先日のレッスンでお聞きしましたが、テキストの初めの方は、音と意味が同時に動くようになって
いるということに関してです。
これを成立させるのが、「復習範囲を手離さない」という原理です。
ただいま、「ウンコに学べ!」(ちくま新書)を読んでいますが、語学も、日本で欧米シンタック
スの言語をやる場合は、「発酵」ということがキーワードになると思いました。「発酵」という過
程がないと日本では英語はなかなかものにならないと思いました。
この本は面白いです。近いうちに、この掲示板へ面白かった部分を引用しようかとも思っています。
もっこりさんの専門の心理学から見て、私の方法がどう見えるのか、ここへ書いていただきたいと
願っております。
(引用です)
そもそも近代初頭のヨーロッパでは、家を建てるときに便所を拵えなかった。田舎なら畑や野原
ですることも可能だろうが、しかし、都会ではそういうわけにはいかないはずだ。それで、パリで
は一五一三年の市法(『パリ慣例集』)以来、家には必ず便所を作るよう命じていたのだが、一七
00年の時点でも、「家に便所を作るよう」警察が何度もお達しを出さねばならなかった。しかも
違反すれば罰金という脅しをかけ個別調査までしたのだが、それでも改善されなかったのである。
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(以下、根石)
花の都パリは、「糞の都パリ」であったのでした。
今や、便器にまたがれば、自分がしたものの姿形を見ぬうちに流してしまうことも可能だから、自
分がウンコをしたことさえ身に覚えがないと知らばっくれたりできそうにも思われる。が、しかし、
ウンコのほうは、いつもあなたに「俺はお前がひりだしたウンコなんだぞ」と人知れず語りかけて
いるのである。その「声なき肥え」を聞き流すのではなく、それに耳を傾けるべくフンばらねばな
らない。つまり、環境問題に向き合うとは、まずは自分がしたウンコに向き合うということでなく
てはならない。自分はしていない、自分は「ウンコたれ」ではない、と言い逃れることなどできな
い相談なのである。
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(根石)
実に名文だと思う。この著者たちの学歴が傑作である。
一人は、中央大学大学院理工学研究科博士課程満期退学。
もう一人は、東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻博士課程満期退学。
いいねえ。いかめしく、なになに大学だのなになに過程だのずらずらと漢字が並び、最後の4文
字が共に「満期退学」なんだから、美しい。
ちなみに、「満期退学」というのは、何かをさぼって、決められた年限のうちに単位を取りきら
ず、大学や大学院からおっぽり出されることを言います。最大限授業料を払った末に、おっぽり出
されることなのでありますよ。美しい。
私は英語関係の掲示板(これ)を一つ設置してありますが、下水自己処理の掲示板も近いうちに
作りたいと考えています。全国規模の無駄、議員と土建屋のソデの下ごっこによる、下水道工事に
私はとことん腹をたてています。助成金をばらまき、これまでに各家庭に個別に設置させてきた合
併浄化槽というものがありますが、この合併浄化槽の技術レベルを何一つ越えることがない、巨大
な浄化槽を作って、行政は税金を無駄遣いしています。ここ、更埴市も馬鹿げた馬鹿でかい下水道
工事をやっており、日々あちこちで交通が通行止めであります。
道というものは土建屋どもの持ち物ではない。人が通行する道は、「人の道」でもあるのだ。
ふざけんじゃねえ、土建屋と議員どもの野合。
私は決意しています。
ウンコは行政に渡さない。この固い決意です。日々下痢をしてウンコは柔らかいのだが、決意は固
い。娘と妻は、そんな、そこまで世の中に逆らうことはないと私を懐柔にかかっていますが、おら
あ、やだもんね。ウンコを行政に渡すことから、下水道ファシズムは瀰漫していくのだ。
糞くらえ。じゃなくて、糞、やらないよ、であります。
メールをいただき、返事を書いたが、語学論に触れる部分があるので、その部分だけ転写
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日本でやる英語は、なんだかんだ言ったところで「発酵過程」を繰り込む必要があります。
一挙にやっつけてやろうというのは、十代の後半でだったら奨めることもやぶさかではあ
りませんが、年齢を加えたら、じっくりやるというのがいいと思います。
もっこりさんに向けて、「発酵過程」のことを掲示板に書きましたので、覗いてみてくだ
さい。
「回転読み」はもちろん続けていただきたいと思いますが、私の「電話でレッスン」の眼
目のひとつは「復習範囲を手離さない」です。これをなかなか皆さん、自力でやろうとし
ません。次から次へと新しいことをやろうとなさいます。これは、ひとつの盲点になって
いると思います。「復習範囲を手離さない」をやると、また同じところをやるなんて馬鹿
くさいと思う人が多いのですが、同じところに繰り返し繰り返し回帰することで、語学の
「発酵過程」が実現します。
正月は、引っ越しを終了している予定です。正月あたり、遊びにおいでになりませんか。
Eliot さんが、1月の末に生徒を連れて、長野にスキー合宿に来られるので、お会いする
予定です。掲示板では、結構きついことを言い合っておりますが、お会いするのを楽しみ
にしています。sさんも、正月あたり、あるいはそれ以降でもいいですので、是非新築
の拙宅においで下さい。
私の方でも、そのうち京都へ出かけて、案内をお願いするかもしれませんが、その時は
よろしく。
今日は午後から、自宅自作現場でガス屋さん、水道屋さん、サッシ屋さんと話をしなければならな
いのだが、まだ「ウンコに学べ!」を読んでいます。面白いですよ。
二つばかり、また笑った箇所がありますので、お裾分け。
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この汚穢屋が登場する落語が、一七七四(安永三)年に出版された江戸小噺集の中にある。
さる田舎侍、にわかに便意を催し、物陰にて用を足す。あまりの大なるものなれば、辻番に置
いてくるも口惜しく、左ねじりを懐紙にくるみ、袂に入れる折ふし、向こうから「肥え買おう」
と呼びつつ、肥買い来かかる。「小口にても買うか」と問うに、肥買い「お屋敷はどちらでござ
います」「そんなおっくうなことではない。ここにある」と袂から出せば、肥買い、あたりをは
ばかり、肥を潜めて「まさか、出の怪しいものではございますまいな」
(稲穂作「近目貫」 別役実「当世・商売往来」岩波新書)
まるで麻薬取引のような緊張感である。汚穢屋は、「出の怪しいもの」、つまりこのウンコが盗
品ではないか、と疑っているのだからスゴイ。
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ウンコの値段には五段階の価格差があり、大名屋敷が特上で牢屋のウンコが最低。長屋のウンコ
は下から二番目のDランクであった。大名屋敷の人は栄養のあるものを食べているからウンコも肥
料としての効果も高かったのである。このようにウンコはひり出されても差別されたのである。
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ちなみに、下肥えに思い至らなかったヨーロッパでは、いつまでも野糞の習慣が残り、十七世紀
のベルサイユ宮殿にもトイレはなかった。大庭園や廊下の至るところに排泄物が落ちており、貴婦
人はスカートをしたまま用を足し、人のウンコを踏んでも困らないようにハイヒールが発明された。
(藤田前掲書)。今日、ハイヒールを履いて六本木を颯爽と歩く美女たちはその起源を知っている
のだろうか。
「肥を潜めて」 → 「声を潜めて」
過去ログ、701〜800番追加しました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis/ooburosi/000.HTML
重要な語学論議が交わされています。是非目を通していただきいと思います。
これから、500円ちょいの、なんとかブレックファストを食いに行きます。
その後は寝ます。
何だっけ、あのファミレスの名前。思い出せない。
足立さん、なんだっけ。
あなたの詩に出てくるファミレスなんですが・・・。
むしゃくしゃする。なんで思い出せないんだ。
ものすごく、うまくなったなと思います。
例の、「リリック ジャングル」に載ったのを見て、いい詩を書いたなと思いました。
これは、どこかで批評が出ると思いますよ。批評が出なかったら、世の中相変わらずぼんくら詩人
ばかりが多数なのだというだけのことです。
孤心の芯が取り出されたと思いました。
これまでも孤心は詩になっていたのですが、芯が取り出されたという感触を持ちました。
今後も読ませてください。
また、詩の雑誌はまるで読みませんので、批評が出たら、臆せずここに転写して下さい。
それがありがたい。
1.「完璧な音」VS「通じる音」論議について
過去ログ整理ありがとうございました。読み返して続きを書き込みたいと思いますが、もうしばらくお待ちください。
2.最低限の音のポイントとその順序だてについて
日本人英語学習者にとっての「お勧め発音」というべき発音体系の提案と一緒に考えをお示ししたいと今考えているところです。これも今しばらくお待ちください。
3.「日本在住英語学習憲法(?)」制定について
「ぜひやりましょう」と申しましたが、「憲法」というようなたいそうな名前のものを作り上げる論議ができるかどうか、今は自信がありません。とりあえずは2.の点の提案でお役に立てればと願っております。
4.学校嫌いと学校勤め
根石さんが学校嫌いなのは「筋金入り」だということはよくわかりました。また、塾経営をなさる中で出会った生徒さんたちを大事に思われるお気持ちも私なりには理解しております。しかし、学校での経験は人それぞれ各人各様であろうかと思います。学校に行ってよかった、いい先生、いい学校に出会って感謝しているというような人もいるはずですから、根石さんの学校、学校教師への思いを共有できない人がいることもご理解ください。
私が学校勤めをしていることで根石さんから鋭い批判の目で見られ、下手をすると「醜い姿」と言われるかもしれないと恐れねばならない道理はないと思っています。私は公立学校の教員ではありませんから、公務員ではなく、直接的に日本国民に公僕としての責任を持っている立場ではないのです。もちろん、教育という、広い意味では社会的に責任ある仕事をしているのだという意識は持っておりますが、私が第一に責任を果たさねばならない相手は、勤務校を信頼して通ってくれる生徒たちとその保護者たちであると思っております。であれば、私にとって大切なことはその期待に応える仕事をするということです。私の英語教育での取り組みはその一環です。そうであっても、私の実践が、もっと広く世の中に出て、他の学校やその他の場所で行われている英語教育に役立てば大変光栄でうれしいことだと思い、根石さんのサイトのお世話になっております。その意味では、私の書いたものをご自身のサイトにわざわざページを設けて発信してくださっていることに深い感謝の念を持っております。
シュリーマンの言う理想的外国語学習法の
1.翻訳をしない大量の音読をする。
2.常に興味のあることについて作文を書く。
3.毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
それを翌日の授業で暗誦する。
の三点に出ていないことを、彼の自伝の他の記述から考えて補足すると
1.翻訳をしない大量の音読をする。+音読したものを完全に暗記する。
2.常に興味のあることについて作文を書く。
3.毎日授業を受ける。+文法の説明など、必要な指導を受ける。
その際に教師にその作文を添削してもらい、それを翌日の授業で暗誦する。
になるだろうと思います。1.については彼の自伝からそれは明らかです。3.については私の推測ですが、授業を受けるのだから単に作文の添削だけではなかったでしょうし、添削してもらう際になぜ間違いなのかなどの説明は受けたと考えてもよいと思います。
英文の暗記について彼は自伝に次のように書いています。前に引用した個所にすぐ引き続いて、
My memory was bad, since from my childhood it had not been exercised upon any object; but I made use of every moment, and even stole time for study. In order to acquire a good pronunciation quickly, I went twice every Sunday to the English church, and repeated to myself in a low voice, every word of the clergyman's sermon. I never went on my errands, even in the rain, without having my book in my hand and learning something by heart; and I never waited at the post-office without reading. By such methods I gradually strengthened my memory, and in three months' time found no difficulty in reciting from memory to my teacher, Mr. Taylor, in each day's lesson, word by word, twenty printed pages, after having read them over three times attentively. In this way I committed to memory the whole of Goldsmith's Vicar of Wakefield and Sir Walter Scott's Ivanhoe. From over-excitement I slept but little, and employed my sleepless hours at night in going over in my mind what I had read on the preceding evening. The memory being always much more concentrated at night than in the day-time, I found these repetitions at night of paramount use. Thus I succeeded in acquring in half a year a thorough knowledge of the English language.
このあと、同じ方法でフランス語を勉強して、6ヶ月で仕上げたと述べています。その際にも小説を二冊暗記したということです。1年間英語とフランス語の勉強を絶え間なく行った結果、記憶力が鍛えられ、オランダ語、スペイン語、イタリヤ語、ポルトガル語を流暢に書いたり話したりできるようになるのにそれぞれ6週間しか要さなかったとも述べています。
後に仕事上の必要からロシア語を勉強することにしたのですが、この際にはロシア語の先生がどうしても見つからず、まったくの独学でした。彼は文法書と辞書とフランス語の勉強のときに暗記した小説のロシア語の訳本しかなかったので、まず数日文法書を勉強して文字と発音を覚え、それから小説を音読して丸暗記し、さらに作文を書いてそれを暗記しました。以下、引用します。
Then, following my old method, I began to write short stories of my own composition, and to learn them by heart. As I had no one to correct my work, it was, no doubt, extremely bad; but I tried at the same time to correct my mistakes by the practical exercise of learning the Russian Aventures de Telemaque by heart. It occurred to me that I should make more progress if I had some one to whom I could relate the adventures of Telemachus; so I hired a poor Jew for four francs a week, who had to come every evening for two hours to listen to my Russian recitations, of which he did not understand a syllable.
シュリーマンのロシア語の小説の音読を聞いていたユダヤ人はロシア語が一言もわからなかったのですが、シュリーマンは彼に向かって毎日2時間音読を続けたというわけです。
As the ceilings of the rooms of the common houses in Holland consist of single boards, people on the ground-floor can hear what is said in the third storey. My recitations therefore, delivered in a loud voice, annoyed the other tennants, who complained to the landlord, and twice while studying the Russian language I was forced to change my lodgings.
声高の音読のせいで下宿を二回も変わらねばならなかったほどの熱心さで音読と暗記に努めた様子が述べられています。
6週間の勉強でロシア語で手紙を書いたり会話をしたりすることができるようになったシュリーマンはその後ロシアに行き、ロシア語の力を生かして取引に成功します。彼はまた、ロシア語の勉強をしたのちにそれまで学んだ諸外国語の文学作品を真剣に読むようになったと述べています。
SSS英語学習法のサイトの掲示板に続きを書いていますから、興味のある方は見てください。あちらでは本名で書き込んでいますが、大風呂敷ではこれからも今まで通りEliotと名乗ります。
>ものすごく、うまくなったなと思います。
>例の、「リリック ジャングル」に載ったのを見て、いい詩を
>書いたなと思いました。
過分なおほめの言葉です。でも、うれしいですね。
詩を書き続けていてよかったと、思いました。
>孤心の芯が取り出されたと思いました。
>これまでも孤心は詩になっていたのですが、芯が取り出された
>という感触を持ちました。
読まれたときの生の批評と受け止めました。
これから書く詩は、やはりプレッシャーがかかりますが、
やるしかないと決めています。
>詩の雑誌はまるで読みませんので、批評が出たら、臆せずここ
>に転写して下さい。
反応がありましたら、「転写」いたします。
あればいいのですが。
> 何だっけ、あのファミレスの名前。思い出せない。
> 足立さん、なんだっけ。
> あなたの詩に出てくるファミレスなんですが・・・。
ジョナサンでしょうか。それともデニーズのことかな。
詩に書いたのは、ジョナサンですが、たしかコーヒーがまずい
と言つたこと憶えています。根石さんがですよ。
ではまた。
根石様
お気づきになっていますか? SSS英語学習法の提唱者は「酒井邦秀」氏です。「どうして英語が使えない」の著者で「基本英文700選」を批判した人です。根石さんは以前の書き込みで酒井さんのことをボロクソに言っていましたよね。あの人ですよ。「どうして英語が使えない」の中で主張していたことをSSS英語学習法という形で提唱して古川さんという賛同者とともに実践しようとしているわけですね。あの本はお読みになりましたか?
根石様へ
今年の7月から「電話でレッスン」を受けている岡田です。私の練習方法をお伝えします。私は来るまで仕事に通っているので、その車の中では必ず練習しようと思いました。映画の音声をテープにとり、それを必ず聞くようにしました。そして、車の中で、根石さんのレッスンの方法を行うようにしました。つまり、テープの文章を聞き、そこでテープを一時止めて、その文章をひたすら滑らかに言えるまでくり返すのです。そのためには、ある程度例文を暗記していなくてはなりません。だから、家を出る前に、前回習ったところの一文でも二文でもいいから暗記するように心がけ、それを車の中でいいまくります。車の中は大体30分弱です。新しい文章は大体二つか三つぐらいしかできません。それで終わってしまうこともあります。車に乗る前に予習できなければ、前に習って覚えている文章をさらに滑らかに言えるようにひたすら言い続けます。こんな感じですので、復習範囲はかなり押さえることができます。毎日、行き帰りの50分ほどが練習時間です。
現在のところこの練習の他はやっておりません。少し前に電圧装置を試してみましたが、続けられませんでした。何かお気づきの点がありましたらお知らせください。
ご報告ありがとうございました。
車に乗られるなら、車の中は練習にいいと言ったのは私でしたっけ?
私も、車のエンジンをかけると映画の英語が鳴り出すようにしてあります。私の場合は、口を動かすことはしていません。聴くだけです。不器用で古い人間ですから、車を運転しながらいちいち音を止めたりなどしていると、事故をやらかすおそれがありますので、車の中は聴くだけにしています。
くれぐれも交通事故にならないようにお願いします。事故になるおそれさえなければ、いい練習方法だと思います。
私は言葉というものと距離感をとることができない人間でもありますので、今後も聴くだけにしようと思っています。
車の中ではテキストは使えないわけですから、テープを聞いて、その文を「言いまくる」ためには、その前提が必要です。その前提がなければ、多くの日本人の口は「音だけを」わけもわからず真似てみることはできますが、「文を言いまくる」ことはできません。岡田さんは、「文を」言いまくっているわけですから、レッスンが活きているとうれしく思いました。この方法は是非続けて下さい。
細かいことを言います。「ある程度例文を暗記していなくてはならない」に関してです。「暗記」ととらえていただいても構わないとも思いますが、テープの音をきっかけにして、それが「文として」繰り返し言い続けられるのは、文が「口の動き」としてなじんでいることで可能になっています。「電話でレッスン」の「音づくり」は、要するにこの「動きとしてのなじみ」を作ることばかりやっているわけです。
口の動きとしてなじんでいるということが起こるのは、あくまで身体(の一部)によって文を内部に繰り込むことによってです。これに対して、「暗記」というのは、頭脳をあてにしています。結果的に同じものが得られれば、暗記ととらえていただいても、口の動きのなじみととらえていただいてもひとまずは構わないのですが、私の方法の根本にあるのは、「暗記」とは違っています。あくまで、口を動かして、動きとしてなじみを作り、結果的に暗記できてしまうというものです。「結果的に」、それが成立するだけです。
これはやかましい理屈ですから、ひとまずは、現在の方法をともかくお続け下さい。あてにできるのは、頭脳ではなく、身体の動きだというポイントだけ押さえていただくだけgでいいと思います。
方法の理論化をやるには、やかましい理屈が必要になってきますが、この理屈も「体得」したものでいずれわかっていただけると思っております。
現在の生徒さんの中では、岡田さんがもっともよく練習をしておいてくれる生徒さんです。ほとんど、練習の質にむらがないのがすごいと思っています。いい生徒さんが持てて
うれしく思っています。
私は、そちらの塾での私の方法の応用に非常に興味があります。私の方法を採用してみて、そちらの生徒さんがどんなふうに変わったかなどのご報告もいずれお願いしたいと思っています。古典への応用では、かなり即効性があったようですが、こちらのご報告もお願いしたいと思います。
> お気づきになっていますか? SSS英語学習法の提唱者は「酒井邦秀」氏です。
気づきませんでした。SSS 英語学習法に関しては、浜谷さんへ向けた記事でも書きましたが、「前提」となるものへの自覚が弱いという批判を持っています。これは、「英語という磁場を欠いた場所」に対する自覚の弱さへの批判でもあります。
では、「前提」とは何かということになると、Eliot さんが実践してこられ、私もやみくもながらやってきた「音づくり」そのものです。
絶対に必要な「前提」なのに、SSS では「音読」や「音づくり」は脇役として扱われているように思いました。これを脇役扱いするのは間違いだと思います。
日本という日本語の磁場では、國弘さんが提唱された「只管朗読」(私の言い方では、「素読」あるいは「回転読み」)が、主役であるべきだと考えています。
あまたある方法のそれぞれのいいところをとり、つぎはぎすれば方法ができるなどという考えは俗論です。そんなことは、多くの人がやっており、しかもそれで挫折する人が多くいます。
順序だてが絶対に必要であり、最初に来るべきものは、多読ではなくコーチつきの音読だという信念は強まるばかりです。
Eliot さんは、この順序立てにおいて、まったく正しい実践をされてきました。深く頭が下がります。この一点に曇りはありません。これは、Eliot さんが順序立ての意味がわかっておられる方だということです。しかし、多くの学習者も教師も「つぎはぎ」をやっています。なんとか生徒に力をつけてやりたいという良心によって、「つぎはぎ」をやり、大枠では指導要領に従い、中間・期末のテストに間に合うように授業する。日本は暗い国です。
いくつか新しいまともな方法の芽は出てきていますが、どれを信じるかの信仰の対象みたいになっており、日本の英語教育界が批評や批判を封じる土壌の上にあることは、以前から何の変わりもありません。私のようなものに対しては、ひたすらな無視あるのみです。
文部省主導の英語の駄目さ加減をとことんえぐってから、死んでいってやろうと思っています。
批判や批評というものは、ものごとを一歩前に進めるために不可欠なものです。日本人は、批判や批評そのものが悪いもののように思いなすところがありますが、その日本人の思想の体質をそのままにしておいて、英語なんぞやってみて、さてそれで何がどうなるのかという疑いはいつも私の胸にあります。
酒井という人の著書はいまだ読んでいません。
Eliot さんは、以前、酒井の文を引用されたのでしたっけ? それとも、Eliot さんが要約されたのでしたっけ? いずれ過去ログが整えば、読めると思っています。
私が腹をたてていたのは、「700選」への批判があるからではなく、なぜ、日本の受験生が「700選」のようなものを必要としているのかということに対する着眼がないことに対してでした。「700選」に載っている文がおかしな文だというような指摘より先にやるべきことがある。文部省主導の学校英語批判です。これをやらないで、「700選」などやり玉にあげたところで、生徒も受験生も救われることはないのです。日本全土に英語の死屍累々という現状にとどめをさすためには、学校英語批判、あるいはその親玉の文部省批判は不可欠です。学者どもは、これをやらず、学校英語の犠牲者たちが使う参考書などをやり玉にあげているのです。受験参考書(と言うほどのものでもないが)を書いた伊藤和夫より、僕の方が英語を知ってるんだもんね、と言いたいだけのことじゃねえか。それがなんぼのもんじゃいと、あほくせえ、と酒井に言いたかったのです。制度批判はやらず、受験参考書なんぞにつべこべ言ってる。いかにも度胸がない。それに腹がたったのです。
もっとも、酒井の著書は読んでないので、この通りかどうかは自信がありません。
少なくとも、Eliot さんの記事を読んで思ったのは、以上のことでした。
SSS に関しては、浜谷さんに申し上げた通り、中級以上の人にはいい方法だと思っています。そのことと、学者根性への批判とは別問題です。
お返事の順序が前後しますがお許し下さい。
> 2.最低限の音のポイントとその順序だてについて日本人英語学
習者にとっての「お勧め発音」というべき発音体系の提案と一緒に考え
をお示ししたいと今考えているところです。これも今しばらくお待ち
ください。
是非お願い致します。気長に待ちます。
>3.「日本在住英語学習憲法(?)」制定について
「ぜひやりましょう」と申しましたが、「憲法」というようなたい
そうな名前のものを作り上げる論議ができるかどうか、今は自信があ
りません。とりあえずは2.の点の提案でお役に立てればと願ってお
ります。
「憲法」という言葉自体は、もちろん、ふざけ半分です。しかし、先の記事でも書きましたように、「多読より先に音づくりだ」というような順序だてを、成文化することには意味があると考えています。私はそれの一点張りですが、それだと憲法が第一章しかないことになってしまうので、Eliot さんと議論して、順序だてというものを作りたいと考えたということです。しかし、まあ、「2.の点」に関してのみでも結構です。なにしろ、最初にやるべき「音づくり」に役立つ知識ですから。
>根石さんの学校、学校教師への思いを共有できない人がいることもご理解ください。
もちろんです。私は我が身に起こったことを書き付けておきたいだけです。誰に何の強要もいたしません。学校(制度)への憎しみを書くことを、私はためらわないだけのことです。
学校勤めをしているからとか先生だからというより、例えば英語の先生で、訳読だの、正解を言う生徒が現れるまでアテルだのをやり、こんなことをやっていても駄目だと思いながら、その元締めの文部省などを批判することもなく、流されていくだけの姿勢を「醜い姿」だと思うわけです。我が身の保身を先立てる行動様式は、別に学校や役場だけでなく、会社などにもごろごろしているものと思います。やはり、醜いものです。
学校の先生は、こういう批判の矢面に立つことが多い。
私のようにたかが小さな私塾をやっている者でも、「人格」など要求されることがあります。「教育者」だからだそうです。私は、「教育者」なんぞというものではなく、しがない英語職人ですが、世の中の人は、「人格」なぞを要求します。そうすると、「うるせえ、馬鹿やろが、おめえが他人に人格なんかを要求できるだけのジンブツかよ」と平気で口走ってきたおかげで、町の中で、PTAばばあどもにピーチクパーチクをやられました。よく生きてこれたと思うことがしばしばあります。私と私の塾を支えてくれたのは、ものごとを見ていてくれる少ない「目あき」あるいは「目きき」の人々のおかげです。
日本国民に公僕としての責任を持っている立場ではないとのこと、よくわかりました。
>もちろん、教育という、広い意味では社会的に責任ある仕事をし
ているのだという意識は持っておりますが、私が第一に責任を果た
さねばならない相手は、勤務校を信頼して通ってくれる生徒たちと
その保護者たちであると思っております。
これは、共有できる観点です。私も、私の塾を信頼して通ってくれる生徒たちとその保護者たちに対してだけは責任を果たさなければならないと思っています。「私立」ということの意味をはっきりさせてくれる文だと思いました。私は、日本の近代における「私立」の根は塾にあると思っています。偏差値狂いを助長する大手チェーン塾のようなものまでが塾という名前で呼ばれているのは、塾の名折れですが・・・。
偏差値狂いを助長する学習塾の看板を町で見かけるたびに、私は変な気持ちになります。これが塾なら、俺は塾などやめてしまいたいと思うのです。英語一つを扱いながら、大学に受かるように手伝うことはやっておりますが、その後に生き残れる英語の基を持たせること(音づくり)も同時にやっているという一点で、私の塾はあれらの学習塾と違っています。
町で塾の看板を見るたびに、あれが塾なら俺んのは塾じゃない、俺んのが塾なら、あれは塾じゃない、というような変な気持ちが生じます。
まあ、しかし、これを言っても、誰もまともに相手にしてくれないので、塾だと言って、仕事をしてきました。
>私の実践が、もっと広く世の中に出て、他の学校やその他の場所で
行われている英語教育に役立てば大変光栄でうれしいことだと思い、
根石さんのサイトのお世話になっております。その意味では、私の書
いたものをご自身のサイトにわざわざページを設けて発信してくださ
っていることに深い感謝の念を持っております。
こちらこそ、ありがたく思っています。
私は思ったことを、腹にいちもつとして keep することがなかなかできない未熟者ですので、この欠点を活かして、鉄火場としての掲示板をやっていきたいと思います。そんな場所ですが、御見捨てなきよう、今後もどんどんお書きください。
Fさんから「英語どんでんがえしのやっつけ方」(小学館文庫)の記述へのお問い合わせがあり
ました。お返事を掲載します。
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拙書お読みいただき、ありがとうございます。
猛烈な勉強法とおっしゃいますが、英語は面白くなってしまえば、いくらでも
どんどんやるようになります。それを第三者から見ると、猛烈に見えるだけのこ
とで、本人はけっこう楽しんでいたりします。
面白くなってしまうというのが、もっとも大事なコツなのですが、私の「音づ
くり」をやっていただき、「面白い」と言って下さる人はけっこうたくさんいま
す。レッスンを楽しみにしていていただきたく思います。
>ひとつお聞きしたいんですが、この回転読みをするの
にMDは使ってありますか?ポータブルMDにマイクをつけ
れば聞けるみたいですが、テープに比べて何か不都合は
ありますでしょうか?
「回転読み」自体は、テープもMDも必要なく、ひたすら自分の口の筋肉を動
かし続け、具体的に一つの文で口の動きに「なじみ」を作ってしまう方法です。
おっしゃられているのは、「回転書き」あるいは「宝物テープ」作成に使用す
る音声複製機器のことかと推測します。
これは、テープでもMDでもかまいません。録音でき、再生できれば何でも結
構です。MDに「繰り返し再生」という機能があれば、まともに作れた音を一度
吹き込んでおき、「回転書き」に使用するのはグッドアイディアかもしれません。
私が育った時代(中学・高校時代)は録音機器にはテープレコーダーしかありま
せんでしたので、「回転書き」に必要なだけの時間を、テープに同じ文を吹き込
みました。これも悪くありません。吹き込みの間も同じ文を繰り返し言い続ける
わけで、吹き込み自体が練習にもなるからです。
テープでもMDでも何でもかまいません。録音機器は語学にはなかなか役にた
つものですので、活用して下さい。
お問い合わせは、他の方の役にたつことがありうることを考え、私の掲示板に
個人情報をすべて伏せた上で掲載させていただくことがあります。この点、ご了
承下さい。
掲示板のアドレスは以下の通りです。
http://www82.tcup.com/8246/nessy.html
レッスンを始められて以後に、感想や質問など書いていただきたくお願いいた
します。また、レッスンの途中経過の報告は是非お願いしたいと思っております。
以上です。
過去ログ、801〜900番、「大風呂敷の記事の倉庫」へ格納いたしました。
ご利用下さい。
母音に関する連載記事、いくこが整序してくれました。
これをメールでお送りしますので、訂正する必要がある場合は、訂正していただき、私にメール
でお送り下さい。
お手数をわずらわせますが、よろしくお願いいたします。
お時間のとれる時で結構です。
「電話でレッスン」で、「逃亡者」をこれからやる予定の Shima さんから DVD に関する情報を
メールでいただきましたので、転写いたします。
ビデオより安いとのことです。
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こんにちは。
先日、逃亡者のシナリオ本とDVDを購入しました。
ビデオテープより価格が安く、頭出しや繰り返しが簡単、その上英語字幕も表示可能
なのでDVDとしました。
DVDの区切り(チャプター)がシナリオ本と異なり、42分割となっていました。
そこで、シナリオ本とDVDの関係を報告しておきます。
チャプター番号:DVDチャプター表題/シナリオ本ページ:シナリオ文
1:残忍な殺人事件/P7:EXT.CHICAGO-NIGHT
2:キンブルへの尋問/P10:INT.POLICE STATION/INTERROGATION ROOM
3:死刑宣告/P16:INT.CHICAGO COURTHOUSE/HALLWAY
4:メナード行き護送バス/P21:INT.COOK COUNTY JAIL
5:大暴走/P22:INT.BUS
6:列車が来る!/P23:INT.BUS
7:おれの跡をつけるな/P25:EXT.CRASH SITE
8:連邦保安官ジェラード/P25:EXT.CRASH SITE
9:逃亡者の名前はリチャード・キンブル医師/P29:Biggs walks over and hands
Kimble's manacles to Gerard
10:チームワーク/P31:EXT.CRASH SITE
11:わたしの鏡の顔だ/P33:INT.RURAL HOSPITAL/HALLWAY
12:とっさの診断/P36:EXT.RURAL HOSPITAL/PARKING LOT
13:空からの追跡/P38:EXT.CRASH SITE
14:下水道での追跡/P41:Kimble continues rnning.
15:おれは殺していない/P42:INT.BARKLEY DAM/DOWN SLOPE CONDUIT
16:決死のダイブ/P43:INT.BARKLEY DAM/DRAINAGE CONDUIT
17:川沿いの捜査網/P45:INT.BARKLEY DAM
18:悪夢の記憶/P48:EXT.WOODS
19:コープランド宅襲撃/P50:INT.U.S. MARSHAL'S OFFICE/CONFERENCE ROOM
20:おれは交渉しない/P54:EXT.STREET
21:キンブル シカゴへ戻る/P56:EXT.CHICATO STREET
22:頼みの綱 ニコルス/P60:EXT.STREET
23:クック郡病院/P63:INT.CHICAGO POLICE PRECINCT
24:ジェラード、キンブルを調べる/P65:INT.HOSPITAL/NICHOLS' OFFICE
25:完全包囲された家/P69:INT.BASEMENT APARTMENT/BEDROOM
26:人工器官を学ぶ/P75:EXT.COOK COUNTY HOSPITAL/EMERGENCY ENTRANCE
27:義手の男を絞り込め/P82:Renfro walks up to Gerard in the hall.
28:クライヴを訪ねる男たち/P85:EXT.RIVER
29:リチャード!/P89:INT.FEDERAL LOCK
30:幸運のパレード/P90:EXT.FEDERAL LOCK-UP/PLAZA
31:不法家宅侵入/P94:EXT.STREET
32:謎解きの手がかり/P97:INT.U.S.MARSHAL'S OFFICE/MEDIA ROOM
33:私を狙ってた/P105:EXT.CHICAGO HILTON
34:手強いニコルズ/P107:INT.CHICAGO HILTON/HALLWAY
35:真犯人は身近な者/P111:INT.CHICAGO MEMORIAL HOSPITAL/ADMINISTRATIVE
OFFICE
36:高架鉄道でのピンチ/P115:EXT.STREET
37:講演中での妨害者/P119:EXT.CHICAGO最下行
38:屋上での格闘/P125:Gerard and his crew are walking down the hall.
39:ヤツらは洗濯室だ/P129:INT.CHICAGO HILTON/ELEVATOR CAR
40:もう逃亡はやめるんだ!/P132:Kimble walks over and picks up a steel pipe.
41:皆には内緒だぞ/P132:EXT.CHICAGO HILTON/HOTEL ENTRANCE
42:エンド・クレジット/P134:EXT.STREET
シナリオ本を見ながら聴いていたのですが、聞き取れない部分が多くありました。
かなり手強い練習になると思いました。
さて、もう寝ようと思って布団にもぐって、「禁煙の愉しみ」(山村修 新潮OH文庫)を読み始めたら、素読および「復習範囲を手離さない」に通じることが書いてあったので、起き出して、コンピュータの電源を入れた。以下、引用。
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口ずさむうち、とりわけ最後の一行「牧童遙かに指さす、杏花の村」のところでは、おそらく杏の実を特産としていた農村の春景色のおだやかなたたずまいが思い浮かんで胸がなごむ。どうやら私にとってトランキライザーのような働きをもたらす漢詩なのだ。
煙草を吸った夢を見たら、この「清明」をとなえてみる。わずかばかりの悲哀感などは、窓から杏の花がいっぱいに見える酒家の中で、蒸発してしまうような気がする。こうしたとき、私はつくづく、この詩をただ読んだだけでなく、記憶ということをしていてよかったと思う。記憶して胸におさめていればこそ、いつでも取り出したいときに取り出せるのだ。忘れた言葉は役に立たない。
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語調は、まるで慶応と早稲田ほどに違うが、私も最近似たようなことを書いた。以下、引用。
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少年の頃に、おじいさんの前で「論語」を素読させられた少年が、例えば二十歳の青年になり、「論語」の中の文を思い出し、これはこういう意味だったのかと何か納得したものがあったとする。少年時代には、意味のわからない文を「音読」させられ、音としてなめらかに正確に言えるようにしていただけであるから、その時点でのテキストは、文としては意味をともなわない「からっぽ」の文である。二十歳になってから思うことがあり、、その「からっぽ」に急に意味が充電されるということが生じたということなのだ。
しかし、その充電はそれで終わりではない。音として完成しているテキストは、その後も、一度充電された意味を洗い続ける。あるいは、今度は意味を媒介にしながら、発酵を続けると言ってもいい。
三十歳になって、また思うことがあり、二十歳の時に、自分はあの文についてこんなことを考えたが、まるで違っていたのかもしれないと思い返すことがあったとする。同一のテキストがまた違う顔を見せることになる。昔から知っているテキストが、まったく新しい表情で立ち上がるということを経験するかもしれない。
たまたま二十歳と三十歳という年齢を設定してみただけであり、この意味の更新はいつでも起こりうる可能性がある。三十五歳の時には三十五歳の読みがあり、四十歳では四十歳の読みがある。老人になっても、読みは新しく更新されていく可能性がある。
これとよく似た経験は、読書でもある。例えば、青年に頃に読んだドストエフスキーの小説を五十歳になってもう一度読んでみたら、同じ小説とは思えないような経験をするということはある。いったい、青年の頃は何を読んでいたのかとすら思うということがある。こちらは普通は黙読だろう。
この黙読(読書)と、素読の違いは、素読では音としてテキストが完成してしまうので、目の前にテキストがなくても読みが持続しうるし、文字としてのテキストなしで、突然ひらめきのように、新しい読みが生じてくる可能性があることである。道を歩いていて、待てよ、あの文は、と思い、足を止めて深く思い、そうか、そういうことなのか、と思うというようなことは、音として完成したテキストが体に保持されていればこそ起こりうることである。
これが、素読に独特な点である。
音として完成されたテキストは、テキスト(文字)を必要としないで読みを深めることを可能にする。身一つで移動しても、音としてのテキストは読める。読んで深めることができる。
信州中野の神社の庭にある公民館で、中学生と小学生を相手に英語のクラスを持っています。
中学生4人、小学生12人です。ねこむすめさんが、小学生の「音づくり」を手伝ってくれていま
す。
中学生4人が、最近学校のテスト(期末だろうと思う)を受けたそうなので、点数を聞きました。
私は学校のテストの点は、あまり問題にしないのですが、平均点と突き合わせると、私がやってい
るレッスンによって、生徒にどんなことが起こりつつあるのかを知ることができますので、自分の
点とクラスの点を聞きます。
Kちゃん、得点94点 クラス平均68点
H、得点80点、クラス平均忘れました
Aちゃん、得点84点、クラス平均40点台、正確なところは忘れた。(中学1年の平均点で40
点台かよ!)
S、90点、クラス平均? 50点台じゃなかったかなあ。
しかし、平均点と私の生徒の点の開きが本当の問題じゃない。
平均点をとっている中学生たちが、おそらく「音づくり」のレッスンに触れずに英語をやってい
るのが悲しい悲しい日本の学校英語だということが問題なのだ。
「音づくり」をやって、塾生が塾にいる時間が長引くと、PTA根性の母親が、この塾は時間がかか
りすぎるとか、文句を言ったことが数知れない。時間がかかるときに時間をかけないでどうするんだ。
余計に金を出せと言ってるんじゃねえんだぞ。アホか。そんなに学校の部活が心配なら、おめえの
息子には英語をやめさせて、部活だけやらせとけ。そんなことを、元気がよいが語学についてはド
素人の母親どもにヘーキノヘーザでもの申してきたおかげで、あたしゃ塾をやってきたけどもうから
なかったね。
唾棄すべきものは、唾棄するのでいいのだと、現在も私は思っており、反省のこころが足りませ
ん。糞ばばあども。ちゃんと、おめえらの息子どもの英語は、現在ただいまきちんと滅びているじ
ゃねえか。糞ばばあどもは、糞であるから、あんたら一族の英語は糞のままでよろしいのだ。
Sの
「Sの」はゴミです。
ゴミんなさい。
ひとつ前の自分の文章を読み返した。
酔っぱらって、眠気混じりでもうろうとして書いた文ではあるが、自分で読み返してみても、さすがに品が悪い。私にも品がないわけではないが、「下」のつく品なので仕方がない。私から見てさえ、さらに一段と下品だと思うのが、偏差値狂いの母親というものである。戦後日本の市民社会の成立とともに立ち現れた母親どもの偏差値狂いは、学校制度の内にあくまでもとどまる。制度に従順な、もぬけのからの思想なのだが、戦後市民社会の母親どもは、元気がよくて、わけもわからず文句を言うので辟易する。
塾をやってきて、母親どもに何度も言われた文句は、練習に時間がかかりすぎるというものだった。あんたの息子の時間は貴重だろうが、私の時間だって貴重なのだ。時間をかけずに「音づくり」ができるものなら、そうしたいのだが、どうにも「音づくり」には時間がかかるのだ。
偏差値狂いの母親どもは、私の塾の練習を単に学校のテストの点だけに奉仕させようとした。いつでも、目先の点のことで文句を言うのが、戦後市民社会の偏差値狂いの母親どもだった。あいつらは、狂っとる。
私が、その度に、すぐに糞婆あ呼ばわりをしていたわけではない。時間がかかるけれど、今やっている練習は「音づくり」であって、本当に大事な練習なのだ。時間がかかるときに、きちんと時間をかけないと駄目なんだとおとなしく説明するのだが、目先の点しか見えなくなった母親どもは、「音づくり」なんぞが何の価値があるのかという顔をする。点にならないものは価値はないというわけである。
私の塾生が点がとれないわけではない。それどころか、学年トップが続出するようなことは、過去に何度もあった。
私の塾での練習が時間がかかるのは点をとらせんがためではない。あくまでも、「音づくり」という「余計なこと」をやっているからである。点だけを考えれば無駄なことをやっているからである。母親どもは、いつもこの無駄なことに文句を言うのだ。利口そうな馬鹿には、点だけが大事なのだ。その結果、点のとれる馬鹿ができる。点のとれる馬鹿。これも実に下品なものである。
この母親どもには、「必要な無駄」というものがあるということがわからない。
どかどかと土足で踏み込んでくるような口調で私に文句をたれる。俺の塾で育つ英語がまともなんであって、学校英語がとことんおかしなものなのだが、この馬鹿母たちは、学校英語が標準だと思っている。この「標準」の世界において、余計に点がとれることが価値だと思っている。まっすぐに墓場に向かう英語の行進において、元気に歩くこと(点がとれること)がいいのだと思っている。
わかろうとしない者に、いくら丁寧に説明しても無駄である。そう思った時に、私は「勝手にしろ」と言った。塾をやっていくには、まったく不利なことなのだが、それをいつも言明してきた。
息子を愛して息子を駄目にする。それが、母親どもがやっている愚行である。この愛に偏差値が食い込み、愚行の中に制度への盲目が潜む。愛は不純であり、愚行は猿の行いに等しい。
戦後、女は元気になったそうだが、同じ程度に馬鹿にもなった。
市民社会に取り殺されてでも、食い詰めてでも、これは言うべき必要がある。
通りすがりのbeeです。
嫌なものにとまります。
母親たちは、自分の息子や娘を、競馬馬だと思っているかのよう。
次回のテスト範囲、手元のメモでいいのかどうかわからなくなってしまいました。
前回申し上げた範囲をお知らせいただきたくお願いいたします。
Fさん
初日のレッスンごくろうさまでした。
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
に含まれる語法について、レッスン中に質問していただきましたが、今後、レッスン
はなるべく「音づくり」に集中していただく予定ですので、語法、意味の区切り、文法
などに関しては、この掲示板で質問していただくとありがたく思います。
「ゴースト」は他にも3人の方がやっておられますので、先輩が教えてくれるかもし
れませんし、私が説明するかもしれません。いずれにせよ、はっきりさせることができ
ると思います。また、私が説明できないものが出てきた場合でも、この掲示板を読んで
いて下さる方に英語の強者が何人もおられますので、教えていただけるかもしれません。
高校・大学をアメリカで過ごし、現在日本の出版社で働いておられる Kawakami さんと
いう方も読まれていますので、アメリカの生活習慣にからんだ語法などは、説明をいた
だけるかもしれません。
基本的には私が考えてここに書きます。
私が間違っている場合は、強者たちからチェックが入るだろうと思います。
質問を歓迎いたします。
----------------------------------------------------
強者の方々へ
というわけで、「電話でレッスン」の語法、文法などをこの掲示板でお受けすること
にしました。私が四苦八苦している場合、とんちんかんなことを言っている場合があり
ましたら、チェックを入れていただけたら有り難く存じます。
よろしくお願いいたします。
録音用MDの操作方法は機種によって違いますが、自分の好きなところに信号を入れて切れ目を
作り、ボタン一つの操作で同じ文を繰り返し聴くことはどんな機種でもできると思います。
新しい文を練習する場合には、何度も繰り返し聴いてみることと、何度も繰り返し言い続けるこ
ととを交互にやられると、サーファーが波に乗る具合に、途中で英語のイントネーション(リズム)
に乗る感覚がつかめると思いますので、お試しください。
先日、「大風呂敷過去の記事」としてまとめた801〜900の中に文字化けがあったような覚え
があります。
整序の過程で文字化けが発生したものと思います。ほとんど発音記号の代用文字のところだったと
思います。
記事番号と訂正後の文字とをここに書いていただけたら、私の手で訂正いたしますので、お願いで
きますでしょうか。
お暇がとれたときで結構です。
前から気になっていたのですが、嫌なものにとまるのは、bee ではなくて、fly じゃなかったで
しょうか。
bee はお花なんかにとまるんじゃないでしょうか。
私は「糞婆あ」などと書いてしまいましたが、糞に止まるのは fly だけで、私の糞にはかつて
bee が訪れてくれたことがありません。
勘違いしていたらごめんなさい。
bee を使ったことわざかなんかで、私の勘違いを訂正してくれるようなものがあったらお教えく
ださい。
私は野糞をするのを好みますので、この行為の回りで動いてくれる昆虫の観察結果です。
001年12月1日 掲示板「大風呂敷」の901〜1000の記事を掲載。この間に、ニューヨークのツインタワーに旅客機がつっこんだ。その
夜、私が「気持ちいい」と書いたことで、掲示板に初めての方が何人も書いてくれた。胃が痛くなった。長野のBさんには、「根石さん、センス
悪いよ」と言われた。悪い。確かに。しかし、アフガンやベトナムやアメリカンインディアンに対してアメリカがやったことに対して、「センスがな
い」よりは、センスが悪い方がはるかにましだと思っている。
卓袱台ひっくり返しの表紙から、「大風呂敷の記事の倉庫」をクリックしてお読み下さい。
恐怖のメモリぐい飲み。
詩的展開に見えるけれど、詩ではないのですか?
それはわからないのです。
だって、今となっては、
かよさんが言われる現実世界も、
夢の世界も、詩の世界も、わたしにとっては
区別が無くなってしまったからです。
午前六時過ぎの川沿いの道を駅に向かえば
カワウが手を振るし、
通勤電車を待つホームでは
彼女が光っているし
会社のPC は良く来たなと腹を抱えるし、
駅で買った昼ごはんのサンドイッチは
昼まで鼻歌を歌っている
時々鳴り響く電話に出れば
何処で探したか、なんで俺の名前を知っているのか
「Kei ちゃんですね。
わたくし、ぺこぺこ投資商会のどたまんです。
実は、Kei ちゃん、投資の話を聞いて下さいますか」と奏でるから、
「全然興味が無いと」吹くと、
「そんなことないでしょ」といいやがる
「いやいや、今忙しいから、電話を切るよ」と応えると、
「じゃあ、ご自宅に電話をします」とぬかしやがる。
「興味無いよと言っただろう!」と怒鳴ると、
「金に興味が無いなんて嘘だ」と向こうも叫ぶ、
こんちくしょー、「ガチャン!」と電話を切る。
暫く怒りがおさまらない。
そんなときはもう、詩が消えて、肉体の振動が
体を支配して、
俺何を書いているのだろう、。。。という具合に詩と現実は
渾然一体となって、演奏を奏でる今。
根石さんご無沙汰してます。私、最近では文部省認定工業英検一級試験などの相談役を
HPでやってます。’工業英検’とはあまり世に知られていない英検ですが、最近では
厳しい世の中になってきたので、こういうものも資格として皆見直しているのかもしれ
ません、受験者が増加しつつあるようです。英検は英検ですが語学試験というより、むしろ
その目指すところは如何にして他人に自分の想いを明確に正確に端的に伝えるか?という
ことを勉強させる。詩とはある意味で180度異なる術−テクニカル・コミュニケーションの検査。
詩なら読む人毎に解釈が異なるわけです−−ほんとかな?という人あり。
ところで最近のTIME誌、アフガン攻撃の世相を反映して毎週タリバンやイスラムのヴェール
の話題、アルキダの洞穴陣地の記事(詳細イラスト付き)などが満載です。そのイスラムの
国にあってトルコは、女性を開放している点では、先進国だとあります。
通りすがりのbeeです。
山の匂いをかぐと、便意をもようします。
beeは、flyのはずですが、これからもbeeは、beeです。
ときおり通りすぎるとき、なにか臭いがしたら、さそわれるようにとまります。
蜜のかおりは、甘いだけでは、ありません。
ご執筆有難う御座いました。以下のとおりBBSにお知らせを出しました。
今後ともよろしくお願いします。
===============================
お待たせしました 根岸吉久「素読舎」UPです!
同人社 お奨めサイト オーナーの横顔 第2弾は「素読舎」さんです。
根岸岩吉 第1回「素読舎以前」ご覧ください。
http://www.doujinsha.com/zuihitsu19.htm
>「700選」に載っている文がおかしな文だというような指摘より先にやるべきことがある。文部省主導の学校英語批判です。これをやらないで、「700選」などやり玉にあげたところで、生徒も受験生も救われることはないのです。日本全土に英語の死屍累々という現状にとどめをさすためには、学校英語批判、あるいはその親玉の文部省批判は不可欠です。学者どもは、これをやらず、学校英語の犠牲者たちが使う参考書などをやり玉にあげているのです。受験参考書(と言うほどのものでもないが)を書いた伊藤和夫より、僕の方が英語を知ってるんだもんね、と言いたいだけのことじゃねえか。それがなんぼのもんじゃいと、あほくせえ、と酒井に言いたかったのです。制度批判はやらず、受験参考書なんぞにつべこべ言ってる。いかにも度胸がない。それに腹がたったのです。
もっとも、酒井の著書は読んでないので、この通りかどうかは自信がありません
酒井氏の著書を読んでみました。そして制度批判をしているのが分かりました。次の文がその一部の抜粋です。
英語教育を本当に変える権威(機会)と力(道具)を持っているのは文部省だけ。したがって、いま改善されていない原因はそうした機会と道具を生かしていない文部省にある。それがここまでの結論でした。
しかし動機はどうなのでしょう。文部省には変える意志が本当にないのでしょうか。指導要領では変える方向を示しているので、やる気があるかに見えます。けれども、予算という道具を使ってないところを見ると、やはり本気とは思えません。先生の数をふやすにも、古い教育を受けた先生に本格的な研修をさせるにも、莫大な投資が必要です。
そういう根本的な問題に目をつぶって指導要領だけ出し、あとは教科書会社と先生を責めて平気な顔をしていられるとしたら、本気で英語教育を変える意志はないものと判断されても文句はいえますまい。
12月になりました。今年も忘年会の季節です。
例年通り、また根石邸で持ち寄り鍋パーティーでもやろうじゃないか
ということで、計画中です。今年は根石さんお引越しもあるので忙しい
ようですが、12月20日(木)に、新居の方で予定しています。
すでに参加経験がある方は勝手がおわかりと思いますが、はじめての方は
根石さんまで連絡してみてください。
(でいいですよね、根石さん)
皆さん、奮ってご参加ください。
同人社様方面では、私はいつの間にか「根岸岩吉」ということになっています。
どうしてそうなったのか不明ですが、そう言われると、自分でも岩吉のような気がしてきました。
根岸岩吉になろうかな。
忘年会ですが、とりまとめ役(幹事)は、あなたが永代幹事と決まってしまっています。
したがって、ゆいまある方面は、あなたが鍋、野菜、狂牛肉など、誰が何を持参するかを参加して
くれる人にはかって調整して下さい。
こちら方面は、また村田君に頼むしかないでしょう。ああ、いくこもいたな。ああ、お嬢もいたな。
鍋をやるときに限っては、人材の宝庫だな、素読舎は。
村田君、この掲示板のこの記事によって、「こちら方面」の幹事になりましたので、よろしく。い
くこ、および、お嬢は村田君をおだてるように。
また、どなたも、自宅の冷蔵庫の中からいろいろかっぱらってくるように。
Bさんは、先日「ボディ・ガード」を一冊終わらせました。長野方面で「電話でレッスン」を受けてくれているねこむすめさん、(ハンドル・ネーム忘れた)お目目の大きいお嬢さん達と、Bさんのお祝いを計画しています。忘年会で忙しくなる時期に重なりますが、Bさんがシナリオ一冊終了させたお祝いのお酒を飲もうと思います。
Bさんは妻の生徒です。STさんが「電話でレッスン」を申し込まれたとき、高校の英語の先生だったので、妻の手にはおえないだろうと思い、私がSTさんのレッスンをお受けし、Bさんには曜日と時間帯を譲っていただき、妻の生徒になっていただきました。
私がやるレッスンでも、妻がやるレッスンでも、復習範囲のテストはとても山を張るのが楽です。たいがい、長い文からテストに出します。傾向ははっきりあり、対策を立てるのは非常に簡単です。長い文をがんがんやっとけばいいのです。
「ボディ・ガード」の終わりの方に、宗教用語みたいなのがちりばめられた長いセリフがあるそうです。それをやった日に、妻がBさんに、「Bさん、傾向はわかっていますよね。めんどうなのはテストに出ますよ」と言ったら、Bさんは、「やめましょうよ」と言ったそうです。そんなことを言ったところで、うちの妻は方針を変えるような女ではないので、あきらめて下さい。
また、「七年目の浮気」に突入してから、やはり、長くてめんどうな文から妻がテストをしたそうです。そしたら、Bさんは、「来ましたね、やはり、そう来ましたか」と言ったそうです。
将棋打ってるんじゃねえんだから、Bさん!
そうですか。酒井は制度批判をやっていたんですか。だったら、本を探して読んでみようと思いました。伊藤より、僕は英語知ってるんだもんね、というだけの人だったら読む気もしないと思っていました。
>けれども、予算という道具を使ってないところを見ると、
やはり本気とは思えません。先生の数をふやすにも、古い教
育を受けた先生に本格的な研修をさせるにも、莫大な投資が
必要です。そういう根本的な問題に目をつぶって指導要領だ
け出し、あとは教科書会社と先生を責めて平気な顔をしてい
られるとしたら、本気で英語教育を変える意志はないものと
判断されても文句はいえますまい。
まあ、育ちのいい人はこんな調子でものを言います。文部省などは、日本に住んでいる人々がどれほど口ぎたなくののしってもいいしろものですが、紳士はしょせん紳士です。
紳士や学者の全部が嫌いなわけではないので、ともかく読んでみようと思いました。
「古い教育を受けた先生」の駄目なことは、その先生の責任ではありません。これは
文部省の責任ですから、文部省の金で研修をまかなって当然です。酒井は「新しい」の
かも知れませんが、文部省に対する批判が文部省を「えぐる」のでなければ、批判の名
に値しません。文部省は腐っているんだとなぜ言えないのかと思いました。
私が学校や文部省をののしると、「あなたは、学校制度によって現在の学力や知力を得たにもかかわらず学校を悪く言うのですか」などと言われることがあります。よく考えてみるのですが、私の学力や知力というものが、学校や学校制度のおかげであるという気が全然しないのです。この書物は読む価値があるというようなアドバイスをしてくれる人があり、その書物が手に入り、それを読む時間があるのであれば、私は学校なんぞの世話にならなくても現在の私と同等のレベルまではたどりついていたであろうと思います。
大工になったらなったで、大工として、現在の英語職人のレベルにまでは達していただろうと思います。職業が何であれ、その職域でのレベルというものはあると思います。大
工になりたいという気持ちが高校の頃、心のどこかにありましたが、大工にはなりません
でした。しかし、大工になっていたら、現在の語学屋あるいは英語職人のレベルにはたど
りついていただろうと思っています。
制度が学力や知力を作るのではない。一人の人間が自分に対して行う暴力によって、それらは実現するだけだ。学校や学校制度がやれることは、そういう一人の人間の自己実現を邪魔しないことだと思います。
現在の文部省はその消極性によって、積極的にそれを邪魔しているのです。
「本気で英語教育を変える意志はない」どころの話ではないのです。そんな程度に酒井は見ているのか。「変える意志はない」のではなく、「邪魔している」というのが実情です。そこまで言わないと、批判にはならんと思いました。
ねぼけまなこの学者が大勢いて困ります。
と、以上は、Eliot さんの引用して下さった分と、浜谷さんが引用して下さった分とから思ったことです。
同人社様の掲示板にも書きましたが、執筆者名の変更をお願いします。
また、略歴のところにある「星雲社」の文字は、「ミッドナイト・プレス」に変更をお願いした
します。「星雲社」はあくまで取り次ぎの会社であり、私の本を作ってくれたのは、「ミッドナ
イト・プレス」ですので。
お手数をわずらわせますが、よろしくお願い致します。
同人社様の掲示板にも書きましたが、執筆者名の変更をお願いします。
また、略歴のところにある「星雲社」の文字は、「ミッドナイト・プレス」に変更をお願いした
します。「星雲社」はあくまで取り次ぎの会社であり、私の本を作ってくれたのは、「ミッドナ
イト・プレス」ですので。
お手数をわずらわせますが、よろしくお願い致します。
同人社さんから、いつか本にしてもらえる予定の記事をこの掲示板に書き継いでいたが、現在、逼迫している事情があり、続きが書けないでいる。その記事の中で、私は、國弘さんの「只管朗読」について触れ、またSTさんが、國弘さんの本に朗読「千回」ということが書かれていると教えて下さったことを考え続けてきて、この「千回」には根拠があると考えるに至ったことを書いた。
この「千回」について、「電話でレッスン」の生徒さんの一人から、非常なる反感とでもいうべきものをお聞きした。「宗教みたいだ」というのである。
「宗教みたいだ」という言い方が、「宗教みたいだ」と私は思った。
近代主義という宗教があり、戦後民主主義という宗教がある。ソヴィエトという宗教もあったし、自由・平等という宗教もある。自由・平等という宗教は、女を抑圧するアフガンに現在、爆弾を落とし続けている。
俺のやってることは暴力だ、俺のやってることはとことんおかしい、俺のやってることは、滑稽でしかないし、この世に対してはその根底の質からしてうらはらである。それが文学であり、語学である。それくらいのことしか私にはわからない。
國弘さんの「千回」には、はっきりと根拠がある。「発酵過程」という根拠がある。
笹野という中途半端な人は(最低)50回だと言っている。(40歳からの英語独学法・講談社)。何も間違っていない。回数に間違いや正しいはない。
しかし、さすがに國弘さんだと思ったのだ。科学的に証明などできはしないのは初めからわかっている。しかし、「千回」と言ったことの価値は私は絶対的だと思う。
50回と千回。やってみるがいい。それがどれほど違う世界であるかを体で知るがいい。
多分「千回」が気持ち悪かったのだろう。そういう感覚があることはわかるが、そんな感覚はまるで信じてはいない。戦後民主主義や戦後市民社会以外にどれほどの根拠があるというのか。米軍という傘の他に。
ことは「語学」なのだ。英語の磁場が働かない場所で本当に英語をものにしようという滑稽さ(語学の本質)を私は深く信じているので、その「気持ち悪さ」を感じる人の気持ち悪さを日干しにする用意はいつでもできている。
語学は呪的な行為である。
語学のできるやつが、涼しげな顔をしていたら、ペテンだと思ってよろしい。
そういうやつは、語学が呪的な泥臭い世界であることを人の目にごまかしているだけだ。
学者は涼しい顔をする。しかし、学問そのものは呪的な世界であり、泥臭く地べたを這う行為から成る。西田幾太郎と南方熊楠とどっちがまともか。
呪的な行為が宗教的に見えて何かおかしいのでしょうかね。そんな浅薄なことを言うならば、あらゆる音楽は宗教に見えるはずだが、誰もそうは言わない。しかし、語学はその本質において、音楽と同様に呪的な行為である。宗教的だと言いたければ、語学の内実に関しては何の間違いもない指摘である。「宗教的」だといういいぐさが、否定のいいぐさであるのが、浅薄なだけである。
宗教より先に、「呪」は人間にあり、それがむしろ宗教を成立させてきたのだ。浅はかなことを言わず、「只管朗読」は「宗教以前に見える」と言って欲しかった。
俺が腹が立つのは、利口な人にではない。「利口そうな人」にだ。いつでもそうだ。この世で食い詰める覚悟で、それらの心臓を射抜くことはいつだって覚悟して生きてきた。
お上品なことを言ってんじゃねえよ。
私の方法は、悪く塗り込めようとするならば、オウムの個室閉じこめにも似ているし、過激イスラム学校の体を揺すりながらの「コーラン繰り返し読み」にも似ているのだ。それでなんだと言うのか。ご清潔な、上澄み思想がそれについて何が言えるのか。「お澄ましニッポン」だけじゃねえか。言えるのなら、その先を言ってみるがいい。
私は語学の本質を言い当ててみたい。
つべこべ言いたければ、自分で自分なりに別個に言い当ててみるがよろしい。
一九八〇年代のニカラグアに対するアメリカの攻撃でこの国は壊滅状態に陥った。彼らはテロでは報復せず、国際司法裁判所に訴えるという理性的な方法を採った。裁判所はアメリカに攻撃を中止した上で賠償金を払うように命じた。アメリカはこれを冷笑と共に無視し、攻撃を強化した。
投稿操作を間違えました。全文を再度投稿します。
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毎日新聞12月2日
池澤夏樹評
ノーム・チョムスキー著「アメリカに報復する資格はない!」
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(略)
その質はさまざまだが、今になって振り返ってみると、質を決めたのは、あの日の時点で評者にどれほどの準備があったかだったようだ。
テロはいけないとか、文明社会への攻撃とか言ったのは、普段からアメリカ(ならびに先進国)の視点からのみものを見てきた人である。
(略)
例えば彼(チョムスキー)は、IRAの爆弾がロンドンで爆発したからと言って、イギリス政府は西ベルファストを爆撃はしなかった、と言う。また、オクラホマ・シティで連邦ビルが爆破された後でも、その犯人がモンタナ州ないしアイダホ州に潜んでいるからと言って、この両州を殲滅はしなかった。ではなぜアフガニスタンは爆撃されなくてはならないのか。
(略)
本書で最もスリリングなのは、アメリカ合衆国が今の世界で最大のテロ国家であると論証する部分だ。アメリカの公式文書によるテロリズムの定義に従って判断しても、アメリカが世界各地で行ってきた行為は間違いなくテロである。
(略)
一九八〇年代のニカラグアに対するアメリカの攻撃でこの国は壊滅状態に陥った。彼らはテロでは報復せず、国際司法裁判所に訴えるという理性的な方法を採った。裁判所はアメリカに攻撃を中止した上で賠償金を払うように命じた。アメリカはこれを冷笑と共に無視し、攻撃を強化した。
(略)
本書は、われわれが見ずに済ませてきたアメリカの醜い一面についての、まことに具体的な肖像である。
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(以下、根石)
アメリカこそが、テロを行っている国家だということは、何度もこの掲示板に書いたが、チョムスキーという人が、(多分)在ニューヨークでアメリカの心臓を貫こうとしていることを知った。
再度言う。ニューヨークはどこにでもある。
本当にお久しぶりです。
Kさんは確かボイラーを作っている会社にお勤めだったと聴いたような記憶があります。ツインタワー崩落以後、アメリカへの輸出ががたがたになったというようなことは、私の地元でも聞きますが、お勤めの会社の製品への影響は大きなものがありましたでしょうか。
過去ログ、読んでいただきありがとうございました。
以前、「ミッドナイト・プレス」が縁でメールのやりとりをして、英語談義をやり、ホームページの記事にさせていただきました。当時、社員教育として、社内の英語のレッスンを任されたとお聞きしたと思います。その後どうなりましたでしょうか。その後の進展をお聞かせくださるとうれしいです。私は、この種のものごとに非常に興味があります。
Kさんにお聞きしてなかったのですが、アメリカに留学されたのは何年くらい行ってらしたのでしょうか。私はメールのやりとりをして以後、「磁場」という言葉で、日本の英語の生態を考えてきました。この一項目は、日本において欧米シンタックス言語を語学として扱うときには、決して外してはならないものだと考えるに至っています。当該の言語がつくる磁場だけが養うことのできる言語能力(主にレスポンス能力です)が絶対にあると考えるようになりました。
当時、スクリーンプレイ社の「ゴースト」のシナリオとビデオのセットを購入されたという文に刺激され、私も「ゴースト」のシナリオだけ買いました。日本語字幕つきのビデオはごろごろしていましたので、それを借りてきて、字幕にセロテープで紙を貼り、語学に転用したりしているうちに、「電話でレッスン」を始めることになり、今では、「ゴースト」をやっている生徒さんが4人います。
アメリカという英語の磁場で英語のレスポンス能力を獲得された方でも、日本に住み、日常の言語が日本語になると、英語が錆びるのではないかと考えています。この点に関して、Kさんのお考えをお聞かせいただけたらと思います。どんなふうに錆の進行をくいとめておられるかを知りたく思います。
私の生徒さんが英語関係の試験を受けてみようかと言うと、おお、受けてみろ、とどんどん薦めるのですが、私自身は試験というものが大嫌いなせいで、何の資格もありません。運転免許試験と大学入試で受けた試験以後、一度も試験というものは受けたことがありません。大学の単位をとるための試験みたいなのは受けたはずですが、あんなものは試験だとは思っておりません。いいかげんなものです。
工業英語というものに、私はとりかかるつもりはありませんが、長野のBさんなどには向いているのかもしれないと思いました。Bさんは、プログラマです。コンピュータ関係にとても強く、私はお世話になることが多いです。今度、BさんにKさんのホームページをお薦めしてみるつもりです。Bさんは、東京に本社がある会社の長野支社では偉い人なのです。学生の頃、自分には英語は用がないと思っていたのに、プログラマになってみたら、サンフランシスコだかシリコンバレーだかにやたら行く必要が生じて、私のレッスンを選んで下さった方です。3年ほどのつきあいになりますが、英語がすごく変わりました。40歳前後の方だと思いますが、この年齢の方ではこんなに英語が変わるのは珍しいと思うほどに変わりました。
「ミッドナイト・プレス」はその後もお読みいただいていますでしょうか。私はボルテージの低い文章を書いていますが、谷川俊太郎さんと正津勉さんがゲストを迎えてやる座談会がだんだん調子が出てきているように思います。井上輝夫さんの「那由多亭・イン・ホワイト、プレインズ」の連載も毎回楽しみにしています。
私は足立和夫さんの「空気の中の永遠は」という詩集を制作しました。足立さんは、最近すごくいい詩を書きます。
詩は今も書いておられますか。
今回の、この掲示板に書かれた文は、これまでの文章から一歩外へ出た感じがありますが、私の行儀の悪さが影響したのでなければいいがと思っています。でも、私は今回の文章のような文体が好きです。生活感のある文章の方が好きなのです。あくまで個人的な好みですが・・・。
私は、語学によって、ミイラ取りがミイラになった状態ですが、ここではいつくばって終わりにする気はなく、日本における英語は、日本の戦後状況を照射する一項目たりうると考るようになりました。語学が語学の意味にきちんと立ち戻るならば、うぞうむぞうの英語馬鹿を蹴散らすことができると考えるようになったのです。英語が使える人間が英語馬鹿ばかりであるようなら、日本という国は淋しすぎます。語学の問題は、思想たりうると思うようになりました。
メールでやりとりしていた当時、鈴木孝夫を教えていただき、この男は現状の指摘はいいが、そこから出てくる結論がでたらめだと思ったことなど、小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」を書くときに媒介にさせていただきました。恩を感じています。ありがとうございました。
今後、もっとこの掲示板にご登場下さるようお願いします。
ご連絡ありがとうおざいました。
訂正点2箇所。お名前部分 岸→石。著書部分「星雲社」→「ミッドナイト・プレス」
を早速、訂正するべく致します。本日中に処理を終えられると存じます。
ご迷惑をおかけいたします。今後ともよろしくお願いいたします。
大変ご心労をおかけしました。全てクリアして只今UPです。
http://www.doujinsha.com/zuihitsu19.htm
尚、下段写真の入れ替えがありました。
同人社様、素読社のぺーじとっても素敵です。
ところで、
おっしゃん(根石氏)の著作のところで、「たごさくさん英語宣言」とありましたが、「たごさく英語宣言」ではなかったかなと思うのですが、もし違っていたらすみません<(_ _)>。
ご指摘の通りです。
同人社様の掲示板で、訂正をお願いしました。
ありがとうございました。
同人社様の掲示板にも書かせていただきましたが、bee さんが指摘して下さった点を訂正お願い
いたします。
このたびは本当にありがとうございました。
次回の締め切りがありましたら、お教えください。
お久しぶりです。
只今は早速、ご連絡いただきありがとうございます。
kawakamiに連絡、早速、1冊しかない貴重な「たごさく英語宣言」現物を確認いたしますた。
すぐ訂正指示をだしましたので間もなく、修正を済ませてUPとなります。このようなミスはあってはならぬことであり、大変ご迷惑をおかけいたしました。更に細かい校正を済ませてUPさせるよう期してまいりたいと存じます。
ご指摘ありがとうございました。
根岸先生が皆様に愛されていること、また、皆様に真剣にこのエッセーを
お読みいただいていることが伝わってまいり心より嬉しく存じます。
今後ともご愛読よろしくお願いいたします。
『アメリカ・インディアンの
書物よりも賢い言葉』扶桑社文庫から
「創世紀はいまも続いている」(ラコタ族の格言)
「善人にも、悪人にも、雨は降り、陽は昇る」(ホピ族の格言)
「どんな動物も、あなたより、
ずっと多くを知っている」(ネズパース族の格言)
「物語りに長けたものが、世界を制する」(ホピ族の格言)
「師は教えることで、また学んでいる」(ソーク族の格言)
「怒りは、自分に盛る毒」(ホピ族の格言)
「神の名は無意味。世界にとって、
ほんとうの神は、愛なのだ」(アパッチ族の格言)
「ひとびとのこころに、真の平和が宿るまで、
国と国との間に平和はやってこない」(スー族の格言)
「目で判断せずに、こころで判断しろ」(シャイアン族の格言)
初日のレッスンの感想を述べさせていただきます。
1.舌がなかなか動かないこと
2.発音を気にするとなめらかに読めないこと
今回はとりあえずこれくらいです。とりあえず今やるべきは,英語らしく読めるようになって回転読みや電圧装置を使って文を頭にたたきこむことだと考えております。ためしに200回くらい1つの文を発音に注意して読んでみましたがそう簡単にトップスピードでなめらかには読めないもんですね。口が自然に動くぐらいじゃないと。とりあえずできるようにがんばってみます。それと
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
ですが,I'd say というのは良く使われる言い方なんですか?
レッスンの感想をありがとうございました。
舌がなかなか動かないのは、次第に動くようになりますので、楽しみにしていて下さい。
発音を気にするとなめらかに読めないという二律背反みたいなものは、語学をやっている間にいく
つも出会います。これは、語学に宿命的なものです。発音をよくしていきながら、なめらかに読め
るようになってから出会う二律背反は、発音を気にすると意味がすっとんでしまうというものです。
これが本命の二律背反です。音と意味(イメージ)を一致させ、同時に動くようにするというのが、
おそらく語学の本命です。
しかし、来年は、アメリカにおられるのですから、アメリカ在住のまま、しっかりと語学の机上を
確保なされるなら、上達は早いと思います。
「回転読み」のサンプルテープは、今日妻に送付を依頼しました。近日中にお手元に届くと思いま
す。
I'd say S V. に関して、どのくらいの頻度で人が口にするものかは、かつて英語圏に暮らしたこ
とのない私にはわかりません。これは、人によっても違うのではないかとは思います。I'd say を
常時使う人もいれば、そんな言い方は好みじゃない、気持ちにぴったりこないという人もいると思
います。私が、話し言葉においても、書き言葉においても、行儀が悪い言い方でないと気持ちが落
ち着かないようなものではないかと考えています。
私の担当をしてくださっている同人社さんの編集者さんがいらっしゃいます。この方は、アメリ
カで生まれ、小中学校を日本で過ごし、アメリカで高校・大学を卒業され、現在は日本で編集者を
されています。この方なら、I'd say の頻度やどんなクラス(階級)の人がこの言い方を使うのか
の知識をお持ちだと思いますので、Kawakami さんに振ってしまいます。
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Kawakami 様
近頃、この掲示板にお見えになりませんね。風邪でもひいているのでなければいいがと思ってい
ます。
I'd say についてお願いできますか。
引用ありがとうごさいました。
>「師は教えることで、また学んでいる」(ソーク族の格言)
>「怒りは、自分に盛る毒」(ホピ族の格言)
この二つは、私のためにある言葉と受けとめております。
このたびは、まことにありがとうございました。
自分の文が、自分の掲示板やホームページ以外に載ったのは初めてですので、おもはゆいです。
本来メールで行うべき校正作業など、すべて掲示板を使ってやらせていただいたことお詫び申しあ
げます。近頃、ウイルスを仕込んだメールがよく届くようになりましたので、もしお許しいただけ
るなら、今後も私の掲示板を使って校正などさせていただけると有り難く存じます。
ともかくうれしいです。
重ねてお礼申し上げます。
俺、メールってウイルスだらけでやんなっちゃった。
それから、この掲示板の記事の保存もさぼり始めちゃった。
掲示板の記事の保存はよろしくお願いします。
「鰐る」の例会のことでも、素読舎の忘年会の連絡でも、ここを使ってやって下さい。
ここは雑多で構わないです。俺の重量級の文は、今後も掲載されますが、そんなことにはお構いな
しで、使って下さい。
4つ程前の記事でお願いをしてしまいました。
Yasu 様宛の記事です。
よろしくお願い致します。
「電話でレッスン」を受けられておられる方で、文法をやりたい方のために、「七年目の浮気」の
シナリオの文法解析をやる予定です。
一冊目のシナリオは「音づくり」用。
文法をやりたい方は、二冊目のシナリオに「七年目の浮気」を選んでいただき、音づくりと並行さ
せて文法を学んでいただこうという計画です。
私の文法は、日本の学校でやっている文法とそれほどの違いはありません。
日本の学校の文法は、考え方が根本的に間違っているという主張をしているホームページを読んだ
ことがありますが、私の文法はばい菌だらけの学校文法とそんなに違いません。
語学でやるべき文法は、文法の知識がセンスとして動くようになるかどうかというところにポイン
トがあります。厳密な文法論には、今のところ入る予定がありませんので、後世の批判にゆだねる
予定で、「七年目の浮気」を解析してみるつもりです。
「七年目の浮気」の解析に着手してみました。冒頭部分を切り取って、掲載します。
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「七年目の浮気」語法・文法解析
この解析は、どなたにも自由に使っていただいてかまいませんが、「音づくり」と並行させた「電話でレッスン」の生徒さんが使った場合に最大の効果が生じるように作成されています。「電話でレッスン」に関しては、090−3316−4180 までお電話でお問い合わせ下さい。
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1.
The island of Manhattan derives its name from its earliest inhabitants, the
Manhattan Indians.
マンハッタン島 the island of Manhattan
A を B から引き出す(A を B から入手する) derive A from B
その名前を B から入手する derive its name from B
早期の・早い early →比較級 earlier
early →最上級 earliest
it →所有格 its
最上級の形容詞に修飾された名詞には通常 the がつく
early inhabitants → 最上級 the earliest inhabitants
最上級の形容詞の前に代名詞の所有格がくれば、the は不要
その(そこの)もっとも早期の住人たち its earliest inhabitants
カンマで、同格関係を表すことがある
そこの最も早期の住人達、つまりマンハッタンインディアンたち
its earliest inhabitants, the Manhattan Indians
The island of Manhattan derives its name from its earliest inhabitants, the
Manhattan Indians.
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2.
They were a peaceful tribe, setting traps, fishing, hunting.
彼らは〜だった。 They were 〜.
are →過去 were
they は複数の(代)名詞
a peaceful tribe は単数の名詞
they という複数の名詞が使われるのは、マンハッタンインディアンに属する人々を人々と
して意識するため
補語として、a peaceful tribe という単数名詞が使われるのは、tribe としては一つの
tribe でしかないため
部族・種族 tribe
平和 peace
平和に満ちた・平和な peaceful
彼らは平和な種族だった。 They were a peaceful tribe.
set →現在分詞 setting
fish →現在分詞 fishing
hunt →現在分詞 hunting
現在分詞は動詞の原形に ing をつける
現在分詞はものごとの進行が「途中」であることを表せる
現在分詞は、何かに伴っている「状況」「状態」を表せる
津田さんが、「七年目の浮気」を使っている生徒さんの中で、もっとも熱心に練習をしていてくだ
さる人です。
試しに少し作ってみました文法解析ですが、読まれた感想をお寄せ下さい。
よく練習なさる生徒さんの意見を聞きながら作っていこうと思っています。
I'd say の頻度やどんなクラス(階級)の人がこの言い方を使うのか,というご質問に関する件
これは婉曲話法です。婉曲話法を頭に使いたい人、たとえば商人などは比較的
抵抗無く使います。
断定的な話法の好きな人は、直接的表現をします。
シチュエーションがわからないので、詳細には触れられませんが、
客と絶えず接する商売人であれば当然こういう婉曲話法が専らです。
「明日、沢山売れてくれればいいですね」などの言い方です。
この点は日本の商人と一緒と考えてよいとおもいます。
一般の方でも、その場の状況、相手の地位などを勘案して、ことばを選び
自然に使いたいときはこういう表現をしています。この点、根石先生のご指導のとおりです。
ご丁寧にありがとうございます。
第1回目で、レイアウト、ご経歴部分などベースとなる部分は確定いたしましたので、次回からは本文校正と、音楽、小見出しをつけるか、と言ったことに集約されると存じます。
同人社では、校正段階から、根石先生の生徒さん、HPを訪れている皆様に推移をみていただき、「なるほど、こうやって作っていくのか」という部分からの観点も興味につながる、場合もある、と考えますので、どうぞ、ご希望通りの線で、今後も掲示板を使って校正作業をする、とするご提案に依存は御座いません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
Kawakami様 根石先生ありがとうございました。
この会話が映画ゴーストでなされた状況は,冒頭の空き家みたいなところで
主人公たちが,新しい部屋を作っているところです。
そこで,ほかの人は<最高じゃない>などと感動しているのに
一人だけ金に汚い男が言います。
I'd say you could sell this tomorrow and double your money.
つまり,ここは,<この部屋を明日にでも売れば,お金が2倍になって戻ってくるね>
という軽い冗談みたいなものととらえればよろしいですか?
Kawakami 様 Yasu 様
ここは頻繁につきあいのある友だちどうしの間で使われた I'd say なので、Yasu さんが言わ
れる「金に汚い男」が、自分がしゃべることの露骨さをやわらげるのに使われた用法かと考えま
した。
Kawakami さんが言われるように、商人が多用するというのも、露骨な話題をやわらげる作用が
この語法にあるからと考えていいように思いました。
Yasu 様、また何かありましたら、ご質問下さい。
商人がよく使うというのは、なるほどと思いました。
こういうことは、日本にいて文法書を読んでいてもなかなかわかりません。
ありがとうございました。
素読舎日録
風呂場完成。10年前に、風呂釜を作り、大和重工の鋳物の風呂桶を据え付け、その後、雨に合わせながら、その回りにブロックを積み続けた。屋根が載ってようやく雨に合わせることがなくなったのが、3,4年前。今日、ようやく風呂場が完成した。いい風呂になったと妻が喜んだ。なにもかも初めてやることばかりで、失敗したらどうなることかと思ったが、なんとか形になった。明日から、現場をやって汗をかいたらシャワーを使うことができる。ふう。
もっこりです。
私宛てのメッセージに気づかず、お返事が遅れてしまいました。
すみません。
今週のテスト範囲は、
42ページから51ページまでと、
54ページから63ページまでです。
その他の件は、
えーと、もうちょっとお待ちください。
ありがとう。
現在、しっちゃかめっちゃか。
よく生きてるなあとか思ったりしてます。
こんなにしぶといと、一瞬後は、ボケ老人かも、とも思ったりしてます。
「七年目の浮気」の文法・語法を酔っぱらって解析する仕事を今日もやりましたので、やっただけ
をホームページに掲載しようとしたら、エラー続きで掲載できませんでした。
むちゃくちゃ眠い。明日以降、またやります。
IBMの2年ほど前の「ホームページ・ビルダー」はタコです。
立ち上げるたびに、ウインドウズが青くなる。
IBMとマイクロソフトがどれほど熾烈な喧嘩をやっても構わんが、俺らに迷惑かけるんじゃね
え。タコ。
「ISSHO ni SUPER いっしょにスーパー・けらえいこ」(メディア・ファクトリー)
傑作です。
お薦めします。
高知の松岡祥男さんが、発行し続けている「吉本隆明資料集」の19号を読んでいて、興奮して
寝られなくなった。
困ったので、これから広徳の湯に行きます。
ジャグジーのある現代銭湯ですが、ここは寝転がれる場所が確保されているのがいい。
膝小僧から下を湯につけて、仰向けに寝ていると、実に寝ちゃう。眠る程度のことは誰でもして
いるのだから、実に寝るなんぞしなくてもいいのだが、現在、私は実に寝る必要がある。
中野の餓鬼どもを夕方から相手にしなくちゃならないのだから。
「吉本隆明資料集・19」の私が興奮した部分を、今夜あたり体力が残っていたら引用します。
「吉本隆明資料集」の発行元は猫々堂です。
高知県高知市井口町45 松岡祥男方
電話 088−873−2479
『おレタスには明日がない』
しかし『俺には明日がない』
暴論、駁論、馬鹿や論!!!!
はじめまして。STと申します。根石先生の電話でレッスンを受けている者です。最近休みがちですが、久しぶりにこの掲示板を見て、学んでいらっしゃる方の感想を楽しく読ませていただいています。またひとりお仲間が増えたと喜んでもいます。
「(無題)初日のレッスンの感想を述べさせていただきます。」で始まるものを読んで、自分自身のことを思い出しました。特に英語を学び始めたころ、音読に興味があった私は最初は意味がわからなくてもただひたすら音読を続けていました。しかし、Yasuさんのように英語らしく、口が自然に動くように、努めていましたが、なかなかうまくいきません。激しく練習していても、どんどん英語らしい発音から遠のいていくばかりでした。でも実際は少しずつでも上達していたのかもしれません。あるとき、自分の声をカセットテープに録音してみると、ネイティブとのあまりの違いに愕然としたことがあります。それはネイティブと違うというよりは、宇宙人の言葉のようでした。日本語でもなく、英語でもないような感じだったのです。でもそのショックは私にとって大きな発展へとつながったような気が今ではしています。これは私が学生時代の話しです。もう学生をやめてから10年以上経ちますが、自分の声を自分で録音してみたことは大きな発音の大きな飛躍の前触れだったのかもしれません。
もちろん流暢できれいな発音ができるにこしたことはありませんが、それはあくまでも根石先生のおっしゃる「音とイメージの同致」を目指すための道具だと考えています。
この投稿に関するご質問ご意見などを、もしよければ、この掲示板に書いていただけるとうれしいです。
お久しぶりです。お元気ですか?
また、よろしくお願いします。ところで、今月分12月分の授業料は入れましたか?
話しは変わって、今日、面白い本を見つけました。「どんでん返し」の中の記述と非常に似ている箇所があったので、少し引用してみます。(大島保彦、講談社現代新書bP546)
(引用その1)
大切なのは口で音を出すこと。そして、ときにはそれを手で書くことだ。
これは、会話表現に限らない。新聞記事や論文を読むときでも、自分で文章を書いたりするときにもいえる。身体感覚でとらえなおすことがつねに必要だ。音楽家になりたいと思ったら、譜面を目でおっているだけ、演奏を聴いているだけでは無理だろう。ワールドカップのサッカーをどれほど観戦してもサッカー選手にはなれない。何かの技能を身につけようと思ったら、聴衆になるのではなく、観客になるのでもなく、自分がプレーヤーにならなくてはいけないのだ。
実は誰だってそうしてきた経験がある。たとえばかけ算九九。あれは口が覚えているのだ。手や頭はあとからついてくる。それがどれほど役に立っていることか。
(引用2に続く)
さきほどの続きです。大島保彦(哲学関係の著作もある予備校の講師)さんの文章です。
(引用その2)
口が覚えていることで開けてくる世界
英語の勉強に突然つまずき始めた高校二年生の男の子がいた。どうやら原因は学校の先生との相性にあるらしかった。なんとなく合わないのである。成績は確実に下がっていった。相談する相手がいるわけでもなく、塾や予備校に通っているわけでもない。
ふと、あるとき、思いついた。学校の教科書の試験範囲の部分を音読してみることを。ただ闇雲(やみくも)に音読した。発音がいいかげんな単語は調べなおした。慣れてきたら教科書を伏せて口に出していってみた。新聞の広告の裏が白紙のものをためておいて、そこに書き写してみた。最低100回はやってみた。それ以来、中間・期末試験で95点未満を取った記憶がない。その後、大学入試後もいろいろな語学に挑戦したが、いつも同じようにやってきた。うまくいった。
これ、実は私(=大島保彦)のことです。すみません。でも次の話は私の話ではありません。
現役・一浪と、東北大学に落ちた男子学生がいた。予備校で英語の教師からこのような話を聞いて、ふと、思った。「それって英語だけの話ではないかもしれない」。そこで、自分の不得意科目である世界史でやってみた。何度も何度も教科書を音読した。自分の先生が語学でやったおとを自分は世界史でやってみるのだ。成績が上がった。上がっただけではなく、上位で安定した。翌年、一橋大学に合格した。その年、一年間だけで世界史の偏差値が20くらい上がったことが大きな原因だった。
あとから考えてみれば当然のことだ。もち、眠い目をこすりながら勉強したとしても、使っている感覚は視覚だけ。それに対して、音読しながら、ときには手で写したりしていれば、自分の声を聞き(聴覚)、文字を見つめ(視覚)、口を使い手を使って(運動機能)勉強しているのだから、マルチ感覚で勉強していることになる。
(以上引用1と2は大島保彦、講談社新書bP546、14〜16ページから)
吉本 ぼくね、寺田さんにさっき、永遠に詩ってものを信じてるみたいに思えるって言
ったでしょ。永遠というのを別な言葉で言うと、空間的に言うとね、一種の普遍
性なんですよね。世界普遍性なんですよね。ぼくはこの頃全然詩を信用しなくな
って・・・、ちがうことを言いたくなってきたんですよ。つまり、人類ってのは、
人間てのは全然ちがうんだっていう、たとえば白人、ヨーロッパ人でもいいです
よ、それと黒人というのと、また東洋人みたいなのと、あれ、人類1号、2号、
3号っていうぐらいにちがうもんだっていう、この頃そう思いたくてしようがな
いんですよ。
(略)
そうすると言葉ってのは、日本語でもなんでもいいですけど、インド=ヨーロッ
パ語というのと何々語というのとは全然ちがうものだって理解したいんですね。
普遍性っていうのはまるでないんだっていう、人間ていうのも全然普遍性がない
んだっていう、人類1号と2号とはほんとは理解することは何もないと、つまり
犬と猫ぐらい何にもないんだという、ただ生物学的に同じ属とか類とか種とかね。
それに属するっているだけで、他には何もない、共通性もないんだって。だから
まるでちがうものだと考えたほうがいいんだっていうふうに、ぼくは思いたくな
ってきてるんですよ。
(略)
小林秀雄の時に感じたんですけど、本居宣長でもそうなんですけど、『古事記』
の読み方がちがうと思うんですよ。何がちがうかってい言うと、あれを歴史の書
であり、同時に神話の書でもありみたいに見てるでしょ。だけどほんとはそうじ
ゃなくて、神話の書ということと歴史の書ということとのあいだには、一般的に
言えば、ヨーロッパ的に言えばでもいいですよ、歴史的な時間が大変にあるんだ
と思うんですよ。
(略)
だから、全部誤解してると思うんですよ。宣長も誤解したと思うし、小林秀雄も
その真似をしたんだから誤解してる。それは天皇制の中に自然が体現されている
と思っているところがあるんですよ。つまり、日本の神話的な歴史の中に自然が
体現されてるっていうところですね。
(略)
やまと言葉的、あるいはやまと文化的っていうふうに言われているものは、じつ
は中国的な言葉と文化によって意識させられちゃったものを日本的って言ってる
んだとぼくは思ってるわけなんです。だからそれは非常に人為的なものだと思っ
てます。
(略)
もう少し遡ると中国というのは、ぼくはヨーロッパだと思ってるわけですよ。だ
からこれはまるでちがうと思ってる。それこそ人類1号2号じゃないけど。
(座談会・詩歌への感応 普遍性と日本語の抒情との軋みから
寺田透・大岡信・吉本隆明 『現代詩手帖』一九七八年四月)
寺田透と吉本隆明がやりあっているところから、吉本の言い分だけを引用した。
寺田と吉本はほとんど話がかみあっていない。それで、吉本がやたらに面白いことを言
いつのっている感じがある。本居的「やまと言葉」というものが、中国というヨーロッパ
的世界から照射されて生じた自意識だというところを読んでいて、非常に興奮を覚えた。
村田君には話したことがあったように覚えているが、私は中国と日本の距離は中国とヨ
ーロッパの距離よりも大きいと思っていた。それが、吉本の言い分を読んで興奮したこと
の元にあったのかもしれない。地理的には中国はアジアだし、地理的な距離は日本と中国
の方が近い。しかし、意識はとても日本から遠いという感じがする。
私の論拠は単純で、言語のシンタックスにある。
SVO シンタックスの言語からは種々の中華思想が生まれると思ってきた。
それは、万世一系なんぞの架空の糸とは違って、非常に骨太の腰のでかいものだ。
アジアの言語には中国語の他には SVO シンタックスの言語はないのではないか。
アジアとは、SOV シンタックスのことではないか。
中国はアジアではなく、ヨーロッパなのではないか。
そんなことをとぎれとぎれに考えてきた。
中国の中華思想。
大英帝国の「大英」。
現在で言えば、アメリカの「標準」という傲慢さ。自己中心性。「標準」の外に対する
無知。
ヨーロッパの言語は基本的に SVO であるから、ヨーロッパを一皮むけば必ず中華思想
が現れるとも思っている。ヒトラーも中華思想の一つである。ヨーロッパがヒトラーを異
物扱いするが、ヒトラーほどにヨーロッパ的なものがあるだろうか。あれは、ヨーロッパ
のエッセンスみたいなところがある。
SVO と SOV とでは、O に対する扱いがまるで根本的に異なる。
吉本の言い分が成立するのであれば、本来「やまと言葉」は強烈な対外意識によって成
立したのであり、その元には、「異和」がある。「異和」から照射されて生まれたものが「やまと言葉」の初発だったのであれば、「異和」と「やまと言葉」はへその緒がつなが
っていたはずだ。
「やまと言葉」の初発から、江戸の本居まで来れば、こなれて寄りかかれるほどに安心
できる「やまと言葉」があった。あると幻想できた。その「やまと言葉」からは「異和」
が洗い流されていた。だからこそ「本居的」やまと言葉がそこで成立した。
本居はカラゴコロ(唐心)を忌み嫌った。ヤマトゴコロがある。それは純粋なものだと
言いたかった。カラゴコロを一段低く置き、ヤマトゴコロを一段高く置く。それ自体が、
カラゴコロを強く意識しなければ成立しないことなので、本居には本居の「やまと言葉」
の初発はあっただろう。(鎖国の中であったから、ハイパーというか、シュールというか
、観念の闘いとしての初発だった?)
欧米の方を向いて生きてきた英語好きなどは、意識がとても「やまと心」なのではない
か。この人たちは、逆立ちした本居宣長なのだ。英語感覚を一段高く置き、日本語感覚を一段低く置くその作法において。しかし、この人たちに、低く置く方の日本語に対するど
れほどの意識があっただろうか。
言語というものは、特に SVO シンタックスと SOV シンタックスの言語同士は、根っか
らとことん異質なものでありながら、言語同士にすぎないことにおいては(現世のリアル
なパワー・政治、経済のパワーを外せば)、これまたとことん even なものであることの
認識は戦後の英語好きにはめったに見ることができない。あの人たちは、はっきりと言わ
ないだけである。あの人たちが、日本語を一段低く見ているのは、言ってることから匂っ
てはくるが、あの人たちはそれをはっきりとは言わない。
この人たちを私は「英語フリーク」と呼んできたが、この人たちに、英語をやること
から「異和」をとり込み、この現代において、「やまと言葉」の初発(異和)を立ち上が
らせるような気配はまるでない。
本居が古来からの(と幻想できる)「やまと言葉」に安心して寄りかかろうとしたよう
に、英語フリークたちは、アメリカ英語に安心して寄りかかろうとした。なにしろ、戦争
に勝った国の言葉だし、「自由」や「平等」の国の言葉であるんだもんね。
最近読んだ本の中の、日系アメリカ人へのインタヴュー記事。
アメリカは実力社会とか言われているけど、嘘ね。
どこの大学を卒業したか、それとコネ、要するに親
の階級や人種、それが決定的ね。
(ニューヨークで暮らすということ 堀川哲 PHP新書)
「異和」であることが当然であるものをすら、「あこがれ」なんぞにしてきたのが、戦
後の英語フリークたちだった。ESSがその代表である。こいつらは、子犬のように尻尾
を振っていただけだ。
「異和」が言語の富を産む。それは胆汁のように苦いものだ。
書き込みありがとうございます。
「音読」は、私の塾でも、英語以外にも使ったことがあります。
いずれの場合にも、大きな効果が認められました。
古典、世界史などに効果がありました。
ちょっと、他へ振ります。
もときくの若大将、世界史で突然学年トップだったかになったこと、読んでいたら証言して
ください。
レッスンへの復帰おめでとうございます。ゆっくりと、地道にやってください。復習範囲が先
に進むだけでも、進展しているのだと思っていただいていいと思います。機が熟せば、激しい練
習もいいのですが、早期に激しいことをやると無理がかかります。
兎と亀の喩え話でなら、亀になることをお薦めします。
亀が兎を抜くのは、私の塾でも、いくつもいくつも事例を見てきました。
「回転読み」などは、決して「速さ」を否定しているわけではありませんが、原理にある素読
という方法は、むしろ「遅読法」と言っていいくらいの方法です。
ですから、「回転読み」は遅さという大前提の中で「速さ」を求めたものです。
前提に、「遅さ」があります。
意識的に遅くすれば、結果的に早くなるというのは、その通りのことが起きます。私は、これを
自宅自作現場で何度も実感しました。ゆっくりやろうと思って仕事をした日の方が、仕事がはかど
っていたりしたのです。しかし、今でも、なかなか自分に基づくペースがつかめませんが・・・。
なかなか難しいのですが、追求する価値があるとは思っています。
アメリカ的スピードは、もういいかげんいやになりました。
私は今後、老後という時間に入ろうと思っておりますが、最大のテーマは「速度」だと思ってい
ます。この娑婆から、「ゆっくり」というものをもぎとってやろうと、復讐心のように思っており
ます。
授業料のことは、妻にきいておきます。
妻が、お金を管理しておりますので・・・。
「吉本隆明ワールド」 http://shomon.net/ryumei/riroiro.htm
吉本隆明年譜 http://www.kobosha.co.jp/yoshimoto/g.html
吉本隆明 他著 吉本隆明研究会編 吉本隆明が語る戦後55年 第1巻
http://www.sanko-sha.com/home/books/item/201_5.htm
吉本隆明のページ↓
東京で娘が世話になったOさんに林檎をお送りした。メールでお礼状をいただいたが、猫のこと
が書いてあるので、引用させていただく。
私の現在の借家にも、近所の猫が来て、毎日ご飯を食べて、寝ていく。今も、妻の布団の上にの
うのうとしている。私は現在、引っ越しモードに入っており、ひとまず台所関係の半分ほどを引っ
越しが終了した。この後、本で一山。コンピュータ関係で一山。冷蔵庫で一山。印刷機で一山。塾
の教材関係で一山。庭に建ててある小屋を解体して一山。だいたいそれくらいやると、妻の布団の
上のチビとお別れしなければならなくなる。
以下、Oさんから。
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林檎ありがとうございました。猫はダンボール箱が大好きで、
何か届くたび乗っかるのです。今朝もうとうとしながら、どたっ
と音がしたと思ったら、真横にこけました。耄碌したのかと心
配しましたが、寝ぼけていたようです。
ありがとうございます。
吉本隆明は、Ton さんはよく読まれた方ですか。
私は、まるで不熱心でしたが、信頼する友だちに吉本読みがいて、少しずつ影響されて読むように
しています。
松岡さんの仕事は注目すべきものと思っています。
現在、根石吉久の枠は埋まっております。
根石せいの枠が二つ空きがあります。
今後、根石吉久に空き枠ができた時は、根石せいの生徒さんの中で、よく練習してくださる生徒さ
んを根石吉久が担当することを考えています。
来年4月か5月、素読舎本体の募集数とバランスをとり、「電話でレッスン」の枠数を再検討する
予定です。
「英語発音は日本語でできる」斎藤厚見 ちくま新書 という本を買いました。
カタカナにいくつかの記号を追加することで、RとLの区別ができるし、
子音単独の音も表記できるぞ、という「新カナ」を提案している本で、
メチャメチャ面白かったです。こういう独創的で分かりやすい説明はありがたい。
著者によると、現実の日本語には英語に必要な音はほとんど存在しているのに、カナ表記を
平安カナ(50音)に限定しているために、私たちはそれを意識できないでいるそうです。
たとえば、春先(ハルサキ)のルは/r/の音で、昼間(ヒルマ)のルは/l/の音だそうです。
さらに、「ん」は実に4種類(/m/ /n/ /N/ /ng/)の違う音をひとまとめにしているとか。
また、それから、英語の発音教則本に書いてある、「日本語の子音には必ず母音がつく」
という常識も、会話に関する限りは誤りだということがわかります。
たとえば、濯ぎ(ススギ)のススは/susu/だが、芒(ススキ)は/ss/ だし、
鶴(ツル)のツは/tsu/だが月(ツキ)は/ts/。
他にも、日本人が苦手、区別が困難だとされている音が、
実は日本語の中に隠されているのだということが、本を読むと分かります。
以前から、英語の下にカナでふりがなを書くと、英語の先生にこっぴどく叱られるのが、
不思議でなりませんでした。日本語でさえ、読めない漢字にルビをふるのはあたりまえなのに、
どうやって発音するのかそもそも分からない発音記号を使って発音を覚えろという理不尽。
この本の著者は音楽家(フルート奏者)だそうです。
タイトルだけ見るとアヤシサ爆発ですが、実はとても真っ当な指摘、でも、多分、
「本家思想」が染みついている英語学者や教育者にとっては盲点だったのだろうな、
という感想を持ちました。
「不思議の国のアリス」の技法グランドの感想 (1)
私は現在、「不思議の国のアリス」の技法グラウンドをやっています。
この練習をやりはじめてしばらく経ったので、感想を書きます。
私は素読舎に入門してから、アリスをやる前に、次のものをやってきました。
・A・B・C・D(中学1年〜中学3年)
・基礎問題集(中学3年〜高校程度)
・700選(大学受験基礎)
・長文読解
・各種単語集3冊
・中学生用NEW CROWN、NEW HORIZON
[※( )内は私がやっていて持った印象です。]
======以上、塾用教材=====
・話体抽出(現在88)
・FULL METAL JACKET のシナリオ(終了)
・MIDNIGHT RUN のシナリオ(進行中)
このうち、技法グラウンドとしてやったのは、700選・話体・シナリオ群です。
「アリス」と今までやってきた技法グラウンドはどこが違うかといいますと、一言で言えば長さが違うということです。
今までやってきた技法グラウンドは、「1文を5回言う」だったのですが、「アリス」の場合は、基本的に「1段落を5回言う」なのです。最低130語位あります。長い場合は300語を超えていると思います。ただし、字は見てもよいことになっています。
以下、私の場合、文章が長くなるとどうなるのか、ということを書いてみます。
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技法グラウンドをやる前には、「回転読み」を完成させておかなければなりません。家で練習しておきます。
「アリス」の場合は、1つの課題がとにかく長いので、ちょっと時間がかかります。
回転読みを始めるとき、私は最初はあまり意味をとらないで読み始めています。「長いなあ」と思っても、何回も声を出して読んでいるうちに、だんだんと文章がひとかたまりとして意識できるようになってきます。さらに続けると、その塊がますます「ぎゅうっ」、と圧縮されていきます。そう思えてきた頃には、だいたい10回連続で言う事ができています。テキスト自体も全部を目で追うわけではなく、一つの目印として見ている感じになります。
次は、本番です。素読舎へ行って、もう一度ざっと声を出して読んで準備運動をしてから師匠の前に座ります。
(1)その日新しくやる部分3箇所(T) (2)最近やった部分6箇所(FN) (3)最初の方から連続している復習6箇所×2(FF1・FF2) をいっぺんにやります。
私は自信満々で読み始めるのですが、これがなかなかうまくいかない。
どうしてか?と考えてみると、周りの音に意識が向いてしまうからだと思います。これも、課題が長いからこそ、だと思います。素読舎は、塾生が大きな声を出してテキストを読んでいます。長い文章の場合、一瞬でも周りに意識がいくと、そこで、とちってしまう。
ですが、周りの音に左右されるようなヤワな読みなんて駄目です。なんといっても、自分で塾生に偉そうなこと言ってるんですから。
だから、自分の発声に意識を集中しようとすると、いやでも声が大きくなり、様々な動作が大きくなっていきます。私はいつしか前傾姿勢になって、机をドン!とたたき、脇の下から脂汗をダラダラ流してテキストを読んでいます。
さらに集中して読んでいくと、ふっ、と軽く言えるようになります。かたまりと意識していたものが、今度は「見えない粒」になったように感じられます。
こうして、やっと、チェックをパスできます。ああ、まだまだ練習が足りなかったなあ、と思います。
(以上は最悪な状態の時を書いてみました)
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(続く)
「不思議の国のアリス」の技法グランドの感想 (2)
チェックを受けている時は、頭はからっぽです。
チェックが終わった直後、改めて文章を読んでみると、意味がかたまりとしてわかっている場合が多いです。(うまく書けないんですが、日本語訳として捉えているのではない、ということです。師匠の言う、「イメージ」のかたまりかな?)
これだけやっても、復習をやると、思いもかけず自分の口周辺の筋肉に裏切られる場合があります。自分で完成させたと思っても、すぐに錆びは取り付くんですね。
しかし、この筋肉の裏切りは、自分で気付いていなかった音の省略の仕方などに気付く契機となる時もあります。
例えば、1番最初に出てくる文に、
Alice was beginning to get very tired of sitting by her sister on tha bank, and of having nothing to do:
という部分があるのですが、ある時、ここはもう何回もやったから大丈夫、と思って何にもやらないで復習の本番をやったら(それまでに体力が消耗してしまったということもあるんですが)、"and of having nothing" のところでどうしてもつっかかってしまうことがありました。自分ではSやTHの音が連続するのは苦手だというのはわかっているのですが、得意と思っていた「ア」系とか「オ」系の音の連続ができなかったのはかなりショックでした。
ところが、言えないながらも、自分の口が、「これは『アノブハビンナシン(←当然ながら、カタカナで書くと余計な母音がついてしまったりして全然違うんですが、これを0.5秒で言う感じです)』と言え」と言っているんです。どこかで聞いたことのある響きが、内発的に自分の口から出て来る予感…。このときは、読めないショックもありましたが、ハッとした瞬間でもありました。
アリスの技法グラウンドは、「比較的簡単だが長い文章を徹底的に練習する」ことだと思います。これはとっても簡単そうでいて、実は骨が折れるが、栄養はたくさんつまっているものだとと思います。大学受験が終わって、やれやれ、と一息ついている人には特にお勧めです。
まだまだ書くべきことはあるのですが、今日はひとまずここまで。