【12101】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)00時29分37秒
  >自分で質問してお いて恐縮ですが、質問を取り下げさせていただきたいと思います。既に ご回答を用意されていらっしゃいましたら申し訳ありません。

 回答は用意してありませんが、これを機会に新たに考えてみようと思っていました。ですので、らくださんだけに向けてでなく、この掲示板を読んでくださっ ている皆さんに向けて、新しく書かせてください。
 

【12102】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)00時35分41秒
  >私は少しずつです が過去ログを読んでいます。既にこの場では議論が尽くされた事をほじ くり返している感もあります。

 過去ログをお読みいただきありがたく思っています。
 議論が尽くされたことでも、いまだ娑婆には定式としては何も形成されておりませんので、蒸し返すことはやっていいのだと思います。
 

【12103】
聞いてみようさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)00時50分14秒
  >・単純な高速計算 の反復は有害である
・文章題を使って考える習慣をつけるのが良い

 単純な高速計算の反復は、やりすぎたら有害です。(マスターベーションと同じです。)
 その私の考えは、聞いてみようさんの考えと同じです。
 だからといって、文章題だぞ、という糸山の考えには同意しません。
 文章題というからには、「文章」というものが存在します。
 「文章」は言葉で書かれます。
 言葉がなくても、イメージだけで考えられるという糸山の考えには同意できるのですが、それは、言葉を読み取れた後(理路が成立した後)のことだけを語っ ているにすぎません。
 イメージだけで考える(絵図だけで考える)ということの前に(それが文章題だったら)、文章を読み取るということがなければ何も始まりはしないのだとい うことです。
 その文章を読み取る力を文章題を読むことで養えるというのが、糸山の手前勝手な理屈です。
 文章を読み取るのが苦にならないという子供もいれば、文章を読み取ることを嫌だと思う子供もいます。文章を読み取ることが嫌な子供にとっては、糸山作成 の「良質な」文章題を読み取ることも嫌なのです。
 すでに、嫌なわけです。
 「嫌だ」が成立してしまっているわけです。
 それを、糸山は、「良質な文章題」を解こうとして、文章を読めば、文章を読む力がつくというふうに詐欺をほざくのです。
 すでに、詐欺なわけです。
 「詐欺」が成立してしまっているわけです。

 文章を読むのを嫌がる子供に対して有効なのは、「(とことん悪質・無味乾燥で)良質な文章題」なんかではなく、機械的な「素読」なのだというのが、私の 言い分です。
 

【12104】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)01時16分24秒
  >・単純な計算の反 復は本当に有害か

 やりすぎれば有害です。

>・それを高速でさせること(ストップウォッチでタイムを計ること)は有害か

 非常に有害だと思います。奴隷作成の方法に他なりません。


>「できる」から「わかる」へ
    vs
「わかる」から「できる」へ

あるいは

「読み書きそろばん」
   vs
「考える力」

 これは、西の方角から登っても東の方角から登っても、同じ山の頂上に着くというようなことだろうと思います。
 どっちが先でも構わないと思います。
 前回は東から登ったが、今度は西から登ってみるかなんてことができるのが最高だと思います。
 どっちが先であってもいいが、「やりすぎ」はよくないということだろうと思います。東からしか登れないと固定されるのもよくない。西も同様です。
 「わかる」も「できる」も山の頂上に行くための契機にすぎないと思います。「わかる」も「できる」も何のプライオリティにもならない。契機にすぎない。
 人々はここんところをなかなかわかってくれないのですが、「わかる」でさえ契機にすぎないのは、それが「他人によってしつらえられた舞台上での思考にす ぎない」からです。
 山の頂上にあるのは、「わかる」という契機とはまるでちがう、別の「わかる」です。

 人間の思考の半分以上を占めてはならないような性質のものを、ただのべたらに「思考」だと言い、「思考力」だというのは犯罪です。
 糸山はこの犯罪を犯しています。

>素読というのは、上段に属する(と一般的にはみなされる)と思います。また、語学における基礎練習と計算の反復練習が、一見、似ているような感じを持た せます。

 素読というのは、上段に属する方法です。

・算数・数学教科書べらべら読み

 九九と同じように、(学校の)算数・数学では、べらべら読みをすることが有効な部分は大いにあるだろうと思います。私は数学が嫌いで、高校入学と同時に 放り出したのでどの部分か言えませんがお許し下さい。


>・文章題の問題文べらべら読み
は、文を一度読んだら絵図に転換し、あとは絵図で考える、という糸山さんの考え方と対立することになります。

 この「文を一度読んだら」というのが、くさいですね。
 しまりすさんのお子さんでも、「煮詰まった」のであれば、実際は文章は何度も読み返しているはずです。
 「文章題の問題文べらべら読み」は、実に実にむなしい作業ですが、学校の点をとるためだけだったら有効です。大人が仕組んである(文章題の)パターンに 子供が慣れるために有効です。
 実際に私はこれを試してみたことがあります。2ヶ月後くらいのテストで、一挙に数学の点がはねあがった子供がいました。
 しかし、この方法も糸山同様、くさいもんです。
 子供が生きていく力なんぞにはなりはしないだろうと思いました。
 

【12105】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)01時35分55秒
  >今、読み返して、 7年間も本棚の奥に眠らせてしまったことに愕然としている、そんなと ころであります。國弘さんの本と比べて、どこが優れているかという点につきましては、根石さんご自身が過去ログで述べられているかと思います。
それは、「磁場論」の有無ということなります。生活言語と語学とを厳しく峻別することの重要性をここまで明確に述べている本は、他に無いのではないかと思 います。あればどなたかご教示下さい。
この峻別こそが、非常に「役立つ」考え方だと思います。すでに高い英語力をお持ちの方が、日本に暮らしつつ英語力の維持、向上に取り組む場合にはもちろん でしょうが、ある種の英語難民にとって、「生活言語と語学との峻別」は福音と言える考え方です。望むと望まざるとにかかわらず、英語を勉強せざるをえない 膨大な中学・高校生にとっても福音となる「ハズ」です。伝道師がいれば、ですが。生活言語と語学との混同が、どれだけ多くの犠牲者を出してきたかを考えれ ば、福音という言葉は適切な表現だと思っています。

 ありがとうございます。小学館文庫の「どんでん・・」は、ほとんど誰もまともに読んでくれないと思ってきましたが、ようやく一人の読者にめぐりあった思 いです。
 ただ、あれを書いた当時は、「磁場論」としては芽を出す前の種の状態だったと思います。「磁場論」は、記憶が確かならば、この「大風呂敷」という掲示板 で開始しました。
 「福音」となってくれればいいのですが、「磁場論」を福音だと思ってくれない英語学習者がほとんどすべてです。

>しかし同時に、独習書としての限界を合わせ持っていることは否定できないと思います。「回転読み」や「電圧装置」といった方法を伝授してくれているだけ で、充分に実用的な本だと思いますが、「音作り」については、やはり独習は無理ということになりますので。しかし、それは本の限界というより、独習の限界 と言えますので、無い物ねだりをしても仕方ありません。

 一番、わかりやすくてすぐに役にたつのは「電圧装置」かなと思っています。「音づくり」はもちろん、「回転読み」も、なかなかコツは伝えられません。
 もし興味がおありでしたら、私が自作した「イメージ核受肉教材」というやつをお送りしますので、「電圧装置」でやってみられたらどうかと思いました。

>そのあたりも根石さんは過去ログで触れておられます。國弘さんの中学時代の音作りの謎について書かれているところです。非常に読みごたえのある文章でし た。

 書いた覚えはあるのですが、実際にどんな言葉を置いたのかはわからなくなっています。

------>村田君
 國弘さんについて書いたものを集めて、過去ログに独立した部屋を作ってもらえないもんだろうか。
 らくださんのように過去ログについて触れて書かれたものが掲示板に掲載された場合に、「該当記事はこれです」と村田君がすぐに引用できるようにしてもら えないだろうか。
 新しく掲示板を訪れてくれている読者に対して、そうするのが親切だと思うので。
 

【12106】
外野。さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)01時42分16秒
  >書評
『日本人と英語』
斎藤兆史

 お教えいただきありがとうございます。
 古本屋に出回るようなことがありましたら、読んでみようと思いました。
 

【12107】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年11月29日(木)01時55分46秒
  >レッスンの件、ご 連絡ができずにいます。住んでいるマンションの光電話回線が足りなく なっており、増設工事を予定しているとのことで工事日程を確認中です。ラチがあかないようであれば、別の手も考えようと思っています。

 現在はADSLでしょうか。
 ADSLでもIP電話というのは使えるはずです。プロバイダにお問い合わせいただくのがいいと思います。
 ちなみに、ベトナムと日本の間でスカイプを使ってレッスンを受けておられるちえさんは、ADSL回線ですが、非常にクリアに聞こえます。熊谷におられる Kさんという方のマンション型の光通信(なんとかBBと言っていたが名前を忘失)よりも、ベトナムのADSL回線の方がはるかに安定しています。おかしな 話ですが、実際にそうです。

>この本についてまともな感想を語るためには、自分自身が「回転読み」「電圧装置」等を使って語学を深く実践してみなければ難しいと感じています。とんで もない本を読み始めてしまったな、というのが正直なところです。

 本当にあれはとんでもない本かもしれません。というのは、私自身が今あそこに書いてある方法でやることができないのです。体力がなくなり、すぐにへばっ てしまうからです。
 あれはやはり、大学受験期の人たちに向けたものなんだなと思います。元になっている「英語のやっつけ方」という自費出版本が、完全に大学受験生に向けて 書いたものでしたから。
 一番体力の充実している時期の人たち向けですから、おじさんたちは違う方法をみつけるのがいいかもしれません。
 私自身はペーパーバックスの読み方として実験中のものがあります。試しているところですので、定式化できたら掲示板に書こうと思います。
 

【12108】
過去ログ引用   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年11月29日(木)05時28分49秒
  >過去ログについて 触れて書かれたものが掲示板に掲載された場合に、「該当記事はこれで す」と村田君がすぐに引用できるようにしてもらえないだろうか

やや。これは失礼しました。村田さんにそこまでしていただいては申し訳ない。私が引用をしたうえで自分の意見を書くべきでした。

國弘さんの該当箇所については、改めて書きたいと思っていますので、その時に引用いたします。
 

【12109】
素読です   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年11月29日(木)05時40分28秒
  自分なりのまとめを しようと思っていましたが、痒いところを全て根石さんに掻かれて(書 かれて)しまいました。

糸山文章題を止めた時に「これは違うんじゃないか?」と感じつつ、自分では言葉で説明できなかった事を明確に言葉にしていただいた、と思います。

そして、では、どうするのが良いのか、という点についても。

素読ですね。私は根石さんにご説明いただくまで音読との区別がはっきりしませんでしたが、音読ではダメですね。やはり素読です。

とりあえず簡単なまとめです。また、その辺りについてぼちぼち書かせていただきます。
 

【12110】
根石さん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年11月29日(木)05時57分38秒
  光電話の工事は終 わっており、後は電話機に機器を取り付けるだけ、というところまで来て います。たぶん来週早々にケリがつくのではないかと思っていますので、開始日等について具体的なお話をさせていただきたいと思っております。

余談ですが、スカイプも興味があるのですが、我が家のパソコンが古いMacintoshでスカイプのソフトが対応していません。光電話がダメなら、念願の パソコン買い替えか!と思ったのですが、それはまたも先送りになってしまいました。

まあ、長い間良く働いてくれたパソコンなので、もう少し頑張ってもらおうと思っています。
 

【12111】
回転聞き   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年11月29日(木)07時02分48秒
  根石さんに一つ質問 です。

『英語どんでん』を最初に読んだ時に「回転読み」のインパクトが強かった、と書きました。それには理由があります。

20代の頃に韓国語を習う機会がありました。週に1回の教室でのレッスンで、楽しかったのですが全然覚えられません。そこで「10リピートリスニング」と 命名した自作のテープを作りました。当時始まったばかりのNHKハングル講座のダイアローグを録音し、1センテンスずつ10回連続でダビングしたテープを 作って聞いていたのです。ダイアローグを通しで10回聞くよりも、1センテンスずつ連続10回聞いたほうが良く覚えられると感じたからです。これは、ある 程度成功しました。1文まるごと耳に馴染むと言いますか。もう韓国語は忘れましたが、今でも耳に残っているフレーズはいくつかあり、家内が韓国ドラマに夢 中になっている横で、ペラペラっとまねをしてウケを狙ったりしています。

しかし、第三者から見れば、10回ダビングするという労力自体が馬鹿げて見えますし、1文ずつ連続で聞いたほうが覚えやすいなどと言っても、ほとんど相手 にされませんでした。

どういう経路で『英語どんでん』に行き着いたかは記憶に無いのですが、「回転読み」という言葉を聞いて、「もしかして..」と思ったことは覚えています。 そして読んでみて、自分が考えていたこととは違ってはいても、似たようなことをプロの先生が書いていることに、えらく感動したのでした。

『英語どんでん』の中には「回転聞き」は出てきませんが、過去ログを探索していて下記のご発言を見つけました。


>あるいは、イントネーションや発音の「音づくり」をやられるなら、

 「回転読み」→「CDによる回転聞き」→「回転読み」

 をやります。
 これを書いていて、気付いたのは、「CDによる回転聞き」をやるのに、CDは不便だなということです。該当の文の頭出しが面倒です。音声データに切れ目 を入れるための切れ目の個数の制限数が少ないのが、CDというメディアの欠点です。 (【4847】【タイトル】Naima さん【 日時 】02/08/23 3:40 )


今は便利な時代になりました。10回ダビングなどする必要がありません。私の手持ちの音声編集ソフト(フリーソフト)には、「Loop」という機能があ り、音声の波形でセンテンスの切れ目は一目瞭然ですので、その部分を選択してLoop再生させれば、延々と繰り返し再生してくれますので簡単に「回転聞 き」することができます。

「回転読み」をする前に、まずはCDの「回転聞き」で耳ならしをするという方法についてのお考えをお聞かせ願えればと思います。
 

【12112】
根石さん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年11月29日(木)20時58分23秒
  >しかし、吉本だっ て、6畳の部屋にいても、とことん他人が書いたものを読めば、そこか ら世界は見えるというようなことを言っています。狭いところを生ききれるなら、もっとも広いところにつながるということを言っているのかと思います。

>教材づくりなどやっているとき、我が身は「空虚」という祭壇に捧げられた生け贄みたいなもんだなと思うのです。「空虚」とか「無益」とかいう祭壇に自分 を捧げるのでなければ、やってらんねえよと思います。

六畳間にうずくまりながら、イメージを道具として使いこなし、世界の全体に目をこらそうとする行為と、イメージの空虚さに徹底的に身をさらそうとする振舞 いとでは、やはりその方向が逆である気がします。
もっとも、僕にしても、そのどちらからも励まされる、というのが正直なところです。
ただ、自分を含めたたいていの人たちが、目をふせて黙々と生活や労働の空虚さに耐えているという現実から言えば、根石さんの方向の方に、根石さんのいう 「民衆」に通じる何かがより多く含まれているような気がします。
(だから、僕には、根石さんに「労働の思想」がないとは思えません。むしろ労働の思想そのものだと思います。)

あるいは、こんな風に言い換えられるかもしれません。
一人の人間が、自分の自由のきかない現実にぶちあたり、その虚しさや不条理に身をさらしたとき、そのときどんなふうに振舞うのか。
その空虚を、自分の身から引き離して可能な限り遠くへと放擲し、それを認識の力で抹殺しようとしたのが吉本であり、吉本の「共同幻想論」であると。
その空虚を自分の身で抱き取り、自分の身体ごと燃焼させて「浄化」させようとするのが根石さんであり、根石さんの語学論である、と。

一ヶ月ばかりの書き込みで、ようやくこのイメージにたどり着いた、という感じです。期せずして、絵図というものが思考の大切な手がかりであること、しかし やはりそれがキッカケにすぎないことを実証したような気もします。

話は変わりますが、日本の批評の系譜で言うと、根石さんは吉本よりも、柄谷行人と近い場所にいるような気がします。柄谷も、毀誉褒貶の激しい批評家です し、吉本の読者からは嫌悪されることも多いので、根石さんには意外(不本意)かもしれませんが。
 

【12113】
らくださん、matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年12月 1日(土)01時18分34秒
  また、鼻汁ぐじゅぐ じゅ、変な汗出る出るの状態に戻ってしまいました。
熱はありませんが、気力もありません。
多分、ビラ配りをやったのがいけなかっただろうと思いますが、上勝町の町長が講演に来るので、期日のある、銭にならん仕事です。
少しお待ち下さい。
 

【12114】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 2日(日)02時29分10秒
  >六畳間にうずくま りながら、イメージを道具として使いこなし、世界の全体に目をこらそ うとする行為と、イメージの空虚さに徹底的に身をさらそうとする振舞いとでは、やはりその方向が逆である気がします。

 「世界の全体」を見ようとするとき、その「世界」というのが、吉本の場合、ちゃんと具体的なんだと思います。
 方向が逆というか、私の場合、イメージだけが動く空虚な場所にぐずぐずととどまってしまうのだと思います。その場所では、「世界」は、matsu さんが言われる「イメージの空虚さ」の外側にあることになるだろうと思います。

>その空虚を、自分の身から引き離して可能な限り遠くへと放擲し、それを認識の力で抹殺しようとしたのが吉本であり、吉本の「共同幻想論」であると。
その空虚を自分の身で抱き取り、自分の身体ごと燃焼させて「浄化」させようとするのが根石さんであり、根石さんの語学論である、と。

 この辺はちょっとよくわかりません。吉本こそ、「空虚さ」を生きたのだとも思えます。
 私に関して、「空虚」を抱き取るというのは、その通りかもしれません。「浄化」というより、抱き取って抱いたままにしておくだけですが。そうしていると 自分というものが空虚なものだとわかりますが、私はそういう確認をするのが好きだというだけのことかもしれません。

>日本の批評の系譜で言うと、根石さんは吉本よりも、柄谷行人と近い場所にいるような気がします。

 柄谷が語学をよくやった人だということは知っていますが、「畏怖する人間」という本を一冊持っているだけで、柄谷のことはよく知りません。だけど、文学 者というより、学者のレベルでものを言う人間だなというような感触だけは持っています。
 あくまで「こころざしは」ということで言うのですが、こころざしにおいては、私は柄谷のような言葉を書きたくはなく、吉本のような言葉を書きたいので す。
 この「吉本のような」というのにも註が必要で、主に私が吉本を読んできたのは、吉本の「やわらかい」著作です。代表的なのが、対談や座談で、これには尽 きない魅力があります。以前も書きましたが、「共同幻想論」に代表される「固い」言葉に対しての私の反発は強いもので、今でも若い頃に持った反発ははっき り思い出せるものです。おそらく今読んでも、同じ反発を繰り返すと思います。
 ですので、私の「共同幻想論」理解は、「共同幻想論」そのものを読んでのものではなく、「共同幻想論」その他に言及した対談・座談からのものです。間接 的なものです。吉本の信者の皆さんから、これをいけないと言われると、私は困ってしまいます。「共同幻想論」そのものは、まだ一度も読み通すことができて いないのですから。
 

【12115】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 2日(日)02時47分0秒    編集済
  >当時始まったばか りのNHKハングル講座のダイアローグを録音し、1センテンスずつ 10回連続でダビングしたテープを 作って聞いていたのです。ダイアローグを通しで10回聞くよりも、1センテンスずつ連続10回聞いたほうが良く覚えられると感じたからです。これは、ある 程度成功しました。

 根本においては、私の「回転読み」とか「回転書き」と同じものだと思います。

>『英語どんでん』の中には「回転聞き」は出てきませんが、過去ログを探索していて下記のご発言を見つけました。
>>あるいは、イントネーションや発音の「音づくり」をやられるなら、
 「回転読み」→「CDによる回転聞き」→「回転読み」

 らくださんは、「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」の前に、「回転聞き」を置きたいということなのかと考えました。
 私は、それは置いてもいいし置かなくてもいいという考えです。
 「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」をユニットにしてあるのは、「回転聞き」は「回転読み」の媒介項だという考えによります。
 「回転読み」が「回転聞き」を媒介にするんだということです。
 「回転聞き」→「回転読み」→「回転聞き」をユニットにしても、それを繰り返せば、「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」によるループと同じものに なりますので、「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」の前に、「回転聞き」を置いても置かなくてもどちらでもいいということです。
 どっちのユニットにせよ、そのユニットを繰り返すことが肝心です。そうすれば、同じループになります。

「回転聞き」→「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」・・・というループになるということです。

>私の手持ちの音声編集ソフト(フリーソフト)には、「Loop」という機能があり、音声の波形でセンテンスの切れ目は一目瞭然ですので、その部分を選択 してLoop再生させれば、延々と繰り返し再生してくれますので簡単に「回転聞き」することができます

 このフリーソフトの名前を教えていただけませんでしょうか。
 レッスンそのものをネット上に公開する場合、テープレコーダからの音声をファイル化するソフトはみつかったのですが、余計なところを削るというような機 能がそのソフトにありません。「Loop」という機能を持っているソフトなら余計なところを削除する機能もあるんじゃないかと思ったのでした。
 

【12116】
根石さん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月 2日(日)05時14分27秒    編集済
  >吉本こそ、「空虚 さ」を生きたのだとも思えます。

僕の場合、吉本にとっての空虚なるものこそ、共同幻想だったという見方です。「共同幻想! 糞くらえ」と思いながら、それを本来自分(たち)の生の現場とは無関係の、廃絶すべきものと考えて、認識の「固い」言葉でそれをやろうとした、という理解 です。

>「浄化」というより、抱き取って抱いたままにしておくだけですが。そうしていると自分というものが空虚なものだとわかりますが、私はそういう確認をする のが好きだというだけのことかもしれません。

「英語! 糞くらえ」と思いながら、日夜英語と格闘し、語学論を突き詰め、人に語学をすすめる(はた目には不可解な!?)実践の総体を、やや甘い比喩ですが「浄化」 という言葉であらわしました。確認するのが好き、というレベルではないような気がします。

僕は、批評や思想という振舞いの根っこを、あまり難しく考えていません。
ある人間が心底腑に落ちて、言葉や行動の原理とするような納得の形は、たとえ独創的な思想家のものであっても、とてもシンプルなものだろうと思います。
どうしようもなく「糞食らえ!」と感じる何かに対するかかわり方の違い、それを突き放すのか、引き寄せるのか、という方向の違いが吉本と根石さんとの間に あるんじゃないか、ということです。

>「共同幻想論」に代表される「固い」言葉に対しての私の反発は強いもので、今でも若い頃に持った反発ははっきり思い出せるものです。おそらく今読んで も、同じ反発を繰り返すと思います。

がちがちの語学論の掲示板の主宰者で、日夜、硬質の議論を吹きかける根石さんの言葉として、誰も納得しないと思いますが。(冗談です。)
吉本の理論書については、「固い」というより、わざと論理的につながらない書き方をしているとしか思えないので、読み通すことができないのが当然だろうと 思います。ファンには、造語癖とぎくしゃくした論理に一種独特の魅力がある、ということなのでしょうが。

柄谷についての根石さんの感想は、おそらくそうだろうな、と思います。
ただ、少し冷めた見方かもしれませんが、誰が何を読むのかということについては、時代とか世代とかいうものが大きいという気がしています。
ここにきて、吉本本が多く出版されていますが、その書き手も受け手も相変わらず全共闘世代のようです。
その下の僕の世代以下では、むしろ柄谷の影響の方が圧倒的に大きいと思います。僕も、柄谷を一つの基準にして考えてきた時間が長かったような気がします。 90年代以降に世界や言葉と向き合った世代には、またもっと別な人がいるでしょう。
ただ、吉本自身が、言葉についても体験についても、その出会いの個別性を超える努力を自分に課している人だったと思います。

そもそも根石論の切り口が、語学論と吉本の違いというところだったのですが、根石さん自身も、語学論を語るときと、吉本を語るときでは微妙にニュアンスに 違いがでるような気がします。語学論からすれば、大風呂敷を広げて、糞も味噌もなんでも媒介にしてやる、ということになると思いますが。(吉本のように書 きたい、という言葉は、根石さんにしては少し気弱な感じがします。)
 

【12117】
音声編集ソフト   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 2日(日)07時59分22秒
  とりあえず、音声編 集ソフトについてです。

YAMAHAが提供しているもので、ダウンロードページは下記です。

http://www.yamaha.co.jp/product/syndtm/dl/utility/twe/index.html

私はWindows版を試したことが無いのですが、音声の切ったり貼ったりは簡単にできます。他にも良いソフトがあるかと思いますが(特に製品版で高機能 のものもあります)、複雑な処理でなければ充分だと思います。
 

【12118】
独学における音の問題   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 2日(日)09時26分57秒
  >「回転聞き」は 「回転読み」の媒介項だという考え

良くわかりました。肝はあくまで読みにあるわけですね。物覚えの悪さを克服するための窮余の策とはやはり似て非なるものでした。

>らくださんは、「回転読み」→「回転聞き」→「回転読み」の前に、「回転聞き」を置きたいということなのかと考えました

むしろ「回転読み」以前の問題で引っ掛かっていると言えます。つまり、媒介項ということで言えば、CDの音声を媒介とすること自体の可能性と限界、という 事になります。

「素読」の定義として、コーチと学習者の1対1の関係、というのがあり、この関係を持つことの重要性は強調してもしすぎることはないのだと思います。英語 を始めるなら素読舎の電話レッスンを受けるに限る。あー、私も受けたい素読舎のレッスン。しかし、枠は息子に譲ることにしました。もし息子が「レッスンや めたいなー」なんて一言でも発したら、ニコニコしながら「いいよ、やめやめ」と言って、私が後釜に座る所存ではあります。

さてオヤジです。独学を無残な失敗に終わらせないための算段をしたいと思います。ここで考えておきたいのが、前に述べました國弘正男さんとの絡みで言え ば、「素読」と「只管朗読」との間、といったことになります。

國弘正雄さんに関しての以前の書き込み

>そのあたりも根石さんは過去ログで触れておられます。國弘さんの中学時代の音作りの謎について書かれているところです。非常に読みごたえのある文章でし た。

で私が参照した箇所は過去ログの5152〜5154です。

國弘さんが中学時代のご自分の「音の質」について語っていないことを根石さんは指摘しておられます。つまり、國弘さんが後にネイティブに褒められたという 発音を、中学時代にコーチなしで獲得することができたのか?という疑問です。

過去ログの7901〜7903の「『只管朗読』の洗濯(1)〜(3)」では「只管朗読」について

> 國弘正雄の「只管朗読」は、独学法である。「只管朗読」の場には、コーチは存在しない。現代では、コーチの代用品としてCDなどの録音音声を利用する ことはできるが、英語フリークや音楽センスのいい人など、一部の人にしか独学で「音づくり」はできないことが無視されている。最初から、フリーク性やセン スが前提されている方法であることが「只管朗読」の欠点である。

とあります。

また、7943〜7945では、國弘編の学習教材『英会話・ぜったい・音読』(講談社インターナショナル)について

>端的に言いきってしまえば、こういう本は英語フリークにしか向かない。本にCDを付けたところで、複製音声で英語音を作れる人は少ないからである。英語 フリークはこの難所を乗り越える。悪く言えば、虚仮の一念であるし、よく言えば、好きこそものの上手なれ、である

と書かれています。

私は英語フリークではないし、音楽のセンスは...。

それでも、やむを得ずコーチ無しで独習する場合、音の問題をどう考えればよいのか、ということです。「電圧装置」で単語をやっつけるにしても口で言いなが ら書くことが必要になりますので、音の問題は発生すると思います。その際、CD付き教材の音を媒介にせざるをないと思うのですが、媒介にするときのポイン トはどこにあるのだろう、ということです。

何度も耳に残るまで聞き倒してから口にする方が良いのか、1回2回と注意深く聞き、一つ一つの音や、音のつながりなどを意識し、口に出してみる、という方 法が良いのか。特に後者の場合は音を分析的に扱うことになりますので、発音に関する基礎的な知識が必要になってくるのではないかと感じます。

根石さんに

> もし興味がおありでしたら、私が自作した「イメージ核受肉教材」というやつをお送りしますので、「電圧装置」でやってみられたらどうかと思いました

とお誘いいただきました。自分がコーチを受けるわけでもないのに、貴重な教材をご提供いただくことは心苦しいのですが、非常に興味があります。皆さん「ス ゴイ教材」とおっしゃっているものを見てみたい、使ってみたいという気持ちがあります。

ただ、教材はコーチを前提として作成されているでしょうから、媒介とする音が無いという、さらに難しい条件がつくのではないかと思います。果たして有効に 使いこなせるものか...。

あるいは、この教材を使いつつ、音の方は何か発音用のCD教材、たとえばこの掲示板では「UDA式30音」が比較的評価されていたように感じますが(30 音でも多いということですが)、そういったものを使って基本を押さえるということで良いものか、そのあたりを教えていただければと思います。
 

【12119】
今日のレッスン   投稿者:ももこ  投稿日: 2007年12月 3日(月)19時23分3秒
  すみません。子供の 体調がわるくて、これからちかくの夜間救急にいきます。
急でもうしわけございませんが、おやすみさせてください。
 

【12120】
ももこさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 3日(月)19時40分54秒
  承知しました。
振りかえておきます。
お大事に。
 

【12121】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 4日(火)01時36分55秒
  >媒介項ということ で言えば、CDの音声を媒介とすること自体の可能性と限界、という事 になります。

 これは、口の筋肉の柔らかさと大いに関係があります。普通ネイティヴ言語(私たちにとっての日本語)だけ話していると意識しませんが、歳をとればとるほ ど、ネイティヴ言語に口の動きが固定され、ネイティヴ言語に必要な口の動き以外の動かし方がやりにくくなっていきます。

 (掲示板をお読みいただいている他の方にも向けた余談です。小学校3年生くらいまでは口の動きがとても柔らかいです。これは、日本語の音もまだ本当には 固まっていないということを意味していると思います。この時期は、子供は英語の音をつかまえるのはとても上手です。しかし、この時期に英語をやらせるのは 私は賛成できません。もしもどうしてもやらせたいなら、素読で英語を「冷凍しておく」のがいいと思います。それ以外は、「効果がないから害もない」という 結果になるだけです。効果があれば、害になります。子供に幼児英会話などやらせているお母さんたちはお馬鹿さんたちでもあります。言語の修得を「たかが言 葉だ」となめているのです。効果があれば、英語の思考法まで身に付いてしまうのです。それが日本語の磁場で子供が育つのに害になります。英語の思考法が身 に付いたまま日本語で暮らしたら害になるに決まっているのです。)

 本題に戻ります。
 大人になって日本語の音で口が固められて以後の人は、なるべく知っている知識を活用して、どんどん口を動かし、口の動きを少しずつ柔らかくしていくこと が必要です。
 このときに必要な知識は、一度英語をやり中級後半くらいに入ったことのある人の場合は決して数多いものではありません。
 ア系列の母音とリエゾンと音のぶつかり合いの処理(黙音の置き方)だけやれば、CDの音など複製音声を媒介にできるレベルになります。

 息子さんが嫌だと言わなければ、息子さんのレッスンを傍聴なさるのはいかがでしょうか。最初の3ヶ月ほどで、必要な知識は身に付くと思いますので、その 後はご自分で自習できると思います。

>「素読」の定義として、コーチと学習者の1対1の関係、というのがあり、この関係を持つことの重要性は強調してもしすぎることはないのだと思います。英 語を始めるなら素読舎の電話レッスンを受けるに限る。あー、私も受けたい素読舎のレッスン。

 ご理解いただけてうれしいです。ありがとうございます。

>しかし、枠は息子に譲ることにしました。もし息子が「レッスンやめたいなー」なんて一言でも発したら、ニコニコしながら「いいよ、やめやめ」と言って、 私が後釜に座る所存ではあります。

 息子さんに長く続けて欲しいと思っています。(大学生になってもバイトしてレッスン代をかせいで続けて欲しいです。)
 以前にも書きましたが、私のレッスンでは、生徒が高校生になると、「ゴースト」を元にした私の自作教材を使います。この時点で、電話線を分岐させるな り、2台のコンピュータを使って、家の中でスカイプを二つ立ち上げるなりして、お父さんにレッスンに参加していただきたく思います。おやじさんと息子さん に同時にレッスンするのは私もやったことがないので、是非やってみたいです。おもしろいと思いますよ。

>さてオヤジです。独学を無残な失敗に終わらせないための算段をしたいと思います。ここで考えておきたいのが、前に述べました國弘正男さんとの絡みで言え ば、「素読」と「只管朗読」との間、といったことになります。
>國弘さんが中学時代のご自分の「音の質」について語っていないことを根石さんは指摘しておられます。つまり、國弘さんが後にネイティブに褒められたとい う発音を、中学時代にコーチなしで獲得することができたのか?という疑問です。

 國弘さんの只管朗読は過激ですから、多分先に書いた口の筋肉の柔らかさということにおいては、英語用にかなり柔らかくなっていたのだろうと推測していま す。ネイティヴ音を媒介にすれば、容易にネイティヴ音が着床しうるだけの柔らかさとバネを作ってあったのだろうと現在では推測しています。
 ちなみに私は國弘さんの生の英語発音を聞いたことがあります。長野に来られたときに、國弘さんから声をかけていただきお会いしました。國弘さんの発音 は、磁場仕込みというより、日本の机上仕込みの音の質が強いと思いました。國弘さんが同時通訳で有名になったのは、ご自分の発音の質というより、英語磁場 仕込みで英語のシンタックスが深く体に根を張っていたということによるのだと考えています。一度は英語の大地に根をしっかり張ったことで、自分の体にシン タックスが根を張ったわけです。
 これは、日本の机上だけで英語をやった場合には生じないことです。
 日本の机上で作った英語は死物ではありませんが、根が張れる範囲は語学という「植木鉢」の大きさに限られてしまいます。英語磁場でなら、覚悟さえすれ ば、「大地」に根を張ることができるのです。私たちが、日本語の磁場という「大地」に根を張って生きているのと同様にです。

>それでも、やむを得ずコーチ無しで独習する場合、音の問題をどう考えればよいのか、ということです。「電圧装置」で単語をやっつけるにしても口で言いな がら書くことが必要になりますので、音の問題は発生すると思います。その際、CD付き教材の音を媒介にせざるをないと思うのですが、媒介にするときのポイ ントはどこにあるのだろう、ということです。

 口が痛くなるくらいまで口を動かして、筋肉の柔らかさを作ることがポイントになります。息子さんが高校生になるまで、それをやっておいていただき、先に 書きましたように、いずれレッスンに参加していただけば、短時間に音のポイントをつかんでいただけると思います。ひとまずは、息子さんに言って、レッスン の傍聴をお願い致します。

>何度も耳に残るまで聞き倒してから口にする方が良いのか、1回2回と注意深く聞き、一つ一つの音や、音のつながりなどを意識し、口に出してみる、という 方法が良いのか。特に後者の場合は音を分析的に扱うことになりますので、発音に関する基礎的な知識が必要になってくるのではないかと感じます。

 耳に残るまで聞くということは大事なポイントです。くどくなりますが、耳に残った音が自分の口の動きに着床しうるように、口の動きの柔らかさを作ること がそれ以前に大事なポイントです。

>自分がコーチを受けるわけでもないのに、貴重な教材をご提供いただくことは心苦しいのですが、非常に興味があります。皆さん「スゴイ教材」とおっしゃっ ているものを見てみたい、使ってみたいという気持ちがあります。

 一目見ただけだと、なんじゃこれ、と思われると思いますが、お送りします。CDRに焼いて郵送するのでもいいのですが、スカイプを使うと非常に簡単に送 れることがわかりましたので、スカイプを導入していただけたらありがたく思います。
 スカイプの安定度はコンピュータの性能にも左右されるようですが、ひとまず試してみられることはおすすめです。スカイプでやれるようなら、息子さんの レッスンも電話代が無料になります。

>あるいは、この教材を使いつつ、音の方は何か発音用のCD教材、たとえばこの掲示板では「UDA式30音」が比較的評価されていたように感じますが (30音でも多いということですが)、そういったものを使って基本を押さえるということで良いものか、そのあたりを教えていただければと思います。

 鵜田さんのものも悪くありませんが、けっこう面倒です。
 息子さんのレッスンの傍聴がひとまずおすすめです。

 どうも同じことを何度も書いた記事になってしまいまして申し訳ありません。

追伸。
 ソフトのダウンロード先をお教え頂きありがとうございました。
 さっそくダウンロードして、キリピーという女の子に試してもらったのですが、MP3というファイル形式を読み込むのは、上位版でしかできないことが判明 しました。ネットにはMP3で掲載する予定なので、他のソフトを探すことにしました。お手数をおかけして申し訳ありませんでした。
 

【12122】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 4日(火)01時48分3秒
  喉が痛いので、少し お時間を下さい。
話が難しくなってきて困っていますが、私の「語学論」にとって、吉本隆明がこれまでに残してくれたことはとても役にたつのだということは確かなのです。
 

【12123】
音声編集ソフト   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 4日(火)07時53分28秒
  >MP3というファ イル形式を読み込むのは、上位版でしかできないことが判明

確かにTWEは直接MP3形式のファイルを扱うことができません。サポートしている主なファイル形式は(私の手持ちのMacintosh版の場合)WAV とAIFF形式です。

そこで、AppleのiTunesが重宝します。iTunesはMP3とWAV(ないしAIFF)とを相互に変換しますので(これも手持ちの Macintosh版の場合ですが、Windows版でも同様ではないかと)。

私の場合は、通常、CDの音源をiTinesで一旦WAV(ないしAIFF)で取り込み、返還後のファイルをTWEで開いて編集、加工が完了したところで 再度iTinesでMP3に変換しています。元々MP3のファイルをiTinesでWAVに変換することも可能です。

1本で全ての作業を賄えるソフトが理想なのですが、フリーソフトや安いソフトでそういったものがなかなか見つかりません。今のところ2本のソフトを使って 処理ということで妥協しています。
 

【12124】
根石さん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 4日(火)12時28分59秒
  やはり聞いてみるも のです。物事の優先度がはっきりしてきます。なにはともあれ「口の筋 肉の柔らかさ」ということですね。

>歳をとればとるほど、ネイティヴ言語に口の動きが固定され

口だけでなく、そこらじゅう固くなりまくりです。ただ、「英語なんぞやってられるか」という心の固さだけは、根石さんの語学論で解きほぐされましたので感 謝しています。次は口の柔らかさを目指すことにします。

>この時期は、子供は英語の音をつかまえるのはとても上手です。しかし、この時期に英語をやらせるのは私は賛成できません

結果として(3年生未満ではありませんが)小学生の息子に英語をやらせることになりましたので、そのことについては、改めて書きたいと思います。

また、レッスンをお願いするにあたり、以前ご説明いただきました「学校の成績とレッスン」についても、いずれ整理しておきたいと思っています。

>効果があれば、英語の思考法まで身に付いてしまうのです

これは大人にも言えるのでしょうか。以前、ある中国問題の研究家が「自分はあまり中国語をやりすぎないように注意している。うまくなりすぎると、気づかな いうちに日本人の思考からずれてしまいかねず、日本人研究者としては注意しなければならないと思っている」という主旨の話をされていました。

> 息子さんが嫌だと言わなければ、息子さんのレッスンを傍聴なさるのはいかがでしょうか

それは思いつきませんでした。見てみたい気はしますが、レッスンを金曜日に設定していただいたので、仕事の状況から難しいかもしれません。それに、私が見 ていたら、下の娘(幼稚園)が自分にも見せろと言ってきかなくなるのは必定です。大騒ぎになってレッスンにならない気がします。

> 息子さんに長く続けて欲しいと思っています。(大学生になってもバイトしてレッスン代をかせいで続けて欲しいです。)

はい。オヤジの都合はともかく、親としてはそうあって欲しいと願っております。えらく月並みな言い方ですが「継続は力」ですので。英語「力」はもちろんで すが、素読という方法を続けていくことで、目に見えない「力」を蓄積していくのではないかと期待しています。村田さんが引用された『英語どんでん』の「岡 田君のエピソード」にしても、根石さんの「嵐の一年」にしてもそうですが、英語に留まらないものをつかみ取ってくれることを願っています。

3年後にオヤジと一緒に英語のレッスンを楽しめるほど素直に育ってくれるといいのですが...。まあ、あまり素直すぎるのも気持ち悪いですが。

國弘さんの生英語の話、「植木鉢」と「大地」の話は理屈としては分かるのですが、今の私には奥が深くて実感がわきません。語学に深く分け入った方だけが実 感できる世界ですね。

>スカイプを使うと非常に簡単に送れることがわかりましたので、スカイプを導入していただけたらありがたく思います

すみません。使っているPCが古くてスカイプに対応しません。お手数なのですが、着払いの宅急便にてお送りいただけると助かります。
 

【12125】
根石さん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月 4日(火)22時26分6秒
  話が難しくなって 困っている、ということは、根石さんにとってあまり食欲のわかない議論 になってきたということだろうと思います。
僕にとっては、なんとか現時点で考えられるところまで考えた、という満足感があるのですが、根石さんや掲示板の読者の方には、煙に巻かれたような不快感が 残っているのかもしれません。

批評フリークの店はひとまず休業するにしても、今までの罪滅ぼしとして、少し具体的なことを書いてみることにします。

半年前から、英語学習を始めました。
それには、いろいろな理由がありますが、小学3年生の次男が、今も母国語の中で、うまくそれを使いこなせないことに悪戦苦闘している姿を見て、自分も同じ 境遇のなかに身を置いてみたいという気持ちも少しはあった気がします。

卒業以来、ときどき思い出したように英語をかじっても、英語を実際に使う機会はほとんど全くなかったため、とにかく英語らしきものを口にすること自体が恥 ずかしくて仕方ないわけです。
そこで、通勤の車で聞いた英語のCD(前からもっていた英単語のDUOですが)から気に入った一文を暗記して、英語に堪能な同僚にそれを聞いてもらう、と いうこと毎日続けることにしました。
そのとき、普通に覚えただけでは相手と向き合ったときにまったく言葉にならないのに、十分に「回転読み」したものは、自然と口について出てくるということ を体験しました。中年過ぎの柔軟性を欠いた頭脳と身体にも(にこそ)回転読みが有効なのかもしれません。

職場にインドから来た青年いて、週に一回、日本語の本をすこしづついっしょに読んでいます。ネール大卒の優秀な彼の日本語力と、僕のなけなしの英単語力を 組み合わせて、経済の本をめぐってけっこう興味深い議論ができているのですが、昨日、彼がおもしろいことをいいました。
日本語の複雑な文章につまずいたとき、その文章を英語で考えてもわからないが、ヒンディー語に置き換えるとわかるようになると。
彼によると、ヒンディ語の文法やシンタックスは、日本語とよく似ているそうです。彼は大学で英語を通じて日本語を獲得したはずですが、その英語を飛び越え て、ヒンディ語の力を借りて日本語を理解しているわけです。
根石さんのいっている、日英間のシンタックスの壁ということを思い出しました。

それで、さっそく今日ヒンディ語の入門書を買ってきて、目を通しているところです。
まったく見慣れない文字の並びに、どこまで根性が続くかわかりませんが、彼からは英語ではなく、ヒンディ語を習おうと思っています。
 

【12126】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 5日(水)01時26分10秒
  >批評フリークの店 はひとまず休業するにしても、

 批評フリークの人には、私の批評を外側から見た場合どう見えるのかを指摘して欲しいので、「ひとまず」程度の休業にして下さい。

>それには、いろいろな理由がありますが、小学3年生の次男が、今も母国語の中で、うまくそれを使いこなせないことに悪戦苦闘している姿を見て、自分も同 じ境遇のなかに身を置いてみたいという気持ちも少しはあった気がします。

 語学に惹かれる人の根には、そういう動機があるような気がします。
 単に英米に憧れたために英語が上達したというようなフリークさんたちでさえ、その根には、日本のしんねりむっつりが嫌でたまらんというような「否定」が あると思います。磁場帰りの人を見て、指をくわえた上によだれまで垂らすようなことをあんまり天真爛漫にやってもらうと反吐が出るからやめてちょうだいね とは思いますが、そういうフリークさんたちも、自分を英語に駆り立てたものが否定すべきしんねりむっつりであり、動機は「否定」なのだと正直に語ってくれ るなら、今後認めてあげてやりたい。
 「肯定性」やら「憧れ」やら「健康」やら「天真爛漫」やら「実体」やらへの反抗として「空虚」とか「語学」とか「イメージ」とか「悪戦苦闘」は存在理由 があるのだと思います。
 matsu さんの語学の撰び取り方は、「悪戦苦闘」「もがき」への愛なのだと思います。それは、英語フリークどもの「憧れ」やら「寄らば大樹の陰」思想を斬りつける ことができるものです。私が考える「語学」と通底するものだと思います。

>とにかく英語らしきものを口にすること自体が恥ずかしくて仕方ないわけです。

 このことを何度かこの掲示板に書いた覚えがありますが、どんな反応ももらえたことがありません。きわめて普通の感覚だと思います。世界の主流づらをする 英米の言語を口にすることが恥ずかしいことでないことがおかしいのですが、この辺の感覚が英米磁場から帰った人たちにおいて、すり減って、どころではな く、なくなっているのが通例です。そういう人たちは、半人前の日本人なのだと思っているとだいたい正確です。

>普通に覚えただけでは相手と向き合ったときにまったく言葉にならないのに、十分に「回転読み」したものは、自然と口について出てくるということを体験し ました。中年過ぎの柔軟性を欠いた頭脳と身体にも(にこそ)回転読みが有効なのかもしれません。

 「回転読み」をやっていただいたのは、「英語どんでん」をお読みいただいて以後でしょうか。それ以前に、(今から考えれば)「回転読み」という名前で呼 ぶのがいいようなことをされていたのでしょうか。興味を持ちました。

>日本語の複雑な文章につまずいたとき、その文章を英語で考えてもわからないが、ヒンディー語に置き換えるとわかるようになると。
彼によると、ヒンディ語の文法やシンタックスは、日本語とよく似ているそうです。彼は大学で英語を通じて日本語を獲得したはずですが、その英語を飛び越え て、ヒンディ語の力を借りて日本語を理解しているわけです。
根石さんのいっている、日英間のシンタックスの壁ということを思い出しました。

 ヒンディーは、シンタックスが日本語と同じだということは、雑貨屋をやってインドにたびたび仕入れに行っている人から数年前に聞きました。もしかして、 海伝いの言語なのかもしれないですね。インドの北の方より、南の方がヒンディを余計に使っているというような事実があれば、その可能性はあると思っていま す。インドから来た人に聞いてみてもらえませんでしょうか。海に面していても、中国語は大陸伝いの言語なのかもしれない。タイ語やベトナム語も。今のとこ ろ、まるであてずっぽうを言っているにすぎないのですが。
 キリスト教の聖書には、元は言語というものは一つだったが、神が人間どうしが話ができなくなるように、さまざまな言語を作ったのだというでたらめな話が あるそうですが、私は言語の元になったものに少なくとも二つあると考えています。
 中国人よりも韓国人やモンゴル人の方がすみやかに日本語に上達するということや、日本人や韓国人がとことん英語に苦労するということを考えると、元が一 つだったとはとうてい思えない。元の元から違うのだと思っています。

>まったく見慣れない文字の並びに、どこまで根性が続くかわかりませんが、彼からは英語ではなく、ヒンディ語を習おうと思っています。

 ええ。途中経過のエピソードで結構ですので、ここに書いていただけたらと思いました。
 

【12127】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 5日(水)01時57分50秒
  >以前、ある中国問 題の研究家が「自分はあまり中国語をやりすぎないように注意してい る。うまくなりすぎると、気づかないうちに日本人の思考からずれてしまいかねず、日本人研究者としては注意しなければならないと思っている」という主旨の 話をされていました。

 日常を娑婆で暮らすのか、大学で暮らすのかというような違いが左右すると思います。私は「娑婆派」ですので、どれほど英語をやろうと、絶えず日本の娑婆 が私を日本語による思考に引き戻してしまいます。ギリシャ神話だったと思いますが、積み木崩しみたいな話があったような。何度山の上に岩を運び上げても、 必ず転げ落とされてしまうような話だったと思います。シジホスだかシジュポスだかという名前の神話です。日本の机上で英語を継続するのは、ちょっとそれに 似ています。
 日本の机上で養われる英語力というのは、とことん空しいことを積極的にやることによってできる副産物みたいなものだという感じがします。いきなり主産物 を欲しがって挫折する人が多いのですが、「有効にむなしいこと」をやって、副産物を手に入れるのがいいと思います。
 話が逸れました。
 日本の娑婆に交わって生きるなら、中国語をやろうが英語をやろうが、「分裂を生きる」ということになると思います。その自覚を持ちながら、実際に分裂を 生きてしまうのが、SVOシンタックスを対象とした語学ということになるのではないでしょうか。この中国問題の研究者には、日本の娑婆で生きるのなら、ど れほど中国語をやっても構わない、「分裂を生きる」ことが誠実なことなのだ、と言いたい気がしました。

>それに、私が見ていたら、下の娘(幼稚園)が自分にも見せろと言ってきかなくなるのは必定です。大騒ぎになってレッスンにならない気がします。

 わかりました。それでは、息子さんを仕込みますので、一年後くらいに息子さんに読みを聞いてもらって下さい。一年後にお父さんのレッスンをやることにな るから、俺の説明の仕方をよく聞いておいてね、とどこかで言っておきます。

>根石さんの「嵐の一年」にしてもそうですが、英語に留まらないものをつかみ取ってくれることを願っています。

 そうですね。語学はおもしろみがわかると自分でどんどんやるようになります。そうなれば、英語力の他に、何か別の力(副産物)が穫れます。もしかすれ ば、そっちが実は主産物なのかもしれません。我が身を振り返ってみても、どうもそんな気がします。

>國弘さんの生英語の話、「植木鉢」と「大地」の話は理屈としては分かるのですが、今の私には奥が深くて実感がわきません。語学に深く分け入った方だけが 実感できる世界ですね。

 それほどごたいそうな話でもありません。
 國弘さんについて、私はこの掲示板で批判めいたことを言ったことがありますが、それは、「植木鉢」と「大地」のような話を國弘さんがまるでしないことに よります。英語の達人が語学論をちゃんとやれるわけではないことのサンプルとして國弘さんを名指ししたのでしたが、磁場帰りの人たちはそんな人たちばかり です。
 「日本にいてどれほど英語をやっても、私が持つ英語と同じような、体にシンタックスが根を張った英語にはならない」と國弘さんが言明してくれるのがいい のですが、國弘さんはそこをくらがりにしたままです。
 そういうことをはっきり言わないことが、日本の英語状況をどれほど混乱させているのかという視点が國弘さんにありません。

>着払いの宅急便にてお送りいただけると助かります。

 承知しました。着払いでなくて結構ですよ。クロネコのメール便なら、80円で送れますので、気にしないで下さい。

 音声処理ソフトについての情報ありがとうございました。iTune がそんな使い方ができるとは知りませんでした。
 キリピーに「大風呂敷」のらくださんの記事を読むように言っておきます。
 

【12128】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 5日(水)02時23分2秒
   もうひとつネール 大学出の優秀な人にたずねてもらいたいことが出来ました。
 私は何度かタイに雑貨の仕入れに行きました。ここで買った布などを日本に送れば、まず間違いなく日本に届きます。
 本当は私はインドに行きたいのです。
 ところが、インドから日本に物を送ろうとすると、途中で盗まれて品物が届かないことがあるという話をよく聞くのです。
 タイに行くより、インドへ行くのは飛行機代が高くなります。わざわざインドまで行って買い集めたものを日本に送って、途中で品物が消滅してしまうことに 耐えるのはいやです。語学で英語をやり、空しさに耐えることを続けてきた私も、インド往復の航空券代と品物代金、合わせて数十万円を一度に失う空しさに耐 えることができると自分に期待できません。

 で、お聞きいただきたいのは、インドから品物を送って、間違いなく日本に届けるような(信用のできる)海上輸送会社というのは何という名前の会社なのか ということです。その会社は、個人の荷物も引き受けるのかどうかということも知りたいと思います。

 お手数をわずらわせますが、よろしくお願い致します。この一点を解決できれば、私はインドへ仕入れに行くつもりです。
 

【12129】
教材作り   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 5日(水)03時31分8秒
  ただいま、「イメー ジ核受肉教材」の作成が9万行を越えました。  

【12130】
iTune   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 5日(水)07時54分35秒
  >iTune がそんな使い方ができるとは

Widows版の方も見てみたのですが、Mac版とメニューが違うようです。(古い)Mac版には(〜に変換)というメニューがあるのですが、 Windows版では「インポート」となっていて、これを使ってもファイル形式の変換はできないようです。詳しくマニュアルを見たわけではないのですがダ メかもしれません。また何か分ったら書き込みます。
 

【12131】
インド人と日本語   投稿者:Jackie  投稿 日:2007年12月 5日(水)15時51分41秒
  >日本語の複雑な文 章につまずいたとき、その文章を英語で考えてもわからないが、ヒン ディー語に置き換えるとわかるようになると。
彼によると、ヒンディ語の文法やシンタックスは、日本語とよく似ているそうです。彼は大学で英語を通じて日本語を獲得したはずですが、その英語を飛び越え て、ヒンディ語の力を借りて日本語を理解しているわけです。
根石さんのいっている、日英間のシンタックスの壁ということを思い出しました。

以前知り合ったインド人は日本に滞在1年半というのに日常会話はもちろん商用談義をなんなくこなしていました。外国人なまりが少ない日本語でした。早期上 達には磁場、プラス努力、そしてそこにはシンクタックスの影響もあったのですね。
 

【12132】
わーいJackieさんだ!   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月 5日(水)19時53分30秒
  と喜んでいた吉さん は、今どこに?

コメントありがとうございます。
先日、根石さんの最近の発言をダイジェストしたレジュメを作って、敬愛する友人との勉強会の資料にしたのですが、語学論について好意的な理解がある一方 で、Jackieさんがやさしい言葉でどうどうめぐりしている、という根石さんの発言に、彼が反発しているのが印象的でした。
彼自身、やさしい言葉派、ですから。
固い言葉も、やさしい言葉も、力は五分五分、あとは使い手しだい、ですよね。
 

【12133】
根石さん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月 5日(水)20時25分41秒
  了解しました。
ただ、次に彼に会うのが来週なので、返事は少し遅れると思います。

>「回転読み」をやっていただいたのは、「英語どんでん」をお読みいただいて以後でしょうか。それ以前に、(今から考えれば)「回転読み」という名前で呼 ぶのがいいようなことをされていたのでしょうか。

もちろん(残念ながら)、根石さんの本を読んでからです。
回転読みの練習を十分にできたのは、一部の文章にすぎませんが、それ以外の文章が今では思い出すだけでも苦労するのに対して、ずいぶん時間をおいても自然 と口について出てくるのは驚きです。
頭で記憶したものという感じではないですね。(自分の頭にはこんな持続力がありません。)口が記憶している、とでもいうべきでしょうか。
 

【12134】
matsuさん2カ国語?   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 5日(水)21時12分36秒
  matsuさんは英 語とヒンディー語ですか。チャレンジャーですね。私は英語だけでも電 池が持つか...。

>>とにかく英語らしきものを口にすること自体が恥ずかしくて仕方ないわけです。

> このことを何度かこの掲示板に書いた覚えがありますが、どんな反応ももらえたことがありません。きわめて普通の感覚だと思います。

根石さんの語学論が「ある種の」英語難民には福音だ、と書いた時の「ある種」というのは、そういう人を想定しています。本当は「私にとって福音」と書けば よかったのでしょうが、私の周りに「その種の」人達が結構いるので、お仲間として引っ張り込んだ表現で書きました。

私には、英語だけが特別だという感覚があります。matsuさん、ヒンディー語を口にするの恥ずかしいですか?私は韓国語をかじったときには、その恥ずか しさは全く感じませんでした。

ちなみに、根石さんが言われる通り、韓国語もSOVシンタックスですね。20年ほど前に韓国でお近づきになった人達(延世大学内の語学堂というところで日 本語を習っている人達)は、1年程度の学習者なのに「うまいなあ」と感心する人が何人もいました。
 

【12135】
らくださん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月 6日(木)20時36分19秒
  いやいや。
語学に関しては、こうだ、といえるようなことはほとんどありません。
まだまだほんの駆け出しなので。

ただ「素読舎親の会」の新参者としては、レッスンの受け方について、必要にせまられて実践していることがあります。

長男は中一で人並みに親を疎ましく思っているようなので、レッスンは傍聴していません。
レッスン後に、その内容を彼から教えてもらうようにしています。
そのため、レッスン後すぐに、音の直し方を中心に、根石さんが言ったとおりのことをノートにメモしておくようにアドバイスしています。

レッスンの範囲について、できるだけ毎日回転読みの復習をするようにもアドバイスしていますが、時間と気分があったときには、親もいっしょに練習するよう にしています。
その場合も、子どもが先に読んだあと、親が続けて読むというふうに、あくまで子どもが「先生」役ですが。

親に教える、という関係を彼が面白がって、学ぶことに積極的になってくれたらと思いますが、親のそんな姑息な意図などたやすく「見抜いて」いるかもしれま せん。

まだ2回の受講なので、なんとも言えませんが、このやり方でなんとかペースをつかめそうな感じがしています。
 

【12136】
根石吉久さんへ   投稿者:聞いてみよう  投稿 日:2007年12月 6日(木)23時42分59秒
  すみません体調をく ずしていました。お久しぶりです。

>>文章を読み取るのが苦にならないという子供もいれば、文章を読み取ることを嫌だと思う子供もいます。文章を読み取ることが嫌な子供にとっては、糸山作 成の「良質な」文章題を読み取ることも嫌なのです。
 すでに、嫌なわけです。
 「嫌だ」が成立してしまっているわけです。
 それを、糸山は、「良質な文章題」を解こうとして、文章を読めば、文章を読む力がつくというふうに詐欺をほざくのです。
 すでに、詐欺なわけです。
 「詐欺」が成立してしまっているわけです。

たしかにこれだけ読むと「詐欺」が成立していますが、「ゆっくり、じっくり、丁寧に」という大原則を踏まえて糸山さんの{「良質な文章題」を解こうとし て、文章を読めば、文章を読む力がつく}を読めば詐欺ではないように感じます。
子どもが好き好んで「良質な文章題」に取り組むようになるまで「ゆっくり、じっくり、丁寧に」誘導したり待ったりすればいいんじゃないでしょうか?
また、おいらは「良質な文章題」を絶対にやらなければならない物だとは考えていません。
親が子どもに「明確な意図を持ってする教育」の方法の一つとして優れていると思っているだけです。

>>文章を読むのを嫌がる子供に対して有効なのは、「(とことん悪質・無味乾燥で)良質な文章題」なんかではなく、機械的な「素読」なのだというのが、私 の言い分です。

すみません良質な文章問題のどのへんがとことん悪質・無味乾燥なんでしょうか?
おいらは良質な文章問題から再現されるイメージがツマランとは思います。それは良質な文章問題が、文章題の言葉→イメージ(純粋に論理をつかむ力)・その イメージを操作して求められている形にする(純粋に物事を分析・比較する思考力)を養うために作られているからだと思います。
純粋に論理をつかむ力、思考する力は将来何か考える時のいい道具になると思います。糸山さんも「(理論上)正しいことがそれを実行していいという判断基準 にはならない」って言ってるので良質な文章問題を解く力=人間の思考とは思っていないハズです。


日本語の文章を素読することについて質問させて下さい。
おいらは素読に関して全くの素人なので自分で少しその効能を体感してみたいのですが、
テキスト→難度を含み、興味がある内容。
やり方→(イメージできるところは)イメージしながら音読。※補助として辞書を引いたりする。でいいんでしょうか?

効能としては
・最初は分からなかったところの論理がつかめるようになる。
・自分なりの意味をもてるようになる。
 素読というのはまずは論理をつかむことを目標に音読→論理をつかむ→さらに音読→自分なりの意味の獲得という流れでしょうか?(もちろんこれは大まかな 話です。論理をつかむ前だっていろいろ意味を考えながら読むハズですから)

根石さんが素読をすすめるのは>>イメージは言葉を媒介にして育つのです。あるいは、イメージを媒介にして言葉が育つと言っても同じです。しっかりとイ メージが媒介にされていると、その人にとって言葉が深くなるからです。

これが理由でしょうか?
つまり、
1.論理をつかむ過程で→>>イメージに厚みができ、その語の「イメージの核」ができる
2.自分なりの意味をもてるようになる=一度形成された「イメージの核」が、具体的な言葉(慣れきった言葉)を脱いで、イメージが動くようになる。
ということでしょうか?
 

【12137】
余計なお世話かもしれませんが  投稿者:聞いてみよう  投稿日:2007年12月 6日(木)23時55分24秒
  http://www007.upp.so-net.ne.jp/eigodeyume/gakushu-my-theory.html
(抜粋)
<< とりあえず小学生にはいろいろさせない >>

小学生に英語の音を持たせる事が、
どれだけその子のためになるのでしょうか?

私の息子にも、 発達障害の児童にも、
幼少期から英語の音を持たせた方が良いとお考えなのでしょうか?

幼児英会話教室の先生方、、素読舎さん、、お答えください。
文部科学省さんお答えください。

小学生に英語をやらせる事にどれだけの意味があるのでしょうか?

小学生の英語だけではありません。

百マス計算だって、、ポータブルゲームだってそうです。

私が守りたいのは12歳までの(10代前半までの)子供の精神の安定と、
子供達が自分で考え、自分で切り抜けていく力の獲得です。


私が獲得中の「教育論」のベースとなっているものです
 

【12138】
訂正   投稿者:聞いてみよう  投稿 日:2007年12月 7日(金)00時28分28秒
  << とりあえず小 学生にはいろいろさせない >>

小学生に英語の音を持たせる事が、
どれだけその子のためになるのでしょうか?

私の息子にも、 発達障害の児童にも、
幼少期から英語の音を持たせた方が良いとお考えなのでしょうか?

幼児英会話教室の先生方、、素読舎さん、、お答えください。
文部科学省さんお答えください。

小学生に英語をやらせる事にどれだけの意味があるのでしょうか?

小学生の英語だけではありません。

百マス計算だって、、ポータブルゲームだってそうです。

私が守りたいのは12歳までの(10代前半までの)子供の精神の安定と、
子供達が自分で考え、自分で切り抜けていく力の獲得です。


私が獲得中の「教育論」のベースとなっているものです。


「えいごで夢を見るまで」 吉吉  2007年11月





おことわり:
文科省が導入を考えている小学生の英語と、素読舎さんの小学生向け英語とは、
まったく質の違うもので、語学論の観点からは、本来、並べて語られるべきではありません。

(抜粋)語学論をもった素読舎さんの英語の指導方法は安全だと私は思っています。
語学論からみると素晴らしい指導法だと思っています。

しかし、、私が獲得中の「教育論」からすると「同じ」なのですね。
素読舎を含め、その他の幼児英語教室の先生方、文科省さん、みんな「同じ」です。
どちらも「小学生に英語を指導する」という意味で「同じ」です。
反論・異論を唱える方もいらっしゃるでしょうが、これが今の私の価値観なのです。

小学生に英語? ヤメトケ と言いたい。
 

【12139】
小学生に英語?   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 7日(金)15時01分16秒
  今日は小学6年の息 子の初レッスンの日ですので、記念すべき日にこのテーマでいくことに します。

>しかし、、私が獲得中の「教育論」からすると「同じ」なのですね。
素読舎を含め、その他の幼児英語教室の先生方、文科省さん、みんな「同じ」です。
どちらも「小学生に英語を指導する」という意味で「同じ」です。


小学生に英語、是か非か?

それを問うなら、こう問い直しましょう。

中学生に英語、是か非か?
大学入試に英語、是か非か?

もっと問い直しましょう、そもそも日本人に英語、是か非か?

その事を問わずに、小学生に英語を指導することの是非を云々しても、ほとんど意味がないと私は考えます。

では、なぜ小学校6年の息子に英語をやらせるかって?痛いところ突かれました。根石さんに誘われたもんで、ついつい。

文科省による小学校への英語導入に反対である私が、根石さんのお誘いにすんなり乗ってしまった。なぜなんだろう。

これから考えてみることにします。ともかく今日からレッスンが始まります!
 

【12140】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 9日(日)00時53分3秒    編集済
  >今日は小学6年の 息子の初レッスンの日です

 メールいただいていたのに、やぼ用にかまけていて気づかず、その後も連絡が遅れまして申し訳ありません。
 教科書、ご近所から借りられてよかったです。
 メールで書くべきところ、ここに書くことで済ませてしまいますが、あしからず。
 教材の代金等は不要です。レッスンを受けておられる方には、「イメージ核受肉教材」は代金をいただかずにお送りしています。今回は、レッスンを受けるご 本人ではなく、お父さんにお送りすることになりますが、やはりお代は結構です。
 まだ、お送りしてありませんが、明日あたりとり急ぎCDRに焼く予定ですので、もう少しだけお待ち下さい。

>小学生に英語、是か非か?

 これは、子供がどの程度に日本語を地盤としているかによって是にも非にもなります。非常におおざっぱに言えば、地盤が固まっていない場合は、非になりま す。英語なんぞより、日本語をしっかりさせろ、ということになります。
 また、方法にもよります。英語で思考することなどまったく求めず、単に一文の音の連続を物理的に作るだけなら、日本語の地盤のできていない子供にやって も害になりません。そんなものが害になるのであれば、西洋音階で歌を歌わせることでも害になります。
 歌を覚えるように、音の連続性を物理的に作ることだけなら、日本語の地盤がまだ弱い場合でも始めていいのです。これが素読という方法の最大の利点です。 日常を日本語で暮らしているので、週に一度程度英語の音を扱っても扱わなくても、英語をやった場合でもやらない場合でも、日本語の地盤は同様に強化されて いきます。
 小学生に英語をやらせるのを心配する人は、「磁場論」がわかっていないのです。「英語の磁場」を欠いてやるのだから、小学生でも、日本語が固まっていな い年齢でも、始めて害になりません。素読的方法は、「英語を冷凍してしまう」からです。素読的方法で作られる英語は、いつか(大人になった頃)解凍される ことを予定はしているものの、小学生の時期には完全に「冷凍もの」のままなのです。
 吉さんは、これがわかっていない。「磁場論」が本当にはわかっていないのです。「磁場帰り」の人の限界かと思います。「磁場帰り」の人は、本当に「磁 場」の力がわからなくなるのです。國弘批判で言ったことも同じです。ここが「日本語の磁場」だということがわかっていないのです。
 

【12141】
聞いてみようさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 9日(日)01時42分58秒
  転写ありがとうござ います。私は、その後、一度も吉さんのホームページを読みに行ってい ないので、転写して下さらないと、吉さんが現在何を言っているのか知らないままでした。

>文科省が導入を考えている小学生の英語と、素読舎さんの小学生向け英語とは、まったく質の違うもので、語学論の観点からは、本来、並べて語られるべきで はありません。

 ここで、「質の違うもの」と吉さんは言っています。

>(抜粋)語学論をもった素読舎さんの英語の指導方法は安全だと私は思っています。語学論からみると素晴らしい指導法だと思っています。

 ここで、「安全」という観点から、吉さんは素読舎ならいいと言っています。

>しかし、、私が獲得中の「教育論」からすると「同じ」なのですね。
素読舎を含め、その他の幼児英語教室の先生方、文科省さん、みんな「同じ」です。
どちらも「小学生に英語を指導する」という意味で「同じ」です。
反論・異論を唱える方もいらっしゃるでしょうが、これが今の私の価値観なのです。

 ここで、自分で「並べて語られるべきではない」という言をひるがえし、素読舎を含め、その他の幼児英語教室の先生方、文科省さん、みんな「同じ」だと 言っています。「並べて語られるべきではない」というのは、「同じではない」ということです。わずかな短い文を並べて、「同じではない」と言い、「同じ」 だと言っています。なんなんでしょうかね。こういう人は。私は吉さんが、素読舎に目をつけてくれたことに、素読舎を見つけてくれたことに、感謝してはいま す。しかし、いったい何なんだ、と思うしかありません。並の磁場帰りと同様のおたんこなすだったのかという落胆がありますが、実はそんなにも落胆している わけではありません。「磁場帰り」というのはたいがいこんな人たちなのです。
 自分のオリジナルな考えというものがない。
 それが、磁場帰りの人たちの一大特徴です。

 文部科学省も素読舎も「同じ」だという根拠が、「小学生に英語をやらせる」ということだけなのです。実に馬鹿らしい。
 こんな理屈がまともな理屈であるなら、私も吉さんも「便所で糞をするから」「同じ」になってしまいますわ。
 方法も、論も、あったもんじゃない。
 こんなことで、何が「教育論」か。
 ちったあ、自分で考えろ。根石だの糸山だの、何ひとつ信仰や信奉はする必要がないのだ。
 

【12142】
根石吉久さんへ   投稿者:聞いてみよう  投稿 日:2007年12月 9日(日)02時13分39秒
  今気づいたんですが おいらの書き方に不備がありました。本当に申し訳ないすみません。
訂正と書いた文章の(抜粋)の位置がズレているのと、リンクが貼られていませんでした。本当に申し訳ない。ごめんなさい。

[訂正文]
http://www007.upp.so-net.ne.jp/eigodeyume/gakushu-my-theory.html
(抜粋)
<< とりあえず小学生にはいろいろさせない >>

小学生に英語の音を持たせる事が、
どれだけその子のためになるのでしょうか?

私の息子にも、 発達障害の児童にも、
幼少期から英語の音を持たせた方が良いとお考えなのでしょうか?

幼児英会話教室の先生方、、素読舎さん、、お答えください。
文部科学省さんお答えください。

小学生に英語をやらせる事にどれだけの意味があるのでしょうか?

小学生の英語だけではありません。

百マス計算だって、、ポータブルゲームだってそうです。

私が守りたいのは12歳までの(10代前半までの)子供の精神の安定と、
子供達が自分で考え、自分で切り抜けていく力の獲得です。


私が獲得中の「教育論」のベースとなっているものです。


「えいごで夢を見るまで」 吉吉  2007年11月





おことわり:
文科省が導入を考えている小学生の英語と、素読舎さんの小学生向け英語とは、
まったく質の違うもので、語学論の観点からは、本来、並べて語られるべきではありません。

語学論をもった素読舎さんの英語の指導方法は安全だと私は思っています。
語学論からみると素晴らしい指導法だと思っています。

しかし、、私が獲得中の「教育論」からすると「同じ」なのですね。
素読舎を含め、その他の幼児英語教室の先生方、文科省さん、みんな「同じ」です。
どちらも「小学生に英語を指導する」という意味で「同じ」です。
反論・異論を唱える方もいらっしゃるでしょうが、これが今の私の価値観なのです。

小学生に英語? ヤメトケ と言いたい。
 

【12143】
聞いてみようさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 9日(日)02時16分54秒
  吉さん(ここで返事 ができないように自分で自分を縛ったことは私のせいではありませんこ とをご確認下さい)

>小学生に英語の音を持たせる事が、
どれだけその子のためになるのでしょうか?

 非常にその子のためになります。もしも、将来英語を使う場面に立ち至るならば。

>私の息子にも、発達障害の児童にも、幼少期から英語の音を持たせた方が良いとお考えなのでしょうか?

 それについては、私は言及したことがありません。一人一人全部違うはずです。私は吉さんのお子さんの「障害」の名前さえ、覚えていないのです。吉さんに も会ったことがないし、お子さんにも会ったことがない。だから、「こういう子の場合はこうじゃないかなあ」というようなことは一切言えません。「障害」を 前にした場合、「英語どころの話かよ」というのならよくわかります。それを、「小学生に英語をやらせること」に敵対するような論理になることがまるでわか りません。糸山の12歳限界説に飛び込んでしまったことも、ご自身の責任であることをご承知下さい。

>幼児英会話教室の先生方、、素読舎さん、、お答えください。
文部科学省さんお答えください。

 幼児英会話教室の先生方も、文部科学省も吉さんの質問に答えないでしょうが、素読舎だけは答えておきます。

>小学生に英語をやらせる事にどれだけの意味があるのでしょうか?

 ひとりひとり違います。

>百マス計算だって、、ポータブルゲームだってそうです。

 百マス計算も、ポータブルゲームもよく知りませんので、お答えできませんが、残忍なシーンが視覚として子供に害を与えるという吉さんの凡庸な説にはいつ か反論したことがあります。多分、吉さんがここに来られないと宣言した後だったと思います。その視覚が残忍なシーンであることや、強いものが弱いものに絶 対的に勝つという決定論が害になるのではなく、「体感」を欠き、頭脳的感覚だけになってしまうから、そういうメディアが駄目なんだと書いた覚えがありま す。こういう本質論には、吉さんは応じてくれない。応じることができないのか、わざと目をつむっているのか。

>私が守りたいのは12歳までの(10代前半までの)子供の精神の安定と、
子供達が自分で考え、自分で切り抜けていく力の獲得です。

12歳限界説は聞き飽きました。そんなものに根拠はないというのが私の考えです。
 

【12144】
聞いてみようさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 9日(日)02時35分20秒
   私が言いすぎてい るところがあることが、お示し下さったリンクのページを読みに行き、 よくわかりました。
 しかし、吉さんはわかってくれると思います。
 

【12145】
根石吉久さんへ   投稿者:聞いてみよう  投稿 日:2007年12月 9日(日)03時01分20秒
  >私が言いすぎてい るところがあることが、お示し下さったリンクのページを読みに行き、 よくわかりました。
しかし、吉さんはわかってくれると思います。

気持ちが救われましたありがとうございます。今後気をつけます。
このページを素読舎さんの解答として吉さんのブログに貼っていいですか?って聞こうと思っていたんですが、今は(おいらが)ちょっと複雑な気分です。
また明日来ます。
 

【12146】
聞いてみようさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 9日(日)03時17分6秒
  >すみません体調を くずしていました。お久しぶりです。

 お久しぶりです。私の方も体調が悪く、やっとこすっとこってな感じです。

>「ゆっくり、じっくり、丁寧に」という大原則を踏まえて糸山さんの{「良質な文章題」を解こうとして、文章を読めば、文章を読む力がつく}を読めば詐欺 ではないように感じます。

 ううむ。あのう、文章とか文とかいうものには、論理に奉仕する文章や文がある一方で、感情や不定に奉仕する文章や文もあるんです。
 糸山の作る文章題は、ひたすら論理に奉仕するだけです。論理に奉仕するだけの文章を読んで、文章を読む力がつくなどというのは「詐欺」だと言っているの です。

>子どもが好き好んで「良質な文章題」に取り組むようになるまで「ゆっくり、じっくり、丁寧に」誘導したり待ったりすればいいんじゃないでしょうか?

 まったくその通りです。

>親が子どもに「明確な意図を持ってする教育」の方法の一つとして優れていると思っているだけです。

 そうです。親の思想の質次第ですね。

>>文章を読むのを嫌がる子供に対して有効なのは、「(とことん悪質・無味乾燥で)良質な文章題」なんかではなく、機械的な「素読」なのだというのが、私 の言い分です。
>すみません良質な文章問題のどのへんがとことん悪質・無味乾燥なんでしょうか?

 済みません。もう糸山のことを言うのが面倒くさくて。
 すでに書いたので、またしても面倒くさいのですが、論理に奉仕する文章と不定に奉仕する文章を区別しろと言っているだけです。
 論理に奉仕する文章が「良質」であればあるほど、「悪質・無味乾燥」になることは通例です。大学で蓄積される論文なんぞ、あらかたそんなもんじゃないの でしょうか。文学における文体論から見たら、おめえさん、これでも一人前のつもりなんか、っていうようなものだらけ。そう思っております。

>おいらは良質な文章問題から再現されるイメージがツマランとは思います。

 いやあ、イメージはつまらんことはない。子供が必死につかんだイメージは大学の学者が持つイメージより、ほとんどの場合ずっとはるかに美しいです。

>それは良質な文章問題が、文章題の言葉→イメージ(純粋に論理
をつかむ力)・そのイメージを操作して求められている形にする(純
粋に物事を分析・比較する思考力)を養うために作られているから
だと思います。

 ほとんどその通りだと思いますが、「イメージを操作」するというところにイメージの力の軽視があると思いました。人間には、そんな力はないんです。正確 なところを言えば、「イメージに操作される」のが人間です。
 「良質な文章問題」がつまらないのは、大人が子供に対して「たくらむ」からです。それを悪だと自覚してやるのならともかく、糸山なんぞは、論理に奉仕す るだけの文章から得られるイメージを、思考力だなどと普遍化するのです。それが犯罪だと言っているのです。

>純粋に論理をつかむ力、思考する力は将来何か考える時のいい道具になると思います。糸山さんも「(理論上)正しいことがそれを実行していいという判断基 準にはならない」って言ってるので良質な文章問題を解く力=人間の思考とは思っていないハズです。

 そりゃそうです。

>日本語の文章を素読することについて質問させて下さい。
おいらは素読に関して全くの素人なので自分で少しその効能を体感してみたいのですが、テキスト→難度を含み、興味がある内容。
やり方→(イメージできるところは)イメージしながら音読。※補助として辞書を引いたりする。でいいんでしょうか?

 辞書なんかひかなくていいですよ。難度を含む文章(馬鹿らしいほど簡単ではなく、胃が痛くなるほど難しくはない文章)をただ単にすらすらと読めるように なるようにしてみて下さい。それを継続してみて下さい。
 それで何が起こるのかは、私は本当のところはわかりません。
 むしろ、それで何が起こったのかをここに公開していただくのがいいと思います。もし本当にやっていただけて、公開していただければ、非常に世の中のため になると思います。

>効能としては
・最初は分からなかったところの論理がつかめるようになる。
・自分なりの意味をもてるようになる。
 素読というのはまずは論理をつかむことを目標に音読→論理をつかむ→さらに音読→自分なりの意味の獲得という流れでしょうか?(もちろんこれは大まかな 話です。論理をつかむ前だっていろいろ意味を考えながら読むハズですから)

 ええ。「大まか」なところでいいのですから、ともかくやってみて下さい。論理が先でも感覚が先でもどっちでもいいのです。しょせん、それらが一体になる べきなのです。要点は、難度のある文を、実際に自分の口を動かしてすらすら言える(読める)ようにするという簡単な原理が一つあるだけです。


>1.論理をつかむ過程で→>>イメージに厚みができ、その語の「イメージの核」ができる
2.自分なりの意味をもてるようになる=一度形成された「イメージの核」が、具体的な言葉(慣れきった言葉)を脱いで、イメージが動くようになる。
ということでしょうか?

 糸山の文章題のようなやせ細った数学的論理を考えるのでなければ、「論理」というのは、通常、「文脈」と言われているものと同じです。
 このあたりは、まあ、とにかくめくらめっぽうでもいいですから、実際に声に出して読んでもらえば、私が下手に説明するよりずっとよくわかるはずです。

 お答えにならないような答えで申し訳ないですが、期待しています。
 

【12147】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月 9日(日)03時34分18秒
  >ただ「素読舎親の 会」の新参者としては、

 「素読舎親の会」がまだ存在しませんので、私としては会長さんに任命したいのですが、いやいや、とんでもないとか、いろいろ言いながらで結構ですので、 引き受けていただきたい。
 ひとまず、会長一人、会員一人、どちらも同じ人っていう惨めな事態は回避できると思いますよ。
 らくださんが会員になって下さると思いますので。
 

【12148】
根石さん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 9日(日)07時53分21秒
  教材の件、恐れ入り ます。有効に使わせていただきます。

息子のレッスン第1回ありがとうございました。早速質問なのですが。復習(毎日の練習)についてです。

>週に一度程度英語の音を扱っても扱わなくても

と書かれているからといって、復習(毎日の練習)をしなくても良いというわけではないのですよね。と言いますのは、根石さんが出された音をちゃんと覚えて いられるかというと、かなり怪しいわけです。

「ちょっとやってみ」と言うと、「あれ?なんだったっけ..」と全く飛んでしまっている文も結構あり、練習しようにもお手本の音が記憶の彼方に...。

それでも、次のレッスンまでのつなぎの手本としてのCDは必要ないでしょうか?とりあえず、私の英語らしからぬ読みをヒントとして1回聞かせて、根石さん が出した音の記憶を呼び起こさせて口に乗せさせる、という方法なのですが。そうすると、記憶がおぼろげなので、明らかにおかしいなという音を発していま す。本人も「間違った音で繰り返してもいいのかなあ」などと申しております。
 

【12149】
素読舎親の会   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 9日(日)08時04分21秒
  会員登録希望しま す。  

【12150】
イケてる家庭教育   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 9日(日)09時26分14秒
  >>親が子どもに 「明確な意図を持ってする教育」の方法の一つとして優れていると思って いるだけです。

> そうです。親の思想の質次第ですね。

私は実際に使ってみて、そしてやめた時に「完全否定はしないが、さほど優れているとは思えない」と判断しました。

糸山文章題の“魅力”をキャッチコピー風に言うと「国語力と算数力の一石二鳥!」という感じでしょうか。これは親に受けると思います。

第一に、前に書きましたが、子供の学力問題は昔から算数・数学をめぐってなされると相場が決まっています。ここのところの学力低下論、反ゆとり教育論も、 経済学者・西村和雄さんの『分数ができない大学生』(東洋経済新報社)が火付け役だったと思います。

算数は中学受験にも関係しますし、受験が関係ない親にとっても、自分が数学嫌いだった記憶のある方が多いと思われるので(根石さんも“自白”されてます ね。私も高校時代は常に赤点との戦いでした)、子供にはそんな思いをさせたくないな、というのがあると思います。

そこに、OECDの学習到達度調査で云々、という情報がニュースで流れ、それを裏付けます。日本の子は理数系に弱い。そもそも嫌いと答える子が多い、と。 元々、実感があるので大いに説得されるわけです。私は、OECD云々は、単に反ゆとり教育派による利権復活のプロパガンダだと踏んでいますが。

では、公文か。なんか違う。百マスか。これもなんか違う。計算だけで大丈夫なのか???そこに「文章題が解けないのは、考える力が無いからだ」と来られる と、「そうだそうだ、私もそうだった」となります。

第二に、国語力ですが、国語については、これまであまり取り上げられてきませんでした。ここで根石さんの過去ログ(NO.102)でのご発言を引用しま す。

> ではその日本語ですが、小学校の教室でやっている「国語」という授業の日本語の扱いかたは相当でたらめなものだと思います。私は中学1年生に、 「ニュー・クラウン」とか「ニュー・ホライズン」という英語の教科書の「教科書ガイド」を音読させることがありますが、中学1年生になって、日本語が読め ない子供がたくさんいます。生活言語としての日本語に渡る質を学校の「国語」は持っていません。

このところ、こういった実感は学校で、生活の場で、職場で、多くの大人たちに共通のものになってきたと思います。

そして、これもまたOECDの学習到達度調査で「日本の子供の読解力は低い」とやられ、藤原正彦さんがベストセラー『国家の品格』(新潮社)で「英語より も国語」とお書きになっていたりするので、すわ国語力、となるわけです。

そういった状況の中で「国語力も算数力も、そして考える力もこの教材でバッチリ」といったプレゼンをされますと、それだけで飛びつく親は多いはずです。糸 山さんが巧いと思うのは、そこに「思考の臨界期」「視考力」といった“理論武装”を施しているところでしょう。

しかし、考えてみれば、それほど難しく考える必要などないわけです。国語力と算数力の両方(そして「考える力」も)を伸ばしたい、と考えたとしても、一つ の方法(教材)で同時に伸ばさなければならない理由はありません。糸山さんは「ゆっくり・ジックリ」と謳っているわりには、方法論において効率を求めすぎ という感じがします。国語力に関して言えば、それはそれで伸ばせばよいのですし、それが本筋でしょう。単純な事だと思います。

そして私は、絵図とか算数力とかいう以前に、文章を読むところで引っ掛かっている息子を見て、この方法じゃダメだな...と思ったわけです。聞いてみよう さんがおっしゃるように

>子どもが好き好んで「良質な文章題」に取り組むようになるまで「ゆっくり、じっくり、丁寧に」誘導したり待ったりすればいいんじゃないでしょうか?

という方法も、もちろんあるとは思います。しまりすさんは粘り強くそれを実践されているのでしょう。しかし、それだけの価値があるかどうかが、今度は問題 になってきます。

>文章とか文とかいうものには、論理に奉仕する文章や文がある一方で、感情や不定に奉仕する文章や文もあるんです。
 糸山の作る文章題は、ひたすら論理に奉仕するだけです。

と根石さんが言い当ててくださっています。つまり、国語力を高める必要があるとしても、その教材として算数の文章題はないだろ、というごく当たり前の感覚 です。

その後、かといって私には方法が分らず、国文法の簡単なドリルや出口汪さんの「論理エンジン」(『新日本語トレーニング』小学館)、小説(「走れメロス」 です)の音読を経由して素読にたどりついたわけです。

ふー、長かった。もう少し早く素読にたどり着くべきでした。息子よ、すまん。

何が問題かといえば、以前、しまりすさんがおっしゃっていたかと思いますが、国語力を伸ばすための有効な方法論を示している例があまりに少なく、人目に触 れることが無いということです。

決まり文句のように、本を読ませれば良い、という話になるわけですが、一方で、子供が本を読むようにするにはどうすればいいのか..と途方に暮れる声もま た多いのが現状でしょう。今時、本なんか読みゃしないのです。それは子供に限ったことではないと思います。

素読がなぜ有効だと思うかと言いますと、まずは導入しやすいからです。幼少期に読み聞かせをする親は多いでしょう。そのうち子供は文字を覚え、自分で読み たがります。娘(幼稚園年中)がちょうどその時期にあり、たどたどしいながら、自分で平仮名の本を読みはじめています。もう、読みたくてしょうがないわけ です。字が読めるお兄ちゃんがうらやましいわけです。

子供が自分で本を読めるようになると、たいていの親が読み聞かせをやめてしまうと思います。それを素読に移行してあげると良いのではないか、というのが現 時点での私の考えです。

方法としての素読の良いところは、子供に勝手に読ませるのではなく、かといって読んでやるだけでもないところにあると踏んでいます。本当は、素読舎がやっ ている(やっていた?)ように、日本語素読のプロが施すのが良いのでしょうが、英語でなく日本語なら家庭でもなんとかかんとかできるでしょう。

この過程で、文章を読む事に対する抵抗感が無くなり、読む事の楽しさを感じるようになれば、自然と本を手に取るようになるのではないか、と思っています。

再び過去ログ(同じくNO.102)から。

> 小学生にちゃんと日本語の「音読」をさせれば、彼らは日本語の磁場の中に生きていますから、音読がこなれた文は自然に充電されます。生活言語からの充 電、生活言語への放電が交互に自然に起こるのが、日本人の日本語の素読だと思います。
 きわめて乱暴なことを言えば、分析的な文法知識(しかも基底のあやふやなニセ文法)を放置して、まずはさまざまな(古典も含めた)日本語に対して「音 読」「素読」をちゃんとやるべきです。再度乱暴に言えば、小学生の間はそれで十分だと考えています。
 

【12151】
根石さん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月 9日(日)10時17分19秒    編集済
  会長うんぬんはとも かく、素読舎の実践を親の立場から応援することは、ぜひやっていきた いものです。

しかし、親の立場ということを意識すると、英語(語学)と国語(批評)に関する力を、自分がどうつけるのか、という問題と、子どもにどうつけさせるのか、 という問題が二重写しになって、なかなか一筋縄でいかなくなってきますね。

通常の教育論が、ひどく明快である代わりにつまらないのは、親自身の問題をカットした上で、既製品の思考力や英語力を自明のものとして、それをいかに子ど もに与えるのかという技術論に終始しているからのような気がします。

今は、語学とともに、自分自身の素読についても検討中ですが、自分にとってある程度の難易度を持つ文章ということになると、どうしても明治期の「漢文脈」 の文章ということになります。
しかしそうなると、現代日本文と漢文脈との関係という問題も引きずり出されてきて、これもまた一筋縄ではいかない問題につながっていきそうです。
 

【12152】
親自身のための教育論   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 9日(日)11時33分57秒
  >通常の教育論が、 ひどく明快である代わりにつまらないのは、親自身の問題をカットした 上で、既製品の思考力や英語力を自明のものとして、それをいかに子どもに与えるのかという技術論に終始しているからのような気がします。

重要なご指摘と思います。

これから近所の祭りに出かけますので、また書きます、会長!
 

【12153】
DS脳   投稿者:Jackie  投稿 日:2007年12月 9日(日)13時28分12秒    編集済
  帯広】小6学級、任 天堂DS使って朝学習…「授業より楽しい」「すぐに正解分かり、間違 い直せる。一斉授業ではできないメリット」
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196922215/l50

1 :早よ説教部屋に来栖川芹香 m9( ゚д゚) → ネットナンパ師φ ★:2007/12/06(木) 15:23:35 ID:???0

<帯広柏小の6年生 携帯ゲーム機で朝学習 漢字の読み書き、計算に活用 集中力高く、意欲向上>
http://www.tokachi.co.jp/kachi/0712/12_05.htm
帯広柏小学校(對馬克憲校長、児童462人)は児童の自主学習を促進して基礎学力
を高めようと、携帯ゲーム機を学習に取り入れている。漢字と計算ソフトを使い、朝学
習で6年生67人が活用。児童は教職員が驚くほどの集中力を見せ、漢字力や学習
意欲向上などの効果が表れ始めている。

文部科学省の委託を受け、全国13の小・中、高校に「ニンテンドーDS」を貸し出して
学習成果を調査しているNPO法人「パソコンキッズ」(本部東京、赤堀侃司代表理事)
の事業の一環。北海道は柏小のみが参加している。

柏小は個別指導の充実や学習意欲を喚起する目的で補助教材的に導入。10月上
旬から毎週水・木曜日の朝学習(午前8時20−40分)で実施、漢字能力検定協会
公式ソフトでは書き取りや読み取りのほか、画数や部首など漢字の成り立ちも学ん
でいる。

児童は私語もせずに、真剣な表情でゲームに集中。出題範囲が小6までの漢字検
定5級をすでに終え、高校卒業レベルの2級に挑戦する児童も。学校の漢字テストで
も高得点傾向にあり、学力定着が図られているという。

楠本歩未さん(12)は「授業よりもDSの方が楽しい。漢字が好きになった」、竹田亮
哉君(11)も「進んで勉強する気持ちが強くなった。DSで勉強するのは当たり前」と
笑顔。6年生の担任の青木啓洋教諭は「すぐに正解が分かり、間違いを直せるのが
一斉授業ではできない特徴。短い時間を有効に使える」と話す。





>柏小は個別指導の充実や学習意欲を喚起する目的で補助教材的に導入。10月上
旬から毎週水・木曜日の朝学習(午前8時20−40分)で実施、


私が小学生のころも算数の計算とか漢字の書き取りなどを行う、朝のドリルタイムというのがありました。ううっ、あんまりやりたくないなーというのが思い出 です。
DSを本格的に授業に取り入れるのは問題がありますが、週2回×20分ぐらいなら、
ゲーム性で楽しく、悔しく、それが動機付けにもなるのなら、まあよいかと。



>来年1月からは、2年生が授業時間内で掛け算・九九の復習に活用する予定。


しかし、だんだんDSが授業を侵食していくとしたら考えものです。DS脳はキケン。
瞬時に○か×を出す結果を出すことが当たり前になり、「あいまい」「宙ぶらりんゆえの空想や試行錯誤が育たない。
思考することが中断される。迷ったからこそ、苦労したからこそ、深く根付くものがある。



「Yes、かNoか。改革か改革をやめるか、正義か悪か、郵政民営化に賛成か反対か」


あー反吐がでる。



DSとやらは、液晶に「ペン書き」の手書き感覚が味わえるそうですが、紙に鉛筆で書く手書きとは違うでしょう。
そして液晶から目に入るものと、本、紙から目に入るものでは、脳に記憶される頻度が違う。場所も違うように私は感じます。


電子本よりやはり紙の本がいい。
電子本は読んだ気がしない。

デジタルをとりいれつつも基本はアナログで。

効率を重視した教育には行間がなく、行間がないと、根が張らない。
 

【12154】
DS 是か非か   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月 9日(日)18時10分48秒
  学校の授業にDSが 導入されることについては、他のさまざまな試聴覚教材が使用されるの と同程度に、賛成の反対なのだ(バカボンのパパ風)。授業での使用にせよ、遊びとしてにせよ、やり過ぎ注意!ということに尽きると思います。

私の息子の場合は、完全に放任すればDSはやり過ぎるでしょう。大大大好きですので。ですので「いつまでゲームやってんの!没収だ、没収!」と家内が しょっちゅう雄叫びをあげています。

そんな息子でも「漢検DS」「計算DS」には見向きもしません。「ドリルなら紙のやつの方が良いなあ」「学校で授業でやるって言われたら?」に対しては 「微妙..」

DSにしてもインターネットにしても、一時期問題になった映画バトル・ロワイアルにしてもそうですが、本当に注意してほしいと思うのは、安直に犯罪と結び つけるタイプの言説です。ゲームやネットや映画で人格が壊れて人を殺す、というたぐいの物言いです。本当に良く考えてから発言してほしいと思います。犯罪 の背景には、今もって貧困の問題や制度がもたらす疎外の問題など深刻な問題があるにも関わらず、この手の言説は、そういうものを覆い隠す役回りしか演じる ことがないからです。
 

【12155】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月11日(火)00時37分21秒
  >犯罪の背景には、 今もって貧困の問題や制度がもたらす疎外の問題など深刻な問題がある にも関わらず、この手の言説は、そういうものを覆い隠す役回りしか演じることがないからです。

 同意。
 残酷な映像が、人間を残酷にするという「直線的」な考えは、「良質な文章問題」などに「問題がない」と考える人が持ちやすいものかもしれないと思いまし た。「良質な文章問題」が良質であればあるほど、やせ細った数学的な直線的な論理への信仰が生じやすいかもしれません。
 「存在のふくらみ」というものが、下水に流されてしまうかもしれません。80年代頃からの非常にあぶない傾向だと言えば、またあてずっぽうになるのかも しれませんが、この頃に何か決定的な転回点があったように考えています。それが何なのか、いまだわかりませんが。
 

【12156】
Jackie さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月11日(火)00時41分12秒
   任天堂DS
 くさいですね。
 銭が動いている感じがします。
 溶融炉の場合は、「地元対策費」という金が動くようですが、ここにも同種の金が動いている感じです。
 くさい。
 

【12157】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月11日(火)00時44分26秒
  >これから近所の祭 りに出かけますので、また書きます、会長!

 これで決まりです。
 もう、会長になってしまっています。
 多数決ですからどうしようもありません。
 根石とらくださんの二票を獲得してしまったので、こりゃ、圧倒的ですね。
 

【12158】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月11日(火)00時59分42秒
  >会長うんぬんはと もかく、素読舎の実践を親の立場から応援することは、ぜひやっていき たいものです。

 よろしくお願いいたします。

>しかし、親の立場ということを意識すると、英語(語学)と国語(批評)に関する力を、自分がどうつけるのか、という問題と、子どもにどうつけさせるの か、という問題が二重写しになって、なかなか一筋縄でいかなくなってきますね。

 眼目は、子供がのめり込むほど面白がるかどうかだと思います。その場合に、親やコーチがやれることは、邪魔を取り除くことだと思います。
 積極的に子供に対して何かするのではなく、(消極的に?)しっかりと邪魔を取り除いてやることではないか、と。
 手前味噌を承知で言いますが、英語学習で言えば、ちゃんと「音づくり」をやるところを選びとることで、英語学習における邪魔の最大のものを取り除くこと ができます。子供に対して、ちゃんと音づくりをやらないことが、その後の子供の英語獲得にどれほどの邪魔になっているかが、いまだ日本人の英語学習の共通 認識になっていません。
 らくださんも matsu さんも、日本の親たちの先頭に立ったのだと思っていただいていいと思います。
 その意味でも、matsu さんに親の会の会長をやっていただきたく思います。特に仕事はありません。会長じゃあ、とときたま威張っていただけば結構です。
 そして、素読舎の方法に対する批評をお願い致します。

>今は、語学とともに、自分自身の素読についても検討中ですが、自分にとってある程度の難易度を持つ文章ということになると、どうしても明治期の「漢文 脈」の文章ということになります。

 具体的には、どんなテキストを考えておられますでしょうか。
 面白そうだと思ったら、私も始めますのでお教え下さい。
 

【12159】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月11日(火)01時33分14秒
  >そういった状況の 中で「国語力も算数力も、そして考える力もこの教材でバッチリ」と いったプレゼンをされますと、それだけで飛びつく親は多いはずです。糸山さんが巧いと思うのは、そこに「思考の臨界期」「視考力」といった“理論武装”を 施しているところでしょう。

 同意。
 吉さんの神、糸山。糸山の神、「思考の臨界期」「視考力」。
 それを撃てばいいのだと思って、めんどうくさくてしょうがないのに、書いてきました。とうてい理論としての体裁は備えていませんが、いかにもいかにもと いう具合に書くのは糸山は上手です。
 何が「臨界期」かよ、と思います。
 そんなことを言うなら、あらゆる年齢の人があらゆる場面で「臨界期」を迎えていることをどうしてくれるんだ。
 糸山よ、おれの臨界期=インポテンツは、なにか「良質な・・」でどうにかなったってんかよ。吉さんの口調で言わせてもらうが、糸山さん、答えてくださ い、だよ。
 あああ。

>しかし、考えてみれば、それほど難しく考える必要などないわけです。国語力と算数力の両方(そして「考える力」も)を伸ばしたい、と考えたとしても、一 つの方法(教材)で同時に伸ばさなければならない理由はありません。糸山さんは「ゆっくり・ジックリ」と謳っているわりには、方法論において効率を求めす ぎという感じがします。国語力に関して言えば、それはそれで伸ばせばよいのですし、それが本筋でしょう。単純な事だと思います。

 世の中に平常心があるのだということを、糸山はなめています。
 だから駆り立てるのです。
 糸山には、嘘つけこのやろ、と言っておけばそれでいいのだと思います。
 理論にも何にもなっていない。口当たりはいいですがね。

>つまり、国語力を高める必要があるとしても、その教材として算数の文章題はないだろ、というごく当たり前の感覚です。

 同意。
 糸山なんぞがのさばっている間は、日本はその分だけ確実に貧しくなるでしょう。

>ふー、長かった。もう少し早く素読にたどり着くべきでした。息子よ、すまん。

 おやじさんとしては、matsu さんが具体的なテキストを提示してくれたら、一緒に素読を始めてみませんか。2,3年すれば、スカイプが動くコンピュータが2,3万になると思いますの で、その頃まで、各自自習して、この掲示板に報告する程度のことをやり、その後、matsu さんとらくださんと私と、スカイプでつないで素読をやりませんか。

>決まり文句のように、本を読ませれば良い、という話になるわけですが、一方で、子供が本を読むようにするにはどうすればいいのか..と途方に暮れる声も また多いのが現状でしょう。今時、本なんか読みゃしないのです。それは子供に限ったことではないと思います。

 邪魔を取り除くことをやってやらないで、本を読めと言ったって駄目なんだということだと思います。また、本当に本を面白がるのは、本人が何か問題を抱え 込んだ時なのだということを外して、本を読めなどと言ってもしょうがないんだということもあります。
 誰だっていずれ問題は抱え込むのですから、親やコーチは邪魔を取り除くことだけやっておけば義理は果たせたものと考えていいと思います。

>素読がなぜ有効だと思うかと言いますと、まずは導入しやすいからです。幼少期に読み聞かせをする親は多いでしょう。そのうち子供は文字を覚え、自分で読 みたがります。

 うちの孫とだいぶ違いますね。うちの孫は、いまだ字に敵対しています。おもしろいなと思って見ています。

 ただ、いくつか字を覚えかけているので、素読用というか音読用に、今日、孫にテキストを作ってやりました。塾で、おにいちゃんやおねえちゃんが字を読ん でいるので、たまに自分でも字を読みたがるときがあるのです。その時に、じゃあこれを読んでごらんと言って読ませるように女房に言ってあります。半分くら い知っている字を使い、半分くらい知らない字を使って作ってあります。なるべく画数の少ない字を使っています。画数が少ない方が、目になじみやすかろうと 思ってのことです。「そうま」というのが、孫の名前です。
------------------------------------------------------
そ、う、ま、は、に、か、い、し、り

そうまは、にかい
しり、かいかい
そうまに、かに
かには、はう
しりに、はう
しり、かいかい

いしに、かに
はうは、かに
かには、はう
そういうまにまに
しり、かいかい

うまうま そうま
まいまう そうま
まうまう そうま
そうま、まい まう
しり、かいかい

いかは、しりか
かいは、しりか
うには、しりか
はかに、しり
しりかいかい

しりは、かいかいか
いしは、いし
そりは、そり
しりは、しり
そりに、しり
しり、かいかい

そういうそうま
------------------------------------------------------

>子供が自分で本を読めるようになると、たいていの親が読み聞かせをやめてしまうと思います。それを素読に移行してあげると良いのではないか、というのが 現時点での私の考えです。

 御意。

>方法としての素読の良いところは、子供に勝手に読ませるのではなく、かといって読んでやるだけでもないところにあると踏んでいます。本当は、素読舎が やっている(やっていた?)ように、日本語素読のプロが施すのが良いのでしょうが、英語でなく日本語なら家庭でもなんとかかんとかできるでしょう。

 糸山の「良質・・・」なんかより、ずっと家庭で親と子が一緒にやるのに向いていると思います。
 

【12160】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月11日(火)02時10分1秒
  >教材の件、恐れ入 ります。有効に使わせていただきます。

 今日、クロネコのメール便でお送りしました。

>復習(毎日の練習)をしなくても良いというわけではないのですよね。と言いますのは、根石さんが出された音をちゃんと覚えていられるかというと、かなり 怪しいわけです。

 これに対して、早くお返事を書くべきだと思いながら、昨今のやぼ用のため遅くなりました。お許し下さい。
 「かなり怪しい」ので大丈夫です。まだ始めたばかりなので、子供は私に対して、「このおやじどういうおやじなんだ?」と思っていて、音自体の説明は半分 上の空です。私のレッスンでは、同じ説明を何度でもやりますから、そのうちに子供が「おお、そんなことはわかってるぞ」という気持ちになることがあるで しょう。その頃に、ようやく音が根付くのです。
 大人相手の場合は、復習だけでいいからよくやっておいてくれと言いますが、小学生は「かなり怪しい」で大丈夫です。レッスン(私)に慣れてくると、どん どん正確に吸収してくれます。

>それでも、次のレッスンまでのつなぎの手本としてのCDは必要ないでしょうか?

 CDは今のところ、必要ありません。私は、2,3年してから、もうCDをどんとん使っていいよ、と言います。そうすると、一挙に私の音の質を追い抜きま す。それを見ているのが私は楽しいのです。私の楽しみが減りますので、今のところCDは要りません。

>とりあえず、私の英語らしからぬ読みをヒントとして1回聞かせて、根石さんが出した音の記憶を呼び起こさせて口に乗せさせる、という方法なのですが。そ うすると、記憶がおぼろげなので、明らかにおかしいなという音を発しています。本人も「間違った音で繰り返してもいいのかなあ」などと申しております。

 今のところは、復習すら必要ないということです。ですが、「復習しといてね」と私は子供に言います。「記憶がおぼろげ」のままでいいのです。レッスンの 中で何度でも復習しますし、だんだんはっきりしていきますから、ご心配は要りません。放っておいていただいて大丈夫です。3ヶ月くらいたった頃、息子さん に、「読んでみな」と言ってみて下さい。英語の音が根付いてきているのに気づかれると思います。
 これを小学6年生の一年間にやっておかれると、中学に入ってから、意味やイメージに集中できるので、大変得策です。

 これは、理論化したことがあります。
 「音と意味の二律背反」ということで書いたことがあります。

 現時点での学校対策として、小学6年の一年間に「音」をやっておくと、中学に入って、意味、イメージ、文法に集中できる。
 それが大変お得なのだということです。
 

【12161】
エピソード三つ   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月11日(火)06時56分33秒    編集済
  前回のレッスンのあ と、息子がへらへらしているので聞くと、根石さんがおかしかったとい う。冠詞の説明でさりげなく根石さんが使った喩えが、子どもの笑いのツボに入ったらしい。
根石さんといえば、『根石吉久の暮らしの手帳』ミッドナイトプレス社。
抱腹絶倒のエッセイ満載で、根石さんが日本語磁場の中で鍛え上げた言葉の力の真髄が味わえます。未見の人はぜひ注文を。
ただ、息子には、まだ見せるのはもったいない?!

レッスンのあと、いっしょに回転読みの練習をしていたら、僕の発音に、息子が、おや、といぶかしげな顔をする。しっかり子どもに発音をなおされました。
受験英語では発音記号に意識的なつもりだったし、今はCD聞いているのに。うれしいような、かなしいような。
たしかに僕の耳でも、3回のレッスンで、音の変わりようはびっくりです。

友人との勉強会の席。言葉に敏感なその友人が、根石吉久という名前の字の並びがとても美しい、という。
ねいしきちく、と読ませたりしない?と聞かれました。
根石さん、どうでしょうか。
 

【12162】
根石さん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月11日(火)12時10分14秒
  > 今のところは、 復習すら必要ないということです。

承知しました。とりあえず放っておきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。何か私から申し伝えたほうが良いことがあればお知らせください。

>まだ始めたばかりなので、子供は私に対して、「このおやじどういうおやじなんだ?」と思っていて

おっしゃる通りで。

「根石先生ってどんな顔してるのかなあ。気になるぅー。」

と申しておりました。

「かなり怪しい」と言えば、私のオツムのほうが怪しいかもしれません。

「あいへう゛ぉ、あいへう゛ぉ...」と言うので、何のこっちゃ、と思ったのですが「I have a ....」のことでした。私のオツムの中は「あいはぶ」ですから、早くも英語の音の世界に入っていったんだなーと。
 

【12163】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月12日(水)01時18分51秒
  >何か私から申し伝 えたほうが良いことがあればお知らせください。

 今のところ特にありません。

>「根石先生ってどんな顔してるのかなあ。気になるぅー。」
と申しておりました。

 どこかに顔を載せたページがあったような。
 村田君、どこだっけか?

>「あいへう゛ぉ、あいへう゛ぉ...」と言うので、何のこっちゃ、と思ったのですが「I have a ....」のことでした。私のオツムの中は「あいはぶ」ですから、早くも英語の音の世界に入っていったんだなーと。

 これについて、少し説明します。
 have の綴りの中にある a は「一瞬般若」というあだ名の音です。
 通常、子音と子音に挟まれた「綴り上の a」が、日本人の耳に「ア」と聞こえる場合に、「一瞬般若」になります。
 これを生徒さんに出させるときの説明法は、「口の両端を斜め上にひっぱりあげて『ア』と言う」です。
 これは、通常の発音の教科書の記述とは違っています。通常の教科書では、口の両端を横にひっぱり、同時に顎をさげて「ア」と言うというような説明になる かと思いますが、この説明の仕方では、口の両端の動かし方と顎の動かし方の二つを意識しなくてはなりません。これだと、すぐにコツをつかむことが難しくな ります。子供が二つのことをするのだと思いがちだからです。
 私が口の両端だけを意識させるのは、口の両端の動きと顎の下がりとで、どちらが「一瞬般若」の音の本質を決定しているかと考え、口の両端の動きの方にあ るとしたためです。口の両端の動きだけで、充分に「通じる音」は確保できます。
 ただし、顎の下がりを加えた方が、上品な音にはなります。だから、ひとまず、口の両端だけで「一瞬般若」を作り、その音が充分に安定してから、「実は同 時に顎を下げてもいいんだよ」と言います。ひとまず本質部分を確保し、その後にさらに音を変形させるというやり方をしています。動き(体感)の変容として 二段階で扱うのであり、初めから二つのことを同時にやらせるということは避けています。

 二段階の一段目をやったばかりなので、「あいへう゛ぉ、あいへう゛ぉ...」と聞こえるわけです。そのうちに、まぎれもない「一瞬般若」の音が穫れます ので、少しお待ち下さい。
 

【12164】
根石さん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月13日(木)10時00分40秒
  「イメージ核受肉教 材」届きました。ありがとうございます。

これは過去ログにたびたび出てくる『ゴースト』をベースにした教材なんですね。レッスンの各段階における教材の位置づけなんですが、

小学生は「語数別」
中学生は自分が学校で使っている教科書
高校生以上は「イメージ核受肉」

という捉え方で良いのでしょうか。この「イメージ核受肉」は膨大な分量で、そうそう終わりにはならないでしょうから、高校生以上はかなり長期間、この教材 で勉強するということになるわけですね。

一見した印象としては、映画のシナリオを題材としつつ、これだけ詳細な単語・文法解析が施され、かつ分量が確保されたものは、ちょっと無いだろう、と思い ました。

独りで使う際にはDVDの音を媒介にするということになると思いますが、学習用教材のCDではないので、どの程度聞き取れるか???というところが今後の 問題と思っています。

蛇足ですが『ゴースト』は昔、彼女と映画館で見ました。その「彼女」は今のカミさんなので、あまりロマンチックな思い出とは言えませんが。
 

【12165】
素読舎親の会   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月13日(木)23時04分7秒
  根石さん らくださ ん

「暫定」会長ないし「お飾り」会長として、がんばりたいと思います。
レッスンの受講の有無にかかわらず、素読舎の方法に学ぼうとする親子が、気安く情報を交換し、時にはハードな議論を積み重ねる場となればいいですね。
 

【12166】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月14日(金)00時00分29秒
  >前回のレッスンの あと、息子がへらへらしているので聞くと、根石さんがおかしかったと いう。冠詞の説明でさりげなく根石さんが使った喩えが、子どもの笑いのツボに入ったらしい。

 多分、、a と the の違いの説明のことだと思います。その時、こんなことを言いました。

the っていうのは、話している人どうしで、何をさしているかお互いにわかっているものに使う。だから、部屋の中にいて、Open the window. と言えば、まず間違いなく、話している人たちがいる「その部屋の窓」になる。このときに、Open a window. と言うと、いきなり部屋を飛び出して、100メートルくらい走って行って、どこか知らない人の家の窓を開けてきたってかまわない。 a っていうのは、「適当などれか一つ」ってことも表してしまうから、どこの家の窓でもいいんだ。

 どこか知らない人の家の窓をいきなり開けてしまうイメージが息子さんにはおかしかったらしく、説明しているとき、声をたてて笑っていました。

>ただ、息子には、まだ見せるのはもったいない?!

 どこかにわずかながらエロが混じっていたような覚えがありますので、そのへんをどうするかですね。ご判断におまかせします。テレビコマーシャルなんか で、エロは結構茶の間に入り込んできますので、どうってこたあねえのか、どうなのか。エロがわかると、子供の身には結構切ないです。この切なさと危なさを なんとか乗り切って、子供は大人になっていくんですけど、親としてはどうすりゃいいんでしょう。難問です。

>レッスンのあと、いっしょに回転読みの練習をしていたら、僕の発音に、息子が、おや、といぶかしげな顔をする。しっかり子どもに発音をなおされました。
受験英語では発音記号に意識的なつもりだったし、今はCD聞いているのに。うれしいような、かなしいような。
たしかに僕の耳でも、3回のレッスンで、音の変わりようはびっくりです。

 初めの3ヶ月くらいで、音はどんどん変わります。
 安定してくるまでには、2年から3年くらいかかります。(これが私が長いこと小学4年生から生徒さんを受けつけてきた根拠です。小学校のうちに音を安定 させ、中学に入ったら、意味・文法に専念してもらえば、まともな音で英語のあらゆる練習ができるからです。これに害が生じないことは、先日書きました。)
 今は混乱してもらっている段階ですが、かなり混乱させてから、「あいうえおフォニックス」の説明をすると、単語の綴りから音を割り出せるようになりま す。この「あいうえおフォニックス」は非常に例外が少なく、今のところ、例外としてすぐに思いつくのは、sergeant の er,  heart, hearth の ear くらいのものです。(これについては、ご要望があれば、後日この掲示板上で説明いたします)
 「あいうえおフォニックス」が身に付いて、綴りを見たら感覚的に瞬時に音にできるようになると、学校の教室の中で「一人だけまともな音を出している生 徒」になりがちで、これが問題と言えば問題です。
 私の生徒が高校生になったばかりの時、AETの英語ネイティヴが、授業が終わってすぐに、私の生徒の机のところに来て、「あなたは、どこか外国で暮らし ていたことがあるのか」と聞いたそうです。「一人だけ音が違う(まともだ)」と言ったそうです。これは生徒本人が私に言ったのではなく、お母さんが「おか げさまで」という言葉と一緒に私に伝えてくれました。
 この子は、学校の教室でもまったく平気で私の作った音で発音していたのですが、別の子は、学校の教室用と私のレッスン用とで音を使いわけていた節があり ます。これも本人ではなく、お母さんから聞きました。
 使い分けは余計な労力になりますが、生徒が非常に控えめなおとなしい子で、一人だけ教室で、違う(まともな)音を響かせるのがいやだったらしいのです。 つまり、教室で浮き上がるのを避けるために、余計な労力を使っていたということになります。複雑な気持ちになったのを覚えています。

 それほど、現在の学校がよしとしている「音」はまともでないのです。

>ねいしきちく、と読ませたりしない?と聞かれました。
根石さん、どうでしょうか。

 「きちく」っていうのは、「鬼畜米英」の「鬼畜」でしょうか。
 どうもいやな感じですね。アメリカ人でもイギリス人でも、ひとりひとりと話をしているぶんには、全然「鬼畜」ではないんですが、アメリカ国家とかイギリ ス国家になると、とたんに「鬼畜」って感じがします。それは別にアメリカやイギリスに限ったことでなく、中国なんかが戦時中に日本の軍がやったことを「鬼 畜」扱いする一方で、チベットに対しては平気で自分で「鬼畜」をやっているわけです。朝鮮でも、中国でも、日本でも、アメリカでもイギリスでも、国家は全 部「鬼畜」だと言っていいと思います。
 こんなことを書くと、また、徹底的な反国家思想としてまた吉本の話に戻ってしまいそうですが・・・。
 私は、自分では鬼だと思っていますが。あるいは、戦後民主主義の鬼っ子だと。

------------------------------------------------------
 以上、二日ばかり前に書いたのですが、掲示板がメンテナンスをやっていたせいかどうか、掲載しようとしてできませんでした。
 遅れましたが、今日掲載いたします。
 

【12167】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月14日(金)00時09分18秒
  >「暫定」会長ない し「お飾り」会長として、がんばりたいと思います。

 よろしくお願いいたします。

>レッスンの受講の有無にかかわらず、素読舎の方法に学ぼうとする親子が、気安く情報を交換し、時にはハードな議論を積み重ねる場となればいいですね。

 そうですね。もっと生徒さんも親御さんも書いてくれればいいと思っていますが、なかなか書いてくれません。議論をやるからとっつきにくいとはよく言われ ます。「がちがちの語学論」が看板ですからしょうがないのですが・・・。
 

【12168】
大人の素読   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月14日(金)00時28分54秒
  >おやじさんとして は、matsu さんが具体的なテキストを提示してくれたら

素読や音読に関しては、語学以上に手付かずの領域で、テキストを提示するどころではないのですが、せっかく振っていただいたので、考えを書いてみたいと思 います。
荒削りのたたき台、のつもりですので、その点ご容赦を。

素読とは、自分にとって未知の言語をマスターするために、意味よりも音を優先させて、音読の習得から入っていく方法であると定義するとします。
日本人が英語をマスターする場合が、その典型となるでしょう。
小学生が、難度の高い文章を「素読」する場合は、どう考えるべきなのか。
「話し言葉」と「書き言葉」を異質の言語と考えれば、とりあえず前者をマスターした子どもが、後者の言語へと渡るために、ある程度パターン化した素読を利 用できるということのような気がします。

それでは、「話し言葉」も「書き言葉」もある程度習得した大人にとって、単なる音読ではない素読の効用はどこにあるのか。
当人にとって十分異質性をもった言葉や思考の体系へと身を投げ出し、それを我が物とするために、素読という方法が有効なのだろうと思います。
しかし、その異質性の内容が、大人の場合は各人において違い、そのために素読の標準的なテキストを定めにくい、というのが僕の今の感じです。

たとえば、吉本隆明の散文は、それが外国語のように難しいという人にとっては素読の対象となるでしょうが、それを理解する根石さんにとってはそうではない でしょう。
あるいは書き言葉の世界にすでに侵入している大人は、すでに様々な価値判断や嗜好をもっているので、その人にとって理解する意欲を起こさせるものでない と、素読の対象とはなりえません。
たとえば、柄谷行人の散文が、根石さんにとって異質性を持つとしても、それをわざわざ素読する気にはならないと思います。(本人の価値感や嗜好をとりあえ ず度外視して、「いいもの」を推薦できる子どもと、この点で異なるでしょう。)

すると、現代日本の大人にとって、ある程度共通して異質性のある言語、というと、前近代の「古文」や、戦前の文語文、ということになるかもしれません。そ のとき、ごく大雑把にいって、近代人としての僕たちが、同時代の読み物としての関心を持ちやすいのは、明治期以降の文語調の文章という気がします。
しかし、その場合も、それが同時代性を帯びているだけに、その選択には各人の価値観がからんでくるだろうと思います。

実は今、僕が素読を検討しているのは、明治の宗教哲学者清澤満之(きよさわまんし)の文章なのですが、真宗大谷派の宗門の修行者としての匂いの強い彼の文 章を、あまり人に薦める気はありません。
らくださんや吉さんの取り上げた「茶の本」あたりが一般的なような気もしますが、僕個人には岡倉天心をぜひ読もうという動機はとりあえず希薄です。

このあたり、まだ、こんな感じがするというだけで、実際はまだよくわかりません。
各人の思想や嗜好と離れた、中立的にすぐれたテキストというものが存在するのかもしれません。
うまく努力が持続するかはわかりませんが、いろいろ試行錯誤しながら、途中経過をもとに議論できたらと思います。
 

【12169】
根石さん近影   投稿者:村田  投稿日: 2007年12月14日(金)00時39分19秒
  写真はこちらです。
http://nagano.cool.ne.jp/ha98000/neishi.jpg
 

【12170】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月14日(金)00時49分57秒
   無事届いたようで 安心しました。

>小学生は「語数別」
中学生は自分が学校で使っている教科書
高校生以上は「イメージ核受肉」
という捉え方で良いのでしょうか。

 小学生は現在は3年生から受け付けていますが、3年生から5年生までは、「語数別分類」、6年生から入学予定の学校の教科書、中学生は学校の教科書、高 校生以上は「イメージ核受肉」となります。それ以外に、上級者向けに、「どしゃぶり型レッスン」というのがあり、現在、佐賀県の高校の英語の先生が一人だ けやっておられます。

>この「イメージ核受肉」は膨大な分量で、そうそう終わりにはならないでしょうから、高校生以上はかなり長期間、この教材で勉強するということになるわけ ですね。

 そういうことになります。私の勝手な定義ですが、中学レベルの文法がものになっていて、中学の教科書がまともな音で音読できるというくらいから中級とし ています。それ以前が初級になります。
 どこから上級かというのを決めるのは難しいですし、上級になった人も少し練習をやらないでいるとすぐに中級になってしまうという場所が日本(語の磁場) なわけですので、「どしゃぶり型レッスン」を受けておられる方以外のほとんどの生徒さんが中級なわけです。ときどき、小学生、中学生の初級レベルの人が レッスンを受けてくれるだけですから、自作教材としては、中級の人が上級になるところを作ればいいと考えています。
 量が膨大なのは、英語力維持が眼目だと思っているためです。
 英語力を作るのも大変だが、それを日本語の磁場で、生活の中で維持するのは、同じくらい、ひょっとすると、英語力を作るよりももっと大変だと考えていま す。
 レッスンを継続していてもらえれば英語力は維持できると断言するためには、教材は膨大なものにするしかありませんでした。お送りした9万行程度の教材の 7万行程度のところまで追い上げてきている生徒が一人おりますので、とにかく追いつかれてしまうわけにはいかないのです。この生徒は、ただいま大学受験浪 人をしています。

>一見した印象としては、映画のシナリオを題材としつつ、これだけ詳細な単語・文法解析が施され、かつ分量が確保されたものは、ちょっと無いだろう、と思 いました。

 今、9万行を越えたところですが、これはまだまだ作ります。
 文法の説明なんかも、何度でも同じものが繰り返し出てきます。よくわかっているところは読み飛ばしてもらえばいいので、これでもかというくらい同じ説 明、同じ文が繰り返し出てきます。
 今はまだ、大学受験用の参考書から文を採用しているところで、それが終われば、再び、映画のシナリオの「7年目の浮気」の解析を予定しています。「7年 目の浮気」の解析のために、「ゴースト」に出てくる文だけではとうてい足りないので、大学受験用の参考書を「媒介」にしたわけです。
 「7年目の浮気」を解析し終わったら、チョムスキーをやろうか、岡倉天心をやろうか思案中ですが、それまで生きていられるかどうか。

>独りで使う際にはDVDの音を媒介にするということになると思いますが、学習用教材のCDではないので、どの程度聞き取れるか???というところが今後 の問題と思っています。

 先日書きました「口の筋肉の柔らかさ」を獲得する練習をしていただけば、けっこう聞き取れるようになります。試してみて下さい。

>蛇足ですが『ゴースト』は昔、彼女と映画館で見ました。その「彼女」は今のカミさんなので、あまりロマンチックな思い出とは言えませんが。

 いや、それを言うと奥さんが怒ると思います。その当時はロマンチックだったんでしょうから。
 いやはや、うちもねえ。ロマンチックのロの字もねえ。
 あああ。
 

【12171】
村田くん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月14日(金)00時51分13秒
  ありがとう。
なんか、俺、頭てかてかしてんなあ。
 

【12172】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月14日(金)00時52分24秒
   重要な指摘をあり がとうございます。
 一日考えてみます。
 

【12173】
再度、音声編集   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月17日(月)17時42分41秒
  以前、MP3から WAVへの変換などの話題をしましたが、参考になりそうなHPを見つけ ましたので、下記にURLを貼っておきます。

http://members.ld.infoseek.co.jp/hp_yamakatsu/

私は『ゴースト』のDVDから音声を取り出す作業に挑戦中です。ネットで調べてみたら英語学習者がそういうことをやるケースは結構あるようですね。うまく いくものかどうか。
 

【12174】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月18日(火)02時07分47秒
   ありがとうござい ます。
 キリピーに「大風呂敷」を読むよう指示しました。

>私は『ゴースト』のDVDから音声を取り出す作業に挑戦中です。ネットで調べてみたら英語学習者がそういうことをやるケースは結構あるようですね。うま くいくものかどうか。

 DVDからMDに移すと通勤時間など使ってリスニングの練習をするのに便利です。
 MDの録音可能なやつを買わなければならないので、再生専用のより金がかかりますが。
 

【12175】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月18日(火)02時17分46秒
  >素読とは、自分に とって未知の言語をマスターするために、意味よりも音を優先させて、 音読の習得から入っていく方法であると定義するとします。

 「未知の言語」だけとは限らないと思います。
 語学向けの方法ではなく、未知の日本語の語彙を獲得していくにもいい方法です。

>「話し言葉」と「書き言葉」を異質の言語と考えれば、とりあえず前者をマスターした子どもが、後者の言語へと渡るために、ある程度パターン化した素読を 利用できるということのような気がします。

 そうだと思います。

>それでは、「話し言葉」も「書き言葉」もある程度習得した大人にとって、単なる音読ではない素読の効用はどこにあるのか。
当人にとって十分異質性をもった言葉や思考の体系へと身を投げ出し、それを我が物とするために、素読という方法が有効なのだろうと思います。

 はい。それと、暗記ではないけれど、素読で日本語をくたくたに洗濯しておくと、何かものを書くときに、くたくたにしておいた日本語の言い回しが、(その ままの形でなくても)媒介にされ、自分の表現領域を広げると思います。

>しかし、その異質性の内容が、大人の場合は各人において違い、そのために素読の標準的なテキストを定めにくい、というのが僕の今の感じです。

 これはまさにその通りです。

>たとえば、吉本隆明の散文は、それが外国語のように難しいという人にとっては素読の対象となるでしょうが、それを理解する根石さんにとってはそうではな いでしょう。

 吉本の本で、途中まで読んで放り出したようなもの(「共同幻想論」など)を素読の対象にするのは、私にとっていい結果になると思いました。しかし、なに ぶん時間がとれない。しかし、やってみたいです。

>たとえば、柄谷行人の散文が、根石さんにとって異質性を持つとしても、それをわざわざ素読する気にはならないと思います。(本人の価値感や嗜好をとりあ えず度外視して、「いいもの」を推薦できる子どもと、この点で異なるでしょう。)

 柄谷だって、異質性ということで、素読の対象になります。やってみてつまらなかったら、いつでも放り出して、他のテキストに移ればいいわけです。

>実は今、僕が素読を検討しているのは、明治の宗教哲学者清澤満之(きよさわまんし)の文章なのですが、真宗大谷派の宗門の修行者としての匂いの強い彼の 文章を、あまり人に薦める気はありません。

 キモの部分を少しこの掲示板に引用していただけますか。
 興味があります。
 

【12176】
大人の素読プラン   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月19日(水)20時27分34秒    編集済
  1.テキストには一 円も使わない。手持ちの積読本から、素読向きの本を選び出して、間に 合わせる。手持ちの日本語力の活用という趣旨から、テキストも手持ちで。

 探すと、意外と素読向きの本を持っていることに気づきました。論語も二冊発見。素読向きの本は、当然黙読には不向きですぐに投げ出していたわけですね。

2.表現の異質性(異形性)と内容の異質性(難解性)とを組み合わせで、様々なタイプのテキストを試してみる。

 日本人の初学者にとって、英語の素読は、表現の異形性はマキシマムで、内容の難解性はミニマム、ということになると思います。
 大人の素読は、表現の異質性のレベルは落ちる代わりに、内容の異質性により多く向き合うことになります。たとえば・・・

               表現の異質度   内容の異質度
 日本の古典   徒然草      大        中
 漢文      論語       大        大
 明治の文語文  西田幾太郎    中        大
 現代の批評文  柄谷行人     小        中

3.大人の素読は、学力テスト等で学習結果を計ることができないため、読み続けることができるかどうか、それが面白いかどうか、読むことで自分の内部に生 じたものが自覚できるかどうか、等をモノサシに自由にテキストを渡り歩くことになる。

 などと、いろいろプランを考えているうちが楽しいですね。
 やや手を広げすぎの状態ですが、素読という方法で、言葉の海に身をひたす(溺れさせる)ことは、ぜひやってみたいと思います。
 

【12177】
清澤満之   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月19日(水)20時56分19秒    編集済
  >道理と信仰とは互 いに相依り相助くべきものにして、決して相害し相容れざるものにあら ざるなり。相害し、相容れざるは、 彼の信仰と此の信仰との間に存するのみ。ゆえに道理に矛盾背反なく、すべての衝突争闘は信仰と信仰との間に存するものなりと謂うを得べし。此の点に於いて は信仰は道理によりて矯正せらるべきものたり。

キモを示せるほど読んでいませんが、信仰は道理(理性)によって矯正できるという、宗教者らしからぬ断言には、日本で最初に西欧哲学を学んだ仏教者の気迫 がみなぎっている感じがします。
 

【12178】
今日のレッスン   投稿者:Julian  投稿 日:2007年12月21日(金)20時57分43秒
  急な残業のため、今 日午後10時からのレッスンをお休みさせてください。連絡が遅くな り、申し訳ありません。  

【12179】
オヤジの日本語素読   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月22日(土)14時05分52秒
  私もお誘いを受けて いたので一言。日本語の素読については、非常に興味があります。実の ところ、英語よりも、こちらをやり たいというのが本音です。しかし、「英語をやるぞ」と決めたので、当面はそちらに専念したいと思っています。不器用なので、複数のことを同時に始めると共 倒れになる可能性大、であります。始めないのですが、クチバシだけは突っ込ませてください。

> 日本人の初学者にとって、英語の素読は、表現の異形性はマキシマムで、内容の難解性はミニマム、ということになると思います

ああ、なるほど、と思います。なかなか英語をやる気にならなかった理由の一つがここにあると思います。今さら「Hello. How are you?」なんて、やってられるかよ、という感覚です。他言語の場合は、その言語の背景にある「文化の厚み」みたいなものへの関心から入ることが多いです ので、初学者が学習を軌道に乗せる、言わば離陸させる時の浮力が効くと思います。

英語の場合は、それが無いんですね。逆に「アメリカ、糞だな」みたいなマイナス感情が、学習意欲を低下させることこそあるものの。

なので、私は、せめて「内容の難解性」を浮力に使おうと『茶の本』をテキストに選択することを考えたわけですが、それは無茶なことだと分かり、代りに「語 学論」に出会うことで、浮力を手に入れたわけです。今は「Hello. How are you?」を100回素読することが苦痛、と感じることはなくなりました。

さて、日本語ですが、私が素読に関心を持つ理由の一つは、先日、根石さんが書かれていたこと

> 「存在のふくらみ」というものが、下水に流されてしまうかもしれません。80年代頃からの非常にあぶない傾向だと言えば、またあてずっぽうになるのか もしれませんが、この頃に何か決定的な転回点があったように考えています。それが何なのか、いまだわかりませんが。

ということとつながっているような気がしています。私は80年代というと、ちょうど二十歳ぐらいだったのですが、何と言いますか、非常に空疎な気分であっ た記憶があります。それは単に自分自身の心持ちの問題かもしれませんが。個人的な心持ちと言えば、先日、友人にそのことを聞いたら「80年代か。時代の空 気みたいなのはわからないな。俺はその年にジョン・レノンが死んで、何もする気がなくなってたけど」と言っていました。

80年代からこっち、そんな空疎な時代が続いており、それがここ数年は目に見える形で噴出しつつある、という感覚があります。と同時に、そのことに対する 抵抗感と言いますか、見直しをしたいという感覚が、人々に共有されつつあるのではないかという風にも感じます。

それは、大げさに言えば「近代の見直し」というようなことなのではないかと思っています。戦後が問題であった、というよりも、御一新以来、ずっと日本の近 代は問題であり続けたのではないか、ということです。

そして、江戸が見直されます。御一新、本当に必要だったのか。少なくとも、ああいう形でなくてはならなかったのか。最近、みなもと太郎のマンガ『風雲児た ち』を読んでいます。江戸時代の蘭学者達が活写されていますが、江戸って、結構イケてたんじゃなかろうか。と思います。寺子屋、素読、結構イケてたんじゃ なかろうか。

子供も大人も、寺子屋・素読、もっと見直しても良いのではないか。そんな事をここのところ考えております。それにしても、素読の伝統が断ち切られたこと は、大きな損失だったのではないでしょうか。こういうものは、やはり「音」が大切だと感じます。親から子へ、子から孫へ、音が口伝えされることが結構大事 なのではなかったか、と思ったりします。

と、言いますのは、実際に、家庭学習として素読を実践しようとすると、音の問題が頭をもたげるのです。前に、素読は家庭でできる、などと偉そうに書きまし たが、実のところ、問題が無いこともないのです。子供は難しい漢字が読めません。また、イントネーションも間違えます。親が最初に読んで手本を示すには、 漢字が読めて、イントネーションが分からないと手本になりません。

親の教養のレベルが問われてしまうのであります。
 

【12180】
オヤジの英語素読   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月22日(土)20時56分11秒
  『ゴースト』DVD からの音声抽出が無事できました。そこで、この教材について、ごく初 歩的な質問をさせていただければと思います。

今やり始めたことは、まずは教材(A4で印刷すると2000ページぐらいになりますので、最初の50ページほどを印刷)を読んで(黙読)みることです。

過去ログのいろんな方からのご発言にありますように、新出のセリフに関連する既出のセリフや文法説明が、これでもかと繰り返し出てきますが、解説は考え方 の道筋がていねいかつ簡潔にまとめられていて、わかりやすいです。

また、一つのセリフごとに

セリフ→そのセリフに関連した説明→セリフ再録

という流れになっているのは、使い勝手を考慮してのことかと思いますが、セリフが最初と最後に2回収録され、解説がサンドイッチされているのが、とても使 いやすいです。

解説が「be動詞の現在形はam,are,is」といったところから施されていますので、以前、根石さんがおっしゃった通り、私のような再入門派でも無理 なく学習できると思います。内容は、中学の教科書に戻るより楽しいことは言うまでもありません。逆に「where'd=where didの短縮形」といった解説は、普通の学習用教材ではあまり触れられないと思いますので、「へぇー」と感心しつつ楽しめます。

音に関しては、DVDからWAV形式で取り出しPCで聞けるようにしました。

ここで音について疑問が出ました。映画のセリフが「生の英語」と言えるかどうかはともかく、少なくとも学習用教材と違って、文も短縮形や省略が多用されて いますし、俳優がしゃべる音もスピードが速く、音の連結や脱落などが多いと思います。

中学生までの学校教科書を使っての勉強が、プールの中で泳ぎ方を身につけているようなものとすれば、高校に上がってからいきなりの映画シナリオというの は、波も潮の流れも深みもある海で泳ぐようなものなのではないかと感じます。それでも、コーチ付きであれば、溺れることなく冲まで泳ぎだせるようレッスン が進んでいくのだろうとは思いますが。

問題は独りで使う場合ですが(異例なのかもしれませんが)、口に出して練習するときに、聞こえたままを口にすれば良いのでしょうか?質問を変えるならば、 レッスンの場合はDVDの音というより、根石さんの作る音を手本とするのだと思いますが、どういう考え方で作られる音を生徒さんに示されるのでしょうか。

たとえば、最初の方に

・And eighty years of dust.

というセリフが出てくるのですが、私の耳には(あえてカタカナ表記をすれば)

・デイリィイヤーズアダス

という風にしか聞こえないのです。間違いかもしれませんが。

こういう場合にこういう音が消えるとか、つながって聞こえるといった知識面での裏付けを、その都度、発音関連の本などで確認し「こう聞こえるのは理論的に 間違っていない」と確かめた方が良いのでしょうか。

それとも、取りあえず耳に聞こえた通りに口にする練習をしていいものでしょうか?聞こえない音は自分の耳が出来ていないからだ、と考えれば、自分に聞こえ た通りを口にすればいいというものでもないような気もします。

また、

・デイリィイヤーズアダス

は聞き取れれば良いのであって、自分が口にするときに聞こえた通りに真似する必要はなく、つまりリスニング用の練習とスピーキング用の練習とを分け、ス ピーキング用としては

・エンディエイティーイヤーズオヴダスト

という風に、学習用教材っぽい感じに頭の中で修正して練習するのが無難なのでしょうか?

あるいは「口にできない音は聞こえもしない」という方もいますが、

・デイリィイヤーズアダス

と口に出すことを普段から練習しないと聞き取ることもできない、と考えるべきでしょうか?

実際にこういう教材を前にしてみますと、音の問題というのが考えていたよりもずっと大事な問題なのだと感じます。
 

【12181】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月23日(日)04時22分24秒    編集済
  >今やり始めたこと は、まずは教材(A4で印刷すると2000ページぐらいになりますの で、最初の50ページほどを印刷)を読んで(黙読)みることです。

 黙読は後回しにしていただいて、まずは英文の全文(大文字から始まりピリオドで終わるもの)を「回転読み」していただくのがいいかと思います。黙読して も多分面白くないかと思います。
 プリントアウトしていただいてもいいのですが、テキストの自分がやったところまでに印(☆印など)をつければ、パソコンの画面上で使えます。
 パソコンの画面上で使うことの利点は、物質的には、紙やインクを使わないので資源の無駄がないことと、場所を占めないことですが、それよりも大きな利点 は、エディタ(ワープロ)の「検索」機能を使うと、単語、熟語、文法用語などで検索し、いろんな文にアクセスできることです。

>過去ログのいろんな方からのご発言にありますように、新出のセリフに関連する既出のセリフや文法説明が、これでもかと繰り返し出てきますが、解説は考え 方の道筋がていねいかつ簡潔にまとめられていて、わかりやすいです。
また、一つのセリフごとに
セリフ→そのセリフに関連した説明→セリフ再録
という流れになっているのは、使い勝手を考慮してのことかと思いますが、セリフが最初と最後に2回収録され、解説がサンドイッチされているのが、とても使 いやすいです。

 実際に使って下さる人からの評価が一番うれしいです。ありがとうございます。

>問題は独りで使う場合ですが(異例なのかもしれませんが)、口に出して練習するときに、聞こえたままを口にすれば良いのでしょうか?質問を変えるなら ば、レッスンの場合はDVDの音というより、根石さんの作る音を手本とするのだと思いますが、どういう考え方で作られる音を生徒さんに示されるのでしょう か。

 ここにある問題は、私が「語学的標準型」と言ってきたことに関わります。
 「語学的標準型」は、初心者の場合と、中級者の場合、上級者の場合で違ってきますが、私がレッスンで多用するのは、初心者の場合と中級者の場合です。上 級者の場合は、私から吸収していただく分と私が吸収させてもらう分が混在します。
 DVDの音を「聞こえたままを口にすれば良い」かどうかに迷い、それを問題にされている方は明らかに中級者だと私は判断します。
 で、中級者について書きます。
 「語学的標準型」は、以前この掲示板でパクパクさんが書かれた「カジュアルな音」という考えと鋭く対立します。パクパクさんの「カジュアル」という概念 は、学校英語(学校が放置している英語の発音)に対置したものです。学校英語の音というのは、音の問題を放置した場合に日本人の口に(自然に)実現してし まう音のことです。これはもちろんそのままに放置したら駄目なんですが、これをくたくたになるほど使い込むと面白いことになります。以前書いた通り、「回 転読み」で口の筋肉が痛くなるほど口を動かして、「口の筋肉の柔らかさ」を獲得していくと、日本人にとっての英語の音の問題があぶり出しのようにあぶり出 されてきます。柴田さんの言われる「音と音のぶつかり合い」の問題が、「回転読み」でしっかりとあぶり出され、顕在化します。あぶり出し、問題を顕在化さ せた時点で、発音の知識を媒介にすると、一挙に音が変わっていきます。
 これをやってしまうと、私の言う「ア系列の音」の問題が残るだけとなります。
 私のレッスンも、過程をおだやかにしてそれをやっているのです。
 この過程をすっとばして、自分に「聞こえたまま」を言うとしても、音価として、「聞こえたまま」を言っていることはまったく保証されません。「聞こえた まま」を言っているつもりなのだが、実は「聞こえたままと違う音」を出していることはおおいにありうることです。音楽的なセンスがいいとか、日本語の音が 固まっていない人(多くは子供)なら、「聞こえたまま」で音価をきちんとつかまえてしまうことがありますが、多くの場合、音価として妥当かどうかを保証し てくれるものがないことになります。
 子供が英語の磁場に生まれてくるとか、英語の磁場で生き始めるのなら、パクパクさんの「カジュアルな音」でいいわけです。というより、子供にとっては 「語学的」だとか「カジュアル」だとかの区別がありません。いや、それ以前に、普通、子供の生活で「語学的」な音に触れることはないでしょう。子供には、 「語学的」と「カジュアル」の対立がないばかりでなく、真性の「聞こえるままの音」しかないわけです。(複製音声の場合、日本にいる子供には英語の磁場が ないので興味が持続しないし、英語磁場にいる子供には、絶対的な言語(生活言語)の音なので、面白がることができます。)

 このときの子供の純粋な聴覚を、ある具体的な一つの言語で音が固まった後の人(大人)の多くは、失っていると考えるのが安全だと思います。日本人の大人 が日本語の磁場で英語をやる場合、「二重に遠ざけられている」ということになります。(「英語磁場」でないというがひとつ、音価自体から遠ざけられること がもうひとつ。)
 「喪失」ということが、大人の語学の大前提です。

 で、どうするかですが、やはり、自分の口の筋肉を柔らかくする(=鍛える)ということが契機になると思います。出発点にあるのが学校英語的な音でも、文 を繰り返し言って鍛え込み、音の真形を求めていれば、口の筋肉の動きは、DVDの音を受肉できるだけの柔らかを備えていきます。それが、英語の複製音声を 「媒介」にできるようになるということです。
 「聞こえたまま」を言うことには私は反対です。「聞こえたまま」が日本語の音の範型の内側にとどまっている場合が多々あるからです。「聞こえたまま」が 子供の場合と大人の場合では、根底的に違っていることが多いのです。
 (英語)磁場に育つ子供なら何の問題もないし、子供は「聞こえたまま」を言うことを繰り返しながら、いずれ(しかも短い期間に)音の真形に「自然に」至 ります。これが起こることを何(誰)が決めているのかは、まったくわかりませんが、とにかく、子供にはこれが「自然に」起こります。それが子供にとっての 「自然」なのです。

 この「自然」を失った後の人を大人というのだというのが、私の考えです。

 いつまでも、核心を言えず、困っていますが、次のような手順が有効だと思います。
 間違いを(そんなに)気にせず、どんどん口を動かして、口の筋肉の柔らかさを作る(維持する)。その後に、複製音声を「媒介」にする。(「手本にする」 というのでもいいです。「口の筋肉の柔らかさ」を作りつつ聞く場合は、本当は「媒介」にしているのだと思います・・・)。

>・And eighty years of dust.
というセリフが出てくるのですが、私の耳には(あえてカタカナ表記をすれば)
・デイリィイヤーズアダス
という風にしか聞こえないのです。間違いかもしれませんが。

 かなり耳がいいと思いました。
 and の an は弱音になることがほとんどです。それが極端になると、気配の音になってしまい、何百万円するオーディオ機器ならはっきり聞こえるが、数万円のオーディオ 機器だと聞こえない音になるというような現象だと思います。

 弱音と言いましたが、弱音は非常に難しいです。

 強く言うんでなく、弱くていいんだから楽そうだと思う人がいるかもしれませんが、意識して弱音を言うとどうしても強くなりすぎるのです。弱音こそ、「口 の筋肉の柔らかさ」がないとどうにもならないものです。「柔らかさ」がくたくたになっていると、ああ、ここんとこは気配にしかならないんだというのが感覚 でわかります。というより、特に強調する語でない場合は、自然に気配になっていきます。話す人がどんなシチュエーションにいるかによって、気配になった り、音としてはっきりするかが決まります。

 私もまぎれもなく「語学」をやっているので、弱音を強く言いすぎるきらいは絶えずあります。しかし、そのあたりにはあんまり神経質にならないことがいい と思います。
 私はそれをうどんを食いながら英語をしゃべっていて知りました。
 Uという男(オーストリア(ドイツ語)育ちで、アメリカで10年以上在住、スピードとシンタックの根の張り方はほぼ英語ネイティブに等しい)が、よく私 の家に出入りしていた頃、Uが玄関に立ったので、Come on in. を言うのに、うどんを口に入れて、口を閉じたままそれを言ったのです。Uには、「ンンン」としか聞こえなかったはずです。Uがこたつの向こうに座って、話 し始めてからもまだ私はうどんを食っていたので、What did you say? を言うのにも「ンンンン」と言っていましたが、それで話は通じていました。すべてイントネーションだけで通じていたので、音なんか、それこそすべての音を 「ん」に変換していたのです。
 イントネーションだけで話をしていたのだから、「聞こえたまま」を言うのが練習としていいのだということになりそうですが、そうではないのです。学校英 語的な日本人の「自然」を「口の筋肉のやわらかさ」になるまで鍛えると、英語の複製音声のイントネーションが自分の口に宿るようになるのです。この過程を すっとばして、最初から「聞こえたまま」を言うことには、どうにもこうにも反対を唱えたいと思います。

>こういう場合にこういう音が消えるとか、つながって聞こえるといった知識面での裏付けを、その都度、発音関連の本などで確認し「こう聞こえるのは理論的 に間違っていない」と確かめた方が良いのでしょうか。

 そういうことをいちいちやらずに、とにかく口の筋肉を鍛え込み、「やわらかさ」を作ることだと思います。やみくもにでいいですからそれをやると、「は あ、なるほど、そう言っているね」という具合に聞こえてくるときが来ます。その前後に、発音関連の本の知識はとても役に立ちます。「やわらかさ」を作る前 に、発音関係の本を参照するのは、すすめられません。

>・デイリィイヤーズアダス
は聞き取れれば良いのであって、自分が口にするときに聞こえた通りに真似する必要はなく、つまりリスニング用の練習とスピーキング用の練習とを分け、ス ピーキング用としては
・エンディエイティーイヤーズオヴダスト
という風に、学習用教材っぽい感じに頭の中で修正して練習するのが無難なのでしょうか?

 「聞き取れれば良い」というので大正解だと思います。
 練習としては、「カジュアル」な音は、媒介物です。

>あるいは「口にできない音は聞こえもしない」という方もいますが、
・デイリィイヤーズアダス
と口に出すことを普段から練習しないと聞き取ることもできない、と考えるべきでしょうか?

 私も「口にできない音は聞こえもしない」と考える者ですが、複製音声を「聞こえるまま」に言っても、「口にできない」とも考えています。それが日本人の 自然なのだと思います。複製音声を最初から「お手本」にするのではなく、日本人の「口の筋肉の自然」が作る音を鍛え込むことで、ネイティヴ音が根付くため の「やわらかさ」を作ることが先だということです。
 宣伝になってしまいますが、私のレッスンを受け始めた方が、2,3ヶ月して言われることは、「レッスンでやったところははっきり聞き取れる」という感想 です。
 こう書くと、私がよっぽど英語を聴き取るのができるかのように聞こえるかもしれませんが、事実はまるで違い、私は四苦八苦しています。
 聴き取りも、英単語を一つずつものにしていくようなものです。単位が単語単位ではなく、フレーズ単位になるのが大きく違いますが・・・。いまだに私は英 単語を一つずつものにしていくことをやっており、それを聴き取りの方に大きくシフトしようという態勢になっていません。多分寿命が足りません。(鯉釣りに 10数年入れ込んだのがいけませんでした。それと、自宅を自作したのも・・・)

>実際にこういう教材を前にしてみますと、音の問題というのが考えていたよりもずっと大事な問題なのだと感じます。

 「一部の英語難民」という感じのことを書かれたことがありましたが、私は「一部の」という形容語句は必要ないと考えています。
 「一部の」という語を使うなら、「一部の英語磁場に渡った後日本語磁場に戻った難民」というふうに使いたいと思います。彼らの方が、よっぽど難民だと思 います。
 「英語難民」は日本人のほとんどすべての人をさす言葉だと思っています。
 文部科学省の罪が根底にあるのです。
 「音」を放置しつづけた犯罪があります。語学的には明らかに犯罪です。
 

【12182】
根石さん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月24日(月)21時15分3秒
  ご回答ありがとうご ざいます。口を動かすことと耳との関係の糸口が少し見えてきました。 「パクパクさん」で検索して

> 多くの方は、シャドウイングなりなんなり、複製音声を聞いて、それと同じように言ってみようという練習をされるのではないかと思うのですが、私の場合 は、聞くときはずっと聞くだけ。「回転読み」で自分の口を動かす時は、そればっかりをやります。(329. あたりまえのことをやるだけ 投稿者:根石吉久  投稿日: 7月15日(日)03時42分09秒)

を見つけました。過去ログは、ほんとうに英語学習に関する宝庫ですね。他にもたくさんお宝発言がありそうですが、とりあえず自分がとるべき方法がわりまし たので、やりながら色々と探してみようと思います。
 

【12183】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月26日(水)02時54分44秒
  >やりながら 色々と探してみようと思います。

 期待しています。
 私の語学論がダイレクトに伝わる人なので。
 

【12184】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月26日(水)03時10分11秒
   明治期の漢語の多 い日本語の素読のことを考えています。
 引用して下さった部分は、キモの部分ではないと思いました。
 キモの部分は、提示しても、ほとんどの人に「なんじゃこれ!」と思われるか、笑われるようなところにあると思います。

 らくださん宛ての記事に書きましたが、私は鯉釣りに狂ったことのある男です。
 千曲川は、土手の上を車で走って見ていると、浅瀬ばかりのように見える川ですが、実は2メートルを越える淵があり、この淵をねぐらとして、巨大な鯉が棲 んでいます。私が釣り上げたので最大のものは80センチほどのものですが、1メートルを越えるものがごくたまに釣り上げられます。リールという邪悪な装置 ができたせいです。一度、60センチを越えるやつを釣り上げたとき、回転するリールの糸を指で押さえて。摩擦で鯉の走りを弱めようとしたところ、火傷しま した。
 それと、自宅自作がいけませんでした。その間、中学生・高校生の英語の面倒は見ることができましたが、自宅ができるまでは、上級者のレッスンはとても じゃないができませんでした。
 今も英語の練習をしていて、これが実にくたびれて、口の筋肉のへとへとと同時に、体力的にへとへとになっています。いまだ、(のんびりと)教材を作り続 けているので、日本語の素読にいつとりかかれるかわかりません。生きているうちに、matsu さんとお手合わせを願えたらとは思っています。

 素読は一人でやるものではないので、清澤のものをテキストに、息子さんと始められたらどうかと思いました。
 もしやられた場合は、その経過をこの掲示板にご報告願えれば、現今の日本人のためになる知識が得られると思います。
 

【12185】
生徒の皆様   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月26日(水)03時15分59秒
   素読舎の「電話で レッスン」は、年末28日から31日までお休みをいただきます。
 これは、月に5回レッスンして、1回分をプールしておき、後でお休みをいただく分とは別にいただくお休みです。盆と正月にこれをいただいています。

 新年は、1月4日からレッスンを開始します。
 

【12186】
らくださん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月27日(木)20時13分23秒
  >80年代からこっ ち、そんな空疎な時代が続いており、それがここ数年は目に見える形で 噴出しつつある、という感覚があります。

僕も、ちょうど80年に大学に入学した世代なので、らくださんが言われることはわかるような気がします。
ただ、自分が自己形成し、生きてきた時代というのは、まさにその「空虚な時代」だったので、あまりそれを突き放して語れない、という思いもあります。
根石さんの世代とは、10年ばかりの差なのですが、体験的には、かなり大きな断絶があるという印象です。
むしろより若い世代との間に、良かれ悪しかれ共通項が多いかもしれません。

80年代以降の精神史として、より若い世代の批評としては、数年前話題になった、北田暁大の『嗤う日本のナショナリズム』には感心して、学ぶところが多 かったです。
ただ、わざと小難しく書いているみたいなところがあって、好悪がわかれるとは思いますが。
 

【12187】
集中力の授業   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月27日(木)20時57分24秒    編集済
  福岡ローカルの新聞 に、以下のような公立中学校の授業の紹介記事がありました。

>授業の様子はこうです。担当する国語の授業で、ある生徒が教科書を音読します。他の生徒は静かに聞きながら、読み間違いに気付いたら切りのいいところで 手を挙げて合図し、間違った部分を含む一節をこの生徒が読みます。この指摘を受けて、最初の生徒がこの部分を再び読みますが、思い込みや先入観があるため 間違いに気付かず、同じ失敗をすることがあります。
するとまた、指摘した生徒がその部分を読んでみせ、最初の生徒がまた読む。こんな風に繰り返します。読む側も聞く側も双方が集中し、教室はピーンと張りつ めた空気になります。
>本当に集中して50分間の授業が終えると、生徒たちも私もかなり疲れるので毎回できるものではありませんが、何度か繰り返すと劇的な効果が表れます。
>私の教師生活は来年度が最後。「集中力の授業」を誰かにきちんと伝え残したいと思っています。

全く不案内な分野なので、あてずっぽうの感想でしかありませんが、
 「読み」だけに集中して、読みの間違いの修正も「読み」で返すという徹底ぶり。
 「読み」への集中が、教師、生徒ともにへとへとになることを指摘している点。
 「読み」のみの訓練が、成績にも十分な効果をもたらすとしている点。
などで、新鮮な印象を持ちました。
この先生自身の認識としては、集中力の養成、ということに比重があるようですが、学校現場における素読の取り組みとして、注目すべき実践であるように思い ました。
 

【12188】
根石さん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月27日(木)21時15分32秒
  以前約束したインド の荷物輸送業の情報提供、遅くなって申し訳ありません。
本人が、インドの知人に依頼してくれているのですが、お国柄なのか返事が遅れています。
回答は英文でいいといってありますが、転送先として根石さんの今のアドレスを教えていただけたらと思います。
 

【12189】
matsuさん   投稿者:らくだ  投稿日: 2007年12月28日(金)11時04分56秒
  ひょっとすると同級 生かもしれませんね。

北田暁大は、宮台真司との対談『限界の思考〜空虚な時代を生き抜くための社会学』を読んだだけで、話題作の『嗤う日本のナショナリズム』は「読みたい本リ スト」に入れたままで、まだ手が付いていません。読んでみます。

>わざと小難しく書いているみたいなところがあって

小難しく、というのは確かにあるかもしれませんが、社会学系のものは、やさしく書いてくれていても、最低限の思想史がわかっていないと、なかなか消化しき れないですね。でも、得るところは多いと思います。

ちなみに、matsuさんが根石さんの『暮らしの手帳』を

>抱腹絶倒のエッセイ満載

と書かれていたのでamazonで即注文。昨日届きましたので、正月の酒の肴にさせてもらおうと思っています。
 

【12190】
らくださん   投稿者:matsu  投稿日: 2007年12月28日(金)19時31分57秒
  『嗤う日本』につい ては、読書会のレポーターをしたので、やや詳細に読みました。
次々にキイワードが投入されるのですが、それらの定義が一貫していないというか、少しずつ言い換えていくのが、読みにくかったと記憶してます。
他の本では、もっと明晰判明な書き方をしていたので、書法上の戦略があるのかもしれません。
最大の共感点は、テレビ批評の消しゴム版画家ナンシー関を、90年代の批評史、精神史のなかで最大限に評価しているところです。

らくださんも、同級生というなら、きっとおもしろく読めるだろうと思います。
 

【12191】
matsu さん   投稿者:根 石吉久  投稿日:2007年12月31日(月)03時01分42秒    編集済
  メール送れるよう に、投稿者の名前を青くしておきます。
すみません。お手数をおかけして。
インドに行きたいと思っています。
 

【12192】
らくださん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月31日(月)03時03分17秒
  >ちなみに、 matsuさんが根石さんの『暮らしの手帳』を
>>抱腹絶倒のエッセイ満載
>と書かれていたのでamazonで即注文。昨日届きましたので、正月の酒の肴にさせてもらおうと思っています。

光栄です。
 

【12193】
matsu さん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月31日(月)03時12分17秒
   ただいま、ゲッツ 板谷「インド怪人紀行」を読んでいます。
 吉本・柄谷みたいな思想書も読むことは読むのですが、自分でアジア本と呼んでいるジャンルの本をたくさん買う癖があります。
 今読んでいるゲッツの本に出てくるカモちゃんというのが、今でも夫婦かどうか知りませんが、西原理恵子の旦那です。このカモちゃんが書いた本を先日 105円で手に入れ、読んだところ実に面白かったです。西原の絵も、はあなるほどと初めて思い、いいじゃないかと初めて思いました。
 下手な小説は読めたもんじゃないとも思いました。が、本のタイトルを忘れてしまいました。村田君に貸したので手元にありません。
 

【12194】
皆様   投稿者:根石吉久  投稿日: 2007年12月31日(月)03時14分24秒
   疲れていたせい か、ここ2,3日、爆睡状態が続きました。
 いくらでも眠れるので、無理せず眠っておりました。
 さっき目をさましましたが、もう年末ですね。
 よいお年を。
 

【12195】
よいお年を   投稿者:村田  投稿日: 2008年 1月 1日(火)00時02分45秒
  今年もほんとうに最 後になりました。
お世話になった方々、ありがとうございました。
掲示板に来られた方、書き込みされた方、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

根石さんへ
西原理恵子の本のタイトルは「アジアパー伝」でした。

私はアメリカ南部へ行きたいと思っています。
 

【12196】
あけまして   投稿者:根石吉久  投稿日: 2008年 1月 2日(水)19時22分14秒
  おめでとうございま す。  

【12197】
今年のテーマの提案   投稿者:根石吉久  投稿日: 2008年 1月 6日(日)03時11分47秒    編集済
   これまで、特に一 年のテーマというものを決めずにこの掲示板を営んできましたが、今年 はテーマというやつでやってみたいような気がしました。

 「コンピュータを英語学習にどう活用するか」を提案したいと思います。

 小学館文庫「英語どんでん・・・」に書いた技法のうち、主に「回転読み」について長いことこの掲示板で議論したり、説明したりしてきました。日本の英語 学習状況は、今も混迷のうちにあり、小学生に「音づくり」をやらせないまま、小学校の教室をごそまつな英会話教室にするような指示を文部科学省が出してい るようなていたらくです。NOVA が本質をさらした後でも、お馬鹿さんたちは英会話学校に行くでしょう。「文まるごとの音づくり=インプット」は今も放置されたままです。
 日本の英語学習状況の泥沼は、現在も何も変わっていませんが、そろそろ、「回転読み」から「電圧装置」の方へ議論の場、検討の場を移していきたいと思い ます。「回転読み」については、過去ログさえ整理されれば、かなりな部分が議論されたことがはっきりするでしょう。

 「コンピュータを英語学習にどう活用するか」と言うと、それによって思いつくことは人さまざまでしょうが、私は、「電圧装置」の原理と結びつけて考えて います。知識量を増やすと同時に、知識を感覚やイメージに変える過程が「電圧装置」です。といいますか、「電圧装置」を経た後の、「切断読み」です。

 とぎれとぎれながら、新しい練習方法を試しています。
 それを公開しながら、皆さんに「電圧装置」→「切断読み」を実験してみていただきたいと思っています。この掲示板を読まれる方や私の生徒さんのほとんど 全員が、コンピュータを使っているわけですから、「コンピュータを英語学習にどう活用するか」を論じながら、「電圧装置」、「切断読み」の威力を知ってい ただくことを主眼としてみたいと思います。
 

【12198】
本日のレッスン   投稿者:ミッフィー  投稿日: 2008年 1月 7日(月)16時55分55秒
  根石さん、そして皆 様、今年もよろしくお願いします。
根石さん、当日で申し訳ありませんが所用により本日のレッスンをお休みします。
 

【12199】
お休みのお願い   投稿者:ももこ  投稿日: 2008年 1月 7日(月)17時30分16秒
  根石さん、皆様本年 もよろしくお願い申し上げます。
実は昨日より風邪を引いてしまいました。いろいろあがいてみたのですが、レッスンを受けるのが難しい状態なので、お休みさせていただきます。よろしくお願 いします。
 

【12200】
ミッフィーさん   投稿者:根石吉久  投稿日: 2008年 1月 7日(月)19時36分34秒    編集済
  承知しました。
先になりますが、振りかえておきます。