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小学生に英語?
Freeze, then unfreeze.
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小学生英語に関する、文部科学省の考えはひっくり返っている。
それを父親も母親も知らずにいる。あるいは批判できずにいる。
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日常会話ができればいい? 文法はやらなくていい? 馬鹿な!
日常会話ほど難しいものはない。アメリカで歯医者に行って、どう痛むんですかと聞かれて、「しくしく痛む」んですと言うときに、この「しくしく」を英語
で何と言うのか。何と言おうと、しょせん近似値しか言えはしない。近似値が言えればそれでいいのだが、どの近似値ならよくて、どんな近似値なら駄目なのか
という見極めがいまだ日本という国では成立していない。しくしく痛むその痛みは、それをその通りに言うためには、どんな英語をもってきても言えない。「し
くしく」と日本語で言うしかなく、しくしくは絶対的にしくしくでしかない。英語でどんな言い方をしても、しくしくはしくしくではなくなってしまう。どんな
言語のどんな一語にも絶対性があり、その間を結ぶのはイメージだけだ。こういう単純なことがわからないまま、母親たちは子供に幼児英語なんぞをやらせよう
とするのだ。それこそが馬鹿みたいな風景だ。
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日常会話ほど難しいものはない。
文部科学省の言う、「日常会話ができればいい」、「文法はやらなくていい」という理屈から生じるものは、決まり文句であいさつができる以上のことではな
い。嘘だと思うなら、現在の計画どおり、学校でやってみるがいい。決まり文句であいさつができる範囲から出て、英語でものを考え、英語でものを言う人間が
出来るなら、この理論をひっこめてもいいが、まず10年もやれば、また国家によって日本人がだまされたことが証明されるだろう。そしてそれが証明された時
は、日本は今よりもまた一段と狂っているだろう。弱体化しているだろう。子供を駄目にしてしまい、その子供が大きくなって、問題をまき散らすだろう。
日常会話? 文法軽視? だったら、日本国家の甘い汁を吸っている政治屋ども、学者どもが作りたいものが、戦後すぐに進駐軍の兵隊からチューインガムを
もらいたくて Hello
と言っていた当時の子供とどこが違うのか。当時のそういう子供は、戦後民主主義者になったりしたが、しょせんチューインガムが欲しくて、決まり文句を言っ
て、アメリカ兵に近づいていっただけだ。決まり文句であいさつができる程度の子供をわざわざ作りたいのか。この日本というパンパン国家は。
日本で日本語を使って生きている小学生が持つべき英語は、冷凍ものの英語だけだ。冷凍もの以外の英語、「生き生きだの」「生きている英語」だの、それが
どれほど危険なものか、父親も母親も知らないままだ。自分が英語をものにしなかったからといって、自分が英語を錆び付かせたからといって、考えまでだらし
ないものにして何が楽しいか。
幼児英会話などやらせたり、小学生英語に冷凍もの以外を求めたりする者たちは、言語「磁場」の磁力というものをなめているのである。英語ネイティヴの元
に週一回一時間通わせることで「ペラペラ」になる? 文法はやらなくていい? 日常会話ができればいい? 馬鹿な。幼児英会話や小学生英語というイデオロ
ギーの周りにむらがる者たちは、日本には日本語の磁場という強力な磁場があるのだということがわかっていないのである。日本語磁場にいては絶対に生じるは
ずのないことが生じると妄想しているだけのことである。磁場でなければ生じないことがあるということがわからないのだ。
幼児英会話などの流行の元にあるのはグローバル化という(またしても)アメリカ産のイデオロギーである。そんなイデオロギーに無批判に参加してしまう母
親たちは、自分で自分の子供に何をやらせているのかが自覚できないのである。当然、方法自体を長い時間をかけて自前で作ってきた素読舎の「冷凍もの」とい
う考えは理解できない。愚かしい。
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日本で日本語で生きている小学生が持つべき英語
文まるごとを体に蓄積していくこと自体は、「冷凍もの」を作っていくだけだから、小学生の子供に何の害もない。あるとしても、九九を覚えることと同じく
らいの害しかない。私は今、原理的にものを言っているんだが、小さい頃から英語に触れていれば、自然に英語が身に付くみたいな「磁場」を無視した考えよ
り、「冷凍もの」という考えのほうがよっぽど確かな考えなのだ。それがわからなかったら、さっさとこのビラを破り捨ててもらって、やみくもに先に突っ込ん
でいくがいい。どんな馬鹿をみようが、全部自分のせいだということだけは忘れないでやってもらうに限る。
文まるごとを体に蓄積していくということは、昔から、受験英語で「例文暗記」と言われてきたことと実質は同じだ。素読舎の方法が受験生のご苦労な「例文
暗記」と違うのは、受験英語ではいやでも無理にでも「暗記」するということが行われるのに対して、素読舎のレッスンでは、覚えようと思ったわけではないの
にいつのまにか覚えてしまっているということが成り立つという点にある。それが素読という方法の功徳なのだ。この方法は絶対に国家に使わせてはならない
が、自分で自分を鍛えるためになら、個人や家族の間でなら使ってもいいものだ。害のない効果がもたらされる。
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日本で作られる英語が冷凍ものなら、それはいつ解凍されるのか?
解凍はいわゆる英語圏で。
がちがちの氷と水との中間のシャーベット状の英語までなら日本にいて日本語を使って暮らしていても作れないことはない。しかし、解凍は英語圏でやるのが
いい。そこには英語で暮らす自分の生活があるからだ。生活では、がちがちの英語やシャーベット状の英語だけであるより、水のように流れるものをもっていた
方が都合がいいからにすぎない。
日本にいて日本語で暮らしていくのなら、がちがちの氷でいいし、シャーベット状で流れない英語(ごつごつした英語)でいい。それであたりまえであり、そ
れで普通なのだということをもう日本人は認識すべきなのだ。それを認識できている父親も母親もあまりにも少ない。率先してひっくり返っている文部科学省の
ひっくりかえりをなぞって「ぺらぺら」などを信仰している父親や母親は、自分で自分の子供に何をしているのかさえ自覚できない。
解凍は英語圏で。昔とくらべれば、それははるかに容易に実現可能なのだから、それでいいではないか。日本で日本語で暮らしているのに、「ぺらぺら」なん
かやろうとしたり、「ぺらぺら」なんかを子供にやらせようとすることで、考えが文部科学省同様に、ひっくり返ってしまう。なんというていたらくか。これは
恥ずかしいことなのだ。
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冷凍ものとさえ言えない英語
学校英語は音を軽視しつづけてきた。現場の英語教師のほとんどが「音づくり」ができない。大学の教員養成課程の英語「音声学」なんかは、ほとんど全部が
アメリカからの輸入物でしかない。日本語で育った日本人の口の動きを元にした、自前の「音声学」を持っている大学教師がいたら是非手をあげてもらいたいも
んだ。私が見渡したかぎりでは、今のところ、一人だっていやしねえのだ。
現場の教師たちは、日本の大学の教員養成課程の犠牲者たちなのだから、あんまり責める気はない。音の軽視は語学に対する犯罪だが、大学教師や文部科学省
の役人たちが真犯人なのだ。
音を軽視したら、「冷凍もの」の英語は作れない。いや、音を軽視して作った「冷凍もの」は解凍できなくなってしまうのだ。
別の場面で考えてみればいい。
NOVAその他の英会話学校の教師をやっている英語ネイティヴ(外人)は自分がネイティヴ音が出せるだけで、日本語で作られた日本人の口をどう動かせば
英語の音になるかに関する知識は何も持っていない。その程度の英会話学校教師なら、商売柄何人も知っている。肝心な知識を持っている者に出会ったことは一
度もない。
英語ネイティヴのいる英会話学校も、「音づくり」ができないという点で、学校英語と何の変わりもない。戦後の時空において、学校英語と英会話学校は、日
本人の英語を駄目にしてきた車の両輪なのだ。
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英語機関はほぼ100パーセントがにせもの
にせものの代表は学校であり、英会話学校だが、それ以外でもにせものがほとんどなのだ。にせものとほんものをどこで見分けるのか。解凍さえすればすぐに
使える「冷凍もの」を作る方法を持っているかどうかだ。語学論として書けているかどうかだ。それを持っていないすべての英語機関はにせものだ。単純にそう
考えて間違うことはない。
今の学校なんかに小学生の英語をいじらせたら、これまでの英会話学校が繰り広げてきたていたらくの再現があるだけだ。現に、現場の小学校教師たちが困り
果てているではないか。教師としての良心があれば、小学生を相手に語学としてでたらめなことはやりたくないと思うのが当然である。
英会話学校に金を払って、英会話学校にまかせ、そのやり口を学校に導入してしまっている小学校もあるという記事をインターネットで読んだ。英会話学校が
役たたずだというのはすでに証明されている。英会話学校に通って英語をしゃべるようになった人なんか会ったことがない。なぜ父兄たちは、この学校の校長を
つるしあげないのか。わけがわからない。
こんな馬鹿みたいな事態に対抗するためには、もっと素読舎に注目してもらう以外にない。
インターネットで「語学論」で検索してみてほしい。まともに「語学論」をやっているのは、日本では素読舎だけだということがおわかりになるだろう。
ごらんの通り、書くものに衣着せぬ流儀で生きてきたため、現在素読舎は閑古鳥が鳴いている。なかなか美しい声だと思って、閑古鳥の声を聞いている日々
だ。閑古鳥が鳴きやんで、どんな鳥の声も聞こえなくなっても、素読舎塾長は、今まで通り歯に衣着せぬことでやっていく。素読舎ひとつなんか、いつつぶれて
たっていいのだ。日本人の奴隷根性、文化的植民地根性がどうにも気に入らないだけだ。これらの根性は、戦後の日本国家を動かしてきた者どもの根性でもある
のだが、なんで俺たちがそんなものをなぞる必要があるのか。方法を持たないままに小学生に英語を導入する? わけがわからないのだ。わけがわからないか
ら、こうして金にならず、金を損するだけのビラなどを書いているのだ。
お馬鹿さんたちは素読舎以外を使ってくれ。英語にどれほどの金を使って、どれほど空しい結果を得ても、私に文句はない。 |
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