【18401】

小 川さん、村田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月15日(火)02時19分40秒
編集済
     『大風呂敷』の過去ログを読んでいたら、柴田さんが書いてくださった発音に関する記事がありました。私どもも、/t/d/l/n/ は「上の歯茎の裏」としてとらえてきたのですが、柴田さんはそれに、/ch/j/ を加えています。これは大いに参考になります。

>/n/と/l/の発音も舌先が前歯の裏だろうが、歯茎だろうが、実用上何ら障害は生じないと思いますが、私は生徒への説明としては /t/d/l/n/ch/j/はすべて「舌先は歯茎にあたる」としています。しかし、実際には生徒の多くは前歯の裏に舌先をあてているようです。それを徹 底的に直すというようなことはあまり意味がないと思うので、していません。

 

【18402】

掲 示板『大風呂敷』過去ログ倉庫より

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月15日(火)02時27分36秒
編集済
  448.危惧 投稿 者:根石吉久  投稿日: 7月27日(金)04時30分28秒

ST 様

>浜谷さんに対する投稿で「インプット自体は、多読
でなくてもできます。」というのがありました。根石
先生はインプットは回転読みでやっていくのが一番!
と考えておられるのか、それとも「多読でなくても」
ということは多読であってもある方法でやればインプ
ットに効果的な方法があると考えておられるのでしょ
うか?

 浜谷さんは、インプットをペーパーバックスを使って行ったと言われている方で、非常に珍しい方だと私は思っています。しかし、最初からそうなさったので はなく、中学・高校の頃はきちんと「音読」をなさっていた方であることは、この掲示板が出来る前にメールのやりとりをして教えていただきました。
 浜谷さんが初心者の方に奨める方法として、ペーパーバックスの多読(黙読)を提唱しておられ、インプットの方法として多読(黙読)がよいと考えておられ るのを知り、初心者にはそれよりも音読がいいのではないかと申し上げたことがありました。
 多読と音読は別に矛盾するものではなく、音読で多くの本を読めば、それはそのまま多読です。相互に矛盾せず両立可能な方法ですが、初心者の練習方法とし て、どちらを主軸にすべきかということで言うなら、私は絶対に音読だと思っているわけです。
 浜谷さんと私とで、「初心者」についての捉え方が異なっています。私は、初心者という場合、何ひとつ前提にする条件はありません。まったく初めて英語に 触れる人も初心者だと思っています。一方、いくら一流大学を出ていても、英語の読みに英語のイントネーションやリズムが備わっていない人も初心者だと思っ ています。このどちらにも、「音読」が有効だと思います。「多読」をやる前に「音読」をやるべきだと考えています。

 「回転読み」は、同一の文を繰り返し言い続けるわけで、これはまったく語学としての英語をはっきり自覚した方法です。語学以外の場面(生活言語の場面) では、こんな馬鹿げたおかしなことは、人をからかう時以外はまず誰もやりません。Is that so? Is that so? Is that so? Is that so? Is that so? と語学の場面で繰り返しても何もおかしなことはないのですが、生活言語の場面で、「そうなんですか?そうなんですか?そうなんですか?そうなんですか?そ うなんですか?」と言えば、相手はよほどむかつくと思います。殴られるかもしれません。
 

【18403】

掲 示板『大風呂敷』過去ログ倉庫より

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月15日(火)02時31分44秒
  449.危惧(2)  投稿者:根石吉久  投稿日: 7月27日(金)04時31分50秒

 「回転読み」は、同一の文に関する多読だと言うこともできますが、しかし、この言い方は、浜谷さんの考えておられる多読とはまるで別のことになってしま います。浜谷さんの多読は、あくまで多くの本を読むという意味での多読ですし、「回転読み」の多読は、同一の文を繰り返し言い続ける回数が多いという意味 で多読です。「回転読み」のミソは同一の文にとどまって思う存分にやるというところにあります。
 また、浜谷さんの言われる意味での「インプット」の機能を持つものは、私の方法では「電圧装置」を使いこなす上での「回転書き」だと思います。これは、 浜谷さんの方法に比べれば「勉強くさい」ものですが、しかし、見た目でなく、心の作業の実質を見れば、ペーパーバックスで知識をインプットするのも、実質 は勉強です。生活言語にまみれて、その言語を獲得するのでないかぎり、ペーパーバックスでやろうが「電圧装置」でやろうが、いずれも「机上」の作業であ り、勉強です。勉強が勉強であれば、見た目はどちらでも構うことはなく、実質が得られるかどうかだけが問題です。点数ではなく、英語の実質が、です。

 私自身は、インプットは「回転読み」でやるのがいいと思っています。多読は、一度「勉強的に」インプットしたものを「保存・熟成・変容」させるのに向い ていると思っています。

 「回転」の質が上がったら、音も文字もイメージも意味も文法も語法的知識も回転の熱でごった煮にしてから、さらによく攪拌すると、音、文字、イメージ、 意味、文法、知識が総合されて、すばやい感覚のようなものが抽出されると思います。この感覚はひとつの総合です。すばやく動く総合というようなものが抽出 される。いったんこれをはっきり取り出すことができると、再び解体されて、音、文字、イメージ、意味、文法、知識のそれぞれに戻ったものは、「回転」以前 と以後では実は違った顔をしていると思います。それぞれが、自分にとって親しい何かに変わっているはずです。
 そういう過程を経て、ある程度の英語の基礎を作ってからは、ペーパーバックスの多読(黙読)は非常にいい方法だと考えています。実は、浜谷さんご自身も まったくこの通りの過程をきちんと踏まえられた方なのであり、多読によるブレイクスルーは、音読を前提としています。浜谷さんご自身が前提をきちんと前提 として踏まえた方なのに、他の方に方法をすすめる場合に、自分のブレイクスルーの時点での方法を奨めてしまうと、ご自身が前提としていたものをすっとばし てしまう危険があるという危惧を私が抱いたということです。

 親しさの度合いというものがあります。女と結婚して、親しんでいるうちに、親しさの度合いが増していき、いつのまにか女が「糠味噌女房」というものに なっていたりします。使える英語というのは、知識にしろ、音にしろ、文字(スペリング)にしろなんにしろ、「糠味噌女房」のレベルに達したものであろうか と思います。別の言い方をすれば、「あきあきした」「つくづくもう」というレベルにも達したものです。このレベルに達したものが使える英語です。これは、 英語が作る言語的磁場を欠如する日本の英語について真である、と考えます。
 


【18404】

「距 離」

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月15日(火)02時41分34秒
編集済
    I村さんが書いてくださった「素読舎宣伝」という文には、書かれていない前提が一つあります。ここではバスク語と欧米語との間の距離でなく、日本語と英語 の間の距離で考えますが、英語から日本語に向かおうと、日本語から英語に向かおうと、その距離は等しいということです。

 I村さん、ありがとうございました。
 

【18405】

内 田樹の一言

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年11月15日(火)09時58分44秒
  弟子は、師は私の知 らないことを知っているはずだと想定したことによって、何か(しばしば師が教えていないことを)学んでしまいます。そして、何ごとかを学び得た後になって はじめて、その学習を可能にした師の偉大さを思い知るのです。  

【18406】

根 石さん

 投稿者:まるまる  投稿日:2011年11月15日(火)16時22分52秒
  いつもありがとうご ざいます。
昨日のレッスンの後、我が子が
「口の筋肉に力を入れるって、どうやればいいのかわからない」
と言っていました。
「そういうときは、わかったように『ハイ』と言わずに正直に『どうやればよいかわかりません』と、伝えた方がいいんじゃない?」
と、答えてみました。
普段から早口でペラペラしゃべる子なので、体感するのが難しいようです。
次回もてこずるとは思いますが、よろしくお願いします。
 

【18407】

発 音の要領(追加)

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月16日(水)06時04分32秒
  [ae]
「口の両端を斜め上にひきあげる」:あだ名「一瞬般若」

[a]
「あごを下げる」:あだ名「歯医者」

[逆さ e] , [逆さ v]
「息の出口を狭める」「口を狭める」:「狭いア」

[鏡文字 c]
「殻をむいたゆで卵を唇に力を入れてくわえる感じ」

[t] , [d] , [l] , [n] , [t∫] , [d3]  ※[t∫] [d3] は change [t∫eind3] の最初と最後の音
「舌先を上の歯茎の裏につける」

[th]
「舌先を上の歯の先につけ、舌で歯の裏をこすりあげる」

[j] (you, year など)
「喉で出す」:「y があったら喉」

[f]
「下唇を上の歯の先につけ、息で唇を離す」

[v]
「下唇を上の歯の先につけ、息で唇を離す」

[ou][au]
([u] が出ていない場合)「唇の筋肉に力を入れてください」


------------------------------------------------------------
子音の連続処理

・([t] , [d] , [l] , [n])+子音 の連続 (例)we could put の d)
  「([t] , [d] , [l] , [n] の)舌の位置は確保して、音を殺す」

・([t] , [d] , [l] , [n])+([t] , [d] , [l] , [n])の連続
  「舌先を上の歯茎の裏につけたまま、先の音を黙った音にする」

・([t] , [d] , [l] , [n])+ th の連続
  「([t] , [d] , [l] , [n])は本来、舌先が上の歯茎の裏につく音だが、
   後ろに th が来る時は、舌先を上の歯の先につけて、th の準備を
   していい。そのまま([t] , [d] , [l] , [n])は黙った音にする」

------------------------------------------------------------
口の筋肉のバネができてきてから、一瞬の感覚でつかむしかない音
(ただし、発音が違っていることは最初から指摘し、日本語の音で近い音に引き寄せておく)

・she の sh
・see の s
・judge の dge
・size の z



 

【18408】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月16日(水)06時20分9秒
  >口の筋肉の バネができてきてから、一瞬の感覚でつかむしかない音
>(ただし、発音が違っていることは最初から指摘し、日本語の音で近い音に引き寄せておく)
>
>・she の sh
>・see の s
>・judge の dge
>・size の z

ここはそれぞれ
sh と s の違い
judge の dge と size の z の違い
とした方がいいかと思いましたがいかがでしょうか。

 

【18409】

根 石さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年11月18日(金)19時48分2秒
  > /t/d/l/n/ は「上の歯茎の裏」としてとらえてきたのですが、柴田さんはそれに、/ch/j/ を加えています。これは大いに参考になります。

/ch/j/ は「上の歯茎の裏」でいいんでしょうか。私はむしろ「下の歯茎の裏」のように感じられます。私の歯は噛み合わせが普通と逆ですから、そうなるのかもしれま せんけど。
 

【18410】

内 田樹の一言

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年11月18日(金)20時45分16秒
  ポピュリズムとは、 「生身を偽装したイデオロギー」である。コロキアルで、砕けた口調で、論理的整合性のない言説を、感情的に口走ると、私たちはそれを「身体の深層からほと ばしり出た、ある種の人類学的叡智に担保された実感」と取り違えることがある。
 

【18411】

ま るまるさん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月19日(土)00時10分22秒
   すぐ回答が書けず 申し訳ありませんでした。

>昨日のレッスンの後、我が子が「口の筋肉に力を入れるって、どうやればいいのかわからない」と言っていました。

 これは何人もの生徒さんが、同じように言います。「口の動きを立体的にする」と言っても、同様に「わからない」と言うと思います。
 コツは練習を重ねるうちにわかってきますので、今は、「力を入れる」=「はっきり言う」ととらえてもらうので大丈夫です。

 はっきり言おうとすれば、自然に口の筋肉に力が入ります。今の段階では、それで大丈夫です。
 

【18412】

根 石さん、村田さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年11月19日(土)01時29分2秒
  スカイプレッスンの 後、ご相談すべきことがあったんですが、息子夫婦が訪ねて来たため、お話出来ずじまいでした。明日のレッスンの後、少しお時間頂ければ幸いです。
 

【18413】

コー チ音読レッスン報告

 投稿者:小川  投稿日:2011年11月20日(日)01時45分41秒
  今日もまた激しく回 転させていると、過呼吸になり、目がかすみ, 脳貧血になり...  村田さんの足を引っ張ってしまいました。

レッスン後に塾長より指導あり。呼吸法でした。

 


【18414】

音 読レッスン

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月20日(日)01時58分54秒
  人が読んでいるのを 聞いていて、何度かふらつきがあるなと思っていると、ほぼそのページの中でチェックをされ、繰り返しを要求される文が出てくると感じます。
自分もチェック入れられる時はそういう前兆があるんだろうなと思います。自分の場合は、力が入っていない時と、過度に力が入っている時です。どちらも練習 量が足りない場合です。
過度に力が入っている時は、つまりは練習が足りなくてあせっているので、知らず知らず、力が入っています。こういう時はぶつ切れになってしまいます。
意識して力を入れていられる時は、ほぼ失敗しないでできる感じがします。

 

【18415】

掲 示板『大風呂敷』過去ログ倉庫より

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月21日(月)01時39分3秒
  掲示板『大風呂敷』 過去ログ倉庫より

450.外国人青年(1) 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月27日(金)05時40分22秒
ST 様

>外国人青年招致事業(いわゆるAET,ALTの人達がきて授業をサポートしていること)についてはいわゆる黒字減らし(根石先生のお怒りが聞こえてきそ うですが)とは、そこここでささやかれていることだ思います。英会話学校も税金の無駄使いというのもうなずけます。しかしある程度の力がついてきたら、ま た利用の目的がはっきりしていれば(例えば、外国人の担当講師に日本的事象<たとえばこたつや書道などについての説明を自分なりに調べて整理して持ってい き、説明の後に質疑応答したものを自分でテープにとっておき、直されたものを別の講師にまた試してみる、というのを何かの体験談で読みました)役に立つこ ともあるのではないでしょうか?

 何十人もの生徒の中に一人の「外国人青年」を置いても、そこでの生活言語は日本語のままであり、生徒は覚えた一つ二つの言い回しを言ってみるだけであ り、言ったことが通じれば、「ああ、通じた」と、日本語で、喜んだりするでしょう。外国人青年は、学校の教室に英語磁場を現出させようとするのでしょう が、生徒全員の意識が日本語ベースのままなので、「磁場」は現出しません。先生一人が「点として」、磁力を発するのですが、生徒の意識はそれに反応しない 種類の金属なのです。

 教室ではない場面でも変な光景が見られます。積極的な日本人は、ガイジンさんに話しかけ、生活言語を語学の言語にしてしまうことがよくあります。これ は、実に失礼なことです。生活言語を語学の言語にすることは、失礼なことなのです。動物園の檻の中に動物たちを入れて眺めることが、動物たちに対して失礼 なことであると同じように失礼なことです。俺は観光地じゃない、と私に訴えた外国人青年もいました。この種の失礼さ加減に鈍感な人は結構多いのではないか と思っています。文部省や教育委員会なんぞは鈍感さの最たるものでしょう。

 日本の中学生や高校生たちは、英語での思考回路が形成されていない人がほとんどです。思考回路どころか、「音」の問題ひとつとっても、日本の学校英語は 基礎の基礎が駄目ですから、上記の光景になってしまいます。ガイジン慣れのためだけならいいでしょうが、中学生や高校生の英語の力の実質部分に作用するこ とは、「外国人青年」にはできません。まじめな青年なら、無力感を噛みしめていると思います。金さえもらえれば、と思っている奴はひとまず楽しくやって、 自分の国をなつかしがっているだけのことでしょう。自分の持っている英語が、日本の中学生や高校生の英語の力の実質部分に作用しないことこそが、日本の本 当の現実なのですから、根性のあるやつなら、ここに「なぜ?」という疑問符を置き、その疑問符から再度スタートしようとするでしょうが、今のところ、その ような「外国人青年」には出会ったことがありません。

 生活言語であるべき場面で、それを語学の言語に変えることも失礼なことですが、「外国人青年」の側にも問題があります。生活言語から語学の言語に渡るべ き場面できちんと渡ることをせず、金だけ受け取って「蛙のつらにしょんべん」であるのならば、これはこれでまた別の意味で失礼な話です。

 要するに、日本の金ばらまき役場と日本の学校英語は、これら「外国人青年」によってもナメラレテいるのです。

--------------------

451.外国人青年(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月27日(金)05時41分10秒

 実は、中学や高校の学校の先生役をやっている「外国人青年」に出会う機会は、私は結構あります。この種の人たちがたむろしている酒場に私も出入りするた めです。「どうだい、中学生たちはあんたが話しかけることで英語をしゃべるようになるかい」というような質問を私はします。ほとんどの答えは「絶望的だ」 というものです。

 当然です。浜谷さんの言われる意味での、「インプット」の絶対量がないのですから。それ以前に、学校英語の「音」は通じないのですから。

 やはり、ここでも、「前提」というものが問題だと思います。
 こたつや書道について外国人に説明できるとなれば、これはすでにある一定の語学力を備えた人です。前提となる基礎なり語学力なりをすでに持っている人に は、外国人青年は役に立ちます。だから、中学や高校に「外国人青年」を配置すると、生徒にではなく、英語の先生の役に立ってしまうのです。
 しかし、外国人青年が英語の先生の役に立っているだけではしょうがない。やはり生徒の役に立たなければ、税金の無駄遣いであると思います。文部省の触れ 込みは、あくまで生徒の英語力に役に立たせるために、外国人青年を招いているということになっているはずです。同じ金を使うなら、中学や高校にではなく、 大学に外国人青年を送り込んだ方がずっと学生の役に立つと思っています。大学に行けば、外人がいっぱいいるということが常識化すれば、受験生ももっと 「音」を大事にするようになるでしょう。(そうすれば、もっと素読舎への問い合わせが増えるでしょう)

 あるいは、浜谷さんのようにガイド資格を持っているような方が組合を作ったとして、その組合に税金を使って外国人青年を配置するなどは非常にいいと思い ます。
 あるいはまた、素読舎のように「音とイメージの同致」をテーマとしている私塾の修了生のグループに対して、一人のあるいは複数の外国人青年を配置してく れるなら、これもまた非常によろしいことです。「電話でレッスン」の生徒さんが、関東、中部、関西、四国などでグループを作り、それぞれのグループに外国 人青年を配置してくれても大いに結構です。

 文部省の金の使い方は、方法の実質に対して金を配るのではなく、実質の外側で制度的(法的)に決めた条件を満たしている教育機関に金を配っているだけで す。素読舎や「電話でレッスン」の生徒さんたちに金が回って来るときはまだまだ来そうにありません。皆さん、怒りを持ちましょう。

 私は、現在の学校が現在の状態のままであるなら、外国人青年の存在は生徒の役には立たないと言っているわけです。まったく税金の無駄づかいです。
 

【18416】

小 川さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月21日(月)01時52分4秒
  >/ch/j/ は「上の歯茎の裏」でいいんでしょうか。私はむしろ「下の歯茎の裏」のように感じられます。私の歯は噛み合わせが普通と逆ですから、そうなるのかもしれま せんけど。

 やはり、上の歯茎の裏だと思います。私は、これまで「上の歯の裏」あるいは「上の歯と歯茎の境」としてとらえてきましたが、今後、「上の歯茎の裏」でい こうと思っています。

 柴田さんが典拠としているのは、アメリカの映画俳優たちの発音を訓練するための書物です。書名も過去ログにあったと思います。眠いので、書名を探すこと をしませんが、同じものが今でも発売されているようなら、手に入れようかと考えています。

 村田君に頼んでしまおうかな。柴田さんが言っていた本の名前を調べて、ネットで販売しているかどうか調べてもらえないでしょうか。ついでに値段も。戸倉 の素読舎分室と共同で買いませんか。
 

【18417】

村 田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月21日(月)02時01分49秒
編集済
  >・she の sh
>・see の s
>・judge の dge
>・size の z

>ここはそれぞれ
sh と s の違い
judge の dge と size の z の違い
とした方がいいかと思いましたがいかがでしょうか。

 それでいいと思いますが、そのようにグループ化したところで、「口の筋肉のバネができてきてから、一瞬の感覚でつかむしかない音」であり続けることには 変わりがないと思います。
 ところで、村田君は、s 音と z 音は、舌の位置がどこにありますか。
 「べったりとは着かない」、「わずかに触れるだけ」ではありますが、私の場合は、
「歯と歯茎の境目」あたりにあります。
 

【18418】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月21日(月)10時05分55秒
  Eliot さんが紹介されている本を探しました。

>177. /th/の直前の/t/と/d/ 投稿者:Eliot  投稿日: 7月 8日(日)00時08分40秒
(中略)
>この本は Speak With Distinction (Edith Skinner著 Applause Theatre Book
>Publishers刊)というもので、アメリカの俳優のための発訓練用の指南書です。

amazon で検索。

http://www.amazon.co.jp/Speak-Distinction-Applause-Acting-Skinner/dp/1557830479/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1321836832&sr=8-1

3400円です。在庫が残り1冊ですので、注文してしまいましょうか?
合同で買いましょう。「素読舎文庫」とか?

 

【18419】

根 石さん、村田さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年11月21日(月)22時17分27秒
編集済
  "Speak with Distinction" 'Edith Skinner 著 は(新品で1700円くらいから)沢山出ていましたよ〜。↓

http://www.amazon.co.jp/Speak-Distinction-Applause-Acting-Skinner/dp/1557837244/ref=sr_1_2?s=english-books&ie=UTF8&qid=1321880972&sr=1-2

根石さん

今日音読しながら観察していたのですが、私の場合、上の歯茎の裏につくこともたまにありますが、やはりほとんどの場合下の歯茎の裏につけているようです。 顎の構造というより、そういうものだと思って発音していただけで、「上の歯茎の裏」を意識し始めると徐々に出来るようになりました。
 

【18420】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月21日(月)22時50分40秒
編集済
  私は出っ歯なので /s/ の時は舌が前歯からはかなり距離があるので歯の裏か歯茎かはわかりませんが、/z/ の時は舌先は歯と歯茎の境目あたりだと思います。

 

【18421】

小 川さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月21日(月)22時55分5秒
  小川さんが紹介され ている本はamazonの「登録情報」を見ると39ページなので違うかなと思ったんですが…。自分が見たのは416ページでした。

 

【18422】

村 田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月22日(火)00時47分1秒
  Speak with distinction に関して。
ペーパーバックスだと半値くらいなので、ペーパーバックスの方を買いませんか。
 

【18423】

村 田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月22日(火)00時49分51秒
  >私は出っ歯なので /s/ の時は舌が前歯からはかなり距離があるので歯の裏か歯茎かはわかりませんが、/z/ の時は舌先は歯と歯茎の境目あたりだと思います。

 言っていることがよくわかりません。zとsは、舌の位置は同じになるはずだと思います。濁るか濁らないかの違いがあるだけではないでしょうか。
 



【18424】

落 胆

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月22日(火)01時26分24秒
編集済
   キリピーがレッス ンをやめると言った。生徒がレッスンをやめるといつも落胆があるが、キリピーの場合は落胆が大きい。
 はっきり言わせてもらうが、キリピーはレッスンを始めたとき、英語力は「ほぼゼロ」だった。レッスンの途中で、小川さんたちがキリピーのレッスンを参観 されたりした。小川さんはキリピーの読みを「下駄履き走法」と名付けた。実に言い得て妙だと思ったものだった。
  しかし、キリピーがレッスンを始めたばかりの頃は、下駄履きであろうとなかろうと、「走法」自体が成り立たなかった。音に関しては、「ほぼゼロ」どころ か、「まったくゼロ」から始めたようなものである。小川さんが参観された時には、下駄履きであろうとなかろうと、「走法」と言えるところまで到達してい た。
 その後、「はっきり言え」「口の動きに力を入れろ」「もっとつなげろ」の指示を出し続け、キリピーの音は見違えるほどよくなった。今の口の動きは、英語 ネイティヴが聞けば、完全に英語の音と認識するだけのものになっている。

 音はそこまで来た。

 語学の練習では、全体と部分を絶えず往復する必要がある。レッスンでは、いつも「文まるごと」を扱う。つまり全体を扱う。部分を扱うことは、生徒にまか せてある。部分を扱うというのは、単語あるいは成句単位で、「言いながら書きながら思う」ことをやり、単語あるいは成句をイメージにする作業になる。
 これは、本人がやる以外にはない。誰をもあてにすることはできない。イメージを作る作業は「思う」作業なので、他人に思ってもらっても何の役にも立たな い。自分で(言いながら、書きながら)思うのでなければ、自分の中にイメージが生まれてくることはありえない。そして、このイメージ化という作業が、語学 ではもっとも面白い作業なのだが、キリピーはそれをやろうとしなかった。

 世界中どこを探しても、日本人に英単語のイメージを誕生させることのできるレッスンはない。レッスンでやれることは、「音づくり」が主体にならざるを得 ない。
 生徒が自分でやらなければならないことは自分でやらなければならない。自分でやらなければならないことをレッスンに期待しても、それは的外れになる。

 それらのことを何度もキリピーには言った。しかし、どうやらイメージを作る作業に本格的に手をつけるということはなかったようだ。

 それを本気でやれば、大きな成果になるところまでの準備は十分にした。しかし、肝心なことをやり出さないならば、これまでのレッスンが無駄になるのだ。

 自分でやるべきものは自分でやらなければならない。しかし、キリピーは、そこのところまで、他を頼むことが抜けなかった。
 これは、悲しいことである。この人には本当の「自発」というものがなかったということになってしまうからだ。俺は、これまでずっと、その「自発」を待ち 続けてきたのだ。

 「肝心なこと」というのは人によって違う。具体的に言えば、Piggy さんを例にすることができる。Piggy さんは英語が好きで、高校から大学入試くらいまでの文法などは全部まともに済ませてあった。Piggy さんの場合は、「音づくり」に集中すれば、それでまもなく口から英語が出てくる、つまり、話せるレベルに出ることができた。
 キリピーも英語で話したいというのがモチーフとしてあったはずだ。しかし、キリピーの場合は、音から文法からイメージ作りから、全部一から始める必要が あった。中学・高校の6年間の授業というものは、英語に関するかぎり、まったく何の役にもたっていない。キリピーの場合は、「肝心なこと」は、イメージ作 りになるはずだ。

 単語・成句をイメージ化しないということと、文法を読んでわかろうとしないこととは、どこかで根がつながっているのだろうかと、今夜考えこんでしまっ た。

 落胆が大きかったのは、いずれキリピーをコーチに仕立てたいという希望が私にあったからだ。実質的にまったくゼロから始めた人が、素読舎のコーチをやる というのは面白いじゃないか。実現すれば、それはまったく面白い。英語科教員の免許があるだの、学校の英語科の先生をやってるだの、そんなものはまったく どうでもいいことだ。その全体が嘘っぱちだからだ。ほとんどの教員が「音づくり」をやらないし、やれない。
 大学は「英語音声学」だのというしゃらくさい講座を設けるだけだ。日本の大学の「英語音声学」は、アメリカの音声学の天下り先でしかない。実際にどうや れば「音づくり」ができるのかをまともに研究している大学教員がいない。

 本来大学がやるべきことを素読舎はやってきたのだ。

 その素読舎で、ゼロから英語を始めた人がコーチにまで育ったということがあれば、それはまったく面白いことなのだ。キリピーが、自分でイメージを作ると いうことを始め、それが上手になり、量がかせげるようになれば、キリピーはコーチとしての修行に入れる。そう思っていた。音に関してなら、そのレベルまで 来ているのだ。

 コーチをやろうとする場合は、世の中にチラシをポスティングするなど、営業面で協力してもらう必要がある。そうすることで生徒が増えていくようなら、村 田君の枠が埋まり、小川さんの枠が埋まった後で、キリピーに生徒を預かってもらうことを考えていた。

 そんなことを考えていたので、落胆は大きいのだ。
 

【18425】

村 田さん、小川さん

 投稿者:Piggy  投稿日:2011年11月22日(火)07時35分4秒
  お二人が日本のアマ ゾンへのリンクをお書きになった本を、ISBNを使ってアメリカのアマゾンで検索すると、それぞれ、

http://www.amazon.com/dp/1557830479

http://www.amazon.com/dp/1557837244

で、後者には "75 Minute Audio Practice Cd And Booklet" という副題がついています。また、両方とも中身を一部読むことができて、村田さんがお書きになったように、この2冊は違う本です。(アマゾンの中身の表示 に間違いがなければ。)
 

【18426】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月22日(火)12時27分35秒
編集済
  両方ともペーパー バックと書いてあるのです。でもページ数が全然違うのです。

(高い方)
Speak With Distinction (Applause Acting Series)
http://www.amazon.co.jp/Speak-Distinction-Applause-Acting-Skinner/dp/1557830479/ref=pd_sim_fb_1
登録情報
ペーパーバック: 416ページ
出版社: Applause Theatre & Cinema Books; Rev Sub版 (1991/02)
言語 英語, 英語, 英語
ISBN-10: 1557830479
ISBN-13: 978-1557830470
発売日: 1991/02
商品の寸法: 24.1 x 16.9 x 2.5 cm


(安い方)
Speak With Distinction (Applause Acting Series)
http://www.amazon.co.jp/Speak-Distinction-Applause-Acting-Skinner/dp/1557837244/ref=pd_sim_fb_1
登録情報
ペーパーバック: 39ページ
出版社: Applause Theatre & Cinema Books; Pap/Com版 (2007/02)
言語 英語, 英語, 英語
ISBN-10: 1557837244
ISBN-13: 978-1557837240
発売日: 2007/02
商品の寸法: 19.1 x 11.1 x 0.4 cm


私は「Pap/Com版」の意味がわからないので、どちらがいいのかわからないのですが…。

…とここまで書いていたら、Piggyさんが記事を書かれていました。
「Pap/Com版」はCD付きの意味かもしれないですね。
おそらく全416ページある方がEliotさんが紹介されていた本だと思うのですが、どうし
ましょう?

 

【18427】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月22日(火)12時31分41秒
編集済
  私は s 音を出す時、「わずかに触れるだけ」ではなくて、舌先は前歯の方には触れていないのです。それはかみ合わせの悪さに原因があると思っています。
s 音を出す時は、まず、唇を開いたまま、上の歯と下の歯を噛み合わせます。私はかみ合わせが悪いので、上の歯が下の歯にかぶさるようになり、下の歯の先が上 の歯茎と歯の境のやや下あたりにあたります。舌先の下半分までは下の歯の裏側にべったりとついており、舌先の上半分は、下の歯の先と上の歯の歯の上半分と 歯茎の間あたりに向かっているようです。舌先の上半分と、上の歯との間には若干距離があり、舌先が上の歯方向のどのあたりに向かっているかは、正確なとこ ろはわかりません。上の歯と下の歯の先と舌先が形作る隙間を息が抜けていく時に、s 音が出ています。
ここまでは私の特殊な事情なので、他の人にはあまり役に立たないと思います。

そこで、s 音だけを伸ばして何度も繰り返し出してみたのですが、音を出す直前と音を止める時は、舌先は上の歯と歯茎の境目についていました。音を出している時は舌先 を離してしまうのですが、音を出す直前の舌の位置からすると、s 音を出す時の舌先の位置は、ほぼ上の歯と歯茎の境目に向かっていると思います。
z 音の時は、舌先は歯と歯茎の境目についています。

 

【18428】

Piggy さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年11月22日(火)14時05分42秒
編集済
  そうですか。早とち りでした。すみません。私は1700円だったかの薄っぺらな方を注文してしまった後なのでした。あちゃぁ。

400ページ以上の本を読む気力も時間も今はないので、まず39ページのダイジェスト版(?)を読んでみるのも良いかなと,自分を慰めております。
 

【18429】

根 石さんの蛸足日録 2011年11月20日より

 投稿者:I村  投稿日:2011年11月22日(火)21時42分21秒
  高 校生たちが帰ってから、85円で買った英会話教材を iPhone でいじる。iPhone の操作のほとんどが画面をタップすることだが、このタップで英文を何度でも繰り返し再生するのが簡単にできる。いわば、「回転聞き」だ。なんなら、30回 でも50回でも同じ文を繰り返させることができる。このおもちゃはしばらく遊べると思う。音声のデジタル化の技術がなければ、こんなに簡単に録音音声を繰 り返させることはできないはずだが、今の時代はそれができる。
 この「回転聞き」で十分な効果を得るためには、やはり、「回転読み」や「回転書き」が基礎になる。この種の「エーカイワ」教材を使う人は、その基礎を すっとばす人が多いはずだ。聞いた文を、言ってみろと言えば言える人でも、実は音が違っていたりするだろう。「音づくり」を兼ねた「回転読み」が、どんな 時代になっても、地力(ぢりき)を作る方法になる。俺が考案した名前なので、特殊なものだと勘違いされることが多いが、「回転読み」も「回転書き」も、自 分の行為が語学以外のなにものでもないと自覚した人には、きわめて当然の普通のものであるはずだ。方法を言語化した者に、方法の「所有権」みたいなものが 生じるのだと考えていい。だから、まともな音で同一の文を繰り返し言い続ける人がいたとしたら、それによって大きな効果をあげることができたなら、その人 は一度も素読舎に触れたことがなくても、素読舎の方法によって成果をあげたのだと言うことができる。「まともな音で繰り返せ」という単純きわまりない言い 方でさえ、俺が語学論で言葉にするまではなかったものなのだ。

「音づくり」はそのままインプットの方法なのだ。そのことをはっきり言った者がいない。国弘政雄の「只管朗読」はもっともすぐれた方法意識だと思うが、こ れでさえ、「音づくり」を欠いたインプット法になってしまっている。
「音づくり」=「インプット法」。
このきわめて単純なことを、俺が初めて言ったのだ。
この原理を踏まえた方法で力をつける人がいたら、繰り返すが、その人は素読舎の存在を知らなくても、素読舎の方法によって力をつけたと言えるのだ。その人 は英語の力をつけることはできても、方法を言語化できていないので、その人の方法だと言うことができない。そういう人は、自分の力をつけることはできて も、自分以外の人の力をつけることができない。つまり、いまだ方法の名に値しない。それが本当の方法なら、自分以外の人の力をつけられるはずなのだ。それ をするためには、語学論が書けなければ駄目なのだ。

 「音づくり」=「インプット法」。
 こんな単純なことをはっきりと言った者がいない。
 日本の英語周りに本当に欠けているのは「語学論」なのである。
 

【18430】

村 田さん、小川さん

 投稿者:Piggy  投稿日:2011年11月22日(火)22時32分19秒
編集済
  村田さん

>「Pap/Com版」はCD付きの意味かもしれないですね。

「Pap」はPaper Cover Edition、「Com」ははっきりとは書いていないのですが、おそらくCompact Discの略でしょう。

小川さん

>私は1700円だったかの薄っぺらな方を注文してしまった後なのでした。

小冊子付きの練習用CDのようで、こちらはこちらで面白いのではないでしょうか。


もしも高い方、または二冊を同時に注文するのであれば、現在のところアマゾンよりも紀伊国屋書店BookWebの方が安いです。紀伊国屋は海外の取次店か ら送られてくるので、時間がかかるという欠点がありますが。(1500円未満だと国内送料300円がかかるので、安い方の本のみを買うには不適当です。)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/1557830479.html
2947円(アマゾン3400円)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/1557837244.html
1470円(アマゾン1720円)

下の本が写真のとおり上記2冊あわせたものだったら、二冊とも買う場合はこれが一番安いのですが、文章での説明がなく、確証はありません。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/1557830533.html
http://www.amazon.co.jp/dp/1557830533
3684円(アマゾン4250円)
これをISBNで検索すると、イギリスアマゾンでは副題がwith Cassette(s) となっているのが気になります。写真ではCDですし、説明ではPap/Com editionですが。
http://www.amazon.co.uk/dp/1557830533
 

【18431】

内 田樹の一言

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年11月23日(水)22時41分43秒
  相手が幼児的な段階 にあるときは原則的にふるまい、相手がある程度成長してきたら、無原則をまじえ、相手が十分に成長してきたら、無原則に応じる。そういうものである。  

【18432】

Piggy さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月25日(金)00時58分39秒
  っ いろいろ調べて いただいてありがとうございました。ISBNなんてのはいったい何のためにあるのかと思っておりましたが、なるほどこういうふうに使うのかと、勉強になり ました。
 お礼を申し上げるのが遅くなりまして、申し訳ありません。
 

【18433】

村 田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月25日(金)01時02分52秒
   小川さんが薄い方 のを注文されたのであれば、村田君との共同購入の方は、厚いやつでいいと思います。Piggy さんがせっかく調べてくださったので、紀伊國屋のルートで買いましょう。
 


【18434】

村 田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月25日(金)02時14分1秒
   音声学の方で、 「擦過音」という言い方があるのかないのか知りませんが、sとzは、「擦過音」と言うのが適当だと考えています。
 舌は歯茎や歯の裏に付くのではなく、舌と歯茎(歯の裏)との間に「隙間」を作るために、それらの部位に近づいています。音の本質は、「隙間を息が通る」 時の音だと思います。舌の形や隙間の大きさなどを言葉で説明するのは非常に難しく、また、発音しながらそれらを見ることはできないので、口内の部位の動き を把握する場合も、村田君が書いたように感覚的なものになるでしょう。村田君の記述は、一見、客観的に見えますが、私はきわめて感覚的にとらえたものと見 ています。
 音はその一音の本質をとらえるべきだと考えています。視点は「語学から」であるべきです。
 例示すれば、ar は「息が邪魔されないで通る音」です。顎が下に動くのは、その本質を実現するために、口内を音が通るときに邪魔になるものをなくすためです。音の本質は、 「息が邪魔されないで通る音」というものですが、これを「語学から」見れば、「顎が下に動くアー」としていい。[ae]は、ar について言うみたいに音の本質を最初に言うことが難しく、「語学から」見るだけのことしかできないように思いますが、それは、「口の両端に力が入る=口の 両端が動く」ということです。それを「本質」としてしまってもいいと考えています。その初動を生徒の口の動きに与えるために、「口の両端斜め上」という言 い方があるのです。これは、「語学から」とらえた口の動きでしか「本質」が言えない音があるということです。
 sやzに関して、「息が隙間をこする音」と言ったところで、ただそれだけを言われた人は発音できません。口内の部位を言い、歯茎(歯の裏)に、舌が「触 るか触らないかくらい」、「狭い隙間に息を通す」等と言っても、コーチが実際に発音したものを生徒が聞くということがなければ、説明だけで出せるものでは ないと思います。こういうものに関しては、「歯茎(歯の裏)」とか、「触るか触らないかくらい」、「狭い隙間に息を通す」のどれを言うべきかは、生徒の音 を聞いて、コーチが一瞬のうちに判断し決めるしかないと思います。
 [d3] などもそうで、言葉でこの音を記述できたためしはないと思います。ですから、今度買う本も、これまでに素読舎が記述してきたものに、記述としての distinction が少しでも増やせたなら、儲けものと考えています。付属してくるCDなどにはまったく期待していません。私らの仕事は、もちろん音を例示することはしなけ ればなりませんが、肝心なことはそこにはなく、「記述(言葉)による distinction」にあります。それに肉薄し続けなければ、語学屋ではないわけです。
 世の中にある英語屋どもは、私から言わせれば、「おめえら、やめろよ」というような者ばかりです。ところが、商売繁盛は、そいつらのところに集中し、素 読舎は四苦八苦する。素読舎がどんな制度にもよらず、自立しているということの反面には、絶えず金に苦労するということが張り付いているわけです。
 

【18435】

落 胆

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月25日(金)02時37分11秒
   キリピーがレッス ンをやめるに際し、今後のコーチ候補を失うことがもちろんあるにせよ、そこに落胆の大きさがあるわけではないなと思い始めました。「ならいごと根性」とい うものが、語学の敵だからではないかと思い始めました。
 「ならいごと根性」から抜けられないから、イメージを自分で作ることを始めなかったのだ、文法に関する記述をまともに読まないのだと考えるしかない。
 「自立」ということが、本当には成り立たないところに生きている人だったのだとあきらめるしかないということです。
 こういう人は本当に少ない。キリピー以前には、Kという生徒が一人いただけです。音をからっぽのドラムラカンを叩いているようなものにしてしまう人。 「ならいごと根性」が支配していて、例えば具体的な英単語という客観物を媒介にして、その具体物に関するイメージの核を求めようとしない。
 私には、その生き様が理解できない。どうしてそこまで閉じ込められてしまうのか、どうしてそこから出ることができないのか、理解できない。おそらく、キ リピーにも理解できないでしょう。英語なら英語ひとつをものにした後で、初めて訪れる理解があるとしか言えない。それを途中でやめる人なのだとあきらめる しかないのだ。さよならだけが人生だ、という言葉を自分につぶやくのはこれで何度目になるのか。
 

【18436】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月25日(金)05時45分55秒
  さきほど、紀伊国屋 ルートで厚い方のを注文しました。とりいそぎ。

 

【18437】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月25日(金)14時13分45秒
編集済
  >私らの仕事 は、もちろん音を例示することはしなければなりませんが、肝心なことはそこにはなく、「記述(言葉)による distinction」にあります。それに肉薄し続けなければ、語学屋ではないわけです。

私は s 音を出す時の口の中の動きを書いている時、これはわかりにくいだろうなと思い、それでもこう書くしかないと思いました。書いている時に図をつけることがで きればいいんだがと思ったりもしましたが、たとえ掲示板上で図を添付できたとしても、本当には伝わらないとも思いました。根石さんが書かれているように、 口の中の動きを把握しようとすると、感覚的なものになる。感覚は自分じゃわかっているけれど、相手に伝えるのは難しい。それぞれの人が、s 音なら s 音についての感覚を持っている。自分の感覚でものを言っても相手に同じ動きを呼び起こすことはできない。それはただ「ね、わかるでしょ?」と言っているだ けに過ぎない。CDを聞かせて、「わかるでしょ?繰り返してね?」と言うのともかわらない。
相手の身体に、s 音なら s 音の動きを実現するのは、その音の本質をつかみとり、その本質への道筋を具体的に示すこと。私たちのやることは、そういうことですね。
解剖学ではなく、動きをとらえること。多くの言葉を費やして動きを分解するのではなく、核心をついて、動きをつくること。

 

【18438】

レッ スン見学の感想

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月26日(土)00時25分42秒
 

いつも、自分ならど こをチェックするかと思いながら見学しています。
今日は小川さんと注目している点が全体を通してほぼ同じでした。
自分と違うと思ったところは、
It seems like, whenever anything good in my life happens, I'm just afraid I'm gonna lose it.
の中の lose の発音についてでした。/luz/ と発音しているところを、自分だったら /lu:z/ と伸ばしてもらうと思いました。自分の中では、動詞はチェックする順番が先の方に来ます。

それから、serious の発音で、/si(逆さe)ri(逆さe)s/ と発音してほしいところを、そのまま発音して真似てもらっていたところは、逆さeをいれてください、と言うところだと思いました。
(その後、根石さんからsiの次の逆さeがない場合もあると指摘がありました)
 

【18439】

根 石さん

 投稿者:ミキ  投稿日:2011年11月26日(土)18時28分56秒
  昨日のレッスンで、 mama の a ,「顎が下に動くアー」は、私にとっては顎を下げるだけではなく
喉の奥の気道も開かなくては出ない音だとわかりました。喉や胸の辺りを弛緩させる事を覚えました。
口周辺のことに集中していると喉などにも自然に力が入ってしまう様です。
必要のない所の余計な力を抜くという事も覚えていきたいです。

最近思うのが、英語の発音の仕方はヨットを操縦するみたいだな、という事です。(実際には私は操縦できないので、あくまで想像の範囲ですが。)喉を開いた り狭めたり、舌をあちこち動かす、唇の形で出る息の量を調節するなど...。ヨットも帆を揚げたり下げたり、舵を取ったり、重心を傾けたり、いろいろして いますよね。それに似ているなぁ...と。窯業の窯焚きにも似ています。木釜やガス釜だと、燃料の量の調整、空気孔の開け閉め、煙突の調整で、どのくらい の強さの炎、熱をどこを通らせるかを変えていきますので。

それと、お聞きしたいのですが、私は英語を話しているとなかなか鼻で息継ぎが出来ません。どうしても口呼吸になってしまいます。これも力が入りすぎている 所為でしょうか?
 

【18440】

内 田樹の一言

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年11月26日(土)23時38分50秒
  できるだけ多くの子 どもたちに教育機会を提供し、それをつうじて知性的・情緒的な成熟を促すことは、共同体全体が生き残るために必須である。誰それのパーソナルな利益を増減 させるというようなレベルではなく、共同体成員の全員が生き延びるために教育はなされるのである。
 

【18441】

内 田樹の一言

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年11月26日(土)23時48分11秒
  どれほど無慈悲で切 れ味のよい批評を他人に向けて行っていても、そうしているおのれ自身の判断に紛れ込んでいるイデオロギーやドクサを遡及的に吟味する「装置」を備えていな い人間は「批評的」とは言えない。真に批評的な知性は「他者へのドア」がいつも半開きになっている  

【18442】

ミ キさん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年11月27日(日)00時38分18秒
  横から失礼します。

>喉の奥の気道も開かなくては出ない音だとわかりました。喉や胸の辺りを弛緩させる事を覚えました。
なるほど、と思いました。喉の奥っていうのはわかります。どこに意識を集中しているかは、各人それぞれだと思います。が、こういうこともいろんな人から話 が出るとおもしろいと思います。
私は一時、腹のあたりの動きまで意識していました。多くの人からは何それ、と言われましたが、自分ではいまだに大切だと思っています。でも、今では口周辺 の筋肉の動きが一番重要だと思っています。
音に関して、他の人の感覚的なことも、音の本質にせまるのにはヒントになるんじゃないかと思います。それから、この文のこの部分が言いにくいので自分はこ うしている、というのも他の人の役に立つかも知れませんね。
たとば私は、
After dinner I watched a softball game on TV for two hours.
の softball がとても言いにくいのです。softball だけを言うなら、簡単なのですが、watchted a softball game となると、途端に言いにくくなる。対策は、softball を言う時に特に口に力を入れる、なんですが…。これを回転読みするのは今でも他の文より苦労します。

ヨットや窯のたとえはおもしろいですね。窯については、根石さんからコメントがあるんじゃないかな?と思います。

 

【18443】

「回 転聴き」

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年11月29日(火)00時43分49秒
編集済
   iPhone を買って、85円で「英会話教材」を二つ買った。なんでこんなに安いのかよくわからない。例文の質は決して悪くない。印刷、流通に経費がかからなければ、 こういう値段になるということか。
 先日、facebook の日録で、スマートフォンの画面をタップして、録音音声を回転させる「回転聴き」について書いたところ、稲村さんがその部分を抜き出して、Twitter その他の独立した記事にしてくれた。有難かった。

 稲村さんは、TOEIC 420点の時点で私のレッスンを始められ、数年後、870点を取った。そして、最近 、facebook で、「レッスンを始めたころ根石さんが言われたことが、今になつてよくわかる」という意味のことを書かれた。それを読んで、私はもちろんうれしかったのだ が、それと同時に、私のレッスンが、この世で生きていくことの厳しさというものをあらためてかみしめることにもなった。
 私のレッスンが、初心者や中級者を上級者にすることができるものだということは稲村さんが実証してくれたが、それと同時に、上級者になって初めてわかる ようなことを私が初心者や中級者に言っていることも明らかになったのだ。それは私のレッスンがこの世でいかに生き難いかを語るものである。

 たとえばここで、「回転聴き」は非常にいい練習になるが、その練習を成り立たせるためには、「回転読み」が必要であり、それを成り立たせるには、「音づ くり」が必要だと言っても、なんだ、レッスンの宣伝かと思う人はいるだろうが、英語フリーク以外のすべての日本の英語学習者に必須のことを私が言っている のだと思う人は、まずいないだろう。それが欠けているから、日本人の英語学習の9割以上が失敗に終わるのだ、それこそが肝心要のものなのだと思ってくれる 人が、果たしてどれほどいるだろうか。
 「回転読み」やら「回転聴き」やら、用語が耳慣れないせいもあるだろう。それなら思い切り簡略に、生徒の音が違っていてもOKを出す学校の授業は役に立 たないだけでなく、生徒の英語学習を邪魔するものだと言おう。だから、日本人は真剣に「音づくり」をやるレッスンを探さなければ駄目だと言っても、果たし て何人の人が本気で聞くだろう。まともに「音づくり」をやっているところは、佐賀の柴田さんの教室と長野の素読舎だけなのだと言えば、まして、誰が本気に するだろう。

 録音音声に簡単な説明をつけて、日本語の訳文をつけたものなら、85円で売っても儲けが出るだろう。この85円は使いようによって(英会話学校に通うお 金に換算すれば)、何万円にも何十万円にも変わるものだが、それは「急がば回れ」に学習者がエネルギーを使うかどうかにかかっている。「回転聴き」をやる ためには、その前にやらなければならない不可欠のものがある。素読舎の用語で言えば、「回転読み」であり、その眼目は「音づくり」だ。イメージの瞬間化 は、誰もが自分でやらなければならない。

 言うも馬鹿らしいが、例えば「スピードラーニング」で、イメージの瞬間化は何によってどう保証されるのか。それを一度だって、「スピードラーニング」考 案者がはっきり言ったことはない。素読舎のように、「言いながら書きながら思う」というようなことを言わない。「思う」ことによって、イメージが強くはっ きりしていれば、そのイメージは瞬間化されるというようなことを言わない。そこを言わないで、「ただ聞くだけ」「この教材さえあれば大丈夫」などと言って いるのは、語学論に地平においては、明らかな詐欺である。イメージ化の過程をすっとばして、何も実現するものではない。

 素読舎のレッスンは、日本では90数パーセントの英語学習が失敗することを、それがなぜ失敗に終わるかを、最初ににらんで組み立てられたものだというこ とを言っておかねばならない。これがなければどうにもなりはしないというものを素読舎は提示しているのだと言っても、非常に多くの人がCD本やDVD本を 買い、素読舎のレッスンを買わない。そして、「音づくり」をすっ飛ばし、自己流の音でCDやらDVDを真似ようとしてうまくいかず、しばらくすればCDや DVDは死蔵されることになる。英語学習の失敗率90数パーセントと足並みを揃え、CDやDVDの死蔵率は90数パーセントに達するだろう。

 日本の英語学習をめぐる闇はまことに深い。

 



【18444】

小 川さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月 9日(金)01時15分4秒
  >レギュラー 講座として続けさせて頂くことになりました。

 小川さんにとっては大変なことだと思うのですが、私はとてもうれしいです。
 

【18445】

内 田樹のツイッターより

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年12月 9日(金)12時28分2秒
  昨 日の講演でご提案したのは、「鎖国」と「廃県置藩」と「大政奉還」。それくらいオルタナティヴの幅を広く取らないと、「今起きていること」が理解できない という話をしました。知的射程を広げるためには「これ以上は構想できないギリギリ極端な条件」を想定する必要があります。

でも、そういう言明の機能的意味が理解できないで、「何を荒唐無稽な妄説を」と怒り出す「リアリスト」たちがいます。「これしか選択肢はないんだよ」と渋 面を作ることと、「選択肢をどれだけたくさん思いつけるか」想像力を駆使することと、どちらが知性の機能を高めるか、考えればすぐにわかるのに。

僕の今のテーマは「どうすれば自然的発生な同胞意識でバインドされた相互支援的な共同体を『政治的に』作り出すか」というものです。凱風館プロジェクトは その個人的な試みです。「私も同じことをやってみたが失敗した」という方から以外の批判は聴く気がないので、批判しても無意味ですう。

 

【18446】

コー チ音読レッスン報告

 投稿者:小川  投稿日:2011年12月11日(日)01時08分54秒
編集済
  新 らしいページの音読予習だけでレッスンに臨むことがあります。するとずっと昔に苦もなくパスしたはずのページで蹴躓き、20回〜30回と繰り返し音読させ られる羽目になります。スルッとつながっていたはずのセンテンスも、「強くはっきり言う」とそう簡単にはつながらなくなっていることもあります。

それに関連して、レッスンの後、塾長より下記のようなお話がありました。

スカイプレッスンでは「つなげて下さい」という指示が相当長い期間続きます。数千行でつながるようになる人もいますが、一般的には1万行あたりだというこ とです。その後「強くはっきり言って下さい」という指示が主体になって来ます。

私たちがレッスンの度に経験しているように、「つなげる」と「つよくはっきり言う」ということを両立させるのはなかなか困難です。「つなげる」と音がおろ そかになり、「つよくはっきり言う」とつながらなくなります。

塾長は「今後は強くはっきり言えということは言いません」と言うことにしたとおっしゃいました。なじみがない新出文についてはまだまだ「つなげる」という 指示を出す場合もありますが、「つながる」ことに関しては備わっているという文(復習を何度も何度も繰り返し復習し、「強くはっきりつなげられる」ように なっている文)の場合は、5回程度繰り返したらOKを出すとのことです。

では10回〜30回言わせる時はどういう場合かと言うと、同じ調子で言い続けているだけで、自ら「より強くよりはっきりと言おう」という姿勢が見えない場 合だそうです。ただ単に言っているだけ、あるいは惰性でやっているだけの場合には、「それでいいと言っているわけではない。指示を出さなくても、自分から 強くはっきり言うように揺さぶりをかけているのだ」ということを暗に伝えているのだということでした。「自分から」というのが大切だということを、回数で 示されるわけです。

人にもよりますが、「つなげる」の後「強くはっきり」を1万1千行〜1万2千行あたりから言い始めるとのこと。「より強くよりはっきり」言うよう、絶えず 「自分から踏み出す」という姿勢で練習しなければならないということでした。

シナリオの音読にも「自分から踏み出す」ことが大前提にあってしかるべきだということでした。

 

【18447】

土 曜レッスン

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月11日(日)01時38分5秒
  I村さんと組んで受 けているレッスンで、新たに申し渡しがありました。(もう他の枠でも言われている方々も多いそうですが…)
何度も復習した文に関して「つなげる」ことと、「強くはっきり言う」ことが両立するようになってきたら、もう「強くはっきり」言うようには指示しないとの こと。初出の文では、あいかわらず「つなげる」は言い続けるけれど、何度も復習した文に関しては、もう何も言わない。そのかわり、「つなげる」「はっきり 言う」が両立している場合は、5回でOKが出る。ちょっと弱い時は10回でOKが出る。注意しなければいけないのは、20回、30回以上繰り返させられた 時。同じ調子で繰り返すのみで、自分から「より強く」「よりはっきりと」の方へ踏み出す姿勢が見れない人には20回、30回繰り返してもらうとのこと。 「二人一枠」でやっている場合は、30回以上繰り返していると相方の練習ができなくなってしまうので、30回を目処にそこで止めるが、それはOKが出され たわけではないということ。20回、30回以上繰り返させられた時は、自分が自分で枠を作って、そこに踏みとどまってしまっている困った状態だということ を言われました。そこから踏み出す姿勢が見れないと、いつまでも20回、30回と繰り返すことになるということです。

実は、私がゴーストの例文の「技法グラウンド」を受けている時、同じ文を何度か失敗していて、その時に言われたことでした。
その時は、自分は風邪ひいていて調子悪いので、口が動かないのをよく聞いているなあ、と思っていたんですが、その後、何度か10回以上の繰り返し指示(黙 示?)が出て、「こうしてみると、自分が枠を作ってしまっているのがわかるでしょう。」と言われました。私はくやしくて、とっさに、「今日は風邪ひいてい るんです」なんて言ってしまいましたが、考えてみると、自分が自分で作っている枠なんて、無意識のものだから、自分じゃわからないものです。他の人の目か ら見ないと、わからない。自分じゃわからないから、もうがむしゃらにやるしかない。きっと自分が気付いていない隙みたいなものもあるのだと思います。調子 が悪かったことが、弱点をより顕在化させたのだとも言えるのかもしれません。ただ、根石さんから、「村田君は15回を越えると、くずれることがよくある」 と言われたことは、一つの目安なのかと思いました。もちろん、数字の問題じゃないと思いますが、まずはどんな長い文やクセのある文でも最低50回は言い間 違いがなく、加速し続けられるように練習しようと思いました。



 

【18448】

金 曜レッスン見学の感想

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月11日(日)02時08分50秒
  Lonely rivers flow to the sea, to the sea で、まず rivers の r 音をなおす指示がありました。
自分だったら、rivers の r ではなく、er の「狭いア」の方を先になおすかなと思いました。
Andy Dillon called and he says he needs nine hundred thousand dollars transferred to Albany by ten. で、先に called and の間のリエゾンの指示がありましたが、自分は transfer の「一瞬般若」と「狭いア」の方を指示するかなと思いました。リエゾンは「つなげる」ことによってある程度自分で近くまでいくことができるので、ある程度 まで行ったらそれを後押しする形でリエゾンの指示を出すかなと思いました。

チャコさんは、r は舌をつけないので難しい、と言っていました。それに対して、根石さんから、「 r は今出せても定着はしにくいです。r は言いにくいはずです。言いにくいまま練習をやり続けてください。言いにくいままやり続けることでその音が獲得されます。途中で言いやすく変えてしまわな いように。」とアドバイスがありました。

To the open arms of the sea, yeah で、根石さんからアクセントのある ar の練習についてアドバイスがありました。
「ar ははっきり下げて音を出してください。英語ネイティヴの人たちはそんなにはっきり出さないかもしれませんが、私たちが練習する時は、語学の方に引きつけて 思いっきりやってください」

 

【18449】

顎 を下げるア

 投稿者:ミキ  投稿日:2011年12月11日(日)04時59分15秒
  先 週のレッスンで解った様な気がしたのは「気がした」だけでした。今週のレッスンでも注意されたのですが、いまいちピンと来ません。口の両端の力も抜いてい るつもりなのですが、どうしても抜けきれていない様です。無意識にしている間違った動きがあるのだと思うのですが、自分ではなかなか判りません...。 はぁ〜...練習あるのみ。  

【18450】

「も う、強くはっきり、とは言いません」について。

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月13日(火)00時40分53秒
編集済
   村田君と小川さん が、最近の私の指示の出し方について書いてくれていますが、それを含んだ全体像というべきものを書いてみます。

・レッスンを始めたばかりの頃は、「つなげろ」という指示が多く出されます。
・「つなげる」ことに慣れてきたら、「強く、はっきり」という指示が出ます。
・両方に慣れてきたら、「自分から」「強く、はっきり」という方向に「踏み出し」てもらいます。

 人によってまちまちですが、「つなげろ」という指示が多く出る期間をおおざっぱに数千行と考えています。ですので、ひとまずの目安ですが、例えば、5千 行までの間は「つなげろ」という指示が多い。5千行から1万行あたりは、「強く、はっきり」という指示が混ざります。1万行を超えて以後、千行、2千行く らいの間は、「強く、はっきり」が圧倒的に多くなる。
 その後、「自分から」「強く、はっきり」の方へ、「踏み出す」ことが要請されます。
 これはあくまでも一例ですが、この例ですと、1万1千行から1万2千行くらいで、「自分から、強く、はっきり」を指示することになります。「自分か ら」、「踏み出す」ということが最大の眼目になります。

 この時に、「自分から、踏み出す」動きを生徒に与えるために、「自分から、踏み出す」という指示を言葉で言うだけでなく、「もう、強くはっきり、とは言 いません」というルールを設定するわけです。

 ルールの概要は以下の通りです。

・「つなげて」と「強く、はっきり」が両方とも備わっている場合、5回くらい読んだらOKを出します。

・「つなげて」か「強く、はっきり」のどちらかが少し弱い程度なら、10回くらい読んだらOKを出します。(自分から、「強く、はっきり」の方へ「踏み出 そうとしている」ことが条件になります。)

・「自分から」「踏み出す」という動きが見られない場合は、20回、30回読んでもらうことになります。(同じような読み方で、ただ繰り返し読んでいるだ けの場合です。)

・20回、30回読んだら次の文に移りますが、これはOKが出たということではありません。(ここで名前をつけるなら、NEとでもしようかと思います。 Not Enough の頭文字です。NEのまま次の文へ移るのは、特に「二人一枠」の場合に、それ以上の回数を読ませていたら、他の生徒の練習ができなくなるからです。あくま でも、NEは、OKではありません。20回、30回という回数は「未完成」であることを意味します。)

・10回以上の読みで、途中から「自分から踏み出す」動きが見られれば、20回、30回の回数にならなくてもOKを出します。

 「つなげて」ということと「強く、はっきり」が両立している状態は、私が「回転読みの完成形」と言ってきたものと同じものです。これが、「壊す価値のあ る音」です。

 素読舎の練習はシステム化されています。
 まず「つなげて」もらう。それができている文については、つながっている読みを「壊さないように、よく気をつけて」、だんだんと「強く、はっきり」言っ てもらう。
 この時に必要なのは、集中力です。

 「つなげる」ことに気をとられると音がフラットなもの(立体性を欠いたもの)になりがちです。「強く、はっきり」させようとすると、連続性が壊れがちに なります。つまり、「つなげる」と「強く、はっきり」は相互に邪魔しあう関係にあります。それを両立させるのは集中力です。

 「つなげる」と「強く、はっきり」を両立させることで、「回転読み」の完成形が得られます。これが、「連続性を壊す」・「価値のある音」になります。

 「壊す価値のある音」を作ったら、ようやく壊すことができます。

 自分の中に意味(イメージ)が生じて動くスピードに合わせて、読みます。つまり、「切断読み」です。速く読めば、意味(イメージ)の動きが追いつきませ ん。あくまでも、自分の中に意味(イメージ)が生じること、読みに従って、次々にイメージが継起することが重要です。読みの連続性は当然壊れます。この場 面では、意味(イメージ)の継起の連続性が最重要なので、音の連続性を壊してしまっても構いません。

 ゆっくり、あるいは切って(切断して)読んで、意味が動かない場合は、基礎工事に手抜きがあります。単語単位、あるいは連語単位での「言いながら、書き ながら、思う」という作業がきちんと行われていないものを含む文は、「切断読み」に持ちこんでも、イメージの継起がうまく生じません。

 その場合は、基礎工事をやりなおすしかありません。基礎工事の名前は、「言いながら、書きながら、思う」です。

 「言いながら」によって、音(としての単語・連語)について「なじみ」を作る。「書きながら」によって、文字(としての単語・連語)について「なじみ」 を作る。音についても、文字についてもよくなじんでおいて、本丸に攻め込むように「思う」のです。
 イメージをはっきりさせることの実質は「思う」ことです。「こういう感じ」「こういうこと」を「思う」のです。
 「思う」ことの強度によって、イメージがはっきりしていればしているほど、別の場面でその単語(連語)に出会ったとき、「瞬間的に」イメージが自分の中 に生じます。瞬間的に生じないとすれば、「言いながら、書きながら、思う」練習の時に、「思う」力が弱いからです。

 イメージの継起が「瞬間化」されなければ、聞き取ることも、話すことも、読書することも成立しません。

 だから、「言いながら、書きながら、思う」は、語学の成果のすべてを成り立たせるための必要不可欠の基礎工事です。

 この基礎工事がきちんとできていれば、「切断読み」も成り立ちます。「切断読み」は、わずかずつスピードをあげていくことで、普通の速度の読み(再び、 読みに連続性が備わっている読み)になります。

 語義矛盾になりますが、「切断読み」の完成形は、「連続読み」です。
 ただし、この場合の「連続読み」はイメージの動きが伴っていることによって、「回転読み」の完成形とはまるで違う性質のものです。

 普通の速度で読んで、イメージ(日本語の単語ではなく、あくまでもイメージ)が継起し、文全体の意味が生じる文は、英語をやる人が例外なく欲しがってい るもの=「使える英語」になります。

 という具合に、「スカイプでレッスン」の練習は、システム化されています。
 「つなげて」と「強く、はっきり」を両立させる、つまり、「自分から」「強く、はっきり」の方へ「踏み出してもらう」のは、「切断読み」をやる価値のあ る音を作るためなのです。意味やイメージを存分に扱うための基礎工事です。

 基礎工事に二つあります。

1.「回転読み」の完成形を作る。(「つなげて」と「強く、はっきり」の両立)
2.「言いながら、書きながら、思う」ことで、イメージを作る。

 「もう、強くはっきりと、という指示は出しません」という指示は、「1」の完成形を作る途中、しかし完成形が作れるようになる寸前に出す指示です。

 それを、教材の行数で、例えば、5千行+5千行の時点とか、3千行+2千行の時点とか、人によって配分を変えるわけです。
 

【18451】

「回 転聞きから回転スピーキングへ」実践サイト開発計画

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月13日(火)03時36分12秒
編集済
  語数別に分類した例 文に音声ファイルをリンクさせて、各例文をマウスでクリックすると何度でも繰り返し聞くことができるサイトを作る計画を根石さんと進めています。
イメージとしてはこんな感じです。 http://www.sodokusha.com/voice/voice.html
例文をクリックすると、何度でも音声が再生されます。

実際には、
「番号  例文  日本語の訳(+文法解説)」
の形にします。


このサイトを作るための素材を集めています。
もう使わなくなったCD付きのテキストがありましたら、私に声をかけてください。
私が例文を語数別でソートし、音声を例文単位に加工して、例文にリンクさせていきます。
もう使わなくなったテキストが、語数別に整除され、音声ファイルがリンクされることで、他の多くの人の役に立ちます。
古い教科書など、歓迎です。
よろしくお願いいたします。

 

【18452】

村 田さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年12月14日(水)13時47分4秒
  「回転聴き」につか えそうな古い教材があるのですが、古すぎて音声教材はカセットテープなんです。使えますでしょうか。  

【18453】

村 田君

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月15日(木)02時00分47秒
   「回転聞き」がで きる人には、私らが作ろうとしているような教材は必要ないのです。
 誰にでもできるのは、「回転聴き」です。これは聴力に問題がなければ、誰にでもできると先日書いた通りです。考えているのは、この誰にでもできるという 間口の広さに向けた教材です。そのことによって、素読舎のレッスンというものが本当は「上達しない人」の誰にでも必要なもの、素読舎の「音づくり」こそが 日本人に必須のエッセンスだとことを知ってもらうための教材なのです。

 しかし、村田君が理解していないことがはっきりしました。
 相変わらず、お得意の流し読みをやっているわけですか。

 「回転聴き」は誰にでもできる。じゃあ、それをやってから、「回転スピーキング」なり、「回転読み」をやってみてくれ。とたんに大きな困難を感じるはず だ。大きな困難を感じない人は感じない人で、ほとんどが多かれ少なかれ自己流に陥っている(使ってみれば通じない音になっている)はずだ。その自覚を持っ てもらうための教材なのです。
 「回転聞き」から「回転スピーキング」ではない。
 「回転聞き」はさまざまな練習の最後に来るものです。

 「回転聴き」→「回転スピーキング」(その他、「回転読み」やら「切断読み」やら、「言いながら、書きながら、思う」やら、もろもろ)→「回転聞き」

 という具合のものになるはずです。「回転聴き」と「回転聞き」の間の巨大な距離を、村田君はまったく無視しているということがわかりました。
 気楽なもんです。
 


【18454】

根 石さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月15日(木)04時42分22秒
  > 「回転聴 き」→「回転スピーキング」(その他、「回転読み」やら「切断読み」やら、「言いながら、書きながら、思う」やら、もろもろ)→「回転聞き」
>
>という具合のものになるはずです。「回転聴き」と「回転聞き」の間の巨大な距離を、村田君はまったく無視しているということがわかりました。
> 気楽なもんです。

「回転聞き」は一番最後に来るもの、という流れをきちんと理解していたら『「回転聞き」から「回転スピーキング」』とは絶対書かないですね。書き間違えた ですむ問題ではないです。私が書いた後に、小川さんが「回転聴き」ときちんと書いておられます。さっき掲示板を読んで気が付きました。すみません。
けれどもこれから作ろうとしている教材は、自分はとてもやる気になっています。やらせてください。昔の中学1年・2年の教科書は探したら出てきました。3 年のものは新しく入手しました。よろしくお願いします。

 

【18455】

小 川さん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月15日(木)04時48分16秒
  カセットテープも、 ボイスレコーダに録音すればパソコンで扱えるようになります。ですので、カセットテープ付きの教材も歓迎です。よろしく。

 

【18456】

「存 在には起源が無い。」

 投稿者:adatikazuo  投稿日:2011年12月15日(木)12時47分22秒
編集済
  表題の件について、 三段論法でコンパクトに纏めることができました。
関心のある方は、どう思われるでしょうか。

1 無から有は生じない
2 ゆえに有は有からしか生じない
3 よって有には起源が無い


1について、
たまに「無から有が生まれた」という言葉が科学ニュースなどで見ることが
あります。読むたびに「無はないことなんだから、有は生じるわけがないじゃないか」と思うのです。

こういう誤解は、なぜ起こるのかと考えると、なにやら無は何かの存在物と思っているのではないか。無の存在なんって、それは無じゃないよ。言語矛盾です ね。言語矛盾って、なぜ起こるか。無は、ないことなので、存在物の人間には「うまく考えられない」のでしょうね。たぶん。

2について
これは、わかるとおもいます。ただ有は、さまざまに変成変化にさらされて
いる事実はあるでしょう。そしてたぶん、永遠に繰り返されている。怖いですね。

ビッグバンの宇宙を考えればいいかと。「最初」は野球ボールくらいの大きさだったといいますね。その前は,まだわかっていませんが。当然なんらかの有で す。

3について
これは、このとうりかと思います。永遠の時間があるのか。
時間については宿題です。

最後になぜ、こんなことを考えたかというと、何年か前に友人根石吉久さんから「老子が書いていたよ。存在には起源がないって」といわれて、どういうことな んだろう、どう考えればいいのだろうと興味がわいたからです。

不思議ですね。なぜ、こんなことが起こっているのか?
もう一歩進めると「存在の謎」という論件もありますね。

付け加えると、この件の理解のポイントは、無を、ちゃんと理解できるかどうか、だと思います。

無は言葉です。言葉の働きは、示すものを存在するかのように思わしてしまう。無の場合、その働きは躓きの石になってしまう。そういう事情が厳然としてあり ます。
このことを理解していれば、問題はないのでは。

まあ、大雑把ではありますが。お許しを。。
 

【18457】

村 田さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年12月17日(土)17時57分46秒
  了解しました。年末 までに送るようにします。  

【18458】

「連 絡専用掲示板」からの転載

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月20日(火)06時47分14秒
  モチベーションその 後  投稿者:江戸の母  投稿日:2011年12月19日(月)23時56分2秒

今日はレッスンだったのですが、すみません、最近ずっと自立練習できないので、今日はひさしぶりに口を動かした〜という感覚でした。毎日これくらい、いや これ以上やらないと身についていかないんですよね。

先日の息子のモチベーションあげる作戦ですが、娘が保育園で習ってきた(暗誦してきた)クリスマスソング Silent night が一役かっていま す。

娘が「ほーりーいーふぁそ」というのを「それはおかしい」と母息子が言って、ネットで調べたところ、Holy infant so・・・でしたので、間違ってはいませんでした。皆で「おお〜」と驚いてました。それから、娘の暗誦をお手本に、私達も歌ったり、なんてやっておりま す。

私の忍者ブログは、アクセスできなくなってしまいました。アメブロでも作ろうかと思っているのですが、既にアドレスを使っていたらしく、新規作成不可能。 お手軽なブログがありましたら教えてください。

ピッコロさんが雑談で言ってたのを代筆します。
もともと「語学」に興味がなくて、「語学」なんてどうでもいいと思っていたそうですが、最近、ただ言うのが楽しかったという感覚から変わってきて「これは 語学だ」と思うようになったそうです。

その理由はたとえば今やっているレッスンでの型を現地にいっても、そのまま使えるわけではないので、現地にいったら、今習っているものを応用してシーンに 合うように使い分けるようになるだろう、と。そのためには、型を習得していないといけない。サッカー選手がゴールを遊びでもゴールを決められるのは、基本 の型ができてるから、いくらでも崩すことができる、これに似てるのでは?とのこと。

また、受験の時に、音と一緒に学んでいれば、受験勉強をしなくても、英語力がアップするのではないか。受験生に是非やってもらいたい、という話等しまし た。

素読舎の生徒さんも、それぞれにニーズがあったり、目標があったり、また趣味としての方もおられると思いますが、ずっと続けてらして、すごいですよね。私 達ペアは一番、仕事でも必要とされていないし、のんべんだらりとしたペアかもしれません。来年はがっつり前進できますよう。
 

【18459】

コー チ音読レッスン記

 投稿者:小川  投稿日:2011年12月25日(日)00時59分20秒
編集済
  本番で余力を残すく らいの練習量を確保しなければ、常時安定した音読は出来ないなあと今更ながらに思いました。これは根石さんが折に触れておっしゃっていたことなんですが、 今日ほど身にしみたことはありませんでした。

今日はP.85とp.86は辛うじて合格しましたが、1ページあたりのセンテンス数の少なさに助けられただけのことです。新しいページより古いページでつ まづきが沢山ありました。

たとえばp.23の " I've been thinking about it." と言うべきところを、そのすぐ後に "I've been thinking about it a lot." があるので、つい "a lot." をつけてしまいました。このセンテンスはほぼいつも1回読むだけで大丈夫だったんですが、今日はこの文がやり直しになりました。何度も何度も長文を回すと 口の筋肉が強ばって来、言えていたはずのものも言えなくなってしまいました。以前よりも口の筋肉に力を入れて大きく動かして言うように心がけるようになっ たので、言いにくさ倍増です。

本番で10の成果を出すには、11、12、それ以上の成果を練習であげていなければならないということを痛感しました。スポーツでも歌舞音曲でも武道でも 一緒だなあと思います。

村田さんはI村さんとのレッスンの後に続けてですから、ハードさは私以上だと思いました。今日は今年最後のレッスンになりました。村田さん、来年もどうぞ よろしくおつきあい下さい。
 

【18460】

小 川さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月25日(日)13時23分58秒
  小川さんの   レッスン時の音読の質は明らかに上がっています。
  音読はブームになりましたが、その質が何と何とでできているべきかがほとんど問題になりませんでした。私が出す「つなげて」と 「強くはっきり」は、 その質に関わるものです。
  「もう強くはっきり、とは言いません」という指示は、喧嘩し合うものを喧嘩させ、それを通じて統合する作業を、生徒に手渡すため です。
  英語の音読指導で、ここを意識化できているところはないと思っています。
  英語の音読は、コーチについて練習したほうがいいが、コーチは「喧嘩を通じて統合させる」ときに、何から始めてどういう喧嘩状態 にするか、統合させることをいつ生徒に手渡すべきかを知っていなければなりません。
  これをみつけるのにも、やはり十年くらいかかりました。



  
 

【18461】

音 読の質について

 投稿者:小川  投稿日:2011年12月25日(日)13時57分13秒
編集済
  根石さん

中学生の英語授業のお手伝いに駆り出されることがあります。先生達は「ほぼ読めるようになっている」とおっしゃるのですが、読めている子はほとんどいませ ん。根石さんも村田さんもすでに良くご存知の通りです。

驚いたことにお手伝いに入ったガイド仲間も「読めている」と言うのですが、ほぼ全員が「カタカナ読み」で「読めている」だけのことです。実地授業の際には ネイティブスピーカーの「良い発音」では通じず、先生がカタカナ発音で言い直してやると良くわかるというような悲喜劇は日常茶飯事です。

生徒の発音を云々する以前に、通訳ガイドでも英語教師であっても英検1級取得者であっても、いい加減な発音に甘んじている人は大勢います。いい加減な発音 だという自覚症状もない人が多いのです。

音読ブームが起きた頃、音読マラソンがはやりました。なめらかに速く読めることに自己陶酔しているだけの人もいます。確かに筋肉の表面だけを使ってなめら かに速く読むと気持ちがいいのです。偉そうに言っていますが、かつては私もその中の1人でした。

素読舎の「強くはっきりと、もっとつなげる」レッスンを受講して身を以て感じ、また音読コーチ見習いで生徒さんの音が変わって行くのを目の当たりにして、 音読マラソンと称して百回読もうが千回読もうが、「喧嘩を通じて統合させる」というプロセスがなければ、音作りは叶わないということが良くわかりました。

 

【18462】

小 川さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月25日(日)21時49分11秒
  寝 床で「大風呂敷」を読み、小川さんが書かれていたので、触発されて iPhone から書きました。iPhone の画面は字が小さく、書いた部分もじきに画面上から消えて見えなくなってしまうので、後でパソコンで書き直せばいいやと考えていましたら、スマートフォン で書いたものをパソコンで書き直すことができないことがわかりました。
私の書いたものと、小川さんに書いていただいたものを合わせて、これから facebook の方に掲載する予定です。
 

【18463】

小 川さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月25日(日)21時53分8秒
  転載に際し、「コー チ音読レッスン記」を「コーチ用音読レッスン」に変えさせていただきます。


 


【18464】

facebook 用原稿

 投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月25日(日)22時04分3秒
  反英語フリーク『大 風呂敷』(掲示板から引用)



コーチ用音読レッスン 投稿者:小川 投稿日:2011年12月25日(日)00時59分20秒 編集済

本番で余力を残すくらいの練習量を確保しなければ、常時安定した音読は出来ないなあと今更ながらに思いました。これは根石さんが折に触れておっしゃってい たことなんですが、今日ほど身にしみたことはありませんでした。

 今日はP.85とp.86は辛うじて合格しましたが、1ページあたりのセンテンス数の少なさに助けられただけのことです。新しいページより古いページで つまづきが沢山ありました。

 本番で10の成果を出すには、11、12、それ以上の成果を練習であげていなければならないということを痛感しました。スポーツでも歌舞音曲でも武道で も一緒だなあと思います。

 村田さんはI村さんとのレッスンの後に続けてですから、ハードさは私以上だと思いました。今日は今年最後のレッスンになりました。村田さん、来年もどう ぞよろしくおつきあい下さい。



小川さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2011年12月25日(日)13時23分58秒

 小川さんの  レッスン時の音読の質は明らかに上がっています。
 音読はブームになりましたが、その質が何と何とでできているべきかはほとんど問題になりませんでした。私が出す「つなげて」と「強くはっきり」という指 示は、 その質に関わるものです。

 「もう強くはっきり、とは言いません」という指示は、喧嘩し合うものを喧嘩させ、それを通じて統合する作業の全体を生徒に手渡すためです。
 英語の音読指導で、ここを意識化できているところはないと思っています。
 英語の音読は、コーチについて練習したほうがいいが、コーチは「喧嘩を通じて統合させる」ときに、何から始めてどういう喧嘩状態にするか、いつ統合させ ることを生徒に手渡すべきかを知っていなければなりません。

 これをみつけるのにも、やはり十年くらいかかりました。



音読の質について  投稿者:小川  投稿日:2011年12月25日(日)13時57分13秒 編集済

 根石さん

 中学生の英語授業のお手伝いに駆り出されることがあります。先生達は「ほぼ読めるようになっている」とおっしゃるのですが、読めている子はほとんどいま せん。根石さんも村田さんもすでに良くご存知の通りです。

 驚いたことにお手伝いに入ったガイド仲間も「読めている」と言うのですが、ほぼ全員が「カタカナ読み」で「読めている」だけのことです。実地授業の際に はネイティブスピーカーの「良い発音」では通じず、先生がカタカナ発音で言い直してやると良くわかるというような悲喜劇は日常茶飯事です。

 生徒の発音を云々する以前に、通訳ガイドでも英語教師であっても英検1級取得者であっても、いい加減な発音に甘んじている人は大勢います。いい加減な発 音だという自覚症状もない人が多いのです。

 音読ブームが起きた頃、音読マラソンがはやりました。なめらかに速く読めることに自己陶酔しているだけの人もいます。確かに筋肉の表面だけを使ってなめ らかに速く読むと気持ちがいいのです。偉そうに言っていますが、かつては私もその中の1人でした。

 素読舎の「強くはっきりと、もっとつなげる」レッスンを受講して身を以て感じ、また音読コーチ見習いで生徒さんの音が変わって行くのを目の当たりにし て、音読マラソンと称して百回読もうが千回読もうが、「喧嘩を通じて統合させる」というプロセスがなければ、音作りは叶わないということが良くわかりまし た。
 

【18465】

根 石さん

 投稿者:小川  投稿日:2011年12月26日(月)01時49分45秒
  >「コーチ音読レッ スン記」を「コーチ用音読レッスン」

すみません。お手数をおかけしました。
 

【18466】

「連 絡専用掲示板」から転載

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2011年12月26日(月)23時22分11秒
  根石さん 投稿者:まるまる  投稿日:2011年12月26日(月)15時34分33秒

(連絡事項のため、略)

話は変わって、我が子の学校の英語の時間に「外国人の先生と会話のテスト」というようなものがあります。
先日、他学年の英語の先生方が授業の見学に来られたのですが、その時に会話テストの生徒として、我が子が選ばれたそうです。(38人中の4人の中に入り、 うれしそうでした)
本人が選ばれた理由は不明ですが、特に英会話学習の経験も無かった子なので、親としては素読舎のレッスンのおかげだと感謝しております。

来年もどうぞよろしくお願いします。
 

【18467】

内 田樹の一言

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年12月27日(火)19時20分1秒
  四書五経の素読を通 じて、江戸時代の子どもたちが学んだのは「子どもには決して到達しえない知的境位が存在する」とうい信憑である。それが見事に奏功して、その時代の日本人 の識字率は世界一の水準に達した。
 

【18468】

内 田樹ツイッターから引用

 投稿者:馬の骨  投稿日:2011年12月27日(火)20時56分25秒
  『街 場の読書論』ゲラチェック95%ほど終了。年内に「あとがき」書いて、戻せそうです。今日は「メタ・メッセージ」論を20枚ほど書き足しました。メタ・ メッセージというのは「これは嘘です」とか「後ろの方、聞こえますか?」とかいう言明のことです。これは誤解の余地のないメッセージなんです。

メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類 の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?

「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか!そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。

こんな話があります。ある工員がどうも工場からものを盗み出しているらしいという嫌疑がかかりました。警備員たちはこの工員が手押し車を押しながら工場か ら出るとき、彼をとめて、手押し車の中をすみずみまで探しました。でも、何も出てこない。

毎日、止めては手押し車の中を点検するのですが、何も見つからない。さて、この工員は何を盗んでいたのでしょう?もうおわかりですね。彼は手押し車を毎日 盗んでいたのです。

いかにもラカンが好きそうな話ですが、「手押し車」を「メタ・メッセージ」と書き換えると、コミュニケーションについての恐るべき真理が明らかになりま す。メタ・メッセージは「情報についての情報」ですので、誰もその真偽や理非については問わない。警備員はこれを組織的に見逃すのです。

だからもっとも賢いメッセージ発信者はパーソナルなメッセージを「手押し車」のかたちにして発信するはずなんです。これは誰にも咎められず、どこまでも、 誰にでも届くから。

情報化社会における「情報強者」とは良質な情報をたくさん所有している人間のことではありません。そうではなくて、自分の個人的なメッセージを「手押し 車」に載せてやりとりできる術を知っている人間のことです。

パーソナルなメッセージをあたかも価値中立的で、真偽の判定になじまず、「警備員たち」の検査の眼をを逃れるものであるかのように発信できる人間が、情報 社会における情報強者だと僕は思います。

つねに「自分がいま発信している情報についての情報」を繰り込むことのできる言語能力が情報社会における階層差の形成要因であるというのが僕の仮説です。 自分の言明に含まれる真実含有量についての検査値を公開しながら話すんです。楽しそうなんだけどなあ。

自分はどれくらい嘘つきか」についてもっとも信じられる語り口を思いついた人間が「勝つ」ゲームって、いいと思いません?だって一等賞品が「こいつは嘘つ きだ」という公的認知なんですぜ。


 

【18469】

お 読み下さい

 投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 1月 1日(日)19時21分2秒
  https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=274287765960592&id=273722082683827  

【18470】

お 読みいただきたいが、

 投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 1月 1日(日)23時37分16秒
  facebook を始めないと読めないのか。私は始めてしまったので、読めるか読めないか、実験ができない。


https://www.facebook.com/profile.php?id=100003069756812
 

【18471】

読 めました

 投稿者:ミキ  投稿日:2012年 1月 2日(月)02時17分3秒
  登録していなくても 記事は読めました。

「Facebookとは?」を少し調べてみたのですが、作るグループは「誰でも参加できる全公開型」、「参加にグループ設立者からの認証が必要な非公開 型」(しかし、参加者名は公開される)、「秘密グループ型」(参加者名簿も非公開)とある様ですね。

登録は本名が原則な様ですが、そうでない方もずいぶんいらっしゃるようで...?

とんでもなく大きな規模のネットワークで、まぁ、それが良くて参加している方が多いのでしょうが、私の第一印象は「なんとも開けっぴろげ」でしょうか。正 直な所、二の足を踏んでいます。
 

【18472】

ミ キさん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 1月 4日(水)01時05分42秒
編集済
  facebook に何か書いた場合、それを読める人をかなり細かく指定できるようです。読者数最低の設定では、自分だけしか読めないような設定もできるようです。記事ごと に、読ませたい人を、一人ずつ指定して限定することもできるようです。おおざっぱには、「知り合い」とか「友だち」とかに限定するということもできるよう です。私は、今のところは「公開」でやっていますので、読者の限定方法はよく知りません。
実名も、「望ましい」ということであり、実際に実名でやっている人が多いようですが、変名を受け付けないということではないらしいです。これも、私が変名 で登録していないので、変名での登録方法はよくわかりません。
ミキさんが読むことができたのは、二つ書いたURLの両方でしょうか。「根石吉久」で書いている場所と、「素読舎」で書いている場所と二つあるのですが、 ブラウザに公開されているのは、「素読舎」の方だけだと思っていました。
 

【18473】

記 録だけしておく

 投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 1月 4日(水)01時16分33秒
  今、かかずらってい る時間がとれないので、記録だけしておくことにする。(根石吉久)

http://homepage.mac.com/donguriclub/sodoku.html

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■たまたまネットサーフィンしてたら下記のページを知りました。勘違いの積み重ねで成り立っている記述なのでどうしようかと思いましたが、記録しておきま す。【2011.09/21】T.Itoyama
 その前に...
●<素読>の良さについて記録しておく。音を意識できるのが素読の効果であ る。そして、音を意識すると、音をコントロールできるようになる。
具体的には、筋肉(口の形と息のストレス)をコントロールの微調整を出来るようになるということである。
音は耳で確 認でき、何度でも簡単に発音し直す(筋肉コントロールの微調整をする)ことができるので、何度も発音する反復矯正が最も適している。
本来は、肉体(筋肉)のコントロールも視覚イメージ操作なので、視覚イ メージを意識する方が早く矯正できる(筋肉の動きを拡大して口の形と一致させる)のだが、
それは、強制的な(音を中心に据えた)反復でも補える。
発音に関しては、視覚イメージ経由であることは、生まれて直ぐに習得するこ となので意識することのほうが難しい。
だから、自由にコントロールできる状態での矯正なので視覚イメージ操作はしていないと勘違いすることはあり得ること だし、厳密に頭の中の動きを観察しないと分からない。
従って、発音矯正は、口(音)をインジケーターとして反復ですることが(盲目的だが)実践的である。
ただ、教 える方としては本当の理論は知っておいて欲しいものである。
もちろん、発音の方法は教える。音も聞かせる。そして、お手本を思い出しながら照らしあわせて誤 差修正する。体の制御に関わることなので反復は役に立つ。
●これらのことは、副次的な効用として音を媒介とした不快理解力には役にはたつ部分も出てくるが、残念ながら思考ではない。
また、理解も原形イメージが残っていないものについ ては類推作用が働かないので、原形イメージがない場合には全く無効である。
彼は、「少し難しいものがいい」と言って言葉を濁してるが、それは、記憶には残っているかすかな原形イメージを 喚起できるレベルのものがいいと言っているに過ぎない。
このリンク(音→様々なイメージ→感覚・感情の再現)がなければ永久に発音だけで、理解には繋がらないからだ。
●こんなレベルの話で、教育を語るのは止めた方がいい。素読の効用は理論的に当然のことだ。
 だが、それは、深い理解力までの話(それだって豊かな原形イメージに繋がる体験がなければあり得ない)で、肝心の「思考力養成」には、何万キロも距離が ある。
「させない教育」が大事ってのも言ってある。これは、豊かな原形体験が豊かな再現を導き理解力を導くからです。ここまでは、誰だってたどり着く。問題は、 その先だよ。
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http://sodorok.chakin.com/simpleVC_20110224134359.html> より

素読舎とどんぐり倶楽部について
素読舎(根石吉久先生)とどんぐり倶楽部(糸山氏泰造先生)の違いたるやなにか〜〜〜過去ログからぺたりんこ♪
2007.10
http://sodokusha.yamanoha.com/log/11801-11900.html
吉さん
>語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?
根石さん
■それは絶対に必要ですが、それをコーチが作ることはできません。作ることができるなどと考えるのは不遜なことだと思っています。コーチが邪魔を取り除く ことをしても、イメージが発動しないこともあり得ると思っています。その場合、長く続けたコーチの努力は水の泡になります。仕方がないことだと思っていま す。私は人間の自発性に触りたくありません。

いざ出発
【11930】matsuさん投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月1日(木)05時35分54秒  編集済
>一方、糸山さんへの根石さんの口撃は激しさを増して、どんぐり倶楽部との全面対決前夜という様相ですよね。このままでは、吉さんがいっそううんざりし て、思いを残しながら、根石さんと決別の気持ちを固める、という展開が見えています。
■全面対決はないだろうと思います。あちら様は「おとな」でしょうから。乗りかけた船なのかと思い、今日再び、どんぐり倶楽部の別のページを読んだら、な かなかいいじゃねえかというところを見つけました。それは、一言で言えば、「ゆっくりでいいんだ」「結果じゃなく過程が大事なんだ」というだけのことでし た。それだけなら、私も同意できます。文部省の元における小学校批判も、(名指ししていない)公文批判も、うんうん、それでいいでしょう、と思いました。 私の生徒さんのももこさんが、「ゆっくりやればいいんだというようなところは、糸山さんのいいところだと思うんですが、12歳に強い線引きをするところは どうなのかなあと思ってしまう」とレッスンの時に言われたのですが、ようやく「糸山さんのいいところ」というのが何を言っておられるのかがわかりました。 高速計算なんか駄目だ、公文なんか駄目だ、というような点については、私に糸山氏に対する異論はありません。しかし、反復練習が駄目だという点にはまった く同意できません。私の孫は、まさに日本語の基本的な構造を体に備えつつある段階(4歳)ですが、知らない言葉に出会うと、面白がって、ときどき自分で勝 手に「回転読み」みたいなことをやります。(字を使わないし、教室で学習するのでもないし、遊びみたいに独り言を言っているだけですが。)言葉を獲得する 途中では、「反復」というのが必要だから、孫は勝手に「反復」をやっているのでしょう。自分に向けて確認しているのでしょう。私も他の家族も、孫に反復の 必要性など一言も言ったことがありませんが、遊びみたいにして勝手にやっているのをたまに目にすることがあります。
●それは思考ではないからね。筋肉制御と同じで反復しないと使えないから反復が必要なものはあります。

■言葉の習得には「反復」は必要です。必要だから、面白がって遊びみたいにして、私の孫はやっているのです。算数方面から、言葉方面で生じることの「絵 図」を描いても、そんなもの、まったく見当違いだよ、ということです。「良質の算数問題」からできる言葉の力なんかなんぼのもんじゃいとしか思えません。
●?反対だろ。「<から>できる言葉」なんてない。

■そんなことじゃ、戦後日本の貧しさをさらに貧しくするだけじゃないか、とも。糸山氏は、論はできる人ですが、言葉にろくに血が通っていない。それがあ の、何というか、事項だけ次々と繰り出すだけの文体です。糸山氏に言いたいのは、「足元を見ろ」です。文章に(言葉に)血を通わせることをしないで、何が 「豊かな心」かよ。この点では、吉さんの方がよっぽどいい。異なる論の間で、引き裂かれた生身の言葉を公開するだけ、ずっといい。吉さんが糸山氏を師にす るなどは、もったいないのです。糸山氏が吉さんの引き裂かれ方を師にするがいいのです。そんなことを書こうかと思って掲示板を開き、matsuさんが書い て下さっているのをみつけました。一読、ありがたく思いました。

>子育ての方法論を提供するのが「教育論」ならば、糸山さんはその分野で優れていて、成果をあげている方なのかもしれません。しかし、そういう教育論は、 教育成果をあげるという目的のための手段なのであって、たとえば、教育とは何か、子どもとは何か、人間とは何か、という問いをつきつめるものではありませ ん。
●人間的な判断力を含む思考力養成の方法論ですよ。教育とはこういうことです。「教育とは何か、子どもとは何か、人間とは何か、という問いをつきつめる」 ことをした後で、必要な力を育てるために出てきた方法論です。

■糸山氏の論では、無差別殺人をやった永山則夫が、刑務所で字を覚え、言葉を覚え、人の気持ちがわかるようになっていった過程にはまるで触れることができ ないと思いました。
●どこまで読みが浅いのだろうか。回路はできている場合がほとんど。しかし、それを制御する感情回路が破綻していた。あるいは、その感情回路では制御でき ないくらいの異常な環境下にあったということだよ。「糸山氏の論」とリンクさせるには無理がある。

■糸山氏の論では、永山則夫は無差別殺人をやった時点で、「幼児期に育てるべき判断力を育てられていない状態で12歳をすぎてしまっている子供大人」説を 補強する格好の例にはなるでしょう。
●なるね。しかし、環境が一定ではないのだから、制御力の効果はまちまちになるのは当然だろ。

■しかし、心というものが「12歳」という線引きなどで決定されるものではないということ、
●「心」なんて言ってないだろ、心が決定されるはずない。

■20代でも30代でも40代でも、人間が生きている間、ボケルまでの間、あるいは死ぬまでの間、心は成長するということが無視されるだろうと思います。
●無視はしていないよ。「心は成長する」ってのは考え方・捉え方が変わるということで、思考力養成とは無関係。

■永山が刑務所で自分の心を育てた過程は、「12歳」という線引きを完膚無きまでに否定するはずです。
●全くリンクしていない。そもそも「心:事象の捉え方」の話はしていないのに勝手に話をすすめてはいけません。

■ 「12歳」という強い線引きに対しては、私はこれにどうしても脅迫めいた臭いをかぐのです。アメリカから論拠を借りてきて、時代の荒れを自説の補強に 使って、これを売れば売れるわなとも思うのです。
●論拠にしてないだろ。傍証としてのデータに過ぎない。そのデータの前にすでに理論はできているし公開してる。いい加減なことを並べない。

■そりゃ、幼児から子供時代を経て作られる「思考能力の祖型」ができあがる時期はどこかにはあるだろうと思います。
●どこ?ここを知らずして思考力養成の話は出来んだろ!君が言っている「思考能力の祖型」ってのは思考回路ではなくて、理解力の正体である「(感情・感覚 を伴った)視覚イメージ再現」を核とする言葉(音)から導かれるイメージの全体像。・・・こんなことは、思考力養成を語るときには大前提の話。

■しかし、それができていくのは「12歳」で終わりであり、以後は別過程だとされるなら、60に近くなってきた年齢で、「子供大人」の一人をやって公開し ている私としては、ふざけんじゃねえぞこの野郎、としか言いようがありません。「思考能力の祖型」ができるのは、7,8歳の場合もあるだろうし、12,3 歳の場合もあるだろうし、16,7歳の場合もあるだろうし、いずれどこかにあるだろう。しかし、それ以後にだって、それまでに存在しなかった思考回路に新 たな血管が形成され、そこに血が通い始めることはある。そうでなければ永山則夫が人の気持ちがわかるようになったということはどういうことになるのか、 まったく説明がつかないではないか、と。
●簡単につく。だって、それは、思考ではなく、感情だからね。感情を受け止めることが出来るようになったってこと。

■糸山氏はいいことをいっぱい言っている。駄目なのは、「12歳」論です。借り物だからです。
●借り物じゃない。

■糸山氏の論は、アメリカの調査のデータを借り物にした決定論ですが、この決定論であるところがどうにも気に入りません。借り物である「12歳」論がアホ くさくて、鼻が曲がります。
●よく読まないとね。読まずに、よく書けるな。「心」「借り物」「決定論」全て関係ないぞ。大丈夫か?

■吉本隆明は、「思考能力の祖型」ではなく、「心の祖型」という意味あいで、3歳くらいまでに決まるというようなことを言っています。
●だ・か・ら、心の話はしてない。思考力と言ってるのに、勝手に心にしないこと。心は2-3才で原形が出来上がる。そんなことは、学習の優先順位表に明記 してある。そんなことは、全て折り込み済みで、その上で「人間的な 判断力を含む思考力養成の方法論」を展開してる。出直しだね。

■それは幼児と母親の関係で決まるとも言っています。「心の祖型」=「三つ児の魂」という意味で、これならよくわかります。糸山氏の論の「12歳」という のは、「心」ではなく「思考」に関してだというふうに糸山氏は逃げることができるのでしょうが、糸山氏は「心」の形成と「思考」の形成を(わざとなのかど うか)混同させています。こんな混同も決定論も両方とも要らないものです。
●混同しないように、明言してる。「逃げることができる」じゃなくて、別物。君は、ひょっとして、同じだとでも思ってるのかな?

■妊娠可能な年齢を、思考回路形成の、ええとなんだっけ、臨界期だっけか、それに同致させることにも何の根拠があるのかと思い、けっ、と思ってしまいま す。
●はぁ、そんなことも分かんないのか。だから、最終進化形態となる時期を確定できないんだね。

■永山を持ち出さなくても、私自身が中学二年頃から19歳頃まで落ちこぼれだったことを持ち出すのでもいいのです。
●どこまでお粗末?「落ちこぼれ」なんて関係ない。成績と学力は根本的に違う。

■私が実質的に英語をやり始めたのが19歳だったのですが、それまではただの落ちこぼれでした。19歳でそれまでの落ちこぼれの歴史をひっくり返すように 急に激しく英語の「勉強=喧嘩」をやったのでしたが、それは糸山氏の言う「豊かな心」なんぞというものより、はるかに永山則夫の無差別殺人に似ていまし た。相手が生身の人間ではなく、英単語や英語の構造だっただけで、「勉強」などと呼ぶより「殺し」と呼ぶ方がはるかに実質に近いのです。そして、この「嵐 としての一年間」の後に、私は日本語の詩が読めるようになったし、批評が読めるようになり始めたのでした。それまでの生涯では味わったことのない味でし た。つまり、(糸山氏からすれば)「こんな遅い年齢」になってさえ、思考も心も変わるのです。人が心を駆使して考えるということを「媒介」にできさえすれ ば、「12歳」も糞もない。
●お粗末。回路はあった。それを勉強用には使っていなかっただけ。だから、攻撃的にでも勉強し始めたらできたの。自分で証明しているのに気づきもしないん だね。

■糸山氏は、私の19歳という年齢で生じたことをどう説明するのか。刑務所で永山則夫に生じたことをどう説明するのか。刑務所の中を無視するのと同じよう に無視するのか。
●上記に説明してある。そんなの当たり前の大前提。どこまで、読めてない?

■「心の祖型」ができるのは三歳までだということには、何の違和も感じないのに、「思考回路形成臨界期=12歳」にどうして強い違和を感じるのかと言え ば、私において、「思考の祖型」ができるのが、19歳頃まで続いたと思っているからです。それほど私はトロイ子供だったのです。
●「トロイ」じゃなくて、進化エネルギーを保持できていたってこと。別 に珍しいことじゃない。アインシュタインだって、学童期には、「ウスノロの馬鹿」とよばれていたし、親からも先生からも学習障害があると思われていた。自 分を保護していたという状態が進化エネルギーも保護する形となり、保持できたってことだよ。

■私の親は、3歳までの私の「心の祖型」を決定したかもしれません。しかし、「12歳まで」というところにはまったく無策で、意識的に何かをした形跡はま るでありません。私はただ、見守られ、放っておかれただけです。「見守られた」ことも、「放っておかれた」ことも今は有り難く思っています。
●昔の生活環境・教育環境では「放任」は思考力養成のチャンスを作り得ましたから、効果的に働いたんですよ。今は難しい。

■糸山氏の言う「絶対学力」なんか、私の19歳に何の関係もなく、むしろ、この社会の成り立ちに対する怒りが大いに関係がある。そして、19歳で暴発する までの思考を育ててくれたのは、「言葉」が最大のものです。「言葉さえ奪われなければ」という思いが今も私には強くあります。「学力」だの「視考力」など は、「心」とは関係がありません。どちらかがどちらかを「媒介」にするという関係があるだけです。糸山氏はここを混ぜこぜにしています。混ぜこぜにして、 直線で結んでいます。
●おいおい、逆。
>「怒り」→感情が操作の引き金にはなっただけで、それが、思考力養成をし たわけではないよ。なぜだ!どうしてだ!違うだろ!っていう思いが、考えるエネルギーになっただけだで、考えそのものは頭の中の視覚イメージ操作でされて たんだよ。興奮している時や、高速だと、その操作自体に気づかないことが多けどね。
>「思考を育ててくれたのは、「言葉」が最大のものです。「言葉さえ奪われなければ」という思いが今も私には強くあります。」
→言葉のトリガー理論で説明しているように、考えやすくはなるし複雑な事象を言い表せるので便利ではあるが思考の本体ではないよ。

>「「学力」だの「視考力」などは、「心」とは関係がありません。」
→だから、心の話はしてない。子育ての分野で言ってる。勝手にくっつけないでくれ。

■「学力」だの「視考力」だのと、「心」との間には、ねじれた複雑な相互関係があるのですが、糸山氏は直線で結んでいます。
●結んでない。勝手に結ばないでくれ。

■糸山氏が単純に「心が育ちにくい時代だ」と言うだけのことなら私は同意できるのですが、「絶対学力」だの「12歳」だの言い出すと、脅迫じゃねえかと思 い、蹴散らしてやりたくなるのです。
●君は、「心が育ちにくい時代」の原因や理由を知らないからだよ。雰囲気で「同意できる」なんて言うもんじゃない。

■今でも子供に本当に必要なことは、見守ることと放っておくことです。
●残念でした。見守るはいいのですが、放おって置いてはいけません。ここが、昔と今の違いです。生活環境が、それを許さなくなりました。危険なんです。昔 はアチコチにあった思考力養成の機械が、今は皆無に等しいからです。

■有害なものを「見せない教育」ではなく、有害なものに対する抵抗素が育つかどうかです。テレビをつけておけば、子供は(幼児でも)(作られた)残忍な場 面を見るでしょうし、子供が勝手にテレビのスイッチを入れることを止める方法はありません。テレビを持たなければ、テレビ一つは解決するでしょうが、他か らもいくらでも有害な視覚刺激は届くでしょう。
●甘いなぁ。

■それに対する抵抗素を育てるのは、学力形成などと何の関係もない。「良質の文章問題」などと何の関係もない。大切なのは「親の背中」のようなものです。 これだけはごまかしがきかないところです。自分に見えないところを子供に見られているのですから、ごまかしがきくはずがない。
●それは、しつけの項目で「お手本を見せる」で言ってる。そんなのは、とっくにキチンと折り込み済み!低レベルの話をするな。それでも、防げないのが実 態!現状を知らなさすぎる。今は、君が育った世界とは違う世界。

■吉さんは、それをも「見せない」などと考えるからいけないのです。「見せない」といくら固く決意しても、どうしようもなく子供は見ているのです。ぶち切 れて「大風呂敷」に来ないなどということをやっていると、子供の抵抗素が育たなくなりませんか。
●抵抗素は、一定の体力がついてからでないと育たない。しかも刺激が強く多い場合には、子供任せでは無理。

■糸山氏の論が、戦後日本の市民社会の「学力をめぐる神経症」に乗じたものであり、学校という枠の中での「思考」を思考だとしていることが、私の中に激怒 のような反応を生じさせるゆえんかと思います。あちら様はいまだ受験のプロであり、私はそこから降りた者であるということかもしれません。
●は?????何を言ってんだ?本気か。
「学校という枠の中での「思考」を思考だとしている」→してないだろ。
「あちら様はいまだ受験のプロ」→→→→→→→→→→→違うだろ。

>ただそんな切迫した気持ちの求めるものが、教育方法論(たとえば、12歳の境界線論)であるとは、とても思えません。たとえて言えば、自分と家族のいる 場所に根拠を与えるような「ほんもの」をめぐる思想が、それなんじゃないでしょうか。
●「気持ちの求めるもの」じゃなくて、事実だよ。事実の容認なくして分析も対処法もない。だから、現状認識が甘すぎて、「抵抗素なんてものが自然にでき る」と思ってる。昔は、できる場合が多かったが、今は、反対で、出来る前に異常になるか潰されることが多い。

■同感です。吉さんは「哲学」という語を使われますが、必要なのは「思想」だと思います。例えば、語学論がらみで言えば、「磁場帰り」の人として、「磁 場」において生じたこと、内心にどんな血が流れたかということを、自分の言葉で語ってくれることだと思っています。それをやらなきゃ、まともな論にならね えぞと、國弘正雄について考えたことがありますが、吉さんについても同様のことを考えました。(そういうことを考える場所としては、「大風呂敷」が最適な 場所なんじゃないですかね、吉さん。)

>根石さんにとって、語学と思想(哲学とも、文学ともいえるかもしれません)は、車の両輪であるような気がします。

■先にも書きましたが、語学の「嵐の一年」の後に、詩や批評が(日本語で)読めるようになりました。語学には恩があります。糸山氏から語だけ借りれば、そ のための「絶対学力」は19歳の一年で結実したのであり、「12歳まで」にできていたものではありません。
●だから、読書関連に使っていなかっただけ。回路はできてたの!そんな子はいっぱいいるよ。

■12歳を過ぎてからも、この世の成り立ちにとまどい、迷子になっていたことが形成したものです。
●それは、稼働のキッカケ。勘違いしないこと。

■詩や批評が読めるようになったのは、語学における、語のイメージ核を射抜く一年間の修練によるものであり、修練を面白がった意志によるものであり、その 前提としての(日本語から得た)イメージ形成能力は、19歳までの長い時間にゆっくりと形成されたものです。いまだに「12歳まで」に何の根拠も見いだせ ません。
●そりゃそうだよ。12才以降は実践期になるからね。当たり前。熟成期間に、納得していくものだからね。こんなことは学習の優先順位表でも見ればアタリマ エのこと。

■思考までアメリカの(データの)「家来の家来」になったんじゃどうしようもない。
●??呆れた。

■もっとずっとゆっくりやればいいんだとも思います。正直なところを言いますが、私は吉さんの「磁場帰り」のリハビリをやっていたような気もするのです。 別に誰に頼まれたわけでもないのですが。

>普通の感覚で言えば、子どもの「異常な」振る舞いを問題にしたくなるところですよね。そのとき根石さんが、さりげなく、大人も子どもと同じように観光で 自然を楽しむというゲームをしているにすぎない、と指摘したのには驚きました。ここをポイントとして読んでくださったのは有り難かった。うれしかったで す。

>この掲示板で根石さんと議論を戦わせることの効用を、吉さんは以前書いていましたが、根石さんといっしょに喧々諤々考え続けることの向こうにこそ、吉さ んが求めるものがあるような気がします。

■私も吉さんも、一日が終わった「25時間目から」この掲示板に書いていたので、お互いに疲れがあったかと思っています。私の言葉が投げやりになりかけた ところもあったし、吉さんが糸山氏という人の論にかたくなに固執するようなところもあったのですが、いきなり吉さんの方から断ちきられた時にはびっくりし ました。信仰をめぐる論争じゃあるめえに。吉さんの引用では糸山氏を読む気がなくなった私ですが、今日、糸山氏を読んだのは、この掲示板に書かれた何人も の人の記事のおかげでした。いまだ、吉さんが私を許せないと同じように、私が糸山氏を許せないという問題は残っているにせよ、です。ネット上のつき合いで は、疲れていても疲れたまま書きますし、書き直すとか考え直すとか見直すということをする前に、相手からお返事が来てしまうので、書き直したり考え直した りする前に、相手からのお返事に応じてさらに書くことになくなります。そんなところからも行き違いが生じやすいのは、こりゃ、しょうがねえんだと思いま す。ここがそういう場所だということをよく踏まえてちゃんとやってきたという気は私にないのすが、かえってそれがこの掲示板の「なまな感触」になっている かと思います。「哲学や批評のお勉強の場所」(主に大学周りですかね)よりも、私は娑婆の方が好きなんだとも思います。Eliotさんにせよ、吉さんにせ よ、私が学校の勉強ができた人となかなかソリが合わないということとも関係があると思います。まして糸山氏なんかと合わないのは、至極当然だとも思ってい ます。matsuさんならわかってもらえるかもしれませんが、近いものほど憎み合うのです。近いが違う、からです。「喧々諤々考え続けることの向こう」 を、Eliotさんにも吉さんにも信じて欲しかったと思います。matsuさんが書いてくださった通りだと思います。

>とにかく全共闘世代のオヤジというのは、頑固でくちうるさいというのは相場がきまっているのですから・・・

■思わず、にやりとしてしまいました。一本とられました。

【11944】反復投稿者:らくだ投稿日:2007年11月2日(金)10時22分18秒
初めて書き込みます。糸山さんは反復は否定していませんよね。彼はシュタイナーの影響を受けており、シュタイナーは反復を重視しています。なのに、糸山さ んの文面から反復を否定しているようなニュアンスを受け、矛盾しているのではないかな、と質問したことがあります。彼の回答は、体験の反復は良いと。彼の 文章題において絵図を描くことは実体験なんだと認識しています。そして、どんぐりの文章題では何回も同種の問題が反復されますね。これが私の息子には合い ませんでした。切れちゃうんですよね。またおんなじかよー、めんどくせー!オヤジの方も根気よく続けさせる気力体力無し。で、止めました。どんな方法論で も、つまるところ学習者と、そのサポーターに合うか合わないかで決まってしまいます。今は、とにかく、毎日一定時間、何事か学習を継続させること。このこ とのみ考えています。やっているのは小説の音読と書写のみ。これだけはやれ!最低限だから。最低限やるべきことをやらない者には、やりたいことをやる権利 はない!と、なかば強制です。音読の習慣さえつけておけば、中学に上がって英語が入ってきてもつながるかなと思っています。今の親は本当に子育てに神経質 ですよね。私もご他聞にもれません。でも、それは仕方がないと思っています。時代状況ですので。めいっぱい神経質に楽観主義でいく、という感じでしょう か。
●一言...「彼はシュタイナーの影響を受けており」ません。学習の入り口はシュタイナーも正しかったと言っているだけです。先(理論)がない。詳しくは →コチラとコチラとコチラ

【11947】ひきこもり暦22年さん投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月3日(土)03時21分46秒
>つまりどんぐり倶楽部に惚れ込んでもそんなに金はかからないということです。
■わかりました。私のレッスンの方がお金がかかりますね。データだけ売るのでないので、ごかんべんを。

>「米国国立精神衛生研究所のデータ」
http://homepage.mac.com/donguriclub/nature-vol440.html  ぜひこれを読んでいただきたいです。

■レッスンの後に、風呂に入り休んでから、どんぐり倶楽部をざっと読んだと同じ程度にざっと読みました。これは、脳のどの部分がどの年齢に急激に(あるい はゆっくりと)発達するか、あるいは急激に(あるいはゆっくりと)下向きになるかとということと、IQとの相関関係を研究したものだと思います。仮説とし て、なかなか魅力のあるいい論文です。しかし、しょせんIQ周りの研究であり、「豊かな心」とか「抵抗素」とか「思考の暴発」とは何の関係もないものでし た。そして、一応読んでみたところでは、「12歳=臨界期」などというものはこの論文にはありません。糸山氏はこの論文を援用して、「12歳=臨界期」を 言っています。真っ赤な嘘です。グラフのいくつかに「12歳」のところに注意すべきだとしたのか、それが調査した年齢(7歳から18歳だったか?)の中央 にあたるという意味なのか、年齢を示す「12」という数字が赤い文字になっています。(丁寧に読む時間があり、赤い文字になっている理由がおわかりになっ た方は私にお教え下さい。)提示されているグラフと論文の私の流し読み(私の辞書に載っていない脳科学や生理学の単語がいくつもあり、流し読みしかできま せんでした)によると、12歳のあたりに見当たる現象として、IQ的に超優秀な子供は、優秀児・普通児よりも、脳の発達が悪くなる=脳の特定の部位の濃さ の(増加)において追い越されるという現象は読み取れました。つまり、糸山氏が言っている「12歳」は、超優秀児(アメリカの論文の言葉では、 superiorintelligence)が、優秀児や普通児に追い越される年齢のことでした。
●おいおい、違うだろ!君は英語が読めないのかね。そして、このデータから何の分析もできないのかね。

■superiorintelligenceは中原中也やランボウのことを思えばわかるし、highintelligenceは小林秀雄あたりかもしれま せんね。normalは私であり、lowはうちの女房だと言えば、さしさわりがあるので、途中でやめときますが。中原の詩にあったと思います。「下手な (わかっていない)大人に早く手を入れられたかなしさよ」というような意味の詩句が。そういうと、糸山氏が言っていることと同じように聞こえるかもしれま せんが、まるで違うと思います。糸山氏は「12歳」が臨界期だから、12歳になる前に(早く)手を入れろと言っているのです。
●言ってないだろ。早く手に入れろではなくて、自然な流れ・成長の中ではそ の時期までにしかできない回路を、キチンと健全に育てろと言ってるの。勝手に言い換えるな。思考形態が変わるのも知らないね。歯の生え変わりとのリンクも 知らないね。乳脳と永久脳の機能的な働きの違いも知らないね。

■中也の詩集を持っている方が引用して下さればありがたく思います。私も持っているのですが、引っ越し後7、8年経つのに、出てきません。日記だけ出てき ました。いやあ、糸山氏は実にずるいと思いましたね。12歳の赤い字を、「赤信号」だとしているのです。そりゃ、そのあたりで「優秀児」や「普通児」に (脳の発達において)「超優秀児」は追い越されるのですから、「超優秀児」にとってのみ、「赤信号」かもしれません。「超優秀児」という一種のかたわにの み当てはまることを、糸山氏は日本の子供のすべてに当てはまるかのように「12歳」を設定し、「臨界期」だなどと嘘を言っています。詐欺です。
●おいおい、イイカゲンニシロよ。データ一つ全く読めないのか。「超優秀児」は追い越されるんじゃなくて、余裕があるので進化エネルギーを遅くまで使える ということだよ。全くお粗末な読解と解釈だな。君、「思考力」育ってないですよ。

■何が臨界期かよ。グラフはどれもゆるやかな弧を描いていらあ。「超優秀児」のグラフだけが、急激に下降線を描いているが・・・。
●臨界期の意味から勉強しなおしてきなさい。

■この研究が示しているのは、マザーグースの(歳をとればとるほど)「おいらますます馬鹿になる」(谷川俊太郎訳)ということでした。このことは普遍的 で、「超優秀児」も「優秀児」も「普通児」もみんなそろって馬鹿になるのです。(脳の部位のなんとかの濃度だけ見れば)その場合、とりわけ「超優秀児」が 馬鹿になるスピードは早いというだけのことでした。これはまた、「子供の頃は天才。大人になればただの人」と娑婆が言っている現象と同致します。
●違うだろ。果てしなく、データを読めないな。

■この研究の欠点は、lowintelligenceの子供を対象にしていないことです。superiorintelligenceと highintelligenceとnormal(だっけかな)intelligenceだけが研究の対象です。まるでlowintelligenceの 子供はこの世にいないかのような研究です。抹殺するかのようです。
●lowintelligenceのデータは豊富にあるんですよ。今まで、健常児のデータがなかったのでとったんです。データを取った大前提も知らないの か。不勉強すぎじゃないか?

■さすがに、中東の「子供」を、「生活」を平気で殺し潰す国の研究です。
●????別問題だろ。

>(引用)
「学力とは何か〜理解力・思考力・判断力の育て方〜」
1:「学力」とは何か
・「分かる」と「解る」
・「分かる」から「考える」へ
・指導者の根本的な誤り:思考停止状態を「深く考えている」という保護者
※「悩んでいる」状態と「考えている」状態は全く違う
・考え方を教えなければ学力は育たない(子供任せになってしまう)
※教育の大誤算1:知識を与えて考え方を教えない先生は「知識が増えれば考える力は自然に育つ」という根本的な間違いを平気で言う。
※肝心なのは考えるとはどうすることかを具体的に教えることである。
「全世界の言葉を全て知っていても考え方を知らなければ何も考えられない」「一言も言葉を知らなくても考えることは出来る」
2:判断力の素は幼児期の安定した感情である。
・「分かる」から「判断する」まで
 「分かる:理解するということ」→「考える:思考するということ」→「判断する:結論を出すということ」
 「イメージ再現」→「イメージ操作(移動・変形・連想・比較:予測・類推)」→「イメージの選択・抽出」
・選択したものを信じる力はどこから生まれるのか
・教育の大誤算2:比較できれば選択できると思っている。
※選択はどれを抽出するかの決断である。決断するには自分を信じる力がいる。
 自信(自分を信じる力)は自分の感情を信じることが出来る確かな体感イメージを必要とする。幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イ メージが判断力を育てる。幼児にとって「遊び・友達」が重要な理由である。
3:長期教育が失敗するとき(学力を育てられない教育)
<幼児期の失敗:知的系統的学習の失敗:知識が思考に繋がるという根本的な勘違い>
・安定した感情をもたせないと異常な判断をしたり、判断できなかったりする。
→安定した感情の養成は幼児期の安定した(十分に繰り返された納得できる)体感イメージを必要とするので本当の学力を育てたいのであれば幼児期に感情が不 安定になることはさせない方がいい。
→幼児期の知的系統的学習は最も害になる(感情の不安定を招く)ストレスを増加させる。
<児童期の失敗:速さが頭の回転を良くする「頭が良くなる」という根本的な勘違い>
・「考える」とは「どうすること」かを具体的に説明して考える練習(イメージ操作練習)をしないとどんなに「読み・書き・計算」を強化しても思考力は育て られない。
・イメージ再現しかしていない「分かる」までなら数をこなせば条件反射的にできるようになるが、肝心なイメージ操作は練習をしないと自然にはできない。様 々な体験の中から子供自身が考え方を発見して学力を自分で育てているのが現状である。全ての子供に学力を与えたのであれば学力そのものである考える力(イ メージ操作力)を育てなければならない。
(引用終わり)

■こういうふうにずらずらと並べられると、脅迫だと感じないですか?私はむかむかしてきます。
●気づかない人が多いからねぇ。

>糸山さんは幼児期と児童期を分けて考えています。幼児期の自発的な反復は重要と言っています。
■私は今までのところ読むことができていませんが、そう言っているのなら結構です。
●おいおい、結構ですで終わりか。いい加減だな。

■児童期に本当に必要なのは、私は素読だと思っています。それを無視し続けているから、日本はこれほどにもとち狂ってきたのだとも思っています。明治時代 の優秀な頭脳は、ほとんど例外なく江戸の末期に素読をほどこされています。それが現在に至るていたらくに導いたのは、大正デモクラシーに圧迫されて、ルサ ンチマンを抱え込んだ農本主義や軍部であり、明治の優秀な頭脳ではありません。暴発したのは、竹下夢二と百姓的感覚の関係ですかね。強制するのはいけませ んが、子供が受け入れるなら、素読を施してあげるのが一番だと今も考えています。「イメージの操作」なんかではない。じんわりとイメージを持つことです。
●これは、思考ではなく理解。「深く理解する=味わう」ということ。思考力養成の前段階です。これも説明してんだけどなぁ。で、大抵の人はそこで止まって る。わかれば考えられると勘違いしてる。君もそこまでか。

■じんわりとという意味では、「音読」(斎藤孝史)では駄目です。「素読」でなければ駄目だと思っています。素読はいずれ大人になったときに触れざるを得 ないものを、冷凍し、種とし、さなぎとするのです。だから、「抵抗素」を作れるのです。
●理解の素を育てるという意味では大いに有効です。が、思考ではないので、そのあとが偶然に委ねられます。偶然教育ではいけません。

【11948】matsuさん投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月3日(土)03時58分17秒
>『英語どんでん』で紹介された塾生(岡田君)の事例の背後に、根石さん自身の「嵐の一年」というような経験があったとは、驚きでした。もっとも重要な経 験についてはあえて触れないというのも、批評の極意でしょうか。

■岡田ねえ。岡田は東京にいるんだろうか。ちっとも遊びにきやしねえ。どうしているんだろう。サチコに聞けばわかるかなあ。
岡田について書いたところは、私は割と好きなので、そのうちに引用したいですが、なるべくなら村田君にやってもらいたい。(負担かけてばかりですまねえが やってくれませんか、村田君〜)

>ただ、あげあしとりかもしれませんが、「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」というのが糸山さんの言葉であるとしたら、糸山さんの考えが教育 の技術論、マニュアルであって、「思想」ではないことの証左だと思います。それが、いいとか悪いとか言うわけではありませんが。

■matsuさんは、私とまったく同じところにひっかかるのだと知り、これまたうれしくなりました。「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」とい うのは、どういう考えを考えることができるのか。
●考えてみなさい。

■糸山氏がなかなかいいなと思うのは、人間は言葉で考えるのではなく、イメージで考えるのだというところです。しかし、そのイメージ自体、言葉なしであり うるのだと考えているところがとても馬鹿です。糸山氏が、「思考」というレベルで想定しているイメージは言葉なしでありうるはずがないのです。
●あるよ。ただし、引っ張り出すのには、人間の思考には言葉が必要です。そ れは、言葉のトリガー理論で言っている。もうすこし、先まで来てくんないかなぁ。言葉とかイメージとかいうのはいいけど、なぜ、イメージではなく<視覚> イメージの再現・操作と言ってるのか分からないと無理だろうな。音だって匂いだって色だってイメージはある。だけど、視覚イメージなんだよ。この言葉に絞 るだけでも数年かかったけどね。そんなことにも気づかないんだろうな。

■私は糸山氏について、いいとか悪いとか言うわけですが、もし本当に「一言も言葉を知らなくても考えることが出来る」というのが糸山氏の言葉なのであれ ば、実に悪いものだと思っています。生まれたばかりの赤ん坊も、うんちやおしっこをして腰回りが不快だと泣きます。気持ちがいいとにこにこします。ウチの 猫も、外で喧嘩をしてきた時など、夢を見てうなされたり、うなったりします。しかし、これは糸山氏が言う意味での「思考」する時のイメージが動いているの ではありません。身体に基づいた直線的な「感覚」(の神経や苦痛の残像)が動いているだけです。
●だから、思考力養成に使えるイメージのことなの。君は匂いや感触で考えられるのかい?無理なんだよ。そんなことは、検証済み。だから、最初の本を書くと きにも、全盲の人にも取材した。視力がなくても視覚がある。そこで思考している。人間の思考形態は同じ。

■糸山氏がわかっていないものこそ、「イメージ」というものです。
●分かっていないのは、君の方。既に検証済み。君がいる場所は、私が30年前にいる場所。

■それが言葉をきっかけとして生じる面しか見ることができず、それを言葉が育て養うのだという面を見ることができていない。そうでなければ、「一言も言葉 を知らなくても考えることが出来る」などというような馬鹿なことを言うはずはないのです。
●出直してこい。

【11949】そらまめさん投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月3日(土)04時51分3秒
>もう一つ、根石さんに申し上げたいことがあります。糸山氏先生の「12歳が思考の臨界期」という理論は、アメリカの何チャラというデータに基づいている のではありません。糸山氏先生ご自身が目の前のお子さんを見て・感じた結果たどり着かれたものです。根拠は「目の前の子供」です。データはその理論を裏付 けする資料でしかありません。

■データの現物を読んでみましたが、とうていそうは思えないのです。
●全く読めていないからね。

■糸山氏が、「目の前の子供」だと受けのいいことを「言っている」だけです。私も12歳を過ぎた直後の子供を見ていると、「こいつら、一生のうちで一番気 違いの時期を生き始めたな」とは思うのです。そこらに何か節目があるのは確かです。人間の成長の結節点のひとつがあるのだろうと思っています。あくまで も、結節点の「ひとつ」が、です。しかし、そのことで、「12歳」までに思考の回路を整えなければとんでもないことになる(犯罪に至る)などと考えたこと はありません。これを脅迫だと読めない人は鈍いとも思っています。

■「思考」を教えるだの、「良質の文章問題」を与えるだのでどうにかなる問題ではとうていありえません。
●昔はね。でも、今はそうしないと危険なの。

【11964】matsuさん投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月4日(日)01時35分8秒
>みなさんが自分の子育てという目的のための方法論・技術論として、糸山さんの考えを実用的に使っているからだと思います。

■これはいいですね。そんなにお金がかからないようですから、どんどんやってもらっていいことです。糸山氏を「実用的」に使うのが一番いいと思います。あ の野郎のイデオロギーにアタマをやられさえしなければいいわけです。
●勝手に作り上げない。殆どの部分が君の勘違いから成り立ってる。データ一つ読めないのに、よく書くね。

【11969】matsuさんへ投稿者:らくだ投稿日:2007年11月4日(日)18時13分7秒
>ところで、どんぐり倶楽部から来られた方たちは、みなさん穏やかですね。
 強烈な皮肉ですね(笑)。私も含みますか?糸山さんについての発言で書き込みを始めましたが、私は「どんぐり倶楽部から来た方」ではありません。時系列 で言えば、素読舎を知ったのが先であり、その後、どんぐり、どちらも見ていない期間が長く続き、最近あるきっかけで吉さんのブログを知りました。そこで吉 さんが根石さんと糸山さんのお二人を師と思われている、ということを知ったという順序です。結果は吉さんが根石さんの元を去られるということになるわけで すが。

>みなさんが自分の子育てという目的のための方法論・技術論として、糸山さんの考えを実用的に使っているからだと思います。
「思想」に対して「方法論・技術論」、「何かを希求する」に対して「実用的に使う」という二項対立の捉え方は有効でしょうか?「実用的に使っている」方達 も、その多くが糸山さんの「思想」に共感を持ったからこそ、「使ってみよう」と思ったのではないでしょうか。であるからこそ、糸山さんの「思想」を思想と 呼べる代物ではない、ないし、間違った思想だと考える根石さんが糸山さんを断罪するのだと思いますが、いかがでしょうか。違いがあるとすれば「思想」に対 する共感の質と深さの問題ではないかと思います。

>この点でも、吉さんの糸山さんへのかかわり方というのは、ちょっと異質だなという印象があります。
それだけに、この点に同感です。糸山さんの「思想」に対する吉さんの共感がとても深いので、根石さんと決別することになってしまったのでしょう。実名公開 云々という別の問題があったかどうかについては分かりませんが。残念なことは、これは根石さんがコメントされていましたが、「辛い」とか「気持ち」とか、 吉さんの、それこそお気持ちは分かりますが、もう少し論を交えてほしかった、ということです。

【11970】らくださんへ投稿者:matsu投稿日:2007年11月4日(日)20時44分15秒
ご指摘、ありがとうございます。もし皮肉があったとしたら、自分の気持ちとしては、根石さんに対するものの方が強かった気がします。そんなに激昂しないで ほしい、と。広い意味で「思想」という言葉を使うなら、らくださんのおっしゃるとおりだと思います。ただ、僕が根石さんに対して使った「思想」とは、いい かえれば、本質論みたいなもののことです。根石さんの糸山さんに対する批判のポイントは、ここに言語の本質論、ひいては人間の本質論が欠けている、という ことだと思いました。(僕自身は、本質論を欠いたすぐれた実用思想というものはあるし、それへの深い共感も当然ありうると考えます。)あえて「本質論」対 「方法論」という二項対立を持ち出して問題を整理しようとしたのは、吉さんが、根石さんの激昂の理由を了解して、根石さんの語学論と糸山さんの教育論を自 分のなかですみわけてもてるような理屈を、示唆できるかもしれないと思ったからです。そうすることで、根石さんの信頼厚いパートナーに早く戻ってもらいた い、と。なんともおせっかいで軽はずみなことですが、そんなことをしようと思ったのは、僕が根石吉久の文学のファンだからだと思います。村上春樹ファンに しろ、吉本隆明ファンにしろ、ファン心理というものは身勝手でおっちょこちょいなものですから。

【11971】村田君投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月4日(日)23時25分31秒  編集済
>「体験の反復」…これ、ひっかからずに読んでました。
■私もアタマがはっきりしないまま書いていたなと思い直したところです。「体験の反復」はありうる(多くの職人が「体験」を反復している)のですが、「体 験」という語を無限定に使えば、なんでもかんでも「体験」になってしまうではないかというのが言いたかったことでした。自転車に初めて乗れるようになった 体験、糸山氏作成の良質の問題集の問題を解く体験というように、「体験」という同じ語が使えてしまいます。で、どっちも「体験」だとしてしまえるのが、こ の語が日本語としていまだ熟していないということだと思います。本当に熟した語を「・・」とすれば、「・・」という語は、自転車に乗れるようになったこと には使えるが、良質の問題を解くことに使ったら変だという具合に人々の間ですぐに了解が成り立つはずです。それを成り立たたせるうまい語が日本語にない。 ぴったりくる語がないことに糸山氏は乗じており、だからあんなあやふやなもの言いがまっとうなもの言いとして人々に受け取られてしまうのだというのが、私 の「激昂」の理由なのではないかと思っています。そこからもう一つ言えるのが、本当に人々が「言葉ではなくイメージで考える」なら、糸山氏なんかにアタマ をやられることは起こらないはずだということです。みんな詐術を含む「言葉」にやられてしまっているのです。らくださんがシュタイナーのことを書いて下 さっていますが、私はシュタイナーはまるで読んだことがなく、糸山氏がそれをどう援用しているのかよくわかりません。もしとんちんかんなことを言っていた ら指摘していただきたいとお断りしたうえで書くのですが、シュタイナーに「体感」を通じた教育のすすめというものがあるのかなと推察しています。それは簡 単な例で言えば、手で使うドライバーについて、「時計の針が動くのと同じ方向に回せばネジが締まる」という言葉として(知識として)教えるのではなく、実 際にドライバーを子供に持たせてネジを締めさせたり緩めさせたりするのがいいのだということなら、私はこれに何の異論もありません。ネジの成形によって、 まったくその逆のことが起こることを知るにも、「逆になるネジもある」という知識の言葉ではなく、実際にそのネジとドライバーを使って、右に左に回させる (体感させる)のが大事である、とか。それに異論はありません。どんどんやっていいことだと思います。その場合にも、素読を元に据えている私から言わせれ ば、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締まる」という言葉をすらすら言えるようになった子供に、 実際にドライバーを持たせて回させるというのがいいということです。
●体の制御はいいよ。それで。そんなことは当たり前だ。

■ドライバーを使ってネジを回させてから、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締ま る」という言葉を素読させるという順序でもいいが、言葉による知識と「体感」を通じた「体験」の両方を子供に与えるのがいいということになります。「体 感」と「知識」がつながらないというのが、現代の教育の最大の問題点だということには異論がないし、私のようなものにでも、それへの処方箋の一枚や二枚は あるのだということです。こういう実用に役立つ方面では、「ドライバーを時計回りに回せばネジが締まる」というような言葉はすぐに不要になります。子供は 「だって、体で覚えてるもん」と言うはずです。「言葉なんかなくたって、間違えない」というはずです。実用方面の知識では、すぐにそうなるが、実用するた めに非実用をくぐる必要がある算数数学、語学などでは、「言葉」はそんなにすぐに不要にはならない。また、「体感」を欠いているのが、現在の学校の授業で あるとか、「体感」欠如をさらに決定的なレベルに持ち込んでしまうのが、テレビゲームであるとかいうことにも私はまるで異論はありません。残酷なシーンが あるからテレビゲームをやらせたくないというよりも(それもありますが)、素朴なレベルでの「体感」を子供から奪うからやらせたくないと思うのです。映像 とイメージと刺激によって、素朴なレベルの「体感」が奪われるからであり、それが残酷なシーンを含むからではない。ぎりぎりの基底を求めるなら、そういう ことになります。そこから、再度、今の学校の授業なんてものは、本質的にはテレビゲームみたいなもんじゃないかという批判が立ち上がるべきなのです。それ を言わない。親も言わないし、現場の教師も言わない。それが駄目なんだ。だから、糸山氏が医者づらをして登場するんだということです。「体感」を通じたも のを「体験」と言うのなら、糸山氏の文章問題を解くことを、それと同じレベルで「体験」ということはできるはずがありません。糸山氏は、糸山氏作成の文章 問題を解くことのどこに「体感」があるというのでしょうか。
●だ・か・ら、その体験は自然の中での実体験に限るとしているし、「良質の 算数文章問題」でするのは、ある程度の感覚・感情の再現を伴う視覚イメージ再現・操作と言ってるよ。「「体感」がある」なんて言ってないだろ。そんなのあ るわけ無いだろ。思考力養成なんだからね。原形イメージは外遊びや生活の中でするのは大前提。言ってることが、お粗末すぎる。
●体の制御と頭の制御は育て方が違うんですよ。その理由も書いておいたけど読んでないんだろうね。既に混同してるからなぁ。
●基礎基本の勘違い
●教育という名の「犯罪」

■らくださんが書かれていましたが、糸山氏が糸山氏作成の文章問題を解くことを、「体験に似たもの」と本当に言ったとしたら、これは実にたちの悪いもの言 いだと思います。似て非なるもの、というより、本質的に違うものについて、「似たもの」などと言っているのです。米国国立精神衛生研究所でしたか、正確な 名前を忘れましたが、そこが出した論文を自説への援用に使う使い方がまったくの詐術であるのと同様の詐術がここにあるのです。糸山氏が使う「体験」という 語一つについて、これだけのことを考える人間がいるのだということについて、糸山氏はなめてかかっているのです。それがどれほどよくできたものであれ、算 数の文章問題を解くことが「体験」であるはずがない。それが体験であるとすれば、「問題を解くという体験」でしかない。
●当たり前じゃないか。ただし、解くときの中身が全く違うんだよ。それが、核心じゃないか。
●「体験に似たもの」→ある程度の感覚・感情の再現を伴う視覚イメージ再 現・操作を思考力養成にする。だから、原形イメージを再現して味わい感覚を思い出すことをできやすくしてある。この意味において、体験に似たものなんだ よ。机上の学習で、原形体験ができるなんてわけないじゃないか。それ(原形体験)を使う練習なんだから。呆れるくらい本当にわかってないね。

■それなら、他の問題集の問題を解くことと何の違いもない。
●違うでしょ!

■糸山氏作成の文章問題を糸山氏が自分で「これはとても質のいい問題なんだ」と言っている分には別に目くじら立てることはないのですが、「体感」を通じた 「体験」と同じだとか、似たものだと言い出すから、そこから詐欺が始まるのです。
●だから、違うって。勝手に進めてはいけません。

■糸山氏は、多分、いい問題を作れる塾のセンセイなのです。
●違う。

■だから、親は「実用」すればいいのです。
●ダメだろ。注意書きを読もうね。

■それだけのことなのに、調子に乗って、「イメージ」だの「体験」だのと、上等そうなことを言い、アメリカの論文なんかを自分の説の箔付けに使い、学力回 りの神経症に脅しをかけるあたりから、私の「激昂」になっていくのです。
●勝手に「激昂」してるね。

【11972】絵図投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月5日(月)00時08分58秒  編集済
■糸山氏は「絵図」があるから、自分のやつは他の方法とは違うと言うでしょう。そんなもの、私の「電話でレッスン」には「音づくり」の方法があるから他の 方法とは違うというのと何の違いもありません。
●全く違うだろ。音で思考力養成はできないよ。

■絵図は、考えをはっきりさせたり、整理したり、範囲を限ったりするために有効な補助手段ではあるでしょうが、それが「体感」を通じた「体験」と「似たも の」だなどと言い出すと詐術になるのです。
●お〜〜〜い。勘違いの重ね塗りはやめろよ。

■私の方法には「音づくり」だけではなく、「電圧装置」も「回転読み」も「切断読み」もあります。これらは、糸山氏の「絵図」と同じように、アタマの中で 泥みたいな考えをこねくり回すのを回避し、思考をより具体的にする方法だという意味でなら、ひとつひとつみんな具体化の方法です。それを無限定に「体験」 だとか、「体験に似たもの」だとかいうことを言ったことは私にはありません。そんな嘘はいやなのです。
●お〜〜〜い。大丈夫か?

【11977】らくださん投稿者:根石吉久投稿日:2007年11月5日(月)06時31分14秒
>私は数年前にシュタイナーの人智学およびその人間観・教育観と、糸山さんの「算数文章問題」との関係について質問しました。
<似ている>については、村田君宛の記事で書かせていただきました。考えが動いている最中のものは、本来書くべき人に向けてでなくて、他の人に向けても書 いてしまいます。失礼しました。

>・シュタイナーのいう反復や暗唱の重要性は単に反復するということではなく体験を積み重ねることで深めるということ。単なる繰り返しを意味してはいな い。

■シュタイナーだろうが、糸山氏だろうが、根石だろうが、コーチ側からは、そんな区別は成り立たないと思います。「体験を積み重ねること」と「単なる繰り 返し」の区別を成り立たせるのは、生徒側にあります。シュタイナーの反復はそんじょそこらの反復ではないなどということはない。反復は反復であり、シュタ イナーだから特別な反復になるわけがない。あくまでも生徒の興味がそれに向かうかどうかで決まるのだと思います。コーチ側が、生徒に興味を持たせるように 努力することは成り立ちますが、それでも興味が生じるかどうかは、あくまでも生徒側で決まります。興味があるなら、反復のたびに、微細な読みの違いを同じ テキストに対して付加するようなことが生じます。シュタイナーの反復だから特別な反復だなどということではなく、生徒が興味をもってやっていることだか ら、機械的な反復でなくなるわけです。百歩譲れば、それが「体験を積み重ねること」だと思います。私はそんなふうに「体験」という語は使いませんが・・。 微細な読みの違いを重ねていくことで深まるものがあるはずです。それを名付けようもありませんが・・。国弘正雄の「只管朗読」の回数が、数十回やそこらで なく、500回、1000回であることを指して、馬鹿げていると言った人が私の生徒にいましたが、馬鹿げているのはこの生徒の考えだと思います。私が実験 したところによれば、300回の反復には300回なりの習熟度があり、500回の反復にはやはりそれを上回る習熟度があります。機械には生じるはずのない 習熟が生じます。このあたりは、柳宗悦の民芸論がうまく説明できています。文章のタイトルをとっさに思い出せません。益子の土瓶絵を描くおばあさんについ て書いた文章です。思い出しましたら、書きますが、(掲示板の読者の中で)すぐにおわかりになる方は書いていただくとありがたく思います。そのおばあさん は、500回1000回どころではなく、同じ土瓶絵を何十万回も描いたのです。そこに、いかなる意図をも越えた美が生じているということに柳は着目しまし た。この美には、才能とか個性なんか何の関係もない、と。無心だけが生む美がある、と。単なる反復は駄目だなどというのは、貧乏くさい考えです。機械では ないのだから、人間は単なる反復などやることはありません。無理にやらせるから、単なる反復をやるようになるだけです。あるいは、50回だの100回だ の、けちくさい回数だから単なる反復をやるのです。益子のおばあさんのように、数十万回やるなら、単なる反復を続けられるものではありません。どうしたっ て、習熟し、洗練されて、美に至ります。私は貧乏ですが、考えが貧乏くさいのがとても嫌いです。糸山氏は貧乏くさいと思います。「単なる反復」が、多くの 人に意味があります。「単なる反復」が本当に単なる繰り返しになった生徒が、私のかつての数百人の生徒の中に一人だけいました。からっぽのドラムカンを ひっぱたいているように、音自体がからっぽでした。非常に不気味な思いを持ちました。そのことは忘れられません。反復という方法にではなく、その子のそれ までの家庭での生活に原因があるのだろうと思いましたが、それが何なのか今でもわかりません。
●まだまだだね。反復が有効になるにはステージがあるのだよ。音は簡単に反復できるから、味わうことに通じやすい。ただし、何度も書くが、理解力養成はで きても、思考力養成はできない。ステージが違うからね。

>・「とことん考える」ために「算数文章問題」をするのではない。これは「目で考える」練習。
・「目で考える」ことと「体験の反復」は似ている。

■この辺のことがおわかりでしたら、ご説明願いたいのですが。「視考力」だの「目で考える」だのが、何のことかいまだまるでわかりません。それが絵図が描 ける能力のことを言っているのだとすれば、考えが転倒していると思います。イメージによって、ある論理がつかまるから、それが絵図に描けるようになるので あり、目に見えるものになるのです。いきなり最初から目で考えているのではない。元になっているイメージの力は、目だけあっても動きはしません。言葉がそ れを養うから動くようになるのです。初源は、言葉なのです。
●おいおい、本当?自分の頭の中を、ゆっくり点検したほうがいいよ。

■不定形のイメージは犬や猫や生まれたばかりの赤ん坊の中にも動くでしょう。しかし、それが意識における一瞬の意味になり、絵図にしうるまでになるまで に、言葉が無数のイメージを養う過程があります。具体的なイメージはその無数のイメージから養分を得ていますが、どこかで必ず言葉を媒介にしているはずで す。
●それは、不安なときには音に頼るからだよ。音で視覚イメージを何度も再現させようとする。自信がない時もそうだね。絵図の中に書く必要のない文字や文章 を書く。

■「視考力」などという言い方そのものが、「過程」をすっとばした言い方なのです。だから、その他の糸山氏の言葉がすべて空疎なものに響くのです。
●おいおい、「視考力」を知らないで言うねぇ。

>> 親はコーチとしては、非常に多くの場合に不適です。
>それはおっしゃる通りだと思います。文科省がゆとり教育を打ち出し、今度はそれを否定する方向で右往左往していますが、ゆとりなど生ぬるいことを言わず に、学校教育を1/3ぐらいに縮小し、その分、税金を返してくれるとよいのですが。そうなれば、英語は素読舎で、運動はサッカーのクラブチームで、音楽は 地元の合唱団で...とでき、親が無理してコーチングなどする必要はなくなります。
■まったく賛成です。空回りの無駄なところ(学校の「体感」を欠いた授業)に国民の税金が使われ、糸山氏の「絵図」や、根石の「音づくり」に金が回ってき ません。(糸山氏には回っているのかもしれませんが、要するにまともに方法を追求した塾に回ってこないということです)。本論から外れますが、私は糸山氏 の「絵図」を使う方法を否定するものではありません。糸山氏の「言葉」や「イメージ」や「繰り返し」に関する考えが偽物だと言っているだけです。
●おいおい、勝手に勘違い解釈して勝手に偽物って言うか?

>>なんで小説なんか音読の対象に選ばれたんでしょうか。「音読」をやるのなら、エッセイがいいと思います。
>小説よりエッセイが良い理由を教えていただけますでしょうか。また、息子は小6なのですが、読ませると良いエッセイをいくつか推薦していただけるとあり がたいのですが。
■うまく言えるかどうかわかりません。書き言葉で書いたものは、自分にも向けられており、相手にだけ向けられている話し言葉よりも、「作り物」です。書き 言葉であるだけで、話し言葉の一重が壊れ、二重になっています。(この二重性は、話し言葉では、「独り言」に現れます。自分に向けてというベクトルと誰か 特定(不特定)の人に向けてというベクトルの両方が現れます。話し言葉が二重性を持つので、「芝居」っぽくなります。)小説は書き言葉という二重の言語を 使って、さらに「彼」だとか「彼女」を動かし、構造体を作るわけで、二重のものがさらに二重化されるジャンルです。エッセイは、二重の言語(書き言葉)を 使って、言説、感想などを、「書いている者のもの」として、一重にとどめるジャンルだろうと思います。そこが、構造として「素朴」です。小説では、書いて いる人がどこにどんな思いをして生きている人かは、作品の世界とは直接の関係がありません。エッセイは、そこが直接的で、子供に入りやすいと思います。 (おしゃまな物語り・小説大好き少女なんかは、このあたりの構造を苦もなく越えてしまうでしょうが・・。)で、人間は全員がおしゃまな少女なわけじゃない ので、構造として「素朴」なものを手始めとするのがいいのでは、と思ったわけでした。ふう。勢いにまかせて書いちゃうと、後で説明するのに、えらく苦労し ますね。具体的に何がいいのか。ちょっと思いついたのは、内田百間(間のモンガマエの中を、日ではなく月にするべきなのですが、パソコンが漢字変換しませ んのでお許しを)でした。昔、塾で「ノラや」を素読の素材にしたことがありました。文章が、子供にとって難度を含むものがいいと思います。難しすぎず易し すぎないのなら、何でもいいと思います。テキストの選択は、親が好きなエッセイということでいいのじゃないでしょうか。

>それともう一点、素読は意味の分からない文章を読む、音読は意味の分かっている文章を読む、という区別でよいのでしょうか?
■原則的にそう考えています。「意味の分かっているもの」というより、読めば(その子が)、すぐに意味が「わかるもの」が音読用のテキストなんだという区 別です。

>> じんわりとという意味では、「音読」(斎藤孝史)では駄目です。「素読」でなければ駄目だと思っています。
>音読はダメで素読が有効ということであれば、意味の分からない漢文とか古文とかの方が良い、のではないかと思ってしまうのですが。
■漢文(の日本語化した読み)を子供に読ませるというのが江戸時代の素読の多くを占めていたと思いますが、現代の素読というか、私が考えている素読は、 「難度を含むもの」をテキストにするということです。もちろん、漢文や古文も難度を含むというか、難度ばかりでできているものですから、それをやっていけ ないこともないのですが、最初にやるのは、「難しすぎず易しすぎず」がいいと思います。現代のものでもいいし、明治大正のものでもいいと思います。親が好 きなものがいいと思います。どうして難度を含むものがいいかといいますと、例えば、わかる部分半分、わからない部分半分のテキストで考えますと、子供はわ かる部分を使って、わからない部分をわかろうとするからです。「こういうことだろう」と思っていたものが、「反復」するうちに、「いや、ちがうみたいだ な、こういうことなんじゃないか」と読みが重複化されるからです。それがイメージ形成力を作ります。これは、素読のテキストではありませんが、「夕焼け小 焼けの赤とんぼ、おわれてみたのはいつの日か」という歌の文句の「おわれてみた」というのを私は大人になるまで、「追われてみた」と考えていました。大人 になってから、ああ、そうじゃねえんだ、子守の背に「負われて見た」のだと気づきました。「追われてみた」じゃ、えらく余裕のある赤とんぼになるな、「お い、追いかけてきてみな、追われてみてやろうじゃないか」というこにくらしい赤とんぼというか・・。そういうんじゃないんだ!で、この歌が文語の作詞でで きているのだということがわかり、その言葉の古さを味わうことに導かれたわけです。
●だから、理解までなら、これでもいんだって。全く同じ文を題材にして理解する(分かる)を解説したものがあるよ。→コチラ(格段に違うけどね)単なる言 葉(音)の勘違いのレベルの話ではないよ。

■私の友達は、「・・・、ああ、女学生」というような歌詞の、「女学生」が、「じょがぁくせー」と発音されるせいで、「じょ、っていったいなんだろう。ど うして臭えんだろう。どんなに臭えんだろう。じょ、っていうのはとにかく臭えわけだな」と真剣に悩んだと言います。「じょが臭え」だと思っちゃったわけで す。素読でも、テキストが難度を含むため、子供が勝手な解釈を施すことがあります。放っておけばいいのです。要するに子供の意識を???でいっぱいにすれ ばいい。そうすると、むむっ?と思って、読みの重複が往来します。正解なんか与える必要はない。そんなものはいずれ訪れてくる。(一生訪れて来ないなら来 ないでもいい!!!)それよりも、子供の意識を???だらけにすると、イメージの誕生を促すことになるというところに注目すべきだと思います。それが、 「難度を含む」ことの功徳です。すぐに正解に導きたがる学力回りの神経症の貧乏くささに比べたら、これはとても豊かなゆるやかな、たおやかと言ってもいい くらいの方法だと思います。

>>「なかば強制」の「なかば」をとった「強制の習慣」とならないことを願っています。
>「なかば」を付けた理由は、最低限の自覚は持っている意思表示のつもりです。「強制」と言えば、「素読舎っていう面白い英語塾があるんだけど、レッスン 受けてみるか?」も「え?根石先生が厳しいから、もう嫌だって?おまえ、そんな簡単に辞めていいのかよ。もう少し考えてみろよ」も強制と考えています。全 くの放任はあり得ない、という意味での「強制」です。釈迦に説法でした。

>ニュースになった医師一家の話は痛ましい事件ですが、あの家庭は極端な例だ、という気持ちと、全くの他人事と切り捨てることはできないぞ、という気持ち とがあります。

■ほんとうにそうですね。現代に子供を持った人たちが持つ不安を正確に言い当ててくださったと思います。

以上

糸山さん:視考力(目で考えること)の大切さ・楽しさ・ラクさを子供達に意識させると子供達は自力で成長することができるようになります。なぜなら、目で 考えることは誰もが生まれたときから最も頻繁に使っている最も簡単で効果的な学習方法だからです。幼児期に付けなければならない本当の学力とは視考力のこ とだったのです。私達は誰もがこの得意技を持って生まれているのです。産まれたばかりの赤ん坊でも、視覚系のメカニズムは大人と変わらないことが知られて います。ということは、視覚イメージでの思考を始めているということです。

根石さん:イメージによって、ある論理がつかまるから、それが絵図に描けるようになるのであり、目に見えるものになるのです。いきなり最初から目で考えて いるのではない。元になっているイメージの力は、目だけあっても動きはしません。言葉がそれを養うから動くようになるのです。初源は、言葉なのです。不定 形のイメージは犬や猫や生まれたばかりの赤ん坊の中にも動くでしょう。しかし、それが意識における一瞬の意味になり、絵図にしうるまでになるまでに、言葉 が無数のイメージを養う過程があります。具体的なイメージはその無数のイメージから養分を得ていますが、どこかで必ず言葉を媒介にしているはずです。「視 考力」などという言い方そのものが、「過程」をすっとばした言い方なのです。だから、その他の糸山氏の言葉がすべて空疎なものに響くのです。本論から外れ ますが、私は糸山氏の「絵図」を使う方法を否定するものではありません。糸山氏の「言葉」や「イメージ」や「繰り返し」に関する考えが偽物だと言っている だけです。
●イメージではなく視覚イメージと言っている理由。理解力と思考力の区別をしている理由を明確に意識すれば、少しは分かるのかな?怪しい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このあたりで、お二人の「言葉」と「イメージ」に対する違いがわかりました。わかるとは「言葉(文字)とイメージが一致した瞬間です。」ここは共通のこ と!!でも、「言葉」「イメージ」「繰り返し」のとらえ方の激しい違いがありました。私ももっと考えます。音を聞いて、多様な「イメージ」の中からつかみ 取るのが「言葉」と思いましたが、どうかな。9歳、10歳、12歳の年齢制限のあたりは、どうでもいいというかあんまり気にならないといえば嘘だけど。過 去の糸山氏先生関連では9歳という記載、先日テレビでやってたのは10歳、この掲示板では12歳・・・やにわに「せかされて」「あせらされて」しまうのは 確かだな〜〜〜〜育児ははじめてのしかも責任ある経験だからね、誰かを頼りたくなってしまいませんか?それから、「視考力」という造語を使うときにかなり 言葉に対して乱暴になってるという気がしてしまいました。
http://homepage.mac.com/donguriclub/trigger.html
上記urlから引用
視考力(目で考えること)の大切さ・楽しさ・ラクさを子供達に意識させると子供達は自力で成長することができるようになります。なぜなら、目で考えること は誰もが生まれたときから最も頻繁に使っている最も簡単で効果的な学習方法だからです。幼児期に付けなければならない本当の学力とは視考力のことだったの です。私達は誰もがこの得意技を持って生まれているのです。産まれたばかりの赤ん坊でも、視覚系のメカニズムは大人と変わらないことが知られています。と いうことは、視覚イメージでの思考を始めているということです。ですから、言葉を知らなくても「分かる=見える」のです。学習にこの得意技を使わない手は ありません。鳥は翼を使って飛ぶことで本領を発揮します。人は視考力を使って情報を処理することで本領を発揮するのです。
終わり

 言葉を知らなくても「分かる=見える」かぁ〜〜〜。わかるとは「言葉(文字)とイメージが一致した瞬間です。」ってどこかで書いてあったんだけど、それ を書いた人が、そんなこと言っちゃっていいのかな〜〜〜〜矛盾してませんか。
●おいおい、理解と思考は違うって!まず、最初の一歩をシッカリ踏み出せよ。

 それから、「視考力」という造語を作り出した糸山さんに、無いものは、「音」なんだろうな。
●音はトリガーにすぎない。様々なイメージを引っ張り出す。しかし、その中 で思考に使えるのは視覚イメージだけなんですよ。本体を操作できるようにすることが思考力養成なんです。でも、感情や感覚再現も同時にしないと、感情がつ ぶされる、だから、「良質の算数文章問題」を作ったんですよ。

 根石さんは「音」があり、逆に「絵」は無い。言葉がつむぎだすイメージはあるだろうけど。対象とする「畑」が違うのかな?と思う。だから、相容れないの は仕方ないのか??でも、わかるとは「言葉(文字)とイメージが一致した瞬間です。」ってのは一致してる。
●当たり前、彼は「深い理解」で止まってるからね。

 う〜〜ん。先日中国の小学校算数教科書を見る機会があって、パンダとか、目があまりでかくない子どもの絵とかかわいらしく、疲れずに眺めていたのだけ ど、いくら絵が書いてあっても、中国語がちんぷんかんぷんで、設問が全然理解できなかった。趣旨から外れるかもしれないけど・・・言葉を知らなくても「分 かる=見える」 とは言い切れないんじゃないかな〜〜。でも、どんぐり倶楽部の問題は好きです。すこしづつ親子で解いています。ただ、疑問を持ってしまい ました。言葉を知らなくても「分かる=見える」ってどういうことなんだろう?

掲示板から引用
素読舎の小学生用の練習投稿者:根石吉久投稿日:2011年3月9日(水)21時54分15秒    編集済
■素読舎の小学生用の練習は、日本語の練習の要素が大きいことについて、江戸の母さんが書いておられますので、これにお答えしておきます。素読舎の語学論 は、英語の学習法について論じてきたものですが、実は、英語という個別言語、日本語という個別言語を突き抜けています。例えば、音とイメージの関連を述べ る場合、そのこと自体は、英語にも言えることであり、日本語にも言えることです。ヒンドゥー語にもポリネシア語にもドイツ語にもフランス語にも言えること です。この地上のどこに住んでいる人にも言えることです。逆に言えば、学習者にとっての音とイメージの前後関係や相互関連をきちんと把握できれば、そのこ とは日本語の練習にも英語の練習にもその他の言語の練習にも「同時に使える」ということです。そして、そのことこそが日本の小学生の練習にとって必要なこ となのではないのでしょうか。音とイメージの間のダイナミクスは、言語の練習だけでなく、学校の他の科目にも使えるのです。根底にあるのは、「音」と「イ メージ」という普遍性ですから、あらゆるところに静かに影響していきます。しかし、子供の中に音に対応するイメージを作り出すなどということは誰にもでき ることではありません。ある具体的な文における一単語の音がどういうイメージを喚起すべきなのか大人がわかっている場合、そのイメージとまったく「同じも の」を子供の中に喚起する方法は「ありません」。この場面で、説明というものはまったく無力です。説明してわからせようとすれば、「そのことによって」イ メージが「同じもの」では「ない」ものに変わってしまうからです。
●全く同じなんてのはそもそもない。それでもいい程度の意思疎通しかしていない。

■大人が説明して子供が持つようになるイメージ。これは、テスト用の知識に近いものです。子供が誰に説明されたわけでもなく自分でつかんだイメージ。これ は、判断力の元になるようなものです。この二つはすでに違うものです。根底からして違うものです。大人が子供に対してやれることは、子供が自分でイメージ をつかみに行く場合に、「邪魔になるものを取り除いてやる」ということだけです。素読において「すらすら読めるようにする」ということは、「邪魔になるも のを取り除いてやる」をしているのです。逆に言うと、「すらすら読めない」ということが「邪魔になるもの」そのものなのだということになります。「すらす ら読めない
 


【18474】

(無 題)

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月 4日(水)10時03分25秒
編集済
  http://homepage.mac.com/donguriclub/sodoku.html
を読んで、仕事の最中、もやもやした気持ちがどうも抑えられられず、書いてしまう。

このページの書き手は所詮、テスト用紙限定のことを言っているに過ぎないのではないか。
「心」と「思考」をなぜ切り離すのか。切り離すことなんかできないじゃないか。

>■しかし、それができていくのは「12歳」で終わりであり、以後は別過程だとされるなら、60に近くなってきた年齢で、「子供大人」の一人をやっ て公開している私としては、ふざけんじゃねえぞこの野郎、としか言いようがありません。「思考能力の祖型」ができるのは、7,8歳の場合もあるだろうし、 12,3歳の場合もあるだろうし、16,7歳の場合もあるだろうし、いずれどこかにあるだろう。しかし、それ以後にだって、それまでに存在しなかった思考 回路に新たな血管が形成され、そこに血が通い始めることはある。そうでなければ永山則夫が人の気持ちがわかるようになったということはどういうことになる のか、まったく説明がつかないではないか、と。

根石さんのこの文章に対して、

●簡単につく。だって、それは、思考ではなく、感情だからね。感情を受け止めることが出来るようになったってこと。

こう答える感覚にはまったく共感できない。心と「思考」は機械の部品のようにわけることのできるもんなのか。
理解力の先に思考力があると言っても、そんな「分離可能」なもの、テスト以外で通用するか?学校関係以外で通用するか?

私は自分で自分を育てる力を根石さんから受け取っていると思うし、生徒にその力をつないでいこうとしている。
私は学校のテストで頭をやられたところもあるかもしれないけれども、自分がやられているかもしれないということはわかるようにはなった。

素読舎の方法は、学校関係のテストの枠なんか食い破る力を生徒の中に育てるんだ。

 

【18475】

ご 案内

 投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 1月 7日(土)01時32分47秒
  https://www.facebook.com/pages/%E7%B4%A0%E8%AA%AD%E8%88%8E/273722082683827?ref=pb  

【18476】

「お 願い」「規約」

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月 7日(土)20時41分36秒
  素読舎の「スカイプ でレッスン」を使っていただく方に
 ・・・「ジャンプ」の条件、「無料過程」へ進むための条件、その他

<お願い>

1.
大事な連絡は掲示板で行われます。掲示板「大風呂敷」と「素読舎連絡専用掲示板」を読んでいていただくようお願いします。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
http://9310.teacup.com/sodokusharenraku/bbs

月初めに、最新版の規約を含むものが掲示板に掲載されます。

2.
レッスン代金は、「その月のうちに」お願いします。(例。5月分は5月のうちに。)これは、そうしていただかないと「二人一枠維持基金」の口座へのお金の 出し入れが非常に煩雑になるためです。よろしくお願い致します。

3.
事情があり「その月のうちに」払っていただけない場合は、「連絡専用掲示板」にご連絡いただくようお願いします。

4.
素読舎のレッスンには、「有料過程」と「無料過程」があります。「音づくり」を必要とする段階、「イントネーションの自己決定力」が弱い段階、「音とイ メージの同致」が実現していない段階の練習は「有料過程」となります。「無料過程」に進むには、「無料過程」に進むための条件があります。

◎以下の条件が満ちている場合、「無料過程」を使うことができます。

●「ゴースト」の音読が、コンスタントに12ページ10分以内で終わること。
●週二回以上、「自立練習」をすること。
●ポイントがプラス1以上であること。

(「無料過程」を使う場合は、1年につき1ポイントが必要です。ポイントをプラス1以上に維持することで、「無料過程」を使い続けることができます。ま た、「無料過程」を使っていただく間も、「二人一枠維持基金」の月額1000円は必要になります。)

5.
「無料過程」を希望する場合は、その旨申し出ていただくようお願いします。

6.
入塾時、ポイントはゼロです。新しい塾生を紹介していただくと、3ポイントがプラスされます。(被紹介者がレッスンをやめられた場合は、2ポイントがマイ ナスされます。)

素読舎のレッスンをお使いいただき、お金を無駄にすることのないレッスンだと確信できた場合は、是非周りに話していただき、新しい生徒さんをご紹介いただ くようお願い致します。

(ポイントは素読舎が管理しますので、ご自分のポイントを確認していただく場合は、村田コーチまでメールでお問い合わせ下さい。「素読舎連絡専用掲示板」 から、村田コーチへメールが送れるようになっています。)

7.
素読舎のレッスンには「一人一枠」と「二人一枠」があります。レッスン代金は一枠12000円です。「二人一枠」で使っていただくと、6000円で使って いただくことができます。「二人一枠」を作るには、練習力を揃える必要があります。レッスンを始めていただく時点で、お知り合いを誘っていただく等してい ただけば、最初から「二人一枠」で使っていただくことができます。その場合は、「紹介者」と「被紹介者」をはっきりさせていただきます。「紹介者」に3ポ イントがプラスされます。

8.
「一人一枠」で始められた方で「二人一枠」を希望する方は、コーチにその旨お伝え下さい。

9.
レッスン代金は次の通りです。
「一人一枠」一人月額12000円。
「二人一枠」一人月額6000円。
(一枠、週一回三〇分、月額12000円)

10.
「二人一枠」が壊れた場合にただちに「二人一枠」を作り直そうとすると、素読舎側に煩雑な手間が生じます。それを避けるために「二人一枠」が壊れた場合に も、お持ちのポイント数によって、一定期間「二人一枠」のレッスン代金で、「一人一枠」が使えるようになっています。規約の「3」をご参照下さい。

11.
「10」を可能にするために、「二人一枠」をお使いになる方には、「二人一枠維持基金(月額1000円)」をお支払いいただいています。

12.
「無料過程」は、英語の練習と英語力を「私物化」しない方にお使いいただきます。「二人一枠」でお使いになる方が、「無料過程」に進むことができます。

 素読舎は「ジャムセッション」を構想しています。「ゴースト・音読終了者」がメンバーになるものと、「七年目の浮気・音読終了者」がメンバーになるもの の二つがあります。「七年目の浮気・音読終了者」は、申し出ていただくだけで素読舎のコーチができます。また、ヴォランティアとして、素読舎作成の教材を 使って英語教室をやっていただくこともできます。(個人的に有料の英語教室を開かれる場合は、「教材使用料」をいただきます。これは現在、村田コーチの 「素読舎戸倉分室」に適用されています。)

 「無料過程」を使っている間に、「コーチ認定用音読チェック」を受講できます。こちらは有料になります。「コーチ認定用音読チェック」で認定されること は、「七年目の浮気・音読終了者」になることと実質的に同じですが、そのレベルに到達するまでの時間が短縮されます。「ジャムセッション」のグループに参 加できますので、コーチになろうとする方でなくても受講をおすすめします。(「ゴースト」で行っているのと同様のレッスン形態を継続し、「7年目の浮気・ 音読終了」に至るコースもあります。)

 「ジャムセッション」は、教材のどこを使っていただいても結構です。一切無料です。素読舎在籍中の「無料過程」のようにポイントによって期間が制限され ることもありません。

「ジャムセッション」のメンバーからのカンパは喜んでお受けします。

 将来的には、「無料過程」は「ジャムセッション」に統合するかもしれません。その場合は、「ゴースト」から開始し、「七年目の浮気」まで音読が終了した 方のみが、「ジャムセッション」のメンバーとなることができます。「ゴースト・音読終了」のレベルに「無料過程」および「ジャムセッション」を設置するの は暫定的なものであることをご承知おき下さい。(しばらくの間、「ジャムセッション」参加のレベルを低く設定しておくということです。)

 「ジャムセッション」は、素読舎から独立したグループです。(規約、ポイント制の制約もありません。作る場合は独自に作っていただきます。)ここに、素 読舎コーチも参加します。
・毎回自分の都合のいい曜日・時間に掲示板で練習の相手を募り練習します。練習相手は固定される必要はありません。

 「ジャムセッション」のメンバーには、練習の様子、英語の変化等を掲示板に書いていただくことを希望します。できれば、「ジャムセッション」専用の掲示 板を設置していただくことを希望します。「無料過程」のように、「月に1度」は書かなければならないというような制約はありません。

 「ジャムセッション」は素読舎の過程を終了した人たちのグループと考えていただいて結構です。英語力を「作る」ことより、「維持」することに力点が移っ た人のグループです。ただし、「有料過程」の人たちよりもレベルの高い練習をする人のグループであるという理念は自分の中に置いていただくよう希望しま す。

 素読舎の「無料過程」は、「ジャムセッション」で練習するための「準備期間」だとお考え下さい。「私物化」された英語は、少し練習を中断するだけで簡単 に錆び付いてしまいます。練習相手を求め、自分の英語を絶えず「場」にさらしていることが必要です。このことによって、「磁場」に入ればただちに「充電が 起こる」レベルの英語を維持することができます。「私物化」は「言葉」にはなじみません。
 「ジャムセッション」は、英語の「磁場」ではなく、あくまでも練習の「場」です。ネット上の「道場」と言っていいかもしれません。日本在住の英語にとっ て、無料で使えるこういう「練習場」がこれまでありませんでした。「ジャムセッション」が成り立てば、英語力を「維持する」ことに狙いを定めた「英語道 場」が誕生します。おそらく日本には、他にどこにも見当たらないようなものになります。

 素読舎に新しい塾生をご紹介下さることは、自分をも知り合いをも「道場」の方向に押していくことになり、そういう「道場」の誕生に協力していただくこと になります。根石が収入の上限を限り、コーチを育て、横への拡がりをはかろうとするのもそのためです。

13.
最初から「道場」を誕生させることに興味はないという方は「一人一枠」でお使いいただきたくお願いいたします。継続的に「一人一枠」でお使いいただく場合 は、「無料過程」に進むことはありません。ポイントの増減もありません。

14.
「一人一枠」で開始し、途中から「二人一枠」を希望する場合は、「二人一枠希望者リスト」に枠名(曜日、時間帯)と名字のイニシャルを記入し、掲示板に公 表します。空き枠を作らないことを条件に、なるべく早めに「二人一枠」を作るようにいたします。

「二人一枠」を作る際には「練習力の釣り合い」が最も大事な条件になります。それを基準とし、素読舎がペアの相手をご紹介します。曜日、時間帯の都合等が おありでしょうから、なるべく生徒同士の話し合いで決めていただきます。他の生徒も話し合いに参加できるよう、話し合いは掲示板上でお願いします。

15.
「一人一枠」での練習は、曜日・時間帯の都合が素読舎側と生徒側で合いさえすれば継続が可能です。

16.
「二人一枠」は壊れやすいものです。曜日・時間帯が合わない場合、生徒さんの一人がレッスンをやめる場合、二人の練習力の釣り合いがとれなくなった場合、 「二人一枠」 は壊れてしまいます。「二人一枠」を組んでいる生徒さんどうしで話し合っていただくなど、協力し合っていただくようお願いします。

17.
「二人一枠」維持については、なるべく、一人一人の生徒さんの希望を大事にしますが、すべての希望に沿えないこともあることをご承知下さい。

18.
基本的に、「二人一枠維持基金」は「空き枠」が埋まらない期間、「空き枠」による収入減を防ぎ、語学論の充実、教材の作成に支障がでないようにするための ものです。

また、「無料過程」へは「二人一枠」の枠ごと移動しますが、一人だけ条件が整っている場合は、条件が整っている一人だけが「無料過程」に進むこともできま す。その場合は、「無料過程」の生徒さんに対してもコーチ付きのレッスンが継続されますので、「無料過程」を使う生徒さん一人分の6000円 は、「二人一枠維持基金」から充当されます。

19.
ポイントは、基本的に「有料過程」から「無料過程」へ進む場合、教材の中で練習場所を「ジャンプ」させる場合などに使われます。どの場合にも、それを可能 にする「イントネーションの自己決定力」が前提条件になります。

20.
ポイントを数えるときに、例外的に「二人一枠使用者の合計ポイント」で算出することがあります。

21.
「二人一枠」は、生徒数が少ないほど作りにくくなります。曜日・時間帯の都合が相互につけにくくなりますし、生徒間の「練習力の釣り合い」がとれないこと によっても「二人一枠」が作れないことが起こります。
素読舎のレッスンをお使いいただき、間違いなく英語力を変えることのできるレッスンだと確信できた場合は、周りに話していただき、新しい生徒さんをご紹介 いただくようお願い致します。特に、「二人一枠」を使われる生徒さんには、このことを是非お願い致します。

新しくレッスンを始められた生徒さんに、掲示板、ホームページ、パンフレット等のどの記事を読んでレッスンを開始したのかをお聞きします。生徒さんが書い た記事によって、新しい生徒さんがレッスンを開始したことが判明した場合には、記事を書いてくださった生徒さんを「紹介者」とします。

周りに直接声をかけることができない場合は、レッスンの感想、自分の英語の変化等を掲示板に書いていただきたくお願いします。いい記事をいただけた場合 は、素読舎のホームページに転載させていただきます。

22.
レッスンを受けることを希望されても、曜日・時間帯等の折り合いがつかず、レッスンが開始できない場合があります。その場合は、「レッスン受講希望者リス ト」にお名前を加え、掲示板上には、県名と名字のイニシャルで公表させていただきます。すでにレッスンを受けておられる生徒さんに枠(曜日、時間帯)を 譲っていただくなど、都合をつけていただくためです。なるべくお互いに「素読舎連絡専用掲示板」で、話し合っていただくことを希望します。

23.
練習力が釣り合う相手がみつかり、ポイントの低い人がポイントの高い人を「またぎこして」「二人一枠」を形成する場合は、またぎこす人のポイントが1ポイ ントマイナスされます。「二人一枠希望者リスト」では、各希望者のポイントが公表されます。

24.
「二人一枠」を形成する場合、素読舎側に手間が生じないで形成できた場合は、ポイントの変更なく「二人一枠」を使うことができます。素読舎側の手間によっ て形成した場合は、それぞれの生徒から1ポイントがマイナスされます。ポイント数は、「二人一枠」解消に直接的に使われることはありません。(「二人一枠 維持基金」がクッションとして使われます。)

25.
1ポイントで1回、教材の使用箇所を「ジャンプ」することができます。(ただし、それに必要な「イントネーションの自己決定力」が備わっていることが前提 となります。その判断はコーチにお任せください。)

26.
レッスンを休まれる場合は、「素読舎連絡専用掲示板」にご連絡下さい。ネットにつながらない等の事故の場合は、他の生徒さんに電話で依頼していただくので も結構です。無断欠席は1ポイントがマイナスされます。くれぐれもご注意下さい。

------------------------------------

<規約>

1.
規約は暫定的なものとし、使いながら改訂を続ける。

2.
改訂する場合はなるべく生徒の意見を考慮する。

3.
「二人一枠」を使用中に、一人の生徒が「一人一枠」を希望する場合や、一人の生徒がレッスンをやめる場合がある。以下の規定に従う。

(a) ポイント6以上を持ちながら、「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、1ポイントを使うこ とで、1年間を限度に7千円(6千円+「二人一枠維持基金」)で「一人一枠」を使うことができる。
一年後、「練習力の釣り合い」を第一条件に、他の「二人一枠」を解消し新しくペアを作る。他の「二人一枠」が、ポイントがプラス数値である人とポイントが ゼロまたはマイナス数値の人であった場合は、ポイントがプラス数値の人と新しいペアを組む。「二人一枠」の二人ともプラス数値であった場合は、ポイントの 多い人と新しいペアを組む。「二人一枠」を新たに作る努力は素読舎側で行う。
 解消候補の「二人一枠」の二人がポイントが同値であった場合は、話し合いで解決する。

(b) 「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、ポイント1〜ポイント5に該当する人は、半年間を 限度に7千円(6千円+「二人一枠維持基金」)で「一人一枠」を使うことができる。半年後、ポイントが1ポイント分マイナスされる。素読舎側で、「二人一 枠」を作る努力をする。

(c) ポイントがゼロで「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、3ヶ月を限度に7千円(6千円+ 「二人一枠維持基金」)で「一人一枠」を使うことができる。3ヶ月で、ポイントが1ポイント分マイナスされる。素読舎側で、「二人一枠」を作る努力はしな い。

(d) ポイントがマイナス数値で「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、「一人一枠」へ移行す る。ポイントは変化しない。素読舎側で、「二人一枠」を作る努力はしない。

・(a),  (b),  (c)  に該当する場合、それぞれの期間、月額6千円を「二 人一枠維持基金」から取り崩す。

・「二人一枠」の組み替えによって生じる「一人一枠」に対しても、上記 (a),  (b),  (c),  (d) が適用される。

4.
「二人一枠維持基金」が底をつき、空き枠が埋まらない場合、枠の合計ポイントのもっとも少ない「二人一枠」を解消する。

5.
「二人一枠」を希望する場合は、「二人一枠希望者リスト」に登録する。「二人一枠希望者」は、枠名(曜日・時間帯)とイニシャルで掲示板上に公表する。な るべく限度期間内に掲示板上で生徒同士で話し合い、「二人一枠」を形成する。その際、素読舎は「練習力の釣り合い」という観点からアドバイスする。アドバ イスはポイントに影響しない。

6.
「無料過程」を希望する場合、掲示板上でポイント数を公開する。
「無料過程」を希望しない場合、ポイント数は公開されない。
「無料過程」を使用する人は、「自立練習」の報告の他、自分の英語の変化等「文章で」掲示板に掲載し続けることを課す。「文章で」の報告は、月に1度を目 安とする。1ヶ月以上報告がない場合は、1ポイントをマイナスする。

コーチ付きでない「無料過程」の練習を休む場合も「連絡専用掲示板」に連絡する。

7.
コーチが複数いる場合、幹側のコーチから枝側のコーチに生徒を預ける。幹側のコーチとは枠数を維持する段階に入ったコーチ、枝側のコーチは枠数を増やす段 階にあるコーチとする。幹側のコーチに必要な条件は、語学論が書けること、教材を作成できること、塾の運営ができることとする。

8.
「空き枠」という考えは、幹側のコーチの枠にのみ適用される。

9.
幹側に「空き枠」が生じ、枝側から生徒が戻れない場合については、コーチ間の話し合いで解決する。話し合いの結果は公表する。

10.
コーチおよびコーチ希望者は、それぞれが分担するネット上のホームページ、ブログなどを充実させる。

11.
月初めに、最新版の規約を掲示板に村田が掲載する。
ポイントの集計、「無料過程希望者」のポイントの公表などは村田が行う。

12.
月初めに「二人一枠維持基金」の集まった額、集まっていない額を村田が根石に確認し、掲示板に公表する。

集まった「二人一枠維持基金」は根石から村田に渡し、村田が口座に入れる。

空き枠が生じた月は、「二人一枠維持基金」を村田が取り崩し、根石に渡す。

12.
「二人一枠希望者リスト」「レッスン受講希望者リスト」の作成、公表は月初めに村田が行う。

13.
「ジャムセッション」を使う生徒の中から積極的に「コーチ希望者」を募る。

「コーチ希望者」に対するレッスン内容は、通常のレッスンにおける「音読」部分のみとする。

コーチとして認定する基準は、「七年目の浮気」の音読12ページをコンスタントに10分以内に終わらせる練習ができることとする。

 

【18477】

土 曜11のレッスン・コーチ用音読レッスン

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月 8日(日)01時05分37秒
  年末年始はどうして も普段より練習時間が減ってしまいます。
2日前から今日の音読レッスンに向けて口を作ってきました。レッスンがあるのとないのでは、緊張感が違います。1回レッスンがないだけで、少し筋肉がな まっているのを感じます。
音読の時間は自分がどれだけ調べてあるか、練習してあるかが問われるので、半端ない緊張感があります。「より強く、よりはっきりと」を第三者(コーチ)の 目が厳しく見ています。この瞬間は、日本在住で英語を学んできた人たちは、おそらく今まで誰も体験していないんじゃないかと思います。休みをはさんだこと で、そう感じることができました。

自分が言いにくい文は他の人も言いにくいんだと思った文があったので、書きとめます。

Mama took the money that she made in the oil wells and she sunk it into gas pumps.
(she sunk it into の部分が言いにくい)

All your anger, all your love, all your hate, and push it way down here into the pit of your stomach and then let it explode like a reactor.
(前半の長い部分にひとまず区切りがつき、少し緊張が緩んでしまうと、and then let it explode の and then let の d, th, n, l の連続で力が出なくなり、let it のリエゾンが非常にできにくくなるような気がする)

 

【18478】

英 語嫌い人さん

 投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 1月 9日(月)18時57分39秒
  二日ほど前、スカイ プでこちらを呼んでいただいているのがわかったのですが、すでにレッスンが始まっていましたので、切断させていただきました。
その日、レッスン修了後、こちらからお呼びしようかと思っていたのですが、疲れてしまったので早めに寝てしまいました。お許しの程を・・。
 

【18479】

根 石さん。

 投稿者:英語嫌い人  投稿日:2012年 1月10日(火)04時22分19秒
  いやあ、呼ばれてる のかと思い違いしまして、途中で、あ、レッスン中だときづいたのです。
わたしも、すぐ寝てしまいましたけど。では、またの機会に。。
 

【18480】

太 宰治のことば

 投稿者:馬の骨  投稿日:2012年 1月14日(土)20時23分46秒
  「過ぎ去ったこと は、忘れろ。 さういっても、無理かもしれぬが、 しかし人間は、何か一つ 触れてはならぬ深い傷を背負って、 それでも、堪えてそしらぬふりをして 生きているのではないのか。 おれは、さう思う」


「他の生き物には絶対に無くて、 人間にだけあるもの。 それはね、ひめごと、というものよ」

 

【18481】

さ らなる指示

 投稿者:Naima  投稿日:2012年 1月15日(日)01時00分45秒
編集済
  今 夜のレッスンで、村田さんに「普段より1割がた口を大きく動かして」という指示が出ていました。村田コーチのように良くつなげることの出来る方でも、口が 慣れてきたものは放っておくと力が弱くなりがちなので、それを意識的に1割がた大きく動かし、1割がた普段より力を入れるようにという指示を出すのだそう です。

最近私は練習時間があまりとれないので、予習で量をこなすことが出来ません。それでちゃんと音が出せているか確認しながら丁寧に読むことにしています。私 も最近よくつながる文章になると、つい口の動きが甘くなるのを感じていましたので、この指示の意図するところは良く理解出来ました。

レッスン後、根石さんよりレッスンの際の指示の出し方について、以下のような説明を受けました.

通常のレッスンでは、良くつながっているということと、強くはっきり言えるということが両立している時は5回繰り返して言ってもらい、良くつながってはい るが強くはっきり言えていない時は10回ほど言ってもらいます。この2つは合格とみなします。

ただし5~10回へ言っている間に,自分から強くはっきり言うことに踏み出さない場合は20~30回ほど言ってもらいます。これは不合格です。1人枠の場 合には徹底的に繰り返してもらうことが出来ますが、2人枠の場合には相手の練習時間を奪うからです。

またつながらない場合にも20~30回言ってもらいますが、これも不合格とみなす。20~30回繰り返す中で、つながっていない文や言い間違えている文は 回数には入れず、ちゃんとつながっている文だけを回数に数えます。

今夜の村田さんへの指示は、すでに良くつながっているけれども、強くはっきりという部分が弱い場合に出されます。長くやっていて良くつながるようになった 生徒さんにも起こりやすい現象だとのことです。上級者の音読で「はっきり」を実現させるために出される指示です。普段あるいはその日にやった生徒の口の動 かす範囲よりも、口の動く範囲の広さ大きさを1割程度広げろ」と指示します。そうするとつなげて言えていたものがつながらなくなるので、それを防ぐために 「力も1割ほど強く入れる」ように指示するとのことでした。

さて、私の場合は「まだゴースト一冊を終えていないので、まだこの指示は出さないが、いづれその内に出す」とのこと。覚悟しときます。今年は「七年目の浮 気」に入れると思うとわくわくします。

今年もどうぞよろしくお願いします。
 

【18482】

11 時からのレッスン・コーチ用音読レッスン

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月15日(日)01時20分16秒
編集済
  I 村さんとの11時からのレッスンで、「口の動く範囲を今より一割がた大きくしろ」と指示がありました。それと同時に「口の動く範囲を大きくすると、つな がっていたものがつながらなくなるから、それを防ぐために一割がた力をいれろ」と言われました。たしかに口の動かし方を今以上に大きくしようとすると、と たんに口が動かなくなります。動きがあやふやになる時には、口の動きに力を入れるようにするのは以前も言われたし、普段の練習からもわかっています。たと えばopenの[u]がうまく出ない時は、特に[u]を出す時に力を入れる、とか。でももう「強くはっきり」は言わないんじゃなかったっけ?と思いました が、あえて力を入れろと言われるなら、何かあるんだと思い、激しく口を動かしました。

その後のコーチ用音読レッスンの時、「I村さんとのレッスンの時に言ったように一割大きく動かせ」と言われました。そのあたりは練習が足りなかった部分 で、NGが出ないように慎重になって自然と声が弱くなっていた場所です。大きく動かし、力を入れた途端にNGが出まくりましたが、NGのたびに繰りかえす 音ははっきりとした音でした。繰り返す箇所が何個もあったため、時間切れになりましたが、ぼそぼそ言って間に合うよりも、豪快に失敗した方が気持ちいいか もしれないと思いました。

レッスンの後、一割がた大きく動かし、一割がた余計に力を入れる、について解説がありました。
長い間レッスンをやっている人でも、慣れている文はほうっておけば音が弱くなってしまう傾向がある。そういう時は音をはっきりさせなければならない。「今 の口の動きよりも一割がた動きを大きくする」「口の動かす範囲を大きくするとつながっていたものがつながらなくなるから、それを防ぐために一割がた力をい れる」は、音をはっきりさせるとはどういうことかを、自覚させるための指示とのことでした。たしかに、「はっきり」とはどういうことか、感じることができ ます。
この指示が出ている時は、繰り返しの回数が5回とか10回とか20回にするのとはまた別のことだと説明がありました。
 

【18483】

最 近思う事

 投稿者:ミキ  投稿日:2012年 1月16日(月)03時02分23秒
  も し私が日本語で育った子に英語をゼロから教えるとしたら、アルファベットの大文字読みは絶対に教えないと思う(あえて)。自分の英語史(ハハハ...。) を振り返ると、始めに(中学生になったときでしたが)大文字読み「エー、ビー、シー、...」とやられた事が誤りの第一歩だったのではないかと思う。そこ で何か大きな誤解をしたような気がする。小文字読みだけ徹底して教えて頂きたかった。そして、母音に関しても、「ア、エ、イ、オ、ウ」ではないという事、 英語の母音には幅があり、a は日本語母音のアとエの間を行き来する音、 e はイとエの間、 i はアイとイの間、 o  はオとアの間、u はウとアの間を行き来する音で、前後にある音によってその音が決まるということを言っておいてほしかった...と、思ったのですが、こんな事で遠回りして いたのは私だけだったのでしょうか?例えば、c, s , d , t , l , r などがそれぞれどんな音かとか、bus の u の音なんかに辿り着くのに全く酷い回り道をしてしまった...と感じているこの頃です。最近ようやくスタートラインに立てた気がしています。  


【18484】

ミ キさん

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月16日(月)23時24分23秒
  以 前、何かの映画で、アメリカの小学校1年生の授業風景が出てきたのを思い出しました。先生が「A」と書いた紙を生徒に見せて、「この文字の名前は『エイ』 と言います。読み方は…」と説明していました。その時の読み方の説明がどうだったか、今ちょっと思い出せないのですが、3つくらいあったと思います。私 は、ああ、「エイ」は「A」という文字の名前だったんだ、と初めて知りました。これは学校で全く教わりませんでしたので。そして、ちゃんと読み方のルール があるらしいことを知りました。「大文字の読み方」って名前のことですよね。


それから、小学校ではローマ字を数週間習うんですが、今思うと、あれはやらない方がよかったんじゃないかと思います。おそらく中学で始まる英語に向けての 準備としてやったんだと思いますが、英語の音に触れる前、中途半端に音と文字の関係を読まされ、書かされたので、英語をやり始めてからは、相当後までロー マ字読みの悪いクセが残ってしまったと思います。

 

【18485】

土 曜11時のレッスン・コーチ用音読レッスン

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月22日(日)00時58分13秒
  私は数字が入ってい る文は苦手です。「七年目の浮気」には小数の出てくるセリフがあります。

However, far from being humorous, this unfortunate urge, which strikes 84.6 percent of the married male population, rises to an alarming 91.8 during the summer months.

特に 91.8 の後に気持ちとして percent をつけたくなってしまうのもあり、前回はここをミスして何度も繰り返すはめになってしまいました。今回はここを何度も繰り返していたんですが、今日はレッ スンの少し前から熱が出てしまい、どうもミスしてしまいそうになってしまいました。
そこでこれまでにないくらい叫びながら直前の練習をしていたら、乗りきれるような気がしました。必ずも大きな声を出すことがいいことではないけれど、集中 する時には声を大きくするのも効くと思います。

11時からのI村さんとのレッスンで、根石さんからI村さんに [w] の発音について説明がありました。which の w でチェックが入ったのですが、それを聞いていて「発音の要領」に [w] が入っていないのを思い出しました(塾では子どもに「たこのはっちゃん」とか、「唇をつきだす」とか言ってますが)。
で、[w] の説明です。

[w]
口をつきだして力を入れる。

※ I村さん、根石さん、途中で iPhone のアラームが鳴ってしまってすいませんでした。まだ使い慣れてないものとはいえ、すみませんでした。

 

【18486】

言 い間違いの笑いは難しい

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月22日(日)02時07分7秒
  小川さんと自立練習 をやってる時、supposedly という単語が出てきました。「推定では(〜と思われる)」という意味ですが、なぜかここである映画のシーンを思い出しました。

以前、まだ映画のスクリプトが「ゴースト」と「七年目の浮気」に絞られていない時、根石さんから好きな映画を選んでいいぞと言われたので、スタンリー・ キューブリック監督の「フルメタルジャケット」を選びました。もう10年くらい前になるでしょうか。

「フルメタルジャケット」を使って「技法グラウンド」をやっている時、どうしても意味がわからなかったセリフがありました。
新入りをベトナム戦争へ送り出すための海兵隊の新兵訓練の場面です。

教官:Does anybody know who Lee Harvey Oswald was?
   (オズワルドが誰なのか知っている者はいるか?)
新兵:He shot Kennedy, Sir!"
   (ケネディを撃った奴であります!)
教官:That's right.  And do you know how far away he was?"
   (その通りだ。どのくらい遠くから撃ったか知っているか?)
新兵:It was pretty far.  From that book suppository building, sir!
   (すげえ遠くです。あのbook suppository building からであります!)

私にとっての問題は From that book suppository builiding でした。
suppository が座薬という意味なので、この新兵は同僚から苦笑されるのですが、じゃあ、本当はなんていう言葉が来るのだろう、と思いました。
当時は、全然見当がつきませんでした。

自立練習で、supposedly が出てきた時、音が似てるし、もしかして本当はこれだったのかな?と思ったのでした。
でも、原文にあたってみると、意味が通らないのです。
そこで、気になってネットで検索してみました。
google で "that book suppository building" をキーワードとして検索すると、なんと一番上に ”Texas School Book Depository " がありました。
ああ、多分これのことだと思いました。book suppsitory building (本・座薬建物?)じゃなくて book depository building (本の保管庫)だったんですね。こういうのは向こうで生活していればすぐわかるんだろうなと思います。ともかく、10年越しの疑問が解決しました。
 

【18487】

コー チ用音読レッスン

 投稿者:小川  投稿日:2012年 1月22日(日)02時08分8秒
編集済
  先 週「口を1割がた大きく強く動かして」という指示がありましたので、私にはまだ早いとのことでしたが、心がけて音読するように努めています。素読舎の指示 を知らない勉強仲間が私の音読を耳にしたら「う〜ん、最近滑舌がわるいなぁ、だいじょうぶ?」というかもしれません。思うように口の筋肉が動きません。寒 さで固くなったゴムのようです。そこを無理して動かしながら読むのですが、速度を上げると上滑りしてしまいます。

コーチとして立つのはまだまだやなぁ、と思いました。
 

【18488】

リ スニング問題

 投稿者:小川  投稿日:2012年 1月22日(日)03時31分56秒
編集済
  村田さん

先日のこと、英語ニュースを聞いていたら「モウバライズ」という単語が出て来て、何のことかわかりませんでした。2~3回再生して、文脈から類推する内、 はたと気がつきました。"mobilize" でした。あれほど "incredibly" は「インクレディブリィ」と発音してもいいが、ネイティブは「インクレダブリィ」と発音するのでと説明されていながら、昔っからの癖で無意識に "mobilize" を「モービライズ」と読んでいたことが災いしていたのでした。

以前書いたと思いますが、"bodily" が "badly" としか聞こえず内容を理解するのに苦労したことがあります。普段から母音の発音、子音の弱形の処理などが出来ていれば、こんなことは起こらないんだろう なぁと思ったものです。
 

【18489】

内 田樹のツィッターから引用

 投稿者:馬の骨  投稿日:2012年 1月25日(水)11時43分32秒
  「お はようございます。昨日は風邪のせいで一日うつらうつらしていたので、今朝はすこし早起きして、原稿二本仕上げました。「論争について」と「批評につい て」。論争的であることと批評的であるということはぜんぜん違います。批評的というのはものごとをラディカルにとらえるということですから。

ものごとをラディカルにとらえるためにはふたつ要件があって、ひとつは「同一物の反復」を見逃さないこと。回帰性のパターンをみつけることです。マルクス が言うように「前代未聞のもの」を自称するもののほとんどは「過去の亡霊」の焼き直しですから。

あらゆるところに回帰性・同型性を発見できる知性だけが、ごくごく例外的に出現する「これまでのどのような同型性にも回収できないもの」、「真に創造的な もの」を感知できます。批評的であるというのはそういうことだと僕は思います。町山智浩の映画論を「批評的」であると思うのはそのゆえです。

論争的な人たちのアポリアは「論敵が知的に不調であることから利益を得る」モデルを採用していることです。このモデルが一般化すると、人々は集団構成員の 自分以外の全員が自分より愚鈍であることが利益を最大化することだということに気づきます。

「万人が隣人が自分より愚鈍であることを願う社会」が論争的な社会の実相です。そのような社会が知的に生成的なものたりうるということを僕は信じません。 というわけで僕は論争ということを止めて、代わりに「懇請」をすることにしました。おねがひ、聴いて〜。

懇請は個別的な言説の理非適否を判定する「集合的な叡智」が存在する、という信憑の上にしか成り立ちません。もちろんそんなものが自然物として存在するは ずがありません。それは作り上げるものです。「集合的な叡智が存在しなければならないる」という祈りだけが、それを創り出すことができます。

朝から長いツイートですみません。懇請のいけないところは「話がくどくなる」ことですねえ。」

 

【18490】

内 田樹の言葉

 投稿者:馬の骨  投稿日:2012年 1月25日(水)21時43分1秒
  「自 分のオリジナルにしてユニークな適性」や、「その適正にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら、「どんな仕事でも 楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。
 

【18491】

英 検を受けて感じたこと。

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 1月29日(日)01時59分33秒
編集済
  英検を受けてきまし た。

私はここ10年以上の間、テストと名のつくものを受けていませんでした。一番最後に受けたのは英検2級で、もう20年くらい前になります。
中学の時に受けた4級も、会社員の時に受けた2級も、特に対策をせずに受けていました。
だから、今回の準1級も、まずは対策なしで受けてみました。(単語などはやっていましたが、「間にあって」はいませんでした)

会場に行ってから、今まで読み込んできた「ゴースト」のスクリーンプレイを20分程度音読して、身体を英語モードへの切り替えをやりました。

問題用紙に書いてあったのは、語彙力を問う部分と、A4用紙1枚程度の英文を読んで質問に答えるもの(何問かあり)と、リスニング問題、それから英作文 (メールの返信)の4つでした。
試験場で受けてみて、自分にとっては英文を読んで質問に答えるものが一番楽に感じました。語彙力を問うものはあまりやってなかっただけにむしろ難しかった と思います。

試験が終わってから、帰りの電車に乗りながらふと思いました。大学受験の勉強をしていた頃は、今日とは逆の感想だったな、と。
つまり、単語・熟語関係は自信があったけれど、長文読解問題は、わからないところや、時間切れになってしまう場合があったのです。この時は、ほぼ「電圧装 置」ばかりやっていました。「電圧装置」で単語集や、予備校のテキスト、参考書をかたっぱしから覚えたのでした。だから、大学受験レベルの単語・熟語は自 信がありました。でも、長文読解はどうも苦手でした。
大学受験の時にやっていたことと、今回英検を受けた時にやっていたことの一番大きな違いは何かっていうと、今は激しく音読をやっているっていうことです。 今は、大学受験の時には思ってもいなかった激しさで「ゴースト」や「七年目の浮気」の音読をやっています。これをやっているから、英検の「長文」は割りと 楽に読めるようになっているんだと思いました。大学受験の頃は、得点に結びつくのが目に見えやすい単語や熟語なんかにばかり食いついていましたが、やっぱ り本筋は、長い文章を読めたり、聞いたりできることです。単純に得点で考えても、長文関係ができた方が高得点をおさめることができるはずです。
長文の対策はどうやるんだ、と受験生の頃は思っていました。当時の自分は本当に馬鹿だったなあと思います。当時やっていたのは3流の受験勉強で、英語の勉 強じゃなかったんです。激しく音読することを通して、英語をまるごと身につける。この本筋が、自分は見えていなかった。
今回の英検受験は、このことを実感したのが収穫でした。

実際に受けてみて、受かるためには何が必要かよくわかりました。自分の英語に関するバランスを知るのにもいい機会です。
合否は別にしても、いろいろなきっかけになると思いました。
 

【18492】

内 田樹の言葉

 投稿者:馬の骨  投稿日:2012年 1月29日(日)02時03分4秒
  国 際社会で求められている能力は、「国際共通性をもたないアイディア(ローカルな、あるいはパーソナルな)を、国際共通性のある言語とロジックに載せて展開 する能力」だと思います。 現代人に限らず、人類がジャングルから出て共同生活を始めてから、求められる能力はつねに同じです。  

【18493】

村 田さん

 投稿者:I村  投稿日:2012年 1月30日(月)18時29分48秒
  テストお疲れ様で す。
私は未だに「テスト勉強」をしてしまうきらいがありますねえ。まあ、それでも今は生きた英語の勉強をしているという実感がありますが。

>自分の英語に関するバランスを知るのにもいい機会です。

同感です。英語の力を客観化できるというか、自分に足りないものをあらためて理解することができると思います。これも、学生のころには考えられなかったこ とですね。私もテストを受けてみることをお勧めしたいです。
 


【18494】

「連 絡専用掲示板」から転載

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 2月 3日(金)02時11分50秒
編集済
  根石さん   投稿者:ピッコロ  投稿日:2012年 2月 2日(木)12時22分45秒

平日、30分英語をやるとしたら、まず何を真っ先に行うべきでしょうか? 教えて下さい。 30分やります。



ピッコロさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 2月 3日(金)01時43分34秒

 レッスンで手に入れた方法を激化して下さい。
 何をやるのでもかまいません。お薦めは、英検用の問題を解いて、完全な文が手に入ったら、それをレッスンで手に入れた方法で、インプットすることです。 つまり、まともな音で「音作り」=インプット。
 激化することです。そうすることで、量をかせげるようになりますから、かせぐことです。



ピッコロさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2012年 2月 3日(金)22時38分9秒

激化すべきものは、「つなげる」と「つよくはっきり」の統一です。

 

【18495】

自 分で追い込む

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 2月 5日(日)02時15分25秒
編集済
   土曜日の11時 〜11時30分にI村さんとゴースト4ページと七年目の浮気8ページの計12ページの音読。11時40分〜12時10分まで小川さんとゴースト計10ペー ジで1セットを時間が許す限りやる。
 半年くらい前からこの音読レッスンをやっています。七年目の浮気は、相方のI村さんにとっては復習範囲ですが、私は今までちゃんとやったことがなかった ので、私にとってはすべて新しい部分でした。つい最近まで、週の後半になるとそわそわしだして、金曜日あたりになると音読がクリアできるかどうかが不安 で、その練習にかなり時間をかけていました。
 今日、この半年くらいの間で、自分は新たに力をつけたと思いました。
 これまでに自分が力がついたなあと思ったのは、塾の「長文読解」教材をやり終えた時と、"Alice in Wonderland"をパラグラフ単位で「技法グラウンド」やった時、それから"Full Metal Jacket"の「技法グラウンド」をやり終えた時です。「長文読解」の時はB5半分くらいの英語の文章を見ないで言えるようになった時でした。「長文読 解」は、長文テキスト自体は50個くらいで、これはだいたい1年〜2年くらいかかったと思います。
 アリスは、ひと通り終えるのに2年〜3年ほどかかっていたと思います。その後、復習のみ2年くらいやりました。"Full Metal Jacket"も、ひと通り終えるのに2年くらいかかっていると思います。
 ゴーストも七年目の浮気も、まだ全部は終わっていませんが、この半年くらいで英語力がかなりついたような気がします。こんな感じは今までで最短です。
 アリスも、フルメタルジャケットも、やっている時はめちゃくちゃしんどかったです。読んでいる間は他の何も考えられず、頭の中は真っ白でした。ゴースト と七年目の浮気をやっている時も、やはり他のことは考えられません。余裕なんかあったら、パスできません。
 何も考えられず、頭は真っ白になりながらも、とにかく必死に読む。こういう練習を体験した後は、それまで余裕がなかったリスニングに余裕をもって臨めた り、以前よりも英文を読みやすくなったように感じます。最近、ゴースト+七年目の浮気を連続1時間やることで余裕のない必死なレッスンを体験したので、さ らに文が読みやすくなったような気がしました。英検とかTOEICの点数のように、まだ直接見える形になっていないのがなんですが、自分の中でははっきり 変わってきていると思います。
 素読舎以外の場所では、パラグラフ単位で5回以上つっかからないで読めたり、少し複雑な映画のスクリプトを12ページ10分以内で音読できたからって、 それが何?くらいなものだと思います。音読がんばったね、くらいは言う人もいるでしょう。でも、そんなこと言う人はわかってないな、と思うのです。12 ページを10分以内で読めるようになるのにどれだけのことをやっているか、普通は知らない。おそらくは必要なことをずっと低く見積もっていると思います。
 ただ、この弱音を吐きそうな負荷は、自分で設定したものではないのが甘いところです。この音読レベルは、根石さんが設定したものです。
 自分の中からわきでる思いからここまで自分を追い込むことがまだないのが甘いと思いました。
 明日からさらに激しくやろうと思います。
 

【18496】

胸 突き八丁か...

 投稿者:小川  投稿日:2012年 2月 5日(日)18時02分46秒
編集済
  い よいよゴーストも後残すところ10頁になり、ようやく最初の給水ポイントが見えて来た感じです。土曜日の午後に予習した時には、「この分だと3ページづつ コンスタントに合格すれば2月中に完走するのも夢ではないな」と思い、103~105ページまでは特に念入りに練習しておきました。

しかし現実は103ページでストップです。私は "That's what we want you to do." で毎回つっかえ、20回以上読まされ続けたのです。「自分から強くはっきり言うことに踏み出さない場合は30回ほど言わせる」という指示は以前から何度も 聞かされていたので、やり直しで音読している間中この言葉が頭を駆け巡っていました。強くはっきり踏み出そうと心がけて読んでいるつもりなのに、「はい、 いいですよ」の合格サインが出ないのです。これだけはっきり強く言おうとして口を動かしているのにまだ足りないのかと、やや自暴自棄になって読み続けてい ました。

レッスン後に案の定根石さんから注意がありましたので、「強く踏み出そうとやってたんですが、口が思うように動かないんですが」と訴えてみました。返って 来たのは「それは根が張っていないからだ」という答えでした。つまり余力がない文章は、強く踏み出そうとしても口がついて行かないものだということでし た。要するに「強くはっきり」という負荷をかけていると、根が張っているもの以外は言いにくくなるので、普段から負荷をかけた状態で練習を重ねるよう心が けねばならないとのこと。そして「コーチは根を張らせた状態を作り上げた上でレッスンに臨むべきである。仕上がっているかどうかを見るのがコーチの音読 レッスンである」と耳の痛いアドバイスがありました。

103ページは200語近くありますので、結構ハードです。12ページ(復習三カ所)を10分でコンスタントに読めるレベルにもって行くには、このページ をパスする基準として作っておくようにとのことでした。復習12ページのレベルになると、新出ページはなくなるので読み易いとも言えるが、基準がきつくな るとともにページ数が増えることになります。強く言い難い方法で、強くはっきり言う側に踏み出すようにとのことでした。
 

【18497】

コー チ見習いレッスン

 投稿者:小川  投稿日:2012年 2月11日(土)00時05分14秒
  チャコさんとのレッ スンの中で、「コーチは根を張らせた状態を作り上げた上でレッスンに臨むべきである」との根石さんのアドバイスの大切さを思い知りました。

コーチが「強くはっきり」と「つなげる」を兼ね備えた音を示さなければ、生徒さんは正しい音を耳でとらえられないのは当然のことでした。

 

【18498】

「お 願い」「規約」の変更案・追加案

 投稿者:村田晴彦  投稿日:2012年 2月11日(土)06時04分38秒
編集済
  塾の方で使っている 「お願い」・「規約」を次のように変更しました。このまま「スカイプでレッスン」へ反映していいかどうか、ご意見をお聞かせください。
----------------
25.
2ポイントで1回、教材の使用箇所を「ジャンプ」することができます。(ただし、それに必要な「イントネーションの自己決定力」が備わっていることが前提 となります。その判断はコーチにお任せください。)
----------------


また、新たに次の項目を追加する必要があると思います。こちらも皆様のご意見をお聞かせください。

----------------
27.
レッスンを3ヶ月以上休まれる場合は、復帰するめどがたつまで、いったんレッスンを止めていただくようお願いします。

28.
レッスンは基本は月4回です。月に5回ある時は5回やり、後でお休みをいただきます。これを「有給」の休みとさせていただきます。
盆と正月には1週間ずつお休みをいただきます。こちらは「有給」の休みには算入されません。
----------------



(以下、「お願い」・「規約」の全文です)
===========================================
素読舎の「スカイプでレッスン」を使っていただく方に
 ・・・「ジャンプ」の条件、「無料過程」へ進むための条件、その他

<お願い>

1.
大事な連絡は掲示板で行われます。掲示板「大風呂敷」と「素読舎連絡専用掲示板」を読んでいていただくようお願いします。
http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
http://9310.teacup.com/sodokusharenraku/bbs

月初めに、最新版の規約を含むものが掲示板に掲載されます。

2.
レッスン代金は、「その月のうちに」お願いします。(例。5月分は5月のうちに。)これは、そうしていただかないと「二人一枠維持基金」の口座へのお金の 出し入れが非常に煩雑になるためです。よろしくお願い致します。

3.
事情があり「その月のうちに」払っていただけない場合は、「連絡専用掲示板」にご連絡いただくようお願いします。

4.
素読舎のレッスンには、「有料過程」と「無料過程」があります。「音づくり」を必要とする段階、「イントネーションの自己決定力」が弱い段階、「音とイ メージの同致」が実現していない段階の練習は「有料過程」となります。「無料過程」に進むには、「無料過程」に進むための条件があります。

◎以下の条件が満ちている場合、「無料過程」を使うことができます。

●「ゴースト」の音読が、コンスタントに12ページ10分以内で終わること。
●週二回以上、「自立練習」をすること。
●ポイントがプラス1以上であること。

(「無料過程」を使う場合は、1年につき1ポイントが必要です。ポイントをプラス1以上に維持することで、「無料過程」を使い続けることができます。ま た、「無料過程」を使っていただく間も、「二人一枠維持基金」の月額1000円は必要になります。)

5.
「無料過程」を希望する場合は、その旨申し出ていただくようお願いします。

6.
入塾時、ポイントはゼロです。新しい塾生を紹介していただくと、3ポイントがプラスされます。(被紹介者がレッスンをやめられた場合は、2ポイントがマイ ナスされます。)

素読舎のレッスンをお使いいただき、お金を無駄にすることのないレッスンだと確信できた場合は、是非周りに話していただき、新しい生徒さんをご紹介いただ くようお願い致します。

(ポイントは素読舎が管理しますので、ご自分のポイントを確認していただく場合は、村田コーチまでメールでお問い合わせ下さい。「素読舎連絡専用掲示板」 から、村田コーチへメールが送れるようになっています。)

7.
素読舎のレッスンには「一人一枠」と「二人一枠」があります。レッスン代金は一枠12000円です。「二人一枠」で使っていただくと、6000円で使って いただくことができます。「二人一枠」を作るには、練習力を揃える必要があります。レッスンを始めていただく時点で、お知り合いを誘っていただく等してい ただけば、最初から「二人一枠」で使っていただくことができます。その場合は、「紹介者」と「被紹介者」をはっきりさせていただきます。「紹介者」に3ポ イントがプラスされます。

8.
「一人一枠」で始められた方で「二人一枠」を希望する方は、コーチにその旨お伝え下さい。

9.
レッスン代金は次の通りです。
「一人一枠」一人月額12000円。
「二人一枠」一人月額6000円。
(一枠、週一回三〇分、月額12000円)

10.
「二人一枠」が壊れた場合にただちに「二人一枠」を作り直そうとすると、素読舎側に煩雑な手間が生じます。それを避けるために「二人一枠」が壊れた場合に も、お持ちのポイント数によって、一定期間「二人一枠」のレッスン代金で、「一人一枠」が使えるようになっています。規約の「3」をご参照下さい。

11.
「10」を可能にするために、「二人一枠」をお使いになる方には、「二人一枠維持基金(月額1000円)」をお支払いいただいています。

12.
「無料過程」は、英語の練習と英語力を「私物化」しない方にお使いいただきます。「二人一枠」でお使いになる方が、「無料過程」に進むことができます。

 素読舎は「ジャムセッション」を構想しています。「ゴースト・音読終了者」がメンバーになるものと、「七年目の浮気・音読終了者」がメンバーになるもの の二つがあります。「七年目の浮気・音読終了者」は、申し出ていただくだけで素読舎のコーチができます。また、ヴォランティアとして、素読舎作成の教材を 使って英語教室をやっていただくこともできます。(個人的に有料の英語教室を開かれる場合は、「教材使用料」をいただきます。これは現在、村田コーチの 「素読舎戸倉分室」に適用されています。)

 「無料過程」を使っている間に、「コーチ認定用音読チェック」を受講できます。こちらは有料になります。「コーチ認定用音読チェック」で認定されること は、「七年目の浮気・音読終了者」になることと実質的に同じですが、そのレベルに到達するまでの時間が短縮されます。「ジャムセッション」のグループに参 加できますので、コーチになろうとする方でなくても受講をおすすめします。(「ゴースト」で行っているのと同様のレッスン形態を継続し、「7年目の浮気・ 音読終了」に至るコースもあります。)

 「ジャムセッション」は、教材のどこを使っていただいても結構です。一切無料です。素読舎在籍中の「無料過程」のようにポイントによって期間が制限され ることもありません。

「ジャムセッション」のメンバーからのカンパは喜んでお受けします。

 将来的には、「無料過程」は「ジャムセッション」に統合するかもしれません。その場合は、「ゴースト」から開始し、「七年目の浮気」まで音読が終了した 方のみが、「ジャムセッション」のメンバーとなることができます。「ゴースト・音読終了」のレベルに「無料過程」および「ジャムセッション」を設置するの は暫定的なものであることをご承知おき下さい。(しばらくの間、「ジャムセッション」参加のレベルを低く設定しておくということです。)

 「ジャムセッション」は、素読舎から独立したグループです。(規約、ポイント制の制約もありません。作る場合は独自に作っていただきます。)ここに、素 読舎コーチも参加します。
・毎回自分の都合のいい曜日・時間に掲示板で練習の相手を募り練習します。練習相手は固定される必要はありません。

 「ジャムセッション」のメンバーには、練習の様子、英語の変化等を掲示板に書いていただくことを希望します。できれば、「ジャムセッション」専用の掲示 板を設置していただくことを希望します。「無料過程」のように、「月に1度」は書かなければならないというような制約はありません。

 「ジャムセッション」は素読舎の過程を終了した人たちのグループと考えていただいて結構です。英語力を「作る」ことより、「維持」することに力点が移っ た人のグループです。ただし、「有料過程」の人たちよりもレベルの高い練習をする人のグループであるという理念は自分の中に置いていただくよう希望しま す。

 素読舎の「無料過程」は、「ジャムセッション」で練習するための「準備期間」だとお考え下さい。「私物化」された英語は、少し練習を中断するだけで簡単 に錆び付いてしまいます。練習相手を求め、自分の英語を絶えず「場」にさらしていることが必要です。このことによって、「磁場」に入ればただちに「充電が 起こる」レベルの英語を維持することができます。「私物化」は「言葉」にはなじみません。
 「ジャムセッション」は、英語の「磁場」ではなく、あくまでも練習の「場」です。ネット上の「道場」と言っていいかもしれません。日本在住の英語にとっ て、無料で使えるこういう「練習場」がこれまでありませんでした。「ジャムセッション」が成り立てば、英語力を「維持する」ことに狙いを定めた「英語道 場」が誕生します。おそらく日本には、他にどこにも見当たらないようなものになります。

 素読舎に新しい塾生をご紹介下さることは、自分をも知り合いをも「道場」の方向に押していくことになり、そういう「道場」の誕生に協力していただくこと になります。根石が収入の上限を限り、コーチを育て、横への拡がりをはかろうとするのもそのためです。

13.
最初から「道場」を誕生させることに興味はないという方は「一人一枠」でお使いいただきたくお願いいたします。継続的に「一人一枠」でお使いいただく場合 は、「無料過程」に進むことはありません。ポイントの増減もありません。

14.
「一人一枠」で開始し、途中から「二人一枠」を希望する場合は、「二人一枠希望者リスト」に枠名(曜日、時間帯)と名字のイニシャルを記入し、掲示板に公 表します。空き枠を作らないことを条件に、なるべく早めに「二人一枠」を作るようにいたします。

「二人一枠」を作る際には「練習力の釣り合い」が最も大事な条件になります。それを基準とし、素読舎がペアの相手をご紹介します。曜日、時間帯の都合等が おありでしょうから、なるべく生徒同士の話し合いで決めていただきます。他の生徒も話し合いに参加できるよう、話し合いは掲示板上でお願いします。

15.
「一人一枠」での練習は、曜日・時間帯の都合が素読舎側と生徒側で合いさえすれば継続が可能です。

16.
「二人一枠」は壊れやすいものです。曜日・時間帯が合わない場合、生徒さんの一人がレッスンをやめる場合、二人の練習力の釣り合いがとれなくなった場合、 「二人一枠」 は壊れてしまいます。「二人一枠」を組んでいる生徒さんどうしで話し合っていただくなど、協力し合っていただくようお願いします。

17.
「二人一枠」維持については、なるべく、一人一人の生徒さんの希望を大事にしますが、すべての希望に沿えないこともあることをご承知下さい。

18.
基本的に、「二人一枠維持基金」は「空き枠」が埋まらない期間、「空き枠」による収入減を防ぎ、語学論の充実、教材の作成に支障がでないようにするための ものです。

また、「無料過程」へは「二人一枠」の枠ごと移動しますが、一人だけ条件が整っている場合は、条件が整っている一人だけが「無料過程」に進むこともできま す。その場合は、「無料過程」の生徒さんに対してもコーチ付きのレッスンが継続されますので、「無料過程」を使う生徒さん一人分の6000円 は、「二人一枠維持基金」から充当されます。

19.
ポイントは、基本的に「有料過程」から「無料過程」へ進む場合、教材の中で練習場所を「ジャンプ」させる場合などに使われます。どの場合にも、それを可能 にする「イントネーションの自己決定力」が前提条件になります。

20.
ポイントを数えるときに、例外的に「二人一枠使用者の合計ポイント」で算出することがあります。

21.
「二人一枠」は、生徒数が少ないほど作りにくくなります。曜日・時間帯の都合が相互につけにくくなりますし、生徒間の「練習力の釣り合い」がとれないこと によっても「二人一枠」が作れないことが起こります。
素読舎のレッスンをお使いいただき、間違いなく英語力を変えることのできるレッスンだと確信できた場合は、周りに話していただき、新しい生徒さんをご紹介 いただくようお願い致します。特に、「二人一枠」を使われる生徒さんには、このことを是非お願い致します。

新しくレッスンを始められた生徒さんに、掲示板、ホームページ、パンフレット等のどの記事を読んでレッスンを開始したのかをお聞きします。生徒さんが書い た記事によって、新しい生徒さんがレッスンを開始したことが判明した場合には、記事を書いてくださった生徒さんを「紹介者」とします。

周りに直接声をかけることができない場合は、レッスンの感想、自分の英語の変化等を掲示板に書いていただきたくお願いします。いい記事をいただけた場合 は、素読舎のホームページに転載させていただきます。

22.
レッスンを受けることを希望されても、曜日・時間帯等の折り合いがつかず、レッスンが開始できない場合があります。その場合は、「レッスン受講希望者リス ト」にお名前を加え、掲示板上には、県名と名字のイニシャルで公表させていただきます。すでにレッスンを受けておられる生徒さんに枠(曜日、時間帯)を 譲っていただくなど、都合をつけていただくためです。なるべくお互いに「素読舎連絡専用掲示板」で、話し合っていただくことを希望します。

23.
練習力が釣り合う相手がみつかり、ポイントの低い人がポイントの高い人を「またぎこして」「二人一枠」を形成する場合は、またぎこす人のポイントが1ポイ ントマイナスされます。「二人一枠希望者リスト」では、各希望者のポイントが公表されます。

24.
「二人一枠」を形成する場合、素読舎側に手間が生じないで形成できた場合は、ポイントの変更なく「二人一枠」を使うことができます。素読舎側の手間によっ て形成した場合は、それぞれの生徒から1ポイントがマイナスされます。ポイント数は、「二人一枠」解消に直接的に使われることはありません。(「二人一枠 維持基金」がクッションとして使われます。)

25.
1ポイントで1回、教材の使用箇所を「ジャンプ」することができます。(ただし、それに必要な「イントネーションの自己決定力」が備わっていることが前提 となります。その判断はコーチにお任せください。)

26.
レッスンを休まれる場合は、「素読舎連絡専用掲示板」にご連絡下さい。ネットにつながらない等の事故の場合は、他の生徒さんに電話で依頼していただくので も結構です。無断欠席は1ポイントがマイナスされます。くれぐれもご注意下さい。

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<規約>

1.
規約は暫定的なものとし、使いながら改訂を続ける。

2.
改訂する場合はなるべく生徒の意見を考慮する。

3.
「二人一枠」を使用中に、一人の生徒が「一人一枠」を希望する場合や、一人の生徒がレッスンをやめる場合がある。以下の規定に従う。

(a) ポイント6以上を持ちながら、「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、1ポイントを使うこ とで、1年間を限度に7千円(6千円+「二人一枠維持基金」)で「一人一枠」を使うことができる。
一年後、「練習力の釣り合い」を第一条件に、他の「二人一枠」を解消し新しくペアを作る。他の「二人一枠」が、ポイントがプラス数値である人とポイントが ゼロまたはマイナス数値の人であった場合は、ポイントがプラス数値の人と新しいペアを組む。「二人一枠」の二人ともプラス数値であった場合は、ポイントの 多い人と新しいペアを組む。「二人一枠」を新たに作る努力は素読舎側で行う。
 解消候補の「二人一枠」の二人がポイントが同値であった場合は、話し合いで解決する。

(b) 「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、ポイント1〜ポイント5に該当する人は、半年間を 限度に7千円(6千円+「二人一枠維持基金」)で「一人一枠」を使うことができる。半年後、ポイントが1ポイント分マイナスされる。素読舎側で、「二人一 枠」を作る努力をする。

(c) ポイントがゼロで「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、3ヶ月を限度に7千円(6千円+ 「二人一枠維持基金」)で「一人一枠」を使うことができる。3ヶ月で、ポイントが1ポイント分マイナスされる。素読舎側で、「二人一枠」を作る努力はしな い。

(d) ポイントがマイナス数値で「二人一枠」を使ってきた人が、ペアの相手の都合により「二人一枠」が維持できなくなった場合、「一人一枠」へ移行す る。ポイントは変化しない。素読舎側で、「二人一枠」を作る努力はしない。

・(a),  (b),  (c)  に該当する場合、それぞれの期間、月額6千円を「二 人一枠維持基金」から取り崩す。

・「二人一枠」の組み替えによって生じる「一人一枠」に対しても、上記 (a),  (b),  (c),  (d) が適用される。

4.
「二人一枠維持基金」が底をつき、空き枠が埋まらない場合、枠の合計ポイントのもっとも少ない「二人一枠」を解消する。

5.
「二人一枠」を希望する場合は、「二人一枠希望者リスト」に登録する。「二人一枠希望者」は、枠名(曜日・時間帯)とイニシャルで掲示板上に公表する。な るべく限度期間内に掲示板上で生徒同士で話し合い、「二人一枠」を形成する。その際、素読舎は「練習力の釣り合い」という観点からアドバイスする。アドバ イスはポイントに影響しない。

6.
「無料過程」を希望する場合、掲示板上でポイント数を公開する。
「無料過程」を希望しない場合、ポイント数は公開されない。
「無料過程」を使用する人は、「自立練習」の報告の他、自分の英語の変化等「文章で」掲示板に掲載し続けることを課す。「文章で」の報告は、月に1度を目 安とする。1ヶ月以上報告がない場合は、1ポイントをマイナスする。

コーチ付きでない「無料過程」の練習を休む場合も「連絡専用掲示板」に連絡する。

7.
コーチが複数いる場合、幹側のコーチから枝側のコーチに生徒を預ける。幹側のコーチとは枠数を維持する段階に入ったコーチ、枝側のコーチは枠数を増やす段 階にあるコーチとする。幹側のコーチに必要な条件は、語学論が書けること、教材を作成できること、塾の運営ができることとする。

8.
「空き枠」という考えは、幹側のコーチの枠にのみ適用される。

9.
幹側に「空き枠」が生じ、枝側から生徒が戻れない場合については、コーチ間の話し合いで解決する。話し合いの結果は公表する。

10.
コーチおよびコーチ希望者は、それぞれが分担するネット上のホームページ、ブログなどを充実させる。

11.
月初めに、最新版の規約を掲示板に村田が掲載する。
ポイントの集計、「無料過程希望者」のポイントの公表などは村田が行う。

12.
月初めに「二人一枠維持基金」の集まった額、集まっていない額を村田が根石に確認し、掲示板に公表する。

集まった「二人一枠維持基金」は根石から村田に渡し、村田が口座に入れる。

空き枠が生じた月は、「二人一枠維持基金」を村田が取り崩し、根石に渡す。

12.
「二人一枠希望者リスト」「レッスン受講希望者リスト」の作成、公表は月初めに村田が行う。

13.
「ジャムセッション」を使う生徒の中から積極的に「コーチ希望者」を募る。

「コーチ希望者」に対するレッスン内容は、通常のレッスンにおける「音読」部分のみとする。

コーチとして認定する基準は、「七年目の浮気」の音読12ページをコンスタントに10分以内に終わらせる練習ができることとする。

 

【18499】

「お 願い」・「規約」について

 投稿者:I村  投稿日:2012年 2月11日(土)08時24分41秒
  私は特に異論はあり ません。
ところで、「有給」に関して、「お願い」よりは「規約」でもいい気がします。
 

【18500】

間 違いから学ぶ

 投稿者:I村  投稿日:2012年 2月11日(土)08時48分9秒
編集済
  Twitter経由 ですが、ある方が「間違いを無様な失敗と見なす態度はどっから来るのか」と発言していて、間違いから学習する人間のほうが伸びる、という実験を引用してお りました。

http://wired.jp/2011/10/18/%E3%80%8C%E3%82%88%E3%82%8A%E9%80%9F%E3%81%8F%E9%81%A9%E5%88%87%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B9%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%80%8D%EF%BC%9A%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1/

興味がある方はご覧いただきたいのですが、実験は学生を2グループにわけ、ほめ方の違いによって学生の成績に結果が生じるか、というもの。

Aグループ:知性をほめる 「君は頭がいいね」
Bグループ:過程をほめる 「一生懸命やったね」

その結果は、Aグループは成績を落とし、Bグループは成績が伸びたというものでした。

素読という学習も、過程を大事にし生徒の自主的な取り組みに期待するという点で、同じ結果を出しているのかもしれませんね。