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2000年5月




5月17日

 午前11時45分、起きる。新しく買ったノートパソコンに付属してきたロータス2000をインストールする。1時過ぎか、妻の自宅に電話。飯が作ってあることを確認して、妻の自宅へ。飯食う。お茶を飲んでいるところへヤマケンから電話。印刷の依頼。妻が畑へ行く予定でいたはずなので、妻に聞くと、印刷を済ませてから畑へ行くとのこと。その旨、ヤマケンへ伝える。メールチェックする。郁子から一通のみ。やがて、ヤマケン来る。現場へ。ストーブを置く台をブロックとコンクリートで作っているが、それの続きを作る。ブロックで囲った台の中にコンクリートを流し込む。わずか130キロのストーブを置く台が、何トンも支えられるような構造。性分だろう。
 終日、コンクリートをいじる。
 コンクリートをいじりながら、いろいろなことを思う。書き留めておこうかと思うときがあるが、そのままにしておく。今、これを書きながら思い出そうとするが、何も思い出さない。
 塾に15分遅れて着く。塾の後、夕飯を食いに外に出る。妻は石焼きビビンバ、俺はカルビ、牛タン味噌漬けにご飯。食後、現場に妻を連れていき、作っている途中のストーブ台を見せる。
 自宅自作現場で妻と別れる。アメリカ行きのチケットの代金払い込みを妻に依頼する。

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5月22日

 21日、昼前に起きる。
 昼に妻から電話。妻の自宅へ行く。飯食う。
 塾。「フルメタルジャケット」のシナリオを技法グラウンドで進める。
 4時頃からか、塾が混み、塾生に対して「技法グラウンド」を行う。
 福岡のBさんという人から、「英語どんでんがえしのやっつけ方」を読んだという電話。練習方法についていくつか質問される。塾内には塾生の素読する声があり、電話の話がわからないので、台所で話す。
 塾の後、足立さんから電話。詩集制作の相談。俺の印刷機で刷って、500部30万円以内をめざすことになりそう。
 塾の後、映画「Little Voice」みる。二級品。
 IBMの新しいノートパソコンのキーボードのコントロールキーを英数のキーと入れ替えるため、「キーレイ」をフロッピーに移し、自宅自作現場へ。インストールする。

 22日、昼に起きる。晴れ。五月らしくない雨の日が続いたが、ようやくいい天気。二階北側の部屋にいると椋鳥の雛の鳴き声がする。一週間ほど前に、釘を投げつけたりして何度も追っ払ったが、結局戻ってきた。前日、巣の材料になる長い藁くずのようなものを嘴にくわえて、北側の隣家のテレビアンテナの上に止まっているのを見たので、まだ巣を作っている途中だろうと思っていた。その段階なら、追い払えばいなくなるかと思ったのだった。
 燕の雛は巣の外へ糞をするが、雀や椋鳥は巣の中へ糞をする。燕の巣は外気にさらされているが、椋鳥は穴状の場所へ巣をかけ、巣は風通しが悪い。だから、椋鳥の雛は大型のダニが頭に食いついて肥大し、毛の外へはみだしていたりすることがある。雛の頭に数匹のダニが何かのアクセサリーのようにぶつぶつと噴き出していることがある。この鳥に屋根に巣をかけられると、屋根を構成する木が腐りやすい。
 何度も何度も釘を投げつけたが、何度でも戻ってくる。
 釘を投げながら、なんだかひどく悲しくなってきた。
 子供の頃、椋鳥の巣をいくつ荒らしたか知れない。鳥が好きで、巣をみつけては高い木に登ったり、土蔵の土壁の崩れた穴に手をつっこんだりして、雛をさらって持ってきて飼おうとした。野鳥の雛は、いくら嘴の前に餌をぶらさげても、口をあけない。手で無理に口をあけさせ、喉のところに虫を落としてやると呑み込む。喉の赤い色。嘴の黄色い色。つぶらな目。毛が生えそろわず、地肌が見えて、頭が大きくひどく不格好な体つき。それらのすべてが好きだった。餌をやろうとしててのひらにのせれば、人間よりもずっと熱い体温が手のひらに伝わる。雛が餌を呑み込むのを見るのが、俺の大きな喜びだった。
 しかし、雛はみな死んだ。学校があるので、餌やりが不規則になる。不規則になるどころか、圧倒的に不足するのだ。いくら朝、多めにやって、学校から帰ってから、せっせと虫を集めてきて夜までやっても、昼間の時間に餌をやる者がいない。少しずつ衰弱して雛はみな死んだ。残酷なことをした。しかし、子供の俺は、それを残酷なことと思わず、雛が死ねば、悲しい思いでそれを土に埋め、また別の鳥の雛をとってきて飼おうとした。
 暗愚。
 何度も何度も鳥の雛をとってきて、それをみんな死なせてしまうのを見て、母親は、俺に言った。「おまえの来世はいいことはない。」
 今、俺の家に巣をかけた椋鳥は、俺が雛を何度も何度も殺した頃から何代目くらいの世代になるのだろうかと考えた。椋鳥は十年くらいは生きるのだろうか。子供の俺が本当に好きだったやつら。鳥。それに釘を投げながら、ただただ悲しかった。あいつらは、夫婦で巣を作っている。巣に都合のいい場所に巣を作っている。建材のパララムの接着剤が水に弱いことなど、あいつらの考慮の外だ。あいつらは何も悪いことはしていない。釘を投げながら、俺の胸が何度も同じ叫びをあげる。あいつらは何も悪いことはしていない、と。
 鳥が戻ってくるのを見つけては釘を投げることを一時間ほどもやった。あきらめた。
 その翌日だったか、雛の鳴き声がした。そうか。巣を作っている途中だとか、卵があるどころではなかったのだ。雛がいたのだ。まだ細い声。頭が重くて頭をもちあげられないほどの小さな雛の姿が浮かぶ。親鳥がどうしても巣を離れなかったわけだ。
 子供の俺が欲望を満たすために、椋鳥の雛は俺が子供の時、何羽も何羽も死んだ。春から夏にかけて、鳥の雛の死は俺の日常だった。
 発生したばかりの命。殺すつもりではなく、育てるつもりで、しかし、結果は殺してしまった。ああ、数知れず殺した。あれらの命に対して俺は罪がある。あれらの死んだ命に恩がある。
 俺のやったことが、心理学的にどんなふうなことになるのかは知らない。知りたくもない。どうせ、何かの代償行為なのだ。
 今年は、家が傷んでも仕方がない。雛が巣立つまで、もう何も投げない。
 来年は網を張る。どうか、俺の家ではなく、ケヤキの木の穴を探してくれと願いながら網を張る。それしかない。

 昼間、ブロックを積む。考えている時間が多く、積んだ枚数はわずかに3枚。土間から靴を脱いであがる場所に炬燵を置く予定だが、ブロック一枚分高くするとどうも天井が低すぎる。やっている途中で、ツーバイシックスを根太にすることを思いつく。これなら、天井高を10センチ増やせる。ブロックも全部、上のツラを揃えられる。
 8時過ぎて、借家の妻の自宅へ。月曜インプットクラス。全員来る。仏円さんと横田さんが遊びにきた。
 12時過ぎ、現場に戻る。ブロック2枚積む。午前3時前、ローソンへ行き、冷やし月見蕎麦とお茶を買って来て食う。

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5月24日午前3時8分

 23日、妻に携帯電話で起こされる。ウドの家にいるとのこと。ウドと昼飯を一緒に食う約束をしていたので、ウドが妻も呼んだのかと思う。起きてしばらくボウッとする。しばらくソファに座り、ボウッとする。山の緑がきれい。屋根の峰の椋鳥の雛の声が少ししっかりしてきた。急に便意をもよおし、便所になる予定の場所で排便。要するに土の上に排便し、使ったティッシュをかぶせ、さらにその上に新聞紙を広げてかぶせてあるだけ。不思議と蠅が来ない。なぜか。
 ウドの家に行く。妻がいたのは、大工さんとウドが一緒に仕事をしているときに、アマデウスが泣き出したので、どうしようもなくなって、妻のいる自宅にウドが電話して、急遽応援を頼んだのだとわかる。どこへ昼飯を食いに行くかと相談しはじめて、ろくなところがねえなという話になり、ほかほか亭で弁当を買ってきて、俺と妻とウドとで、ウドの家のテーブルで食うことになる。アマデウスは、よく笑う愛想のいい子供。生まれて3ヶ月ほどしかたたないが、かぶっていった帽子を使っていないいないばあをやると笑う。
 妻が俺にアマデウスを抱かせようとするが、赤ん坊は抱いてもすぐに落としそうな気がして怖い。すこし膝の上に置いておいたがすぐに妻に返す。妻はいつもの赤ん坊スケベで、じっとアマデウスを抱いている。本当に子供が好きなのだ。
 体が疲れていて、体に力を感じない。ウドが話すことに英語でついていくのを体が嫌がっている。普段から、俺はウドにぶっきらぼうだから、ウドは俺の衰弱に気づかないが、英語を話すのも英語を聞くのも体が嫌がっているのがわかる。いつものようにぶっきらぼうなまま、単語だけ放り出すしゃべりだけした。ウドが子供の頃に遊んだおもちゃの自動車を持ち出してきて、これがロールスロイスだとか、プジョーだとか、それぞれが何年型かなど説明する。俺があんまりぶっきらぼうだったせいか。本を持ち出したり、写真を持ち出してきたりする。申し訳ないが、疲れていて、俺はぶっきらぼうなまま。
 妻は買い物があり、俺は現場があり、ウドも自分の現場があり、アマデウスをどうするかということになった。トミコは長野で、通訳のアルバイトにでかけている。アマデウスのおしめが濡れたり、腹が減ったりすれば大声で泣くから大丈夫だとウドが言う。ウドは二階から降り一階の現場で大工さんと仕事を始めた。俺は現場に戻る。
 やはり考えている時間が長くなかなか仕事は前に進まない。ブロックを積む列の下になるところのゴミをジョレンでとり、篩にかける。石と鉋屑にわける。ゴミを取り去ったところに水を打ち、材木で突いて固める。夕方、河原に石を拾いにいく。なかなか平たい石がみつからないが20個ほど拾う。その後、プラスチックケースに8ケース分、砂を軽トラに積む。河原から現場に戻る途中、腹が減ったのでパリオに寄り、イクラ弁当を買う。夕方で半額になっていて、340円。お茶も買う暇もなく、現場にもどり食らう。うまい。食い終わって時計を見ると、やじろべえのインプット教室の時間が迫っている。現場の電気を落としているところに、妻からもう時間だよとの電話。体がセメントの粉だらけで、頭の毛がまっしろだから風呂をわかしておくように言い、借家の自宅へ。すぐに風呂に入り、最短時間で洗う。爪に入った汚れは落ちない。かまわずやじろべえに直行。やじろべえ、休み多し。半分ほどの出席率。
 教室終わり、唐木さんとたぬきへ行き飲む。12時前、借家の自宅へ。チビの下痢が少し納まり、少し体力が回復したのか、少し体の動きがきびきびしてきて、しきりににゃあにゃあ泣いて脚にからむ。きのう妻が医者に見せたが、下痢の原因はわからないとのこと。妻の明日の朝が早いので、12時過ぎ追い出される。自宅自作現場へ。ブロックを積む列の下にモルタルと石で小さな基礎を作る作業を午前3時までやり、自動販売機のお茶を買ってきて飲み、作業終了にする。
 今夜、ブロックの基礎を作りながら、土間から靴を脱いであがる炬燵のあるスペースの床下の構造が決定した。あまり細かくブロックの列を作らないことにする。土間の面より高くするのは、ツーバイシックスの幅を使うことで実現することにしたので、スパンをかせげる。土間は実際は本物の土間でなく、コンクリを打つコンパネを裏返しに使い、床を作ることにしてある。1寸5分角の角材と、ツーバイシックスの幅との差が、土間と炬燵のある床との差になる。あまり差がなさすぎるようなら、ツーバイシックスをツーバイエイトにすることも考えるが、いずれにせよツーバイフォー工法の材を使うことにする。

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5月27日午前1時

 午後3時頃から、自宅自作。相変わらずリビングの床下構造のブロック積み。床の高さが変わるところのブロックの列の一段目がつながる。汗をかいた後、体を冷やし、腰の調子が悪い。夕方からびっこをひく。
 7時半過ぎから塾。塾終了後、ほかほか亭で弁当を買い、妻と千曲川の河原へ行き、千曲橋のあかりで食べる。腰の様子がいよいよおかしい。帰宅。風呂にパソコン雑誌を持ち込み、長めに入る。

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5月29日午後1時

 27・28日、終日塾。坂本が、テストで点があがったとお父さんからメールをもらってあったが、どのくらいあがったのかと聞いたところ、30点あがったという。いくつからいくつへ?と聞くと、40点から70点へあがったとのこと。これは珍しい。65から95への30点あがるようなことなら、これまで俺の塾にはいくらでもあったことだが、40から70という例があまりなかった。40から70への間には、峠がひとつある。
 立ち上がるとき腰がまっすぐに伸ばせない。完全に老人の格好になる。いつ痛めたのかが、今回ははっきりしない。あの荷物を持った時というようなことを思い出せない。昼間、汗をかいた後、体を冷やしたことは確かで、夜になったらまっすぐ歩けないようになっていたのが26日の夜。27・28は塾なので、力仕事はしていない。
 今日は起きたばかりだが、腰の調子はまあまあ。一度妻の家に帰り、腹巻きを持ってきてゆっくり現場をやることにする。
 書くべき手紙、葉書、メール、読書、それらのことにまるで手が回らない。現場に手をとられ、夜になれば疲れきっている。何もする気になれず、酒を飲んで現場に寝に帰るだけ。
 今日から、手紙、葉書、メール等、溜めないようにしてみるつもり。妻の自宅に飯に行った後、少しずつ処理する。現場が気になって駄目だろうか。やってみるしかない。毎日1時間と決めて、少しずつやるようにする以外にないだろう。
 ということで、妻のいる自宅で少し処理。とても1時間で切り上げられない。ちょっとひとつやるだけで、1時間は過ぎている。立ち上がったとき、腰が伸びず不安なので、現場をやるかやるまいか迷う。体も疲れていて、気力がない。休むことにする。
 国民温泉5時着。出たり入ったりを繰り返す。血が滞っている感じのある脚のふくらはぎを揉む。こわばりが少しずつとれるのがわかる。6時半まで湯にいる。その後、戸倉駅で駅蕎麦を食おうと思って行くが、蕎麦屋は終了した後。駅前の居酒屋で生ビールとレバニラ。隣にいた人から煙草を一本もらって吸う。7時半、自宅自作現場のコンピュータまで帰り、これを書く。
 毎週月曜日を現場を休む日と決めて、1時間半から2時間、国民温泉に行くことがいいかもしれない。そうでないと、体を休める日がまるでないことになる。1時間半から2時間、湯に出たり入ったりした後、コーヒー牛乳を我慢して、戸倉駅前の居酒屋で生ビールを飲むのを、毎週月曜日のコースとすることを考える。
 国民温泉で体を揉むと、体がこわばったままで生きていたことがわかる。揉めば脚に血が通う。揉んでいて痛い場所が少しずつ変わっていくのがわかる。最初は筋肉が痛かったが、だんだん筋が痛くなり、しまいには三里が痛くなった。三里はツボだが、最初押したときは、まるで鈍い感じしかなく痛みはなかった。筋肉や筋を揉んだら、三里が響くようになった。その頃になって、脚の膝小僧の下全体のこわばりがほぐれてきたのがわかった。
 妻から携帯に電話。カモミールを干すから松本さんにもらったインドネシアの草でできた容器を自宅自作現場から持ち帰るようにとのこと。冷やし中華をつくっておいてくれと頼み、草で編んだ容器を持ち帰る。
 8時半から月曜インプット教室。村田君は「フルメタルジャケット」、妻は「E・T」。東山、テスト不合格。吉田さん、不合格。聡の進むスピードが速い。途中で、仏円さん、横田さん来る。教室終了後、ウドは疲れていて早めに帰る。残った人たちは、パソコン教室にシフト。横田さんがエクセルの練習をするのを、仏円さん、村田君で手伝っているが、男二人で勝手に設定をどんどん進め、すばらしいなどと言って盛り上がっている。妻は、カモミールをインドネシアの容器に広げた。
 午前0時半頃、自宅自作の現場に戻る。
 やはり、月曜は国民温泉と生ビールの日にすることにした。
 
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