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藤原新也, ,「メメント・モリ(死を想え)」(藤原新也・情報センター出版局 19830212 第一刷)2, 20090319, 村田晴彦 ,
ちょっとそこのあんた、顔がないですよ
いのち、が見えない。
生きていることの中心{コア}がなくなって、ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、口でむとシュッと溶けてなさけない。
しぬことも見えない。
いつどこでだれがなぜどのようにしんだのか、そして、生や死の本来の姿はなにか。
今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、消える。街にも家にもテレビにも新聞にも机の上にもポケットの中
にもニセモノの生死がいっぱいだ。
本当の死が見えないと、本当の生も生きれない。等身大の実物の生活をするためには、等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。
死は生の水準器のようなもの。
死は生のアリバイである。
MMENTO-MORI
この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。その言葉の傘の下には、わたしの
これまでの生と死に関するささやかな経験と実感がある。 |
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