「日録」へ


2000年3月

3月1日

 まじめに起きた。10時。
 いよいよ、煙草が恋しい。
 起きてすぐ、ニコチンガム、立て続けに2個。説明書には、立て続けはいけないと書いてあるが、立て続けに2個。
 その後、小学館文庫の「英語どんでん返しのやっつけ方」の校正。後半でかなり書き足したり、削ったりが多い。4時まで校正。妻は青色申告でどこかへ行っていた。3時半、家を出て、おおぎやでラーメンとギョウザ。その後、やじろべえでコーヒー。5時少し前に、長野へ。ゆいまあるのインプット教室の日。吉本さんが吸う煙草が実にいい匂い。教室は10人出席。
 吉本さんの誕生日だということで、8時からパーティ。仏円さんと、コンピュータの音声認識の話をする。やたら寒気のようなものがあり、心が落ち着かない。ビールがすっかり回り、パーティが終盤になり、仏円さんから煙草を一本もらい吸う。
 ニコチンガムの説明書には、絶対に吸うなと書いてある。薬局に勤めている田中さんも、一度吸ったら絶対にやめられないと言っていた。絶対ですか?と聞いたら、絶対だとの答え。そう言われると、絶対に吸いたくなる。禁煙を始めてほぼ2週間の間に3本吸った。吸っても、続けて吸おうとは思わないし、翌日も我慢できる。
 11時頃、帰宅。疲れて、校正をやる気にならない。
 ゴンから初めてメール来る。俺のホームページにリンクを張ったとのこと。お礼を申し述べる。

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3月5日 午前0時25分

 ゆいまあるで教室をやった日以後、何も書いてない。この間、メールもあまりチェックせず、小学館文庫の校正(初校)をやっていた。モスバーガーでやり、自宅の炬燵でやり、やじろべえでやった。
 ここ2、3日、まともに眠れるようになった。1時間、2時間のこまぎれでなく、6〜8時間まとめて眠る。しかも、午前中に起きる。
 2日木曜日、やじろべえで校正。妻からの電話で携帯鳴る。いったいどこにいるのとのおとがめだが、モスからやじろべえに場所を移して校正を継続した旨、お話する。おおぎやへ来いと呼び出しをかけ、おおぎやで醤油ラーメン、ギョウザ。妻は東京とんこつとやらを頼んだら、ブタの脂身がしこたまのっていて閉口していた。俺が食ってやろうと食ってやったが食えない。おおぎやの東京とんこつは駄目。醤油ラーメン、味噌ラーメン、ギョウザはOK。夜、9時頃だったか、川中島の BOOK OFF へ古本を探しに行く。文庫本で100円、200円、300円あたりのもの20冊ほど買う。妻は主にビデオ漁り。妻がついに「いっしょにスーバー」(けらえいこ)発見。200円で入手。
 金曜日、3日。昼近く、大西さんから電話。早く校正を終わらせろとのこと。岡沢さんがのんびりしているが、いったい大丈夫かいとのこと。岡沢さんをせっつくのは、俺もやるけど、大西さんにやってもらうことにする。午後、校正終わる。そのまま、黒猫ヤマトで送る。5日夜必着にしておく。
 今日、土曜日。朝、7時半に目が覚める。体が冷えているのがわかるので、炬燵に電気を入れる。英語語数別分類を少しやるが、やはり寒い。炬燵にもぐり込んでしばらくしてそのまま寝入る。昼まで寝る。
 妻と村田君に塾生の練習のチェックをまかせて、英語語数別分類を継続。午後4時頃、村田君が体の不調あり、早退。夜になって、塾生がかたまって来た。
 語数別分類のうち、1語の文をホームページ・ビルダーを使ってUPするが、通し番号の31〜39が抜けていることを発見。80番台までUP終了。明日は、2語の文をUPする予定。
 やたらにフケが出る。頭がかゆい。風呂に入ることにする。

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3月5日 午後1時40分

 午前9時半起床。ニコレット、一粒。英語語数別分類をやる。
 洋泉社から著者代送のクロネコメール便来る。「中年男に恋はできるか」というタイトルの新書。小浜逸郎と佐藤幹夫さんの対談。佐藤さんが送ってくれたもの。実に興味深い。読み始める。カバーの袖の文句を以下に引用。

中高年にとって性愛こそ切実なテーマである!
援助交際から不倫・セクハラまで。
ハゲからもてない男まで。
形而上学的話題から下世話な話まで。
いい年をしながら、枯れることのできない「中高年のエロス」の問題を中年男の切実さを踏まえながら縦横に語り尽くす。

 ほんの最初の部分だけ読んだだけだが、対談の形式をとっているせいで、思想的な言葉が非常に読みやすいものになっているのがわかる。その点では、「英語 どんでん返し のやっつけ方」(小学館文庫)を村田君との対談の形にした俺の意図と重なるところがある。これまで読んだところでは、まだ「中年男の切実さ」は登場してきていない。どんな「切実さ」が登場してくるのか楽しみ。
 これは、佐藤さんにとってはメジャーデビューになるのだろうか。なんだか売れそうな気配があるが。

 すぐに目が疲れるので、本を読むのを中断。英語語数別分類の作業に戻る。やっているうちに、WEB上で、素読舎を全国に散在させる構想をまた新たに考える。以下に今日考えた分を転記しておく。

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WEB英語塾運営方針

・メールと電話を基幹とする英語塾。
・家元制度を真似た、「せんせいごっこ」を方法とする。

・語数別分類のデータ自体は、無料。
・自分のハードディスクに取り込んで、誰もが好きなように使ってよいこととする。ただし、自分一人で使うのでない場合は、以下のクレジットを明記してテキストとすること。

 以下がクレジットの全文

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 「この英文語数別分類は素読舎(根石吉久)が考案
したデータ構造です。発案は2000年1月です。連
絡先は以下の通りです」

根石吉久
Email ax9y-nis@asahi-net.or.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~ax9y-nis
C phone 090(3316)4180
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・根石は「センセイ」「せんせい」「先生」を育てる。
 ・この課程は有料。
 ・毎週1回30分、月額1万2千円。
 ・「センセイ」「せんせい」「先生」はテストを実施できない。
 ・「ひとりだち」は、WEB上のデータ充実に協力することを条件に
   テストを実施することができる。

・「センセイ」の資格
 語数別分類の1語〜10語までの範囲で、それぞれの語数で最低200の文がテストで合格すること。塾をやれる範囲は、語数別分類の1語〜5語までの各200まで。

・「せんせい」の資格
 語数別分類の1〜20語までの範囲が、すべてテストで合格すること。塾をやれる範囲は、語数別分類の1語〜10語まで。

・「先生」の資格
 語数別分類の1〜30までの範囲が、すべてテストで合格すること。塾をやれる範囲は、語数別分類の1〜15語まで。

・「先生」は「せんせい」「センセイ」の先生になり、「せんせい」は「センセイ」の先生になり、「センセイ」は初心者の先生になる。すべての「センセイ」「せんせい」「先生」の面倒は根石が見る。

・「ひとりだち」
 「センセイ」「せんせい」「先生」の資格は、「ひとりだち」に至るまでの、踏み台にすぎないこと。世の中の先生などという呼称をはっきりとふんづけなければ、「ひとりだち」はできないことの含意。実際に、このシステムで「ひとりだち」が確保されれば、国や制度をバックに持っている英語の先生資格(教員免許)などは、実質的な実力において、軽く越えられる。塾というものの心意気の含意。

・「ひとりだち」のこころがまえ。
 語数別分類の30語以上を練習し続けること。練習を継続しない者は「ひとりだち」のリストから削除し、生徒紹介等の協力関係を絶つこと。「ひとりだち」の人たちの間では、相互に絶えずレッスンが行われるが、レッスン料はかからないこと。

・テストは有料で実施。
 質の確保のため、根石が一元的に管理する。
 シャフル(ランダム)で20個数。
 全部できて合格。(テスト範囲は100個数)。
 一回2千円。
 テスト実施、日時は調整する(メール等)

・テスト2種類
 ・ぶっつけ本番
 ・練習経由

・「ぶっつけ本番」はWEB上のテキストを元に自分で練習し、どんどんテストを受けて、早めに「センセイ」の資格を獲得するためのやり方。すでに実力を備えている人に向く。

・「練習」経由で、テストを受けていく場合は、自分の実力を作りながら、ゆっくりと資格を獲得するためのもの。自分の居住地区に近いところに住む「センセイ」「せんせい」「先生」からレッスンを受け、その後、根石によるテストを受ける。根石の手元に空きがある場合は、根石が直接にレッスンを行う。根石が生徒を見きれない場合、根石のところに申し込みがあった生徒を、居住地区、センセイの実力等を勘案し、根石から各センセイに紹介することとする。一人のセンセイが見る生徒数などに制限はない。基本的に神経労働だが、職業として自立させることが可能になる。

・senseiによるレッスンの料金は2000年度は以下の通り。

 ・毎週1回30分
  ・「センセイ」によるレッスン 月額6千円。
  ・「せんせい」によるレッスン 月額8千円。
  ・「先生」によるレッスン   月額1万円。
  ・「一人立ち」によるレッスン 月額1万2千円。
  ・根石によるレッスン     月額1万2千円。

・senseiは「技法グラウンド」維持会費年額1万円を素読舎に納めること。

・生徒は、基本的には各自で獲得していただくが、根石あるいはsenseiが受け付けきれない場合は、根石経由で他のsenseiに依頼することとする。根石には、senseiの他に対する「音づくり」の実力と、生徒になる人との最適の組み合わせを勘案する余地があること。

・senseiは「センセイ」「せんせい」「先生」の総称とする。
・そのうちの、任意の一人も、senseiと表記する。

素読舎の「sensei自動発生装置」によって、最低でも「セイセイ」の資格を獲得した者が、「音づくり」が終わっていない者に関して文法的説明を行うなど、素読舎の方法の根幹をむしばむ行為に及ぶ場合(実際は世の中はそんなものばかりだが)、それまでに獲得した資格のすべてを剥奪し、「sensei名簿」から削除する。

・「sensei名簿」は素読舎のホームページ上に掲載することとする。

・この構想の全体は、全国に無数に素読舎を作り出すことにある。設備は、senseiの電話とインターネット接続されたコンピュータのみ。ただそれだけの設備で、教室と家賃のいらない塾を無数に作り出すこと。

・テキストは素読舎が無料で提供する。
・senseiが生徒の面倒がみれる範囲を素読舎が認定する。

・このシステムに生徒として参加される人には、近い将来に、「センセイ」「せんせい」「先生」になっていただくことを予定していること。自分の英語を錆びつかせないためには、人の面倒を見続けることが最良の方法であること。逆に言えば、人様からお金をいただきながら、自分の英語を鍛えるのでなければ、自分を甘やかすことができてしまうため、自分の英語ひとつを継続させることさえ困難であること。

・この「sensei自動発生装置」が発生させるsenseiの英語の質が学校内、受験制度内の英語を質的に越えることを実証すること。


・「センセイ」の資格を得て以後は、収入が得られるが、自分の練習を継続することを絶対条件とする。これは、これまでの学校英語の役立たずを根底的にひっくり返していくために、必要な一項目である。「センセイ」等の資格を得た後に生じる義務は次の二つ。

・生徒以上に自分の練習を激しく行うこと。
・生徒の面倒をきちんとみること。

・senseiとしての質が問われること。senseiのテストも生徒の資格獲得のためのテストも根石が一元管理するため、生徒が不合格ばかりを出すこと等により、senseiの質がわかること。自分の「音づくり」はうまいが、人の面倒をみることが下手なことがはっきりした場合は、根石による個人指導を「一人立ち」の料金の倍額で行うこと。それでも質の低下をもたらし続けるものは、senseiの資格を剥奪すること。

・「センセイ」「せんせい」「先生」「ひとりだち」の資格保持者の氏名、問い合わせ電話番号を根石のホームページ上で公開すること。あるいは、電話番号公開を避けたい場合は、根石経由で、生徒の紹介等を行うこと。その場合は、手数料が別途必要になること。

・「sensei自動発生装置」によって、senseiの資格を得る予定の生徒を得たsenseiは、生徒の氏名・電話番号・メールアドレス等を根石にメールで知らせること。この連絡により、根石はテストのスケジュールを組み立てていくこと。

・生徒たちに対して行う「技法グラウンド」という技法に関しては、「センセイ」「せんせい」「先生」は根石から直接「技法グラウンド」のレッスンを受けることで習得すべきであること。

・テストに合格したsenseiや生徒の名前は、ホームページで公開すること。ただこれだけによって、「sensei自動発生装置」に参加している人たちの進展度がわかるようにすること。

・進展度は、根石あるいは、「ひとりだち」の人たちによるテストで認定された範囲を有効とする。

・本来が教材データが無料であるため、さまざまな異形が発生することはあらかじめ予想できるが、すべて各自の責任においてやる分にはまるで構わないこと。その場合は、根石のクレジットを表記した上、それを改変した旨を表記すること。

・「素読舎WEB英語塾」上のテキストと「センセイ自動発生装置」の両方を使用する場合に限り、sensei資格保持者に「技法グラウンド」維持費が必要になるものとする。

・「技法グラウンド」は、根石が直接にレッスンした人だけが持つ技術であること。「先生」が指導した「せんせい」等は、根石から直接のレッスンを一定期間受けた後、その技術を「技法グラウンド」と呼ぶことができること。それ以前は、「一期インプット」の名称を用いること。これは、技法の質が拡散することを防ぐための一項目。

・まともな英語の練習方法の裾野を全国規模で広げること。

・実施後、不具合がある場合は、規約を随時変更していくこと。


以上、2000年3月5日におけるメモ。
(2000年3月20日、一部書き換え)
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3月6日 月曜日 午前10時20分

 8時頃、目を覚ます。
 むなしさの感情のみが布団の中の身体に広がる。
 疲れているのだろう。
 日一日は、燃料にすぎない。
 自分というものが燃料にすぎない。
 ただただ燃やしてしまう。
 だから、目を覚ませば灰がそこにある。

 何に対して、この一日を捧げてしまうのか、何に対して自分を燃料として差し出しているのかと考えれば愕然とする。たかが、英語語数別分類というだけのことだ。昨日は、これで疲れ果てた。

 この「素読舎WEB英語塾」の教材はキリガナイ。いくら作ってもキリガナイ。しかし、小学館文庫が出た時の問い合わせに対して、まるで使いものにならない程度のデータ量では話にならないので、急いで作らざるをえない。

 昨日、午後、岡沢加代子さんからファックス。小学館文庫のカバーの割付用紙に筆字を配置したもの。塾をやっている途中だったので、受け取っただけで返事せず。夜遅くなって、大西さんと岡沢さんにメール。著者名についてこれまで話し合ってないが、「根石吉久+村田晴彦」でやってもらえないかとメールに書く。岡沢さんが、今日大西さんに提示するのは、ほぼ完全版下だというので、また俺がごたごたさせてしまうのかと懸念する。


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3月7日 火曜日 午後3時

 6日、日録を書いている途中で腹が減り、おおぎやラーメンへ。その後、やじろべえでコーヒー。あんまりぽかぽかしたいい陽気なので、河原を散歩しないかと妻に携帯から電話。いったん家にもどって、庭で妻を待つ間に茶の間の電話が鳴り、けっきょく家にあがる。Oさんから、「教科書べらべら読み」用の教科書が手に入ったという連絡。冠着橋の近くの河原に車を止める。去年の大水で河原の様相が非常に変わった。鯉のいた淵がなくなっている。車で走れた道が崩されて先に行けなくなっている。河原はスーパーやコンビニでものを入れるときに使う袋など、ビニールやプラスチックや家電製品が至る所に転がっていて非常に汚い。
 更埴市は、4月からごみの分別がとたんに厳しくなる。ごみの関係の市職員は、全国でも先端的な試みだと鼻を高くしているのだというような話を聞いた。ゴミを入れるための袋などがビニール製で、ゴミのためのゴミをさらに生産していることのどこが先端的なのか。中央官庁の企業に対する製造許可は野放しにしておいて、ゴミの責任は消費者にあるかのような金の取り方をすることのどこが先端的なのか。ゴミを入れるためのゴミを製造し、それを住民の金で買わせている。
 タバコの吸い殻をゴミとして出す場合、紙に巻かれたタバコの葉の部分と、フィルターの部分は分けて別々にし、別の袋にいれなければいけないことになるようなことも聞いた。馬鹿馬鹿しい。そのうちに、フィルターとフィルターに巻いた紙も分別しろというようなことになるのか。こんなくだらない手間を住民にかけさせる前に、日本たばこに対して、フィルターに綿を使わせるとか、製造責任の場面で問題を解決すべきことだ。大企業と中央官庁の癒着はそのままにしておいて、住民の無駄な手間を大量に発生させる馬鹿どもが更埴市役所の鼻高々の職員なのだ。
 例えば、フィルターの紙と合成化学物質を分別したとして、本当にその合成化学物質について終端処理が確立しているといえるのか。終端処理の方法が確立していない物質に、野放しに製造許可を与えてきた中央官庁の責任というものがある。そこの責任を問わずに枝葉末節をいじっている。
 おそらく、四月から河原はいっそう汚くなるだろう。人々は、更埴市の馬鹿職員や馬鹿議員にそっぽを向くだろう。そして、勝手に河原に捨てるだろう。
 いずれ、更埴市が今進めている下水道工事については、私との間にひともんちゃくが生じるだろうと予想している。半強制的に100万なり150万なりの金を各家庭が負担させられるようになっていると聞いて、あきれかえった。その金を出さないと、下水を新しく作った下水道に流せないようになるとのこと。しかも、各家庭の台所なり風呂場から下水道までの間の工事は、市が指定した業者以外の者が施行してはいけないことになっている。ふざけるんじゃねえ。どう嗅いでも、下水道工事業者と市議会議員、あるいは市の職員との癒着のにおいがする。人の話で確証はないが、市か県が現在作っている下水道を通って集められた下水の処理技術は、これまでに使われてきた合併浄化槽を単に大型にしただけのものだとのこと。それは多分そうだろうと思う。
 中央官庁が野放しに製造許可を出しているせいで、下水には洗剤、シャンプーの廃液以外に、便器の黄ばみをとる薬剤だの、漂白剤だの、車のワックスだの、中小印刷所からの洗浄液だのが流れ込み、下水道の中に二次化学変化、三次化学変化が起こっているに違いないのだ。そのように発生した物質がどう処理されるかなど、まだ何ひとつ確立されていないにもかかわらず、製造許可だけは野放しになっている。市販されている化学物質(洗剤やシャンプーも化学物質だ)の終端処理の方法ができていないようなものに、各戸100万やら150万の金を出させるというこの更埴市(なのか長野県なのか)のやり方は、ただただ土建屋をもうけさせるためのもの以外のものではない。100万から150万の価値のある設備だとはどうしても思えない。癒着の臭いがする。
 河原のゴミをながめてそんなことを思う。
 河原を1時間ほど歩いて、団蘭でコーヒー。ここのスペシャルコーヒーはうまい。少し腹が減ったので、西友でタコヤキ。ニコチン切れで、体に寒気があるので、西友の中の酒屋で買ったサントリーオールドの小瓶でちびちびやる。国民温泉へ。たばこを吸っていたときと比べて、湯につかっていると、湯の熱がよく体にしみるような感じがある。垢が落ちやすくなった。これまで、タールの薄いものが体表にまで出ていたということだろうか。

 帰宅。小浜逸郎+佐藤幹夫の「中年男に恋はできるか」読む。ヤマケン、印刷の仕事持ってきてくれる。

 8時半からインプット教室。ウドが10日にオーストリアから帰ってくることを東山達に伝える。教室が終わり、Kさんと話す。Iの商売のことだけ考えて、月曜のインプット教室を使い始めたように、俺の日録に書いてあるが、不本意だと抗議を受ける。あくまで、自分の英語を錆びつかせないために始めたことが動機だと言われる。抗議を受け、うれしく思った。初めから商売がらみというのではないのがうれしい。iモードは技術的に現在のものでは無理だろうということ、俺の英語語数別分類、あるいはそれを使った「sensei自動発生装置」から派生する商品が成立しないか、今後に渡って考えていくことに合意する。メールアドレスを教わる。
 生坂屋遊びに来る。
 午前1時過ぎ、すべて終了。
 今日、起きてやったこと。
 メールチェック。岡沢さんと大西さんにメール書く。
 時間をもらって、返事をのばしていたKAOKIさんへ長いメールを書く。KAOKIさんとのメールのやりとりは、ホームページ上で独立したページを作成すべきほどの量になっている。このページも作らなくてはならないが、しばらくは英文語数別分類に時間をとられるだろう。「sensei自動発生装置」から発生するsenseiに3種あり、「センセイ」「せんせい」「先生」とするとしても、最初の「センセイ」の資格獲得に必要なだけのデータは、小学館文庫が発行される前に作ってしまわなければならないだろう。メールでの問い合わせに対する、メールの返信文と、電話での問い合わせに対する郵送用返信文も作っておかなければならない。
 KAOKIさんに書いたメールの一部で、「sensei自動発生装置」に触れた部分だけを以下にメモ代わりに引用しておく。

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ko-kaoki> →わたしは基本的に、生活のために翻訳をやって
いる方々の誤訳などには目を向けず、英語や翻訳などを教育
する立場の方々に興味を持ちました。そういう立場の方々は
お互いに不可侵条約でもあるのでしょう、批判の範囲から外
れて、英語に対する過ちを撒き散らしていると考えました。
出版社の編集員も先生らに対しては、これはおかしいのでは?
ととても聞けない雰囲気だそうですし、英語のさして分から
ない編集員が英語の出版を手がけていることに疑問を呈した
かったのです。

 ここで言われている「不可侵条約」ですが、これは「可侵
条約」にすべきだと思います。つまり、ここに言われている
のは、大学で英語にかかずらっている方々なのでしょうが、
彼らは、英語がわかっているという顔をしつづけなければな
らないので、ごくろうさんだとは思うし、かわいそうな人た
ちだとも思うが、こいつらがまた実に無能なやつらで、日本
人の英語が外にさらされないための庇護膜を自分で作って自
分でかぶってしまうのです。
 アホか、の一言が必要です。
 この種の大学の教員どもの下に、全国の高校・中学の先生
たちがへいこらしているのではないでしょうか。庇護膜ども
が、と唾を吐きたくなります。

 間違ったら間違ったでいいのです。間違ってしまいました。
ごめんなさいと言えばいい。日本に住んで英語をやっていれ
ば間違うことは大いにあり得る。それをまず前提にすべきで
す。担当の編集者が腐れセンセーどもに何も言えないような
雰囲気というのがあるのなら、あっしら、インターネットの
英語関係者らで包囲して、優しく見破ってあげましょう。あ
なたがたの、その象牙の塔は基礎からきちんと崩してあげま
しょうという心意気は、たかが一私塾をやってきた私にも、
塾の心意気としてあるのです。
 
 私は、現在、「せんせいごっこ」というのを構想していま
す。ホームページ上で、教材のテキストは無料で提供する。
私一人で作るのですから、貧弱なものですが、まあ、誰でも
アクセスして利用できる資料館を作ろう、と。
 例の、「英語語数別分類」というのがそれです。
 これは、一方で、素読舎という私の塾の方法を、日本全国
に散在させようというもくろみでもあります。インターネッ
トに接続された部屋というものは、電話も利用できますから、
インターネットでテキストを配信し、電話で「音づくり」の
レッスンを行うことによって、全国に「センセイ」「せんせ
い」「先生」という三種類のsenseiを作り出そうと考
えています。

 私の考えはきわめて乱暴です。
 英語が話せない人が、人の英語の世話を焼いていいか?
 答え。いい。

 世の中の腐れsenseiどもの面の皮は、西岡マリーさ
んでもひっぺがしていいと言ってくれるのではないかと思う
のですが、とにかくsenseiなどという人種は愛護する
必要はないのです。踏んづける必要がある。

 ところが、この人種を愛護してしまう人がいて、その人た
ちは、「ええっ、私なんか、とても、とても」とか言うので
す。この人が、初心者の面倒を見れば、世の中の役にたつの
にと私が判断した場合でも、この人たちは、「だって、私は
何の資格もないし」とか言うのです。

 そうじゃない。そんなことを言えば、英語塾をやってきた
私の厚い面の皮もガバッと剥がれてしまうではないか。別に
剥がれていいのだが、それでも、人は人の面倒を見ることは
できるし、また、自分より実力のある人から面倒を見てもら
うこともできる。

 「あなたは、この程度の範囲なら人の面倒が見れるよ」、
と判定する人が必要だと考えました。判定するのですから、
それは、一種の権力を握ることですが、誰もそれをやらない
のであれば、俺がやってやると考えました。

 語数別分類によってデータが整ってきたら、全国のsen
seiを俺が判定し、認定してやっからね、という傲慢な位
置に私は私を位置づけようと考えたのです。

 「先生」は「せんせい」と「センセイ」の面倒が見れる。
また、「せんせい」は「センセイ」の面倒が見れる。「セン
セイ」は、まだ「センセイ」に至らない生徒の面倒が見れる。

 そして、すべてのsenseiは、いまだsenseiに
至らない生徒の面倒が見れる。

 語数別分類というアイディアは、ゆるやかな長い坂を作る
ことであり、このゆるやかな長い坂を英語をやる人たちに登
ってもらうためですが、登った高度によって、「センセイ」
「せんせい」「先生」が自動的に発生するようにするつもり
です。この人たちは人様からお金をもらって、人様の英語の
世話ができる人たちです。いったい、ほんとうにお金をもら
っていい質を備えているのかどうか、それを私が判定してし
まうのです。何が根拠かと言えば、長年塾という仕事をして
きた勘があるだけです。

 そして、3種類のsenseiをすべて踏んづけた人、つ
まり、senseiのレベルを卒業した人たちを、「ひとり
だち」と呼ぼうと考えています。「ひとりだち」の人たちの
間では、レッスン料は動きません。

 senseiが他のsenseiや生徒に対して行うレッ
スンのレッスン料は、電話で、毎週一回30分、月額一万円
程度を考えています。この生徒からsenseiに支払われ
るお金はsenseiたちのものになります。しかし、私の
知らないところで金銭的トラブルが生じたらどうするんだと
いう人がいました。それを今考えています。

 私は、senseiや生徒のテストをやるテスト業者にな
ります。電話で直接テストをやります。受験料、一回2千円
程度を考えています。

 20回程度のテストをすべてクリアするともっとも初級の
レベルのsensei、つまり「センセイ」が誕生します。

 テストの合否の基準は、ひとつ。
 人様からお金をいただいていいレベルにあるかどうか。
 これがあるだけです。この中には、その人の英語の音が「
通じる音」であるかどうかが当然ながら包含されています。

 というようなことを、最近考えています。
 
 世の中の「先生」という呼称を踏んづけてやりたい。
 「先生」などという呼称の上に、「ひとりだち」というも
のがあるのだと、はっきりさせてやりたい。
 だから、総体を「せんせいごっこ」と名付けるつもりです。
 これによって、私の方法を全国に散在させることを考えて
います。小学館文庫が追い風になってくれることを願ってい
ます。
 

(以上のKAOKIさんへのメールは、2000年3月20
日、字句等を一部訂正。また、3月20日、「sensei
自動発生装置」の素案を考え直す以前の内容も多く含まれて
いるが、それらについてはメールを書いた時点のままに残す。)

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3月10日 金曜日

 襖を開けて、向こうの部屋に行き、何のために襖を開けたのか忘れ、襖を閉めてこっちの部屋に戻り、炬燵にあたってすぐに思い出した。向こうの部屋に置いてあるコンピュータからフロッピーを抜いてこっちの部屋へ持って来ようとしたのだ。立ち上がり、もう一度襖を開け、フロッピーを抜き、襖を閉め、無事帰還した。
 つまり、炬燵のノートパソコンでこの日録を書こうとしたのだ。先日、UPしたきり、フロッピーは向こうの部屋のコンピュータに挿したままだった。

 今日は、午前9時半起き。炬燵にあたって midnight press を読む。谷川俊太郎+正津勉の連載対談に桜井亜美という人がゲストとして加わったものを読み終わったところに、ファックス届く。俺が midnight press に書いたものへのうれしい反応を、山本かずこさんがファックスしてくれた。こちらから電話して、お礼を言う。ウドさんが今日帰ってくるんですねと言われたので、どうして知ってるんですかと聞いたら、この日録を読んだとのこと。そういえば、そんなことをどこかに書いたと思い出す。五十嵐さんが、このところの俺の日録の分量は尋常でないと言っていたとのこと。でも、これで春になり、夏になれば何も書かなくなるのだ。外で体を動かすようになれば多分何も書かない。電話を切って、山本さんの辻征夫追悼文読む。山本さんはていねいにまっすぐに人と向き合う人だ。いつもそれにはとてもかなわないと思う。
 井川博年さんの、「辻のいない世界」という詩が心に残る。
 
 夕方、田中、名古屋大学に合格したと報告に来た。長野南高校からの名古屋大学合格は初めてだろうとのこと。この一年の伸びはそれこそ尋常でなかった。去年の12月のセンター試験の結果と、一昨年のセンター試験の結果を両方とも持ってきた。合格したんだから、センター試験の結果なんか見てもしょうがないと俺は言ったのだが、どうしても見せたいというから開いて比べてみると、倍以上の点をとっている科目がいくつかある。英語が100点から175だったかに伸び、数Uだったかは50点から150点、実に3倍になっている。若いやつはいい。一年で見違えるようになる。
 ほとんどの人の英語力は大学受験のときがピークで、後は錆びつくままに放置する。俺の塾をまともに使ったやつの英語は、体に音が残っている。単に知識としての英語ではないから、このまま錆び付かせるのは惜しいことを話す。

 昨日か一昨日、松岡さんから出版案内来る。出版社の名前は猫々堂。若月克昌「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と吉本隆明資料集三巻分の案内。なくすと困るから、山本さんから送ってもらったファックスと一緒にmidnight press に挟んで仕事机の上に置く。

 夜7時半から塾。技法グラウンドを担当する。他の子は妻が見る。
 
 今日はニコチンのパッチを貼らなかった。そのせいで、ニコチンガム4、5個噛んだ。禁煙を始めた頃に比べて、2、3個減っているだけだ。しかし、減っていることでいいとする。ときどき、不意に淋しくなる。ニコチンが切れると、軽い寒気が持続する。

 たばこをやめてはっきりわかったのは、咳こまなくなったこと。体力の消耗が少なくなっているから、腰に無理がかかることが減っているだろう。咳でぎっくり腰をやったことはないが、あぶねえなという感じはこれまでに何度もあった。喘息のように咳が止まらなかったのが、ピタリと止まった。ニコチンはガムやパッチでまだ補給しているのだから、あの咳は煙やタールのせいだったのがわかる。寒気があるし、ニコチンが切れると気持ちがまるで不安定になるのは今も変わらない。少しずつ体をだますようにして、血中濃度を下げていくしかない。以前、ガムもパッチも使わずにたばこをやめたときは、2日目くらいから世界がぐるぐる回りだし、あぶなくて車が運転できなかった。今回は少しずつ血中濃度を下げる作戦だから、その点が楽。

 夜、外食。菜菜。妻は石焼ビビンバ。これはいける。俺はカルビラーメン。これはいけない。肉が安物。麺がまずい。スープはまあまあだが、肉と麺のまずいカルビラーメンはとてもいけない。
 外食からの帰り、ローソンで Four Roses というケンタッキーバーボン買って帰る。

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3月12日

 11日、起きて、炬燵にあたり、飯を食い、そのまま塾を始めた。
 妻と村田君に塾生の相手をすることのほとんどをまかせ、ホームページに載せる予定の『英語学習法・「良書・愚書」フラグメンツ』という記事を書いていた。
 淋しい。
 塾が終わってすぐにケンタッキー・バーボンを飲み始める。
 娘にメールを書く。
 午前2時、眠ろうとして炬燵から立ち、着替え、襖をあけて布団に入ろうとしたとき、昔、浜田さんが言ったことを急に思い出した。「根石さんは、旅をしてるんだ」と浜田さんは言った。そのとき、出不精の俺のやっていることが、旅という概念とどうしても結びつかないように思った。しかし、今夜、俺のしていることは旅なのだと自分で思い、書きとめておこうと思い、これを書き始めた。
 今日一日したこと。起きて炬燵にあたっていたということだけだ。数人の塾生の練習を見ることもした。しかし、心は苦しみ、まるで別のところにあった。
 旅なのだ。それで納得できる。だからこそ、畑に行って、土をいじるとあんなにも心が落ち着いたり、あんなにも心が騒いだりしたのだ。いつも必ず心が落ち着くのであれば、旅ではないだろう。土へのアンビバレンツ。
 起きて、終日炬燵にあたっているだけで、俺は旅をしてしまう。

 ウドからメール。多分、ウィーンかグラッツからのもの。もう、日本に帰っているのかどうか。まだ電話がない。月曜日にでも電話するか、家に行ってみるか。メールはきわめて短いもの。下に引用しておく。

neishi is that you ?
there is no name in this e-mail , please come again, udo

 おやじを亡くしたばかりの男のメールだ。

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3月20日 月曜日午前9時20分

 メールはよくチェックするようになったが、日録を書いている暇がない。暇がないのではない。気持ちがげっそりしていて、書く気になれない。泥のように起きて、泥のように暮らし、泥のように眠る。
 近くのことを書き、いもづる式に少しずつ思い出して書く書き方でまた書き留めておく。
 今朝は早起き。9時。寒気があるが、これはこの世が寒いので感じる普通の寒さ。寒気というより寒さだ。早春の寒さだ。昨日、一昨日、寒気を感じて目が覚め眠れなくなったが、これは異様な感じのものだ。煙草をやめて1、2週間の間に感じていたような強い異様さはないが、皮膚が自分の皮膚でないような感じがあり、皮膚が寒さとして感じられていた。この感じはずっとある。顔にもあり、てのひらで顔を洗うようになんどもなんどもこすっていると、自分の皮膚がもどってくるような気がする。何なのか、毛細血管が収縮するとか、そういうことなのか。布団の中で、寒気で目がさめたとき、自分で体に触ると冷たいのがわかる。死体の冷たさに通じる冷たさなのか。タバコをやめた変調が続いているせいか、血流の問題か。
 ニコチンガムは減っている。パッチを併用し始めたときは、4、5個必要だったが、ここ数日はあまり欲しくない。昨日は2個か。
 ニコチンガムは、噛み始めた時は、一日8個は必要だった。それが一週間程度続き、その後は6個、7個、8個を行き来していたような覚えがある。2週間後、パッチを併用して、そこから1、2個減った。この頃は、まだガムをまるごと噛んでいた。一辺が1センチ程度の製品としての一個を噛んでいた。一日3個4個というのが一週間ほど続いたのではないか。今から1週間ほど前か、一度に一個を口に入れるのがきつい感じがあった。ガムに対する嫌気みたいなものがあった。鋏で半分に切って、半分だけ口に入れ、一個を2度に分けて噛むことを3日ほどやった。昨日から、一個のガムを4つに鋏で分けている。今日も、4分の1個を噛んだ。

 先週水曜日、ウドはゆいまあるのひげもじゃ英語塾をやめることに決め、生徒さんたちにそれを伝えた。水曜日を二人でやると、4万円弱を二人で分けることになる。月に4、5回、更埴と長野を往復して2万円弱では、往復の手間賃にしかならない。水曜日、ウドにお前一人でやらないかと言ったが、カフェを開く準備があるし、それを開いたら、夕方からよそでやる仕事は続けられないと言う。カフェはいつオープンするのか。ともかくそっちに専念するしかないだろう。
 昨日の午前10時頃、ウドの声がしたような気がした。玄関から庭に回る足音がして、妻が台所でなにやら言っている声がして、ウドだとわかる。
 起きる。つぶれたような顔をして起きていったせいか、妻とウドが俺を見て笑い出した。俺はぶっちょうづらをして、まあ、あがれと言った。
 ウドは義理の親と喧嘩をしたらしい。家にいるのが面白くないから、俺の家に来たらしいとわかる。言葉の行き違いは日本人が日本語だけで話していてもあることだが、ウドのところでは、最初から行き違っている場合がある。今回は物置へ物を置いたとか置かぬとか、置いていいとか駄目とか、捨ててはいけないものを捨てたとかそんな問題でもめたらしい。どうもいらついている。家を出たいと言っている。オーストリアのなくなったおやじさんの財産を処分した金があるのだが、オーストリアの右翼が暴れたとかどうしたとかいう問題で、シリングが暴落したそうだ。今、円に替えても馬鹿みたいな額に減るという。だから替えないという。オーストリアの新聞種が、こんなに身近な問題だとはついぞ思わなかった。ウドがラーメン食いたいと言う。金がないから安いラーメンがいいと言うから、駅前の「あそか」に行く。ドアは開くが休み。杭瀬下の「ぺこちゃん食堂」へ行く。ウド、天津メン。俺、中華丼。これは中華料理みたいだなというから中華料理だよと言う。周という中華料理の名人が、脱税でつかまった後の発言をテレビが映していた。「それは、払わなければならないものは、払わなければならない」と言っていたので笑った。料理ができてきて、二人してものも言わずに食う。食って休んで、コーヒー飲みたいなと俺が言いだし、屋代駅前を戻る。シオン休み。名前をまだ覚えない店、駅に一番近い店でコーヒー。オーストリアで開催されているマウンテンバイクの競技会をテレビで見る。腹へものを入れたら、世界が変わって見えるとウドが言ったので大笑いした。朝から何も食わずに、義理の親と喧嘩だけして来たらしいことがわかる。腹へものを入れると、気持ちが落ち着くと言ったので、 Good. と言った。
 ウドと駅前で別れて帰宅。そのまま塾をやる。

 金曜日、Sさんからメールあり、塾を見せてくれということだった。どうぞいつでもおいで下さいとメールで返事。土曜日、Sさんが娘さんを連れて塾を見に来た。1時間ほど見てもらい、また検討して返事するということだったが、ウドと別れて帰宅後、メールをチェックしたら、来月入塾したいとのメールがあった。

 塾の時間は子供の相手を村田君と妻にまかせて、WEB英語塾の英文語数別分類による2語の文の文法の解説を書く。たった2語の文で、中学英語のほとんどのものが解説できてしまうことに驚く。
 土曜日だったか、日曜日だったか、岡田さんからファックス。近頃、どうもファックスの様子がおかしい。出てくる紙を手でひっぱっていてやらないと、途中で通信不良になる。midnight press の締め切りの通知。4月15日。ううっ。

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 土曜日か、岡沢さんからメール。小学館文庫のカバーの文字を大きくしろと大西さんに言われ、自分が作った全体としてのイメージを壊された感じがするとのメール。俺の方でも、そんな感じを持ったことが何度かあった。漫画家に依頼した図版の出来はいいのだが、図版の他にイラストが一枚描いてあって、それを使うと言う。どうにも好きになれない絵で、好きになれないと大西さんに言うが、縮小するというところまで譲歩してもらっただけで、使うことは使うらしい。いろいろなことについて、とりあってもらえない感じがある。まあ、すべて数を売ることが先に立つ判断なのだ。
 大西さんのメールから浮かび上がってくるのは、相も変わらぬトーハン・ニッパンの代官根性だ。増刷を決めるためのデータは、売れ行きのデータのはずだが、トーハン・ニッパンから小学館に来るのは、紀伊国屋のチェーンの売り上げの数字だけだという。例えば発売3日目に、紀伊国屋で50冊100冊売れた本なら増刷されるという。3ヶ月、4ヶ月たってじりじり売れ始めたなどという本は無視されるのだ。これはつまり、big name の人の本だけを売ればいいという増刷の仕方だ。全国3万の書店を完全に無視したやり方だ。ずうたいだけでかく、動きがにぶいトーハン・ニッパンは、出版の流通を阻害している。流通を助けているのは、大手の駄本の山に対してだけで、中小の出版のこころざしに対しては邪魔をしているというのが実状だ。今回は小学館文庫なので、トーハン・ニッパンの低能ぶりは影響しないだろうと思っていたが、どうも無名の著者だとそうでもなさそうな感じがある。
 地方の小さな書店へは、配本されないだろうというので、まずびっくりする。文庫という人が手にとりやすい形態の本だから、薄く広く配本されるのかと思えばそうではないらしい。小さい書店は、その店だけで20冊以上の注文がなければ配本しないとのこと。実に馬鹿げたやり方だ。理由は単価が安いからだとのこと。そんなことが理由になるだろうか。セブンイレブンには、100円、200円のガムやチョコレートがちゃんと流通して、品切れがないようになっている。トーハン・ニッパンが無能なだけだ。
 これを知ってすぐ、西沢書店の純さんに電話。西沢書店の分として確保する必要があるかと聞くと、是非確保してくれとのこと。ひとまず200冊確保してくれるよう大西さんにメール。著者が版元に申し込んで、地元の書店の配本を確保するなんて、こんな変則的なことをしなければ品物が配られないのだから、本当にトーハン・ニッパンは要らない。さっさとくたばってほしい。
 書店に注文した場合は、いつまでたっても本が届かなかったり、版元に本があるのに、トーハン・ニッパンの電話で絶版扱いされたりすることがある。品物があるのに、大手流通が絶版扱いすることは俺の本で実際にあったことだ。
 現時点では、大手流通がつく嘘に対処するには、直接に出版社に電話して本当に品物がないのかどうか確認するしかない。
 これを打開する力を秘めているのは、やはりインターネットだけだろう。すでにインターネットで本の注文はできるが、送料の問題がある。書店に注文することで入手できるなら、送料の負担は要らないが、自分でインターネットで注文するとなると、送料をこちらが負担しなければならない。
 現時点では、注文の総額が5000円を超えたら送料を無料とするという程度のサービスがあるなら、俺は使うだろう。買いたい本をリストアップしておいて、総額が5000円を超えたら注文すればいい。
 元気のいい中小の出版社が集まって、インターネットを使って自分たちで本を流通させる会社を立ち上げればいいのだ。トーハン・ニッパンにふんだくられている料金で充分やれるはずだ。本の流通から、トーハン・ニッパンを外すことで、日本の文化の質は確実によくなる。
 本の出入りを集計するセンターで、数字の増減だけをはじきだせばいいように、各出版社で共通のフォーマットを決めて、それぞれの出版社が書名、定価などを入力したものをセンターに送れるようインターネット上のシステムを組み、既存のクロネコヤマトなりの配送会社と協議してシステムを作れば、残る問題は倉庫の規模くらいのものだ。インターネットと(例えば)クロネコヤマトとの組み合わせなら、倉庫料の高い都内に倉庫を持つ必要もない。
 中小の出版社が作る新しい組合のようなものが必要な時が来ている。インターネットという道具を踏まえて、それを構築すべき時が来ている。ミッドナイト・プレスで本を作ってくれた時も、大手流通が実は流通の邪魔をしていることがわかったが、その時点ではインターネットはこれほどは普及していなかったので、本を買うのにコンピュータを使うことを本気で考えることはなかった。今回、小学館の編集者と話していて、やはり流通に問題があることが、再度浮かび上がってきたが、今ではインターネット利用は充分に現実性のある策だ。
 ひとまず、消費者としての感覚から言えば、5000円を超えた額をまとめて買うときは、送料は出版社組合が負担するくらいのサービスにすべきだろう。それなら、俺は使う。とにかく、早く糞詰まりのトーハン・ニッパンは早くつぶれてほしい。

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3月21日 火曜日

 いつ起きたか覚えていない。
 起きて3時間後にニコチンガム(ニコレット)4分の一個噛んだことは覚えている。ぼうっとしていたら、ウドが来た。ネイシーとかでかい声で呼んでいる。ネイシさんと言えと言っているのに、失礼なやつだ。妻が玄関を開けたら、ウドと一緒に松谷さんがいた。ウドと顔を合わせてすぐ、俺の顔を見てウドが笑う。何と言ったのかよく覚えていないが、うろ覚えで思い出すなら、
Are you looking a hole in the air?
 とか言った。空気中に穴を見ているのか?ということだが、何を呆けているんだというようなことだろう。やかましい。
 松谷さんは、ウドの家に寄って、ウドにつかまったことがアリアリ。
 ウドは、屋代の町の宮下薬局の隣の、やはり宮下姓の家主の放置されている土蔵作りの家の中から、本棚を持ち出したかったのだ。日本は、すごくよく出来ている土蔵作りの家を平気でどんどん壊している。それは間違っていると、ウドはいつも言っている。しかし、壊されていくのをどうにもウドの力で止められないから、ウドは実利を兼ねて、その家の中から欲しいものを運び出す。つまりは、壊されていくもののカタミなのだろう。今回は、本棚を運び出す予定だったが、その本棚の中には、本が詰まっている。立派な本だと言う。今時のへらへらした本とは違うと、装幀だけで判断してウドが断言する。お前なら価値がわかるはずだから、俺と一緒に来いと言いたくて、俺の家に、今日、ウドは来た。まあ、お茶の一杯も飲めと言うが、ウドは気が急いていて、すぐ行く、すぐ行くという勢い。仕方がないから、パジャマを脱いで娑婆に出ていける程度のものに着替える。
 行ってみたら、その土蔵には新しい鍵がかかっている。ウドが Sorry. とか言って、家までその鍵を取りに戻ることになった。土蔵の前で、俺と女房の二人で立ち続けているわけにはいかない。すぐ隣は大嫌いな宮下薬局だし、通りの斜め向かいは生坂屋。生坂屋の若い大将が、にやにや笑いながら、こっちを見ている可能性はなきにしもあらず。カズヤににやにやさせる材料を一つでも余計に与えることはするつもりはないので、また軽トラックで家に戻る。パソコンで何か書いていたら、またウドと松谷さんのカップルが来た。またウドが、Sorry. とか言った。要するに、ウドの家で鍵がみつからなかったか、持っていった鍵が現状の錠前に合わなかったのだ。どっちでもいいから、にやにやすることにして、ウドを見てにやにやした。
Let's take a rest.
 と俺は言った。それで、ウドと松谷さんはやっとゆっくりと俺の家にあがり、何の役にもたたない話を始めることになった。1時間ほど、何の役にもたたない話を英語でしてから、ウドと松谷さんは帰った。
 稲荷山中沢内科へ電話。ニコチンガムがなくなったので、3週間前の処方箋と同じものを書いておいて欲しいこと、これから中央病院へ行って、CTスキャンの検査をしてもらうつもりだから、中沢内科の処方箋は妻がとりにいき、妻が薬局でニコチンガムとニコチネルTTSをもらいうけることを承諾してもらいたい旨、電話。どの薬局へニコチンガムとニコチンパッチを取りにいけばいいか、中沢内科医院から電話をもらうことにして、その旨を妻に伝えて、家を出る。
 更埴中央病院。この病院にいい思い出はない。しかし、中沢先生の紹介状がこの病院だったから、2週間ぐずぐずしてからぐずぐずと歩いて行った。受付はまだ、娑婆慣れしているが、外来の受付がプロと言えない。俺のボサボサ髭やボサボサ頭を見て、馬鹿にしたような一瞬の表情を浮かべる。その場で殴ってもいいのだが、いつも通り静かにしていた。
 受付の廊下に置いてある機械で自分で血圧をはかる。その次は、尿検査の尿採取のため、また玄関近くまで戻り、尿を採る。その次は、内科外来の廊下で待つ。その次は、内科の診察室の一つの中に呼ばれて入り、心電図とレントゲンをとってくるよう、書類を渡される。心電図をとってもらう部屋で心電図をとってもらおうとしたが、誰も何も声をかけてくれないので、3分くらい心電図をとってもらう予定の部屋に立っていた。多分、いつになっても誰も声をかけてくれないんだなとわかり、適当に目があった人に「あのう、心電図」と言ったら、その人が心電図をとる係だった。心電図というものは単に心臓の動きの何種類かのグラフだとわかる。そのグラフをもらって、レントゲンをとられにいく。レントゲンは中沢内科でもとられているから、二重にとられることになり、金も二重にとられることになるが、黙ってレントゲンの機械に向かい、息を吸って息を止めた。心電図と、レントゲンのコダックの大判フィルムを持って内科に戻り、太田先生から説明を聞く。要するにどこもかしこもきれいであり、何も問題がなく、「残念ながら、何もない」(太田先生の言葉通り)ということであり、うれしいやら、期待はずれやら。ああ、これからも常人として働きつづけなければならないのだ! 要するに6千円だったか、7千円の金は、あんたの肺のあたりが痛くて息もできなくなることの原因は何もつかめないわけだ、という医者的知識を知るための金になった。この間に、妻は中沢内科から伊勢屋薬局を経巡っているはずであり、一万五千の金が、ニコチンを買うために飛んでいる。面白い世の中だ。
 しかし、それでも、安心はした。心配するほどのことではないと医者に言われると、それがどれほどの激痛だったにしろ、安心した。咳のしすぎかもしれない。咳のしすぎで、一部の筋肉だけが酷使され痛むということはありうると太田先生はおっしゃった。それだけのことなら、うれしいことだ。うれしいことだと思った場所がカッパ寿司の看板の見える場所だったので、カッパ寿司に入り、ウニ二つ、と言った。味噌汁と言い、アジと言い、ホタテと言った。525円。
 シオンでコーヒー。「サブリミナル英会話」読む。この本も、シンタックスのことは脇に置いた本。こき下ろそうかと一瞬思う。でも、性質は穏やかな人みたいだから、そっとしておこうかとも思う。
 夜、やじろべえ「インプット教室」。無断で休む者、二人。なんか、なめとんのかという空気はこの教室にある。帰宅して、文章書く。以下に引用しておく。

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やじろべえ・インプット教室をお使いの皆様へ

 3月21日、やじろべえ・インプット教室は、出席者わずか3名でした。以前にもこういう状態の時はありましたが、今回は何も連絡なく休まれた方もおられ、少々頭にきています。

 安くやれば、安物だと思われるのか。逆に、資生堂の化粧品のように、実質的な物質に対してとてつもない値をふっかけておけば、上等な品物だと思うのか。

 金にならないことは我慢できても、気楽に休まれたり、ろくな練習をしないでいて、それが普通だと思っている人を見続けることは我慢できません。
 日本在住のままに英語をしゃべるようになる人は、全語学人口の中で考えても、100人に一人いるかいないかでしょう。皆さんは、そういうけわしい道に歩み入った方々です。私としては、なるべくモノにしたい。さまざまな邪魔を踏みしだいてでなければ、その100人に一人は生じませんが、それでもそれを生み出せたらと思って、私はこの教室を続けてきました。

 しかし、このクラスを安物扱いされるのでしたら、あるいは、たんに趣味程度でつきあってみるか程度の練習を続けるのでしたら、それはほんとうに心から申し上げますが、モノにはなりません。早くおやめになる方が、時間を無駄にしなくてすみます。

 私は性分として、「この状態を続けていたら、英語が使えるようになるまでに300年から400年かかる」という程度の練習に、そうそう長くつきあい続けるつもりはありません。
 
 モノにならないものにつきあい続けなければならない義務は私のどこにもありません。本気にやって、本気に自分の英語をモノにしようという人にだったら、金や私の生活へのしわ寄せを忘れて練習を見続けます。私はとにかく、練習する人の英語をモノにしたいと考えてきただけです。金その他のことは二の次、三の次でやってきました。

 一挙に結論を申し上げます。
 月額制にさせていただきます。
 月額の金額はいくらでもかまいません。皆さんで協議してお決め下さい。とにかく一回500円というやり方は来月からやめさせていただきます。安い高いを言っているのではありません。連絡もせずに気楽に休むような、そういう使い方をされることをお断り申し上げたい次第です。

 また、無料の教室に戻すことも一つの案です。ただし、無料の教室に戻した場合は、私が決めたいことが一つあります。一回休んだら、二回は復習だけをやって欲しい。新しいことなんかやる必要はありません。このことがわからずに、たかが英語一つがモノになることはありません。

 モノにならなくていいのなら、さっさと教室を去って欲しいのです。

 また、この教室を皆さんの一人一人で盛り立ててていただきたいと願っています。私は、この方法の輪を広げたいと願っています。
 安く使える教室だから、気楽に使ってみるかというような気持ちで使われるのでしたら、私の激怒が生じないうちに、早めに教室を去られることをおすすめします。安く使える教室だし、本気でやればそれだけのことがあると思われるなら、回りに広めていただきたい。本気でやろうとしている人にどんどん勧めてくださるというような動きがあるのなら、私にも張り合いというものがありますが、安い教室だから、適当につきあっていればいいというような考えで使われるのでしたら、この教室とは別に受け皿を作ったうえで、この教室は閉鎖したいと思います。

 皆様が考えておられるほどには、私はお人好しではありません。

(この文書は、インターネット上の私のホームページに掲載させていただきます)

                          根石吉久

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3月23日 午前一時17分

 朝、寝ていたら、玄関で人の声がした。もしかして、小学館からの宅急便かもしれないと思って起きたが、玄関に立ったら、一枚の紙が玄関の戸にはさんであるだけで、人はいなかった。
 9時50分、配達に来たが留守なので、持ち帰る。再度の配達の希望時刻を電話で連絡せよというようなことが印刷された紙を見て、しばらくぼうっとしてから、黒猫ヤマトノオロチへ電話。今さっき家へ来た車はどこを走っているか突き止めてほしい、俺が自分でその車まで荷物を取りにいくからと言う。その車に連絡をとるから少し待ってくれと言うのを聞いていったん電話を切る。今から10分後10時45分にイセヤの保健所寄りの駐車場に行くから、そこへ行くようにとの電話来る。パジャマも着替えずに、車に乗る。途中2カ所で信号に引っかかるが、イセヤの駐車場に黒猫の車がいたので、ほっとする。書類にハンコを押して、校正刷りを受け取る。
 帰宅、すぐに校正をやる。途中で飯を食い、お茶を飲んで妻と話し、腹が少しこなれたのでまた校正をやる。今回は、前回赤を入れた部分だけチェック。3時前に終わる。そのまま新田の黒猫ヤマトへ持参。明日の午前中の配達を頼む。
 やじろべえへ。火曜日のやじろべえのインプットクラスを月額制にするか、無料に戻したい旨、小山さんに言う。一回500円でやって、なめられているのはもうやめたい。
 田中来る。そう言えば、今日、稲荷山温泉のロビーで村田君が田中にインタビューしていたのだと思い出す。校正だけに気を取られ忘れていた。時間があれば俺も出るけどと言っておいたが、結局時間がなかった。村田君と田中の話のテープ起こしが出来てきたら、それをネタに村田君と二人で話すことにする。
 やじろべえから帰宅。メールの返事5,6通。Kさんへの返事は長くなるので、長野で教室と宴会をやって帰宅後に書くことにする。長野へ行く前に、ウドに電話。トミコが出たので、ウドの頭から飛んでいるかもしれないが、今日フェアウェルパーティがあるから、ウドに伝えてくれるように頼む。
 長野へ行く途中、バイパスの「おいしい広場」の「大久保西の茶屋」でざる蕎麦食う。650円。蕎麦はうまいが、タレがよくない。もったいない。
 ゆいまある、2分程度の遅刻。吉本さんがいないので、どうしたのか奥さんに聞いたら、アメリカに行っているとのこと。シアトル大学へ挨拶に行くようなことを前に聞いた。アメリカから帰ってきたら、英語をやる気になってくれればいいんだがと思う。
 教室終了後、江戸沢でちゃんこ鍋。ウドのお別れと、Oジュゴンのお別れと、正夢の誕生日と仏の顔も三度傘さんの息子が高校へ受かったことのお祝いを全部兼ねた宴会。酔って、三度傘さんからタバコを一本もらおうとしてウドに止められた。それを機に俺がタバコをやめたお祝いもしてもらおうと思ったが、誰も祝ってくれない。11時過ぎ、キミガヨが鳴り、店が閉まるので、皆さんと駐車場でお別れする。ウドに先に行かせる。もしも、おまわりちゃんがいたら、ウドをつかまえさせる作戦。今井駅まで、仏の三度笠さんを送る。そこで一本もらい、火もつけてもらい、近くの自動販売機の前で、キリマンジャロの缶コーヒーを買い、ゆっくりと吸う。不良の気分。吸い終わって口の中が汚く汚れたので、コーヒーを口のなかでくちゅうくちゅやり、全部飲み下す。
 本格的に帰宅する。
 メール書く。
 留守の間に大西さんから電話があり、印刷屋に泣きつかれているから、明日までに、今日届いた校正刷りを送り返すように言われたとのこと。もう送ってあると妻が言ったら、大西さんはほっとしていたとのこと。
 風呂に入る。酔い覚めのせいか、ニコチン切れのせいか、皮膚が自分の皮膚でないような感覚が来る。風呂でよくあたたまった後もその感覚が残り、しきりに顔をマッサージする。
 妻は先に寝た。妻は明日、坂城。

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3月24日 午前10時

 世の中は寒いが、皮膚感覚として自分の体が他人みたいになる寒気はあまりない。肩のあたりが冷たい感じはあり、触ってみると実際に冷たい。
 昨日の木曜日、これが休めば休める唯一の日。
 午後、やじろべえでコーヒー。
 火曜の「やじろべえインプット教室」は、2年で卒業し、新しい人を迎えていく教室にしたいと小山さんに話す。初めの1年2年は「ままごと」のような期間として必要であること。どこかでどかんとやらなければモノにはならないが、「ままごと」を通過してない人にそれを言うのは酷であること、だから1年、2年の間は、本当の初心者向けとして、きつくない教室でやりたいこと。しかし、3年目になっても4年目になっても同じことを続けているのでは、つまり、最初の1年2年のペースを守り続けてしまえば、それはいくらやってもモノにはならないこと。300年も400年もかかること。それらを勘案し、2年で卒業になるクラスにさせてもらいたいこと、一回休んだら、一回は復習だけをやることにさせてもらうことを話す。
 小学館大西さんから携帯に呼び出し。「やじろべえ」から出て駐車場で話す。これで校了にするとのこと。図版がはいったものを見れないという。俺はもう一度校正があると思っていたので、この前の校正は本当に二校の赤が直っているかだけをチェックした。読み通してはいない。大丈夫かなあと一瞬不安になる。もう一点は、「酒鬼薔薇」について書いた部分の、「学校の校門に生首を置いた」という表現が生々しすぎるから、「酒鬼薔薇の一連の行為」という風に書き換えるとの連絡。差別語狩りは、表現が生々しいから削除するというところまで来ているのか。
 東京に出ていって、大西さんと会ったときも、そういう問題で、俺の書いたものがさしさわりを生じるかどうかはチェックしてもらいたいと伝えたが、あなたの原稿にはそんなところはないと思うとのことだった。しかし、校正の途中で、「ガイジン」が「外国人」に変えられた。「カルチャーババア」は通った。「ガイジンさん」が「外国人さん」になっていて困ったりしたが、「さん」をとって対処した。

 帰宅して大西さんからのメールを読む。

 酒鬼薔薇の問題は、単に「表現がきつい」とか「表現が生々しい」というだけのことで、「生首」という言い方が削除された。面倒だが、変更前のものと変更後のものを併記しておくことにする。

<変更前>230〜231p

弟子 「内申書」や「成績」は今の子供たちの神になろうとしているような気がします。
塾長 ああ、神だね。邪神だ。この邪神が、あの神戸の「酒鬼薔薇」の邪神も産んだと思う。酒鬼薔薇は学校の校門に切り取った人間の生首を置いたんだ。学校を祭壇化した儀式や呪術の形式だよ。あの首は学校に内在する邪神に捧げられている。少なくとも、酒鬼薔薇の無意識はそれを指し示していると思うな。供述書で、酒鬼薔薇は、学校に対する怨みでやったんではないと言っているが、俺はこの供述は信じていない。なぜ、首を学校の校門に置いたのかということは、あの事件を考えるときに外せないなと思う。酒鬼薔薇が生首を置いたところが、学校の校門であったことの意味は消えない。酒鬼薔薇の無意識が指し示していた邪神が学校にいるんだ。

<変更後>大西さんのメールから引用。<>で囲まれたものが変更後のものとのコメントあり。

塾長 ああ、神だね。邪神だ。この邪神が、あの神戸の「酒鬼薔薇」の邪神も産んだと思う。<酒鬼薔薇の一連の行為は、>学校を祭壇化した儀式や呪術の形式だよ。あ<れ>は学校に内在する邪神に捧げられている。少なくとも、酒鬼薔薇の無意識は<、>それを指し示していると思うな。供述書で、酒鬼薔薇は、学校に対する恨みでやったんではないと言っているが、俺はこの供述は信じていない。なぜ、<事件現場の一つに>学校の校門が選ばれたかということは、あの事件を考えるときに外せないなと思う。<それ>が学校の校門であったことの意味は消えない。酒鬼薔薇の無意識が指し示した邪神が、学校にいるんだ。

 「編集部として編集長や校閲担当と相談して」直したとのこと。つまり、大西さん個人の意見ではなく、小学館文庫編集部の自主規制があり、編集部の責任で書き換えたということだろう。

 この日録を書いている最中に、大西さんから電話。あなたの娘の名前を教えろとのこと。つまり、私の嫌いなカットを削除し、娘の「三日坊主」の表紙にした絵をカットに使うから、どこかにクレジットを入れるためだろう。何か放りつけたようなものの言い方で電話が切られた。メールに書いたからメールを読めとのこと。

 メールを読む。納得できないこといくつかあり、長文のメール書く。

 小学館文庫は、編集長が「週間ポスト」あがりのせいか、文庫
一冊がまるで週刊誌の記事の一本のように扱われる感じがある。

 妻が説得しなかったら、俺はこの文庫化を今日つぶしていただ
ろう。まあいい。やるだけのことはやった。

 頭に血が登った分だけは、表沙汰にしておく。
 
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