった場合、これはまったく異なる結果が出ます。
 アメリカに行きさえすれば英語が身につくのは、子供の場合だけであり、大人の場合は、英語を語学としてきちんと扱うかどうかが重要です。アメリカに行きさえすれば英語がものになると言っているのではないのです。いくらアメリカにいても、何の語学的努力もしないならば、英語が身につくことはないでしょう。しかし、アメリカにいて語学的努力をした場合には、日本にいて同量の努力をした場合とまったく比較にならない結果が出ると思っています。馬鹿らしいほど当然のことではないでしょうか。「磁場」が語学を底から支えてくれるのですから。

 ちょっと回りを見回してみていただきたい。
 ぺらぺらしゃべっているのは、みんなアメリカ帰りです。
 この現象の基底には、シンタックスの自然化ということがあるのです。
 シンタックスの自然化に関しては、日本語の磁場の中で英語をやっても、労多くして実りの少ないものです。
 私は、この「労多くして・・・」だけをやってきた人間です。
 英語の磁場で英語を身につけたわけではありません。
 我が身を実験台にして得た結果を正直に言えば、「労多くして実り少なし」です。

 それが、日本にいつづけたことの意味だと思っています。
 そして、そこにこそ「語学」の意味を見いだしています。


2437 磁場の存在証明 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 8日(月)09時28分30秒

>
アメリカにいて語学的努力をした場合には、日本にいて同量の努力をした場合とまったく比較にならない結果が出ると思っています。馬鹿らしいほど当然のことではないでしょうか。「磁場」が語学を底から支えてくれるのですから。

最近、磁場が存在するのではないかとおもうようになりました。
比喩的な意味ではなく、物理的な意味においてです。
脳内電流が流れれば、そこに磁場を発生するので、それに感応するわけです。
複製技術は、この磁場を発生しません。
さらに面白いことは、日本人が英語の音声を朗読しても、そこに磁場が
できるのではないだろうかと思うようになりました。
では、自分の声でいいのかというと、これは、磁場の感応量がすくなると
おもいます。
しかし、はげしくこつこつ音読すれば、砂金のように微量でも集めれば
一定量を越すので、臨界点に到達するのではないかとおもいます。

根石さんへ
 最近、この掲示板では、イデアという表現を見受けません。
 これはなぜでしょうか?


2438 語学教育家の問題 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 8日(月)11時10分00秒

蟹に味噌のあるものとないもの

アメリカの磁場を受けて、英語の上達した
者が、日本で語学を教える資格があるのか?

無いとおもう。
幻想を売っているだけだろう。
あるいは、大学入試で高得点をとる技術、
翻訳技術を教えているのだろう。
しかし、これでは、生活言語はわからない
ままである。
生活言語=映画の言語に近い。

今求められている英語能力とは、
受験英語力や翻訳英語能力ではなく
生活言語だろう。

日本人の圧倒的多数は日本語磁場にいる。
この自覚すらない。
語学教育家、語学教師は、実に少数であるが
ゼロではない。
 


2439 エールをお送りします 投稿者:中山  投稿日: 4月 8日(月)16時11分51秒

根石さま
2002/04/09                    中山

初めてメールをいたします。
「素読」の語を検索していて、偶然貴HPを拝見致しました。

読み進んでいる内に、感激のあまり涙が出てきました。
齢50をとっくに越えた中高年サラリーマンの流す涙は
ぞっとしませんが。

私は電機メーカに勤務しているものですが、20数年前に
仕事で米国ロスアンジェルスに家族といっしょに数年間
くらしたことがあります。

その生活と仕事でつかうことになった英語(米語)とその
習得法が、帰国してから会社の仲間や世間・学校でなさ
れている英語の習得とかなり違っているので驚きました。

それまでは英語習得法なんぞは意識したこともなかった
のですが。

帰国当初はその違和感と、効率的、安価な習得法(安易で
はないのですが)を伝えようと職場の同僚や部下達を相手に
頑張っていたのですが、「布教」見たいな感じでした。

しかし日本の組織文化のなかではアメリカ帰りを鼻にかけたキ
ザな奴としかうけとられず、冷や飯をくわされました。

そのあと、私は「改心」しまして、部下の英語大好きOL嬢達に
「われわれ英語屋は、日本人の英語コンプレックスを食い物
にする稼業なのだぞ。だから本当のことを教えても結果として
相手を傷つけ、うらまれるだけだから、適当にあしらうように」
と伝え、「洗脳」していました。

冒頭の文の「涙」は、その方法論を体系だって説明している人
が日本にいたのだという感激の所産です。単なる私の無知
なのかもしれませんが。

根石さんの方法論は、全く実際的で理にもかなっていると
私の体験からも納得できます。私の場合だけかもしれませんが。 

ただ、ご著書にはまだ触れたことがありませんので勝手な
思い込みがあるといけませんので、会社の帰りに貴書を書店
で探そうとおもってます。

孤軍奮闘のご様子ですが、ここ東京から心をこめて応援を
いたします。

                        中山拝


2440 浜谷さん from Hamaya's 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 8日(月)21時00分57秒

 その後も、助動詞の過去形のことを考えておりました。
 それでふと思ったのですが、「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」というものと、仮定法の「仮定」とはもともとは別のものではないのではないかと思ったのでした。

 「こうしようと思えばできるんだがなあ」というような感じで、could を使う場合、「こうしようと思えば」の仮定部分と、「できるんだがなあ」の遠回しは、もともとは「こうしようと思えばできるんだがなあ」という具合の一つのものです。
 「こうしようと思えば」の方に重点を置いて考えると仮定法です。
 「できるんだがなあ」の方に重点を置くと、遠回しです。

 いかがでしょうか。

 私の掲示板での議論についてこちらでお返事するのは失礼かとも思いましたが、近頃は私の掲示板で浜谷さんをお見受けしなくなりましたので、こちらに書かせていただけば確実にお目にとまると思った次第です。

 私は薪作りと畑仕事と家の自作のため、余所様の掲示板をたまにしか見ることができなくなっておりますので、お返事をいただく場合は、私の掲示板の方にお願いできればと思っております。
 こういうお願いは掟破りになるのでしょうか?

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


2441 仮定法の<方>について 投稿者:Hawai'i  投稿日: 4月 8日(月)21時51分05秒

いつも興味深く拝見しています。

ところで、

皆さんの”仮定法”についての熱い議論を読ませていただいているうちに、
10年ほど前に読んだ文法書の一節を思い出しました。

その方の議論に

よると、英語には仮定<法>なるものは、そもそもなく、仮定<法まがい>
しかない、

そのようなことが、主張されているように記憶しています。

その考え方が絶対に正しいかどうかはともかく、

一般に”有る”と信じられてきたものを、”無い”として
考えてみるのは、今までは異なった角度から眺めることになって、面白いかも
しれません。

ちなみに参考までに、その本の一節を引用しておきます。
(Cambridge University Pressからでている、Huddleston氏によって書かれた
English Grammar: an outlineの80ページからの抜粋です)

Mood(法) involves the grammaticalization of modality. More specifically, mood
applies to a system of the verb, marked inflectionally or analytically 中略.
Again, then, English does not have mood as a grammatical category.

スペルミスがあったら、すみません。

http://www.tv-naruto.ne.jp/ejyuku/english/grammar/tense/tense_subjunctive3.htm


2442 訂正させてください 投稿者:Hawai'i  投稿日: 4月 8日(月)21時52分12秒

タイトルの仮定法の<方>は<法>の間違いです。
失礼しました。


2443 中山さんへ 投稿者:パクパク  投稿日: 4月 8日(月)22時56分19秒

はじめまして。

効率的、安価な習得法(安易で
はないのですが)を伝えよう

  この習得法は、素読(音読)を中心としたものと
  理解してよろしいでしょうか。


2444 根石吉久様 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月 8日(月)23時35分10秒

根石吉久様

斉藤で一向に構いません(どちらでもいいです)。

”いくらアメリカにいても、何の語学的努力もしないならば、英語が身につくことはないでしょう。しかし、アメリカにいて語学的努力をした場合には、日本にいて同量の努力をした場合とまったく比較にならない結果が出ると思っています。馬鹿らしいほど当然のことではないでしょうか。「磁場」が語学を底から支えてくれるのですから。”

おっしゃるとうりだと思います。

”私は、この「労多くして・・・」だけをやってきた人間です。
 英語の磁場で英語を身につけたわけではありません。
 我が身を実験台にして得た結果を正直に言えば、「労多くして実り少なし」です。”

私も同様です。ただし、根石様と同程度の努力をしたかは、はなはだ疑問ですが。

”それが、日本にいつづけたことの意味だと思っています。
 そして、そこにこそ「語学」の意味を見いだしています。”

わかるような気がします。





2445 中山様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 9日(火)00時40分09秒

こちらこそ、感激しました。
コンピュータは二階にありますので、すぐに女房を呼びに一階に行き、おい、ちょっと来いと言
って二階まで連れてきて、中山様の文章を読ませました。
少しは俺を見直せと言ったのですが、その私の言葉を無視して、中山様の文章を何度も読み直し
ておりました。

ホームページをお読みいただきありがとうございました。


2446 皆様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 9日(火)00時46分14秒

まぶたが重いので、寝ます。
明日は、昼間から「電話でレッスン」がありますので、お返事が書けるかどうかわかりません。

斎藤さん、ありがとうございました。


2447 中山様(1) 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 9日(火)13時08分44秒

 中山様に対する興味が生じております。よろしければ、いくつかお教え下さい。

 「素読」という語で検索をかけて、私のホームページをみつけられたとのことですが、どのような経緯から素読に興味を持たれたのでしょうか。以前から、実践なされている英語習得法あるいは英語維持方法が素読になんらかの関連があるのでしょうか。

 私のホームページのどのあたりを読んでいただいたのでしょうか。私としては、その時々に書きたいものを書いて放り出してきたので、何をどの順番に書いたのかもわからなくなっております。同じことを何度も何度も書いてきたという感触だけははっきり残っていますが、そのことによって、わずかずつ新しいものを拓いたとも思っております。
 日本語で書くという作業においても、ある意味で私は素読的方法を生きているのかもしれません。

>  その生活と仕事でつかうことになった英語(米語)とその
   習得法が、帰国してから会社の仲間や世間・学校でなさ
   れている英語の習得とかなり違っているので驚きました。

 ここに書かれた「習得法」はアメリカで出会ったものでしょうか。それとも、日本にいた頃にすでに実践されており、アメリカに渡ってからも継続されたものでしょうか。

>  帰国当初はその違和感と、効率的、安価な習得法(安易で
   はないのですが)を伝えようと職場の同僚や部下達を相手に
   頑張っていたのですが、「布教」見たいな感じでした。

 私も、「布教」みたいな感じをずっと続けてきましたが、最近になってようやく少し空気が変わったかみたいな感触があります。「素読」とか「音読」ということが、一部で見直され始めていると思っています。
 話が逸れますが、小学校の「総合学習の時間」は日本語の「音読」の時間にしてもらいたいものだと私は強く思っています。日本語の屋台骨がしっかりしていない若者が今、非常に多くなっています。そして、日本語の屋台骨さえしっかりしていない人たちが、英語英語と騒ぐのを見ると、なんだか虚しく悲しいのです。この元に、小学校の日本語に対する扱いのずさんさがあると思っています。

>  しかし日本の組織文化のなかではアメリカ帰りを鼻にかけたキ
   ザな奴としかうけとられず、冷や飯をくわされました。

 このあたりの話も詳しくお聞きしたいと願っています。お急ぎにならなくて結構ですので、いずれお聞かせ下さい。時間を置いて、連載していただくのでも結構です。
 最近、機会があって、遠藤尚雄という人の「英語は独学に限る」(主婦の友社)を読みました。ファナックで華々しい活躍をされた人の本です。こういう華々しさの陰に、日本在住のまま英語を持ち続ける人たちの地味で陽の当たらない語学というものがあります。この語学の場からの本当の声が日本ではまるで聞こえてこない。ハウツウを求める声やハウツウを教える声はありますが、日本にいながら日本語にローラーをかけるようなつらい経験を語る声がない。つらさを語ることを避ける日本人の美徳もからむのでしょうが、英語信仰、英語病、英語フリークたちが、陽の当たる方ばかり見ていて、日本語が呻く内心の声に耳を傾けることがないためだとも思っています。日本語の呻きが聞こえないということが、英語信仰、英語病、英語フリークの病態なのだと思っています。


2448 中山様(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 9日(火)13時09分33秒

>  冒頭の文の「涙」は、その方法論を体系だって説明している人
   が日本にいたのだという感激の所産です。

 私が書き散らしてきたものを、「体系」だててくれる編集者が欲しいと願っております。
 私はすでに書きましたように、その時々に書きたいことを書き散らしてきました。今後も、亡霊、妄想を相手取って、斬ることを続ける作業は避けられないと覚悟しています。書き散らしたものは、なるべくホームページに掲載していこうと思っていますが、この量に対して、自分なりの光をあてて洗い直すような作業をしてくれる編集者の出現を心待ちにしています。

>  孤軍奮闘のご様子ですが、ここ東京から心をこめて応援を
   いたします。

 ありがとうございます。
 中山様も孤軍奮闘なさってこられた方であることは、昨日の記事ではっきりと読みとれました。この上は、この掲示板をご利用いただき、常連の方々や私と相互に語学論を照らし合わせていただけるなら、非常にうれしく思います。どうぞ、お書きいただきたくお願いいたします。


2449 根石先生 投稿者:浜谷  投稿日: 4月 9日(火)20時53分51秒

>「こうしようと思えばできるんだがなあ」というような感じで、could を使う場合、「こうしようと思えば」の仮定部分と、「できるんだがなあ」の遠回しは、もともとは「こうしようと思えばできるんだがなあ」という具合の一つのものです。
 「こうしようと思えば」の方に重点を置いて考えると仮定法です。
 「できるんだがなあ」の方に重点を置くと、遠回しです。

それでいいと思います。もともと仮定法に「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」の意を込める
用法は本来の「仮定」の意の延長線上にあるものだと考えています。 

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


2450 浜谷さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 9日(火)23時51分23秒

>もともと仮定法に「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」の意を込める
  用法は本来の「仮定」の意の延長線上にあるものだと考えています。 

 「仮定」の意の延長線上にある「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」が、近頃の女のように勝手に振る舞い始めることがあり、もともと「仮定」だった歴史があるなんて、あたし知らないもん、「ていねい・遠慮・自信のなさ・遠回し」だけで生きていくもん、という感じで実際に使われることはあると思います。
 で、しかし、その、近頃の若い女のような勝手な振る舞いはそれでいいのか、ということです。
 生活的にはそれでいい。学問的にはまるで駄目。
 このあたりが落としどころだと思いました。
 学問的にはまるで駄目な用法が映画には多く出てきますので、私も多少それに染まっていたような気味があります。しかし、「正しさ」を持ち出して、生活的語法につべこべ言うような言説には、私は黙っていることができません。その「正しさ」は何に根拠があるのかを、どこまでも問いつめる覚悟があります。
 今回は、根拠があったのでほっとしています。

 いずれにせよ、落としどころが見つかってよかったと思っています。


2451 まもなく日が変わるのだが 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月 9日(火)23時53分28秒

女房が、5人の「電話でレッスン」を終了し、腹が減ったと耳元で邪魔しますので、
これから上山田の舞鶴まで蕎麦を食いに行きます。

多分、帰ってきたらそのまま寝てしまいます。
皆さん、おやすみなさい。


2452 根石さん 投稿者:sb  投稿日: 4月10日(水)14時22分00秒

>「音づくり」日誌を書かれてはいかがでしょうか。

実践がまだなのでどうかわかりませんが、実践する予定です。

書き込みをした場合はぜひご批判ご意見アドバイス等よろしくお願いします。

エリオットさんのスラッシュ訳プリントを一部参考にさせていただいて
「音読・筆写練習プリント」なるものを作りました。どうなることやら。。。


2453 おじさん、明日よろしくお願いします。 投稿者:Kぼん  投稿日: 4月10日(水)18時04分40秒

明日なんですが、

法事があり、つきそいの為、車に同乗することになっています。
長野なので帰りは・・・早くて15時ぐらいかも・・・。
戻りましたら、お電話します。

塾に通わせて頂きました頃は工場の2階に住んでいたのですが、
今は引っ越しております。 同じ屋代ですが。
それなので、できれば夕方頃が有り難いです。

楽しみにしておりますので、よろしくお願いいたします。


2454 パクパクさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月11日(木)01時32分09秒

>アメリカの磁場を受けて、英語の上達した者が、日本で語学を教える資格があるのか?
 無いとおもう。

 「磁場を受けて」は、「磁場の磁力を受けて」の意ととりました。

 私は、アメリカで英語の磁力を浴びて英語を内在化させた人にも英語を教える資格はあると思いますが、条件があります。英語の磁場のない場所で英語をやる純然たる語学の構造がわかっている人であるべきだという条件です。


2455 すでに酔っぱらい 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月11日(木)01時37分48秒

ウドの店で酔っぱらってきました。
ウドとマークというやつが、ドイツ語でまくしたてて議論している場所にいました。
ウドが私を見て、そうだろというので、I don't know German. と言いましたら、話題が変わ
ってしまい、根石さんはドイツ語をやるべきだとウドが言い出しました。
Philosopher はドイツ語をやるべきだと言うのでしたが、俺のどこが philosopher なんだか。
俺はもう歳だから、やるとしたら韓国語かモンゴル語だなと言いましたが、韓国語やモンゴル語
をやりたくても、どこにその時間を設けたらいいのかというくらいに、薪割りや屋根葺きが忙し
い。千曲川のニセアカシアの流木も片づけたいし・・・。


2456 素読舎日録 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月11日(木)01時49分49秒

薪小屋の屋根を借家の庭の小屋を解体したときに出たアスファルトルーフィングを使って葺く。
下地が12ミリの合板だから、半ネジでは止まらない。全ネジを使えばいいが、合板の下にネジの
先が飛び出し、二階の三角部屋に登ったときに頭に突き刺さるおそれがある。
シリコンのコーキングをアスファルトルーフィングの裏に点づけし、そのまま合板の上に置くだけ
の工事にする。コーキングだけで5千円くらいかかってしまうが、この方が丈夫になるだろう。

中野へ。途中とら食堂でもやしラーメン。小学生と中学生の混在するクラスを2時間やる。
中野の帰りに、喜多方ラーメンに入り、キムチラーメンを食っている途中で、わずか3、4時間
前にラーメンを食ったばかりだと気づく。しばらくラーメンを食っていなかったから、ラーメン
に飢えていたのかもしれない。
いったん家に戻り、妻に軽トラックを運転させて、ウドの店に行く。
マークが帰ったら客が誰もいないので、湯原の部屋へ行って酒を飲もうとウドに言う。
湯原は sense を欠いているので、湯原を beat してセンスを叩き込もうとウドが言うが、そん
なことは hopeless だから、Only beating Yuhara. にしようと言い、湯原の部屋に行くが留
守。
 しょうがないので、妻に電話して、迎えに来てもらう。



2457 Kぼん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月11日(木)01時54分16秒

明るい間は、薪小屋の屋根葺きの続きをやるので、夕方電話くれ。
一度俺の新しい家に来て、家を見ないか。
それから、ウドの店に行くっていうのでどうだ。

交通安全週間だということだし、俺があんたんちまで迎えに行ってやるよ。
それから、俺の家を見て、女房に運転させてウドの店に行こう。
帰りは、女房に運転させてあんたを送ってから、女房に運転させて、俺もおうちへ帰る。
安全だろ?



2458 条件 投稿者:パクパク  投稿日: 4月11日(木)11時13分57秒

>条件があります。英語の磁場のない場所で英語をやる純然たる語学の構造がわかっている人であるべきだという条件です。

こういう人は、まずは存在しないものとおもわれます。
存在しても、そういう人が、語学教師をやっていると
はとてもおもわれません。


2459 国弘さんの場合 投稿者:パクパク  投稿日: 4月11日(木)11時51分04秒

この人は、在米経験がありますが、
磁場の非存在の下での語学学習の
明確な意識はないとおもいます。


2460 アメリカ帰りの人 投稿者:パクパク  投稿日: 4月11日(木)12時07分24秒

英語ができる人が多いです。
そのなかで、アメリカで
死ぬほど、一生懸命勉強した
と発言した人は、私の経験では
1名います。
あとは、自然に出来るようになった
といいます。
国弘さんとおなじで、気がついてみると
出来るようになったという表現形式です。
なぜ、努力をしたと言わないのかとおもいます。
もちろん、人に語学を教える立場にないから
努力を隠しても何ら問題はありません。
しかし、アメリカ帰りの人で語学を教えている
人は、自分のアメリカでの努力量を時間で
いうべきでしょう。


2461 沸騰理論 投稿者:パクパク  投稿日: 4月11日(木)12時10分49秒

水を、マッチ棒で沸かせることができるか?

マッチ棒の熱量で、水を沸騰させることはできません。
マッチ棒で、まず新聞紙をもやし、この新聞紙で
木や炭を着火するはずです。


2462 ぱくぱくさん 投稿者:Jackie  投稿日: 4月11日(木)17時14分39秒

>アメリカの磁場を受けて、英語の上達した
者が、日本で語学を教える資格があるのか?
無いとおもう。

そんなー 悲しいことをいわないでくださいよ。 パクパクさん はじめまして。
私は 英会話(英語)教室を ひらいていたものです。(今現在療養中)
私は高校のとき 英語は2でした。 そのあと専門学校へいき 渡米しました。
だから 向こうでカレッジに通いながら(卒業してはいません) 英語をよんだり ルームメイトと話したりしたのが上達した理由だとおもいます。 あと時間があれば テレビのコメディーをみて いました。
俳優のいったことを いつもリピートしていたらしく 友人いわく 「あなたはいつもテレビとしゃべっていた」そうです。
ですから 私の英語は向こうでの勉強と ルームメイト テレビを通じて 覚えたものです。磁場の力ですね。一年すぎて帰国

帰国後 何年かのち こちらで 英語を教え始めたとき
中学の英語と文法をおさらいしました。一年生の基礎からです。
形容詞 名詞 ということばさえも はじめてしって 数えられる名詞 などの細かいことも
はじめてしりました。(むこうでもESLはとったのですが 英語を英語で勉強するというのは
なんとも中途半端な理解で終わっていたことが判明。)
中学の基礎をおさらいしながら 教科書を音読していくにつれ 不思議なことがおきました。
久しぶりにカレッジの分厚い教科書を 開いたらすらすら 読めるのです。 あたまから 理解できるのです。 向こうにいたときの方が語学力(そのとき書いたエッセイなどを読み返したらかなりしっかり書けていた)は 高かったはずなのに、です。 今いけば 向こうでの勉強が よく身について理解できることでしょう・・・・

だから 根石さんのおっしゃっている 方法の正しさが 納得がいきます。

中学の教科書を読み テープをきき 音読して 構文を口で体得 そして 日本語から英語に英会話(英作文)できれば  相当な力です。 受験にも通用するのでは?と思います。
 

>しかこれでは、生活言語はわからない
ままである。
生活言語=映画の言語に近い。
今求められている英語能力とは、
受験英語力や翻訳英語能力ではなく
生活言語だろう。

生活英語ー 日本にいて これを獲得するのはむずかしい。必要性がないから。
磁場があるところで 家をかりたり 交渉したりする必要性にせまられて 覚えていくことも多いでしょう。
このごろネイティブと 接する機会もなく 興味のない外人とおしゃべりをするのも時間の無駄。
果たして日本にいて 生活言語を 獲得する必要があるのだろうか???(自問自答)
もし今の私にあるとすれば 英語を教える立場上 話せる方が良いとおもうことと
単に好きな映画や番組をダイレクトに感じたいと思ったとき 一番には カナダ人の元ルームメイトと再会したら あれもこれも話したいから という理由。

日本の磁場に居る限り  英語の底力を 巣読みによって身につけるのが
これからの社会にも通用する力だとおもいます。
 


2463 仮定法 投稿者:浜谷  投稿日: 4月11日(木)20時33分15秒

仮定法の型破りの説明が次のURLで見れます。一応リンクも入れておきます。その他の文法事項についてもgrammar/grlst.htmlのURLで同じような説明が見れると思います。(私はまだ見ていませんが・・・)最近「最強の英語学習法」の掲示板に紹介されていたものです。

http://smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html

http://smartech-osaka.no-ip.com/education/grammar/subjunctive.html


2464 おじさん、ごちそうさまでした〜 投稿者:Kぼん  投稿日: 4月11日(木)22時01分01秒

おじさんの凄さに感動しました。 すごいです。
Mさんが感銘受けたの、わかる気がします。

更埴市におじさん宅のようなところと、ウド様宅のようなところがあるとは知りませんでした。
なんだか楽しそうで遊びに行ってよかったです!

またよろしくお願いします。
こちらでは昼間のうちになりそうですが・・・。

なんだか、久々に熱く語ってしまったところがあり、「ぼん」でいじめられそうです・・・。
こちらではどうぞおてやわらかにお願いします、、、

村田様にはすみませんでした、、、


2465 村田君 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)03時03分56秒

「過去ログを読む会」のこと忘れていて申し訳ない。
なにしろ、いい女の顔を見ていたので、みんな忘れてしまったのじゃ。
村田専務ならわかるじゃろ?


2466 Kぼん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)03時09分55秒

ちゃんと、お行儀よくあたしゃおうちへ帰りましたよ。
そしたら、村田君といくこがいて、「過去ログを読む会」をやってしまいました。
半分くらいしか読めませんでした。
その後、ウドにダビングしてもらったブコウスキーのテープを聴いたら、ブコウスキーって人も
女のことばかり詩の中でしゃべり続けるのだとわかりました。
女の蜜にひかれて、今日も男はトチ狂う。あちゃあ!
英語も空しいけど、女の蜜にトチ狂うのも空しい。だって、女は近頃冷たいんだもん。
アメリカなんぞに股広げてる女は、もう全員アメリカに輸出して叩き売るのがよろしい。
どこの国の女でもいいから、悲しさがわかるから優しいという女を輸入するのがよろしいと思う。
日本の女なんて、今どき、日本にゃ要らねえしろもの。
さっさとどっかいけ。
あっち行ってろ。
そうじゃねえか?


2467 浜谷さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)03時17分02秒

ちょっと見てきましたが、やはり文法というのは論理だと思いましたが、この言葉で言い表せる
論理というのでは、文法はやはり鷲掴みできないとも思いました。
文法なんか一つも知らなくて文句があればまくしたてるやつら(ネイティヴ)と、このように論
理としてきちんと文法を説明する人たちの、ちょうど中間に論理がセンスに化する場所があるよ
うに思います。その架空の場所を、私は一年弱生きておりました。
19歳のときだったと思います。


2468 村田君 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)03時20分13秒

「ろります」という日本語の動詞は、どうやらそんなに一般的じゃないみたいで、今日もいい女
に聞いてみたけど知らなかったぞ。
いじけて、掲示板に書かなくなるようじゃ、いじけてもいじめちゃうぞ。


2469 誰も噛みついてくれない 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)03時24分38秒

>  マークが帰ったら客が誰もいないので、湯原の部屋へ行って酒を飲もうとウドに言う。
   湯原は sense を欠いているので、湯原を beat してセンスを叩き込もうとウドが言うが、そん
   なことは hopeless だから、Only beating Yuhara. にしようと言い、湯原の部屋に行くが留
   守。

 こんな文章を書くやつが、どうして日本語について人に文句が言えるのだと噛みついてくる奴
がいるんじゃないかと思って書いておいたのに、誰も噛みついてくんないのだ。
 美しい日本語論者は、俺は嫌いだ。
 津田幸男は、そのうちにそこへ逃げ込むだろう。他に行くところはねえだろ。
 あの程度の理屈じゃ。
 英語がシンタックスであるなら、日本語もシンタックスだというところがつかめなかった奴な
んだね、この名古屋大学教授野郎。


2470 うー 投稿者:Kぼん  投稿日: 4月12日(金)08時27分26秒

なんだかわからないけど、朝アクセスしてみたら、気持ち悪い文章が載ってた。
おじさんは何が言いたいのだろう? よくわかんないけど、きもいわるい。


2471 気持ち悪さ 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)13時14分31秒

 別にきのうのことと関係なくて書いてる。
 あんたに向けた文の中にそれを書いちゃ、誤解されるわな。あんたのことじゃねえよ。

 ウドの店やら、長野市内の外人の集まる酒場なんかでよく見かけるんだが、やたらに外人(それもほぼ白人ばかり)の回りに群がる女どもがいる。深酔いして帰ってきて、これまでに見かけたことのあるそいつらを想定して書いた。

 あの方々にとっては、白人ていうのはなんだか先験的に価値がある。この先験的な価値が感覚に刷り込まれていること自体を疑うことがない。
 もしも、白人や外人に先験的な価値を置くのであれば、黄人に先験的な価値を置くことも同位に成立するはずだが、日本にはそんな多様性はほとんどない。日本の女が白人につきまとうのは、ただひたすら白人に価値を見ているのだ。多いんだぜ、この種の女っていうのは。

 ウドと俺が友だちだっていうことを知っている女が、ウドを紹介してくれと俺に言ったことがあった。ウドがどういう人間かとか、どういう考え方をしているかとか、そんなことはその女にはどうでもいいことで、ウドがヨーロッパ人であるから、ただそれだけの理由で紹介しろというのだ。こいつらには、欧米崇拝のすぐ裏側にアジア・アフリカに対する見下しがある。欧米から習った見下しが・・・。それは、その場にいた俺にはすぐにわかったのだ。
 こういう事例は、結構多く目にするんだよ、俺は。
 一般に人々が思っているよりも、ものごとははるかに深く進行しているような気がする。
 この種の女どもに対する俺の見下しというものがひとつあるわけです。
 別に女に限ったわけじゃなくて、男にも英語信仰と白人崇拝がセットになっているやつはいるんだが、女に特に目立つのが、外人への「つきまとい」です。反吐を吐きたくなる。

 それで、深酔いすると、それが噴き出してくるわけです。

 英語を語学としてまともにひきすえる行為と、外人(白人)に先験的な価値を見て、その下位の価値として英語をやりたがる行為とは、まるで別ものだ。
 俺は、あの人たちの英語信仰から、自分の語学を分離して、別のところへ置きたくなる。あんなものと一緒にされてたまるかという気持ちが強くあるのです。


2472 引用 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)13時53分05秒

midnight press 15
「ご隠居と八っつあんの現代詩談義 傲慢な標準を却下する
 ・・・・青空は暗い」から

ビンラディンをテロリストと呼ぶなら、少なくともブッシュを人殺しとか泥棒と呼ぶことは間違ってないだろうし、これがテロリズムより罪が軽いってことにはならないだろう。

自分のものでもないものを自分のもんだと言うなっていうのは、ロシアに対してだってアメリカに対してだって、世界の全員が言っていいことだ。自分のものでないものを自分のもんにするために人を殺すっていうのは、アメリカが建国する前に、インディアンを殺してインディアンの土地を自分のものにしたことまで遡っていいと思ってるんだ。今回のアフガン爆撃にしたって、西部開拓が太平洋を飛び越えただけのことで、他人のものを自分のものにする泥棒行為が続いているんだ。(略)アフガニスタンに対するアメリカの意識はインディアン殺しと同じだよ。人を人とも思わないってのが本質だ。

 元からそこに住んでいた人間を蹴散らして、自分のものでもない土地を自分のものにするっていう恥知らずな行いが、アメリカの建国の礎だ。アメリカは無恥によって建国した国だ。土建屋だな。(略)まあ、開拓ってのは土建だよ。このアメリカの土建屋根性が、世界に軍を配置する政治の中に生き延びていて大手を振っているんだ。

キリスト教の教えに、「盗むべからず」っていうのはあるんだし、「殺すべからず」もあるはずなのに、植民地を作ったヨーロッパの連中も、アメリカの歴代大統領もしっかりと教えに背いている。どのつらさげて、神だの正義だの言えるのかと思うんだよ。

「大航海」時代なんて言葉が、もうそもそもヨーロッパ的なものの見方の真似じゃないか。何が「植民」地時代かと思う。「植民」という言葉の背後には、のうのうとした権力ってものがある。ヨーロッパの王族、貴族、宗教者、総じて政治屋どもによる泥棒時代っていう方が正確な言い方だよ。


2473 仮定法 投稿者:パクパク  投稿日: 4月12日(金)16時13分00秒

浜谷さんの紹介の仮定法のサイトにつぎの記述があります。

"If he will come tommorrow, I will not go "などの文は存在し、
上の規則は事実にも反していることも付け加えておきます。
もちろん、"If he comes tommorrow, I will not go."とは文の意味が違います。

この2英文は、そんなに意味が違うのでしょうか?
音声的には、If he will の willは、弱形で発話されるとおもいます。


2474 音読・筆写練習プリント 投稿者:sb  投稿日: 4月12日(金)18時44分28秒

雛形が完成しました。


2475 sb さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月12日(金)19時58分55秒

公立の学校における「音づくり日誌」楽しみにしています。

私は相変わらず「変なおじさん」をやっています。
昨夜も、ウドが俺を呼ぶのに「ヨシ」と呼ばせろとまた言い出しました。「ヨシ」というのは、
「ヨシア」かなんかと同じかなんかなのかどうか、オーストリアではいい名前で、グラッツと
かいうウドの生まれ故郷の市の市長も「ヨシ」というのだと言って、俺を説得にかかりました。
「ヨシ」と呼ぶ方が、あいつにしてみれば親しみが込められるということらしいのですが、や
だよ、と言って今回も断りました。「ネイシサン」と呼べと命じました。

ウドの娘のヴェラは、私のことを「ネイッシャン」と呼びます。
これは私は気に入っています。


2476 今宵祝杯をあげる 投稿者:村田  投稿日: 4月13日(土)01時18分46秒

私事で恐縮ですが、ここはなんでもありの『大風呂敷』だし、
根石さんにも関係あるので、書かせてもらっちゃいます。

根石さん、ゴンが現役で立命館の総合政策に受かってましたよ。
さっき、ゴンのかあちゃんに聞いたところです。
祝杯をあげてきました。

ゴンは小学生の頃は根石さんに見てもらっていた塾生ですが、
中学生になってから私の戸倉分室の第一期生になった塾生で
す。高校3年の夏まで来ていました。
しかしこいつは高校生になってから学校も行かないで「モー
ニング娘。」の追っかけをやって、そのせいで、いわゆる通
知表は良くなかった奴です。(英語は高校1年の時に自分か
ら英検受けて2級まではとってましたが)。
学校は行かないけど塾には来る、という奴でした。
年末まで温泉のホテルの布団ひきのバイトをやっていたから、
心配していたけれど、ほんとによかった。

今、もう一度一人で祝杯をあげます。


2477 村田君 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)02時29分01秒

俺も今、冷蔵庫へ行ってビール持ってきて、ゴンのお祝いをやってます。
いつも通り飲んでるようにしか見えませんが。
ゴンに、掲示板に登場しろと言っておいて下さい。


2478 根石さん(sb) 投稿者:sb  投稿日: 4月13日(土)08時13分31秒

ネイシサン(ウドさん)=おっしゃん(いくこさん)+ネイッシャン(ヴェラちゃん)


2479 さくら 投稿者:sb  投稿日: 4月13日(土)09時32分08秒

NHKの連続ドラマ「さくら」普段は見れませんが、土曜日午前9時半〜11時BS2でまとめて見ることができます。デフォルメされていますが、とても参考になります。今から見ます。


2480 Aさんとのメールによる議論 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月13日(土)11時51分23秒

[Aさんとのメールによる議論]を読ませて頂きました。

[Aさん]
「ジンゴイズム」(辺見庸の本の中で先週初めて知った言葉で、スペルすら知りません。好戦的な愛国心ということらしいです)というのは疲れますし、少々やっかいな気がするので、こういうのだけは、ちょっと勘弁してください、と思いますが。

[根石]
 この辺は、私の感覚と似ています。
 しかし、ヨーロッパが好き勝手やって、それをマネて日本が好き勝手をやって、ヨーロッパが日本は韓国に謝らなければならないというようなことを言った日には承知しないという意味で、私はナショナリストです。
 馬鹿野郎。侵略の本家本元が無傷なだけでなく、盗人猛々しい言いぐさをしやがると思う。そう思っている私を私がナショナリストだと思います。

-----------------------------------------
根石様のこの御意見に賛成です。
以前(5年ほど前)、私はCompuServeというOnlineサービスでアメリカ人(複数)と
広島・長崎の原爆について議論(喧嘩)しました。やつらの反駁手段は、真珠湾と南京事件
です。結局、やつらの潜在意識には、西欧はアジアを蹂躙してもいいが、非西欧(日本)が
アジアを蹂躙するのは許せないということがあるのです。
ところで、中国・朝鮮がこれに関して、日本のみを責めるのも、おかしいと思います
(日本を責めれば、政治的に得をする(情けない)というのは、わかりますが)。
彼らにしてみれば、プライドが傷つくのでしょう(日本にだけは、やられたくなかった)。
そして、朝日新聞が彼らの口車に乗っているのは、虫酸が走ります。


















2481 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)13時45分14秒

ホームページの記事をお読みいただきありがとうございました。
近頃は、独立した記事を書くことができず、この掲示板をなるべく毎日見ることしかやれません。
それでも、書かなくてはと思って書けないままになってしまうこともいくつもあります。

皆様

斎藤さんがお読みいただいた記事は以下にあります。
どうぞご覧ください。


http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/kenka/asantono.htm


2482 どういうわけか 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)13時48分51秒

直接に飛べないような記述になってしまいました。

行きたいURLを指定する欄(私の場合はネットスケープですので「場所」)へコピーすれば
問題なく飛びます。



2483 転載 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)13時54分28秒

最近、受験生と思われる方にさしあげたメールを転載します。

----------------------------------------------------

古川さんの掲示板の昔の記事を読んでいて、


そこで悩んでいるのは、『700選』と、『和訳』についてです。
この二つは、どうにも取っ掛かり難いんです。

 と書かれているのをみつけました。
 その後はどんなふうに進展されていますでしょうか。

 「700選」をまるごと覚えてしまうための方法があります。
 音読をシステム化したものです。
 以下をご参照ください。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/sodokusy/yousetu.htm

 受験生のための「音づくり」について書いてあります。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/monooki/kansou/kansou.htm

 受験生が書いた記事はありませんが、「電話でレッスン」の生徒さんからいただいた感想です。もうすでに古くなっていて、その後は下記の掲示板にいくつも感想を寄せていただいています。

http://www82.tcup.com/8246/nessy.html

 掲示板です。
 現在はあまり生徒さんがレッスンの感想を書いてくださいませんが、そのうちに、レッスンの感想だけをまとめて、ホームページの独立した記事にしようと思っています。
 この掲示板は難しすぎるとよく文句を言われます。しかし、日本の英語をとりまく
状況について、まともに論議するとこういう掲示板ができてしまいます。
 もし、「電話でレッスン」に関して興味を持たれたときは、この掲示板にお問い合わせ下さい。


2484 どういうわけか 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)13時55分43秒

今度は、3つあるURLのうち、一つだけが直接飛べるようになった。
村田君、これはどんな現象なんでしょうか。


2485 根石さん 投稿者:sb  投稿日: 4月13日(土)20時28分47秒

今日13日お休みします。
最近練習もできてない上に明日は5時起きです。
でも時間を見つけて練習を再開するつもりです。


2486 sbさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)21時37分17秒

掲示板を見ずに、電話を鳴らしてしまいました。ごめんなさい。

新学期でお忙しそうですが、なんとか時間をみつけて練習を先に進めて下さい。


2487 英語を勉強する目的 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月13日(土)21時44分22秒

根石さん、

"「英会話」について”を読ませて頂きました。

「細かいことを言うようですが、私は「使える英語」と「実用英語」を区別しています。使える英語はめざすべきだが、実用英語などという貧しいものはめざすことはないと考えます。英語そのものをまともに語学としてやり、その結果、それが「実用」にも使えたらそれはそれで構わないという程度に「実用」というものを考えています。英語をやる日本人が、国際的な商社マンみたいな気持ちで英語をやる必要などない。英語で本を読んで楽しむとか、英語で喧嘩こいて腹をたてるとか、そういうことでいいと思います。要は自分の英語を作り、それを使えばいいのです。」

----------------------------------------------

おっしゃることが良くわかりません(失礼)。
「実用英語」を目指さないとしたら、根石さんが英語を勉強する目的は何でしょうか?
私は、「実用英語」を目指して、一向に構わないと思います。


2488 斎藤様 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)23時56分50秒

>「実用英語」を目指さないとしたら、根石さんが英語を勉強する目的は何でしょうか?
 私は、「実用英語」を目指して、一向に構わないと思います。

 私が英語を勉強する目的?。
 自分が幼年時に浸っていた言語とまるで違う言語に触り、理解することが面白いというだけのことではないかと思います。目的とかいうものはありません。

 現在、英語をやって勉強になってしまうのは、人様からお金をもらっているからです。
 また、19歳頃に、「勉強」をしたのは、大学に受かってやろうと思っていたからです。
 私はとことん「学校」というものとは相性の悪い人間でして、小学校から高校までの自分の学校とのつきあいを、大学に入ることで帳消しにしたいと思いました。大学(早稲田大学)はそれに応えてくれませんでしたが、それならそれで、そんな大学はほったらかして、古本屋めぐりとジャズ喫茶めぐりをやっておりました。これらの行為は遊民の行為であり、およそ貧乏な水呑百姓の息子の行為であるべきではありませんでした。
 何はともあれ、「役にたつ」ということが嫌いです。
 実用という言葉には、とても貧しいものを感じます。

 そうなると、俺は金のために英語を勉強し、学歴を得るために英語を勉強したのか。
 それに違いない。その貧しい「実用」が好きか嫌いかということで言うのなら、はっきり言えます。嫌いです。

 「実用英語」をめざすことはまるで構いません。
 私は生徒さんには、そのことでつべこべ言いません。
 しかし、幸いなことに、私のホームページを読んでから「電話でレッスン」を申し込んでくれるような人は、英語によって感覚が狂ってしまったような人ではなく、とてもまともな人たちです。じっくりと練習をしてくれます。そして、当初、「実用英語」だけを考えていた人たちが、語学そのものの面白さを見いだしてくれています。

 アメリカに行ってものすごくくやしい思いをした。だから、私のレッスンを始めてくれた。そういう人がいますが、その人も、今、言葉そのものの面白さに導かれています。私が何も言わないのに、自分からペーパーバックスを読むことを始めました。

 英語を「使う」ということが、どんな場面であれ「実用」です。
 私は「実用」そのものを否定することはありません。
 実用を「めざす」という考えが貧しいと思うだけです。


2489 斎藤さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 4月13日(土)23時59分46秒

 私のホームページをお読みになってのご感想を書いていただく場合、お手数をわずらわせて心
苦しいですが、そのページのURLを併記していただくとありがたく存じます。
 


2490 根石さん 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月14日(日)02時19分24秒

--------------------------------------------------------
 私が英語を勉強する目的?。
 自分が幼年時に浸っていた言語とまるで違う言語に触り、理解することが面白いというだけのことではないかと思います。目的とかいうものはありません
--------------------------------------------------------
外国語を習得する上で一番大事なことは、強い動機付けだと思います。動機が無ければ、いくら良い方法で勉強しようとダメだと思います。
根石さんのおっしゃる、日本語とまったく違う言語に触り、理解することが面白いというのも、立派な動機と思います。
例えば、冗談で言うのですが、もし2年以内に英語に上達しなければ、自分の命が無くなるとなれば、大抵の人がその期間内に上達するのではないでしょうか? 私のことを言えば、単純にアメリカかぶれでした。物心がついたころには、テレビでアメリカのドラマを沢山やっていました。1960年代の始めでしたから、日本は貧しかった。それに較べて、アメリカは輝いて見えました。初めて中学校で英語の教科書をもらった時の嬉しさを今でも覚えています。
結局、私の潜在意識には、アメリカに対する深いあこがれが有った(今でも
有る)のでしょう。これが、私の英語に対する動機だと思います。
さすがに、大人になった時には、アメリカおよびヨーロッパの非西欧に対する鼻持ちならない優越意識を認識するようになりましたが。
この辺は、心理的にかなり微妙です。アメリカに対しては愛憎半ばするといったところです。
今の若い人は何を動機とするのでしょうか?
アメリカに対するコンプレックスは有るにしても、私の世代と比較して遥かに少ないと思いますが。

------------------------------------------------------------
 英語を「使う」ということが、どんな場面であれ「実用」です。
 私は「実用」そのものを否定することはありません。
 実用を「めざす」という考えが貧しいと思うだけです。
------------------------------------------------------------
実用を「めざす」という考えが何故貧しいのかよくわかりません
(すいません)。日本という立場を考えた場合、英語をまともに使える
日本人が大勢必要なのは、明らかだと思います。


2491 (無題) 投稿者:斎藤伸夫  投稿日: 4月14日(日)09時04分59秒

根石さんの"「英会話」について”のURLです。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/eekaiwan.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/eekaiwan.htm


2492 ディズニーの英語教材 投稿者:パクパク  投稿日: 4月14日(日)11時21分27秒

本日の朝日新聞に、ディズニーのCD教材の全面広告が
あるとおもいます。

 いまだにアメリカに幻想をもっている人が多いのだなぁ
 という感じです。
 英語は風邪でないからうつらないのを知らない人が
 多いなぁという感じです。

この広告は、非常に良心的で、英語教材としては
明記していないのです。購入者がかってに思っているのです。
ディズニーはあくまでも、絵本CDとして売っています。
しかも、非常に安い値段です。

結局、アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます。
ひょっとして、世界で一番アメリカにあこがれをいまだに
抱きつづけている国家は、日本だけかも知れません。
アジアの諸国は、すでにアメリカに反旗をひるがえしています。


2493 パクパクさん こんにちは 投稿者:Ton  投稿日: 4月14日(日)18時05分15秒

パクパク さんの論は、興味深く呼んできていますが、下の見解(主観、
「アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家、」というバクバクさんのみの定義がなぜ、
いま、唐突に示されたのか、理解しがたいなぁ、とは感じます。

ここでは、結局、なにがいいたかったのでしょうか?

また、これと根石英語、と、なにか、関連があるのでしょうか。

多くの方がRomしている、このサイトであるだけに、以上につき、教えてください。

http://www.doujinsha.com


2494 P.S パクパクさん  投稿者:Ton  投稿日: 4月14日(日)18時16分30秒

字句訂正。
呼んで=読んで

留意点 キャラクター商品広告に関する見解
1、ディズニーのCD教材の全面広告がある(バクバクさんは、自ら教材とうたっているが)

               ↓
この広告は、非常に良心的で、英語教材としては明記していないのです。(と、説明し)
               ↓
2、いまだにアメリカに幻想をもっている人が多いのだなぁという感じです。(と感じた)

  キャラクター商品にこの 見方をする、ところからの論の進め方は、どうか
  どらえもん、などの商品をみると どう考えるのか?
  銀行なども、こうしたキャラクターをキャンペーンで使うが、これも
  アメリカ礼賛、アメリカ幻想、と、考えるのか、
  最後に
  アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます。と片付けているところ
  誰が、と、いうと、バクバクさんは、という、ことで、読める。

http://www.doujinsha.com


2495 説明 投稿者:パクパク  投稿日: 4月14日(日)18時32分32秒

Tonさんへ

日本における英語教育の基底には、
 舶来崇拝=西洋崇拝=あこがれ
があるとおもいます。
アメリカへの憧憬が、英語を学ぶ動機の
大きなひとつになるとおもいます。
(受験で良い得点をとることが第一義ですが
それ以外には)

根石英語は、そういうものではなく、語学だと
おもいます。
だから、アメリカにあこがれの心がなくても、
英語を学べて、通じる英語ができあがるので
あろうとおもいます。
多くの人は、あこがれがベースなので、
みずからの英語学習の方法の効果に幻想を抱いているだけです。


2496 英語の正しい学び方 投稿者:sb  投稿日: 4月14日(日)22時34分12秒

やはり700選だけでは駄目だ。でも700選をやる価値はある。そう思っている。

でも700選を早く突き抜けないと駄目だ。金魚鉢の中をグルグル回っているに過ぎない。

エリオットさんの生徒さんがたぶん今ごろやっているかもしれないあの外国の文法練習本をやってみたい。でも700選は手放さない。復習範囲は手放さないということは本当に大切なことだ。特に力の不足している人には必要なことだとこころから思う。

同僚がいろいろ英語教育に関して教えてくれた。ひとつ考え方が昇華した。でもその練習のプロセスには確かに根石さんの哲学が必要だ。そう心から思う。

「さくら」をご覧になりましたか?テレビもたまには役に立ちますよ。根石さん。エリオットさん。もちろん時間の無駄だ。他にやることがたくさんある。とおっしゃらるかもしれませんが。

國弘さん。根石さん。エリオットさん。同僚のKさん。シュリーマンさん。

ありがとう。自分の中でひとつ構成しました。ありがとう。ありがとう。ありがとう。


2497 なるほど 投稿者:Ton  投稿日: 4月14日(日)22時35分23秒

1、根石英語は、(そういうものではなく)、●語学だ   とおもいます。

2、だから、(アメリカにあこがれの心がなくても、英語を学べて)通じる英語が
  できあがる のであろう (とおもいます。)

3、多くの人は、(あこがれがベースなので)、みずからの英語学習の方法の効果に
  幻想を抱いている だけ(です)

補足 *アメリカへの憧憬が、英語を学ぶ動機(の大きなひとつ)になる(とおもいます)。

拝見しました。

世界がものすごく狭くなっています。

EUとUSA、アジア圏域。商圏としても、いま、国際的といわれている圏域は、50年前の国際的、あるいは世界的、という感覚とは既に乖離し、さながら、昔の沖縄と東京、といった近さになっています。読みこなすべきデータも英語が増えています。
ここでは、パクパクさんのおっしゃってるような、アメリカ幻想なんかあるかしら。

学際、あるいは 商社など ビジネスマンの方々も
このサイトをみていると思いますので、ちょっと気になりました。

バクバクさんの言わんとしたことは、ご説明で理解しました。
つまり、「根岸英語」と「日本における、これまでの英語教育一般」の基点の
ちがいを説明するに「アメリカとは、ユダヤ人=商売=あこがれ国家とおもいます」
などの語がでてきたものですね。「相違点」ここだけ、とらえればいい、ものですね。

ありがとうございました。

http://www.doujinsha.com


2498 世界が迷うと言葉が増える 投稿者:sb  投稿日: 4月14日(日)22時42分18秒

>英語を「使う」ということが、どんな場面であれ「実用」です。私は「実用」そのものを否定することはありません。実用を「めざす」という考えが貧しいと思うだけです。

「実用英語」という言葉がでてくるのは「実用」でない「英語」がうじゃうじゃしていることの裏返しということですね。

ただ「日本語」があり、ただ「英語」があり、その前にただ「イメージ」がある。

そして、

ただ「音法」があり、ただ「文法」がある。


2499 補足 投稿者:Ton  投稿日: 4月14日(日)22時48分12秒

下の点で、はじめのとっかかりとしては、アメリカに憧憬があって学んでいく人は多い。
さて、唐突ですが、
ピュアな根岸英語と、キャラクター、どっちを選ぶかは消費者です。

簡単な話が、根岸英語にキャラクターをくっつけて売るのも一手法です。
弟子筋は、食べやすくすることを考えてみてもいいかもしれませんね。
キャラクラーが不純であれば、アイドルはみんなそう。

あこがれがやる気を起す!、という否定できない部分も認めて、大きく取り入れて
ハイスタンダードを作り上げることも、いいのではないかな、と門外漢は考えます。


*最初からユダヤ商法だから、だからやめろ、というのもいかがかな〜っと考えます。
 住んでみるとわかりますが、洗練されたしゃべり方に聞こえる、ああ、やっぱり、
 ああいうふうにしゃべりたいな、という刺激を受ける人も多いようです。
 時間が無いので散漫な書き方をしています。間違っていたら、ごめんなさい。

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2500 恐縮です 投稿者:sb  投稿日: 4月14日(日)22時50分52秒

>掲示板を見ずに、電話を鳴らしてしまいました。

いつまでも掲示板ばかりで進歩がなくてすみません。メールも使わずに。

>ごめんなさい。

ごめんなさい、はこちらの台詞です。根石さんが、もうしまわれたのかもしれませんが、あのほりコタツで、ひたすら回転されている姿が思い浮かぶのです。

>時間をみつけて練習を先に進めて下さい。

ありがとうございます。工夫します。

いろんな行事があり、今週から本格的な仕事がはじまります。気が抜けません。

でも工夫をします。頑張ります。これからもよろしくお願いします。