E.T.の中のエリオット少年はElliotでlが二つですが、私のEliotはこのElliot君からいただきました。私はあの映画のファンなのです。Lをひとつ落としたわけは、そちらの方が簡単だからです。私の本名で電子メールアドレスを登録しようとしたら、他の人がすでに登録しているから、○○1とか○○sとかにして、といわれ、それはしゃくだから 変わったものにしようと思ってeliot@******jpにしたのです。それ以来ネット上ではEliotを名乗っています。つまらない話ですみません。
ところで、E.T.はとても楽しい英語です。そのうち生徒たちにも字幕なしビデオを見せてやろうと思っています。
(私はAmazon.comや他の業者からビデオをたくさん買って楽しんでいます)あのサイズのE.T.がElliot少年の自転車の前のかごにすっぽりはまって乗れるとは絶対に思えませんが、追い詰められた少年達の自転車が空に舞い上がって行く場面はいつ見ても楽しいものです。
根石さん、今日は! 奈良は蒸し暑いですが、そちらはどうですか? 避暑に行くにはいいところじゃないかと羨ましく思っています。いつも掲示板に私や他の熱心なビュウアー(この言葉は私が勝手に造語しました。何かもっと適当な言葉があればお教えいただくとあり難いです。)へ熱心な書き込みをされているのを拝見し、自然にこちらもいい加減なことは言えない、いや、折角与えてくださる絶好の私見を述べるチャンスであり、且つ試練であると考え、 いつも気を引き締めながら、パソコンに向かっています。>えっ! 「音読」だったんですか。私は、浜谷さんの方法は、内部音声を響かせていても、黙読だとばかり思っていました。どこかでおたずねして、内部音声を響かせた黙読だとお聞きしたような気がしていたものですから・・・。すみません。読み過ごしておりました。
いえ、どういたしまして。私も根石さんとかなり永いあいだお話しさせていただいていて、以前お話した内容をきちんと覚えているわけではありませんので、そんなに風に言って下さると返ってつらいです。>まあ、両方ともやられたのだと思いますが、ペーパーバックスの場合、(実際に声を出す)「音読」と、(内部音声を響かせる)「黙読」のどちらをたくさんやられたのでしょうか。
(内部音声を響かせる)「黙読」が断然多かったと思います。その方が量をこなせるからです。
>相も変わらず、外人のいる英会話学校の方がいいと思っている人が多いのでしょう。
私は、逆に思い切って、大人の人に「勉強スタイル」をとらせています。私の地元の生徒さんには、英会話学校にだまされたことのある方が少なからずいます。この人たちは、勉強そのものが必要であるとわかっていてくれるので、「勉強スタイル」を続けてくれます。私も将来はチャット・タイムを減らし、リーディング・タイムを増やしたりして、激しく、中身の濃いサークル(相談室)にしたいと考えています。 ところで、根石さんが「英語どんでんがえしのやっつけ方」でも掲示板でも強く仰っているものに、「英会話学校」へ通うことの馬鹿さかげんということがありますが、私自身も通ったことがありますので、何故通ったかを申し上げてみたいと思います。私は徹底的インプット、ヒヤリング訓練、スピーキング訓練を意図的に分けて別々にやりました。インプットについてはすでに幾度となく申し上げたとおりです。スピーキングは2つほど英会話サークルに所属し徹底的に英語をしゃべる訓練をしました。こういうサークルでは1次会(ミーティング本体)で積極的に喋る事は当然として、2次会で喫茶店に行った時も、会員相互の交友を深めるだけの目的で日本語で喋る人が多いなか、私は努めて英語で喋るようにしました。次にヒヤリングの訓練の為には当時(40年前、今ほどヒヤリングの教材は揃ってなかった)手に入れることが出来るだけのカセットテープなどやラジオ講座等を利用したのは勿論ですが、一番利用し甲斐があったと思うのが英会話学校のネイティブの喋りでした。当時の英会話学校は今と違って、上級クラスであったせいもありますがチャット形式でした。ネイティブがその日、その日に話題になっていることを中心にお喋りをし、適宜生徒が質問をしたり、意見をいったりするというものでした。私は1週間に2時間ぐらいそれらのクラスをヒヤリングの練習と割り切って出席し、微妙な発音の違いや法則みたいなものを発見し、やった!と思ったことが数回あり、その後ネイティブのしゃべるのが聴き易くなったのを覚えています。
このことから私は英会話学校へ通うことが一概に良くないとは考えていません。問題はその利用方法だと思います。
漫然と通うのは根石さんはじめ多くの達人の方たちが仰っているように金をどぶに捨てるようなものだと思いますが、上記のように割り切って考え、ヒヤリングに特化して利用するなら値打ちは十分引き出せると考えています。だから私は相談室来室者で英会話学校に行っている人には、なるべく自分のレベルより上のクラスに入れて貰い喋れなくてもいいからヒヤリングに特化するようアドバイスしています。http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
>「音読」だとすると、知らない単語に出会っても辞書をひかないとおっしゃっておられたこととぶつかりあうと思うんですが・・・。つまり、知らない単語は読み(発音)もわからないことが多いのですが、これはどう「音読」なさるのでしょうか。私もそれらの単語は発音せず留保しています。実際問題として、それら難しい単語はそんなに何回もでてくることはまれで、殆ど気にはなりません。3,4回続けて出てくれば辞書を引きます。
内部音声を響かせながらの多読(黙読)を楽しめるようになるのに、20〜30パーセントの理解でもいいからやれと言っても、よほど根性のある人(浜谷さん)以外にはなかなか継続は難しかろうと思っています。このごり押しは、・・・
そうでしょうか? 私はこれを登山に喩えています。 登り切った時の快感は何ともいえないものですが、20−30%しか分らない本でも最後まで読み切ったことで達成感がありますし、それらの苦労して読んだ本が本棚に並んでいくのを眺めることで自信につながると確信しています。逆に途中で挫折し投げ出すと投げ出す癖がつき自信喪失につながります。最初は20−30%でもそれが、30−40%、40−50%と次第に読む力はついてくると思いますし、どのような本が自分に向いているかもそのうちに分ってきます。探偵小説は一般的に言って読みやすいのですがそのわけは、次に何がおこるのだろうと興味しんしんと読み進めることで、これは日本語で読む場合と同様でしょう。ただ、ご指摘のようにサークル(相談室)ではテキストをうまく選んで、60〜70パーセントの理解度のものを教材に使うようにしています。
>ST さんのように、「20〜30パーセント」の理解でも読んでいいのか! と開眼してくださる人もいますから、
私のHPでも言っていて、STさんにもご説明しましたが、この方法は基本的には語彙・構文のインプットを目的にしていますが、ヒヤリング練習という側面があります。ヒヤリングの場合相手が言っていることが聴き取れないということがしばしばですが、その際ある程度推量で理解しようと努めることになりますが、その訓練を20−30%しか分らない場合でも出来ることが一点。もう一点は探偵小説など特にそうですが、会話体の多い本を読むことにより、特に会話の際使える構文のインプットが出来るということです。概して、会話体は口語で書かれていて、しかも短い文章が多いので読みやすいということもあります。スラングも、何度も同じものが出てくれば、そのスラングは知っていて有益なものと考えられますので、スラング辞典等で調べ、覚えておくことは知らない語彙の場合と同様です。STさんのご発案でこの方法をヒヤリング読みとネーミングすることとしました。
>私は生徒さんに、「いつかはどかんとやれ」と言っています。いつどかんとやるかは、生徒さんにまかせています。だから、私の仕事は、どかんとやれるようにするための準備だとも思っています。
最近ある熱心なママさんメンバーから、次のようなお便りを頂きました。(ミーティングが夜6:30−8:30に行うため、よくお話を聞く時間が持てないので、葉書を配って、簡単なお便りを書いて投函して貰うようにしているのですが)「・・・真剣に英語に取り組もうと思いました。・・・でも英語学習は大変で。・・・浜谷さんの考えに触れ少し救われた思いです。でも、結局は自分の根気、努力しだいですよね・・・」こういう人はいつか、根石さんが仰るようにどかんとやってくれる人だと信じています。私もこういう人たちに根気しかもより良いメッセージを 送り続けたいと考えています。
>「どかん以後」であっても、人に英語力を持たせることは、自分の英語力を作ることとは違った難しさがありますから、短期間生徒になっていただいて、人に英語力を持たせる方法を学んでいただこうとも考えています。現在、塾の先生が二人、学校の先生が一人、生徒さんにいらっしゃいます。
根石さんの「映画でリスニング」の講座はSTさんはじめ沢山のかたが、受けておられ「素読舎」は将来的に私設英語教育機関の中核になるべき存在であると感じています。根石さんはご親切に、私にも参加を呼びかけて頂いて、私は しばらくは私の「相談室(サークル)」に専心したいことを申し上げて、それが軌道に乗った暁にはきっと参加させて頂きたいと申し上げておりますがその考えは変わっておりませんので、その節は宜しくお願いします。http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
17時21分41秒の書き込みの題名は「どかん!」に期待して(その2)と読み替えてください。失礼しました。http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
STさん そして、根石さんSTさん>60分テープを買って、実際に片面に回転読みをしましたが、実はそのB面にペーパーバックの音読のリーディングをやってみたのです。確かに、次のような問題が出てきました。
根石さんに同じ質問(音読の際知らない単語が出てきたらどうするか)されて、「発音を留保する」とお答えしましたが、STさんに同じ質問をされて、且つその実験をされたとお聞きし、私も今やってみました。それで分ったことは、確かに見当をつけて発音していることに気がつきました。
例えば、Harry Potter シリーズの本からです....seized Harry by the scruff of the neck... の中のscruff が分らなかった(簡単なのに分らなかった・・・面目ない)ですが、ちゃんと正しく発音してました。このケースはスペルが短く意味は分らないけど発音自体は類推で(見当をつけて)読めるということです。根石さんに『「どかん!」に期待する』でお答えしたのは意味が不明でスペルの長い読みづらいものの場合に発音を留保するということでよろしいでしょうか?STさん>根石先生が指摘なさること(つまり音読すれば必ず読めない単語で詰まってしまい(特に初心者(綴りと音の基本的なルールがまだ身についていない人)にその傾向が強い)調べたくなるストレスの付加がどうしてもかかってしまう恐れが大きいということ)が起こり得ました。
根石さん>私はペーパーバックスはひたすら黙読です。知らない単語が出てきたら、字の並びだけにらみ、内部音声としてはなるべく発音しないように留保しています。どうしても見当をつけて、(内部音声として)発音してしまいたくなります。これがつらいところです
ということでお二人のご質問のニュアンスが大分違うようなのですが・・・。根石さんは「どうしても見当をつけて、(内部音声として)発音してしまいたくなります。これがつらいところです」とされていますが、上記の私の引いてきた例ではどうですか?もし知らなかったとしてです。この例のような場合発音的には簡単だから、見当をつけて(内部音声として)発音しますか? 同じ例でSTさんはもし知らなかったとしてどうされますか? 「調べたくなるストレスの付加がどうしてもかかってしまう恐れが大きい」というのは発音の仕方を調べたくなるのですか?あるいは意味を調べたくなるのですか? あるいは両方ですか?
根石さんに質問させていただきたいことがあります。素読の場合はどうでしょうか?知らない語彙は見当をつけて音読しないのでしょうか? 根石さんの仰っていることを十分理解していない惧れがあります。その節はどうかご容赦ください。
http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
ST様生徒の発音の進歩の度合いを示す記録(録音・録画)は残念ながら、根石様にお送りしたテープ以外にありません。
ごめんなさい。皆様へ
英語の学習での発音の重要性を説いている人が作っているサイトをひとつご紹介します。参考になりますので、よろしかったらご覧になってみてください。「英語・発音・語彙」を中心にして英語学習について相当の量の情報を発信しています。http://www.scn-net.ne.jp/~language/
素読舎日録午後起きる。最近、朝が涼しい。朝風がひやひやするのを感じながら寝付く。現在の借家はやけに天井が高いのがいい。自分で天井にボードになっている断熱材を入れたのが効いているのか。娑婆が暑い暑いと言い、新聞でどこそこが何度になったという記事になる日でも結構午後まで寝ていられる。蚊がやたら出る(庭を雑草にまかせているから)問題以外は、この家は夏にはいい。決して立派な造りの家ではないが、この借家は日本の夏には抜群の性能を持つ。これが、俺が追い出されたら壊されるのか。そして、ニューでファンシーなプラスチックハウスが建つのか。
4時近く、山梨県のSさん玄関に現れる。上半身裸だったので、Tシャツをあわてて着る。「電話でレッスン」の元にある考えを話す。「音づくり」の音の立体化と「復習範囲を手放さない」について。「英会話用インプット」の教材をひとまずあるだけ、どかんと置いたらビビったようだったが、ビビらないでくれと言う。少しずつその度に郵送するのが面倒なだけなのだ。
5時半頃だったか、これから、今夜の「電話でレッスン」のための準備に入るからと断って、自分に対して「技法グラウンド」。今日から、「ゴースト」のシナリオが同日に3人になる。「ゴースト」の初日は、札幌のOさん。
9時半からTさんのレッスン。オーストラリアのTさんは、滞在を楽しみ始めている感じで、レッスンのための練習は少し薄くなっている。いいことだと思う。英語の磁場に身を置くことは、普通の日本人ははそんなにたびたびあることじゃない。磁場で磁力にまみれて欲しい。レッスンの準備はして欲しいことはして欲しいが、あまりレッスンに欲を出さず、今はオーストラリアの磁場をたくさん呼吸するのがいいのだと思う。レッスンについては、復習範囲に錆を寄せないでおくことにとどめことで正解だろう。今日は、オーストラリアで日本語を教えているTさんの友人が勤める学校の校長先生の家で夕食をいただくと掲示板にあった。そんなことを書かれると、またどこかよその国に行きたくなる。次回のテスト範囲を言うのを忘れてしまった。(Tさん、自分で割り出していただけますか。すいません、事務能力に欠ける男であり、その上、年寄りになりつつあるもので。)
次に、福岡のMさん。この人に特徴的なことは、一度レッスンでやったもののこなれがいいこと。新しい文に対して不器用であること。復習型文化と予習型文化というものを想定すれば、欧米文化は予習型ではあるまいか。日本は復習型文化ではないか。福岡のMさんは、まったく復習型であり、これは、日本の文化のタイプにまったく合致する。Mさんは正しい日本男児なのだ。
次に、札幌のOさん。「ゴースト」の初日。7語8語あたりにひとまずの壁があるかもしれない。しばらくは、ごり押しの日々だが、ごり押しは実を結ぶ。ごり押しをやっている間が本人は不安だがやって欲しい。自己流になってもいいから、激しく口を動かしてくれと言う。まだ、音が立体的でないから、自己流をやってもらっても、一週間後に直せば、次の一週間で直るだろう。コスト的には不利だが、最初のうちは仕方がない。
札幌・Oさんのレッスンを終えて、ウドの店に電話。まだやってるか、と言うに際して、You open, now? と言う。人様からお金をいただいて英語をレッスンしているのに、なんてでたらめな英語を平気でしゃべるやつかと自分で思う。ウドは店を閉めるところだと言うが、俺は今日ゲストを持っておる、それで、お前の店に連れていくのがいいと俺は思ったと言うと、すぐ来いと言う。どのくらいいられるんだ、一時間くらいはいいのかと言うと、オオケイだからすぐ来いと言う。山梨・Sさんと車で行く。
駄目だ。ワイズアウルに行くと、酒があるから、どうしてもスケベ話になってしまう。俺はスケベ話はいやなんだよね。という顔を一瞬するけど、本当に好きなんだよね。ボストンのオクザーナの話になる。彼女の尻はいいと俺が言うと、ウドは若い頃はもっとよかったと言う。トミコの目が光る。ああ、おっかねえ。
すみません。こちらも忘れていました。700の方は46〜50、ゴーストの方は19〜28で次回8月4日日本時間8時30分でお願いします。
今日は近くの浜辺へ散歩する。本当にこのビクトリアの郊外のワンサギという所は自然が豊かなところだ。車を10分くらい走らせる。そこから歩いて15分でもう浜辺へ。冬なのにやはりこちらはオーストラリア、やはり日差しがきつい。行く前に出身大学のオーストラリア研究の大家にどこへいったらよいか相談した。弁当を忘れてもサングラスを忘れるな、といったかは覚えていないが、それほどサングラスは必需品なのだ。背中に当たる日差しがとても心地よい。20分ほど昼寝。本当に天気に恵まれた。先日となりの浜辺に行ったときは雨に降られてたいへんだったの だ。本当に天気次第。私の人生も天気次第でどうにでも変わるのかもしれない。ワンサギとはアボリジニ辞典(先日町のとある小さな雑貨屋で求めたもの)を引いてみる。to drag; to pull, borne, もう一つよく分からない。何をDRAGするのか、PULLするのか?地元のかつての繁栄をもたらしたCOALなのか?それとも風なのか?地元の人達や友達は、wonthaggiはWIND AND RAIN(/ライン/とやはり発音している!)という。その名の通り普段は本当に雨や風が多い。風の音を波の音と聞き違えたほどだ。来週の月曜日からは、ここから小旅行でタスマニア州(タスマニア島)へ行きます。こちらもぜひ読んで見てくださいね。
ごり押しの練習とは、どのようなものですか?ぜひ知りたいです。
>生徒の発音の進歩の度合いを示す記録(録音・録画)は残念ながら、根石様にお送りしたテープ以外にありません。
*さっそくのレス、感謝です。私もいずれ実践する時に撮りたいと思います。ある生徒の発音の軌跡を記録したいと思っています。
>「英語・発音・語彙」を中心にして英語学習について相当の量の情報を発信しています。
http://www.scn-net.ne.jp/~language/
*今週中に見ます!ありがとうございます。
(内部音声として)発音しますか? 同じ例でSTさんはもし知らなかったとしてどうされますか? 「調べたくなるストレスの付加がどうしてもかかってしまう恐れが大きい」というのは発音の仕方を調べたくなるのですか?あるいは意味を調べたくなるのですか? あるいは両方ですか?
*私は特にまず発音を調べたくなります。なんか気持ち悪いのです。浜谷先生のように未知の単語をBLACK BOXにしまい、とりあえず読むという訓練があまりできていないということかもしれません。つまりTOP-DOWN的な解釈処理が苦手なのでこういう処理を求めてしまうのでしょう。>根石さんに質問させていただきたいことがあります。素読の場合はどうでしょうか?知らない語彙は見当をつけて音読しないのでしょうか? 根石さんの仰っていることを十分理解していない惧れがあります。
*私の推測では、電圧装置を回転読みするために作られるのだと思います。電圧装置と回転読みについては「どんでんがえし」の1章に詳しく出ています。またペーパーバックなどでTOP-DOWN的な読みをされる場合は黙読されるのが根石先生の基本ではないかと思っています。なんで根石先生に対しての質問に私が口を挟むのか?それは私自信が根石先生の考え方を少しでも吸収したいからです。自分のためなのです。すみませんがご容赦ください。
30−40%、40−50%と次第に読む力はついてくると思いますし、どのような本が自分に向いているかもそのうちに分ってきます。探偵小説は一般的に言って読みやすいのですがそのわけは、次に何がおこるのだろうと興味しんしんと読み進めることで、これは日本語で読む場合と同様でしょう。ただ、ご指摘のようにサークル(相談室)ではテキストをうまく選んで、60〜70パーセントの理解度のものを教材に使うようにしています。
*このあたりのことはいろいろとお会いした時におききしたいことです。
*よむ力は次第についてくるというのは、国弘先生の「1回音読すれば1回の効果、1000回音読すれば1000回の効果」というあたりと似ているなと思いました。
エリオットさんの文をコピーしようとすると「文字化け」します。なぜでしょう?それはともかETのElliotから、ペンネームをとっていらっしゃったなんて、まさかあてずっぽうで言ったことが当たっていたなんてびっくりしました。
映画はいろいろ集めておられるようですね。私もかなり(とはいっても30本ほどですが)集めています。
教材や定期考査後の息抜きの時間に見せるものとして例えば今根石先生のレッスンでやっているゴースト、それにミセスダウト、ペイフォワード、アポロ13、レナードの朝、いまを生きる、フォーエバーフレンズ、ステラ、マイフレンドメモリーなどがあります。
面白いのをご存じでしたらまたご紹介ください。
>値切りなのですが、実はやったことないんですよ。
友人が交渉するのをポヤッと見てたことはあるんですけど(^^;)>、
*値切り交渉は結構楽しいですよ。ただしこちらが買っても買わなくてもいい場合にしか強きで交渉できませんが。。。とほほ。。。
こんどタスマニアというあのオーストラリアの「右下」の島へ2週間の小旅行にいきます。北海道くらいの緯度のところへこちらの真冬(日本なら2月あたりか!)にいくのですから、こんどは値切れるだけ値切り交渉を楽しもうと思っています。モーテルからレンタカーから買い物まで。買い物で思いだしましたが、こちらでは結構ガレージセールがおおいようです。普通の店でもあるコーナーに「ただでもっていっていい」とかかれたダンボールの箱があったり、結構ものを大切にするオーストラリア人なのでした。
根石さんのサイトに辿り着いて、同意できる部分が多く、電話でレッスンを受けてみようと決意。
でも、サイトに書いてある内容を全て理解できているわけではないし、練習のやり方にいま一つ確信が持てない。それならば、一度みてみれば感触がつかめるかなと、見学を申し出てみた。
山梨より中央高速で2時間、あんずの里 更埴市に素読舎はあった。行って、会って、話を聞いて、練習風景を眺め、レッスンを体験。
「音づくり」の現場はとても刺激的で、私の予想を大きく上まる「激しさ」が穏やかな雰囲気の中で実現されていた。
塾生と先生が各自の課題を素読する声が素読舎内に響きわたっている。
音量がすごい。こんなに声を出すものなのか!!
一つの文を繰り返し読み上げ、滑らかになるまで仕上げる「回転読み」という練習は、ここまでやることだったのか!!
サイトで、書籍で、メールで、電話で、いくら説明されても、目の前にある練習量と質を私には想像することが出来ないと感じた。
「英単語の音と意味のイメージが一体化するまで」と根石さんより説明を受けた。
しかし、私は練習方法すらもイメージできていない。英語の練習の入り口にも辿り着いていないことを痛感。そして、黙って眺めているだけ自分が恥ずかしく思えてきた。
練習に加わり、声を出してみた。
周りの声より自分の声が小さくて聞こえない。繰り返し滑らかに言えない。
しかし、素読のための雰囲気があるので声を出せる。集中できる。練習が続けられる。
恥ずかしいほど簡単な文章なのに先生より指摘を受ける。
また、練習する。繰り返していると言えるようになる。先生よりOKをもらう。ウレシイ!!
6,7語以上の文章に最初必ずつまずくと気づく。自分のレベルが把握できる。
繰り返し声を出して読むことに抵抗が無い雰囲気があるので、つまずいても練習が続けられた。
そして、言えるようになる。おぉ、なんかスゴイぞ!!
気づくと2時間が経過していた。口の周りと舌が痛い。
今までこんなに集中して英語を練習したことはない。
つまずいたところで放り出さずに、乗り越える経験が出来た。小さなつまずきではあるが…。
一人で練習をするコツがつかめたような実感を得た。他人が英語を練習する風景をはじめて見学して、今後のレッスンに大いに参考となりました。
根石さん、奥様、長い時間お付き合いして頂いてありがとう御座いました。P.S.
英語とはかけ離れますが、
サイトなどからは感じられなかった奥様の存在が大きく、幸せそうな根石さんが印象的でした。
素読舎日録夕方5時頃から、「電話でレッスン」の準備に入る。
途中、塾生に 英語のS音の時、舌の先がどこにあるかと聞く。人によってまちまちで、上の歯の裏という者もいれば、舌の歯の裏という者もある。自分で何度もやってみるが、歯の裏ではない。ほとんどlと似た位置で舌に力がこもる感じになる時と、それよりも口蓋寄りになっている場合とがある。いずれにせよ歯に触ることはない。出っ歯気味のせいだろうか。舌が触っている場所があるが口の中がどうなっているのか、よくわからない。歯茎(や口蓋)から軽く浮いた舌が作っている薄い隙間を勢いよく息がこすっていく感じがする。st を連続して発音してみると、軽く浮いていた舌先がはっきりと歯茎に触りに行く。
掲示板の記事のおかげで、ずいぶん舌の位置を意識するようになった。日本語の「ん」が鼻に抜ける音であることを発見。口を開いても出せるし、口を閉じていても出せるが、口を開いているときは鼻に抜ける息が少ない。口を開いて「ん」を発音するのは、英語のn音の影響だろうか。村田君が「ん」のときは、のどちんこのあるあたりの喉が狭くなる感じがすると言うので、やってみるが、これは口を閉じたときの「ん」である。塾の中で、「うんこ、うんこ、うんこ、うんこ」と真剣に何度も発音し試していたら、塾生が笑い出して全員の練習が止まってしまった。山口・Mちゃんのお母さん、練習不足だから休むとのこと。先日は、Mちゃんが東京の親戚の家からの電話でレッスンしたが、家族で今日も親戚の家にいるのかもしれない。練習がやりにくいか、東京・山口の往復で練習時間がとれなかったのだろうと思う。
奈良・Oさん。Oさんは塾の先生。夏期講習の準備で忙しいとのこと。多少、足踏み状態。新しいところより、復習範囲(テスト範囲)の方が、口がなめらかにはっきりと動かせるようになっているはずで、それを練習してくれれば復習範囲からの方が栄養がいっぱいとれる。だから復習範囲だけはやっておいて欲しいと要望する。
長野・Sさん。こちらも足踏み状態。足踏み状態の時が、これまでの力のレベルを越える前なのだ。ここで一踏ん張りしてくれと言う。Sさんは小学校の先生。忙しいですかと聞いたら、休みになったと言う。じゃあ、忙しくないじゃないですか、暑いだけで・・・。暑気払いに、英語の練習はどんなもんだと言う。日本人が dual であることが不得意だとは信じられない。しかし、英語に関しては不得意だった。それが続いてきた。続いてきたというものの、それは、戦後に強く現象しているだけではないのか。敗戦のトラウマが、向日性の英語好きをその上に乗せている。「なんとなく民主主義」の人たちなのか。時代は変わった? 信じられない。みんなトラウマの子や孫だ。
日本在住のまま英語(あるいはヨーロッパ語)の思考回路と日本語の思考回路をふたつとも維持することがどれだけの労力を必要とすることなのか、その労力に対する敬意がこの国には欠けている。足し算も引き算も不要だ。その労力が小さなものでないことが確かなことだ。この労力の絶対量をこの国はいまだ知らない。
英語が達者で、日本語が駄目な亡者ならいくらでもいる。俺が言い張りたいのは、両方を持ち続ける労力のことだ。労力を費やして両方を持ち続けることは危ない道だ。この道を歩く者がどれほどいるのか。
Shima 様>英語とはかけ離れますが、サイトなどからは感じられなかった奥様の存在が大きく、
幸せそうな根石さんが印象的でした。そんな馬鹿な。いったい何を見て帰ったのか。
そのうちにもう一度よく見に来てね。
だけど、そういうことをよく言われるんですね。あたしゃ。
だけど、皆様の評価と俺の気持ちとはなんでこんなに大きくかけはなれてしまうのでしょう。
自分を不幸だと思うやつは間違いなく不幸だという原則があるのですが、なんの因果で俺が
英語なんぞやっているんだという不幸な気持ちは、私にはあります。
SHIMA様、
楽しく読ませていただきました。私もいずれ訪問させてもらう予定です。>あんずの里 更埴市に素読舎はあった。
*あんずの里であるとは知りませんでした。あんずの話題は出たのでしょうか?>音量がすごい。こんなに声を出すものなのか!!
*それほどの音量がでているのかは、私にもまだ想像がつきません。くやしい。>「英単語の音と意味のイメージが一体化するまで」と根石さんより説明を受けた。
*それが難しいんですよね。この「イメージ」というのがくせものです。私にとっては。
昨日もcourageが本の中に何度も出てきて、すぐに訳語がでてきてしまう。どうしたらこの日本語を消して英語courageの「イメージ」を浮かび上がらせることができるのか。というようなことを考えていました。やはり「電圧装置」が弱いのでしょうか?それとも「イメージ力」が足りないのでしょうか?強く強くただイメージする。弱い頭は鍛えるしかない。やはり電圧装置」なのか?>素読のための雰囲気があるので声を出せる。集中できる。練習が続けられる。
*これが非常に大事だと思います。雰囲気というものは大事だと思います。>6,7語以上の文章に最初必ずつまずくと気づく。自分のレベルが把握できる。
*根石先生、例の語数別文章のリストで回転読みを体験していただいたのでしょうか?自由にダウンロードできることは非常にうれしいことです。一度5回連続読みかなにかの名称でこのリストを教室で使用し、それが何回か実践できたら、根石先生に報告します。>繰り返し声を出して読むことに抵抗が無い雰囲気があるので、つまずいても練習が続けられた。そして、言えるようになる。おぉ、なんかスゴイぞ!!気づくと2時間が経過していた。口の周りと舌が痛い。今までこんなに集中して英語を練習したことはない。
*繰り返して音読することに抵抗がない雰囲気」というのが本当に大切なんですよね。2時間くらいあっというまに過ぎてしまうんですよね。回転読みを真剣に始めると。私は時々のどを痛めることがあるので、根石先生に小さい声で練習するようにとよくアドバイスを受けます。「今までこんなに練習したことない」とshima様が感じられるということは学校英語にいかに音造りが入っていないかを証明するものの一つかもしれません。
特にPARROT'S LAW所が面白かったです。またちょこちょこページを開きに行きたいと思います。エリオット先生、ありがとうございました。
さて、ボストン美術館です。
こちらは、世界で屈指の東洋美術品が収められた美術館だそうです。
といっても、アメリカの美術館です。
アメリカらしいなと思ったのは、アメリカの17世紀から現代にわたる美術品・民芸品などの展示です。洗練された欧米文化とは違った、実利的な品々が多くあります。
それから、中南米の文化財もあります。純金のアクセサリーなどきれいな細工を施したものがいくつもありました。
「こういうイヤリングとかペンダントとか、複製したアクセサリーあったらほしいよね」
なんて、いいながら展示を見て歩きました。
東洋美術の展示室もありました。なかなかの展示品の数々です。保存状態も大変いいそうです。ただ、難を言えば、東洋美術としてインドも含むアジア地域の品々を、ひとくくりで展示されていたのは、すこしむず痒い気がしました。まあ裏を返せば、日本の美術館の展示の仕方も、見る人が見れば、
「なんでこういう展示の仕方をするもんかね」
というところかもしれません。
さて、美術館の通路からは四方八方に展示室があります。また、その部屋にもいくつかの出入り口があります。そうしているうちに、壁づたいに歩いているつもりが、どんどん奥に進んでいってしまって、まるで入れ子状態です、ついには迷ってしまいました。ひどいときには同じ所を何度もまわっていました。
とはいえ、お昼過ぎには、なんとかUさんとも再会。
お昼は、ミュージアムショップの横にある、カフェでとりました。高い天井に明り採りがあり、白て統一された空間は、とても清潔さを感じます。サンドイッチが来るまでのあいだ、ガラス越しに見えるミュージアムショップを覗きます。なかなか面白いものがありそうで、お客さんも入っています。
食事のあと、ショップによってみました。(つづく)
日本語人(日本語のnative speaker)は「ん」で書き表される音を4種類使い分けています。同じ文字を見ながら、四つの音を使い分けているのです。その四つの音とは以下の通りです。
@[n] 舌先が上の前歯の歯茎に付き、唇が開いた状態で発音される
A[η] 舌先は前歯の後ろにあって、舌の奥の部分が軟口蓋が押し当てられた状態で発音される
唇は閉じない
B[m] 唇を閉じて発音する
C鼻母音化 「ん」の直前の母音を鼻と口の両方から響かせる
この使い分けは、次にどういう音が来るかによって自動的に行なわれる、まったく無意識の現象です。しかし、日本語人の英語学習者は通常「ん」=/n/と思っており、英語の中で/n/を発音する際に、日本語の習慣どおりにこの4個の異音を使い分けるので、しばしば不自然な発音になります。日本語の「ん」の使い分けのルール
@タ行、ダ行、ナ行、ラ行、ザ行、チャ、チュ、チョ、ジャ、ジュ、ジョが続くとき
⇒[n]←ナ行の子音
Aカ行、ガ行が続くとき
⇒[η]←いわゆるngの音
Bマ行、バ行、パ行が続くとき
⇒[m]←マ行の子音
C母音、ワ行、ヤ行、サ行、ハ行が続くとき、あるいは語末であとに音が何も来ないとき
⇒直前の母音の鼻母音化
例)
@サンタ、げんだい、あんない、しんらい、そんざい、ばんちゃ、エンジン
Aさんか、げんかい、あんがい、しんかい
Bさんま、げんば、しんぱい
Cさんや、みんわ、ワンワン、でんしゃ、かんそう、はんしん、マンハッタンを、パン一字一字拾い読みしたり、「ん」を強調したりするときは必ずしもルール通りの発音にならないこともあります。特に、語末の「ん」に力を込めて発音すると/m/の音になることが多いようです。演歌歌手が「わたし、あなたを忘れませえええんんん」などと最後の「ん」を伸ばして歌うときはたいていしっかりと口を閉じて、/m/の音を発音しています。
@〜Cのルールにのっとって「ん」を発音し分けている日本語人ですが、その差を聞き分ける力は赤ん坊の時代を過ぎれば失われますから、普通の日本語人は@〜Cのルールに違反した「ん」の発音を聞きとがめる耳を持っていません。特に語末の「ん」は@〜Cのいずれの発音をされても聞き分けられませんから、通常気に留めることはありません。
以前勤めていた高校にタイから留学生が来たことがありましたが、その生徒から面白いことを聞きました。ある先生が授業で出席を取る際に、「〇〇さm、××さm」と言うので、「先生、『さn』をなぜ『さm』と言うのですか」と質問しても、その家庭科の先生は質問の意味を理解することができなかったそうです。タイ語では語末の/m/ng/n/の区別は重要であり、タイ人はこれらの子音を語末でもはっきりと聞き分けられるのだそうです。英語もそうですね。例えば、sum/sun/sungやPam/pan/pangなどでは語末の子音の違いが重要です。でも、日本語人にとっては語末の/m/m/ngの発音し分けと聞き取りは非常に難しいものです。I saw them.をまるで、「愛想膳」のように言う日本の生徒は極めて多いと思われます。もちろん普通の速さで言えば「膳」の中の「ん」は、直前の母音である「え」を鼻母音化することによって発せられます。このとき、唇は閉じられておらず、舌先は前歯の後ろにあって、「え」の音のときと何ら変化はありません。「ん」の音は、口と鼻の両方から声を出して鼻にかかった「え」を出すことによって表されます。He saw one.は「非移送湾」となり、最後の「ん」はやはり直前の母音「あ」を鼻からも声を出して鼻母音化することによって発音されることが多いでしょう。
He saw one.を「非移送湾」のように言う人に対して「きちんと最後の/n/を発音しなさい」と支持すると、今度は「ん」に気合を込めて言ってしまい、しっかりと口を閉じて「非移送wum」と言う可能性が高いでしょう。
(その1)の最後の文の「支持」を「指示」に訂正します。英語人にとっては、原則的に/n/はあくまで[n](舌先を上の前歯の歯茎に付ける)という音ですから、「婚約」をkonyakuまたはkon'yakuと考えて英語人が発音すると、/n/のところで舌先を歯茎に付けて「コニャク」となります。彼らは鼻母音化ができませんから、「千円を」は「セネノ」になってしまいます。私たちは上手に鼻母音化ができるので、英語でも自然と
The man on the bike...⇒The maン オn the bike...
ten years⇒teン years
clean water⇒cleaン water
とやってしまいます。母音やワ行、ヤ行の前だけではなく、サ行やハ行の前でも、さらに語末でも「ん」は鼻母音化しますから、
Once upon a time⇒ワンス upoン a time
Attention⇒atteンション
となることが多いはずです。また、カ行やガ行の前では/ng/の音になるので、
in Canada⇒ing Canada
on Gloria's desk⇒ong Gloria's deskマ行、バ行、パ行の前では/m/なので
in Boston⇒im Boston
on Mary's chair⇒om Mary's chair
ten people⇒tem peopleほとんどの日本語人は、自分がこのように[n]の音を日本語風にアレンジして英語の中で発音していることに気付いていません。気づいていないから、ほぼ100%日本語の習慣を持ちこんでしまいます。英語人の発音では、/n/を/ng/や/m/に置きかえるのは速く話しているときには起こり得ますが、ゆっくり話すときは/n/は/n/のままです。[n]を鼻母音で置きかえる現象は英語では起きません。日本語で言う「ワンワン(犬の鳴き声の真似)」と英語の"One, one."の響きは相当違います。
素読舎日録詩の雑誌「midniht press」の原稿書き。岡田さんが、携帯電話の伝言メモに入れておいてくれた催促を聞き逃していた。留守番電話機能を取り外したので、一週間前に催促を留守番電話に入れておいたと聞いたとき変だなと思ったが、電話機自体に伝言メモという機能があり、電話がかかるとすぐにそれに切り替わる設定になってしまっていたらしい。
夕方から、自作自宅。玄関の床の構造作り。これにからめて、玄関ドアのとりつけを済ませる予定。わずか2時間ほどやっただけで、借家に戻る。
8時過ぎから月曜「インプット教室」。村田君は、今日から「ミッドナイト・ラン」。「フルメタル・ジャケット」は完全に復習範囲に入る。他は、Yさんだけ。Yさんは、「E.T.」が終わりそうで、二冊目の選択を迷っている。「逃亡者」を薦める。
仕事を終えて、Tちゃん、娘、妻を連れ、近所に飲みに出る。飲んでいるうちに、五十歳の誕生日になる。
Eliot 様>結果として各人が獲得した音が「通じるレベル」であればよいという
考え方には賛成しますが、そこに至る過程ではあくまで完璧な発音を目
標にさせるべきだと私は思います。日本の中学生には最低でも2年、も
しかしたら3年、完璧な発音を目指して練習させることが必要です。私は「完璧な発音」という考え方が理解できません。私は「その時点でのベストの音をいつも求めよ」という考えです。「その時点でのベストの音」をたどり続けた場合に、その道の先に「完璧な発音」があるというふうには考えられません。「完璧な発音」というものは、完璧な人間というものが存在しないと同様に存在しないと思っています。あるいは、逆に、通じる音であれば、それで現実的には完璧な発音なのだとも思っています。その音が聞く者にとって、快であるのか不快であるのかは、階級的感性によるものです。
例えば、ボストンで私が突然家に転がり込んで、一週間ほども世話になったフレッドという黒人は、アラバマ生まれだと言っていました。田舎に一年に一度くらい帰るそうですが、田舎の人にお前の英語は立派な英語だと言われるそうです。ボストンの英語の影響を受けた英語を、アラバマの知人たちは立派な英語だと受け取るらしい。田舎の人の素朴な劣等感がそう言わせるのだと思いますが、私はそれがいくら素朴であっても、考えとしてはまるで転倒していると思っています。
フレッドは実に自覚的な男で、田舎の人たちは俺の英語をほめてくれるが、ボストンに帰ってくれば、俺の英語は black English なんだと言っていました。この black English のどこがどう白人たちの英語と違うのかは、私には知識がありませんが、例えばフレッドの音が、英語の発音の教則本が示す舌の位置と違っていたとしても、生活言語としては完璧な音なのだと思っています。それで生活しているんですから。
歯抜け婆さんのもごもご英語も、それで生活が成り立っているのなら、生活言語としては完璧です。「完璧」なんぞどこ吹く風であって、磁場を欠く日本で作ったきれいな英語音にない、ネイティブの語感とリズムがある。それが、どれほど語学の教則本からみて、とてつもないおかしな音であってもです。
ここでもやはり、生活言語としての「音」と語学の言語としての「音」を区別する必要がどうしてもあるように思います。生活言語としての「音」に語学の標準(規範)を押しつけることは、必ず抑圧になると思っています。日本国家が沖縄の人やアイヌの人たちに対してやったことと通じていく問題です。日本国家は「完璧な音」とは言いませんでしたが、「標準語」とは言ったはずであり、これは「完璧な音」と同じように、外から押しつけた規範です。
一方、語学では、規範を定立させる必要があり、規範はどうしても必要です。この規範として、イギリスの上流階級の音や、アメリカで優勢を占める人たちの発する「音」が採用されるということは単に「仕方のないこと」であるにすぎないと考えています。いくら私でも、インド英語を規範にせよとか、カタカナ発音英語を規範にせよと言い出すことはありません。アメリカ英語やイギリス英語でいいよ、と思っています。
私は、語学においては絶対に規範は必要だと考えている者ですし、規範としては、イギリス英語やアメリカ英語がよいとも思っています。その点で、個々の具体例な発音例などになると、Eliot さんのような方から教えていただきたいことはたくさんあるのですが、語学の規範となる「音」が実に現世的な支配・被支配の構造を反映したものであることに、語学者はきちんと自覚的であるべきだとも考えています。その規範の音は、アジア・アフリカを蹂躙した大英帝国が発した音であり、世界の警察・アメリカ国家が発する音でもあるのですから。規範を定立したとして、しかし、それに基づく音を「完璧な音」という目標物にすることは、ただただ語学という領域だけてかろうじて「許される」だけです。ひとたび「机上」を離れて、生活言語の領域に入った場合は、「通じさえすればなんでもあり」、が本来の意味で標準であり、他に標準というものはありえません。快・不快はありますが、それはまるで語学の問題ではなく、人間の生まれ育ちの問題だと思います。あるいは、生まれ育ちが持っている階級性の問題だと思います。
私は語学の場面でも、規範を決して「目標物」にすることはありません。規範はあくまでも規範に過ぎません。アメリカ英語やイギリス英語は「あくまでも語学的に」「あくまでも机上で」どんどん真似して媒介にすべきだと思いますが、それは「目標物」ではなく、あくまでも「媒介物」です。その媒介の主体は日本語を主言語とする私にあります。媒介の度合いが薄ければ「通じない」音になってしまうし、媒介の度合いが強ければ「通じる音」が作れる。それだけのことだと思っています。
アメリカ英語やイギリス英語は、日本語の音によって形成された口の動き(英語として通じない音)を変容させていく場合の媒介物であり、出来てくる音はあくまでも「通じる・通じない」が判断の基準になるべきだと考えています。アメリカやイギリスの音と「同じかどうか」あるいは「どれだけ近いか」が基準になるべきだとはどうしても思えません。「通じる・通じない」という基準以外のものを設定すると、必ず抑圧に転じると考えています。磁場を欠く場所で穫れる最上の音は、「鍛えこまれたにせもの」だとも思っています。TOP-DOWN の方法を主体にする人に欠けているのはこの「にせもの」に関する思想です。この掲示板でこうじなどという人が吹聴した「ほんもの英語幻想」を私は本当に嫌っておりますが、その理由は、彼の盲目的に欧米を上位に置くワールドワイドの階級的感性、つまり劣等感(笑)にあります。(語学の成果を得るために、キリスト教に改宗するなど・・・。馬鹿か。イギリス人の女房を持って、それに屈しただけじゃねえか。理由は宗教でも語学でもなく、おまんこなんだ。それを正直に言えたなら、俺はこうじは評価したけど・・・。すいません、またまた行儀が悪くて)
TOP-DOWN の方法は必要だが、一方でそれに BOTTOM-UP (「回転読み」などの動態)を対置しないと、ミイラ取りがミイラになる。動態を対置しないと、日本語と英語が本当にこすれ合って出す熱が穫れない。あるいは、日本語にはね返る活力が穫れない。私は、わけのわからない日本語を平気で書く英語好きは、TOP-DOWN ばかりやった人じゃないかと疑っています。
「音づくり」の基本を生徒に持たせるだけで、2年も3年もかかるのだということ、その大変な仕事を見事に実践なさってこられたことには頭が下がります。時間がかかる仕事なんだということは、私の実践においてもまったくその通りであり、私の実感とまったく重なります。その意味では、遠い地に同じ苦労を味わっている人を知ったことをうれしく思っています。
お送りいただいたテープを聞かせていただいて、その成果に敬意をいだいていることも変わりありません。(大阪の津田さんが、テープを聞いてみたいとおっしゃったので先日お送りしました。津田さんには、感想をこの掲示板に書いていただくようお願いするつもりです。)「音」に関する考えのもっとも基本的なところで、私の考えとの相違点を浮かび上がらせてみたくあえて書かせていただきましたが、お考えをお聞かせ下さい。
>(語学の成果を得るために、キリスト教に改宗するなど・・・。馬鹿か。イギリス人の女房を持って、それに屈しただけじゃねえか。理由は宗教でも語学でもなく、お**こなんだ。それを正直に言えたなら、俺はこうじは評価したけど・・・。すいません、またまた行儀が悪くて)*うーーーん。たしかに行儀が悪いと思いました。私はあまり敵をつくりたくない人間なので。私は「語学と自由」「宗教と自由」は両立すると考えています。したがって「パートナーの宗教を信じる」ことも場合によってはあると思います。「こうじ」さんから得ることがたくさんあるはずなのにその機会を逃しているように思えてなりません。正直いって。
それから言葉使いについて。この掲示板はもちろん一般に公開されているはずです。表裏を使い分けることが必要な場合は、使い分けをする必要もあるのではないかと思います。
もちろん、その上で、私は根石先生の意見を尊重したいと思います。万人の意見は尊重されるべきだと思います。
>@サンタ、げんだい、あんない、しんらい、そんざい、ばんちゃ、エンジン
Aさんか、げんかい、あんがい、しんかい
Bさんま、げんば、しんぱい
Cさんや、みんわ、ワンワン、でんしゃ、かんそう、はんしん、マンハッタンを、パン*たいへん勉強になりました。とくに、(水)の鼻母音化は今まで英語の/m/n/n+g/でしか「ん」の区別を教えてこなかったので、無意識の部分でやってきたことが意識化できて本当にうれしいです。難しいですね。日本語は。でも日本語は本当によく出来た言語ですね。エリオット先生に教えていただいたページの「日本語の特色」かなにかのページを見ていて今日も感心していました。例えば、20000語の語彙を習得するのに英語なら500程度の接頭語接尾語などを覚えなければならないのに、日本語では約300程度の偏やつくり、冠などでOKで変形も自由自在というようなことです。とても楽しいページでした。
皆さんも日本語を外から眺めたこのページぜひご覧あれ。
http://www.scn-net.ne.jp/~language/japanese.htm
>私は、わけのわからない日本語を平気で書く英語好きは、TOP-DOWN ばかりやった人じゃな
いかと疑っています。
*私はTOP-DOWNが出来る人というのは「BOTTOM-UPをしっかりやって、かつ日本語もしっかりしている人」だからこそできるものだと思っています。とくに初学者は根石先生がおっしゃるように激しく激しく回転読みなり只管朗読なりをやる必要があると思います。その上で背景知識や経験がともなう場合にTOP-DOWN式の解釈が成立するのだと思います。
「規範は媒介にすることで、各人の中で効果的に作用する。」全くその通りだと思います。媒介にする前に飲み込まれてしまっていた自分であることに気付きました。人生の醍醐味はこの媒介にすることで楽しむことにあるのだと。
>アメリカ英語やイギリス英語でいいよ、と思っています。*「やっぱ「牛乳」でしょ!」とは私は思いません。むしろ「お茶づけ」といいたい。私は「イギリス英語やアメリカ英語でいいよ」とは思いません。根石先生やエリオット先生、浜谷先生はじめ「音を基本に据えて媒介とすべき英語を徹底的に普及させようと日々努力されている方々」が増えるれば増えるほど自然発生的にみなさんもきっと望んでおられるであろう、いい意味での(優越感でもなく劣等感でもない取り込むのでもなく、取り込まれるのでもない理想的な)「日本英語」が出て来るのだと思っています。
*祝50歳*( ^-^)_血 お誕生日 おめでとうございまーす。♪
昨夜はMさんと二人っきりでとってもやりがいがありましたー(辛(T_T))
来週はk親子さんとPOPOさんが来ますように........
*祝50歳*
( ^-^)_血 お誕生日 おめでとうございまーす。♪
と、きれいな女が書いてくれました。
だけど、なんで、お誕生日、という字の、隣に、血という、字が、あるの?
「血 お誕生日 おめでとうございまーす。♪」は、ほんとにわかんなかったね。酔っぱらったら、「血」の字がケーキかローソクに見えてきた。ふうう。
俺ほんと、おっかねえこと書く女だなと思ったっすよ。「血 お誕生日」。なんだあ?この血っていうのは、俺がおふくろのおまんこから出てきたときのおふくろの血かあ?おっかねえこと書くなよ、と思ったですよ。
おまんこ発言で、四面楚歌だと思っていたら、自分で四面楚歌にしているような気がしてきた。だって、優等生なんだもん、みんな。
どうしよう。うううっ。
おまんこって発言したからって、俺のこといじめないでね。
こうじはかわいそうなやつだと思う。よくわかんねえ野郎だけど。
俺ごときにいじめられちゃうんだから。
ST 様>といっても私は根石先生を100%信じているわけではない。
それでは教祖様になってしまう。今は94%くらい信じていると
自分では思っている。6%は何か。多読は基礎をきちんとマスタ
ーしてから(きちんと音のこなれをつくってから)やるべきだと
考えていらっしゃるような気がするからである。おまんこ発言で、94パーセントは何パーセントくらいになったでしょうか。60パーセント台に下がってくれると、私もずいぶんと気が楽です。
さてさて。
私は「多読は基礎をきちんとマスターしてから」がいいと思っています。浜谷さんだって、英語のテストの点はいつも一番だったとどこかで書いていたと思います。Eliot さんだって、ST さんだって、英語のテストの点が悪かった人ではないと私はにらんでいます。皆さん、揃いも揃って、優等生ばかりです。基礎をきちんとマスターした人ばっかじゃねえですか。優等生たちは、自分がブレイクスルーした時点で、何を踏まえていたのかを無視しないでほしいんです。ちゃんと学校の勉強をやってたんじゃねえか。
あたしゃ違うね。私は悪かったですよ。最低点は20点くらいじゃなかったでしょうか。高校の頃です。そういう人間が、英語でおまんまを食っているわけで、いやはやです。
ST 様>3分で40〜50回くらい読めます。それを回転書きしたら何回くらい
かけるのか?3分で40〜50回くらいという数字は、「回転読み」の数字だと思いますが、語数はいくつでできている文かも書いていただくと、他の人の参考になると思いました。
いずれにせよ、「回転読み」のテープを聞きながら「回転書き」をやると、はるかにずっと少ない数字になります。腱鞘炎に気をつけて下さい。
「回転読み」のテープを作る場合にお薦めの方法は以下の通りです。
テープレコーダーを録音モードにしておいて、「一時停止」しておきます。
録音せずに、自分で「回転読み」をやり、「なめらかさ」と「くっきり」を両立させるまで回転を続けます。「なめらかさ」と「くっきり」が両立したら、その両立した音で、数十回テープに吹き込みます。こうして作ったテープを、「回転書き」のバックグラウンド・ミュージックとして使います。書いている途中で、次の単語がわからなくなっても、バックグラウンドにある「回転読み」をちょっと聞けば、その文に含まれる考えはつながります。
しょせん語学はシミュレーションですから、「回転書き」のさなかに、強いシミュレーションを成立させて下さい。つまり、同じ文を書くたびに、こと新しくその文について、語法について、単語についてイメージを作って下さい。同じ単語について、何度も何度もイメージを新しく作ることは可能です。これが、「核になるイメージ」をつかむのにいいと思っています。
「何回くらいかけるのか?」の実験のご報告をお待ちしていましたが、いまだご報告がなかったような気がします。もし、読み落としていたらごめんなさい。
>またどんでんがえしによると子供さんもおられるようで今は何才なのか
は存じませんが、どんな子供さんなのかなあと考えたりもしています。どんな子供なのかなあ、とは私もよく考えます。
よくわかんねえんですよ。
なにしろ、俺のやってることは一から十まで馬鹿にしてます。
これは、女房のしつけのせいだと思っています。
二人して馬鹿にしやがって。そのくせ、強く怒るとどちらも泣いたりします。
気がつけば、あたしゃ、家庭の中で四面楚歌だった。
しかし、わかんねえ。子供っていうのは。
もっこり様>根石先生すみません。レッスン経過の書き込み、多忙につき、
もちょっと待ってくださーい。待っています。
ST様>10月に帰国してからの今までのペースを考えての予定は、56章
が10〜12月、78章が1〜3月、910章が4〜6月の予定です。
もっこりさんにさらに水をあけられそうですが、マイペースでやって
いきますので、今後も「ゴースト」の先輩としてよろしくお願いしま
す!では。上は、もっこりさんにSTさんが書かれたものです。
これを読んで、STさんは計画を立てすぎるのではないかと思いました。一冊ずつ片づけるだけでも大変なのに、「ゴースト」と「Duo」 を同時進行させたり、浮気症じゃないかとも思いますよ。
私は、英語と女については、「一穴主義」です。
それなのに、現在シナリオを複数同時進行させています。だから、とてもとてもとても切ないです。仕事だから、切なくてもやっていますし、泣きたくなっても、泣きはしません。しませんとも。男の子だもん。
私は、仕事でない限りは、シナリオなら一本だけ、女なら一穴だけの男です。
そのたびに、全霊を込めて、一本だけ、一穴だけに取り組みます。何言ってんだか、自分でもわかんなくなってきた。
今日も、酔ってますよお。まあ、すべての道はローマに通じ、すべての穴は闇に通じていると思います。
忌憚のないご意見をお待ちしています。
私は誠意ある番頭さんを持てて幸せですが、給料を払わず、逆にお金をいただいていることが心苦しいです。
だって、STさんの「音」は私の「音」よりいいんですから。
発音を直してくれと言いたいのは私の方です。私の「音」が ST さんより上回る点は、flat でないという点だけでしょう。
「音」の質自体は ST さんが格段に優れています。
発音を直してくれなんて、無理なことを言って、俺を苦しめないで下さい。語学の奥社は、「音」ではなく、「音とイメージの同致」ですから、かろうじて俺、ST さんのレッスンができているのです。
ちなみに奥社というのは、長野市の西にある戸隠山の麓にあるみすぼらしいほど小さなお社です。それより手前に「中社」というお宮がありますが、「奥社」よりはよっぽど大きく立派です。またそれより手前に「宝光社」というお宮がありますが、やはりもっと立派です。
奥社はインターフェイスじゃないんですね。インターフェイスは「宝光社」だと思っています。戸隠神社(戸隠山)の入り口にあるのが「宝光社」です。戸隠神社でたとえれば、「インターフェイス」=「宝光社」=「音の問題」です。
「中社」はイメージの発生であり、「奥社」が「音とイメージの同致」だと考えています。戸隠に雪が来る前に、素読舎を見に来て下さるなら、戸隠へ蕎麦を食いにいきましょう。奥社が小さなお宮で、結構粗末な造りであったと私は記憶しておりますが、二人でそれを確かめに行きませんか。
観光ガイド資格をお持ちの、浜谷さんには、私の戸隠解釈でいいのか悪いのかを質問させていただきますが、多分、観光ガイドの資格試験には、戸隠なんぞは出ないと思います。しかし、この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。
柳田国男や宮本常一に対する注視が、英語好きには欠けている。
私もこれから多くを読みたいと願っているが、果たして生きているうちにどれだけ読めるか。
「忘れられた日本人」(宮本常一)。タイトルだけで、読みたくなりませんか。
ST様> >「多読」をやる前に「音読」をやるべきだと考えています。
> その第一の理由と根石先生が考えておられることはなんでしょうか?「音」が英語のインターフェイスだからです。
>発音を直してくれなんて、無理なことを言って、俺を苦しめないで下さい。
*たしかに個々の音を出すのは私は得意なほうでした。個々の「音」に限って言えば私の方が根石先生よりもうまいかなとも思っていました。(こう書くのは自慢のためでもありません。根石先生ははっきり言わないと受け付けてくれないと感じているからです。)根石先生はいままであまたの生徒さんの「音」を指導してこられています。他人にしか直せないこともあると思います。原稿のミスは自分ではなかなか見つけられないのと同じです。それでは他の誰でもいいではないか「ということになりそうですが、やはり根石先生でないとダメなのです。学習方法において今まで「どんでんがえし」のようなことを書かれてきた方は私のしる限りゼロです。「切断読み」など私の知りたいことは根石先生でないとダメなのです。私の場合は「音」があまりにも強烈に入り過ぎるのか「イメージ」構築に今も苦しんでいます。これは私自信の練習不足の言い訳かもしれませんが。私は中学の英語の担任の先生がラジオの講座を聞きなさいと言われてから3年間ほぼ休まず聞き、語学というより「音」に興味をもって聞いてきたような気がします。そのお陰で発音についてはほめられるのですが、根石先生のおっしゃる「音とイメージの同致」がなかなかうまくいきません。この原因は「電圧装置」をしっかりやってこなかったからなのか、受験時の英文解釈の時に「回転」をしっかりやっていなかったからなのか、「切断読み」を充分になってこなかったからなのか、いずれかだと思っています。その根本的な所を実践されてきた根石先生にききたいことは山ほどあるのですが、まずは基礎を固めなければと思っています。今後ともよろしくお願いします!では
今日は地元の郵便局で出会った家族と意気投合したので、となり町まで会いにいくことになっています。いってきまーーーーーーす。
戸隠とは、面白い喩えです。>
インターフェイスは「宝光社」だと思っています。戸隠神社(戸隠山)の入り口にあるのが「宝光社」です。戸隠神社でたとえれば、「インターフェイス」=「宝光社」=「音の問題」です。
「中社」はイメージの発生であり、「奥社」が「音とイメージの同致」だと考えています。
>
音、イメージ、音とイメージの合致 まさに、このプロセスコントロールであると
おもいます。
ただし、シリアルな直列構造ではなく、同時多発領域でしょう。
そういう意味で、映画には、音とイメージの同時提示があります。
ラビット関根の訓練方法だが、
テレビの音を消して、
アフレコを即興でするらしい。
>94パーセントは何パーセントくらいになったでしょうか。60パーセント台に下がってくれると、私もずいぶんと気が楽です。
*20%にダウンしたら、もっと気が楽になってもらえるのでしょうか?でもその20%のうんこの中に宝石がつまっていると私は睨んでいます。今日は、先日郵便局で出会った家族に例の5円玉を配っていたら、いちど遊びにいらっしゃいということで、おじゃましてきました。車を40分くらい走らせるとVENUS BAYに到着、ところがなかなかそのお宅が見つからない。洗濯中のおばさんに5円玉を渡し、その住所をたずねてみる。言われた通りにいってみるがない。また同じ人に今度で電話を借りて迎えにきてもらうことにした。電話代を渡そうとしたが、いらないという。親切な人だ。そして無事家に到着、住所が18〜22番地というので妙だなと思っていたら、この家を購入した後でとなりが売りにでて買い取ったのだという。庭の広いこと、300坪はゆうに超えるだろうか。ガムの木、水仙、ワトル(豪州の花)、シンビジウム、日本の盆栽に。。。一体何種類の草木を見せてもらっただろうか?昼にスープをいただき、そのあと手作りのケーキをいただく。その後浜辺にいってみるが、風がきつく前に歩くのがやっと、という感じだ。寒いのでひき返し、近くの郵便局から絵葉書を5枚だし(たつもりだった)、ガレージセールでただ同然でてに入れた本を送るためのダンボールを買う。その郵便局に、となりの店の古本をまちがってもってきてしまったのでとなりの店の人を呼びにいってくれた。それがいけなかった。絵葉書5枚分の切手5枚5ドル分を払ったのに切手がないのだ。気がついたらとなり町にきていた。どうしよう!?だめもとで同じ郵便局なのだし、切手を変わりにこの郵便局でもらえないか交渉してみよう!受け付けの人はレシートを見て電話してくれた。豪州の郵便局は国営(CORPORATE)が基本だが、その間違って切手を貼ってくれなかったところはPRIVATEなのでここで払いもどしはできないが、結局切手を後で郵送してくれることになった。友人の住所を書いてホッとひと安心。交渉してみるものだと思った。郵便局の人の対応が丁寧なのが印象的でした。感謝感謝。先日国勢調査の紙がきて、みていたのだが、それによると、なんと22%のオーストラリア人が移民、そして5才以上の17%がLOTE(=LANGUAGES OTHER THAN ENGLISH)を話すらしい。人権に対する配慮というかそのあたりはきちんとしているなあと感じた。そう言えば以前泊めてもらっている友人の勤務校(中高校)で授業見学をさせてもらったときに、また5円玉を配っていたのだが、その時に、ある生徒が私になにかたいへん失礼なことを言ったのだ。その時は私はその英語がわからなかった。それが幸いしたのかもしれないが、あとでその教科担任の先生や校長先生がとても心配してくれたのも印象的だった。多文化国家であるだけにその人権に対する考え方はシビアなのかなあとも思った。
>「音」が英語のインターフェイスだからです。
*同感です。「インターフェイス」というのは「どんでんがえし」の最初のほうにあった「ローマ字変換」というのと同じような意味でしょうか?
>ちなみに奥社というのは、長野市の西にある戸隠山の麓にあるみすぼらしいほど小さなお社です。それより手前に「中社」というお宮がありますが、「奥社」よりはよっぽど大きく立派です。またそれより手前に「宝光社」というお宮がありますが、やはりもっと立派です。奥社はインターフェイスじゃないんですね。インターフェイスは「宝光社」だと思っています。戸隠神社(戸隠山)の入り口にあるのが「宝光社」です。戸隠神社でたとえれば、「インターフェイス」=「宝光社」=「音の問題」です。「中社」はイメージの発生であり、「奥社」が「音とイメージの同致」だと考えています。
*説明が難しいです。でもなんとなくならわかります。>戸隠に雪が来る前に、素読舎を見に来て下さるなら、戸隠へ蕎麦を食いにいきましょう。奥社が小さなお宮で、結構粗末な造りであったと私は記憶しておりますが、二人でそれを確かめに行きませんか。
*戸隠というと以前の担任していた学年でスキー研修旅行にいった思いでがあります。また以前の同僚の先生が退職されてペンションを始められたのも戸隠だったと記憶しています。「戸隠そば」はとてもおいしいそうですね。ひとつ楽しみが増えました。
すみません。まだやってません。
>これを読んで、STさんは計画を立てすぎるのではないかと思いました。一冊ずつ片づけるだけでも大変なのに、「ゴースト」と「Duo」 を同時進行させたり、浮気症じゃないかとも思いますよ。私は、英語と女については、「一穴主義」です。
*先々のことを考えすぎるのは私の悪い癖です。でもそれも含めて私だとも思っています。しかし「浮気症」というのはたしかにそういう傾向があると思います。DUOを始めたのは仕事が始まってからでは新しいことを入れるのは大変ではないかと思ってのことです。10年仕事しましたが、教職についていても自分の勉強をするのは大変だなあと実感したからです。でも700選と独自にやるDUOについては根石先生の教え通り「復習範囲は手放さない」でいくつもりです。余計なお世話じゃ、と書きたい所ですが、やはり「浮気症」の部分が自滅の道を自ら踏んできたことは実感しているので。感謝してます。
根石先生の奥様へエリオットさんのテープ、ありがとうございました。お手紙も添えていただいて、本当に嬉しかったです。
早速テープの感想ですが、中学生達、しっかり発音していますね。「すごい!」何と言ってもエリオットさんの男前な素敵な発音!本当にクリアな音ですね。このテープを聞き終わった後は、心地良い衝撃を受けました。音があまりにも美し過ぎて・・・。回転読みを続けているうちに、ついついとばしてしまう発音があるのですが、反省しました。今から「七年目の浮気」を見ます。
根石先生へ
お誕生日おめでとうございます。もう「血」の問題は解決されましたでしょうか?私も最初は「血」にみえましたが、少し離れてみてみると、プレゼントボックスを手のひらにのせている様にみえるのですが・・・。
素読舎日録昨日は、いつもの個人レッスンは、なし。お嬢のお母さん(別名マダム)が、自宅自作の現場に富山の鱒寿司を届けてくれる。レッスンを休むと俺が機嫌が悪くなることを、この母娘は知っており、レッスンを休むたびに何かを届けてくださることが慣例になりつつある。これはうまい。うまい鱒寿司はTちゃんと娘にあらかた食われる。
寝不足のまま午後起きる。
お嬢から、誕生日おめでとうのメールあり。やはり、こいつはいい女だ。だけど、添付ファイルの画像を見たら、まじめな顔の俺がロウソクの列に追いかけられているような絵。なんじゃこりゃ。このやろ。
あんまり暑いので、車に乗りたくなり「やじろべえ」へ行く。
涼んでいたら、携帯電話鳴る。今日、中野へ行かなくちゃいけないかという娘からの電話。行った方がいいと思うよと答えたら、じゃあ、準備するとのこと。
家に戻ったら娘がいた。体調がよくない様子なので、是非行かなくちゃいけねえ日じゃねえから、休みたければ休んでいろと言ったら、悪いけど休むと言う。
高速降りて、中野のジャスコで西瓜買う。教室をやっている神社付属の公民館の庭で、バーベキュー。着いてすぐ、ビールをもらう。肉が焼けたころは、もう酔いが回り始めた。
Yさん来る。お母さんや中学生は遠くから、俺やYさんを取り囲んでいるが、小学5年の娘たちが4人がなれなれしくてステキ。なんで、こんなに女だらけなのかと思うほど、神社の庭は女畑。女30人に男5,6人。中学生の男と小学生の男は、お宮の脇の日のあたらない少し暗いところにたむろして、暴力ごっこをやって、茣蓙の方へは来ない。
暗くなってきて花火。最近の花火は火花が凝っている。
眠くて仕方がない。
8時か、8時半か、終了。中野の町の中に珍しく喫茶店があったのを見た気がしたので、中野の町の中を車を走らせるが、みつからない。ぐるぐる回って、いつもの道をたどって帰る。途中で、車にガソリンを入れる。お嬢に電話しようとしたら、携帯の電池切れ。
土手をずっと走り、長野大橋を渡り、広徳の湯へ入る。湯であったまっては、外に出て寝転がり、体を冷やす。風が吹いて体を冷やしてくれると疲れが出てくる。あちこち体をもむ。広徳の湯からワイズアウルへ。合コンの日で、会費3000円だとウドが言うから、
なんだそんなら帰るぞと言ったら、いいからいつもの値段で酒だけ飲んでいろ。女をピックアップしようと思うなと言われて、そんならとカウンターに腰掛ける。リアンがウェイトレスのバイトをしていた。眠いのでカウンターに突っ伏してみるが、合コンのおしゃべりの声が馬鹿でかいので、眠れない。
結局、家に帰る。
根石様、毎日お暑うございます。>観光ガイド資格をお持ちの、浜谷さんには、私の戸隠解釈でいいのか悪いのかを質問させていただきますが、多分、観光ガイドの資格試験には、戸隠なんぞは出ないと思います。しかし、この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。
やはり私の音読による多読でインプットという方法に危惧を持たれてのお言葉と思います。 前にも申し上げましたように、私は根石さんの考案された;素読⇒電圧装置⇒回転読み⇒回転書きによる「音⇒イメージ⇒音とイメージの同致」のプロセスによるインプットの方法は大変効果的なものと考えております。ですから私は先日申し上げたように私の相談室にこられている数人の方に「映画でリスニング」電話レッスンを奨めさせていただきました。私はその他早稲田大学教授の矢野安剛氏他のインプットを重視するハウトゥ本やHPを来室者に奨めさせていただいています。私のペーパーバック音読による多読でインプットの方法が私だけが考案したものでないことを示して、その汎用性を来室者に納得していただく為です。私には根石さんのように実績がありませんので、そのようにせざるを得ません。
私は根石さんが重要視されているイメージによるインプットについては異論はありません。従来「英語で考えよ」と松本亨先生をはじめいろんな方が言われてきたことと同じだと思っています。日本語に翻訳したもの(英語そのものやイメージ以外のもの)をインプットしても何の役にも立たないのは歴然としています。私が主張している多読によるインプットもこの流れからはずれるものではないと確信しています。それに音が加わること(音とイメージの同致)の重要性にも異論はありません。激しく多読をやり、何度も同じ語彙、同じ構文に遭遇しその結果それらをイメージ化(少なくとも日本語でなく英語で)インプットすることは可能だと確信しています。 なぜペーパーバックに拘るか?については前にものべました。なるべく勉強気分を避けるためです。私は根石さんの電圧装置以下の方法は特に学生に向いていると考えています。それに対し私のペーパーバック多読の方法は社会人に(全部ではないにしてもかなりの割合の人々に、つまり、私のように大学にも行ってないような勉強嫌いの人々に)向いているのではないかと考えています。
以上ご質問の趣旨を踏まえレスさせていただきました。頑固なやつと思われるかも知れません。この私の方法がこれから相談室を訪れるどれだけの方に受け入れて貰え、実効が上がるのかは未知数です。やはり駄目で、他の方法を模索することになるかもしれません。その時は選択肢の一つとして、根石さんの方法を採らせていただくようになることもあろうかと思いますがその節は宜しくご教示のほどお願い致します。
ところで「この三層のお宮の構造は、やはり日本の何かを語っているとは思います。」と仰っていますが、特に「日本の何か」とはどういうことなんでしょうか?
それからご示唆のありました宮本常一著「忘れられた日本人」を読んでみました。(全部ではありませんが)根石さんがお始めになっている素読の為の和書としては大変良い書物かと思います。私もこのての和書も本当はもっと読みたいのですが、英語(英会話)の相談機関の仕事に船出してしまい、おそらくこれから後和書を紐解く機会は非常に少ないものと思います。しかし欲張ったらきりがないとも思っています。そういう意味から、時々このように和書で良書がある時はお教え願えればと思います。少なくとも時々根石さんの和書素読欄を覗いてみて、少しでも良い和書に触れるようにしたいと考えています。
最後になりましたが、お誕生日おめでとうございます! 本当は根石さんの書き込みの後すぐにでもその旨書き込みしたかったのですが・・・、やはりどなたか門下生の方が書き込まれていましたね。 しかし、なぜ「血」という字があったのか解せません。その後なにか分りましたか?
552〜581の発言は、「荒らし」を目的とするための記事ですので削除しました。
(根石吉久 2001年10月14日))
>3分で40〜50回くらいという数字は、「回転読み」の数字だと思いますが、語数はいくつでできている文かも書いていただくと、他の人の参考になると思いました。*実験の結果です!「18語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約6回」
「12語の文を3分で」「回転読み56回」「回転書き約7回」
「12語の文を3分で」「回転読み44回」「回転書き約7回」
(ただし5%程度のスペルミスが散見されます。まだまだですね。)
これでわかったことは私の場合、回転書きは回転読みの6分の1程度になるということです。次にはじめて実際にやってみて思ったことを書きます。
1:始めはゆっくり読んだ方がよい。回転書きするときもそのほうが好都合。
(始めから早く読んだ文は書き取りに苦労した。発音の崩れなどで)
2:回転書きをする時も始めはゆっくり書くとよい。
(字も始めから飛ばして書くと崩れがち)
3:書いている文の途中でテープが次の文に移ったら、途中でも次のへ移る方がよい。
(このことは「どんでんがえし」にもあったかも)
4:回転書きの時その前に書いているものを移してもよいのか、移さないように努力したほうがよいのか?
5:回転書きの時、声を出してやったほうがよいのか?
6:「どんでんがえし」にもあったと思うが、機械的作業にならないように注意する!
(例えば。。。'Stop making a fuss. It really gets on my nerves,' she shouted.
という文でreallyをrarelyと間違えたままで3回も書いてしまっていた!)
以上、報告でした。
非常に迷惑してます!古い投稿がなかなか読めなくて。他でやっててください。
>あたしゃ違うね。私は悪かったですよ。最低点は20点くらいじゃなかったでしょうか。高校の頃です。
*テストの点数20点というのはさすがに私も英語ではなかったと思います。でも高校はそれぞれレベルがあるのだし、あまり点数は意味がないとも思えます。どんでんがえしには3流高校かなんとか書いてあったけど実際はどうなのか。もしそれが本当であったとしてもいわゆる腹を決めて独自の方法をあみだしたのが根石先生なのだ。ただひたすらに回転し電圧装置を作った根石先生の実力をただつけるのみという考え方に私は励まされました。ただきたえればいいんだと。そのとおりだと思います。私も中学の時は英語はオール5でしたが、高校では5は1度もとった記憶はありません。いつも3か4でした。さらに、「どんでんがえし」の「やっつけてしまえばいいんだ」というコメントは非常に私には力強い言葉に思えました。高卒後、1年浪人して4年制大学にも入れず短大に入り、学部に編入学した程度の力しかなかったのが私です。でも今はただ鍛えるしかないと根石先生の御著書に励まされているのです。今は今の自分の実力でしかない。ただきたえればよいのだ。「音とイメージの同致」についてもただ自分はやってこなかっただけなのだ。やるだけなのだ。今後ともよろしくご指導をお願いします。
みなさんのお誕生日コールを見せてもらいながら、機を逸したなと思っていました。
根石先生、お誕生日おめでとうござーーーーーいまーーーーす!!!
私の倍も人生を生きていらっしゃるとは。。。はっはっは。なんてね。
ところでお酒はどんなのがお好きなのですか?日本酒党?焼酎党?ウイスキー党?それとも。。。
どうやら荒らされたようです。STさんの書き込みは正常に読めますので、今のところ掲示板の
機能自体は働いているようですが、今後またこういうことがあると皆さんにご迷惑をおかけする
ことになります。
どうするか。Bさんに相談してみます。歯に衣着せぬ方針は変える気がありませんので、セキ
ュリティのしっかりした掲示板を別のところへ作るしかないかもしれません。
掲示板を他へ引っ越しさせるにせよさせないにせよ、最近の記事は皆さんでコピーしておいて
いただけませんか。後で合成させる材料がなくなるおそれがありますから。
私もときどきのぞきはしますが、これから自宅自作現場に行き、夜には、地元で出ている「鰐
る」という雑誌の編集会議に出かけます。帰ってくるのは深夜頃になります。
どんな具合にこの掲示板が動作していくのか、壊れているのかいないのかを確認するために、
皆さんで書き込みを続けていて下さると助かります。
「丑の刻には気を抜くな」を最初のページから消すために投稿します!
「丑」この漢字、「うし」なのか「とら」なのかまよって漢字変換で確かめました。
漢字の勉強になりました。でも変換機能のおかげで漢字かけなくなったよなーーーー。さて本題の訂正です。
実験やってみました!」の4の「移す」はもちろん「写す」が正しいです。
漢字書けなくなったよなーー。
すみません。
昨日SAFEWAY(地元WONTHAGGI<MELBOURNEの郊外の人口7千人程度の小さな町>で唯一の大型スーパー、ちなみにここオーストラリアではそのSAFEWAYとCOLESがでかい)で、生まれて初めて携帯電話を購入した。160ドル(1ドル=65円です!)。100ドル分は通話できるので、実質は60ドルで購入したことになるか。来週から2週間タスマニア島へ小旅行に出るが、レンタカーを借りるので、故障したときのためにいわゆる日本のJAF(こちらではRACV=ROYAL AUTOMOBILE CLUB OF VICTORIA、州によって名前も制度も違うらしい、ちなみに学校制度や法律まで違うこともあるらしい、話しでは聞いていたが実際に経験してみるとまた違う感じ、たぶん、いくこさんの今いるのはボストン?アメリカでも同じような状況だと思う)を呼ぶため携帯電話を買ったのだ。問題はそこから。充電までは順調にいった。そこからはどうしても使える状態にならない。説明書もなんか不親切(ということにしておこう。実際は自分にとっては大量の英文を読むことがすごくめんどうだったのだ。)友達がきたくしてからどうしたらいいか聞いてみた。ここに電話してみたら。以前携帯を買ったときもまず登録をしなきゃならなかったから。そこで電話する。するとREGISTRATION NO.+SIM CARD NO.+IMEI NO.それぞれ10桁くらいのやつを要求されて、箱に入っていた紙を読み上げる。100ドル分のプリペイが終わったらクレジットにチャージしてもらいたいというと20ドルですか、50ドルですかと聞かれる。かかったぶんだけといいたいのだが、なかなか英語がでてこない。それでも何とか説明し、相手に分かってもらう。でも結局かかった分だけクレジットカードから引いてもらうサービスはなかった。日本にもそういうサービスはないのかな?初めての携帯が豪州で手にすることになるとは思ってもみなかった。初めてつながりうれしくなり、実家にいくらかかるかも知らずにとりあえずかける。通じる!!!すごーーーーーーーい。感動だ。その後友達の普通の電話から私の携帯にかけてみる。かからない。何度やってもかからない。こちらからかけられるのに、なぜ受信できないかって?それは電源を切っていたからだったのでした。なんでも経験しておくもんだ。帰国してから日本でもケータイに申しこもうかなーーー。
NHKのニュースを一日30分ほどここ豪州でもみることができます。多文化国家の豪州ではいろんな国のニュースを専門に紹介するチャンネルがあるのです。私の友達は毎朝それをビデオで録画して夜に見ています。夏祭の圧死のニュースや参議院議員選挙、靖国神社参拝問題、歴史教科書の問題など大きなものしか見れませんがみています。
タスマニア島には月曜日からなのですが、金土日と世話になっている友人宅からほど近い、いわゆるB&Bに滞在します。なぜなのか。新婚の(といっても3年になるが)友人を気づかってのことか?いいえ違います。風呂に入りたかったからです。湯船につかりたかったからです。「ゆぶね」ああ、この響き!!友人宅にはシャワーがありますがゆぶねがないのです。アトピーの私としては小旅行に出るまえに皮膚の調子を少しでもよくしておきたいというのがあったのです。贅沢病という人もいますが、この病気はひとすじなわではいきません。お酒ものむとかゆくなるし、自分にあう石鹸をさがるのに一苦労するし、ふとんもしょちゅうほさないといけないし、結構いろいろたいへんなんですよ。というわけでB&B(そこはBcBと書いてあった。CはCONTINENTALらしい、CONTINENTAL BREAKFAST を食べさせてくれるということか<質素な朝ご飯だよということか!?友達によると後でCOMPLAINTがでないようにこう書いてあるのかもしれないとのこと>)に行きますので、投稿しないか投稿回数が減るかもしません。金土日は。
根石様「完璧な発音」ということについての書き込みにお返事を書きたいのですが、2泊三日の家族旅行に行って帰ってきたばかりです。風邪をひいたようで、高熱とひどい頭痛でフラフラです。そのうちに書き込みますのでお待ち下さい。
津田美鶴様
「男前な素敵な発音」などと誉めていただいて大変光栄です。ちょっと照れるなあ。
根石さん>あたしゃ違うね。私は悪かったですよ。最低点は20点くらいじゃなかったでしょうか。高校の頃です。
私の書き込みで中学、高校と常に最高得点をマークしていたことへの、ご批評だと思います。私がその時申し上げたのは、そんな私も高校を卒業し、社会にでて、英会話のサークルに出てみて、歯が立たなかったことだったのですが、人間何をするにもどこかで壁にぶつかるということではないでしょうか?ある人は学生時代に、またある人は社会にでてから、勿論両方でという人もいるでしょう。私が中学、高校をとおして優等生であった(英語の関してのみ)確かですが、それがなんぼのもんだったのかと今思うとお恥ずかしいかぎりです。 ただ、素直に先生の言うことを聞いて、愚直にリーダース教科書の音読をやったのことが救いだったかなーと今思っています。
面白いHP、見つけました。根石先生の考え方に非常に近い考え方を基本コンセプトとしているようです。ACTIVE LEARNING SCHOOL といいます。
URL:http://www.als.co.jp
例えば。。。(引用します)>The concept of Active Learning's original AICC is "to provide students with the time to 'memorize' after their classes in order to 'crystallize' what they have learnt." In studying foreign languages, it is imperative to "repeat until it comes automatically," thus our AICC is particularly meaningful.
CRYSTALLIZEはCONSOLIDATIONやINTERNALIZATIONの意味で使われているのだと思います。
教室で板書ばかりしていることも批判していました。学習方法や教育がどんどん進化していきますね。いいことだと思います。
日本における最短の英語学習方法(語学として)をとりあえず最初にまとめられたのが根石先生ではないかと思います。基本の所は優秀な方がいわれると一致するんですよね。これからはいかにして最短の学習方法を学習者に実行させるかという方向に移っていくような気もします。
>私の書き込みで中学、高校と常に最高得点をマークしていたことへの、ご批評だと思います。
*根石先生の真意は、私は少し違うと思います。間違ってたらすみません!!これから少し書きます。>私がその時申し上げたのは、そんな私も高校を卒業し、社会にでて、英会話のサークルに出てみて、歯が立たなかったことだったのですが、人間何をするのもどこかで壁にぶつかるということではないでしょうか?
*壁にぶつかるというよりも浜谷先生にとって単にその時点においてご自分では「実力がたりていなかった」だけだということです。学校で成績がよいのが「くせもの」です。そんなもの「くそくらえ」です。すみません。きたない言葉を使って。私も中学の時はオール5でした。高校入試では英語は20点満点で20点でした。でもそれは本当の実力とはちょっと違うのです。実際はかなり違うのかもしれません。「どんでんがえし」にあるように「自分の頭がよいわるいとか足りないと言っている間に単語の1つでも覚えて<電圧装置なり回転読みなり回転書きなりして>自分の頭は一つしかないのだから鍛えてしまえばよい」ということです。この文章を読んだ時「力強い!!!」と私は感じました。その通りだと思いました。自分の実力のなさや自分が必要な時点でその能力に達していない場合はただただ自分の頭を鍛えるのみなのだと。すみません。若僧がえらそうなことを言って。この文章は浜谷先生のために書いているのではなく、自分のために書いているので、批判ではありませんので念のため。>ある人は学生時代に、またある人は社会にでてから、勿論両方でという人もいるでしょう。私が中学、高校をとおして優等生であった(英語の関してのみ)確かですが、それがななんぼのもんだったのかと今思うとお恥ずかしいかぎりです。
*そうなのです。なんぼのもんだったのです。私の実力もなんぼのもんでしたし、なんぼのもんです。自分が納得しなければ「なんぼのもん」なのです。それを「20万円のもん」にするのか「100万円のもん」にするのか、「自分が満足だといえる金額のもん」にするのか。それが学習の過程なのかもしれません。私も学習し続けるでしょう。はっきりいいます。私は英語フリークです。英語難民です。英語が好きです。でも英語が自分が必要だと思える金額(程度)までいっていません。今までは「音」に固執してきたきらいもあります。だから根石先生の言われるようにただただ自分の頭を鍛えていくしかないと思っています。根石先生から強く影響を受けました。>ただ、素直に先生の言うことを聞いて、愚直にリーダース教科書の音読をやったのことが救いだったかなーと今思っています。
*やはり浜谷先生も例外ではなく「音読」をやっておられたのですね。私も中学時代はNHKのラジオ基礎英語と続基礎英語を3年間ほぼやすまずに聞き続けました。エリオット先生もなにかやっておられたはずです。それをもっと激しく激しくやるべきだったのです。私もやるべきでした。でも今からでも遅くないと思っています。とにかく回転読み回転書きを私はやるつもりです。電圧装置も私なりのものを少しずつつくって火花を飛ばしたいと思います。さらに私の場合「切断読み」も平行してやっていきたいと思っています。これは「音とイメージの同致」「奥社?」を目指すためのものです。
>風邪をひいたようで、高熱とひどい頭痛でフラフラです。そのうちに書き込みますのでお待ち下さい。
*実は私もこの2日ほど少し頭がいたいです。豪州の寒さに慣れていないのかも。でもエリオット先生はかなりひどい頭痛のようで、おだいじになさって下さい。
「大風呂敷」開設以後、最初から100の記事を私のホームページに掲載しました。
この掲示板とは逆順にしてあります。
また、1〜100の番号を付してあります。
この方が読みやすいと思ったためです。
これらの作業の基本的な部分は、ほぼ手作業で村田君がやってくれました。
感謝します
この最初の過去ログのURLは以下の通りです。http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/1-100.HTML
101〜200も載せました。
「おまえはなぜそんなことをしらべてあるくのか」、一人の友だちはそういってききました。おそらくみなさんも、きっとそういってきくにちがいありません。私はちょっと困ってしまいました。しかし私は、その友だちにこう答えたのです。−−−「私はそういうことをしらべてみるのがすきなんだ」と。
それは私のほんとうの気持ちなのです。そして、みんなの人がこういうことをしらべるのを、もっとすきになってほしいと思います。
ただおもしろいからすきになった、というだけではありません。今の私たちの生活の習慣や、村や町、そのほかあらゆるものが、どうして今のようになってきたかということは、私のいちばん知りたいことの一つです。そして世の中が今のようなありさまになるまでには、ずいぶんたくさんの人の、目に見えない努力がつまれているのではないでしょうか。その目に見えない努力が少しでも知りたいのです。宮本常一「ふるさとの生活」(講談社学術文庫)
はっきりさせたいのは、学校だね。これは俺の天敵みたいなものなんだ(笑)。学校の英語、学校の英語の扱い方、あれじゃほんとに駄目なんだ。まず、生徒が全員、教科書なら教科書がすらすら読めるようにするってことが、なにをおいても先決問題だと俺は思っているんだけど、学校はまるでそれをやっていない。相変わらず読めもしない文章を訳させている。(中略)
「英会話」って考えが、フィクションなんだってことは言ったけど、基礎力のない人が英会話学校に通った場合、いくつかあいさつを覚えて、あとは教師のおしゃべりにつきあわされてるだけじゃないか。やたらにしゃべりまくるのは教師ばかりだ。いくつかあいさつを覚えて、その先にちっとも進まないという人がほとんどだよ。英会話学校ってのはほとんどペテンだよ。日本の学校の英語が使いものにならないから、学校英語の犠牲者になってるんだ。元にあるのは文部省の無能だ。学校英語がペテンだから出てきた、もう一つのペテンが英会話学校だ。それで、生徒が上達しないのを、生徒個々の能力の問題にしちゃえば、英会話学校はいつまでもペテンを続けていられるんだ。
「英語どんでんがえしのやっつけ方」 根石吉久+村田晴彦著 (小学館文庫発行)
176〜177 「二つのペテン」の項目より引用しました。
*私は学校英語サイドの人間ですが、英会話学校も学校英語も現状に甘んじているから塾になめられるのだと思います。本当に大切なことは何なのか?真剣に考えなければならない。*「どんでんがえし」の再販はないとか、確か根石先生は言われていたように思うのですが、本当なのでしょうか?もし本当なら帰国後100冊程度は買って必要な人に配ります。