過去の記事一覧


801 音が感情になるノンネイティブ 投稿者:ST  投稿日: 8月31日(金)18時12分12秒

感情が音となってほとばしるのがネイティブ、
音に感情をつけることで表現しようと必死になって試みている私(ノンネイティブ)
面白いなあと思いました。この根石先生おっしゃる「逆ベクトル」というのがどんでん返しの「仮構力」ということでしょうか?回転でモメントが必要ということなのでしょうか?


802 音作りへの道を読んで 投稿者:ST  投稿日: 8月31日(金)18時34分34秒

エリオット先生>授業で英文和訳はまったくしません。

国弘先生の英語の話し方?という本の中でしみずかつぞうという方が予備校で日本語訳を生徒に配布しておられる話はきっとエリオット先生はすでに読んでおられることと思います。私も勤務校で配った事もありましたが他の先生方からやめてほしいと言われた事もあります。翻訳についてエリオット先生の言われているように最初から分かっている生徒には2度手間、分からない生徒にとっては内容の分からない日本語をきくことになる?ということで無駄というのは分かるのですが、生徒によってはトップダウン型で理解しているような生徒にとっては日本語訳も尊重してもよいのではないかとも思うのですが、その点はどうでしょうか?


803 基本英文700選 投稿者:Eliot  投稿日: 8月31日(金)18時41分36秒

ST様

以前回転読みのテキストとして基本英文700選をやっているということをお書きになっていたように思います。そのテキストは駿台文庫の基本英文700改訂版(鈴木長十、伊藤和夫著)のことでしょうか。私はその本を見たことがないのですが、以前ある本でその本のことをけちょんけちょん批判した記述を見たことがあります。要は、英語が間違いか不自然なものが非常に多いという批判でした。その批判の本を今持っていないので、具体的なことは書けないのですが、もしSTさんがお使いの本が駿台文庫の700選ならば、オーストラリアの人に本に記載の英文を見せて感想を聞いてみていただけませんか。ちょっと興味がありますので。

それから、私が教えている生徒たちは現在中学3年生です。

804 英文和訳 投稿者:Eliot  投稿日: 8月31日(金)19時08分07秒
ST様

和文英訳をしないというのは、英語のまま理解せよとかいうのではありません。私は、初学者が教科書の英文の意味を理解するのに日本語を使って悪いとは全然思っていません。私がいう「和文英訳をしない」という意味は、ただ、授業中に教員が生徒を指名し、その生徒が教科書を和訳するの"

805 エリオット先生、早速のレスありがとうございます! 投稿者:ST  投稿日: 8月31日(金)20時31分12秒
エリオット先生>和文英訳をしないというのは、英語のまま理解せよとかいうのではありません。私は、初学者が教科書の英文の意味を理解するのに日本語を使って悪いとは全然思っていません。私がいう「和文英訳をしない」という意味は、ただ、授業中に教員が生徒を指名し、その生徒が教科書を和訳するのをクラス全体で聞き、そのあと教員が生徒の和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し(多くの場合、この際に文法的説明が入り、板書などもされますね)、生徒はノートに正しい和訳を書くという作業をしないということです。そんなことをしていたら音読の時間や暗唱発表の時間が取れません。

ST*私がやってきたのはまさにこの「害あって利なし」の授業形態とほとんど変わりません。クラスを一人でもたせてもらった時に和訳を配布して教師がどんどんエリオット先生のぶつ切り訳のプリントを口頭で説明してろくに音読練習せずに消化不良になっていたとも思います。自分を変えたいと思っています。そのためには私は根石先生やエリオット先生や浜谷先生も足元にも及びませんがまず自分が回転読み回転書きを「音とイメージの同致」も含めて実践しなければと思い現在電話でレッスンを続けています。今後ともよろしくお願いします。

エリオット先生>中学校の教科書の英文程度のものでしたら、教科書ガイドに載っている全文訳を読み、教科書準拠のワークブックの説明や問題を通して、そして音読と暗唱を通して、その意味を理解することは十分可能であり、授業時間を何十分も割いて、生徒に和訳をさせるのは時間の無駄だと考えたのです。

*特に進学校でなくとも中学生レベルなら大抵の生徒はその意味は容易に理解できるのではないかと思います。
@presentation→Apractice→Bproductionというプロセスで流れを考えると@はエリオット先生が言われるようにあれこれ説明するよりしっかり聞かせる機会をたくさんつくる方が絶対にいいと私も思います。Aもエリオット先生は最大限時間をとられているようで、私もしっかりとまず自分が学びそして教育の場で実践していきたいです。学年が進むにつれてBもすこしずついれてもいいような気もしますが実践への道で書かれているように」英会話などの「別枠の」授業があって擬似的であっても生活英語に近い形でproductionできる場は学習のはげみにもなると思います。あくまでも語学と切り離した場が必要なのですね。これは根石先生がいつもいわれていることだと思います。

エリオット先生>和訳といっても、英文の前や後ろを(=左や右)を行ったり来たりしてきれいな和訳を作ってこいというのではなく、根石さんのおっしゃる「切断読み」のように、意味のかたまりごとに英文を区切ってタイプしたプリントを配布し、chunkごとにその下に日本語を書けという宿題です。その際強調するのは、必ず適切な助詞を補い、その語句の文中での機能が明らかになるように書いて来いという点です。

ST*これはいわゆるスラッシュリーディングというものに近いのではないでしょうか?私もぶつ切り訳のついたプリントを作ってみたことがあります。左がわに英語と日本語のぶつぎり訳、右側に日本語のみのものをつくりこれをみながら暗唱させることを夏休みの課題としたこともあります。

エリオット先生>まるでお経を唱えるように音読をして暗記するような者たちもやや目に付き始めましたので、2学期からは生徒全員に和訳をしてくることを宿題として課すことにしました。

ST*お経を唱えるように」という部分は根石先生はたぶんそれでもよいからとにかく5回連続なり10回連続(これが技法グラウンドという名前で根石先生は呼ばれているようです)で音読できるようにすることがまず先決だと言われるような気もするのですが、その部分についてはエリオット先生はどのようにお考えでしょうか?今まではとくに常識とされてきた「音読は意味がわかってからでないと効果がない」という部分についてです。私はこれは正解であり不正解という感じがしています。学習者により答えが違うような気もしているからです。私自身は高校時代はどちらかというと「意味が分からなくてもとにかく音読していた。音に興味があったから」ということになります。基本英文700選と映画ゴーストで根石先生のレッスンを今受けていますが、最近になってすこしずつイメージが前から前からもてるようになってきた感じがするのです。だから「意味が分からなくても」音読するということは全く無駄だとは思えないのです。しかし国弘正雄先生は無駄だと言われているようです。そのあたりも含めてぜひエリオット先生のコメントを頂ければ幸いです。


806 しょうもないこともたくさん 投稿者:ST  投稿日: 8月31日(金)20時40分35秒

エリオット先生>以前回転読みのテキストとして基本英文700選をやっているということをお書きになっていたように思います。そのテキストは駿台文庫の基本英文700改訂版(鈴木長十、伊藤和夫著)のことでしょうか。

ST*そのことです。

エリオット先生>私はその本を見たことがないのですが、以前ある本でその本のことをけちょんけちょん批判した記述を見たことがあります。要は、英語が間違いか不自然なものが非常に多いという批判でした。

ST*不自然なものが多いというのは私も何かで読んで知っていました。しかしあえてこれを私が電話でレッスンで選らんだのは構造の基礎が文語体も含めてかなりの程度体系的に学び直せると考えたからです。

エリオット先生>その批判の本を今持っていないので、具体的なことは書けないのですが、もしSTさんがお使いの本が駿台文庫の700選ならば、オーストラリアの人に本に記載の英文を見せて感想を聞いてみていただけませんか。ちょっと興味がありますので。

ST*すでに3人の人に聞いてみています。
aさん;60歳くらい女性主婦 これはいつも使っている表現がおおいね。
Bさん;55歳くらい男性、ハイスクールの校長先生 結構 陳腐な表現もあるね。
Cさん;50歳くらい男性、元教師うん。つかう。つかう。でもたまに私達が使わないものもあるね。

エリオット先生>それから、私が教えている生徒たちは現在中学3年生です。

ST*すみません。音作りへの道をしっかり読んでいればわかった質問でしたね。余計なことを聞いてすみませんでした。


807 書いていますがこれからもよろしくおねがいします。 投稿者:ST  投稿日: 8月31日(金)20時41分35秒

すみません。題が中途半端でボタンを間違って押してしまいました!


808 英文和訳 投稿者:浜谷  投稿日: 8月31日(金)21時24分35秒

Eliot様

>英文和訳 投稿者:Eliot  " "投稿日: 8月31日(金)19時08分07秒

ST様

和文英訳をしないというのは、英語のまま理解せよとかいうのではありません。私がいう「和文英訳をしない」という意味は、ただ、授業中に教員が生徒を指名し、その生徒が教科書を和訳するのをクラス全体で聞き、そのあと教員が生徒の和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し(多くの場合、この際に文法的説明が入り、板書などもされますね)、生徒はノートに正しい和訳を書くという作業をしないということです。そんなことをしていたら音読の時間や暗唱発表の時間が取れません。

いつも興味を持って拝見させて頂いています。将来の学校教育において先生のおやりになっている英語教育が主流になることを願っている者です。根石さんが「全国の中学、高校の英語教師に告ぐ」という趣旨のメッセージで先生の書き込みを読んで頂きたい旨掲示板上で仰っていましたが、同感で、出来るだけ多くの中学、高校の英語教師に読んで欲しいと思いました。

ところで、本文の「和文英訳」というのは「英文和訳」のことでしょうか?それから「和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し・・・」は「・・・再度英語に訳し・・・」ではないでしょうか?

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


809 訂正です 投稿者:Eliot  投稿日: 8月31日(金)21時49分12秒

浜谷様
ST様

「和文英訳」⇒「英文和訳」
「和訳をなぞりながら、再度日本語に訳し」⇒「和訳を吟味しながら、模範和訳を口頭で生徒たちに与え」

妻が早く夕食を食べてとせかすものですから、あわてて投稿してしまいました。失礼しました。


810 浜谷先生へ 投稿者:ST  投稿日: 9月 1日(土)09時04分16秒

Oさんへ返事をかいておきました。ただホットメールとかいう住所をもらったのでちゃんと届いているか不安です。私からのメールを読んだかどうか聞いておいていただければ幸いです。


811 全国の英語教師の音作りに対する目覚め 投稿者:ST  投稿日: 9月 1日(土)10時14分56秒

根石先生>全国の学校の先生たちに向けて、「音づくり」「音読」の効果を知らせていかれてはどうでしょうか。「音づくり(音読)によるインプット=基礎づくり」です。

ST*エリオット先生が音作りを最初にしっかりやられたために、生徒さんが偏差値30台という試練を乗り越えて大きく飛躍することを切に願っているものです。インプットを通してアウトプットの練習をひたすら続ける事は本当に大変なことですが、後の加速度的な伸びが大きく期待できると思います。さらに実際に数字で証明できたらこれは本当に日本の英語教育を根幹から変える大変なことになると思います。エリオット先生ののなされていることは決して優秀な成績をとる生徒達のためのものだけではないと思います。現在エリオット先生は比較的というかかなり優秀な生徒さんを教えておられるようですが、これがある程度目に見える形で伸びを示した時本当にたいへんな、英語教育界全体にとっては「革命」ともいえることになるのではないかと思います。自分達が習ってきたやり方で教え続ける日本人英語教師の間で大きな意識の変革が期待されます。しかしそういうことを堂々と言えるのは一部の大変優秀な英語教師のみかもしれません。音に固執するばか者のたわごとと取られてしまう可能性が大きいと思うからです。エリオット先生や根石先生はお釈迦様のような方です。こういった優秀な方々にまず頂上を目指していただき、登山道ができた時点でそこに続く方が一人でも増えることを私は望んでいます。せめてそこに私も少しでも早めに登りはじめたいと考えています。私も今後最大限努力していくつもりですが、まだまだ私には力がありません。今34歳ですが、30代のうちになんとか通訳ガイド国家試験やTOEIC900点の壁を突破したいと思います。というか資格にこだわっているうちはまだまだ中級の真っ只中ということになると思います。もちろん私もやります。しかしエリオット先生や根石先生に期待する部分はたいへん大きいのです。


812 うむうむ 投稿者:ダジャレー夫人の恋人  投稿日: 9月 1日(土)14時38分42秒

ST様

『パール・バァーバァー』ご覧になったんですか。
オーストラリアの片田舎にもロードショー館があるのですね。
この映画、日本では新聞などの映画批評で糞味噌にされまくっています。
とはいえ、観客動員数はいまだ衰えず、とのこと。

わたしもダジャレー夫人といっしょに観ました。
たしかに恋愛物語としては型にはまった陳腐なものでした。
ダジャレー夫人も同感で「いっそのこと、わたしたちみたいな不倫ものにすればいいのに」と
口走りました。そうだねと頷くくわたし。
とはいえ、無防備な米国ハワイ上空を、傍若無人に飛び回る日本軍の航空機350機が爆弾を
落とし攻撃するシーンは、なぜか痛快な感情を持ったことも、たしかです。
たぶん世界の警察官アメリカに、わたしが多少の違和感を覚えているからでしょう。

STさんは、どう思われましたか。


813 本来の・・・ 投稿者:ダジャレー夫人の恋人  投稿日: 9月 1日(土)14時40分59秒

引用は、いいんよぉー。


814 pearl harbor 投稿者:ST  投稿日: 9月 1日(土)21時18分33秒

I can't write in Japanese language in this computer. Bull shit!

>『パール・バァーバァー』ご覧になったんですか。
go ra nn ni na ri ma shi ta yo... I saw this movie in Wonthaggi, which has only 7000 people. I was surprised to find the movie theater in such a small town. It is not a true movie theater. It's just a regional community center and the like.

>この映画、日本では新聞などの映画批評で糞味噌uネされまくっています。
とはいえ、観客動員数はいまだ衰えず、とのこと。
It is easy for me to imagine such kind of situation, because this movie includes love romance as well as the history of war.

>
わたしもダジャレー夫人といっしょに観ました。
たしかに恋愛物語としては型にはまった陳腐なものでした。
ダジャレー夫人も同感で「いっそのこと、わたしたちみたいな不倫ものにすればいいのに」と
口走りました。そうだねs踞くわたし。
da ja re e wife is surely pretty beautiful, isn't she? I also think this kind of love story is the same as the old ones. hu ri nn??? I can hardly imagine, but it makes me thrilled. 

>とはいえ、無防備な米国ハワイ上空を、傍若無人に飛び回る日本軍の航空機350機が爆弾を
落とし攻撃するシーンは、なぜか痛快な感情を持ったことも、たしかです。
たぶん世界の警察官アメリカに、わたしが多少の違和感を覚えているからでしょう。

STさんは、どう思われましたか。
No comment. I was very much impressed, though.


815 再度、基本英文700選(その1) 投稿者:Eliot  投稿日: 9月 1日(土)23時03分09秒

ST様

基本英文700選のことを批判した本を見つけ出しました。「どうして英語が使えない?」(酒井邦秀著、ちくまライブラリー)です。この本の中で10数ページにわたって酒井氏は700選のことをこき下ろしています。以下、少し引用します。

p.127
 その奇妙奇天烈なこと、まさに天下の奇書と言っていいでしょう。そのすさまじさをいくつか書きならべてみます。
  単語の一対一対応による硬直した訳  
  ワンパターンの「構文」が作り出す奇妙な英文
  文法偏重による、現実にはありえない文章構造
  使用レベルを一切無視した滑稽な文
  使われている「構文」の古さ、さらに内容の古さ、陳腐さ
  「構文」に合わせて書いた日本語の不自然さ
・・・・・・
p.128
 ただし「ひどい」とはいっても、一応文法的には正しい文章がほとんどです。英語の先生や予備校の先生まですすめているくらいですから、受験生にはどこがおかしいのか、まず分からないと思います。
 しかし、文法さえ正しければ自然な英語になるのかというと、そうはいきません。
・・・・・・
 だれの目にも明らかところから始めて、少しずつ微妙な話に入っていくことにしましょう。本当に微妙なところは、三人のアメリカ人に解説をしてもらったものを要約しました。二人はアメリカの大学の先生、一人は日本の大学の先生です。
・・・・・・
*5 It is getting colder and colder morning and evening.
   朝晩だんだん冷えてきました。

 「朝晩」をmorning and eveningときっちり訳しているところがおかしいのです。英語にはmorning and eveningという表現の仕方はないと思います。日本語の「朝晩」を文字通り直訳してしまったのでしょう。中学生なみと言っていいほど初歩的な誤りです。
・・・・・・
p.129
*608 Present supplies of fruit are short of requirements.
   現在における果物の供給は需要に及ばない。

 これも一目瞭然の間違いです。「需要と供給」と言えば、supply and demand(訳語の順とは逆)の訳だということは、ちょっとでも英語にくわしい人なら「常識」として知っていると思います。それなのにこの本では「需要」をrequirementsとしているのです。
 それだけでもおどろきですが、誤りはほかにもあります。少しだけ微妙な点になりますが、608の英文は、

  The present supply of fruit doesn't meet the demand.

というように書き換える必要があります。supplyとdemandを複数にする必要はないのです。そして定冠詞が必要です。こうしたことが連なって、もとの文章はほとんど意味不明になっています。
 それにしても、supply and demandを知らない人が、模範として覚えるための英文を書いていると言うのは恐ろしいことです。(引用続く)



816 再度、基本英文700選(その2) 投稿者:Eliot  投稿日: 9月 1日(土)23時06分51秒

引用の続きです。

*421 The bride came into the room with lowered eyes and with everyone staring at her.
   花嫁は伏目がちに、満座の注目を浴びながら入場した。

 「花嫁は伏目がちに」というところにある種の偏見を感じる人もいるでしょう。受験英語の参考書はどれもかびくさい偏見がはびこっているので、この程度で目くじら立てていては先へすすめません。ここではstareという動詞に注目します。そもそも人をstareするのは無作法だということになっています。
 stareを The Oxford Advanced Learner's Dictionary で引いてみましょう。

 (おどろき、不思議さ、おそれなどの気持ちで)目を見開いて注視する

つまり、stareは単に「注目」するのではなく、「何ということだという気持ちでじっと見つめる」ことなのです。
 とするとこの花嫁は、ペールをかぶってジーパンをはいていたとか、ピエロのようなメーキャップをしていたとか、水着で現れたとか、何か常識はずれの登場をしたとしか考えられません。あるいはまた、信じられないほど美しいのでみんなが口を開けて見ていたという場合もありえます。もっともその場合は「注目を浴びて」では訳が弱すぎます。
・・・・・・
引用終わり。

さて、その他いくつか例文のおかしい点をあげてありますので、箇条書きにしますと、
*448 The paint on the seat on which you are sitting is still wet.
   君の座っている腰掛のペンキはまだ塗りたてだよ。
⇒訳は確かに会話だが、英文はいやにもったいぶって、on whichなどという、こんな状況では出てくるはずのない堅苦しい言い方が使ってある。
*453 The house whose roof you see beyond the bank is Mr. Suzuki's.
   土手の向こうに屋根が見えるのが鈴木君の家です。
⇒明らかに会話の文章と思われる英文にwhoseが出てくるのはあまりに不自然。
 448と453の例文の載っているページは特にひどい例文が多く、12の英文のほとんどが関係代名詞をむりやり使っている。一人のアメリカ人は12の文のうち自然に読めるのは455の一つだけだと言った。

*45 As it is cold, you may keep your overcoat on.
   寒いからオーバーを着ていてもかまいません。
⇒英語は尊大な感じがするのに、訳文は物柔らかな調子。
*118 Excuse me for interrupting. I have something to to tell you.
   じゃまをしてすまない。ちょっと話があるのだ。
⇒英文はぶっきらぼうで奇妙。
*203 Happy is the child who has such a mother.
   こういう母親を持っている子供は幸福である。
⇒訳文は現代語の書き言葉なのに、英文はとてつもなく古風で、芝居がかっている。この英文には「幸いなるかな。かくのごとき母を持つ児は」のような訳をつけるべき。
・・・・・・
引用終わり

先ほどのstareですが、私が手元にある Collins English Dictionary で引くと

 to look or gaze fixedly, often with hostility or rudeness

と書いてありますから、確かに酒井氏の指摘は正しいと思われます。「花嫁が伏目がちに入場してきたが、皆は『くそ、なんだあの野郎』というような目で彼女をじろじろ見た」は変ですよね。



817 弱った 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 2日(日)04時10分05秒

Eliot 様

弱りました。
実は塾で、「700選」を使っています。
私の塾は、元は受験用の塾だったので、受験生に人気のあるやつを採用しようと思って使った
のですが・・・。
私自身が受験英語の毒をたっぷり吸っており、現在は映画のシナリオなどで解毒をしています。
日本の受験制度の中における英語の毒を吸った人(ほとんどの受験生が吸います)は、後で解
毒するような二段構えを強要されるということだと思います。

元凶はやはり日本の大学入試の質だと思います。

この「700選」の種本が存在します。出版社は忘れましたが、「The new art of English
composition」という名前の3分冊の参考書です。これを妻が出た高校で長年使っていたとか
で、妻が持っていたのですが、「700選」は非常に多くの部分が、この「The new ・・・」
からのそっくりそのままの引用です。この「The new ・・・」は、「〜でしょう」を「〜で
せう」のように明治(大正?)の版下をそのまま使っている本で、それを昭和40年台の妻の
高校で使っていたというので非常にびっくりしたことがあります。
 いつの時代かに、日本人が書いた英語が、現在の受験英語の中にそのまま生き残っていると
いうことでしょう。

 「700選」は大学入試で点をとることだけを考えれば有効であるのが問題の根を深くして
います。

 私は現在、英語の教材をWEB上に作成してみようと考えており、「語数別分類」という作
業を断続的に続けています。
このデータが太ってきたら、こちらを使おうと思っていますが、私の「語数別分類」におかし
な文が載っていた場合は、ご指摘くださるとありがたく思います。

今日は映画の「ゴースト」にある文を語数別に分類しました。
まだHPには掲載されていませんが、テキストファイルとして私のハードディスク上にありま
す。


818 Eliot 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 2日(日)05時08分02秒

Eliot 様

 「語数別分類」の話の続きですが、これをWEB上に公開しつづけるとともに、いずれ、これを元に英語の教材を仕立てたいと考えています。
 現在は、自宅自作に時間をとられ、なかなか手をつけていられませんが、何年後か、データが太って使えるだけの量になったら、着手しようと思っています。

 テキスト自体は、WEB上に置くと共に、印刷物にもする予定です。
 印刷物の方にはCDをつけたいと考えています。
 文法的な解析などは、WEB上だけに置くべきか、印刷物にもすべきかは未定です。

 おかしな文は排除したいのですが、英語ネイティヴのチェックを通さないとなかなか私の手だけで排除できません。ちくまライブラリーの酒井という人も、自分の知見だけで「700選」のおかしなところを指摘できているのではなく、アメリカ人3人のネイティヴの感覚を根拠にしています。この感覚の天下りみたいなところが、やはりくやしいところですが、生の磁場を欠く日本ではこれは避けられないことだとも思っています。

 ご相談があるのですが。
 おかしな文を排除した上で、教材を仕立てることができた時に、Eliot さんの音でそれを吹き込んで欲しいと願っているのです。私が今後作る予定の音声教材の音として使うのであれば、Eliot さんの音が絶対にいいと思っています。
 英語を教えているアメリカ人などの知り合いは何人かいますが、日本人のよく鍛えられた音で音声教材を作りたいというのが以前からの希望です。

 国際語として通用する日本人の感じのいい音という言い方を Eliot さんはしておられたと思いますが、まさに Eliot さんの音は、そういう感じのいい英語の音です。(津田さんの言葉を借りれば、男前の音です)。是非この音で音声教材を作ってみたいと願っているのです。

 あえてネイティヴの音を採用しないというところに、私の日本の英語に対する思いがあります。
 Eliot さんの音の方が、ネイティヴの音よりも、日本人にとってははるかになじみやすいことは間違いありません。

 「回転読み」の導入部分にあたる「技法グラウンド」という練習方法がすでにあります。
 これは、普通は私が一回読んだ文を生徒が五回繰り返し言うというものです。塾でも、「電話でレッスン」でも使われています。
 私が現在考えている音声教材は、Eliot さんに一回ずつ吹き込んでもらった音をコンピュータ上で複製し、同じ文が5回連続で聞こえるようにするものです。技術的には、パソコンでも可能になりつつあるのではないかとにらんでいます。これによって、イントネーションをつかむのが非常に楽になると思っています。

 どのような形をとるのかは未定ですが、私はこれを市販してみようと思っています。
 この教材自体が、私が日本の英語(の修得法)について考えてきたことの具現化になることをねらっています。市販を予定していますので、吹き込んでいただけるならもちろんお礼はいたします。

 どのような機材を使って、どこで吹き込むか、予算的に折り合いをどうつけるかなど問題は多く出てくるでしょうが、是非実現したいと考えています。コンピュータに強い人やオーディオに強い人に今後相談していこうと考えています。

 自宅自作が一段落して、印刷室を持ててからの話なので、まだまだ先のことですが、今のうちからお願いしておきたいと思いました。すぐにお返事をいただけなくてもかまいませんが、是非ご考慮をお願いいたします。


820 例文集の弱点 投稿者:ST  投稿日: 9月 2日(日)09時34分38秒

あらためてぞっとしました。毒の中に泳がされている自分を再発見しました。

エリオット先生ありがとうございました。

特にstare:to look or gaze fixedly, often with hostility or rudenessを読んだ時、思わず吹き出してしまいました。しかし、これをおおまじめで週1回、根石先生のレッスンを受けてもう半年くらいになるでしょうか?最近はかなり口が馴染んできて発音もこなれてきています。陳腐な文、滑稽な文、古い文など現代英語には使えないものは確かに多いと思います。これからもいろいろ教えていただきたく思います。私としてはせっかくここまでこなれたものを手放すのはもったいないと考えております。700選は会話というよりはむしろ読む時の構造の体系的知識を体で覚えるために使っていると自分ではわりきっています。エリオット先生のいろいろなご指摘を一つ一つマスターしていきたいと思っています。The bride came into the room with lowered eyes and with everyone staring at her.の文を音読する時はジーパンをはいてタイツをかぶった花嫁を連想してみることにします。

こういうことをしていると一見遠回りをしているようにも見えますが、確実に前に進んでいる自分を感じることができます。例えば父親は渋滞という感じを(しったい)と50歳まで覚えていました。あるとき私が指摘したのですが、なかなかなおりません。しかし、父親がそれを強く意識していれば次第にただしい読みができると思います。黒色を知るために白色が必要なこととも似ていますか?ちょっと例が悪いような気もしますが。。。例えばこのstareという単語については、すでにエリオット先生から教えていただいのですから、この文章を読むたびにそれを強く意識しながら読む事になります。今はそんなやり方が私にできる最良の方法なのかもしれません。もっといい方法があればぜひ教えていただきたく思います。方法については常に考えていますのでたいへん興味があります。今の私の実力では、ひとつひとつ積み上げていくしかないと思っています。700選の弱点を埋めるために映画のシナリオ「ゴースト」や今自分で技法グラウンドをやっているDUOを使っています。DUOも700選と同様、無理している部分がありますが、無理をしている部分が違います。構造をむりやり体系的に入れようとした700選に対し、日常使われる単語をむりやり入れ様としたDUOとでは少し構成が違うと思い、お互いに補完できる部分もあると感じたからです。700選+DUO+映画のシナリオを3本片づけて一応私の電話でレッスンには区切りをつけたいと思っています。映画のシナリオにおいても完全とはいえません。エリオット先生は既にご存知だと思いますが、ある本で知ったのですが、映画のせりふは観客に状況を説明するために役者に状況をむりやりしゃべらせるせりふというのがあるようですね。なかなかいい教材がないのでとにかく手をつけているものをしっかりマスターして、余裕があればいろんなものをやっていきたいとも思っています。
もっとも回転読みと回転書きと切断読みをきちんとやるためにはあと10年くらいはかかると思っています。

エリオット先生今後ともよろしくご教示をお願いします。


821 夢の教材 投稿者:ST  投稿日: 9月 2日(日)09時42分28秒

>「回転読み」の導入部分にあたる「技法グラウンド」という練習方法がすでにあります。これは、普通は私が一回読んだ文を生徒が五回繰り返し言うというものです。塾でも、「電話でレッスン」でも使われています。
>私が現在考えている音声教材は、Eliot さんに一回ずつ吹き込んでもらった音をコンピュータ上で複製し、同じ文が5回連続で聞こえるようにするものです。技術的には、パソコンでも可能になりつつあるのではないかとにらんでいます。これによって、イントネーションをつかむのが非常に楽になると思っています。

この教材ができるのを楽しみにしています。ゆっくりじっくり時間をかけていいものを作っていただきたく思います。最初の購入者になりたいと思います。気が早いか。。。。

822 recommend site 投稿者:Diana  投稿日: 9月 2日(日)11時07分23秒

(エロ画像売り込みのための投稿。根石が削除)


823 議論のための素材として 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 2日(日)17時25分52秒
2チャンネルに書いたものをコピーしておきます。
「700選」という例文集に今後言及するときに、自分で踏まえてみたい考えが含まれていると
考えていますので・・・。
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    英語はなかなか純粋な語学になるのが難しい言語だと思います。
    語学としては、すでにかなり汚れていると思います。
    受験の点、産業界からの実用英語の要請、あと、戦後の日本人が少しずつ、自信
   をなくしていった過程、その中で、馬鹿なミルクのみ人形みたいなESSどもの先
   進意識など。それらがぐちゃぐちゃにからまって、下水の水みたいなきたない言語
   になっているような気がすることもあります。

   私としては、日本における英語の汚らしさを洗濯して、まともな語学としてひき据
   えたいと思っています。受験生の英語の首根っこをつかんで、「音づくり」の方へ
   引きずり込むことで、日本における英語を洗濯できると思って、2チャンネルに書
   いているんですが、皆さん、なかなか耳を傾けてくれません。

   英語太郎さんの問題は、「音づくり」の問題だと思います。「音づくり(イントネ
   ーション、リズム)」が、「英会話」どころか、読書においてさえ、非常に重要な
   ことなのだということが自覚できましたら、是非素読舎の「電話でレッスン」をご
   検討下さい。来年3月までの枠で、現在3つくらい空き枠があります。月額1万円
   ですが、実質で比べていただけば、どんな英語機関より安いんじゃないかと思って
   います。(私の枠は埋まっております。3つの空き枠では妻がレッスンします。)

   まあ、私の掲示板より、2チャンネルの方が気楽だというのはその通りです。
   なんなのでしょうかね、2チャンネルのこの居心地の良さは。
   有象無象の、ばい菌だらけの、憂さが暴発している場所の心地よさというのはあり
   ますね。これだけの規模で、戦後市民社会の亀裂がはっきりと表現となっている場
   所はないのではないでしょうか。ここのすばらしさは、暴発やトンドルを、たえず
   「まとも」という場所へ引き戻す力が働いていることです。私はインターネットの
   本当の活力というのは、2チャンネルを読んでいて知ったと思うくらいです。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


824 2チャンネル? 投稿者:ST  投稿日: 9月 2日(日)20時38分04秒
2チャンネルって、なんですか?

825 伊藤・酒井 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 3日(月)04時18分17秒
Eliot 様

 伊藤和夫という人はなくなっていると聞きましたが、死後にまでこれだけ話題になるのですから、何者かではあると思います。「700選」の改訂前の版を読んだことがありますが、剽窃ならともかく、「The new art of English composition 」の恥も外聞もないまったくの引き写しでした。私も現在「英文語数別分類」というとても単純な原理で、英文を分類する作業をしていますが、これも世に流通している様々な語学書からの引き写しです。語数で分類するというアイディアが私のものであるだけです。しかし、伊藤和夫にはその程度のアイディアさえない。伊藤和夫は本当にそのまんま引き写して羅列するだけであれを作りました。

 「700選」のことを今日考えました。
 考えている途中の考えをひとまず書いておきたく思います。

 「700選」が奇妙奇天烈な文を大量に含んでいるのは信じられますが、この奇妙奇天烈さは、語学をやって上達しつつある人の意識の奇妙奇天烈さによく照応すると思っています。
 私は、語学に上達する途中にある意識は、滑稽で、不自然で、逆立ちしたり、右往左往したり、一言で言えば、曲芸的な場面を必ず形成すると信じています。日本語に慣れた意識にとっては、英語のシンタックスは意味の流れが逆流します(特に関係代名詞のところで)から、学習者の意識には必ず奇妙な曲芸的な性質が生じます。これを経ることの必然が、日本の英語のアイデンティティだと思っています。ヨーロッパの連中が英語をやるときは、この逆流や曲芸は生じません。
 このことを、日本の語学の上手な人たちは、一様に口をつぐんで言いません。変な曲芸を経て英語が読めるようになったのだと正直に言いません。語学が泥っくせえものだと言いません。代表的なのは、大学の英語の先生みたいなもんですが、この涼しげな顔をした紳士たちの意識がどれほど奇妙奇天烈で、滑稽なところを通ったものか、彼らは口をつぐみ続けています。それで、英語のできない者より一枚上手みたいな涼しげな顔をしています。バカったれが。あれらの涼しげな顔をひんむいて見れば、荒唐無稽な馬鹿馬鹿しいものが必ず現れると信じています。

 荒唐無稽で馬鹿馬鹿しく空しく滑稽であるのは、生活言語に対する語学の本質です。あるいは生活過程に対する勉強の本質です。これが、語学や勉強の積極的な性質であり、語学や勉強というもののアイデンティティです。これはほぼ私の信念です。
 古本屋で100円程度で売られている、おためごかしの語学本を買うのは私は好きですが、これは、必ず風呂に入りながらヨレヨレにして読みます。これらの本に特徴的なのは、日本人て、こんな馬鹿げた英語を使うけど、本当はそうじゃないんだよ、アメリカ人はこう言うんだよ、わかった?ってな、日本の学習者の意識に自然に生じる語法的変形、奇形、変異種のようなものを見下す視線です。こういう澄ました顔をした正統性ほど、私が憎んできたものはありません。
 例えば、「どうして英語が使えない?」(酒井邦秀著、ちくまライブラリー)が、「700選」をこきおろすことができたとして、それは学問のあるアメリカ人3人の感覚を根拠にしてこきおろすことができているだけですから、つまり、本家本元を仰ぎ、正しいものをコピーする、あるいは、本家本元の感覚を天下りさせるだけですから、この引き写しや、感覚の天下りや、コピーの恥知らずさは、「700選」の伊藤和夫の剽窃に匹敵するのではないかと思います。伊藤和夫はまだしも受験生にもっとも効率のいいものを作ろうというもくろみはあったと思うのですが、酒井云々様は、ただ「英語感覚の天下り」をやっているだけではないでしょうか。その本を通して読んでいないので、ここまで言っていいものかという一抹の不安はありますが、引用された部分だけで判断して、けっ、と思いました。
 伊藤和夫にせよ、酒井邦秀にせよ、コピーをしているのです。一方はすでにある書物を。もう一方はアメリカ人の感覚を。
 この人たちにとことん欠けているのは、「媒介」という意識です。
 この「媒介」という動態においては、伊藤和夫だろうが、おためごかしだろうが、かまいやしねえ、どんどん媒介にしてやらあという根性があるのです。ばい菌や毒なんざ排除するこたあねえ、みんな噛んで飲んでやらあってな根性です。どうせあっしら語学屋はその本質からして奇妙奇天烈なんだからよということです。
 私が、今後作る教材においては、変な文はできるだけ排除したいと考えているにもかかわらず、私一人が語学をやる場合には、なんでもござれ、奇妙奇天烈大いに結構というところがあります。
寄らば大樹のアメリカ感覚には寄りたくねえよということです。「媒介」ということをすっとばしたコピーという行為にはとことん噛みついてやろうという野良犬の根性があります。

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826 STさん 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 3日(月)04時19分30秒
以下に「逝って」みて下さい。
http://saki.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kouri&key=997883730&ls=50

827 語学=偽物 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 3日(月)05時07分36秒
>   *5 It is getting colder and colder morning and evening.
>      朝晩だんだん冷えてきました。

>「朝晩」をmorning and eveningときっちり訳しているところがおかしいのです。英語にはmorning and evening という表現の仕方はないと思います。日本語の「朝晩」を文字通り直訳してしまったのでしょう。中学生なみと言っていいほど初歩的な誤りです。

 こういうところが、けっ、と思うところです。
 morning and evening という言い方が英語にないから、どうだってのか。
 morning and evening を使って、アメリカ人が、「それどういうこと?」って不思議そうな顔をしたとして、例えば私が、「ああそうか、英語にはその言い方はないのか。morning and evening は「毎日少しずつ」みたいなことだよ」と言って、それで、アメリカ人が「日本語(日本人の考え方)はとても面白いところがある」と面白がる可能性は充分あるのです。それで、コピーや本家本元本物意識のくだらなさを尻目に、相互交通が成立します。

 私は塾生が使う例文はなるべく「語学的標準形」を使いたいと思っていますし、私の机上の練習でも量的には「語学的標準形」を多く使いたいと思っていますが、ひとたび生活過程の中で英語を使う場合は、そりゃあもう、まったく語法的な正統性は踏みにじります。ウドという、まあ悪友といっていいような英語くっちゃべり人間(オーストリア人)がいますが、こいつを相手に私は、日本語の言い回しをそっくり英訳(直訳)するようなことを積極的にやります。「わかんねえのか、この言い方で! 頭わりいんじゃねえのか」というようにしゃべっていることが、ウドが日本語(日本人)の考え方に渡るためにはいい媒介になっていると思っています。
 ウドが山の中の廃屋で、昔の学校で使ったと思われる「甲乙丙」の「甲」の字を彫ったはんこを拾ってきて、これ何だ?と私に聞いたことがありました。もう何人の人にも聞いたけど、誰も説明できないと言うのでした。そりゃ、多分学校の先生をやっていた家じゃないか、成績のグレードのいいやつに押してやるはんこだが、亀の背中の固いとことか、手や足のこういう表の部分も甲っていうんだ。何で成績のいいやつが、「甲」なのか、そりゃ知らねえや、くらいなことを言ったら、ウドは喜んでいました。日本のことはそんじょそこらの英語使いに聞くより、お前に聞いた方がいいと何度か言ったことがあります。それも、私が「朝晩」を morning and evening と言うことをためらわない人間だからだと思っています。

 morning and evening の何が悪いのか。語学の教材であるから悪いだけであって、実際にそうしゃべることに何のさしさわりがあるもんか、と思います。しかし再びしかし、伊藤和夫のものは、語学の教材であるのだから、やはり悪いのです。伊藤和夫は端的に悪い。しかし、酒井なんとかはタチが悪い。酒井の一枚上手意識は本当にむかむかします。

 私は生活過程では本当に(語法的に)でたらめなことを言います。

 俺がニューヨークで暮らしていたときはワイルドだった、なんかって恰好つけやがるロバートってやつとウドの店で朝まで飲んでいたときは、「金は天下の回りもの」って言うのを直訳するのも面倒くさくなって、Money goes merry-go-round. って言ったら、yeah, yeah, rightってうなずいて言うから、そのまま次の話にどんどん入ってというか横滑りしていきました。
 私は、その場その場でむちゃくちゃな発明を行います。その発明が、通じるか通じないかは、「語学的標準形」をどれだけ「媒介」にしてあるかだと思います。
 語学的標準形を生活過程でそのまま使おうという気持ちはまるでありません。なにか恥ずかしいことだという感覚があってできません。

 語学と生活はうらはらであり、一方がまじめであれば、一方がふまじめになるような関係の絶対性があります。
 例えばですが、亭主が死んで、取り乱して泣き叫んでいる女がいたとして、その女の横に座っている人が、「それは日本語の語法として間違っている」と言ったとしたら、間違っているのは語法を正している野郎の方です。語学と生活の間では、正しさが間違いであり、間違いが正しいという関係がすっきりと成立すると思っています。

 日本で英語をやる人たちは、ここのところが非常に無意識だとずっと思ってきました。
 本家本元意識、本物感覚天下り、正統へのひれ伏し、それが駄目だと思います。
 日本の英語が育つために、本当に邪魔をしているのはこれらの意識です。
 「人生いろいろ、語学もいろいろ」っていうウラハラが認識できていないのです。
 語学って、生活言語にとってはとことん偽物なんです。それを腹におさめないと駄目だと思います。

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828 素読舎日録 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 3日(月)05時15分27秒
「電話でレッスン」で使っている映画のシナリオの文を語数別に分類した。
もはや、くたくた。

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829 I just recommend one hole. 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 3日(月)06時14分33秒
STさん

 さて、「700選」ですが、どうしましょうか。
 レッスンを始めるとき、「700選」を同時進行でやってみたいと言われ、「ゴースト」だけの方が「ゴースト」がよく進むのでいいんじゃないかと一瞬思ったのでしたが、生徒さんの希望になるべく沿うようにするのが当初の「電話でレッスン」の方針でしたので、「700選」も始めたわけでした・・・。

 morning and evening については、Eliot さんに書きましたが、with everyone staring at herに関しては、英英辞典の記述を参照するとやはり、語学用のテキストとしてはひどい。
 確かに笑えます。
 改訂版でいくつか直したところもあるようですが、with everyone staring at her みたいなものは随所にあるんじゃないかと思っています。

 「ゴースト」をがんがん進めて、構文理解の力をつけるにはペーパーバックスなどを使うのがいいんじゃないかと思います。ペーパーバックスの「技法グラウンド」も可能です。現在、村田君が「不思議の国のアリス」を始めています。比較的易しい英文ですが、やたらに文章が長いのが村田君の今の英語の状態に適していると思っています。

 STさんとやるとしたら、Eliot さんが薦めておられた「音法」の英語版の参考書などいいんじゃないかと思いますが・・・。

 私は現在「嵐が丘」を読んでおります。布団の中の唯一の読書ですが、じきに眠ってしまうので、なかなか先に進みません。出てくる人間では、ヒースクリフの気持ちが一番よくわかるような気がします。

 映画のシナリオ一本(ゴースト)を片づけたら、「電話でレッスン」を一区切りにされる予定である旨の記事を読みました。シナリオの二本目の途中から、一本目の「ゴースト」のこなれが出来てくると思うので、なるべくなら二本目をやってみて欲しいと願っています。「こなれ」を実感していただくのが眼目のひとつなので・・・。

 DUOは私はお奨めしません。
 「700選」の方は構文に焦点をあててあるのがまだしもですが、DUOは単語習得用であり、単語習得用のテキストがあれほど荒唐無稽の文を多量に含むと、単語のイメージの核が損なわれるおそれがあると思っています。アイディアだけは秀逸だと思いますが・・・。

 本当は、同時進行でなく、「ゴースト」なら「ゴースト」に集中するのがいいのだと思っています。所詮、実になるものは同じです。「700選」と「ゴースト」を同時進行でやっても、「ゴースト」だけに絞るのでも、一週間の間にやってある練習の質と量が同じであれば、身に付くものは同じなのです。構文把握力をつけたいなら、「ゴースト」の始末をつけてから、テキストを真剣に選べばいいと思います。「ゴースト」に絞れば、「ゴースト」がどんどん先に進みますから、次の課題を早く始めることができて、結局同じなのです。

 一穴主義をお奨めします。

 だけど、「ゴースト」のテキストを旅行中になくしてしまわれたんでしたね。
 しょうがないですから、英語の磁場のまっただ中におられる生徒さんを相手に、「700選」でやりましょう。オーストラリア在の一穴主義です。英語の磁場のただなかで、日本の受験英語用のテキストを真剣に「一穴する」。これはこれで、いい思い出になると思います。
 10年たって生きていたら、二人で酒を飲んで笑いましょう。
 「ゴースト」だけでやろうが、「700選」をかませようが、英語に対する日本人の意識の逆立ち状態は同じです。こちらの方がはるかに本質的な問題だと思っています。
 シンタックスの齟齬の問題です。



830 根石先生へ 投稿者:ST  投稿日: 9月 3日(月)10時48分56秒

>映画のシナリオ一本(ゴースト)を片づけたら、「電話でレッスン」を一区切りにされる予定である旨の記事を読みました。シナリオの二本目の途中から、一本目の「ゴースト」のこなれが出来てくると思うので、なるべくなら二本目をやってみて欲しいと願っています。「こなれ」を実感していただくのが眼目のひとつなので・・・。

*これは違います。「3本」片づけてと書きました。もっとも、一応の区切りをつけるのには、5年以上先の話だと思っています。今後ともよろしくお願いします。

ST>>700選+DUO+映画のシナリオを3本片づけて一応私の電話でレッスンには区切りをつけたいと思っています。

>STさんとやるとしたら、Eliot さんが薦めておられた「音法」の英語版の参考書などいいんじゃないかと思いますが・・・。

*このエリオット先生がすすめてくれたこの「発音パーフェクト事典?」は帰国後すぐに手に入れようと考えています。中に使われている例文はエリオット先生はどのようにお考えですか?根石先生とこの本の内容についていろいろと30分の電話でレッスンの内3分程度質問したり(これはレッスンの教材としては今は考えていません)、エリオット先生にいろいろとこの掲示板を通して質問させていただければうれしいのですが。何しろ音法については全くの独学でやってきたようなもので、連結や省略などの体系的な知識がこのエリオット先生に薦めていただいた本で身につけば最高です。


831 一穴主義〜帰国後の試み 投稿者:ST  投稿日: 9月 3日(月)11時13分31秒
一つの教材をとことんやることは、とても大切なことです。教材選択について浮気性の私自身がそれでずいぶん失敗してきてもいます。今回の700選の議論については、どの方の言っている事も正しく否定するつもりは全くありません。私自身も、もがきながら自分にとって最良の方法を模索しながら学習しています。

700選とDUOについては帰国後の実践計画があります。2冊分の例文の合計は1260文です。毎日2時間を「回転」の時間に設定してこの1260文を入れる予定です。一つの例文につき6分「回転読み」します。そうすると60分テープに10例文(片面に5例文)入る計算になります。1260文をいれるのに126本の60分テープが必要と考えています。それはあとあと残しておき4月以降に復帰したあとも1日に1本文1時間回転書きをするためです。ちょっとつまって読んだ所などが自分だけの弱点として貴重な記録になりますのであえて1度録音したテープの上に重ねて録音することはせず、126本のテープを使おうと考えています。

しかし生徒にすすめる時は1本のテープで十分というつもりです。根石先生のすごい所は本当に辞書とテープ1本とペンとレポート用紙と自分の身ひとつあればどこでもだれでもそして自分にとって最良の教材を作れるというあまりにも当たり前にしてかつだれも言ってこなかったすごいことだと思うのです。

帰国してからのもくろみとは次のようなものです。1日目に1本目のテープをつくります。1例文につき6分読み続けると50回から100回(文の長さによります)程度の回転読みが可能になります。とにかくそれを1日目には10例文つくります。2日目からは1日2時間とります。最初の1時間は前日に録音したテープの回転書きです。回転書きは回転読みの約6分の1の量をこなすことができますから1例文の60回程度の回転読みの間に10回程度は回転書きできる計算になります。これを127日目まで続けます。127日というと約4ヶ月ですが、土日を休みにしたりのどをいためた時のことを考えると半年くらいかかると考えています。ちょうど復帰の時期が4月なのでそれにあわせて一番大変な1回目を終えてしまう予定です。毎日最初の1時間を前日に作った回転書きの時間に、後の1時間を次の回転読みテープを作る時間とします。

この1260例文を基礎にして映画のシナリオ3本を通過したころからある程度の結果が出せるものと確信しています。これは根石先生がいらっしゃったから考え付いた方法です。本当に感謝しています。電話でレッスンがなかったらたぶん計画することも実行することもまた継続することもできないと思います。電話でレッスンではゴーストは約10分の4、700選はすでに終了して4回目あたりに来ていますので、技法グラウンド(同じ文章を5回連続でつまることなく音読できるようにすること)を700選の1見開き分のGG5は約6分で出来るようになりました。さらにこなれてきたら休みの土日だけを利用してGG3(技法グラウンドの変形版3回連続で読めるようにあすること)が毎週1回のペースで700例文の復習ができる計算になります。

これは提案ですが、技法グラウンドをGGと読んでみたらいかがでしょうか?
GG5=5回連続で言えるようにする本来の「技法グラウンド」
GG10=10回連続(こちらは特に初級者におすすめ。「初心者」はむしろ「フォニックス」や「基本的な音法がおすすめ)
GG3=かなりこなれた文において時間の節約と復習範囲を手放さないためのもの

しかし電話でレッスンではGG5が基本なのでそれが一番いいと思います。この回数は本当によく考えられていると思います。根石先生が長年の経験で出てきた数字だと思います。

832 700選の罪 投稿者:Eliot  投稿日: 9月 4日(火)01時12分06秒
根石様

「正しい英語」などと書くと、また「けっ」と言われそうですが、あえてこの言葉を使います。ここで私が正しい英語というのは take care forではなくて take care of が正しいですよ、とかMy parents was goed Tokyo.ではなくて My parents went to Tokyo.が正しいですよとかいう意味での「正しい英語」です。私は、英語の教員はこの意味での「正しい英語」の知識はできるだけ豊富に持つべきだと思っています。生徒に教える際に「『午前中に』というのは in morning だったっけ、それとも in the morning だったかな。よくわからないよ」とか「hurtとheart の発音の違いはだって? どっちも同じでいいんじゃないかなあ」というようなことを言うような人では、習う方が迷惑します。もちろん英語非母語人である私たちの知識には限りがありますから、わからないことはたくさんあるわけですが、英語を教えることを生業とする以上、日々自己撃誑に努め、知識を増やして英語力を高めるようにすべきだと考えます。それでも、生徒から質問を受けたときに答えを知らないことがあるでしょう。その時には適当なことを言ってその場をしのぐのではなく、きちんと調べてできるだけ「正しい」ことを伝えるよう努力すべきではないでしょうか。学習者は勉強する以上、できるだけ間違いのない英語を身につけたいと思うはずですから、「適当でいい、多分通じる」と言われても困るでしょう。

さて、morning and evening が、ここで私がいっている「正しい英語」かどうかは、私は、ある文脈でこの語句が通じるか通じないかということで決まるのではなく、あくまで英語を使う世界の人々の多くがそれを普通の表現として使っているかどうかで判断されるとべきだと思います。英語学習者が指導者に求めるものは、例えば、自分で「朝晩」を直訳して morning and evening と書いたけれど、これで本当に「正しい」のか、という問いに対する適確な答えではないでしょうか。その際、「いや、正しくない。こう言う言い方はしない」という教員と「morning and evening か? よくわからんが、いいんじゃないか」という教員のいずれが学習者にとってありがたい存在でしょうか。

学習者にとっては教員だけではなく、各種の教材も「正しい」英語を知るために必要なものです。当然彼らは、辞書、教科書、例文集、単語集などには「正しい」英語が載っていると信じて購入し、使っています。そういう教材の一つが700選です。学習者は700の例文がいずれも正しい英語であり、英語圏の人達が普通に使う役立つ例文であると期待してこの本を買うのです。ところが、収録例文の少なからぬものが奇妙な英語や正しくない英語を含んでいるならば、購入者はまがい物をつかまされたということになります。詐欺にあったも同然です。

正しくないものを正しいもののように装い、お金をだましとる。これが700選の罪です。


833 morning and evening考 投稿者:Eliot  投稿日: 9月 4日(火)01時49分41秒

根石様

>morning and evening という言い方が英語にないから、どうだってのか。
 morning and evening を使って、アメリカ人が、「それどういうこと?」って不思議そうな顔をしたとして、例えば私が、「ああそうか、英語にはその言い方はないのか。morning and evening は「毎日少しずつ」みたいなことだよ」と言って、それで、アメリカ人が「日本語(日本人の考え方)はとても面白いところがある」と面白がる可能性は充分あるのです。それで、コピーや本家本元本物意識のくだらなさを尻目に、相互交通が成立します。

おっしゃることは十分に理解できます。しかし、一点だけ引っかかります。酒井氏は生活言語として日本人英語話者がしゃべった(あるいは書いた)morning and evening を非難しているわけではありません。この語句を学習者のための正しい英語の例文集であるはずの700選に載せた著者(正確には編者?)たちを批判しているのです。

生徒が私の誕生日に手作りのカードをくれてそこに Happy Burthday! と書いてあっても私は喜ぶだけでしょうが、市販のカードに同じつづりが印刷されていたら、「けっ。あほか」と思うことでしょう。

生活言語として使用される英語と語学の材料としての英語は別物。であればこそ、語学の教室で指導する立場の人は媒介とするに足る、正しい材料としての英語を提供するよう必死の努力をすべきだと思います。しかし、その日本語人が一英語使用者として英語を使う際は It's getting colder morning and evening.と言ったからといって非難されることではないでしょう。ただし、It's getting colder in the mornings and in the evenings.という表現に比べて、日本人の語感により適した表現であり、相互文通が生じる可能性を秘めているものとして morning and evening の方が推奨される理由もないと思います。ただ単に in the mornings and in the evenings を知らなかった(または思い浮かばなかった)ので、morning and evening と言ってしまったが、通じた(または、そこから面白い話に発展した)ということもありうるということでしょう。


834 語学の本質 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 4日(火)05時18分13秒

Eliot 様

 お返事をありがとうございます。

>「正しい英語」などと書くと、また「けっ」と言われそうですが、あえてこ
の言葉を使います。ここで私が正しい英語というのは take care forではなく
て take care of が正しいですよ、とかMy parents was goed Tokyo.ではなく
て My parents went to Tokyo.が正しいですよとかいう意味での「正しい英語」
です。

 語学の場面(私の用語では「机上」)では、この「正しさ」は正しいので、それについては私がいくら野良犬でも何の不服もありませんし、この「正しさ」をどうこうできるものだと思ってはいません。それどころか、この「正しさ」は、塾という仕事の中で私は日々使用しております。
 私が言いたいことは、この正しさは語学、机上、教室のような場所に限定されているものであり、無限定なものではないということでした。ここを無限定にしてしまうと、やはり抑圧や阻害になると思っています。そして、学校や塾や受験やテストがでかいつらをしている時代では、本来限定つきの正しさであるべきものが、無限定な正しさのような錯覚を人々に与えてしまうだろうと思うのです。引用部分だけで判断するなら、酒井云々様はしっかりとこの錯覚に陥っておられると判断しました。「700選」のおおまじめ滑稽英語の毒より、限定つきの正しさを無限定なものにしてしまうことの毒の方がはるかに大きいと考えています。伊藤の毒よりも、酒井の毒の方が大きいということです。伊藤の本には「受験」と限定する文字がありますが、酒井の一般書には「語学英語」の限定文字がなく、酒井の意識においては、語学英語が生活英語に地続きです。この地続きがもたらす毒の方がでかいのです。
 語学と生活言語との「ウラハラ」の関係の絶対性を見ないと、語学の英語が生活言語としての英語に地続きであると考えてしまうことになります。私は、このことの恐ろしさに英語をやる多くの人が無意識であると思い続けてきました。語学は、生活言語やネイティヴな言語とはまったく違うものであり、生活言語やネイティヴ言語の習得過程は、語学にはまったくあてはめることはできない、むしろ峻別すべきものだと考えています。「習うより慣れろ」という言い方を援用するなら、語学は「習って慣れる」しかないものであり、ネイティヴ言語は習おうとしなくても習ってしまい、慣れようとしなくても慣れてしまうものです。ネイティヴ言語では、ことさらに「習うより慣れろ」などと言う必要がないのに対して、語学ではこれは必ず必要であり、意識的に行うべきことです。
 語学と生活言語の間を合い渡ろうとするなら、絶壁をよじのぼるとか、断崖を飛び越えるような曲芸が必要です。
 酒井が根拠にしたものは、習おうと思わなくても習ってしまい、慣れようなどと思わなくても慣れてしまったアメリカ人の英語の感覚です。これを根拠にして、人の作った本をけなしているところが酒井の駄目なところです。(伊藤が駄目でないとは私は決して言いません。伊藤も駄目です)。ネイティヴの感覚には、どこまでも artificial なものである語学の英語の感覚が追いつくはずがない。それは、相当の英語使いである吉田健一がすでに過去に言っていることです。だからこそ、この人工性や意識的である性質こそが語学の英語の本領だと思っています。人工性や意識の強さこそが語学の積極的な性質です。いつまでも、ネイティヴ感覚にへいこらしてるなんぞ、おらあやだね、と思っています。語学には語学の本領というもんがある。俺は語学屋だという自覚です。


835 アメリカ感覚援用嫌い人 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 4日(火)05時20分54秒

>もちろん英語非母語人である私たちの知識には限りがありますから、わからな
>いことはたくさんあるわけですが、英語を教えることを生業とする以上、日々
>自己研鑽に努め、知識を増やして英語力を高めるようにすべきだと考えます。

 2チャンネルの用語でお答えさせていただきますが、「激しく同意」です。
 ここで言われている意味での「自己研鑽」は、私はやってきたつもりです。その一筋において、塾だの学校だのという垣根を越えて、私は Eliot さんを同志と思っています。また、「激しく正直」な ST さんも同志だと思っています。

>それでも、生徒から質問を受けたときに答えを知らないことがあるでしょう。
>その時には適当なことを言ってその場をしのぐのではなく、きちんと調べてで
>きるだけ「正しい」ことを伝えるよう努力すべきではないでしょうか。

 この辺が、語学教師と語学屋の違いかなと思いました。私は、調べられるだけのことは調べますが、調べても本当のところはわからないという意見です。(英語の話し言葉の)磁場だけが養うことのできる感覚が絶対にあるという考えです。磁場のないところでは、その感覚からは絶対にずれると思っています。ずれてかまわないが、ずれを絶えず修整するのが語学だよと思っています。それでも、いくら修整しても、話し言葉の磁場が養った感覚と同一の感覚にはならないという考えです。これを語学の絶望にする気はまったくなく、語学というものはそういうもんだが、やって損はないからどんどんやれよ、という意見です。日本民俗学をうち立てた柳田国男に、あんた本当に常民の感覚がわかってんのかよ、と言うことは可能ですが、柳田がやったことの意味は決して消すことはできません。語学やら勉強やら学問やらの本質というものがある。それは生活とは峻別されるというだけのことです。生活だけしてる者が偉いわけでもない。勉強ができて知識が余計にある者が偉いわけでもない。酒井云々野郎め、ちゃんと働けよ、と思ったのでした。
 酒井というやつが今も生きているなら、「700選」のおかしなところを、アメリカ感覚を援用しないで、全部自分なりの感覚で指摘する文献を作るべきだと言っておきたい。出版社が相手にしなくても、今の時代、ホームページ一つ作るだけでそれができるんだ。働けよ、バカたれが。涼しい顔で偉そうなこと言ってんじゃねえよ。

 しらふで書き始めたんですが、飲みながら書いているうちに、すっかり酔いどれになりました。
 寝ます。

http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/mimic.cgi

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


836 なんか、わからなくなってきました! 投稿者:ST  投稿日: 9月 4日(火)12時03分25秒
語学教師のエリオット先生:基本的に正しいとされる英語を教えることもする。その根拠は辞書、文法書、テキスト、ネイティブの意見そして自分の感覚の中に見つける。分からない事は調べた後、正しいと思われる情報を生徒に流す。ご自分が媒介として使う英語の場合は正しいとされる英語は気にせず自分の感覚としてしゃべる。

語学屋の根石先生:基本的に正しいとされる英語を教えることもする。基本的に正しいとされる英語を個々人がただひたすらインプットを続けることにより感覚を再修正していく営みが語学学習のプロセスだと考えている。詳細にわたって正しい事はわからないのだから、生徒にも教えない。ご自分が媒介として使う英語の場合も正しい英語は気にせず自分の感覚としてしゃべる。

ST:基本的に正しいとされる英語を教えているつもりになっている。まだまだ修行が足りない。

間違っていたらごめんなさい。なんか、わからなくなってきました。


837 ネイティブに聞いてみると。。。 投稿者:ST  投稿日: 9月 4日(火)12時31分24秒
It is getting colder and colder morning and evening.
あの文章をネットカフェの受け付けの人に聞いてみました。

Tyson:Weirdだ。
ST:どういう風にいうの?
Tyson:In the morning and evening it is getting colder and colder.か
    It is getting colder and colder in the morning and evening.だろう。
ST:2つの文に違いはあるの?
Tyson:違いはない。
ST:morning and eveningの直訳「朝晩」には徐々に季節は気候が変化するという意味も含まれている場合もある。
Tyson:それは面白い。でも英語のmorningやeveningにはそんな意味はない。morning and eveningはacceptableではない。

'in the morning and evening'と'morning and evening'。教える時は当然前者になります。しかし生活言語においては、その違いは受け止め方によると思います。人によって受け止め方が違うからです。聴く側の寛容度や緊急度などに関わる部分もあると思います。

この文を聞いた時に相手の表現を直すかそれとも興味をもってこの表現を聴くかと聞いたところ、興味をもって文化を知りたいということでした。これはたまたま彼は日本語を4年ほど勉強していたことや、言語そのものに興味があるということでこういう答えになったのかもしれません。その人の背景とも大きくかかわってきます。このいろいろと日本や日本語の話ができたのがよかったです。

しかしこれはまだまだ私の説明不足によるところが大きいと思いました。

根石先生がmorning and eveningを使いきちんと説明すればもっときちんと理解してもらえたのにとも思いました。こういうこと考えるとやはり自分としてもできるだけ正しいとされる英語をもっと激しく練習しなければと思いました。一方自分がこの青年に説明できた分だけ英語という国際語を媒介にして文化の交流ができたことを嬉しくも思いました。なんか複雑な気持ちです。エリオット先生の言われる正しい英語(morningではなくin the morning,goedではなくwentという意味での)をやはり教える側がきちんと意識して教え、学ぶ側も正しい英語であると考えられるものをしっかりとインプットするのが大前提だと思います。その上で生活言語にある時はそれを媒介にして根石先生やエリオット先生のような交流ができるのはやはりたくさんの文章がすでに入っている場合であると思います。


838 ここがロードスだ、ここで跳べ 投稿者:PB  投稿日: 9月 4日(火)23時38分42秒
根石先生、

浜谷さんのHPのリンクで、こちらのHPを知りました。 日本の英語教育の為に尽力されているご様子、頭が下がります、と共に、教えられる所も多く愛読させて頂いています。 私も出来る事なら、電話によるレッスンを受けたいと思っている所です。 

さて、すこし古い話になりますが、この投稿欄でこうじさんの100%の聴解について大激論がありましたね。 激論というよりは、私には、こうじさん袋だたき状態の様にも受け取れました。 

しかし、こうじさんは何故、ああまでこき下ろされなければならなかったのでしょうか?

100%理解などと言う大風呂敷は、この投稿欄程度の”大風呂敷”にはそぐわないからでしょうか? こうじさんは役に立つ学習のヒントなども提供されていた様に思いますし、参考にもなりましたが。 

そんな物をありがたがる私も、先生にとっては、同じ様にアホなのでしょうか? だとすれば、私には、このHPを拝見する価値もないですね....

私は教育者でもなんでもなくただの英語学習者ですので、難しい事は何一つ解りません。

ただ英語の学習法は向き不向きがあると思いますので、どれが正しい、と言う事はないと思っています。 私の様な、一般の英語学習者にとっては、自分の性分にあっていて続けられそうなものが一番、との認識しかありません。 ですからこうじさんが、100%理解を達成された、と言われれば、とにかくその方法で私もやってみようか、と言う、それだけの事です。 

第三者として傍観していたのですが、ちょっとおとなげないなぁ、と思ったのです。 

あの様な場外乱闘状態の言葉の応酬を見ていると、思わず、「あんたら、そこまで言うなら英語で正々堂々と喧嘩してみんかいっ!」とヤジを飛ばしたくなるのです。 こうじさんが逃げている、と見る人もありましたが、こうじさんの穏やかな反論振りに対し、根石先生もElliotさんも、過剰反応だった様に受け取る人もありました。

英語の上達法やご自分のレベルについては、百の御託を並べるより、こうじさん、Elliotさん、根石さんで、英語でオンライン討論をなさった方が、説得力があった様に思います。 お三方の持論を強力に裏付けられたと思うのですが。 

こうじさん、会う機会がないとおっしゃいますが、こんな時こそ、インターネットです。 ご自分の英語力をお二人に示して名誉挽回されるべきでしょう。 

今度、こうじさんが投稿される機会があれば、口汚く罵って退けるより、だれもが納得できる様に英語で討論をなさって下さい。 読者の側も、辞書を片手に英語の勉強もさせて頂けるし、一石二鳥だと思いますが。

古い話を蒸し返す様な事になりましたが、一愛読者の素直な感想と提案です。 気に入らなければ、二度とアクセスするな、と言われそうで、ちょっと恐いですけど。


839 英語アメリカ舌足らず(19) 投稿者:すもも  投稿日: 9月 5日(水)01時39分25秒
雨の中地下鉄から降りて、Yさんに電話をするとすぐ駆けつけてくださって、車にとびのりました。とんだ雨です。
家に帰って、さっそくシャワーを浴びさせてもらって、部屋に早めにこもりました。
特に予定があるでもないので、Yさんに
「ボストンコモンに行ってくるといいよ。あのあたりなら、なんでもあるし」
ということで、とりあえず、ボストンコモン(公園)でゆっくりしながら、歩くことにしました。

《5日目》
ゆっくり起きると、もうD父さん、Mちゃん、Yさんもうお出かけ。Kくんは、まだ眠っていました。Kくんに案内についていってもらったらということでしたが、声かけるの忘れちゃって出かけちゃいました。

千代田線に乗り、いざ都心へ。
階段を上ると、そこには大きな公園がありました。
ボストン・コモンです。
我々は、公園の中に通りていくと、身障者の方がコモンの池のごみを拾う仕事をしていました。なじみの人が身障者の方のところで話しこんでいます。
そんなところへ、我々は通り掛かりました。Uさんがなにか見つけて、水中のごみに手を出そうとした時です。
「お嬢さん、手が汚れるから、やめてください。ごみひろいは私の仕事ですから」
といいます。
すると、ひとひらの蝶々水面にひらひらと落ちてしまいました。
Uさんが、素手で拾おうとするので、私はノートを破って、彼女にわたしました。手を汚さないでも拾えるんじゃないかと思ったからです。案の定、手を汚さずに蝶々はなんとか掬い上げることができました。
しかし、蝶々の羽が水に浸ってしまい、重そうにしていました。しばらくしゃがんで、様子を見ていると、なじみの人が言いました。
「生きてる」
と優しく笑って言いました。

(つづく)

840 私もこうじさんに再登場していただきたい一人です。 投稿者:ST  投稿日: 9月 5日(水)07時40分51秒
100%理解に関しての議論には私はまだその頃は参加していませんでした。いろんな人のいろんな英語に関する見方があってよいと思います。いろんな方から学びたいと思っています。

841 大風呂敷でも懐は「浅い」 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 5日(水)09時10分23秒
PB様

 書き込みありがとうございました。
 掲示板を開設していてうれしいと思うことの一つに、初めての方が書いて下さることがあります。ずっと読んでいたと言って下さると、さらにうれしさが増します。くたくたになりながらやっていたかいがあったと思う時です。なにしろ、生活が不規則で、年がら年じゅうひどい下痢をしながら、体に力が感じられなくなっていても、へばりつくようにコンピュータに電源を入れることがあります。若くないんだから、いいかげんにしろと言われることもあります。
 
 こうじさんのことを蒸し返して下さり、ありがとうございました。本来、この掲示板の蒸し返し役は私なのですが、書かれたばかりの記事に対してすぐにお返事した方がいい場合もあり、今回もそういうケースですので、蒸し返しの方はストップさせます。いずれ、また蒸し返しはやろうと思っています。具体的な記事は古くなっていっても、日本の英語の複雑骨折状態は決して古くなることはなく、学校英語や受験英語から日々新たな犠牲者が生まれているのですから、問題そのものは古くなることはありません。時間をかけて、古い記事に含まれている問題を蒸し返そうと思っています。

 さて、こうじさんに関してです。
 「あんたは信頼しない」と最初に書いたのは私です。なぜ信頼しないのか、その根拠は示さなければなりません。蒸し返しになりますが、再度考えてみます。
 こうじさんは、最初「私は100パーセント英語が聞き取れる」と言ってこの掲示板に登場したのでした。それが、どういうことを言っているのかわからないので、100パーセント聞き取れるということは、英語のすべての単語を知っているということになるが、あんたは知っているのかと私は聞いたと思います。それに対して、こうじさんは、知らない単語が含まれている場合は、それが字に書ける状態だと答えました。
 私は自分が英語を聞いている状態のことを翻って考えてみました。聞き取れている場合は、字で書いて見ろと言われると、その文の全体を書くことができます。聞き取れていない場合は、単に知らない単語が含まれているだけの場合と、知らないものが単語だけにとどまらず、語法的に未知である場合とがあります。つまり、「100パーセント聞き取れる」というのは、単に単語をいっぱい知っているということにとどまらず、英語のあらゆる語法に通じていることも意味するはずです。

 いずれにせよ、単純な原理が取り出せると思っています。「知らないものは聞き取れない」という単純な原理です。そして、語法や単語を100パーセント知ることはできないのだから、100パーセント聞き取れるということは成立しない。成立可能なのは、「100パーセント聞き取ろうとすること」だけです。

 こうじさんが、「私は英語を聞き取る耳がいい方だと思う」とか、「ニュースの英語に限れば、100パーセント近く聞き取れるようになった」というような限定を置いてものを言われたのなら私は信頼したと思います。そして、どんな訓練をしたのですかと質問していっただろうと思います。
 「知らないものは聞き取れない」のですし、「聞き取れる」というのは、単に耳が音を聞いている状態ではなく、内容の把握が同時に行われている状態だと思いますので、こうじさんの言われていることは原理的に成立しないと言った覚えがあります。

 「100パーセント」という語に過剰に反応しているのだという第三者の目からの判断は正確だと思います。しかし、私は人の言うことを信頼すべきかどうか判断し、すでにそれに関して発言してしまっていたので、議論においては第三者ではありませんでした。「過剰反応」みたいなものは、議論にはどうしても避けることができないと考えています。そもそも、議論などというものはそういうものです。
 懐が浅いという言い方は日本語にありませんが、お前は懐が浅いんだと言われれば、それはそうだと答えるしかありません。英語に関する議論に関しては、私はきわめて懐が浅い男です。日本人が使うある種の英語に対する強い嫌悪があるためです。

 時間がとれません。まだお答えしてない問題については、後日必ずお返事いたします。申し訳ありませんが、今の時点ではここで中断いたします。

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842 いつでも歓迎 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 5日(水)09時34分29秒

ST さん

 もちろん、こうじさんが登場したければいつでも登場してくれればいいのです。
 私は、こうじさんにここへ書くなと言った覚えはありません。馬鹿なことを言うなと言っただけ
です。
 浜谷さんが、先日拙宅に見えられたとき、こうじさんはその後、浜谷さんの掲示板にしばらく書
き、浜谷さんの掲示板からもいなくなったとおっしゃっておられました。
 私は、こんな疲れる議論をしていて何になるんだろうと思うことがよくあり、たかが語学じゃね
えかとか、たかが英語じゃねえかと思うこともあり、時々、すべてを放り出したくなります。
 「たかが英語、されど英語」と思って、またコンピュータに電源を入れるのは、日本にはいまだ
まともな語学論が成立していないと思うためです。語学に働く原理をとりだすことは、一つの思
想たりうるんじゃないかと思うのでなければ、こんな掲示板など掲げません。
 ネイティヴ言語の習得過程を語学に重ねてその類似点を言うようなものは目にしますが、ネイテ
ィヴ言語と語学の根底的な違いを明らかにするようなご苦労なことは誰も手をつけていないと思
っています。議論というフィールドでも、実は語学は「たかが語学」で片づけられているのです。

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843 変形の奨め 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 5日(水)11時35分47秒

Eliot 様

 
>しかし、その日本語人が一英語使用者として英語を使う際は It's getting colder
morning and evening.と言ったからといって非難されることではないでしょう。ただ
し、It's getting colder in the mornings and in the evenings.という表現に比べて、
日本人の語感により適した表現であり、相互文通が生じる可能性を秘めているものとし
て morning and evening の方が推奨される理由もないと思います。ただ単に in the
mornings and in the evenings を知らなかった(または思い浮かばなかった)ので、
morning and evening と言ってしまったが、通じた(または、そこから面白い話に発展
した)ということもありうるということでしょう。

 「机上」で、in the mornings and in the evenings を練習する必要があるという前提は絶対です。語学は「すでにあるもの」「既定のもの」を媒介にします。
 しかし、生活過程では、「すでにあるもの」「既定のもの」にとどまる必要はまったくない。語学的な「正しさ」にとどまる必要もない。これははっきり言わないと、教室的正しさが、日本人の英語が生活過程に渡ることの足をひっぱります。あるいは抑圧に転じます。
 英語と日本語の間には、シンタックスの齟齬という大問題が横たわっているのですから、その上に正しくしゃべろうなどと思った日には、英語なんぞ使えたもんじゃない。いいかげんな英語でもいいんです。私も、いいかげんな英語をしゃべって、そっくう、もっとはっきりとものを言いたいもんだなあと思ったり、片っ端から一発で聞き取ってみたいと思うから、再び「机上」に戻るわけです。
 私が「机上」で扱うものは、教室的正しさ「でもある」わけですから、私が教室的正しさを否定しているのではないということはおわかりいただけると思います。
 ですが、「机上」においても、私は「正しさ」よりも「練習の激しさ」をより重要に考えています。練習が激しければ、正しさは後からついてくると思う者です。方法が間違ってしまうとどうしようもありませんが・・・。

 私の生きている場所では、「教壇」は無化されています。塾でもそうです。教壇は存在しません。黒板と教壇の無化。これが素読舎の思想です。まあ地元での評判はかんばしくありませんので、食い詰めて存在しなくなるかもしれない塾ですが、提示してきた思想というものはあると思っています。

 in the morning and evening をすでに「机上」で媒介にし終えていても、生活過程で、morning and evening の方が自分の気持ちにぴったりすると思えば、それはどんどん使っていい、使うべきだという考えです。「推奨される理由」は、それが気持ちにそぐうかそぐわないかだと思います。
 通じなければどうしようもないが、そこから相互交通が生じうるだけの質が備わっているなら、日本人は自分の気持ちに「なるべく」沿った英語を使うことの方が推奨されるべきです。
 これは、日本人は日本人として英語に変形を加えてよろしいという考えです。これを私は推奨します。アメリカ人が英語に変形を加えてきた歴史は容認するが、日本人が英語に変形を加えることは「正しくない」なんて、そんな馬鹿な話はないと思います。
 「非難されることはない」どころじゃなくて、「やっていいんだ、やれ」です。

 以上の話の外側に、日本語でしか言えないことがあり、英語でしか言えないことがある、という大前提があることは申し添えておかなければならないことでしょう。

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844 ご、御無体な... 投稿者:PB(小川住江)  投稿日: 9月 5日(水)13時28分43秒

根石先生、

早速お返事が入っていて大感激です。 お忙しいにもかかわらず、たわ事につき合って頂き恐縮しております。 「どうせ一蹴されるか、一笑に伏されるかの末路だぁ」と思ったので匿名で出しました。 失礼をお許し下さい。

こうじさんの「100%聞き取り」、はあながち眉唾ではないと、私は思っています。 先生の言われる様な厳密な意味合いでの100%理解、と言うのであれば、確かに誰にも出来ないだろう、と思います。 こうじさんが、「知らない単語であっても文字化出来る」、と言われるのであれば、それは100%聞き取れる、と言っても差し支えないと思うのです。 

英語は50万単語あるとか、Oxford大学出版のカタログで読んだ記憶があります。「50万語を熟知している、すべての語法に精通している」、などと言う前提に立っての議論は空しくはないでしょうか? (「ちょ〜むかつくぅ」レベルの泡沫新語、刻々と生み出される造語なども含めるとネイティブスピーカーの言語学者でもお手上げでしょう。) 
 
私などは、言うまでもない事ですが、こうじさんも、(極論すれば)諸先生方も、所詮は外国語の学習者でしかありません。 こうじさんも「100%聞き取れる」と言う言葉を不用意に口にしてしまったばかりに、こういう事態になってしまったのだろうと思うのですが、 しかしそうではあっても、ネイティブスピーカーにも叶わぬ事を人に突き付ける、というのは「余りにも御無体」、と言うのが私の率直な思いです。

また、こうじさんが、「相手を信頼すれば聞き取れる」と言う事を言われていますが、これも理解し難い事でもありません。 「聞く耳をもたない」、「相手に関心がない」、「こいつの言う事など端から信用出来ない」等々、話手に対する好悪、先入観などの心理的な障壁が理解を妨げると言う事は、よくある事ではないでしょうか? 

相手を理解しようと専心すれば、相手の言いたい事が見えて来る、と言う場合も多々あると思っています。 これは国際人として(「大きく出たな」、とのつっこみ、いたみ入ります)言語修得以前の心構えの問題ではないでしょうか。 

「日本の英語教育が複雑骨折している」、とは言いえて妙です。 しかし、ご存じの通り、現場で足掻いている英語教師も少なくない事も事実です。 

私の友人にも高校の英語教師が何人かおりますが、教授法をわきまえた人達もおられます。 松香フォニックス研究所のワークショップに自腹を切って通う人もおり、新しい教材を探しにOxford、Cambridge大学出版、Longman社などが主催する、数時間にもわたる英語でのワークショップに定期的に参加する人もおります。 

しかし哀しいかな、大学受験という壁に阻まれてにっちもさっちも行かない、というのが現状の様に聞き及んでおります。 もっとも、これも根石先生、Elliotさんが、とっくの昔にご承知の通りです。

英語教育の複雑骨折には、私共、生徒の親にも大きな責任があると反省ひとしきりです。 とにかく英語の成績さえ上げてもらえれば、と言うせこい考えを捨てなければなりません。 が、これがまた、大方の親には一苦労でして。 根石先生は、さぞかし保護者の啓蒙にも御苦労されていると拝察しております。

話が脱線してしまいましたが、接骨医もびっくりの英語教育の症状には、根石先生の荒療治も必要であろう、とお察し致します。 何かを変革しようと志を持たれた方は、ある種の狭量さと頑迷さがなければ、突き進んでいけないのだろう、と思います。 

しかし、方向性は違えども、こうじさんも同じ憂いをもっておられると思うのです。 たとえ、「こうじさんと同列においてくれるな」、とおっしゃろうが、私の目には、どちらも英語救世主に映っております。 「なんとか穏やかに話し合えないものか、ここでこじれると、ますます骨が砕けて再起不能になるのではないか」と、田舎のおばちゃんはオロオロするばかりです。

いづれにしろ、これはド素人の感想ですから、生ゴミの回収日にでも捨てちゃって下さいませ。 ただ、こうじさんに対する罵倒、あれは先生やElliotさん一流の挑発だったのかも、とおもってはいるのですが。 

先生のHPは、今後も愛読させて頂きます。 「二度と見てくれるな」とおっしゃっても、残念ながら無理です。 これが、インターネットの数ある弱点の一つですね。

英語討論が実現する日が来る事を楽しみにしております。


845 こうじさんの風呂敷 投稿者:もっこり  投稿日: 9月 5日(水)14時52分39秒

PBさん、こんにちは。
久しぶりに過去ログを読んでみました。

議論に乗るということは、相手の発言に関心があり、
共通理解を得たいという意欲の現れだと思います。
その意味でこうじさんの風呂敷は面白かったんだけど、なんだか穴だらけの風呂敷でしたね。
そして最後までその穴をふさがずに(本人はふさいだつもりだったのかもしれませんが)
いなくなってしまいました。

一番残念だったのは、こうじさんの信奉しているFOXテレビのアンカーマンさながらに、
根石さんが、議論(口論)を仕掛けているのに、
こうじさんは、「批判はするな」「私の言う通りにやればわかる」といって、
議論を避けてしまったことです。

意見を主張すれば、それに対する反論、異論がでるのは当たり前、
こうじさんの好きなFOXニュースなんかは、相手の言葉尻を取る、こじつける、
大声で相手を威圧する、なんでもアリの世界だと思います。
それに比べれば、ここでの議論は、いつでも意見を主張できる場は確保されているし、
その意見をきちんと読んだ上で反論されていたし、しごく真っ当に展開したはずなのですが。

英語の世界では丁々発止議論できる(はずな)のに、
日本語の世界では「うんうん君の言いたいことはよくわかるよ」
という共感だけをほしがるのはどうしてなのかな、という疑問を、私は抱いていました。
今でもその感想は変わりません。
日本語による「感情の受け渡しの訓練」は必要ないのかな?


846 弁護側最終弁論 投稿者:PB  投稿日: 9月 5日(水)15時46分19秒

私が問題にしたのは、7月頃の投稿だったと思います。 今辿ってみましたが、もう記録がありません。 

頼まれもしない最終弁論をさせて頂きます。 

相手がどうであれ、「おめぇなんかに」、とか、「アホ」、「糞」よばわり、を論理的で客観的な反論だとか議論だとかおっしゃるおつもりでしょうか。 (この言葉を引き合いに出すのは、今まで随分とためらいがあったのです)

辛口の、あるいは強面の等々、いろいろの言い方がありましょうが、文字でしか理解しあえないネット上のやりとりでは、表情や人柄が見えて来ない以上、ひとりよがりな言葉使いを避ける必要もあるでしょう。 (言葉遣いを云々するのは、根石さんのお嫌いなPTA 婆あの特性ですね。) 

私は浜谷さんから、根石さんのお人柄を聞いていますので、言葉を額面通りに受け取ってはいませんが、(額面通りだったのでしょうか?) 一般の読者はどの様に感じられるでしょうか。

私なら、糞、よばわりされた所では、口も聞きたくなくなると思いますが。 根石さんやElliotさんが、取り巻きの方達に囲まれておられる親分なら、いざ知らず、学習者の力強い水先案内人としておられるのなら、もうすこし違った挑発の仕方もあったろうと、思ったまでです。

まったく私も暇な人間だと反省しています。 日に何度もこのHPを覗いているんですから。 
家事に専念します。 ごめんなさい。

カルチャー婆あ


847 もっこりさんへ 投稿者:PB  投稿日: 9月 5日(水)18時32分36秒

先の投稿はもっこりさんにあてたものです。 根石先生にしつこくせまっている訳ではありません。 お忙しいのに、ごめんなさい。


848 Re:弁護側最終弁論 投稿者:もっこり  投稿日: 9月 5日(水)19時55分24秒

PBさんへ

過去ログは、根石さんのホームページの、
<「大風呂敷」の記事の倉庫>というところを辿っていくと読めます。

>相手がどうであれ、「おめぇなんかに」、とか、「アホ」、「糞」よばわり、を論理的で客観的な反論だとか議論だとかおっしゃるおつもりでしょうか。 

「おめぇなんかに」「アホ」「糞」以外の部分を読めば、
根石さんの記事が、論理性と客観性のある反論なのはわかります。
PBさんが、「アホ」「糞」を読むのがどうしても嫌で、
「アホ糞とはけしからん、そんな言葉使うのはやめてくれ」と思われるなら、
根石さんに直接どうぞ。
私にとっては、「アホ」「糞」より内容のほうが大事です。

ちなみに、PBさん、

>こうじさんに対する罵倒、あれは先生やElliotさん一流の挑発だったのかも、とおもってはい
>るのですが。 

と書かれていますが、「アホ」「糞」言ってるのは根石さんだけですよ。
Eliotさんは至極紳士的。「罵倒」していませんよ。


849 大変なあやまち陳謝 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 5日(水)22時13分29秒

帰宅しました。
改訂します。
Eliot さんに向けた「変形の奨め」の、

「そっくう」は「くっそう」です。

大変なあやまちをおかしてしまいました。謹んで訂正いたします。


850 ありがとう。 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 6日(木)02時16分04秒

>「アホ」「糞」言ってるのは根石さんだけですよ。Eliotさんは至極紳士的。「罵倒」してい
ませんよ。

 客観的に論理的にそうですそうです。
 それが Eliot さんに対して、私が物足りなく思うところであったと、仮に、そうだとしても、
それは人間それぞれの限界というものがありますから、駱駝の背中に藁一本乗せただけで足が折
れるという世界は確実にありますから、私は重さのある藁は乗せないでおこうと思う。
 言葉というものをなめないでね、言葉が学校的な正しさの中に納まっておとなしくしているだ
けのものだとは思わないでね、という重さのない抽象の藁一本を置くだけです。

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851 再度酔いどれ 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 6日(木)02時45分52秒

小川さん

>私が問題にしたのは、7月頃の投稿だったと思います。 今辿ってみましたが、もう記録がありません。 

 私が忙しいので、まだ「倉庫」に入れてありませんが、必ず倉庫には入ります。
 もうしばらくお待ちください。

 議論に関しては、明日以降に持ち越させてください。
 体力がありません。五十男が激しく・・xなんぞするので、この世の果てにいます。
 ・・xって、○○×と書いてもわけのわからなくしていう魂胆は同じです。
 まあ、おまけして、35点くらいの世界ですよ。あっしの生きてる世界は。
 違ったわ。○が二つあれば、70点近いわ。
 すげえじゃん、35から70かよ。おまえ、素読舎へ行ったんかよ。
 お前のかあちゃん、よく行かせたもんだよ。

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852 恐れ入ります 投稿者:小川  投稿日: 9月 6日(木)05時25分12秒

根石先生、

私の投稿に関してはうっちゃっておいて下さい。 私の気持ちの中には、判官びいきって言うか、そういう面もあったと思います。 

倉庫の投稿を全部読んでみて、アホ、糞呼ばわりは、先生のご愛嬌かな、とも思ったりし始めてますから。 

朝の3時近くまで、飲んではったんですか? 


853 英語の問題 投稿者:パクパク  投稿日: 9月 6日(木)09時23分53秒

英語の習得の問題とは、けっきょく、
発音問題=サウンドインプット・アウトプットに
帰着されるのではないでしょうか?
入試の配点がこちらに、より多く配分されれば
なおるとおもいます。
問題は、教える側が、音に関する知識があまりに
貧弱ということです。

あと、エリオットさんの投稿の中にあった
英文和訳の効用も議論するといいとおもいます。
これも逆ベクトルです。
つまり、英和よりも和英に力を入れた方がいいけれど
受験の点数配分が、英文和訳に多いということです。

なお、発音の習得に関しては、1、2年もかかる問題ではなく
教授法次第ということです。


854 正統な輸入 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 6日(木)16時27分37秒

小川さん

 うっちゃいといてくれと言われても、なかなか書く時間がないだけで、考え始めることは始めてしまったんで、じゃあ、一つ二つだけ。

 糞、馬鹿、あほ、たわけなどと言語道断の言語を使用したのは、ひたすら私一人ですが、これらの呪的な言葉の多発は、やはり「100パーセント」という近代科学的言辞が引き起こしたものだったと思います。こうじさんも学習法などには、なかなか呪的なものがありますが、その学習法の成果に自分で「100パーセント」などという背広を着せたのが気に入らなかった。だから、うっせえ、このやろ、なんだその背広は、みっともねえと言ったのです。
 私が嫌いな日本人の英語のタイプというのははっきりあります。日本に住んでいることの言語的磁場の足元が見えなくなってしまっているタイプです。このタイプの人は日本語が奇妙にデオドラントなものになります。日本語に味がなくなる。これは、英語をやることがもたらす恐ろしい作用なんですが、そのことにまったく無自覚であり、英語の発達だけを「善」とする涼しい顔した御仁です。
 端的に、こうじさんの持っている英語と日本語が私の嫌いなタイプのものだったのです。私が嫌いな言葉のタイプを作るための学習法を私が蹴飛ばすことはしょうがありません。
 一方、私はお茶のみ話だけしているつもりもなくて、真剣に話そうとしたつもりですが、こうじさんはのらくらと逃げておりました。難しいことになると応えないのです。考えろよ、このやろ。ちゃんと働けよ、と私は思いました。あまりに空振りが大きいので、結果、糞大スターマイン、馬鹿スターマイン、あほ仕掛け花火などごうせいに上がりました。経過があっての結果です。
 英語の上達のためにキリスト教に入信することが持っている意味など、私は今でもはっきりさせたいのですが、「何か悪いんですか」ってなことを言ったきり、こうじさんは登場しなくなりました。冗談じゃねえや。宗教一つで、今現在も、世界でどれだけの血が流れているか。この人は、宗教や思想というものが切れば血が出る生身のものだとは思っていないのです。
 もっこりさんの誠実な反論にも、こうじさんはまともに答えるということがなかった。こうじさんは英語のディベートはやった人じゃないかと思いますが、いや、そうじゃねえや、あの方は夫婦喧嘩が英語なんだ、まあ、いずれにせよ、日本語での議論において誠意がなかった。もっこりさんも淋しい思いをしただろうと思います。

 日本語での議論に誠意がない日本人に、英語で議論すれば誠意が生まれるのでしたら、やってみてもいいですが、そんなことはあることでしょうか。

 私は「100パーセント」と書かれれば、「100パーセント」という言葉を、「100パーセント」という言葉として、受け取ります。今後も、その他の言葉として受け取ることはしません。ここを崩せば、それこそネットの上の言葉は、すれ違いだけを引き起こすようなものになります。

 私が「馬鹿」と書くのでも、馬鹿だと思うから馬鹿だと書くのです。本当にそう思っているのです。

 「100パーセント」という言葉の使い方に、私はこうじさんの日本語に対する「鈍さ」を嗅いでいたのです。その臭いが最初からしました。読んでいるうちに、この日本語に対する鈍さは、英語をやりすぎて日本語を駄目にしたところから来るんだろうと思ったのです。英語使いには、日本在住のままに日本語の亡者になる人がいっぱいいます。英語ばかり見ていて日本語を見なかった人の自業自得であり、深い病だと思います。
 英語をやったら、それを日本語の活力にしろ。これは、密輸入じゃない。もっとも正統な輸入なんだ。英語をやって日本語の活きがよくなるんじゃなきゃしょうがねえ。(英語が使えるようにならなきゃしょうがねえってことも、もちろんありますが、そこにとどまるつもりはありません。)

 是非また書いてくださいね。

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855 100%聞き取り(私も結構しつこいなぁ) 投稿者:小川  投稿日: 9月 7日(金)00時03分13秒

根石先生、

こうじさんののらりくらり振りが、憤怒の発端だと言う事、分かりました。 「糞、バカ、たわけ」呼ばわりは、根石先生のキャラクターの一部、と言う事で.... 理解しました。 

(くせはあるけど、誠実な方らしい、と納得してます。これが誤解による理解なのか、理解に基ずく誤解なのか、ようわかりませんが。)

私、ゆうべ、つらつらとボケ切った頭を抱えて考えてみて、(これは浜谷さんにもメールを出したのですが)ふと思い付いたんですが、、、

字幕翻訳家(っていうんですか?)なんかは、100%聞き取ってませんか、ね?  こうじさんは別にして、(別にしとかないと、また乱闘になってしまいそうなので) 例えば、戸田奈津子さんはどうなんだろう? この方は、日本で英語を修得された方だと聞いていますが。 ド素人の素直な疑問です。 「何遍説明したら、分かるんじゃ、どあほ!」との怒号と共に、卓袱台のひっくり返る音が聞こえる様でので、あたふたと退散しますっ! 

もっこりさん、根石先生は、あなたの敬愛される先生なのだと思います。 援護射撃ぶりから推察出来ました。 いろいろ先生を非難して、嫌な思いをなさったでしょう。 ごめんなさいね。

投稿はまたさせて頂きたいと思います。   

でも〜、「おめぇぐらいの英語なら、こちとらにだってできらぁ」と言った類の口げんかは、英語でやるのが一目瞭然で面白いと思います。 外野もやんやの喝采です。 (しかし、私って、本当にしつこいなぁ)

糞ばばあ


856 戸田さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 7日(金)01時43分16秒

戸田奈津子さんですか。私は映画に詳しくないので、女房や村田君ならお返事できると思います。
でも、戸田奈津子という字は映画が始まるときか終わった時か覚えてないけど、何度も見た覚えが
あります。うまいよ、これ、と思ったことは何度もありますが、それが戸田さんだったかどうかは
記憶に自信がありません。
聞き取れるのが100パーセントだとは思わないんですが。映画の場合は、スクリプトがあるわけ
ですから、戸田さんはスクリプトを手に入れて仕事をしていると思いますよ。
「戸田さん100パーセント」は幻想じゃないでしょうか。
うまいよこれ、と思ったのが戸田さんの仕事だったとして、戸田さんは、日本語の話し言葉がよく
わかっている人なんだということだと思います。

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857 おっとっと 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 7日(金)01時47分13秒

糞ばばあ様

私は、「おめえくれえの英語なら、俺にだってできらあ」ってことは言っていません。
過去のログを探ってみて下さい。
あまり日本語を日本語に翻訳しないでくださると助かります。


858 この世に100%なるものがありますか 投稿者:英語嫌い人  投稿日: 9月 7日(金)04時25分54秒

カルチャー婆さんへ

わたしも「100%聞き取れる」というコトバに違和感を抱くものです。
日本語として、なにかが違っている。「腑に落ちない」ないのです。

「100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから「腑に落ちない」
というコトバは理解できないということになりますね。すると、100%
とは言えないのではないでしょうか?

戸田奈津子さんが引き合いに出されていますが、「100%聞き取れる」
ひとだとお考えのようにですね。
逆に、「100%聞き取れる」ひとは、戸田奈津子さんの字幕などは簡単に
できることになるのでは?

上の疑問にお答えいただければ幸いです。お待ちしています。

ちなみに、わたしの考えるところでは、日本語の会話でさえ、言ったこと
の50%も相手に伝わっているかどうか。怪しいとにらんでいます。
これは理屈ではありません。「経験から来る知識」いわば世間知です。
コトバは人の様々の理解のレベルにさらされているのだなという思いです。

さて、「100%聞き取れる」ひとは、以上のことは「100%聞き取れる」
わけですよね。


859 100%問題のつづき 投稿者:英語嫌い人  投稿日: 9月 7日(金)05時45分44秒

カルチャー婆あさまへ

つづけます。「100%聞き取れる」ひとについて、何だか書いている内に
腹が立ってきました。「馬鹿、クソ、」などの罵倒語が口から飛び出しそう。
それは根石先生におまかせます。

「100%聞き取れる」。このコトバには、世間知の琴線を逆なでするものが
ある。とても無神経なものが。そして傲慢なものも。

では、お聞きします。「ひとには理解できないものがある」「人間の心は
わからないものだ」などのコトバが世間にはたくさん転がっていることは
ご承知だと思います。このたぐいのコトバは、ひとが様々な体験から得た
知恵を示すものではないでしょうか?

とすれば、「100%聞き取れる」と公言するひとは何者なのでしょうか?
わたしには、ひとのコトバを洞察しようとする態度が欠落しているように
見えます。とても知恵者には見えません。カルチャーが欠けているといえ
るのではないか?

コトバは、とても重層的な構造で、そのひとなりの理解力にゆだねられて
いると考えます。つまり、コトバの聞き取りは、表面を見取るだけで、
「他人のうかがい知れない人生」を知ることはできないないわけです。
婆さまは、どう考えられますか?

戸田奈津子さんの仕事は、ただ者にはできないこと。「100%聞き取れる」
だけのひとができることではありません。わたしの世間知がそう告げてい
ます。
どう思われますか?

たくさんの問い掛けは、困惑されることと思いますが、
お答えをお待ちしています。


860 ただの技芸 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 7日(金)13時19分06秒

英語嫌い人様

書き込みありがとうございます。英語なんぞに興味はねえという方の書き込みも必要だと思いま
した。
英語の聞き取りというものは、それが練習段階であるならば、技芸の一つです。
技芸にとどまっているうちは、100パーセントも、理念としてなら大いに結構。その場合は、
「100パーセントの聞き取りをめざす」という理念になるはずです。
 ひとたび生活過程に入るならば、自分が日本語をどう聞き取っているかをよく見てみれば、
「100パーセント聞き取れる」が、澄まし込んだ嘘だということがわかる。生活過程での
聞き取りというものは、相手の真意をくみ取ろうということであり、相手の言いたいことを
受けとめることと直結しています。この点では、英語も日本語も何の区別もする必要が生じ
ません。
 技芸なのか、生活過程なのかの区別を置かずに、無限定に「100パーセント聞き取れる」
ということは、ほとんど白痴的なもの言いです。語学と生活の区別がついていないのです。
語学が生活過程であるわけがねえ、ということは世間知を備えた人なら誰でもわかる自明の
ことなんですが・・・。
 英語の練習という技芸の世界をそのまま餅のように引き伸ばせば、生活過程に連続してい
るという幻想は非常に根強いものがあります。語学(技芸)という世界の果ては、断崖絶壁
になっており、そこでは人は何事かを大きく飛び越さなければなりません。この飛躍をして
も人間が壊れないで済むのは、異言語が形作る別の磁場という実体が存在し、そこに着地す
ることができるためです。その磁場に住んでいるのもまた人間であるという信によるもので
す。この着地に失敗すれば、人間は簡単に壊れます。だから、私は語学は人が思っているよ
りもはるかに恐ろしい行為だと思っています。

 人々は、語学をやることが断崖絶壁に向かって歩くことだとは思っていません。
 餅のように引き伸ばされた道がそのまま、異言語による生活過程に連続すると思っていま
す。実はそうではないと気づくためには、語学の本当の場所は意識以外のものではないと気
づくことが必要なのです。意識という繭の中の世界を十全に生きることが語学であり、繭の
外に出る(成虫になる)ことが、その言語で生活過程に渡ることです。繭という意識だけの
世界を破って外に出ることです。外気にさらされることです。
 私は昆虫の気持ちはわかりませんが、語学という繭の外に出て生活過程に渡ることは、私
の覚えているかぎりでは異様な感覚のものでした。アメリカ帰りのアメリカ英語は、アメリ
カに渡ったばかりのときの異様な感覚をさっさと忘れたふりをしていると私には見えます。
 また、この磁場の力に大きく頼って成立した英語能力は、磁場を欠いた場所(日本)で獲
得した英語より、レスポンス能力は格段に優れていますが、この英語がどう逆立ちしてもで
きないことは、英語能力が日本語能力にはねかえり、日本語に活力を与えるというダイナミ
ズムを生きることです。こればかりは、一見不毛に見える「日本在住の英語学習」にしかで
きないことです。語学の富はここに潜んでいる。ぺらぺらしゃべれてステキ、なんぞにはな
い、そう思っています。

 さすがに英語嫌い人さんの「しばり」はきついですね。

>「100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから
「腑に落ちない」というコトバは理解できないという
ことになりますね。すると、100% とは言えないので
はないでしょうか?

 この「しばり」はきつい。西洋論理的「しばり」です。お見事と思いました。
 おおかたの方には意味不明と受け取られるおそれがあるほどにお見事です。


861 戸田奈津子 投稿者:小川  投稿日: 9月 7日(金)23時03分03秒

そら、そうですよね。 スクリプトが有るんでしたよね。 

私は、端から否定せずに、当たり前の事でも、そう豪語する人がいれば、ちょっとそう言う事が可能かどうか、考えて見ようと思っただけなのですけど。 

「こういう場合は、どうなんだろ?  事情聴取なんかの際のテープを書き起こすと言う仕事の場合なんだけど」と、寝室の天井を眺め乍ら、今だに考えています。 

こうじさんのおっしゃってるのは100%聞き取れる、つまり、書取れる、と言う事に過ぎないと理解してたんですが。 なんか、お互いに、違う土俵で相撲とってたんじゃないだろうか....

根石先生、「おめぇくれぇの」は先生のお言葉じゃありませんでした。 ごめんなさい。あの頃、あちこちから怒号が飛んでいたので、どなたかが、これに近い事をおっしゃってた方があった様に記憶してたんですが。

カルチャー婆さま、と言われると随分、老いぼれた婆様の様に聞こえますね。 頭脳構造が単純なので「そう言う事もあるかもしれない」と思うしかない婆さんです。 すんません。

夜明けの行灯



862 夜中の3時まで飲んではるのです 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 8日(土)02時53分45秒

小川さん。(昼行灯より)

>「100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから
「腑に落ちない」というコトバは理解できないという
ことになりますね。すると、100% とは言えないので
はないでしょうか?

 この言葉は解説の必要があるかと思いました。恐ろしいことを言っていると思います。
 古代ギリシアの政治屋やカルチャー婆あたちが、ソクラテスを恐れたと同じように、現代日本の人々も恐れていい言葉です。しかし、日本語の散文として「イマイチ」のところがあるので、日本語を日本語に翻訳する愚を犯さざるを得ません。
 ニュース英語のように、言葉が社会の共同的観念を頼りにし、その共同観念の射程の内で言葉が使われている場合は、「100パーセント(と言ってさしつかえないだけ)聞き取れるぜ、おらあ」っていうことは成立します。(私がこの社会の共同的観念駆使の世界において50パーセント以下であることはひとまず棚にあげておきます。嘘じゃないですよ。本当に、私にはニュース言語は、私にリアルなものとして響かないのです。)
 しかし、語学の外、生活過程において、無限定に英語が「100パーセント聞き取れる」と言明することは馬鹿な話です。マイクロソフトの新製品の売り出し文句(実際は売り出されない。やたらに遅れる。出たら出たで、品質は劣悪。(私のコンピュータは二日にいっぺんは「青く」なる))と同じくらい馬鹿な話です。そんな文句にだまされたい人が何人もいたので、私はこの世から詐欺がなくなることはない、とつくづく思いました。
 こうじさんの言いぐさを、もっこりさんが、テキ屋の口上と言いましたが、的を射抜いていると思います。小川さんに言っときますが、もっこりさんは単に私の生徒だというだけではありません。この人の眼力を私は信頼しています。
 小川さん、「カルチャー婆あ」などと自称してはいけません。カルチャー婆あども(の泥のようなニヒリズム)こそが、あのオウムを産んだのです。

 さて、英語嫌い人さんの言葉に戻ります。
 言葉がニュースのように共同観念に大きく依存しているのでない場合、しかも、言葉が生活過程で交錯する場合、つまり、生身の人間が生活過程にある場合ですが、ここでは、一挙に言葉の「聞き取り」が難しくなります。この難しいところを、人々は毎日、平気で生きています。恐ろしいと言えば、空恐ろしい場所を生きているのが「普通の人々」です。

 以下が英語嫌い人さんの日本語から「日本語への翻訳」です。

 「100パーセント聞き取れる」人には、不明なものは生じない。すべてが手に取るようにわかる(絶対的な)能力を持っている。だから、この人には「腑に落ちない」ということは生じるはずはない。(生活過程において)「100パーセント聞き取れる」ということは、「100パーセントわかる」ということであり、自分に「腑に落ちない」ことが一つでも含まれていたら、「100パーセント」ではなくなってしまう。
 従って、この人が「絶対に」わからないことは、「腑に落ちない」ということで「なければならない」。(「腑に落ちない」ということがわかったとたんに、この人の絶対的な能力が相対的なものになってしまう。そしたら、それまでの能力はゴミになってしまう)。
 この人は、「腑に落ちない」ということがあるとわかろうとしない。
 しかるに、「普通の人々」の娑婆は「腑に落ちない」ことに満ち満ちている。
 「100パーセント聞き取れる」つまり「全部わかる人」は、この娑婆が「腑に落ちない」ことだらけであるということもわからない人である。
 そんなこともわからない人が「100パーセント聞き取る」ことがどうしてできるのか。そんなことさえわからないままで・・・。
 100パーセント嘘である。

 英語嫌い人さんが言っていたのは、そんなことではなかったかと思います。誤訳を恐れています。
 翻訳って、本当に清水の舞台から飛び降りるようなことですね。

 やはり、翻訳は原文より長くなります。戸田さんの才能がうらやましい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


863 お久しぶりです。 投稿者:Tackchan  投稿日: 9月 8日(土)03時00分31秒

久し振りにこちらのHPに寄らせていただきましたが・・・
なんか足踏み状態ですね、まだ「100%英語ガ聞き取れる」の議論を皆さんで話しているの
ですか?
正直言って”時間の無駄”と言う感じがしますが・・・
もう少し建設的な議論をなさっているかと思いましたが・・・
残念です、又よらせていただきます。


864 Tackchan 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 8日(土)03時12分35秒

おいおい、そんなこたあねえよ。
ずいぶんと哲学的になってんだよ。
たまに来て、見限ったような早とちりはよしとくれ。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


865 では、一言だけいわせていただきます。 投稿者:Tackchan  投稿日: 9月 8日(土)03時37分29秒

100%聞き取れる」ひとは、100%なわけですから
「腑に落ちない」というコトバは理解できないという
ことになりますね。すると、100% とは言えないので
はないでしょうか?

本当にこうなりますか?
”腑に落ちない”という言葉を私は通常「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」
という意味で使っていますが・・
私の中では”腑に落ちない”というのは【言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる】という意味だと思いますが・・・如何でしょうか。

まあ、余計な御世話だとは思いますが・・・「随分と哲学的になってんだよ」と言われましたので
あえて反論を加えさせていただきました。

866 紛糾の続き(1) 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 8日(土)15時17分54秒
Tachchan 様

 まあ、「哲学的」はなかば冗談ですが、「100パーセント」の話がずっと続いてきたわけじゃなくて、小川さんがたまたま最近になって蒸し返してくださって、この話になってるんだと申したわけです。しょうがねえ掲示板だなと言われるのは「腑に落ちない」、と。
 「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」という意味で、英語嫌い人さんも「腑に落ちない」という言葉を使うと思います。それは英語嫌い人さん、Tachchanさん、私の間でただちに相互了解が成立すると思います。いまだになかなか相互了解にならないのは、こうじさんの言った「私は英語が100パーセント聞き取れる」という言葉です。
 英語嫌い人さんは、「100%なわけですから」と言っており、絶対的理解力、全知全能というような意味で使っておられます。英語、日本語の区別はしていません。また、語学の場のことより、あくまで生活の中の言葉の生態を考えておられます。
 いずれにせよ、お前、人間のくせして、自分が全知全能みたいなこと言うのかよ、というむかつきを引き起こす力は、こうじさんの「100パーセント」という言葉にあったということだと思います。
 場を生活過程に「限れば」、私は英語嫌い人さんの言い方が「哲学的」にまったく成立すると思っています。お見事だと思いました。だって、なにしろ、ことは「100パーセント」なんですから。しかし、生活過程のことを「哲学的」に扱ってどうするってんだ、生活過程のことは生活過程のこととして、生活過程で扱えという Tachchan さんの言い分もわかります。(こう「意訳」しちゃってよろしければですが・・・)これについては、英語嫌い人さんと議論してみて下さい。

 しかし、そもそもは、こうじさんが語学と生活過程をまるで区別しないで、「100パーセント」などと言ったことが紛糾の元でした。この人は本当に、その両者に何の区別もおいていないあぶない人です。おまえさん、そのままだと語学に食われちゃうぜ、と私は思っています。
 語学は危ない行為だというのは、私の持論の一つです。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


867 紛糾の続き(2) 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 8日(土)15時18分56秒

 語学の結果だと思うのですが、こうじさんは日本語の言葉の感覚が鈍いわけです。しかし、こうじさんの言葉は、圧倒的にこの掲示板では人気があります。こんなに人々にエネルギーを使わせ、考えさせ、人と人の間にごちゃごちゃを置く言葉を最初に書いたこうじさんは、本人に自覚があるかどうか、まあ、大した才能です。困った才能なんですが・・・。
 人気のことはともかく、ことの真偽について書きましょう。
 「100パーセント聞き取れる」ということは、本当のところどういうことを言っているのかはっきりさせてくれと私は今でも思っています。こうじさんは知らない単語があれば、それが字に書ける状態だと言いましたが、これは、簡単な文の中に単語が一つだけというような時に成り立つだけではないかと思います。

I can't ***** out what he said.

 なら、***** のところを聞こえた通りに字に書いてみようとすることができます。しかし、その場合に、純粋に音素だけに頼って、その音を何通りにも書くことが可能であったら、一連の字の組み合わせは確定できません。このことは英語にはよく起こります。つまり、書こうとしても確定できないということが起こります。あるいは、確定してみたところで、意味のない(存在しない)単語を書くことになる可能性が大きい。
 弱音、中間音、消失音は書こうとしても書けないか、難しくなります。しかし、こちらは標準とされている英語の癖を掴むことで解消可能でしょう。こうじさんはこのレベルはクリアした人だと思います。私はまだ途中にいます。
 個人の癖や、他の外国語の音の影響を受けた英語の音はさらに確定しにくいでしょう。これは、その個人とのつきあいの長さによって解消されますが、こうじさんの言い分からは、個人とのつきあいという「生活過程」のことは完全にすっとんでいます。(またこうじさん自身が、イギリス人と結婚しており、最小単位ながら日本で英語の「磁場」を持っている人であることを、長いこと伏せたままで掲示板に書いていました。この「磁場」があるかないかで、語学はまったく違う様相を見せることになり、同一のこととしては論じられないのですが、こうじさんはそれを隠したままで書いていました。このことは、まともに語学を論じる意識があるのなら、最初に前提として書いておかなければならないことです)
 話に枝が生えましたが、「字に書けば書ける」問題に戻ります。
 たった一つの単語で、これだけの問題があるのに、

I can't ***** *** what he said.

 の ***** *** が ******** と聞こえたりすることも起こります。つまり、二つの単語なのか一つながりの一つの単語なのか、「知らない単語に関しては確定できない」という問題です。それが三つつながれば(実は三つかどうかも、それを聞いている人には確定できない)、「100パーセント」なんぞ軽く吹き飛ぶ。嘘つけ、このやろ、です。

 いちいち以上のことを確認してのことではないですが、私はきわめて簡単な言い方をしてきました。「知らないものは聞き取れない」。それだけです。こうじさんの「100パーセント聞き取れる」は嘘だと思いますし、「知らないものは聞き取れない」は本当だと思っています。自覚があるのかないのか、こうじさんは嘘を言っていると思います。自覚があるなら、とことんやっつける必要があるし、自覚がないなら、困ったちゃんであります。
 以上のことは、この場をお借りして、小川さんの疑問に答えた部分が多く、Tachchan さんには自明のことが多く含まれていると思います。お許し下さい。

 見限らないでね。

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868 人世に100%は、ありますかな 投稿者:英語嫌い人  投稿日: 9月 8日(土)21時11分35秒

Tackchan さんへ

>> 本当にこうなりますか?

そうなります。

>> ”腑に落ちない”という言葉を私は通常「言っていることは分かるんだけ
   どどうも礇に落ちない」という意味で使っていますが・・
  
腑に落ちない、とは辞書にあるとおり、合点がいかない、納得できない、という
ことです。たとえば「あの人の言っていることは、どうも腑に落ちないなぁー」
何かがしっくりこない。引っ掛かる。つまり言っていることが「何かがわからな
い」ということです。理解できないわけですね。わからない、という意味ですよ。

「言ってることは分かるんだけど」という言い方は、成り立たないと思います。
とても不自然な日本語の使い方に見えますが。
本当にそう思っているんですか?

>>【言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる】

矛盾した言い方ですね。失礼ながら失笑してしまいました。
逆に言えば「腑に落ちる」とは「ああ、それでわかった!」ということです。
つまり、わからなかったことが、わかったわけです。

「腑に落ちない」とは、言っていることに何かが足りないために、わからない、
ということです。

根石先生
日本語から「日本語への翻訳」。ありがとうございます。
とても、わかりやすくなっていると思いました。

カルチャー婆さま
>>私は、端から否定せずに、当たり前の事でも、そう豪語する人がいれば、ちょっ
  とそう言う事が可能か どうか、考えて見ようと思っただけなのですけど。

この文章は、私には意味不明ですね。何かいろいろ省略されているように感じます。
きちんと書いていただきたい。これでは、さっぱりわかりません。

>>「こういう場合は、どうなんだろ? 事情聴取なんかの際のテープを書き起こすと
   言う仕事の場合な んだけど」と、寝室の天井を眺め乍ら、今だに考えています。

心おきなくお考えください。時間は充分にあります。 

>>こうじさんのおっしゃってるのは100%聞き取れる、つまり、書取れる、と言
 う事に過ぎないと理解してたんですが。

なぜ「書取れる」になるのですか。「聞き取れる」とはっきり書いているではない
ですか。

>>すんません。

あやまる理由はないと思います。
  


869 ご無事ですか 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 8日(土)21時51分08秒

ST 様

今日のレッスンの電話をお待ちしていましたが、連絡がありませんでした。
ご無事ですか。
よく書き込んでおられたのに、ふっつりと途絶えているので心配しています。

ST さんの側で現在、メールが使えるのかどうか、わかりませんので、ここへ書いておきます。
「素読舎連絡帳」という掲示板もありますが、ST さんはこの「大風呂敷」のページの方をよく見ておられるだろうと思いますので、この場をお借りします。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


870 素読舎連絡帳 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 8日(土)21時52分00秒

素読舎連絡帳のアドレスは以下の通りです。

http://village.infoweb.ne.jp/~blueeyed/sodokusya/mimic.cgi

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


871 あげあしとりはやめましょう! 投稿者:英語好き人  投稿日: 9月 9日(日)00時04分10秒

英語嫌い人様

あなた様はどれほどの日本語使いか存じませんが、人のあげあしをとるのもいい加減にしていただ
けませんか?

>心おきなくお考えください。時間は充分にあります。 

なんですか、この言い草は? 少しは本名で投稿している人の気持ちを察してあげたらどうですか? これを人を小ばかにした言い草といわないでなんといいます?

管理人さんへ、

すこしは、交通整理をして頂きたいと思って投稿しました。この掲示板は英語の掲示板としては非常に質の高いものだと思っています。なのにこういう投稿者のなすがままにさせておくのは、まともに本名を使って投稿しようとする人の意欲を削ぐのではないかと危惧しております。


872 難しい人 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)00時19分52秒

英語嫌い人様

「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」は腑に落ちないですか。

ううむ。難しい人ですね。


http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


873 好き嫌い 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)00時30分03秒
英語好き人様

本名を使うか使わないかは、本人におまかせするしかありません。本名を書いたように見えても、
本名でないこともありえますし、本名であるかないかで、発言の軽重はないと考えています。発
言内容が問題なだけです。これは、言葉というものをどこまで信じるかということです。

英語嫌い人さんが言っていることには、なかなか大事なものが含まれていると思いますよ。
私がこれまでにこの掲示板から削除した記事は、100パーセント妨害狙いの無意味な記号の
羅列と、自分のメールアドレスが公開されている状態であることの危険を知らないままで書か
れた記事だけです。

英語嫌い人さんは、「荒らし」だとは思っていません。これは私の判断です。
英語が嫌いな人が、英語について日本語で論じることはいっこうに構わないことです。

私は雑多な質というものが大好きなので、申し訳ありませんが・・・。
気に入らない記事は無視して下さい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


874 知的レベル 投稿者:英語好き人  投稿日: 9月 9日(日)01時18分47秒
管理人様

>私がこれまでにこの掲示板から削除した記事は、100パーセント妨害狙いの無意味な記号の
羅列と、自分のメールアドレスが公開されている状態であることの危険を知らないままで書か
れた記事だけです。

そうですか、削除してくれとはいってないのですが・・・。人を見下したもの言いはいいということですね。折角この掲示板は知的レベルの高い掲示板だと思ってましたが、その考えを変えさせてもらいます。


875 浜谷様 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)01時36分10秒
久しぶりに浜谷さんの掲示板読みました。
ずいぶんと私のことが問題になっていてびっくりしました。
俺ってずいぶん評判悪いんですね。
反省はしてませんが・・・。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


876 低劣です 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)01時38分18秒
英語好き人様

知的レベルですか。そんなもん、大したことないですよ。
そんなもんは、私の文章がすべてを語ると思っています。

低劣低劣。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


877 人を見下した物言い 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)01時41分47秒
英語好き人様

「知的レベル」なんぞという日本語単語は、たいてい人を見下すときに使う言葉ですね。
下品な言葉です。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


878 暴発に次ぐ暴発、美しきかな。 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)01時47分50秒
英語好き人様

削除しないで、交通整理ですか。
それは、非常に体力と労力と精力が要りますが、それを私に要求しているわけですか。

私は削除する程度の労力しかここで使うことはできません。
あなたがこの掲示板の交通整理をしてくれるというのなら、おまかせしたいと思います。
なにしろ、ここは、あなたがやったように、暴発に次ぐ暴発です。
交通整理など、さっさと匙を投げています。
自分で暴発しといて何を言ってるんでしょう。

小川さんは自分で責任をとればいいのです。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


879 根石吉久、評判わるいぞ 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)02時12分54秒
俺が評判が悪い掲示板のアドレスです。


http://www64.tcup.com/6415/toshiohamaya.html

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


880 もう一言だけ説明しましょう! 投稿者:Tackchan  投稿日: 9月 9日(日)02時36分56秒
腑に落ちない、とは辞書にあるとおり、合点がいかない、納得できない、という
ことです。たとえば「あの人の言っていることは、どうも礇に落ちないなぁー」
何かがしっくりこない。引っ掛かる。つまり言っていることが「何かがわからな
い」ということです。理解できないわけですね。わからない、という意味ですよ

あのさあ、納得できないということは少なくとも“相手の言っていることはは分かる”ということでしょう! 英語でいうとCANというとことですよね!
あなたが言っているのはCANの意味でしょう。
だって、少なくても相手の言っている事の意味を分からなければ”納得”と言う概念は出て来ませんよね!

言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる】

「矛盾した言い方ですね。失礼ながら失笑してしまいました。」

この発言のどこが矛盾しているのでしょうか、教えてください。
もし、説明できないのであればあまり人をみくだした言い方はしない方がいいと思うよ!


881 小川さんへ 投稿者:もっこり  投稿日: 9月 9日(日)02時39分55秒
小川さん、

>もっこりさん、根石先生は、あなたの敬愛される先生なのだと思います。援護射撃ぶりから推察出来ました。 いろいろ先生を非難して、嫌な思いをなさったでしょう。 ごめんなさいね。

うーん、全然違います。
確かに私は、根石さんの「電話でレッスン」の受講生ではありますが、
そのことと掲示板での議論とは、別のことなのです。
援護射撃など、した覚えもする気もないのです。
議論の場ではみんな対等です。根石さんとこうじさんと小川さんと私と。
師弟関係も年齢も英語の出来不出来も関係なし。
違うと思ったら、根石さんの記事とネイティブの英語話者の記事だろうと、
反論するでしょう。

Eliotさんはじめ他の人たちもおそらく同様に、それぞれ独自の意見を持っていて、
テーマごとに、ぶつかったり合意したりするのであって、
徒党を組んでいるわけではありません。

こうじさんが登場されていたときも、一対多ではなく、一対一で、
自分の関心のあるテーマで、それぞれがやり取りをしていたはずです。
「袋だたき」とは違うと思われませんか?

882 もっこり様 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)04時06分31秒
徒党!
徒党ほど私が嫌いなものはありません。

激しく同意します。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


883 くたびれたよお 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)04時20分11秒
皆様

この掲示板の過去ログ、301〜400番をただいま私のHPへUPしました。

話題の人・こうじさんへの私のののしりなどが読めます。

なお、改行など乱れているのを直しましたが、この掲示板での改行との異動があるかと思います。
なるべく読みやすくすることを心がけましたが、こんな改行では「俺・わし・あたし、僕・あち
き」の真意と異なるということがありましたら、是非お知らせください。
明らかな字句の打ち間違えは直してあります。

UPしたものの訂正は、時間がとれれば必ず致します。

でも、一度発言したことを削除してくれってのは駄目ですよ。
記録ですから。歴史の改竄になりますから・・・。
記録されたくない人は書かないでくださいね。

個別URLを調べてリンクすることは可能ですが、もうへとへとなため、調べるのがめんどう
です。HPの表紙から、「大風呂敷の過去の記事」という意味のタグをツンツンして入ってく
ださい。

じゃあ、皆さん、おやすみなさい。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


884 理解の階層性 投稿者:もっこり  投稿日: 9月 9日(日)04時32分32秒
Tackchanさん、

>本当にこうなりますか?
>”腑に落ちない”という言葉を私は通常「言っていることは分かるんだけどどうも腑に落ちない」
>という意味で使っていますが・・
>私の中では”腑に落ちない”というのは【言っていることは理解できるが、感情的には賛成しか>ねる】という意味だと思いますが・・・如何でしょうか。

「腑に落ちる・落ちない」は、Tackchanさんのおっしゃる「感情的な賛否」以外に、
「浅い理解から深い理解へ到達した・到達できない」ときにも使いますよね。

「三角形の3つの内角の和は180度である」
という公式(でよかったかしら?)があります。
この文の「三角形」「内角」「和」「180度」という言葉を知っていたとしても、
理解の仕方には、

(1)テキストを読んで、この公式を丸暗記する。(「三角形の内角の和は?」という問いには答えられる。)
(2)いろんな形の三角形を分度器で測ってみて、すべて180度になっていることを確かめる。
(3)この公式の数学的証明ができる。
(4)公式を使って応用問題を解くことができる。

と、いろんな段階があります。
で、(1)の段階だと、「なんとなくわかるんだけど、どうも腑に落ちないなあ」だったのが、
(3)(4)の理解に達したとき、「なるほど、やっと腑に落ちたよ」と喜ぶと、
そんな感じです。
なので、「腑に落ちない」ということばが、
「浅い(100%でない)理解に留まっている不全感」の表明というケースもあるでしょう。

もっとも、

>言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる

これはよく使う用法だし、矛盾しないと思いますが。

885 不適当、低劣な書き込みを深くお詫びもうしあげます。 投稿者:英語好き人  投稿日: 9月 9日(日)08時05分31秒
根石様

>すこしは、交通整理をして頂きたいと思って投稿しました。この掲示板は英語の掲示板としては非常に質の高いものだと思っています。なのにこういう投稿者のなすがままにさせておくのは、まともに本名を使って投稿しようとする人の意欲を削ぐのではないかと危惧しております。

>そうですか、削除してくれとはいってないのですが・・・。人を見下したもの言いはいいということですね。折角この掲示板は知的レベルの高い掲示板だと思ってましたが、その考えを変えさせてもらいます。

上記引用文2件は「英語好き人」の匿名で管理人様宛に差し上げたものですが、不適当且つ後者に至っては極めて低劣なものであったことをここに深くお詫びし取り下げさせて頂きたいと存じます。なお、前者における管理人様宛書き込みに加え「英語嫌い人」様宛の下記書き込みも内容はともかく書き込む資格のない私の書き込みにつき同じく取り下げさせて頂きたいと存じます。なお謹慎の意味で今後根石様より特段のお許しがない限りこの掲示板への書き込みは匿名、実名に拘わらず控えさせて頂きたいと存じます。本当に申しわけありませんでした。

この掲示板をご覧になっている皆様

上記のように私こと浜谷俊雄が昨日夜0:4:10 と1:18:47 に2度に亘り「英語好き人」という匿名で管理人様宛不適当かつ後者は極めて低劣な書き込みをしてしまい、皆様にも不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ありませんでした。ここに伏してお詫び申し上げます。

英語嫌い人様

>あなた様はどれほどの日本語使いか存じませんが、人のあげあしをとるのもいい加減にしていただ
けませんか?

>>心おきなくお考えください。時間は充分にあります。 

>なんですか、この言い草は? 少しは本名で投稿している人の気持ちを察してあげたらどうですか? これを人を小ばかにした言い草といわないでなんといいます

昨夜0:4:10に「英語好き人」の匿名であなた様宛書き込み致しました上記引用文のうち私の分(>印)は取り下げさせていただきます。理由については上記管理人様宛の文章をご覧ください。なお、謹慎中ですので、この掲示板には管理人様のお許しがない限り書き込みを控えさせていただく所存ですので、「英語好き人」宛書き込みの必要があれば当分リンクしている私の下記掲示板の方へ書き込み方お願いします。

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


886 訂正 投稿者:浜谷  投稿日: 9月 9日(日)08時09分36秒
先ほどの「英語好き人」での書き込みは投稿者名は「浜谷」の誤りです。お詫びして訂正致します。


887 納得できませんね 投稿者:英語嫌い人  投稿日: 9月 9日(日)10時20分13秒
Tackchan へ

>>納得できないということは少なくとも“相手の言っていることはは分かる”ということ
  でしょう!

違うでしょう。言ってることがおかしいと思います。「わからない」ということでよ。
それとも、こういう言い回しを使うことがある、ということですか? その場合でも、
“相手の言っていることはは分かる”の内実は「わからないけれども」ということで、
やはり受け止める側は「言ってることがわからんな」という意味ですね。

>>少なくても相手の言っている事の意味を分からなければ”納得”と言う概念は出て来ま
 せんよ

そうでしょうか。わからないから、納得できないのですよ。

>>言っていることは理解できるが、

つまり「理解できていない」のに「理解できるが」ということ。可笑しいです。
言い回しのことをいっているのかな?

>>感情的には賛成しかねる】

理性では賛成している、と読めますね。
「理解できる」「理性では賛成している」けれども「感情的には賛成しかねる」という
ことになりますが、意味がわかりますか? 矛盾していますよ、これは。分裂です。

>>これはよく使う用法だし、矛盾しないと思いますが。

もっこりさん
用法とは「言い回し」のことですか。
いま問題にしているのは「腑に落ちない」の意味ですよ。
その意味は「わからない」につきます。


888 御無事です!ありがとうございます! 投稿者:ST  投稿日: 9月 9日(日)11時06分46秒

メルボルン滞在中に3日間のバックパッカー向けのツアーに参加していました。いろんな体験ができました。8人の参加者のうち日本人は私のみです。イングランドから2名、スコットランドから1名、アイルランドから1名、ドイツから2名、メキシコから1名、そして私です。私とメキシコ人以外は英語がほぼ無理なくコニュニケーションがとれます。ドイツ人2名もたまに苦しんでいましたが、それほどではありませんでした。皆気持のいい若者ばかりでとてもたのしく参加できました。
最近の書込みはあまりおもしろくないのが少し私にとっては残念です。月曜日にタイヘいきます。またネットカフェがあれば書込みます。


889 ご無事を祈ります 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)13時24分37秒

ご無事でなによりです。
私は御無事と、わざと書くことがありますが、「御」無事と、わざと書かれたのでしょうか。
旅の御無事と日本語の御無事をお祈りしております。

最近のおもしろくない記事は、実は「日本在住英語」の問題と太くつながっていると思います。
でも、また、だんだん、英語そのものの話に戻っていくでしょう。


http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


890 浜谷さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)13時39分15秒

私は、全然おかまいなしですから、これからもどんどん書いて下さい。
匿名で書こうと、本名で書こうと、公開されている場であることだけ心得ていてくだされば大丈
夫です。
誰でも頭に血が登ることはあります。その血の登り様を、思いの丈をぶちまけるように書く場所
というのは必要です。その意味では、「英語好き人」様は、人のかんぐりをうっちゃってしらば
くれ続け、「英語好き人」のネームのままにしておかれた方が、場所の確保にはよかったかもし
れません。

私は謹慎しろなどと言っていません。ご自分で始められた謹慎を私が解く必要があるのでしたら、
すでに解いてありますので、どうぞいつでもまたおいで下さい。

あっしら、語学屋です。
語学という暴力を奉じたものとして共に歩きましょう。


891 腑に落ちない 投稿者:もっこり  投稿日: 9月 9日(日)13時51分44秒

英語嫌い人さん

たとえば、誰かが、「弘法筆をえらばず、ってなんて腑に落ちないなあ」
って言ったとします。
その人は「弘法筆をえらばず」ということわざの意味(名人は道具の善し悪しにかかわらず良い仕事ができる)は理解しているはずです。
一方で、「いや、やっぱり名人ほど道具を吟味するものじゃないかなあ」
「でもことわざになるくらいだから真理を突いているのかな?」など逡巡する気持ちがあって、
このことわざの教訓を全面的に受け入れられないでいる。
そこで「腑に落ちない」と表現する、っていうことはありませんか?
まさに、

>言っていることは理解できるが、感情的には賛成しかねる

だと思うのですが。


892 社会人塾生ノート その1 投稿者:十三番目の使徒(笑  投稿日: 9月 9日(日)15時22分33秒

素読舎以前

 私は長野県で最大勢力を誇る教育団体(某信学会、そのまんまですが)で、小学校の6年間、英語をならっていました。
 理由はといえば、英語がやりたかったわけではないのでして…。私はその教育団体(何度も言うけど信学会です)の幼稚園に通っていて、卒園する時に「もう幼稚園の先生とお別れしなくちゃいけないの?!」と思ったからです。小学生の英語の授業は、その幼稚園の中でやっていたので、英語をやりに行けば、ずっと幼稚園の先生と会えるゾ、という、まったくもって不純な動機だったのです(やっぱりねぇ、という声がどこぞから聞こえてきそうですが…(笑)

 今にして思えば、そこでやっていたことは、英語で歌を歌う、とか、英語で劇をやる、とか、どっちかというと父兄にウケがよいことをやっていたような気がします。劇なんか何ヶ月も練習をやって、だけれどさっぱり当人は何をやってるかわからない、という状態でした。
 歌も、毎月別の歌をやるんですが、こんな感じでした。

「あーびわーきおんざれーるろー おーんざりぶろんぐでー」

 先生はきっと、もっと英語らしく発音していたと思うのですが、当時も今も、思い出してみると、自分が出していた音はこんな音です。十年くらい経ったある時、あ、あれはもしかして「鉄道員」だったのではないか?と気付きました(笑)
(必ずしも遊びだけではなくて、ロールプレイなどもやっていたこと、身の周りの物の単語を覚えるということもやっていたことは一応補足しておきます。あ、それから、先生は保母さんで、先生のことは大好きだったことも補足しておきます(笑)

 とはいうものの、中学では、英語の試験は楽勝でした。田舎の中学でしたから、たとえ遊びのようなものだとしても、少しでも英語(のようなもの)に触れていたのは有利だったのかもしれません。

 そこで、私は、勘違いをします。
「俺って、もしかして英語できるんじゃねえの?」


893 社会人塾生ノート その2 投稿者:十三番目の使徒(笑  投稿日: 9月 9日(日)15時27分05秒

 勘違いしたまま、高校の1年半が過ぎます。それまでは、「感覚」で答えていたら、試験は高得点を取れていました。ところが、そろそろ、点数が伸び悩みます。全国模試なんて、最低です。「おかしい。俺、いけてるはずなのに!」
 今思えば、まったくアホ、です。ただ問題解いていただけですし、「貯金」は、実質的には小学校の6年間だけだったのですから。しかし、当人には「貯金切れ」だという自覚がなかったのでした。プライドだけは持ったアホは始末が悪いのです。輪をかけて、その地域では一応、進学校として通っている高校だったから、なお始末が悪い。いつかはなんとかなるんだ、と、ただただ思っていました。
 結局、現役では大学受験全滅で、その時までアホさは続くのでありました。

 またしばらく経ち…。かつて同級生だったMが、黄色い、一冊の薄い本を手渡してくれました。
表紙には、「けんか英語入門・英語のやっつけ方」と書いてあります。
「俺の行ってる塾のおっしゃんが書いた本なんだけどさ」

え?おっしゃん?て何?

 奥付を見ると、帽子を被ったひげ面のあやしいおっさんが写っている。うーん…
 でも、表紙の線画がちょっと素敵。ちょっとブキミけど。どれどれ…。


894 ぶろんぐでー 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)15時37分04秒

>「あーびわーきおんざれーるろー おーんざりぶろんぐでー」

般若心経ですか?

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


895 あり難いお言葉、謹んで頂戴いたします。 投稿者:浜谷  投稿日: 9月 9日(日)16時37分06秒

根石さん

>私は謹慎しろなどと言っていません。ご自分で始められた謹慎を私が解く必要があるのでしたら、
すでに解いてありますので、どうぞいつでもまたおいで下さい。
あっしら、語学屋です。
語学という暴力を奉じたものとして共に歩きましょう。

ありがたいお言葉、謹んで頂戴いたします。 恩を仇で返したような気がしていました。 これからは根石さんとともに、語学という暴力を奉じたものとして末永く歩いていく所存です。

浜谷俊雄

http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/


896 ボ〜 投稿者:小川  投稿日: 9月 9日(日)16時51分54秒

まだ、考えてます。 出来るんだか、どうだか、わかんないけど、私も、やってみよか、なあ〜、とか,,,
ボケ、です。 はい


897 浜谷さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)17時00分06秒

今後ともよろしくお願いします。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


898 小川さん 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)17時18分54秒

 私もやってみようかな、というのは?
「回転読み」などの私の方法のことですか。

 是非、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」をお読みいただきたくお願いします。
ここには、耳の問題はあまり書いてありません。でも参考になることはあると思います。
高校の先生(ST さん)が、「回転読み」「回転書き」「電圧装置」などを実践して、この掲
示板にときどき報告を書いてくださっています。こちらもご参照ください。

 昨夜、野暮用で、浜谷さんの掲示板を読んだら、JIJIRO さんという方の練習の様子が想像
できました。とてもいいやり方をしておられると思いました。

 「出来るんだか、どうだか」ってのは、英語用に耳を鍛えるってことですか?
 「100パーセント聞き取れる」ことになることは、原理的に成立しませんが、「鍛える」こ
とはどなたにでもできます。

 娑婆やカルチャーばばあと喧嘩ばかりしてきたので、地元でも私の評判はよろしくなく、食い
詰めつつあります。「電話でレッスン」の生徒さんになっていただくことをご考慮いただけたら
・・・と、急にビジネスモードですが、悪いものではないと自負しております。実質はあると思
っています。

 なにはともあれ、江戸紫、今後ともご登場下さい。(わかる人は年寄りか?)

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


899 Eliot 様 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)17時19分38秒

Eliot 様

 お忙しいでしょうか。
 お時間がとれた時で結構ですので、以下についてお教えいただきたくお願いいたします。

He would accept full responsibility for the act of violence.

She took over the responsibilities of being head of the family.

 妻がこの二つの文を探してきたのですが、responsibility が一方は単数、一方は複数になっています。なぜか、と聞かれました。
 違いはそれだけでなく、一方には the があるし、一方は無冠詞。また responsibility がひきつれている前置詞が一方では of であり、一方では for になっている。


 700選に含まれるような間違いを含んでいれば話は別ですが、そこが私にはわからないので、ひとまず語法的な間違いを含まないとして考えてみました。

上の文の「責任」は裁判などになれば、「法的責任」というような抽象度を持つ。「暴力行為に対する責任」という抽象度がある。for を連れているのは、「償い」などが含意されるため。

下の文の「責任」は、町内会とどうつき合うかとか、子供の養育費をどう確保するかとか、個々の具体的な「果たすべき用事・仕事」で、具体性が強い。それが具体的にどんなものか、話の相手が想定(想像)することができるので、the がつく。複数なのは、「用事・仕事」は数として数えられるから。of はこの「立場」を「具体的な用事・仕事」に連結する。

 ということじゃないか、と妻に説明しましたが、確信に至りません。
 これでよろしいのでしょうか。

http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis


900 訂正 投稿者:根石吉久  投稿日: 9月 9日(日)17時22分44秒

訂正前

>of はこの「立場」を「具体的な用事・仕事」に連結する。

訂正後

of は「立場」を「具体的な用事・仕事」に連結する。





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