ここの板の人々は、なかなか薄情者ぞろいですね。
誰も、板上披露宴に出席しない。
いったい日本はどうなってしまうのでしょう。
ぱくぱくさん
用事がやたらにあって、行くことがなかなかかないません。
で、やはり、ビデオを用意して行こうと思っています。
のどちんこ様
早くビデオカメラを貸してください。
またしても、
ミスって2度押ししてしまいました。
スミマセン。
ミスついでに辻元問題についてボソボソと。
今起こっていることは、社民党内の権力闘争なのかな。
でも、もしかしたらあの党には党内抗争できるほどのパワーすら失われているのかもしれず、
展開しつつある事態に単に右往左往しているだけなのかも。
それとももっともっと大きな背景があるのかなあ。
よくわかりません。
それにしてもメディアは怖い。
ムネオのときにも思ったけれど、舞台の上の集団リンチ。
「10のポイント」「1201以後」のUP、またできません。
昼間、チェーンソーでクヌギの木を一本切り倒して、枝を払ったので、またまたできません。
何か木を一本切り倒すようなことをやるだけで、予定していたものが、後回しになります。
逆に言うと、掲示板の世話と過去ログの世話、結晶ができたものの独立ページの作成などを
やっていると、クヌギ一本を切り倒す仕事が後回しになり、クヌギが芽吹いてしまう。芽吹
いたばかりのやつを切り倒すのは、クヌギがかわいそうだ。
英語の前置詞、of,at,on,in,withは、映画音声では
明瞭には聞き取れないが、その理由がわかった。
従来の説明では、弱く、速く発話されるということで
あったが、そうではないようである。
キーワードは木曜日の秘密会談の成果も入れる旨、了解です。
ビデオカメラは、木曜日に手配できます。
おやじに耕耘機の動かし方を教わる予定だったがキャンセルする。
上田の2サイクルエンジン屋に行く。チェーンソーのアクセルが戻らなくなったのを修理しても
らう。刃が木に挟まれて動かなくなったのを無理に引っ張りましたかと聞かれたので、そうだと答
えた。前にもそういう人が一人いたと言いながら、その場で直してくれる。修理にかかった時間、
わずか2分程度。修理代を払おうとしたが、この程度のものは無料でいいですと言われる。感謝し
て帰る。
カミドアイの畑に行き、切り倒したクヌギ4本をチェーンソーで太い枝を切り離し、ナタで細め
の枝を払う。親指の太さくらいを目安にして、そこから先の細いものは畑の真ん中で火をおこして
燃やす。木部が多いからいい灰になるだろう。風に吹き飛ばされないうちに畑に鋤き込む予定。4
本あるうちの2本片づけたら、日差しが強かったせいか、近頃セッ&スの回数が増えているせいか
ぐったりする。お八幡さんのそばの店まで、軽トラックで行き、ヤクルト5本、お茶一缶、おやき
2つ買って畑に戻り、火を燃やしながら飲んで食べる。
暗くなってきた頃、妻がオートバイに乗って畑に来る。いくら携帯電話を鳴らしても出ないから
来たとのこと。多分、チェーンソーをぶん回しているときに、携帯を鳴らしたんだろう。チェーン
ソーを使っているときは、携帯ごときは聞こえない。先に帰って飯と風呂を用意しておくように妻
に言って、今日作った分の薪を軽トラックに積んで帰る。
風呂に入って、飯を食う。オレンジを一つ食う。クルマバソウの鉢に水をやる。
過去ログ1〜100にマーク付けをする。
二階に昇り、2万円で買ったマッサージ機で、背筋をマッサージ。マッサージの途中でお嬢来る。
春のせいか、いい女になっていた。風邪がなおったせいか。どっちにしろ、いい女を見るのはい
い。無駄話を例の如く、ながながとしてからレッスン。このお嬢に対する大盤振る舞いの猛攻撃レ
ッスンは今日で最後。来週からは電話でレッスンの一生徒になる。
鼻の中がかゆい。
ただいま、UPしました。
「英語・語学論」の部屋に入れました。
更新記録 What's new and old.
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku.htm
どちらからもたどれます。
直接のURLは、
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/gogaku/p10point.htm
>英語の前置詞、of,at,on,in,withは、映画音声では
明瞭には聞き取れないが、その理由がわかった。
わかったことは書いて下さい。
内緒にしておくとお金がもうかるというのであれば、無理強いはいたしませんが・・・。
今書いた記事は、パクパクさん宛てです。
>わかったことは書いて下さい。
同感です
夜ふかししてますね。
さすが出版人!
近頃、Kawakami さんはどうしてますか。
私は根気がなくて、やはり本にするつもりで一冊分書くことが今はできません。
チェーンソーを振り回すことが、今後も忙しくなりそうです。
Kawakami さん、私のHPや掲示板から、一冊分の骨組みを作るってことは無理でしょうかね。
編集者としていい勉強になると思うんですけど・・・。
編んで集めないと、編集したことにならない。
割付だけやってればいいってもんじゃない。
どうでしょう。Ton さん、Kawakami さん。
振り回すことが
→
振り回すことで
今発売中の midnight press で谷川俊太郎と天野祐吉がが面白いことを言っている。
座談会の出席者は、谷川俊太郎・正津勉・天野祐吉。
以下引用。
----------------------------------------------------
天野 この間筑紫哲也さんと話していたら、あのテロの映像が流れた後、コマーシャルがいままでと違って見えてきたと言うんですね。なんかすごく嘘っぽいというか、もともと広告は嘘っぽいんだけど、嘘っぽさがすごくうすっぺらいというか、見ていて全然リアリティが感じられない。これは番組も同じだろうと思うんだけど、特にコマーシャルがそういうふうになったと僕も思いますね。なんだろう、嘘八百でコマーシャルはいいんだけども、でも、その嘘八百ぶりがやっぱりちゃんとしてないと、陳腐な空騒ぎやうすっぺらな言葉だと、ああいうものを見た後ではそれがペラペラ剥がれ落ちていってしまうという感じが、どうも強くなっているんじゃないでしょうかね、
谷川 僕、ちょっと違うんですけどね、感じ方が。むしろあのテレビの映像を見てそういうふうに感じる感受性のほうがこわいですね。つまり、テレビの映像をそこまで信用してるというのが。
天野 なるほど。
谷川 うちの娘はあのすぐ近くにいて、電話で話したんだけども、全然違うと言っていますね。つまり、彼女は実際を見たわけですよ、その場で。それとテレビの映像とはまったく違うものだと言っていましたね。僕はそのほうが信用できて、僕自身もあのテレビの映像はブルース・ウィリスの映画じゃねえかというふうに見えますよ、どうしても。ブルース・ウィリスの映画に見えちゃうのがほんとなんですよ。だからあれを現実だと思い込むほうがおかしいんですよ。(略)
天野 そうですね。僕もあの映像を見た後、コラムに書いたんだけど、あれはCMだと。
谷川 そうですよ。そう言ったほうがなんか正しいような気がします。
天野 あれはニュース映像じゃなくてCM映像なんだということを書いたんですね。反復されるでしょ。あれだけ繰り返し反復されたら、もう報道映像の意味なんかなくなっちゃっていますよね。痛みもどんどん繰り返されるたびに消えていくわけでね。すごいコマーシャルを見ていることになる。何のコマーシャルかというと、必ずあれとワンセットにビンラディンの映像が出てくるから、「ウォンティッド・ビンラディン」というコマーシャルの一部になっちゃっている。
編纂の件、すこし時間を下さい。kawakamiは海外研修で出ていますが、
戻ったら、一度お打ち合わせに伺わせて、どういう骨組みにするか、など、
構想をしっかり理解した上で進めませんといいものはできない、と思います。
年度末が明けてからMailいたします。
基本的に、音のつながりと音の変化です。
たとえば、littleの[tl]の部分の発音が、音のつながりです。
音の変化は、t-->k , l-->nなどの教科書音法にあまり記載されて
いないが、実際の映画の音では検出される現象を規則化したものです。
ゴーストの場合、教科書音法では、シナリオを見ても
30%わかればいい方だとおもいます。
生活音法で、シナリオを見ながら聞くと、60%がわかります。
つまり、30%+60%=90%がわかります。
残りの10%は、聴解不可能領域です。
上記は、あくまでも、シナリオ本を見ながらの
聴解%です。
シナリオを見ないで、初出の映画を見る場合は
教科書音法では、5%以下。
生活音法でも、10%以下。
計15%以下とおもいます。
このような現実があるため、
映画教材を実際の英語学習につかうには
相当な障害があり、おもったほど、普及しなかったのが
実情とおもいます。
しかし、回転読み+生活音法+シナリオ本で
90%のレベルまでには、誰でも行くとおもいます。
酔っぱらった頭でぶしつけなことを申しました。
私の方はまるで急いではおりませんので、Kawakami さんの普段の仕事の邪魔になるような時は
脇においておいていっこうに構いませんので、雑多なもののなかから拾い出して並べ替えてつな
げることの練習にしてもらえればいいなと思っています。
勝手なことばかり申し上げて心苦しいのですが、本当に時間がとれません。
掲示板の維持の他、過去ログのダイジェスト版作りにとりかかり始めています。
これができると、かなり見通しがよくなるような気がします。
見通しがきくようになってから、もう一度私の語学論を眺め渡していただくことがいいかとも
思っています。
いずれにせよ、今後ともよろしくお願いいたします。
新聞や報道は100%正しいことは少ないかもしれませんね・・・。
私の身の回りで起こった出来事の9割は全部が完璧でなかった。
記事のよっては100%に近いものもあったけど、そのほとんどが違った報道してました。
最近の長野武富士殺人も、私の信用できる友人の親しい方が、あの事件のときの防犯カメラを
検証されたそうですが、ぐちゃぐちゃ映像で実際は何がなんだかさっぱりわからなかったそうです。
報道では、犯人が誰とわかるかのように映っていた、とあったのですが。
それだけじゃないんですけど、昨日は自分の目と耳で辻元さんを見ていて、一緒にうるうるしたり
拍手を送ったり、いい人だぁ〜と思ったり、一昨日は応援メールを送ってしまうことなどをし、
辻元、最高! と思っていたのですが、今朝の信濃毎日新聞では全面辛口でびっくりしてしまった!
コメンテーターも全部辛口の人ばかりを記事にしてました。
(私が記事にしたら、辻元寄りになるでしょう)
土井さんたちは、身を守ることもするし、大人社会ってそうでないと泳げないところがあるんだけど、
(自民党は悪いと判ってても、身を守ろうとする)辻元さんって、すごく純粋で潔白で向こう見ずだから
はめられちゃうし、またそのことで潔く自分の非を認める人ですよね。
私はそうゆう人ってすごく好きなんです。 苦悩を重ね、最終的には潔く突きはねた土井さんも好きですが。
なんだかまとまらなくなっちゃったけど、
報道の記事って記者の考えが出るものだし、それは報道の仮面をかぶった個人の考えだから
やっぱり100%正しくない、で正解なんだと、書きながら気づかせて頂きました。
おじさんもどこかで書いてたけど、書くことによってストレス発散にもなるし、考えがまとまったりするから
不思議です。
それではおやすみなさい。
今度、遊びに行かせていただきます。(^^;
引っ越された場所はどこかわかりません。
このあいだ、Mさんに教えていただいたのですが、
こっちにはあまり居なかったので目標物がわかりません。(^^;
今日、木曜日、「過去ログ1〜100」を読む会をやります。
過去ログに対して、索引を作ろうというもくろみがあるのです。
ただしこしこと索引を作るのではちょっと味気ないので、その前段階として座談会を企画しました。
匿名座談会にしようということになっています。
テープ起こしをして、ホームページに掲載する予定です。
お楽しみに。
辻元に対する思い入れは俺は全然ないんだけど、あれが問題でやめるんだったら、今の政治家なん
かほとんどやめなきゃいけないやつらばっかだろうと思う。政治家を続けられるか続けられないか
の境界が、ばれるかばれないかだけのことなので、騒動全体がくだらない。
現実政治はやはりつまらない。
根石さんのHPの更新記録の所に「発音のポイント10」が載っていました。
アップ、お疲れ様でした。
なじみの薄い方のために、「ちゃぶだいHP」の目次に「発音のポイント10」というのを作ってみたらいかがでしょうか?そこに、最近話題の検索エンジンのキーワード(例えば発音・英語発音・英語音読など)をリンクすれば、それはそれでまた「大風呂敷」にジャンプしてくださる方が増えるのではと考えているのですが。。。
いかがでしょう?
根石さん!のどちんこさん!いくこさん!エリオットさん!浜谷さん!
そして最近「どんでん」をお読みいだいた神戸?のKさん!
誤:発音のポイント10
正:英語発音10のポイント
引用
>
タモリ倶楽部」という番組の「そら耳アワー」というコーナーでやってるような外国語で歌われている言葉が、どう聴いても日本語に聞こえるというやつである。ここにその一例を紹介する。
hold the lettuce −−−−−−−− ほんとうなんです
special orders dot up set us −− 少し海苔の大きさです
all we ask is that you let us −−− オレンジ、納豆なんです
serve it your way −−−−−−− そうです,よう食わん
too much paranoiasハ −−−−−− つまってる海苔
教科書音法の知識だけでは、空耳アワーの日本語は
英語スペルと大きな変移がある。
生活音法の知識をつかうと、さもありなんという
ことになる。
生の英語音は、母音転移現象ばかりでなく
子音転移(l-->n,t-->k etc)があるからである。
酒席で、素読の重要性を話したら、相手にすごくいやな顔をされた。
たしかに、そうだわな。
素読=子供の自由を剥奪=創造性のない子供
という等式がいまだに根強い。
(きのうの分)
午後、チェーンソーで、庭に運びこんでおいた木を切り、斧で割る。
くぬぎはまだ水気が多すぎて割りにくい。ざっくりと汗をかく。
細い枝は、鉈で長さ10センチ程度に小さくし、引っ越しで余ったダンボール箱に入れ、薪小屋の二階の三角部屋に収める。今は、石油だけで風呂をたいているが、いずれ薪を焚く予定なので、たき付けを作っておけば後で役にたつだろう。短く切ってしまえば、バナナ運搬用のダンボール箱にけっこういっぱい入る。
妻が今日は昼飯を作る時間がなかったので、花野彩で外食。妻は鳥の唐揚げ定食、俺はあんかけご飯。その後、サンタの創庫へリビングの照明の傘を探しにいくが、気に入ったものがない。花の小鉢80円のものと50円のもの一つづつ、布200円、coach のバッグ5800円など買う。普段使いのバッグの他に、ちょっとしたお出かけ用のものが欲しいと妻が言ったので、以前、ベイシアで探したがろくなものがなかった。今日、サンタの創庫でみつけたものは、水牛の皮だそうで、皮がかなり厚いが、デザインは小柄でかわいい。欲しいかと言ったら欲しいと言うので買う。下手な新品を買うよりいい。
本来の探し物の照明の傘を求めて、パリオに行く。以前は照明器具がたくさんあったのに、農具だらけになっていて、電器はいっさい店頭から消えていた。総アルミの小型の運搬具買う。タイヤはさすがにアルミというわけにはいかず、小型のタイヤだけはゴムだが、非常に軽く片手で持ち上げられる。軽トラックの荷台に放り込んで畑に持っていけばいろいろに使えるだろう。普段は、家の中に置いておき、印刷の紙を印刷室まで運ぶことなどに使う他、庭で作った薪を薪小屋まで運ぶのにも使える。値段が1万4000円と結構なお値段だが、日々いろいろと使い回せると思い、思い切って買う。
ここでも本来の買い物でないものを買って、照明の傘は手に入らない。カインズホームへ。いい感じのやつがあったが、展示品のみで在庫がないという。展示品を売れと言うが売らない。注文していただけば来週には入ると言うが、何度も来る気はないと断る。妻が、丸井へ行けばあるかもしれないと言うので、川中島の丸井へ行く。ここはデザインの凝ったものが置いてあるが、ふざけんなという値段をつけてある。アジアの麻をシェイドにしたものなど、一万円近い値段をつけてある。この布は長野ではなかなか見かけないが、東京あたりのホームセンターではメートルで数百円だということを俺は知っている。鉄のフレームにそれを固定しただけで、1万円! ふざけんな。原価で千円もいかない。大したデザインでもないくせにただアジアの質感を出しただけで1万円! 店員にはっきり聞こえるように大きな声で文句を言いながら、道の向かいのラオックスに入る。ここはまるで駄目。安いプラスチックの傘しかない。ラオックスは照明関係はセンスゼロ。ここまで来たんだから、コジマまで行くぞと妻に言い、長野南バイパスへ。途中、東京インテリアに寄る。気に入ったものがあったが、ここも展示品と同じものの在庫を切らしている。展示品は売らないのかと言うと、店員が上司に聞きに行き、帰ってきて売らないと言う。注文していただけばと言いかけたのを遮り、要らないと言う。コジマへ。3900円のもので、アルミに艶消しの黒をかぶせたものがあったので買う。照明の傘一つ買うだけで、苦労する。照明の傘を買って、ほぼ財布が空になる。残った2000円を使い切って、合格祝賀会の食べ物を買う。
6時から合格祝賀会。合格した塾生が集まる前に、俺一人ビールをぐびぐびやり、塾生が集まったときはすでに酔っぱらいができていた。今年は、東海大学の体育学部が一人、大阪外語大学が一人。高校は三人受験で、全員屋代高校。東海大学合格者に、浪人しろ、浪人しないようなやつは男じゃねえとくだをまくが、なかなかくどき落とせない。弟も塾を使っているが、兄の東海大合格者が言うことには、弟に二年浪人させますから、私は東海大学に行かせてくださいとのこと。実はそうなんだろうと思う。体育学部で幅跳びをやる予定のやつに、一年勉強ばっかりやらせたら何の記録も出なくなる。しょうがないのであきらめる。
外語大合格者は、俺が塾を始めて初めてのことで、うれしい。
この会は8時に終わり、その後は妻が塾生を軽トラックの荷台に乗せてウドの店に連れていく予定になっていた。妻と塾生がウドの店に行ったら、掲示板の過去ログを読む会をやる予定だった。しかし、祝賀会というものは気分のいいもので、8時半になっても終わらない。酒が回ってきて、過去ログを読むのがいやになったので、村田専務に「過去ログのやつはやめて、みんなでウドの店に行こうか」と言ったら、二つ返事で「行きましょう」と言う。村田専務が賛成したので、過去ログを読む会はお流れになる。村田専務のせいである。
ウドの店へ。マアティニに入っていたオリーブの実を串刺しにするための銀のピックで、爪の垢をとると非情に具合がいいことを発見。Udo, give me this. と言ったら、駄目ェと叫んでカウンターの中から取りにきて、代わりに楊枝を一本置いていった。本物の銀だから駄目だということだが、銀だろうが何だろうが、爪の垢をとるのに楊枝よりはあれが絶対に具合がいいのに・・、ケチ。爪の垢取りに使う道具を何と言うのか知らないので、nail shit stick と言ったら話は充分通じて、ウドはカウンターに戻り、カナダ人に俺の言ったことを説明して、笑い話にしていたが、nail shit remover とか言っていた。トミコに、爪の垢は何と言うんだと聞いたが、nail dirt だと言ったので、何を気取ってるんだ、nail shit の方が語感がいいと言い、喜ばせてしまった。反省すべきこと多し、今日も。
(今日の分)
庭の薪を鉈と斧で処理。ほぼ半分ほど片が付く。
薪をいじった後、国民温泉に行きたかったが、「電話でレッスン」の準備の量を考えてあきらめる。夕方、ちょっと時間ができたので、やじろべえへ。途中で、壱徳という気になっていたラーメン屋に入る。昔のラーメンに似せた偽物。ただ麺が細いだけで、粉の品質はまるで駄目。俺はラーメン屋に初めて入ったときは、必ず一番安いラーメンか中華ソバを注文する。それがまずかったら、まず二度は行かない。一番安いものがうまくないような店は駄目である。安いものがまずい店で、イチオシなのは、屋代駅前の庄屋だ。ここの焼きそばを食ってみれば、天下一品のまずさ。観光スポットにしてもいいくらいにまずい。一口食ったとたんに、口をゆすぎたくなる。
やじろべえでコーヒー。この店の300円のコーヒーはうまい。コーヒーばかり注文して申し訳ないと思うが、忙しくても週に一度は行きたくなる。週に一度300円を払うだけのお客をちゃんと扱ってくれる。
8時40分から、「電話でレッスン」。日本語で育った口の動きが小学六年生だと非情に柔らかい。英語の音の出し方を言い、発音してみせると見事にコピーする部分と、苦労する部分とがある。気が引き締まる。いい加減な音を出すわけにはいかないと思う。
その後、名古屋K君のレッスンとねこむすめさんのレッスンをやり、一日が終わる。
素読の評判 投稿者:パクパク 投稿日: 3月28日(木)22時28分38秒
>酒席で、素読の重要性を話したら、相手にすごくいやな顔をされた。
たしかに、そうだわな。
素読=子供の自由を剥奪=創造性のない子供
という等式がいまだに根強い。
それは説明の仕方が下手だったのではないでせうか。。。。
非情に
→
非常に
以前、少し気になってそのままにしてあったのですが、素読と暗記を連続線上のものと考えておら
れるように思います。これは、意識の指向性のベクトルがまるで違うものです。
暗記は、覚えようという指向性が最初からあります。
素読にはこれがありません。
素読を通した場合は、結果として覚えてしまった、覚えようとしないのに覚えてしまったというこ
とはあります。
パクパクさんが研究されている英語の生活音法なるものは、子音の音の変化に集約されると考え
ていいものなのでしょうか。
パクパクさん
ウドの友だちのイギリス人がうちに遊びにきたとき、
「ありがとうございます」と聞くと、Alligator Christmas. と聞こえると言っていました。
素読には、暗記するという意図がまったくないわけですか?
>
暗記は、覚えようという指向性が最初からあります。
素読にはこれがありません。
これは、極めて重要な違いです。
私が、素読にもつイメージには、エンターティメント性がない。
素うどんだから、おいしくない。
しかし、口に音を出していれば、いつか覚えられるという
メリットがある。この期待が、当面の苦痛を和らげていたわけです。
そうすると、真の素読とは、意味はもちろん、暗記しようという
意図もなく、ただひたすら、声だしに専念するという理解でよろしい
でしょうか?
根石様、先程はお疲れ様でした。
今日の8:50で三度目のレッスンを終えたものです。
最近では一日一回は音読をしないと、何かやりのこ
したような感じが芽生え始め、しめたものだと思っ
ております。今後も坊主が毎日お経を読むように、
出来るだけ毎日、続けられたらいいなと思います。
私は割と外国人と話す機会が多いのですが、音読を
はじめて約1ヶ月、以前より口から英語が出てくる
スピードが早くなったような気がします。また、映
画のぼそぼそと早口で話す言葉は聞き取れませんが、
CNN等のアナウンサーが話す、はっきりと明確に話さ
れているものは徐々に聞き取れるようななってきま
した。効果的な学習法をご指導いただき感謝してお
ります。
以下、質問です。よろしくどうぞ。
1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
I'd say you could sell this tomorrow and double
your money.
上記の分は仮定法だと思いますが、couldをwould に
置き換えても同じ意味になりますか?
2)Three'oclock is the only time he could make it.
のcouldは、昔学校で習った「時制の一致」からcanに置き
換えて使うと不自然でしょうか?
3)「incredible」が非常に多く出てきて、最初は文字
ずらから想像し、形式ばった時に使用するのかと思って
いましたが、日本語で言う「すごい、すげっー、チョー」
といった軽いノリ、場面でよく使われるものなのでしょ
うか?
4)Where'd you get those?
What'd thedoctor say?
の 'd はdidの短縮ですよね?(念のため)
まだお尋ねしたいことはありますが、長くなりましたので
またの機会に投稿せていただきます。
nishiazabuさん、こんにちは。
ゴーストのシナリオの質問、ほんとうにいいですね。
受験英語で、育つと、ほんとになぜだろうと気持ちが
わいてきます。
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
*** *** *** *****
*は、私には、聴解不可能領域です。
>素読には、暗記するという意図がまったくないわけですか?
暗記は暗記であり、素読は素読で、別物だと思います。
私は暗記しようとして英語をやったことがありません。
素読と考えても音読と考えてもいいと思いますが、練習の質を上げることだけを考えてやっていれば、自然に覚えてしまいます。これは結果だけ見ると暗記と同じように見えますが、実際は出来ているものが違うだろうと思っています。化学肥料と堆肥が違うように違うだろうと思っています。
>私が、素読にもつイメージには、エンターティメント性がない。
素うどんだから、おいしくない。
素読の「素」は素うどんの「素」だということを書いた覚えがありますが、これは飾りけのないものというような意味でした。素肌の「素」でもいいのです。
素うどんだからおいしくないっていうことは決められなくて、粉自体の質が良くて、醤油もいい醤油であったら、素うどんはおいしいだろうと思います。
エンターテイメントだとは思いませんが、素読や音読はそれ自体で楽しいものです。言葉の音楽性というものを身体化するのは楽しいです。仮説ですが、英語という言語のビートというものがなかったら、ロックミュージックというものも成立しなかっただろうと思っています。
>しかし、口に音を出していれば、いつか覚えられるという
メリットがある。この期待が、当面の苦痛を和らげていたわけです。
素読には、おっしゃる通り、苦痛を和らげる作用があります。
暗記という考え方はやせた考え方だと思います。近代の貧しさです。そして、体にとっては苦痛です。
体がものを言うことができるなら、体は必ず暗記というものを憎むと思っています。
暗記が得意だという人は、感覚のどこかが狂っているのだとさえ私は思っています。
素読ははっきりと身体に依存します。
外在する知識の身体化そのものです。頭に通すのではなく、体を通すのです。
素読の結果として、テキストを覚えてしまうということは生じます。
確かに素読は結果をもたらしますが、結果を先に見ないのが素読です。
暗記とはやはり違うものです。
とても とても 失礼と 思いますが。
英語のお話ではないのですが。
書き込みさせてください。 ご無礼を承知で 。。。
。
ちょっと 宣伝させてください。(宣伝ではないのですが。。)
5.12日曜日 わいわいはうすボランティア 開催いたします。
ご自宅で使わなくなったおもちゃ、行き場所のないおもちゃ
がありましたらお届けください。事情でお父さんお母さん
と暮らせない子供たちに私たちが責任を持って皆様のおもちゃを
お渡しします。
(お持ちいただけないもの)
1.ぬいぐるみ(アレルギーのお子さんもいます。)
2.壊れているおもちゃ
3.たべもの。
<お願い>
1.新品のおもちゃ大歓迎!
2.中古品は綺麗にしてお持ちください。
みなさまの暖かいご協力をお待ちしております。
会場 じゃぱに〜ずぐりる わいわいはうす
住所 長野県更埴市桜堂500−22
日時
2002.5.12日曜日
AM10:00〜PM4:00
よろしくお願いします。
英語のレッスン、お疲れ様でした。私はお金をいただくので、お疲れはしょうがないですが、生徒さんは、お金を払った上に疲れるのですから、現在の酔っぱらい頭で翻訳すれば、踏んだり蹴ったり、です。しばらくの間、しかし、これでやらせて下さい。
> 最近では一日一回は音読をしないと、何かやりのこ
したような感じが芽生え始め、しめたものだと思っ
ております。今後も坊主が毎日お経を読むように、
出来るだけ毎日、続けられたらいいなと思います。
私の「電話でレッスン」は生徒さんの質が非常にいいです。
さすが、あのようなヘンテコなホームページを読んで、レッスンを受けることは決意される人たちだと思っています。一挙に極論しますが、日本の正気をお持ちの方じゃないと、あのホームページを読んで申し込むことはなかろうと思っています。
芽生え始めた感覚をどうか大事にして下さい。
坊主が毎日お経を読むとは言い得て妙なりです。
まさにそれです。
英語という言語が作る磁場がない場所で生活しているのですから、坊主がお経を読むのと同じようにやるに限ると思います。イントネーションやリズムが違うだけで、お経はお経です。お経こそ、音読や素読のルーツじゃないかと思っています。
> 私は割と外国人と話す機会が多いのですが、音読を
はじめて約1ヶ月、以前より口から英語が出てくる
スピードが早くなったような気がします。また、映
画のぼそぼそと早口で話す言葉は聞き取れませんが、
CNN等のアナウンサーが話す、はっきりと明確に話さ
れているものは徐々に聞き取れるようななってきま
した。効果的な学習法をご指導いただき感謝してお
ります。
こういう報告が私には一番うれしいものです。
ありがとうございました。
> 1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
I'd say you could sell this tomorrow and double
your money.
上記の分は仮定法だと思いますが、couldをwould に
置き換えても同じ意味になりますか?
助動詞の過去形は、仮定法かそうでないかの分類以前に、「あいまいさ・遠慮を伴う気持ち・ていねいさ・自信のなさ」などを表すと思ってしまっていいと思います。現在、例のごとく酔っぱらいですので、例のごとく「酔っぱらい文法解析」となりますが・・・。
could と would は微妙に違います。通じる通じないで言うなら、この両者を入れ替えてもたいがい通じます。それだから、We could も We would も、早口にしゃべる奴は、We'd にしてしまえる。しかし、微妙な違いというものは、決定的な違いでもあるわけで、その違いは、can と will の違いにさかのぼれると思います。
> 1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
この例ですと、could を使っている Sam は Molly に対して、まだすごく遠慮があるように私は解釈します。would を使えば、「俺はそうしたいんだけども」という感じが強まりますが、could だと「やればやれるんで、やってみたらどうかと思うんだけど」というくらい「遠慮した気持ち」が生じると思います。男と女の間の、わがままの芽の大きさが関係します。would と could のどっちが余計に強引かはわかりません。could の方が強引だということはいくらでもあります。しかし、そのあたりは、生活という場面では、声の調子がほとんどを代弁してしまうので、We'd が成り立ち、 could なのか would なのかは声の調子でわかるという世界だと思います。あるいは、声の調子がなければわからない世界です。
スクリーンプレイの「ゴースト」のシナリオ本は、多分、映画を元にして文字に起こしたものだと思うのですが、映画自体の音では、We could と We would は聞き分けることはほぼ不可能だと思います。その部分自体がパクパクさんが言っておられるとおり、「聴解不能」であるほどに微弱な音です。文字に起こした人が could だとして起こしているのです。これはそのように起こした人の主観が入っているのだと思います。借りたのか買ったのかわかりませんが(多分、ニューヨークの話ですから借りたのだと思いますが)、部屋のレイアウトをしている場面です。この場面では、ものごとはまだどうにでもなるので、could なのだと考えるのも一法です。あんがいそんなところかもしれません。
2)Three'oclock is the only time he could make it.
のcouldは、昔学校で習った「時制の一致」からcanに置き
換えて使うと不自然でしょうか?
can に置き換えてかまわないと思いますが、きつい感じの文になります。事務的というか、私的な感じの文ではなくなります。融通がきかない感じが出ます。
助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。
he は Gary Alan ですが、この男が Carl に言ったことを元にして、Carl が自分の主観を混ぜてものを言っているのだと思います。Gary Alan の予定や行動が本当に確かどうか、three o'clock に本当に Gary Alan が Sam のために動くかどうかは Carl にわかっていない。その「自信のなさ」が could という過去形を呼び寄せているのだと思います。
助動詞の過去形というのは、気持ちの問題なのです。はっきりとしていると確信しているときに現在形を使うが、はっきりとしてもいないし、確信もしていない場合に過去形を使うという把握の仕方でいいと思っています。
この現在形と過去形のちゃんぽんは、 Carl という人間の役作りになってもいると思います。
3)「incredible」が非常に多く出てきて、最初は文字
ずらから想像し、形式ばった時に使用するのかと思って
いましたが、日本語で言う「すごい、すげっー、チョー」
といった軽いノリ、場面でよく使われるものなのでしょ
うか?
そうだと思いますが、学歴みたいなものと関係していると思います。
4)Where'd you get those?
What'd the doctor say?
の 'd はdidの短縮ですよね?(念のため)
did で間違いないと思いますが、こういうものは、自分の持っている知識の範囲を駆使して自分で勝手に決め込むことが大切です。もしも決め込んだものが違っていたりすると、違っていたとわかったときに、非常にビックラコキますので、すごく印象に残ります。それは語学の大切な瞬間です。
ビックラコク前の人に向かって、君たちはよくわかっていないと思うけど、本当はこうなんだよね、みたいなおためごかしを学校の教師やらアメリカ帰りやらがやらかしますが、そんなものは屁だと思っていることが大切だと思います。
自分がビックラコクことが一番大事です。
私も比較的頻繁にビックラコクことをやっています。
だから、語学は面白いのです。それがなかったらやりません。
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以上、酔っぱらって書きましたが、そりゃ違うだろ、と思われた方は、助動詞の過去形的でなく、現在形でつっこみをお願い致します。
あてにしようと思う Kawakami さんが日本にいないと、Ton さんが言っていたな。
どこにいるのかな。アメリカだろうな。
アメリカでこの記事を見かけたら、何か書いて下さい。
Kawakami さん、アメリカに行くときは、日本語の使えるコンピュータを持っていくこと。これ、基本だよ。
おもちゃは大人のおもちゃじゃいけないんですよね。
家には子供のおもちゃも大人のおもちゃもないので、淋しい。
私が現代日本のおもちゃなのです。
更埴市近在の市と言えば、長野市や上田市や戸倉町や上山田町だが。壊れていないおもちゃが物置
にあったら、わいわいはうすさんへ持っていって下さい。
それって、根石吉久の葬式みたいなことなんですか?
戸倉町の若奥様に何度電話してもつながらないのは、電話料金を払ってないからだと思う。
で、「過去ログを読む会」を、今度いつやる?
来週?
午前11時起きる。
しばらく薪ストーブをいじってぐったりする。
ぐったりだけしているのも退屈なので、ゆっくりと服を汚れたものに着替える。
庭に出て、チェーンソーにガソリンを入れ、チェーンオイルを入れる。それから、ゆっくりとヤスリでチェーンを研ぐ。
庭木を切ったものをもらったものを切る。労多くして実り少なし。
昔、茂にもらった杉の丸太も切る。軽くなり、水気が抜けて、すぐに焚ける薪になる。
ろくに薪ができないのに疲れる。
3万か4万の耕耘機を買うことを妻に相談する。賛成を得る。
風呂に入る。汗をかくと老人の体は非常に冷える。人々は知らない。
風呂は極楽。
4時半から、レッスンの下準備。
J さん。Tさん。Mさんの順にレッスン。
Mさんに、レッスンを始めた当初に予想していたものと、実際にレッスンを受けてみての違いを掲示板に書いて欲しいと要望する。「電話でレッスン」を始めてみて、俺が感じた予想と実際の違いは、生徒が報告をあまりしてくれないことだった。
意識だけに生じているものを、第三者がわかるように書くことは、極度に難しいことであることはわかる。しかし、それをやってもらいたいという気持ちはいつもある。語学とは、意識だけに生じているものを言語化する行為なのだから。
レッスンをすべて終えて、缶ビール数本空けて、掲示板を見る。
Jさんが、いきなり助動詞の過去形の質問。一挙に核心に迫る質問。
でも、酔っぱらっているから、緊張しないまま、文法解析をやる。
文法解析にもっとも必要なことは、酔っぱらっているということではあるまいか。
今頃は空の上でしょうか。
もうアメリカに着いたでしょうか。
先週までやっていたレッスンがなかったので、妙に淋しかったです。
アメリカでこの掲示板にアクセスできる方法を見つけたら、ご連絡をお願いします。
あんたはまだなんにもわかっちゃいない。
淋しくも空しいジンセイがよろしければ、それをお生きなさい。
俺はアメリカの政治ほど嫌いなものはないほどに、アメリカの政治が嫌いだ。
あんたは、それにお手上げなわけだ。
アメリカに行くもよろしいが、もしも帰ってきたならば、俺はとてもとてもとっちめるだろうと
思う。アメリカに行って帰ってくれば、でかいつらができるとでも少しでも思っているのなら、
この馬鹿と言ってあげよう。
俺は何を言いたいのか。
帰って来るなと言いたいのだ。
もしも少しでも、日本に帰って上等な顔をしたいのだったら、絶対に帰ってくるな。
要らない、そんなものは。
外在知識の身体化 これは非常に興味あることです。
いままで、その方法論の考察がなかった。
素読がそれに近いことがわかってきたので
酒席でそのことを話したら、実にいやな顔をされたわけですが、
こんど、斎藤孝さん(音読の本で有名)が、3色ボールペンを
駆使して本を読むことを推奨しています。
推奨というより、強制的ニューアンスです。
角川書店から出しています。
青、赤、緑のボールペンで、本に線を引きます。
この行為を身体化としています。
映画のシナリオを見て驚くことは、助動詞の過去形が
実に多くでてくることです。
セサミストリートのシナリオを見ても、子供が
wouldやcouldを頻繁に使っています。
シナリオライターの腕の見せ所でしょう。
映像にリアリティと生活感をあたえるからです。
しかし、学校英語では、中学校では、仮定法を
教えていないようです。
(would like to は教えている)
>
助動詞の過去形は、仮定法かそうでないかの分類以前に、「あいまいさ・遠慮を伴う気持ち・ていねいさ・自信のなさ」などを表すと思ってしまっていいと思います。
通常の文法書では、仮定法の用法のひとつに、ソフト化機能の解説をしています。
仮定法は、直接法と対置しますので、あいまいさ、遠慮、丁寧などの感情は
仮定法の範疇になるとおもいます。
しかし、日本語学習者からみれば、仮定法は、仮定法であって、感情をあらわす
ソフト化の機能を仮定法から独立させる、根石さんの解説の方が有効だとおもいます。
なお、would ,could,will,canの使い分けの解説は
英語の達人の領域の人でもできないとおもいます。
だから、あまり、本で見たことはありません。
唯一、外国人のマークピーターセンが書いています。
日本人では、今回の根石さんの記述ぐらいではないでしょうか?
ヨッパラテイルから出来たこととおもいます。
>1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
>could を使っている Sam は Molly に対して、まだすごく遠慮があるように私は解釈します。would を使えば、「俺はそうしたいんだけども」という感じが強まりますが、could だと「やればやれるんで、やってみたらどうかと思うんだけど」というくらい「遠慮した気持ち」が生じると思います。
>2)Three'oclock is the only time he could make it.
>can に置き換えてかまわないと思いますが、きつい感じの文になります。事務的というか、私的な感じの文ではなくなります。融通がきかない感じが出ます。
助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。
>以上、酔っぱらって書きましたが、そりゃ違うだろ、と思われた方は、助動詞の過去形的でなく、現在形でつっこみをお願い致します。
Eliot先生やsbさんのレス領域だと思いますが敢えてこのつっこみの先駆けをさせていただきたいと思います。
1)ベッドを2階に上げる提案をしている訳ですから、「ベッドを2階に上げようと思えば上げられる(仮定)んだけど君はどう思う?」と訊いているのは自然だと思います。 一方wouldにして、「俺はそうしたいんだけども」というのは提案の仕方としては一方的で、日本語でもそういうことはしないと思います。wouldの場合はI think we would better be putting our bedroom... とすることが可能かと思います。
2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
Eliot先生、sbさん、どうでしょうか?
「根石様」「バクバク様」「浜谷様」ご回答ありがとうございます。
助動詞の使用は頭で考えると、かなり難しいのですね。
いちいち考えていると会話が成り立たないくらいに。
それを体の中に覚えこませ、自然に口から出てくるようにするには…。
やはり素読なんでしょうね。アメリカでは子供だって頻繁に使っているようですから。
素読する際に20回を過ぎ、テキストを見ないでもできる辺りからは
文法を意識するよりはむしろ、映画のシーンの映像を頭の片隅に呼び寄せ、
ストーリー及び話者の微妙な感情を理解しながら、素読する。
最近私はこんなやり方をして、これがいいのかなと思っています。
あと「incredible」は想像するに、割と高学歴で、しかも仲間内で
使用する頻度が高い単語なのでしょうね。
私も英語のことはさっぱりわからない人ですので、、、よろしくお願いします。
要らないおもちゃ。。。ですか。。。
うちもゲーム業なので、「要らないような物(値段はつけられますが)」とかは
お客さまに差し上げている方なので、、、難しいですね。。。ごめんなさい。
もしかすると、ほんとに不要なものもあるかもしれませんが、
子供。。。は難しいかも、です。
大きくて場所を取る処分対象の古いゲーム機械ならいくつかありますが。。。
子供用のものは景品ものですので。。。逆にもらっては困りますものね。
お役に立てなくてごめんなさい。
来週木曜日は『鰐る』の定例会です。
木曜日だったら、再来週どうですか。
初めてこちらに掲示板におじゃまします。Hawai'iともうします。
どのように書き出して良いのかよく分からないのですが、
つい先ほどある方からこちらをサイトをご紹介いただきました。
こちらの掲示板の主旨にあっているか不安なのですが、
私もみなさん同様、英語の勉強を楽しんでいる者です。
去年の暮れ頃からなのですが、英語の発音や聞き取りなどについて、
私なりに気づいたことをHPにしています。主に、英語の発音が実際に
どのように変化するかを、簡単にですが、説明しています。現時点では
子音を中心に構成してますが、これからは母音の問題についても
説明を加えていくつもりです。
あと、聞き取りの練習にということで、アメリカのインターネットラジオ
関連の情報を掲載しています。(現時点では、トーク系ラジオ局を
40局ほど紹介しています)
もしもよろしければ、一度ご覧ください。URLは次の通りです。
http://www.tv-naruto.ne.jp/ejyuku
最後になりますが、こちらの掲示板に時々おじゃますることが
あるかもしれませんが、ご指導よろしくお願いします。
こんばんは。
書き込みありがとうございます。
緊張がよく伝わってきました。
何回も書いているうちに、緊張はほぐれますので、今後もたくさん書いて下さい。
今、お宅のHP見てきました。
一発で興味を持ったのが、「外断熱」でした。
一度私の家を見に来てもらえませんでしょうか。
まったくの外断熱で作り、薪ストーブを焚いています。
金がかかりません。金をかけずに善光寺盆地の底冷えをクリアしています。
同業さんですね。よろしくお願いいたします。
そうだった。
「鰐る」忘れてた。
その次の木曜だな。
皆さんに連絡しといてくだしぇい。
今夜もすっかり酔っぱらいだよん。
>子供。。。は難しいかも、です。
あぶねえこと書く女だと思われるぞ。
子供のおもちゃじゃなくて、大人のおもちゃなら難しくないと思われるぞ。
確かに、金をかけて遊べる賭博用の機械は、大人のおもちゃだが、大人のおもちゃには例の怪しい
ものがある。
おら、びっくらこいちまったよ。
>助動詞の使用は頭で考えると、かなり難しいのですね。
いちいち考えていると会話が成り立たないくらいに。
この捉え方でいいと思います。
日本で英語をやると、体でわかる感じじゃなくて、頭でわかる感じにどうしてもなります。
それならそれで仕方がないので、頭でわかったものを体でわかるようにするところまで行けば、
本場の英語みたいなものができます。これを私は「もどき」と呼んでいます。
>Eliot先生やsbさんのレス領域だと思いますが敢えてこのつっこみの先駆けをさせていただきたいと思います。
先駆け、ありがとうございました。
>1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
>1)ベッドを2階に上げる提案をしている訳ですから、「ベッドを2階に上げようと思えば上げられる(仮定)んだけど君はどう思う?」と訊いているのは自然だと思います。 一方wouldにして、「俺はそうしたいんだけども」というのは提案の仕方としては一方的で、日本語でもそういうことはしないと思います。wouldの場合はI think we would better be putting our bedroom... とすることが可能かと思います。
「上げようと思えば上げられる」から、それが可能だから could である。わかります。
「これは、部屋のレイアウトをしている場面です。この場面では、ものごとはまだどうにでもなるので、could なのだと考えるのも一法です。あんがいそんなところかもしれません。」
とすでに書きました。
「一方的で日本語でもそういうことはしない」に関してですが、人間は千差万別ですので、日本語でそういうことをする人はいくらでもいます。少なくとも、私はそうしています。I think we would better be putting our bedroom...
こんな礼儀正しい英語は、ゴーストの世界には似合わないと思いました。
>2)Three'oclock is the only time he could make it.
>2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
極めて論理的な解釈で、ふうむ、と思いました。浜谷さんの解釈が成立することはもちろんあり得ます。
しかし、 Gary Alan はこの映画には名前だけ使われているだけで、Gary Alan という人間は映画の前面には一度も現れません。Carl との関係がわかりません。Carl が Gary Alan の秘書であり、Gary Alan の任意のある一日の
駄目。猛烈に眠い。寝ます。
浜谷さん。
丸一日二日待って下さい。
なんか、おじさんってば、ワイ談好きみたいで、なんか行きにくいです・・・。
それで躊躇してました、、、
私に対しては、中性の目で見ていてください、、、
って言う必要はないかもしれないのですが・・・
俺は猥談が好きで、猥談の嫌いなやつは出入り禁止にしている。
嘘だけど・・・。
中性として見ろって、むちゃくちゃ言うな。
中性じゃないものを中性として見なくちゃいけないのか。
女はとにかく面倒くせえ。
いつまでこっちにいるんですか?
火曜日は昼間に「電話でレッスン」があり、水曜日は外回りででかけています。
木曜日は午後はあいていますが、夜からでかけます。
木曜日までこっちにいるようなら、木曜日の午後に遊びにくるっていうのはどうだ?
一応、会社の人に聞いてみます。
当日にならないとわからないこともあって・・・
もし何もなければ伺うことは可能です。
ほんと当日お返事になってしまいますが、よろしくお願いします。
今日、西沢書店に寄りましたら、「素読舎の案内」がありました。
一部頂いてきました。
まだ読んでいませんが、だんだん発展されてきてるんですね!
それでは当日ご連絡致します。
よろしお願いします。
>2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
極めて論理的な解釈で、ふうむ、と思いました。浜谷さんの解釈が成立することはもちろんあり得ます。
しかし、 Gary Alan はこの映画には名前だけ使われているだけで、Gary Alan という人間は映画の前面には一度も現れません。Carl との関係がわかりません。Carl が Gary Alan の秘書のような立場にあり、Gary Alan の一日の予定がはっきり把握できているとか、Gary Alan の予定を立てる立場にいるのででもあれば浜谷さんの解釈で当たりが出る可能性が濃厚ですが、「〜とかいう話だぜ」みたいな不明確さを言っているだけの可能性も充分にあります。
はっきりしているのは人の話を別の人に伝えるときに使われた could であるということです。むしろ、明確さから逃げる用法だと思います。「代弁の could 」とでも名付けたい用法です。
「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」と明確に言うほど、Carl が Gary Alan の行動を把握しているというという状況証拠はほとんどこのシナリオの中には見あたりません。
浜谷さんの解釈の「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という複層構造を言うには can では駄目で could でなくてはなりません。「〜らしいや」という不確定さを表すだけの用法なら、その不確定さを表すふくらみをすっとばしてしまえば、can にすることでも用は足ります。用が足り、ものごとを先に進めるのにさしさわりがあるかということで言うなら、ものごとは先に進むし、さしさわりは生じない。その意味で can だって使えるということを申したのでした。
Three o'clock is the only time he can make it.
これは充分に用が足せる文だと思います。
気持ちの「複層構造」や「ふくらみ」がすっとぶことは、それらがすっとぶのですから、「複層構造」「ふくらみ」の有無という決定的な違いになりますが、この文の場合は、can にしてもとりわけ極端にぶっきらぼうな文になることもないと思います。もしも、「したくてもできない」という解釈をとるとしても、言いたいことは the only time という語が充分に担っていると思いますので、could を使えばくどくありませんか。「〜とかいうことらしいぜ」という「あいまいさ」の用法だと考えて不都合は何もないと思います。can を使えば、「あいまいさ」がすっとび、文の「感じ」は違ってしまいますが、ものごとが逆になってしまうとか、用が足せなくなるというようなことはないと思います。代置可能だというのはその意味です。
あるいは、the only time S could make it が成句化している可能性もあります。もしもそうであれば、この成句を成り立たせるのは浜谷さんの解釈以外ではありません。成句化しているかどうかが私には確定できません。このあたりで、Kawakami さんの意見が聞きたくなりますが、Kawakami さんは現在この掲示板にアクセスできないようです。
Carl が Gary Alan の行動を把握しているというという状況証拠
→
Carl が Gary Alan の行動を把握しているという状況証拠
昼間っから酒も飲まずに猥談はしないから安心して遊びに来なさい。
誰が語学論なんかを求めているのか。
知りたいのはハウツウだけだという人々の中に混じって、語学論の立ちあがる方途を探ることに血眼になって何の意味があるのか。
彼らが欲しいのは、語学論ではない。てっとり早いハウツウだけなのだ。しかし、ハウツウならすでに腐るほどある。各論として有効なハウツウなど、すでにすべて提示されている。真剣にひとつの外国語を求めて、自分の方法を発見するためのきっかけとなりうるハウツウなら、すでに有り余るほどあるのだ。それなのになおもハウツウを求める人たちが絶えないのはなぜなのか。そして、ばたばたと死んでいく英語の数が数知れないのはなぜなのか。
「語学論としてのハウツウ」がないからではないのか。
ハウツウがハウツウのレベルにとどまり、体験談のレベルを出ようとしない。それらの言説には、語学の原理を提示しようとする指向が払底している。ハウツウの氾濫と、原理提示の払底。これが状況の姿だ。その状況を構成する一粒一粒ずつの英語フリークの姿だ。
英語教育界とは、ことごとく知的な怠け者の棲息する沼なのか。
英語フリークとは、状況に甘んじて、知の私物化を行う亡霊たちなのか。
そして、知の私物化という動機に食い込み、知そのものを食い殺す英語産業の隆盛。馬鹿な英会話信仰やまぬけづらのコミュニケーション信仰。それに並置されながら闇に潜んで見えない英会話教室経営者どものほくそえみ。これらの醜悪な光景の背後にそびえるアメリカという巨大な山脈。
もし、この光景の全体を倒すことができるものがあるなら、それは語学論だ。
他の知の領域と連動する語学論のみが、この醜い総体をうち倒すだろう。
ハウツウにとどまるハウツウに何ができるというのか。
自分の方法を発見するためのきっかけとなりうる
→
自分の方法を発見するためのきっかけとなしうる
再度、ホームページを見させていただきました。
最初に外断熱に興味を持ってしまって、「英語の部屋」へ行かなかった私が愚かでした。
非常に面白いです。
これ、全部自分で検証して、言葉にしたのでしょうか。
文字で音に迫ることの限界点を示していると思いました。
発音の問題点を、塾生との対談式にしてあるのは非常に優れた記述だと思います。
教壇からの講義ではなく、同じ高さの床にいるのがいい。
こういう記述を読むと、可能性は学校ではなく塾にあると言えると思います。
どうぞ遠慮なさらず、ここでどかどか書いて下さい。
条件のいいところに育ちやがったくせに、自分の感覚が標準だとするやつに対する対処法を私は私の非常に身近な人から学んだ。
腐れ女ども、腐れ男ども、アメリカ経由の民主主義を信仰しているがよろしい。
語学ほど民主主義に反するものはない。
世界に明日があると考えるなら、アメリカ(政治)という図式を破ることが必ず必要になる。
世界の今日を生きることしかしない人々に見えないだけだ。
子供を産めもしないのに女であることの不条理。
ものになることがないのに英語が好きであることの不条理。
タイトルにも書きましたように、『英語の部屋』をお読み頂き
ありがとうございます。
このHPを始めてまだ3ヶ月ほどで、内容があまり充実していません。
他にもまとめてみたいことはあるのですが、なかなかHPにする元気が
なく、更新が遅れているところです。
本題ですが、まず根石様のご質問の「自分で検証・・・」の件ですが、
検証といえるほど正式かは別にして、基本的にあのHPの内容は、ほとんど
塾に来てくださっている子供たちや、大学生たちの間違いや、質問をベースに
しています。中に一部、英語の学習者としての自分の経験から、書き込んだ
ものもありますが、中心になる事象は、すべて子供たちのものです。
あとそのような間違いに対する考え方というか、対処法は、音声学の知識を
応用しているところもありますが、ほとんど私が自分勝手な経験論から
割り出したものです。
文法論はいくらか踏み込んで学んだことはあるのですが
「音」に関しては、素人で専門書をまともに読んだことはありません。
したがいまして、音声学や音韻論など「音」の専門家の人にお読み頂くのは
恥ずかしい限りです。きっと間違いを山のように指摘されたり、そんなことは
分かり切っていると批判されるにちがいありません。
次に根石様のお書きになった「教壇からの講義ではなく、同じ高さの床にいるのがいい。
・・・」の件ですが、先日これに似たテーマ(子供と教師の位置関係は?)を同業の友人
にたずねてみたところ、こいつに一本とられてしまいました。友人曰く
「子供の方が上にきまっているやんか」
話が脱線してしまい、すみません。HPの”対談式”ですが、あれは塾の
子供の提案から、あのような形式を取り始めたしだいです。私にはあまり
独創性がなく、いつも子供たちから、何か刺激をもらっているようなわけでして。
最後に「・・・ここでどかどか書いて下さい。」の点ですが、そのように
言って頂き、感謝しています。新参者で、あまり上手い文も書けませんが、
これから、書き込みさせて頂きます。といっても、あまり刺激的な内容は
書けそうにありませんが、
今後ともご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。
極論すれば、俺は語学論一つでおまんまを食ってきたのだ。
それをアメリカのおかげだと思うお前たちが糞ったれなのだ。
「俺の戦友は犬死にした」と思い、悲しむ心がお前たちのでかいつらを載せている心だ。
それが見えないならば、アメリカに渡り、アメリカの地でくたばるのが当然だろう。
武士道。「死ぬことと見つけたり」。
嫌な言葉だと思い、若かった俺はこの言葉を回避した。
しかし、それしかねえだろう。
あの世も極楽も天国も信じないまま、「死ぬことと見つけたり」。
あいつら、欧米どもが理解できない言葉がアジアにはある。
欧米とアジア。どっちが現実的なのか、それはまったくわからない。
迷信にからみとられる必要はない。
死は大いなる解放なのだ。
わざわざ自分から死ぬようなめんどうなことをする必要はまるでない。
まして、国や宗教を守るなどとは世迷いごとだ。
そんなことは頭の狂った奴以外は誰も必要としていない。
ブッシュもオサマビンラディンも同類だ。
しなければならないことは、自分の言葉を作り守ることだ。
作り守ることは、他と交わることだ。
「一期は夢」
これに匹敵する欧米語を知っている人がいたら、誰か書いて下さい。
ただいま、正午に30分余り。
ところが、私はとても深酔いしております。
だもんで(って語法、わかりますよね?)、起きてからお返事させて下さい。
八つ当たりのように書いてしまいますが、私の一生の悔いは女にもてなかったことです。
ただ単に理屈を言う男を女は好みますが、まともに理屈を言う男を女は好みません。
それで、私の臍はとことん曲がってしまい、女にだけは理解されたくないとまで思い始めており
ます。
日本の女は駄目です。
日本の女は駄目です。
→
日本の女はそっぽ向いています。
アジアとアフリカを見下すあの視線だけは決して許すことはしない。
根石様の叫びを読んでいるとブコウスキーを思い出す。
私はブコウスキーは好きです。
Life is but a dream.というフレーズがよく使われると思います。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は「葉隠れ」にある言葉
ですね。その「葉隠れ」に遺訓を垂れた山本常朝(つねとも)の
庵の跡が私の勤務校から徒歩数分のところにあります。
鍋島藩二代目藩主鍋島光茂公の祐筆役をつとめた山本常朝は、
主君光茂が没した元禄13年(1700年)に朝陽軒(後の宗寿庵)に
隠居しました。同藩士であった田代陣基が七年間にわたって常朝を訪れ、
武士の心構えや生き方を聴きこれを筆録したものが「葉隠れ」です。
今はその遺構を偲ぶものは残っていませんが、その傍らに常朝の夫人が
建立した千部経塔がひっそりと立っています。
頭のいい人は、文字をみて、発音記号になおし、
そして英文を読む。
発音記号信奉者
しかし、実際の生活音声は違う。
そうすると、発音記号の信奉が崩れるので
ズレだの俗語だのと、一種、下級な表現をする。
そうすると、脳が、もうこの下級な音声を
受け付けなくなる。
子供や赤ちゃんには、高級、下級の概念がないから
はいってくるものを、色をつけずに聞き取る。
般若心経 :色をつけずに、そのまま受け入れる。
そうすると聞こえる。
映画音声が、速く聞こえて、聞き取れないのは
教科書音法のせいだとおもう。
こう言われちゃうと、化学の公式でも読まされたような気がするのです。
まあ、しかし、「一期は・・」にせよ「Life is ・・」にせよ、その文に人が込めているものの
具体的な感触というものは、なかなか外からうかがい知れないものがあります。
私の場合は、英語をとりまく亡霊が発する毒にあたってもがく我が身が空しい。
その程度の具体性はあります。
前に、ウドというやつ(オーストリア育ち、ドイツ語ネイティヴ、アメリカ11年在住、現在在日)にも、ブコウスキーに似ていると言われたんじゃなかっただろうか。そのままにして、読んでいなかった。確かブコウスキーだったような気がする。
そう思って、昨夜、ウドの店(カフェバー)のカウンターで、お前が前に俺に読めって言ったのはブコウスキーだったか? と聞きましたら、そうだということでした。
ブコウスキーは何歳になるんだと聞いたら、
死んだ。
何年前?
5年くらい前だろう。
私がウドからブコウスキーの名前を聞いたのも、ちょうどそんな頃ではなかっただろうか。
CD持ってるか。
あるけど、ドイツ語だからお前にはわからない。
ドイツ語でもいい。ブコウスキーの声を聞いてみたいんだ。
どこかにある。出てきたら貸す。ブコウスキーの声は light だ。読んだものの印象とまるで違う。
本はネットで探せば買えるだろうとのことでした。
以前、アマゾンコムでカードの番号を記入させられそうになって、本の注文を中断したことがありました。またやってみようかと思っています。
>映画音声が、速く聞こえて、聞き取れないのは教科書音法のせいだとおもう。
普通に日本で英語をやった人には映画の英語は聞き取れません。
しかし、映画の英語に迫る方法はあります。
「電話でレッスン」の生徒さんたちへ。
パクパクさんの指摘されている映画音声の聞き取りが、各自どのように変化しつつあるかをこの掲示板へご報告下さい。
>
映画の英語に迫る方法はあります
これは、たぶん、嘘偽りの無いところとおもいます。
古川さんのその後の状況(現在の状況)はいかがでしょうか?
> 本題ですが、まず根石様のご質問の「自分で検証・・・」の件ですが、
検証といえるほど正式かは別にして、基本的にあのHPの内容は、ほとんど
塾に来てくださっている子供たちや、大学生たちの間違いや、質問をベースに
しています。中に一部、英語の学習者としての自分の経験から、書き込んだ
ものもありますが、中心になる事象は、すべて子供たちのものです。
それにしても、子供たちや大学生たちの「間違い」を「間違い」だと認定し、どこをどうすると指示するためには、ご自分の側にそれを照らし出すだけの音の基準というものがあるはずだと思うのです。これを、日本に住んだまま手に入れたのか、アメリカなどに住んで手に入れたのか、そのあたりが私の興味のあるところです。よろしければお教え下さい。
私は日本在住のままに、この掲示板の常連の方々の協力を仰いで、あくまで日本人のための「英語発音10のポイント」というやつをホームページの方に掲載してあります。これはまったく初心者向けのものですが、しかし、このわずか10のポイントでさえ、普通に学校で英語を習う人たちはクリアしていないという現実があります。この「10のポイント」を大学生や社会人に言うと、「こんなこと学校では一度も教えてもらったことがない」と言う人が多いです。
私の「10のポイント」は英語フリーク「ではない」人々のためのものです。
英語の知識は、英語フリーク「ではない」人々のためのものがなければならないと思っています。私自身が英語フリークではありませんし・・。
であるならば、最小のポイントを定め、ひとまずはその最小のポイントだけはクリアさせる必要があると考え、「英語発音10のポイント」を作ったわけでした。
ご意見をお聞かせ下さい。
> したがいまして、音声学や音韻論など「音」の専門家の人にお読み頂くのは
恥ずかしい限りです。きっと間違いを山のように指摘されたり、そんなことは
分かり切っていると批判されるにちがいありません。
間違いを指摘されたら、直していけばそれでいいので、それよりも、ひとまず自分なりに作ったものを公開することが大事なことだと思います。それがなければ、議論のたたき台すらないことになります。たたき台を提出なされたことは勇気ある行為だと思います。
Hawai'i さんの音の分析に対して、 Eliot さんはどんな意見をお持ちになるだろうか、と私は思いました。音に関する知識については、私はこの掲示板にときどき書いてくださる Eliot さんを信頼しています。
ときどき、学校育ちと野育ちの違いから、意見が食い違い議論になりますが、学問的な姿勢についての信頼はゆらぎません。
Eliot さんが書いてくださればいいのですが・・。
>映画音声が、速く聞こえて、聞き取れないのは
>教科書音法のせいだとおもう。
このご意見には、個人的にはかなり賛成です。教科書に載っている
発音記号という2次元的な『文字』では、時間軸まで組み込んだ
多次元的な『音』を表しきれなくて当然です。ただ、残念なことに
英語の”勉強”になると、発音記号という『文字=活字』が一人
歩きしてしまい、いつのまにか、元になっている『音』よりも
絶対的な存在になってしまうという、不自然なことが起きてしまいます。
そこで思うのですが、いわゆる受験英語や資格英語でだれもが触れる
この発音記号に、何らかの手を加えることで、より実際の音に近づける
ことが出来れば、もっと楽しみながら、英語を音から身につけることが
できると思います。ということで、ここしばらくですが、自分なりに
従来の発音記号に手を加えてた、試行錯誤中のものを、
HPに掲載しています。(www.e-jyuku.has.it)よければご覧頂き、
ご意見やご指導をいただけると助かります。
あともう一つ考えを述べさせていただきます。
>・・・子供や赤ちゃんには、高級、下級の概念がないから
>はいってくるものを、色をつけずに聞き取る。
これは、ある意味、当を得ていると思うのですが、反面、そうとは
限らない側面もあると個人的には思います。
あまり上手く表現できないのですが、
まったく色を付けずに、つまり、なんのバイアスもかけずに、あるがままに
子供が英語を身につけるとは限らないと思います。まったく同じデータに触れても
人は、その人なりの書き換えをしてしまうのではないでしょうか。
耳にまで伝わった音が、頭に伝わるまでに、なんかの書き換えというか、
処理が加えられることで、赤ちゃんは音を、そして英語を身につけていくのでは
無いでしょうか。ある意味で、この耳から頭に伝わるまでの
書き換えの仕方が、赤ちゃんと、私たちそれ以上の年齢の日本人では、かなり
異なっているのが、より問題なのではないでしょうか。
会社の人が外に出てしまうため、私は一日留守番をしていなければなりません。
そのため、会社に居ります。
今日、おじさんところにお電話したのですが、お留守でした。
ここのところ、ある店舗への出店準備でバタバタしてます、。
少々お待ちください。。。
Eliot先生、
以下は根石先生宛て3月31日付(レス)私の仮定法に関する意見ですが、それ以降の根石先生のご意見と併せて、コメントしていただけないでしょうか?
>1)We could put our bedroom upstairs, and that
will leave us …
>could を使っている Sam は Molly に対して、まだすごく遠慮があるように私は解釈します。would を使えば、「俺はそうしたいんだけども」という感じが強まりますが、could だと「やればやれるんで、やってみたらどうかと思うんだけど」というくらい「遠慮した気持ち」が生じると思います。
>2)Three'oclock is the only time he could make it.
>can に置き換えてかまわないと思いますが、きつい感じの文になります。事務的というか、私的な感じの文ではなくなります。融通がきかない感じが出ます。
助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。
>以上、酔っぱらって書きましたが、そりゃ違うだろ、と思われた方は、助動詞の過去形的でなく、現在形でつっこみをお願い致します。
Eliot先生やsbさんのレス領域だと思いますが敢えてこのつっこみの先駆けをさせていただきたいと思います。
1)ベッドを2階に上げる提案をしている訳ですから、「ベッドを2階に上げようと思えば上げられる(仮定)んだけど君はどう思う?」と訊いているのは自然だと思います。 一方wouldにして、「俺はそうしたいんだけども」というのは提案の仕方としては一方的で、日本語でもそういうことはしないと思います。wouldの場合はI think we would better be putting our bedroom... とすることが可能かと思います。
2)この場合はcanには置き換えられないと思います。「助動詞の過去形は、「和らげる」作用があります。」も一つの用法だと思いますが、この場合は「3時以外の時間にしたくても(仮定)出来ない」という明確な意思表示をしたいのだと思います。
Eliot先生、sbさん、どうでしょうか?
>古川さんのその後の状況(現在の状況)はいかがでしょうか?
古川さんは、多分、私のホームページのどこかにある「電話でレッスン」を受けられての感想
を書かれた古川さんのことだと思います。
古川さんは、すでにだいぶ前にレッスンを中断されました。
大学で勉強する(しなおす)とかで、一時中断させて欲しいとのことでしたが、その後、連絡
をいただいていません。
発音の上手な方でした。
おそらく「復習範囲を手放さない」の威力はわからないままに中断されたと思います。
そしたら、そのうちに来なさい。
浜谷さんの記事に対してのご意見をお願い致します。
sbさんは、「ゴースト」をテキストとして練習をしておられますが、Eliot さんは、「ゴース
ト」のシナリオを読まれたことがないかもしれません。
映画一本の全体の構成などが把握できないまま、答えようにも答えられない質問かもしれません。
シナリオの全体の中から、二つ三つの文を切り出して、どう考えますかと質問されても、困ると
いう事情を少しお考え下さい。
sb さんには意見をお聞きできると思いますが、Eliot さんには、「ゴースト」のシナリオ全
編を読んで意見を言って欲しいという要求はとてもできません。人生、300年も400年も生
きられるわけではないですし、自分以外の人に超人的な仕事を課することになりかねません。
もちろん、Eliot さんが、ここに重大な問題があるとお考えになったなら、ご意見をお聞きし
たいと私も願っておりますが・・・。
>英語の”勉強”になると、発音記号という『文字=活字』が一人
歩きしてしまい、いつのまにか、元になっている『音』よりも絶
対的な存在になってしまうという、不自然なことが起きてしまいます。
学問というものは、どうしても「文字=活字」として固定化することを避けられないと思います。発音記号を固定した人(たち?)は、きちんとした学問をした人(たち)だと私は思っております。なぜかと申しますと、この発音記号で英語をやっても、自分で話す英語なら使い物になるからです。
ところが、リスニングになると、発音記号を頼りに英語をやっても、聞き取れないという結果が生じます。
これは、発音記号が悪いのではなく、そもそも「固定化」というものが持つ弱点だと思います。その意味では、Hawai'i さんの音に関する分析も、この運命を逃れられないだろうと思いました。リスニングは、まるで固定化の逆、流動してやまないものと対処することだからです。それは、「固定化」という学問の本能から絶えずそれて、磁場を呼吸することでしか成立しません。
「固定化」や「法則化」は、生の磁場の動態を把握しきれないという運命を逃れられない。しかし、この「不自然」は、学問としては自然です。
そもそも、学問的な成果というものが、天然自然の方から見ればことごとく「不自然」な固定化であり、この「不自然」を否定するなら、あらゆる学問も学問もどきも成立しません。そうなると、「英語をやるならアメリカやイギリスに行け」以外の方途はなくなります。
「元になっている音」と言いますが、この音自体が、日本で英語をやる場合は、多くの場合、複製物です。この複製物が生の音を再現しえているという迷信が、広く信じられていますが、私は信じることができません。生の音は生の音であり、複製物は複製物だとかたくなに分けて考えています。
発音記号自体は、音声複製技術以前に成立していると思います。つまり、生の音を分析して得た記号群だと思います。その記号群をあてにして、音声複製技術による音声を聞き取ろうとしても相当な無理が生じます。生の音を「固定化」しようとした記号群を使って、その後の時代に、まるで別種の「固定化」の技術による音をほぐそうとしているからです。
しかし、身体化によって、複製音声の内側にもぐりこむなら、生の音を聞き取ることが非常に楽になります。これは、実験済みです。
ここでも、キーワードは「身体化」だけだと思っています。
発音記号と「元になっている音」の距離と同等の距離が、あるいはそれ以上に巨大な距離が、生の音と複製物としての音との間にあると思っています。生な音は、その場の当事者になることを強いる音であり、複製物としての音は当事者となることを免責する音です。
この関係の絶対性を、人々はあまりに軽く考えていると思います。
私が「磁場」という語を持ち出しているのも、複製技術への「軽信への不信」によります。
これはまた、生の磁場と語学の机上との距離とも関連します。
語学が「死」を扱う行為なのだということを理解している人がほとんどいません。
浜谷さんの記事に対してのご意見をお願い致します。
→
時間に余裕がありましたら、浜谷さんの記事に対してのご意見をお願い致します。
>これは、発音記号が悪いのではなく、そもそも「固定化」というものが持つ弱点だと思います。
そうとも言えないとおもいます。
現在の発音記号は、切り出し音声記号であり、音声の静的特性に向いていますが
動的特性に向いていません。
科学の歴史でいえば、微分記号があります。
日本でも、微分を考えた数学者がいるようですが、記号はわかりません。
イギリスとフランスでは、この微分記号の表記方法が異なっていました。
その後の科学の発展をみると、イギリス式表記法が良かったようです。
>現在の発音記号は、切り出し音声記号であり、音声の静的特性に向いていますが
動的特性に向いていません。
動的特性に向いている記号群ができたらできたで、記号の数が問題です。
やたらに増えてしまったら、単語そのまま、文そのままを発音記号にした方が効率がいいという
ようなことになりかねません。
部分記号は頭の中でいじればよろしいでしょうが、言語の発音表記は学習者が文の音を身体化す
るのに使うわけです。身体化に具合の悪いようなものだったら、ないほうがましです。
微分記号っていうのは、いくつあるんでしょうか?
部分記号
→
微分記号
私は教科書音法と生活音法との違いというのはよくわからないんですけど、教科書
音法というのは、
1.すべてにわたりクリアに発音する。
2.ゆっくり発音する。
3.gonna とか wanna とか outta などの省略形を使わない。
だと理解しました。
これだけだったら、確かに映画の音は聞き取れないと思います。
特に「ゆっくり発音する」だけでは聞き取れない。
この点において、パクパクさんと同意見です。
ですが、教科書音法(上で仮定したもの)と生活音法(アメリカとかイギリスなどで話
される音?)が絶対的に違うものか、といわれると、そんなことないんじゃないかな、
と思うのです。
私は「俗語・卑語」「崩れた発音」「高速度」と三拍子そろった Full Metal Jacket
(以降フルメタ)の練習をやっていますが、実はこれ、「教科書読み」で練習していま
した。最初の自己練習(初見)の時は、映画の音を参照していません。けれども、練習
した後だと、聞き取れました。このスクリプト間違っているぞ、というのも。 他の映
画も、聞き取りやすくなった気がします。
ただし、「教科書読み」といっても、発音に関しては、注意すべき10の発音を意識
して、単語のアクセント(音の大小)はきっちり押さえる、という「教科書読み」です。
あと、自分ルールとして、
・名詞と動詞は一番えらい(大きく発音)
・名詞のうちで固有名詞は最もえらい/代名詞はあんまりえらくない(小さく発音)
・動詞のうちでbe動詞はあんまりえらくない。(小さく発音)
・冠詞・助動詞は名詞・動詞よりえらくない。(小さく発音)
・前置詞はあんまりえらくない。(小さく発音)
・大きく発音しない音も、口の動きは小さいながらもきっちりとやる。
(これも「教科書読み」の一部かな?当然、文脈により変わりますが、最初はこのルー
ルで読みます)
例えばこんな文を攻略するとします(フルメタの障害物乗り越え訓練の時の訓練教官の
セリフ)。
What the hell is the matter with you anyway? I'll bet you if there was some pussy up there on top of that obstacle you could get up there! Couldn't you?!
第一段階:全部同じ大きさの音で、発音だけ注意し、つっかからないように繰り返し読
む。
第二段階:口を大きく開けて、大きな声で繰り返し読む。
第三段階:↓のように、文の中での音の大小に注意して繰り返し読む。
What the hell is the matter with you anyway? I'll bet you if there was some pussy up there on top of that obstacle you could get up there! Couldn't you?!
これを100回以上繰り返して、発音・アクセント・音のかたまりを崩さないように徐々
に速くしていきます。(実際は第三段階からいきなり練習を初めていますが)
その後、映画の該当箇所を聞いてみると、聞き取れます。
この教官はこもった感じであんまり強弱つけてないなあ、 the hell は教官の合いの手
というか、口癖みたいなもので、あんまり強く言わないんだなあ、と思い、以降、自分
の練習にフィードバックします。
さらに何回も読んでいくと、教官のセリフのリズムのよさが気持ちよくなっていきます。
「男はつらいよ」の車寅次郎が「けっこうけだらけねこはいだらけ、いきなねえちゃんたちしょうべん」と言ってるようなもんだよなあ、という感じで。
発音・音の大小をきちんと発音しながら高速化していくと、get up は「ゲラp」
という感じだと言い易いんだがなあ、と思うようになります。それで映画の音を聞いてみ
ると、そうなっています。
また、例えばある文を読んでいて、 get him が 「ゲティm」とい
う感じだと言い易いんだけどなあ、と思っていると、映画でそう言っていたりします。
(Eliotさんの紹介されていた「英語の発音パーフェクト学習事典」を読で、himを[im]と
言うのは「弱形」というのだ、ということを知りました)
でも、こういう言い方は純粋に自己練習だけで出てくるか、というと違うかも。練習し
ているうちに今までに無意識に聞いてきた「思いあたる音」を無意識的に参照している
のかもしれません。
でも、私の練習の仕方の基本は、「教科書読み」です。
今のところ、私のハリウッド映画の聞き取りは6〜7割(タランティーノやスパイク・
リーだと3割以下だなあ…)くらいだと思いますが、「教科書音法」でも激しく読みを
加速すれば、映画の音ももっと聞き取れるようになるんではないか、と思うのです。
「ゲラp」→「ゲラp」