「素読舎」へ
受験英語はすごく役に立つ
受験英語は役に立たないというのがなんとなく通説になっています。受験英語なんかやっても全然しゃべれるようにならないから役に立たないという意見です。
これはとんでもないデマです。英語をしゃべる場合でも、受験英語ほど役に立つものはありません。受験英語は役に立たないと言っている人は、受験英語を中途半端にやった人にすぎません。受験英語を徹底的にやれば、読む・書く・しゃべる・聞くなど、どの方面にも役に立ちます。スピーキングの能力は、英語力という幹から生える一本の枝にすぎません。リーディングの能力も同じように英語力という幹から生える一本の枝です。
うまくやれば、受験英語で英語の太い幹を作ることができます。
枝はそれぞれ別ですが、それぞれの枝の元には英語力という同じ幹があります。
受験英語と学校英語を厳密に区別したいと思います。
受験英語は実力の世界です。
学校英語は成績の世界です。
受験英語は役に立ちますが、学校英語は役に立ちません。
ここで学校英語と言っているものは、中間や期末のテストの点を追いかけるための勉強の科目としての英語です。これは実は英語ではなく、英語みたいなもの、「疑似英語」といっていいでしょう。みんなが英語だと思っているだけで、実は英語ではない。そういうものが、全国の学校の中にあります。元にあるのは、文部省というぼんくらです。
学校英語では、「英語」を日本語に訳させることをよくやります。一方で、学校の授業は「音づくり」がきわめて貧弱です。その結果、まともに読めもしない英語を訳させることになっています。
まず、全員がすらすらと読めるようにするのが絶対的な先決条件なのに、学校は今もこれがまるでできていない。読めもしない英語を生徒に訳させ、文法の説明をしているだけです。そして、アメリカやカナダやオーストラリアから臨時教師を呼んで、スピーキングやリスニングにも対応したという顔をしてごまかしています。
どれだけの中学生や高校生が、アメリカ、カナダ、オーストリアの白人教師によって、英語が話せるようになったというのでしょう。事態は何ひとつ進展していません。惨憺たる結果がすでにあります。これは税金の無駄づかいです。
読めもしない英語を訳させることなど、本当に何の役にも立たない。わかりきったことです。それが学校英語が徹底的に駄目なところです。この学校英語につき従っている多くの進学塾も徹底的に駄目です。読めもしない英語を訳させたり、読めもしない文の文法を説明したり、読めもしない文の文法問題をやらせたりしています。大多数の日本人は学校と進学塾の疑似英語の犠牲者たちです。
その犠牲者たちを食い物にしているのが、英会話学校です。
私はこのところ、毎日のように英語をしゃべって仕事をしたり、英語をしゃべりながら酒を飲み、げらげら笑うようなことをしていますが、そんなことをやって、翌日、寝床でめざめて思うことは、受験英語ほど役に立つものはないということです。
受験英語が役に立たないと言っているのは、受験英語をまともにやらなかった人たちです。受験英語で「音」をおろそかにせず、「音」を通じて文の全体を絶えずインプットし続ければ、あらゆる方面に役に立ちます。インプットを通じて、英語のシンタックスを無意識化・半無意識化するところまでやれば、受験英語でいくらでもしゃべれます。英会話学校なんかに通って何十万ものお金を払って、20個30個程度の挨拶を覚えただけという人は数知れずいますが、そんなことよりも、受験英語で英語力の太い幹を作っておいて、その後、スピーキングなりリスニングの練習をやる方がはるかに実りがあります。
一方、学校英語になんかまともにつきあって、中間・期末のテストの点に一喜一憂していたりすると、英語は駄目になります。
私は短期間の訪問者としてイギリスにいたことがあります。しかし、英語圏の国で長く生活したことはありません。日本語で育ち、日本語を毎日使い、日本語だけで生活してきた日本人です。ただ受験英語を徹底的にやった覚えがあるだけです。リスニングやスピーキングの練習のために英会話学校に通ったこともなく、ラジオ・テレビの英会話の番組を視聴したこともありません。音声をおろそかにせず、発音記号を忠実に音に起こし、ひたすらインプットを続けてきただけです。私がこのところしゃべっている英語の幹は受験英語以外の何ものでもありません。へたな英会話をやるより、まっとうに受験英語でやったものをしゃべった方が、はるかによく通じることを日々実感しています。
受験英語の後は、自分で作った「話体」という会話表現だけを扱った教材でインプットを続けています。この教材は、更埴市稲荷山の「やじろべえ」という喫茶店で毎週火曜日、無料英会話教室を開くために作成したものです。(2000年現在、1回500円の有料になりました)この教材の実際の成り立ちは、「草の根英会話教室をやろう」というタイトルの別のページで紹介しているものと同じものです。
受験英語を徹底的にやる。これが日本で暮らしている日本人には最良の方法です。単に聞き取ったりしゃべったりするためだけなら、英語圏の国で長く生活することにまさるものはありませんが、日本で日本語を使って暮らす人には、受験英語で英語力の幹を作ることが最良です。とりわけ、高校生にはこれを強く言いたいと思います。
いわゆるエーカイワが何が上等なのか、私にはまるでわかりません。エーカイワなどというものは、日本にしかありません。英語学校は世界中にあります。しかし、英会話学校なんていうヘンテコなものは、日本にあるだけです。
英会話学校というものの存在は、なにかがとてつもなく転倒しています。
日本語(SOVシンタックス)と、欧米語(SVOシンタックス)を往来し、意識に交通を開くこと。そのことで、その双方のシンタックスに新しい富をもたらすこと。そのこと以外に、私には語学をやることの意味をみつけられません。用をたすことの次のレベルには、それしかないと思っています。エーカイワが上等なわけではありません。異なるシンタックスを往来すること、そのことでそれまでに自分に不可能だった交通を自分という場所で可能にすること。それが語学です。
いわゆるエーカイワ熱は、お馬鹿さんたちの新興宗教です。
受験生は受験英語をとことんやって下さい。とことんやれば、あらゆる方向にどんな枝も生やすことができます。もちろん、しゃべることもできるようになります。
しかし、いくつかはずしてはならないポイントがあります。それを以下に書いておきます。
--------------------------------------------------
必ずきちんと「音」に起こすこと
これは単純に言えば、徹底して音読せよということです。その時に、将来使える状態の音を作っておくことです。
辞書をひいて、単語を調べるとき、多くの人は目で辞書の字を読み、頭で考えます。辞書に書いてあることで大事なのは、「意味」だと思っています。
意味も大事です。しかし、意味だけが大事だと思っている人があまりにも多いので、あえてとっぴょうしもないことと聞こえることを言いましょう。
辞書に書いてあるもので一番大事なのは、発音記号です。
辞書をひいて、調べたい単語を見つけたら、まず発音記号を正確に音に起こしてください。日本語にない音は特に意識的に口の筋肉を動かして、自分の口の筋肉を鍛えるつもりで、正確に音に起こしてください。初めは何回かゆっくりと丁寧に発音し、音のつながりがわかったら自然な速さで何回も何回も発音してください。この場合、気をつけることは、必ず「文全体」を繰り返し繰り返し実際に声に出して読むことです。初心者は100回以上、中級者は50回以上、英語に慣れた人でも10回以上は繰り返して読みます。
その場合、日本人が気をつけなければならない音がいくつかあります。
このあたりのことを日本の学校はちゃんとやりません。
素読舎は、日本の学校・進学塾・英会話学校から欠け落ちていることに焦点を合わせたレッスンをしています。「電話でレッスン」のページをお読み下さい。
辞書をひこうが、問題集で文法問題をやろうが、単語だろうが熟語だろうが単文だろうが、長文のひとつひとつの文であろうが、いつもまず最初にやるべきことは、正確に音に起こすことです。ゆっくりと正確に音に起こしたら、その後は、意識になじんできている一連の音を壊さないように少しずつスピードを速めながら、何回も何回も(10〜50回以上。完全に覚えたければ100回以上)、それを繰り返し言い続ける(読み続ける)ことです。
気をつけるべきコツは、機械のようにならないことです。
何回も同じ文を言い続けていると、口だけが動いて、心が動いていないという状態におちいりがちです。
辞書で一つの単語を調べると、いくつもの意味が書いてありますが、そんなことは恐れる必要はありません。一つの単語の元になるイメージはそんなに多くはありません。たいていは、元になるイメージはひとつかふたつです。「必要な・不可欠の・必須の・・・・」などと語義が並んでいたら、その英単語を繰り返し繰り返し発音しながら紙に書いて、それらの複数の日本語の意味を煮詰めて、「ひとつ」のものに感じられるようになるまで心を動かしてください。いくつかの日本語の語義を煮詰めて、ひとつの「イメージ」を作り出すのです。イメージはくっきりしているほどいいのです。これは一種の呪術です。語学は呪術の末裔です。
イメージをくっきりと自分の中に作ることをやらないと英語は使える英語になりません。イメージをくっきり作り、イメージを直感化します。この時に、文法的理解などが媒介にされます。理解は大事です。しかし、理解だけが大事なのではありません。理解した後に、文全体が音として体に残るかどうかがポイントです。これを外すと、点はとれるが使えない英語ができてしまいます。
一つの文に含まれている未知の単語や、未知の用法、未知の熟語などを調べるたびに、ていねいにこれらの呪術を施してください。
まずはイメージがくっきりするまで、言い続けることです。できれば、書きながらさらにイメージをくっきりさせます。とにもかくにも、正確に発音記号で音に起こし、それを深く自分の中に沈めるつもりで言い続け、書き続けることです。
一つの文に含まれている単語や熟語などについて、これらの作業を終えたら、その文をわざとゆっくりと読んでみます。英語の単語の並ぶ順番通りに意識を動かし意味を生じさせます。これをていねいに何回か繰り返してください。意味がとぎれそうになったら、読むのを停止して集中して考えるだけの時間が生じるでしょう。それでかまいません。何回かやっているうちに、ある程度の速度をともなって、日本語を媒介しなくても、英単語をたどることで自分の中に意味が生じるようになります。
「ある程度の速度」をともなって、「日本語を媒介にせず」、「イメージだけで」、英文を理解しようと意識的に意識を使役して下さい。そして、「ある程度の速度」をわずかずつ速めていって下さい。この練習で、英語のシンタックスに慣れることができます。
英語とイメージの間の往復があるだけで、日本語を使わなくても意味がとれている状態を意識的に作って下さい。徐々に「意味をとる(イメージを駆使する)」速度を速めていって下さい。
イメージこそが中心にあるものです。イメージ自体は、英語でも日本語でもありません。しかし、英語にも日本語にもなれるものです。
日本語をしゃべっている人は、日本語とイメージの間を往復します。
英語をしゃべっている人は、英語とイメージの間を往復します。
イメージと英語の間の往復だけがある状態を自覚的に作って下さい。
英語と日本語を往復するのではありません。
日本に住んで、英語をしゃべったりすると、実際は英語と日本語の間も往復することになりますが、語学の練習課程では、英語とイメージの間だけを往復するようにしないと練習になりません。
一瞬日本語を媒介にしないと、意味の流れがとぎれることもあります。その場合は、日本語を媒介にしてもかまいませんが、それもほんの一瞬で次の単語を読むことに移れるようになるまで、繰り返し読みます。英単語のイメージ、熟語のイメージだけをたどって、日本語を媒介にしなくても意味の流れが生じるようになるまで練習して下さい。この過程をていねいにやってください。
もっと慣れると、かなり速いスピードで言っても、ちゃんと意味がとれるようになります。日本語を媒介にしていなくて、速いスピードでも意味が生じているような状態まで読み込んでください。
以上のことをていねいにやってみて下さい。ただ頭で考えるのではなく、いつも声を使って実際に音読しながら勉強します。
多くの受験生にとって、このやり方はこれまで自分がやってきたものと違っているでしょう。私の塾に来る子供も、放っておけば学校英語や受験塾の悪いやり方をやります。受験英語でも、英語と日本語を往復するのではなく、英語とイメージの間だけを往復するこのやり方に切り替えてください。通じる音を作るために、いつも必ず声を出して、はっきり音を作りながら、英語とイメージの間を往復して下さい。目で見て、頭で考えるだけのやり方は、英語のやり方としては駄目なやり方です。
この方法を採用してみて、それまでと何がどう変わったかなどメールくださればありがたく思います。メールで質問していただくのもかまいません。ただし、私は多忙のため、すぐにはご返事できないこともあります。また、他の人の役にたちそうな質疑応答は、このページからリンクさせる「受験英語・質疑応答」というページを新設し、そちらに転載させていただくことがありますのでご承知ください。その場合は、県名と氏名のうち氏だけを転記させていただきます。その他のプライバシーに関してはホームページ上では決して公開いたしませんので、この方法を採用した場合の途中経過などのメールをどうぞお寄せください。
個々にご返事を書かず、ホームページ上でメールに応答するだけにする場合もあります。私はなかなかなまけものですので、このホームページの更新はそれほど頻繁ではありません。それでも、メールを出したのに返事がこないぞという場合は、このホームページをチェックしていただくようにお願いいたします。
メールアドレスは以下の通りです。
ax9y-nis@asahi-net.or.jp
「素読舎」へ