【12801】
「音づくりへの道」  投稿者:村田  投稿日:2008年11月12日(水)10時17分57秒
  根石さんが言及している柴田武史さんの記事のurlです。
「音づくりへの道」
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/ron/otomichi2002.html
 

【12802】
1ファン様  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月12日(水)13時22分41秒
  横レスになってしまいますが私の投稿に反応していただき、ほっとしております。

小三の息子は今回が本当に初めての英語です。
前知識は一切入れておりません。

学校には半年に一度くらい?ALTの先生がこられます。
息子の学校ではありがたいことにまだ英語学習は始まっていません。

余計なことかもしれませんが、学校のテストの点数はとても低いです。50点くらいかな。
これは自慢です(笑)
ゆっくりな子なので、テスト時間中に答案を書くことが出来ません(爆)。
いまだに鏡文字も多いです。
漢字もあまり覚えていません。
宿題もたいてい故意にわすれます(爆)。

落語は好きですね。
一度年長の時に東京旅行をしたのですが、そのときどこに行きたいかを聞くと「生で落語を聴きたい」と言いました(笑)。
いつもCDですから。

11月の川に入って大きな鯉を獲ろうと友達と奮闘しています。

こんな子にでも素読舎は効果がある、と、お伝えできて嬉しいです。
ふふふ。
あ、これからですね。
 

【12803】
根石さん  投稿者:巴里子  投稿日:2008年11月12日(水)13時40分21秒
   先日はいきなりのスカイプ、さらに、私の不手際で長い時間お待たせしていた事が一度や 二度ならず、本当に申し訳ありませんでした。Tさんが「根石さんは実に辛抱強い方だな」としみじみと語っていました。根石さんの懐の深さに感謝しておりま す。
 スカイプの威力すごいですね。文明の利器に怖れをなしています。パソコン操作、人任せでなく自力でやれるように努力します。
 Tさんが、今晩から上京の予定で、今週のレッスン参加できるかどうかはっきりしません。行った先でスカイプができれば是非とも参加したいと言っておりま す。私たちだけのレッスンはまだ行っていません。Tさんがもどってからにするつもりです。
 どうぞ、くれぐれもよろしくお願いいたします。
 

【12804】
根石さん  投稿者:ノンノン母  投稿日:2008年11月13日(木)17時18分47秒
   明日のレッスンですが、申し訳ありませんが(二人とも)都合でお休みさせてください。
 宜しくお願いします。
 

【12805】
ノンノン母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月13日(木)23時31分21秒
  承知しました。
振りかえておきます。
 

【12806】
巴里子さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月13日(木)23時37分24秒    編集済
  >先日はいきなりのスカイプ、さらに、私の不手際で長い時間お待たせしていた事が一度や 二度ならず、本当に申し訳ありませんでした。Tさんが「根石さんは実に辛抱強い方だな」としみじみと語っていました。根石さんの懐の深さに感謝しておりま す。

 私は実は辛抱強くありません。巴里子さんに鍛えられてしまっただけです。

> スカイプの威力すごいですね。文明の利器に怖れをなしています。パソコン操作、人任せでなく自力でやれるように努力します。

 スカイプは使わないってテはないだろうと思っています。ただし、プロバイダとの契約でネット使い放題になっている必要があります。今どき、それが標準な んだろうか。俺、どんな契約してあったんだろう。ふと不安になりました。
 パソコンはすっとばさないで、ひとつずつ手順を踏めば、誰でも上手になります。

>Tさんが、今晩から上京の予定で、今週のレッスン参加できるかどうかはっきりしません。行った先でスカイプができれば是非とも参加したいと言っておりま す。

 承知しました。

>私たちだけのレッスンはまだ行っていません。Tさんがもどってからにするつもりです。
 どうぞ、くれぐれもよろしくお願いいたします。

 おいおいにで結構です。
 こちらこそよろしくお願い致します。
 

【12807】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月13日(木)23時48分17秒
  >落語は好きですね。

 おすすめのCDがありましたら、息子さんに教えてもらいたいとお伝え下さい。

>11月の川に入って大きな鯉を獲ろうと友達と奮闘しています。

 私は実は、鯉釣りに狂ったことがあります。そのせいで、英語が相当鈍った記憶があります。60センチくらいの鯉を抱きかかえると、立ちが悪いと、大人で も川の中に転ばされます。浅瀬でやるに限りますが、鯉は産卵の時期以外は浅瀬に来てくれません。
 釣りよりも、直に抱く方が面白いだろうと思いますが、でかい鯉はあなどってはいけませんと息子さんにお伝え下さい。
 

【12808】
1ファンさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月14日(金)00時24分25秒    編集済
  >>あのあと本を持ち出して読んでいたので、横に行って「This is a  book」と言ってみました。「this is my book.」と返されました。

>の部分を拝読し、うなってしまいました。

 の部分を拝読し、私もうなってしまいました。ゆっくり母さんの息子さんは、「この本、俺にくれるって言ったじゃないか」「言ってないよ」「言っ たよ、この本は俺んのだ」という状況において、This is my book. と言ったのでは「ない」のではないかと思いました。
 この状況において、This is my book. だったのなら、そこには「磁場」がありますが、日本人の親子が、単に誰の本かを問題にする状況でなく、日本語の磁場で英語で用を足しているという「違うレ ベルの状況」が生じていることになります。そんな「違うレベルの状況」はまず生じないものだと考えます。
 多分、息子さんは、This is a book. というお母さんの言った文に対して、This is my book. っていう文も習ったよね、という返しだったのではないかと思います。

>先日、アメリカで演じられた日本人による英語落語をテレビで見ました。その中で日本の英語教育を揶揄している部分がありました。「なぜ日本人は、こんな に英語が下手なのか」「理由は教材が悪いから」「我々がまず最初に習う英語は"This is a pen"」「こんな英語使うことがありますか」とアメリカ人の聴衆に尋ね爆笑を誘うのです。

 This is a pen. は使うと思います。そんなものがあるかどうか知りませんが、お箸を逆さに持って、上下に振るとペン先が出てくるようなものがあったとして、「これは普通は お箸で、ご飯を食べるのに使うことが多いんだけど、レストランでご飯食べてるときに、急にメモしとくべきことを思いついたときは、逆さにして振ると筆記具 になるんですよ」という意味でなら、This is a pen. はちっともおかしな英語ではありません。
 どんな文でも、すべては状況次第で、おかしなものになるのです。
 落語家が、「こんな英語使うことありますか」というのは、それを言っておかしくない状況になる頻度を言っているのだと思いますが、頻度を問題にするな ら、アメリカの税関(でしょうか?)で、What's the purpose of your visit? に対して、Studying French. と答える頻度はどんなものか。

What's the purpose of your visit?
Studying French.

これ、会話として何もおかしくないものです。もし、これがパリの空港だったら。
おかしな英語かどうかは、状況が決めるのであり、This is a pen. という文が決めるのではありません。

 この落語家の話よりもっと面白い話だと思ったものがあります。私の友達でひょうきんなやつがいて、ハワイに新婚旅行に行ったのです。飛行機の中で書かさ れる書類に sex とあったので、週二回と漢字で書いたというのは、シモがかっているので、喜ばない人は喜ばないです。
 こいつは、ホテルに入って荷物を降ろして、さて、せっかく英語が通じる場所に来たからには、俺も英語を使ってみなけりゃってんで、嫁さんに「英語使って みせるから来い」と言って嫁さんの手を引いて、ホテルの前の通りまで行って、胸のポケットから(ボール)ペンを抜いて、車を運転している人々に向けて、 This is a pen. This is a pen. と繰り返し呼び掛けたというのです。俺も英語習っといてよかったよ、と言うので、ゲラゲラ笑いました。馬鹿のふりばかりする野郎ですが、語学の空しさとい うものをよくわかっているやつだとも思いました。

>わたしも"This is a pen." が最初に学んだ英文です。そして、自分のペンであろうと他人とペンであろうと"This is a pen." "This is a pen."と言って喜んでいたような気がします。

 肯定されるべきです。

>英語の学習が始めての小3生に対して、初めてのたった30分の電話でのレッスン後に"This is a pen."に対し"This is my pen."という反応があったというのは、私にとっては大きな驚きです。優れた教授法なのだろうと感じながら掲示板を拝見しておりましたが、頭が理論的に できていないもので、理論的な説明は入ってきません。が、今回のゆっくり母さんの投稿で恐ろしい教授法(肯定的な意味です)なのだなとうなっています。

 恐ろしい教授法でもなんでもありません。ごくごく普通の教授法です。世間がこれを普通だと言ってくれないだけです。
 「汝の道を行け、そして人をして言うに任せよ」(ダンテ)
 この道を行きます。
 

【12809】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月14日(金)01時14分47秒    編集済
  >> しかし、この「アルクの限界」を越えたところがどこかにあるのかと言えば、おそら くありません。この点は、「英語学習法業界」のらくださんが詳しいと思いますので、らくださんにフッテおきたいと思います。(らくださん、どんなもので しょう?)

>胸元高めに150キロ以上のスピードボールを投げられて、思わずのけぞりました。しばしバッターボックスを外して息を整えさせていただきます

 まだ息は荒いでしょうか。
 自分で言っておいて、自分の言を翻すようですが、「アルクの限界」を越えた方法はすでに日本にもありま す。柴田さんの教室であり、素読舎のレッスンであり、女房の昔の生徒の津田さんが通っていたなんとかという音法だけをやる教室です。(村田君、フォローし ておいて下さい。)
 これらはすべて、書籍で述べている方法ではなく、レッスンの場における実際のレッスンです。

 ここを大御所は外してしまうんですね。

 100回の繰り返しには100回の意味がある。500回の繰り返しには500回の意味がある。100回言ってすらすら言えるからカタが完成したと思うの がおおかたの人の落ちる落とし穴だ。完成に見えるものは、カタのカタチにすぎない。100回繰り返した人と、500回(をまともに)繰り返した人とでは、 カタの質が違う。同じように見えるが、質が違うということを言った功績は、國弘正雄の功績です。
 カタの質の違いは、ただちに意味の通路としての音のなめらかさの違いです。しなやかでバネがあるという場合の、しなやかさの違い、バネの強度の違いで す。しなやかでバネの強度が強いほど、意味はそこに流れやすい。意味を流す意志さえあれば、すぐに流れ始める質というものがある。100回では流れなかっ たものが、500回だと流れ始めるということがある。この場合の「意味」とは、語感、味わいまでも包含しているものだと考えています。

 しかし、國弘御大は、「レッスンの場においてのレッスン」、その過程に対してはほとんどめくらだと思っています。「只管朗読」という初心者用の方法を提 示した功績はどう打ち消しようもない國弘正雄の功績です。しかし、この大御所は、次の段階についてはほとんど何も言えていない。なぜかと言えば、次の段階 を語学「ではなく」、磁場体験に置き換えてしまった人だからです。そして、いきなり達人談義をやりだすのです。國弘が批判されなければならないのはそこで す。あんた、まんなかが抜けてるよ、です。磁場で何があったか、どんなふうに惨めだったか、それを語らなければいけないところで、達人談義かよ。まんなか が抜けてるんだよ!
 磁場体験をきちんと言葉にしないで達人談義などやらかすのは、あんた、それ、語学の地平では密輸入だよと批判されるべき大御所なのです。
 今はたまたま國弘正雄の名を出していますが、磁場帰りなんてのはそんなのばかりなのです。この人々は、向こうで何年か暮らして日本に帰ってきて英語ペラ ペラをやり、上等そうな顔をしている英語ミーハーと本質では変わりがない。

 書籍やCDなどの複製技術で伝えられるものと伝えられないものがあるということだと思います。「アルクの限界」は、複製技術で複製できるものを、生のも のと質的に同じに扱うことの限界かと思います。世の中の英語学習法の本というものは、その本性として、「アルクの限界」は越えられません。しょせん、複製 技術ですから。活字とCDのセットじゃどうにもならんものがある。複製技術の限界と言えばいいかもしれません。
 アルクはアルクとして、複製物を売らなければならないから、「アルクの限界」を臆面もなく口にするのですが、これは商売上の理由であり、語学上の理由で はありません。

 語学論として理論は言えますが、レッスンに固有の性質は、レッスンでしか伝えようがない。これは「磁場」における生な英語の「生」とはまるで違う次元に あるものですが、それが語学における「生」ということだと思います。そうでなければ、私は人様からお金をいただくことはできません。

 いつに変わらず、先走りまして申し訳ありません。
 自分の質問に自分で答えてみたくなりましたので、書いてしまいました。

 息が整いましたら、らくださんのご意見をおいおいお願い致します。
 

【12810】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月14日(金)02時24分58秒    編集済
   息子さんの様子をお伝えいただきありがとうございます。

>とりあえず(甘い母ですが)「復習しなさい」とか「一緒にやろう」とか言わず、
まず自分が…と練習をやっていました。

 それが一番いいです。

>やりながらお手本の音が鮮明に思い出せず、途方にくれることばかりです。

 いやいや、そんなに急に英語の音は口に宿りませんから、大丈夫です。

>それを横で見ていて息子は「なんか違うよ」とか、「もっと口の端をあげるんじゃないの?」とか、心配そうに言って、自分もちょっと言ってみたりします。

 「心配そうに」ってところが可愛いですね。いい子ですね。

>「あれは〜です」はなんだったっけ?
という質問が息子から出たので、「That is 〜」と答えはしましたが、自分の発音が怪しいのに聞かせていいのか?とドキドキです。どんなものでしょ うか?

 大丈夫です。だんだん私もずうずうしくなっていきまして、どかどか直すようになりますから。いつの段階において直るのでも、直るのですからいい のです。今は、単に単音のことだけですから、ブレなんか気にしないで、お母さんの音を聞かせてあげて下さい。先日、ラクダさんに、イントネーションはお父 さん、発音は息子さんで二人三脚をやれば楽しいですと言ったことも、この問題に関してです。
 いずれ、日本人が出す英語の音として「まとも」になればいいので、ネイティブ音信仰は余計なものです。日本人が出す英語の音として「まとも」であるかな いかの基準は、次の二つだろうと思います。

1.自分の発音で、英語ネイティブに大きなストレスにならない
2.英語の音を聞き取ることに上達する過程で、阻害物とならない

 これを身につけるのに、普通は2年から3年はかかります。

>「ぼくのがmyでしょ?じゃあ、あなたの、はなんだったっけ?」
というので、「yourだけど、これは○○(息子)のほうが上手だったよ」というと、「this is your book.」と私に聞かせてくれまし た。

 いい風景だなと思っています。「私に聞かせてくれました」というところがいいですね。
 your の y の発音についてですが、「喉で出す」と言っています。これは説明が難しくて、「喉で出す」と言えば一発で出す人もいますし、なかなか出ない人もいます。村 田君は、「のどちんこがふるえる」というような微妙な言い方をしていたことがありますが、「喉」を使うことを指摘しているので、説明法としてはいい言い方 かもしれません。だけど、「のどちんこのふるわせ方」を言ってみろと村田君に迫れば、さてどう言うだろうか。ポイントは「喉」を使うというところにあっ て、たとえ「喉」であっても、「ちんこのふるわせ方」ではないのではないかと。いや、ポイントがずれたな。すいません、酔っぱらっちゃって。
 「これは○○(息子)のほうが上手だったよ」ということは今後も起こると思います。しばらく、二人三脚を楽しんで下さい。日本人が出す英語の音として 「まとも」な音はお二人に必ず持っていただきます。

>こんな感じでゆる〜くやっています。

 ゆっくりゆるーくで大丈夫です。それが小学3年から始めていただいた場合の、最大の利点です。

>レッスンの時は私が画面を指差して「今ここ」というようにしましたが、
慣れるまでしばらくの間テキストをプリントアウトしても差し支えないでしょうか?

 プリントアウトの方がいいかもしれません。

>文で発音することと単語で発音することは全然ちがうな〜、と。
もちろん単語の発音も大事なのでしょうが、単語から単語にうつるときの筋肉の使い方が独特というか、一語一語の単語を発音できてもだめなんだわ〜、と、う まく表現できませんがわかりました。

 お母さんの読みの音はかなりこなれた音だったので、あれだけ読める人でもこういう感想を持つのだろうかと、ちょっと不思議な気がしました。
 言われていることは、おっしゃる通りです。

>英語圏に滞在したことはないのですが、英語圏でない国に40日ほどホームステイしたことがあります。

 どこの国でしょうか。何歳頃だったでしょうか。さしつかえないなら教えて下さい。

>そのとき、ステイ先のご家族と(お互い「外国語」として英語を勉強した者同士)、文法にしたがってお互いの言いたいことを解釈するといいましょうか…変 に崩した会話でなかったので何とか意思疎通をすることはできた、という感じでした。

 これは大事なことを言っておられると思います。これは、日本在住のままでも、方法を間違わなければ、日本人が誰でも手に入れられる英語能力です。だか ら、ひとまずはこの英語能力が普及することが一番大事だと思いますが、Monday2140 さん宛てに書いたとおり、文部科学省というぼんくら集団が権力を持ち、大学のていたらくを放置している間は、「誰でも手に入れられる」という普通のことが 普通にならないだろうと思います。学校英語は、税金をどぶに流し込んでいるものです。

>文法も大事だな〜、でも発音をなんとかしたいな〜というのがそのとき思ったことです。
>素読舎のレッスンは文法がしっかり入るところがありがたいです。

 レッスンでは、文法も発音も両方ともやります。私のレッスンは「普通の」レッスンですので当然のことです。多数派か少数派かといえば、私のレッスンは圧 倒的に少数派ですが、「普通」です。学校や英会話学校や進学塾が「普通」でないのです。

>英会話教室などを考えなかったのは、それで英語が身につく子は本当に限られているだろうと思っていた(そういう子は偶然の産物というか本人の能力による もので、英会話教室のおかげではないと感じていた)ことと、文法がむちゃくちゃにされてしまうという危惧を抱いていたからです。

 偶然の産物や本人の能力ではなく、「磁場」の有無だと考えています。
 英会話教室では、文法がむちゃくちゃになるというのは、その通りです。

>友達にも徐々に話を広げていくつもりです。
あまり交友関係が広くないので、ちょっと時間はかかると思いますが。

 ありがとうございます。営業能力のなさが最大の素読舎の欠点なので、というか、言いたいことを言う友達によると、「お前がものを言うと、入塾しようと 思っていた人も入塾しなくなる」そうです。単に営業能力がないんじゃなくて、私が営業を壊しているということらしいです。そうかもしれません。今日も村田 君を相手に嘆いたのですが、「死んだ言語なんてことを言っても、誰も塾に来てくれねえもんな」と言いました。だけど、言いたいことはそれなんで、困ってし まいます。語学の言語は「死んだ言語」であり、「からっぽ」でいいということが私が言いたいことなのです。

>ガチガチの語学論…に参加できない私ですが、こういうゆるいのもいることで敷居が低くなるかもしれず、今後も書き込みさせていただきます。

 ええ。是非お願いします。
 

【12811】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月14日(金)03時06分11秒
  >次男はなかなかにへそ曲がりです。長男とはやはり違いますね。

 そちらでも「長男のジンロク」って言いますでしょうか。
 ジンロクってよくわかりませんが、私も長男で、ジンロクだなあと、ジンロクのくせにせせこましい人間になっちまったなあと思うことがあります。
  下の子はどうしても揉まれますから、「へそ曲がり」にはなりますね。へそなんかいくら曲がっても、しょせんへそですから、なにほどのこともありません。せ せこましくならなければいいんで・・・。長男のくせに、へそが曲がっただけでなく、せせこましくなっちまった俺はどうすればいいんだあああ、と、 Clear Asahi とかいう安い酒を飲みながらうめいております。

>月曜日は夫がたいてい早い時間に家におりますので、それで大人しくしてくれたのかもしれません。

 旦那様のご協力をいただくことがあるかもしれません。よろしくお伝え下さい。

>12月に入って曜日や時間が変わった頃が乱入時かな。

 先日試しました 私→お母さん→小学3年生 という順番を今後も試してみたいと思います。うまくいくようなら、乱入は期待して待ちます。

>すごくがんばったな〜、と、親ばか全開で、昨日はわれながらおかしいくらい優しい母でした。

 30分でも、小学生はすごく疲れるようです。だんだんレッスンの進め方がわかってくると疲れは半減、慣れてくると疲れなくなってくれると思います。

>でもすぐ好奇心がわいて、大人用の教材というのはどんなだろう、なんておもっていたりします。

 小学生用の教材は、「ゴースト・イメージ核受肉教材」というのに接続しています。この「ゴースト・・・・」というのが大人用というか、高校生以後の教材 になっています。興味がおありでしたら、レッスンの時に、スカイプを使ってお送りします。

>ただ息子が志村けん(ご存知ですか?)「あぃ〜ん」の顔だ、と言うのでなんとも・・・。
般若の面はあごがしゃくれた感じがしたからでしょうか?
あごつきだしちゃまずいんじゃないか、と、「違うよ」と言っていますが。

 なるほど。「あぃ〜ん」でしばらくやってみていいよと息子さんに言って下さい。「あぃ〜ん」でも「般若」でもいいんです。「あぃ〜ん」だけど、顎を突き 出さないっていうのでいいんじゃないでしょうか。「一瞬般若」っていうのは、「あぃ〜ん」だけど、顎は突き出さないっていう認識が成り立てば、息子さんに とっての最短距離です。これは音に対する単なる「あだ名」なので、音そのものが備わればいいことです。で、高校の英語の先生とか、一流企業の優秀な社員の 生徒さんに、これは「あぃ〜ん」ですと私が言いにくいので、今後も私は「一瞬般若」で指示します。

>>提案があります。レッスンのやり方と発音のポイントを習得されたら、ご近所のお子さんを集めて塾をやられたらどうでしょうか。

>ひえ〜〜〜!
でも楽しそうですね!夢が持ててうれしいです♪やってみたいです。それまでご指導をよろしくお願いいたします。

 私は以前から、日本の英語を変えるには小さな塾が一番だと思ってきました。塾をやるのに、素読舎のレッスンを受けていただくのがいいとも言ってきまし た。結構本気でそう考えてきたのですが、この考えをまともに相手にしてくれる方がなかなか現れてくれませんでした。
 「やってみたいです。」の言葉に力づけられています。こちらこそ、よろしくお願いします。是非実現して欲しいと願っています。
 

【12812】
おはようございます  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月14日(金)07時00分11秒
  今朝も親ばか全開のゆっくり母です。

掲示板の品位を落としているのではなかろうか、と思いつつ、懲りずに書き込みしております。

1ファンさんへの根石さんのレスを読みまして、落語の「この子は東西南だ」といわれて喜んだ母親の小話を思い出しました(笑)。
私の親ばかにつける薬はないですね。

昨日は教材をプリントアウトして、息子とちょっとだけ復習らしい復習をしてみました。
やはりプリントアウトでしばらくやらせてもらいます。
今日もやる、と今横で申しておりますので、あまり多すぎない程度にやろうと思います。

>いやいや、そんなに急に英語の音は口に宿りませんから、大丈夫です。

よかったです。

>大丈夫です。だんだん私もずうずうしくなっていきまして、どかどか直すようになりますから。いつの段階において直るのでも、直るのですからいい のです。今は、単に単音のことだけですから、ブレなんか気にしないで、お母さんの音を聞かせてあげて下さい。先日、ラクダさんに、イントネーションはお父 さん、発音は息子さんで二人三脚をやれば楽しいですと言ったことも、この問題に関してです。

これを伺ったので、安心してやります。

>「ちんこのふるわせ方」ではないのではないかと。いや、ポイントがずれたな。すいません、酔っぱらっちゃって。

これはやはり息子の方が上手でしょう(爆)。

と書いている横で、いつもにもまして息子がのんびりしていました。
ので、「学校遅れるよ」と言いましたら「休みでしょ?」と。
いや、今日は金曜だというと慌ててパンツをはいて時間割をはじめました。
一日間違えていたそうです。

無事学校に登校したらまた続きをかきます。
 

【12813】
登校しました  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月14日(金)07時50分6秒    編集済
  「母ちゃんがゆっくりパソコンしているから休みかと思ったんだ」と照れ隠しをしておりま したが、いつもより30分早く起きている時点で休みと勘違いしていたことがばれてる、と返すとえへへ〜、と笑って登校しました。

落語は「枝雀の『饅頭怖い』と、志ん朝の『化け物使い』がすきだって、先生に伝えといて」と言っていました。

鯉はもう、さすがに来年まで川に入らないだろうとは思います。
一番私が悩んでいるのは、鯉を獲ってこられたらどう料理するんだい?ということで、ウロコがすごそうだし、髭があってなんだかおじいちゃんを料理するみた いな気がするし、泥を吐かせなきゃいけないというし…と、悶々としております(爆)。
ウロコの固さは前にスズキなら料理したことがあって、床がウロコだらけになって往生しましたが、あれと比べてどうなんだろう?と興味はあります。


>>英語圏に滞在したことはないのですが、英語圏でない国に40日ほどホームステイしたことがあります。

>どこの国でしょうか。何歳頃だったでしょうか。さしつかえないなら教えて下さい。

またまたとんちんかんなことを書いちゃったようなきがしています。
ドイツとオランダです。
高校三年生の夏休みです。
英語圏という言葉の使い方を間違えたかしら、とドキドキしています。
旅行者などで英語を話す機会は多いと思いましたが、ホストファミリーは日常は全部母国語(ドイツ語とオランダ語)でした。
お父さんたちはさすがに英語に自信がありげに話しておられましたが、ママさんたちは辞書を片手に、でした。
日常の話はお互いに何とかなるのですが、ちょっと込み入った話をしたいときには文法が役に立ったな、というのが強い印象だったのです。
私は当時別に英語科のようなクラスにいたわけでもなく、ただいくつかの偶然が重なってホームステイすることになり、一生懸命英語を勉強していた友達にブー ブー言われました。

本当、学のない人間ですし、見識もないので、頓珍漢な話だったらすみません。

今書いておもったのですが、ホームステイの時、ホストファミリーの方は私の発音がひどいので、「文法を頼りに」理解しようとしてくれた、というのが本当か もしれません(爆)。
ただ相手の話す英語ははじめからわりと文法どおりで、わかりやすいな、と思ったのも本当です。

すみません、毎日アホ全開で。
先輩のみなさま方ごめんなさい。

>これは大事なことを言っておられると思います。これは、日本在住のままでも、方法を間違わなければ、日本人が誰でも手に入れられる英語能力です。だか ら、ひとまずはこの英語能力が普及することが一番大事だと思いますが

でも発音が本当に「通じない」ので、往生しました。

>1.自分の発音で、英語ネイティブに大きなストレスにならない
>2.英語の音を聞き取ることに上達する過程で、阻害物とならない

>これを身につけるのに、普通は2年から3年はかかります。

2〜3年後が楽しみです。
中学〜高校6年、その後約15年抱えてきたコンプレックスが2〜3年で何とかなるって面白いな、と。

>レッスンでは、文法も発音も両方ともやります。私のレッスンは「普通の」レッスンですので当然のことです。多数派か少数派かといえば、私のレッスンは圧 倒的に少数派ですが、「普通」です。学校や英会話学校や進学塾が「普通」でないのです。

「普通」が小数派、ということが怖いです。いろんなところでそう感じます。

>偶然の産物や本人の能力ではなく、「磁場」の有無だと考えています。
 英会話教室では、文法がむちゃくちゃになるというのは、その通りです。

そういえばうまくいった子たちは「磁場」を意識的に作っていたな、と思いました。
ネイティブと話す機会を意識的にたくさん作っていました。
友達として家に行き来したり、留学したり。

本人に相当「モノにする」という意識があるような気がしていました。その本人の意識を「素質」と表現しましたが、本人次第で親も磁場体験?を応援してると 思っていました。


>ありがとうございます。営業能力のなさが最大の素読舎の欠点なので、というか、言いたいことを言う友達によると、「お前がものを言うと、入塾し ようと思っていた人も入塾しなくなる」そうです。単に営業能力がないんじゃなくて、私が営業を壊しているということらしいです。そうかもしれません。今日 も村田君を相手に嘆いたのですが、「死んだ言語なんてことを言っても、誰も塾に来てくれねえもんな」と言いました。だけど、言いたいことはそれなんで、 困ってしまいます。語学の言語は「死んだ言語」であり、「からっぽ」でいいということが私が言いたいことなのです。

私も「あなたの話はジグゾーパズルだ」とよく言われるので、大してお役に立てない気がしますが、いいものを薦めたい気持ちは強いので、薦めます。
私がちったぁましになれば宣伝になるだろうと思いますが、時間が必要ですね〜。

『死んだ言語』でよい、という語学に惹かれているくせに、理解には程遠く、変な伝え方をしちゃいかんな〜、と。とはいえ哀しいかなあほなので、素で行きま す。

まだレッスンについてはどうなるかわかりませんが、一昨日話をした友達が興味を持ってくれて、今日その子のうちに行ってスカイプをダウンロードする手伝い をすることになりました。
お子さんは小二なので、春から、という気持ちかもしれませんが、ひょっとすると本人がお試しレッスンを受けてみたい、と言うかな〜(とらぬ狸のなんとやら です)。
確かまだ枠がありますよね?「一ヶ月無料なんよ」というとびっくりされました。
この友達が受ける受けないにかかわらず、口コミで広まるといいなと思います。

もう一方昨日お話した友達のお子さんも小二で、来春からかな〜、と言いながら聞いてくれました。
「どんな風にやるん?」といわれて、こんな感じ〜、と思いがけず電話でレッスンの再現…もとい、教材片手に説明しました。

どちらのお母さんも「そのテキストなら子供と一緒に私もできる気がする」と。みんな思うことは一緒、苦手意識も一緒だな、と思いました。


>私は以前から、日本の英語を変えるには小さな塾が一番だと思ってきました。塾をやるのに、素読舎のレッスンを受けていただくのがいいとも言ってきまし た。結構本気でそう考えてきたのですが、この考えをまともに相手にしてくれる方がなかなか現れてくれませんでした。

学校の先生方もたいていいきなり教える立場に立って、右往左往されているのだと思います。
泥縄式ですから。

昨日学習塾をやっている友達と話していて(自宅で小さな教室をされている)、「一緒にやろうよ」というような話が出ました。
息子たちが相手にしてくれなくなる頃には何か形にしたいな〜、と思いました。
でもこんなアホで大丈夫かな〜、とそこは不安ですが。
その頃にはもうちょっとこの掲示板にふさわしいことが書けるようになるかな・・・。

とまあ、妄想が膨らんでいます。
 

【12814】
状況  投稿者:1ファン  投稿日:2008年11月14日(金)10時15分3秒
  >この状況において、This is my book. だったのなら、そこには「磁場」がありますが、日本人の親子が、単に誰の本かを問題にする状況でなく、日本語の磁場で英語で用を足しているという「違うレ ベルの状況」が生じていることになります。そんな「違うレベルの状況」はまず生じないものだと考えます。
 多分、息子さんは、This is a book. というお母さんの言った文に対して、This is my book. っていう文も習ったよね、という返しだったのではないかと思います。

そうですか。わたしの想像した状況はこうでした。

ご子息が本を読んで(眺めて)おられる。ゆっくり母さんがそばに来られて、その本を指して"This is a book."と、ご子息にとっては習いたての文を言ってみられた。ご子息は、「ぼくの本だよ」と反応された。

これだと、恐ろしすぎますね。根石さんのおっしゃるような状況なのでしょうね。このご説明で根石さんのよく使われる「磁場」の意味がモヤモヤと分かってき たような気もします。

昔、友人が冠詞の使い方が難しいのでネイティブの先生に尋ねたそうです。すると、先生は所有代名詞で用が足せるなら所有代名詞を使うと楽だというようなこ とを言われたとか。いまだに、"a"だの"the"などとうなっているのに、英語初めての小3生の反応に驚愕した次第です。

英語とは関係ないですが、最近親御さんの投稿が多く、昨今話題のモンスターペアレトなどとは違って、きちんとお子様を愛している親御さんたちを垣間見るこ とができほのぼのした気持ちになり嬉しいです。
 

【12815】
状況は  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月14日(金)10時58分31秒    編集済
  営業活動に出かける前にHPをプリントアウトしています。
友達に見せます。

>1ファンさま

状況はほぼご想像通りです。
長男がウルトラマンの本を読んおり、次男も向かい合って別の本を読んでいましたので、私が長男の横に行っ て、次男に目を向けて(次男巻き込みの下準備&長男の様子見)「This is a book.」と言いました。そうすると長男は次男のと私の顔を順番にみて「This is my book.」と答えました。
下の子がとにかくおにいちゃんのものを欲しがるので、長男にとっては「それぼくの〜」という状況はたくさんあります。
なので夫と2人、まずその英語かい!と思わず笑ってしまいました。
が・・・、今回は「a」では不都合だ、というところまでは考えていないと思います。

過去ログに「a」と「the」の違いを根石さんが生徒さんに窓のたとえで説明されたエピソードがあり、これをうちの子が聞けるのはいつごろかな〜、と楽し みにしている私です。
そのときの反応が楽しみです。

モンスターペアレント…あまり好きな言葉ではないです。
こういう言葉があることで、逆に学校にとって「不都合な親」がこの名を付けられて発言の真意を汲み取ってもらえないことがあると感じていますので。

私はただの親ばかですが、1ファンさん、これからもよろしくお願いします。
ご縁が嬉しいです。
 

【12816】
打席に戻ります  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月14日(金)21時48分15秒
  國弘正雄さんのことを私も考えていました。

>「只管朗読」という初心者用の方法を提示した功績はどう打ち消しようもない國弘正雄の功績です。しかし、この大御所は、次の段階についてはほと んど何も言えていない。なぜかと言えば、次の段階を語学「ではなく」、磁場体験に置き換えてしまった人だからです。そして、いきなり達人談義をやりだすの です。國弘が批判されなければならないのはそこです。あんた、まんなかが抜けてるよ、です。

以前過去ログを読み、根石さんの國弘さんへの評価は存じておりました。たしか、上記に加えて、國弘さんはご自身の「只管朗読」の過程において、稽古をつけ てくれたネイティブ(確か米兵でしたか)が果たした機能について、つまびらかにしていない、という批判もされていたように思います。そうであれば、「只管 朗読」さえも初心者用としての限界を持っている可能性がある、ということになるかと思います。

私が注目したいのは、それでも根石さんが國弘さんの功績を評価されているということです。根石さんの語学論から見た場合、力点はむしろ批判の方にあるのだ とは思います。それでも功績は功績として評価されている、そこは大事なポイントと感じます。

「アルクの限界」を「CDを使った音読練習の限界」と一般化したいと思います。おそらくDVDを使っても同様の限界があると思います。限界があるという点 に関しては、それはそうなのだろうと思います。その上で私の現時点での考えを述べるなら、

限界があったとしても無益とは言えないのではなかろうか。

というところに落ち着きます。素読舎、柴田さんの教室...でレッスンを受ける事ができるごく少数の幸運な人々以外の圧倒的多数にとって、「CDを使った 音読」は、次善の策として推奨されて良い方法ではないかと考えます。

根石さんが素読舎をやめてしまおうか...と発言された時、ついにその時が来てしまったか、という思いとともに、今後の事をあれこれと考えました。レッス ンが終了した時、私が息子にしてやれることは何だろうか。英会話スクール?--NO、ネイティブの個人レッスン?--NO、地元の塾?--NO,NO, NO。やはり「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」、これ以外に考えつきません。その方法に限界があるとしても、採りうる方法としては最 善なのではないか、そのように思うのですが、いかがでしょうか。
 

【12817】
根石さん  投稿者:matsu  投稿日:2008年11月14日(金)22時10分5秒
  今日のレッスンで、昨年の11月の後半から始めた息子のレッスンも、丸一年となりまし た。この間、一回も欠かさずに受講できて、本人は英語はもちろん、勉強全般に自信がもてるようになった様子で、本当に感謝しています。
新教材に移行してからは、教科書の回転読みは、もっぱら親子でおこなっていますが、そのために実質的に教科書を読みこむ時間は、以前より長くなったと思い ます。もっともその恩恵は、父親の方が多く受けているかもしれません。
親のほうは、近頃とみに記憶力の衰えを実感しているのですが、口の筋肉で覚えこむ、いわば「運動記憶」の持続力には、内心驚いています。
素読舎の方法は、中高年の語学学習にこそふさわしいものなのかもしれません。
最近の根石さんの書き込みには興味深いものが多く、「しなやかなバネ」という道具のことと、その目安が「語数」であるという指摘は、さっそくたどたどしい 自分の独習に役立てています。
 

【12818】
根石さん ゆっくり母さん  投稿者:村田  投稿日:2008年11月15日(土)03時08分26秒
  ゆっくり母さん、初めまして。素読舎戸倉分室の村田です。

>「のどちんこのふるわせ方」を言ってみろと村田君に迫れば、さてどう言うだろうか。

「のどちんこがふるえる」っていうよりも、「のどちんこが喉の奥でつく」っていうような言い方し
てたと思います。その結果としてのどちんこが震えるという感じではないでしょうか。

ことに気づいたのはsbさんのおかげでした。その頃の私はyearとearの違いには意識的ではなかったです。
 

【12819】
トマティス  投稿者:村田  投稿日:2008年11月15日(土)03時17分25秒
  津田さんの通っていた教室は、トマティスセンターです。

過去ログから引用します。

===============
340. トマティスセンターに通って 投稿者:津田 美鶴 投稿日: 7月16日(月)12時09分33秒

 根石先生へ
 STさまへ

 トマティスセンターでは、私は聴覚、発音訓練のみ受講しましたが、語学に限らず他にもたくさんの講座があるよ
うですね。
 料金については、24回(1回2H)でだいたい18万円程です。教育訓練給付金制度を利用すればだいたい4万円強で受講できます。

 受講前と受講後の変化は、自分の声で確認できました。入学後、日本語と英語の両方の声をテープに録音し、最終日に聞き比べましたが、英語の音に深さが出 せ、不思議と英語の方が発音しやすくなっていました。

 トマティスの活用法ですが、受講後は、音が取れて発音ができる状態ですので、その準備ができていない、又はその時間が持てない方に比べると、数 段イメージへの転換が早い!と思うのです。もちろんこういう機関に通わなくても英語の音をつくることは可能ですよね。ただ、発音訓練はどの語学教材も単調 でおもしろくありませんでしたので、おもいきって受講してみました。


 それまでの私の英語の発音についてですが、先生から誉められたこともなければ注意されたこともないという、「フツウの発音」だったと思います。抑揚がな かったんですね。きっと。トマティスのスタッフの方は、「もともと発音がきれいなので、あまり変化が感じられないかもしれませんね・・・。」とおっしゃっ ていましたが、自分では、発音がきれいだとは思ったことがありませんでした。学生時代は、sheをseeの音と同じだと思って発音していた事がありますか ら。これは誰か注意してほしかったですね(笑)英語をきちんと聴いていなかったんですね。

 日本の教育では、発音はあまり重要視されていないように思います。それは、指導できる方がまだまだ少ないということも問題かもしれません。そればかりに こだわることはありませんが、違う音で覚えてしまうと、その音を聞いた時に、せっかく意味がわかっていてもイメージが動かない様な気がします。音の認識が 行われない様に思うのです。
===============
 

【12820】
馬の骨さん  投稿者:村田  投稿日:2008年11月15日(土)04時38分23秒
  ・言語によって特有の周波数帯(パスバンド)があって、その周波数帯をはずれた音は聞き 取りにくい。
・特有の周波数帯は子供の頃に形成される。

これはその通りなんだと思います。

>どうやら、ロシア語は、きわめて広いパスバンドを持つ言葉らしいが、はたして、ロシア人は 、他言語習得に堪能だろうか?

南原充士さんのこの疑問、答えは「堪能とは限らない」ではないだろうかと思います。
聞き取ることができる音の幅が広いということは有利ではあるでしょう。
しかし他言語習得には、音と(語の持つ)イメージを強固に結びつけるという過程が不可欠です。
身を使った訓練なしにそれはありえません。これは聞こえやすいか聞こえにくいかとはまた別の話だと思います。

パスバンド理論というのが気になって、調べてみました。
そうしたらトマティスセンターにたどりつきました。
http://www.tomatis-japan.com/welcome/method/index.html

>トマティスの基本三法則
>       1. 耳で聴き取れない音は発音できない。
>       2. 聴覚の改善により発声にも変化が現れる。
>       3. 聴覚の改善後、発声の改善も定着させる事ができる。

「耳で聴き取れない音は発音できない。」
素読舎では「自分で言えない文は聞き取れない」ということを言います。
素読舎では日本語の音を足がかりにして素読を原理とした方法で訓練することにより、「通じる音」を手に入れていきます。その過程で、「聞こえる耳」も育て ていると思います。
確かに、「言語のパスバンド」は子供の頃に形成されて、大人になってから広げるのは難しいのかもしれませんが、訓練によってなんとでもなる、と思います。

パスバンド理論について興味深いサイトがありました。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9415/sikou/sikou31_081107_passband.htm
「日本語のネイティブは低周波音を聞き取りやすい。従って、低周波音被害に遭う可能性が非常に高い」
 

【12821】
村田君、馬の骨さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)01時49分59秒
  ・言語によって特有の周波数帯(パスバンド)があって、その周波数帯をはずれた音は聞き 取りにくい。
・特有の周波数帯は子供の頃に形成される。

 日本語使用時と英語使用時で、脳の働く部位が違うことが映像化できるらしいですが、「特有の周波数帯」の問題は、「脳の部位が違う」こととどう関係する のかしないのか。

 私は、「脳の部位の違い」をもたらす最大の要因は、言語シンタックスの違いだと考えてきました。
 子供のネイティヴ言語習得過程では、言語(シンタックス)は外在物であり、子供は外在物としての言語(シンタックス)の中に白紙として生まれてくる。こ の場合、「白紙」というのは、言語習得の可能性(言語獲得能力)の先験性とは矛盾しません。
 新生児は、言語獲得能力を(なぜか)最初から持っていて、個別の具体的な言語に対しては「白紙」であるということです。新生児は、どんな言語であろう と、それが個別の具体的な言語であれば、習得してしまうという意味で「白紙」です。
  (この「言語獲得能力」が、チョムスキーの言う「普遍文法」ではないかと考えてもいます。生まれてきた赤ん坊には、能力としての(あるいは意欲としての) 「文法」以外に他に文法らしきものは何も見当たりません。能力や意欲が「文法」だとしたら、そういう文法を誰が書いたのか。「神が」と考える人もいるし、 「自然が」と考える人もいます。私は「自然が」と考えています。自然史の一齣である、と。)

 外在物を内在化させる過程に必ず作用しているのが「媒介物」であり、言語習得の場合は、それがまずは、「音」である以前に「声」だと考えてきました。 「音」ではなく「声」だと考えるのは、(あくまでも「言語獲得能力」にとっては)、(多くの場合)母親であり、親しさであり、まったく心を開ける相手だか らです。赤ん坊に聞こえているものが、「音」などという外在物であるわけがない。「母親」も客体であるわけがない。「言語獲得能力」にとっては、母親や親 しさや愛情の間に何の区別もなく、それらと「声」との間に何の区別もなく、おそらくその「声」と自分との間にも区別がない。しかもなお、それは「声」とし て「自分の中に」響くものです。自分のものです、というか、もしかしたら、その「声」こそが「自分」というものの原初です。
 「内在化」。それが原初にあるものです。
 物理学が客体として扱う「音」とか、生理学が耳が聴き取る客体だとするものは、赤ん坊にとっては(「言語獲得能力」にとっては)「声」として「自分の中 に響くもの=内在物」です。客体と愛情や感情の間に区別がないからこそ、それはきわめて容易に「内在物」になる。
 ネイティヴ言語習得の「媒介物」は「声」(愛情や感情)であり、語学(言語)習得過程の「媒介物」は「音」だと分けて考ればいい。「音」だったら、愛情 や感情はなくても成立します。それが語学の場面です。
 いずれにせよ、そこには「媒介」されるものがあります。「媒介」するという行為が、赤ん坊が人間の赤ん坊であるという自然がもたらすものであるか、人間 の個の意志がもたらすものであるかの違いがありますが。
 ネイティブ言語習得過程では、声が媒介にされ、「母語」が固定されます。音やシンタックスなどの外在物が内在化されて、固定されます。これはきわめて早 期に、子供が2歳3歳頃に固定が始まります。「音」だけに限って言えば、よく聞き取るべき周波数の範囲と、聞く必要のない周波数の範囲の区別が固定され始 める時期と言ってもいいと思います。
 幼年期の早期に固定される区別を相対化し、再度、「自分」を異質な音やシンタックスに向けて開くのが、語学という行為だととらえればいいと思います。語 学という行為は、本当は実にダイナミックな行為なのです。

>トマティスの基本三法則
>       1. 耳で聴き取れない音は発音できない。
>       2. 聴覚の改善により発声にも変化が現れる。
>       3. 聴覚の改善後、発声の改善も定着させる事ができる。

>素読舎では「自分で言えない文は聞き取れない」ということを言います。

 ここのところですが、トマティスは幼児のネイティヴ言語習得過程を語学の方法としてしまっているのが理論として錯誤を含みます。というか、逆立ちしてい ます。耳で聞き取れない音は発音できないというのは、耳で聞き取る音を発音するようになる幼児の言語的ふるまいをなぞったもの言いですが、語学において は、耳で聞き取れない音も人間はいくらでも発音できます。「口の両端を斜め上に」と私が指示し、生徒が出した音を、私が「そうだ、その音だ」と言ったと き、生徒の中に生じている感覚が肯定されます。この肯定された感覚が核になります。言ってみて、その時生じた感覚が肯定されたことにより、感覚的な核が生 まれ、耳が働き出すということは語学では常に生じていることです。
 トマティスの基本三法則は、「基本的な間違い」三法則と言うべきです。
 トマティスの三法則は、幼児のネイティブ言語習得過程にあてはまるものであり、語学はその全体を相対化する行為だというところが暗闇になっています。ト マティスは、こういう暗闇によってお金をもうけてはいけません。
 柴田さんの生徒たちは「おとなしい羊」であり、私の生徒たちは「泥だらけの山羊」だというようなことを、以前書いたことがあります。(なにしろ、「泥だ らけの山羊」をやっていた日には、中学受験なんかなかなか通過できません。)この言い方で言うなら、津田さんがトマティスを使って効果を実感できたのは、 津田さんが「おとなしい羊」だったからだと考えています。だから、「おとなしい羊」の方々はトマティスを使えばいいし、「泥だらけの山羊」の方々は素読舎 を使えばいいということが言えると思います。
 津田さんは、赤ちゃんの「白紙」を当時お持ちだったのであり、それは津田さんの美質だと思ったことをかすかに覚えています。普遍化はできないとも思いま した。

>しかし他言語習得には、音と(語の持つ)イメージを強固に結びつけるという過程が不可欠です。
身を使った訓練なしにそれはありえません。これは聞こえやすいか聞こえにくいかとはまた別の話だと思います。

 おおざっぱにはそういうことだと思いますが、これについてはまた後で書きたいと思います。「強固に結びつける」ということが「瞬間化」と同じことなのだ という観点を提示しておくだけにしますが、タイミングを見て、話題を再度提示してくれることを村田君に頼んでおきたいです。
 

【12822】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)03時01分0秒    編集済
  >「のどちんこがふるえる」っていうよりも、「のどちんこが喉の奥でつく」っていうよう な言い方してたと思います。その結果としてのどちんこが震えるという感じではないでしょうか。

 「ふるえる」ではなかったんですね。いいかげんに解釈しておりまして済みません。
 「喉の奥でつく」でも、どこに着くのか。その部位は、一般的な用語にないです。まあ、のどちんこの近くの場所に着くのであるのは間違いありませんが。
 「つく(着く)」というより、「のどちんこのあたりで、息の通り道が狭くなる」ってのはどうでしょうか。

>ことに気づいたのはsbさんのおかげでした。その頃の私はyearとearの違いには意識的ではなかったです

 あれは、sbさんが我が家に遊びに来ていたときに、sbさん、村田君、私との間で出た話だったように覚えています。sbさんは、[J]音を、口 蓋の中の舌の位置で説明しようとされていて、私にはまるでピンとこなかったのでした。後で考えて、村田君に、舌の位置が本質ではない、「喉で出す」とか 「喉の音」っていうのが本質だと言ったことを覚えています。

 sbさん、今でもこの掲示板を読んでくれていますでしょうか。sbさんは「作戦・部長」(のローマ字表記)の頭文字からとってsbさんだったのですが、 その後なにか作戦はありましたでしょうか。

 音には個々にその本質があると考えています。
 私は、当然のことながら、英語ネイティブの人より「下手に」英語を発音します。しかし、音には個々にその本質があると考え、特に日本人にとって重要にな るいくつかの本質があると考え、それを言葉にできるという点で、英語ネイティブなどは私の足元にも及ばないと、強引に、思い切って考えてきました。
 英語ネイティヴが英語のネイティヴ音を出すのは、馬鹿らしいほどあたりまえのことです。日本人はそんな馬鹿らしいことをなんで崇めているのか、わけがわ かりません。ネイティブ音を出せることに価値があるなら、私が生徒の発音を変えることができることより、私が日本語のネイティブ音を出せることの方がよっ ぽど価値があるはずです。しかし、そんな「はず」では、語学職人がつとまりません。
 自分がネイティブ音を出せても何の価値もない。生徒の音を変えることができなければ駄目だというのは、アメリカ帰りのぺらぺらをやる日本人教師にも言え ることです。

 音の本質に関して、例えば、

 「一瞬般若」は、口の両端が動く音。口の両端が動くことが本質。
 「口の両端を斜め上に」は、一般的な発音の教科書とは説明法が違います。「エと言いながら、アと言う」などという馬鹿みたいな説明法が馬鹿みたいである のは、そんなことを言われれば、「二つのこと」をやるのかと普通の日本人が受け取ることを避けられないからです。そうじゃない。あくまでも一つのことをや ればいい。それは、「口の両端」さえちゃんと動けば出る。ズレがあるが、ひとまずは誤解が生じない音として出る。それをまず出させ、固定化することが肝心 なことです。
 口の両端だけを意識して、その音が簡単に出せるようになった生徒に、「顎を下げるともっと感じのいい音になる」と言えば、私の方で「おおっ!」と思うほ ど、簡単に品のいい音が出せるようになります。
 同時に「二つのこと」は不親切であるだけでなく、音の本質を見損なうのです。「一瞬般若」は「口の両端の音」であり、そこがちゃんと動けば誤解される心 配はない。この心配をなくしておいて、「顎を下げる」ということを追加するようにして、「二段階」でやるのがいい。本質は「口の両端」にあるのであり、 「顎の下げ」は付随的なものと位置づけていいからです。音の品なんかより、誤解されないことの方が重要だからです。

 [ar]は、顎だけが下に動く音。舌は持ち上がらず、息の通りが一番邪魔されない音。これは口の部位の名前で指示すると本質が言えません。本質は、「息 の通りが邪魔されない」ところにあるからです。でも、「顎だけが下に」という言い方で、ほとんどの人が出せるようになります。赤ん坊は上手に出す音です が、日本語で育った大人には結構難しい音です。私はいまでも苦手で、リハビリの最中です。

 ズレはあってもいい。個々の音の本質だけを見逃さなければいい。そうすると、英語ネイティヴの人たちが、どれほど摩り切れたジーパンをはいているかも測 定できるようになります。そんなものを崇めて、そっくり真似しようとするのは愚かなことです。

 私は、語学職人として、ネイティブ音を絶対化して崇めるようなことだけはしたくないと思っています。(聞く人の)ストレスが小さく、(自分の)聞き取る 能力が発達するのに邪魔にならない音。これが日本人が出す英語音として理想的な音です。ネイティヴ音絶対化の人たちとは、根底的に「音」に対する考え方が 違います。ネイティヴ音絶対化をやらかす人たちに、「音」に対する考えなどというものがあるのかどうかさえ疑っています。あの人たちにあるのは、崇拝だけ だろうと考えています。たかが英語音。何を崇拝する必要があるのかと、今後はあの人たちに面と向かって訊いてみることにします。

 大風呂敷を広げましたが、まあそんなことを考えてきました。
 

【12823】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)03時31分39秒
   なかなか登場して下さらないので、お待ちしておりました。

>今日のレッスンで、昨年の11月の後半から始めた息子のレッスンも、丸一年となりました。

 息子さんにレッスンをすすめて下さったこと、ありがたく思っています。

>この間、一回も欠かさずに受講できて、本人は英語はもちろん、勉強全般に自信がもてるようになった様子で、本当に感謝しています。

 いや、こちらこそ感謝しています。この一年で、息子さんはかなり変わったと思います。人に対して警戒心を持つような段階にも成長したような気がします。 電話に出たときに、おっと、なんだか冷たい声だなと思うこともあり、きわめて普通の成長をしていると思います。

>新教材に移行してからは、教科書の回転読みは、もっぱら親子でおこなっていますが、そのために実質的に教科書を読みこむ時間は、以前より長くなったと思 います。もっともその恩恵は、父親の方が多く受けているかもしれません。

 継続しておられるのですね。日本語の素読の方はどうなっているでしょうか。

>親のほうは、近頃とみに記憶力の衰えを実感しているのですが、口の筋肉で覚えこむ、いわば「運動記憶」の持続力には、内心驚いています。

 先日、國弘正雄について書きましたが、素読にせよ、國弘の「只管朗読」にせよ、「運動記憶」であると言えば、そういうことになります。その意味 で、國弘正雄は私の先達だと思っています。批判的に継承するのが、礼を失わないことだと思うものの、夜中に酒が入りますので、悪態をつくことになります。 酒のせいにしようと思います。

>素読舎の方法は、中高年の語学学習にこそふさわしいものなのかもしれません。

 生きている人なら、年齢を問いません。死んだ人には向かないものだと思いますが。

>最近の根石さんの書き込みには興味深いものが多く、「しなやかなバネ」という道具のことと、その目安が「語数」であるという指摘は、さっそくたどたどし い自分の独習に役立てています。

 ありがとうございます。具体例を言っていただけると、さらにありがたいです。

 お忙しいこととは思いますが、なるべくこちらにおいで下さることを願っています。
 

【12824】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)05時29分6秒
  >以前過去ログを読み、根石さんの國弘さんへの評価は存じておりました。たしか、上記に 加えて、國弘さんはご自身の「只管 朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ(確か米兵でしたか)が果たした機能について、つまびらかにしていない、という批判もされていたよう に思います。そうであれば、「只管朗読」さえも初心者用としての限界を持っている可能性がある、ということになるかと思います。

 私の記憶が確かならば、國弘正雄さんは、後に自分で「只管朗読」と名付けた方法で独習し、相当の期間を経て、米兵に接したのだと覚えています。米兵が 「稽古をつけてくれた」という事実はなかったろうと思います。激しい「一人練習」で厚みを作り、米兵に接して、自分の英語が通じていくことに感動したとい うことだったと思います。語学が実用に渡ったことの感動だったのでしょう。
 (→村田君、らくださんが言及しておられる部分がみつかったら、引用をお願いします)

 國弘さんが、独習では発音がくらやみになることをはっきり言わないのはよろしくありません。著書の中で、発音がくらやみになるのではないかという質問に 対して、「それでも(只管朗読を)やらないよりはやった方がましだ」というような消極的な言い方をしていますが、これは「只管朗読」という方法に対して実 に失礼なもの言いだと思います。そんな程度のことを言ったのでは、せっかくの方法を自分でおとしめてしまうことになると思います。
 「只管朗読」は、発音の指示ができるコーチ法と組み合わされたとき、最強の方法になると思っています。そうでなければ半端なものです。しかし、それで も、英語の音を徹底的に連続させるだけで、(ある程度の音のセンスがあれば)誰に教わらなくても自然に立ち上がってくる抑揚というものがあり、これは個々 の音の音価よりもずっと大事なものですから、「只管朗読」だけでも「ぐらぐらしている確かな基礎」というものはできます。
 「ぐらぐらしている確かな基礎」をまともに「確かな基礎」にするためには、「只管朗読」を、発音の指示ができるコーチ法と組み合わせる必要があります。

 何年か前に、学校の英語の先生方の会の企画で、長野のホテルで國弘さんの講演会がありました。サピオという小学館の雑誌に、「國弘流・英語の話し方」と いう本の書評を書き、礼状をいただいたご縁で、國弘さんからじかに講演会に招待していただいたので、でかけてみました。講演会の後で、國弘さんに直言した ことがありました。

 「國弘さんが組んで仕事をすべき人は千田潤一ではないはずだ。CDを聴いて真似しろじゃ駄目だ。柴田武史さんという人がいる。私の掲示板を読んで欲し い。柴田さんとこそ組むべきだ」

 私は今もそう思っています。しかし、國弘さんはコンピュータやネットはやらないと言われ、ポイントを外されてしまいました。

>私が注目したいのは、それでも根石さんが國弘さんの功績を評価されているということです。根石さんの語学論から見た場合、力点はむしろ批判の方にあるの だとは思います。それでも功績は功績として評価されている、そこは大事なポイントと感じます。

 力点は、評価するときは評価することに置かれ、批判するときは批判に置かれます。私は、先の講演会でも感じたことですが、ただすごい人として國弘を崇め ている敬虔家(先生たち)よりも、國弘正雄を正当に評価していると思っています。
 功績は功績として評価するというより、國弘正雄こそ批判的に継承するにあたいする語学論を書いた人だと思っています。ですから、批判するときは、骨を切 るつもりでやります。

>限界があったとしても無益とは言えないのではなかろうか。

 主体を学習者に置けば、どんなやみくもな方法も無益ではありません。やみくもにやることは、自分で方法を見つけることに開かれていますから。その上で、 言わせていただけば、「アルクの限界」は、柴田さんの方法にせよ、素読舎の方法にせよ、すでに日本にコーチ法が存在するのに、「CDを聴いて真似しろ」と 言っている「商売人の限界」を言ったものです。
 学校の先生が「CDを聴いて真似しろ」と言うこともありますが、これを言うと、先生のくせに「商売人の限界」をさらしていることになります。繰り返しま すが、すでに日本には日本人のための音法があるのです。先生が言う「商売人の限界」は、先生の認識不足か、おさぼりを意味します。
 「CDを聴いて真似しろ」! それでいいのなら、先生商売、楽なもんです。
 英会話学校の Repeat after me. もまた「商売人の限界」です。
 日本人の口の動きは、指示の仕方を工夫すれば、英語用に動かせるのですが、「指示の仕方」が一般的には成立していません。それを成立させようとして、わ ずかな部分ながら、実際に手をつけて実践してきたのが素読舎だと思っています。
 このあたりをもう少しはっきりさせようと思い、先日村田君と話して「素読舎の教材の使い方」というタイトルで小冊子を作ろうと思っています。

>素読舎、柴田さんの教室...でレッスンを受ける事ができるごく少数の幸運な人々以外の圧倒的多数にとって、「CDを使った音読」は、次善の策として推 奨されて良い方法ではないかと考えます。

 「ごく少数の幸運な人々以外の圧倒的多数」が確かにあるのですが、素読舎の「スカイプ(電話)でレッスン」は、空きができてもなかなか埋まらないような ていたらくです。二つも三つも空きができていたときに、連絡をいただくべき人から連絡がなかったことなどが重なったり、昔の塾生がまるで語学の方法に対し て自覚というものがないことに落胆したりして、俺のやり方は何か根本的に駄目なんじゃないかと思い、いっそやめちまおうかと思ったのでした。
 素読舎の定員というのは小さなもので、ちょっと空き枠ができると生活が苦しくなるし、ちょっと動きがあるとすぐに埋まってしまいます。そういうぎりぎり の線でやっています。職人仕事というのは、この規模でないと荒れるとも思っています。現在、無料お試しレッスンを3人の方が受けて下さっており、ようやく 少し気持ちの不安的がおさまっています。

 「圧倒的多数」の人は、素読舎に注目してくれません。「死んだ言語」だとか「からっぽの電池」なんて言っていても駄目なんですね。

 ゆっくり母さんが、掲示板に登場して下さったことで、ようやく目の前が開けるような気持ちになれました。「死んだ言語」や「からっぽの電池」のことまで 承知の上で、小学3年生の息子さんにレッスンを奨めてくださったらしいとわかり、勇気づけていただきました。

>根石さんが素読舎をやめてしまおうか...と発言された時、ついにその時が来てしまったか、という思いとともに、今後の事をあれこれと考えました。レッ スンが終了した時、私が息子にしてやれることは何だろうか。英会話スクール?--NO、ネイティブの個人レッスン?--NO、地元の塾?--NO,NO, NO。やはり「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」、これ以外に考えつきません。その方法に限界があるとしても、採りうる方法としては最 善なのではないか、そのように思うのですが、いかがでしょうか。

 「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」は、学習者(息子さん)が自分に言う言葉ならそれでいいと思います。本人がやみくもにでも、何か を突破しようとする意志の言葉として自分に命じるのなら、この言葉に力がありますし、実際にそれで突破してしまうと思います。
 たとえ親から言われたのでも、自分から発した言葉や自分が考えた方法でない限り、息子さんにおいては、あまたある方法の一つとして外在化されますので、 肝心の核が備わらないことになることはあり得ることだと思います。
 また、「教科書のCDを聞きまくり、読みまくり、書きまくれ」は、私のレッスンを1年ほど続けていただいた今なら、(息子さんの音に対するセンスが良 かったせいで、早めに音法の骨子をわかってもらえたので)現実的な言葉になっていると思います。
 音法というものなしで、息子さんがお父さんから、無媒介にそれを言われても、うまくいくかどうかはわかりません。ある水準までの英語を自分で作った親な ら、多くの人たちがこれと同じことを言うと思いますが、子供がそれを、カタチだけでなく(イメージと音、イメージと文字の連絡の瞬間化まで含めて)実現す ることはきわめて稀だと思います。もっとも、私のレッスンを受けていただいても、生徒さんの側で、「瞬間化」についてまともな練習が成立するかどうかにつ いては、かなり難しいものがあります。(絶えず、アドバイスはしておりますが。)
 CDの位置づけについては、トマティスの逆立ちについて書いた通り、最初に聴くべきものではないと思っています。自分の口をかなり動かして、自分なりの 近似値を作った後で、媒介にし、整序するために聴くものだろうと思っています。
 ネイティブ言語習得における順序が唯一の順序ではありません。語学には語学の順序というものがあります。語学というものを単なるスキルの獲得だとしない ならば、多くの場面でネイティブ言語習得の順序を転倒させることが必要になります。そのあたりをいつも考えています。

 気持ちがまったく疲れ果てておりましたが、なんとか持ち直しています。
 昨日、久しぶりに長時間、教材を作っておりました。
 

【12825】
ゆっくり母さん、1ファンさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)05時56分53秒
  >営業活動に出かける前にHPをプリントアウトしています。
友達に見せます。

 涙が出そうになりました。
 ありがとうございます。

 朝になりそうなので、1ファンさんとゆっくり母さんには、改めて書かせていただきます。
 

【12826】
音読時の注意点  投稿者:パ クパク  投稿日:2008年11月16日(日)08時45分38秒
  音読時の注意点

 1)発音とリズムの矯正はしたほうがいいのか?

 2)意味のわからない英文と、意味のわかる英文のどちらを音読すべきか?

 3)英語に頻発する冠詞(a,the)を、どのようなイメージで音読したらよいのか?



 以上を注意すると、ただひたすら音読するように、効果が得られるとおもいますが、

 皆様方のご意見をおまちしています。



 映画「奇跡の人」は、言語取得プロセスのドラマとしても
 みることができるとおもいます。

 圧倒的な不利な生徒(3重苦)に、言語を教えることができたわけですから。

 どうやって?

 非常にこういう疑問をもちながら、映画をみると、音読時の注意点がわかってくると

 おもいます。
 

【12827】
修正  投稿者:パクパク  投稿日:2008年11月16日(日)08時51分42秒
  以上を注意すると、ただひたすら音読するように==>

修正後
以上を注意すると、ただひたすら音読するより
 

【12828】
1ファン様  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月16日(日)15時33分52秒
  昨日からうちの中がとても楽しいことになっています。

上の子は「This is my bed.」とか「That is my 目覚まし時計」など、
新しく手に入れた新兵器(エイゴ)で弟を説得?しておりました。
が、昨日から次男も「This is my book.」と言いながら反撃し始めました。
次男の場合、おもちゃだろうが食べ物だろうが「my book」です(爆)。

なるほど磁場じゃないわ、と母も納得。

良く考えたら、こういうフツーの?家庭で、「まともな音」「まともな英語」が手に入れられるとしたら素読舎だろうな、と考えてはじめたんでした。
すぐわからなくなる年食った新人です。

営業用のメモを書いていたら頭が少しまとまる反面、わからないことが一杯出てきたので、またあらためて質問させてください。

はじめに書き込んだものは自分でも混乱していたので削除しました。
失礼しました〜☆
 

【12829】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)16時10分1秒
  >下の子がとにかくおにいちゃんのものを欲しがるので、長男にとっては「それぼくの〜」 という状況はたくさんあります。
なので夫と2人、まずその英語かい!と思わず笑ってしまいました。

 そうすると、おにいちゃんの方は my という語を使ったときに言えることを言おうとしていたことになりますね。しかしまあ、それは「言ってみる」ということであり、日本語でものを奪い合うとき のように本気で主張するというのとは違う気もしました。日本語でものを奪いあうときには、語になんかはまったく注意が行っていないと思いますが、この場合 では、my という語にはっきりと注意が行っていると思います。
 「言ってみる」というのは、英語を「使ってみる」ということで、そこにゲーム性があります。このゲーム性というのが、英会話学校なんかが使っているもの です。
 めんどうな話をすると、これは「磁場」における「当事者性」とは違うものです。(英会話学校には「磁場」はないと言ってきましたが、ゆっくり母さんと1 ファンさんのやりとりから、そこにあるのは、「当事者性」ではなく「ゲーム性」なのだと言えばいいんだと思いつくことができました。)
 私のレッスンはまだ一度やらせていただいただけですが、レッスン自体はごく地味なものです。地味なレッスンで得た知識で、子供が自分で勝手にゲーム (性)を作り出して遊んでいる光景だと思います。英会話学校が策として使うようなゲーム性は、子供は勝手に自分で作り出してしまうのですから、ゲーム性な んかに金を払うことは馬鹿らしいことです。
 もっと地味なところにお金をつかってくれえ、と貧乏な素読舎は今日も叫んでおります。

 私としては、「文まるごと」でものを言っているところがうれしいです。自分で好きなように語を入れ替えているところもうれしいところです。どんどん遊ば せてやって下さい。そのうちに飽きるかもしれませんが、面白がっているときはどんどんやらせておけばいいと思います。いつまで面白がって遊んでくれるの か、私の方が逆に興味を持ち始めています。
 

【12830】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)16時17分22秒
   今投稿してから、3時半頃に書いていただいたものをその後に読みました。
 やっぱり「ゲーム性」ですね。

>次男の場合、おもちゃだろうが食べ物だろうが「my book」です(爆)。

 傑作です。

>営業用のメモを書いていたら頭が少しまとまる反面、わからないことが一杯出てきたので、またあらためて質問させてください。

 是非お願いします。
 

【12831】
1ファンさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)16時44分12秒
  横槍入れてしまいました。
すみません。
どうぞお書き下さい。
 

【12832】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月16日(日)18時24分42秒
  >母ちゃんがゆっくりパソコンしているから休みかと思ったんだ」と照れ隠しをしておりま したが、いつもより30分早く起きている時点で休みと勘違いしていたことがばれてる、と返すとえへへ〜、と笑って登校しました。

 子も母もなかなかやりますね。これが言語の「磁場」というものだと思います。

>落語は「枝雀の『饅頭怖い』と、志ん朝の『化け物使い』がすきだって、先生に伝えといて」と言っていました。

 発売元も教えていただけたらと思います。しかし、面白いお子さんですね。小学3年で、落語が好きだとは。

>一番私が悩んでいるのは、鯉を獲ってこられたらどう料理するんだい?ということで、

 鯉はうろこがでかいので、料理は大変かなと思います。昔、千曲川で私が鯉を釣り、友達がその場で鯉こくを作ってくれたことがありましたが、これまでに 食った鯉こくであれが一番うまかったなあと思い出しました。沼の鯉は臭いらしいですが、川の鯉は臭くありません。

>ドイツとオランダです。
>高校三年生の夏休みです。

 それはいい経験だっただろうと思います。

>英語圏という言葉の使い方を間違えたかしら、とドキドキしています。

 英語圏ではないですが、オランダ語、ドイツ語は英語と同じゲルマン語圏ですから、言語的には親類みたいなところですね。ドイツ語より、オランダ 語の方が英語に近いと聞いたことがあったような気がします。ちょっとやるだけで、オランダ語なまりの英語をしゃべり出すようです。ドイツ人やオランダ人が 英語をやるのは、日本人がやるのに較べて、何十倍も楽だと思います。

>日常の話はお互いに何とかなるのですが、ちょっと込み入った話をしたいときには文法が役に立ったな、というのが強い印象だったのです。

 「磁場」仕込みの即応性を駆使するというのでなく、日本で作った英語力で少しずつ確実に話していく場面だと思います。こういうときには、文法は頼りにな ります。
 子供英会話なんかだと、きまり文句に対する即応性はできるかもしれませんが、これは決まり文句に対する決まり文句でしかなく、自分の中に文法が形成され ません。知識としてすら形成されません。こういうふうにされてしまった子供が持たされる英語がもっとも中途半端なものです。見かけの即応性(きまり文句に 対するきまり文句)にだまされたら親も子も大損します。

>ただ相手の話す英語ははじめからわりと文法どおりで、わかりやすいな、と思ったのも本当です。

 英語ネイティヴの英語より、語学として習得された英語の方がわかりやすいという場面はよくあることです。ジーパンで言えば、摩り切れていない。しっかり した生地の英語であるといえると思います。日本人が持つべき英語もそういう英語だと思います。

>『死んだ言語』でよい、という語学に惹かれているくせに、理解には程遠く、変な伝え方をしちゃいかんな〜、と。とはいえ哀しいかなあほなので、素で行き ます。

 語学論も、語学をやるようなところがあり、少しずつ理解が深まっていきます。そのためには、遠慮せず書いていただくことがいいと思います。

>まだレッスンについてはどうなるかわかりませんが、一昨日話をした友達が興味を持ってくれて、今日その子のうちに行ってスカイプをダウンロードする手伝 いをすることになりました。
お子さんは小二なので、春から、という気持ちかもしれませんが、ひょっとすると本人がお試しレッスンを受けてみたい、と言うかな〜(とらぬ狸のなんとやら です)。

 ありがとうございます。スカイプはその後どうなりましたでしょうか。

>確かまだ枠がありますよね?「一ヶ月無料なんよ」というとびっくりされました。
この友達が受ける受けないにかかわらず、口コミで広まるといいなと思います。

 現在、ゆっくりさんののお子さんも含めて、無料お試しをやっていただいている枠が3つあります。これが埋まれば、空き枠がひとまずなくなります。また、 空き枠がない場合は、無料お試しをしていただくことができません。無料お試しはすでに空いている枠を使ってやります。
 ほぼ一ヶ月後に、枠が全部埋まらなければ、お友達のお子さんに無料お試しをやっていただくことができます。時間帯を調整しなければならないかもしれませ んが。
 無料お試しでなく、いきなり受講して下さる場合は、長くレッスンを使って下さっている生徒さん二人で一枠を使っていただくように調整して、空き枠を作り 出すということもやろうと思います。今のところ、このやり方で作り出せるのは一枠分です。
 スカイプを導入されてない生徒さんの方が多いので、まずはスカイプを使ってもらうことから始めなければなりません。いずれは、二人で一枠を標準にしてい こうと思っています。

>一方昨日お話した友達のお子さんも小二で、来春からかな〜、と言いながら聞いてくれました。
「どんな風にやるん?」といわれて、こんな感じ〜、と思いがけず電話でレッスンの再現…もとい、教材片手に説明しました。
どちらのお母さんも「そのテキストなら子供と一緒に私もできる気がする」と。みんな思うことは一緒、苦手意識も一緒だな、と思いました。

 まずはゆっくり母さんが試してみていただいて、確信していただくことがいいと思います。ゆっくり母さんよりも、私のレッスンの方がもっとゆっくり進みま すが、その途中に起こることをこの掲示板に書いていただくのが一番いいと思います。今やっていただいているようにしていただくのが一番いいと思います。

>昨日学習塾をやっている友達と話していて(自宅で小さな教室をされている)、「一緒にやろうよ」というような話が出ました。
息子たちが相手にしてくれなくなる頃には何か形にしたいな〜、と思いました。

 こちらの企画もゆっくり進めましょう。
 学習塾をやっておられる方が、私のレッスンを受けて下さるといいのですが・・・。
 

【12833】
こんばんは  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月16日(日)19時38分4秒    編集済
  ちょっとだけ。
ひょっとしていつもの私ペースでこの掲示板の皆さんをびっくりさせてしまったかもしれないですね。
友人たちはもう慣れていて「あなたが面白そうなことはじめて、1年くらいどんな風か観察させてもらってからどうするか考えるわ〜」という感じです。
スカイプ導入手伝った友達は「英語やりたいと思っていたところ」ということだったんですが、マイクが使えず、どうにもその原因がわからないそうです。
どなたかわかる方いらっしゃらないかな〜。

学習塾をやっている友達は英語圏で日本語教師をされていた方なのです。
こちらの存在は知っています。ゆっくり考えてみられると思います。

白状すると私も実は数年前まで塾で働いていましたので、それを知っていて
「手が足らないので手伝って」というのと、のちのち小学生の子を集めて寺子屋をやりたいから、そのときは一緒にやろう、という提案でした。
でも本当、まだ先のことなのです。
なのですが、勇気を出して飛び込んだタイミングで話が出て、ちょっとびっくりしました。

ひえ〜、と平伏する気持ちで白状するのですが、以前の塾でははじめ中学生に数学を教えていて、そのご英語をやってといわれてギブアップしたのです。
方法論も何もなくて、ひやひやしながら綱渡りしていた経験が強烈で、今度はちゃんと自分の中身が出来てから、と心に決めていますので、焦ってはいません。

英語を教えていた時はすごくおぼろげに
>英語ネイティヴの英語より、語学として習得された英語の方がわかりやすいという場面はよくあることです。ジーパンで言えば、摩り切れていない。しっかり した生地の英語であるといえると思います。日本人が持つべき英語もそういう英語だと思います。

というような想いが(語学論のレベルでなく)あり、「私は発音指導は無理なので、それを求められるのでしたら、よそをあたってください」と言いながら、 じゃあ、文法をしっかり、と思ってはいました。
自分が「センテンスで覚える」ということを中高生のときにやっていて、効果を感じていたので、とにかく教科書の音読に力を入れました。
CDに頼って生徒と一緒に音読して、英語の語順のままで私が訳す(ノートを作っておいて渡す)→日本語訳を聞かせる、私が日本語訳→語順訳の順で言う→生 徒が英訳を言う…逆パターン、完全にいえるようになったら書く。書くときもまず文を暗唱してから書く、という…
二時間の授業でこれに大半の時間をさいて、その後文法やって、問題集は宿題で、というようなことでした。
定期テストはこれで大丈夫で、入塾時30点→1ヶ月後のテスト78点という子がいて大喜びしてもらいました。が、内心、冷や汗でした。

すみません、恥ずかしくていえませんでした。ごめんなさい。

なにとぞお見捨てなく。
1年くらいこの掲示板を見ていて、やっと勇気を出せたので、恥はたくさんかくつもりです。よろしくお願いします。

息子たちのエイゴ遊び(ゲーム性)については偶然にも同じことを友達に言いました。
「英会話教室はゲーム部分にエネルギー浪費と教材の工夫がされていて、素読舎はすごくシンプルで地味だと思うわ」と。
で、息子に試す前に思ったのは「地味なのを続けさせる根気が親にあるか?」ということでした。
 

【12834】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月16日(日)20時02分1秒
  國弘さんの本を再読してみようと思っています。

とりあえず『國弘流 英語の話し方』たちばな出版(平成11年初版の新版)をパラパラとめくってみたところ、以下のくだりがありました。

「 私の中学時代は何しろ戦争中でした。テープなんてものは当然ございません。教室での先生の朗読だけが、唯一のお手本だったのです。戦争が終 わって、神戸に進駐軍があふれるようになると、事情は一変しました。私は同じ中学のリーダーを二冊もち、若い兵士をつかまえては、その一冊を渡して朗読を 頼み、また自分でも読み、意見を求めたものです。
 区切りやイントネーションなどを教科書に書き込んだのは、言うまでもありません。ときには、五人、六人の兵士が順番にテキストを回して、私一人のために リーダーを朗読してくれました。私は耳だけでなく、目も動員して、英語を朗読する彼らの口元を、まるで子供が昆虫の生態を観察するように見つめました。英 国兵と米国兵ではもちろん音は違いますが、同じ米国兵といっても、その出身地によって、発音が微妙に異なるのです。今、振り返ってみれば、かなり贅沢な個 人教授をまったくの無料で受けたわけです。」

進駐軍の無料レッスンはあったようです。しかし、私の関心は冒頭の部分にあります。國弘さんの唯一のお手本となった英語の先生の発音がどうだったにせよ、 「國弘君、もっと唇の両端を上げて、あごを落として」などという指導がされたとは思えませんので、先生の発音を手がかりにひたすら音読を繰り返したのだろ うと推測されます。そして

>しかし、それでも、英語の音を徹底的に連続させるだけで、(ある程度の音のセンスがあれば)誰に教わらなくても自然に立ち上がってくる抑揚というものが あり、これは個々の音の音価よりもずっと大事なものですから、「只管朗読」だけでも「ぐらぐらしている確かな基礎」というものはできます。

と根石さんがおっしゃるところの「ぐらぐらしている確かな基礎」を國弘さんも手に入れられたのだと思います。この「ぐらぐらしている確かな基礎」というも のは、どの程度の実用性があるものなのでしょうか?もしそれが、中学3年間程度の英語で表現できる内容を、日本人の英語に慣れていないネイティブに話し て、なんとかコミュニケーションがとれるのであれば、それは圧倒的多数の「6年間学校で英語を習っても一言もしゃべれない」英語学習者にとって、お金をか けずに効果を上げる最善の方法ということができるのではないかと思います。

では、アルクの社員や学校の英語の先生が、「CDのネイティブの音をまねしてください」ではなく、もっとましな独習時の方法提示をするといたら、どういう 言葉になるでしょうか。それが問題だと思います。

國弘さんを批判的に継承する時、それを対面レッスンの不可欠性という方向につなげていくことが一つ、もう一つは「只管朗読」の方法を煮詰めることではない かと感じます。

パクパクさんが書き込まれたことは、そのあたりに関係すると感じました。


>音読時の注意点

 1)発音とリズムの矯正はしたほうがいいのか?

 2)意味のわからない英文と、意味のわかる英文のどちらを音読すべきか?

 3)英語に頻発する冠詞(a,the)を、どのようなイメージで音読したらよいのか?


 以上を注意すると、ただひたすら音読するように、効果が得られるとおもいますが、

 皆様方のご意見をおまちしています。


私の意見は改めて書きたいと思います。
 

【12835】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月17日(月)00時08分54秒
  >「 私の中学時代は何しろ戦争中でした。テープなんてものは当然ございません。教室で の先生の朗読だけが、唯一のお手本 だったのです。戦争が終わって、神戸に進駐軍があふれるようになると、事情は一変しました。私は同じ中学のリーダーを二冊もち、若い兵士をつかまえては、 その一冊を渡して朗読を頼み、また自分でも読み、意見を求めたものです。
 区切りやイントネーションなどを教科書に書き込んだのは、言うまでもありません。ときには、五人、六人の兵士が順番にテキストを回して、私一人のために リーダーを朗読してくれました。私は耳だけでなく、目も動員して、英語を朗読する彼らの口元を、まるで子供が昆虫の生態を観察するように見つめました。英 国兵と米国兵ではもちろん音は違いますが、同じ米国兵といっても、その出身地によって、発音が微妙に異なるのです。今、振り返ってみれば、かなり贅沢な個 人教授をまったくの無料で受けたわけです。」

 この記述の近くに、進駐軍兵士に英語で話しかけて話のやりとりができたことのうれしさを書いたところがあったと記憶しています。

>進駐軍の無料レッスンはあったようです。

 戦争に負けた直後に、進駐軍の兵士をつかまえて、英語の朗読を頼み、実際にレッスンを受けているこのシーンを私は忘れていました。今、引用していただい たものを読むと、國弘正雄という人が相当変な人に思えてきました。こんなことをやった人は國弘の他には(皆無かどうかどうかわかりませんが)、まずいない はずだと思いました。英語の能力がないから話しかけることが「できない」というのが大多数でしょうが、たとえその能力があっても、こんなふうにものおじせ ずに、どんどん交わっていくことにはどこか変なところがあると思いました。(これを「只管朗読」が國弘をも米兵をも食っているシーンだと言えば、私にはよ く納得できるのですが、なかなか通じにくいものの言い方かと思います。「只管朗読」が國弘にこんな変なことをやらせているんだと言えばいいかもしれませ ん。)
 それはともかくとして、こんなシーンを成立可能にしたものが何だったかと考えれば、それこそが國弘が自身で名付けた「只管朗読」です。だから、「只管朗 読」は、進駐軍の無料レッスン「以前」のものだと思うわけです。(この無料レッスン以後も「只管朗読」は継続されたのでしょうが、たとえそうだとして も、)その方法の本質的な意味は、米兵とやりとりするこれらのシーンで確認されたのであり、確信になったということだと思います。「それ以前」があったか ら、この確認も確信もあったのだと思います。
 それは「一人練習」の持続の厚みとしてあったのであり、「只管朗読」が「成立するためには」、発音方法のてほどきのようなものは含まれていない、つまり 米兵のようなものはいなかった(必要なかった)わけです。米兵は「只管朗読」成立「以後」のもので、「只管朗読」の成立やその実践の過程に「米兵」はまる でいないという意味で、先日書きました。
 『「只管朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ』というものはいない。「只管朗読」の過程というものは全面的に「一人練習」であり、この 米兵とのシーンに、読みの照らし合わせはあっても、「只管朗読」はないと考えています。「只管朗読」は、こういうシーン「以前」(あるいは「以後」)のも のだと思います。あくまでも「一人練習」だと考えています。『「只管朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ』と考えると、「只管朗読」とい うことの本質が崩れてしまうと思います。
 この米兵とのシーンは、國弘がというより、「只管朗読が」米兵を媒介にしたシーンであり、「只管朗読」という主体は米兵なしに「それ以前に」成立してい ます。また「それ以後」の「只管朗読」が、米兵媒介後のものであるからには、音の面で質的な変化をともなったものであるのは確かでしょうが、それが「只管 朗読」であるかぎりは、一人練習があるだけで、そこにも米兵はいないと考えています。
 國弘自身にその自覚があるかどうかはともかく、米兵は「只管朗読が」媒介にした一項目であり、只管朗読自体は、米兵とのやりとりの以前に(その外側に) すでに立ち上がっていたととらえるのがいいと思います。
 簡単に言えば、とにかく絶対的に「一人練習」なのです。
 米兵「媒介」を中心に置いて考えると、その「媒介」行為「以前」と「以後」に「只管朗読」がある。「媒介」行為を準備するものとして、あるいは、「媒 介」後に媒介されたものを根付かせる行為として。
 私は些末なことにこだわっているのでしょうか。
 米兵は「只管朗読」の過程にいるのではない。「只管朗読」という方法が主体となって、米兵を媒介にしているのだと言わなければ、「只管朗読」の意味が崩 れてしまう。語学が「磁場」を媒介にするのだという言い方を成り立たせるべきだと考えていますが、そう考えないとみんな崩れてしまうと思います。
 「磁場頼み」や「CD音声頼み」がいやなのは、そこでは「語学」という主体があんまり虚弱なものになっているからです。それらを「媒介項」や「媒介物」 と見定めない限り、語学という主体は、文化的な信仰みたいなものに変質してしまいます。
 國弘自身は、その後アメリカに渡り十数年を通訳として過ごしたと記憶しています。語学が「磁場」を食い、「磁場」が語学を食うという相互性を激しく生き たはずですが、そこでいったい何があったのか、その相互作用をきちんと書かないかぎり、語学という主体がくらやみの中に閉ざされて見えないものになりま す。そこをくらやみにしておくのであれば、私が國弘をも「磁場頼み」の者の一人として批判することはやむを得ないのです。
 國弘は日本在住時の「只管朗読」を単なる方法以上のもの、主体と呼んだ方がいいようなものとして鮮やかに描きました。しかし、アメリカに渡って以後のこ と、語学が「磁場」を食い、「磁場」が語学を食うというなまなましい現場については何も言っていません。自分のスキルの少なくとも半分は「磁場」から食わ れることで得たものだということをはっきり言うべきなのです。國弘は自分のスキルの半身については語らない。
 それを語らないのであれば、英語フリークという病態を野放しにしている責任の一端は國弘正雄にもあるのです。「磁場」でしか得られないスキルが絶対にあ ると私が言うとき、それは、語学が「磁場」を食い、「磁場」が語学を食うことで、その相互性によってだけ得られるものが絶対にあると言っているのと同じで す。それがはっきりと書かれるなら、フリーク達の病気は止まるはずなのですが、國弘は達人づらをすることでそれを放置しました。
 日本在住のままの初心者や中級者にとって、「只管朗読」という確実な方法を提示したことの意味は少しも割り引く必要はないが、自分のスキルの半身が「自 分」や「個人」のもたらしたものではなく、「磁場」がもたらしたものだとはっきり言わないで、達人づらをしてことを済ませたのです。功罪の罪があるので す。
 

【12836】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月17日(月)00時46分45秒
  遅くに長文のコメントありがとうございます。

> この記述の近くに、進駐軍兵士に英語で話しかけて話のやりとりができたことのうれしさを書いたところがあったと記憶しています。

今日、パラパラ見ていて目に留まったところに、こんなエピソードがありました。引用したところとは別の章で、いくつかの表現と言葉の入れ換えによる応用を 論じたところです。

What's your country?という表現が、國弘さんが中学二年生のときに初めて外国人に向かって発した英語だということです。それは、教室の先生の声だけを頼りに何 百回と音読した自分の英語が、本場の人間にどれほど通用するのか試してみたいという思いで、憲兵の目を盗み捕虜収容所の柵に近づいて捕虜の一人に声をかけ たのだそうです。Scotland.とひと言答えた相手の言葉が、今でも耳のそばで聞こえそうだ、と書かれています。

また、書かせていただきます。
 

【12837】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月17日(月)03時48分27秒    編集済
  >しかし、私の関心は冒頭の部分にあります。國弘さんの唯一のお手本となった英語の先生 の発音がどうだったにせよ、「國弘 君、もっと唇の両端を上げて、あごを落として」などという指導がされたとは思えませんので、先生の発音を手がかりにひたすら音読を繰り返したのだろうと推 測されます。

 そういうことだと思います。だから、らくださんはよくわかっているのだと思いますが、『「只管朗読」の過程において、稽古をつけてくれたネイティブ』と いう言い方をそのままにしておくと、「只管朗読」の意味をまるで違うものとして受け取る読者は必ずいるだろうなと思い、くだくだとしたものを先に書いてお きました。

 らくださんが引用して下さった以下の部分を無断で補足させていただきます。

>>しかし、それでも、英語の音を徹底的に連続させるだけで、(ある程度の音のセンスがあれば)誰に教わらなくても自然に立ち上がってくる抑揚というもの があります。(多分、スーパーで買い物をしていても、英語の歌が聞こえていたり、テレビをつければ字幕つきの映画をやっていたり、日本には気をつければ英 語の音があふれていることが「誰に教わらなくても自然に」の根拠だと思います。)一連の煮詰められた音、その抑揚は、個々の音の音価よりもずっと大事なも のですから、「只管朗読」だけでも「ぐらぐらしている確かな基礎」というものはできます。

>と根石さんがおっしゃるところの「ぐらぐらしている確かな基礎」を國弘さんも手に入れられたのだと思います。この「ぐらぐらしている確かな基礎」という ものは、どの程度の実用性があるものなのでしょうか?

 「ぐらぐらしている確かな基礎」を手に入れるということは、「回転読み」で私自身がやったことです。大学受験の自宅浪人の一年間でほとんどのことをやり ました。その後、鯉釣りなどに狂ったり、家を自作したりなどして、英語はかなりさぼりましたので、大学受験のときに得た「ぐらぐらしている確かな基礎」だ けを元にして、私は素読舎という塾を長いこと続けました。その間、まともな音法は半分程度しか私に備わっておらず、昔の塾生にはずいぶんと迷惑をかけまし た。インターネットが普及して、掲示板上で柴田さんやsbさんと話すことができて、私はようやく音法と呼んでいいものを持つことができました。長年疑問に して持ち続けたことがいくつもまたたく間に氷解したような感じがしました。柴田さんやsbさんには、学恩を感謝しています。
 文部科学省や大学に対して、怨みを深めているのは、中学、高校、大学を通じて、私はまともな音法を持つことができなかったからです。あってあたりまえの ものが、学校時代全部を通じて、どこにもなかったからです。それで、塾をやって塾生に迷惑をかけたからです。
 これで音法と呼んでいいものを持つことができたと思ったのは、四十代のなかばだったと覚えています。インターネットが普及してようやく私にそれが備わっ たのでした。しかし、四十代なかばまで、基本中の基本であるはずの音法が備わらないなんて、そんな馬鹿な話があるかと翻って思い、糞文部省、糞大学めがと 怨みを深めました。授業料はちゃんと払ったのに、と。
 church というのを charch と発音し、英語ネイティヴが church のことかと私に聞きなおし、そうだ charch だと返答していた時代が私にありました。それが、塾をやって人様からお金をいただいていた時間と重なったことが、くやしくてたまりませんし、恥ずかしいこ とだったと思っています。(こういう恥を私にもたらしたのが、文部省であり、大学の教員養成課程だったのです。)鯉釣りをやってもやらなくても、自宅自作 をやってもやらなくても、インターネットが普及するまでは、私の疑問は解けなかったと思います。
 その頃でも、英語ネイティヴと話はできました。charch という単語はありませんから、英語ネイティヴは church かと聞き返すのですが、そうだ、a building where people gather to worship a God だ、charch だと言い、相手は音の問題を外して話を先に進めてくれたのです。つまり、塾生の音のいくつかをまともに直せないと同時に、英語ネイティヴにストレスを与え ていたのでした。(しかし、冠詞なしの God でもなく、the God でもなく a God だと言うくらいの日本人根性は私にはありました。イスラムの人たちのためにも、アジアやアフリカの人たちのためにも、この日本人根性は大事だと思ってきま した。a God に過ぎないものを絶対化してんじゃねえよと思っていましたし、今でもそう思っています。だから、私の英文は、いくら間違いだと言われても、God に a がつくのです。)
 charch という単語はないから話は先に進むのですが、cup と cop を区別しないと、相手が非常に混乱したりします。場合によっては、大きな誤解を招くことも生じます。
 Give me a cup. を Give me a cop. と言うとおまわりが呼ばれて逮捕されかねません。
 話はできるが、英語ネイティヴにストレスを与えたり、わけがわからないうちに逮捕されたりしかねない段階をさして私の「ぐらぐらしている確かな基礎」の 時代と言っていいと思います。ぐらぐらしているが、「確かな基礎」と言っていいと思うのは、そんな英語でも用は「確かに」足せるからです。激しく音の連続 性を作ると、音のぶつかり合いの処理などは、半分以上が自然にできるようになることなどが作用していると思います。
 そんな基礎程度で、人様からお金をもらってはいけないと思いますが、用は足せる。英語ネイティヴが英語として受け取るものは作れます。國弘正雄が米兵と 交流した時点でも、そのレベルの英語だっただろうと推測しています。それで、「どの程度の実用性か」ということにお答えできたことになると思います。

>もしそれが、中学3年間程度の英語で表現できる内容を、日本人の英語に慣れていないネイティブに話して、なんとかコミュニケーションがとれるのであれ ば、それは圧倒的多数の「6年間学校で英語を習っても一言もしゃべれない」英語学習者にとって、お金をかけずに効果を上げる最善の方法ということができる のではないかと思います。

 それはそうですが、後に直す必要が生じるなら、二度手間、三度手間です。なにしろ、間違った癖を抜かなければならなくなりますから。
 二度、三度と手間の回数だけ数えていれば大したことはないと思われがちですが、多分6割から8割に及ぶ既知の全部の単語を直さなければならなくなりま す。手間は2倍や3倍では絶対におさまりません。これは、私の身に起こったことです。だから、文部科学省、大学に対する怨みが深いのです。
 そして、これからの若い人たちをそんなメに会わせる必要はないと考えています。不遜ながら言いますが、私が作った音法が普及しさえすればそれはカタがつ くのです。私の音法は柴田さんや鵜田のよりずっと荒削りですが、ひとまずはそれで必要十分な音になります。それ以上に音にこだわりたい人は、トマティスで も何でも使えばいいと思いますが、まずどの日本人にも必要なのは、私の音法だと思っています。発音のポイント数は発音について発言できるどの人よりも少な いはずです。(ポイント数は少ない方がいいと考えて、「発音10のポイント」というのを考えましたが、どうにも10個程度ではおさまらない。しかし15く らいにはおさまる。まずは、それを身につけることだと思います。)
 お金をかけずに効果をねらうのは結構なことですが、二度手間、三度手間に使われる労力を考えると、「最善の方法」とはとうてい言うことができません。
 だからこそ、塾をやっている人、塾をやろうとする人に私のレッスンを受けてもらいたいと思っているわけです。塾をやる人、世間一般の人に、ひとまず私が たどりついた「最善の方法」を知って欲しいのです。あるいは現在の生徒さんたちに、自分の音がどんなふうに変わったかを発表して欲しいのです。
 「なんとかコミュニケーションがとれる」程度の英語にするためにも、その後、それ以上の英語にするためにも、最初から音法を知る方がいい。「なんとかコ ミュニケーションがとれる」程度に達したときに、人は必ずそれ以上の英語が欲しくなるものですから、「ここで行き止まり」にならないためにその方がいい。 そうでないと、お金をかけてもかけなくても、まず大損しますよというくらいのお答えしか思いつきません。

>では、アルクの社員や学校の英語の先生が、「CDのネイティブの音をまねしてください」ではなく、もっとましな独習時の方法提示をするといたら、どうい う言葉になるでしょうか。それが問題だと思います。

 音を独習するのはきわめて困難だと思います。(音の感覚が非常にすぐれている人は除外します。)これは、先日 Monday2140 さんが書かれたことで言い尽くされていると思います。
 CDを聴いて真似して下さいでことが済むなら、日本人はみんな英語がしゃべれているはずだということです。(音とイメージの同致・瞬間化の問題を除外す れば・・・)
 私の生徒さんがコーチとして他の人の面倒を見てやれるようになることで、裾広がりが生じないと、日本の英語状況は今後も全然駄目なままだろうと、再度不 遜に言いたいです。ところが、生徒さんたちはそういう認識をなかなか持ってくれません。自分の英語のことだけ考えていればいいという人がほとんどです。お 金を払っているんだから、それでいいんだと言われれば、それまでですが・・・。私はオシャカになる覚悟はできています。やめるときはやめます。
 塾やコーチをやっているやつの商売根性だと受け取られるのを承知の上で言いますが、根底に「独学」や「独習」があるべきであると同時に、音に関しては 「独習」では難しいということです。「もっとましな独習時の方法」を求めるなら、私が柴田さんと音に関してこの掲示板で話していた頃の過去ログを読まれる といいと思います。要するに的を射ている知識を得れば、「もっとましな独習時の方法」になると思います。そのあたりは、いまだ整理されておらず、重要記事 のピックアップもされていないかと思います。

>國弘さんを批判的に継承する時、それを対面レッスンの不可欠性という方向につなげていくことが一つ、もう一つは「只管朗読」の方法を煮詰めることではな いかと感じます。

 レッスンというものが「なまもの」であるということで、複製音声のようなものからは絶対に手に入れられないものを手に入れることができます。「磁場」で しか手に入らないものが絶対にあるのと同じように、レッスンでしか手に入らないものも絶対にあります。つまり、その場その場で、扱っている当の文で、絶え ずチェックが入るという性質です。
 この方向は、すでに素読舎という塾があり、「スカイプ(電話)でレッスン」があることでたどりつつあります。柴田さんも、学校の教室で今でもこの方向を たどることをやってくれていると思います。源流のような小さな流れですが、これが主流になっていかないとどうしようもありません。多分、私が生きている間 には無理だろうかなと思っています。なにしろ、15程度の枠に空き枠ができても、なかなか埋まらないことが続いたりする国です。肝心な方法はほとんど認知 されていない国です。ここをぶち破りたいとは思ってきましたが、なにしろ私一人が食えるか食えないか程度では、感情的に真っ黒になり、疲れ果ててへたるこ とばかり繰り返してきました。

 もう一つの「只管朗読」の方法を煮詰めることは、これは、ひとえに生徒さんの認識力によります。私の「回転読み」の回転性の質、國弘正雄の「只管朗読」 のひたすらさの質と度合い、これはちょっと言うだけでわかる人はわかりますし、いくら言ってもわからない人はわかりません。「CD音を聴いて、言いまく り、書きまくる」のがいいとお父さんが言っても、息子がそれを「それも一つの方法か」と受け取ってしまうなら、そこにあるものの核を受け取らないなら、ま ず英語力と言えるほどのものは育たないだろうと先日申し上げた通りです。
 「只管朗読」のひたすらさ、「回転読み」の回転の激しさ、「言いまくる・書きまくる」ときの「〜しまくる」の肝心さ、そういうものはなかなか人に伝わら ないものです。親子でもなかなかそれが肝心要のものであるとは伝わらないのです。少なくとも、我が家では伝わりませんでした。
 であるならば、「スカイプ(電話)でレッスン」を習い事として持続するのが最善だと言いたいです。またしても、私の商売根性だと受け取られてもかまいま せん。これを続けることで、周到に準備がなされるなら、「ひたすらさ」「激しさ」「〜しまくる」という門に入門が容易になると思います。最善中の最善は、 自分で気づいてそういう質の練習に至ることですが、それはなかなかのことです。それに気づくためにも、國弘正雄並みの才能が必要になりますから。
 入門に向けて準備を整えてあげることが、親やコーチができることです。入門がその先の、英語圏という門への入門でも同じだと思います。(めちゃくちゃに されて、ぼろぼろになって「磁場」から帰ってくる人もたくさんいますので。)
 いくら準備を整えても、「ひたすらさ」「激しさ」「〜しまくる」に至らない人もいると思います。その人には、じゃあなんで英語なんてやったの?と聞きた いだけです。お金、労力、費やす時間を考えれば、やらないほうがずっと得だよと言いたくなります。
 コーチや親は準備さえよく整えてやれれば、すべての義理は果たせたものと考えていいとも思っています。

 パクパクさん関係は手短に述べます。

1)発音とリズムの矯正はしたほうがいいのか?

 コーチがいればしたほうがいいに決まっています。いなければ、「ひたすらさ」「激しさ」「〜しまくる」で突破すればいい。ただし、後で二度手間、三度手 間が生じる可能性は大きい。

 2)意味のわからない英文と、意味のわかる英文のどちらを音読すべきか?

 どちらもやっていいが、意味のわからないものは意味がわかるようになる必要があります。それは音読だけでは片づきません。文法もやらなければ駄目です。

 3)英語に頻発する冠詞(a,the)を、どのようなイメージで音読したらよいのか?

 これは、音の問題では、弱形の問題だと思います。量をこなさないと(國弘正雄的に言えば、500回1000回という回数を当たり前だと思うようにならな いと)弱形はなかなか口に宿ることはないと思います。
 この二つの冠詞に固有なイメージを、「どのようなイメージ」と言われても、まずどんぴしゃはやれないと思います。
 a の不特定性・不定性と、the の特定性・既定性を一応言葉や理屈で説明しておいて、後は学習者がどれだけの量をどれだけ深めるか、どう自分でイメージできるかにかかっていると思いま す。本質を言わせてもらうなら、言葉で説明することでカタがつくものではないと思います。冠詞だけでなく、実はあらゆる単語についてそれが言えると思って います。

 パクパクさんの言説の欠点については、以前から感じていましたが、定式を作れれば、語学の方法になると思っておられるところです。
 定式が出来れば方法になるのであれば、「CDを聴いて、言いまくり、書きまくる」でよろしいのです。これで立派な定式です。それでよろしいじゃないです か。それをやって、さっさと「磁場」に渡ることだと思います。それで、スキルだけのことなら、カタがつくでしょう。
 私が言い続けてきたことは、語学はそんな程度のものではないということです。語学には語学論が伴うから、まともな語学になるんだということを言ってきま した。
 そうじゃなければ、語学の「学」の字が泣くと思い、「学」の字に同情するしかありません。酔っぱらいついでに、不遜の最上級をやらかすなら、素読舎の方 法が放置されているほどに、この日本という国は駄目になったと、ええい、思ってしまおう。いや、思おうと思わなかろうと、事実そういうことになってしまっ たぞ、と、ええい、言ってしまおう。
 

【12838】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月17日(月)03時52分17秒
  コメントいただいていることに気づかず、さらに長大なものを書いてしまいました。
國弘正雄について、今の時点で、ひとまずカタをつけたいと思ったためです。
あまりにも長いので、自分でもあきれていますが、お読みいただく方のご苦労を考えると、一言謝っておきたく思います。
 

【12839】
自己レス  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月17日(月)09時22分9秒    編集済
  >学習塾をやっている友達は英語圏で日本語教師をされていた方なのです。
こちらの存在は知っています。ゆっくり考えてみられると思います。

検討中だということです。
いずれ英語圏に移住される予定だそうです。

>「英会話教室はゲーム部分にエネルギー浪費と教材の工夫がされていて、素読舎はすごくシンプルで地味だと思うわ」と。

わかりにくい書き方でした。
英会話教室→エイゴ遊びにすることにエネルギーを注いでいる。子供を飽きさせないことに主眼が置かれていて、肝心の英語習得に関して理論や教材・スキルが ある教室は少ないと思う。
というようなことを言いました。

らくださんへのレスの
>それはそうですが、後に直す必要が生じるなら、二度手間、三度手間です。なにしろ、間違った癖を抜かなければならなくなりますから。

これを思ったので、息子にレッスンを受けさせようと決めました。
多分英会話教室に通わせるお母さんたちの思いも一緒だとおもうのに、
その目的のためにその手段では違うのでは、という感じを抱いていました。

HPをコピーして渡した友人から「口語訳をして」といわれてしまいました(爆)。

みんな(私も含めて)苦手意識が相当邪魔をするのですよね。
 

【12840】
ゆっくり母さん  投稿者:1ファン  投稿日:2008年11月17日(月)09時36分26秒
  >私はただの親ばかですが、1ファンさん、これからもよろしくお願いします。
ご縁が嬉しいです。

こちらこそよろしくお願いします。イヤーなニュースの多い昨今、ゆっくり母さんのご投稿を読ませていただくと、ほのぼのした気分になります。

>良く考えたら、こういうフツーの?家庭で、「まともな音」「まともな英語」が手に入れられるとしたら素読舎だろうな、と考えてはじめたんでした。

「まともな音」、「通じる音」が獲得できるのは本当にすばらしいことだと思います。音の出し方を教授してくれるようなところはほとんどないのではないで しょうか。CDで習得できるものなら、どなたかがおっしゃってたようにだれも苦労しませんよね。

一度、ネイティブの先生にどんな単語だったかは忘れましたが、[ju]の音を何度も正されたのですが、先生と自分の発音している音の違いがわから ないのですから(聞き取れていない)修正しようがない。何度やっても同じ。で、先生はあきらめて"I've been so hard on you."でおわり。「どこが違うねん?」と不満が残っただけ。いまも、[ju]恐怖症です。

ご子息は、いい先生につかれてラッキーだと思います。というより、ゆっくり母さんの選択眼が優れていたからですね。ご投稿を楽しみにしています。
 

【12841】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月17日(月)21時28分57秒
  Monday2140さんの書き込みから始まった一連のやりとりですが、今回の根石さん の書き込みで、私を含め読んでいる 方々が、自分の選択する道について考えるための材料がたくさん出たように思います。レッスンを受けようかどうしようか迷っている方、自分でやれる範囲でな んとかやるさ、と思っている方、それぞれ自分で納得できる方向を考えるということで、ひとまずピリオドを打ちたいと思います。

一点だけ、今回の根石さんのコメントにレスをつけておきたいことがあります。

>「もっとましな独習時の方法」を求めるなら、私が柴田さんと音に関してこの掲示板で話していた頃の過去ログを読まれるといいと思います。要するに的を射 ている知識を得れば、「もっとましな独習時の方法」になると思います。そのあたりは、いまだ整理されておらず、重要記事のピックアップもされていないかと 思います。


私がこの間、一番申し上げたかった事は、実はこのことだったかもしれません。過去ログの整理ではなく、根石さんの理論と実践を、体系的に、わかりやすくま とめてご提供いただくことはできないでしょうか。

私は以前、掲示板も良いが、ホームページの充実も必要ではないかと進言いたしました。ホームページでの情報提供がもっともっと充実し、素読舎の理論と実践 が一望できるようになりますと、ページを訪れる者にとってとても有益だと思います。

むろんそれは素読舎のレッスン生を増やす事にも資するでしょうし、不幸にして!レッスンを受けられない多くの独習者の進む道に灯りをともすことにもなると 思います。

以上、おねだりオチになってしまいました。

続けて、この話に関連しそうな質問をさせてください。

昨日、息子が部屋で教科書を読んでいるので声をかけました。「頭から読んで聞かせてよ」「よっしゃー」というわけで、第1課から最後まで一気読み。フムフ ム。で「根石先生がCD聞いてOKって言ってたから聞いてみる?」と誘ってみたところ難色を示すのです。どうしてか聞いてみると理由は次のような事でし た。

「根石先生と●●先生(学校の先生)の発音が違うんだよなー。」「そりゃ、根石先生の発音でいいだろ。」「でもなー、みんなと違っちゃうんだよなー。」良 くあるパターンです。「そんなの気にすんなよ。普段練習してる根石先生の発音でいいだろ。」「そうなんだけどさ、ちょっとなー。」「どうしても嫌なら、学 校だけ●●先生の発音に合わしときゃいいじゃん。でも、気にする事ないよ、そんなの。」「う〜ん。それでCDって、それも根石先生と違うんじゃないの?発 音。3つかよー。頭こんがらがるよ。」

なるほどなあ、と思いました。一気読みをしている最中にも、一カ所、息子が頭を抱えた箇所があったのです。「あー、ここ、わかんない。この文、なぜか●● 先生の発音がよみがえってくるんだよね。根石先生の発音が思い出せないんだよ。●●先生の発音が頭から離れないんだよなー。パス。ここパス。」

些細な事かもしれませんが、息子には、どうにも気になるらしく、ただでさえ2つの発音でこんがらがりそうなのに、3つめかよ、というわけです。さて、どう しましょうか。今回のやりとりではありませんが、「CD音を媒介にする」と言っても「媒介に」という概念自体が難しいですね。私には説明不能だということ に気づきました。もう単純に「聞こえた通り、できるだけマネすればいいんだよ。」ぐらいしか言いようがありません。しかし、「CDのマネ」が有効かどう か、可能かどうか以前に、3つの発音のどれをどうすりゃいいのよ、こんがらがるよ、という訴えは予想外でした。

で、しばらくCDはやめておこうか、と思っているところです。おそらく、レッスンで扱っていない初見の文を読む時も、根石さんの発音をイメージしながら自 分なりに応用して?読んでいるようですので、それが良いのかな、と思い始めました。例によって、新出の単語の読み方の手がかりがつかめない時だけ、 some(ソメ)、place(プラス)をサム、プレイスと教える。これで、しばらくやってみようかと。

あるいは、根石さんが以前お書きになっていたことですが、聞くときは聞くだけ、読むときは読むだけ、にならい、CDは聞くだけ。その時にマネして読んだり しない、という方法もあるかと思っています。
 

【12842】
根石さん  投稿者:matsu  投稿日:2008年11月17日(月)23時22分32秒    編集済
  らくださんとのやりとり、興味深く拝読しました。
過去ログをきちっと読めば、読み取れることなのかもしれませんが、根石さんが現在の素読舎の指導法をつかむまで、大学受験時代の「嵐の一年」から、40代 半ばまで、実に30年にわたる迂回と研鑽の日々があったことを知って、驚きました。

>素読という方法も、私の身体において実現したことが、果たして自分の身体以外の身体で実現するものかどうかを考えて選びとったものです。

なるほどと納得できた、根石さんの少し前のコメントです。
私には、根石さんの語学論は、自分自身の身体を舞台にした試行錯誤(どたばた)を徹底して自覚し、主体化する方法であるように思えます。
そのことを学ぶことと、素読舎のレッスンを受けることの間には、どこか越えがたい溝があるような気もします。

>英語が日本語を幹とした枝の一本になる日を。磁場帰りのぺらぺらの元が「同化と信仰」である場合に、誰の目にもそれが醜いものと見えるようになる日を。

根石語学論の真骨頂ともいうべき名言ですが、根石さんのような試行錯誤を抜きに、教えられた効率的な方法としての素読を試みることのなかで、このような認 識が育つものなのか。
息子を介した準レッスン生として、考えていきたい部分です。
 

【12843】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月18日(火)02時05分37秒    編集済
  >友人たちはもう慣れていて「あなたが面白そうなことはじめて、1年くらいどんな風か観 察させてもらってからどうするか考えるわ〜」という感じです。

 そうですか。一年後を楽しみにしています。

>スカイプ導入手伝った友達は「英語やりたいと思っていたところ」ということだったんですが、マイクが使えず、どうにもその原因がわからないそうです。
どなたかわかる方いらっしゃらないかな〜。

 マイクが死んでる(壊れてる)かどうかは、ゆっくり母さんのお宅で借りているマイクを持参して差し込んでみるとわかります。(これは、私のレッスンで使 用して壊れていないことがはっきりしていますので。)
  あと、単純に、マイクを挿すところが間違っている可能性もあります。マイクのジャックが挿せるところに片っ端から挿してみるということを私はやりますが、 それでコンピュータがおかしくなったということはありません。(が、おすすめしていいのかどうか。多分、コンピュータメーカーはいけないと言うと思いま す。マニュアルがあれば、マイクの差し込み口を確認されるのがいいと思います。)
 マイクが死んでいなくて、ジャックを挿すところが間違っていない場合は、コンピュータ側の受け口内部の接触不良も考えられます。(可能性としては小さい 方だと思いますが。)
 それともう一つは、マイクの先端とコンピュータに接続している部分との間に、ヴォリュームがあって、それを絞ってしまってある場合です。
 以上のことを全部確認してみてもうまくいかないなら、ソフト的な問題だと思います。多分、個々のソフトのレベルでなく、ウインドウズレベルの問題ではな いかと思いますが。

>学習塾をやっている友達は英語圏で日本語教師をされていた方なのです。
こちらの存在は知っています。ゆっくり考えてみられると思います。

 何年くらい、英語圏で日本語を教えられたのか等、興味があります。
 本の名前を思い出せないのですが、「日本語に主語はない」だったか、「日本語に主語は要らない」だったかという本をご存知かどうか。一読の価値のある本 だと思っていますので、そうお伝え願えればうれしいです。著者は確か、金井なんとかさんという方だったような。
 英語圏で日本語を教えるというような高度な作業をこなされた経験をお持ちであれば、私のレッスンは用がないかもしれません。
 英語圏で日本語を教えるときに生じた問題、日本で英語を教えるときに生じた問題、自分にとって、どっちがどう大変だったか、というような記事をこの掲示 板に書いていただけたらなあと思っています。

>白状すると私も実は数年前まで塾で働いていましたので、それを知っていて「手が足らないので手伝って」というのと、のちのち小学生の子を集めて寺子屋を やりたいから、そのときは一緒にやろう、という提案でした。

 なるほど。その方はその方なりの考えがあると思いますが、多分、私のやり方とはまるで質の違うものだろうなと思います。
 村田君に、「なんで英語やるの?」の抜粋とそれに対する批評を頼んでありますが、どうなっているんだろう。もしかして、本がまだ俺の手元にあるんだろう か。
 英語圏で日本語を教えていた人が、日本で英語を教えるとなると、「なんで英語やるの?」の中に書いてあるようなことになるんだろうかと思ったせいで、も う一冊、別の本を思い出したのでした。

>ひえ〜、と平伏する気持ちで白状するのですが、以前の塾でははじめ中学生に数学を教えていて、そのご英語をやってといわれてギブアップしたのです。

 そうでしたか。友達と組んでやるとか、自分で塾を持つとかでなく、塾に勤めるというのはお奨めできません。人を雇ってどうこうするという形の塾は、すで に塾だと考えないほうがいいです。塾というより企業だと考えた方がいいと思います。吉田松陰がやっていたのも塾なんだというような意味で、私は塾を企業だ とは思っていません。

>方法論も何もなくて、ひやひやしながら綱渡りしていた経験が強烈で、今度はちゃんと自分の中身が出来てから、と心に決めていますので、焦ってはいませ ん。

 ゆっくり母さんの面目躍如ですね。そうしていただきたいです。

>>英語ネイティヴの英語より、語学として習得された英語の方がわかりやすいという場面はよくあることです。ジーパンで言えば、摩り切れていない。しっか りした生地の英語であるといえると思います。日本人が持つべき英語もそういう英語だと思います。

>というような想いが(語学論のレベルでなく)あり、「私は発音指導は無理なので、それを求められるのでしたら、よそをあたってください」と言いながら、 じゃあ、文法をしっかり、と思ってはいました。

 こういうレベルの人が、わたしゃホントニ何もわかっていないのでよろしくお願いしますというようなことを言うのです。小学3年の息子と一緒に小学生用の テキストで始めてよかった、などと。日本人の謙遜というのは、ホントニ、油断も隙もあったものじゃないですね。
 私は私なりに、ゆっくり母さんを、「文法ならわかる。音に自信がなかった」というふうに簡単に言っていまいたいですが、間違ってしまうでしょうか。

>自分が「センテンスで覚える」ということを中高生のときにやっていて、効果を感じていたので、とにかく教科書の音読に力を入れました。

 ええ。企業としての塾においては、これで最良だと思います。いつまでたっても企業としての塾になれない素読舎の塾長としては不満はありますもの の・・・。

>CDに頼って生徒と一緒に音読して、英語の語順のままで私が訳す(ノートを作っておいて渡す)→日本語訳を聞かせる、私が日本語訳→語順訳の順で言う→ 生徒が英訳を言う…逆パターン、完全にいえるようになったら書く。書くときもまず文を暗唱してから書く、という…
二時間の授業でこれに大半の時間をさいて、その後文法やって、問題集は宿題で、というようなことでした。
定期テストはこれで大丈夫で、入塾時30点→1ヶ月後のテスト78点という子がいて大喜びしてもらいました。が、内心、冷や汗でした。

 社員というか、勤め人というか、の仕事と考えるなら、十分な仕事だと思います。自分で塾をやると、思い切り自分の考えを展開できます。
 お書きになったことが、人の指示によるものでなく、ご自分で時代の先端部分を媒介にしてやられたものであれば、そこに私は良心というものを感じます。
 それでもしかし、日本語の介在を「少しずつ抜く」という動機がないなとは思いました。
 生徒が激しくやってくれれば、抜こうとしなくても自然に抜けるということは生じますが、教える側に、「抜く」という志向がないと、日本語にいったん置き 換えないと英語の練習が成り立たないという癖が残る生徒が生じるんじゃないかとは思いました。

>すみません、恥ずかしくていえませんでした。ごめんなさい。

 なにも恥ずかしいことはないと思います。私も塾の出です。言ってくださってありがたく思っています。

>1年くらいこの掲示板を見ていて、やっと勇気を出せたので、恥はたくさんかくつもりです。よろしくお願いします。

 こちらこそよろしくお願いいたします。私もやってみます。

>「英会話教室はゲーム部分にエネルギー浪費と教材の工夫がされていて、素読舎はすごくシンプルで地味だと思うわ」と。

 この地味だというところが味噌ですね。(この日本語も、英語圏で日本語を練習している人にはかなり難しいかも)
 「地味」に注目して下さったのは、大正解です。
 語学が派手なもんであるわけがないのです。単語をひとつずつ覚えていくような、地味で辛気くさい過程が語学ですから。「磁場」が覚えさせてくれるという 作用をまるであてにしないのが語学ですから。
 「地味」にからめてもう一つ言えば、生活ってのはたいがい「地味」なもんです。その「地味」な生地によくなじむようなものとして、私の「スカイプ(電 話)でレッスン」を考えていただくといいと思います。レッスン自体を生活の一齣にしていただくには、「地味」な方がよろしいと思っています。
 英語を話す時と、日本語を話すときでは、私は別人(別人格)になるんだと公言する人がいますが、いやはやと思います。こういう人には絶対にわからないこ とだと思いますが、英語は、(自分が日本在住である限りは)日本語をベースにした生活に生える一本の枝だとするのがいいと思います。「地味」でいいので す。(「根伏せ」っていいましたっけか、園芸に枝を土の中に伏せる技法があります。そうすると、枝から根が生えてしまうのです。自分の普段の「地味な」生 活を元に、英語という一本の枝を生やせば、状況によって、それが根になることがあります。私は私の生徒さんたちには、一定の力を養った後に、事情が許せ ば、英語の「磁場」で生活してみて欲しいと思っていますが、枝だったものが根に変わるってことがあるから、っていうのが理論的な根拠です。)
 子供英会話だの、外人頼みの個人レッスンだのは「派手」ですね。こんなのは、これまでの日本人の経済力の問題であって、本当は語学の問題じゃない。少し 時間が経ってみれば、誰にだってはっきりする問題だと思っています。

>で、息子に試す前に思ったのは「地味なのを続けさせる根気が親にあるか?」ということでした。

 お試し期間が終わって、継続していただけたなら、一年後に同じ問題でお書きいただけたらと思っています。私は、けっこう「続けさせる」自信があります。
 

【12844】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月18日(火)02時25分41秒
  >HPをコピーして渡した友人から「口語訳をして」といわれてしまいました(爆)。

 口語訳、よろしくお願い致します。
 というより、私としては、俺の言葉はけっこう口語なんだけどなあと言いたいです。
 ただ、「磁場」だの「媒介」だのと、私が自分で勝手に定義した語があるんで、それが邪魔しているのだろうと思っています。そのあたりを納得してくださっ て、ゆっくり読んでいただけば、けっこうおもしろいことが書いてあるよ、とお伝え下さい。
 

【12845】
らくださん、matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月18日(火)02時39分33秒
  書き込みありがとうございます。
ほぼくたくたになっておりますので、横になります。
どちらの記事も、非常に大事なことを指摘されていると思っています。
明日以降、考えて書きます。
 

【12846】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年11月18日(火)14時09分49秒
  国広さんの引用、ちょっとお待ちください。
パスバンド理論の記事の「強固に結びつけること」と「瞬間化」が同義であることについて、また再提示すること、了解です。
「なんで英語やるの」は、保留することになっていたと思います。本は預かっていません。
 

【12847】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月19日(水)00時49分36秒    編集済
  >過去ログをきちっと読めば、読み取れることなのかもしれませんが、根石さんが現在の素 読舎の指導法をつかむまで、大学受験時代の「嵐の一年」から、40代半ばまで、実に30年にわたる迂回と研鑽の日々があったことを知って、驚きました。

 素読舎は、学校の生徒にテストで点をとらせる塾だったんですが(手前味噌ですが、今でも、それをやらせると私はうまいと思っています)、大学に 受かると英語をやめちゃう人の数があまりにも多くて嫌気がさしたということがありました。そんなふうに扱っていいようなものとして、俺は生徒の中に英語力 を作ったんじゃないと思ったことが何度あるか知れません。
 音づくりから始めて、音の連続性(しなやかなバネ)を作り、その上で文法理解、イメージと音(文字)との同致(瞬間化)までやるような塾でしたので、直 接的にはテストの点にならない部分を多量に含む練習をさせました。このやり方の方が、テスト対策なんかやるより生徒に実力がつくので、結果的には、テスト で点をとらせることにおいても、テストのことばかりやってる塾よりも、素読舎の塾生の方が余計に点をとるようなことになりました。あちこちの学校で学年 トップが続出するようなことにもなりました。
 しかし、しなやかなバネを作ることを柱に据えて「音づくり」をやったことが、私の落胆の大きさの元にありました。そんなものをいくらちゃんとやっても、 テストの点には直接は関係ありません。(当時はリスニングの配点などもありませんでした)
 そういう練習によって作られた英語を、大学に受かった時点でほったらかされるのは、つらいことでした。確かにお金をもらってやった仕事ですが、大学に受 かったとたんに、そんなふうにほったらかしていいものか。素読舎で作った英語には、酵母が生きているんだ。その先をやれば、まっすぐ使える英語につながる んだ。そういうものとして英語力を作ってあるはずだ。なんで大学に受かった程度でぬか喜びしてほったらかすのか。
 そう思うので、落胆が大きく、それが嫌気になっていきました。嫌気がさすと、塾というものはどんどん小さくなるものです。そこで、社会人の方を相手にし た「電話でレッスン」を始めたのでした。しなやかなバネになるまでの「音づくり」の練習を、学校英語や受験英語に限る必要はまるでないと考えたのでした。

 最初から素読舎の方法は、学校英語・受験英語を越えていたところがあります。
 しなやかなバネを作るということは当初からありましたので、それが学校英語・受験英語を越えていた部分だと思います。
(しかし、それも今から考えると「音づくり」の6割、7割程度までしかカヴァーしてなかったなと思います。俺は「音づくり」をカヴァーできるようになった と思えたのは、先日書きました通り、インターネットが普及してからです。)

>私には、根石さんの語学論は、自分自身の身体を舞台にした試行錯誤(どたばた)を徹底して自覚し、主体化する方法であるように思えます。
そのことを学ぶことと、素読舎のレッスンを受けることの間には、どこか越えがたい溝があるような気もします。

 今でも、どたばたやじたばたをやっています。
 言われた意味の「越えがたい溝」は、私の中に今でもそのままあります。簡単に言ってしまえば、語学論と英語のスキルとの間の溝です。語学屋ですから、ま んざらスキルを持たないわけにはいきません。スキル崇拝は絶対にやりたくないだけであり、自分のスキルを錆び付かせないで、少しずつでも磨いていく作業は やらなければなりません。
 その作業と日本語で語学論を書くこととは直接に結びつくものではありません。(小学館文庫の「英語どんでん返しのやっつけ方」を書いた時に、ン十万円も らったという以外に、語学論がお金になったことはないですが、そういうお金関係のことだけを言いたいのではないのです。)
 英語のスキルを錆び付かせないで維持する。日本語で語学論を書く。生徒を得てレッスンをする。この全体の中で、お金になるのは、最後の「レッスンをす る」だけです。しかし、体力とかエネルギー配分で言えば、語学論を書くっていうのに、半分以上の体力を使っている感じがあります。
 スキル用の作業があるから、それをベースにして語学論を考えるという関係はありますし、語学論で考えた方法を自分の練習や生徒の練習に適用するという関 係はありますから、無関係では決してありませんが、「直接する」関係がありません。一方は英語のスキルだし、もう一方は日本語のスキルだということもある かもしれません。というか、私は語学論で使う日本語のスキルのレベルでは英語は使えないのです。アメリカの大学にでも行って苦しめばできるようになるのか もしれませんが、生活がそれを許してくれません。
 優秀な英語ネイティヴのアシスタントがいて、私が英語で語学論を書くなら、「直接する」関係ができるかもしれませんが、それも意味がありません。
 アシスタントを雇うようなお金がないだけでなく、もうおっくうでおっくうで、語学論は日本語でやろうと決めています。元々、日本人が欧米語をやる場合の 語学論として始めたものですから、日本語でなければしょうがないのです。それがこの掲示板の正体だと言えばいいと思います。

>>英語が日本語を幹とした枝の一本になる日を。磁場帰りのぺらぺらの元が「同化と信仰」である場合に、誰の目にもそれが醜いものと見えるようになる日 を。

>根石語学論の真骨頂ともいうべき名言ですが、根石さんのような試行錯誤を抜きに、教えられた効率的な方法としての素読を試みることのなかで、このような 認識が育つものなのか。
息子を介した準レッスン生として、考えていきたい部分です。

 レッスンは準備だと考えていただきたいです。準備さえ整えればいいのです。英語の「磁場」に入ってスキルを得るための準備だとしてもいいし、そこでスキ ル以外のもの、「認識」と呼ぶ方がいいものを得たなら、それは語学論にもなるでしょうし、文化論、文明論にもなるだろうと思います。準備を整えた後は、好 きなことを好きなように発展させてもらえばいいので、そのことによって「認識」を得るのだと思います。レッスンそのものによって「認識」まで全部育てるこ とができるとは考えていませんん。
 しかし、先日 Monday2140 さんが書いて下さったものに現れているように、私のレッスンを受けて考えたたことが、語学論と呼んでいいものになるということは、今後もあるだろうと思っ ています。それは私のレッスンが育てたものではなく、Monday2140 さんが自分で自分の中に育てたものであると思います。私のレッスンはそのきっかけにはなると思います。
 レッスンは「磁場」で得るべきスキルの受容器を作ることはします。「磁場」でスキルを受容してもいいし、日本在住のままでいてもいいし、それは生活や必 要が決めることです。いずれの場合でも、そこから「認識」が育つかどうかは、すべて生徒さんの地力と自力にかかっていることだと思います。
 私が生徒さんに対してやっていることは、あらゆる意味において「準備」なのです。
 さまざまなことを「媒介」にできるようになるトバ口までの「準備」です。
 らくださんに向けて書いたものの中に、『語学が「磁場」を媒介にする』というような言い方がありますが、これも「準備」が可能にすることの一つに過ぎま せん。
 俺は英語を激しくやったせいで、日本語が書けるようになったというようなもの言いを matsu さんが受け止めて下さったことがありました。この場面だと、英語の練習を媒介にして、それまで自分になかった日本語のレベルに出たということだったと思い ますので、英語の練習が「準備」になったと考えていいと思います。
 レッスンというのは、あらゆる意味で「準備」なのです。それだけはちゃんとやるから、後は地力と自力で、大きくはばたいてね、というのが私が生徒さんに 言えることです。
 

【12848】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月19日(水)01時17分58秒
  >「なんで英語やるの」は、保留することになっていたと思います。本は預かっていませ ん。

 わかりました。そういうことまでわからなくなるようなヨイヨイになりかけていますので、今後もフォローをお願いします。
 なにしろなにしろ、やらなきゃいけないことが多すぎて。
 

【12849】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月19日(水)01時23分37秒    編集済
   携帯電話しか通路がありませんので、携帯に二度お電話しましたが、最初は呼び出し音が 鳴るけど電話に出ていただけなく、二度目は「電源が切ってあるか、電波が届きません」ということでした。

 無事出産されましたでしょうか。

 出産直後は、私のレッスンを継続するのは難しいと思っています。ハノイ在住の生徒さんもそうでしたが、私の女房と話して、英語どころじゃねえわなと思い ました。

 12月から再開したいというご意向でしたので、連絡だけはいただきたく思います。
 12月に空き枠ができるのかできないのかがわからないので、困っております。
 

【12850】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月19日(水)02時52分6秒    編集済
  >>「もっとましな独習時の方法」を求めるなら、私が柴田さんと音に関してこの掲示板で 話していた頃の過去ログを読まれる といいと思います。要するに的を射ている知識を得れば、「もっとましな独習時の方法」になると思います。そのあたりは、いまだ整理されておらず、重要記事 のピックアップもされていないかと思います。

>私がこの間、一番申し上げたかった事は、実はこのことだったかもしれません。過去ログの整理ではなく、根石さんの理論と実践を、体系的に、わかりやすく まとめてご提供いただくことはできないでしょうか。

 「理論と実践を、体系的に、わかりやすく」ってのは難しい注文ですね。
 なにしろ、私に余裕がありません。
 やろうとは思いますが、お約束はできません。
 というか、私のやっていることの外側から、私の実践を把握していただく方がいいと思っています。
 らくださんがやっていただけたら、と思ってしまいました。どんなもんでしょうか。
 matsu さんと組んで、ものすごくゆっくりやっていただくのでいいのです。
 それで、素読舎「スカイプ(電話)でレッスン」の父兄会の実質的な活動がスタートすると思うのですが。
 後で誰かがやってくれるのでも構わないという考えもあります。
 その場合は、今の時点で私にどんどん語学論を書かせるように、質問や異論をぶつけて下さるのがありがたいです。

>私は以前、掲示板も良いが、ホームページの充実も必要ではないかと進言いたしました。ホームページでの情報提供がもっともっと充実し、素読舎の理論と実 践が一望できるようになりますと、ページを訪れる者にとってとても有益だと思います。

 おっしゃる通りです。らくださんのアドバイスにもとづいて、村田君の協力を得てやりはじめてみたのですが、私はどうしても語学論を書いてしまうのです。 ショウバイをほったらかして語学論をやり出すのです。これはどうしようもない。気が付くと、これ、ショウバイになってねえよってことをやっているのです。 まるで本能であるかのように始めてしまっています。
 「一望できるように」っていうのが、私がずっと希望してきたことです。一望するためのコンテンツはまんざらないわけじゃないと考えていますが、リアルポ リティクスの地平においては、素読舎なんて芥子粒みたいなもんで、吹けば飛ぶような将棋の駒のそのまた何倍も軽いものです。リアルポリティクスの作用に負 ける気はありませんので、言葉の力でこの時代を超えてやろうと思っていますが、それでもリアルポリティクスの地平は厳然としてあり、そこではまるで芥子粒 を続けております。

>むろんそれは素読舎のレッスン生を増やす事にも資するでしょうし、不幸にして!レッスンを受けられない多くの独習者の進む道に灯りをともすことにもなる と思います。

 そうですね。まったくその通りだと思います。しかし、余裕がないし、ショウバイそっちのけの本能があり、また、「発音10のポイント」「あいうえおフォ ニックス」というようなものはすでに公表してあります。「発音10のポイント」はあちこちの発音教科書に書いてあるようなものとそれほど違いませんが、 「あいうえおフォニックス」は私のオリジナルです。すでに公表してありますが、誰も注目してくれないだけです。吉さんという方が、「こんな、企業秘密みた いなものを公表してしまっていいのか」と心配してくれたことがありましたが、誰も注目してくれないのですから、何の心配も要りません。必要最小限のもの は、すでにみんな公表してあります。やはり、整理やピックアップの問題だと思っています。

>「根石先生がCD聞いてOKって言ってたから聞いてみる?」と誘ってみたところ難色を示すのです。どうしてか聞いてみると理由は次のような事でした。
「根石先生と●●先生(学校の先生)の発音が違うんだよなー。」「そりゃ、根石先生の発音でいいだろ。」「でもなー、みんなと違っちゃうんだよなー。」良 くあるパターンです。「そんなの気にすんなよ。普段練習してる根石先生の発音でいいだろ。」「そうなんだけどさ、ちょっとなー。」「どうしても嫌なら、学 校だけ●●先生の発音に合わしときゃいいじゃん。でも、気にする事ないよ、そんなの。」「う〜ん。それでCDって、それも根石先生と違うんじゃないの?発 音。3つかよー。頭こんがらがるよ。」
なるほどなあ、と思いました。一気読みをしている最中にも、一カ所、息子が頭を抱えた箇所があったのです。「あー、ここ、わかんない。この文、なぜか●● 先生の発音がよみがえってくるんだよね。根石先生の発音が思い出せないんだよ。●●先生の発音が頭から離れないんだよなー。パス。ここパス。」

 実に実にこういうことなのです。ここで私の文部省と大学の英語科教員養成課程に対する怨みを理解していただきたく思います。
 以前にもこの掲示板に書いたことですが、いくつかのエピソードを書いてみます。

 一人は、現在、名古屋工業大学の大学生(男)。
 中学3年から「電話でレッスン」を始めて、高校三年間(長野高校)も続けてレッスンを受けてくれました。現在は寮生活で、部屋に同居人がいるためレッス ンを中断しています。この子のお母さんも別枠で「電話でレッスン」を受けてくださっていますが、この子が中学生だったとき、お母さんが「どうも、二つの発 音を使いわけているみたいなんですね」とおっしゃったことがありました。「学校用の発音(カタカナ発音)を学校では使い、先生のレッスンの時は、先生に教 わった発音でやっているみたいなんです」ということでした。なんでこんな非効率的なことが起こるかというと、「そうなんだけどさ、ちょっとなー。」という らくださんの息子さんの言葉がすべてを語っているのです。それは、学校の教室でまともな発音をやると、大人しい子供に対しては、「なんだ、この野郎!」っ ていう反応が起こるからです。現在大学生の子は、非常におとなしい子で、(私なんかと違って)自分を主張しない子でした。私は、お母さんからその話をきい て、うーんとうなってしまいました。妥協せず、学校の教室でもまともな音でやればいいと言えなかったのです。「なんだ、この野郎!」が起こることがまざま ざと想像できたからです。「そのうちに学校ってのは終わりますから、学校が終わったら全面的にまともな音でやったらいい」というような、二度手間(妥協) に与するようなことを言いました。そうとしか言えないのです。私は生徒の生活には介入することができない者として、自分のスタンスを考えていますので。 「この野郎!」が目に見えるような時に、「妥協するな」と言えませんでした。自分で決めてくれとしか言えなかったです。
 一人は、現在、信州大学教育学部の学生(女)。
 これもお母さんから聞いた話です。中野高校(長野県立)に入学してまもなくの頃、AET(ALT)の外人教師が、授業を終えた直後、この子の席まで来 て、「あなたは小さい頃、外国で暮らしたことがあるのか」と言ったそうです。つまり、発音が他の子と全然違うということだったのです。「いいえ、発音は日 本人の先生から習いました」とその子はALTに答えたそうです。この子の場合は、他の生徒と発音が違うことに頓着せず、高校時代を通じて、「根石先生の発 音」で通したらしいです。特に他の生徒との間の軋轢の種になったこともないようです。今は、大学在学中に、アメリカの大学に留学したいという希望を持って います。
 一人はまだ信州大学付属中学(長野市)の中学生。
 近頃の英語の教室では音読というか朗読というか、テキスト(教科書)を声に出して読ませることがあるらしいですが、授業参観の日、この子が読んだ直後、 教室じゅうが拍手喝采をしたそうです。「すげえ、ガイジンみてえ!」という声があがったそうです。この子を他の子が疎外するというようなことは聞いていま せん。
 もう一人は、金沢大学(だったか?)の医学部だったかに行き、そろそろ卒業した頃。
 屋代高校(長野県立)の生徒だったとき、私が「学校の先生の中で、発音に問題のある先生っているか」と言ったところ、「います、M先生の発音がひどいで す」と具体的な名前が出ました。「その先生の電話番号わかるか?」「わかります」ってんで、電話番号を教わり、M先生に私から電話しました。「素読舎を やっている者で根石と申しますが、問題のある発音を直しながら、インプットを続けるレッスンをやっていますので、受講していただくことを考えていただけな いでしょうか。実は、うちの塾生から、M先生の発音に問題があると聞いたので、ぶしつけながら電話を差し上げています」と言い、「考えてみます」とのお返 事を得て一週間後、「やらせて下さい」との電話をいただきました。定年までの3年ほどレッスンをさせていただきました。当時、田中康夫が長野県知事だった せいで、県立高校の英語の先生がみんなTOEICのテストを受けなくてはならないことになり、私のレッスンの他に、きついリスニング(シャドウイング)の 練習をされ、そのせいで日本語も英語も「どもり」になりました。どうにかならないかと言われたので、遅読法(切断読み)を試してくれとアドバイスして、 「どもり」をなおしたこともありました。

 以上、発音関係で、私の塾生(の回り)に起こったエピソードです。
 最後の例のように、●●先生が私のレッスンを受けてくださるのが解決法の一つですが、これは息子さんより、らくださんの出番になると思います。こういう レッスンがあるから、考えてみてくれとお伝え願えればと思います。空き枠があればお受けします。

 3つの発音のうち、どれを採るべきかについては、明日以降書かせていただきます。
 なんだか猛烈に眠くなってきましたので、横になります。
 

【12851】
おはようございます  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月19日(水)10時27分48秒    編集済
  らくださんとmatuさん、諸先輩のご意見は同じ親の立場としてとても興味深く、
それに対して根石さんがどのようにお返事なさるのか興味津々でした。

感想はながくなりそうなので今度にします。
「塾」「寺子屋」が成り立つ要件について考えこんでしまいました。

ちなみに今回レッスンを申し込んだ動機は英語そのものももちろんですが、決め手は根石さんに「間に合わせたい」ということでした。
まあうちの息子が成人してからでも「間に合う」のかもしれませんが。年寄り扱いしてすみません。
落語では「○○さんに間に合った(存命中に生で噺を聞ける)」というような言い方をするそうです。
理論や形式を継承される方は増えていくでしょうが、根石さん本人とは違うので。

私の予想では息子は多分大人になりかけた頃にはこのレッスンの価値を正当に評価しないだろうと思います。
親離れするのには親が与えたものの価値を一旦地に落とすことをするだろうと思うからです。

でもそこを超えてくれたら「まともな音」を持っていることが財産になっているだろう。

そして…自分の子供を育てる時に思い出して本物を選んでくれるんじゃなかろうか、と。
とらぬ狸の皮算用です。


>>CDに頼って生徒と一緒に音読して、英語の語順のままで私が訳す(ノートを作っておいて渡す)→日本語訳を聞かせる、私が日本語訳→語順訳の順で言う →生徒が英訳を言う…逆パターン、完全にいえるようになったら書く。書くときもまず文を暗唱してから書く、という…

>お書きになったことが、人の指示によるものでなく、ご自分で時代の先端部分を媒介にしてやられたものであれば、そこに私は良心というものを感じます。

こう書いていただいて少し救われました。マニュアルはなかったので、全部自分流でした。こわ〜。
自分が受験を「国語力」(という言葉もあいまいですが)で乗り切ったので、
受験英語は国語力だ〜、という程度の考えしかなかったわけです。
だから
>日本語の介在を「少しずつ抜く」という動機がないなとは思いました。

こういう発想はありえなかったです。
ナニモワカッテナイのです。
文法もきれいに忘れました。

>私は、けっこう「続けさせる」自信があります。

う〜ん、ごめんなさい、ここはまだ半信半疑です。
結構手ごわいやつですよ〜。

>お試し期間が終わって、継続していただけたなら、一年後に同じ問題でお書きいただけたらと思っています

そうさせていただきます。
でも根石さんがすごく「のせるのがうまい」かただというのはわかりました。

「下手になるのが早いからすごい」というような「認め方」にはびっくりしました!
夫が「落語の「子褒め」みたいだ」とあとで感想をいっていましたが、
三年生の長男はとってもうれしそうで、昨日も復習をしている母親に「そこはこうだ」と
お手本をやってくれました。
私が生徒で息子が先生です。

二回目にしてすでにかなりリラックス。
そりゃくつろぎすぎだよ!と言いたくなるほどでした。
焼肉のタレを口の周りにつけたままの髭面のクマ五郎みたいな顔で「エイゴ」を一生懸命発音していたのでこらえきれず噴出してしまいました。
レッスンの邪魔をしてすみません。

移動が1階から2階へ、だけなのもグーたらな母には有難いです。

ちなみに『英語どんでん返しのやっつけ方』の本の挿絵?を見せて、
「これが根石先生」と教えております。

この本、アマゾンで1000円でした。
他の本は見つけられません。在庫なしとでます。

>口語訳、よろしくお願い致します。
 というより、私としては、俺の言葉はけっこう口語なんだけどなあと言いたいです。
 ただ、「磁場」だの「媒介」だのと、私が自分で勝手に定義した語があるんで、それが邪魔しているのだろうと思っています。そのあたりを納得してくださっ て、ゆっくり読んでいただけば、けっこうおもしろいことが書いてあるよ、とお伝え下さい。

本当にそのとおりですね。
私が面白そうにしているのが一番だろうと思いますのでそうします。
 

【12852】
ゆっくり母さん、こんばんは  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月20日(木)00時20分38秒
  何度か名前を呼んでいただいてまして。ご挨拶がわりにというわけでもないのですが、

>ちなみに『英語どんでん返しのやっつけ方』の本の挿絵?を見せて、
「これが根石先生」と教えております。

私の息子がレッスンを始めた頃に「根石先生ってどんな顔かな」と言っていると書いたところ、村田さんから紹介していただきました。
 ↓
 ↓
(覚悟して見てください)
 ↓
 ↓
http://f44.aaa.livedoor.jp/~sodoku/
 

【12853】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月20日(木)00時30分32秒    編集済
  >些細な事かもしれませんが、息子には、どうにも気になるらしく、ただでさえ2つの発音 でこんがらがりそうなのに、3つめ かよ、というわけです。さて、どうしましょうか。今回のやりとりではありませんが、「CD音を媒介にする」と言っても「媒介に」という概念自体が難しいで すね。私には説明不能だということに気づきました。もう単純に「聞こえた通り、できるだけマネすればいいんだよ。」ぐらいしか言いようがありません。しか し、「CDのマネ」が有効かどうか、可能かどうか以前に、3つの発音のどれをどうすりゃいいのよ、こんがらがるよ、という訴えは予想外でした。

 「ただでさえ2つの発音でこんがらがりそう」というときの2つは、学校の●●先生の発音と私の発音ですね。●●先生の発音というものがどういうものか簡 単に決めてしまうわけにもいかないなと今日思い直しました。昨夜は、いわゆる「カタカナ発音」ではないかと思ったのですが、そうじゃない場合もあります。 最近は、英語圏の大学を出て、日本で教員の資格だけを追加して学校の先生をやっている人もいます。私のかつての塾生にもそういう人がいます。
 「カタカナ発音」である場合は、これは生徒がきわめて容易に得ることのできる発音です。これは、日本語に含まれる音だけで英語を読もう(言おう)とする 場合に実現するものです。この発音でも、f音、th音、t, d, l, n 音などはちゃんと出ている場合もあります。純然たる日本語音だけでできているとは限りません。これは、「カタカナ発音・子音OK型」とでも呼べばいいかも しれません。(「母音OK型」が日本にはほとんど見当たらないのです。) 「子音OK型」までは放置しておいても、割と容易に達することができます。f 音、th 音などは、どこかで一度歯の位置や舌の位置を知識として得る必要があるかもしれませんが・・・。
 英語圏の大学を出て、先生をやっている人の場合も各種あるでしょう。かつての私の塾生は、高校までは日本、大学だけアメリカというタイプです。このタイ プだと日本語音と英語音の混ざり具合が人によってまちまちになると思います。特徴的なのは、「磁場」育ちの音の性質として、「自然型」であることです。個 々の音というより、音と音の連絡が自然なのです。イメージ(観念)と音の連絡がスムーズであるということと根が同じだと思っています。
 昔、高校の先輩が同志社大学に入学し、夏休みに帰ったきたとき、長野の言葉に関西弁が混ざっているのを聞きましたが、まざっている関西弁の部分が、関西 弁として「自然だな」という感じを持ちました。(関西の人が聞いて自然だと思うかどうかは疑問があります。)
 英語の「磁場」で得た英語の質には、これと同じような「自然さ」があります。磁場だけがもたらすものの一つです。また、「音とイメージ(観念)」の連絡 がよく瞬間化されていることも特徴です。これは、「磁場」の強制力がもたらすスキルで、本人の功績はそれを受容することに耐えたところにあります。(日本 在住のままでも、「瞬間化」は意識的に行えばできますが、英語「磁場」には、それを強制する強制力があるのです。この強制力の「おかげ」をこうむって、 「瞬間化」が実現しているというところが、「磁場」帰りの英語の特徴です。みなさん、自分の手柄みたいな顔をしていますが、「磁場」の強制力なのです。 「受けたこと」「受容したこと」に本人の手柄があります。その次の段階のペラペラは派生物であり、そこには何の手柄もありはしないのです。(それが証拠に は、「磁場帰り英語」を日本語磁場に置いたとき、リスニング力はなかなか衰えないのに、スピーキングは日に日に衰えるではありませんか)
 中学生の英語の授業では、「カタカナ発音」あるいは「カタカナ発音・子音OK型」の先生だと、放置しておいても生徒が出せるようになる音との間に距離が ありません。その全体を放置するのは非常にまずいのですが、生徒は自分の音との間に距離がないので、その音を歓迎する傾向が生じるでしょう。生徒との関係 でいえば、「同質型」の音です。
 「磁場」帰りの先生だと、英語ネイティヴの先生(ALT)と同じように、生徒にとっては「異質型」になります。生徒の音との間の距離が非常に大きくなり ます。
 「同質型」の先生は、生徒の発音は不問に付します。そのことで教室に「同質」性が維持されてしまいます。この場合は、先生は自分の音も生徒の音も、直す 方法を持っていません。そして、先生個人が責められがちなのですが、この先生は、文部省、大学の英語科教員養成課程の犠牲者なのです。先生個人が責められ るだけであってはまずい。本当の責任は文部省、大学にあるのです。日本の学校英語が音に関して責められるべきときは、ほとんどすべてがこのタイプの音で す。
 「同質型」の先生は責められるとか陰口を言われるということが多いでしょうが、「異質型」に問題はないのかと言えば、大いに問題があります。「異質型」 の典型は、英語ネイティヴ(ALT)ですが、日本人の発音を直すことができません。先日来、「CDを聴いて真似ろじゃ駄目」、「Repeat after me. じゃ駄目」という指摘がこの掲示板上にありますが、ALTも「磁場帰り」の先生も、ほとんどすべての人が日本人の口の動きを英語型に変えることができませ ん。「Repeat after me.」というのは馬鹿のひとつ覚えに類することだと言っていいでしょう。
 ネイティヴ言語はドイツ語、英語圏在住10年以上を経て日本に来たUという人と組んで、英語の教室をやっていた期間が私にあります。生徒が私のところに 来て、「技法グラウンド」をやり音の連続性を作ります。荒削りな状態まで作り、「Uのところへ行って、通じるかどうかチェックしてもらって」と言って、生 徒をUに渡します。Uのところで何が生じるかを観察していたのですが、Uは生徒の音が違っていれば、違うことは即座にわかります。チェックは完璧にできま す。この単語がおかしいと言い、自分で発音してみせます。つまり、「Repeat after me.」をやり出すのです。先日、1ファンさんが [j]音に関して書かれたことと同じことが起こります。「Repeat after me.」を何度やっても同じなので、Uがギブアップします。「根石さんのところに行って、直してもらって来て」ってことになり、生徒は私のところに戻って きます。
 Uはドイツ語ネイティヴであり、英語ネイティヴではありませんが、英語はいわゆるぺらぺらです。音の折り目は、「磁場」帰りの日本人と同じように、比較 的しっかりしています。英語ネイティヴの摩り切れたジーパンみたいな音ではありません。でも、「磁場」で得た英語音の持ち主は、日本語磁場にいる日本人の 英語の音をなおせません。チェックは100パーセントできるが、なおすということになるとお手上げなのです。で、相変わらず、「Repeat after me.」しか方法を持ちません。相手の生徒は赤ん坊ではありません。「Repeat after me.」は赤ん坊には有効ですが、いったん日本語の音韻組織で口の動きが形づくられた後の日本人には、「Repeat after me.」がいくつかの特定の場所で、暗礁に乗り上げます。
 生徒が私のところに戻ってきてしまうというところから、口の筋肉のどこをどうすると具体的に指示する私の「発音決まり文句」が生まれたわけです。1ファ ンさんの、[j]音で言うなら、「喉の息の通り道を狭めるようにしながらイィを言ってみて」というような指示です。「口の両端斜め上」「顎の下げを加える ともっと感じがよくなるよ」「舌を中途半端に持ち上げて、口の中の空気の通り道をせばめる」「やりにくければ、唇の開きをせばめて、息の出口を狭くする」 「とにかくまずはそれで狭さの音の感覚をつかんで」というような指示は、そういう経緯から生まれたものです。
[j] 音で言えば、使う筋肉は喉だけではありません。頬の筋肉も唇の筋肉も連動します。しかし、絶対にはずせないポイントはどこかと言えば、喉の筋肉です。だか ら、「喉の音」というのがその音の本質になります。「自然音」というより、「音素」寄りに音を扱っているのです。
 荒削りのままでも、生徒がポイントを外していない音を出せば、Uは「OK」と大きな声でうれしそうに言っていました。荒削りでいいというのは、もうそれ こそものすごく多くの音のヴァリエーションが生じるからです。その場で100パーセントOKという音を出させるのは、(そもそも筋肉ができていないので) 「絶対に」できません。腕立て伏せ3回しかできない人に、その場で100回やれと命じても「絶対に」できないのと同じです。これが多分、CD音を聴いて真 似しろじゃ駄目なことの根拠です。
 荒削りにはいろいろな段階があります。それを「ネイティヴ音素含有率」というような言葉で言えば、わかりやすいと思います。それは英語職人としての私の 耳がとらえるものなので、測定機器のようなもので測ったものではありませんが、ネイティヴ音素50パーセントを越えているあたりからOKと私は言います。 本当に練習を始めたばかりの生徒では、50パーセント未満でもOKを言うこともあります。70パーセントくらいまでは比較的短期間に含有するようになりま す。音としては問題なく「通じる」音です。私のレッスンは、なにをおいても、まずこのレベルになって70パーセントを越えてもらいます。
 その先、70パーセントから80パーセントのところで時間がかかります。
 80パーセント台はCDを聴いてやってもいいし、90パーセント台は実際の言語使用によって実現していくのでもいい。語学がまず実現しなければならない レベルは70パーセントから80パーセントまでのところを固めることにあると考えています。70パーセントくらいまでにかかる時間よりも、70から80 パーセントまでの方が時間がかかることはよくあります。
 私は主言語が日本語ですから、口の筋肉を揉んでからレッスンするみたいなこともやりますが、たいがい80パーセント台後半の音でやっていると思います。
 90パーセント以上なんてやりたくないという人がいてもまるでOKです。というか、そういう人の方が感覚がまともだと考えています。音の根には声があ り、声の根には感情があるのに、「アメリカ人とそっくり同じようにしゃべりたい」と言い出すような者をさして、私はフリークと呼んできました。実はこの者 たちをはっきりと軽蔑しています。「磁場でやれ、磁場で」と思います。日本にいてやるべきことではない、と。
 練習で「ネイティヴ音の複製(CD音)」を「媒介」にするときは、らくださんが息子さんにおっしゃったことでいいのです。「聞こえた通り、できるだけマ ネすればいいんだよ」でいいのです。年齢にもよりますが、それで90パーセントを越えたり、100パーセントの瞬間値が出たりということはありうることで す。それはまるで構わない。練習ですから。
 実際の言語使用で90パーセントを越えないようにするとか、「磁場」には渡らないとかいうのは、私の「語学だましい」がやらせていることだと考えていま す。「磁場」体験なんかより、私にはずっと語学の方が大事なものですのでそうします。(しかし、まあ、事情が許せば、死ぬ前に一度だけ「磁場在住」をやっ て死ぬかなという迷いもあります。)
 

【12854】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月20日(木)01時22分6秒
   ゆっくり母さんの覚悟がゆっくりしている途中で見て、泡吹いてぶったおれてなければい いですが・・・。
 あれは、何をしている写真なのか。まるで覚えていません。村田君が撮ったんだろうか。
 もしかして折り紙? じぇねえよな。
 

【12855】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月20日(木)02時22分9秒    編集済
  >で、しばらくCDはやめておこうか、と思っているところです。おそらく、レッスンで 扱っていない初見の文を読む時も、根 石さんの発音をイメージしながら自分なりに応用して?読んでいるようですので、それが良いのかな、と思い始めました。例によって、新出の単語の読み方の手 がかりがつかめない時だけ、some(ソメ)、place(プラス)をサム、プレイスと教える。これで、しばらくやってみようかと。

 日本にある英語音のいくつかのタイプを書いてみましたが、もうひとつ書きたいことがあります。
 うちの女房は、塾をやっています。英語塾・素読舎においては、私の弟子の一人です。
 で、Naima さんが以前に書かれましたが、私よりも私の女房の方が発音がいいのです。全般的には明らかに女房の方が発音がいい。そういう塾、素読舎においてどういうこ とが起こっているかというと、発音の悪い方の私が、発音のいい女房の音を直すということが起こります。
 これはどういうことかというと、音の本質をつかむときの握力の違いです。女房は英語音の「なぞり」は上手だが、音の本質をつかんでそれを言葉にすること は私より、(ずっと、((と言いたい)))、下手です。
 私より上手な発音をする女房が世話した生徒と、女房より下手な発音をする私が世話した生徒を比較すると、私が世話した生徒の方が、(ずっと((と言いた い)))短期間に上手になります。
 4、5年、女房が世話したキリピーという生徒がいます。塾に通ってきてくれて、練習しました。その後、私の「電話でレッスン」の生徒になりましたが、女 房が放っておいた音がいくつかあり、それを直して、現在で約一年くらいになりますでしょうか。見違えるほどキリピーの音がよくなりました。
 発音なんか、8割程度クリアしていれば大丈夫なのです。実用するにも、コーチをするにもそれでいい。問題は、8割までの音にするために、何をどう指示す るかにあるのです。だから、(女房より下手な)私の生徒の方が、(私より上手な)女房の生徒より、上手になります。

 なかなか、まともに問題にすべき問題として扱ってもらえませんが、私はまじめな顔をして、まじめな気持ちで、「俺よりも生徒の方が発音が上手なんだよ ね」とよく言います。これは、女房だけのことを言っているのではなく、「スカイプ(電話)でレッスン」の生徒さんについても「俺よりも上手なんだよね」と いうケースがあります。そう言うと、よく人に笑われます。せせら笑う人もいます。

 上手な人の音を下手な人が直すのはOKなんだろうか。OKなんです。
 うまいねえ、だけど今の段階だと、まだ根が張ってないから、もっとことさらに筋肉に力を入れたほうがいいよ、というようなアドバイスは、女房でなく私が しています。そこらへんの見極めができるできないというのは、発音が上手か下手かではなく、音の本質をつかめるか、それをつかんだ上で、言葉にできるかど うかにかかっているのです。
 多分、私は女房より耳がいいんだと思います。耳が上手で、(練習上では)口が下手なんだと思います。もう言っちゃいますが、女房は口先だけ、口の筋肉の 表層だけで、英語の音を出していると思います。柴田さんが生徒の中学卒業記念に作ったCDというのがあり、そこには、生徒たちの英語の朗読の吹き込みが 入っています。それを聞いたときの正直な感想は、「うまいなあ、上手だなあ、だけど、割と口の筋肉の表層だけ使ってるな」というものでした。柴田さんの教 室で育った音にして、そうなのです。

 で、らくださんちで、今、CDの音を媒介にすべきかどうかです。最近の過去ログを読んでみないと間違いないと言えないですが、多分私は、「CD音を媒介 にして大丈夫」という言い方をしていたと思います。「どんどんやって大丈夫」という言い方もした記憶があります。「CD音を媒介にしろ」とか「しなきゃ駄 目」という言い方はしていなかったと思います。
 「やってもいい」「やっても大丈夫」というのは、「やらなきゃ駄目」というのではありません。「やらなくても大丈夫」ではあります。
 息子さんが、CD音に興味があれば、やっていいよ、やるんならどんどんやっていいよ、ということです。息子さんが、「ちょっとなあ、今はパスかなあ」な ら、やらなくてもいいのです。

 いきなり「CD音を聴いて真似しろ」が駄目なのは、3回しか腕立て伏せができない人に100回やれと命じるのが駄目なのと同じです。
 私くらいの年寄りになると、15回できるが、翌日は13回に減ったとか、かろうじて16回できたというようなことがよくありますが、らくださんの息子さ んみたいに若いと、普段でも50回や60回はよくやるよ、ということがあり、息子さんも、まあ自分のレベルは50から60回だなと思っていたとして、ある ときひょいと急に85回もできたというようなことが起こります。その飛躍を準備していたものを自覚することも言葉にすることも難しい作業だと思います。
 外側から、普段50回60回はやっていたということを欠いていたら、それは起こらなかったということができるだけです。なぜ85回だったのかということ は言うことができないと思います。しかし、言えないだけで、実体はずっと潜んでいたのです。潜んでいたものがなければ、「あるときひょいと」はないわけで す。
 いずれにせよ、「CD音を聴いて真似しろ」や「Repeat after me.」は「いきなり」は駄目です。
 らくださんちの場合、「もうCD使っていいよ」は早かったですが、それでも一年程度、「根石先生の発音」を息子さんは「媒介」にしています。

>あるいは、根石さんが以前お書きになっていたことですが、聞くときは聞くだけ、読むときは読むだけ、にならい、CDは聞くだけ。その時にマネして読んだ りしない、という方法もあるかと思っています。

 私はその方法が基本だと思っています。「ひょいとできるようになる」というのが一番自然だと思っています。

 さて、3つの音の体系を、どうすりゃいいのさこの私状態の息子さんの話ですが、もし●●先生の発音が、「カタカナ発音」か「カタカナ発音・子音OK型」 である場合は、学校の教室では、文法を主体に授業を聞いていればいいとアドバイスして下さい。授業時間で言えば、圧倒的に私のレッスン時間の方が少ないで すが、私のレッスン時の音を大事にするようにとも言って下さい。
 CDは「やっていい」というのが原則ですが、「やった方がいいかもしれない」でもあります。●●先生と「根石先生」の間で分裂するよりは、「根石先生」 と「CD音」の間で分裂する方がはるかにましですから。

 ようやくアドバイスにたどりつきました。
 

【12856】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月20日(木)04時05分44秒
  >「塾」「寺子屋」が成り立つ要件について考えこんでしまいました。

 考え込むことはいいことです。
 無責任なことを述べます。
 「塾」は、一人でやるのが最良です。仲間や弟子とやるのもいいのですが、一人、何事かを見極めた人がやるのが基本形だと思います。「無責任なこと」とい うのは、それで食えるか食えないかはまた別問題だからです。

>ちなみに今回レッスンを申し込んだ動機は英語そのものももちろんですが、決め手は根石さんに「間に合わせたい」ということでした。
まあうちの息子が成人してからでも「間に合う」のかもしれませんが。年寄り扱いしてすみません。
落語では「○○さんに間に合った(存命中に生で噺を聞ける)」というような言い方をするそうです。
理論や形式を継承される方は増えていくでしょうが、根石さん本人とは違うので。

 ありがとうございます。兼好法師が言い、健康法師が言わないのは、人はいつ死ぬかわからないということです。そこまで考慮して、「間に合う」こ とを実現して下さったことに本当に感謝しています。私はお調子もので、感謝した直後に要求したりもするのですが、レッスンの付き添いをやっていただきなが ら、レッスンの様子を今後も言葉にしていただけたらと願っています。

>私の予想では息子は多分大人になりかけた頃にはこのレッスンの価値を正当に評価しないだろうと思います。
親離れするのには親が与えたものの価値を一旦地に落とすことをするだろうと思うからです。

 ふうむ。どうなりますか。予測がつきません。

>でもそこを超えてくれたら「まともな音」を持っていることが財産になっているだろう。

 「まともな音」そのものよりも、「まともな音」が、「まともであること」につながればいいな、と。つながれば、無量の価値であり、無形の財産です。それ が、この世がどれほど狂っても、この世を底から支える力になると思います。

>そして…自分の子供を育てる時に思い出して本物を選んでくれるんじゃなかろうか、と。
とらぬ狸の皮算用です。

 皮算用は避けようがありません。そんな余計なことをやらないのが、人間以外の正直な動物たちで、人間はやります。それが人間という動物だけが持つ煩悩と いう本質です。やべえなあ、俺はまたニセ坊主みたいなこと言い出してる。中原中也という男も、生きてる間はニセ牧師みたいなことをたくさん言ったらしいで す。(中也ファンの馬の骨さん、出番です!)それが回りにやたら軋轢を起こしたりしました。河上徹太郎という人が、文庫本の中也詩集の解説で書いていたと 覚えているものを、私の言葉で言いなおしてしまいますが、「中也の生身とつきあったことがなく、中也が死んで残したものを言葉として受け取るだけの読者は 幸せだ」というようなことを書いてます。

>マニュアルはなかったので、全部自分流でした。こわ〜。

 いや、塾をやるなら、この「こわ〜」の連続ですよ。ちょっと、下手を踏むとすぐに食えなくなります。

>自分が受験を「国語力」(という言葉もあいまいですが)で乗り切ったので、受験英語は国語力だ〜、という程度の考えしかなかったわけです。

 おっしゃっていることはわかります。国語力と呼ばれているものには、そのまた根底があると思います。「イメージ(形成)力」です。まざまざとイメージ化 できる力というのが、根底にあるものだと思います。
 これは「抜く」ことをしては駄目です。「抜く」と人間がふぬけになったり、場合によっては死んだりします。
 イメージ(形成)力こそ力です。これは、日本語とか英語とかの具体的な個別言語に養われながら、いったんそこから離れることができる力で、いったん離れ てしまえば、イメージが、逆に日本語や英語を駆動させるということが起こります。イメージが根底であり、具体的個別言語がその対象になるというようなこと が起こります。

>>日本語の介在を「少しずつ抜く」という動機がないなとは思いました。

 英語を練習する場合は、「イメージ(形成)力」を強めた分だけ、具体的な日本語を「抜いていく」ことが必要になります。日本在住の場合は、急激にやら ず、「少しずつ抜く」ことが肝要だと思います。
 それで日本語が滅びるわけではありません。むしろ、強化されます。いくら英語の練習をしても、私たちはただちに日本語に回帰できるからです。

>う〜ん、ごめんなさい、ここはまだ半信半疑です。
結構手ごわいやつですよ〜。

手ごわいやつですか。楽しみです。

>でも根石さんがすごく「のせるのがうまい」かただというのはわかりました。

 へっ? そんなこと言われたことありません。

>「下手になるのが早いからすごい」というような「認め方」にはびっくりしました!
夫が「落語の「子褒め」みたいだ」とあとで感想をいっていましたが、

 ええと、ちょっと解説が必要かもしれません。息子さんが、一回目は比較的素直に音を受容していたのに、二回目で急に下手になったような感じがあったの は、緊張がほどけたのが大きく作用していると思います。一回目は緊張していたので、口の筋肉の表層部分だけが動いていたのです。(ついでだから言います が、口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力で、そのことを盲信して子供英会話という幻想も成立しているのです。)
 二回目は、緊張がほどけて、息子さんの声に力がありました。途中、もう思い切り言ってみてやるぞという感じで声を使っていたのも覚えています。一挙に根 付かせてやろうという心意気を感じました。そうすると、私の指示通りやるのが、一挙に困難になるのです。だけど、それでいいのです。混乱が最短距離です。
 二回目で、息子さんの中に生じた「むむむ」という感覚がありますから、三回目はどう出てくるかなと、私がわくわくしています。
 やたら思い切り言ってみても言えないんだなというところから、今度は緊張ではなく、音に対して素直になってやろうということが生じるんじゃないだろう か。勢い余るというところがとれて、的を射てやろうというふうなことが生じるんじゃないだろうか。
 わずか、二回、三回で、この精神のダイナミズムです。なにしろ面白いですし、教えてもらうことが多いです。子供はいい。

>三年生の長男はとってもうれしそうで、昨日も復習をしている母親に「そこはこうだ」と
お手本をやってくれました。
私が生徒で息子が先生です。

 いい光景だと思います。こういう報告が、私には一番うれしいです。

>焼肉のタレを口の周りにつけたままの髭面のクマ五郎みたいな顔で「エイゴ」を一生懸命発音していたのでこらえきれず噴出してしまいました。

 これがOKなのが、「スカイプ(電話)でレッスン」のいいところですよ。絶対に内緒ですが、私の方でも、鼻くそをほじったりできます。内緒ですから!

>この本、アマゾンで1000円でした。
他の本は見つけられません。在庫なしとでます。

 そのくらいの値段なら、まあまあです。Naima さんが教えて下さったのですが、1万3千円くらいの値がついたことがあったらしいです。私はネットのそのページを見なかったのですが、そんな馬鹿なと思っ たのを覚えています。新刊本で読んで下さる方より、古本で読んで下さる方の方が本を大事にしてくれるというのは確信していますので、版元には悪いが、古本 が流通して欲しいです。そのためには、古本の値段が新刊本より少し安いくらいになってくれる必要があります。「他の本」というのは、ミッドナイトプレスが 出してくれた「根石吉久の暮らしの手帳」でしょうか。この本は、少し手元にありますので、掲示板の常連の方にさしあげて読んでいただこうかと・・・。常連 を自覚しておられる方は、ご希望があれば、「送れ」とお書き下さい。ゆっくり母さんは、もう常連を自覚していただいていいと思います。

>私が面白そうにしているのが一番だろうと思いますのでそうします。

 ありがとうございます。
 

【12857】
昨日書きかけて消したこと  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月20日(木)09時16分59秒    編集済
  >「無責任なこと」というのは、それで食えるか食えないかはまた別問題だからです。

昨日書きかけて消したことは…

>自分で塾をやると、思い切り自分の考えを展開できます。

「そして食べていけなくなります(爆)」でした。
せっかく飲み込んだのに言っちゃった。

一昨日過去ログの抜粋部分だけを印刷して「ひえ〜」って思ったのに、
また魔が差してABCDのテキストを全部印刷しちゃいました。
広辞苑並みの厚さなのですが・・・。
合掌。

>らくださん
実はご紹介の写真、拝見したことがあります。
1年半くらいロム専でしたので(汗)。

でもあの挿絵の方が根石さんご本人より「感じが出てる」気がしているんですよ(爆)。
お相手してくださってありがとうございます。

村田さんにも声をかけていただいたのに、お返事しておりませんでした。
常連のゆっくり母です。よろしくお願いします。

>そこまで考慮して、「間に合う」ことを実現して下さったことに本当に感謝しています。

ひょっとしたら夫を説き伏せるための方便だったかも…。
ただ単に好奇心を抑え切れなかったのが本当かな>自分。

>いや、塾をやるなら、この「こわ〜」の連続ですよ。ちょっと、下手を踏むとすぐに食えなくなります。

そうだと思います。

>これがOKなのが、「スカイプ(電話)でレッスン」のいいところですよ。絶対に内緒ですが、私の方でも、鼻くそをほじったりできます。内緒ですから!

わかりました!裏庭に穴を掘って叫ぶことにします。
実はうちにももう一つ秘密がありますが…さすがに掲示板ではいえませんです。

>わずか、二回、三回で、この精神のダイナミズムです。なにしろ面白いですし、教えてもらうことが多いです。子供はいい。

え〜っと…その秘密がこのダイナミズムの元かも知れず…あ〜…怖くていえない。

雪が降りました〜。

>レッスンの様子を今後も言葉にしていただけたらと願っています。

これに甘えて質問してしたいことがあるのですが、長くなるのでまた後ほどにします。
 

【12858】
根石さんへ  投稿者:巴里子  投稿日:2008年11月20日(木)22時32分11秒    編集済
  明日のレッスンスTさんもスカイプでの参加が可能なようなので、参加させていただきま す。

どうぞよろしくお願いいたします。
 

【12859】
根石さん(狭い音のarの例)  投稿者:村田  投稿日:2008年11月21日(金)17時30分24秒
  狭い音のarの例です。

sugar
beggar
scholar
calendar
binocular
articular

固有名詞は除きました。意外とたくさんありそうですね。
 

【12860】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月21日(金)19時57分56秒
  ありがとう。
プリントアウトする前に書き加えます。
 

【12861】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月21日(金)21時20分45秒
  巴里子さん宛てに、お返事を書いて何度か投稿しましたが、掲示板に掲載されず、記事が消 滅します。teacup の方への問い合わせはどうなったでしょうか。

------------------------------------------------------

巴里子さん

 承知しました。

(少し長く書けば、掲載されるかもしれないので、ここへ連絡を書いてみます。)
 

【12862】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年11月22日(土)00時25分47秒
  今、teacupへ照会中です。しばらくお待ちください。  

【12863】
放置されていた原稿?  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月22日(土)00時47分22秒
  5歳児用の「英語発音教本」を書いて、村田君が「アクセントのない ar」の例を辞書から探してくれたので、それを追加して、スティック状のハードディスクのファイルを書き換え、コンピュータ本体のハードディスクにコピー しようとしているうちに、以前に書いた(村田君がテープ起こししてくれた?)記事がみつかりました。

 けっこう量がありますので、今日はその最初の部分だけ投稿します。
 順次、投稿していきます。
 

【12864】
音について(1)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月22日(土)00時55分28秒    編集済
  「あいうえおフォニックス」原稿素材1  投稿者: 村田  投稿日:12月 9日(金)00時00分59秒
『放置された音』(仮称)

師「日本人が英語の勉強を始めて、英語の音を出そうとするとき、大方の人が出す音がある」
弟「はい?」
師「日本人と言っ ても、父親がアメリカ人とか、母親がドイツ人とか、そういう家庭もここらへんの田舎でも増えてきているけれども…。俺が言おうとしているのは、そういう、 微細な「磁場」を持った人のことではなくて、日本語のみで生きてきた日本人が、英語を初心者の状態から始めて、ほぼ全員が出すだろうという音について だ。」
弟「たとえばどんなものでしょうか?」
師「ひとつには、子音の後に母音が必ずついてまわるということがある。 I am a student. という文を日本人の初心者が言う場合、『アイ アム ア ステューデント』という感じになる。英語の側から聞くと、余計な母音が付く。」
弟「そうですね。」
師「これは日本語のみで育ってきた人にとっては、極めて自然な音なんだ。」
弟「子音だけの音は、日本語では出てきませんからね。」
師「日本人にとっては当たり前の音だけど、英語を学ぶ場合、いつまでもそのままでは困る。ただ、英語をめぐる業界ではこの音は単なるまがい物の音とされて きた。当然ながら学校教育も含めて。日本では、これまでずっと、ネイティヴが出す音と同じ音を出すのが正しいとされてきた。」
弟「そうですね。」
師「そして、日本人の英語初心者が出す音は、まがいものとしてずっと放置されてきた。英語ネイティヴの音に近づくことが正しいんなら、英語習得のための もっとも正しい道は、アメリカなりイギリスなりの英語圏に行って生活することになる。それしかないことになる。
 そうやって得る音と日本人の初心者が出す音の間には、連続性などどこにもない。そこには絶壁しかない。『英語を流暢にしゃべりたいなら英語圏で暮ら せ。』これが日本の英語をめぐる業界の本音だろう。それを言っちゃショウバイにならないから、誰も言わない。その一方で、大方の初心者が最初に出す音は、 放置され続けてきた。この音は、放置されてきたが、このまま放置しておいていいわけではない。」
弟「はい。」
師「日本人は、語学をやるのならば、この放置されてきた音を元にするしかないんだ。・・・・・・」
弟「どうしました?」
師「うーん…俺は、この、初心者が出す音に、『放置された音』と名づけてみたんだが…。何か他にいい名前はないか?」
弟「私はいい名前だと思いますが。」
師「まだ言い当てている感じではないんだなあ。」
弟「それにしても、これは今までの師の話には出てこなかった考え方ですね。お話を聞いていて思い出したのですが、師が以前、『盆踊り』と言っていたもの も、『放置された音』にあたりますか?」
師「ああ、それは今までの話を踏まえれば、『放置されたリズム』ということになるだろうな。」
弟「『放置された音』と『放置されたリズム』ですね。」
師「そうだな。とにかく、語学は、この自分の中の『放置された音』を元にしなければならない。なにしろ、『放置された音』は、それまで自分を育ててきたも のが集約している、いわば、自分自身でもあるわけだからな。日本人の語学の音は、そこからしか始まらないはずだ。これは、放置したら駄目だが、絶対に粗末 にすべき音ではない。
 こういった大前提となるところから話を始めてみようと思う。」
 

【12865】
根石さん  投稿者:ノンノン母  投稿日:2008年11月22日(土)18時38分18秒
  根石さん。娘の今日のレッスンですが、
風邪の為おやすみさせてください。様子を見てできそうかなとも思っていたのですが、
熱がでて気持が悪いらしく、少しぐったりしています。
申し訳ありません。よろしくお願いします。
 

【12866】
ノンノン母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月22日(土)20時03分23秒
  承知しました。
お大事に。
振り替え、どうしましょうか。
次回レッスンのときに、覚えていてそちらから言って下さると助かります。
 

【12867】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月22日(土)21時35分11秒
  まずは、たっぷりの語学論、ありがとうございます。非常に参考になりました。

やはり、営業色豊かなホームページでのプレゼンより、「がちがちの語学論」の方が素読舎のディープなお客様には向いているかもしれませんね。根石さんの 「語学だましい」の炸裂を前にして、軽々しく営業トークの奨めなんてできなくなってしまいます。

>学校の教室でまともな発音をやると、大人しい子供に対しては、「なんだ、この野郎!」っていう反応が起こる

息子は教室で「最も騒がしい子供」の部類ですので、そういう心配はあまり無いかもしれません。一人で教科書を読まされることはまだ無く、全員で読む時に目 立ち過ぎないように、声の大きさを適当にコントロールしているそうです。

CDのリスニングに関しては、適当な時期を見計らって水を向けてみる事にします。この間の教科書一気読みの時に、根石さんの音のイメージを思い出そうとし ていた、その感じを今は大事にしたいと思っています。

「ネイティヴ音素含有率」という言い方はおもしろいですね。息子は70%に到達するまで、どのくらいかかるものか...。時々いま何%ぐらいまで行ってい るか教えていただければと思います。この感じで50%か、とか上達の過程が観察できると楽しいと思いますので。

>しかし、まあ、事情が許せば、死ぬ前に一度だけ「磁場在住」をやって死ぬかなという迷いもあります。

確かに、磁場在住で身に起こることを体験されて、磁場論を検証するっていうのもありですね。それとも、そんなんじゃなくて、アラスカあたりでキングサーモ ン釣り三昧がお目当てだったりして。
 

【12868】
学校の先生のアリバイ作りなのか  投稿者:村田  投稿日:2008年11月23日(日)01時08分20秒    編集済
  中三の塾生が学校の総合テストがあったというので、どんなもんだったか結果を聞いてみま した。
まだ答案が戻ってきていないということだったので、手応えはどうだったか聞いてみると、「あんまりよくない」、と落ち込み気味で言うのです。
この子は英語はいつも学年で三番以内くらいにいるので、気になりました。
ど んな内容の試験だったか聞いてみると、リスニングが25分あって、あとの問題を解く時間がなかったそうです。リスニング25分ということは、残り25分で 長文問題を解かなければならない勘定です。この中学の3年の試験は、長文問題は長めのが複数あります。今回も長めのが二つあったとのこと。

「他の人はなんて言ってた?」
「全然時間がないって言ってました。」

「試験でそれだけリスニングに時間を割くってことは、学校の授業でリスニングに特別に力を入れてるのかな?」
「いえ、全然なんにもやってないです。」

なんだかなあ!

学校は学習指導要領でリスニング重視するというようなお達しがあるんだろうけれど、なんの訓練もなしにただテストでリスニングの配点だけあげればそれでい いのか。
この中学の英語のテストでは、高得点のグループと低得点のグループの二極化が起こっています。
これは埴生中学の現在の三学年に極端に起こっていることだけれど、多かれ少なかれどこでも似たようなことが起こっているのかもしれませんが、今回はちょっ とひどいと感じました。

この塾生には、平均点が下がっているはずだから気にするな、と言いましたが、塾なり予備校なりに行ってない子はどう思うだろうか。学校の先生は生徒になん て言うんだろうか。
 

【12869】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時02分19秒
  今回の記事はいいな。
だんだん娑婆に遠慮がなくなってきて、いいことだと思っています。
ただし、食えなくなるまでやると大変ですので、らくださんからバランス感覚を習って下さい。
 

【12870】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時15分18秒    編集済
  >まずは、たっぷりの語学論、ありがとうございます。非常に参考になりました。

 こちらこそありがたかったです。息子さんが3つの音体系を抱えるのに抵抗を示したことを書いていただいたので、ううん、ここは正念場だなと思って、性根 を据えて書くことができました。

>やはり、営業色豊かなホームページでのプレゼンより、「がちがちの語学論」の方が素読舎のディープなお客様には向いているかもしれませんね。根石さんの 「語学だましい」の炸裂を前にして、軽々しく営業トークの奨めなんてできなくなってしまいます。

 いや、食うや食わずは続けたくないので、営業色豊かも大事だと思っています。
 だけど、ついやっちまうのです。語学論を。

>息子は教室で「最も騒がしい子供」の部類ですので、そういう心配はあまり無いかもしれません。一人で教科書を読まされることはまだ無く、全員で読む時に 目立ち過ぎないように、声の大きさを適当にコントロールしているそうです。

 全員で読む時は、自分の音が一番大きく聞こえますから、そういう遠慮が生じるのだと思いますが、でかい声を出しても目立つようなことはないか ら、でかい声でやっていいのだと息子さんに伝えて下さい。「騒がしい子供」の一人だと聞いて、安心しました。私のレッスンでは、かなりかしこまっているの かもしれません。まあ、しばらくはそれでいいか。

>CDのリスニングに関しては、適当な時期を見計らって水を向けてみる事にします。この間の教科書一気読みの時に、根石さんの音のイメージを思い出そうと していた、その感じを今は大事にしたいと思っています。

 はい。適当な時期は、息子さんとつきあっているとわかると思います。

>「ネイティヴ音素含有率」という言い方はおもしろいですね。息子は70%に到達するまで、どのくらいかかるものか...。時々いま何%ぐらいまで行って いるか教えていただければと思います。この感じで50%か、とか上達の過程が観察できると楽しいと思いますので。

 今は60パーセント台の後半かなと思っています。
 50パーセント超えるのなんて、日本人は受容力の大きい人たちですから、簡単にできます。70パーセントくらいまでは、比較的簡単です。70パーセント を越えたあたりから、胸突き八丁になってきます。

>>しかし、まあ、事情が許せば、死ぬ前に一度だけ「磁場在住」をやって死ぬかなという迷いもあります。

>確かに、磁場在住で身に起こることを体験されて、磁場論を検証するっていうのもありですね。

 事情や抒情が許せばやってみたいと思っています。そのときは、私が完全に隠居したときだと思います。磁場で「在住」をやったら、俺はレッスンはやめると 思っています。
 私のレッスンは、「磁場在住」がないからこそ成り立っているものです。

>それとも、そんなんじゃなくて、アラスカあたりでキングサーモン釣り三昧がお目当てだったりして。

 また千曲川で鯉を釣りたくなるではありませんか。
 アラスカあたりの清涼な空気の中に立ち、サーモンをばしゃばしゃさせるのは、多分なかろうと思います。
 住みたいところは、ニューヨークの場末です。
 やばいところが好きなんかもしれません。
 

【12871】
空手  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時26分58秒
  浜田さんという古くからの友達から空手を習い始めました。浜田さんは三段を持っていて、 中断突きをやると空気が鳴ります。
空手を習い始めてから、南郷継正「増補 武道の理論」(三一書房)を読みました。
若書きの本ですが、理論としては、私の語学論と共通する部分がかなりあります。

いきなりCDを聴いて真似しろと言うのは、南郷さんを参照するなら、乱取りや試合ばかりさせて、ちゃんと型を鍛えないという「お気楽」です。
この「お気楽」のせいで、日本の武道は醜くなったし弱くなったのだというのが南郷さんが言っていることです。
オリンピックの柔道の判定結果なんか見ていると、醜くて目をそむけたくなります。どこにいったい柔道の「型=技」があるんだと思い、南郷命名の「ごりらの ダンス」が実にリアルな言葉だと思います。
 

【12872】
中京在住のFさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時34分2秒
   南郷さんの本を教えていただきありがとうございました。
 やっと今頃になって読んでいます。
 今でも掲示板を読んでくださっていたらうれしいのですが・・・。
 

【12873】
ニュース  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月23日(日)02時41分25秒    編集済
  書き忘れるところでした。今日耳に入ったニュースです。

北信地方在住のKさんが、また学年トップになりました。現在須坂高校3年生です。

Kさんは、小学5年から素読舎の練習をしました。高校一年、入学直後のテストで学年トップ。二年の春の進研模試で学年トップ。今回、三年の秋、進研記述模 試で学年トップ。
これまでのところ、年に一回、全学年で学年トップになっています。

春から夏が終わる頃まで、スポーツの大会で県外に何度も遠征したりして、ちょっと勘が鈍っているかなと思っていましたが、どうやら回復したようです。
 

【12874】
村田さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月24日(月)01時46分12秒
  素読舎の戸倉分室は、今、どんな感じでやっておられるのでしょうか?

根石さんの電話レッスンとはまた違った形の取り組みについて、ご紹介いただくと良いのではないかと思います。塾をやってみようと考えている方もいらっしゃ るようですし。
 

【12875】
分裂ということ  投稿者:matsu  投稿日:2008年11月24日(月)09時53分55秒
  先日のらくださんの質問と根石さんのそれへの回答は、内容豊富で、同じ年代の子どもを レッスン生にもつ親としても興味深いものでした。
しばらく根石論を中断していたのですが、その再開のリハビリも兼ねて下手なつっこみを入れさせてもらいたいと思います。

> さて、3つの音の体系を、どうすりゃいいのさこの私状態の息子さんの話ですが、もし●●先生の発音が、「カタカナ発音」か「カタカナ発音・子 音OK型」である場合は、学校の教室では、文法を主体に授業を聞いていればいいとアドバイスして下さい。授業時間で言えば、圧倒的に私のレッスン時間の方 が少ないですが、私のレッスン時の音を大事にするようにとも言って下さい。
 CDは「やっていい」というのが原則ですが、「やった方がいいかもしれない」でもあります。●●先生と「根石先生」の間で分裂するよりは、「根石先生」 と「CD音」の間で分裂する方がはるかにましですから。

らくださんの関心が専門的な英語学習法にあって、それに対する根石さんのアドバイスが英語のコーチとしてのものですから、その点から言えばこのやり取りに は間然するところはないだろうと思います。
根石さんが、音作りのために明確な優先順位を指摘することで、「分裂」を取り除き、それを軽減するという方向で道筋を示すということも当然です。

ただ、この一年、わが身・家庭を振り返ってみると、もちろん息子には、(我が家の家計の事情から、父親の小遣いからレッスン料を捻出していることもあっ て)根石さんのレッスンからできるだけモトをとることを求めてもいますし、私もレッスンの様子を聞いたり、電話の録音機能でレッスンの様子をのぞかせても らってたりして学んでいるつもりですが、それ以外の親子の(英語)学習については、かなり我流や思いつきでやっていることが多い気もします。
肝心の音声面でも、ラジオ講座やCDの利用、技法グラウンドの真似事など、本来なら根石さんのアドバイスを受けた方がいいだろうという気持ちを持ちつつ、 勝手に行っていました。
もちろん、このことは私自身の不精さや天邪鬼さのせいだとは思いますが、今回の記事を読みながら、そういう自分の「無意識」について、別の言葉にしてみた い気がしました。

>そこらへんの見極めができるできないというのは、発音が上手か下手かではなく、音の本質をつかめるか、それをつかんだ上で、言葉にできるかどうかにか かっているのです。

根石さんは、自分が奥さんより発音が「下手」にもかかわらず、コーチとしてはるかに腕が上であることを、こう説明しています。
これは自分の身体の動きについて、どれほど自覚的で、主体的にそれをつかみ取っているか、ということの深度の違いのようなものだろうと推測できます。その ような意識化=主体化は、発音における口の筋肉の動きにとどまらず、日本在住で語学をやることのすべての振舞いにおいて徹底的に行われて、それが根石さん の語学論の輪郭を作っているのだろうと思います。
日本語を磁場とする環境の中で英語をやるという「分裂」や「矛盾」を、ごまかさずに正面から受け止めて、突き詰めることが、それを可能にしたのだと思いま す。

昨年、人間の思考力が12歳までで決まるというような「暴論」が、この掲示板で話題になったことがありましたが、思考力が、わが身をひきさく分裂の只中 で、それを自覚し、主体的につかみなおすという技法のことであるなら、むしろ12歳以降の経験の中にこそ、その母胎はあるはずです。
根石さんを「劣等生」から、詩人・文学者、語学論者へと変貌させる土台をつくった「嵐の一年」が19歳の経験だったように。

少し前に、根石さんが、昔の塾生に会って、素読舎のレッスンによってわが身に何が起きたのか自覚していないことを嘆いている記事がありました。
彼は、まともな音や、英語力を手に入れたのかもしれませんが、語学論(思考力)を手に入れることはできなかったのでしょう。

もちろん、私にも親子ともども、まともな音や英語力を身につけたいという希望はあるのですが、その準備期間中においても、「分裂」や「矛盾」を積極的に呼 び込んでいきたいという気分があって、そのために根石さんの指導からはみだすことにも(確信犯的に)手を出してしまっているような気がします。
それもまた、根石さんの語学論によって誘い出された気持ちだと言いたいところですが。
 

【12876】
(無題)  投稿者:murata  投稿日:2008年11月24日(月)10時40分0秒
  おちこぼれ母さん  投稿者:根石吉久  投 稿日:2008年11月 9日(日)02時08分58秒
    わずか週一回30分のレッスンの効果について信用していただいけてうれしいです。気を引き締めてやろうと思います。

>英会話教室という選択肢は私の中にはありません。素読舎と他の教室は比較対象ではないです。

 ありがとうございます。いつもながらの不遜ながら、地元の大手進学塾と素読舎の名前を同じ話のなかで聞くと、おぞけが立ったことが何度もありま した。方法を持たない商売と、方法を探求して貧乏を続けてきた塾が較べられることに、アレルギーのような忌避反応が生じるような体になってしまいました。

>息子に将来的に英語が必要だろう、という考えもありません。

 これはまったく未知数としておくのがいいと思います。英語なんか俺には用がないと思っていたのに、こんなメに会わされるとは思わなかったという人に何度 も出会ってきました。2週間後に外国の支社に行かされることになったからなんとかしてくれと言われ、2週間でどうにもなりはしないので、練習の方法だけ言 うから、現地で練習してくれとアドバイスするような電話相談をしたこともあります。

>ただ根石さんという方になんだか変わった(失礼ですが)教材で生でレッスンをしていただいた、という経験はすごいものだろうと思うだけです。
効果と値打ちがわかるのがいつのことであってもかまいません。

 私は普段は淡々とレッスンを続けるだけです。教材は確かに他に類例がないだろうと思いますので、変わっているといえば変わっているかもしれません。

>息子は全く頓着なく、のんびり・おっとりした子供です。他の小三のお子さんより幼いと思います。

 今日、5歳の子を連れたお母さんが塾に来られ、子供に英語を教えてくれと言われました。英語は原則として小学3年生から受け付けているので、できたら日 本語の素読をやらせて欲しいと言ったのですが、やはり英語をやらせたいらしいので、実験的にやらせてもらおうかと思いました。私の教材には、日本語による 説明部分が比較的多く含まれているので、この部分を声を出して読んでもらうことで、「学力」の元は作れるなと思ったのでした。理科だろうが社会だろうが、 所詮、日本語による説明文を読むわけですので、5歳の子に英文法の日本語による説明文を読ませてみようかと思いました。元になっているのは素読ですので、 わけがわかってもわからなくても、ひとまずはかまわないのです。
 やることは、「字に音をかぶせる」ということです。その場で理解は求めないし、暗記を要求することも一切ありません。意味がわからなくても、ただすらす ら読めるようにするだけでひとまずはOKです。これは素読ならではのことです。
 で、5歳の子を引き受けるなら、その子の入塾を記念して、小学3年生で開始するのを想定して作ったものより、さらに一段とやさしい教材を作らなければな るまいと思いました。急遽、それにとりかかる予定です。これができれば、小学3年生にも使ってもらえます。既存の教材は小学4年生から使ってもらうように すればいいなと考えています。
 11月、月曜夜7時半からの枠でお試しをしていただくには教材作成が間に合いませんが、それ以降、レッスンを受けていただけることになったら、新しく 作ったばかりの教材を使っていただくことになるかもしれません。なんにせよ、実際にレッスンを数回やってみないことにはどちらの教材を使うのが適当か決め ることができませんので、準備が間に合いましたら、今度の月曜日から「無料お試し」を使ってみて下さい。
 ただ、7時半からのレッスン枠は、12月から生徒さんが復帰される予定の枠でしたので、調整の必要があります。11月の間、7時半からの「無料お試し」 をしていただいている間に調整しようと思います。

>でもうちの息子については・・・。今横で息子が不安そうな顔をしておりますし・・・。
怖い先生だったら嫌だな、とつぶやいております。

 掲示板で語学論でぶつかり合う時は、私は鬼になることがありますが、レッスンではなんていいますか、甘くもなくしょっぱくもなく、ふつうのおじさんで す。怖がらなくて大丈夫ですとお伝え下さい。

>ただもし息子がドロップアウトしても、母親の私が小三用の教材ではじめたいな〜、と言う気持ちがあります。

 ありがとうございます。多分ドロップアウトはないと思います。

>お恥ずかしいですが、私の英語力はその程度で、それがこの掲示板に書き込むのを長くためらっていた理由でもあります。

 どこから始めてもらっても、それは立派な語学です。それが語学のいいところだと思います。日本人は謙遜が激しいので、「その程度」がどの程度かは、レッ スンをやってみなければ本当のところはわかりません。

 ためらっておられて、思い切って書いて下さったことに感謝しています。

 早急にお返事いただきたいことは、お宅の電話にスピーカーフォン(てぶらフォン)として使える機能が備わっているかどうかです。

 「無料お試し」はあくまでも「無料」のものですのでお金はいただきません。ここを崩してしまうと、同じことをやっているのに、有料の方と無料の方ができ てしまい、私の気持ちが落ち着きませんので、無料でやらせて下さい。

 先ほどから何回か投稿しているのですが、メールアドレスを入れると投稿ができません。
 携帯の番号を書いておきますので、ご連絡いただけたらと思います。
 090−4181−5912(昼過ぎからでお願い致します)

 以上ですが、いつもより頻繁に掲示板を見るようにしますので、お返事をお願い致します。
 

【12877】
らくださん  投稿者:村田  投稿日:2008年11月24日(月)23時04分4秒
  ご指名どうもです。
風邪気味なので、分室の状況は明日書かせてください。
 

【12878】
村田さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月24日(月)23時19分0秒
  こんばんは。風邪、はやっていますね。咳がなかなか抜けない風邪で、私は一ヶ月ほど引き ずりました。

いつでも結構ですので、よろしくお願いいたします。
 

【12879】
多読を広めた酒井さん  投稿者:パ クパク  投稿日:2008年11月25日(火)20時54分14秒
  新刊がでました。

さよなら英文法!多読が育てる英語力
酒井邦秀著

この人の本が一番、正当であるとおもいます。
反文部省です。
国立大学の教員をそれにもかかわらず、続けています。

チェックポイント
1)冠詞
2)代名詞
を、学校英語のような教え方をしていない。
 

【12880】
中間テスト終了です  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月26日(水)00時55分12秒
  先日行われた中間テスト返却。77/100と、「英語は得意科目だから」と日頃本人が豪 語するほどの点数でもありませんで したが合格としました。あっちこっちボロボロ間違えていますが、「リスニングは結構ラクに聞けた気がする」のひと言で合格を出しました。設問への正解不正 解は、いずれ問題演習で慣れれば点はとれるようになるはず。リスニングへの苦手意識を持っていないというところに、日頃のレッスンの成果を見ました。

引き続き自主トレをするように言っていますが、この間試した教科書一気読みに手応えを感じている様子ですので、1日2回の一気読みを奨めています。教科書 なんて通しで読んでも、すらすらいけば1回に10分強程度しかかからないのですね。ですので2回読んでも30分弱です。1文を5回ずつ読んで30分経った らそこで今日は終わり、という方法とどちらがいいか選択させましたら、一気読み2回を選びました。そのうち回転読みも入れようと思っています。
 

【12881】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月26日(水)09時37分57秒
  根石さん、すみませんがメールアドレスをお知らせ願いますか?前にいただいているのです が、PCを変えた際に紛失してしまいました。メールを差し上げたい件がありますので。よろしくお願いいたします。  

【12882】
ありがとうございました  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月26日(水)11時50分17秒
  体験レッスン、ありがとうございました。
とりあえず(こういう言い方でごめんなさい)「いやだ〜」と拒絶するような状態ではないので安心しました。
引き続きよろしくお願いします。

> ええと、ちょっと解説が必要かもしれません。息子さんが、一回目は比較的素直に音を受容していたのに、二回目で急に下手になったような感じが あったのは、緊張がほどけたのが大きく作用していると思います。一回目は緊張していたので、口の筋肉の表層部分だけが動いていたのです。(ついでだから言 いますが、口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力で、そのことを盲信して子供英会話という幻想も成立しているので す。)

母親の私がよくめでみても
>口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力
というのが他のお子さんに比べて低い…というのかなぁ…
次男の方が同じ年の頃の長男に比べてこの能力は高い気がします。
これは音痴な子とそうでない子、というレベルの話しで、あまり深い観察ではありませんが。大人と比べればはるかに高いのは間違いないと思います。

>そのことを盲信して子供英会話という幻想も成立しているのです。

私が子供英会話に突っ込もうと思わなかった理由の一つに、長男の音の受容能力の低さもあったかもしれません。
この子はそういう器用な子ではない、と思っていました。
だからこその素読舎との出会いで、有難いことです。

>二回目は、緊張がほどけて、息子さんの声に力がありました。途中、もう思い切り言ってみてやるぞという感じで声を使っていたのも覚えています。一挙に根 付かせてやろうという心意気を感じました。そうすると、私の指示通りやるのが、一挙に困難になるのです。だけど、それでいいのです。混乱が最短距離です。

これは本当、そういう感じがしました。
いや、力いっぱい言っても無理、って、ヒヤヒヤしちゃうのは母親の悪い癖ですね〜。
本人が答えを見つけるのを待たなくちゃ、とレスをいただいて思いました。
が、レッスンが始まるとついヒヤヒヤ。

>二回目で、息子さんの中に生じた「むむむ」という感覚がありますから、三回目はどう出てくるかなと、私がわくわくしています。

わかんなくなっているみたいです。
何だこりゃ?って思っている様子でした。
100回言う、というところの話し、どういうこと?と聞かれたので「何回も言うのは下手だからとかではなく、英語用の筋肉を作るためだよ」というのはレッ スンの後で伝えました。
噛み砕きすぎましたか?というよりあっているのかどうか??

>やたら思い切り言ってみても言えないんだなというところから、今度は緊張ではなく、音に対して素直になってやろうということが生じるんじゃないだろう か。勢い余るというところがとれて、的を射てやろうというふうなことが生じるんじゃないだろうか。

そうなるのか〜…大人しく観察することにします。

近所の中一の子3人に急にテスト勉強付き合って、と頼まれ、英語もどんな感じなのかみました。
一人は何とか独力で音読(カタカナ読みですが)していましたが、他の2人は「make」「マケ」と読むレベル。
「her」と「our」も「ヘア」「オウア」でした。

聞けば音読は授業のはじめに一回だけ、ということで、あとはほとんど文法の説明と小テストだそうです。
読めない2人のうち、一人はほとんど書けません。もう一人は半分くらい書けます。
たとえば「彼女の」と日本語があれば「her」と書けます。
が、このつづりで「へあ」と覚えているのであればリスニングは聞き取れないと思います。
らくださんの息子さんの状態は望めません。

ABCDの教材に一通り目を通しました。
これ、学校で中学生にやらせたいな〜、と思いました。
それにしてもらくださん、matuさんの息子さんは超ラッキーですね♪
 

【12883】
訂正  投稿者:ゆっくり母  投稿日:2008年11月26日(水)15時14分52秒
  テストベンキョーにお付きあいしたのは「中二」三人でした。
訂正です。
 

【12884】
ゆっくり母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月27日(木)00時23分34秒    編集済
  >引き続きよろしくお願いします。

 こちらこそよろしくお願いします。今のうちは、スカイプでのレッスンはもの珍しいですから、面白がってくれるかもしれませんが、ある程度時間が 経つと、生活の中に組み込まれてきて、「普段歩いている道を歩いているだけ」になってきます。珍しくもなんともなく、けっこう退屈したりもします。そこの ところを継続して下さると、力が蓄積されていきます。

>>口の筋肉の表層だけで音を受容することこそ、子供の独壇場といっていい能力
>というのが他のお子さんに比べて低い…というのかなぁ…
次男の方が同じ年の頃の長男に比べてこの能力は高い気がします。

 人間の能力というのは、全体としてはほぼ同じ重量を示すんじゃないかと思っています。音の受容能力が低いことが、語感受容能力を高くしていたりするもの です。
 一般論として話を広げてしまえば、学校的知識というか黒板的知識の受容能力の高さが、(制度としての)学校を相対化する力を弱め、本来の独習の形成にさ しさわったりというようなこともあると思います。英語はこの「本来の独習」部分が弱いとどうしようもないものの一つです。学校の点はよくとれるが、英語力 が備わっていかないケースはよく目にしてきましたが、「音」の問題以外にも案外そんなことが作用しているかもしれません。
 私のレッスンは、子供が独習する気になってくれるように「準備」を続けるものだと考えていただくのがいいと思います。この場合の「独習」は、私はかなり 激しいものを想定しています。

>私が子供英会話に突っ込もうと思わなかった理由の一つに、長男の音の受容能力の低さもあったかもしれません。

 本当は、音の受容能力が高くても低くても、子供英会話なんていうのをやらせるべきではないと思っています。生活言語ではない言語は、あくまでも語学の対 象言語としてやらせるべきです。生活語として外国語をやらせても、磁場がそれを支えてくれませんから、身に付かないか、身に付いた場合は感覚が不安定にな るかどちらかです。
 言葉というものは、感覚、感情、思考に対して「なかだち」するものです。単なる知識ではありません。子供英会話に通わせている親たちは、「言葉というも のをなめている」と私は思っています。

>この子はそういう器用な子ではない、と思っていました。

 器用でないほうがいいと思います。日本在住の英語習得で、器用さはほとんど役に立ちません。器用な子は、子供英会話などやらせると、最初だけちょっとめ ざましい感じがありますが、最初だけです。亀の歩みのようなものが必要になるときが必ずあります。そこを歩ききるのは器用な子ではありません。

>>二回目で、息子さんの中に生じた「むむむ」という感覚がありますから、三回目はどう出てくるかなと、私がわくわくしています。

>わかんなくなっているみたいです。
何だこりゃ?って思っている様子でした。

 それで大丈夫です。日本語の音ですでに口の動きができてきていますので、口が混乱します。音は赤ん坊だけが持つ「普遍音(どんな言語の中に生まれてきて も赤ん坊が発する同じ音)」に根を持っていますが、小学3年生だと、いったんは、日本語音(生活言語の音)と人工音(レッスンの英語音)の間で混乱が生じ ます。根は「普遍音」であり、幹は日本語音(母語)です。そこに接ぎ木したようなものが、人工音です。
 「人工音」というのは、「生活語ではない音」という意味で、私は「生活」の方から規定しています。「人工音=語学の音」「自然音=生活言語の音」という ところを、私ははっきり区別しています。
 息子さんの場合、生活語は日本語ですから、日本語音が発達していきます。その幹に比べれば、人工音(英語音)は細くなりがちですが、細い枝は細い枝なり に少しずつ太くなっていきます。これで普通です。

>100回言う、というところの話し、どういうこと?と聞かれたので「何回も言うのは下手だからとかではなく、英語用の筋肉を作るためだよ」というのは レッスンの後で伝えました。
噛み砕きすぎましたか?というよりあっているのかどうか??

 「英語用の筋肉を作るため」で良質の説明です。私のレッスンでは、日本語の日常生活にまったく差し障りが生じないようにそれをやっていきます。
 どういう脈絡において、100回ということを言ったかを書いておきます。
 その場で該当音(音素)を絶対に出させようとすると、音によっては、100回やってもその場では出せないかもしれません。そういうことをやると、単に混 乱を深めるだけになりますし、子供もいやになります。これは、ご自分で塾をやられるときのためにも覚えておいて欲しいと思いますが、「技法グラウンド」 (コーチ一回、生徒五回以上)でやるのがいいのです。五回が七回や十回程度に増えることはありますが、その程度にとどめておくのがいい。
 単に文法的理解のためだけに、私の教材は「波状的復習」を組み込んであるわけではありません。あの「波状的繰り返し」によって、日本語の音と英語音との 「間」に混乱は生じますが、日本語の音そのものには混乱は生じません。その条件を確保した上で、音を少しずつ本来の英語の音に近づけていきます。「音」を 獲得するためにも、「波状的復習」の構造が必要です。
 続けているうちに「いつのまにかできている」ということが起こります。そこに至る過程を掲示板にご報告いただけたらと思っています。というか、ある日突 然、「あれ、出来てるわ」という感じかもしれませんが、それならそれで、それをご報告いただけるとありがたいです。
 今のうちにテープに録音されるのもいいかもしれません。一年後に聴いてみられると、きっとびっくりされますよ。
 國弘正雄さんの「只管朗読」は完全に独習用であり、もっとずっと上の年齢の子供に向いています。私のレッスンを継続されている間は、100回とか数百回 という数はやっていただく必要はありません。そういう数でどかどかやっていい年齢は、中学後半から高校生くらいではないかと思っています。
 今のところは、教材の英文の出現が波状的ですので、いつのまにか数百回やってしまったという結果になるのでいいと思います。

>>やたら思い切り言ってみても言えないんだなというところから、今度は緊張ではなく、音に対して素直になってやろうということが生じるんじゃないだろう か。勢い余るというところがとれて、的を射てやろうというふうなことが生じるんじゃないだろうか。

>そうなるのか〜…大人しく観察することにします。

 先日のレッスンは3回目でしたが、すでに「的を射てやろう」という感じで、息子さんに音の入出力のヴォリューム調整をしている感じがありました。子供は 実にダイナミックです。

>一人は何とか独力で音読(カタカナ読みですが)していましたが、他の2人は「make」「マケ」と読むレベル。「her」と「our」も「ヘア」「オウ ア」でした。
聞けば音読は授業のはじめに一回だけ、ということで、あとはほとんど文法の説明と小テストだそうです。

 「音読は授業のはじめに一回だけ」の音読も「音づくり」のレベルを無視したものだろうと思います。
 今も英語難民は量産されているのだということだと思います。こういう調子で、子供は授業につきあわされ、テストにつきあわされ、入試制度につきあわされ ていくのですが、可哀想といえば実に可哀想な光景です。トランプで言えば、まず間違いなくババを引かされるのです。なんで何十枚もあるカードの中からたっ た一枚のババを、「大多数が」引かされなければならないのか。学校とはそういうふうにババを引かせているところだと思ってきました。

>ABCDの教材に一通り目を通しました。

 恐れ入りました。あれを全部読まれたのですか。
 昨日、ABCD の部分をようやく全部書き上げ、「イメージ核受肉教材」と呼んできたものと接続させました。今度、スカイプでお送りしましょうか。ABCD がほぼ3万行、接続させた全体では、今のところ14万行ほどあります。全体の方はおそらく目読でも読み切れないと思います。
 雨滴が岩をうがつことを地でいくレッスンです。
 息子さんが一人でレッスンを受けられるようになった頃に、同じくらいの年齢の友達と二人でレッスンを受けてくれるようになればいいなと思っています。

 お母さんの方も、ABCD をやって「音づくり」の全体像を得られたら、お友達を誘って、「イメージ核受肉」の最初からやられるといいと思います。スカイプならそれが可能です。

>これ、学校で中学生にやらせたいな〜、と思いました。
それにしてもらくださん、matuさんの息子さんは超ラッキーですね♪

 学校では無理です。塾で使って下さるなら、使い方を伝えます。
 教科書を使うのではなく、私の教材一本槍でやっていただけるなら、使ってみて欲しいと思っています。もし、やられるなら、息子さんと一緒のレッスンの時 にも、それを前提としてレッスンします。ひとつの場所に通える地域の子供たちを相手に、塾をやっていただき、その地域の外側にお知り合いがあれば、私の 「スカイプ(電話)でレッスン」の営業をしていただくということで、「塾用に」教材をお渡ししようと思います。
 営業にノルマはありません。「できる範囲で、できるだけ」で結構です。
 

【12885】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月27日(木)01時02分42秒
  次のものでいいと思います。
最近、自分でも infoseek のメールを読んでいないのですが、多分大丈夫だと思います。

9031oiurekjfdsm@infoseek.jp
 

【12886】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月27日(木)01時19分21秒    編集済
  >先日行われた中間テスト返却。77/100と、「英語は得意科目だから」と日頃本人が 豪語するほどの点数でもありません でしたが合格としました。あっちこっちボロボロ間違えていますが、「リスニングは結構ラクに聞けた気がする」のひと言で合格を出しました。設問への正解不 正解は、いずれ問題演習で慣れれば点はとれるようになるはず。リスニングへの苦手意識を持っていないというところに、日頃のレッスンの成果を見ました。

 平均点を教えていただけたらありがたいです。私は、「英語の点数は上がるときは急に上がる」と塾生に言ってきました。息子さんにもそれを期待していま す。リスニングへの苦手意識がないというところが、私もうれしく思うところです。

>引き続き自主トレをするように言っていますが、この間試した教科書一気読みに手応えを感じている様子ですので、1日2回の一気読みを奨めています。教科 書なんて通しで読んでも、すらすらいけば1回に10分強程度しかかからないのですね。ですので2回読んでも30分弱です。1文を5回ずつ読んで30分経っ たらそこで今日は終わり、という方法とどちらがいいか選択させましたら、一気読み2回を選びました。そのうち回転読みも入れようと思っています。

 1文を5回ずつというのは、レッスンで扱わなかった部分ではやっておいて欲しいと思っています。
 1課分を「通しで5回」というのもいいと思います。
 今のやり方もいいと思います。
 レッスンの他に、毎日30分程度続けてくれれば、確実に力になります。
 レッスンはレッスンの時に集中してもらえばそれでいいです。今のところ、レッスンのための予習、復習は要りません。

>教科書なんて通しで読んでも、すらすらいけば1回に10分強程度しかかからないのですね。

 これが味噌ですね。
 だけど、それができる生徒は息子さんの通っている学校に何人もいないと思います。
 

【12887】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月27日(木)02時26分47秒    編集済
  >ただ、この一年、わが身・家庭を振り返ってみると、もちろん息子には、(我が家の家計 の事情から、父親の小遣いからレッ スン料を捻出していることもあって)根石さんのレッスンからできるだけモトをとることを求めてもいますし、私もレッスンの様子を聞いたり、電話の録音機能 でレッスンの様子をのぞかせてもらってたりして学んでいるつもりですが、それ以外の親子の(英語)学習については、かなり我流や思いつきでやっていること が多い気もします。

 我流でやっていただくのは結構ですが、具体的にどんなことをどんなふうにしているのかお書きいただけると、レッスンとの接点をみつけることができると思 います。
 モトをとれるかどうかは、息子さんが「いっちょう、やってやるか」と心に決めて、激しい英語の練習を始めてくれることが起こるかどうかにかかっていると 思います。それをやってくれれば、車一台買うくらいの金がかかっても、車一台以上に役に立つと思います。
 車一台でも、ただ見栄で持ってるだけの人もいます。そうじゃなくて実際に使ってみてほしいものだと願ってレッスンをさせていただいています。

>肝心の音声面でも、ラジオ講座やCDの利用、技法グラウンドの真似事など、本来なら根石さんのアドバイスを受けた方がいいだろうという気持ちを持ちつ つ、勝手に行っていました。

 息子さんのレッスンを始めさせていただいたとき、「間に合ったな」という感じがありました。学校がつける悪い癖がつき始めていたのです。英文の構造が把 握できていないまま、授業で聞いた日本語訳を覚えていて、日本語訳の全体を英文に対置しているものがかなりありました。ですので、しばらくの間は、「直 訳」をやらせました。「日本語訳まる覚え」を無効にするためでした。
 学校が植え付ける悪い「構造」を打ち砕くことが、最初期の頃のレッスンの内容となりました。
 ラジオ講座やCDの利用もやっていただいていいと思います。私としてはレッスン開始後二年くらいして音がしっかりしてからやってもらいたいというのが基 本ですが、中学生くらいの年齢の子はまだまだ感覚が柔軟ですから大丈夫だと思います。今の段階だと、レッスンが耕した深度以上には感覚の層に入らないだろ うと思っていますが、その場合でも、年齢的に感覚が柔らかいというのは絶対にありますから、ある時から「決まる」ようになるだろうと思います。その時を想 定した「準備」にはなります。
 「型をやれ」といくら言っても、「乱取り」をやりたがる人はいます。そういう場合は、後でもう一度「型」を認識していただけばいいのです。「型」と「乱 取り」の全体に対する「型」というものはないと思っています。ですから、「乱取り」はやっていただいて結構です。

 「技法グラウンド」はどんどんやって欲しいものです。
 CDで音の全体の調子をつかんでから、「技法グラウンド」をやるというのは有効です。

>>そこらへんの見極めができるできないというのは、発音が上手か下手かではなく、音の本質をつかめるか、それをつかんだ上で、言葉にできるかどうかにか かっているのです。
>根石さんは、自分が奥さんより発音が「下手」にもかかわらず、コーチとしてはるかに腕が上であることを、こう説明しています。

 本当は、女房ではなく、広く世間一般にいる「英語で食っている先生たち」について言いたいのですが、まあ、女房に泥をかぶせとく分には差し障りがねえ な、という(女房に対して)乱暴な考えで書いたものです。どうやら女房はこの掲示板を読んだらしいですが、普段から私がきついことを言っているせいか、文 句は出ませんでした。
 村田君と女房と私とで、週に一度、3台のコンピュータをスカイプでつないで、チョムスキーの「 Rogue States 」という論文を読んでいますが、村田君は客観的に私の音と女房の音を比較できる立場にあります。多分、「根石さんより、奥さんの方が上手だな」と言うと思 います。
 だけど、女房が生徒の世話をすると、私が世話した場合より、生徒の音が「直らない」のです。私が世話した方が「直る」のです。だから、「英語が上手」な んてのは、生徒の音が「直る・直らない」とは関係がないのです。だから、英語ネイティヴの先生なんてのは、日本人の英語発音獲得の場面では、ほとんどの場 合に、役立たずなのです。だから、中学・高校へALTを配置しても、税金の無駄づかいにしかならないのです。

>そのような意識化=主体化は、発音における口の筋肉の動きにとどまらず、日本在住で語学をやることのすべての振舞いにおいて徹底的に行われて、それが根 石さんの語学論の輪郭を作っているのだろうと思います。
日本語を磁場とする環境の中で英語をやるという「分裂」や「矛盾」を、ごまかさずに正面から受け止めて、突き詰めることが、それを可能にしたのだと思いま す。

 「分裂」や「矛盾」をごまかさないというのはやってきたと思いますし、英語回りのセンセイたちは、そこをごまかしている人が多いとも思ってきました。た だ、「すべての振る舞い」において、「意識化=主体化」をやってきたかどうかは自分ではわかりませんので、matsu さんに外側から指摘していただくことを願っています。

>昨年、人間の思考力が12歳までで決まるというような「暴論」が、この掲示板で話題になったことがありましたが、思考力が、わが身をひきさく分裂の只中 で、それを自覚し、主体的につかみなおすという技法のことであるなら、むしろ12歳以降の経験の中にこそ、その母胎はあるはずです。

 そう考えています。十代の後半に起こるなら起こるだろうと。

>根石さんを「劣等生」から、詩人・文学者、語学論者へと変貌させる土台をつくった「嵐の一年」が19歳の経験だったように。

 詩や文学にはもうずいぶんごぶさたです。好きですので、読むだけは続けています。立松和平のエッセイを最近初めて読んだのですが、「雄冬岬へ」「極上の もてなし」を読んで、北海道へ行きたくなりました。(「ヤポネシアの旅」・朝日文庫)

>もちろん、私にも親子ともども、まともな音や英語力を身につけたいという希望はあるのですが、その準備期間中においても、「分裂」や「矛盾」を積極的に 呼び込んでいきたいという気分があって、そのために根石さんの指導からはみだすことにも(確信犯的に)手を出してしまっているような気がします。
それもまた、根石さんの語学論によって誘い出された気持ちだと言いたいところですが。

 いろいろやってみていただきたく思います。せっかくですから、それを公開していただけると、参考にして下さる人もいると思います。
 ただ、息子さんが嫌がるようになった頃には手をひいていただくのも肝要かと考えています。「独学」「独習」には、親もコーチも手を出せません。繰り返し になりますが、なにしろ「準備」を提供できるだけです。
 「独学」「独習」というものが、変な言い方ですが、もっとも美しいものだと思っています。
 

【12888】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年11月27日(木)18時17分26秒
  メルアド、ありがとうございます。先程、メールを差し上げましたのでご一読お願いいたし ます。

> 平均点を教えていただけたらありがたいです。

46点とのことでした。

> 1文を5回ずつというのは、レッスンで扱わなかった部分ではやっておいて欲しいと思っています。
 1課分を「通しで5回」というのもいいと思います。

今の方法でしばらくやったら取り組ませたいと思います。

>レッスンはレッスンの時に集中してもらえばそれでいいです。今のところ、レッスンのための予習、復習は要りません。


教科書の自習についての質問が一段落したら、お聞きしたいと思っていました。両方の自主トレのバランスをどうしたものかと思っていました。レッスンの方で 早くも比較級が出てきていることについて、すごくネエ?、と結構刺激を受けているように感じます。
 

【12889】
根石さん  投稿者:matsu  投稿日:2008年11月27日(木)23時15分24秒    編集済
  コメントありがとうございました。

根石言語思想の全貌をつかみたい、という妄念はあるのですが、とにかく語学が素人なので、遅々とした歩みでやっていこうと思います。
私には、それが英語学習法や狭義の語学論をこえた、言語と知と生活をめぐる普遍的な思想であるという確信とイメージがあります。

親子で現在たどりついた英語学習の方法は、こんな感じです。
(もともと、詩人根石吉久の現況を知ろうとして、この掲示板にたどり着いた人間ですので、英語について書くなどおこがましいのですが)
親は、出勤前、基礎英語1〜3を聞く。
息子は、基礎英語1,2を聞いて、いくつかのフレーズを選んで回転読みしておいて、夜、一緒に「技法グラウンド」の要領で復習する。
教科書は、学校の授業に先行する部分を、CD音声を媒介にして一緒に「技法グラウンド」で練習する。
根石さんのレッスンの後には、発音が直された点とその説明を、息子から教えてもらう。
親は、朝のラジオで「口に残った」フレーズを、通勤途中、ひたすら回転させる。
以前は少し長めの文をスムースに暗唱できることを目標にしていましたが、今は短い簡単な文章を繰り返すなかで、口の形や動きに集中したり、ゆっくり読んで イメージを煮詰めたりすることが面白くなっています。

子どもはやはり、親につき合っているという意識があると思います。
傍目にも、「回転書き」と「復習範囲を手放さない」という原則が伴わないと、実力にはならないだろうという気がしますが、そこまで強制はできないので、本 人のやる気まちにしてあります。

日本語の素読は、勤務が忙しくなったことなどの事情で、春先から中断しています。
なんとか再開したいところです。

らくださんが、村田さんの塾の様子を尋ねておられましたが、たしか以前の記事で、村田さんが教室での日本語の素読(たしか吉本の本)の授業について書かれ ていたと思います。
もしよかったら、その辺のことも具体的に教えていただけたら助かります。
 

【12890】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月28日(金)01時34分9秒
  ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日: 2008年11月19日(水)01時23分37秒     編集済
    携帯電話しか通路がありませんので、携帯に二度お電話しましたが、最初は呼び出し音が鳴るけど電話に出ていただけなく、二度目は「電源が切ってあるか、 電波が届きません」ということでした。

 無事出産されましたでしょうか。

 出産直後は、私のレッスンを継続するのは難しいと思っています。ハノイ在住の生徒さんもそうでしたが、私の女房と話して、英語どころじゃねえわなと思い ました。

 12月から再開したいというご意向でしたので、連絡だけはいただきたく思います。
 12月に空き枠ができるのかできないのかがわからないので、困っております。
 

【12891】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月28日(金)01時36分38秒
  11月は30日までありますので、30日の正午頃、空き枠になるのかならないのか、こち らで決めさせていただきます。  

【12892】
らくださんへ(分室での進め方)  投稿者:村田  投稿日:2008年11月28日(金)01時40分2秒
  戸倉分室は、素読舎本部同様、新しい教材(文法素読)に移行しましたので、最近、やり方 が変わりました。
まず、変わる前のやり方から書きます。

・塾生が学校で使っている教科書の技法グラウンド。
 1文づつを、通じる音でよどみなく5回以上読む。
 次にコーチが訳を言い、塾生が一回言う。
 もう一度、英文を5回以上読む。

  ・その日にやる新しい場所は、part単位で(たとえばLesson3のpart3など)。T(トップ)
   と呼ぶ。
  ・それをクリアしたら次は直近の復習(たとえばLesson3のpart1〜part3までの範囲を設定
   し、そのうちのどれかを選び、Tと同じやり方でやる。直近の復習はFN(feedback near)
   と呼ぶ。
  ・最初からの復習。(たとえばLesson1のpart1からLesson2のpart3まで範囲を設定して、
   そのうちのどれかを選び復習。最初からの復習はFF(feedback far)と呼ぶ。
   FFは、5回以上英文を読んだ後、塾生が訳を言う。
 T, FN, FF の3つで1セットとする。これは素読舎本部のやり方と同じ。

・旧ABCD
 進め方の基本は、教科書の技法グラウンドと同じく T, FN, FF で1セット。
 文法はこの教材が基本。
 高校生以降は「基礎問題集」「700選」「長文読解」の順で同じように進める。

・単語
 Z会「速読速聴・英単語 Basic 2200」
 →単語部分のみ単語を見て意味を即座に言う → T, FN, FF で1セット
 →単語を含んだ文を技法グラウンド →T, FN, FF で1セット

・日本語
 1文単位で技法グラウンド。T, FN, FF で1セット。


■新しい教材移行後
・新しい教材(文法素読)
 先に進んでいる塾生に、練習を見てもらう。
 塾生に見てもらった後、コーチにチェックを受ける。

・教科書の復習
 今までやった部分を、技法グラウンドで復習(訳は無し)
・単語は、例文の部分は新しく進めるのはストップし、今までやった例文部分は技法グラウンドで復習(訳は無し)
 単語自体は、新しい部分を進める。T, FN, FF で1セット。

・日本語
 今まで通り。

====================
このような感じです。
 

【12893】
matsuさんへ(日本語の素読の進め方)  投稿者:村田  投稿日:2008年11月28日(金)01時45分1秒
  1つの文を、5回以上、はっきり、よどみなく読めたらOKです。
文章についての解説などは、こちら側からは特にしません。塾生の方から聞かれたら、私がわかる限りのことは説明します。
日本語については、今まで日本語を一番長くやっている塾生は、次のような感じで進めてきました。(小学5年生開始)
中島敦「名人伝」→永井均「ルサンチマンの哲学」のうち「星の金貨」→寺田寅彦随筆集から「どんぐり」→吉本隆明「中学生のための社会科」第一章(現在中 学3年生)
「名人伝」は固い文章に慣れるということと、修行ということについて書かれていたので選びました。当初はこれだけで終わろうと思ったんですが、塾生から もっとやりたいという要望もあり、その都度、自分が気になったものを選んできました。

現在は、古文にもなじんでおいた方がいいと思い、駿台の「古文読解教則本」を「例文5回→現代語訳1回→再び例文5回」のサンドイッチ構造で進め ています。できれば「大鏡」や「枕草子」あたりを最初から1文づつやっていきたいところですが…私には今のところそこまでの力がないのでこのやり方でやっ ています。
 

【12894】
らくださん、matsuさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月28日(金)01時51分0秒
  書いていただいてありがとうございます。

 今日は寒くて下痢で、空手を習う日でした。
 空手の「型」を「決めた」と「同致」で、パンツを汚すのもはばかられたので、浜田さん に提言し、山登りに切り替えてもらいました。山登りなら、はばかることなく藪の中に入って行って、晩秋の冷たい風に尻をさらすこともOK。キリピーに見せ るのはヤダけど、恐竜たちには見せてやってもいいよ。
 行ったところは、長野市篠ノ井の恐竜公園というところでした。。。。。ただで入れて、なかなか異様な風情のあるところです。この掲示板の常連の方たちが 我が家に遊びにおいでた(おいでになった)時にはご案内できます。
 あ、いいこと思いついた。プラスチックはリサイクルを繰り返すと、そのたびにプラスチックとして劣化していきます。もうここらまで劣化したらいいかげん リサイクルも終わりだという質のプラスチックは、恐竜にして固めてしまえばよかねえか。篠ノ井の恐竜たちは、ちょっと小さい。もっとでかい恐竜を作って、 姨捨山(冠着山)のボコ抱き岩の高さくらいのところに据えたらいいんじゃねえか。
 多分駄目。強清水の水が汚くなる。今でさえ汚いのに。

 駄目だあ。酔っちまったあ。

 とにかく皆さん、ここへどんどんお書きいただくことを願っております。
 失礼いたします。
 

【12895】
根石さん(発音について)  投稿者:村田  投稿日:2008年11月28日(金)01時57分27秒
  > 村田君と女房と私とで、週に一度、3台のコンピュータをスカイプでつないで、 チョムスキーの「 Rogue States 」という論文を読んでいますが、村田君は客観的に私の音と女房の音を比較できる立場にあります。多分、「根石さんより、奥さんの方が上手だな」と言うと思 います。

以前だったら、そう言っていると思います。(「個別の音」を取り出せば、今でもそうかもしれませんけど)
ただし、リズムやイントネーション、アーティキュレーションといったトータルな見方だと、根石さんの方が断然上手(うわて)だと思います。
で、そう言っているわたしはどうかと言うと、どちらかと言えば奥さん寄りな読み方なんじゃないかと思います。
 

【12896】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月28日(金)01時59分40秒
   仁義、ありがとうございます。ありがたくお受けしました。
 すべて了解です。

 メールを読んでいる途中で、お返事したいと思ったことがありましたので、メールで差し上げます。
 ただいま現在は、酔っぱらいの堕落の時間を楽しんでいますので、しらふの時にメールを書きますので、よろしくお願いいたします。
 

【12897】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月28日(金)02時07分1秒
   らくださんへの説明は、らくださんは英語学習法研究でプロですからわかってもらえるか もしれませんが、読んでいるだけの読者にはまず了解不可能だと思いました。まあ、らくださんにわかってもらえればいいのですが、それでも、結構な骨折りだ なと思いました。
 matsu さんへの記事はわかりやすいです。
 日本語素読の部分でけっこう面白いことをやってるんだなと思いました。

 「根石さん(発音について)」は、また難しいことを言い出したなと思いました。
 つまり、「音」っていうのは、「意味」と一緒にならねえと駄目なんだと言っているのかなと思いました。

 思いましたばっかりで済みません。
 

【12898】
チョムスキーのHP  投稿者:村田  投稿日:2008年11月28日(金)02時08分52秒
  http://www.chomsky.info/

http://www.chomsky.info/articles/199804--.htm
にチョムスキーが雑誌に寄稿したRogue Statesという記事がありますが、より読みやすい感じがします。
 

【12899】
ほう  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年11月28日(金)02時15分1秒
  >村田君

雑誌に最初に書いたものと本になったものはまるで印象が違うな。よっぱらいだから、印象しか言えないけど。
本のやつを最初に手がけたから、しばらく本をやって、雑誌初出のやつを後からやってみたら面白いかもしれない。
 

【12900】
すみません  投稿者:ももこ  投稿日:2008年11月28日(金)02時58分18秒
  出産のご連絡はこちらの掲示板させていただいていたのですが、その後ご連絡できずにすみ ませんでした。

携帯の電話、根石さんだったのですね。今度登録しておきます。実は完全に寝ぼけていて、番号からだれか類推できずだれか分からず、そして電波が悪 くて(着信は入るのですが、通話が出来ない部屋で寝ていました。マンションの構造的からか全体的に電波状況がよくないです)そのため「もうだめだ。ゴメン ナサイ眠くて電波が入るところまで移動できません zzzzz」という状態でした。本当に申し訳ございません。

産後2ヶ月が経過し、上二人の子が助手として活躍してくれているため、何とかやっていけそうな気もしています。授乳しながらレッスン受けたりすることもあ るかもしれませんが・・・。このまま休んでしまったらなんだか英語から遠ざかってしまいそうで・・・。

ゴーストの教材も全く練習が出来ていない状態で、目も当てられない状態になりそうですが、12月からレッスンを再開したいと考えています。そうなると1日 が月曜日なので、1日からでよろしいでしょうか?