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最初にお詫び致し
ます。吉さんが作った教材についてコメントしなければならないとずっ
と思い続けてきましたが、どうして
も時間がとれませんでした。お許し下さい。一言で言えば、とてもシンプルで、中級の中盤以降の人にはいい教材になると思いました。中級序盤の人には対応で
きていないと思いました。
奥様の初段認定についても、早く処理しなければと思っていましたが、薪ストーブの煙突工事にかまけて、手をつけられませんでした。今後、早急にやるつも
りです。初段認定の直後に「中断」と書かなければならないことになり、なかなか切ないことですが。
以上、お詫びです。
以後、批評になります。
>特にEliotさんの事が辛いです。
実名公開は、ご本人が納得しての事だと考えていました。
「辛い」ですか。大したもんだと思います。
柴田さんは、ご自分の実践されたことの成果として、生徒たちが中学を卒業する時に、CDを作られました。そのCDとセットになっているノートには、学校
名も指導者の名前としての柴田武史さんの名前も印刷されていました。柴田さんがそれを私に送って下さったときに、これをテープにダビングして不特定の人に
手渡してもいいかと私は掲示板でだったか電話でだったかお聞きしました。私は是非多くの人に聞いてもらいたかったのです。その際に、柴田さんの名前や勤務
校が書かれたものを一緒に手渡したり郵送したりしたいがと伝え、了解をいただいたと覚えています。
その後の作業が大変でした。ただのCDプレーヤーとテープレコーダーをつないでダビングしたので、ひとまず送りたい人に送るだけでも大変な手間でした。
柴田さんが匿名でなく大風呂敷に書いてくだされば、つまり連絡先を書いてくだされば生じない手間でしたし、私がやるよりももっと多くの人の手に渡ったこと
と思っています。
この掲示板に書かれた記事から得た情報でしたが、柴田さんはどこかのテレビに家族で出演され、家の中の会話をすべて英語でやっている様子が放映されたそ
うです。(私はテレビを観ないせいでこの放送を観ていませんし、長野で放映されたのかどうかも知りません。)(日本人だけの家族で、日本語の磁場に囲まれ
た家庭において、普段の生活の言葉を英語に置き換えることの是非はここでは置いておいて、)家族と一緒にメディアに露出することをいとわないような人が、
「大風呂敷」に書かれる時だけ匿名であることの理由が私にはまったくわかりませんでした。「音作りへの道」を書かれたほどの人が匿名で書くんであれば、私
が本名でやっていることが馬鹿みたいだという感じもありました。
音そのものに関してなら、柴田さんの方が私より完全に上なんですからね。(日本人の「体」から英語の音をどうとらえるかという点でなら、私にも分があり
ますが・・・。)
柴田さんは、ご自分の教えている中・高一貫の学校の外側で、地元の短大で中・高の学校の先生を募って講演会をされたり、「音作り」そのものをコーチした
りしておられました。(現在でもやっておられると思います。)この場合の講演会などを知らせるチラシなどがあったとすれば、そこには Eliot
ではなく柴田武史という名前が印刷されているはずです。
柴田さんは柴田武史という名前で、講演、テレビ出演など、メディアに自分の活動や本名を出されている方だということです。それがなんで「大風呂敷」に書
く場合だけ、Eliot なんだろうと私としては思い続けていたのでした。
「音作りへの道」の連載が完成したときも、柴田さんの名前で公にされるべきだと私ははっきり判断しました。私の掲示板で育った論文だからではありませ
ん。どこに掲載されるにせよ、身元を明らかにし、責任の所在を存在させるべき客観的な価値があるものだと判断したからです。
>私の実名を根石さんが明かすとなると、
私の本業どころか、私の家族の人生にまで影響がでる可能性があります。
そんな事をされたら私は根石さんを絶対許せないですよ。
わかります。これは当然です。吉さんは、柴田さんがやったほどの仕事は英語に関してやっていません。その点に関してだけなら、当然ながら、私は吉さんの
名前を掲示板上に出しておりません。
それとは別に、Naima
さんについては、素読舎のコーチをやられるなら、その責任の所在を明らかにすべきだと考えたので、本名で掲示板に書いていただきたいと考え、そうお願い
し、Naima
さんはしばらくの間、・・さんという名前で掲示板に書かれました。(現在は、コーチをしていただいていませんので、・・さんという形でしか記述することが
できませんが)。
コーチをやる場合は実名でやる。原則としてはそれでいいのだと思っています。吉さんにコーチをしていただくことになったときも、原則通り実名を明らかに
してやって欲しいと思ったのでした。吉さんが事情を書かれ、それはよく納得できるものだったので、私の方で原則を曲げたのでした。
>以前、、根石さんは、素読舎をクビにした方の個人名も出されていましたね。私はその時、根石さんの語学論(哲学)に触れた書き込みと認識しましたが、な
ぜ個人名を出す必要があるのかわかりませんでした。
それは「いくこ」のことでしょうか。彼女は「いくこ」という名前ではありません。音はそうなりますが、表記が異なります。彼女が自分で自分の本名をその
まま書いたことがあったような気がしますが、私は彼女の名字も名前もそのままに書いたことはありませんし、住所、メールアドレス、電話番号など書いたこと
がありません。以前から、ネット上の名前として「いくこへ」と書いてきましたので、「いくこ」は書きました。
当時の事情はすでに書いてありますので、ここで「いくこ」がしたことへ私がどう対応したかの説明をする気はありません。実に馬鹿らしいことなのですが、
その馬鹿らしさを書く力が今の私にありません。その徹底的な馬鹿らしさを書く力が私にあれば、「いくこ」を使うかどうかはともかく、いつか書いてみたいと
思いますが、今は書く力がありません。
>ネットという不特定多数の目に触れる場所に、
個人名を出した理由が皆目見当つきませんでした。
根石さん、、相手は公の人ではなく、私人ですよ。
「いくこ」ではなく、他の人のことでしょうか。そうでしたら、どの方の何というお名前なのか、メールでお教え下さい。
「いくこ」なのであれば、吉さんは、彼女の個人情報がどれだけわかるのですか。「いくこ」が個人名だというのであれば、吉さんはその「私人」と連絡がと
れるはずです。とってください。もしとれたなら、それは「いくこ」本人から吉さんに知らされた情報によるものであり、私から吉さんに知らせた情報はひとつ
もないはずです。勘違いしないでいただきたい。「公の人」と「私人」の違いがおわかりにならないのは、吉さんではございませんか。
>根石さん、、、私が宣伝して「生徒さん候補」がこの掲示板をのぞきに来ても、根石さん自身が、こういう発言で素読舎の価値を下げる事に気付いた方が良い
と思います。
申し訳ありません。私は素読舎の価値はもうすでに充分に下げてきた男です。「論」の価値は信じてきましたが、学校制度につきあう素読舎そのものに関して
は、さっさとくたばれとさえ思ってきたのです。それが娑婆と素読舎の関係をはっきりさせる、と。素読舎が消え去ることが、娑婆の「学校のいいなり」、「行
政のいいなり」をはっきりさせることなのだ、と。
吉さんが「大風呂敷」に登場される前から、素読舎は娑婆とまともに喧嘩してすでにぼろぼろになっていたのです。だから、「語学論」の方へ、「電話でレッ
スン」の方へ、藁をもつかむようにして、私は手を伸ばしてきたのです。
日本に住んできただけで英語を話すような者をこの娑婆がどれほど憎むか、吉さんにおわかりになりますか?
吉さんなら、「ああ、アメリカに行っていた人か」で済むことが、まったくそれでは済まない。それが「アメリカに行っていた人」にはわからないのだと思い
ます。
語学論についても、書いてきたものは全部焼いて捨てたいと思うことがあります。これだけ語学論を書いてきて、月に15万程度、よくて20万程度にしかな
らないのですよ!
私がののしるべきものを存分にののしってきたからです。自業自得であり、この自業自得を私は深いところで肯定しています。それは誰にも同意を求める気があ
りません。そんなもの、私が英語ひとつでどれほどの気違いになったかを知っている私の家族以外にはわからないことです。
>これを異常事態だと見る人もいると思います。
たぶん、そっちの方が多数です。 私は正直言って驚きました。
私は異常事態だなどと思ってはおりません。冗談ではない。こんな「別れ」ばかりを繰り返してきたのです。もしそれが異常事態であるなら、私の生きてきた
時間のあらかたが異常事態でした。おわかりでないようですので、どうぞ正常事態の側にとどまって下さい。
何なのだ、この正義の振りかざし方は、とは思います。「多数」が何だというのですか。
それでも、こんなことは、私にとっては異常事態ではなく、普通のことです。もし「異常」だとしても、たかが「大風呂敷」上での、「異常」でしかない。そ
んな異常より、私は今自分の足元が揺れている(多分地震で)異常の方が気になります。(人が死ななければいい、家が壊れなければいい、温かい家は必要だ、
と思います。)
吉さん、私と吉さんの間で行き違いがあったことなど、「異常」でもなんでもありませんよ。
もしそれを「異常」だと見る人がいたなら、その人の信じる「正常」を疑うのがいいと思います。語学論では歩み寄れた人たちが、教育論では無理だったとい
うだけのことです。あるいは、「生活言語」を信じる人と、「論」を信じる人が、とことんぶつかった(ぶつかりあえた)ということだと思います。
>・ 根石さんが12歳以下に英語を教える事に文句は言わない
・ その代わり、私は絶対に12歳以下の英語の解説は書きたくない
・ 12歳の線引きは自分の獲得した哲学で、根石さんに押し付けるものではない。
12歳以下の英語の解説は「書きたくない」ことに対して、私が了解している旨のことを書かなかったかどうか記憶が確かではありません。書いてなかったと
したら申し訳ありませんでした。(薪ストーブの煙突工事(突貫工事)を続け、雨漏りと火事を防ぐために、考えがすべてそちらに行っていました。)
吉さんには(解説を)書いてもらえないものだと思っていたので、すぐにそう書くべきでした。書いてもらえないことは、それはそれでいいのです。書いても
らえないことは了解できているのです。
「12歳」の根拠がいまだにわからないと言っているだけです。
「書きたくないから書きたくないんだ」というだけの理由でも何でもいいですが、「書きたくない」ことは最初から納得できています。
どうも行き違いがあったようですね。申し訳ありませんでした。
>私はそのように何度もお願いしていたのに、
根石さんは受け入れてくれませんでした。
今でも、理論的な根拠が知りたいと思っています。
何度でも言いますが、書いてもらえないことは、すでに最初に吉さんが「小学生については書かない」と書かれたときに納得しています。私は是非書いてくれ
と言っていたのではありません。
根拠が知りたかったのですが、それについては、吉さんは「受け入れてくれませんでした」。
>根石さんに裏切られたEliotさんの気持ちが想像できますか?
私が柴田武史さんの名前を公にしたとき、Eliot
さんが「根石さん、私の名前を出しましたね。まあいいですけど。」と掲示板に書かれたことを、現在に至るまでの判断の根拠にしています。私がどう考えて柴
田さんの名前を出したのか、柴田さんはわかってくださったのだと思っています。
「まあいいですけど」は、私がそういうことをやりかねないと柴田さんの方でも勘づいていたからだと思っています。私なりの言い方で言えば、「機が熟して
いた」のだと思っています。その時間性には、吉さんはまったく触れ得ていません。吉本隆明の言葉では「対幻想」となりますが、娑婆の言葉では「犬も食わな
い」というような、外から見ていても見えない時間性というものはあるのです。吉さんは外から見て正義をふりかざしなさった、と思っています。
私はあきらめますので、それでいいです。私は私の(これからも)犯す悪を、ネット上でこれ以上弁明したくありません。柴田さんの名前を出したことについ
て、私もずっと考えてきましたが、その時間性は、吉さんにはどうでもいいことです。
どうぞ驚いていて下さい。
>なぜ私のホームページのアクセス数が増えて素読舎の露出度が上がったのか見えてますか?
見えていません。教えて下さい。糸山なにがしが根石吉久よりビッグネームだからですか?(と、もう書かないと言っている人に言っても無駄ですね。)
ただ、吉さんの文章については、「浸透性」という語で言ってきました。
まあ、私自身がやめたいと思っている塾ですので、露出度は上がってもありがたいし、下がってもありがたいのです。私の内心では、日本の英語状況につい
て、とうの昔にぶち切れておりますので。
>私が喜んで「今までどおり根石さんの素読舎を宣伝する」とお考えですか?
考えません。
>根石さん、、私の今の気持ちが想像つきますか?
かなり傷つけてしまったようです。
そんなつもりではありませんでしたし、論理を論理のレベルで突き合わせたかっただけでした。申し訳ありません。
>英語学習でグダグダいうヤツがいたら、
根石さんの語学論から学べと言いつづけます。
私自身がこんな馬鹿みたいなことをやっていても食えないのですから、語学論なんぞ、火の中に放り込めばいいのだと思うことがあるのです。みんな燃えてな
くなってしまえばいいのだと思うことがあります。抹殺すべきだと・・・。
「藁をもつかむ」とはよく言ったものです。
語学論は、私の小さな小さな希望だったのです。しかし、馬鹿らしくなりました。わかったようなツラをする者が、まるでわかっていないのだと、酔ったアタ
マで考え始めてしまいました。
>しかし、、私の価値観は、何度お願いしても認めてくださらなかった。
12歳という強い線引きの根拠を知りたかっただけでした。
私は、いまだに吉さんの価値観はよくわかりません。そんなに簡単にわかるものでもないだろうと思っています。よくわからないでいるものを、認めるも認め
ないもないだろうと思います。
>根石さん、YESかNOで答えてください。
何に関してでしょうか。
今後この掲示板に来られないとわかっている吉さんに対して、YES, NO が何に関してなのかがわからないのがとても困ります。
吉さんが「磁場帰り」であることについては、何度も書きましたが、「有り難い人」だと思いました。YES でも NO
でもありません。「磁場帰り」の人のほとんどが語学論を持とうとしない「おたんこなす」だとは思っており、これについてならいつでも NO
を言ってきました。
>根石さんは、自分の価値観を否定する人を応援できますか?
私は吉さんの価値観を否定した覚えがありません。
ですが、吉さんがそう受け取られたのであれば、それでもう終わりなのです。私はこじれさせるつもりはなかったのですが、現実にこじれてしまっているので
すから、もう終わりです。
>自分の尊敬する人を否定する人間を応援できますか?
それはできますね。論理ではなく、家族や感情や価値観というようなソフトなものが生きることや、その場所を否定されたのでなく、私が支持する論につべこ
べ言われたのであれば、そしてつべこべ言っている人がその人なりの仕事なり論なりをそれに対置しているのであれば・・・。つまり、表の論を裏切ってでも、
生きている体が具体的な仕事なり新たな論を作っているなら・・・、それなら、表も裏もない。カルチャーという銭取り場で、テイよく振る舞うだけの者ではな
い・・・。
お互いに支持する論(尊敬する人)について、何言ってやんでえ、ふざけんじゃねえと臓腑がひっくり返るような喧嘩をしながら、描いた絵を私が買い続けた
絵描きもいます。(ずいぶん絵が高くなったので、今は買えませんが・・・)
>私は根石さんの語学論も価値観も認めますが、
自分を受け入れてくれない他人を応援するほど、
親切ではないですよ。
それならそれで仕方がありません。これまでのご親切に感謝いたします。
私は糸山とかいう人の文章そのものをまないたに乗せたのであり、吉さんが糸山とかいう人が好きであることをまないたに乗せたのではありません。私は、
「この糸山とかいう人の書くものを読む気はなくなった」と言っただけです。人々が犯罪に至らずにいる間に、持ち耐えている気持ちのふくらみやしぼみの時間
性に、糸山という人の文章がまるで触れ得ていないと批判しただけです。こんな野郎に犯罪がわかるか、と思っただけでした。
>別にこんなのは、哲学でも何でもありません。
私という感情を持つ人間の言葉です。
私のも哲学でもなんでもありません。
哲学だと吉さんが言ってくださっただけのことです。
とてつもなくくだらないものなのかもしれない。
>家族を否定されたような気分になってどうして悪いのですか?
なんで私のその感情を否定するのですか?
論が生きる場所と、家族や自分や感情が生きる場所はまるで違うと言っているだけです。おわかりにならないようですから、もうこのことはこれまでにしま
しょう。ですから、当初の「論」に戻りましょうと言ったのでしたが、そのこともおわかりいただけなかったようです。
今夜は、語学論そのものがくだらないという気になってしまっておりますし、自分がやってきたことの全体がくだらないことだという気になっております
し・・・。済みませんね、言葉がなげやりで。余力がありません。
なんで公の場所に、「私の気持ち」なんてものを持ち出すのか、それがわかりませんでした。私は、この掲示板に批評や批判や論理は持ち出したかもしれませ
んが、「私の気持ち」なんてものを基調に据えて持ち出したことはなかったと思っています。私がこの掲示板に書いているとき、「私の気持ち」は場外にありま
す。「私の気持ち」が養った時間性(迷妄に対して否を叩きつけるための源基)だけ使うだけであり、「私の気持ち」自体は遠くに遠くにあります。
まあ、しかし、酒のせいにして、今夜は、自分のやってきたことの全体のくだらなさを噛みしめようと思います。(という程度には、「自分の気持ち」で書い
てしまいましょう。アサヒスーパードライ4本さん、ありがとうございます。)
>根石さん以外の人にもお聞きしたい、
私は何か間違った事を言っていますでしょうか?
私も是非皆さんで書いていただきたいとは思いますが、しかし、やはり、酒のせいか、しょうがねえもんだなという感想を持ってしまいました。誰が何を言お
うと関係ねえんですよ。自分の考えは自分の考えです。第三者の考えを求めて自分を安定させようなんてことはよろしくないです。ネット上のあてにならない人
々に向けて、「間違った事」かどうかなど聞くことが「間違った事」です。Naima
さんでも、ちえさんでも、Mさんでも、村田君でもいいですが、「ネット上の個人名」を特定して書くべきです。吉さんが、そのつもりだったのでしたらお許し
下さい。「つもり」はともかく、「論」に関しては、曖昧なままで放っておくのが私は嫌なのです。
>根石さん、私は辞めさせて頂く事にいたしました。
レッスンも辞めます。 コーチも辞めます。
わかりました。
>残念で仕方がありません。
でも、、美しいのは作品(語学論)だったという事です。
私も実に残念です。
ただ、書かれていることの意味がわかりません。作品とか語学論が美しかったのであり、根石吉久は醜かったということでしょうか。もしそうなら、その通り
だなと思います。醜く生きる生身の私に介入しないで下さい。いや、介入してもらってもいいが、英語回りで私が舐めたもの、生きられないと思ったことなど、
吉さんにその時間性をわかってもらえようとは思っていないということです。
語学論などやっても食えないのです。(スキルを売り物にするおたんこなすは食えるのです。)それをやってきて、この娑婆が嘘で固めたものだということは
わかったのです。わかった分だけ醜くなりました。やくざを担当する刑事がやくざに似てくるようなものでしょうか。しろうとさんに言ってもわかってもらえな
いことがわかっているので、あんまり口にしないだけであり、私が「やくざに似た刑事」であるのは多分本当のことです。私もいいかげん嫌になりました。「刑
事に似たやくざ」かもしんないもんねえ。わかんねえのです。「英語!
糞くらえ」だけが、わかっている感情です。吉さんのネットずれした言い方にならえば、あはは、ですわ。
あはは、「英語! 糞くらえ」。これがワタシノキモチです。
なるべく早く、英語のコーチからも語学論からも教材作りからも足を洗いたいとは、もうずいぶん前からの願いなのですが、いまだ願いがかないません。
(Naima さんがうらやましいです。)(やっている間は手を抜くことはありませんが、願いは願いとしてずっと持続しています。)
>申しわけない気持ちで一杯なのが兵庫のMさんです。
M
さんにも、吉さんと私のやりとりをお読みになって何か書いていただけたらと思いましたが、気持ちに負担をかけるのはいやですので、書きたいと思われた場合
にのみお願いします。
>しかし、その後のレッスンについては、根石氏とご相談してくださいと、
このようにお話しております。 兵庫のMさんには、先に了解を頂きました。
Mさんと根石さんでその後の予定を調整してください。
塾長の私が知る前に、コーチをやめると生徒から「先に了解を頂」いたことがよくわかりません。M
さんから連絡がありましたら、コーチからの塾長あての指示に従うしかありませんね。とほほ、ですかね。
やはり、どうも素読舎という「塾」は、「娑婆」の人からなめられるようですね。
>根石さんお世話になりました。
多くの事を学ばせて頂きました。
こちらこそありがとうございました。 |
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