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控えめな日本人のための激しい主張



素読舎月曜「英会話用インプット専用教室」

 日本語はOV文型です。「りんごを食べる」が普通の語順です。
 英語はVO文型で、「食べるりんごを」という語順です。

 さらに、時制の決定因、論理にとってはもっとも重要だと思える肯定・否定の決定因、平叙文か疑問文かの決定因が英語では文の最初の方で明示されるのに対して、日本語では文末に来ます。

 "eat" an apple  りんごを食べ「る」
 "ate" an apple りんごを食べ「た」
 (時制の決定因が英語では前にあり、日本語では後にある)

 "Do" you eat an apple? リンゴを食べます「か」
 (疑問文成立の決定因が英語では前にあり、日本語では後にある)

 "don't" eat an apple リンゴを食べ「ない」
 (否定文成立のの決定因が英語では前にあり、日本語では後にある)

 これらは、単に文の語順が違うというだけのこととは違います。

 これが違うと、考え方そのもの・感じ方そのものが根本的に違ってしまいます。日本人が英語で苦労することの本当の原因は、日本語の構造そのものにあります。普段の生活を日本語で営んでいることにあります。日本語の構造が日本人に無意識化されているためです。

 日本人が「控えめ」であるのは、日本語の重要な決定因が文の最後に来るためだと私は考えています。決定因が文の最後に来る言語で育てば、相手の話は最後まで聞くという心性が育ちます。「ものごとは最後まで聞かなきゃわからん」というのは、日本語の構造であると同時に、日本人の「控えめ」という性質をも言い表しています。

 単に語順の違いにとどまらず、言語の立体的な構造の違い、それが作り出す人々の心性の違い、さらにそれが作り出す文化の性質の違いというものが、英語圏(広く言って欧米語圏)と日本語圏(もう少し広く言って日本語・韓国語・モンゴル語系)の間に厳然とあります。

 日本語、韓国語、モンゴル語の間に構造の同一性が見られることについては、人にたずねたりして確かめましたが、その他のアジア・アフリカの言語については知識がありません。ご存知の方はお教え下さい。

 よく観察していただけばすぐにわかることですが、日本にあるぺらぺら英語というものは、多くがアメリカ帰りのアメリカ英語です。アメリカ帰りのアメリカ英語にすぎないと言ってもいいのです。これは、極端に言えば、日本語を殺して獲得した英語です。

 アメリカでアメリカ英語を獲得するのは、それほど難しいことではありません。なぜなら、日本語から切断されて生活が成り立つからです。日本語で生活しながら英語を獲得することこそが、実は本当に難しいことなのです。

 しかし、日本のことを本当に説明できる英語は、日本で暮らしながら獲得された英語でなければ駄目だと私は考えています。これも極端な言い方ですが、アメリカ帰りのアメリカ英語では、アメリカ人が日本を観察するように日本を観察することしかできないのです。

 日常を日本語で暮らしながら、保持される英語は宝石のようなものです。 
 素読舎はこの宝石を作りつづけてきた塾です。
 素読舎で育った人たちには、日本に暮らし続けながら、英語で仕事をしている人が何人もいます。日本に渡ってきた外国人が必要なものも、また日本人が外へ出かけて、日本のことを言うために本当に必要なものも、日本で育った日本の英語でなければ本当は駄目なのです。

 アメリカ帰りのアメリカ英語も、日本の英語として育つ道はあります。普通の日本人と普段のつきあいをしていると、アメリカ帰りのアメリカ英語はすぐに錆びつき始めます。この錆に抗して保持され続けるなら、アメリカ帰りのアメリカ英語は、少しずつ目に見えず抵抗素を持つようになっていきます。日本語の感覚の影響を絶えず受け続けて、独特な英語になっていきます。この英語こそ、日本にとっても世界にとっても必要な英語のひとつです。

 ジャパニーズ・イングリッシュだなどと、自分で自分を馬鹿にしていたのではいつまでたっても、日本の英語は駄目なままでしょう。ジャパニーズ・イングリッシュこそ、日本人がどんどんしゃべるべき英語です。日本で使われる英語だから、ジャパニーズ・イングリッシュです。何の卑下が必要でしょうか。崩してならない基準は、単純なものがひとつあるだけです。通じればいい。通じなければ駄目。ただそれだけです。

 アメリカ帰りのアメリカ英語がもてはやされ、日本で育った「もどかしくも誠実な英語」、つまり日本英語が馬鹿にされているようではどうしようもありません。しかし、人々の意識は、そのような形に汚染されています。この汚染からまぬがれている人は本当にわずかいるだけです。

 日本人が日本的な英語をしゃべることは、英語を豊かにしていることなのです。この観点を外して、アメリカ人のようにぺらぺらしゃべるのが上等だと考えている人達は倒錯しています。

 しかし、それにしても、日本語で生活しながら英語を保持しつづけるのは大変なことです。アメリカ帰りのアメリカ英語がただの石だとすれば、日本語で暮らしながら保持される英語はまことに宝石のように稀なものです。

 極端な言い方をすれば、日本語と英語は、抗生物質と黴菌の関係にあるとも言えます。日本語で暮らしている人の英語は、日本語という抗生物質のせいで、簡単に死んでしまう菌のようなものです。

 アメリカに渡れば、これが逆転します。英語が抗生物質になり、日本語を殺します。現に、日本に帰ってきて、アメリカ英語を「ぺらぺら」しゃべっている人たちは、アメリカで日本語を殺したり殺されたりした人であるはずです。日本に帰ってきて、日本語で暮らし、なおも英語を保持しつづけることを始めたとき、初めて日本の英語がその人の中に育ち始めます。

 これらの日本語と英語の根底的な構造の違い、そこから生じる日本人に特有の困難が、ちまたの英会話学校にはまるで見えていません。ですから、英会話学校に通っても何の成果もなかった人がごろごろしているのです。

 また、英会話学校に通えば英語をしゃべれるようになると考えて、大金を払ってだまされた人たちは、自分がだまされたとは思っていません。英会話学校は、日本人に特有の英語獲得の困難に口をぬぐって、成果のないことを個々の能力のせいにしておけば、いつまででもごまかしを続けることができます。幻想だけを振りまいていればいいのです。本当は、個々の能力のせいではなく、日本語と英語の間にあるとてつもない断層を方法的に乗り越えられないから、日本の英会話学校は駄目なのです。

 この断層を乗り越える方法がひとつあります。インプットを継続することです。おそらく、日本に暮らしながら、英語を獲得し、英語をしゃべるに至るには、これ以外に有効な突破口はみつかりません。

 素読舎はインプットの方法として素読をもっています。
 暗記を強要しませんが、最終的には非常に多くのものが自然に暗記されている状態を作り出すことができます。絶えず、文まるごとをインプットしていきますので、英語のシンタックスが自然に身体化されていきます。シンタックスが獲得されれば、例えば、千の文は、そこに含まれる単語・用法の順列・組み合わせによって、何千もの文を作り出すようになります。

 英会話は風邪じゃないからウツリマセン。
 いくら長くガイジンのいる教室に通っても、ウツリマセン。
 ガイジンが風邪をひいていれば、風邪はウツリマス。英語をしゃべる能力は絶対に絶対に絶対にウツリマセン。

 やるべきことを継続しなければ駄目です。
 やるべきこととは、インプットです。
 入れてないものは出てきません。

 インプットを継続することなく英語をしゃべろうとするのは、何も食べずにうんこをしようとするのと同じです。いくら力んでも、どうにもなるものではありません。

 何も食べずにうんこをしようと力んでも、屁なら出るかもしれません。
 ですから、カルチャーオババたちが、英会話学校に通うことは屁みたいなものだと思っていれば、それで正解なのです。

 素読舎にあるのは、英会話教室ではありません。
 素読舎にあるのは、「英会話用インプット専用教室」です。
 月曜日、夜8時半から1時間半の練習が行われています。 
 日本に暮らし、日本語で生活する人のために特別に考えられた教材と方法が素読舎にあります。現在、月額5000円です。これは、英会話学校と比べたら非常に安い額です。素読舎の塾長と、アメリカから来たウドというガイジンさんと二人でやっています。

 これまで何をやっても駄目だった人におすすめします。

 素読舎は、ちょっと通えば楽しくすぐに英語がしゃべれるようになるなどという詐欺は申しません。素読舎が提示するのは次のような基準です。

 まずは、素読舎作成の「話体」という教材の番号で、おおよそ千の文をインプットしていただきたい。それが終わったあたりで、英会話はよちよち歩きができるようになります。自分なりの英語をしゃべり始めることができるようになります

 自分なりの英語がしゃべれると何ができるでしょうか。逃げ道が作れます。相手がしゃべったことが全部はわからなくても、自分の英語で、お前が言ったのはこういうことかと聞き返すことができます。そうすると、イエスとかノウとか非常に単純な返事が来ますから、話が続いていきます。逃げ道とはいうものの、これは、日本人同士が日本語でも普通にやっていることですから、ごくあたりまえのやりとりです。語学的には逃げ道かもしれませんが、言語による交流ではあたりまえのことです。

 まずは、千の文。そして、逃げ道を作れるようになること。それができるようになると、やりとりができ、話が続いていくようになります。その後はどんどん上達していきます。

 一口に千の文と言いますが、これは自分一人でインプットを継続するのは困難ですし、「通じない」音を作ってしまうおそれもあります。素読舎の素読という方法を試して下さい。素読という方法でやると、暗記を要求されることはありませんが、最終的に非常に多くのものを自然に覚えてしまいます。

 千の文をインプットすること。頭の中で文を組み立てるのではなく、文をまるごとひとかたまりで言えるようにすること。ひとかたまりとして口から飛び出してくる文を千持つこと。

 これがなければ、よちよち歩きさえできないのです。

 ガイジンのいる教室に行けば、風邪がウツルように英語をしゃべる能力がウツルかもしれないなどという迷信は、ただちに破り捨てていただきたい。自分でやるべきことをやらなければ駄目です。そのための練習方法と、そのために特化した教材が素読舎にあります。

 英会話用インプット専用教室は、やるべきことをやる覚悟のある人に使っていただきたい教室です。


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