【11801】
3回目の電話レッスン  投稿者:兵庫のM  投稿日:2007年 9月19日(水)08時25分0秒
  昨夜は3回目のレッスンでした。
発音しにくいところが結構あったのですが、中でも...all this.... のlとthが続くと非常に発音しにくかったところ、吉さんの的確な説明によって、ずいぶんいいやすくなりました。大きく口を開ける音はまだまだ練習が必要ということも分かりました。
また、知らない表現を知ることが出来るのは楽しいですね。
来週もよろしくお願いします。

根石さんへ・・私は小さな畑で野菜作りを始めたのですが、安全なものを作るのは本当に大変なのが分かりました。家庭菜園では無農薬は出来ますが、肥料は買わずに作るのは膨大な手間がかかると思いました。だから、スーパーと同じ価格で絶対に売る気はないというお気持ちがよく理解できます。
 


【11802】
兵庫のM さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月20日(木)11時27分40秒
  >発音しにくいところが結構あったのですが、中でも...all this.... のlとthが続くと非常に発音しにくかったところ、吉さんの的確な説明によって、ずいぶんいいやすくなりました。

 こういうふうに具体的に書いていただけると有り難いです。l と th が続く場合に、「どこをどうする」という説明があったのか書いていただければさらに有り難いです。この辺は、結構言葉数を費やして説明するところなので、コーチ間で説明が統一されていないかもしれません。「定型」を作りたいので、ご協力をお願いします。「定型」を作っていく時に、吉さんは最良の相手だと思っていますが、コーチ側の説明を生徒さんがどう受けとるのかというのがわかると、私どもの作業に非常に役に立ちます。

>大きく口を開ける音はまだまだ練習が必要ということも分かりました。

 これは発音記号で [a] または [a;] の音のことかと思いますが、他のア系列の母音との区別としては、「顎が下がる」というのがポイントになると思います。
 この音は、どの国でも赤ん坊が上手に出していると思います。日本語の音韻組織には、この音ほど大きく顎が下がる音がないので、日本語で育つと顎の動きが固まり、この音を出すための筋肉が退化します。その結果、日本人の大人にとっては結構出しにくい音になります。私も苦手です。

>根石さんへ・・私は小さな畑で野菜作りを始めたのですが、安全なものを作るのは本当に大変なのが分かりました。家庭菜園では無農薬は出来ますが、肥料は買わずに作るのは膨大な手間がかかると思いました。だから、スーパーと同じ価格で絶対に売る気はないというお気持ちがよく理解できます。

 奈良の川口由一さんが書いた「妙なる畑に立ちて」という本を読んで、私は長いこと自分がやってきたことと共通するものがあることを発見すると同時に、こんなに草を生やしておいてもいいんだ!という驚きがありました。川口さんの畑の写真を見たときは、あっけにとられたのです。
 この本は有機農業をやってきた人たちに衝撃を与えた本だったということを、川口さんに共鳴する人たちが書いた「自然農への道」という別の本で知りました。

 川口さんは、無農薬はもちろんですが、無肥料でやります。「肥料」という考えは川口さんにはなくて、「おぎない」と言っています。使うのは、米糠が多いようです。
 無農薬・無肥料ということよりもさらに根本のところに、不耕起というものがあります。これは「理念」としてとらえるのがいいと思っています。全面的にすぐに実現しないとしても、目指すべき方向としては川口由一でよいと考えて、私は自分の畑を眺めています。(例えば、ネギですが、私はまだ「土寄せ」をしています。「草寄せ」で作れることは知っているので、いずれそちらに移行していくつもりです。)

 始めたばかりでは、安全な有機物を「浅く」土に混ぜて(私は手で混ぜられる程度の深さでやっています)、土が「息が出来る」状態にしてやることがいいとも考えています。
 川口さんの「理念」の一つに「持ち出さない・持ち込まない」というのがありますが、私は河原の葦や萱を刈ってチップにし畑に持ち込んでいます。
 化学的に作られた農薬が駄目なのは前提にしていいと思います。これを使ってしまうと、生物の相互作用のバランスが崩れ、害虫の天敵が住み着けない畑になってしまいますから。
 有機農法だから安全だという考えが成り立たない時代になってしまいました。家畜糞などを発酵させて「肥料」を作っても、その家畜糞が(抗生物質その他の薬剤で)汚染されていたらどうするんだ、という問題があります。標準的な畜産農家の人たちなら、畜糞にどれほど薬剤が混ざっているかを知っているはずです。材料が有機物でも、汚染された「有機肥料」というものが出回ってしまいます。ホームセンターなどで売っている「有機肥料」というものを私は疑っています。

 農作業のホームページを作りかけてあるのですが、時間が見つけられず、なかなか前に進みません。そのホームページから枝が生えて、農作業の掲示板ができたら、畑の状態など教えていただきたいと思いました。まだこちらの準備ができていませんので、ひとまずこの場所をお借りして川口さんの紹介などさせていただきました。
 


【11803】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月20日(木)11時38分6秒
  見させてもらいました。
5語、6語のあたりを早めに充実させて欲しいです。
8語以上はひとまず放っておいて、5語、6語の文を集めて下さい。
Kさんの小学3年生の息子さんから、この教材を使ってやりたいと考えています。
 


【11804】
5語・6語  投稿者:村田  投稿日:2007年 9月20日(木)13時30分10秒
  根石さん
採集元をなんにするかですが…改定前の中学の教科書1・2年あたりでいってみたいと思います。現行のよりも簡単な文が多いような気がしましたので。
10月あたまくらいをめどとしてやってみます。
 


【11805】
NOVA約200校の閉鎖検討  投稿者:外野。  投稿日:2007年 9月20日(木)15時10分45秒
  2007年9月20日(木)

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約200校の閉鎖検討 再編で経営再建目指す


 英会話学校最大手NOVA(統括本部・大阪市)が9月末を中心に、全国で200校前後の閉鎖を検討していることが20日、分かった。NOVA関係者が明らかにした。不採算校の閉鎖を軸にした事業再編で経営を立て直したい考えだが、テナント料の支払いが滞って立ち退かざるを得なくなった拠点も多い。対象は約900校ある教室の2割を超えることになる。

 NOVAは誇大広告などを理由に6月中旬、経済産業省から一部業務停止命令を受けた。企業イメージの悪化から、ピーク時には48万人といわれた受講生の減少が続いており、経営再建の行方は未知数だ。

 NOVAは「現時点で(200校前後の教室閉鎖という)機関決定はない。開示すべき事実が出てくれば適時報告する」としている。

(共同通信社)
 


【11806】
NOVAの誇大広告など  投稿者:外野。  投稿日:2007年 9月20日(木)21時46分32秒
  http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07061412.cfm  


【11807】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月20日(木)23時37分54秒    編集済
  <<テキスト自作について>>
> 勤めながらこれをやると大変です。私は体力がないので、自分では勤めながらはまずできっこないと思っています。ひとまずは、吉さんの方で、先日もお願いした通り、広報・宣伝活動をやっていただきたいと思っています。これなら、いつまでにこれをやってくれというような期限がありませんから、都合のつくときに少しずつやってもらうのでいいわけです。

ありがとうございます。 (自分の勉強になるので)個人用として自分のペースでやらせてください。  私のホームページもじっくりと育てていきます。

<<お試しレッスンについて>>
> 無料で「お試し」をやってもらうことは構いません。「試食」は結構なのです。

これもまかせてください!!
何行目位(何週くらい)までなら核受肉を使っても良いとお考えですか?
どの位まで根石さんのメソッドを見せて良いか教えてください。
600行位まではOKですか? それとも1回のお試しレッスンのみですか?
考えをお聞かせください。

<<手合わせにかんして>>
> いずれどちらかに合流できる日が来ることを願っています。

ローグステイツ・・これに関しては本当にゴメンなさい。
月曜から金曜まで、私は(家族に)好き勝手やらせてもらっています。
今夜も仕事が終わった後、セミナーを聞いてきました。
明日も講義を聴きに行きます。 土曜と日曜は朝5時に起きて自分の「やるべきこと」をすまし、週末の朝7時以降は、、全力で一日中子供達の相手をいたします。 (普段相手をしてませんので、、)
すると、、夜の本の読み聞かせを子供達にしている時に疲れて寝てしまうのです。
夜に何度かアラームを設定して起きようとしたのですが、知らない間にアラームを消しておりました。 「参加する!」とか言っておいてすみません、、。

糸山先生の「どんぐり倶楽部」の勉強もやってますので、目いっぱいでございます。
「茶の本」は、今は復習を基本にやっています。 先を急ぎすぎました。
ゆっくりやらせてください。

<<私の文章について>>
>> この点で、吉さんには才能があります。 言葉がやさしく浸透性があるのです。

こう書いていただいてとても嬉しいのですが、、私としては根石さんのような文章が書けるようになりたいのでございます。
自分に才能があったと思った事など一度もありません。だからメチャクチャ嬉しいでございます。
内容は基本的に根石さんのパクリばかりです。 引用を許可してくださいまして、ありがとうございます。

<<発音の注意点などについて>>
> l と th が続く場合に、「どこをどうする」という説明があったのか書いていただければさらに有り難いです。

私がどのように生徒さんに伝えたかは兵庫のMさんが伝えてもらえると助かりますが、
(Mさん負担になっちゃったらゴメンなさい。)
基本的には発音10のポイントに書いてあった事をそのまま伝えただけでございます。
根石さんが家内に指導していたような舌の動きを伝えただけでございます。

以前僕の友人の1038君(スーパー初心者さん)にいろいろ伝えすぎてしまって、
ちょっと失敗しちゃったと感じた事がありました。
すべて発音10のポイント以内の範囲ですが、それでも伝えすぎると初心者さんは混乱してしまいますね。
以来、、注意しすぎないように意識する必要がありました。
レベルが上がってくるとアドバイスをこなせるようになるので、
(相手のレベルによりますが、) 最初から伝えすぎないのはポイントだと思います。

アクセントの位置と「「ア」の音」、、ここをはずせないポイントとして意識して、
以前根石さんから聞いたように「最初は枝振りを大きく整えていく」ように心がけます。

「ア」の音と、アクセントをつかんでおくだけでも、充分通用する音にかわっちゃうんですよね。 「あいうえおフォニックス」は、最強でございます。
これを他人に無料で指導するのは、(自分的に)ちょっともったいない気がするのでございますよ。(たとえ紙面でも、、)

たぶん、、、私は(自分で思っていた以上に)ケチな人間なのでございますね。
 


【11808】
村田さんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月20日(木)23時50分4秒    編集済
  > 読書についての記事、のせますよ

ありがとうございます。
先日家に帰ると家内が辞書を片手にハリーポッターを読んでいたのです。
そこで私が、「えらいね、、英語やってんの?」と言ったら、
妻は「う〜ん、、これは読書だよ、、ここに出てくる知らない単語全部覚える気ないし」みたいな事を言いました。
この家内のコメントを聞いて、、根石さんの以前のコメントを思い出したのです。
彼女は語学としての英文の読み方と、プレジャーリーディングを、きちんとわけておりました。
 


【11809】
ももこさんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月20日(木)23時58分13秒
  ももこさんはサックス奏者だったんですね〜。
素読舎のNAIMAさんはコルトレーンのフアンなんですよ。
なんと言ってもハンドルネームがNaimaでございますから。

根石さんのレッスンを受けてみて、もう暫くしたら、
「ご感想」みたいなものを書いてみていただけますでしょうか。
(まだ始めたばかりで書けないでしょうけど、、、)
このことは、また別の機会に素読舎の塾生さん達にお願いしますが、
塾生さんの感想をまとめてみたいと考えています。
 


【11810】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月21日(金)01時17分28秒
  >できましたら、根石さんのイメージ核受肉にある文法解析も
ベースに使わせて頂くことをお許しください。

 今日気づいてお返事してないことをお返事します。
 吉さんが使えると思うところは使って下さい。
 それよりも私が10万行くらい作ったら、その後を吉さんが書いてくれればいいと思います。チャップリンを挿入してもらうのがいいと思います。
 今、私のレッスンでは「ゴースト」の音読が終わったら、「七年目の浮気」の音読に移っていきますが、「ゴースト」「チャップリンの演説」「七年目の浮気」の順序にすればいいことです。「ゴースト」「七年目の浮気」と辿ってもらっている生徒さんには、「七年目の浮気」の後でチャップリンをやってもらっても、生徒さんから文句は出ないと思います。


【11811】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月21日(金)01時22分21秒    編集済
  >先日家に帰ると家内が辞書を片手にハリーポッターを読んでいたのです。
そこで私が、「えらいね、、英語やってんの?」と言ったら、
妻は「う〜ん、、これは読書だよ、、ここに出てくる知らない単語全部覚える気ないし」みたいな事を言いました。
この家内のコメントを聞いて、、根石さんの以前のコメントを思い出したのです。
彼女は語学としての英文の読み方と、プレジャーリーディングを、きちんとわけておりました。

 いいですねえ。こういうノロケ方は。
 語学でノロケることができるのだと証明しちゃって、ふふんだ、という感じ。
 英語磁場で生活しちゃった人には、そんなことができるんだ。
 ふふんだ。
 

【11812】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月22日(土)00時08分4秒
   また飲み始めてしまいましたので、酔いが回る前に書いておきます。今日、レッスンをしている間に、お返事するのを忘れていた件を思い出しました。
 「お試し」で無料レッスンをする場合、教材のどこまで使っていいかというおたずねでしたが、教材の行数で考えるより、期間で考えた方がいいのではないでしょうか。
 私は、一ヶ月間の無料お試し期間を設けたことがありますが、参考になさって下さい。レッスンがどういうことから成り立っているかは一ヶ月でもわかってもらえると思いますが、教材がどうなっているか(波状的復習の構造)をわかってもらえるには三ヶ月ほどかかると思います。しかし、私は三ヶ月の無料お試し期間はどうしても設定できませんでした。
 吉さんに無理がかかるのはまずいと思います。無理が生じない期間をご自分で決めていただいて結構です。
 

【11813】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月22日(土)00時15分24秒
  > 語学でノロケることができるのだと証明しちゃって

そっか〜、、語学でおのろけができるんだ〜、、
根石さんに気づかせてもらっちゃいました〜。 (^o^)
 

【11814】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月22日(土)00時19分30秒
  >英語磁場で生活しちゃった人には、そんなことができるんだ。

 昨夜はろれつの回らぬことを申しまして失礼しました。
 英語磁場で生活云々は関係のないことです。
 「えらいね、、英語やってんの?」というような仲のいい夫婦がうらやましかっただけです。うちは、英語は喧嘩の種でした。私は若いころから、世間が英語に関して持っている幻想に敵対していたので、世間が持つ幻想に敵対心のない妻と話が合わず、私の方が、「なに言ってやんでえ」となり、喧嘩になったものです。最近では夫婦の間で、英語の話はほとんどしません。金にならないのに語学論を作らなきゃならんと思いながら、同時に金を得ることもやらなきゃならず、その二つを統一させる(現在作っているような教材を作る)こともできなかったので、私はよく支離滅裂なことを口ばしったのです。英語という言語は、我が家に傷をもたらした言語です。
 

【11815】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月22日(土)00時57分6秒
  >すべて発音10のポイント以内の範囲ですが、それでも伝えすぎると初心者さんは混乱してしまいますね。
以来、、注意しすぎないように意識する必要がありました。

 「発音10のポイント」と「あいうえおフォニックス」は知識としてはごくわずかなものです。しかし、これを体現するとなると結構大変です。以前、柴田さんが書いておられましたが、「音づくり」は普通2年、3年かかります。吉さんの奥さんは、Naima さんや吉さんと同じで、例外に属します。吉さんがコーチをやったので、例外になってしまったのだと思います。

 「あいうえおフォニックス」は私が作ったと言ってもいいかもしれませんが、「発音10のポイント」は多くの人の協力を得て作った項目です。これらを知識として公開しても、実際に語学をやる人が、これらを知識にとどめず体現するのは独学では結構難しい。その問題は残ってしまうのです。つまり、レッスンそのものの必要性は減じることがないと思います。
 

【11816】
外野。さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月22日(土)01時10分30秒
  NOVAに関する読売の記事を教えていただきありがとうございます。
法律的にどうなのかとかいう観点では、NOVAの犯罪は明らかにならないと思いました。
NOVAは語学的に犯罪を犯しています。
だから、あんなものを頼ろうとした人たちにも、私は怒りを持っています。
 

【11817】
根石さんへ  投稿者:兵庫のM  投稿日:2007年 9月22日(土)19時39分23秒
  吉さんから受けた”all this”の発音の仕方の説明です。
確か...all 時の舌の位置は上の歯の裏につけていますが、thを発音する時その舌で上の歯の歯先を触りにいく。
これで、よかったでしょうか?

野菜作りに関してのことは、非常に興味深かったです。
私の周りの畑は、雑草もなくきれいに耕されています。きっと、わたしの草だらけの畑が気になるでしょうね。わたしは、ただめんどくさいだけなんですが・・・
 

【11818】
兵庫のMさん  投稿者:  投稿日:2007年 9月22日(土)20時59分40秒
  兵庫のMさん、、ありがとうございます〜。
と、、根石さん宛てなのに横槍、<(_ _)>

ちょっと補足させてもらっちゃうと、、、

all を単体で扱うと舌は上の歯の歯茎の裏でおわります。

「all」+「 the」  で 「黙音」 の説明をさせてもらいました。

all を「オー」と言った後、舌は、次の単語thを発音する準備をしにくい。
歯の裏は触らないで、thは、舌で上の歯の歯先を触りにいく。

と、、こんな感じでお伝えしたんじゃなかったかな〜。
どうでしょう?

<< 余談 >>
thは、「歯先を触りに行く」ってところがポイントなんですね。
シンプルで分かりやすいと思います。
僕が学生の頃の解説書には、「上と下の歯で舌を軽く噛む」と書いてありましたが、
僕はこの説明ではダメでした。

個人的に獲得したのは、舌が上の歯の裏を触る動きで発音するthです。
上の歯先でも歯の裏でも同じ音は出せますが、最初は「歯先を触る」で良いと思います。
「歯の裏」と言っても歯先に近い裏ですから、、。

僕はthの出てくる位置(単語の中の位置だったり文章の中の位置だったり)によって、
歯先や歯裏を使い分けています。 あ、、もちろん無意識にです。
 

【11819】
兵庫のMさん、吉さん、村田君へ  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月24日(月)01時09分24秒
  Mさん>吉さんから受けた”all this”の発音の仕方の説明です。
確か...all 時の舌の位置は上の歯の裏につけていますが、thを発音する時その舌で上の歯の歯先を触りにいく。

吉さん>all を「オー」と言った後、舌は、次の単語thを発音する準備をしにくい。歯の裏は触らないで、thは、舌で上の歯の歯先を触りにいく。

やはり、具体的に書いていただくと助かります。
all this の l音と th音の処理で、lを上の歯の裏につけるかつけないかですが、つけた方が丁寧な発音になると思います。いったん舌を上の歯の裏につけて l音を出し、わずか移動し、舌を上の歯先につけて、こすってひっこめながら th音を出すというのが丁寧な発音だと思います。
 l の本来の「上の歯茎」ではなく、上の歯の裏になるのは、 thの音を出しやすくするための、代用的位置になります。舌が楽をしたいためにそうなるのです。この省力化ということが、あらゆる音と音のぶつかりあい(舌の動かしにくさ)の場面で見られると思っています。

この場合、l音のために舌を上の歯の裏につけるとはいうものの、もう歯先に近いところを使うので、舌先を移動するというより、舌を歯の裏につけている力を強めるだけで、舌は歯先に触ります。その人の正面から唇の開きの中を覗くと舌が見えている状態になります。th音は「くっついているものがこすれながら離れる」音なので、その位置でも充分に th の音が作れます。そうなると、th音を出しているところが、歯の裏の歯先に近い部分なのか歯先なのかあいまいになり(その両方に触れていたりして)、厳密に区別しなくていいようなことになります。これが常態として繰り返されていると、吉さんが言うように「オー」と言ったあと、舌をそのまま th の本来の位置(舌を上の歯先)に置いてしまうというやり方も成り立ちます。私の説明でも、吉さんと同じになります。
つまり、「オー」を言ったらそのまま舌を th の位置(舌の上の歯先)につけ、lを言ったつもりで「黙音」にし、そのまま th を実際に発音するということになります。これだと、舌は上の歯の裏にまったく触らないことになります。

 これがこれまでの私と吉さんの共通理解だったと思いますが、今日、考え直してみました。

 吉さんは、th を、歯の裏で出すことと歯先を使うことを使いわけておられるとのことですが、これは that の発音などで使いわけることかと思いました。
 指示語の that (「あれ・それ・あの・その」を意味する that = 形容詞・名詞の that)では、that の a が「一瞬般若」の音になり、接続詞・関係代名詞の that では、同じ a が「狭く弱く曖昧なア」(発音記号で[逆さe]になります。「一瞬般若」のはっきりした音と相性がいいのは、th を本来の位置で発音する「歯先」、「狭く弱く曖昧なア」と相性がいいのは、省力化された th の位置(歯の裏)ということになるのではないでしょうか。
 この点、私の考えでいいのかどうか吉さんにお聞きします。

 今日考え直したことというのは、「歯先に近い上の歯の裏」というのが、t,d,l,n と th のぶつかりあいでは万能ではないかということでした。これまで「歯先に近い上の歯の裏」という言い方は「発音10のポイント」にはなかったと思いますが、これが一番簡単な説明になるのではないかと思ったのです。

 「歯先に近い上の歯の裏」という言い方をして、生徒さんが「歯の裏ではなく歯先」に舌が行きますと言われたら、「それでも構わないですよ」ということでいけるのではないか、と。

 これは t, d, l, n についても同じようなことが言えて、「上の歯の歯茎」というより、日本人には「上の歯の歯茎と歯の境目」と言ったほうが、舌が触るべきポイントがわかりやすくなるということがあります。
 t, d, l, n のとき、舌が歯の裏に触ってはいけないかというと、触っても音が損なわれることはありません。そうして、th も歯先に近い歯の裏でもよいとなると、t, d, l, n も th も、全部舌の先が歯の裏につく音というふうにひとくくりにできます。
 t, d, l, n は歯の裏の上の方、th は歯の裏の下の方(歯先に近い方)というわずかな位置の違いになります。
 いずれどこかで、丁寧な音を出すための「本来の位置」を言う必要があるだろうとは思いますが、歯の裏をどんどん使えば、これらの音はみんな出せると言うのが、日本人には楽だと思います。本来の位置を後回しにしてしまうというやり方です。これじゃまずいでしょうか。

 このあたりについて、吉さんと共通理解を再度練ってみたいと思いました。村田君も参加してくれるとありがたい。
 

【11820】
今日のレッスン  投稿者:F  投稿日:2007年 9月24日(月)16時50分1秒
  いつもありがとうございます。急な仕事があり間に合いませんので、今日は休ませてください。


【11821】
Fさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月24日(月)18時16分33秒
  承知しました。
振りかえておきます。
 

【11822】
兵庫のMさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月25日(火)01時25分3秒    編集済
  >野菜作りに関してのことは、非常に興味深かったです。
私の周りの畑は、雑草もなくきれいに耕されています。きっと、わたしの草だらけの畑が気になるでしょうね。わたしは、ただめんどくさいだけなんですが・・・

 話題が散らばって申し訳ないですが、農作業は今私が一番興味があることなので、ここで書かせていただきます。
 草だらけの畑をやっておられるということで、非常にうれしく思いました。
 耕されて草一本もないような畑を見ると、私はどうにもこれは不自然だと思ってしまいます。川口由一さんを知る前からそうでした。どうして人々が草のない砂漠のような畑にしてしまうかと言うと、草の種(と草の繁殖力)を恐れているからです。そのために、文芸批評的に言うと、「他者を排除する」ことになるのです。ああいう小さな砂漠のようなよく耕されて草一本もないような畑というのは、野生(雑草の繁殖力)を恐怖することによってできているのです。この恐怖を川口さんはてもなく相対化してくれました。川口さんの本を読んでから、私がどれほど気軽に百姓をやれるようになったかははかりしれません。百姓が草一本もないよく耕された畑にしてしまうのと、現今の「いじめ問題」とは根が一緒だと思います。根は「恐怖」なのです。いじめる側に(もしかしたらいじめられる側にも)「他者」を受け入れることができないのです。ここで、問題は語学につながるのです。「語学」というのは、まさに「他者」を受け入れようとする行為ですから・・・。

 実際の農作業では、草は退治するのではなく、草の勢いを抑えることでいいと思います。作物に陽が当たらなくなってきたら、草を半分とか3分の1くらいに刈り込んでやる。あるいは、背丈の低い作物のための風通しが悪いようなことになったら、草を根元から刈ってやるというような作業は必要です。川口さんのセオリーの一つに、草は「刈ってその場に置く」というのがあります。正しいと思っています。コンバインだ、合成化学物質の農業資材だ、農薬だ、化学肥料だと近代科学による技術に振り回され続けてきた日本の農業が正気に戻るためには、一度は川口由一を咀嚼する必要があると思っています。川口さんの農作業は、つつましく正しく、自然への敬意を回復しています。私は川口さんと個人的にはまるで接触がありませんが、農の理念をきちんと言葉にできた人、自然との感応に優れた人として、貴重な人だと考えています。
 「持ち出さない・持ち込まない」に関しては、一度だけ、「だったら出来た作物も持ち出すな」と嫌みを書いたことがありますが・・・。しかし、私が読みが浅かっただけのことだと、今になっては思っています。
 農作業のホームページ作成を進行させる力をいただけますので、また農作業のことを書いていただけたらありがたく思います。
 私は今日、ノコギリ鎌を使って畑の草の根を切り、ニンニクを埋めました。
 ジャガイモのアンデスが芽を出し始めました。このジャガイモは、春の終わりと秋の終わりに二度穫れます。しかも、自分が作った芋がそのまま種芋になるようです。いずれも草と共生させています。
 草だらけの畑がいい畑なのです。社会の通念と異なりますが、通念の方が病気なのです。
 

【11823】
2回目のレッスンでした。  投稿者:ももこ  投稿日:2007年 9月25日(火)02時18分18秒    編集済
  みなさまこんばんは。ももこです。

2回目のレッスンでした。
1回目のときはつっかえつっかえだったのですが、前回とくらべるとスムーズにできる部分が増えていました。うれしいです。

実は前回のレッスンのあと、「なんでつっかえてしまうんだろう」と自分で振り返ってみて、ゆっくり読みながら、言葉をカタマリで追っかけるようにしてみたのが、もしかしたらよかったのかなぁと感じています。

あと今回は「走っているな」というのを感じる余裕がちょっとだけありました^^;

今回は「あいうえおフォニックス」を教えていただきました。
テキストで該当する単語が出てくるたびにひとりで「おぉ〜」と楽しんでいます。

レッスンの余韻を楽しみながら、今週1週間をすごそうと思います。ありがとうございました。

吉さんへ
Naimaさんは、コルトレーンの奥様のNaimaさんから来ていたのですね。なるほどです。
もう手元に楽器もなくて、だいぶ吹いていないのですが、また吹きたいなぁと思うことがあります。

レッスンの感想についてですが、もうすこししてから感じたことを書いてみようと思います。みなさんの感想といっしょに載せていただけるとのこと、うれしいです、お誘いありがとうございます。
 

【11824】
根石さんへ  投稿者:兵庫のM  投稿日:2007年 9月25日(火)19時26分37秒
  こんばんは!
川口由一さんの「妙なる畑に立ちて」を読んでみたいと思います。ゆっくりと、時間をかけて。
草を刈って、畑に置くことを、やってみます。たまに草を抜いて置いていましたが。

>草だらけの畑がいい畑なのです。社会の通念と異なりますが、通念の方が病気なのです。

なるほど、草だらけの畑がいいのですね。草を抜くのは常識だと思っていました。みなさんやってるので・・・。常識が常識でないんですね。興味深いです!また一つ重要なことを学びました。
 

【11825】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月26日(水)08時17分20秒
  現在読み込みなおしているチュップリンの演説を使って、
[th]について検証中でございます。お返事お待ちください。
ポイントは少ない方が良いので、基本的には根石さんの案に賛成です。
ただ、もう少し読み込んで検証させてください。
 

【11826】
掲示板操作についての質問  投稿者:ももこ  投稿日:2007年 9月26日(水)10時38分14秒    編集済
  すみません。ちょっと伺いたいことがあって書き込みします。
良く書き間違いや、タイプミスをしてしますので、できれば、書き込み後の自分の投稿した記事を編集・訂正したいと思うのですが、この掲示板では可能でしょうか?
もし、よろしければどなたか教えてくださるとうれしいです。

よろしくお願いします。
 

【11827】
投稿済記事の編集について  投稿者:村田  投稿日:2007年 9月26日(水)16時46分42秒    編集済
  ももさん こんにちは。管理人の村田です。
投稿済みの記事の編集は下記の手順でできます。

この掲示板の一番下にある「管理者メニュー」というボタンをクリックしてください(パスワードはいりません)。
すると、自分が投稿した記事の一覧が出てきます。
そこから編集したい記事を選んで修正してください。
 

【11828】
ありがとうございます。  投稿者:ももこ  投稿日:2007年 9月26日(水)22時20分7秒
  早速修正機能を使ってみました。
これで気軽に投稿できます。ありがとうございました。
 

【11829】
ももこさんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月26日(水)22時46分30秒
  私は、今朝の投稿で 「チュップリン」っと書いていました。
かわいい間違いなので編集しないでおきます。
チュっ・プリンですから、、、(⌒▽⌒) あはは、、

> 今回は「あいうえおフォニックス」を教えていただきました。
> テキストで該当する単語が出てくるたびにひとりで「おぉ〜」と楽しんでいます。

これね〜、僕も根石さんの「あいうえおフォニックス」すごいと思っています。

> もうすこししてから感じたことを書いてみようと思います。

おお〜、、楽しみにしております〜。
よろしくお願いいたします。 (o^∇^o)ノ
 

【11830】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月26日(水)22時53分27秒
  t, d, l, n は歯の裏の上の方、
th は歯の裏の下の方(歯先に近い方) (← 結局歯先に触ってしまいます)

これでOKだと思います。 とりあえずの音というか、
十分使える音がだせると思います。

ここ二日、TH の発音を意識しながら読み込みをしていました。
意識したら自分本来のもっていた舌の動きがわからなくなりました(笑)。
これをやっている途中で中学の頃、
先生に発音指導された記憶がハッとよみがりました。
すっかり忘れておりました。

その時の英語教科担任は、次のように言いました。
『that は、ザット(zat) って発音するよりも、
ダae(t) (dat) で発音するほうが、ザットより綺麗な音がでるんだよ。』

すっかり忘れておりました。

それで僕が、授業中にふざけて(先生をからかうように)
「だっと いず あ ぺん」とか言って、
クラスメイトと笑いあった記憶も一緒に思い出しました。


【11831】
根石さんへ  投稿者:巴里子  投稿日:2007年 9月27日(木)17時21分50秒
   明日のレッスンお休みさせてください。
 復習してないので、根石さんに会わせる顔ならず、声がありません。来週には胸を張ってレッスン受けられるようにしますのでよろしくお願いします。振替レッスン不要です。
 

【11832】
4回目の電話レッスン  投稿者:兵庫のM  投稿日:2007年 9月27日(木)18時50分47秒
  こんばんは。お世話になります。

昨夜のレッスンでいいにくかった箇所は  What'd the....でした。
d とthe を続けていうときは、dのときは少し詰まった感じで発音しないで止めておき、言ったつもりで、少し間を置いて、theを発音するだったと思います。

吉さんへ・・・詳しい説明をよろしくお願いします。

説明を聞いた後は、いいやすかったです。

また、what'd =what did  ということを初めて知りました。


いつも、的確なアドバイスありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。
 

【11833】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月28日(金)01時26分9秒
  >1回目のときはつっかえつっかえだったのですが、前回とくらべるとスムーズにできる部分が増えていました。うれしいです。

 吉さんの奥さんのレッスンの時がそうでしたが、ももこさんも一回のレッスンで大きな変化が生じました。「あいうえおフォニックス」の説明も、一度ですとんと胸におちたように受け止めていただけたと感じています。
 こういう方は、じきに私から注意することがなくなると思います。そうなると、けっこう退屈なインプットを継続することになります。そこからが辛抱のしどころになります。

>レッスンの感想についてですが、もうすこししてから感じたことを書いてみようと思います。みなさんの感想といっしょに載せていただけるとのこと、うれしいです、お誘いありがとうございます。

 私からもよろしくお願い致します。
 

【11834】
兵庫のMさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月28日(金)02時18分54秒    編集済
  >川口由一さんの「妙なる畑に立ちて」を読んでみたいと思います。ゆっくりと、時間をかけて。
草を刈って、畑に置くことを、やってみます。たまに草を抜いて置いていましたが。

 川口さんの本は、新刊で手に入るのかどうかわかりません。私はネットの古書店で買いました。
 http://www.kosho.or.jp/servlet/bookselect.Kihon
 川口さんによると、草は「抜かずに刈る」「刈ってその場に置く」がセオリーです。しかし、種から芽が出てきたばかりのとき、一緒に芽を出した草は抜きます。種を蒔くときも、夏草の種をどけるために、土の表層だけを鍬でそぐように取り除いて蒔きます。これは川口さんもやっています。土を大きく上下にひっくり返すようなことをするなということだと思います。
 いつも歩く通路を設け、作物と草を共生させるベッドは踏みません。これは川口さん以前に先駆者がいます。
 大きな草を抜くと、根と一緒に大きく土が動いてしまいますが、それがいけないと言っているのだと思います。芽を出したばかりの草を抜いて、土が動いても1センチそこそこです。この程度だと、住みついている微生物や小動物の環境を乱すことにならないということだろうと理解しています。また、大きくなった草は、根と茎の境目(の根の側)を切ると、根も枯れます。そうすると、土の中に残った根が微生物に食べられ、土の通気性をよくしてくれるということがあるだろうと思っています。その意味でもなるべく土は動かすなということだと・・・。
 しかし、じゃがいもなどは収穫時にどうしても大きく土を動かすことになります。これもしかし、畑の土がどれだけ硬いか柔らかいかに大きく依存します。ほんとうに柔らかい土だと、芋の茎を持って持ち上げると、根に芋が全部くっついて空中に持ち上がるようになります。川口さんが芋が付いたままの全体を空中にかざしている写真があります。そのくらい柔らかくなった土だと芋を抜いても土のダメージが少ないが、固い土だと犬が穴を掘るような感じに土を掘らなければならなくなり、結局土をひっかきまわすことになり、土の上下がめちゃくちゃになってしまいます。普段からなるべく有機物を置いておき、土を裸にしないで、柔らかくするしかないと思っています。指で耕した後は、またその上に刈った草などを敷き、なるべく畑を裸にしないというのでいいと思っています。じゃがいもを収穫した後なども、なるべく早めに平らにして刈った草を敷いておくのがいいと思います。(私は今年これをさぼり、後悔しています。)
 私のやっている畑は、これまで父親が耕してきた畑ですが、土が締まって固いので、これから柔らかくしていかなければなりません。
 川口セオリーの根本は、畑のあるべき姿として私の中にはっきりとイメージがありますが、実際の私の畑はそれとはずいぶんとかけ離れています。有機物を土の上に置くだけでなく、私は種を蒔くときや、収穫して空いたところなど両手の指で耕しています。置いておいた萱などが触ればすぐに折れるくらいになったものを、手の指で畑の土に混ぜ込んでいます。有機物を土に混ぜる時は、耕耘機はもちろん鍬も使いません。一年くらい土を裸にしないで有機物(草など)を置いておくと、指で土に混ぜられるくらいにはなります。ほとんど弥生式農法以前という感じです。縄文人が農をやっていたという説もありますが、やっていたとすれば多分こんな感じじゃないかなと思ってやっています。
 指で耕す場合でも、耕しているには違いないので、川口セオリーに反します。しかし、固い土を柔らかくしていくには、それでいいのだと考えてやっています。指で耕せる深さは5センチ程度ですが、しばらくは5センチ程度は指で耕して、こなれた有機物を混ぜ込んでいくつもりです。5センチ程度までは好気性のバクテリアが住んでいて、その下に嫌気性のバクテリアがいるだろうと思います。5センチ程度までなら、耕してもバクテリアの分布を大きく乱すことはないとも考えています。これもできないとなると、じゃがいもやさつまいもは作ることができません。
 川口さんのセオリーから外れたことをやってはおりますが、川口さんの説の根本は私の胸にいつもあります。川口さんの言う通りにやっているのではないけれど、川口セオリー通りにやってやっていける畑になることを目指しています。いつの日か完全な不耕起がやれる日が来るのかどうか。その日まで生きていられるのかどうか。それはわかりません。
 

【11835】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月28日(金)02時54分52秒
  >>t, d, l, n は歯の裏の上の方、
th は歯の裏の下の方(歯先に近い方) (← 結局歯先に触ってしまいます)

>これでOKだと思います。 とりあえずの音というか、
十分使える音がだせると思います。

 合意が成立してうれしいです。
 ちょっと書き直してみました。

t, d, l, n は歯の裏の上の方(歯と歯茎の境目でもいい)、
th は歯の裏の下の方(歯先に近い方、あるいは歯先)

 こうすることで、t, d, l, n と th を「歯裏の音」としてまとめることができます。

 t, d, l, n と同じ位置だが、舌が歯裏(歯と歯茎の境)に密着しない音として s があると考えていますが、これについてはどうお考えになりますか。「触るか触らないか程度にして、歯裏(歯と歯茎の境目)と舌の間に息を通す」と出ると思います。sit を shit に近く発音される生徒さんがいたので、s音をどう説明しようかと思って困り、一応考えた案です。
 この生徒さんは shit の sh(ロングs)はよく出ていたのですが、コーチとしては、ロングsの方が説明に困る音です。これは今のところ妙案がありません。ロングsは唇の筋肉も結構使うように思います。私の場合、舌は完全に「上の歯茎」に位置し、sと同じように「触るか触らないくらい」、唇に丸く力を入れて出します。これなんかは、手短に核心をつく説明は無理なんだろうかと考えてしまいます。ひとまず思いつくのは、「唇に丸く力を入れて、シャ、シュ、ショというときの、前半の音」というくらいのものです。
 

【11836】
巴里子さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月28日(金)04時00分37秒    編集済
   練習してないということだけが理由でしたら、レッスンは受けていただきたく思います。私の生徒さんの中には、本当にお忙しい方が多いので、練習できていなくても、ひとまず英語に錆を寄せず、維持するためだけにレッスンを受ける方もいらっしゃいます。生活がかかっているのですから、それは仕方のないことです。私から絶対に必ず練習しておくように申し渡すなどということはできません。
 ひとまず錆を寄せ付けず、維持するためにだけレッスンを受けている回があることをくやしさとともに自覚しておられる方は、時間がある週は必ず練習しておいてくれます。また、仕事や病気などでどうにもレッスンが受けられないという時以外は、欠かさずレッスンを受けていただいています。巴里子さんにも、その方たちと同じようにしていただきたく思います。
 たとえ毎回練習してなくても、レッスンを受けていただけば、自覚できないほどわずかであっても、英語が必ず変化していきます。自分でやるべき練習をやる気になれない期間はそれでも構いませんが、それだと、亀が子亀になるというお話を以下に致します。
 兎と亀の喩え話で言えば、私のレッスンは亀の方法です。生徒さんの側が練習しないと、兎と亀ではなく、兎と子亀の子亀のスピードに落ちます。いつも毎回練習していないと、兎と子亀の違いが固定してしまいます。人の寿命が300年くらいあるならこれでもいいわけです。

 私は、ひとまず私の方法でやり始めた生徒さんに、兎と亀の亀になっていただきたいと願っています。巴里子さんのおっしゃることにあるのは、実際は子亀のスピードだが、気持ちは兎になっているということだと思います。

 私が異様な気持ちになったのは、練習しておいてもらえましたかとおたずねした時に、「まるでやってありません」と何度か答えられた口調にありました。何回か同じ質問をしましたが、そのたびに、まるでかげりもなく、当然のことのような、むしろ、その方がいいことであるかのような口調で答えらました。
 学校との間にトラウマなんかがおありなんでしょうか。
 私のレッスンは、学校とのおつきあいとは違います。「行きたくなくても行くところ」とか、「やりたくなくてもやること」の外側に私のレッスンがあります。生徒さんの主体性によって開始されるレッスンです。
 当然のことのように「まるでやってありません」と言われるのを聞いて、天真爛漫というのではなく、底に反抗のようなものを含んだものと私は受け取りましたが、見当外れでしょうか。私が何か反抗の対象にされなければならないことがあったのでしょうか。
 まるで当たり前のことであるかのように、「まるでやってありません」とおっしゃられるのは、学校の授業に対してならともかく、私のレッスンに対しては意味がないとも思ったことでした。
 普通ならこのくらいの行数をこなすとこんな感じの質が穫れるはずだがという、なんとなくの職人の勘みたいなものが私にあります。巴里子さんにおいて、それを成立させ難くしている邪魔がご自身の中にあるのでなければ、何か私が至らないために、「まるでやってありません」ということになっているのだと思います。私には見当がつきませんので、私が至らないためにそうなっているのでしたらお教え下さい。

 自分でやる練習をやらなかったことを理由にレッスンを休まれるのは、300年どころか、それ以上、数百年も数千年も生きることを決意されるのなら結構です。そういう決意は、しかし、空回りです。人間を超えた摂理によって空回りにされます。
 私の方法は、兎と亀の亀のものです。亀は兎を追い越すと信じてやっています。実は語学には、兎になってもらう時期(どかんとやってもらう時期)が必要ですが、今はまだその時期ではありません。また、子亀のスピードでいいのだと決めてもらうことも、人間に数百年の寿命があるのでないかぎり、やってほしくありません。語学には語学の摂理がありますので。
 私の方法は、兎と亀の亀の方法です。ひとまずそうです。しかし、私の方法が亀が兎を追い越すというお話を超えるのは、語学では、(体を使う技能の獲得=職人の技能の獲得に似て、)亀が兎に変身する点にあります。本当に亀が兎になる時が来るのです。脱兎の如くにスピードが出せる日を信じて、今は亀になって欲しく思います。今は、兎も子亀もやって欲しくありません。 語学をやるのであれば、今が本当に大事な時期です。
 

【11837】
兵庫のMさん、吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月28日(金)04時29分36秒    編集済
  >昨夜のレッスンでいいにくかった箇所は  What'd the....でした。
d とthe を続けていうときは、dのときは少し詰まった感じで発音しないで止めておき、言ったつもりで、少し間を置いて、theを発音するだったと思います。

 吉さん宛てのコメントですが、今度は私が横槍を入れますことお許し下さい。
 What'd the ですが、これは極度に説明が困難です。一応やってみます。

 短縮されたものをバラして全部書くと、What did the になります。このうち、what の最後の t から以後の音の動きだけ書くと

t did th

 となります。t と did の最初の d がぶつかり合いますから、t を黙音として一拍使い、次の d が発音されるはずです。did の i の音をどう扱うかをひとまず棚にあげて、次の音のぶつかり合いは、did の最後の d と th にあります。これは、先日来、吉さんと検討してきたことをさっそく活かすなら、did の最後の d を歯の裏(か歯先)に置いて、やはり黙音化し、歯の裏(か歯先)をこすってひっこめながら、th 音を発音するという順序になります。黙音をカッコの中に入れて書くと、

(t) di(d) th

となります。
 この時、さっき棚にあげておいた did の i の音の処理ですが、これは発音してもしなくてもいいとしておくのがいいと思います。言いやすい方でいい、と。
 did の i のときに、ほんの瞬間ですが、舌が歯裏から離れるということが確保されれば、音は響いても響かなくてもいい、と。
i 音を発音するかしないかだけでなく、

(t) di(d) th

 では、did の最初の d もかなり弱くなる気がします。
 th の前で、舌先が(瞬間的に)一度歯裏を離れていれば、音は出ても出なくてもいいというくらいのものではないでしょうか。舌がどんなにわずかでも一度離れているかどうかは、英語ネイティヴの人は必ず聴き取ると思います。

 What'd the という綴り(表記)と、(t) di(d) th という実際の音の動きは一致しないと考えていいものではないでしょうか。
 吉さんのご意見をお願いします。
 

【11838】
根石さんへ  投稿者:巴里子  投稿日:2007年 9月28日(金)17時24分55秒
   お詫びします。今晩のレッスンお願いします。
 復習をおろそかにしていることの後ろめたさが常にあり、何か言われるんではと怯えていました。ご指摘のようにトラウマがあると思います。落ちこぼれだったことも含めて、いろんな意味で屈折している部分があります。
 根石さんに不快な思いを抱かせていたことお許しください。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
 

【11839】
はじめまして  投稿者:matsu  投稿日:2007年 9月28日(金)20時14分3秒
  突然、すみません。
根石さんは、詩人の根石吉久さんですか。
そんなに詩は読まなかった自分ですが、
学生時代に買った「人形のつめ」は今でも大切な詩集です。
思わずHPを見つけて、うれしくなりました。
では、いっそうのご活躍を。
 

【11840】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月29日(土)00時07分17秒    編集済
   「人形のつめ」ですか。なつかしいです。
 読んでいただきありがとうございました。

 詩を書いている最中の人を詩人と呼ぶなら、私もかつて詩人だった一時期があることになります。詩集はほとんど売れなかったので、面はゆいことです。今は、語学屋と百姓をしています。詩に対する関心がまったくなくなったわけではなくて、たまに人様が書かれたものを読むことがあります。先日も尿路結石の治療に通っている病院の待合室で読むために、病院に行く途中でハルキ文庫の「谷川俊太郎詩集」を買いました。

 よろしければ、またここへお書きいただけるとうれしく思います。


【11841】
巴里子さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月29日(土)00時25分55秒    編集済
   レッスンを始める前にお話しさせてもらい、レッスンが終わったときにはお話する時間がとれなかったので言いませんでしたが、今日は単語と単語の間で大根にスが入るように切れてしまうことはほとんどありませんでした。
 先週とははっきり違っていました。昼間練習なさったものと思いました。練習すればはっきりと違うのですから、練習するようになさって下さい。

 亀のようにゆっくりと進むレッスンですが、持続されると、相撲でいう地力がついてきます。レッスンの効能は、養命酒みたいなもんだと考えていただいていいと思います。急には効かないが、じわじわと改善していく作用があります。
 地力がつくと何かやってみようかという気になりますので、それがチャンスです。私のレッスンの亀の歩みを維持されながら、いずれ、やってみようと思ったことをやってみられるのがいいと思います。
 英検を受けられるのでも、話す・聞くのスキルを磨くのでも、読書されるのでも、既得語彙数を一挙に拡張するのでもなんでもいいと思います。
 

【11842】
巴里子さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年 9月29日(土)00時43分1秒
  >根石さんに不快な思いを抱かせていたことお許しください。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 不快な思いというんではなくて、わけがわからないという感じでした。外国語をやるんですから、練習するので「普通」なのです。練習しないことを「普通」と考えておられるのかと思ったことがあり、それだとわけがわからないという感じでした。
 練習することが「普通」のことだという一点だけわかっていただければ、すべて氷解すると思います。練習が出来なかったときは出来なかったでいいのです。そのことが問題ではなく、練習しないことを「普通」のことにして欲しくなかっただけです。

 こちらこそ、これからもよろしくお願い致します。
 

【11843】
お言葉に甘えて  投稿者:matsu  投稿日:2007年 9月29日(土)21時08分14秒
  思い出話をさせてください。
根石さんの詩を初めて読んだのは、「同時代批評」でした。
確か、町を歩く女の人が気にかかる、という内容の詩でいっぺんで気に入りました。
それで、神田の沖積舎に根石さんの詩集を買いに行きました。
今日、久しぶりに「人形のつめ」を読み通しましたが、やっぱりよかったです。
私の中では、根石吉久は、吉岡実や荒川洋治と同列の詩人です。
今は別の分野で徹底した仕事をされているようですが、一ファンとしては、いつか根石さんの新しい詩が読めたら、と思っています。
 

【11844】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年 9月30日(日)16時41分32秒
  金曜の夜は、matsuさんと巴里子さんの投稿があったので、書き込みを控えました。

What'd the doctor say?
これについての僕の意見を書かせて頂きます。
結論から書くと「tもdも黙音になる」という説明で良いと思っています。

> 舌がどんなにわずかでも一度離れているかどうかは、英語ネイティヴの人は必ず聴
き取ると思います。

はい、、聴き取れると思います。
で、、聞き取れているから、あえて「’d」という表記なのだと思うのですが、、。

#1.
このような会話の音を文字におこした場合、
(聞いた人)書く人によって、(この文章は)
What the doctor say?
このような表記で表すこともあると思うのです。
口語では文法などのお約束がよく崩れますから、、、。

我が家には映画のDVDが無いので、このセリフを言っているシーンの音を聞いて
検証できませんが、
もしも
What (di) the doctor say?  こんな感じでも (di)が聞こえるのなら、
私なら What did the doctor say? と書きおこします。

我が家には映画のDVDが無いので、このセリフを言っているシーンの音を聞いて
検証できませんが、(すみません、繰り返しています)

短縮された「’d」の音が聞き取れるとしたら、
一瞬の「間」(黙音)から「d」の存在を感じるか、
薄くdi(舌の離れ)の音が聞こえるかだと思います。

#2.
根石さんが書かれているように、
What did the doctor say?  だった場合の黙音は、
Wha(t) di(d) the doctor say? になると思います。

(di) の理屈は、根石さんの書いたとおりで良いと思います。

#3.
どちらにしても、これは「すりきれたジーンズ」の音の表記だと思っています。
この「’d」は崩れた音だと考えております。
この音は、磁場と絡めば自然と発声につながると考えております。
ここは、生徒さんには「tもdも黙音になる」という説明で良いと思っています。

コーチがその理屈を獲得しておく必要もあると思います。
ですが、実際の指導では、「tdlnthの黙音」で説明がついてしまうと思います。

私は「黙音」で兵庫のMさんに説明いたしました。
「黙音」で統一できないでしょうか?  どうでしょう?
 

【11845】
根石さんへ   投稿者:  投稿日:2007年 9月30日(日)16時46分8秒
  根石さん、、先日のお話を踏まえて下記のように変更してみました。
どうでしょう?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

素読舎の英語コーチ

英語塾「素読舎」の根石吉久さんのお手伝いをさせていただく事になりました。
素読舎の英語コーチの仲間入りをさせて頂きました。

根石さんのレッスン枠が手一杯になった時、生徒さんを私が一時預かり指導いたします。
根石さんのレッスンに空席ができたら、根石さんにお返しするというやり方です。
2007年9月より、生徒さんを一人お預かりしています。

根石さんの理論と方法を、可能な限り再現できるように日々努力する事を誓います。

電話レッスン
・根石吉久さんの自作テキストで進めていきます。このテキストが凄いのです。
・中級以上のレベルをお持ちの方もこのテキストから始める事をお薦めいたします。
・英検1級レベルの方、英語教師の方には、
もっと噛み応えのある岡倉天心の「茶の本」で指導いたします。


素読舎の英語レッスン
週1回 30分 x4 (12,000円 / 月)


#1. スカイプを使ってご友人と同時にレッスンを受ける事も可能です。
二人同時に受講した場合は、月謝を二人で割る事が可能です。
家庭電話機の子機などを使ってコーチとの三者通話が可能なら、
「ご夫婦」や「母親と子供」のペアなどで受ける事も可能です。
私はこの方法で家内と一緒にレッスンを受けています。

#2.お試しレッスン
 ・ 興味はあるけれども、難しいのではないか。
 ・ まったくの英語初心者にも続くか不安。
 ・ レッスンの流れが知りたい。

上のような不安のある方のために、
私が1ヶ月程度のお試しレッスンをいたします。

レッスンの効果を実感できるようになるには、
最低でも3ヶ月は必要だと思いますが、
レッスンの大まかな流れは1ヶ月で掴めると思います。

#3.その他
英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)

正規のレッスンとは別枠で週に一度15分から30分、
塾生同士・塾生とコーチ・コーチ同士で英語の練習をやります。

これは語学を学ぶ者同士のスキルを磨くもので強制ではありません。
スパーリングパートナーを募集する場合、
コーチに相談するか、素読舎の掲示板から相手を募集してください。

根石さんの教材を使ってレッスン範囲の復習をするのでもかまいませんし、
別のテキストを使ってもかまいません。
ご希望があり、またスケジュールが合えば、私がお相手いたします。


素読舎の受講生の感想
 

【11846】
レッスンありがとうございました。&お休みのお願いです  投稿者:ももこ  投稿日:2007年10月 2日(火)02時33分52秒
  3回目のレッスンありがとうございました。

実は風邪を引いていて、強引にレッスンを受けてしまいました。先週の半分くらいの練習量でした・・・。

Sam,〜〜〜のところの aの発音(一瞬般若)

Where'd you get those? の dとyouがくっつくところ。

「つづりで'u'聞こえる音で’あ’の場合」の逆さvと逆さe
Mustang の発音
のアドバイスを頂きました。

テキストは This is not brain surgery you're going into.
から I think you ought to pay off your Mustang first.までです。

逆さvと逆さe の違いでは、
狭い音で、アクセントの有無・息の強弱だけで元の発音はほぼ同じと考えてよいことにビックリしました。と同時に「これはいいこときいた〜♪」とも思いました。

この逆さvと一瞬般若のポイントが同時に出てくる
Mustangは難しかったです。

また、Sam,〜〜〜のところの aの発音が一瞬般若になるときに「〜〜〜だから」とおっしゃっていたと思うのですが、もし、よろしければ、もう一度伺いたいです。

また、
Where'd や他に今日でてきた文だと tell'em などの発音が難しかったです。(分からない単語はオンライン辞書だと引けないのと=発音を聞けないので、どう読んでいいのかわからないです。)

30分のレッスン 時間だけ見ると短いようですが、終わると脳と口に心地よい疲労感が残ります笑。今私の頭の中ではMustangがリフレイン状態なので、ちょっとだけ口を動かしてみようと思います。今日はありがとうございました。

追伸:
最近私の周りでは結婚式ラッシュで、実は先週も結婚式からダッシュで帰ってきて、レッスンを受けていました。そして、来週も夜スタートの結婚式のため、お休みさせていただこうと思います。

そしてさらに・・・・
夫が3年ぶりの夏休みが取れたので、15日(月)3泊4日でグァムの旅行を計画しています。私はレッスンがあることを主張したのですが、夫の頭には旅のことしかないようで・・・。

どちらも本来うれしいことなのですが、すべて月曜日なので、ものすごく残念ですが、2週お休みさせていただこうと思います。この調子だと振り替えがたまってしまうので、振り替えなしでもかまいません。どうぞよろしくお願いします。
 

【11847】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 2日(火)03時28分23秒    編集済
  文案、練っていただきありがとうございます。
気になるところだけ、コメントします。

>電話レッスン
・根石吉久さんの自作テキストで進めていきます。このテキストが凄いのです。

 「このテキストが凄い」というのは、私から言っても我田引水にすぎませんので、どのあたりがどういいのか言っていただくとありがたいです。私にとっては、作成で「凄い」疲れをもたらすテキストなんですが・・・。
 (テキスト自体を評価して下さる他の生徒さんも、何か言っていただけたらありがたいです。)

>素読舎の英語レッスン
週1回 30分 x4 (12,000円 / 月)

 月4回が基本ですが、月に5回ある場合は5回レッスンし、1回多くレッスンした分を溜めておき、後でコーチがお休みするときに使わせていただくということも併記しておいていただくとありがたく思います。

>#1. スカイプを使ってご友人と同時にレッスンを受ける事も可能です。
二人同時に受講した場合は、月謝を二人で割る事が可能です。
家庭電話機の子機などを使ってコーチとの三者通話が可能なら、
「ご夫婦」や「母親と子供」のペアなどで受ける事も可能です。
私はこの方法で家内と一緒にレッスンを受けています。

 スカイプは比較的新しいコンピュータ(CPUの能力の大きいもの)でないと、声がとんだりしますので、普及にはもうしばらく時間が必要かと思っています。とはいえ、スカイプは素読舎の「電話でレッスン」にとっては強い味方です。
  スカイプを使うレッスンでは、日本であまり英語の練習をしないまま英語圏に渡ってしまい、苦しんでいる方に朗報になると思っています。
 日本にいて英語を使う機会がない方より、英語圏にいて英語で苦しんでいる方の方が、素読舎のレッスンは即効性があります。吉さんは英語磁場での生活経験がおありなので、今現在英語圏で苦しんでいる人の気持ちがよくおわかりになると思います。吉さん独自の見解を付して、この点を付け加えていただけるとありがたいです。

>#2.お試しレッスン
 ・ 興味はあるけれども、難しいのではないか。
 ・ まったくの英語初心者にも続くか不安。
 ・ レッスンの流れが知りたい。

上のような不安のある方のために、
私が1ヶ月程度のお試しレッスンをいたします。

 「私が無料で1ヶ月程度のお試しレッスンをいたします。」とされたらいかがでしょうか。


>#3.その他
英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)
正規のレッスンとは別枠で週に一度15分から30分、
塾生同士・塾生とコーチ・コーチ同士で英語の練習をやります。

 ここがやはり気になるのですが、吉さんや Naima さんはともかく、初心者・中級者では、レッスンの後の一週間は復習のために結構やることがあります。「音づくり」の他に、レッスンで使用しているテキストを使って、「電圧装置」を作り、知識を殺すことをやってほしいと思っています。レッスンを始めたばかりの頃に、レッスン以外に枝を生やしていろんなことをやると、レッスンのための復習の時間を奪ってしまうことになります。
 初心者や中級者にやってほしいことは、「一人になること」なのです。日本において英語力を保ち続けるためには、「一人になること」がもっとも肝心なことだと思っています。日本語磁場で表に現れることもないままに保持される英語力というのは、「絶海の孤島」なのだと、以前、比喩で言ったことがありますが、この宿命を生徒さんが「一人において」引き受けることが何よりも大事なことだと考えています。初心者・中級者の人には、英語の練習と同時に、「一人になること」の練習が非常に大切なものです。
 福沢諭吉の「学問の私立」というときの「私立」は、学校制度における私立学校(早稲田とか慶応とか)の意味ではありません。学問は一人で「私」において行われるものだという意味だと私は理解しています。
 ですから、「わたくしごと」とか「私立」とか「一人でやること」とかいうのは別に英語に限ったことではないのですが、特に日本でやる英語は、英語磁場からの「援助」がありません。この「援助」がないところでは、「一緒に勉強する」ことより先に、「一人になる」ことが大事です。
 レッスンの復習は生徒さんに「一人で」自分でやっていただきたいと思っています。イメージの核をつかむ作業は、絶対に共同ではできません。たとえ共同でやっても、「一人になる」というところでしか、実質は何も動きません。イメージの核をつかむことは、一人の意識で自分でやる他はないことに関して、吉さんと私の間に共通理解は成立していると思いますが、その意味で、生徒さんの「一人で使う時間」をそのままにしておいてほしいと思っています。つまり、「一人で使う時間」を減らして欲しくありません。
 初心者・中級者に地力がつくことによって、もっと他にもやってみたいという気持ちになったら、レッスン以外に枝を生やして練習して欲しいとは以前から私も願っていることです。(この段階の生徒さんは、もう中級の後半に達していると思います。ここで激しくやれば上級者の仲間入りもそれほど遠くないところにいると思います。)
 その場合は、「大風呂敷」で練習のパートナーを生徒さん自身が募集するのがいいと思っています。素読舎の「電話でレッスン」の生徒さん同士なら、「技法グラウンド」についてはよくわかっていますから、それを大元に据えた練習の形が作りやすいだろうと・・・
 「ここらで、ボキャブラリーを一挙に増やしたいが、一緒に練習してくれる人はいませんか」とか、生徒さんが自分から募集するのが一番いいと思います。そういうふうに生徒同士がレッスンとは別の枝を生やして練習する場合に、コーチ側がこんなふうにしてみたらというアドバイスをしたり、生徒さん同士で練習したことを報告してもらって、さらにアドバイスをしたりという形が一番いいと思います。I 村さんとか、F さんとか、ちょうど中級の後半にいるような生徒さん同士が何かテーマ(語彙を増やすとかいう目標)を共有して、始められれば効果は大きいと思っています。
 中級後半に達しているとかどうかは、コーチ側がわかりますから、そういう生徒さんにレッスン時に個別に、「大風呂敷」でこういうテーマで一緒に練習する人を募集してみたらどうですかというアドバイスはいつでも可能です。初級・中級前半・中級後半などを無視し、無限定にスパーリングをするのがいいとは思えません。
 私は、中級後半でも可能だとは思いますが、コーチがやれるような段階に達した人同士がスパーリングをやるのが一番いいという考えです。
 

【11848】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 2日(火)04時29分56秒
  >実は風邪を引いていて、強引にレッスンを受けてしまいました。先週の半分くらいの練習量でした・・・。

 風邪をひいていることがわかりませんでした。先週の半分くらいの練習量でも、先週と同じくらいの質がとれていました。上達が早いですね。

>Sam,〜〜〜のところの aの発音(一瞬般若)

 子音と子音にはさまれた a で、日本人の耳が「ア」と聞く音は、「一瞬般若」になることが多いです。

>Where'd you get those? の dとyouがくっつくところ。

 これは分解すると、Where did you get those? です。
 did you をひとつずつ読むと、「ディドゥ ユウ」ですが、普通に、「ディジュウ」という具合に音と音がくっつきます。
'd you の音は「ディジュウ」のうちの、「ジュウ」だけが残ったと考えてくださいという説明をしたと思いますが、こうして書き言葉で書くと、えらく面倒なことを言っているような感じです。レッスンで話し言葉で説明すると、実に簡単に言えるし、多分簡単に理解できたと思います。

「つづりで'u'聞こえる音で’あ’の場合」の逆さvと逆さe

 これは誤解されています。
 綴りの中の u で、日本人の耳に「ア」と聞こえる音は、発音記号で、逆さ e にはならず、逆さ v になります。例外はまずありません。
 それを踏まえたうえで、その後の説明をしたつもりでしたが、混乱させてしまって済みませんでした。
 他の方にも役に立ててほしいので、「その後の説明」を再度致します。

 逆さ e と逆さ v は両方とも「狭い音」です。
 これらは、素読舎の「電話でレッスン」ではひとまず区別しません。
 なぜなら、単独の逆さ v はアクセントのあるところにあり、単独の逆さ e はアクセントのないところに現れるだけで、口の狭さは同じだからです。ひとまずは、「狭い音」とだけおさえておけば、アクセントの有無によって息の強さが異なるために、自然にそれぞれの音が備わるからです。

 レッスンで触れなかったことを付け加えます。
 [逆さ e :r]という組み合わせの発音記号は、これ全体で一つの母音だと考えていただいていいのですが、この組み合わせにはアクセントが来る場合がよくあります。

 「狭い音」という点では、単独の逆さ e 、単独の逆さ v と同じです。

 つまり、単独の逆さ e にはアクセントが来ない。[逆さ e :r]にはアクセントが来ることがある。両方とも、「狭い音」である。

>逆さvと逆さe の違いでは、狭い音で、アクセントの有無・息の強弱だけで元の発音はほぼ同じと考えてよいことにビックリしました。と同時に「これはいいこときいた〜♪」とも思いました。

 うれしいです。あえて細かいことを言えば、狭さは同じながら、逆さ v のときの方が唇に力が入っていると思います。

>この逆さvと一瞬般若のポイントが同時に出てくる Mustangは難しかったです。

 tang のところに「一瞬般若」がありますが、アクセントは Mus のところにあり、言いにくいです。レッスンの時に、混乱させるといけないと思って、言いかけてやめたことですが、「一瞬般若」はアクセントがある場合が多いです。Mustang のようにアクセントがないところにも現れることがたまにあります。この辺が統一されないのは、どんなわけがあってのことか、考えています。

>また、Sam,〜〜〜のところの aの発音が一瞬般若になるときに「〜〜〜だから」とおっしゃっていたと思うのですが、もし、よろしければ、もう一度伺いたいです。

 上に書きましたが、子音と子音に挟まれた a の場合に「一瞬般若」になります。h 音や w 音は「弱い子音」とか「柔らかい子音」と考えていただくと、a を挟むのが h や w の場合、「子音と子音に挟まれた a」の例外(「一瞬般若」にならない例)がみつかります。硬い子音(子音らしい子音)に挟まれた a というのを意識してみてください。

>Where'd や他に今日でてきた文だと tell'em などの発音が難しかったです。(分からない単語はオンライン辞書だと引けないのと=発音を聞けないので、どう読んでいいのかわからないです。)

 実際にレッスンを受けるのと独習とではどうしても違ってしまいます。素読舎のレッスンの存在にもっと多くの人に気づいてほしいと願っています。

>どちらも本来うれしいことなのですが、すべて月曜日なので、ものすごく残念ですが、2週お休みさせていただこうと思います。この調子だと振り替えがたまってしまうので、振り替えなしでもかまいません。どうぞよろしくお願いします。

 楽しんできて下さい。振り替えは遠慮なさることはありません。お金がもったいないです。ひとまず勝手に振りかえておきます。(ただし、振り替え実施はかなり先になります。)
 

【11849】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 2日(火)04時52分4秒    編集済
  >What the doctor say?
このような表記で表すこともあると思うのです。
口語では文法などのお約束がよく崩れますから、、、。

 こういうふうに表記した場合、表記通りに読むと、舌が一瞬歯の裏から離れるという動きが無視されると思います。
 空気を振るわせる音があろうとなかろうと、一拍の「舌の離れ」が必要だと考えたのは、そのことによって「過去時制」が実現されるということです。

What the doctor say?

 これだと、時制がすっとんでしまうので、「一瞬の舌の離れ」が必要だと思ったわけです。英語ネイティヴがそれをやっていないなら、英語ネイティヴもそれをやるべきだと・・・。

>我が家には映画のDVDが無いので、このセリフを言っているシーンの音を聞いて検証できませんが

 我が家にはDVDがあるはずですが、手元に見当たらず、検証できません。エレベーターの中でのセリフだったと思いますが、吉さんの言われる通り、

What the doctor say?

で言っていたような気がします。

 英語ネイティヴも「一瞬の舌の離れ」をやるべきだと誰も言わないのです。私がそれを言うのは、英語ネイティヴの発音をお手本にするつもりはない、それは練習の媒介にするだけだという音に対する基本的な私の考えに基づきます。日本人が英語ネイティヴの音を直しても構わないのです。連中はやりっこないですが・・・。
 

【11850】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 2日(火)05時02分21秒
  >私は「黙音」で兵庫のMさんに説明いたしました。
「黙音」で統一できないでしょうか?  どうでしょう?

 つまり、di の音はなしでいいということだと思いますが、 di の音がなくても、「舌の離れ」があった方がいいと考えています。つまり、黙音だけを連続させても、「舌の離れ」は可能だということです。
 すべてを「黙音」で処理したとしても、t、d、th と連続するときに、tとdの間にたとえ1ミリでもいいから、「舌の離れ」があるべきだと考えています。


【11851】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 2日(火)05時16分47秒
   私のものを最初に読んでくださったのは「同時代批評」でしたか。これもなつかしいです。そんな雑誌がありましたね。

>神田の沖積舎に根石さんの詩集を買いに行きました。

 ああ、版元まで買いに行かれたのですか。そうですね。一般書店にはほとんど出回っていなかったはずです。ありがとうございました。

>私の中では、根石吉久は、吉岡実や荒川洋治と同列の詩人です。

 とんでもないです。吉岡実の凝固の固さは私にありませんし、荒川洋治は詩の言葉の前線を切り開いた人です。彼らのやったことの大きさに比することはありえません。

>今は別の分野で徹底した仕事をされているようですが、一ファンとしては、いつか根石さんの新しい詩が読めたら、と思っています。

 ごくたまに、また書いてみようかと思うことがないわけではないのですが、おそらくやれないだろうと思っています。散文でおつきあい願えませんでしょうか。
 

【11852】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月 2日(火)19時38分35秒
  根石さん 勉強させていただいております。
ありがとうございます。

>> 英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)について

根石さんがおっしゃっていること、とても良くわかりました。
本当によくわかりました。
「邪魔を取り除く」、ここに徹します。

> すべてを「黙音」で処理したとしても、t、d、th と連続するときに、
> tとdの間にたとえ1ミリでもいいから、「舌の離れ」があるべきだと考えています。

この理屈ならわかります。 わかりました。 これで統一させてください。
この時に弱い[di]の音がでてもかまわないという事で良いですね。

兵庫のMさん、、、明日のレッスンで最初にこの部分をやらせてください。
あ、、そうでした。 根石さん、、兵庫のMさんと話し合い、
レッスンの日を、水曜に変更しました。
開始時間は夜9時45分で変更ありません。
 

【11853】
「凄いテキスト」について  投稿者:  投稿日:2007年10月 2日(火)21時07分24秒    編集済
  根石さんのテキストについて

私はこのテキストを凄い凄い、と人に言っています。
ホームページでも「凄い」と発信しています。

> どのあたりがどういいのか言っていただくとありがたいです。

根石さんにこのように言われて書いてみる事にいたしました。
上手く書けると良いのですが、、、。


根石さんのテキストには、
映画のシナリオから抜き出したセリフ一文がでてきます。
その新出の文章に出てくる単語の意味や、文法的な解説が後に続きます。

次にまた新しい文章(セリフ)が出てきます。
同じように単語の意味や、文法的な解説が続きます。

例文、、それについての文法的な解説。
これだけであれば、普通に市販されているテキストとあまり変わりないような気がいたします。

根石さんのテキストが凄いのは、この新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、
「復習」として再現されるところでございます。

・ 文法的に構造が同じ「文章」の再現
・ 同じ単語(名詞、動詞、前置詞)などのイメージ強化のための「文章」の再現

何回も何回も同じ文章が登場します。
「また君か!」と思うくらい、同じ文章が再現されます。

このテキストは、
シンタックスの獲得を、あまり学習者に意識させる事なく獲得できるように作られていると感じます。
「狙って」作成されているのがこのテキストの凄いところでございます。

根石さんが「結構退屈なインプット」と、以前この掲示板で発言していましたが、
この「インプット」が英語学習には、大切なポイントなのでございますね。
英語の学習には「コレ」が大切なのだと考えております。

根石さんが学習者に獲得してもらいたいと考えているインプットの量、
(それがどれだけの量か私は知りませんが)
これを学習者に「やれ」と言ってもなかなか実行「できない」と考えております。

このテキストを一冊覚えなさい(体にしみこませなさい)と言われても
その量に恐怖して「できない」と感じると思うのです。

(ちなみに私は高校の頃、「映画2本を丸暗記しなさい」と、当時の先生に言われました。)

このテキストは、そういう「恐怖感」を学習者に感じさせません。
ここがこのテキストのすごいところでございます。


もう一つ、、このテキストは「レッスン」と一緒になって高い効果を生み出します。

というか、、電話レッスンでは、コーチが学習者の音作りに関する悩みを取り除き、
学習者が自習する時、このテキストを使ってイメージ獲得に集中できるようサポートしてくれます。


以上の点が、私に「凄い」と言わせる大きな理由でございます。

まとめると
・ 新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、
「また君か!」と言いたくなるほど「復習」として再現される。
それにより「文法的なコアイメージ」「単語のコアイメージ」の獲得に繋がる。

・インプットするべき英語学習量に対する「恐怖感」を感じさせない。

・学習者が自習する時のイメージの補充をサポートしてくれる。
(電話レッスンにより音作りの迷いや遠回りを排除できるので、
自習の時に「音+イメージ充填」に学習者が集中できる。)


実際にレッスンを受けている人なら「そうそう」と共感してもらえるポイントだと
考えておりますが、私は今、自分で同じようなテキストを作り始めているので、
根石さんのテキストの凄さをもっと実感としております。

・・・・・・・・・ 話変わります ・・・・・・・・・・

<< なんちゃってテキストを作ってみて >>
先日ここの掲示板で「テキストを作ってみる」と公言し、
現在作成中でございます。

作り始めてみて、根石さんのテキストの凄さと、
その超大な量に愕然としております。
いったい何年作り続けているのでしょうか。

作成中にこうも考えました。

私の「なんちゃってテキスト」を使ってくれる学習者には、
音作りを「復習を基本にキッチリやってもらいたい」とお願いしたいです。

根石さんの理論を練りこんだテキスト作りは、
想像以上に大変でございます。
根石さんの解析をそのまま使わせてもらっても時間がかかります。

毎日数時間を使って作りますが、少ししかすすめません。
おかげさまで寝不足でございます。
そろそろペースダウンいたします。

架空の生徒さんを想定して作成しております。
いろいろ「狙って」作成しております。

毎日、毎日、違う内容の英文記事を扱う、他の英語の学習教材なんかに比べたら、
はるかに新出の文章は少ないです。

でも、、これらの少ない文章を「しゃぶりまくる」ところにポイントがあるのだと思います。
「しゃぶりまくる」と、、日本語を意識しなくても「なんとなく英語で理解している」
「なんとなくわかる」の状態になるのだと思います。

ポイントは、日本語を経由せずに、直接英語のイメージが動く状態の文章を、
何個も何個も獲得しておく(インプットしておく)という事が大切なんですね。
そういう英文を沢山確保しておく事が大切なんだと思うのです。

こういう状態でインプットされている英語の量が豊富であればあるほど、
初めての英語の文章でも「聞いて分かる」「読んで分かる」に通じるのだと思います。

根石さんから学び、私の中で育った語学論の肝心なポイントでございます。
(根石さん、、大きく違っていたらご指導ください)

音にイメージを注入し、
音と一緒にイメージを自分の中に保存するのでございます。

こういう英語を自分の中にどれだけ貯めておけるかが、
「聞いて分かる」「読んで分かる」に通じるのでございますね。

とりあえず「なんちゃってテキスト」を作ってみる。
そこから見えてきた世界のお話でございました。
 

【11854】
凄いテキスト  投稿者:ちえ  投稿日:2007年10月 4日(木)12時49分47秒
  こんにちは、ちえです。
吉さんの、「凄いテキスト」に反応してしまいました。

私は、本当に英語がさっぱりわからなくて、ただ、英語関連の
本ばかり、買って、満足していました。
でも、どの本を読んでも長続きしなくって、そうじゃなくって、
もっとここを詳しく教えて欲しいな〜??って思う本ばかりでした。
それを理由に、最後まで読まない本(教材)ばかり。。。

でも、根石さんのレッスンに出会い、テキストに出会い、もう、英語の本
(教材)を買うのをやめました。
↑なんか、安っぽい宣伝文句みたいですみません(^_^;)

30分のレッスンは発音だけを重点において進める事が出来ますし、
初心者の私でも、次の日ゆっくりテキストを読めば、なんとな〜く、
文法の理解が出来てしまいます。

テキストを世の中に公表すれば、バカ売れするのに〜。。。
と最初思いました。

難しい事はよく判らないですが、私は根石さんのテキスト&レッスンは
素晴らしいと思っています。(超初心者の意見として、受け止めて下さい)

後は、私の努力だけです。。。(^_^;)

気長に頑張りますので、これからもよろしくお願いします。
 

【11855】
詩の紹介  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 5日(金)00時40分27秒    編集済
  日常
         足立和夫


鈍痛が
霧のような脳のおくで 口をあけ
ぼくを見つめる
会社の扉に向き合っているのだ

ぼくは本当には
永遠と関係したことがないのに
真昼の会社で 忙しく働く夢のなかにいる

ランチタイムのレストランのなかでは
ぼくは死んだ眼を剥きだしにして
小さな悲鳴が
つぶされる音をききとり
青白く光る 夢の死体をみる

この空の下で

玄関でいつも靴を履くことが
一生である

http://www.haizara.net/~kirita/adachi/adachi03.html
 

【11856】
ちえさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 5日(金)01時07分4秒
  ありがとうございます。

>私は、本当に英語がさっぱりわからなくて、ただ、英語関連の
本ばかり、買って、満足していました。

 「さっぱり」ってことはないと思いますが、本ばかり買って実際の英語文のインプットを続けない人はたくさんいます。いや、そんな人ばかりです。私のテキストは生徒さんに対して非常に暴力をふるうテキストで、なにがなんでもインプットが継続されるようになっています。

>でも、根石さんのレッスンに出会い、テキストに出会い、もう、英語の本
(教材)を買うのをやめました。

 英語関係の出版社はあらかたが へたれ ですので、日本中の人が必要以上に買わなくなれば、おさぼり出版社のいくつかはつぶれてくれるだろうと思います。それは間違いなくいいことです。

>30分のレッスンは発音だけを重点において進める事が出来ますし、
初心者の私でも、次の日ゆっくりテキストを読めば、なんとな〜く、
文法の理解が出来てしまいます。

 この場合の「文法の理解」は頭だけのものです。まあ、 文法の理解は頭だけでもいいですが、イメージ核を獲得するためには、「英語どんでん」の「電圧装置」をお試し下さい。やるなら、セックスも「電圧装置」も若いうちですよ。恋せよ乙女、ですぞ。うんとやってください。(酒、入ってます。済みません。...なんで俺という君はあやまってるのかな。)

>テキストを世の中に公表すれば、バカ売れするのに〜。。。
と最初思いました。

 そう思う人は他にもおられたようですが、私の作るテキストは私がやるレッスンと密着しています。どちらの片方が欠けてもほとんど意味がない。だから、バカ売れはありっこないし、そもそも、あのテキストのヴォリュームを書物で再現するなどは馬鹿げたことです。これからも継続して作るので、私が長く生きれば、夏目漱石全集より厚くなるかもしれない。書物にすれば、厚さだけはそうなるかもしれない。

>難しい事はよく判らないですが、私は根石さんのテキスト&レッスンは
素晴らしいと思っています。(超初心者の意見として、受け止めて下さい)

 難しいことは放り出さずに、ゆっくり読んでください。だんだんとわかってきます。抽象とか批評がめざす理念の高さというものは、読めるようになるまで、ある一定の訓練期間が必要です。語学よりも私は語学論の方が面白く、皆さんに迷惑であろうとなかろうとやっていくつもりです。
 ただ、私の理念は、低い。でも理念です。
 骨の髄から理念の人は吉本隆明さんです。私は、松岡祥男さんの手引きで、少しずつ吉本隆明が読めるようになりました。

>後は、私の努力だけです。。。(^_^;)
気長に頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

 そうです。お金がかかることが問題ですが、その問題を外せば、大事なことは「継続」です。レッスンの「継続」を止めても、練習の「継続」を継続なさることができるなら、いつレッスンを離れていただいても結構です。レッスンを離れた時は、初心者や中級者に私のレッスンを継続して薦めてくださることをお願い致します。私は初心者が一番好きです。というより、初心が好きです。ちえさんにも、巴里子さんにも、若芽のような初心をみつけています。
 

【11857】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 5日(金)01時50分34秒    編集済
  >例文、、それについての文法的な解説。
これだけであれば、普通に市販されているテキストとあまり変わりないような気がいたします。
根石さんのテキストが凄いのは、この新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、「復習」として再現されるところでございます。

 この話題と違うのですが、私は吉さんの「ございます」が気になります。「大風呂敷」はただでかいだけの風呂敷であり、座敷ではないのでございます。もう少し日本語に戻ってきていただきたいと思った次第でございます。って具合に、「ございます」を書けば、気に障るでしょ?
 話題に戻れば、昔の生徒から「波状的インプット」という言葉を頂戴したことがありましたが、この言葉が一番的を射ていると思っています。
 私どもが生きている場所は日本語の磁場であり、英語の磁場ではありませんから、これでもかというくらいに「波状的」にやらなければ、英語で使われる言葉が私どもの意識に根を伸ばすことはないのです。


>このテキストは、シンタックスの獲得を、あまり学習者に意識させる事なく獲得できるように作られていると感じます。

 ありがとうございます。って、また「ございます」でございます。
 いや、とにかく、ありがとうと言いたい。
 独習するなら、「意識的に無意識を作る」がいいですが、私にお金をくださっている人たちには、「あまり学習者に意識させることなく」少しずつ無意識を作っています。私はほとんど犯罪人ですね。悪人です。
 英語学習界には、あまりにも悪人がいなさすぎます。

>根石さんが学習者に獲得してもらいたいと考えているインプットの量、
(それがどれだけの量か私は知りませんが)これを学習者に「やれ」と言ってもなかなか実行「できない」と考えております。

 獲得してもらいたいインプットの量は、「無限」です。日本で英語をやるんなら、一生インプットを続けないと駄目です。私の教材作りだって、私のためにはそれをやっているだけです。言葉で「やれ」と言っても、そんなものはただの言葉です。だから、うちの娘は英語をやらなかった。せめて、人様の子息令嬢には、ただの言葉で害が生じないようにしようと思って、教材は作り続けています。
 「無限」ですから、私がくたばった後では、吉さんや村田君が続けて作ってもらいたいと思っています。人が一生やってもこなしきれないほどの量を作ることがいいと思っています。ある程度まで生徒の力がつけば、途中で教材の質が変わるところまで、どんどんジャンプさせてやればいい。

>このテキストを一冊覚えなさい(体にしみこませなさい)と言われても
その量に恐怖して「できない」と感じると思うのです。

 この恐怖があって、インプットにおじけづくのでしょうね。ただひたすら、少しずつインプットを継続すればいいだけのことなんですが、それが日常とつきあっていると、インプットをやる空間は墓場の中のような空間ですから、まず普通の生活をしてると継続できない。30代、40代、50代になって、オタクを継続するようなものですから。
 暴力的にインプットをやっちまうテキストと私のレッスンの存在理由はそのあたりにあると思っています。

>まとめると
・ 新出の文章と同じ構造をもつ過去に取り扱った文章が、
「また君か!」と言いたくなるほど「復習」として再現される。
それにより「文法的なコアイメージ」「単語のコアイメージ」の獲得に繋がる。

 この辺を生かして、吉さんのホームページにテキストのことを紹介していただけるとありがたいです。



>・インプットするべき英語学習量に対する「恐怖感」を感じさせない。
・学習者が自習する時のイメージの補充をサポートしてくれる。
(電話レッスンにより音作りの迷いや遠回りを排除できるので、
自習の時に「音+イメージ充填」に学習者が集中できる。)

 この辺も生かしてください。

------------------------------------------------------

>作り始めてみて、根石さんのテキストの凄さと、
その超大な量に愕然としております。
いったい何年作り続けているのでしょうか。

 10年くらいだと思います。

>私の「なんちゃってテキスト」を使ってくれる学習者には、
音作りを「復習を基本にキッチリやってもらいたい」とお願いしたいです。

 試験的に作ってみるのはいいが、テキストを膨大なものとして作ることは、私はお奨めしません。
 それよりも、跡継ぎをやってほしいと願っています。私がくたばったときに続きを作っていただきたい・・・。
 あるいは、「電話でレッスン」のコーチで生活することを決意されるようなことがもしもあるのであれば、そのあたりに備えてテキストをゆっくり作り続けられることはお奨めします。
 いろんなテキストがあった方が面白いですからね。

>毎日、毎日、違う内容の英文記事を扱う、他の英語の学習教材なんかに比べたら、はるかに新出の文章は少ないです。

 この辺を秘密にしないで、公開してもらうことを要望したいです。あるいは、私がやっているように千円程度で人様にテキストを渡すことをやって欲しいです。どうせ英文なんぞは、磁場からの借り物ですから、CDRにコピーする手間賃プラスアルファでやってほしいものです。
 生きるためには、比喩ではありますが、「土方仕事」が正しいと思っております。働かないことは悪いことではありませんが、近頃の若い人は働かなすぎると思うことがあります。
 ま、しかし、村田君は旅館業がありますし、吉さんは会社員の勤めがありますからしょうがない。本当に頭にきたのは、いくこでした。


>根石さんから学び、私の中で育った語学論の肝心なポイントでございます。
(根石さん、、大きく違っていたらご指導ください)

 違っておりません。得難い人を得たと思っています。
 ついでに言いますが、吉さんの会社に知れて問題がないなら、そろそろ本名で書いて欲しいと思っています。それと、アメリカでの学歴と専攻とを書いていただくのがいいと思います。ジャズの勉強だったといつか読みましたが、アメリカに音楽をやりに行った人は、語学の「音づくり」のコーチとして最適なのです。その意味でも得難い人です。得難いし、有り難い。
 

【11858】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 5日(金)02時02分0秒
  >> 英語のスパーリングパートナー(素読舎塾生対象)について

>根石さんがおっしゃっていること、とても良くわかりました。
本当によくわかりました。
「邪魔を取り除く」、ここに徹します。

 わかってもらえてうれしいです。

>> すべてを「黙音」で処理したとしても、t、d、th と連続するときに、
>> tとdの間にたとえ1ミリでもいいから、「舌の離れ」があるべきだと考えています。

>この理屈ならわかります。 わかりました。 これで統一させてください。
この時に弱い[di]の音がでてもかまわないという事で良いですね。

 それで構わないと思います。いきなり初心者の生徒に「摩り切れたジーバン」を穿かせるのはよくないと思っています。

>レッスンの日を、水曜に変更しました。
開始時間は夜9時45分で変更ありません。

 水曜日は私の百姓仕事の日ですが、Mさんと相談して、そのうちにレッスンを参観させて下さい。うんと緊張して下さい、って、嘘です。
 

【11859】
テキストのお話に便乗〜  投稿者:ももこ  投稿日:2007年10月 5日(金)05時30分23秒    編集済
  おはようございます。ももこです。

レッスンの解説&振り替えありがとうございます。振り替えに関してはお言葉に甘えようと思います。よろしくお願いします。


素読レッスンのテキストのお話。私も便乗します^^。
まだ3回しかレッスンを受けていないのですが、今感じることは「このテキストだとへこたれない」ことです。

今までの英語の勉強の仕方も悪かったのかもしれませんが、
・先に進めばこれから覚えることの多さに愕然とし
・後ろを振り返れば忘れてしまったことの多さにがっかりし・・・
といったことが多かったので、今回レッスンを受けることを決めるまで実はかなり時間がかかりました。

でも、今回レッスンを受けてみて
・「あっこれ知ってる〜。口も動く〜。覚えてるじゃない!」
・「おぉ〜これも同じリズム。出来るできる〜」
と今までのことからブチっと切れることがないので、根性ナシの私でもへこたれずにこれています。

また、レッスンでは「いままでよく分からなくて飛ばしていた」言葉の発音などもくまなくレッスンできるので、「あやふやで分からないことに追い詰められる」感とも無縁だなと感じます。レッスンも積み上げていっている感じがして、次のレッスンが楽しみになっています。

他には、このテキストは映画のシナリオだそうですので、DVDを購入(amazonのマーケットプレイスで1600円で購入しました。)したのですが、テキストが進むにしたがって「やっとSamが出勤するところまで来た」と密かに喜んでいます。実際にイメージできるととてもヤル気が出ます。私の大好きなウーピーゴールドバーグが演じるオダ・メイが出てくるのを楽しみにもしています。

なぜかはよく分からないのですが、(暗記してしまったからなのでしょうか?)レッスンした文章に関しては返り読みをしないんです。不思議です。

根石さんのテキストは「凄い」ではなく「すご〜い!(ひらがな表記)」に感覚は近いです。多分すすんでいくと「凄い」にかわるのかなと思っています。それくらい威圧感のないテキストだなと感じます。

これからもレッスンを楽しみに練習&電圧装置に励みたいと思います。よろしくお願いします。
 

【11860】
根石さんへ  投稿者:ちえ  投稿日:2007年10月 5日(金)15時03分41秒
  私の書き込みへの返信ありがとうございました。

すみません、私の書き方が悪かったので、訂正します。

>難しい事は解りませんが、

の部分は、テキストに対してじゃなくて、
吉さんが言われているテキストの凄さの解説が、私には、難しかったのです(^_^;)

ややこしい書き方をしてすみません。

根石さんのテキストは、こんな私にもすっごく理解出来るテキストですので、
難しくないです。(何度も読み返すとちゃんと解ります)

素晴らしいテキスト&レッスンに出会っただけで満足しないで、若いうちに
頑張りたいと思います(^_^)v


【11861】
根石さんへ (凄いテキスト)  投稿者:  投稿日:2007年10月 6日(土)06時53分26秒
  > 私は吉さんの「ございます」が気になります。

いやいや、、誰かに言われないと気付けないという事って沢山ありますね。
ハッキリ伝えてくれてありがとうございます。

>「波状的インプット」という言葉を頂戴したことがありましたが、この言葉が一番的を射ていると思っています。

「波状的」というのは、海の波のように何度も何度も寄せては引くものですね。
なるほど、これなら永久運動のイメージもあります。

>> 獲得してもらいたいインプットの量は、「無限」です。

ぬぬ、、やっぱり、、(汗)、、「英語は一生もの」と根石さんに言われて知ってはいるものの、
あらためて文章にすると冷や汗がたれてきます。
「無限」・・この言葉を見て意識が遠のきそうです。

> 「無限」ですから、私がくたばった後では、吉さんや村田君が続けて作ってもらいたいと思っています。

あはは、、僕はかまいませんけど、そういう事なら、なるべくくたばらないでください。

> 人が一生やってもこなしきれないほどの量を作ることがいいと思っています。

これも壮大ですね(笑)。 微力ながら協力させていただきたいと思います。

------------------------------------------------------
> 試験的に作ってみるのはいいが、テキストを膨大なものとして作ることは、私はお奨めしません。

自分の勉強のための試作テキストです。 チャップリンのスピーチで一度打ち切ります。
自分の中の「語学論」の獲得にどうしてもやっておく必要があると感じました。
自分用です(笑)。 これで家内に試してもらってみるとは思います。
仕事、HP、試作テキスト、けっこう大変になったのでちょっとペースダウンします。

> 毎日、毎日、違う内容の英文記事を扱う、他の英語の学習教材なんかに比べたら、はるかに新出の文章は少ないです。
> この辺を秘密にしないで、公開してもらうことを要望したいです。

あはは、、これも良いですよ。
でも語学論を持ってない人には扱えないテキストですね。
とりあえず完成したら、メールで申し込みのあった人に無料で配ってもいいです。
「ひとまずの完成」となりましたら、根石さんに送ります。

> 違っておりません。得難い人を得たと思っています。

ありがとうございます。
2006年に私は3人の師と呼べる人に出会いました。
根石さんはその中の一人です。
語学が「道」だと教えてもらいました。

> ついでに言いますが、吉さんの会社に知れて問題がないなら、そろそろ本名で書いて欲しいと思っています。

以前にもお願いされ、その時にも理由を書きましたが、こればかりはまだ無理です。
根石さんの気持ちはわかります。 お許しください。

「誰かのためになるだろう」と、
ホームページから私が発信している内容は、家族には関係のないことです。

特に息子が大きくなり「おやじのやっていることは世のためになる」
そのように「彼本人」が納得してくれないといけません。
「私」が特定される事によって、家族に繋がる事は避けなければなりません。

息子が「小学校」や「中学校」という教育機関とかかわりを持っている間は、
少なくとも無理とお考えください。
診断名などのラベルから人を判断するこの日本社会では、ここは一番慎重になる部分です。
私が管理するHPを辞めれば、今すぐにここで本名を公開してもかまいません。

> それと、アメリカでの学歴と専攻とを書いていただくのがいいと思います。

書かないとご飯が食えないというなら書きますが、
そうでないなら公表したくはないのですが、どうでしょう?

学歴は関係無しに「語学論」や「教育論」を持っているかどうかでやらせてください。

私の学歴や専攻は他人には意味のないことだと(私は)考えております。
私の英語力(英語歴)も他人には意味のないことだと(私は)考えております。
私がどんなにペラペラだったとしても、子供や家内に英語を持たせる事はできなかったでしょう。
根石さんから学んだ語学論のおかげで、(実績はありませんが、)今は自信を持っています。
必要なのは「語学論」だと感じております。

『学歴を公開しないと素読舎のコーチはまかせられない』ともしも言われたら、
私は困ってしまいます。

これは僕の中で育ちつつある考えなのですが、悪の根源「お受験」、「偏差値」、
「肩書き」、「学歴」など、こういうラベルから、僕達の目、人が人を判断する時の目が、
曇らされているんじゃないかな〜と考えはじめたのです。
(ビジネスでチャンスを広げる時にそういうラベルを使う事を、私もしますけど、、汗。)

せめて「素読舎」や「どんぐり倶楽部」でいる時は、私は自分の中からそういう部分を排除したいのです。
「素読舎」や「どんぐり」は、私が好きでやっている事です。 私の生きる道です。
私のすすむ道であり、「しゃば」とはズレた部分なのです。
私のすすむ道に学歴や肩書きのようなものは排除しておきたいのです。
これは私の気持ちです。

僕と仲良くなった人に「大学どこいったの?」「何勉強してきたの?」と聞かれれば、
答える事は別にかまわない事です。

> ジャズの勉強だったといつか読みましたが、アメリカに音楽をやりに行った人は、
> 語学の「音づくり」のコーチとして最適なのです。

これは根石さんのお考えですね。
自分でそこを強調することはできませんよ。
根石さんの気持ちですから、根石さんがそれを他人に伝えるのはかまいません。

>> 獲得してもらいたいインプットの量は、「無限」です。

う〜む、、やはりここに根石さんの視界の高さを感じます。
凄いです。  今後ともよろしくお願いいたします。
 

【11862】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 7日(日)01時42分18秒
  >「波状的」というのは、海の波のように何度も何度も寄せては引くものですね。なるほど、これなら永久運動のイメージもあります。

 「波状的インプット」という言い方が的を射ているといっても、それでレッスンの実際をわかってもらえるわけではありません。実際にレッスンを受けてもらっている生徒さんにはわかってもらえても、それ以外の人にはなかなかわかってもらえません。
 で、今日思いついたのが、レッスンを録音してみるということでした。
 初心者は二人ですが、仮に初心者A、初心者Bとすると、初心者Aは、村田君が作った語数別分類の小学生用テキストを使った練習を録音します。先日、小学校3年生の親御さんから入塾の申し込みがありましたが、実際にはまだ練習が始まっていません。少し塾に慣れたら、録音させてもらおうと思っています。白紙状態の初心者です。
 初心者Bは長野市の中学2年生で、電話でレッスンの生徒です。確か小学5年生から始めたように覚えています。今は、学年相当の英語の教科書を使ってやっています。
 中級者が生徒の中で一番多く、力のある人もいるのですが、信州中野の高校生が私が作った教材でやっていて、須坂高校というところで(ベネッセの模試で)学年トップになったそうなので、それを記念して、この子のレッスンを録音しようかと考えています。
 上級者は、レッスンの途中で英検一級に合格した、佐賀県の高校の先生に対するレッスンを録音することを考えています。この方のレッスンは、「土砂降り型レッスン」と名付けてありますが、30分にゴーストのシナリオ30ページ分の中からランダムに私が読むものを、「字を見ないで」技法グラウンド(私が一度言うものを5回(以上)繰り返し言う)を行うものです。
 これで、まっさらな初心者から、きつい練習をする上級者まで、一応網羅することができます。
 30分を4人分ですので、60分のテープ二本で収録できます。これに全範囲でなくても、使ったテキストのコピーを添えて、練習に対する解説も添えて、定型最大の封筒に入れて、人に手渡して聞いてもらうことを考えたということです。
 この春、「電話でレッスン」のパンフレットを作りましたが、ほとんど反応はありませんでした。どう説明しようと、私の言葉では、私のやっているレッスンはわかってもらえそうにないとあきらめています。語学論そのものを理解していただくことは、一般的には難事です。(吉さんの言葉だと違うのです。吉さんのホームページを読んで問い合わせて下さった方が何人もいます。)
 テープ等作りましたら見本をお送りしますので、ご意見をお聞かせ下さい。

>ぬぬ、、やっぱり、、(汗)、、「英語は一生もの」と根石さんに言われて知ってはいるものの、あらためて文章にすると冷や汗がたれてきます。
「無限」・・この言葉を見て意識が遠のきそうです。

 「無限」とはいうものの、実は「有限」です。私にせよ、生徒さんにせよ、その人の生きている間にしか練習はできませんので、どなたにも死がある限り、「有限」になります。日本語だってそうです。私が読めない日本語は、古典や古文書などにたくさんあり、それらを読めるようになる練習には、とても手が回りません。

>あはは、、僕はかまいませんけど、そういう事なら、なるべくくたばらないでください。

 なるべくくたばらないように努力します。

>自分の中の「語学論」の獲得にどうしてもやっておく必要があると感じました。自分用です(笑)。これで家内に試してもらってみるとは思います。

 安心しました。そのくらいの規模がひとまずよろしいと思います。「波状的インプット」の構造はテキストに備わっているのでしょうか?それさえ備わっていれば、私は安心できます。

>仕事、HP、試作テキスト、けっこう大変になったのでちょっとペースダウンします。

 掲示板は、余力のあるときで結構です。

>>この辺を秘密にしないで、公開してもらうことを要望したいです。

>あはは、、これも良いですよ。
でも語学論を持ってない人には扱えないテキストですね。

 そうです。語学論と実際のレッスンの運用がわからないとなんであのようにテキストが作ってあるのかがわからないと思います。しかし、勘のいい人もいるかもしれないので、私が作る分は、最新版を千円でお頒けすることを続けていこうと思っています。

>とりあえず完成したら、メールで申し込みのあった人に無料で配ってもいいです。「ひとまずの完成」となりましたら、根石さんに送ります。

 お待ちしています。私にもメールで送っていただくので結構です。
 私の作ったものは、メールで送ることを何回かやってみたのですが、メールソフトのせいなのか、一部分しか送れないので、今はCDRに焼いて郵送しています。

>>ついでに言いますが、吉さんの会社に知れて問題がないなら、そろそろ本名で書いて欲しいと思っています。

>以前にもお願いされ、その時にも理由を書きましたが、こればかりはまだ無理です。根石さんの気持ちはわかります。 お許しください。

 吉さんのホームページには、息子さんのことも書かれていたのが頭から抜けておりました。「電話でレッスン」のコーチとしての吉さんのことだけを考えており、息子さんのことを思う父親としての吉さんが私の頭から抜けてしまいました。ごめんなさい。
 人様からお金をいただいてレッスンのコーチをやる場合、責任の所在を明らかにした方がいいという考えは以前からあり、Naima さんに生徒さんを預かっていただいたときも、本名で掲示板に書いていただく方がいいと言ったことがあります。
 吉さんのままでいて下さい。
 申し込みは、いったん私にしていただき、生徒さんを預かっていただく場合は、申し込んで下さった方に吉さんのメールアドレスを知らせるということにしたいと思います。

>>それと、アメリカでの学歴と専攻とを書いていただくのがいいと思います。
>学歴は関係無しに「語学論」や「教育論」を持っているかどうかでやらせてください。

 まったくそれが本筋ですが、娑婆は本筋がなかなか通用しません。
 これについては、メールで書いた方がいいものがありますので、メールをさしあげます。

>『学歴を公開しないと素読舎のコーチはまかせられない』ともしも言われたら、私は困ってしまいます。

 実は私もネットでは学歴など書いておりません。(小学館文庫では編集者が勝手に書いてくれたので、そのままおまかせしました。)

 でも、

 なんとかかんとか大学卒業
 なんとかかんとか専攻
 なんとかかんとか号取得

 こういうのは有効だと思います。吉さんの場合、それで英語の磁場での生活をした人だということが誰にでもわかるようになるからです。本当は、「英語磁場で○年生活」というのが、肝心なことなのですが、そう書いても世の中の人は了解しないと思います。吉さんの学歴を明示してしまうというのは、英語磁場で生きたことのある人だということを言うメタファなのだということです。磁場論専攻の私が言うのですから、まず間違いないと思って下さい。私の場合でも、早稲田大学文学部文芸学科卒業なんかはほとんど意味がなく、素読舎英語コーチ、ウン十年が本当の学歴だと思っていますが、世の中の人は認めてくれません。馬鹿らしいことですが、馬鹿にできません。

>これは僕の中で育ちつつある考えなのですが、悪の根源「お受験」、「偏差値」、「肩書き」、「学歴」など、こういうラベルから、僕達の目、人が人を判断する時の目が、曇らされているんじゃないかな〜と考えはじめたのです。

 まったくその通りです。でも、吉さんが以前に書いてくださったように、とにかくレッスンに触れてもらうことが大事なのだと思います。

>(ビジネスでチャンスを広げる時にそういうラベルを使う事を、私もしますけど、、汗。)

 その意味です。

>>ジャズの勉強だったといつか読みましたが、アメリカに音楽をやりに行った人は、語学の「音づくり」のコーチとして最適なのです。

>これは根石さんのお考えですね。
自分でそこを強調することはできませんよ。
根石さんの気持ちですから、根石さんがそれを他人に伝えるのはかまいません。

 私から強調して伝えます。ですが、音楽の勉強というのは私はまるでわからないので、そのうちに教えて下さい。ここに書いていただくのがありがたいです。
 

【11863】
ちえさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 7日(日)02時12分22秒
  >>難しい事は解りませんが、
の部分は、テキストに対してじゃなくて、
吉さんが言われているテキストの凄さの解説が、私には、難しかったのです(^_^;)

 いや、そのことを踏まえて書いたものです。
 テキストは、自分で書いておいてこんなことを言うのはいけないのかもしれないですけど、あんなものは多分レッスンを受けている人にはまったく難しいものではありません。
 吉さんが言われていることは結構難しい。でも、掲示板で何回かお話されるとだんだんわかってきますよ。

>素晴らしいテキスト&レッスンに出会っただけで満足しないで、若いうちに頑張りたいと思います(^_^)v

 ええ。「電圧装置」ともう一つ、頑張って下さい。遠い日本の地から願っています。
 

【11864】
ももこさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 7日(日)02時36分25秒    編集済
  >素読レッスンのテキストのお話。私も便乗します^^。
まだ3回しかレッスンを受けていないのですが、今感じることは「このテキストだとへこたれない」ことです。

 吉さんが、あのテキストだと「恐怖感」を持たなくて済むと書いて下さいましたが、女の人より男の方が「恐怖感」を持ちがちなのかな。量に対して「恐怖感」と言うか「へこたれない」と言うかは、やっぱり抽象のレベルが男と女で違っているのかもしれない。「へこたれない」という言葉が、実に生活密着的で女の言葉だと思いました。どちらも大事だと思います。

>また、レッスンでは「いままでよく分からなくて飛ばしていた」言葉の発音などもくまなくレッスンできるので、「あやふやで分からないことに追い詰められる」感とも無縁だなと感じます。レッスンも積み上げていっている感じがして、次のレッスンが楽しみになっています。

 「あやふやで分からないことに追い詰められる」という感覚が私にないのです。わかんねえや、で終わらせてしまい、追いつめられるというふうにはなりません。しかし、探求心は私にあるらしく、「あいうえおフォニックス」なんてものを作ってしまいました。

>「やっとSamが出勤するところまで来た」と密かに喜んでいます。

 なにしろ亀のスピードで進むレッスンですのでお許しの程。

>私の大好きなウーピーゴールドバーグが演じるオダ・メイが出てくるのを楽しみにもしています。

 ああ、ウーピーゴールドバーグが主演だと言っていいくらいの映画ですね。
 私は、White, but cute. ってセリフが好きです。米国大統領をはじめ、White and ugly. がでかいつらをしている世の中です。人々の生活が軟着陸できるという条件がありますが、私はアメリカの政治の凋落を歓迎している者です。

>なぜかはよく分からないのですが、(暗記してしまったからなのでしょうか?)レッスンした文章に関しては返り読みをしないんです。不思議です。

 この辺をもう少し詳しく書いていただけないでしょうか。非常に興味があります。

>これからもレッスンを楽しみに練習&電圧装置に励みたいと思います。よろしくお願いします。

 「回転読み」関係については、もうかなりこの掲示板に書きましたので、そろそろ「電圧装置」の方に移りたいなと私は思っています。「電圧装置」での成果を感じられることがあったら、是非書いて下さることをお願い致します。
 

【11865】
5回目のレッスン  投稿者:兵庫のM  投稿日:2007年10月 8日(月)10時55分2秒
  こんにちは!投稿が遅くなりました。

5回目のレッスンでの注意箇所は・・・・ I mean, I can't・・・のところです。
説明としては、丁寧に言うことと、tが聞こえにくいとcanに聞こえてしまうのでtを少し意識して言うことだったと思います。

それから、aとcの反対の発音のとき、あごを下げて言うというのは、とても分かりやすい表現だと思います。いままで、口を大きく開けるというふうに意識していました。

何度も、同じ文章を練習するので、そのうちにきっと無知の周りの筋肉が鍛えられると期待しています。

吉さんへ・・今週水曜日の6回目の電話レッスンよろしくお願いします。
 

【11866】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月 8日(月)20時55分1秒
  >「波状的インプット」という言い方が的を射ているといっても、それでレッスンの実際をわかってもらえるわけではありません。
> 実際にレッスンを受けてもらっている生徒さんにはわかってもらえても、それ以外の人にはなかなかわかってもらえません。
> で、今日思いついたのが、レッスンを録音してみるということでした。
・・・・・・・・・・
> 使ったテキストのコピーを添えて、練習に対する解説も添えて、定型最大の封筒に入れて、人に手渡して聞いてもらうことを考えたということです。
> テープ等作りましたら見本をお送りしますので、ご意見をお聞かせ下さい。

「練習に対する解説」 ・・・ ここの部分で協力させて頂けるのですね。
厳しい納期があるとプレッシャーですが、精一杯やらせて頂きます。
とは言いましても、まだ何をどのように解説すれば良いか見当がつきません、、。
(自分の考えるところがあって)小学生の音作りの解説は、遠慮させてください。

<< 試作テキストについて >>
> 「波状的インプット」の構造はテキストに備わっているのでしょうか?
> それさえ備わっていれば、私は安心できます。

途中のものでも、メールで送ります。
「波状的インプット」、これを外さないわけがありません。
行が増えると編集がかなり大変でした。
同じ文型のものを検索するのも一苦労でした。
以前 エディター?でしたか、、ソフトウェアを紹介してくださったと思いましたが、
ああ、、これで必要なんだな、、と、感じました。

あと文法など知識がかなり落ちていました。

10代最後だったか、二十歳前後の時は、
TOEFLの文法のセクションでは、毎回ほとんど満点に近かったのですが、
文法知識がすっかり抜けていて自分でも驚くくらい忘れています(笑)。

全体的な英語力としては絶対にアップしているはずなのですが、
試作テキストを作ってみて、そういう事を確かめる事もできました。

> 申し込みは、いったん私にしていただき、生徒さんを預かっていただく場合は、
> 申し込んで下さった方に吉さんのメールアドレスを知らせるということにしたいと思います。

それでお願いします。
私の方にメールなどで直接連絡される方があっても、
一度根石さん経由でお願いさせて頂きます。

> まったくそれが本筋ですが、娑婆は本筋がなかなか通用しません。

そうですね。 仕方がありません。

出かける予定があったので、
昨日の朝に雑な文章でメールを送ってしまいました。 すみません。
 

【11867】
兵庫のMさんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月 8日(月)21時11分26秒
  Mさん、書き込みありがとうございます!

> 説明としては、丁寧に言うことと、tが聞こえにくいとcanに聞こえてしまうのでtを少し意識して言うことだったと思います。

ああ、、ここをお話しましたね。
Mさんはとても自然な音をお持ちなのですが、この文章では音が転んでいた感じがしました。

> tが聞こえにくい
tの音がたとえ黙音となっても、上の歯の裏で舌がはねていれば「can't」と聞こえると思います。
tを意識してもらったらすぐに良くなりました。
丁寧に読み込む事を意識してみてください。

> あごを下げて言うというのは、とても分かりやすい表現だと思います。いままで、口を大きく開けるというふうに意識していました。

Mさんは、明るいa の音は、きちんと出ていたのであまり注意しませんでしたが、
「あごを下げて」は楽ですよね。

> c の反対の発音のとき
これは発音記号の「逆さまC」の事でしょうか?
前回はこの説明や注意はなかったと思いますが、「逆さまC」は「卵をくわえた形」です。
morning の[or] で説明したかと思います。 「あごが下がる」とは違いますが、、、。

「素読舎」のHPで「発音10のポイント」というのがあります。
以前、根石さんから許可をもらって私のHPでも公開しています。
コレです ↓
http://www007.upp.so-net.ne.jp/eigodeyume/hatsuon-10.html
こちらに目を通しておいてください。

根石さん、、838行目 On your genitals again.
クエッションマークが抜けていました。
⇒ On your genitals again?
イントネーションが変わるので、Mさんにはスクリーンプレイの表記に合わせて
「? マーク」を付けるように伝えました。
 

【11868】
吉さん, Mさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 9日(火)02時28分56秒    編集済
   やはり、具体的に書いていただくと助かります。
 Mさんにこういう説明を受けたと書いていただき、吉さんがそれに対するコメントをしてくださると、問題点が非常にはっきりします。

>tが聞こえにくい
tの音がたとえ黙音となっても、上の歯の裏で舌がはねていれば「can't」と聞こえると思います。tを意識してもらったらすぐに良くなりました。

 t, d の音の本質は、「舌がついているところから離れる瞬間の音」ということだと思います。生徒さんに真似して欲しくありませんが、上の歯の裏だろうが、上の歯先だろうが、曲芸的に下の歯の歯先だろうが、歯裏だろうが、舌をつけているところから離れることがあれば、英語の t, d に近い音が出ます。「離れる瞬間の音」というのが本質であり、舌の位置が(上の歯の)歯裏でも歯茎でもいいと思います。その動きさえきちんとしていれば、吉さんの言う通り、「たとえ黙音となっても」誤解は生じないと思います。can と can't では論理的にまったく逆の文を作りますので、can't を言うとき、舌を離すことが肝要と思います。それが吉さんの言う、「舌がはねていれば」ということだと理解しています。

 ダーティテクニックになるのかもしれませんが、 can'tを言うときは、can を言うよりも音を延ばすということでも区別は作れます。しかし、こちらのやり方よりも、「舌を離す」ということが本来の音の作り方だと思います。

 以上は吉さんのコーチによって、Mさんは解決していることなのですが、他の人の役に立つかもしれないと思って書きました。

>>あごを下げて言うというのは、とても分かりやすい表現だと思います。いままで、口を大きく開けるというふうに意識していました。

>Mさんは、明るいa の音は、きちんと出ていたのであまり注意しませんでしたが、「あごを下げて」は楽ですよね。

 「歯医者」の「アーン」の「アー」ですが、口の開きの大きさではなく、顎の動きを意識してもらうのがいいと考えたのは、[逆さe][逆さv]と対照させることができるからです。
 [逆さe][逆さv]は、ともに狭い音で、顎が動かないと考えていいと思います。「発音10のポイント」で Eliot さんが、[逆さv]に関して、あまり大きく顎を下げないという意味のことを書いておられますが、まったく顎を下げないのが本来だと思っています。

>逆さvは自然にポカンと開いた口のまま「ア」 顎を大きく下げないこと。

 これが Eliot さんの[逆さ v] のとらえ方です。現象的にはまったくこうなるのでしょうが、本質は、[逆さ v]も「狭い」ということです。

>MondayのMonとlemonのmonは同じ音には聞こえないし、doneとLondonのdonもやはり同じ音には聞こえません。

 Monday の mon にアクセントがあり、lemon の mon にアクセントがないから「同じ音には聞こえません」ということになっているわけです。done と London の don に関しても同様です。
 元々は同じ音なのですが、アクセントのないところの音は、おろそかにされやすくあいまいな音になる傾向ははっきりあります。これを私は「いいかげんな音」と言って、Eliot さんに叱られたことがあります。しかし、いいかげんに扱われている音は、「いいかげんな音」として厳然と存在するものです。[逆さv]の音がいいかげんに扱われると、[逆さe]になるのです。
 単独の[逆さe] の本質は、「力が抜けている」ということにあります。ですから、逆から言うと、「力が抜けている」音のところにアクセントはこないということになります。
 もともとは同じ音が、アクセントの有無によって、「逆さe」と「逆さv」の二つに枝別れしたのだととらえるのが、現象からではなく本質から考える考え方だと思っています。
 ともに顎が動かないと規定した方がいいのは、もともと同じくらいに狭い音だからです。

>>c の反対の発音のとき
これは発音記号の「逆さまC」の事でしょうか?

>前回はこの説明や注意はなかったと思いますが、「逆さまC」は「卵をくわえた形」です。morning の[or] で説明したかと思います。 「あごが下がる」とは違いますが、、、。

 morning の or の音は、あだ名は「ゆで卵」です。ゆで卵を口にくわえて落とさないようにするくらいに唇に力が入る音です。卵は丸いですので、丸く力が入ります。日本語の「オー」で代用ができないわけではありませんが、「ゆで卵」を唇でくわえる形を意識してもらうのがいいと思います。実際は、日本語の「オー」とはかなり差の大きな音です。
 この音は、「発音10のポイント」でも、「あいうえおフォニックス」でも扱えていません。どうしようかと迷っています。

 「逆さまC」に関して。この辺は用語を統一した方がいいと思いました。「逆さe」や「逆さv」の「逆さ」は文字の上下がさかさまだということで「逆さ」と言っています。「ゆで卵」の C の「左右が逆」の表記については、「鏡文字c」と言っています。「上下」ではなく、「左右」が入れ替わっている場合に、「鏡文字」と言わないと生徒さんが混乱するだろうという配慮です。

>根石さん、、838行目 On your genitals again.
クエッションマークが抜けていました。

 ご指摘ありがとうございます。レッスン時に、生徒さんに伝えます。
 

【11869】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 9日(火)03時10分33秒
  >「練習に対する解説」 ・・・ ここの部分で協力させて頂けるのですね。

 ええ、そうです。お願いします。

>厳しい納期があるとプレッシャーですが、精一杯やらせて頂きます。

 納期はとてもゆるやかです。掲示板で村田君、私も加わって一緒に練るのでもいいです。

>とは言いましても、まだ何をどのように解説すれば良いか見当がつきません、、。

 これは、まあ、テープの現物が出来れば、見当はすぐにつけて下さるでしょう。

>(自分の考えるところがあって)小学生の音作りの解説は、遠慮させてください。

 先日、小学3年生の「音づくり」をやりましたが、40分だったか50分連続でやり、後半の15分くらいで、急に英語の音が立ち上がってくる感じがありました。村田君が傍で聞いていて、「おおっ」と驚いていました。
 吉さんの「考えるところがあって」というのは、小学生に英語の音づくりなどすべきではないということかと推測しましたが、「音づくり」は「音」を作るだけですから、やってもいいのだと確信するようになりました。
 小学生にまともな「音づくり」などは早すぎるというのは、文部科学省と同じ言い分になってしまいます。そのくせ、文部科学省は、教室の練習で、文を「音」ではなく「声」にすることが実現可能だという馬鹿なおとぎ話を押しだそうとしています。昔からこの省庁が言うことは、馬鹿ばっかしです。
 小学生にもしやらせるとしたら、やらせるべきことは、「声」ではなく、「音」として扱うことです。
 一週間を日本語の「音・声」で暮らし、週に一回数十分、英語の「音」だけを練習する小学生が、日本語の「音・声」を侵害(侵略)されることは起こりません。
 その辺のことを小学生にこう言いました。
 「これでまた、一週間、家や学校で日本語だけで生活してから塾に来るから、今日やってできた音も来週は壊れてしまっているかもしれない。だけど、それでいい。少しずつ英語の音ができてくるから、気にしなくていいから」
 英文をいきなり「声」にさせようとする馬鹿なおとぎ話でなく、英文の「音」だけの練習をさせるなら、日本語の音も英語の音も、共存して育ちます。日本語の磁場で「声」にするものは、もちろん日本語の文です。
 じゃあ、なんでそんな小さい子に「英語の音だけ」を扱わせるのか。
 いずれ、英語の磁場に交わる可能性があるからです。

 「音」に関してだけなら、小学生から英語をやらせていいと確信することができました。それは、「音」だけなので、英語ですらないわけです。異言語を元にした、一種の「音楽」の練習です。音とイメージを合体させることを要求しないので、いまだ語学ではありません。

>「波状的インプット」、これを外さないわけがありません。

 これを「外すわけがありません」だと読みましたが、多分私の読みでいいと思います。それが外れていないなら、安心です。

>エディター?でしたか、、ソフトウェアを紹介してくださったと思いましたが、ああ、、これで必要なんだな、、と、感じました。

 私はMS−DOSの頃から使っているので、WZ-editor を使っていますが、Windows時代になって登場した「秀丸エディタ」というのが、一般に普及しているようです。秀丸については、私より村田君が詳しいです。

>10代最後だったか、二十歳前後の時は、
TOEFLの文法のセクションでは、毎回ほとんど満点に近かったのですが、
文法知識がすっかり抜けていて自分でも驚くくらい忘れています(笑)。

 英語が話せる人は、いったん身につけた文法(事項・用語)を忘れてしまうくらいに、文法が実際の語法の中に根付いているのだと思います。つまり、それが磁場の御利益です。テキストを作る場合は、これから文法を媒介にする必要のある段階の人(生徒)のために作るのですから、いやでも文法(事項・用語)を使わざるをえません。私は年がら年じゅうその仕事の中にいるため、話すときに頭の中で文法(事項・用語)がちらちらするのが、悩ましいし邪魔っけです。私はまったく磁場を欠いているので、しょうがないのだというか、それでいいんだと考えてしゃべります。

>私の方にメールなどで直接連絡される方があっても、
一度根石さん経由でお願いさせて頂きます。

 よろしくお願い致します。
 

【11870】
日記  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月 9日(火)03時50分32秒
  あっちに書いたりこっちに書いたりして、どこに何を書いたのかわからない状態ですが、ミッドナイト・プレスという詩の出版社のブログに場所をお借りして、ここ数日書いています。会員制のブログですが、ここから飛んで読めるのかどうか。

http://www.mpn5.com/?m=pc&a=page_h_home


【11871】
小学生の音作りに関して  投稿者:  投稿日:2007年10月10日(水)22時41分33秒    編集済
  根石さんの方法なら問題ないと私も思っております。
これは本当にそう思っています。
小さな学習者の中で混乱もおきないだろうと考えています。
そこに関しては私は納得しまくりなのです。
つまり「語学論」の観点からは問題無しなのです。

「それなら良いではないか」と言われてしまいそうです。

私の中の気持ちとそり合わないのは、
私の中で育ち始めた「教育論」のためです。

『根石さんの語学論の中に「本質」を見つけるスキル』

小学生の内に、こういうスキルの種まきをしたいと(私は)考えています。
このスキルが育っていけば、学習者が根石さんを見つけた時に素通りしないだろうと
(私は)考えています。
大人になってからも「学び」に戻ってきてくれるだろうと(私は)考えています。

そこに私の気持ちはあります。

学習者の主体性、自分で工夫して考える力、文章から見る力、ねばり強さ、、、
小学生の頃に、こういう部分の種まきをしたいと(私は)考えております。

私が小学生の音作りに対する「解説」を書くことによって、
同じような世代のお子さんをお持ちの保護者に誤解を与える可能性を(私は)心配しております。

すべて私の気持ちです。
お許しください。
 

【11872】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月10日(水)22時53分48秒    編集済
  沢山の事を学ばせて頂いております。
ありがとうございます。

> 納期はとてもゆるやかです。掲示板で村田君、私も加わって一緒に練るのでもいいです。

こう言って頂けて安心しました。 よろしくお願いいたします。

>「波状的インプット」、これを外さないわけがありません。
>> これを「外すわけがありません」だと読みましたが、多分私の読みでいいと思います。
>> それが外れていないなら、安心です。

あららら、、、。 (^^;;  はずかしい、、。
この書き込みの後メールで送ります。

>「秀丸エディタ」というのが、一般に普及しているようです。秀丸については、私より村田君が詳しいです。

そうなんですね、、村田さんが使っているなら色々教えてもらえそうです。
これを入手して、とりあえず作ってみたお試しテキストを、
もう少し作りこんでみたいと考えています。

>「ゆで卵」の C の「左右が逆」の表記については、「鏡文字c」、、

はい、、今後、この呼び方でやらせてもらいます。
 

【11873】
根石さん  投稿者:I村  投稿日:2007年10月13日(土)19時34分10秒
  体調不良のため、本日のレッスンを休ませてください。
また来週よろしくお願いいたします。
 

【11874】
I村さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月13日(土)20時06分45秒
  承知しました。
振りかえておきます。
 

【11875】
散文も凄い  投稿者:matsu  投稿日:2007年10月13日(土)23時22分42秒
  根石さん
「英語どんでん・・」読みました。
運よく、近所の古本屋で手に入りました。
自分の貧弱な外国語学習体験に照らしても、
腑に落ちるというか、目からウロコが落ちることばかりだったのですが、
語学を離れても、
言葉や生活や人間について、考えることを喚起するような
具体的な言葉・イメージに満ちていました。
根石さんは、自分の理念は低い、と書いていますが、
「低い」ゆえの強さ、広さを感じることができました。
(むしろ矜持の言葉だったのですね)

実は今日、ミッドナイトプレスから
「暮らしの手帳」が届きました。
ぺらぺらめくると、
懐かしい「人形のつめ」の根石さんが顔をのぞかせていて、
これから読むのが楽しみです。

根石さんは、(テキストだけでなく)
エッセイも批評も凄い!
 

【11876】
matsu さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月14日(日)02時52分33秒    編集済
   「英語どんでん」も読んで下さったのですか。ありがとうございます。英語で生活を成り立たせてきたので、英語に関して考えてきたものを世間に向けて書いておく義理があると自分で勝手に思っていました。友達が勤めている印刷所を使って自分で冊子を作ったのは、世間に義理があると考えたためでした。それが小学館の編集者の目にとまり、文庫化の声がかかったときは、是非お願いしたいと返事をしました。

>運よく、近所の古本屋で手に入りました。

 また古本屋でみかけたら、入手しておいていただけたらありがたいです。ネット上で1万円を超えるような馬鹿げた高値がついたことがあるらしく困っていました。手持ちの部数が少なくなってきていますので・・・。

>根石さんは、自分の理念は低い、と書いていますが、「低い」ゆえの強さ、広さを感じることができました。(むしろ矜持の言葉だったのですね)

 うーん。矜持なのでしょうか。事実なんだと思っています。私には世界思想というようなパースペクティヴがないのです。

>実は今日、ミッドナイトプレスから「暮らしの手帳」が届きました。ぺらぺらめくると、懐かしい「人形のつめ」の根石さんが顔をのぞかせていて、これから読むのが楽しみです。

 こちらの本はまったく山本かずこさんと岡田幸文さんのおかげです。私は書いたものを大事にしないのですが、当時はたまたま本棚に書いた雑誌をまとめて置いてあったために本にできました。あれ以降はまるで書き散らしのままで、書いたものをまとめて置いておくこともしないので、どこに何を書いたかなどわからなくなっています。
 というか、近頃はネット上で書くことが多くなっているということだと思います。

 しかし、matsu さんがして下さるようにまとめて読んでもらうためには、本の方がはるかにすぐれていますね。

 まあ、書けるだけは書いておきたいと思っています。散乱しようがどうしようが、それ以降は私の仕事ではないから、放ってあります。

 読んでいただいた感想を直にお聞きできるのはうれしいことです。「暮らしの手帳」のご感想もお聞かせ下さい。
 

【11877】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月14日(日)03時50分29秒
  >『根石さんの語学論の中に「本質」を見つけるスキル』
小学生の内に、こういうスキルの種まきをしたいと(私は)考えています。
このスキルが育っていけば、学習者が根石さんを見つけた時に素通りしないだろうと(私は)考えています。
大人になってからも「学び」に戻ってきてくれるだろうと(私は)考えています。学習者の主体性、自分で工夫して考える力、文章から見る力、ねばり強さ、、、小学生の頃に、こういう部分の種まきをしたいと(私は)考えております。

 学習者の主体性には、私は触ることはできないものと考えています。ですから、主体性については私には何も教育論めいたものはありません。
 主体性は自発性だとも思うのですが、教育的に生徒の外側から与えられた条件によって生じるものは、すでに自発性ではないのではないかという疑いが私にあります。
 自発性とか主体性が生じるのは、怒りとか渇望とか欠如感のようなものからであり、それを外側から生徒に与えることはできない(それは教育以外のところからやってくる)と考えています。主体性は「生じる」ものであり、それを「生じさせる」ことはできないというか・・・。

 見破る眼力のようなものは、スキルだとは思えないのです。眼力は眼力であり、コーチが作れるスキルというようなものではないと・・・。

 ここでも、コーチは「邪魔を取り除く」ことができるだけだという考えです。コーチがやるべきことをすべてやった後に、生徒がそれをどこまで遠く持ち運ぶのかは、私はまったく生徒まかせです。逆に、レッスンを離れたとたんに、そこですべてが止まってしまうような場合、そのこと自体に私は触ることができない。それは、生徒の意志すらも超えたものによって決まるのだと思っています。

 しかし、世間は広く、私が最初から手をつけようとしないことをやる人がいます。「ここって塾!?」を書かれた藤井東(ふじいはる)さんのような人を今思っています。
 藤井さんのやられたことには本当に頭が下がります。
 「ここって塾!?」は春秋社から発行されました。

 うまく本が見つかったので、今机の上に持ってきてありますが、本の帯にある吉本隆明さんの言葉が正確だと思いました。

 「生徒に与えつづけている影響がどれほどのものか藤井先生自身に判るのは、もしかすると、ずっと後なのかもしれない」(吉本隆明)

 藤井さんも、主体性や自発性を作れるとは考えてはいないと思います。藤井さんが凄いのは、怒りや渇望や欠如感を見守り、肯定するときのその肯定の力です。本当の教育者というのはこういう人のことだと思っています。その意味では、私はまったく教育者ではありません。
 私は結構お構いなしに「練習はしてくれ」と言います。藤井さんは、「したくないときはしなくていいんだよ」と言うと思います。そこがすごく違うのです。
 私は、今後もコーチを自称するしかありません。
 教育ということは、私にはわかりません。
 こうしようと思って意図することなどは、教育という場面では本当は無力で、子供に本当に根付くものは、人の立ち姿だけではないかとも思います。藤井さんで言えば、藤井さんの立ち姿がいいのです。「子供は親の背中を見て育つ」というような言葉が言っているものと同じだと思います。

 コーチは一種の職人ですね。その眼目は「邪魔を取り除く」ということに尽きると思います。教育については、私はまったく苦手です。ともかく、意図してやれるようなものではないとは思っています。
 

【11878】
本日のレッスン  投稿者:ミッフィー  投稿日:2007年10月15日(月)09時01分43秒
  当日で申し訳ありませんが、仕事の関係で本日のレッスンをキャンセルします。よろしくお願いします。  

【11879】
根石さんへ(教育とかいろいろ)  投稿者:  投稿日:2007年10月15日(月)20時02分27秒
  > 私は結構お構いなしに「練習はしてくれ」と言います。

根石さん、、私も同じ事を言いますよ。 これはMさんがフォローしてくれると嬉しいのですが、
私も「練習する事を約束してください」とMさんに伝えています。
12歳以上の学習者には、語学論を持った素読舎のコーチとして、しっかりと伝えていきます。
「邪魔を取り除く」に徹します。 そして余計な事はいたしません。  お約束いたします。

> 藤井さんも、主体性や自発性を作れるとは考えてはいないと思います。
> ともかく、意図してやれるようなものではないとは思っています。

すると、、主体性や自発性が人の中に生まれるのは、偶然の産物とお考えなのでしょうか?

見えている教育者(親)なら、12歳までに狙って持たせる事ができると私は信じています。

幼年期には、「抱っこして」と言われたら「いいよ」と言って子供にやってやる。
そこから情緒の安定・安心感が育ちます。
安心感が育っている子は親から離れてチャレンジできるようになります。
子供がチャレンジして失敗しても「ほら、みなさい」と失敗をけなすのではなく、
子供が挑戦した行動を認めてあげるのです。
こういう小さな積み重ねで、自発性の種(チャレンジ精神のようなもの)が子供の中で育っていきます。

「ピアノを習いたい」と小2の子が言ったとします。
「いいよ」と言ってやらせたとします。
3ヵ月後に「やっぱりやめる」と言ってきた時に、
やはり「いいよ」と言ってあげられるかどうかという事だと思います。

鬼ごっこやりたい!、缶蹴りやりたい!
こういう子供の欲求を満たしてあげる事も大切だと考えています。

「一緒に遊んで!」、、ここで「疲れているからダメ」と毎回言い、
ずっと子供の要求に答えてあげていないと、
子供は「どうせお願いしてもダメといわれるから」と、
最初からあきらめモードになってしまうと思うのです。

子供は「やる気満々」なんです。
この遊びに対する「やる気」をきちんと育ててもらっているかどうかが、
12歳以降の学ぶ喜びや「やる気」に繋がるのだと思うのです。

子供の頃、どれだけのびのびと好きな事をやらされてもらえたかでどうかで、
いろいろと決まってくる事もあるようなのです。

教育者(親)が、子供が12歳までに育つまで、
ジックリと、しかし少ないタイミングを見極めて育てていけば良いのです。


<< 子供の主体性や考える力を殺すもの >>

主体性や自発性を「生じさせる」のは、一朝一夕にはできません。
教育者(親)が狙って満足回路を満たしていく必要があるのです。

ですが、、主体性を奪い取るような教育が今の社会には蔓延しているようなのです。

月曜はピアノ
火曜は公文
水曜は水泳
木曜は英会話
金曜は学習塾

こういう勘違いした「教育」で、子供の主体性は殺されていると思うのです。
親から人生のレールを「与えられている」お子様がいます。
「あたえられたものをこなしている」だけのお子様が本当にいます。

12歳までに「やらされている」「こなしているだけ」では、
子供の主体性や自主性が芽生える確立は下がると思います。

「やりたいから」という理由で与えてはいけないものもこの現代社会にはあります。
テレビゲームは、子供が自主的に「やりたい」というもののナンバーワンです。
ですが、テレビゲームは、「子供の考える力」を育てません。

主体的に遊んでいますが、あれは「ゲームに遊ばせてもらっている」のです。
やっている間は、頭を使わなくて良いから「楽」なのです。

有料の遊園地もそうです。
僕はディズニーランドは大好きですが、あそこも「遊ばせてくれる場所」です。
自分で考える必要はなく、「楽しみ」をすべて提供してくれる場所です。

私はこの理由から、車にのってわざわざ遠出して、何もない野原だけの公園に子供達を連れていきます。
私の子供達はそこで目いっぱい遊べますが、一度、子供の友達を連れていった事があります。
そのお友達は、「ここで何をするの?」「ここ何もないよ。」「ゲーム持ってくれば良かった」と言いました。
何も無い場所での遊び方を知らなかったのです。

テレビゲームのなかった時代、娯楽の少なかった時代、子供達は体を使って、
自分達で工夫して楽しい遊びを考え出していました。 頭を使っていました。
今の社会は、テレビゲームなどの遊びから、考えない頭を量産しています。

普段の生活の中で、考えない頭を作っています。
そして学校の宿題などや、多くの塾でも「考えない頭」を作っています。

> 見破る眼力のようなものは、スキルだとは思えないのです。
> コーチが作れるスキルというようなものではないと・・・。

根石さんがおっしゃる事は本当にその通りだと思います。

ですが、、語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、
ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?
今の子供達は、考えるよりも先に、口を開けば「わかんなーい、コレ足し算? 引き算?」です。

考えるのがメンドクサイのです。
与えられた物をこなしているだけの方がずっと楽だと考えている子が多いのです。
遊びでさえ「ゲームのように与えてくれるもの」が良いのです。

小学校程度の「考える力」なんて、本来は、
体を使った主体的な遊びの中からでも、ある程度、自然に獲得できるものなのだと思います。

ですが、、、今はあえて「スキル」として意識して獲得させていかないと、
身につかないのではないかと考えるようになりました。
基本的な「考える力」も身につけられないのです。 眼力なんてとても無理です。

せめて、、意識して12歳以下には、テレビゲームを制限するだとか、、
「あたえられたものをこなしているだけの子供になっていないか」とか、
そういう事を注意しなければいけないのです。


月曜ピアノ、火曜公文、水曜水泳、木曜英会話、、と、子供にやらせている教育者(親)がいます。
子供の主体性も、子供の考える力も奪い取っているのです。
そういう事を「教育」と信じきっている教育者(親)が、私のコメントを読んで、、
「吉さんが言っているのだから、小3から英語をやらせてもいいのね」と勘違いする事を避けたいのです。

私が12歳以下の英語教育についてコメントしたくないのは、そこにあります。

のびのびと好きな事をやらされてもらっているお子様であり、
「考える力」もきちんと育成させてもらっているお子様であり、
習い事などを他にやっていないような子供が根石さんの所で学ぶのなら、
私は「問題ないでしょう」と言います(笑)。
(それでも最低でも9歳以上だと思っていますが、、)

この辺りの教育理念を持たない教育者(親)が多いなかで、
子供の「主体性も考える力」も奪われているこの現代社会で、
私のコメントが誤解を与える事は絶対に避けたい事なのです。

これは、日本の子供の「考える力」を守るためでもあるのです。

言ってしまうと「小学生に英語なんて」ではないのです。
私の中では「小学生に必要以上の習い事なんて」なのです。

私の言いたい事が半分も伝わったかどうか分かりませんが、
私の気持ちはそこにあります。

前にも書きましたが、語学論の観点からの発言ではなく「教育論」からの発言です。
ご理解ください。
 

【11880】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月16日(火)02時03分11秒
  >>私は結構お構いなしに「練習はしてくれ」と言います。

>根石さん、、私も同じ事を言いますよ。 これはMさんがフォローしてくれると嬉しいのですが、
私も「練習する事を約束してください」とMさんに伝えています。

 私は子供に対してもそうだったのです。子供はやる気がある日もあれば、やりたくない日もありますが、「ここにいる間はやれ」と言い、やらせました。そこが藤井さんはまるで違うのです。藤井さんは「やりたくないときはやらなくていい」と言います。藤井さんは教育者であり、私はコーチ(語学屋)でしかないということです。

>12歳以上の学習者には、語学論を持った素読舎のコーチとして、しっかりと伝えていきます。

 そうですね。年齢というものが重要だと思います。吉さんは12歳以前、12歳以後に大別されているということでしょうか。私は12歳というところにどういう根拠を見ればいいのかわかりません。学校制度上、小学生が中学生になる年齢だからというようなことは何の根拠にもならないと思っています。
 私には、小学校3年、4年くらいの年齢にひとつの節目があるという感触があります。素読で英語の練習を開始可能な年齢として、小学4年生から受け付けるという期間が長く続きました。いつからか正確なところは忘れてしまいましたが、おそらく20年くらいも続いたかと思います。素読舎は、20年かけて、4年生から3年生に年齢を下げました。
 小学校3年、4年くらいの年齢で、日本語のシンタックスが固まってくるというのが私がそこに節目を見る根拠です。
 それ以前の節目は、2歳から3歳くらいにあると考えています。日本語のシンタックスの大枠ができる年齢です。それ以降、小学3,4年生くらいまで、少しずつ日本語のシンタックスがしっかりしていきます。この期間に、私は磁場を欠いて子供に英語をやらせることはしていません。日本語のシンタックスがよちよち歩きから、しっかりした歩きに変わっていく期間ですから。
 小学3、4年以後の節目は、十代の半ばから後半にあると考えています。これはもう、大人の段階に足をかける時期であり、しっかりした歩きどころか、走ることができる段階です。
 日本語のシンタックスが本当にしっかりするまでに、15年以上かかるんじゃないかと考えています。
 十代の後半では、英語の音とイメージを一体化させる作業はやっていいと思いますが、小学3,4年で始めた場合は、イメージ化は課する必要はない。音だけでいい。ここが、文部省の方針が根底から転倒しているところです。
小学生の間は音はいいかげんでいい、それよりも、ネイティヴと同じように簡単な言い回しを言えること、だというのです。いいぐさが馬鹿だとしか思えません。
 10年くらい音だけでやっていてもいいというくらいに今では思っています。その場合に、小学3,4年生で始めるのが最適なのだとも思っています。

>> 藤井さんも、主体性や自発性を作れるとは考えてはいないと思います。
>> ともかく、意図してやれるようなものではないとは思っています。

>すると、、主体性や自発性が人の中に生まれるのは、偶然の産物とお考えなのでしょうか?

 もう一度お読みいただきたく思います。

>>自発性とか主体性が生じるのは、怒りとか渇望とか欠如感のようなものからであり、それを外側から生徒に与えることはできない(それは教育以外のところからやってくる)と考えています。

 2,3歳の節目までは、よく語りかけてやるだけでいいかもしれません。小学3,4年くらいまでは、ものを唱えることをいろいろやる程度でいいかもしれません。それから以後、10年くらいが、子供にとって世の中と出会う準備の期間だと思います。行きつ戻りつがある期間です。内心の咀嚼が深まる期間です。十代の後半の前半になるか後半になるかは人によると思いますが、この頃に子供は社会というものを考えの中に繰り込み始めると思います。社会をリアルなものとして受け止め始めるのだろうと思います。
 「怒りとか渇望とか欠如感」というものが、自発性や主体性に転じることが可能になる年齢です。
 私のもの言いも、いくつもある節目を踏まえずに言ったもの言いでした。
 再度疑問を呈したいのは、12歳という節目に何の根拠があるのかということです。小学生が中学に行くのは、確かに激変を体験することだと思いますが、それは外的な環境の激変です。そこに心的な発達史の節目があるとする根拠はないだろうと考えています。心的な発達の節目は心的な発達そのものから生じるのであり、学校制度などが作る節目に何の根拠もない、と。

>見えている教育者(親)なら、12歳までに狙って持たせる事ができると私は信じています。

 それは弱いと思います。「背中を見て育つ」ときの背中の方がはるかに強いと思います。

>幼年期には、「抱っこして」と言われたら「いいよ」と言って子供にやってやる。そこから情緒の安定・安心感が育ちます。
安心感が育っている子は親から離れてチャレンジできるようになります。
子供がチャレンジして失敗しても「ほら、みなさい」と失敗をけなすのではなく、子供が挑戦した行動を認めてあげるのです。
こういう小さな積み重ねで、自発性の種(チャレンジ精神のようなもの)が子供の中で育っていきます。

 このあたりにはまるで異論がありません。
 ただ、この場合の自発性は、十代後半以前にだけ有効な概念だと考えます。それ以降は否定性をバネとした自発性や主体性になると思います。

>「一緒に遊んで!」、、ここで「疲れているからダメ」と毎回言い、
ずっと子供の要求に答えてあげていないと、
子供は「どうせお願いしてもダメといわれるから」と、
最初からあきらめモードになってしまうと思うのです。

 これは考えさせられました。反省します。


【11881】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月16日(火)02時39分7秒
  << 子供の主体性や考える力を殺すもの >>

>教育者(親)が狙って満足回路を満たしていく必要があるのです。

 よくわかりません。ただわがままな子供ができるだけになることもあると思います。「狙う」必要がなぜあるのかもわかりません。「たくらみ」は全部バレますよ。親子というのはそういうものです。

>主体性を奪い取るような教育が今の社会には蔓延しているようなのです。
月曜はピアノ
火曜は公文
水曜は水泳
木曜は英会話
金曜は学習塾
こういう勘違いした「教育」で、子供の主体性は殺されていると思うのです。
親から人生のレールを「与えられている」お子様がいます。
「あたえられたものをこなしている」だけのお子様が本当にいます。

 ほんとうにそうですね。ピアノ、公文、水泳、英会話、学習塾のすべての首を絞めて殺した上で、素読舎を選び取ってくれる親がまったく払底しています。何を偉そうに言っているのかと自分でも思うのですが、私が偉そうであろうとなかろうと、素読舎というものはそういうものだと思っています。それがしかし、食えないのです。生活が成り立つか成り立たないかというところをずっと歩き続けてきました。馬鹿は恐ろしい。見えないのです。

>12歳までに「やらされている」「こなしているだけ」では、
子供の主体性や自主性が芽生える確立は下がると思います。

 確率どころの話ではないと思います。これが子供を殺しています。

>「やりたいから」という理由で与えてはいけないものもこの現代社会にはあります。テレビゲームは、子供が自主的に「やりたい」というもののナンバーワンです。ですが、テレビゲームは、「子供の考える力」を育てません。

 この辺は私にはわかりません。

>主体的に遊んでいますが、あれは「ゲームに遊ばせてもらっている」のです。やっている間は、頭を使わなくて良いから「楽」なのです。

 主体的に遊んでいるとは思えません。言葉の遊びになることを恐れますが、客体的に遊んでいると思います。多分、吉さんも同じことを言っておられます。

>私はこの理由から、車にのってわざわざ遠出して、何もない野原だけの公園に子供達を連れていきます。私の子供達はそこで目いっぱい遊べますが、一度、子供の友達を連れていった事があります。そのお友達は、「ここで何をするの?」「ここ何もないよ。」「ゲーム持ってくれば良かった」と言いました。何も無い場所での遊び方を知らなかったのです。

 なるほど。何もない場所での遊び方自体を教えてしまっていないことを願っています。子供はよく見守ってほったらかしておけばいいのだというのが、現在の私の基本的な考えです。

>普段の生活の中で、考えない頭を作っています。
>そして学校の宿題などや、多くの塾でも「考えない頭」を作っています。

 これは本当にその通りです。

>語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?

 それは絶対に必要ですが、それをコーチが作ることはできません。作ることができるなどと考えるのは不遜なことだと思っています。コーチが邪魔を取り除くことをしても、イメージが発動しないこともあり得ると思っています。その場合、長く続けたコーチの努力は水の泡になります。仕方がないことだと思っています。私は人間の自発性に触りたくありません。

>小学校程度の「考える力」なんて、本来は、体を使った主体的な遊びの中からでも、ある程度、自然に獲得できるものなのだと思います。

 この辺もよくわかりません。考える力は、むしろ子供が一人で遊ぶことを、大人が邪魔しないことでできると思いますが。体を使うかどうかはポイントではないと思います。

>ですが、、、今はあえて「スキル」として意識して獲得させていかないと、
身につかないのではないかと考えるようになりました。

 狭める必要はなかろうと思います。

>せめて、、意識して12歳以下には、テレビゲームを制限するだとか、、
「あたえられたものをこなしているだけの子供になっていないか」とか、
そういう事を注意しなければいけないのです。

 注意したところで、「与えられたものをこなしているだけの子供」がみつかったら後の祭りですね。すでに、それ以前が間違っていたのです。子供は命に関わるとか、家の大黒柱をノコギリで挽く(私の女房がそれをやった)というようなことをしなければ、放っておくに限ります。一歩引いて、見守って、放っておくのが最良だと思います。テレビゲームだって、そこから何を引きずり出すかは、子供によってまるで違うでしょう。「それ以前」がそれを決めることです。

>のびのびと好きな事をやらされてもらっているお子様であり、
「考える力」もきちんと育成させてもらっているお子様であり、
習い事などを他にやっていないような子供が根石さんの所で学ぶのなら、
私は「問題ないでしょう」と言います(笑)。
(それでも最低でも9歳以上だと思っていますが、、)

 こういう「のびのび」を私は信じておりません。子供は、親の心を読み、「のびのび」を演じることすらします。「考える力」は、放っておくのが一番伸びると思っています。

>言ってしまうと「小学生に英語なんて」ではないのです。
私の中では「小学生に必要以上の習い事なんて」なのです。

 すべての教科は、子供にとって「必要以上の習い事」です。
 


【11882】
ミッフィーさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月16日(火)02時58分16秒
  お応えが送れて申し訳ありません。
また、掲示板を読まず、電話してしまったことも申し訳ありませんでした。
振りかえておきました。
 


【11883】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月16日(火)03時11分48秒    編集済
  とにかく、子供の邪魔をしないことだと思います。
よかれと思ってやっていることが、邪魔を取り除くことの正反対をやっていることはありうることだと思います。
子供は、見守りながら放っておくのが一番です。
狙うことは無効だとも思います。

 その上でやってもよいことは、「冷凍された英語」「冷凍された知識」を唱える程度のことです。それは九九を唱えるようなこととまったく同じレベルのことです。
 小学3年から始める素読舎の英語も、それと同じレベルのものです。
 九九を唱えてあるかないかで、それ以後の算数・数学の命運が違ったものになるのと同様に、素読舎の英語を小学3年で始めるかどうかで、それ以後の英語の命運ははっきりと違うと思っています。
 「冷凍」であり、「干物」であり、「死んだ知識」であってまるで構わない。それはいずれ命を得て、動き始める。そういう不思議が人間には起こります。
 直線的な「のびのび」だの、「個性」だの、「いきいき」だのを私が信じないのも、人間というものの不思議を信じているからです。否定性から身をもたげるものだけが、人間だと思っているからです。
 


【11884】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月16日(火)22時12分37秒    編集済
  まずはお礼を言わせてください。
「大風呂敷」に書き込みをさせて頂く事で、私の頭の中も整理されていきます。
また根石さんのコメントには頭が下がりっぱなしです。
薪の乾燥小屋、畑、自宅など、ご多忙中のなか、とてもタメになる文章を読ませて頂いております。
matsuさんが、コメントを書いてくれていますが、私も根石さんの文章は「すばらしい」と思います。

また、私の書き込みが理由で、書き込みをしり込みされている素読舎の塾生さんや、
常連さんもたくさんいると想像しております。 お許しください。

>「たくらみ」は全部バレますよ。親子というのはそういうものです。

いやいや、、もうこれは、子育ての大先輩が言うのですから間違いないのでしょう。
わかりました。
でも僕は12歳で子育てを終えるつもりですから、「たくらみ」も残り2年だけです。

> 小学生の間は音はいいかげんでいい、それよりも、ネイティヴと同じように簡単な言い回しを言えること、だというのです。
> いいぐさが馬鹿だとしか思えません。

同感です。 これは根石さんに出会ってハッキリしています。
根石さんの語学論も指導法も日本で最高峰です。

> 私はコーチ(語学屋)でしかないということです。

しかし、、私は根石さんから多くの事を学ばせてもらっています。
最高の教育者だとも私は思っています。 私をここまで育ててくださいました。
2006年1月頃に素読舎に出会い。 そして初めて書き込みをしたのは、3月頃だったでしょうか、、。
わずか1年と半年ですよ。 この短期間に大きく育ててもらいました。
私の中では、根石さんは大きな存在です。 ありがとうございます。

> 吉さんは12歳以前、12歳以後に大別されているということでしょうか。

ハッキリした線引きをしています。理屈は糸山泰造先生から学びました。
スミマセン、、ここが、どうしても噛みあわない所ですね。 すみません、、。

昨日の根石さんのコメントを読んで、糸山泰造先生の教育論と大きくずれていない事がわかり、
私がお二人を見つけた「眼力」は雲ってなかったと確信しました。

根石さん、私は根石さんの語学論に本質を見つけたのと同じ感覚で、
糸山先生の教育論の中に同じものを見つけています。

根石さんの語学論と出会ってしまったのと同じですね。
英語の学習に関しては、譲れないものが私の中で確立してしまいました。
コレに対して異論を唱える人が現われたら守り抜きます。

> 私は12歳というところにどういう根拠を見ればいいのかわかりません。
> 学校制度上、小学生が中学生になる年齢だからというようなことは何の根拠にもならないと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・
> 再度疑問を呈したいのは、12歳という節目に何の根拠があるのかということです。
> 小学生が中学に行くのは、確かに激変を体験することだと思いますが、それは外的な環境の激変です。

そういう事ではありません。 私は詳しく説明できないのですが、脳内レベルの変化です。
一次的(脳)な変化です。 この脳内レベルのでの変化が12歳位におき、それまでに獲得できなかった思考回路は、
消滅されていくというような理論です。
使われなかった不要な回路は、邪魔な回路として脳回路から消去されるという理屈です。

私の獲得した「教育論」なので、これを根石さんに押し付けようとは考えていません。

糸山先生の理論をサポートするネイチャーの脳内研究の論文がありますので、
もし興味がありましたらお読みください。

http://homepage.mac.com/donguriclub/nature-vol440.html

私の「12歳という線引き」は、語学の上だけではありません。
私はこの理論を、子育てに関しても同じ気持ちでやっています。

私は、子供が12歳になったら子育てはお終いにしたいと考えています。
(実際は、息子の場合、脳に機能的な問題のある子なので、サポートは必要になってしまいます。
例えばジョブコーチを探すだとか、後見人を見つけるだとか、、)

でも、基本は、12歳以上に対しては、完全に見守る覚悟です。

学校も「おやじ、、俺、高校に行きたいんだけど、、」とお願いされたら「行かせてやる」という気持ちです。
本人が行きたくないのなら「それでいい」と言う覚悟です。
ですが、「行かないのなら、自分の食べる金は稼いでね」という事です。
12歳を過ぎてますから、、。

>「背中を見て育つ」ときの背中の方がはるかに強いと思います。

根石さん、これは正論です。 しかし、「根石さんのような父親の背中」なら見せても良いが、
私の背中はどうだろう? 「この背中は見せられないね」とは、良く家内と話しています(笑)。
見せてはいけない背中もあるのでは?
もしかしたら、世の中見せられない背中の方が多いかもしれませんよ。
どうでしょう?

> この場合の自発性は、十代後半以前にだけ有効な概念だと考えます。
> それ以降は否定性をバネとした自発性や主体性になると思います。

私も根石さんのこのコメントに同意いたします。
ですが、やはり10代前半までの「安定」が大切なのだと思います。
最初に「安定」があるから、それ以降の「不安定」がバネになるのだと思います。
この辺りは糸山先生も根石さんと同じような事をおっしゃていたような気がいたします。

> ただわがままな子供ができるだけになることもあると思います。

ここは私も心配していましたが、それはないと思います。
問題は子供の精神的な満足を早いうちに満たしてあげれば良いという事だと思います。
この辺りの理屈は、佐々木正美先生の「子どもへのまなざし」に書いてあったと思います。
精神面で満たすのは良いのですが、勘違いして、
おもちゃなどを買い与えて満たそうとするケースがあります。
物欲を満たす(おもちゃを買い与える)では、満たされません。

この辺りを理解していないと「わがまま」に育つ可能性は高いと思います。

> 「狙う」必要がなぜあるのかもわかりません。

12歳までに獲得できないと消滅してしまう脳の回路があるからです。

> ピアノ、公文、水泳、英会話、学習塾のすべての首を絞めて殺した上で、
> 素読舎を選び取ってくれる親がまったく払底しています。

はい、本当にその通りだと思います。

> 何を偉そうに言っているのかと自分でも思うのですが、私が偉そうであろうとなかろうと、
> 素読舎というものはそういうものだと思っています。
> それがしかし、食えないのです。

素読舎は、「お受験」をチラつかせないですからね。(笑)
「お受験」の言葉をチラッと見せれば生徒さんは獲得できると思っています。
でも「お受験対策」は辞めたのですよね。  根石さんは、正義の味方ですよ!

> 馬鹿は恐ろしい。見えないのです。

さすが根石さん。 本当ですね。 見えないのです。
で、、この「見る力」の種(たね)を、12歳までにつけておかないといけないようなのです。
脳の中で書き換えの起こる前までにその回路の基礎を作っておく必要があると私は思っているのです。
そうしないと、13歳以降にその回路が必要な時に使えないのです。
育ててもらえていませんから、、。
必要な回路がなければ、答えを見せても、見えない大人になるだろうと私は考えているのです。

根石さんは、ゴミ問題でも声を荒げておりました。
でも多くの人が「見えない」のでは?

学校、塾、受験、行政、すべてが与えられたものであり、
それをこなすだけの受身な生き方をしている人が多いから疑問にも感じないのかも、。
問題点を見ることさえできない人達が増えているのかも知れません。

>12歳までに「やらされている」「こなしているだけ」では、
子供の主体性や自主性が芽生える確立は下がると思います。
>> 確率どころの話ではないと思います。これが子供を殺しています。

ここで共通理解が得られて良かったです。
根石さんならそうコメントしてくれるだろうと確信していました!

殺し方にもよりますが、12歳までに殺された子供の脳は、
後天的学習障害ALDという異常な発達をするケースもあるようですよ。

> 主体的に遊んでいますが、あれは「ゲームに遊ばせてもらっている」のです。
> やっている間は、頭を使わなくて良いから「楽」なのです。
>> 主体的に遊んでいるとは思えません。言葉の遊びになることを恐れますが、
>> 客体的に遊んでいると思います。多分、吉さんも同じことを言っておられます。

ああ、、ありがとうございます。
「自主的」と最初に書いて、、「主体的に遊んでいるように見えますが、」と書き直そうと思ったのでした。
ここでも共通理解ですね。 嬉しいです。

> なるほど。何もない場所での遊び方自体を教えてしまっていないことを願っています。

そうですね。 そこが難しい所なのです。
とりあえず、、
「よごれるでしょ」と言いません。
「あぶないでしょ」と言いません。
「よしなさい」と言いません。
「はやくしなさい」と言いません。

>普段の生活の中で、考えない頭を作っています。
>そして学校の宿題などや、多くの塾でも「考えない頭」を作っています。
>> これは本当にその通りです。

根石さん、、私も見守るだけに徹したいのですが、
ほったらかしておいたら、「考えない頭を作る勘違いした教育」、
「テレビゲームなどの客観的遊び」などに毒されてしまいます。

子供に対する悪害を意識して排除する必要があるのです。
教育者(親)ですから、、。


>語学の道を進むのには、音だけではなく、イメージする力や、ジックリ粘って考える力、なども必要だと考えませんか?
>> それは絶対に必要ですが、それをコーチが作ることはできません。

根石さん、、英語のコーチの私の考えからも、根石さんのコメントに異論はありません。
私も作ることはできないと考えています。
私も生徒さんには、「練習してください」と言う事しかできないのです。

> 考える力は、むしろ子供が一人で遊ぶことを、大人が邪魔しないことでできると思いますが。
> 体を使うかどうかはポイントではないと思います。

はい、、しかし、公園にポータブルテレビゲームを持ってきてやっている子供を見ていると不安になります。

体を使うのは、身体動作のイメージが脳の中にできていないと出来ません。
私の息子は身体の左側を使うのが非常に困難です。脳に身体バランスを困難にする何かがあるのです。
脳の問題は回復したり治癒したりする事はありません。

息子は、自分の身長などもイメージできていませんから、トンネルに入る時も頭をぶつけたりします。
こういう事は、いちいち教えなければいけません。 身体イメージを感覚統合でゆっくりと獲得させていきます。

普通の人が問題なく獲得できる身体イメージですから、大抵の人は殆ど「無意識」でこなします。
私達が何気なくやる動作は、身体動作イメージを無意識に獲得していたのだと息子から学びました。

普段の生活の中にはない動き、例えばキャッチボールなんかは、ものすごい頭を使う事なのです。
相手が幼稚園児ならゆるい球、相手との距離が離れていれば少し強めに投げるなど、、
相手の能力に合わせて取り易いボールを投げる、これらは当たり前のようですが、
いろいろとイメージ操作をして、それを身体運動で再現しているんですね。
主体的に体を動かす遊びから得るイメージ操作は、とても豊富なんです。

テレビゲームでは、身体操作イメージの再現はされません。

> すべての教科は、子供にとって「必要以上の習い事」です。

ありがとうございます。 このように言って頂けて嬉しく思います。
同感です。 悪の根源は「受験」。
それとそれを食い物にしている大手の進学塾だと考えています。
この受験制度が廃止されるか、受験内容の質が上がらない限り、
この日本の子供の考える力は奪われると思います。

> 否定性から身をもたげるものだけが、人間だと思っているからです。

そうですね。 12歳までの「安定」が大切なのだと思います。
その後で「否定性」でもなんでもありだと考えています。

言ってしまうと12歳を過ぎたらテレビゲームだって、私の中では「やっても良い」のです。

根石さんの理屈が通るのは、
12歳までに人間に育ててもらえているかどうかだと(私は)思っています。

> 馬鹿は恐ろしい。見えないのです。

このように根石さんも言いました。
私の解説を読めない(見えない)人達がきっといます。
人を人として育てていない人達がいます。
私は自分の書く解説が誤解を生み、
12歳以下の大切な時期に詰め込み学習をさせられる子供が増える事は避けたいのです。
ご理解ください。
 


【11885】
ゲーム禁止の理由  投稿者:  投稿日:2007年10月17日(水)23時11分52秒    編集済
  連日の長文投稿をお許しください。
すみません、、、語学論の掲示板ですが、どうしても言いたいのです。
失礼いたします。

> 子供は命に関わるとか、家の大黒柱をノコギリで挽く(私の女房がそれをやった)というようなことをしなければ、放っておくに限ります。
> 一歩引いて、見守って、放っておくのが最良だと思います。
> テレビゲームだって、そこから何を引きずり出すかは、子供によってまるで違うでしょう。

子供はほっとけば好きな事に没頭すると思います。
それがテレビゲームやポータブルゲームだったらやり続けると思います。

箱根のロープウェイに乗った時、ゲームをやっている子供がいました。
親は何も言いません。
おばあちゃんが、「外を見てごらん綺麗だよ。なんだいあんた、こんなところでもゲームなんてやって」と言っていました。
私はその子が気になって景色を楽しむ事ができませんでした。
果たして「放っておけ」で良いのでしょうか?
子供を「殺す教育」が存在するという部分では、根石さんと共通理解だったと思います。
子供を「殺す遊び」もあると、考えてみた事はありますでしょうか?

<< 私がゲームを禁止する理由 >>

見せてはいけないものがあると思うのです。

最近のテレビゲームの妙なリアル感をご存知でしょうか?
血の噴出す殺人ゲームをご存知でしょうか?

命に関わらないという理由で、
これをお孫さんがやるのを根石さんが認めるとは到底思いません。

全年齢対象で、ヒーローが活躍するゲームがあります。

正義の名のもとに、敵をバッサバッサと殺しまくるのです。
このゲームが言っている事は、正義という大義名分があれば、殺戮・侵略はかまわないと言う事なのです。
ハッキリ言っていませんが、そういう事です。

どこかの大国も同じような大義名分をかかげて、正義の剣を振るいました。

ゲームで洗脳されていますし、垂れ流しの一方的な情報を「受け取る」だけしかしませんから、
「大国に都合の良い理由」に疑問のカケラも感じない人を作ると思ってしまいます。

このヒーローの活躍するゲームは、都合の良い事に、
ゲームの仮想世界に存在する協会へお布施のようなものを払うと死んだ仲間を生き返らせてくれるのです。
死んだ私の叔父が生き返る? それは嬉しい事ですが、現実にはありえません。

ゲームの中の蘇えりを、この不自然さを、不自然だと感じない人が多いのじゃないかと思うのです。
この私もつい最近までは、何も感じませんでした。 怖ろしいです。 毒されていたのです。

たかが、、ゲームの中の話ではないかと言う人がいるのですが、
それは、現実と仮想の区別をしっかりとできる「人」が語れる話であって、
脳がまだ未発達な子供では、この辺りの区別はできないようなのです。

糸山先生は、バイオフィードバックという理論を使って次のように語っています。

引用開始

バイオフィードバックとマッチングによって人は満足感を伴った
安定を得ることが出来る。
ところが、感覚を伴わない情報だけでは不満足な状態となり、不安定となる。
すると、必然的に本物を<見たい><したい><感じたい>となる。
不安定な自分を安定させるための自然現象である。
ところが、その不安定にしている情報が残酷な物である場合にはどうなるだろうか?
その人は自分を安定させる為に、その情報として持っている残酷なことをバイオ
フィードバックとマッチングで安定させようとする。
幼少時の満足回路、幼児・児童期のバイオフィードバックとマッチングによる学習、
12才までの<情緒-感情-思考-判断>教育が重要な理由である。

●「ボタン1発で敵を倒せる」と脳が判断してしまう。
理屈では違うと分かっていても基本回路作成時期に作られてしまった反射は無意識に
判断を下す。  だから、危険なのだ。
<し過ぎなければ:適度に>は通じない。
幼児・児童期に適度にアルコールを飲ませる人はいない。
ましてや、モルヒネを適度に投与するなんて考えられない。

●分かっても感じなければどうなる?→殺人はいけないけど殺しても何とも思わない
(感じる回路を消滅させられている)→勘違い教育が育てる子供である
感味力→深い理解
思考力→巧みな思考
判断力→人間らしい判断:言動の判断基準

引用終わり

糸山先生が上の文章を書いたずっと後に、次のような事件がありました。

<母親殺害:5月15日12時3分配信>「母を殺しました」。
15日朝、福島県立高校3年の少年(17)が、こう言って県警会津若松署に自首した。
持っていたバッグから、切断された頭部を取り出す。
調べには「誰でもよかった」と静かに話しているという。

この事件は、糸山先生のバイオフィードバック理論が具現化されたものです。

根石さん、、子供がやりたいからと言っても、
子供が見たいと言っても、見せてはいけないものはあると思うのです。

騙し絵というものがあります。

絵の中に人や動物が隠れている絵です。
一見みると少女にみえるのに、もう一つ顔が隠れていたりするような絵です。

影の中にカラスを見つけると、もう確実にそのカラスの存在に気付けます。

一度答えを見えてしまうと、
次からは、かならず絵の中に隠れている物を見つけられるようになります。

人間の脳は、一度見えてしまうと、
どんなに元の状態にしようと思っても見えてしまうのです。
削除できないのですね。

残酷なイメージや、ゲームでの繰り返しによるインプットで強烈に焼き付けられた視覚的イメージは、
子供の頭の中から削除しようと思っても無理なんです。
だって、見えてしまうのですから、、。

だから「見せてはいけない」ものが存在するのです。
ほっといてはダメだという理由はそこにあります。
そういうものを排除するのが教育者(親)の役目だと考えています。
 


【11886】
根石さん  投稿者:村田  投稿日:2007年10月18日(木)04時26分54秒
  日曜日の語数別分類テキストを使った練習について報告です。
・まず先週の復習
 →先週やったところを全部やりました。
  先週てこずったところは、ちゃんとできていました。
  (「もしかして家で復習やった?」と聞いたところやってないとのこと)
  時間はだいたい20分くらいです。

・新しいところ
 →「5−1」まで行きました。
  「2語」〜「3語」の間を行きつ戻りつしていました。
  「4語」あたりが今のところ壁のようです。
  時間は30分でした。

============================================
http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
の方に記事アップしました。
今日はスカイプでやりますか?
 


【11887】
根石さんへ  投稿者:巴里子  投稿日:2007年10月18日(木)08時24分16秒
   明日のレッスン休ませて下さい。急に出かける事になりました。振替レッスン不要です。 よろしくお願いいたします。  


【11888】
巴里子さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月19日(金)20時40分55秒
  承知しました。
振り替えは遠慮なさることはありませんから、今後は検討して下さい。
 


【11889】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月22日(月)03時30分15秒
  いまだ時間がとれません。もうしばらくお待ち下さい。
以下、昨日の日記の転写です。
------------------------------------------------------
07/10/22

 午後1時半起床、脱糞。上山田で蕎麦祭りをやっているから行かないかと妻が言う。孫と娘は先に行っていると言う。行く。蕎麦は400円だが、うまくない。量が少ないので、2つ頼むから、800円になる。蕎麦湯も出ない。これなら、車屋の蕎麦食ってたほうがずっとましだとぶつぶつ言うと、まあお祭りだからと妻が言う。お祭りならまずい蕎麦を出していいってもんじゃない。お祭りならとびきりうまい蕎麦を食わせるがいいと思うが、口に出さずつべこべにとどめ置く。
 帰宅。薪ストーブの煙突が通るダクトを屋根部分に作る。屋根の野地板や屋根材の一文字葺きの鈑金には手をつけず、二階の屋根裏部屋にいて下からやれる作業をやる。屋根材と野地板は一緒に切るしかなく、それをやってから雨が降ったら目も当てられない。屋根材と野地板は天気の確実な日に切り、その日のうちに屋根上を完工としなければならない。工事の途中、夕飯。その後、O君が塾で音づくりをやるのを傍で見る。コーチは村田君。O君の練習が終わり、工事に戻る。夜11時までやり明日に回す。ダクト作りは細かく寸法を出し材を切る作業が多いが、材を切るのは庭、ダクトは二階の屋根裏部屋なので、何度階段を登り降りしたことかわからない。作業量の割に進展が少ない。
 ビール、風呂の後、「住環境に文句のある人々のための掲示板」に「野火」用の記事書き直す。
 http://8430.teacup.com/pillbugtwins/bbs
 掲示板「大風呂敷」に手が回らない。
 


【11890】
村田君  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月23日(火)00時19分29秒
  >「4語」あたりが今のところ壁のようです。

 先日レッスンの様子を見させてもらいましたが、ちょうどそんな感じでしたね。
 小学生の場合は、とりわけ語数別分類が役に立つと思います。



【11891】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月23日(火)02時56分12秒    編集済
  >子供はほっとけば好きな事に没頭すると思います。
それがテレビゲームやポータブルゲームだったらやり続けると思います。

 なるほど。それを子供の nature だと考えないことが大事だと思います。ゲームにひきずり込まれた子供は閉じこめられた場所で広い場所を求めたのだと思います。大人が子供を閉じこめたことが自覚できないだけです。
 小さいものをどんどん生きにくくする性質が、近代以降の文明、とりわけアメリカ発の文明にあると考えてきましたが、いまや小さいものを生きにくくすることにおいては、日本は世界一ではないでしょうか。ごみの溶融炉などはその最たるものですし、都会人たちは溶融炉の存在に気づいてさえいません。真綿で存在の首を絞めてくるその力が、あまりにもゆっくりとじわじわであるために、忙しい都会人は気づく余力もないのでしょうか。
 だけど、ゲームをやっている子供が、「こんな場面を作っているやつって大丈夫かいな。こんなゲームを作るやつの心が心配だ」って気づくことはあると思うのです。誰にでも、批評の芽は立ちます。批評を奪われた子供や大人が犯罪に至ります。境界(中間)に立つことを奪われた者が・・・。
 テレビゲームやポータブルゲームのせいではありません。
 否定性(批評)がきちんと育つかどうかが眼目だと思います。

>箱根のロープウェイに乗った時、ゲームをやっている子供がいました。
親は何も言いません。
おばあちゃんが、「外を見てごらん綺麗だよ。なんだいあんた、こんなところでもゲームなんてやって」と言っていました。
私はその子が気になって景色を楽しむ事ができませんでした。
果たして「放っておけ」で良いのでしょうか?
子供を「殺す教育」が存在するという部分では、根石さんと共通理解だったと思います。
子供を「殺す遊び」もあると、考えてみた事はありますでしょうか?

 「殺す」を形容詞とするなら、「遊び」だけでなく、いろんな名詞が結びつくと思います。子供を殺す考え方、子供を殺す空気、子供を殺す水、子供を殺す沈黙、子供を殺すおしゃべり、子供を殺す交通、子供を殺す遮断、子供を殺す性急さ、子供を殺すのんきさ、子供を殺す叱り方、子供を殺す褒め方、子供を殺す親の悪意、子供を殺す親の善意。
 遊びに殺される子供なら、他のいろんなものに殺されると思います。

>最近のテレビゲームの妙なリアル感をご存知でしょうか?
血の噴出す殺人ゲームをご存知でしょうか?

 私は実はテレビゲームというのをまるでやりませんので、「妙なリアル感」というのがどういうものか具体的にはわかりません。「血の吹き出す殺人ゲーム」に関しては、血が吹き出さなければいいのかとも思いました。「血の吹き出さない殺人ゲーム」というものこそ、日本人の圧倒的多数が生きている会社員生活だと思います。子供はそんなことはわかってしまうのです。あんたらは「血の吹き出さない殺人ゲーム」を隠しているつもりだろうが、まあ言ってみれば、それをリアルなイメージにすりゃ、これだろうがっ、って具合に、ゲームが提供するイメージを選択するのだと思います。
 どういうゲームを子供が選択するかは、親の「血の吹き出さない殺人ゲーム」の隠し方・顕わし方によるのだと思いますが・・・。

>正義の名のもとに、敵をバッサバッサと殺しまくるのです。
このゲームが言っている事は、正義という大義名分があれば、殺戮・侵略はかまわないと言う事なのです。
ハッキリ言っていませんが、そういう事です。

 それは架空の世界です。子供は架空の世界と現実の世界をきちんと区別します。そうでなければ、「ままごと」みたいな高度なゲームができるはずがありません。

>どこかの大国も同じような大義名分をかかげて、正義の剣を振るいました。

 これは現実の世界のことです。だから許してはならないのです。ゲームにつべこべ言って、ブッシュにつべこべ言わないことが問題です。ゲームをとっちめる以上の強度でブッシュをとっちめる言説が欲しいところです。

>ゲームで洗脳されていますし、垂れ流しの一方的な情報を「受け取る」だけしかしませんから、「大国に都合の良い理由」に疑問のカケラも感じない人を作ると思ってしまいます。

 人間がそれほど直線的なものだとは思えません。

>たかが、、ゲームの中の話ではないかと言う人がいるのですが、
それは、現実と仮想の区別をしっかりとできる「人」が語れる話であって、
脳がまだ未発達な子供では、この辺りの区別はできないようなのです。

 子供は区別しますよ。もし子供がそれができない場合は、大人に問題があると思います。子供の脳が未発達であるはずがない。子供の脳は文明に徐々に慣れていくしかないだけであり、未発達だなどとはとうてい思えません。

>バイオフィードバックとマッチングによって人は満足感を伴った
安定を得ることが出来る。
ところが、感覚を伴わない情報だけでは不満足な状態となり、不安定となる。
すると、必然的に本物を<見たい><したい><感じたい>となる。
不安定な自分を安定させるための自然現象である。
ところが、その不安定にしている情報が残酷な物である場合にはどうなるだろうか?
その人は自分を安定させる為に、その情報として持っている残酷なことをバイオフィードバックとマッチングで安定させようとする。
幼少時の満足回路、幼児・児童期のバイオフィードバックとマッチングによる学習、12才までの<情緒-感情-思考-判断>教育が重要な理由である。

 幼児というものは本性からして残酷さを持つものです。それは、人間の文明・文化から眺めるから残酷なのです。情報の残酷さよりも先に幼児の動物性(残酷さ)があります。情報が残酷さを教えるなどというのはとんでもなく話が逆立ちしています。情報は残酷さのパターン(型)を教えるだけで、残酷さはそんなものを教えられる前から、幼児にきちんと備わっています。
 肝心要は、批評が立ち上がるかどうかだと思います。つまり、否定性が立ち上がるかどうかだと・・・。

>糸山先生が上の文章を書いたずっと後に、次のような事件がありました。

糸山先生という人の書いたものを読む気は失いました。この人の思考は直線的であり、心というものがどういうふくらみ方をするのか、あるいはどういうしぼみ方をするのか、その時間性にはまったく触れていない文章です。
文章の質がつまらないと思いました。

><母親殺害:5月15日12時3分配信>「母を殺しました」。
15日朝、福島県立高校3年の少年(17)が、こう言って県警会津若松署に自首した。持っていたバッグから、切断された頭部を取り出す。
調べには「誰でもよかった」と静かに話しているという。

この事件は、糸山先生のバイオフィードバック理論が具現化されたものです。

 このあたりが、実に直線的です。
 こんなことは、昔からごろごろあった事件です。現代では、それが逐一報道されるから、私どもは大騒ぎすることができます。
 この程度の狂気とブッシュの狂気を比べてください。狂気に見えないものが実に狂気です。テレビゲームひとつが問題ではなく、文明そのもの、文明国そのものが狂気なのですから、人の道というのは狂気とどうつきあうかということだと思います。

>根石さん、、子供がやりたいからと言っても、
子供が見たいと言っても、見せてはいけないものはあると思うのです。

 私も見せたくないものは見せません。ただそれだけのことです。「見せてはいけないもの」というふうには考えません。「見せたくないもの」と考えています。「見せてはいけないもの」と考えた場合、いくら親が隠しても子供が友達の家で見たらもはやとりかえしがつきませんね。「見せたくないもの」と考えるなら、「見せたくないもの」「見て欲しくないもの」として持続できます。

>一度答えを見えてしまうと、
次からは、かならず絵の中に隠れている物を見つけられるようになります。

 そんなことは、英単語のイメージ核ひとつでも同じです。当然ではないでしょうか。

>人間の脳は、一度見えてしまうと、
どんなに元の状態にしようと思っても見えてしまうのです。
削除できないのですね。

 全文明はそのようにして進んできました。
 

【11892】
根石さんへ  投稿者:ちえ  投稿日:2007年10月23日(火)16時39分14秒
  こんにちは、ちえです。昨晩は、回線の悪い中のレッスンありがとうございました。
あの状況の中で、ちゃんとレッスン出来て、少し、ホッとしています。
多分、昨日は、家の回線状態が悪かったんだと思います。次回は良い状態であることを
祈るばかりです。

根石さんと、吉さんの記事、とても興味深く読ませて頂きました。
少し、難しくて、判りませんが(いつもこれですみません(^_^;))
2歳と4歳の息子を持つ親として、これから、ゲームを欲しがる時期をどうするか
と、主人と話をしていたところだったのです。

私達夫婦は、ファミコン世代です。と言ってもまだ、初期だったので、クラスの全員が
持っていると言う状況ではありませんでした。また、男の子の方が持っている確率が高く、
女の子は男兄弟が居る家庭のみ、持っている状況でした。
私は、持っていませんでしたが、友達の家へわざわざゲームをさせてもらいに行った記憶があります。(スーパーマリオぐらいしか記憶にありません)
クラスの男の子でも、親の主義で持っていない子は何人かいましたが、なんとなく、友達の輪に入れず、可哀相だな〜。。。と遠巻きに見ていた記憶があります。

そんな、単純な理由なのですが、私は、一日何分、〜をしてから、とか、ルールを決めて
なら、持たせてもいいのではないのでは??と思っています。

が、主人は、僕は絶対反対!!と言います。輪に入れないのなら、持ってない友達と遊べば
いいし、そんな理由で輪に入れないなんておかしい。。。と言うのです。
確かに理想論ですね。

ここ、ハノイでも、小学生は、日本から持ってきたゲームを持って、公園で集まっています。変な光景だな〜と見ています。
吉さんの言われる通り、旅行先でも親が景色を楽しんでいる横でゲームをしている子供が
居るのもよく見かけます。良くないな〜とは思うのですが。。。

でも、根石さんの文章を読んで、ゲームをさせても、させなくても、子供自身、親自身、の
問題なんだな〜と考えさせられました。(上手く言えませんがそう言う事ですよね)
もし、ゲームを持たせる事があったとしても、綺麗な景色を親と一緒に楽しめる子に
育てたいな〜。。。と思います。
それが、結構、難しかったりするんでしょうね〜。

子育ては、本当に難しいです。
根石さんと吉さんの子育て論、とっても勉強になります。ありがとうございました。
(少し難しいですが。。。(^_^;))
 

【11893】
↓の文の訂正です  投稿者:ちえ  投稿日:2007年10月23日(火)16時43分10秒
  すみません(^_^;)変な文章があるので訂正します

(ゲームを)持たせてもいいのではないのでは??→持たせてもいいのではないか??
 

【11894】
ちえさんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月23日(火)23時16分11秒
  すみません、、タイトルが「根石さんへ」となっていますが横槍です。

ちえさん、、私と根石さんの議論に対する反応ありがとうございます。
根石さんとの二人きりの意見のすり合わせがちょっとプレッシャーになっておりました(笑)。

ご主人の言われる事もわかりますし、ちえさんの気持ちもわかります。
DSやPSPを持っていないと友達の中に入れないというお子さんの気持ちもわかります。
実際に持っていないと仲間ができないので、今では必需品のようです。

ご主人もお子さんも含めて「あーでもない」「こーでもない」と話してみると良いと思います。

> 子育ては、本当に難しいです。

あははは、、私も最初はそうだと思っていましたが、
ま、、人間の「生きる力」を信じて「見守る」に徹していれば、
きっとなんとかなるんだと思います。

根石さんも糸山先生も、この発言には同意してくれると思います。

ちえさんありがとうございます。
 

【11895】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月23日(火)23時28分41秒    編集済
  私の気持ちを書かせてください。
当初の論点からズレる事をお許しください。

> 先生という人の書いたものを読む気は失いました。
> この人の思考は直線的であり、心というものがどういうふくらみ方をするのか、
> あるいはどういうしぼみ方をするのか、その時間性にはまったく触れていない文章です。
> 文章の質がつまらないと思いました。

さて、、ここが弱りました。 これは根石さんの気持ちです。
根石さんの持たれた感想です。
これは根石さんの気持ちである以上、私は否定いたしません。

しかし、、正直キツイです。
私にとっては、根石さんも糸山先生もどちらも尊敬する人なんです。
私の尊敬する根石さんが、私の尊敬するもう一人の人物を公然と批判するのは見たくないのです。
これは私の正直な気持ちです。

私の気持ちを書きます。
自分の家族を、尊敬する人に公然と批判されたのと同様のショックを受けました。
この気持ち(ショック)には自分でも驚きました。

私がこの大風呂敷に頻繁に顔を出すのは、
根石さんと語学論で意見の一致、
共感できる部分が多いからだと思いました。
共感できる人の存在は気持ち良いのだと思います。

ですが、その逆に、自分が守りたいと思っているものや、
確立してきた信念のようなものを、
尊敬する人(根石さん)に断ち切られるというのは、かなりコタエます。

Eliotさんがどう感じたかわかりませんが、
「言って欲しくなかった」という気持ちがあったのではないかなと想像します。
今の私がそうですから、、。

私は修行が足りないなと感じました。
自分に対する批判よりも受け入れにくいです。

誤解されるような引用の仕方をした私が悪いのです。
引用させてもらったのは、糸山先生のメモ書きからです。
著書からではありません。
文章の質もなにもない単なる先生のメモ書きです。

糸山先生も「子どもの力を信じろ、見守れ」を一番に掲げているんですよ。
根石さんと同じです。

誤解を与えた発言をしたのならそれは私の文章力の無さです。

ああ、、ここで、私が子供の英語の解説を書くことを
「絶対に引き受けてはいけない」と確信しました。

私の文章を「浸透性がある」と言ってくれた根石さんですが、
それは、根石さんの中に共感できるポイントを含んだ文章を私が書いてきたにすぎないのだと思いました。

「私の文章力ではないんじゃねーか」って事です。
「根石さんにとって共感できる発言が多かっただけではないのかな」って事です。

根石さんの気持ちに共鳴する内容の「語学論」のエッセンスを含んだ文章だから
「浸透性がある」という根石さんの評価なのだと思いました。
この辺りはどう思いますか?

ご理解いただけるのなら、私の気持ちを汲み取ってください。

私の尊敬する根石さんが、
私の尊敬するもう一人の人物を公然と批判するのは見たくないのです。

私は「糸山先生の著書を読んでくれ」と根石さんにお願いした事は、一度もなかったと思います。

私の記述から先入観をもたれたのなら、それは私の責任です。

「私の中で確立されつつある理論です」とも先にお伝えしていたと思います。

私の中で育ちつつある語学論も教育論も私は守りたいのです。

私は何度も「ご理解ください」とお願いしてきました。
12歳という線引きを許して欲しいとお願いしてきました。
しかし、そこの部分の「私」を認めてくださらないでいます。

「根石さんが自分の気持ちを自由に述べる事を否定はしません」
「語学(人生)に正直でありたい」という根石さんの気持ちも尊重いたします。

そこの部分をハッキリお伝えしつつ、
今の自分の気持ちも正直にさらけ出して見せておきます。

当初の論点からズレた発言をお許しください。

この今の私の気持ちをどのように解決したら良いのかわかりません。
困りました。
 

【11896】
吉さん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月27日(土)05時23分47秒    編集済
  >私の気持ちを書かせてください。
>当初の論点からズレる事をお許しください。

 当初の論点にいずれ戻りましょう。

>>この人の思考は直線的であり、心というものがどういうふくらみ方をするのか、あるいはどういうしぼみ方をするのか、その時間性にはまったく触れていない文章です。

>これは根石さんの気持ちである以上、私は否定いたしません。

 気持ちであれ論理であれ、それが存在を続ける限り、誰がどう言葉で否定しても、存在自体を否定することはできません。ですから、吉さんが言葉の上で否定しようがしまいが、それはどちらでも同じです。
 「俺はいる。それは強さということだ」(ランボウ)

>私にとっては、根石さんも糸山先生もどちらも尊敬する人なんです。
私の尊敬する根石さんが、私の尊敬するもう一人の人物を公然と批判するのは見たくないのです。

 糸山先生という人が何を言っている人なのか、実はよく知りません。私は吉さんが引用された糸山先生の文章だけを元にして批判しました。「公然と批判する」ということはごくあたりまえのことではないでしょうか。公然と批判するのでなければ、ただの陰口になりましょう。

>自分の家族を、尊敬する人に公然と批判されたのと同様のショックを受けました。この気持ち(ショック)には自分でも驚きました。

 本当に家族を批判されたと同様であるのなら、混同があると思います。論理が論理を批判することは、ごくごく当たり前のことです。論理が論理を否定するレベルは、家族や生活や気持ちが棲息するレベルとはまったく別のところにあるものです。混同されていると思います。

>私がこの大風呂敷に頻繁に顔を出すのは、根石さんと語学論で意見の一致、
共感できる部分が多いからだと思いました。共感できる人の存在は気持ち良いのだと思います。

 「語学論」は「論」という字がついていますから、論理でやっていこうという志の元にやっています。「共感」というよりも、吉さんと私の間では、お互いの考えを相互の論理に繰り込んでいけると(私が)思ったのです。そこに信頼が生まれました。

>ですが、その逆に、自分が守りたいと思っているものや、確立してきた信念のようなものを、尊敬する人(根石さん)に断ち切られるというのは、かなりコタエます。

 私が批判しようが断ち切ろうが、吉さんの信念が切れなければいいのではないでしょうか。それは吉さんが、自分の言葉を練り上げたり、研ぎ澄ましたりしていくことで決まることで、私の批判などで決まることではありません。

>Eliotさんがどう感じたかわかりませんが、「言って欲しくなかった」という気持ちがあったのではないかなと想像します。

 「言って欲しくなかった」というのは、何を言って欲しくなかったのでしょうか。私が Eliot さんに振るった暴力というものが一つあります。そのために、Eliot さんはこの掲示板に書かれなくなったのだと私は受け止めています。暴力とは、Eliot さんがいつまでも仮名で書かれていることに私がいらだち、何度か本名で書いて欲しいと要望したのに、Eliot さんがぐずぐずし続けた後、私が柴田武史という Eliot さんの本名を掲示板に明記したことです。「音作りへの道」を読まれればわかりますが、これは仮名で記述すべきものだとはとうてい思えないのです。誰はばかることなく本名で書くべき質のものです。それだけの実質を備え、それだけの重みのある実践です。そのことが認識されていないのであれば、自分を軽んじすぎると思ったし、もし認識されているのであれば、一流高校の一流の先生が、素読舎なんぞという馬の骨である塾の掲示板にしきりに出入りすることを世間にはばかられているのかとも思いました。後者であるなら、馬鹿にすんなよと、馬の骨は思ったのであります。前者であれ、後者であれ、暴力が必要だと判断したのは私で、私は柴田さんの本名を明記しました。柴田さんの気持ちを害したとは思っておりますが、私は今でも自分のしたことに責任をとれると思っています。
 論点がずれましたか?

>誤解されるような引用の仕方をした私が悪いのです。

 それはあるかもしれません。引用だけでなく、高校生が母親の首を切った事件を、糸山という人の理論が現実化した事例だと書かれたことに、私が反応したのでした。そんなはずはないのです。もし糸山という人の理論が現実化したのであれば、母親の首を切るような(それと同じくらいの奇妙な)事件は年にいくつかで済むはずがない。理論は普遍性をもっているべきものですから、母親の首を切る(ような)事件が、少なくとも毎日数十件、数百件起こっているべきです。ものごとがそんなふうに直線的に起こっていないのは、「気持ちがふくらみしぼみ、再度ふくらんでしぼむ。しぼんでからまたふくらむ」という時間性(自然性)を人々がきちんと生きているからです。

>引用させてもらったのは、糸山先生のメモ書きからです。著書からではありません。文章の質もなにもない単なる先生のメモ書きです。

 なんで吉さんは、そんなメモ書きを手に入れられるのですか?
 秘書かなんかやっておられて、ご本人の許可なく、メモ書きを「大風呂敷」に公表しちゃったということですか?
 糸山という人が自分で公表してあるのであれば、メモ書きも著書の文も何の区別も要らないと思います。公表してあるのであれば、公表するにあたいすると糸山という人が判断したのであり、そういうものを批判することは万人に開かれています。的外れであるかないかという問題はありますが、公表された文というものは、誰がどのように批判してもいいものです。それがいやなら、机の引き出しにしまっておけばいいのです。出さないラブレターみたいなものとして・・・。
 出してしまえば、好かれようが嫌われようが、それは覚悟の上でのことでしょう。私が好こうが嫌おうが、それを糸山という人にも吉さんにも決めることはできません。糸山さんが、出してしまってあるのですから。ブツが公開されているのですから。(「公開」という点では、ラブレターは違いますね。しかし、今時は、嫌いなやつから来たラブレターは、ネットで公開しちまえというような非情を実行するやからはいるかもしれませんが・・・)

>私の文章を「浸透性がある」と言ってくれた根石さんですが、それは、根石さんの中に共感できるポイントを含んだ文章を私が書いてきたにすぎないのだと思いました。

 「共感できるポイント」に関しては、すでに書きました。私は何度も書いていますが、聞きしゃべるという場面の達者さを鼻にかけ、語学論のひとつも持たないおたんこなすばかりの「磁場帰り」の人たちの中に、吉さんのようにまともに「語学論」に反応する人もいるのだと知ったことが非常に「有り難い」ことだったのです。語の本来の意味です。「ほぼあり得ないことがある」=「有り難いものがある(あった)」という意味です。
 「浸透性」はそれとは別のことだと思います。これは世代的な差も作用していると思いますが、吉さんは一般の人の反応を(セールスのうまい人がわかっているように)よくわかっていて、それは私のごつごつして不親切きわまりないもの言いの対極にある文章だと思ったのです。そのことは、吉さんのホームページを読んでから、私の掲示板を訪れてくれる人が何人もいたことで証明されていると思います。「浸透性」という言葉で言ったことは、そのことです。

>私は「糸山先生の著書を読んでくれ」と根石さんにお願いした事は、一度もなかったと思います。

 糸山という人は「どんぐり倶楽部」とかいうのをやっている方でしたっけか?「どんぐり倶楽部」は別の人でしたっけか?
 不特定多数の人に向けて書かれたのだったか、この掲示板に書かれたどなたか特定の人に向けて書かれたのだったか忘れましたが、多分糸山という人の著書をあげて、吉さんは「是非お読みいただきたい」というようなことを書いておられました。そうか、吉さんがそんなふうに薦める本だったら、いつか読んでみようと、私が勝手に思ったことがありました。そして、先日、読む気を失ったということです。

>私は何度も「ご理解ください」とお願いしてきました。
12歳という線引きを許して欲しいとお願いしてきました。
しかし、そこの部分の「私」を認めてくださらないでいます。

 「12歳という線引き」を許すも許さないもありません。根拠がわからないと言っているだけです。いまだにわかりません。

>この今の私の気持ちをどのように解決したら良いのかわかりません。
困りました。

 そんなに困る必要はありません。批判というものは、誰もが自由に行っていいものです。私にとっては、批評や批判というものは、(日常生活の場面に持ち出さなくても、言葉以前のものとして、つまり、一人の胸のうちに生起するものとして)、日々食べるご飯や味噌汁のようにごく当たり前のものとしてあります。
 私の言ったことがまったく的外れである可能性はあるのですが、批判すべきでない、批評を公開すべきでない、「公然と」はよくない、というような言説はよろしくないものだと思います。

 再度言いますが、当初の論点に戻りましょう。
 

【11897】
ちえさん  投稿者:根石吉久  投稿日:2007年10月27日(土)06時14分54秒    編集済
  >あの状況の中で、ちゃんとレッスン出来て、少し、ホッとしています。

 今度も回線の状態が悪かったときは、同じように私が何度も同じ文を読むことにしましょう。

>が、主人は、僕は絶対反対!!と言います。輪に入れないのなら、持ってない友達と遊べばいいし、そんな理由で輪に入れないなんておかしい。。。と言うのです。確かに理想論ですね。

 「そんな理由で輪に入れないなんておかしい」というのは、理想論ではなく、正論であり、現実的な論理です。この論理が通らないとしたら、それが通らない「現実」がおかしいのです。ご主人に持論を持ち続けて欲しいとお伝え下さい。

>吉さんの言われる通り、旅行先でも親が景色を楽しんでいる横でゲームをしている子供が居るのもよく見かけます。良くないな〜とは思うのですが。。。

 単純化して言いますが、「景色を楽しんでいる親」が正常で、「ゲームをしている子供」が異常なのではないと思います。「景色を楽しんでいる親」というものも、旅(先)というゲーム(様式)を楽しんでいるだけであり、そんなものに調子を合わせて(それがバレないように)よくつきあう子供なんてものの方が将来がよろしくないと思います。
 「良くないな〜」とは思わないのです。もし、私の孫が同じことをやった場合、「おめえ、つき合い悪いな」とは言うかもしれません。「おっ、すげえいい景色」とか言って、ゲームの邪魔をするかもしれません。「うるせえなあ」と言って孫が怒れば、私の自業自得だと思ってそのままにするしかありません。孫が私を遮断する程度に私が孫を遮断してきたということは、私が引き受けなければならないでしょう。「遮断」することも、子供は自分がやられるから覚えるのです。
 さあて、大人どもを「遮断」してやるぞ、と決意しながら生まれてくる子供なんかいません。
 「景色を楽しんでいる親」も「ゲームをしている子供」も、ゲームを楽しんでいるという点では、どっちも同じなのだという観点が必要です。また、旅先でそんなふうに子供に現出しているものは、普段の生活で親が子供を「遮断」していることが多いからだとも思います。

 コメントありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。
 

【11898】
NOVAが更生法申請 社長解任、負債439億円  投稿者:外野。  投稿日:2007年10月27日(土)21時47分15秒
  英会話学校最大手のNOVA(大阪市)は26日、会社更生法の適用を大阪地裁に申請し、同地裁は財産の保全管理命令を出した。負債総額は7月末現在で約439億円。全国の教室は一時、休講する。猿橋望社長(56)を除く取締役3人が25日深夜、臨時取締役会を開いて社長を解任し、更生法申請を決議した。

 NOVAは「駅前留学」などのテレビCMで全国に教室を急拡大したが、受講生へのサービスが追いつかず、経営が行き詰まった。同社には3月末時点で約42万人の受講生がいたが、授業の継続などを含め、影響が拡大するのは避けられない。

 NOVAの保全管理人が26日午後、大阪市内で記者会見する。ジャスダック証券取引所はこの日、同社の上場廃止を決めた。

 NOVAは社長解任の理由として「(経営難に伴う)資金調達や業務提携交渉に関し、猿橋氏から十分な説明がなく、業務執行を委ねるのは不適当」と説明している。

 NOVAは受講料返還をめぐって訴訟を起こされるなどトラブルが急増。受講生の減少で2007年3月期まで2年連続で連結純損失となるなど業績不振に陥っていた。

(共同通信社)
 

【11899】
豪大使館などが講師支援 NOVA問題で異例の措置  投稿者:外野。  投稿日:2007年10月27日(土)21時51分14秒
     英会話学校最大手NOVAが会社更生法の適用を申請した問題で、オーストラリアと英国の在日大使館は27日までにホームページ(HP)に関連情報を提供する専用コーナーを設置、自国出身の講師らの支援に乗り出した。

 日本企業の経営破たんを受け、在日大使館がこうした措置を取るのは極めて異例だ。オーストラリア大使館のHPには、講師が帰国する際の飛行機運賃を同国のカンタス航空が割引することも記されている。

 両大使館とも専用コーナーをHPの目立つ位置に設置し、講師に対するNOVAの賃金支払い状況などを「注視している」としている。さらに支援団体や弁護士らの連絡先などを記し、緊急事態の際は大使館側に連絡するよう呼び掛けている。

(共同通信社)
 

【11900】
根石さんへ  投稿者:  投稿日:2007年10月28日(日)21時46分40秒    編集済
  しかし、、今回は、弱りました。
とても苦しいのです。

特にEliotさんの事が辛いです。
実名公開は、ご本人が納得しての事だと考えていました。

> 暴力とは、Eliot さんがいつまでも仮名で書かれていることに私がいらだち、
> 何度か本名で書いて欲しいと要望したのに、Eliot さんがぐずぐずし続けた後、
> 私が Eliot さんの本名を掲示板に明記したことです。

これには驚きました。
これは根石さんの価値観で行動したという事ですね。
Eliotさんの価値観と「守っている生活」は、無視されたのですか?

私の実名を根石さんが明かすとなると、
私の本業どころか、私の家族の人生にまで影響がでる可能性があります。

そんな事をされたら私は根石さんを絶対許せないですよ。

Eliotさんの気持ちに同情いたします。

以前、、根石さんは、素読舎をクビにした方の個人名も出されていましたね。
私はその時、根石さんの語学論(哲学)に触れた書き込みと認識しましたが、
なぜ個人名を出す必要があるのかわかりませんでした。

ネットという不特定多数の目に触れる場所に、
個人名を出した理由が皆目見当つきませんでした。
根石さん、、相手は公の人ではなく、私人ですよ。

根石さん、、、私が宣伝して「生徒さん候補」がこの掲示板をのぞきに来ても、
根石さん自身が、こういう発言で素読舎の価値を下げる事に気付いた方が良いと思います。

これを異常事態だと見る人もいると思います。
たぶん、そっちの方が多数です。 私は正直言って驚きました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ 根石さんが12歳以下に英語を教える事に文句は言わない
・ その代わり、私は絶対に12歳以下の英語の解説は書きたくない
・ 12歳の線引きは自分の獲得した哲学で、根石さんに押し付けるものではない。

私は、このように根石さんの「小学生の英語指導」を認めた上で、
私の価値観を認めてくれとお願いしていたのです。
私の価値観を根石さんに押し付けたりしないことも伝えました。
何度もそのようにお願いしてきました。

譲れないものは譲れないのですから、
お互いにそこはさっさと認めて、折り合いのつく場所を最初から探そうとしました。
それでも、どちらにも利益はでるとにらんでいました。

私はそのように何度もお願いしていたのに、
根石さんは受け入れてくれませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっとお聞きしたい。

根石さんに裏切られたEliotさんの気持ちが想像できますか?

なぜ私のホームページのアクセス数が増えて素読舎の露出度が上がったのか見えてますか?

私が喜んで「今までどおり根石さんの素読舎を宣伝する」とお考えですか?

根石さん、、私の今の気持ちが想像つきますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

根石さんの語学論(哲学)は、非常に美しい。

これは、今までも言ってきた事です。
それは間違いないのでハッキリと言います。

日本一だと信じています。

そして、恐らくこれからも言い続けていきます。

英語学習でグダグダいうヤツがいたら、
根石さんの語学論から学べと言いつづけます。

やっているのは、私の中で獲得した哲学ですから、
この語学論は守ります。

英語もやり続けます。

語学論(哲学)ですから守ります。

そして、私の獲得した哲学ですから「12歳の線引き」も守ります。

根石さんの気にくわないものがあるのは当然です。
その根石さんの価値観を私は認めます。

根石さんの嫌いな人間がいるのも当然です。
私がその人を好きだとしても、根石さんが「嫌いな人」という事もあると思います。

人間ですからそういう価値観の違いがあるのは当然です。
そういう事も含めてすべて認めます。 根石さんの価値観ですから、、。

しかし、、私の価値観は、何度お願いしても認めてくださらなかった。

根石さん、YESかNOで答えてください。

根石さんは、自分の価値観を否定する人を応援できますか?

自分の尊敬する人を否定する人間を応援できますか?

私は自分の価値観を受け入れてくれない人の応援なんてできないですよ。

私は根石さんの語学論も価値観も認めますが、
自分を受け入れてくれない他人を応援するほど、
親切ではないですよ。

別にこんなのは、哲学でも何でもありません。
私という感情を持つ人間の言葉です。

家族を否定されたような気分になってどうして悪いのですか?
なんで私のその感情を否定するのですか?

根石さん以外の人にもお聞きしたい、
私は何か間違った事を言っていますでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
根石さん、私は辞めさせて頂く事にいたしました。

レッスンも辞めます。 コーチも辞めます。

残念で仕方がありません。
でも、、美しいのは作品(語学論)だったという事です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
申しわけない気持ちで一杯なのが兵庫のMさんです。

兵庫のMさんには、コーチを継続できなくなりました旨をメールでお伝えしました。
10月31日は、最後の指導とさせて頂きます。

しかし、その後のレッスンについては、根石氏とご相談してくださいと、
このようにお話しております。 兵庫のMさんには、先に了解を頂きました。
Mさんと根石さんでその後の予定を調整してください。

Mさん、、お許しください。
この掲示板にはもう来ませんので、何か連絡事項がありましたら、
私にメールを送ってください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<< さいごに皆様へ >>

私のところへメールをくださった皆様、ありがとうございます。
心配して電話をくださった方もいらっしゃいました。
ありがとうございます。

私のホームページを経由して素読舎へたどり着いた皆様。
申し訳ございません。

私の中で確立した語学論(哲学)です。
根石さんの英語指導は、日本で一番だと(私は)思っています。

これは、ハッキリと自信を持って申し上げます。
そしてこれからもハッキリと言い続けると思います。

みなさんは、根石さんのところへ英語を学びに来たのです。
みなさんが受けているのは、日本一の英語指導です。
最高の英語指導が素読舎にあります。
私のこの発言に異論を唱える人があらわれたら全力で守ります。

しかし、皆さん、お許しください。
私は素読舎を辞める事にしました。

私の価値観や考えをみなさんに押し付けるような事はいたしません。
皆さんの読解力でキチンと読んでください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

根石さんお世話になりました。
多くの事を学ばせて頂きました。

村田さん、申し訳ございません。
ありがとうございました。

Naimaさん、、申し訳ございません。
お世話になりました。

Jackieさん、、外野さんの書き込みは、Jackieさんかなと勝手に想像しております。
以前は、しつこく呼びかけて申し訳ございませんでした。
ありがとうございました。