【12601】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 8月10日(日)10時02分0秒
  >こういう穫れすぎの野菜を、らくださんちにお送りしたらご迷惑でしょうか。

迷惑など、とんでもありません。着払いで結構ですし、レッスン代振込時方式でも良いかと思います。

>私の魂胆は、英語だけじゃなく、野菜の方でもご縁ができれば、年に一回くらいは、うちに遊びにきてもらえるのじゃないかということです。バーベキューを やったり、畑仕事を手伝ってもらったり、近所を案内したりして一緒に遊べるんじゃないかと思っているのです。

そうですね。お邪魔できればと思います。昨年は思い切って岩手に旅行して、そのあと金欠で苦しんでしまったので、今年は東京でじっとしておこうと思ってい ます。暑くてかないませんが。

たしか千曲川がそばを流れているのですね。千曲川というのは私にとっては懐かしい響きです。子供の頃、向かいに住んでいた幼なじみの田舎(たぶんお母さん のご実家)が長野で、千曲川の河原で拾ったという、めっぽう奇麗な小石をお土産にもらい、こんな奇麗な石がある川に一度行ってみたい、と思った記憶があり ます。

それから数年後に小諸に連れて行ってもらいました。懐古園で、どこかのおじさんが、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の草笛を上手に吹いていたのが印象的で した。
 

【12602】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月12日(火)00時31分7秒
  >迷惑など、とんでもありません。着払いで結構ですし、レッスン代振込時方式でも良いか と思います。

 よかったです。着払いというテもありましたね。申し訳ありませんが、それでやらせて下さい。
 長年荒らしてあった畑を借りたばかり のせいで、あんまりトマトが甘くありません。去年より出来が悪いのですが、近いうちにお送りしますので食べてみて下さい。スーパーのものよりはうまいかも しれません。今年のトマトは自分で気に入らないので、お返しというようなことは考えないで下さい。
 アンデスレッドというジャガイモも少しお送りします。これは多分ジャガイモの原種に近いものだと思いますが、芽吹きが早いのが欠点なのか長所なのか。私 が掘るのが遅すぎたのか、昨日掘ったものはもう芽が吹いていました。梅雨の時期に掘ったのは大丈夫だったんですが・・・。芽が吹いて、味が落ちていなけれ ばいいのですが。料理するときは、必ず芽のついている部分を切り落として下さい。芽の部分には結構まともな毒がありますので。
 庭がおありでしたら、小粒のやつも一緒にお送りしようかと考えました。小粒のやつを、9月に入ってから土に埋めておけば、秋にもう一度穫れます。アンデ スは年に二度穫れるんです。秋にとれたやつを凍らせないように冷たい場所に置いておけば、春にまた植えられます。農林水産省の利権とはまるで関係がありま せん。農林水産省の作った種イモは、一年限りの品種ばかりです。
 もし、植えられるようなら、植える予定のところに生ごみを埋めて、10センチくらい土をかけておいて下さい。種イモを植える間隔は30センチもあればい いと思います。生ごみにヨーグルト(生きている乳酸菌)や納豆を刻んだものを少量混ぜて、盆明けに埋めておいていただけば、9月半ば過ぎには種イモを埋め られると思います。

>そうですね。お邪魔できればと思います。昨年は思い切って岩手に旅行して、そのあと金欠で苦しんでしまったので、今年は東京でじっとしておこうと思って います。暑くてかないませんが。

 来年に期待しています。今日、大池というところに孫を連れて遊びに行ってきましたが、一棟4000円でバンガローが借りられるのがわかりました。バンガ ローで泊まってバーベキューなどやりましょう。そのときのための野菜を想定して、今度の冬の間に育て方を考えます。今は肉は買うしかないですが、ニワトリ を飼う予定もあります。殺すのが嫌なのですが、今度ニワトリを飼うときは、殺すことを覚悟できなかったら飼わないと心に決めてあります。

>たしか千曲川がそばを流れているのですね。千曲川というのは私にとっては懐かしい響きです。子供の頃、向かいに住んでいた幼なじみの田舎(たぶんお母さ んのご実家)が長野で、千曲川の河原で拾ったという、めっぽう奇麗な小石をお土産にもらい、こんな奇麗な石がある川に一度行ってみたい、と思った記憶があ ります。

 私が自作した家の基礎の下には、ジープで千曲川から拾ってきた石がごろごろ入っています。直径20センチくらいの大きめの石です。その石を敷き詰める作 業をしていたとき、近くの現場でブロック積みをしていた職人が私の現場を見に来て、「おめえ、この石、どうしたんだ?」と言いました。「千曲川に行けばい くらでもあるじゃねえですか」と言ったら、「おめえ、これ、買えば、でけえゼニだぞ」とのこと。そうなのかと思いました。
 千曲川の石も利権がらみで、業者が重機でがんがん掘りあげ、大型トラックで運び出しているのをよく見ます。近くの住民が、梅漬けを作るのに平らな石ひと つ拾っても、河川パトロールの車に見つかれば怒られます。私は、川も河原も国土交通省のものではないと考えていますので、自家用に使う分は河原へ行って 拾ってきます。河川パトロールの公務員とやり合うのがめんどうなので、日曜日に拾いに行きます。公務員さんは、日曜日はパトロールしません。
 千曲川については旅情の詩とやらもあるようですが、私には旅情は関係なく、いつも生活と密着しています。うちで焚く薪ストーブの薪も千曲川に生えて外来 植物として嫌われているニセアカシアです。クヌギなどよりは劣りますが、冬中私の家の中を暖めてくれるありがたい木です。
 ナマズを釣ってきて、焼いて食べたりもします。ウナギが好きな人は、多分ナマズもおいしいと言うと思います。「ウナギの味と変わらねえよ」と言う人もい ます。蒲焼き用の調味料でなく、ショウガ焼き用の調味料を買ってきて焼くと、甘くなくおいしいです。
 ヨクトクで千曲川とつきあっているせいか、綺麗な小石にお目にかかれません。
 よく拾うのは、浅間山の噴火の後に流れてくる黒くて丸くて軽い石です。
 これは、庭の植物の間に転がしておくのに使っています。ただ転がしておくだけで、特に役に立たないし、黒くて目立たないのでいいと思っています。

>それから数年後に小諸に連れて行ってもらいました。懐古園で、どこかのおじさんが、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の草笛を上手に吹いていたのが印象的 でした。

 多分、非常にタイミングがよかったのではないでしょうか。懐古園で草笛を聞いたことはまだありません。懐古園は茶屋が古っぽいのがいいです。俗物のせい か、私は団子などかじって、うすらぼんやりして、ためいきをなどついています。
 

【12603】
大学合格対談  投稿者:村田  投稿日:2008年 8月14日(木)02時36分29秒
  以前、大学合格お祝い対談というパンフレットを出していました。
まだ電子テキスト化していなかったので、テキストに起こしてみました。
(対談時に、本人にも、webを含め、公開することを了承してあるものです。)

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長野南高校→名古屋大学工学部物理工学科 合格お祝い対談

素読舎で英語をやって突破口を作り、長野南高校から名古屋大学に合格した田中陽平君に、体験を語ってもらいました。(聞き手 村田晴彦)

村田 長野南高校から名古屋大学に合格したわけだけど、何学部?
田中 工学部の物理工学科です。
村田 素読舎で英語を始めたのはいつごろなのかな。
田中 高1の3月の終わりに入って、高2から本格的に始めました。
村田 そのときの英語は、どんな感じだったの?
田中 始めた時はぼろぼろです。かなり激しくやっても、高校卒業の時で、偏差値がやっと50に届くか届かないかぐらいだったんですよ。
   でも、浪人になってから、5月の模試でいきなり偏差値60くらいになって。12月に一番最後の記述模試があって、英語の偏差値が67でしたね。
村田 それはどこの模試?
田中 代ゼミです。そのときに、物理も69だったんですけど、化学があまり伸びなかった。だから、化学をカバーするために、英語と物理で柱を作っていまし た。
村田 英語と物理がよかったんだ。
田 中 名古屋大学の場合、英文自体はそれほど難しくはなかったんですけど、記述量が多くて、下線部和訳だけでも6〜8個くらいあった。それから説明問題とい うのがありまして、それが2問ありました。英文の内容を日本語で60字くらいにまとめろ、というものです。それから英作文、文法問題があって、全部で90 分。すっごくしんどかったけど、英語は一読した感じで、楽だと感じました。
   英語をやり始めた時は、読みながら日本語に訳していくような感じでしたけど、だんだんそんなことしなくてもわかるようになったので、本番では楽だと 感じました。
村田 英文を読んでいくときに、漢文みたいな「返り読み」をしないで、文の最初から読んでいくということ?
田中 そうですね。もし途中でこんがらがっても、前のパラグラフから読み返すだけで、単語をいちいち日本語訳したり、文の途中で目を右から左へ動かして読 むことはなくなりました。だから、名古屋大学みたいに英文の量が多い試験には、よかったと思います。
村田 高校在学中にも、そういう感じはあったのかな。
田中 ないですね。
村田 やっぱり浪人からなんだ。浪人の、いつぐらいからそういう感じになってきたの?
田中 5月6月頃でも、センター試験程度のものは、そういう読み方をしていました。小説なんかはきつかったけど。夏を過ぎたら、分野を問わず、返り読みを しないで読んでいました。
村田 高校2年からだから、2年くらいでそういう読み方ができるようになったんだね。俺、田中君を見てて思ったんだけど、進み方が早かったよね。
田中 現役の頃は、それほどでもなかったと思います。予習もあまりしていなかったし。卒業する頃に、「基礎問題集」の450くらいでしたし。
村田 じゃあ、「700選」に入ったのは浪人してからなんだ。高校の時には、素読舎の標準的な練習をやってたんだよね。それで、浪人になってから、「技法 グラウンド」に入ったんだよね。
田中 高3の終わりに、塾で受験休みみたいなのをもらったんですよ。それで、1月から2か月くらい塾には来ていなくて、3月の終わりに来てみたら、「技法 グラウンド」が始まっていた。
   初めて見る光景に、えー!と思っていると、『田中もやれよ』っておじさんに言われて、訳もわからずやって…という感じでしたね。
村田 最初にやったとき、「口のまわりが痛くなりましたよ」と言ってたけど、「技法グラウンド」を初めてやった時、どうだった?
田中 長くやっていると、ほんとに口がまわらなくなりましたね。口の筋肉がくたくたになる。月曜日の『無料パソコン教室』でキータッチの練習をしている時 の指みたいに。なにをどうしても舌をかんじゃう、みたいな状態になりました。
村田 最初の頃は相当苦労したね。
田中 秋頃でも、長い時間やってると、きつかったですね。ほんとに予習をきっちりやっておかないと、文を見ないで5回言うなんていうのはなかなかできな かったので、平日も練習できる時はできる限り練習したし、土日は午前もずっと練習している状態でした。
村田 浪人になってから素読舎の練習の予習を始めたみたいだけど、予習はどんな感じでやってたの?
田中 まず、英文を暗唱できるようにしてから、5回言えるようにする。練習の時に5回できたからって、本番の時にはダメなことはあるから、10回くらいは 回せるようにしてから塾に行っていました。
村田 時間はだいたいどのくらいかけてたのかな?
田中 集中力によりますね。夏だと、ダラダラしちゃって、集中しないで一日中やってる時もあったし…とにかく、そんなに簡単に片づけられることではありま せんでした。
   最初の頃、ちょっとしたところでつっかかっても「はい、だめ」って言われて、「これを続けていていいのだろうか。これを1年間続けていて果たして成 果が出るのだろうか」と悩んだ時期もあります。LとRの違いとか、Tが重なるところで、前のTは発音しない、とか、そういうところのいい間違いで練習全部 やりなおし、っていうことで。これを続けても駄目なんじゃないかって。
村田 悩んだ?
田中 「これはマズイんじゃないか」と(笑)。でも、一ヶ月過ぎたら、つっかかることもなくなったし、あんまり「だめ」って言われることもなかったような 気がします。で、いつの間にかそんなことも忘れて、ひたすら練習していました。
村田 根石さんは、「空っぽの電池を作る」っていう言い方をしてるんだけど、聞いたことある?
田中 はい。
村田 浪人の時はそういう感じでやっていたのかな。まずは意味は考えなくてもいいから、音作りをする。意味は考えちゃうと思うけど。
田中 どうやっても構文などの文法事項は頭を離れなかったけど、それは最初だけで、一度ちゃんと口が動いて読めるようになっちゃうと、意味をともなって文 として読めるようになったと思うんですけど。
村田 俺は「月曜インプット教室」の生徒でもあるけど、そこで練習しているときって、LとRの区別とか、Wは口をとんがらかすんだ、ということに気をつけ て読んでいると、文が頭に入るんだよね。正確に言うと、「こういうことに気をつけるんだ」と頭の中で思うんじゃなくて、文字を見たら条件反射みたいに口が 動くようにしちょうと、文が頭に入ってくる。
田中 ああ。僕の場合は、THの場合でも、発音に気をつけなかった時はwithを「うぃず」とかやってたんですけど、それをちゃんと発音するように直した ら、あとは何を読む場合でも正しく口を動かそうとしてました。反射的にそう読めるようにしました。注意されたポイントは何を読む場合でも使っていきまし た。
村田 田中君は、英文を見ないで「技法グラウンド」をやった最初の人なんだよね。あの時、俺、そばにいたけど、田中君、いつもの練習やってて、「それ じゃ、教材見ないでやってみるか」って言われたでしょ。あのときどうだったの。
田中 あのときも予習やってあって、暗唱ができるようになってたから、普通にできたって感じで、予習してなかったらまったくできなかったですね。
村田 最初から結構できてたよね。あれ、すごいな、と思ったよ。
   ところで、「長文読解」についてなんだけど、かなりのスピードで進めていたよね。1日でどのくらい進んでたの?
田中 始めて一ヶ月くらいで、1日3枚くらいどんどん回せるようにして、それから6枚くらいにしていた時期もありました。
村田 普通の人の2セット分ってことだね。
田中 はい。その頃は、センター試験まであと一ヶ月、という時だったんで、2、3週間くらい、2セットやってた時があります。
村田 長文も「技法グラウンド」みたいにやってたのかな。
田中 あのやり方ですごく練習しました。
村田 あれは一番最初が苦労すると思うけど?
田中 そう思います。


田中 宅浪してると、プライドみたいなものができちゃって、私大に行くなら早慶だな、と。でも自分は国公立一本で行こう、と思いました。
村田 宅浪のプライドってどういうの?
田中 予備校に行ってる友達の話を聞くと、「ここを受けたいんですけど…」と言うと、予備校の進路相談の先生みたいなのが、「だめだよ」と言うらしいんで すよ。宅浪だと、そういのが一切ないから、自分を過信できるというか(笑)、できるできる、と思って突っ走れるというか…。
村田 でも、そういのがまた、良かったかもしれないね。変にコンピュータでデータ検索して「模試の結果がこの位だから、この学校なら大丈夫だよ」とか言わ れるよりさ。試験ってミズモノだし。
田中 本当は、京大を目指していたんですよ。駿台とか河合の実戦オープン模試があって、入試即応の問題をやったりもしてたんですよ。誰にもそういう情報は 見せずに(笑)
   友達には最初の頃、「俺は京大に行く!」と言ってたんですけど、途中でこれはほんとに無理だと思いました。英語にしてもちっとも解けない。
村田 そう?
田中 そうなんですよ。英語は和訳と英作しか出ない。読む量もそんなに多くないけど、自分では難しく感じて。これはいけない、と。
村田 数学なんかも?
田中 そうですねぇ。難しいですよ。名古屋も、1問も完答はできなかったんですよ。4問で120分だから、全部手をつけようと思ったら30分づつ配分でき るんで、得意な人にとっては得点できるらしいんですけど、1個はまったくわからなくて、もう1個は限りなく完答に近いところまでいったんだけど、完答には ならなくて、他の2つも適当で、あ、こりゃやっちゃった、と思って、受験の後、名古屋は落ちたかな、と思ってました。

村田 根石さんが、受験が終わってから、模試の結果を見せられた、と言ってたけど…。
田中 ああ、そこで初めて見せました(笑)こんなんでしたよ、って(笑)
村田 終わってからなんで見せるんだ、と言われてたね(笑)
田中 代ゼミの最後の模試っていうのがあったんですが、それでも名古屋はB判定で、センターの点に、二次の点を足して合否を決めるんですが、記述だけで考 えるとB判定で、センターだけで考えるとB判定で、ドッキングすると、ぎりぎりBぐらいで…。
村田 判定って、そういうもんだよね。
田中 でもそこは、「いや、だいじょぶさ」と思って(笑)
   何かがあるんですよ。もし自分が予備校に行っていて、その時期にD判定が出ていたら、絶対に名古屋大学を受けていなかったろうし、もっと無難なとこ ろを受けていたかもしれない。
村田 物理はもともと得意だったわけ?
田中 いや、それは今年になってからですね。英語以外は全部独学です。
村田 孤独にやっていたんだ。
田中 孤独ですよ。孤独との闘いでしたね。
村田 宅浪はよかったですか?
田中 宅浪はいいですよ。最初はきついけど、後半は苦にならなくなりましたね。早起きが大変なだけでした。
村田 早起きしてたんだ。
田中 後半は全然ダメだったけど。生活のリズムを崩さないでどれだけできるか、とか、そういうところがポイントだと思います。あと夏の暑さとどう戦うか (笑)
   よく量より質っていうじゃないですか。自分も最初そう思っていたんですけど、だんだん甘えが出て来ちゃって、夏の間、勉強時間が2時間だった時が あったんです。さすがにこれはどこにも行けなくなる、と思い、とりあえず10時間を目標にしてやっていました。だから10時間は確実にやっていました。
   物理は、東大京大レベルの問題しか載っていないような問題集をやってました。
村田 それ、なんていう本?
田中 ニュートンプレスの『難問題の系統とその解き方』という本なんですけど。例題が115問あって、それを最初から最後まで何度もやっていました。 115問を4回かな。例題を1問解くのに1時間かかっちゃうような恐ろしい本で、4回やった後でも30分くらいかかっちゃいましたが。
   よくZ会は難しいっていうんですけど、友達がZ会に入っていて、その友達に問題を解かせてもらったんですけど、英語と物理は一番難しいコースの問題 が解けちゃったから、やらなくてもいいかな?と思いました。
   英語は、Z会の「速読英単語」っていう参考書を自分でやっていました。これは、1ページに200語くらいの英文があって、その隣のページに訳があっ て、その後に単語があるんですが、それを声に出して読んでましたね。とにかく英語は声を出して読んでいました。素読舎のやり方です。
   塾では、塾生で、現役の人いたじゃないですか。あの人が自分より練習が先に行っていそうで、そっちの方をチラ、チラ、とうかがっていたりとか、あ と、浪人始めた頃は荒井さんが自分より先に行ってて、「あ、まずいまずい」ってすごいあせって、それが危機感を感じさせましたね。
   だって荒井さんて、2、3年下じゃないですか。それでこんなに先に行かれていたら、ってすっごい焦ってましたよ。
   で、ペースを考えたら、絶対まずい、間に合わない、「700選」も終わらないかもしれない、と思って、必死でしたね。
村田 「700選」は終わらせたんだよね。
田中 はい、終わらせました。だから、「長文」に集中できて、1日で6枚進めることもできたんだと思います。でも、自分の中では「長文」は全部終わらせる はずでしたから、残念です。
村田 どの位いったんだっけ?
田中 150までは行ってました。入試直前になって、「復習がおろそかになっちゃうから、新しいのはやらないで復習だけやりたい」、と言ったら、おじさん に復習だけでまわすほど量はない、と言われて、ずっと、新しい長文を進めていきました。

村田 週に2回来ていたのがペースメーカーみたいになっていたっていうのもあるのかな。
田中 そうですね。この1年間で、勉強時間のうち、英語がかなり占めていると思いますよ。
村田 どのくらい占めてたの。
田中 4割くらい占めていると思いますよ。半分とは言わないけど。
   国語が自分にとって爆弾で、現役の頃も50点くらいで、浪人になってからもあまり上がらなかったんですよ。それで夏くらいになってから、おじさんに 相談してみたら、「(国語は)やめちまえ」と言われて、それでやめちまおう、と思って、ほんとに国語の勉強はやめちゃったんですよ。それから国語には一 切、手をつけませんでした。
   ただ、一ヶ月くらい前になってから、「さすがに全くやらないのもまずいだろう」と、それまでに受けた模試の問題を、読み返したんです。問題を解くわ けではなく、文章に慣れるためにただ読む。それで、本番では、平均点くらい取れて、なんとかしのげた、と。
   これについては、素読舎で、日本語の本を読む、っていう練習を浪人の最初の頃やったんです。
   これは、おじさんの前でつっかからないように読む、という練習なんですが、別に金をとるわけでもないし、終わらせなければ帰れないわけでもないか ら、ということでやったんだけど、自分は3回くらいでやらなくなってしまいました。
   この練習は、意味があったんだと思います。直前の一ヶ月、自分で読む練習をして、結果がちゃんと出たから、もっと続けていればもっと何か起こったん じゃないかと思ったりもします。


村田 これだけはしゃべっておきたい、っていうのはないかな。
田中 大学に合格してから、月曜日に素読舎のパソコン教室に行ってキータッチの練習したんですけど、月曜日は英会話もやってるじゃないですか。隣であの練 習の時の読み方とか声を聞いていて、驚きました。
   ああ、自分はこれに比べたら練習足りないな、全然まだだな、って痛感しましたね。ああ、これには遠いなって。とにかく、言葉のやりとりの速さにびっ くりしました。
村田 田中君は現役の頃も根石さんと対談やってたけど、あの頃はアルファベットの順番も知らなかったって言ってたじゃない。すごくがんばったと思う。
田中 おじさんも言ってたんだけど、今の自分の英語は、きれに積んであるんじゃなくて、どーんどーんって積んである知識だと思います。だから、メンテナン スが必要だと。これから細かく修理していかなくちゃいけないと思います。
   予備校へ行ってたやつでも、文系の人は1年やって英語が好きになる人はいたけど、理系の人は最初から捨ててかかっているから、素読舎を使ったのが、 その点よかったと思う。
   自分の中では、新しいものを取り込んでいこうという気持ちがあります。「電話でレッスン」をすぐやるか、といったらきついですが、いろんなことを続 けていきたいと思います。
 

【12604】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月17日(日)02時58分21秒
  田中の記事の村田君の前書きに、田中がチョウナンから名古屋に入っただけでなく、京都大 学の大学院に行ったことも書き加えてもらうといいと思う。
チョウナンという高校は、日本に何百とある地味な高校だから、一流受験校以外の受験生を勇気づけるんじゃないかと思う。
 

【12605】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 8月19日(火)17時07分15秒
  >京都大学の大学院
了解です。

>チョウナンという高校は、日本に何百とある地味な高校だから、一流受験校以外の受験生を勇気づけるんじゃないかと思う。

私が浪人している頃、素読舎に通っていたT君から、「どんでん」の前半部分のもとになった「英語のやっつけ方」を読ませてもらった時みたいに、受験生に勇 気がわくなら、すごくいいです。
 

【12606】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月19日(火)21時08分8秒
  今日、野菜を少しお送りしました。
今年のは出来がよくありません。放っておいたのを借りた畑でとれたものです。
長年草だけ生えていた畑ですので、土は汚れていません。農薬もまったく使っていませんので、そのまま囓っていただいても大丈夫です。
 

【12607】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 8月21日(木)10時22分4秒
  届きました、ありがとうございます。早速、昨日の晩と今日の朝にいただきました。

>お返しというようなことは考えないで

遠慮なくゴチになります。

キュウリやトマトはそのまま塩をつけて齧り、茄子は塩揉み、ピーマンは油炒めでシンプルに素材の味を楽しみました。おいしかったです。家内が北海 道出身ということもあり、ジャガイモは好物ですので、これも茹でて塩で食べるのが良いかな、と思っています。それとも子供の好物のカレーか、大人チームが 肉じゃがで一杯か...。オクラは我が家の定番アイテムです。子供たちには、いつも「野菜食え、野菜を!」と、自分が子供の頃に口うるさく言われたまんま を繰り返しています。

追伸:うちには庭がないので、ジャガは食べ切ろうと思います。
 

【12608】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月22日(金)00時54分47秒
  無事届いてよかったです。
もう少し百姓が上手にできるようになろうと思っています。
理屈はいいますが、実際はまだ一年坊主です。
 

【12609】
根石先生  投稿者:片原  投稿日:2008年 8月22日(金)17時09分20秒
  今日の英語は実家の電話でお願いします。  

【12610】
片原さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月22日(金)23時18分1秒
  掲示板を読まずに、スカイプで呼び出していました。
そちらから電話をしてくれて助かりました。ありがとう。
 

【12611】
根石さん  投稿者:巴里子  投稿日:2008年 8月25日(月)23時46分46秒
   感想Tを書いている時点であれもこれも書きたいと思いながら、まとめられず、感想Uに 回そうなどと簡単に考えたのがいけ ませんでした。時間が経つにつれて、何を書くんだったかどんどん忘れていきます。いっその事、感想を書く約束自体をすっかり忘れてしまえればすましていら れるのですが、そこまで頭が病んでないようです。
 詩集と合わせて必ず書きますので、よろしくお願いいたします。
 

【12612】
巴里子さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月27日(水)00時04分11秒
  よろしくお願いします。  

【12613】
世界を知る一冊。お薦めです。  投稿者:馬の骨  投稿日:2008年 8月28日(木)09時17分43秒
  「富の独裁者 」(単行本)光文社 定価2300円+税
エイミー・チュア (著), 久保 恵美子 (翻訳)

副題「驕る経済の覇者・飢える民族の反乱」
帯文「わずか1パーセントの人間が豊かになるために、
   残りの人間が尊厳を失っていく。
   アメリカに支配された世界に未来はあるのか。」

古本で買いましたが、世界で起こっている様々な具体的な事実を知ることができました。その意味では、信頼にたる書物です。一読をお薦めいたします。
帯文の「残りの人間が尊厳を失っていく」の箇所は、まだ甘い。
貧困にあえぎ、迫害を受け殺されていく様が浮かんでしまいます。
まさに、そのとうりではないかとおもいました。
 

【12614】
片原さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月29日(金)21時27分24秒
  スカイプでつながりません。
実家の電話は留守電でした。
連絡をお願いします。
 

【12615】
沖縄  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月30日(土)02時24分21秒
  嘉手苅林昌の歌は三味線に掻き消されそうに弱々しい。
だけど、声だけがふんばっている。
この弱々しさは、地元民謡歌手にはみられないものだ。
声だけが、「まだ」生きていることの証しのようだ。
 

【12616】
無題  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月30日(土)02時29分44秒
  嘉手苅林昌はもう死んでしまいましたが。  

【12617】
福岡正信様  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月30日(土)02時32分58秒
  ご冥福を祈ります。
大百姓としては頑張った方だと思っております。
こむずかしいことを言って、ケムにまいたところが気にいりませんが、あなたの中に居座っていたのは間違いのないタオです。
私は私なりに、踏み間違えて行こうと思っております。
どうぞ、やすらかに。
 

【12618】
馬の骨様  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月30日(土)02時42分8秒    編集済
  帯文の「残りの人間が尊厳を失っていく」の箇所は、まだ甘い。
貧困にあえぎ、迫害を受け殺されていく様が浮かんでしまいます。

白土三平の「カムイ伝」をおすすめします。
今に始まったことではありません。
 

【12619】
根石先生  投稿者:Julian  投稿日:2008年 8月30日(土)14時34分47秒
  今夜(8月30日(土))午後11時からのレッスンですが、体調不調のためお休みさせて ください。どうぞよろしくお願いします。  

【12620】
Julian さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 8月30日(土)23時05分20秒
  承知しました。
掲示板を読むのが遅れ、先ほど電話を鳴らしてしまいました。
済みませんでした。
 

【12621】
馬の骨様  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月 1日(月)03時14分30秒
  ご推奨くださった本、読みたいですが、高いですね。
古本で安くてに入った場合は、買って私に送っていただけたらありがたいです。送料はこちらで負担します。
私もブックオフで探してみます。
500円程度でみつかった場合は、090−4181−5912までご連絡下さい。
 

【12622】
ネットの古本屋で  投稿者:馬の骨  投稿日:2008年 9月 1日(月)11時00分17秒
  日本の古本屋
https://www.kosho.or.jp/servlet/logout
で、いま検索したところ、800円というのがありました。
ここで購入されたら、いかがでしょう。
入会手続きがありますが、ただパスワードを設定するだけです。
ここの古本屋さんは、良心的だと聞いています。
 

【12623】
富の独裁者  投稿者:馬の骨  投稿日:2008年 9月 1日(月)19時55分36秒
  アマゾンの中古商品には、400円くらいから、ありました。
アマゾンの古本の状態は信用できない、という話は聞いたことがあります。
直接ひとが商品を見ていないのだろう、ということなんでしょう。
で、「日本の古本屋」が信用できるということになったのです。
全国の古本屋さんが集まって作っていて、各古本屋さんからの直送なのです。
普段から利用している人から聞いた話です。参考まで。
 

【12624】
むかし信州に居た幽霊  投稿者:上 村保  投稿日:2008年 9月 5日(金)00時19分21秒    編集済
  私も相変わらず売文屋みたいなことをして飯を食おうとしています。
根石さんも相変わらず、近くの人から理解されず、大風呂敷を広げているようですね。
千代ちゃんがお嫁に行って、父親の名前は分かりませんが、ソウマちゃんという、おとこのこが生まれたようですね。私の長男の長女は今、水戸市に住んでいま すが、今年、小学校4年生になります。
私が水戸の長男のNTT回線に電話すると「ナガサキノじいじ?」と声だけで、分かる歳になりました。道理で、私も歳を食らい、世間からはよぼよぼの爺さん のように見える歳になってしまったようです。
マイクロソフトのワードを使って、殴り書きの記憶だけを頼りにして書いた文章があります。根石さんのパソコンへ送りたいので必要な事項、メールアドレスな どを教えて下さい。じぶんのパソコンのメールアドレスは設定してあるのですが、覚えていません。
パソコンの操作方法なども分かりやすく、教えていただくとありがたい、です。
 

【12625】
上村さん  投稿者:根 石吉久  投稿日:2008年 9月 5日(金)14時35分14秒
  上村さんの投稿名をクリックすれば、メールが出せる状態になっているのに気づきました。 これを使って、個人用のメールアドレスと、この掲示板に公開するためのアドレスの二つを送ります。  

【12626】
test  投稿者:上 村保  投稿日:2008年 9月 5日(金)15時25分24秒
  aaa  

【12627】
過去ログ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月10日(水)06時14分44秒
  12600番まで収録しました。

http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/
 

【12628】
社会の瞞着について。  投稿者:英語嫌い人  投稿日:2008年 9月10日(水)15時14分15秒
  戦う哲学者の異名を持つ中島義道さんのインタビュウです。
http://www.mammo.tv/interview/archives/no100.html
 

【12629】
富の独裁者  投稿者:馬の骨  投稿日:2008年 9月11日(木)14時32分35秒
  手に入りましたので、いまそちらにお送りいたしました。
取りあえずお知らせまで。
 

【12630】
馬の骨様  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月12日(金)01時10分35秒
  ありがとうございます。  

【12631】
2008年8月21日テープ起こし分  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月12日(金)01時33分11秒    編集済
  (3)


読書の言葉


村田 「能動性」とか「受動性」ってことで話していたことって、俺は、日本語のことを言ってるんだと思っていたんですが。
根石 いや、そうじゃねえかもしれねえよ。コーヒー哲学で話してたときは、語学の言語とネイティヴ言語との区別なんかなかったな。
村田 「聞き言葉」と「読み言葉」の世界ってのは、語学の世界じゃねえかって話だったという気がするんですが・・・。
根 石 そんなこと言った覚えねえなあ。「読み言葉」なんていっても、何を「読み言葉」って言ってるんだっていう疑問はある。俺にとっては、「読み言葉」って のは読書の言葉だよな。読書の言葉って言ったって、とりとめがねえというか、どこに境界線があるんかわからねえけど。新聞読んでるのは読書じゃねえのかと かさ。新聞の折り込み広告読んでた場合、それは読書か、とか。まあ、普通そういうのを読書とは言わねえよな、とか。千曲市に溶融炉を作るってんで、建設地 検討委員会ってのができて、それの議事録持ってきて読んでる場合、まあ、そんなのは読書じゃねえよな、とか。じゃあ、どこから読書が始まるんだっていう問 題がある。娑婆とか世間とかに流通している観念として、「これが文学です」っていうのがある。新潮文庫ですとかさ。ある出版社のある出版部門に収録されて るものを読めば、読書してるっていう気持ちになれるとかさ。その辺がどうなんかね。新聞の折り込み広告読んでさ、黙って読んで、ポイと投げ捨てるってこと はしょっちゅうあるけど、それをある人が読んでさ、げらげら笑い出してさ、三分間笑いやまなかったとか、三分間考えこんでたとかいうことがあったとして、 その人は何を読んだのかとか、どんな読み方したのかとか考えると、もしかして、その人は読書しちゃったんじゃないかってって疑えるわけだ。
 逆にさ、文学のブの字もわかんねえ十代後半の女の子がいたとして、ブの字なんかわかんなくても、その時代の空気にはしっかり染まっていて、若さの特権で 好き勝手やることを謳歌してるとする。それがたとえば、夏目漱石の「道草」を読んだと。我慢に我慢を重ねて最後まで読み通したと。(笑)「なあんにもわか んない、なんのこと?」っていう読後感想を持ったと。「なんでこんなこと書く人いるの?こんなつまんないもの」って言ったと。これ、読書したことになるん かな。新聞広告の折り込みを読んでポイと投げ捨てた人と違うのは、我慢したことだ。なんで我慢するんかわかんねえけど。
村田 文学っていう・・・。
根石 そうだよ。漱石の書いたものが文学とされているからだ。「読み言葉」って言った場合に、俺の中でイメージされるのは読書の言葉だっていうのがあるけ ど、じゃあ、「読書」って何なんだっていうのがあるわけだ。新聞広告を読んだときの広告の言葉ってのは読書の言葉にはならねえのかよ、とかさ。漱石の「道 草」なのに、なんで「なにこれ?」とか言われちゃうんだ?とかさ。読書とそうじゃねえものとの境界が定めがたいってのがある。読書っていう場合に、俺が考 えるのは、読んでる言葉が生きてるとか、その言葉を人間が生きてるとか、そういうことが成り立てば読書だろうなと思う。その言葉で生かされているっていう 場合だってあるわけだ。まあ、あらかたの折り込み広告や建設地検討委員会の言葉なんか読んでも、その言葉を生きるなんてことはしない。頭の中で何か動くだ けで、それを心が受け止めるとかいうようなことはない。
 漱石の「道草」読んだミーハーねえちゃんが、「何これ?」と言った場合でも、字は読んでたわけだけど、多分、イメージが動かないのか、イメージが作れな いんじゃないか。文に沿って、イメージが動いていけば、「何これ?」って言わないんじゃないか。
村田 ああ、そういうことか。
根石 読書というものが成り立つ境界線は、それが決めるんじゃないのか。「読み言葉」が読書の言葉として成り立つのを決めるのは、イメージってものの動き がじゃないのか。話を元に戻すけど、「読み言葉」って言葉で俺が思うのは読書の言葉だってのは、俺の事情にすぎないわけだ。イメージなんか動かなくても、 読書なんかしてなくても、ただ字を拾って、それをぶつぶつ言ったり、はっきり声に出して言ったりしていても、それでも客観的には、「読み言葉」なわけだ。 その場合に、意味なんか何もとれていなかったり、心が動くなんてことはまるでなかったり、違うことを考えていたりしても、字を拾って、その通り口に出して 言っていたりすれば、字を読むってことは成立してるわけだから、「読み言葉」として成立してしまう。読書の言葉ではないけど、「読み言葉」としては成立す る。これが成立する地点が、「素読」ってものが成立する地点なんじゃないか。
 ミーハーねえちゃんは、多分「道草」を我慢に我慢を重ねて一人で黙読するんだと思う。それでイメージが動かなければ、一冊読み通すのはうんとつらいこと になる。だから、「何これ?」って悪態もつきたくなるんだろう。
 「素読」ってのは、基本的には一人でやるんじゃなくて、コーチがいて、コーチの真似をして子供や生徒が声に出して読むわけだ。その場合に、意味をとると か、イメージを動かすとかいうことは、素読では強制されないし、要請もされない。これ、何のためにそんなことをするのかって言えば、ひたすら「邪魔を取り 除く」ってことをやってるんだと思う。別の言い方をすれば、イメージが歩けるように道普請をやってるわけだ。素読がやることっていうのは、後でイメージが 動くようになるのに、邪魔な石ころを取り除くとか、でこぼこを平らにするとか、道を整えて準備してるんだ。
 素読を有効だと考えることは、ひとつの「準備論」なんだよ。それで、イメージを自分の中で動かすのは、素読したテキストそのものでなくてもいいわけだ よ。「すらすら能力」というか、ある一つのテキストをすらすら読める能力に厚みができれば、素読で扱ったものじゃないものを読んだってすらすら読める。そ の「他のもの」とか「他のテキスト」こそが、その人にとって本当に大事なテキストになったりすることも起こるわけだ。だけど、そのテキストに出会うために も「すらすら能力」は使ってるはずだ。その大事なテキストに出会うことを、素読が「準備」するってことは言えるはずだ。素読ってのは、どこまでも「準備」 なんだ。準備だってことが大事なんだと思う。素読がオールマイティにいろんなことができるって考える必要はない。だけど、「準備」だけはしっかりやってく れるととらえればいいと思う。いつも通りここで学校の悪口になるわけだけど(笑)、その「準備」を学校はやらない。
村田 それをやってないってことがひとつあって、もうひとつ、「準備」にどれだけ手間がかかるかってことを世間は評価しないですね。
根石 評価してないっていうか、そこに考えが及んでない。関心を向けさえもしない。だから、日本の近代以後、素読なんて言ったって、冷や飯食うだけだ。だ けど、俺の塾の生徒たちに学年トップの花盛りって時期があった。塾生がかわるがわるいくつもの学校の学年トップをとってきて、庭に種蒔いておけば、早春の 花、春の花、春の終わりの花、夏の花、秋の花っていう具合に、次から次ぎへと花が咲くみたいに、素読者の塾生がかわるがわる学年トップをとってきた時期が ある。あれは、どう考えても、素読の「準備」の力のせいだとしか思えない。その頃は俺も冷や飯食ってたわけじゃないけど、だけどなんで娑婆と俺が折り合わ ねえかっていうとさ、要するに何もわかっちゃもらえねえんだってのがあってさ、とにかく素読ってものをわかってもらえない。東洋的な方法って言ったらいい のかね、一種の道教的な方法だと思っているんだけど、いくら成果を出しても方法自体の価値をわかってもらえない。素読は、東洋的身体論だとも思うし、東洋 的学習法だとも思うけど、世間には方法自体はまるでわかってもらえない。それに対するいらだちってのがあったな。こんなのは医者の知識みたいに閉じたもん じゃなくて、眼目さえわかれば誰にでも使えるはずなのにって思っていたから、いらだちになったんだろうな。
 

【12632】
2008年9月11日テープ起こし分  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月12日(金)01時51分59秒
  境界線
 ジャズと道教

(4)

素読っていうのも、道教的な方法なんだろうと思うんだけど、道教というかタオってのは、けっこう日本に入っているんだろうと思うんだ。日本で 「道」って字がつくものは、日本人が道教的なもの、タオに根元を持つものだと認識したものじゃないのかな。剣道、柔道、弓道、華道、茶道みたいに、「道」 のつくものはいっぱいあるわけだ。素読道っていう言い方はないけど、俺は、素読も元はタオじゃねえかと思っている。もしかしたら、剣道、柔道、弓道、華 道、茶道よりも、もっとずっとタオに近いんじゃないかと思っているんだ。剣道、柔道、弓道、合気道は体を動かして汗をかく点で、直接的にタオの身体論と直 結するんだろうけど、華道や茶道は汗だくだくになってやるもんじゃない。華道や茶道がなぞるものは、やっぱり東洋的な自然だなと思う。茶道で茶室に活ける 花ってのは、元々は花屋から買う花じゃなくて、野から摘んできた花だ。雑草の花なんかよく使ってるんだと思う。華道は、ちょっとわからねえけど、枝ぶりみ たいなものをひんまげて、ひんまげたものがもっと自然なんだというイデオロギーなんじゃねえかな。このひんまげ方は、盆栽のひんまげ方とどこかでつながっ ている。茶道は自然界に咲いてる野草の花をちょいと一部分いただいてきて茶室に活けるけど、華道や盆栽はそこんとこがかなり不遜で、ひん曲げた後のものを 自然だとしてるんだと思う。
 で、なんだっけ?(笑)
 素読ってものがねらってるのも、こういうことだけやっとけば、後は自然に何かが生じるよっていうことなんだ。落ち葉拾ってきて水やって引っかき回しとけ ば、勝手に発酵して熱が出て、いい土になるっていうようなもんだろうと思う。だから、道やタオってのは、「人事を尽くして天命を待つ」みたいなこととつな がっていて、人間が何もしないわけじゃねえんだ。落ち葉は拾ってくるわけだ。無為自然なんて言うから、ほんとに人間のやることはゼロでいいみたいに思われ がちだけど、人間がやるべきことはやる。後は、勝手に自然がやってくれるから、自然にまかせとけばいいみたいな考え方だ。無為自然の無為ってのは、人間が やるべきことをやった後のことなんだろう。
 これ、結果から見れば、いつのまにかよくなってるっていうふうに見える。素読舎塾生連続学年トップの花盛りみたいなことはそういうことが起こっていたん だと思うんだ。
 道教の「道」ってのは、人の道じゃねえ。天然自然が歩む道なんだ。東洋では、その天然自然の道にならって、人の道ってのもできたんじゃないのかね。その 時に使われた方法の一つが素読じゃないかと思っているんだ。
 今や、茶道も華道も腐れどもばっかがやってるけどな。家元制度の中で世渡りしてるやつらは、みんな腐れどもだと言っていい。素読は日本の近代ではほとん ど死に体だったから、腐れをまぬがれたという点ではよかったんじゃないか。
村田 日本の武道一般に「型」ってのがありますよね。素読も原理はそうだと思うんです。
根石 「型」っていうけどさ、「型から入らなきゃいけない」っていうのか、「型から入ってもいいんだ」というのか。俺は、今となっては、「型から入ってい いんだ」という考えだな。アメリカ由来の考え方みたいなのがさ、現代の日本では標準というか準標準になってるよ。その中へ「型」っていう考え方を置くと さ、それに対してアメリカ人が反応するみたいに日本人が反応するようになっちまってるんだよ。「型」なんてのは、形式にすぎなくて、何かの形骸だ、とか 「生き生きとしてない」みたいな反応をする日本人はたくさんいるわけだ。もともと「死」を繰り込んである方法がさ、「生きてない」なんて言われたって、 「それ何ですか?」みたいなもんじゃねえか。(笑)そういうアメリカ人みたいなことを言いがちなのが、戦後民主主義者どもだよ。
村田 道教は中国のどのあたりで生まれたんでしょうね。
根石 中国も南と北があるからさ、それで、まるで文化の質が違う。その境目あたりに生まれたいいものが道教じゃねえかというふうに思ってきたんだけどさ、 まったくのあてずっぽうだけど。南だけでも駄目で、北だけでも駄目で、両方が出会わねえと、たおやかで引き締まってるっていう質は生まれないんじゃない か。
村田 そういう女っていいですね。(笑)
根石 そうだよ。(笑)
村田 女の話じゃないんですけど。(苦笑)
根石 ジャズだってそうじゃねえか。ジャズだって、ただ速けりゃいいってもんじゃねえだろ。速くてぎすぎすしてたんじゃ、てめえそれでもジャズかってこと になるし、ただぐたぐたしてりゃいいってもんでもねえ。ジャズは道教と関係あるのかねえのかってことになりゃ(笑)、たぶんねえだろ。(笑)だから、「境 界線」だよな。南と北の境界でもいいし、ヨーロッパ起源のアメリカ文化とアフリカの文化との境界でもいいし。いつも何かが生まれてくるって場所は「境界」 なんだろう。ジャズだって、境界線に咲いたもんだと思うんだ。
村田 そうですね。
------------------------------------------------------
 

【12633】
いい言葉  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月12日(金)02時12分20秒
  英語嫌い人さんに教えてもらったところを読んできました。いい言葉がありました。

------------------------------------------------------

努力してもだめなことはある。それを切実に語ることがない。生きていてもあまりいいことない、そう思い自殺するのも仕方ない。美を求めることから こそ人は差別する。そうした考えをやめることはできない。人を愛することの大切さをよく耳にしますが、愛したのなら反面嫌いな人もうまれる。真理を求めれ ば求めない人を軽蔑したくなる。つまり哲学が危険だというのは、真・善・美を求める道は悪ともつながっているからです。
 

【12634】
日本オワタ  投稿者:日本人全滅のお知らせ  投稿日:2008年 9月12日(金)14時35分17秒
  【三笠フーズ殺人米】発ガン率100%汚染米 データ置き場
http://www20.atwiki.jp/aflatoxin/

自然界における 最 強 の 発 が ん 性 物 質 アフラトキシンB1
(0.0015ppm = 10億グラム中に1.5グラムの濃度で、 100% 発 癌 ) に汚染された毒米が *10年以上に渡って* 食用として転売されていました。

私たちの毎日口にする お米 にはもちろん、子供も食べるおかきやお煎餅、団子やういろう、 ご主人が晩酌に嗜む 焼酎・日本酒・発泡酒 などに加工され、広く流通していた恐れがあります。
具体的な流通経路は未だに公表されていません。

× カビ
○ カビ毒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3

[毒性]

アフラトキシンは地上最強の天然発癌物質であり、
その毒性はダイオキシンの10倍以上といわれる。
主に、肝細胞癌を引き起こす原因物質として知られている。

http://www.asahi.com/national/update/0907/TKY200809070156.html

米販売会社「三笠フーズ」(大阪市北区)が農林水産省に、
「事故米を2割ほど、正規米に混ぜて出荷していた」と説明
三笠フーズが正規米との混合を認めているのは、カビ毒の
アフラトキシンB1が検出されたり、水でぬれたりした分で、いずれも「うるち米」
 

【12635】
そうなんだな。そうだろうなっていう感じは前からあったけど。  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月13日(土)01時27分3秒
  三笠フーズ関係者は事故米の食用への転用について、「(同業者は)どこでもやっている」 と証言している。このため農水省は、過去に政府の事故米を購入した、ほかの16社についても、事故米をどのように販売したか詳しく調べる。(歌野清一郎、 宮崎勇作)

日本人全滅のお知らせ様

記事ありがとうございます。
ここはおおざっぱに英語・語学論関係の掲示板にしております。
汚染米・毒米については、できましたら、「住環境に文句のある人々の為の掲示板」に投稿していただけたらありがたく存じます。
よろしくお願い致します。
 

【12636】
英語教育との類似点多い。  投稿者:パ クパク  投稿日:2008年 9月13日(土)13時26分17秒
  ご無沙汰しています。
三笠フーズの問題は、英語教育と類似点が多いとおもいます。
官が介在しています。
事故・英語学習法、農薬入り英語教育などが多いとおもいます。
糊として、工業的につかわれることのない事故米を非常に
高い価格で業者に払い下げしています。
業者の数は、無限ではなく、小数です。
しかし、被害者は、無限です。
因果関係がわからないので、訴えることができない。
三笠フーズの法的責任、賠償責任がどのように
決着されるかは、見ものです。
 

【12637】
ホームページ更新しました。  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月14日(日)00時41分57秒
  素読舎HP
http://sodokusha.kinugoshi.net/

「語学論」に「対談」を追加しました。
お読みください。
 

【12638】
馬の骨様  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月14日(日)00時57分1秒
  本届きました。ありがとうございます。
ネットで買ったんですね。最近は、神田や早稲田にはでかけないのですか。馬の骨様はちょくちょく行っているんだと思っていたもので、自分の本を探すついで に一冊買ってもらえればいいくらいに思っていたのですが、わざわざネットで探して下さったとわかり恐縮しています。
そちらから我が家に送るのに要した送料もお知らせ下さい。
 

【12639】
パクパクさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月14日(日)01時21分14秒
  >事故・英語学習法、農薬入り英語教育などが多いとおもいます。

 それに娑婆が気づいてくれないのか、気づいても素読舎をみつけるに至らないのか知りませんが、相変わらず私は貧乏しています。
 道 教だのタオだのと、村田君と話をして大風呂敷を広げました。素読を原理とする方法は、アメリカ由来の近代的な学習法ではありません。東洋の伝統に根ざした ものです。英語そのものはアメリカ伝来、イギリス伝来で結構だが、それを受け止め、消化し、こなす方法は、日本の文化の厚みの中からみつけ出さないと駄目 だと思っています。
 それが、日本人が英語をやって、毒まみれ、農薬まみれ、コミュニケーションまみれ、グローバルまみれにならないで済む唯一の方法ではないかと思っていま す。唯一などというと不遜なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私はそのくらいなことを言って娑婆との間に軋轢を生じさせていく以外に、今 となっては生きていく方法がみつかりません。

>業者の数は、無限ではなく、小数です。
しかし、被害者は、無限です。
因果関係がわからないので、訴えることができない。
三笠フーズの法的責任、賠償責任がどのように
決着されるかは、見ものです。

 農林水産省はこの毒米の流通に責任があり、文部科学省は、毒英語(将来使い物にならない英語なのに受験生を苦しめている英語)の流通に責任があります。 まともな語学論から見れば、日本の民衆に対して、文部科学省にも、法的責任、賠償責任があると考えます。
 おっしゃる通り、(英語が使い物にならないものとしてできあがることの)「因果関係がわからない」ので、文部科学省が蛙のつらにしょんべんを続けていら れるだけなのです。

 小学3年生くらいからやっても害にならず、理解に導くことができ、将来、花の咲く生きた種を持たせる方法として素読は有効です。これを官製の小学生英語 教育に対置してみたいと思っています。そのために、このところずっと、小学生用文法教材を作りつづけてきました。

 蛙のつらにしょんべんと、馬の耳に念仏ばかりの世の中ですので、小学生用にこんな膨大な教材を作ってみても、またがっかりさせられて終わりなのかもしれ ませんが、教材作りは私には業病みたいなものです。文部科学省にも娑婆にも「それでいい」と言う気がいまだまったくありません。
 

【12640】
今日のレッスン  投稿者:  投稿日:2008年 9月15日(月)17時09分42秒
  用事ができ外出しますのでレッスンを休ませて下さい。突然ですみませんが よろしくお願 いします。  

【12641】
Fさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月15日(月)18時15分49秒
  承知しました。
振りかえておきます。
 

【12642】
片原さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月19日(金)21時26分41秒
  連絡下さい。  

【12643】
根石先生  投稿者:片原  投稿日:2008年 9月20日(土)06時18分32秒
  祖父が急に亡くなってしまい、葬儀のためレッスンを受ける事ができませんでした。
前もって連絡するのを忘れてしまい本当にすいませんでした。
 

【12644】
片原さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月20日(土)20時55分0秒
  そうでしたか。
一度教材を届けにお宅まで行ったとき、別棟から声をかけて下さった方がいらしたのですが、あの方がお祖父さんだったのではないかと思い出しました。
ご冥福を祈ります。
 

【12645】
ビラ草案  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月20日(土)21時51分59秒
  素読舎「電話でレッスン」 「スカイプでレッスン」
無料お試し期間三ヶ月


 「小学生用文法教材」を作った記念に、「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の無料お試しが使えるようにしました。

 対象は小学生3年生以上です。
 小学生が三人集まってもらった場合に限ります。(学年が違っても構いません)
 父兄の中にパソコンがわかる人が一人いていただくと助かります。
 「手ぶらホン式電話」かパソコンソフトの「スカイプ」を使ってレッスンします。

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◎小学生にも英文法がわかる

 文法なしの小学生英語は、あぶはちとらずです。
 文法なしの小学生英語をやっても、決まり文句しか言えるようになりません。
 小学生が英文法をやる場合、素読的方法が最良です。
 素読的方法の特徴は、以下の点にあります。

・その場で理解を求めない
・暗記をやらせない
・用語、理路に時間をかけてよくなじませる(準備に時間をかける)
・覚えようと思ったわけではないのに、覚えてしまったものが増えていく
・英文まるごとを少しずつ蓄積していく
・正しい理解は一瞬でいい(それで一生ものとして刻まれる)

 この方法以外に、小学生に無理がかからず、しかも必ず実を結ぶ方法はありません。
 江戸時代、素読は子供向けに大いに使われていました。その場で効果を求めない方法ですが、時期がくれば大きな実が実ります。子供が小さくても、害があり ません。

 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材作りを続けてきましたが、ようやく使えるだけの量ができました。お問い合わせ 下さい。


◎人の練習を見ることは、とてもよい練習
 小学生を対象とした「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」のための教材を、塾の方でも使うようになりました。
 新しい小学生用の文法教材は、上に書いてある5つのポイントから、小学生にお勧めの教材です。
 塾の方では、テキストの使い方が少し違います。塾では、先に進んでいる塾生が、後から始めた塾生の練習を見ます。
 人の練習を見るには、まず、
 @間違っているところ、つまずいているところ
 に気付けなければなりません。これは塾できちんと自分の練習をやっていれば「違和感」として、気づくことができます。
 次に、
 A間違っているところを的確に指摘し、直すこと
 ができなければなりません。これは、塾のコーチに自分が言われてきたことを思い出して、言うことができれば良いのです。発音についての指導は標準化され ています。
 最終的なチェックは、塾のコーチがしますので、ご心配は無用です。

 人の練習の面倒を見ることによって、漫然とやってきた人は、自分の練習に足りないところを見つけるでしょう。
 また、今まで塾のコーチに言われて来たことを、自分で言葉にして人に伝えることによって、言われてきたことが実はどういうことなのかを、深く知ることに なるでしょう。
 人の練習を見ることによって、自分のやっている練習がどういうものかということを、とらえ返す機会にもなるでしょう。
 このように、練習を見るということは、英語の力がつくのはもちろん、他の場所では得ることのできない語学の経験となります。


 お問い合わせ

   掲示板「大風呂敷」http://8100.teacup.com/ooburoshiki/bbs
   携帯電話 090−4181−5912
 

【12646】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月20日(土)23時25分17秒
  今からPCの再起動かけます。
10分くらいかかると思います。
 

【12647】
ビラ草案2  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月21日(日)01時48分5秒
  根石さんへ

勢いを忘れないうちに書きました。
これをもとにまた書き直します。
前のビラ草案の「◎人の練習を見ることは、とてもよい練習」の部分と差し替えです。

========================
◎新しい教材について。

素読舎はこれまで、素読的方法のためのたくさんの教材を作ってきました。
世に「音読」用のテキストはたくさんありますが、文芸作品の断片を集めただけのものばかりです。
素読舎の教材は全く違います。
・素読的方法に最適化されている
・初心者用から上級者用まで体系化されている
生徒さんの中には英検1級保持者・高校の英語の先生・一流企業の海外営業の方もいます。今回、新しく作った「小学生用文法教材」は、そういった生徒さんが 使っている教材と同じ作り方で作ってあります。
有名大学に合格した塾生も、今にいたるまで大勢いますが、彼らの使っていた教材も、基本は同じです。
今回の新しい「小学生用文法教材」は、30年近くに渡る経験と実績に基づいた、素読舎の教材の集大成です。
 

【12648】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月22日(月)23時42分55秒
  まだ、ビラ草稿に手をつけられません。
少し時間を下さい。
 

【12649】
今日、生徒さんに話したこと  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月23日(火)01時34分20秒    編集済
   この掲示板で、小学生に英語をやらせることの是非が議論になったことがあった。これは どういう方法でやるかによって是に も非にもなる。一般論のレベルでの是か非かの論議には意味がない。英会話学校方式や、文法排除の小学生英語が失敗することは火を見るよりあきらかであるか ら、非であるとは言えるが、素読を根底に据えた方法ならどうなのか。
 私が今日レッスンしたOさんは、大手電機会社にお勤めで、毎月のように海外出張があるとお聞きしている。10日から2週間の出張が多いとのことだが、2 週間といえば、月の内の約半分を日本語でなく英語で生きることになる。Oさんは現在のS社に移る前は、富士通に勤めておられて、(富士通とファナックの資 本が同じであることから、)遠藤尚雄の社内英語教室を長く使われたそうである。
 富士通からS社に移り、私の「電話でレッスン」を使われるようになって1年ほど経った時、
 「なんだか不思議なんだけど、このレッスンを受けるようになってから、向こうへ行ってその日から仕事ができるようになったんだよね」
 と言われた。「どういうことですか」と私が聞くと、
 「遠藤さんの教室を使っていた間は、向こうの空港で飛行機を降りてから、2日や3日は仕事にならなかった。頭が英語の回路に切り替わるまでに、2日か3 日必要だった。不思議なんだけど、このレッスンを始めてしばらくたったら、飛行機を降りた当日から英語で仕事になるんだ」
 とのことだった。
 以上のことをお聞きしたのは、3年くらい前のことだったと思う。
 今日、Oさんにお話したのは、Oさんの小学3年生の娘さんに「電話でレッスン」を開始するのをお薦めするためだった。私が言ったのは次のようなことだっ た。
 「世の中一般がと言ってもいいし、学校一般がと言ってもいいが、英語の基礎力というものを根底的に誤解している。基本的な単語、熟語、語法、文法などを 「知っている」とか「理解している」ということを基礎力だと思っている人がたくさんいる。それも基礎力の一部なんだが、それ以前の基礎力というものがあ る。それを私は「すらすら能力」と言っている。たとえば、中学1年生で私の英語のレッスンを受け始めたとして、3語、4語程度の文(How are you? 3語、How are you doing? 4語)、あるいは5語程度までの文なら、単語を知らなくても、こっち(コーチ)が言ったものをすぐに音の連続性として生徒は復唱できる。つまり、すぐに 「すらすら」が成立する。これは中学1年生でなくて、小学3年生でも同じことが言える。3,4,5語程度の文を「すらすら」と即時に一連の音として成立さ せる能力は、中学1年生という年齢を待たなくても、小学3年ですでに備わっている。
 で、この初心者のレベルの人が最初にぶつかる「目に見えない壁」というものがあって、それが7語、8語からなる文を「すらすら」言うレベルになる。これ は長年、小学生中学生とつきあってきてわかっていることだ。7語、8語の「目に見えない壁」を越えた人は、次に10語、11語あたりで次の壁にぶつかる。 それを越えると、15,16語あたりに次の壁が現れる。「目に見えない壁」だが、レッスンをやっているとそれがはっきりとわかる。で、中学1年の終わりか ら2年にかけての頃に、15,16語程度の壁を越えているということが実は実際的なのだ。
 15,16語から成る文を10回から15回程度音読すれば、まともな音で「すらすら」読めるという習熟度の生徒に、その半分程度(7語、8語)で成る文 の語法や文法を説明すれば、難なくその場で理解する。「すらすら能力」が7、8語で壁になっている生徒に同じことをやっても、それはなかなかうまくいかな い。理解の成立が、「すらすら能力」の度合いに左右されるという蓋然性はある。
 (個人差はあるが、)7,8語の壁を乗り越え、10,11語の壁を乗り越え、15,16語の壁を乗り越えるまでには、実は非常に時間がかかる。7,8語 が壁になっている生徒に、15,16語から成る文を読ませると、途中でつっかかり、ぶつぶつと文が切れ、非常に不自然な読み方になる。それが自然につな がってリズムを備えた読みになるまでには、人が思っている以上に長い時間がかかる。それなのに、そこに直接にてこ入れするレッスンというものが世の中には ない。その点では、文部科学省が親分をやっている学校英語も、民間の英会話学校も、受験制度にぶらさがっている塾も同じだ。すらすら読めるまで読み込むこ とが大事だと生徒に言う教師はいるかもしれないが、「大事なので、自分でやっておきなさい」と言うだけで、「すらすら能力」自体を育てるために、音読や素 読そのものをレッスンの内容として、子供につきあう機関は世の中にはまず見当たらない。(それが日本の近代というものなのだ)素読舎はそれをやるが、他に 探してもらっても、まずそんなことをやっているところは見当たらないはずだ。(学校での柴田さんの教室は極端に珍しい例外だと言っていい)音読や素読を レッスン内容にしたら、冷や飯を食う。冷や飯を食うということは、下賤な言い方をすれば、ゼニにならないということだ。「ゼニにならない」ということこ そ、素読舎の輝かしい(?)伝統なのだ。
 で、ゼニの話はともかく、子供が「からっぽの文」を蓄積することは、意味もわからないまま歌を覚えるようなことなので子供に害にならない。そういうもの は始めるなら早い方がいい。ただ、日本語の素読ではないので、いくら早い方がいいと言っても、実際は小学3年生くらいからになる。それ以前だと、まだ日本 語が固まっていないので、説明に使われる日本語や英文の対訳として使われる日本語にさえ抵抗があるだろう。その段階にいる子供に英語をやらせるのはよくな い。小学校3年くらいが、「素読」で英語を扱ってうまくいく最初の年齢になるはずだ。娘さんに英語を始めてみるように話していただけないだろうか」
 以上が、Oさんに話したことだった。
 そのすぐ後に、キリピーと私の娘をスカイプで結んだレッスンをした。根本は同じことなのだが、違う話をした。
 「little の tt を (と) という感じで発音している。余計な母音がくっついている。これは実は「すらすら能力」と関係がある。短い文は「すらすら」言いやすいし、長い 文でも、ずいぶん前にやってその後何度も何度もレッスンで復習してきた文は「すらすら」言いやすい。そういう「すらすら」が成立している文を使って、「少 しだけ速く」「少しだけ(より)はっきり」を両立させる練習をしてみてくれ。急激に「速く」や「正確に」をやっては駄目だ。「少しだけ」「速く」、「少し だけ」「より正確に・はっきりと」を両立させるようにしてくれ。この「少しだけ」ってのが大事なことなんだ。
 語数とか、復習で何度ぶつかったかとかいうことで、「すらすら」の度合いが違う。その度合いは、自分でははっきりわかるはずだ。
 「ゆっくり言えばはっきり言える」というのは「ほったらかした練習」だし、「速く言えば、音が崩れたり、あいまいになる」っていうのも、「ほったらかし た練習」だ。
 練習は、二律背反の二律を両立させるところにある。
 少しでいいから、「より速く」「よりはっきり・正確に」を両立させるところにある。

 Oさんに言ったこととキリピーに言ったことは同じことだが、それが同じことだとわかってもらえる人がどれほどいるだろうか。
 

【12650】
時間がかかるが、それがよい  投稿者:らくだ  投稿日:2008年 9月23日(火)09時14分20秒
  といっても英語の話ではありません。

息子はサッカー部ですが、中学に入って1ヶ月で鎖骨を骨折。3年生との競り合いで吹っ飛ばされての事でした。やっと直って夏の猛練習。両膝靭帯を 損傷して戦線離脱、今は練習を休んでいます。息子だけではなく、友達にも骨折、ねんざ、疲労の蓄積で、まともに練習できない子が出ています。

何かおかしい。昔は、小学生のころから一つのスポーツに取り組む子は、リトルリーグに入っている少数派で、ほとんどの子供は、そこらへんの空き地で走り 回っていただけでした。

今は、小学生でも、いろいろなスポーツにそれなりに真剣に取り組むようになっています。では、それによって体ができているかと言えばそうでもなく、意外と もろくて怪我をしやすくなっているのではないか、という気がします。

それに輪をかけて少子化ですので、中学の部活動の部員が少なく、1年坊主でもレギュラーチームに入れて公式戦に臨ませるべく、上級生と一緒に基礎練習より 実践練習。これで怪我の確率が高くなっているようにも見受けます。

親としては、ついつい、レギュラーチームに入って試合に出てほしい、という気持ちになってしまいますが、こうも怪我をされると、やはり間違った考え方だと 反省せざるを得ません。

将来にわたって大切なのは、基礎体力。それは、ゆっくり培うものですし、持って生まれた身体能力には個人差がありますから、同じメニュー、同じ進度の一斉 メニューでの練習では、合わない子供は怪我をしてしまいます。

小学生段階での素読っていうのは、空き地で走り回って体の地力をつけるようなものかな、と思います。
 

【12651】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月24日(水)02時27分24秒
  ありがとうございます。後ほどコメントさせて下さい。  

【12652】
英語塾を開きたい方へ  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月24日(水)02時34分4秒
  小学3年生から使える英語教材を鋭意作成中です。
この教材と、この教材をどのように使うかを学んでいただけば英語塾を開くことができます。

二人あるいは三人の間をスカイプでつないで「スカイプでレッスン」を受けて下さる生徒さんをご紹介下さい。ご自分でも、スカイプを使えるようにし ておいていただく必要があります。私のレッスンのやり方をスカイプで参観していただきます。後に、ご自分でレッスンしていただきます。
さらに後に、塾での教材の使い方と「スカイプでレッスン」での使い方の誤差は、千曲市までおいでいただいて素読舎を参観していただくことで埋めていただく ことができます。

現在、空き枠は二つのみです。
お問い合わせは、この掲示板にお願い致します。
 

【12653】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月24日(水)02時51分22秒    編集済
  チラシの案です。

------------------------------------------------------

変貌する塾

 素読舎に根石吉久作成の新しい教材が誕生しました。
 小学三年生から使っていただくことができます。
 この教材によって、素読舎はこれまでとがらりと変わっています。
 「最低これだけやったら帰っていい」という方針から、「このくらいの練習ができるなら、このくらいまでやってもいい」という方針に切り替わっています。
 「やってもいい」のだから、やらなくてもいいのです。
 やりたくない日は漫画を読んでいてもいい。

 これまで、素読舎は練習をやらせてきました。
 これをやめました。

 塾の運営の基本方針をがらりと変えましたが、方法自体は何も変わっていません。
 元になっているものは素読です。

 10年後を見ていただけばはっきりします。
 小学校から英語をやらせるという文部科学省のプランは必ず失敗します。
 小学生だから文法は必要ないなどというのは、まったくの人だましです。

 素読を元に据えた練習は、小学生のうちに中学の文法を確実に理解できるようになります。
 それよりももっと大事なことは、「まともな音ですらすら読めるようになる」ことです。

 お子さんの英語を大事に考えるなら、「まともな音ですらすら読める」能力にじかにテコ入れする素読舎をお選び下さい。素読舎の方法なら、テスト 用の英語(受験英語)と「学校以後に生き残れる英語」が両立します。これを両立させる教材と方法を備えている英語教育機関は素読舎以外にはありません。 (もしあったら教えて下さい。私は知りません。)

 英語ばっかりは、塾を選び間違えたら取り返しがつきません。(実は取り返しがつくのですが、まず100パーセントの人が、「音づくり」からやり直さなけ ればなりません。同一人物の同一年齢において、まったくレベルの違う英語を持つことになります。同一人物の同一年齢は一年限りのことですので、実験によっ て証明できないのが残念ですが、「まったくレベルの違う英語」になることを断言します。)

素読舎 長野県千曲市鋳物師屋642−3
塾長 根石吉久

お問い合わせ
090−4181−5912
 

【12654】
I へ  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月24日(水)03時23分7秒
  冥福を祈ります。  

【12655】
小学生教材  投稿者:パ クパク  投稿日:2008年 9月24日(水)22時21分11秒
  従来の音読教材は、断片的な文章を集めたものでした。
素読舎の小学生用教材は、外販されるのでしょうか?
別に小学生でなくても、使えるとおもいます。

http://www.crell.jp

 

【12656】
パクパクさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月25日(木)00時31分46秒
  私の作成した教材も断片的なものと言えば断片的なものを集めたものです。
この教材は単純に外販しても意味がないと思っています。
あくまでも素読を元に据えたレッスンを前提にして作ったものですから、素読に関する理解が広まらないとどうしようもないだろうと思います。
ひとまずは私や妻や村田君が塾の生徒や「電話でレッスン」「スカイプでレッスン」の生徒を相手に使うだけです。

しかし、広がりをもたせたいという考えはあります。
素読を元に据えた英語の塾をやりたいというような人になら、お渡ししても意味があるだろうと考えています。
 

【12657】
生まれました  投稿者:ももこ  投稿日:2008年 9月26日(金)18時02分53秒    編集済
  今月17日 無事女児を出産しました。
産後なのでもう少し目と体を休めようと思います。
 

【12658】
素読と意味  投稿者:パ クパク  投稿日:2008年 9月27日(土)07時07分6秒
   右手に素読、左手に文法が、基本の英語学習スタイルと

 されているが、(斎藤孝+斉藤兆史)


 私の考える、素読の定義だけはっきりさせよう。



 音読:意味のわかる英文を読む。意味は、日本語で理解する。



 素読:意味のわからない英文を伴奏読みをする。このとき、文字は見る。



 ポイントは、日本語の意味を考えないで、
 音列だけを文字を見ながら口におぼえこませる。
 生徒には、苦痛感をあたえる。
 子供でも、大人でも、嫌がる。

 生徒と迎合すると、日本語の意味先わたしになる。
 ついでに、素読を封建的方法として、排除する。

 したがって、小学生向け英語素読教材の内容が興味あるところである。

http://www.crell.jp

 

【12659】
根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月27日(土)22時46分53秒
  素読舎新聞 版下案 書きかけですが見てください。

http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/beta.pdf
 

【12660】
根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)03時11分57秒
  素読舎新聞の「塾のやり方が変わりました」の部分です。
===============
・塾のやり方が変わりました

 新しい教材を導入することによって、塾の運営の基本方針が変わりました。
 以前は、「最低これだけやったら帰っていい」という方針でしたが、「このくらいの練習ができるなら、このくらいまでやってもいい」という方針に切り替わ りました。方針は変わりましたが、素読をもとにした方法には変わりがありません。
  また、先に進んでいる塾生が、後から来る塾生の練習の面倒を見るという方式を始めました。コーチの私たちは常々感じていることですが、人の練習の面倒を見 るということは、実は一番自分の練習になるのです。一つには、人が同じ例文を何度も繰り返して読むのを聞いているうちに、よりよく例文を覚えてしまうとい うことがあります(もちろん、自分で練習してあることが前提ですが)。
また、音作りに関しては、他人の練習の面倒を見ている時は、間違いがあった時はまず違和感として感じ取りますが、それをいかに言葉で的確に指摘するかとい うことがあります。素読舎では、「あいうえおフォニックス」「発音のポイント」という音作りに関する説明がありますが、人の練習の面倒を見るときに、それ をきちんと言えるかどうか。
自分で人の練習を見ることによって、コーチが音作りに関して説明していた事が、初めてわかる時もあります。自分の発音について、より自覚的になることがで きます。
人の練習の面倒をたくさん見ることによって、自分の復習を分厚くすることができます。
 自分の練習を進めているか、人の練習もたくさん見る(=復習する)か、という両面から判断して、教材を「一日でどこまで進めていいか」を決めていきま す。自分の練習をたくさんやり、人の練習の面倒もたくさん見る人は、「無制限」に練習を進める資格ができます。
 

【12661】
「からっぽ」についての書き込み  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)23時59分40秒
  (無題)  投稿者:根石吉久  投稿日: 2008年 9月28日(日)01時28分52秒

村田 根石さんは「からっぽの文」という言い方をよくしますが、一般の人にはこの言い方はわかりにくいかもしれないですね。
根石 意味のわからない歌を覚えるように英語の文を覚えてしまった場合が、一番「からっぽ」だと思う。この「からっぽ」っていうのは、まったく否定的な意 味で言っているんじゃない。俺は、「からっぽ」を大きく肯定してるんだ。それが語学の本質だと思っているから。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)01時35分34秒

村田 普通、「からっぽ」なんて言われたら、マイナスなイメージを思い浮かべますよね。私も根石さんの言っている「からっぽ」の中身がわかっているような 気がしているだけで、ほんとはわかっちゃいないかもしれません。


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)01時43分2秒

根石 まずは、意味もわからない、文法もわからないまま、音だけはまともに言えるっていうのが、「からっぽ」のイメージをつかんでもらうのに一番 いいとおもう。まず最初に日本人が英語とつきあうときは、これを肯定するべきなんだ。大きく肯定すべきなんだ。これがネイティブ言語(日本人にとっての日 本語・アメリカ人にとっての英語)と、外国語の習得とが根底から違うところだ。
で、意味もわかる、文法もわかるって段階になったら、「からっぽ」じゃなくなったのかっていうことだが、俺はあいかわらず「からっぽ」だよと思ってる。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)01時51分14秒

村田 意味もわからず、文法もわからないまま、音だけはまともに言えるっていうのは世間では評価されないことですよね。普通は意味がわからなければ意味が ないじゃない、ってなる。
それから、意味もわかる文法もわかる、っていう段階は、普通は「できる」と言われますよね。それでもなお「からっぽ」だ、というところが語学をやっている ということなんでしょうか。


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)01時59分5秒

根石 世間も学校も「音だけはまともに」言えるっていうのを評価しない。だから、世間も学校も間違っているんだ。意味がわからなくて、文法がわからなく て、音だけまともっていうのが意味がないわけがない。だけど、それが評価されないっていうのは、まったくその通りだな。
 「できる」やつなんて、ほとんどみんな使いものにならない英語をつかまされたやつらばっかしなんだ。まあ、優等生とか言われる連中もみんな、学校や世間 がやってる認識不足の犠牲者だから責める気もないが、いずれ優等生や点だけはとれるやつらの英語は確実に滅びるんだ。そんなものは反吐が出るほど見てきた んだ。
 文法がわかっても、意味がわかっても、それでもやっぱり「からっぽ」なんだよっていうのが、素読舎が言い続けてきた理論なんだが、これはまったく娑婆か ら理解されていない。娑婆に生きている人々が悪いんじゃない。文部科学省でも、大学でも、まともに「語学論」と呼べるようなものをひとつも作ってきていな いことが最大の原因だ。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)02時38分48秒

村田 「点だけ取れるやつらの英語は確実に滅びる」っていうのは、試験でいい点をとるとか、資格試験を突破するとか、なにかの目的のための手段として英語 をやるからっていうことでいいでしょうか?


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)02時41分7秒

根石 何かの目的があっちゃいけねえってわけでもねえんだ。目的はあってもいいけど、そんな目的って空しくねえかっていうことがあるんだ。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)02時53分2秒

村田 長い時間と少なくない労力を使って、そんな目的を達成しただけでいいのかよ、ということですね。その空しさと根石さんが言う語学の「からっぽ」さっ ていうのはまったく別物ですよね。


(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月28日(日)02時56分10秒

根石 俺が「からっぽ」って言ってるのは、優等生の英語力なんか「からっぽ」だという意味じゃねえんだ。実際に、優等生の英語力なんか「からっぽ」なんだ けど、そういうことを言いたいんじゃねえんだ。
肝心要は、「当事者性」ってもんだ。
だけど、この「当事者性」ってものほど、世間にわかってもらえないものはない。


(無題)  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月28日(日)03時07分15秒

村田 日常生活でのっぴきならない関係性が当事者性であると思いますが、机の上で一人でやる語学の英語は、「当事者性」からは一見離れているようにみえま す。
 

【12662】
(無題)  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)01時31分37秒    編集済
  素読舎名物否定広告

「からっぽ」論
「からっぽ」に二種類あり

素読舎を使った場合

@ 「理解がからっぽ」

  素読・音読

   ||
                         「まともな音 で」          ・素読舎 「まともな 音ですらすら」
「音づくり」      →     すらすら読める           ・学校・進学塾「間違った音ですらすら」

   ||                           ↓

意味・文法(理解)が             ↓                 ・教材を継続すれば、「理解」のための準備が
ともなわない                                          よく整う
                                ↓
   ||                                             ・わかるときは一挙に全部わかってくる
                                ↓                     (教材の威力)
ひとまずOK!
(あくまでも「ひとまず」)      ↓


       ↓                       ↓
       ↓
       ↓                       ↓
       ↓
        →→→→→              A

------------------------------------------------------


A 「当事者性がからっぽ」

素読継続     →    文法理解、意味がともない、イメージが強化され、瞬間化される


     それでもなお

     「当事者性」はからっぽ

・当事者性が「からっぽ」であることは語学の本質。
・当事者性が「からっぽ」であることは、素読舎を使う使わないにかかわらず起こる。
・日本語を主言語とする限り、いくら激しく多量に練習しても英語の当事者性は「からっぽ」。
・わかりやすい例。外がどしゃぶりの日に It's a fine day, today. (今日はよく晴れたいい天気だ)という文を机の上で練習していても何もおかしなことではない。机を離れて、外に出てそれを言えば、気違い扱いされる。ある いは嘘つきになる。
・どんな英語の上級者でも、机の上でどんなに高度な英語を扱っていても、それが語学であり練習である
  限り、扱っている言葉に当事者性はない。(仮の言語=練習のための言語=語学の言語)
・当事者性の欠如=「からっぽ」は大きく肯定されなければならない。
  (「ぺらぺらしゃべれない」などという余計な劣等感を持つ必要はない)

                                 ↓

                                 ↓

                                 ↓

                                 B

------------------------------------------------------

B 「からっぽ」が状況(的意味)で充電される。→ 磁場での当事者=生活(仕事)の言語

・このBの段階は、もはやすでに語学ではない。語学の外側(生活や仕事)。
・普通に日本語を主言語にしている生活では、この「状況による充電」は起こらない。
・「状況による充電」が起こるのは、「磁場」(言葉の当事者になる場)に渡った場合。
・英会話学校には、「練習用の状況」しかない。本当の「状況」はない。だから、充電は起こらない。
・この段階はすでに語学でもなければ練習でもないから、「充電」をやるもやらないも各自にまかせる。
・肝心なことは、@Aの段階で、「磁場」に渡りさえすれば「充電」が起こる質の英語力にすること。
・@Aの段階で、「当事者性」が欠如するのは当たり前だが、「まともな音」が欠如したら、「磁場」に渡っても「充電」が起こらない。(「充電」が起こるた めには、電導性の音=まともな音でなければ駄目)
・結論。学校英語、進学塾英語じゃ駄目。「まともな音ですらすら」でなければ駄目。
 だから、素読舎でなければ駄目。と、駄目押しするから、「否定広告」なわけだ。
 つまり、日本語磁場における、「状況」における、「これぞまともな言葉!」なわけだ。
 

【12663】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)01時32分45秒
  ひとまず作りました。  

【12664】
パクパクさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)02時00分34秒    編集済
  おっしゃっていることの意味がわかりません。
ご本人にはよくわかっているのだと思います。
あまりにも一語一語の意味があいまいなので、要請があれば、一語一語についてどこがどうあいまいなのか言うことができますが、今の私の生活状況では、 ちょっとご勘弁願います。
赤貧洗うがごとしの一歩手前を生きております。
あいまいな言葉につきあっている時間がありません。
 

【12665】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)02時09分38秒
  ご出産おめでとうございます。
母子ともに元気そうで、それがなによりです。
読んで、ほっとしました。

連絡がないので心配してるのが、ちびのすけさんです。

ももこさんには、無農薬でつくったじゃがいもを少しだけですが送ります。
ですが、今、アタマがむちゃくちゃに忙しいので、忘れていたら、「早くじゃがいも食いてえ」と、お子さんのお名前で投稿してくださいね。
 

【12666】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年 9月30日(火)02時21分28秒    編集済
  >何かおかしい。昔は、小学生のころから一つのスポーツに取り組む子は、リトルリーグに 入っている少数派で、ほとんどの子供は、そこらへんの空き地で走り回っていただけでした。

 そうだと思います。「何かおかしい」のだと思います。何がおかしいんでしょうか。
 すぐに行動に移す移さないはともかく、日本人が権力に対峙しないことだと思っています。

>今は、小学生でも、いろいろなスポーツにそれなりに真剣に取り組むようになっています。では、それによって体ができているかと言えばそうでもなく、意外 ともろくて怪我をしやすくなっているのではないか、という気がします。

 その通りだと思います。基礎(体力)ができていない子供を相手に、馬鹿な大人があんまり真剣になりすぎるからいけないのです。(子供達の)怪我(の続 出)は人災です。

>それに輪をかけて少子化ですので、中学の部活動の部員が少なく、1年坊主でもレギュラーチームに入れて公式戦に臨ませるべく、上級生と一緒に基礎練習よ り実践練習。これで怪我の確率が高くなっているようにも見受けます。

すべて馬鹿げた話です。

>親としては、ついつい、レギュラーチームに入って試合に出てほしい、という気持ちになってしまいますが、こうも怪我をされると、やはり間違った考え方だ と反省せざるを得ません。

 間違っています。こういうものを相手にする場合、あんまり親も子供も本気にならないことが肝要です。

>将来にわたって大切なのは、基礎体力。それは、ゆっくり培うものですし、持って生まれた身体能力には個人差がありますから、同じメニュー、同じ進度の一 斉メニューでの練習では、合わない子供は怪我をしてしまいます。

ええ。そういうことだと思います。

>小学生段階での素読っていうのは、空き地で走り回って体の地力をつけるようなものかな、と思います。

それをやらせてやれる「場所」が、今の日本には払底しているかもしれません。
田舎はともかく、都会には払底しているかもしれません。
素読舎英語はともかく、学校英語、受験英語には払底していると思います。
 

【12667】
根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月30日(火)02時44分8秒
  語学の
「からっぽ論」


◎素読舎を使った場合:3段階
@初心者
 「音づくり」する → 理解がしやすくするための「準備」
         →「ひとまず」その場で意味がわからなくてもいい
 「意味がからっぽ」の段階

A中級者以上
 「音づくり」に理解も伴っている → 実際に英語を使う(言葉の当事者となる)場面への「準備」
 「当事者性がからっぽ」の段階

  ・素読舎の教材と方法を使えば、自然と無理なくAの段階(理解)までいきます。
  ・語学は一人でやるものなので、「当事者性がからっぽ」です。
   語学をやっている時は、どんな上級者であろうと「当事者性がからっぽ」で、「からっぽ」のままでいいのです。

B実際に英語を使う状況
  「言葉の当事者」として英語を使う状況
  語学の領域を越えています。

========================
素読舎でAの段階まで進んだ人
 ・通用する音あり          英語を使う(言葉の当事者になる)現場へ
 ・音に意味・文法が備わっている ───────────────────────→ 通用する!
 ・当事者性なし



◎素読舎以外の場合(学校・進学塾・英会話学校など):2段階
@文法・意味を覚える
 ネイティヴに通用する「音づくり」をしない・文法・意味だけを暗記
 → いわゆる受験英語

A実際に英語を使う状況

========================
素読舎以外を使った人
 ・通用する音なし       英語を使う(言葉の当事者になる)現場へ
 ・意味・文法は覚えている ───────────────────────→ 通用しない!
 ・当事者性なし
 

【12668】
根石さんへ  投稿者:村田  投稿日:2008年 9月30日(火)02時52分39秒
  自分のを投稿してからすでに根石さんのが投稿されているのに気付きました。
やっぱり根石さんの方がいいです。

>結論。学校英語、進学塾英語じゃ駄目。「まともな音ですらすら」でなければ駄目。
>だから、素読舎でなければ駄目。と、駄目押しするから、「否定広告」なわけだ。
>つまり、日本語磁場における、「状況」における、「これぞまともな言葉!」なわけだ。

この部分いいですね。
 

【12669】
意味のわかる英文を素読の対象にするのだろうか?  投稿者:パクパク  投稿日:2008年 9月30日(火)07時42分37秒
  素読の定義は、人さまざまでしょうが、
意味がわかる英文を読み上げるのは、音読。
意味がわからない英文を読み上げるのは、素読の必須要件。

音と意味との連結は、別工程で行い、
素読工程のときは、意味は考えず、音と文字に集中する。
(コーチの音をきいて、文字をみながら、口にだす。)

以上が私の考える素読の定義です。

そこで、小学生向けの素読は、どのような英文を
対象にしているのかを興味をもったものです。
 

【12670】
パクパクさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 1日(水)02時15分25秒    編集済
  >ポイントは、日本語の意味を考えないで、
 音列だけを文字を見ながら口におぼえこませる。
 生徒には、苦痛感をあたえる。
 子供でも、大人でも、嫌がる。

 「日本語の意味を考えないで」についてですが、日本語の意味は考えていいのです。
 その後にどうするかが肝心なところで、日本語から得られた意味をどう分解し、どう配分し、英文の要素と混ぜ合わせ溶かすかということがポイントになりま す。
 私の作った教材をここに貼り付ければいいのですが、膨大なものなのでできません。代わりに、少しここで教材作成を演じてみます。
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I play baseball. 私は野球をする。

遊ぶ  play
スポーツなど「する」ときも play
野球  baseball
野球をする  play baseball
------------------------------------------------------

 もういきなり、I play baseball. に対して「私は野球をする」という記述があるので、これは「訳先渡し」です。
 I play baseball. は、「英文まるごと」の部分ですが、この部分は、こちらが一度読んだら、生徒に5回以上繰り返し読ませています。「私は野球をする」の部分はコーチも生徒 も一度読むだけです。
「英 文まるごと」の部分を5回以上読ませる間に、「音づくり」(生徒の音を変える)の必要があるときは、それをやります。口の筋肉のどこをどうしろと言ったあ と、ある程度まで問題が解決すれば、再び生徒に5回以上読ませます。この「ある程度まで」のところは説明ができません。ひとつの音に半年程度の時間を平気 でかけることがあります。時間をかけてひとつの音を料理し、完全に解決するということをするのですが、まったくの初心者相手では、ひとまず「ある程度」変 われば、あるいは、問題点を生徒が自覚すれば、先へ進みます。
 「遊ぶ」と play を突き合わせた後に、スポーツなら「する」となるというふうな記述があります。これは文法とか語法とかしかつめらしく言うほどのものではないものですが、 ここで英語と日本語との間に一対一対応が成り立たないということを読み取る生徒はいるだろうと思います。そこまで読み取るか読み取らないかは生徒にまかせ ておきます。何も考えず、英単語を含んだ日本語の文を繰り返し言っているのでもひとまずはOKです。練習ではコーチは口で説明などすることはめったにあり ません。生徒はコーチと一緒に、記述されたものをあるルールに従って、どんどん先へ読んでいきます。そういうふうに使えるように教材を作ってあるわけで す。
 肝心なことは、初心者は、『スポーツなど「する」ときも play』という部分も5回程度繰り返し読むことです。
 これは日本語です。理路を含む日本語も、一定以上の長さのものは繰り返し読みます。それが5回なのか3回なのか1回なのかは、生徒の理解の進展度によっ て変わっていきます。これだけの長さの日本語でも、小学3年生くらいだと、途中で読みがとぎれたりします。その場合は、7回とか10回とか多く読ませるこ ともよくやります。練習が進んでいる生徒の場合は、こういう「解説部分」は0回としてしまうこともあります。黙読して理解すればそれでいい、という段階に いる生徒にはそうします。

 「音づくり」でもそうですが、理路の扱いでも、一人一人の生徒をよく見て、生徒の状態に応じていきます。ここが職人仕事と言える部分かと思っています。

>ポイントは、日本語の意味を考えないで、
 音列だけを文字を見ながら口におぼえこませる。

 私が作っている教材は、訳も解説もついているもので、英文の「音列」だけ扱うものではありません。

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I play tennis. 私はテニスをする。

I play baseball.
スポーツなど「する」ときも play
テニスをする  play tennis
------------------------------------------------------

I play tennis. という初出の英文の「説明部分」に、I play baseball. が「訳なし」で登場します。
教材を進めれば進めるほど、「訳なし」の(既習の)文がどんどん並ぶようになります。その段階では、日本語を介在させずに、play なら play のイメージが「瞬間化」されることをねらっています。

------------------------------------------------------

>生徒と迎合すると、日本語の意味先わたしになる。
 ついでに、素読を封建的方法として、排除する。

 「生徒と迎合する」というのは、「生徒に迎合する」ということをおっしゃりたいのでしょうか。
 「ついでに」というのは、「日本語の意味先わたし」をする人たちが、「ついでに」・・・「排除する」なのでしょうか。

 「誰が」そうしているのかがまったくわかりませんでした。
 「排除する」というのは、誰が排除するのでしょうか。斎藤孝と斉藤兆史がでしょうか。
 普通に読むと、「日本語の意味先わたし(?)」をしている人が「ついでに」やることのように読めます。それでいいなら、一般に「日本語の意味先わたし」 をやる人たちは、素読を封建的方法として排除しているのでしょうか。そんなことはないだろうと思っております。

 また、「意味先わたしになる」という時の、「意味」を渡すということの意味がよくわかりません。
 普通「訳先渡し」と言っていることでしょうか。「訳」を渡すことと「意味」を渡すことは違うことです。「訳」は具体的な言葉であり、解釈やうまい下手に より、さまざまな異形が生じますが、「意味」というものは、そういう雑多な具体性から抜け出して、人々の間に共有される無形のものだと考えています。共有 される無形のものがあるから、辞書というものが成立するのだろうと考えています。
 「意味」というものは無形ですから、「先わたし」だろうが、「後わたし」だろうが、言葉を介して渡すことはできないものだとも考えています。渡すことが できるものは、「訳」であり、「近似値」であろうと思います。辞書もそう出来ています。「説明」や「解説」が渡せるものは、概念という「近似値」であり、 「意味」そのものではありません。「意味」そのものは、言語使用によって、つまり「体験」によって無形のものとして意識に動くだけのものです。意識からみ た外在物(文字や音)「以前」の、あるいは外在物「以後」のものです。「意味そのもの」が外在物になることはないのです。だから「以心伝心」ならともか く、ブツとしては渡せないのです。
 「意味」という一語で、私の中にこれだけの混乱が生じ、これだけ考えて整理する必要が生じてしまいます。もう少し「あいまいさ」をどうにかしていただき たくお願いします。

>音読:意味のわかる英文を読む。意味は、日本語で理解する。

 「意味は、日本語で理解する」場合に、それが「意味のわかる英文」になるのでしょうか。
 そういうものは、「意味のわかる英文」とは言わないと思います。
 英文から「意味」が生じて意識に動く場合が、「意味のわかる英文」だろうと思いますが。

 と、こういうふうに重箱の隅をつっついている時間がとれないということです。
 今日は、ちょっと気が向いたので、やってみました。
 

【12671】

パクパクさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 1日(水)02時30分51秒
   9月30日に書かれたものについても、先ほど書いたものでお答えになっていると思いま すが、もう少し。

>素読の定義は、人さまざまでしょうが、
意味がわかる英文を読み上げるのは、音読。
意味がわからない英文を読み上げるのは、素読の必須要件。

 素読は、「意味がわからない段階」も許容するということだと思います。
 「意味がわからないものを扱わなければいけない」ということではないと思います。
 意味がわかるものを扱うには音読がよく、意味がわからないものを扱うには素読が向いているというのはその通りだと思います。

>音と意味との連結は、別工程で行い、
素読工程のときは、意味は考えず、音と文字に集中する。
(コーチの音をきいて、文字をみながら、口にだす。)

 この「連結」がどう起こっているかは、コーチにはわからないのです。コーチにやれることは、これが「起こりやすくする」ということです。
 「連結」は生徒にまかせるしかないことです。
 「別工程」の場合も「同工程」の場合もあるでしょう。
 

【12672】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 1日(水)02時46分46秒
  >この部分いいですね。

「この部分」はかなり酒が入った状態で書いたので、要再考です。
村田君のやつと、俺のやつを木曜日に突き合わせたいので、プリントアウトして持ってきてくれませんか。
 

【12673】
素読を封建的として排除  投稿者:パクパク  投稿日:2008年10月 1日(水)07時28分54秒
  以前、齋藤孝氏の音読ブームがおきたとき、
彼の著書のなかでは、
素読を明確に否定していました。

それは、素読が意味のわからないものを読ませるので
封建的であるかのような記述を著書のなかでしていました。

私の大学時代の友人で、親から素読を受けたものが
いました。
「非常に苦痛だった」
と言っています。
素読にコーチがいるのは、音を与える機能と
子供に強制させる機能の2つがあるとおもいます。
意味の解説などはしないのです。

そもそも、四書五経などは、母語で考えたからといって内容がわからない。
素読の目的も、文章を暗記させることではない。(結果として暗記できるが
目的にない)

私は、この意味のわからない、比較的長文を年端もいかない子供に
やらせる意味があるとおもっています。
想像するに、英語圏では、まだ素読の文化がのこっており、
素読英語題材では、シェークスピアのシーザーの演説などを
読み上げさせるのでしょう。
(シーザーは、演説が非常にうまい。)

しかし、これを日本の現在でおこなっていては、誰も金を出してやりたくない。
(試験の成績があがるわけではない)
 

【12674】
化けの皮  投稿者:Jackie  投稿日:2008年10月 1日(水)16時20分38秒    編集済
  アメリカの金融工学、実は金融詐欺だったと
やっと認知されるようになってきた。

やっとこさ・・。

日本の英会話幻想も、はがれてきている。

大枚をはたく大人の英会話、英会話学校は、
「いざなぎを超える大景気という不景気」になって影を潜めはじめ。

アメリカという国へ「憧れ」の幻想もなくなってきた。

それで、かわりにはびこる子供英会話幻想。

国民を大切にしない国の国力は落ちる。

そんな国の未来には言葉の植民地が待っている。

英語力、中国語力が、必要な時代になってくるのか。

やだなあ。
 

【12675】
意味と訳  投稿者:パクパク  投稿日:2008年10月 1日(水)19時33分59秒
  素読のわかりやすい解説ありがとうございました。
また、意味と訳の違いの考察も大変参考になりました。
 

【12676】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年10月 2日(木)04時36分28秒
  木曜日プリントアウトして持っていきますね。  

【12677】
matsu さん、らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 3日(金)21時55分51秒    編集済
   息子さんたちに、来年の新学期に、私が新しく作った教材でレッスンしたいという話をし てありましたが、教材が整ってきましたので、今の時点で切り替えたいと考えています。
 私の教材は、中学の教科書そのままの文が出てくるのではないので、学校の授業では、お子さんたちは、「ああ、レッスンのあれと同じもの(文法)だな」と いうような応用をすることになります。応用力がつくと思います。
  matsu さんのお子さんの場合で考えると、レッスン開始時に、学校の授業が扱っているところから始めたのですが、どうしても学校の方が進度が速く、私のレッスンが 後から追いかけている状態になっています。レッスンでの英文の扱い方はかなりていねいにやっていますので、今後、私のレッスンが学校よりも先のところをや るということにはならないだろうと思っています。らくださんのお子さんの場合も、このまま継続していった場合は、いずれ、私のレッスンが学校の後を追いか けるという形になるだろうと思います。
 新しい教材は、中学の文法の全体を先にざっとやってしまうという作り方をしてあります。この教材でレッスンした場合は、学校と前後することはしばらくあ りますが、大事なポイントだけざっとやってしまった後では、先ほど言ったように、お子さんが、「ああ、これはあれだな」と自分で応用できるようになると思 います。
 また、多分どこの中学でも同じだと思いますが、3年生になると、テスト問題が教科書べったりではなくなります。こういうタイプのテストには、教科書べっ たりのレッスンよりも、日常的に生徒に応用を要求している素読舎の自作教材の方が向いています。

 小学3年生くらいから使える教材を作りたいという考えと、4年ごとに教科書が変わってしまうという問題にわずらわされないで済むという考えがあって、自 分で新たに教材を作ってきたわけですが、今の時点で切り替えさせていただけたらと願っています。

 教材はCDRに焼いてお送りする予定です。
 最後の詰めの部分を作っており、まだ完成したわけではありませんので、いずれ完成しましたら、全体を再度お送りします。

 レッスンの30分を5分、15分、10分に分割します。
 最初の5分をこれまでやってきた教科書の範囲の復習にあてます。この復習では、日本語を扱わず、私が1回言った文を生徒が5回繰り返したら、すぐ次の文 に移ります。わずか5分ですが、結構進むと思います。
 次の15分を、私の自作教材の最初の方から使用します。中学1年の最初から扱うことになります。
 次の10分で、今学校がやっている文法事項を含むあたりから先をやります。これで、先にざっと中学全範囲を片付けて、だんだん肉付けしていくということ をねらいます。

 またご兄弟がいる場合、電話機をスピーカーフォン(てぶらフォン)に変えていただけば、弟さんあるいは妹さんも一緒にレッスンができます。弟さんや妹さ んは、5分、15分、10分に分割した15分のところに参加していただきます。小学3年生以上なら一緒にできますのでご検討下さい。レッスン代金は二人で 使ってもらっても変わりません。

 できたら、お子さんがコンピュータ画面を見ながら、レッスンを受けるのを許可していただけたらと願っています。コンピュータを使った場合、「検索」機能 だけ使えるようになれば、教材の中を自由に動き回れる利点があります。他のことはしていただく必要はありませんが、「検索」機能は非常に役に立ちますの で、できたら画面でテキストを見ながらレッスンを受けてもらえたらと願っています。

 急いで書いたものですので、漏れがあるかと思います。不明の点は、掲示板上でお問い合わせ下さい。(掲示板は毎日見ておりますが、メールはたまにチェッ クするだけになっていますので。)

 よろしくお願い致します。
 

【12678】
音の大切さ  投稿者:福岡Mです  投稿日:2008年10月 3日(金)22時47分14秒
  根石さんお久しぶりです。最近ひと段落しましたので、ホームページをのぞいてみました。 からっぽの意味、と当事者性の意味 について今いろいろと考えています。音の大切さにであってから、私の英語は格段に変わりました。今まで、点だったものが、立体にかわるというか、、、、語 彙が貧困でうまく表現できないのですが、、、でもまだ、抑揚に関してはつかめていません。根石さんに「何かの音声のコピーのような印象」と指摘をうけたの ですが、そこからの脱却が今のところの目標です。そして、根石さんのように音を大事にした指導をしていきたいと考えています。まだまだ未熟ですが、努力あ るのみです。根石さんもお忙しいと思いますがどうぞご自愛なさってください。  

【12679】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年10月 3日(金)23時34分20秒
  本日もレッスンありがとうございました。

金曜の夜は、帰宅時に「レッスンどうだった?」と聞くのが息子への挨拶がわりになっています。中1のガキンチョの返事はご多分にもれず「普通。。」なの で、最近は「普通ってこたえんじゃねーぞ」と釘を刺してから聞くようになりました。

2週間ほど前に、復習がうまくいかず、書く練習をするようにアドバイスを受けたとのこと。夏休みには結構宿題が出ていたようで、部活+宿題でお腹 いっぱいといった風情でした。自主練習を全くサボっていましたが、後半には怪我の事もあって気が乗らないようでしたので、放っておきました。夏休み明けに 期末試験があり、それも終わりましたので、教科書の単語のおさらいを再開しています。

今日は復習のところはうまくいった、と言っていましたが、まあ話半分に聞いておく事にします。

ちょうど「来年からは新しい教材になると思うよ」「うん、そうみたいだね」「教材が変わっても、教科書は教科書で中3までちゃんとやれよ、せっかく練習の しかた教わったんだから」などと話していたところです。

新しい教材、楽しみです。教科書だけよりも勉強にぐんと厚みが増すのではないかと期待しています。

コンピュータ使用、考えてみます。自由にさせておくと、勝手に立ち上げて、ずーっとYouTubeで音楽とお笑い三昧になりますので、先日、起動時のパス ワードをかけて撃退してやったばかりです。

これでまた「根石先生の練習だよ」などといいかげんな事をいいながら、お笑いネタを仕込むのだろうと思います。
 

【12680】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 4日(土)01時50分28秒
  息子さんとの楽しいやりとりが目に浮かぶようです。
CDRに教材を焼いて明日お送りしようと思ったら、CDRがないのに気づきました。
明日買ってきて、焼きますのでよろしくお願いします。
 

【12681】
福岡Mさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 4日(土)02時23分38秒    編集済
   お久しぶりですね。
 「からっぽ」には二種類あり、ひとまず「からっぽ」でいい「意味・文法」と、日本で机上で練習するかぎり、どこまで行っても「からっぽ」のままでいい 「当事者性」とがあります。
 意味・文法は「ひとまず」からっぽのまま「音づくり」をやってもいいが、いずれは音と合体させなければいけないものです。この合体は語学の地平でできま す。
  当事者性というものが「からっぽ」であることは、語学の本質であり、語学をやる限り、本質に逆らってもしょうがないと思います。「当事者性」は、語学の外 側で、「磁場」で備わる(強制される)ものだと考えています。ですから、語学は「磁場」に渡れるだけの準備を整えることができれば、すべての義理は果たせ ているわけだと思います。「磁場」で(だけ)備わるものを、語学で備えようとするのは迷妄だと思っています。これまで、私が出会った(いわゆる)「ぺらぺ ら信仰」の信者の方々には、例外なくこの認識が欠けていました。

「何かの音声のコピーのような印象」というようなことを言った記憶は確かにあります。つまり、あんまり一生懸命に複製音声をそっくりコピーしようとしない 方がいいんだという考えが私にあるから言ったことだと思います。
どの人のしゃべりにも個に閉じられた癖があります。あんまり一生懸命そっくりコピーしようとすると、個人の癖までコピーしてしまうだろうと思います。夫婦 は似てくるという具合に、似るのは自然ですが、複製音声に自分の音を似せるのは、私にはいつまでたっても抵抗があって、複製音声はいつも消極的に使ってい ます。積極的に使おうという気がありません。
 音のベースは、自分の声での読み込みで作ればいいと考えています。ベースを作っておいてから、複製音声を聞けば、感覚でその隙間が了解できます。百姓仕 事などやっているときに、なぜだか不意に口をついて「真似」が出てきて、隙間が埋まるっていうようなことがあり、調子っぱずれに歌っていた歌が、急に音程 がまともになるみたいな感じの時があります。真っ正直に真似=コピーをやる気にはどうしてもなれなくて、調子っぱずれや音程のずれを経た後に、コピーが 放っておいても成立した、っていう事情が好きなのです。
 これは二度手間ですが、こと、声に関しては、感情や思考の質と直結してしまう領域なので、「真似」や「コピー」には二度手間で臨むのだと決めています。

 これは、ネイティヴの音声は、素直に真似=コピーすべきものではなく、自分なりの自分の癖でベースを作ってから、「媒介」にすべきものだと考えているか らでしょうか。お手本として仰ぎ見るものではなく、あくまでも「媒介」にすべきブツだと考えています。

 「音」を大事にする授業を継続していただくことを切に願っております。
 福岡Mさんの場合は、私はレッスンしていて、あまりにも直すところが少なくて困った覚えがあります。スカイプを導入されて、私がスカイプで初心者にレッ スンするのを参観していただけば、ああ、こうやって音を直すのかと得心していただけるところがあるのではないかと思います。
 ちょっと忘れてしまったのですが、Mさんは、中学ではなく高校の先生だったのでしたっけ? 音に関しては、私がMさんにレッスンできることはもうほとん どないので、音をどう(授業で)扱うかを学んでいただく方がいいと思います。
 スカイプ導入をどうぞご検討下さい。
 参加(参観)していただくのは、Mさんにレッスンするわけではありませんから、お金はいただきません。間接的にでも結構ですので、素読舎を応援していた だければと思います。
 

【12682】
らくださん、言い忘れました  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 4日(土)02時42分40秒
  息子さんに中古のパソコンを買ってあげるのはどうでしょうか。
ワープロかエディタが動きさえすればいいので、ネットにつなげる必要はありません。
ウインドウズ95とか98が動く程度の古いパソコンが最適だと思います。
マッ クでしたら、うちに、ええと何て名前でしたっけか、I−Mac でしたっけか、どこかに放り込んであると思います。これをさしあげてもいいです。娘が使っていたもので、ハードディスクに書いてあるものをきれいに消去す るにはどうしたらいいのか、私は Mac を使ったことがないので、娘に聞いてみます。娘がわからないようでしたら、思い切ってダサいウインドウズ・パソコンもお薦めです。多分、パソコン一台、1 万円台で買えると思います。
 

【12683】
福岡Mさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月 4日(土)02時51分12秒
  言い忘れました。
私の「音」という語には、抑揚も含まれています。
 

【12684】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年10月 4日(土)08時20分24秒
  パソコンの件、ご配慮ありがとうございます。

古いパソコンは我が家にも1台ありますので、それを使うことも考えたいと思います。
ただ、レッスン中にパソコンで教材を見ながら進めるという事ですね。ちょうど電話の隣に現役パソコンが置いてあるので、その方が良いのかもしれません。
 

【12685】
根石さん  投稿者:matsu  投稿日:2008年10月 4日(土)08時41分5秒
  了解しました。
できれば、今のところは、本人の復習等の使い勝手も含めて、
プリントアウトした教材を使わせていただけたらとは思います。

おかげさまで、学校の定期試験の方でも結果が出てきたようで、
何より本人の励みになっています。
 

【12686】
応援します  投稿者:ヒグマ  投稿日:2008年10月 4日(土)19時28分47秒
  根石さん、頑張ってください。  

【12687】
ありがとうございます  投稿者:福岡Mです  投稿日:2008年10月 4日(土)21時00分18秒
  さっそく検討します。ありがとうございます。もう少し、磁場と当事者性について自分なり に考えてみます。  

【12688】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年10月 8日(水)22時39分50秒
  新しい教材が届きました。ありがとうございます。

今週のレッスンでは、まだ使用しないと考えてよろしいでしょうか。
 

【12689】
根石さん  投稿者:ノンノン母  投稿日:2008年10月 9日(木)00時56分51秒
  根石さん 本日、テキストCDが届きました。
これからのレッスンがとても楽しみになる内容です。
感動しました。ありがとうございます。
 

【12690】
根石さん  投稿者:matsu  投稿日:2008年10月10日(金)07時22分48秒
  教材いただきました。
ありがとうございます。
とりあえず今日のレッスンはパソコンで対応できるよう
準備させておきます。
 

【12691】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月10日(金)23時40分47秒    編集済
  パソコンの準備ありがとうございました。
息子さんに、今日のレッスンの終わったところに☆印を記入してもらってあります。
また、次回から始めるところ(今、学校が扱っている文法事項の記述があるところ)にも☆印を記入してもらってあります。(枠番号で言うと、21と238で す。)
一週間の間にワード(かメモ帳)の検索機能で、英単語、文法用語、☆印などを検索語に与えて検索する練習をしておいてもらうように息子さんに伝えてありま すので、手伝っていただけると有り難く思います。
特に☆印を検索することは毎回ありますので、よろしくお願いします。
☆印はレッスンの始めに消し、レッスンが終わったところに記入しておいてもらうようにします。こうしておけば、レッスンを始める場所を簡単に探せますの で、普段は教材の中を検索機能で動き回ることができます。
一回のレッスンで扱う場所が二箇所ありますので、プリントアウトしたものを使っていると混ざってしまい、前後がわかりにくくなると思います。できることな らパソコンの画面で使っていただくのが有り難いです。

 息子さんのテストの点が伸びたようでうれしいです。テストの点のためのレッスンではなく、学校以後に生き残れる英語力を作るレッスンですが、テストの点 が子供の心理に及ぼすものはあり、点が伸びるとやる気が出たりするものですので、私は軽視しておりません。
 そろそろ伸びてくるんじゃないかなと思っていたところでした。
 学校のテストの平均点が落ちているときに、息子さんの点が伸びたのであれば、間違いなく実力がついてきていると思います。平均点の動きと照らし合わせて いただけたらと思っています。
 

【12692】
ノンノン母さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月10日(金)23時55分32秒    編集済
  matsu さん宛ての記事にありますように、娘さんにワードかメモ帳の検索機能に少し慣れておいてもらえたらと思っています。
私 の仕事は、レッスンをする以外に、教材を作ることです。教材がきちんとしていなければ、「電話でレッスン」も「スカイプでレッスン」も成り立ちません。娘 さんにお送りした教材は2万行ほどのものですが、ご夫婦で使っていただいている教材は10万行を越えています。このあたりからかなり高度な英語を扱ってい きます。
娘さんにお送りした教材を読んでいただけたようでうれしく思っています。
今度の小学生向けの教材は、いきなりわかるということが起こるようで、塾で使用していても子供が練習を嫌がりません。ようやくいい教材を作れるようになっ たのではないかと手前味噌で思っています。
 

【12693】
らくださん  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月11日(土)00時21分9秒
   息子さんのレッスン当日までにお返事が書けなくて申し訳ありません。
 むちゃくちゃいろんな雑用があり、その上、気の滅入るようなことがあり、毎日読むべき掲示板を読めずにおりました。お許し下さい。
 今日、息子さんのレッスンで、まだパソコンは使えないものとばかり思いこんでいて、いつも通り教科書を使ったレッスンをしてしまいました。レッスンが終 わった時に、息子さんと話していて、パソコンの画面に教材が表示されていたと知りました。手違い申し訳ありません。

 次回のレッスンですが、5分を教科書の文の復習に使います。技法グラウンド(コーチの読み1回、生徒の読み5回以上)で扱います。訳は扱いません。わず か5分ですが、一番シンプルな技法グラウンドで扱いますので、学校の2週間分程度は扱えます。実質は備わると思います。

 次の15分を、お送りした教材の最初の部分を扱います。matsu さんに書いた通り、☆印を記入したり、☆印を検索したりするだけの練習で結構ですから、ワードかメモ帳でやっておいていただけるとありがたく存じます。 あっと、らくださんちはMacでしたね。Macのワープロソフトのことがわからないのですが、要するに検索機能を少し練習しておいていただくことと、ひと まずは漢字変換で「☆印」が打ち込めるようにしておいていただけば大丈夫です。
 次の10分で、今学校が扱っている文法事項のあたりを扱います。この部分を扱うにも☆印でレッスン終了箇所(次回開始場所)がわかるようにします。
 今日のレッスンの時は、次の枠のレッスンが迫っており、☆印を息子さんに二箇所に入れてもらうことができませんでしたので、次回のレッスンで扱う場所を 以下に書きます。

19行目あたり(枠番号1の数字の近く、英文では、This is Japan. の近く)に☆印を記入しておいて下さい。
2099行目あたり(枠番号146の近く、英文では、You play the piano. の近く)に☆印を記入しておいて下さい。

以上です。よろしくお願いします。
不明の点は、この掲示板にお問い合わせをお願いします。
 

【12694】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月11日(土)01時02分1秒
  「素読舎新聞」の作業を継続してもらうようお願いします。  

【12695】
ジャンプ、始めました  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月11日(土)01時08分32秒    編集済
  7回連続でレッスンを受けていただいた生徒さんは「ジャンプ」していただきます。
教材の1万行までの生徒さんでしたら、500行程度。
1万行を越えている生徒さんの場合は、1000行程度。

ただし。
教材をパソコンのワープロソフトで表示し、検索機能が使える生徒さんに限ります。
「ジャンプ」した後で、トバシタところを自習していただく必要があるからです。

すでに、I村さん、神奈川Tさんにはそうお伝えし、連続受講の回数を数え始めています。
 

【12696】
根石さん  投稿者:らくだ  投稿日:2008年10月11日(土)09時35分25秒
  ☆印の件、了解いたしました。

新しい教材を使う事になっても問題無いように、パソコン上の教材ファイルを立ち上げてスタンバイさせたのですが、「プリントアウトした?」と聞か れて「いいえ」とだけお答えたしたようで。まったく、相手の意図するところが掴まえられない鈍さ加減に、家内があきれ返っていました。

次のレッスンまでに使い方を仕込んでおきます。
 

【12697】
根石さん  投稿者:ノンノン母  投稿日:2008年10月11日(土)21時09分49秒
  本日のレッスンですが、いつものスカイプ名ではなくて、もう一つのパソコンのスカイプ名
で呼び出しをお願いしたいです。
 

【12698】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月14日(火)00時01分48秒
  体調が悪いので、須坂高校学年トップの記事、明日以降にさせて下さい。  

【12699】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2008年10月14日(火)15時04分4秒    編集済
  「素読舎新聞」用の記事を投稿します。署名入りで書いたので、そのまま使ってもらって結 構です。村田君の書いた記事の最後には、それぞれ(村田晴彦)の署名を入れてもらうのがいいと思います。
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須坂高校学年トップ

 村田君に学年トップの記事を書いてくれと頼んでから、そういえば、「電話でレッスン」の生徒にも学年トップがあったなと思い出しました。
  今須坂高校3年生のKさんは、小学5年で素読舎を使い始め、高校生になってから二度学年トップになっています。「最近は学年トップはないのかな」と先日、 「電話でレッスン」のときにたずねたところ、最近のテストでは学年2番だったとのことでした。最初の学年トップは2006年、高校入学後すぐに行われたテ ストでした。二度目の学年トップは、去年の4月、進研模試(ベネッセ)の全国模試で、須坂高校2年生の学年トップになりました。その後は部活のスポーツの 大会などで県外に出かけたりして忙しく、現在は学年2番になっているということです。
 Kさんは二つ年上のお姉さんが素読舎を使って成績が伸びたことから、私のレッスンを受けてくれるようになりました。お姉さんは、中学の頃よく学年トップ になり、今は信州大学教育学部の一年生で松本にいます。英語が抜群にできます。信州大学在学中に、アメリカに留学を予定しています。大学生になってから も、松本から「スカイプでレッスン」で私のレッスンを継続してくれています。
 お姉さんが小学生の頃は、信州中野から毎週小島の素読舎まで通ってもらったのですが、Kさんが中学生になる頃、お母さんが人を集めてくださって、数人の 子供たちの英語を見るために、私のほうから週に一度、中野まで出かけていた期間がありました。村の神社に付属する建物の一室を借りて、3年ほど通いまし た。その後、私が「電話でレッスン」を始めたので、「電話でレッスン」に移ってもらうようにお願いして、中野まで通うことはやめました。それから6,7年 ほどたちます。その頃の生徒さんとその後の生徒さんとで合計5人の生徒さんが「電話でレッスン」や「スカイプでレッスン」を受けてくれました。今でも3人 が「電話でレッスン」か「スカイプのレッスン」の生徒としてレッスンを続けています。(根石吉久)
 

【12700】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2008年10月15日(水)00時04分54秒
  御苦労さまです。
ちょっと時間かかりそうなので、木曜日に版下持っていきます。