語 学論のおさらい投稿者:根 石吉久 投稿日:2010年10月 3日(日)23時47分41秒 |
ハリマオ5号用
に、語学論のおさらいをしようと思って書きかけているものがあります。 5号は、田中エリスさん、松岡祥男さん、根石吉久の原稿で発行する予定です。 田中さんと松岡さんの原稿はすでにいただいてあります。 根石吉久がひとりぐずぐずしています。 ハリマオ5号用の原稿は、根石吉久の分に限って、印刷する前にこの掲示板に掲載し、皆さんに読んでいただこうかと思っています。 もう少し書いたら、掲載いたします。 |
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(2)投稿者:根 石吉久 投稿日:2010年10月 8日(金)18時29分12秒 |
(2) 言葉を使うとき、イメージと音、あるいは、イメージと文字はくっついていると思っている人が多い。現象的には、確かにイメージと音(文字)はくっついて いるように見える。だけど、それはある一定量の体力(気力)がある場合に、人の意識に自然に起こるだけのことではないのか。それは体力(気力)が自然に くっつけているだけで、イメージそのもの、音そのもの、文字そのものからすれば、実はくっついてはいないのではないか。だが、普通、「イメージそのものか らすれば」などというふうには考えない。普通は意識に感じられるものを自然だとするのだから、それは人の日常的な「意識にとってのもの」であり、「そのも のにとってのもの」ではない。 本を読むとき、ただ字だけ見ているだけでヨミススメてしまうことがある。だいぶヨミススメてから、何も読んでいなかったことに気づくことがある。これ は、字をたどっていただけで、その間、イメージは動かなかったということである。イメージが動いたとしても、ヨミススメているものとは「直接しないイメー ジ」が動いていたことである。字の上を視線がただ滑っていただけだという状態である。 人の話を聞いているときにも、そういう状態になることがある。確かに相手が話し続けていることはわかっているのだが、確かに耳は音を聞いているのだが、 (つまり、意識が「声」を「音」にしてしまっているのだが、)相手が何のことをしゃべっていたのであるか、すっぽり抜け落ちていて、「ええと、すみませ ん、もう一度言ってもらえませんか」などと、まるでエーカイワのフレーズのような日本語を言うことがある。そこでは、言葉は単なる音になってしまってい て、私の中にイメージの動きを作ることがないのだ。イメージが欠落してしまうのだ。 これは私に特に発現する病気のような現象なのだろうか。私には、イメージと音、イメージと文字が分離しやすい傾向がある。これが一種の病気だというなら 病気でもいい。しかし、この病状がはっきりさせてくれることが一つある。それは、イメージと音、あるいはイメージと文字はくっついているように見えるだけ で、体力がなかったり、あまり疲れていたりすると、あるいはあまりにもどうでもいい話であると、それらは簡単に分離するということだ。イメージと音が元々 は分離しているから、仮にくっついているだけだから、そういうことが起こるのではないかと疑うことができるということである。 イメージと音、イメージと文字は一体化している「ように見える」だけで、もともとは一体ではないのだろうと考えたのである。くっついているように見える ものが、簡単に離れるのはもともとはくっついていないからだろう。体力や気力、あるいは話への興味という接着剤が弱い場合、イメージと音、イメージと文字 は離れてしまう。少なくとも私にはそれが起こる。 例えば、本を読むとき、うまく読めているときというのは、一度(ならず何度も)どこかでくっついた(くっつけた)イメージと文字の一体が再生産されてい るときなのである。微細に見れば、意識が過去にくっつけたものを、現在の読書において「くっつけ直している」のである。そのようにして、さまざまな文脈 で、イメージと語の一体化は強化され、語のイメージは純化されていくのだろう。あるいはイメージが抽象レベルを高めていくのだろう。人の話がうまく自分の 中に入ってくるというのも、私の意識が音にイメージをくっつけ直して、音を声に変え、そのことで変位した(昇華されたあるいは降位した)イメージを取り出 すようなことなのである。そういう過程があまりにも自動的に、かつ瞬間的に生じるので、イメージと音(イメージと文字)があらかじめくっついている「よう に見える」のだ。 生活言語においてすら、このことが起こる。生活言語において「すら」というときの、「すら」が大事なのだ。まして、語学においては、というのが、私の語 学論の基底にあるものである。 生活言語において、イメージと音、イメージと文字がくっついている「ように見える」のが、なぜそんなにも「普通」であり「自然」なのか。 生活言語には、強制力が働いているからである。その強制力は外から来ることもあれば、内から来ることもある。本を読んでいる場合は、生身の相手を相手に しているのではないからひとまず脇に置いて、人の話を音だけとして受け取り続け、声や話として受け取っていない状態を考えてみればわかりやすい。これは相 手に対して非常に失礼なことなのである。そういうことをしていることがわかれば、相手は非常に気を悪くする。だから、私は自分で自分に対して、音をイメー ジとくっつけて声に変換することを強制することがある。そこに働いているのは、「〜してはならない」「〜しなければならない」という強制力である。この場 を生きなければならないという強制力である。 ほんとうにつまらない話だと思っていても、相手に気を悪くさせては「ならない」から、それは単なる音ではなく人の声だと自分に「強制する」。無理にでも 音をイメージに変換させて声にする。そこでは、意識的に意識を励起状態に仕立てる作業が「強制される」。 最初に世界から切り離されていること。それは生活言語の領域で「病気」として発現する。しかし、語学という領域では、それは最初から当たり前のことであ る。生活言語では「病気」であるものが、語学では病気でもなんでもないのだということ。それは十代の終わりにいた私にはひとつの救済であったのかもしれな い。語学は「世界から切り離されている」ということ。 語学論の一部で、「磁場の磁力」ということを言い続けたことがあるが、「磁場の磁力」とは、強制力と言い換えることもできるだろう。そこで強制されてい るのは、当事者というものである。生活言語では、つまり言語磁場の磁力の内では、誰も当事者性というものをまぬかれる者はいない。 どんな馬鹿話でも、その馬鹿話の当事者はいるし、どんな嘘を言うのでも、その嘘を言う当事者がいる。 確かに病者として認定されるまでは、あるいは確かに病者として隔離されるまでは、誰も当事者性はまぬかれない。その強制力が「磁場の磁力」だ。 という、このような話は、私が英語フリークと呼んでいる人々には本当に通じないのである。「磁場の磁力だけがもたらすものが絶対的にある」と私が言っ て、ただそのひとつをめぐって、半年も一年もとんちんかんな「磁場」という語の使用が掲示板上に踊るようなことがあった。「磁場」というのは、物理学かな んかの用語を語学論に借用しているので、比喩として使っているのには違いないが、それにしてもそれはそんなに難しい比喩ではない。掲示板上で「馬の骨」と いう名前で書いている人は詩人で、どこの誰だかバラしても本人は怒らないと思うのでバラすが、足立和夫さんである。足立さんは、「なんでわからないのかね え。不思議だねえ。」とあきれて言ったことがある。「わからないんだよ。フリークってのはそういうもんだよ」と私は言ったことがある。掲示板「大風呂敷」 のサブタイトルは、「反英語フリーク」となっている。タイトルもサブタイトルも、英語でおまんまを食っていく場合にはあんまりいいものではない。 |
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生 徒さんへのお願い投稿者:村 田晴彦 投稿日:2010年10月10日(日) 16時34分57秒 |
「スカイプでレッ
スン」は上の方に「自立練習のみ=無料」の過程があるレッスンです。ある程度先へ進んだ生徒さんは、「自立練習のみ=無料」の過程へ入ってもらうことがで
きます。(「何万行になったから無料過程へ入れる」のではなく、「自立練習」の進み具合や、練習の質などから判断して「自立練習のみ=無料」の過程へ入っ
てもらいます。) ただ、生徒さんがせっかく「自立練習のみ=無料」の過程の候補になっても、レッスンに空き枠がある時は「自立練習のみ=無料」の過程へは入れません。 レッスン枠が全部埋まっていて、新しい生徒さんが入ってきた時に、候補の生徒さんは「下の方から」押し上げられる形で「自立練習のみ=無料」の過程へ入っ てもらうことができます。ですから、生徒さんが少ないと、なかなか「自立練習のみ=無料」の過程へ入ってもらうことができません。 そこで生徒のみなさんにお願いします。継続して周りに声をかけてください。自分が声をかけた人が新しい生徒になることで、先へ進んでいる誰かが「自立練 習のみ=無料」の過程へ入れます。また、自分が「自立練習のみ=無料」の過程の候補になった時、他の人が紹介してくれた人が新しい生徒としてレッスンに入 ることで、「自立練習のみ=無料」の過程へ入る場合もあります。自分が「自立練習のみ=無料」の過程へ入る時のためにも、継続的に周りの人に声をかけてく ださい。よろしくお願いします。 |
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連 絡専用掲示板から転載投稿者:村 田晴彦 投稿日:2010年11月 8日(月)23時50分47秒 |
息子は
投稿者:N 投稿日:2010年11月 8日(月)22時17分8秒 今日は、もう一人参加していただいて、2人でさせていただきました。 2人になって、余裕ができたのか、ずいぶん調子よく、生意気を言っておりました(^^;) 村田さん、急な申し出に対応していただいて、ありがとうございました。お世話様でした。 ゆっくり母さんにも、ずいぶん手助けしていただいて、かたじけない!といった感じでした。ありがとうございます!! 恐る恐る、お試しを始めさせた息子ですが、一年前と比べると、ずいぶん成長したのでしょうか。前はかなり無関心だったのですが、なんとなく「食いつき」が 違う気がします。 根石さんも、5年生は、始めるのに最適とおっしゃってましたが、「時期」というものがあるのでしょうね。 良いきっかけになってくれればいいのになあ。。と心で祈っています。 |
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も もこさん投稿者:根 石吉久 投稿日:2010年11月 9日(火)13時24分49秒 |
>最近テキストの語
数が増えたのでしょうか、注意する部分がふえたのでしょうか、cameraなどに苦戦していますね。マイクを通さないと明らかに娘の発音がcanonに
なっているのですが、cameraが娘にはcanonになるんですね。ちょっと面白いです。(私には何度発音してみてもcameraがcanonには聞こ
えないんですが・・・。^^;) camera は「きゃめろん」という子供がけっこういます。 m と n がはっきり区別されていない子供もけっこう多く、区別されるまでに2年くらいかかる子供もいます。できる人からすれば、唇を閉じるのか少し開いたままでい るのかにすぎませんし、日本語でも「マ行」の m 音系は存在するのですから、そんなに難しいはずはなかろうと思うかもしれませんが、小学5年、6年くらいになるまでは、本当は日本人の日本語の音も「固 まってはいない」のです。(子供のしゃべりが可愛いのは、日本語の「中間音」が多く含まれている時期だからです。) 日本語の「ん」は実は m 音系であることがままある、ということが影響しているのではないかと思っています。「さんま」の「ん」のように、「ん」の次に m 音系が続くと、日本語では「ん」は n ではなく m になります。(唇が閉じています。)日本語の「ん」は実は、n でも m でもあるわけです。 camera の ra のところを「ろん」と言う子供がけっこう多いのはどういうわけなのかはわかりません。日本語の音の体系と、英語の音の体系とがぶつかりあっているのだとい うことがわかるだけです。r音が日本語に「存在しない」から起こる現象だろうとは思います。子供は「ろん」に代置した方が気持ちが落ち着くのではないだろ うかと思います。 また、r 音は、日本人の英語の音の練習では、最後に根付く単音だと思ってもらっていい音です。いきなりは出ません。日本語でできかけている口の動きのどこにもそれ は「存在しない」からです。 中津遼子のように、「これはこうなんだ」と説明し、自分で言ってみせても駄目なんです。まずは、口をどんどん動かさせ、動きの「自由度」というものを作 り(このときに、口の筋肉もわずかずつ形成されます)、その後に「説明」を置くのでないと駄目です。中津が自分でいくら正しい音を出せても、子供(生徒) がそれを実現しないのでは意味がありません。この意味のなさは、Repeat after me.方式のすべてに言えることです。「中間音」で、どんどん動かさせるということが最初に置かれるべきものです。娘さんが今出している音は、「上等の中 間音」だと考えていただいていいと思います。 r のときは、「舌はどこにも触らない」ということを言う適期が来たら私はそれを言います。今は、まだ「準備体操をよくやって体をあたためておく」(口の筋肉 の動く範囲を少しずつ広げておく)というくらいの時期だと思って下さい。この時に、子供の声に元気があるというのが非常に大事です。レッスンの最中に横か ら何か言わないでいただくことを重ねてお願い致します。 各単音について手順が決まっていてレッスンしているわけではありません。言ってみたがまだ早かったかと思えば、またしばらく言わないでいるというような こともやります。勘で判断することが非常に多くあります。この勘の働きは、村田君と私とではかなり違うかもしれません。 私の教材は、波状的に復習が行われるようになっています。今、canon と言っている音も、半年、一年後には直っていますから注目していて下さい。直れば、つまり、camera として固定されれば、以後は canon に戻ることはありません。 素読舎の「音づくり」には、「中間音」という概念があります。福岡Mさんに書いたことも関連しますが、「中間音」を肯定しなければいけない時期に、強引 に「ネイティヴ音でやれ」というようなことを言うと、多くの子供が英語が嫌いになります。 厳密には、「ネイティヴ音」というのは、英語ネイティヴだけが出す音のことです。それは普通、「英語しか話さない(話せない)人の出す音」です。地域性 や個人的な癖にも浸されている音です。そんなものと、日本人が同一化する必要はありません。また、同一化はできません。日本在住のまま英語をやり、日本語 と英語を二つ話す人の場合(幼児期から成立したバイリンガル以外は)、その英語音は、「英語の音として通用する音」であり、決して「ネイティヴ音」などで はありません。上手な音、下手な音というのはありますが、いくら上手な音でも、日本語が第一言語である人の音は、決して英語の「ネイティヴ音」ではありま せん。ネイティヴ音だと思っている人がいたとしたら、耳が悪いのか、何か勘違いしているのかのどちらかです。勘違いしている人は、「ネイティヴ」という語 がわかっていないのです。 今、娘さんが出している「中間音」は多分、canon ではなく、camon (きゃmぉん)に近いのではないかと思っています。私にはそう聞こえていました。 スカイプの場合、マイクによって音質がかなり違ってきます。 しかし、音がかなり小さくても、マイクがどんなマイクであっても、半年、一年後には camera に直っているはずです。是非注目していて下さい。 この推移の中に素読舎の「音づくり」というものの実質があります。 |
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根 石さん投稿者:も もこ 投稿日:2010年11月10日(水) 12時20分23秒 |
くわしくありがとう
ございます。 グラデーションですか。年齢も個人差もきっとその中には微妙にあるんでしょうね。それがあるからこそ3年生まで開始学年を下げるまでにゆっくり時間をかけ てこられたのかなと感じました。(他にも理由があるとおもいますが) 娘のレッスンをきっかけに子供の音について、小学生の英語レッスンについて知ることができ感謝しております。ありがとうございます。 |
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村 田君投稿者:根 石吉久 投稿日:2010年11月14日(日) 23時31分40秒 |
「大風呂敷」から、 内田樹さんのホームページにリンクを張るのがいいと思います。 |
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連 絡用掲示板から転写投稿者:根 石吉久 投稿日:2010年12月 4日(土)03時08分8秒 |
根石さん
投稿者:ノンノン母 投稿日:2010年12月 3日(金)23時52分26秒 根石さん。パンフレット、ハリマオ届きました。連絡が遅くなりました。どうもありがとうございます。パンフレットですが、知り合いに興味をもってくれてる 人がいるのですが、 レッスンの時間が何時になるのかしりたいそうです。今二つの枠があるとのことですが、 何時があいているのか教えていただけますでしょうか。 それから、私事ですが、先日英検準2級に合格しました。二十?三十?数年ぶりに受けた試験でしたのですっかり緊張してしまったのですが、一次、二次試験と 無事に合格をすることができました。とてもうれしいです。リスニングで点を稼ぐことができていたのでレッスンでの効果であることを実感しました。本当にあ りがたくおもっています。 それから、娘ですが、3級に合格しました。こちらは私とは違い、満点に近い点数での合格でした。来年1月には準2級を受けるそうです。合格したら又自慢? させてください。 よろしくお願いいたします。 ノンノン母さん 投稿者:根石吉久 投稿日:2010年12月 4日(土)02時55分35秒 >パンフレットですが、知り合いに興味をもってくれてる人がいるのですが、 レッスンの時間が何時になるのかしりたいそうです。今二つの枠があるとのことですが、何時があいているのか教えていただけますでしょうか。 ありがとうございます。このところ気が滅入ることが多く、何をやってもうまくいかないなあと思う日もありました。力づけられました。本当にありがとうご ざいます。 私の空き枠は、金曜夜9時20分からと、月曜夜9時からの枠です。 お知り合いの方の都合と合えばいいのですが・・・。 交渉すれば、月曜9時の枠は、同じ曜日の9時40分からの枠と交換することができるかもしれませんが、12月からこの枠のメンバーが入れ替わったばかり ですので、お使いいただけるとしても、来年1月以降になります。 金曜の空き枠の時間帯は、その前の8時40分からの枠と交換していただける可能性もあります。こちらも、来年1月以降になります。 どちらにせよ、交渉の結果次第です。 お知り合いの使いたい曜日時間帯をお知らせいただけると有り難く存じます。 >それから、私事ですが、先日英検準2級に合格しました。二十?三十?数年ぶりに受けた試験でしたのですっかり緊張してしまったのですが、一次、二次試験 と無事に合格をすることができました。とてもうれしいです。リスニングで点を稼ぐことができていたのでレッスンでの効果であることを実感しました。本当に ありがたくおもっています。 私もうれしいです。英語の錆を落としただけでなく、新しい力をつけて下さっていると思います。英語はつくづく嫌気がさすことがありますが、その時に踏ん 張っていただけることを願っています。今は登り調子ですから心配していませんが、なかなか壁が破れないという時がいずれ来ます。その時に踏ん張っていただ くことを期待しています。今は、いけいけどんどんでいいと思います。 >それから、娘ですが、3級に合格しました。こちらは私とは違い、満点に近い点数での合格でした。来年1月には準2級を受けるそうです。合格したら又自 慢?させてください。 よろしくお願いいたします。 娘さんはとても着実です。私は期待しています。 以前にも書きましたが、日本人は匿名(ネット名)で書く時でさえ、我が子自慢をなかなかしてくれません。英語の力がついているとか、学校でクラスで何番 になったとか、学年で何番になったとか、どしどし自慢していただくと、私が元気になりますので、どしどし自慢して下さい。 学校名などを伏せて、自慢をお寄せ下さい。 この掲示板を「連絡・自慢専用掲示板」と呼んで下さっても結構ですので。 |
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