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今日のスカイプレッ
スンから:
素読舎のレッスンの真髄は「発音が良くなる」ということだけではありません。今日のレッスンの根石さんのアドバイスを紹介します。いづれも口を酸っぱくし
て言い続けておられることなのですが。
意味が取れないままに音だけを先行させている場合をさして、根石さんは「からっぽのドラム缶を叩いているような」読みだと表現されました。これを克服する
にはどうすれば良いか。根石さんは、未知の単語は辞書で引くかイメージ核受肉教材の解説を読んで「言いながら、書きながら、思う」ことをすすめておられま
す。
しかしそれでも机上での練習は「当事者性を欠いているのだ」とおっしゃいます。これが「空っぽの電池」です。根石さんは例を挙げて、たとえ土砂降りの日で
も"It's a beautiful day."と言い続けて練習しなければならず、気が狂ったわけでもないのに、"How are you,
how are you, how are you...."と同じ言葉を繰り返し繰り返し言わねばならない、あるいは児童英語教室で、先生が"How
are you?" と聞くと、気分の悪い生徒でも"I'm fine."
と答えなければならない、これが当事者性を欠くということだとおっしゃいます。
これが語学というものです。
机上では、音作りのコーチを受けて音の出し方が体得出来れば、新出語の発音を調べ、始めはゆっくりと丁寧に音を作り、音が安定して着たら、じっくりと自分
に言い聞かせるように読みながら徐々にスピードを上げ、音のつながりが壊れない状態になれば、脱兎のごとく「ぶん回す」という練習を積みます。そして、
「言いながら、書きながら、思う」ことで英文にイメージを乗せ、溶かし込み、ひとつにして、英文を理解します。
安定した音でスピードが確保出来、しかもその英文とイメージが合体していれば、電池としての性能は備えた英文ということになります。しかしこの電池は、電
池としての性能はあるのですが、中はからっぽであることに変わりないということです。語学というのは、このからっぽの電池を続々と製造し続ける作業という
ことになります。
根石さんもおっしゃっていたと思いますが、語学というのはこういう空しい作業の連続だということなのです。日本語磁場にいる限り、英米の映画を見ようが、
原書を読もうが、英会話学校でネイティブ講師に囲まれていようが、「生きた英語」なんぞどこにもありません。
けれどこのからっぽの電池は、一旦英語圏に身を置いた途端、次々と充電されて行くのです。机上の英語が当事者性を持ち始め、土砂降りに出くわすと
"It's raining cats and dogs." という英文が、当事者性を伴って口をついて出てくるというわけです。
音作りの次に大切なのは、この「言いながら、書きながら思う」作業です。この練習を欠いていては、いつまでたっても英語が使えるようになりません。私も今
日はレッスン後のお話にも参加させて頂き、あらためてイメージしながら読むことの大切さを再認識しました。
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