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Naima さんが abcd
をやるのはまったく賛成できません。こんなことを言う村田君は脳味噌が薄いと思います。なんでこんなに薄くなってしまうのかわけがわかりません。まともに
語学論をやらないから罰が当たっているのか。そうだとしたら当然の報いだと思います。
Naima さんの問題意識のうち、三単現の s,
冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなどは、知識としては基礎知識ですが、日本で英語を作った上級者について回る問題です。英語ネイティヴは5,6歳でもう感
覚化されており、この文のこの場所でなぜ a なのか、この文のこの場所ならなぜ the
なのかを説明できなくても、使う場面では間違えないということが起こります。a や the
が冠詞だということさえ知らないのですが、使う場面では間違えない。
東大の英文科の教授も間違えるが、ネイティヴの5,6歳は間違えないというような例はごまんとあると思っています。みんなしらばっくれているだけです。
an apple と the apple を例にとると、日本人の文法意識では、apple という「同じ名詞」に、an と the
という別の冠詞がそれぞれ付いたものととらえてしまうのは仕方のないことなのです。同じものにちょっと別のものがくっついたのだから、似たようなもんだろ
うと思ってしまうのです。文法意識から見れば確かにそうなのですが、ネイティヴの使用意識からすれば、an apple はこの形で一つであり、the
apple もまたこの形で別の一つであり、もともと「別の名詞」だといっていいくらいなことが生じているのだと思います。an apple
の不定冠詞を定冠詞に変えて、the apple にするのではないのだと思います。an apple でひとつの単語、the apple
で別のひとつの単語であり、後に「そういえば、この両方に apple
が含まれてるなあ」と気づくくらいなことが生じているのだと思います。生活語と語学の対象の言語は根底からして、「生きる世界が違う」のです。そういうこ
とが、三単現の s, 冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなど、すべてについて回るのです。
ネイティヴの5,6歳の子供が全然迷わずに使い分けるようなことに、日本人の上級者が四苦八苦するということは、言語を初めから使用言語としている子供
と、文法的に解析を通し、理解を通じてから感覚に至る外国語習得者の違いです。ごくあたりまえのことです。言語的ネイティヴは、感覚から理解に達し、外国
語習得者は理解から感覚に達する。「起点」が違うし、ベクトルが違います。ネイティヴの使用言語では、イメージそのものが「ネイティヴ」なのであり、「土
地」に対して「地付き」のものです。外国語習得では、イメージは「仮構物」です。外国語習得が本当に面白いのは、「仮構物」からでも根が生えるということ
です。無機物が有機物に変わるところです。本当に外国語に上達した人は、当該言語の「磁場」に暮らせば、少しずつそこに暮らしの根を張っていくでしょう。
それぞれの上達のレベルに応じた、人づきあいによって。
Naima
さんはこの例の外側にいます。私もそうです。私なんかは、「日本語ぺらぺら」なのに、千曲市鋳物師屋という「土地」にすら根を張れないで、インターネット
で英語のレッスンをしているような根なし草です。
ですが、名前に「根」だの「石」だのあるせいか、百姓の育ちのせいかどうか、「根」のことはよく考えるのです。無意識のまま子供を「幼児英会話」などに
通わせる親を「馬鹿」呼ばわりするのはそのせいかと思います。あのスチューピッドの親たちは資本主義にしてやられている人たちです。スチューピッドに
キューピッドたちがやられ、子供が「石」になっていくのです。ガイジンの教室でどれほど活き活きと動き回ろうと、あれらの子供たちは、活き活きとした石=
「ウマズメ」になります。
いくら口の達者な英語ネイティヴの子供でも大人でも、神仏習合なら神仏習合の過程で「今来の神」をなぜ日本人は歓迎する性向があったのかなど、99パー
セント以上の人が何の説明もできません。もしかしたら、100パーセントかもしれません。99パーセントと100パーセントの間に、99.
99999・・・という分数もあるので、ひとまず100パーセントと言わないでおきますが、Naima
さんは、ガイドとして腕を磨いていけば、0.00003パーセントとか、0.000000005パーセントとかいう数字の内にいる人になるのです。誰もそ
の数字を正確には固定できないだけで、そんなもんです。
Naima
さん、試験は所詮試験ですから、とにかく合格してしまえばいいんです。その後の仕事というものは、仕事自体が教えてくれることがたくさんあるはずです。
God と無冠詞で扱われるあの西洋の神は、日本人からすれば、the God
だというような説明こそ、ガイドを雇う人に必要な説明であり、「今何言った? the と言ったのか」という質問に対して、The!
だけを答えれば、向こうが「ふうむ」と考え始めるようなことで、いい仕事になるのだと思います。仕事をやっていけば、仕事が教えてくれると思います。文法
意識が有効になる場面がたくさんあると思います。
私は、欧米の政治力・経済力・軍事力の根底に God という化け物がいると思っていますが、アジアの人間としては、あれも
a god なのだと言いたいところがあります。a god
のくせに、あんまりでかいつらをしすぎる。欧米の政治力・経済力・軍事力のすべてを、その根底に潜む God
を、意識においては地べたに叩きつけておきたいというブンガクの心があります。あんまりでかいつらをするんじゃねえよと思います。このようなブンガクの心
から言わせてもらえば、ガイド試験の問題集なんかに書いてあることのうち、7割、8割はでたらめばっかりだろうとも思っています。
合格するまではそんな教材もどんどん使う必要がありますが、合格したら、柳田国男など読まれるといいと思います。柳田よりもニヒリズムの臭いが強いです
が、最近のものでは、「性的唯幻論序説 改訂版」(岸田秀、文春文庫)なども、「常民」をとらえていると思います。(ただし、ほとんど毎ページに、「セッ
クス」という語が登場します。)
ネイティヴの5,6歳の子供の使用意識ににじり寄らなくていいのかと言えば、やはりにじり寄る必要はあり、三単現の s,
冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞かなどをどうするかという問題は残ります。
まずは、完璧主義を捨てるのが大事だと思います。そして、にじり寄ることを手放さないのがいいと思います。
で、話は最初に戻ります。國弘正雄が、ネイティヴが日常で話すのは8割9割が中学の教科書レベルの英語だと言い、中学の教科書をやるのがいいと言いまし
た。ネイティヴの日常会話が中学の教科書「レベル」であるのは本当です。ですが、そのことから、中学の教科書をやればいいという結論に結びつけるところ
は、脳味噌が薄いと思っています。やっぱりあれだけ英語をやると脳味噌が薄くならざるを得ないのかと思います。(私は若い頃のいっとき、オナニーをやりす
ぎて脳味噌が薄くなったような気がしましたが、岸田秀によると、資本主義にだまされていたということらしいです。)
氷河が融けて水になって流れると、けっこうな水量の川になります。その川の流れだけ見ていると「中学の教科書をやれ」などという國弘流薄脳味噌の考えが
出てくるのですが、その川の元には、どでかい氷河があり、そのどでかさは、ヨーロッパ語成立以後の全歴史のどでかさです。完璧主義は捨てるしかないと思い
ますが、ようしやってやろうじゃないかという無謀さも必要です。Naima
さんは、そのどでかさの他に、日本語成立以後の全歴史という別のでかい氷河の水も流さなくてはならないのです。そして、全歴史という場合、書かれた勝者の
歴史だけでなく、書かれてこなかった敗者の歴史も含むのですから。あるいは、柳田の「常民」のような、勝者・敗者の外側にいた人々の歴史も含むのですか
ら。柳田の「常民」というものを外したら、日本というものはまるで説明できないのかも知れません。日本じゃなくてもそうなのだろうと思いますけど。幼児英
会話に子供を通わせる親たちも「常民」なんだろうか。あの人たちは、日本の「常民」の歴史の中で、初めて「他者」を意識した人たちなのかもしれないのです
が、やっていることが実に馬鹿です。日本人にとっての英語の問題は、そんなところにありゃしねえっての。
で、なかなか話が最初に戻れません。
三単現の s,
冠詞の有無、定冠詞か不定冠詞などは、易しい英語を扱うのでも難しい英語を扱うのでも、絶えず出会う問題です。だから、易しい英語をやればいいのでなく、
難しい英語をやるのをお奨めします。抽象語のイメージの核をつかまえていた方が、ガイドをやる場合にも役に立つと思います。
実際に使うのは易しい英語でいいわけです。だけど、抽象語のイメージの核を持っている人が使うのと、「易しい英語しか使えない人」が使うのでは、英語が
違うのです。ものごとを串刺しにするのは抽象語であり、日本のガイドが持つべきものは、個別の無数の具体語の他に、抽象語です。普段の仕事の99パーセン
トは、木刀(易しい英語)で済むが、いざとなれば真剣(抽象語)を取り出せるというガイドになって欲しいと思っています。
で、結論だけ言いますが、イメージ核受肉教材の「13万行以降」と、「8万行台」をやられるのをお奨めします。それを幹として、自分が本当に興味のある
分野で、ご自分で自由に枝を生やしていただくのがいいと思います。
とにかく、素読舎の練習を離れないというところが肝心だと思っています。 |
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