2000年2月
2月1日 午前4時25分
そうか、2月になったのか。
1月31日は月曜日。何時に起きたのか覚えていない。午後、3時頃だったような気がする。起きてすぐ、語数による英文分類。一時間ほどしたら腹が減ったので、鯖の塩焼きを一匹、妻と分けて食べた。鯖の塩焼き、うまい。その後、終日、炬燵。語数による英文分類を継続する。
この作業は、コンピュータに詳しい人なら自動化するだろう。まず、スキャナで市販の英会話本、辞典類をスキャンする。次に、OCRソフトにかけてテキストデータにする。その中から余分なデータを削除。スペル・チェック。英文は、ピリオド、クエスチョンマーク、イクスクラメーションマークで文が終わるから、この3つを目印にして、その前後を分ければ、英文を一文ずつ切り出せる。英文は半角の空白で語と語が区切られるから、文を構成する語数も計算できる。そうしておいて、語数によってソートすれば、今やっているような作業は自動化できる。
しかし、語学はそれでは駄目なのだ。
この一週間ほどやっている作業では、各種の書物にあたり、英文の語数を数え、文の近くに語数の数字を書き込むことを準備作業としている。その後、MS−DOSの「知子の情報」の語数別に1データとしたファイルに、ある一定の語数のものを、本のページをめくりながらキーボードで打ち込む。これをやるから、自分の勉強にもなる。
ホームページ上に、語数による分類を載せ、誰でも利用できるようにするつもりだが、アホな善意で動き続けられるわけがない。この作業が、俺が自分の英語の力を鍛えることにもなるからこそ続けられるのだ。
夜8時半まで作業継続。そのまま「月曜素読舎インプット専用教室」に突入。まず来たのが東山。元気な声にはいつも励まされる。東山に継続中の作業画面を見せる。人に見せたくて仕方がない。中沢入室。村田君入室。柳沢さん入室。吉田さん入室。吉田さんは、多少勉強してきた。柳沢さんは、実際に自分の口の筋肉をどんどんはっきり動かすことがどれだけ大事かがまだわかっていない。
10時、教室終了。聡が印刷の仕事を持って来た。妻が印刷。その後、折りをやっている途中で猛烈に眠くなり炬燵で寝る。ときどき、聡と妻が話しているのが聞こえたが、そのまま寝入る。今日2月初日午前3時目が覚める。それまでの間、4、5回、妻が俺を起こそうとした。炬燵で寝たら風邪をひくよと何度も聞いたが、ああ、ああ、と俺は言って寝続けた。3時に目がさめて、再び語数による英文の分類を続ける。くたびれて、気分転換にこの日録を書く。現在午前5時に5分前。
ときどき、お菓子の国に行った人のホームページを思い出す。奥村さんに教わったのだが、URLを紛失した。奥村さんにメールで聞いてみることにする。
2月2日 午前1時5分
午後、3時起き? 覚えていない。
何を食べた? 覚えていない。
何か食べた。小さい鯛を食べたのだ。チビ(猫)に骨をやったら喜んで食べた。シーチキンと野菜の煮付けも食べた。だんだん思い出すもんだ。
渡辺さんからメールの返事をもらう。風邪をひいていたそうだ。信州のこのあたりでは、馬鹿は風邪をひかないと言うことわざみたいな言い回しがある。俺は風邪をひかない。どういうことなのか。
語数による英文の分類をやるつもりだったが、ホームページの更新に結構時間がとられる。やっとKAOKIさんのホームページへのリンクを張った。ミッドナイト・プレスや奥村さんのホームページへのリンクもようやく復活させた。「お菓子の国」へのリンクも張った。久しぶりに見てみたが、やっぱり、「お菓子の国」はおかしな国だ。長くみていると腹がたってくる。
頭がかゆい。どれだけ風呂に入っていないのか、覚えていない。ボールペンの先で頭の地肌を掻くと気持ちがよい。そうすることをやると、ボールペンで頭に線を描いていることになるだろうが、フケが阻止する分があるからどれだけ描けているのかわからない。まあ、わからなくていいんだが、そんなわけで、風呂に入った。風呂に入ると気持ちがいい。毎日風呂に入るような堕落した人間に、俺の気持ちよさはわかるまい。
ゆうべ、中場利一の「岸和田少年愚連隊」を読み始めた。二、三行読むたびに腹の筋肉がひくひくする。駄目だ。どうしても笑ってしまう。寝床で読んでいると、笑い声で目を覚まし、隣に寝ている妻という人が起きて機嫌が悪くなる。この人の機嫌の悪い顔は本当に怖い。台所に移り、ソバを煮ながら読む。外に出て、ネギを持ってくるのも面倒だし、それを刻むのも面倒だし、ワサビがどこにあるかもわからないので、乾麺のソバについていたタレだけで食う。
中場利一は、「本の雑誌」の三角窓口という読者の投稿欄に書いていた頃から注目していた。この雑誌は、推理小説にページを多く割くので、推理小説なんぞ読まない俺は、中場利一の投稿を読むためだけに雑誌を買っていた時期がある。「岸和田少年愚連隊」が出て、それが映画になった時にはうれしかった。(映画は見なかったが・・・)へっへっへ、この人が「本の雑誌」の一投稿者だった頃から、俺はちゃんと追っかけていたんだかんな、と、そう思ったものだったが、すぐに覚醒剤所持でとっつかまった。以後、抹殺されている。
中場利一がとっつかまったという新聞記事を読んだとき、「馬鹿野郎が」と俺は声に出して言った。くやしかった。この人にしか書けない文章がある。それを封じられるのか。戦後市民社会は中場利一を封じるだろう。しかし、もう一度出てくるべきだ。それが中場の喧嘩であるべきだ。文化は喧嘩だ。
俺は、中場利一全集を夢見る。
夜、8時半から「やじろべえ・インプット専用教室」。北原さん、小林さん、宮沢さんが休み。なんだかどの人の練習もちんたらしている感じがした。 10時で「やじろべえ」を終え、帰宅。梶野さん親子の「電話でレッスン」を10時半から一時間。それが終わった直後に、娘から電話。コンピュータでやたら苦労しているらしい。メール送受信の設定の間違いが判明したとのこと。
2月3日 午前4時10分
起きなさい、もう起きなさいという妻の声を五回から六回は聞いたような気がする。三時に荒井さんが来るよと言う。荒井さんは大好きだ。だけど、まだ寝たいと思い、うつらうつらした。三時ちょうど頃に起きる。三十分くらいして飯を食う。小さい鯛の頭と骨をチビにやりながら、猫と妻と一緒に食べる。食べているところに荒井さん来る。NHK人間講座「宮本常一」をビデオに録画するのを荒井さんが妻に頼んだらしい。三人で一緒に見る。「忘れられた日本人」の中に出てくる対馬の開拓漁師のこと、漁民の寄り合いのこと。アメリカが押しつけようとした戦後民主主義に抗することのできる徹底的な話し合いが漁民の寄り合いの中に日本の昔からあったこと。いい番組だ。番組が終わって三人で馬鹿話をしているうちに5時になる。「ゆいまある」の「ひげもじゃ英語塾」の日。バイパスの篠ノ井を過ぎたあたりで、前方に事故処理か何かがあるのだろう、車がまるで動かなくなる。前方がずっと車の列になっているのがわかるので、すぐ旧国道へ出る。旧国道は混んではいるもののいつも通りの車の流れ。遅刻するかもしれないと携帯電話で「ゆいまある」に連絡しておいたが、時間前に着いた。小出さん、横田さん、休み。8時10分、教室終了。いつものようにオリオンビール。
10時帰宅。そのまま「ここが変だよ日本人」を見る。見終わってじきに炬燵で寝る。目がさめたら、妻がマリリン・モンローの「バスストップ」を字幕なしで見ていた。決まり文句は聞き取れる。細部がどうにもわからない。頭がもうろうとしていたが、わからないながら、いつものようにラストで感動する。
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2月4日 午前4時35分
3日が木曜日。木曜日だけが仕事がない日。終日、炬燵にいる。仕事がない日のはずなのに、例の語数による英文の分類を始めてしまう。渋谷で1年ほど前に買った3万円の中古パソコン、NEC・PC−9801ns/rのキーボードにやっと慣れてきた。キー配列はエプソンのNOTE/Aと同じだが、最初のうちチャチな触り心地で、おもちゃみたいで嫌いだった。慣れてくれば、これでも結構だという気になる。経験はないが、後妻をもらったようなもんか。エプソンの方が機械の作りははるかにいいし、キーボード−の出来もいい。NECはキーボードのバネが強すぎる。いろんな男がいて、いろんな女がいるように、いろんなキーボードがある。キーボードはエプソンがよいとしても(エプソンにもひどいキーボードの機械はあると先日聞いた)、悲しいことにハードディスクが40MBしかない。NECの機械はおもちゃの触り心地だが、ハードディスクが120MBある。エプソンのハードディスクがほとんど満杯に近くなったので、そろそろ別の機械のハードディスクにデータを移すべきだが、やってる暇がない。そういう、なんというか、事情というのか、そんなようなあれで、NECをいじる。昔は本当にNECが嫌いだった。でけえツラしやがってと思った。エプソンいじめが激しかったのだ。今では、NECには同情しかない。ざまあみろという気持ちは同情に近い。かわいそうにと思うが、愛はない。やはり、ざまあみろなのである。俺は、MS−DOS・6頃のエプソンの機械が欲しい。誰か二万円以下で売ってくれる人がいたらすぐに買う。
仕事をするには、MS−DOSが今のところ一番だ。すぐ「不正な処理」という不正なメッセージを出すウインドウズは使い物にならない。マックも相変わらずフリーズだらけらしい。今ではタコのマイクロソフトも、10年近く前はまともなOSを作っていた。
そんなわけで、塾の仕事はないが、終日コンピュータをいじる寂しい一日。ああ、女が欲しい、女が欲しいとコンピュータをこちこちやりながらつぶやいたのを妻が聞きつけ、にらんだ。へっへっへ。お前は妻だもん。妻は大事な人だけんども、最愛の妻だけんども、一人しかいない妻だから最愛が避けられないんだけんども、妻なんていうものは2人も3人も要らないんだけども、あああああ、女が欲しい。女あーーーー!
炬燵で寝た。2時間寝て起きたら、妻が女房に変わっていて、ビデオで映画を見ていた。男が女を大事にしないから、共通の事情をかかえた女が、アメリカの砂漠地帯を、人殺し・強盗なんかやりながらメキシコへにげようとして警察に退路を断たれ、女2人で最後に抱き合ってキスして、崖から車で空中に飛ぶところで映画は終わる。見終わってすっかり疲れる。笑えない映画、笑えない小説が嫌いだと改めて思う。
2月5日 午前0時50分
午後4時か?3時か?そのころ起きる。
庭で、女の人の声がして、女房に何か頼みがあるようなことを言っている。車の中で待っているから、とも聞こえた。まあ、つまり、人が来たのだとわかり、何か用事ができるだろうと思った。お父さん、賢ちゃんのお父さんとお母さんだよ、と妻が言う。起きる。
コンピュータを買いたいが何がいいかという相談だった。予算は50万というから、よせよせと言う。10万円パソコンを買って2、3年もいじっているうちに50万円のパソコンはまた10万円になる。そしたらまた10万円で買えばいい。2台買って、30万円もうかる。最初の一台をいじり壊しても、おつりは来る。賢ちゃんのおやじはこれまでにカメラに凝って、自分が栽培しているサボテンの写真をしこたま持っている。だったら、フィルムスキャナがお奨めだ。しかし、ウインドウズは出来損ないだから、トラブったときにどうするかが問題ですねと言う。俺もそのたびに御代田まで行くわけにはいかない。「日経パソコン」のソーテックの広告と、エプソンダイレクトの広告のページを破って、この辺がいいと思うと渡した。
賢ちゃんのおふくろさんから、セロリのことを別名チンタチソウというのだと聞いた。男が元気になって、なにやらが立つようになる植物だそうだ。スーパーで奥さん連中がセロリを買っているのはその方面のためだと言うから、まあ、そういう奥さんもいるし、単にセロリを買っている奥さんもいるだろうと思った。俺にセロリをプレゼントしてくれる女の人がいたら、俺はこれからは、That
makes sense. と思うことができる。ついに今まで、俺は女の人からセロリをプレゼントしてもらったことがない。普通、プレゼントしねえか、セロリは。
賢ちゃんのおふくろさんの友達の旦那が死ぬときに、奥さんが死ぬ旦那に何か欲しいものがあるかと聞いたら、「べえ」と言ったそうだ。私は、「べえ」なるものを知らないが、賢ちゃんのお袋さんの言うことにゃ、どこやらの方言で女の脚の間にあるお刺身のようなもののことだと言う。「べえ」と言ってから死んだそうだ。
塾が始まるまでのほんの20分ばかりの時間も惜しんで、英文の語数別分類をやる。塾、「技法グラウンド」が5人でくたびれた。9時、Sさんに電話。今日からやる娘さんの「電話でレッスン」、9時からの予定だったが、9時半にしてもらう。9時だと塾はすいてはくるが、まだ5人ほどいて、しかも一人二人は「技法グラウンド」をやっている。
9時半、二度ベルを鳴らし、電話を待つ。すぐにかかってきたので、すぐにレッスンを始める。自己紹介もなしで、まずかったかと思うが、まあ、お母さんの友達だと聞いているから大丈夫だろう。ニューホライズンのうしろの方、現在学校でやっているところをほぼ2ページやる。とてもおっとりした女の子だが、パワーを秘めている感じがある。楽しみだ。
30分のレッスン後、お母さんに変わってくれる?と言って、旧姓および筆名Oさんと話す。どうですか、と聞かれたので、自分で実際に口を動かす練習をあまりやってないみたいだと言う。中学1年生ぐらいだと、まだ口の筋肉が柔らかいので、2、3カ月もすればよく動くようになるだろう。これで、「電話でレッスン」は名古屋に二人、東京に一人、山口に一人で、生徒が4人になった。
10時半から、再び、英文語数別分類をキー入力。2時間ほどでくたびれてやめる。べえは無理。
2月5日 午前10時40分
午前二時ごろ、デニーズでハンバーグとライス大盛りで500円というやつを食う。その後、ついつい1時間ほど英文語数分類用に、本の英文の語数を数える作業。デニーズで眠くなったので、帰宅したが、眠気を通り越したのか、腹に重めのものを入れたせいか、布団に入ったが眠れない。英語の駄洒落本を読んだが眠れない。村田君に頼まれていた「コテンパン」2号の原稿の手直しをやってないことを急に思い出す。起きだしてそれをやる。終了、午前8時。その後、それをメールで送り、ついでにメールチェック。新着はないが、大西さんに、割り付け用紙届いた旨、近々木曜日をあけてもらいたい旨、メール。その他に2通メール書いて送付。
ひたすらにもうろうとする。現在午前11時近いが、これから2時間半で、8時間の労働が待っている。体が寒いので、今から風呂に入る予定。塾開始の一時間前くらいに寝ついたら、その後どうなるのか。
2月6日 午前9時30分
結局、きのうはもうろうとしたまま風呂に入り、風呂から出てさらにもうろうとしたが寝つかず、もうろうと英文語数別分類をやった。しかし、午後1時半、最初の塾生が「お願いします」と入ってきた直後に炬燵にあたったまま寝た。村田君の声がしたが、よろしく頼むの声を出す力もない。以後、寝入る。5時、妻に起こされる。ほとんどの中学生の教科書はニュークラウンだが、上田から来ている子が一人だけニューホライズンで、その子が教科書ガイドのポイントを修正液で消す前段階に、消すべき語句に俺が線を引く。その仕事は村田君も妻もしたことがないので、妻は俺を起こしたのだ。起きて、炬燵で教科書ガイドを読むが、もうろうとする。いつもの3倍以上時間がかかる。炬燵の回りはいつも通りの塾。塾生たちが英文を声を出してどんどん読んでいる。俺はいつもの茶の間の炬燵で寝たのだが、塾生たちからは俺が塾の中で寝ていると見えただろう。
数人の素読の声というものは、眠るにはいいものだ。前に飼っていた猫は、普段の昼間は外を歩きまわっていることが多かったが、土・日の素読の日は必ず塾の中にいて、ずっと寝続けていることが多かった。今の猫も素読の日に寝ていることが多いが、こいつはいつもの日も昼間からよく寝ているので、特に素読の声が好きなのかどうかはわからない。
私の塾では、子供はそれぞれ別々のものを声を出して読んでいるので、5、6人以上の子供がいっせいにそれぞれのところを読むと、声が混じり合い、誰が何を読んでいるのかわからない。和とも言えないが、混然とした和のようなものが生じる。回りで子供が素読している中で寝たことは以前にもある。塾をやっている途中で、猛烈な眠気が来て、夏だったので、そのまま床に横になって寝入った。その時もよく寝た。
5時に起きて、そのまま塾をやる。寝ていた間も電気を入れっぱなしにしておいたノートパソコンの画面で、英文語数別分類の続きをやる。炬燵の上にそれがあると、炬燵では子供の練習の結果を聞くことはできない。すぐ脇の座り机の上の本を片づけて、子供の練習結果を聞くときは足を炬燵に入れたまま、体をひねって座り机で聞く。
夜8時頃、ヤマケンが印刷の仕事を持ってきてくれた。月曜の昼までにやっておくことにする。
8時半頃か、松岡さんから、「蛸足日録」を出版したいがいいかという話。出版してもらうのはうれしいが、ほとんど書き散らしに近いものなので恐縮する。書いた当時の雑誌は主に「季刊パンティ」だが、手元にないものもあると言うと、松岡さんが全部持っいるとのこと。ありがたい。
松岡さんは、高知の出版社に勤めていたが、これから独立する。吉本隆明の単行本未収録のものをシリーズで出していくことは、吉本さんから許可をもらってあるので、それを柱にするとのこと。こちらは、流通を通さず直接販売のみ。その他の企画は、ミッドナイト・プレス経由で星雲社から書店に流す予定だとのこと。俺の「蛸足日録」なんか売れるだろうか。売れなければ、松岡さんに迷惑がかかる。それが心配。
9時半塾終了。缶ビール一本飲んで、10時過ぎ、布団で寝る。
今朝、9時頃、庭で人の声がしたが、そのまま声がしなくなった。体が寒く、目がさめたので起きる。薪ストーブに火をつけ、炬燵に電気を入れる。まもなく腹痛、激しい下痢。百草丸と医者からもらったビオフェルミンを両方飲む。一度に両方飲んでも問題はないのかどうか。
これを書いたら、また英文語数別分類をやろうかと考えていたが、薪ストーブの火に勢いが出て、炬燵の下の畳があたたまってきたら、またもうろうとしてきた。しかし、今日は一日塾ができるだろう。その程度の力は体にある。
2月7日 午前2時50分
塾を始める前に、KAOKIさんにメールの返事。語学の対象としての言語が、本質的に「からっぽ」であること、この「からっぽ」であることこそが語学の言語の最大の特徴であり、利点であることについて、よくわからないというメールをもらったのだが、うまく返事になったかどうか。
語数別の英文分類に関しても、よく主旨がわからないとのことだった。これは、少しずつデータ量が増え、そのデータを使った教材が整ってくれば次第にわかってもらえるだろうと思う。
冬になって、部活の大会などがないせいか、子供が比較的早い時間に塾に来る。午後1時半から夜9時半までのどの時間に来てもいいことになっているが、夏は夕方からが混む。今は2時、3時頃に人数的にピークになる。このピークを越えたら、また猛烈に眠くなり、5時頃、そのまま寝る。
最近まで、村田君と俺が並んで子供の練習を受け付け、妻は炬燵に座って練習を受け付けていた。5日、6日は、村田君と妻に椅子に座る机でやってもらい、俺が炬燵で子供の練習を見た。これだと、子供の数か少なくなってきた時に、ちょいと横になるとそのまま寝入ることができてしまう。
8時半頃目を覚ます。子供たちは帰り、村田君も帰っていた。吉田さんがひとり練習に来た。
冬は塾の開室時間を夜の部分で削ってもいいかもしれない。その分で、時間を設け、「電話でレッスン」の分として使うべきかもしれない。
吉田さんに買ってきてもらった蕎麦で夕食。妻はチャーハンを作って食べた。変なふうに寝てばかりいるので、目玉がぐりぐりする。
妻が毎日新聞2月6日号の「希有なる抒情、現代詩に」という辻征夫さんの追悼記事をみつけた。辻さんの詩は、雑誌発表のものや現代詩文庫のものを読んだだけだが、これからゆっくり読むことになると思う。この記事で、思潮社の「現代詩文庫」が辻征夫さんの尽力でできたものだったことを知る。記事の終わり近くに、山本かずこさんの追悼の言葉が引用されていた。
「水は濁っていてはいけないんだ、我執が強いと水は濁る。生涯無名でいいって覚悟がなければだめ、と教えられました」
妻は寝不足気味なので、今日は早めに寝た。
一人、またパソコンに電気を入れ、語数別の英文分類を続ける。
2月7日 午前6時45分
終夜、英語語数別分類。
この家は駄目。俺がキーボードを叩いていると妻の眠りが浅くなる。
俺があたっている炬燵のある6畳と妻が寝ている8畳の間が襖しかない。妻は平気だと言うが、寝ている間の脳に聞こえているはずだ。妻にも脳がある。あるらしい。朝の5時に妻が起きてきた。賢ちゃんのおふくろさんにもらったワインを飲む。
6時半過ぎ、小便をしに便所へ。便所の屋根はトタン屋根。雨が降っているのがわかる。善光寺盆地、2月7日、朝6時半に雨? こんなことが、かつてあっただろうか。少なくとも、俺が覚えている時間の中には一度もない。
2月8日 午前5時10分
7日、午後4時に起きる。5時だったかもしれない。
荒井さんから電話。土取利行さんの「縄文の音」という本を、更級の里郷土資料館(?)で15冊預かっているが、一冊買ってもらえないかという。おお、買うでえと答える。
飯は大きめの魚を食べた。何を食べたのか知らない。ああ、鯛かもしれない。鯛の酒滓漬けかもしれない。うちの猫は糟漬けを喜んで食べる。前の猫は糟漬けを食べなかった。今度の猫は酒を教えれば晩酌の相手をしないとも限らない。
荒井さん来る。高知の山の村、椿山のビデオを、妻と荒井さんと3人で見る。「日本・定点の記録40年、第一回焼き畑に生きた村・高知県椿山」というNHKの番組の録画。出てくる山の人がみんないい顔をしている。日本の昔を思う。
夜8時半、東山、来る。荒井さんは入れ替わりに帰る。荒井さんは、本当に英語が嫌いだ。他人が英語の練習をしているのの側にいるのも嫌いなんだなあと思う。
村田君、柳沢さん休み。ナカピロンは四国を車で走り回っていて、やはり休み。ナカピロンは、もうじき建築関係の営業の仕事に就く。あまり向いていると思えないが、まあ、心を整えに走り回っているのだろう。
10時、英語終わり。
ヤマケンが印刷の追加を依頼に来る。妻は英語の練習を終えてそのまま印刷を始めた。久しぶりに生坂屋のカズヤ来る。ヤフーにうまい時期に登録した同業の酒屋が現在大儲けしているが、柳の下にどじょうをさぐろうという話を聡に持ちかけていた。品質が一番大事だと言いながら、なんだかんだ言ったところでもうけることが興味の中心なのだ。人より余計にもうかったところでそれが何だというのか。もうけることには何も文句はない。それで状況の何が変わるのか。回りにつべこべ言われたとたんに腰が引けることと、興味の中心がもうけであることとは、同心円である。屋代の町という陰画とカズヤという陽画。あまりにもあまりにも暗い町。
聡にホームページ作成の仕事を興せと薦める。細部をおろそかにしないところが聡に向いている。
goo に新しく作ったホームページのページを登録する。どんな検索語で検索されるのか知らないが、先日「素読舎」で検索したら、俺のホームページ関係だけの記事が表示された。しかし、ホームページの内部構造を変えてしまったので、そこから現在のホームページへリンクはつながらなかかった。ロボットで検索語収集を自動化するのはいいが、ホームページ構造の変化に対応できないのは駄目。ユーザーがクリックしてリンクがつながっていなかったら、「NG」というような名前のボタンを押せば、リンクが消去される程度の仕様にすべきだ。
現在、俺のホームページへのアクセス総計2100余。半年も何も更新しないでいたから、多くの人に愛想をつかされたのだ。実にいいことである。いったん愛想をつかされてから、つきあいというものは始まる。そういうことでなければ、ただいま現在の私ら夫婦というものもない。
ヤフーはこれからでかいつらをするようになるだろう。相手にしないに限る。メールチェック、3通新着。3通にすぐ返信。炬燵でメールをいじるようにしてから、メールが楽ちん。
炬燵にあたりっぱなしの変哲なき一日。
2月8日 午前9時半
朝、8時頃か、寝るつもりで布団に入った直後、岡沢加代子さんからファックス。「英語どんでん返し」の筆字送られてくる。なんか元気がない。どかどかといっぱい書いて欲しいとメールを出した。字の縮こまりをそうやってほぐして欲しい。期待していたものとの落差があるので、外に出て車の中から携帯で電話する。(隣の部屋に寝ている妻を起こさないため)。エンジンをかけたまま電話するが、なかなか車の中が暖まらない。要するにメールに書いたことを、口で言っただけだ。私は書ける、と言ったので安心する。
車の中が寒く、顎がかたかた言った。
電話している時、メール読んだかと言われたので、読んでないと返事。家の中に戻り、メール受信。根石さんの顔にバカヤローと叩きつけるような字を書いてやるとあった。頼むぜと祈る気持ち。
布団に入り、竹田青嗣「プラトン入門」(ちくま新書)読む。
この本の前は、中場利一「岸和田少年愚連隊」を読んでいた。最初の3分の1がやたらに面白いが、途中でだれたので少しがっかりした。途中で文章がなげやりになっている。
昨日から読み始めた竹田青嗣は、これで2冊目の本。前に読んだ本の名前は正確に覚えていない。「現象学入門」だったか。フッサールに関する本だったが、最初の方で面白いなと思って、途中で論旨がたどりきれず挫折した。今度の「プラトン入門」は最後まで読めそうな予感がある。
もうじき10時。
また今日も眠れない。
ひとまず、電話線だけ引き抜くことにする。今日は、午後5時6時まで俺の家には電話はかからない。
寝る。とにかく寝ることにする。
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2月9日 朝7時半
夕方5時、起きる。
英文語数別分類やる。
ひどい下痢。
風呂に入る。
腹と腰にホッカイロを当てる。
8時頃、やじろべえ着。誰も来ない。客は俺一人。
やじろべえの奥さんから、イタリアみやげのチョコレートもらう。
8時半過ぎ、浜田さん、北原さん、荒井晶子来る。
9時過ぎ、小山さん参加。
ニコチンガムを手に入れる。
俺の下痢はひたすらたばこのせいだと自分でわかっている。
ニコチンガムは手には入ったが、まだたばこをやめようかやめまいか迷いがある。やめると決められたら、このガムを使うつもり。
渡辺さんが、俺の英会話用インプット教室の見学に来る。
何年か前、アメリカから帰ったばかりの渡辺さんに会ったことがあったがやつれたなあと思ったのを覚えている。今日、久しぶりに会ったら、すごく素敵な人になっていて驚いた。年を重ねるほど素敵になる人もいるのだ。渡辺さんは、一週間ほど仕事で海外へ出るとのこと。通訳で行くのかと聞いたら、まあそんなようなことと言っていた。10時教室終了。渡辺さんに手短に「話体」という教材の説明をしているところへ荒井さん来る。渡辺さんとデニーズに行くらしい。俺は、ただちに帰宅の必要あり、帰宅する。
10時40分から梶野さん親子を相手に「電話でレッスン」。「教科書べらべら読み」の方は、中2の教科書・ニュークラウンだが、文が長くなってきたせいで、多少てこずっていた。お母さんの方に、復習多し。
11時40分過ぎ、妻がとっておいたNHKの職人列伝のビデオ観る。面白い。
0時過ぎから、英文語数分類、朝まで。
雪だろう。玄関の外が白く明るい。
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2月10日 午前3時10分
下痢続く。
「ゆいまある」で「ひげもじゃ英語塾」。全員出席。ウドのお父さんが亡くなったことをみんなに伝える。翌日、息子が生まれたことも。
ウドのお父さんはオーストリアに一人で住んでいたので、そのアパートの片づけなどもあり、ウドはまだ今月いっぱい日本に帰れない。
下痢のため、教室の後で飲むビールが飲めない。紅茶にする。
新井英一、「オオカミ狩り」、お茶ぐら・ゆいまある「22周年記念誌」買う。帰宅。蕎麦食う。蕎麦は下痢にいいのか悪いのか。0時から、英文語数別分類。ここしばらくは、古いノートパソコンにデータをためているだけ。ホームページへは、日録だけ比較的まめにUPしている。この語数別分類のデータが太り、UPしたとしてもしばらくはいったい何のためか理解されることはないかもしれない。ひとまずデータだけ蓄積を続けるが、その後は、文法的な解説よりも、語法別分類をやるべきかもしれない。語法別分類が意味を成すだけのデータはいったいどのくらいあればいいのか。
世の中にもっとも多く出回っている英語の本は、英文とそれに対応する日本語が対になっていて、ちょっと解説がついている程度のもの。その程度のものなら、俺の語数別分類の収録数が増えれば、別に本など金を出して買わなくても済むようになるだろう。
語法別分類は、WZエディタのアウトライン機能を使ってやることを予定している。
その前に早急にやってみたいのが、1−2−3で乱数を発生させ、「抽出」という教材の順番をランダムに並べかえること。これを、どう「ゆいまある」や「やじろべえ」に導入するか。
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妻が買ってきたパジャマを着たら暖かい。素材はペットボトルの再生品だというが、肌触りが柔らかくまるで元石油製品であったとは思えない。薪ストーブで暖まった部屋で、これを着てテレビを見ているうちに眠くなり、炬燵に足も入れずに畳の上に直に寝ていたら、妻が察知して布団を敷いた。早く布団に入れというから、這って入る。なんというあまのじゃくか。布団に入ったとたんに眠気がさめていく。疲れているし、ここしばらくずっと英語の教材づくりばかりやってきたので、起きて炬燵の上のパソコンに電気を入れる気にはならない。
「ゆいまある22年記念誌」をうしろのページから読む。新井英一へのオマージュは飛ばし読みで読む。新井の歌からオマージュが多発してくるのは当然だ。
圧巻は、冊子のどまんなかに収録された「むしろ生き場所が見えない」だろう。読み終えるまでに、何度も反感をひっぱりだされる。こんなものは今時めったに読めない。三人とも、きちんと言葉を置いている。
「座談会を終えて」は別の反感を持った。「しかし私たちはどうだろう。自分が好きだろうか。自分を信頼しているという意味で、自分自身を好きといえるだろうか。利己主義が蔓延しているといわれる今の世の中ではあるが、だからといって、素直に私は自分が好きであると言える人はいないのではないか。」
こんな言葉こそ、言葉を信頼していない言葉なのだ。生徒会だ。
(自分が嫌いな人間が何でこんな文章を書くのか。)
どうして人間が、自分を好きだなどと言えなければいけないというのか。
なぜ、自分が自分を嫌うことがいけないのか。
あんたは自分を嫌うことまでしか見ないのか。
憎んで殺すことは見ないのか。
単に殺すんなら、ニュースでやってる。
憎んで殺してみなよ。
なあにが、自分。
自分て何だ。
谷川雁の言葉がよかった。
「沖縄の少年と長野の少女が、それぞれの心の糸をたてよこに交えて織れば、このように幼い旅のTapestryとなるだろう。」
さすがだ。
松原千恵子の「お礼の言葉」。千も恵んだ子袋の言葉か。涙が出た。
蚊蜻蛉を遊ばせるあなたの力。女の力。俺が照れ屋だから駄目なんだが、今この瞬間になら言える。「ありがとう。」
2月12日 午前5時
思い詰め、長野の町を2時間、どこを走っているのかを知らないまま、車で走り続けた。久しぶりのオタンコナス。死ぬまでは直らない病気。冷たい目で、疑わしそうに見られて、一日限りの柔らかいおっぱい幻想は終わった。それにしてもなぜ女は思わせぶりなことを言うのか。そんなことを言われれば、馬鹿はすぐに真に受ける。一度そちら方面に向いた場合、俺がどれほど徹底した馬鹿か、あれらの並の女たちは分かっていない。今回は、傷は俺にあっただけだったからよかった。
タバコの買い置きが終わったとわかった夜、11日の夜9時だったと思うが、タバコをやめることにした。ニコレットというニコチンガムを噛んでいる。これを使うと煙のにおいがないから寂しい気持ちはあるものの、いらつきがなくなる。相変わらずニコチンは体に入れているのだが、タールが入らない分だけ体にいいはずだ。やめてからほぼ20時間。咳がすくなくなった。痰はまだどすぐろいものが出る。
タールは味覚だけでなく、他の感覚も鈍くするのかもしれない。見ているものが、急に鮮明に見えたりする瞬間があった。これは、ニコチンの血中濃度が薄くなって、感覚が変になっているせいなのか、それともタバコで鈍くさせられていた感覚が蘇生しようとしているのか。どちらかわからない。
いつもなら、タバコをやめて20時間もすれば、世界がぐるぐる回りだしまっすぐ歩けなくなったりした。恐くて車に乗れないときもあった。飲酒運転は法律で禁じられているが、それを禁じるならば禁煙運転も禁じるべきだ。
今日も、ガムでニコチンは体に入れているものの、歩くとよろめくようなことが数回あった。しかし、自分が静かに座っている分には、世界が勝手にぐるぐる回り始めるというようなことはない。
やはり血中濃度は薄くなっているのではないだろうか。2粒噛めば、タバコ一箱買ったのより高くなるほどの値段のガムなので、しばらくはタバコをすっているよりは金がかかるだろう。しかし、今回はやめられそうな気がする。
塾をやりながら、片手間を使って、英語の語数別分類をやる。小林が西中でやる英語のスピーチの原稿を持ってきた。直してくれと言うが、塾をやっている時間ではまとまった時間はとれない。
午前一時頃、妻と篠ノ井までラーメンを食べに行く。今日も味噌ラーメンに酢を少し入れて食べた。小林の原稿に手を入れる。半分ほどやったところで客が入ってきてカラオケを始めたのでやめて帰宅。夜中に二度風呂に入る。
最近、肺のあたりが痛くなることがなくなってきた。昨夜、寝ているときに少し痛んだが、目がさめてしまうほどではなかった。
やはりいつもと感覚が違う。パソコンの画面の文字が二重に見える。画面と目の距離を調整しても二重のままだ。
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昨夜書いた、WEB上英語塾で、「電話でレッスン」を併用する場合の使い方をここに転記しておくことにする。一度それをやっておけば、正式にそのための一ページを作るときに、ここからコピーすれば簡単に作れるだろう。
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・縦糸コース(初心者向け)
・最初にテストをし、実力養成に適した文の単語の個数を決める。
・その個数でできた文だけを「技法グラウンド」で練習する。
・ページに掲載されている文をすべてやり終わった場合は、一つ個数の多い文の系に入り、同様に練習する。
・掲載されている文の同一個数のものを全部やり終わっていない場合でも、習熟の度合いにより、一つ個数の多い系の練習に入ることもある。
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・横糸コース(あとで開設・中級者向け)
・絶えず個数の多い文の獲得をめざす人向け。
・最初にテスト。適当な個数をみつけたら、その個数で10の文を「技法グラウンド」で扱う。
・10の文がクリアできたら、一つ多い個数に移り、10の文にチャレンジ。
・10の文がクリアできなければ、一つ少ない個数に移り、同様に10の文にチャレンジ。
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・ランダム
・「縦糸コース」、「横糸コース」ともに、字を見ながらの練習だが、どちらの練習でも、練習が進んでくると復習すべき範囲ができてくる。「ランダム」では、この復習範囲を使って、字を見ずに「技法グラウンド」を行う。この練習に使うテキストは、表計算ソフトで乱数を発生させ、文の並ぶ順をランダムに崩して作るが、ホームページ上には掲載しない。
・練習がある程度進んだら、毎回の練習の初めにこの「ランダム」を行う。
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・「縦糸コース」のランダム
・指定しておいた範囲の「ランダム」を10〜20テスト。
・70パーセント以上クリアできたら、いつも通り、新しい文を使った「技法グラウンド」を行う。
・70パーセントをクリアできない場合は、指定した復習範囲自体を「技法グラウンド・7」で練習する。
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・「横糸コース」のランダム
・それまでに練習してある全範囲を対象に、10の文を文字なしで「技法グラウンド」で扱う。個数の上がり下がりは「横糸コース」のやり方に同じ。クリアできなかった個数がみつかったら、文字を見ることに切り替え、クリアできなかった個数からいつも通りの横糸コースを行う。
2月14日 午前1時
ニコチンガムも、長く噛んでいるとただのガムになる。酒を飲んで、新しいニコチンガムを噛み、口にたまった唾を飲み込む。ジューシー。これぞ、ジューシーと思い、目を閉じる。
13日は塾の日。1時半から塾だが、1時25分まで寝る。妻はあわてて布団を片づけていたが、あわててもあわてなくても、もう入室した塾生に布団は丸見えのため、あわてる必要はないとわたくしは思った。わたくしは、起きてすぐに炬燵にあたり、ひたすらボーーーとしていた。
タバコ切れとセックスのしすぎだと思うが、ボーーーーーーーーーー。まっ、いいか。
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物語が大嫌いなのに、「物語」を書いてしまった。以下に転写。ニコチンは医大では普通だが、俺の体では偉大だ。
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(へえへえへえの物語)
あれは何だったのだろうと自分でも思っています。
1時間だったのか、1時間半だったのか、大きな町の中をぐるぐると車でただ走っていただけでした。9時頃だったと思うけれど、時間は覚えていません。体育館の方へ走り始め、いつの間にか橋を渡ってしまっているのに気づいて、大きな通りを左の農道へ入り、また逆方向に走り、土手にあがって車を止めました。携帯電話の時計を見たら、10時10分前くらいでした。
体育館の方へ走り始めたときも、電話すると決めていたわけではありませんでした。ただなんとなくそっちへ車を向けただけでした。そのあたりを車で走り回って、そのまま帰ってしまうのか、電話をしてしまうのか、何も心に決まっていませんでした。
気持ちに何も定まったものがないまま、ただ無益に車を走らせるだけ。それだけが私がしたことでした。
19世紀の小説に登場し、20世紀の神話となった恋愛の感情などという糞ではなかったと思います。でも、会いたいとは思っていました。それは何だったのか自分にも正体のわからないものです。ぐるぐると走り回っていたことだけが確かですが。
唐突じゃないですかとあなたは言いました。
そうです。唐突でした。
朝まで仕事をして、眠れないので酒を飲み、酔った状態で電話をしたことをお許し下さい。その酔った頭の中に、なぜあなたが浮かんできたのか、とにかくあなたが浮かんできたのです。
Nで仕事が終わると、私はたいていそれまで座っていた席に座ったままで、ビールを一本飲みます。この前のその前、あなたが声をかけてくれたので、あなたがいるところに場所を移して、飲みました。
何の話のときか、夫とは冷えているという言葉があなたの口から出ました。それは、私にとって唐突でした。どういう話の続きだったのか覚えていないのですが、唐突だと私は思ったのです。
ここでお断りしておきますが、私は朴念仁です。唐突な感じの話を笑いを起こして、笑いの中に消すすべは、朴念仁でも知っています。内心で大きく驚いている場合が私にはよくあります。つまり、表面の話の速度と、内心の驚きの持続とに距離があります。すると、すっかり馬鹿状態におちいるのです。ここのところは、こんな言葉ではわかっていただけないと思います。内心で驚きながら、全体としては世間話をしたというように私は形を整えていきました。そこで、その形以外の話はできるはずもないのでした・・・。
昨日の朝、酔っぱらって電話したのは、会って話してみたいという気持ちでした。それははっきりしていました。それを酔っぱらいの、だらしない馬鹿話としてしかできなかったのは、私がスケベで小心者だからで、他に理由は何もないと思います。
その馬鹿話をあなたが許してくれているようだったこと。それが、魔法がかかった時だったと思います。
初めてお話してから、酔っぱらって電話するまでに、私の中にあったのは、この人、なんとなく俺の妹に似ているなということだけでした。照れ屋で、はすっぱなものの言い方をするところが似ているのです。なんとなく似ているな、と思っていただけでした。酒に酔っぱらった朝10時、その頭にあなたが浮かんでくるまではそれだけでした。
私は自分の妹が好きですが、妹は私を馬鹿にしています。あるいは妹は私を尊敬しています。馬鹿にするのと尊敬するのとは庶民の世界では、そんなに違うものではありません。馬鹿にし尊敬する者と、馬鹿にされ尊敬される者の間には、何か絶対的な関係があります。肉親の間にしてそうであることこそ、日本の戦後という時間でした。
朝っぱらから酔っぱらって電話したことは、今から考えれば、あなたに怒鳴りつけられても当然だった。そうしたら、私はああ、やっぱり世間があるなあと思い、なるほど世間だなあと思って、ああ、そうかそうかと思い、その後は、うじうじと後悔しながら寝るだけだったと思うのです。しかし、あなたは私の馬鹿話につきあってくれました。酔っぱらっていたから時間は覚えていませんが、私らはずいぶんと長く話をしたような記憶があります。会いたいと私が言ったときも、拒絶されることがありませんでした。そのとき、何かあたたかいものに触れているという感触が私にあったのです。酔っぱらいの頭だから、もうろうとしてはいましたが、どうしてこの人は許してくれるんだろうという思いと、この人は許してくれるんだという驚きがあったのです。
それが魔法の正体だったと思います。
あの店で会った時も、自分の口で言ったように、まだ魔法はかかっていたと思いますが、その後、そのまま分かれ、一人でセブンイレブンで酒を買い、一人で土手で飲んで、長いこと暗い河原を見ているうちに魔法が解けていくのがわかりました。
あなたのわけのわからないものを見るような、疑いの目のせいだったのか、ケーキを渡すのを忘れた自分のドジのせいだったのか、別れるとき、まるで世間の挨拶のように挨拶した自分のその声の調子のせいだったのか、理由はわかりません。ぐるぐると同じ町の中を車で走っていたときの時間の感覚は溶けていきましたし、ずいぶん昔のことのようにも感じられました。
私はその町を車で方途もなく走りながら、何かを煮詰めてしまっていたらしい。ファミリーレストランという場所では、私は異物でした。異様なものを私は自分の中に感じていました。だから、あなたが現れてから、私は自分の中の異様なものを扱いかねて、なんだか馬鹿のように世間並みの話をしているだけでした。せいいっぱいでした。
おそらくあなたが私を見る目のせいだったと思います。その目は、異物を異物としてみつけ、薄気味悪がっていたのでした。もう、私には何もできませんでした。
なにはともあれ、むちゃくちゃに、あなたのその冷たい目が、私が自分で勝手に自分にかけた魔法を解いてくれました。
ファミリーレストランの席に座ったとき、11時までとあなたが時間を限定しました。それなら、ほとんど話すほどのことは話せない。煮詰められてしまった心をほどくすべはない。私の口からは、どうでもいいような言葉ばかりが出てきました。朝と今とでは、何かが決定的に変わっていると私にようやくわかりました。すると、あなたの目に変なものを見るような疑いの色が現れました。
私は心を扱いかねてへとへとになっていました。そしてへとへとでない顔をしていました。あなたは10時まで仕事をして11時に私の前に座り、やはりへとへとでない顔をしていました。ちぐはぐなものがそこにありました。
疲れているあなたに電話して会ってくれと無理にねだったのは私ですから、11時までと時間を限定されれば、がっかりした顔もせずにがっかりしているしかありません。がっかりするのが悪いと、そこまでは追いつめないでください。感じられなくなった人間に、感じないのが悪いと言っても、その批判の意味さえも感じられなくなっている、そういう時があります。
何について話したいのかと考えれば、それもまた漠然としていて、何についてなのかはっきりしないのです。多分、白いおっぱいです。具体的には、会いたいという気持ちと話したいという気持ちははっきりあったのです。
昔、子供を乳離れさせるときに、おっぱいに墨で怖い顔を描いて、子供を恐怖させ、おっぱいから離れさせることを妻はしました。それがいいのか悪いのか、わからないまま、そんなことをするのかと思って、驚いて見ていたことがあったのを覚えています。
私には記憶がないが、私も母親からそんなことをされたのかもしれません。実際に乳に墨で絵を描いたかどうかはともかく、比喩としてなら、私は確実にそれをやられたと思っています。とにかく、私の娘に私の妻がやったことを私はとにかく強烈に覚えているのです。なぜこんなにいつまでも強く覚えているのかわからない。しかし、強く覚えています。
何をとちくるったのか、自分でもよくわかっていないのです。朝っぱらから酔っぱらって電話したとき、あなたの声がやわらかく優しく聞こえたのです。墨の絵のない、白いおっぱいの幻を私は見た。魔法でした。
ファミリーレストランで別れた後、土手の上に停めた車で暗い河原を眺めていたら、魔法は解けていきました。自分がどれほどのオタンコナスなのかがはっきり見えて、セブンイレブンで買った酒は苦く、「自分」はいつものように惨めでした。
ヒーリングとかヒーラーという言葉があなたの口から出たときも、私の顔に驚きはなかったかもしれませんが、私は大きく驚いていたのでした。それは、あなたと最初に話したときに、私の中に生じた驚きと同質のものです。
私は驚いてばかりいるので、朴念仁です。表情と心の動きの距離がありすぎる男、あるいは言葉の意味がずいぶん時間がたってから心に生じる男、それを朴念仁と言うのだと思います。
日本語の話し言葉というものは、私には半分は外国語です。ですから、あなたの目には私はこれまでよっぽどの朴念仁と映ったことでしょう。「それにもかかわらず」、つまり本質として、私は朴念仁でもありうるのです。
ヒーリングというものが、日本の市民社会の成立以後も、真綿のように締め付けてくる無形の網の目を個人からほどく力があるものかどうか、それはそれぞれのヒーラーの力次第だとは思いますが、私が驚いていたのは、あなたのつつみ隠しのなさだったでしょう。自分にヒーリングが必要だということのつつみ隠しのなさだったでしょう。それはアメリカでもニューヨークのような都市以外ではつつみ隠されているものです。つつみ隠しのなさは、酔っぱらいを拒絶しないで電話の相手をしてくれたあなたに感じていたあなたのあたたかさとつながっている何かだった。
あの朝、あなたは何を感じてくれていたのでしょう。
ファミリーレストランでは、私はしゃべりまくり、何も話せませんでした。そして、墨は現れました。
やっぱりそうだ。
いつもそうなんだと、すでにファミリーレストランの中で何かをあきらめ始めていました。そうしたら、もう11時は過ぎているからとあなたが時計を見ました。
GHQが墨を塗ったのは、戦後すぐの教科書にだけではありません。
日本の白いおっぱいにも塗ったのです。
それが日本に民主主義めいたものを広めたことは確かですし、経済の高度成長が、そのにせものと結合してしまいました。そして、市民社会が成立していきました。私はその中で英語で飯を食いながら、次第に心を分裂させていきました。私とは、そんなふうな者の一人です。どうでもいい話だとしていただくなら、必ずそうして欲しい。
酔っぱらった頭でまっしろなおっぱいを見てしまったのが、魔法にかかったきっかけであり、町のどこを走っているのかも知らないまま車で走り続けたのも、その魔法のせいでした。魔法は今もあります。私は資本が繰り出す魔法にはかからないだけで、白いおっぱいの魔法にはいとも簡単にかかるのです。
土手の上でそれが解けてしまったのは、私ひとりが魔法にかかっているのをあなたが見破り、冷たく扱ってくれたせいです。ひどい人だ。自分で魔法をかけて、その魔法にかかった奴を異物と見るのです。私を冷たく見てくれたこと一つだけがあなたの真実です。疑わしい目で私を見てくれて、とても感謝しています。あるいは患者しています。
オタンコナスをオタンコナスと見る視線。それだけが私がこの世で必要としている視線なのかもしれません。私がこの世にいる限りは・・・。
この落差。
朝、やさしいあたたかいものにくるまれた感覚から、土手の上の車の中で、ひとり廃品となった自分。この落差と距離を、何度この世は私に教えてくれるのでしょう。そして、何度教えられても、私はなぜ何も学ぶことがないのでしょう。
あの日、馬鹿な男が一人いたと見定めていただいた後は、忘れて下さい。それはあなたには容易なことです。
土手の上の自分は、心に覚えさえておくようなものではない。体だけが覚えていればいい。
ひどく幸せな朝が俺にもあった。
それは忘れられないでしょう。
それはあなたの笑い声のトーンのままに私に残ります。
さようなら。
せめて死ぬときは、などと、俺は中也じゃないから思わない。
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2月17日 午前4時35分
数日、精神状態が変だった。非常に変だった。ニコチンの血中濃度のせいにしておく。多分そうなのだ。
何があったか、忘れた。ええと、今日は、H先生から違法に手に入れたニコチンガムが切れそうになったので、稲荷山中沢内科医院へ電話。ニコチンガム(商品名・ニコレット)を手に入れられるよう処方箋を書いていただきたい旨を電話。明日、処方箋ができているから取りに来るようにとのこと。それから何があったか。ニコチンの血中濃度が低くなっているせいか、血も肉も軟骨もつながっている息子が脈絡もなく勃起する。なんじゃこれ。冗談なのか、ニコチン。
雪が降った。夕方から道が凍った。ゆいまあるへ行く途中、ブレーキを踏むとズズズーとすべるので気持ちいい。近くに車がいるときは、小刻みにブレーキを踏むが、車がそばにいなければ、ズズズーーーー。
ゆいまあるへは5分遅刻。仏円さんが、俺のホームページの更新を見ていてくれて、「読みましたよ」と言う。よくもまあ、ああくだらないものを書きますねと言う。ふうむ、ちゃんと読む人がいるんだな。
昨日のやじろべえも、今日のゆいまあるも、酒をゆっくり飲みながら英語のインプット教室をやった。ニコチン切れのせいで、なんだか寒気がする。やたらに寂しい。帰りの道でも、ズズズーーーをやる。
岡沢さんからメール。「英語どんでん返し」の筆字、いいのが採れたよとメールを出しておいたのだが、続けて来た小学館・大西さんからのメールで「英語どんでん返し」というタイトルは不可、「英語のやっつけ方」でいくとのこと。
あわてまくる。
あわてまくり、スカートまくり、ズボンにはきかえ、とこれらすべては頭の中で起こり、ずうっと炬燵に座ったまま、大西さんにメール。「英語どんでん返し」の方が、いいんだがなあということを書く。しかし、商売のことはよくわからない。「英語のやっつけ方」の方が売れるのだというはっきりした判断が小学館にあるのであれば、従う。なるべく余計に売れるのがいいに決まっている。
岡沢さんにメール、24日、都合をつけてくれないかとお願いする。
そのメールで、平謝りに少し欠けるくらいに謝る。どなりつけられるのを何とか回避する魂胆。ああ、怖い。
後、他に何があったんだ?
昨日、ゆいまあるから帰ったら、田中さんからファックスが来ていた。「せい様 突然ですが明夜、根石宅で、おしぼりうどん大会をしたいと思います。まだ何人かわかりませんが、大きめの鍋にたっぷりの湯をわかしておいて下さいませ。7時頃を予定しています。(うどん、ゆでたのでいいのですので)後でお金集めますので、用意していただきたいのです。それと、「みそ」も・・・。すみませーーーーーーーーん。田中」
ったく。自分の息子の大学入試の結果も不安定なこの時期に、田中さんはあちこちに大根持参でおしぼりうどん大会を開催している。
ったく、俺はおしぼりうどんは好き好き好き。女とおしぼりうどんとどっちが好き?と聞かれれば、聞かれるまでもなく、答えることができるなあ。すぐに答えられる。「わかんない!」
何があったんだ、この2,3日に。
KAOKIさんから、重量級のメールあり。まだ、何度か読んでから返事を書くことにする。上質の私小説を読んだようだった。
意識の上ではきのうだが、暦の上ではおとといである日、室賀の温泉に行こうと朝6時、急に決めた。体がくたびれ果てているのがわかったのだ。7時、家を出る。室賀の湯は、上田市の経営なのか、村の経営なのか知らないが、お役所経営であることに変わりはなく、せいぜいが9時、たいがいが10時に開くだろう。7時に家を出て、行くところがない。
最初、セブンイレブンの弁当を買うかと思ったが、ほかほか亭とかいう弁当屋が開いていたので、セブンイレブンに車を停め、ほかほか亭に行く。その場でカキフライをあげてくれる。こっちがいい。
国民温泉はどうだと訪れるが、開いていない。観世温泉なら開いているのを知っている。観世温泉に行く。檜風呂に入る。出たり入ったりしてみるが、むちゃくちゃ眠いのに眠れない。多分、国民温泉でなら眠りに入っていただろう。床に湯がこぼれている面積が圧倒的に違う。国民温泉の方が地味で小さな温泉だが、いつでも床にこぼれた湯が流れていて、たいがいどこで寝転がっても暖かい。観世は、おそらく沸かし返している。檜風呂の湯はこぼれているが、そのまま下水へ流れるようになっている。なんてもったいないことをするんだ。床を暖めろ、床を。
観世を出て、室賀へ。着いてすぐ、日本酒のコップ酒を買う。外の薄い雪を見ながら飲んで、横になったらそのまま寝た。3度、4度、寝返りをうったのは覚えている。しかし、時計を見たら夜の7時半。午前11時頃寝たはずだからたっぷり寝たのだ。自覚としては3、4時間寝た程度のもんだろうと思っていた。だから、さて風呂にでも入るかと思って起きあがったら、時計が7時半だったのだ。あわてて外に出て、室賀の峠を越える。さいわいなことに、気温が高いらしく、峠近辺の道は凍り付いていなかった。村上へ降りて、ローソンに入り排便。その後、普通のガムを買って車の中で噛んでみるが、ニコチンガムを噛んでいる口には甘ったるくてたまらない。家に着いてすぐ、月曜素読舎インプット教室をやる。東山がバレンタインのチョコレートを自作して持ってきてくれた。これがうまい。愛が入ってるからと言うから、近づいてチュゥする真似だけする。吉田さんにももらう。翌日、友子にももらう。やじろべえには、島崎さんからも届けられていた。みんな英語関係の生徒の人たち。英語のインプット教室をやるまでは、女房と娘からもらっていただけだったぞ、俺は。
ああ、今年も女房からはもらった。えっ? もらったっけ? もらってないぞ。 もらった? もし、女房が俺に渡したら、覚えてないと言ったら激怒するはずなのだが、激怒しないのが、俺にはわかっている。女房は、はい、お父さん、とリボンのかかった箱を俺に渡してにこにこする。そして、俺が留守の間にみんな自分で食べる。
やかましいことだ。馬連体位は。
他に何があった。
すけべ心が恋心に変わる不純について考えたということがあった。
すけべ心はすけべ心だけで貫徹しなければいけない。
恋心などというものが、なんとかという歌手も歌ったように、
「むなしいものね」
なのである。空しいだけじゃない、汚いのだ、恋心は。
すけべには実質がある。恋心のように、雪だるまが勝手に転がって太るような勝手な過程はない。すけべは、よろしい。大いによろしい。中年のすけべほどにやさしいものがこの世にあるか。若年のすけべは、新潟で9年も少女を監禁したそうだ。すけべがすべてまかり通っていいわけではない。でも、恋心よりは純だ。
恋。屁!。テレビはそんなことばかりやってやがる。
なにが恋。物乞いの乞いに至ることもない、てめえの自分まるだしの恋なんて、ビタ一文の価値もない。恋! 馬鹿くせえももの極みだ。俺には「乞い」しかわからない。しかし、それは現代では気味の悪いものになる。もっと、気味の悪いものになる努力を積み重ねようと俺はときどき決意したりすることがあるが、俺にはどこかにさっぱりしたところもあって、調合が難しすぎてわからない。
何があったのか、いったい。
何もなかったと言えば、何もなかった。
激動だったと言えば、激動だった。
そうだ、浜田さんから電話があった。今回配布の分に「コテンパン」が含まれていないがどうしたのかとの問い合わせ。「コテンパン」は無料で配布しても問い合わせがないから、無料配布はやめると伝える。もっと、チラシっぽいものだけを無料配布にすることにする。
この数日やっていたとはっきり覚えているのは、2度のセックスと語数別英文分類のみ。無数の泡。無数の泡。無数の泡。
今日までに、ホームページにアクセスしてくれた人、2210人。
もう寝る
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2月18日 金曜日
あああ、疲れた。
昨日は、結構普通に起きた。
お昼過ぎに目がさめた。
それから何にもしなかった。ああ、したことがあった。ホームページへこの日録をUPしたのだ。それをやってる途中で、女房が、あんた医者に行くことになってるでしょうと言ったので、ニコチン切れの俺は「とても少し」激怒した。うるせえな、お前が行ってくればいいだろ、あほ!とそういう調子のもの言いだったが、ああ、いけない、また昔のわたくしに戻ってしまったと大々的に反省して、声を弱くし、おぅ、行ってくるわ、とお返事申し上げ、くやしいから、立ち上げたままのコンピュータをいじるなよと言ったら、わたし、コンピュータなんていじんないよと言う。そうじゃねえよ、お前は電線に足をひっかけるから、気をつけな、と諭した。
医者行って、処方箋代で800円くらいとられた。字を10個くらい書いてあるが、一字80円で売れるのが医者というものか。その値で今月書いたこの日録を計算してみたいような気がした。
医院を出て、伊勢屋とかいう薬局へ行った。店のデザインがすぐれている。さすがに古い町の薬局で、もったいをつけるのが上手なデザイン。店の中に3人女がいた。きれいな女もいて、声もきれいだった。その人は遠くにいて、俺の近くには全然近づいてこないのであった。でも、あんまりそんなにきれいとも言えるほどではないかもしれないくらいの、とても中程に近いかもしれないと言えば、ほめているのかけなしているのか、ニコチン切れの者の思考が右往左往するのは常道として、そんな女の人が、きれい(で)な(い)声でニコレットの使用法を説明してくれた。なんだかんだで1万5千円とられたぞ。一週間分の禁煙代金。医者には内緒だが、処方箋代を節約するために、うちは夫婦で禁煙するのだ。二週間分は一週間で終わる。
パソコンいじりを中断してせっかく稲荷山へ来たのだ。そのままパソコンへ戻る気にならない。やじろべえへ行く。フォルクスワーゲンのなんとかワンだか、なんとかファーストだかいう車が止めてあって、小山さんとお客さんはずっとその話。あああ。いいものはいいというのもコンプレックスになる。むちゃくちゃむしゃくしゃ複雑な気持ちがした。アメリカコンプレックスより、ドイツコンプレックスの方が真面目だ。俺も何かドイツのもの持ってるかと今考えたら、ぼたぼたインク漏れのするモンブランを持っていた。なんぼのもんじゃい、今時のドイツが。ヒットラーの頃のドイツの方がまともだ。思想はいつもキチガイざただが、ただ今現在だけ、そんなものを放っておいて、品物に限れば、昔のドイツがいいのだ。
(思想なんぞにかかずりあって、無惨なところへおちこまずにいられる人の数はどれほどもいないと思う。)
フォルクスワーゲン。神話。この種の神話がどうにも好きになれない。
脈絡がない。考えることが脈絡がない。その脈絡のなさは、この文の道行きにも今反映しているはずだ。(普段の脈絡のなさと質的に違うことに気づいている人はおそらくまわりにいない。)
家へ戻ったら、もう「おしぼりうどん大会」に近い時間。しかし、パソコンの続きをやる。UPしようと思っていたのの半分だけ済ませた。松本さんにヴィソウツキーのCDをあげることになり、自作中の現場へ行く。東山も見たいというから後ろの狭い席に押し込める。千曲の河原をどかどか走ってから現場に行くことにしたが、石ころの上を跳ねている分には問題なかったが、砂と泥の混ざった場所の段差で四駆が効かなくなった。押しても駄目。東山がギヤをバックに入れろ、その方がいいよと言う。その通りにしたら、すぐ抜けられた。あいつはミューに乗ってたから四駆を知ってる。昔の男がジムニーに乗ってたとも言ってた。
現場は松本さんがやたらほめてくれる。
ヴィソウツキーのCDみつかる。
帰宅。その後のことは思い出すだけで疲れる。やたら楽しかったのは確かだ。途中、深酔いして、たばこを一本吸ってみたが、非常にまずいので、どんぶりの中に唾を何度も吐いた。
ナカピロンがとても哲学を言っていた。
ソノエさんの娘が、やたら明治の文学を語った。
浜田さんが、この娘をていねいにていねいに扱って話してあげていた。
田中ケーコさんは、酔わせると絶品に変わることが判明。
荒井さんにキスしようと三度試みるもすべて失敗。
荒井さんが俺の顔に筆ペンで落書きをした。写真にとったからいずれ麗々しくホームページにお目見えさせちゃおうかと思案中。
とにかく面白かった。
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2月20日 午前6時50分
2、3時間ほど寝て目が覚めたのが、昨日の午前中だったが、いつ頃だったか。そのまま塾に突入。主に「技法グラウンド」を担当する。途中、猛烈に眠くなり、午後8時頃寝入る。起きたら10時過ぎ。妻が一人、ビデオで映画を見ていた。そのまま眠れそうだったので、布団まで這っていき寝る。起きたのが、午前1時25分だが、針が25分のところを指しているのを読み間違えて、5時5分だと思い、良く寝たと思って起きた。起きてもう一度時計を見たら、よく寝たわけでないと判明。頭のボケ具合からすると、やはりよく寝ていない。
ニコチン切れで体が驚いているのだろうか。
細切れにしか眠れない。
夜、メールの返事を書いて朝になる。メールはためると駄目だがどうしてもためてしまう。朝、腹減る。スパゲッティをゆでた後、蕎麦をゆでた後のやり方で、冷水で冷やして洗っている自分に気づく。ねぼけて、洗ってしまったのだ。まあ、食えるだろう。煮付けの残り物を半分混ぜ、醤油マヨネーズで行こうかと思ったが、思いつきで生卵を混ぜてみた。泡だつのがいまいちだが、生卵と醤油とでもスパゲッテイは食える。ごはんに生卵と醤油で食えるのだから、スパゲッテイでも食えるだろうという乱暴な推測だが、やはり食える。そんなにうまくはない。しかし、うまくなくて、食えるものというのが俺の食生活の多くを占めるわけだから、つまり、今朝の生卵醤油スパゲッテイというのは、俺の普段の食事の一員としてきちんと役目を果たしえている。
KAOKIさんからメール2通。大西さんからメールなし。加代ちゃんからメール。必要な半分だけ返事書く。体力が追いつかない。
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2月22日 火曜日午前6時15分
日曜日にだったか、Kさんという人から電話あり。以前に、俺が川西へまいたチラシを見て、そこに書かれたものがその通りだと感じたので、教室を見せて欲しいとのこと。今日午後8時過ぎ見える。10時過ぎ、教室を終えて話しているうちに、N工業に出向しているI商事の社員であることがわかる。これまでドイツ語をやったことがあるが、ドイツから帰国以後、英語の力が落ちているとの自覚があり、英会話学校のNOVAに行ったそうだ。そんなところで力はつきはしなかったとのこと。教室の上級のクラスの生徒は、NOVAのやり方なんかでどうにもなりはしないことは皆知っていると言う。単に生徒として俺の教室を使いたいということかと思って話しているうち、俺のやっているシステムがI商事が扱う商品のひとつになるのではないかと考えていることがわかった。ともかく、来週から教室を使わせてくれという。つまり自分で使って、どういうシステムか調べてみたいということらしい。来週から来てもらうことにする。
I商事のもうけが出るやり方で、俺のシステムがI商事と組むなら、どんなやり方があるだろうと考えるが考えが漠然としたままだ。これまで、一介の英語塾としてやっていくことしか考えていなかったからだ。
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基本は、データベースの蓄積であること。蓄積されたデータベースは公開され、ネット上で誰でも利用できること。しかし、「音づくり」に関しては、データ蓄積とは別の手間がかかる。そこで利益が生じるべきであること。そこまではすでに考えたことだ。
「音づくり」に関しては、日本人向けに特化した、アーティキュレーション用テキストと視覚教材が準備されるべきこと。特に、l,r,th,ae,
など、英語特有音が、アニメーションでパソコン画面上で見えるようなソフトの開発。これらの発売で利益が生じること。そのあたりをI商事にやってもらえればありがたいが、相当大きなパイがすでにあるのでなければ動くことはないだろう。
俺が考えているインターネット上でのテキスト公開部分については、著作権は主張しないし、世にあふれている How
are you doing? やら、I have had a headache
since last night. の言い回しに著作権の問題が生じるわけもない。しかし、語数が増えてくると、著作権の問題の生じる文が含まれる可能性が出てくる。このあたり法的な問題をクリアすることも、I商事にやってもらうと、データの蓄積自体にも好都合。村田君が探してきたドイツのサイトであったか、著作権が切れた英文のテキストのみを掲載しているものがあった。URLを忘失したが、ああいうところから、現代英文を採取すれば、語数が増えても著作権の問題はクリアできるかもしれない。
Iと組もうと組むまいと、語数による英文の分類は自分で継続するつもりだが、このデータを字数による分類によって、組み直す作業をIがやってくれれば、さらに跳び箱の段数が細分化できる。
語数が増えてくるに従って、入力の手間が馬鹿にならない。これを、Iの金を使って、複数の人間の入力、あるいはスキャナによる入力をOCRにかける方式の入力に切り替えて、語数別による英文のデータベースを巨大なものとすべきこと。あるいは、大学の研究室などの協力を得て、俺を越える英語力のある人に監修を頼むこと。入力量をどんどん増やしていくこと。
これまでは、俺一人が蓄積できるデータ量でいいとしか考えていなかったが、Iと組めれば、はるかに膨大なデータベースを育てられること。これを、インターネット上で単なるプレインテキストに近いものとして公開すること。ここまでなら、どこでも語数別分類、あるいは字数別分類に目を付ければ、できてしまう。ここまでのアイディアなら、きわめて単純であること。
このアイディアの誕生場所は、俺のホームページであることについては、データを転載する人には、クレジットの記載をしてもらうつもりだ。「語数別分類は、素読舎(根石吉久)の発案によるデータベース」です、というクレジットを入れてもらうことにする。
このデータベースは文字部分に関しては、公的図書館のように、誰でも利用できるべきものであること。だから、このデータベースをいくら膨大なものにしていっても、ここから利益は生じないこと。
活字の本などのように、固定化したら改訂版を出す以外にテキストを変更できないものと違い、電子化されたテキストなら加除はきわめて容易であるから、データベース全体を絶えずシェイプアップすることは容易であること。日本の語学の資料として育て続けるべきものであること。
(ひとまずは英語のデータベースを作り、順次他の外国語のものも整えていくこと。その手順を知った人間がいれば、それをIの仕事とすることもできること。それが何語であれ、語数、あるいは字数による分類はどんな言語でも可能なわけだから、良質のスタッフさえIが用意してくれれば、このデータベースは育つ。しかし、そんなところに商社が金を出すだろうか)
次に、原データベースを、語法で串刺しに検索し、育っていく原データベースから、絶えず語法別データベースが生成できるものであること。語法別データベースがかなりなものになったら、ようやく文法事項別データベースが生成すべきであること。しかし、スタッフがこれらを理解できるならば、比較的短時間にでもデータベースの原型は整うこと。
データベースの生成順序。
1. 語数(字数)別、英文分類。
2. 語法別、英文分類(グループ化)
3. 文法事項別、英文分類
なぜ、最初に語数(字数)別分類があるか。長年、英語塾をやっていて、ある語数に至ると、日本人は急に英語の語順による考えがたどれなくなることに気づいたこと。初心者では10語を越えるととたんに困難が生じること。俺の個人的なきっかけはそういうものだが、この分類によって、基礎データが育つことの方が意味は大きい。俺自身は、「音づくり」にからめて使用していくつもりだが、この基礎データは人によってはもっといろいろな使い方ができるだろうと思われる。
なぜ、2番目に語法別分類が来るか。語法は、まだ意識にとって具体物であること。理解をともなう慣れを作るのにこの過程が必要であること。
文法がなぜ最後に来るか。もっとも抽象度の高い理解。しかし、それも最後は直観化に持ち込むべきものであること。俗論と違って、文法理解は、日本語で生活する人には不可欠であること。しかし、順序として最後に来るべきであること。
これらのいずれもが、「音づくり」のためのテキストとして利用でき、インプット用、あるいはインプット済みのものの錆落とし用に実用できるものであるべきこと。
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一般にどう知らしめるかの問題がいつも残る。しかし、学校も駄目、進学塾も駄目、英会話学校も駄目の駄目駄目三位一体は今も私の仕事への、マイナスの応援団であるが、禍を転じてどのように福とするかは、一英語塾にはいつも難しかったこと。I商事を使えるなら使いたいのはこの理由であること。すでに駄目駄目三位一体を知っている人口は、日本では決して小さなものではない。
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1.「音づくり」を通じたインプットであるべきこと。
2.理解したものが、音として体に残るべきであること。
3.体に残した音の錆を落とし続けること。
駄目駄目三位一体(学校、進学塾、英会話学校)がこれまで欠いてきたものは、こちらの三位一体だ。この三位一体は、個人が自分に対して行うことでしか成立しない。「駄目駄目三位一体」に対して、「ひとりだち三位一体」とでも名付けておくか。
「ひとりだち三位一体」は語学をものにした人の体には必ず働いていたものであるが、それをこのように三位一体で取り出した者は、俺が目にした限りではいない。
日本人が、あるいは日本人の子供が、欧米のシンタックスを体に入れることがもたらす精神や文化の分裂が想定されること。この点で、もっとも安全な方法は素読であること。「からっぽ」のままが全的に肯定されるべきであること。からっぽのままに増やし続けた単語、語法、英文が、英語圏の磁場に置かれればただちに充電が始まるだけの「質」の確保があるべきであること。
語学の言語が「からっぽ」であり、「からっぽ」のまま保持される間のことを語学というのであること。生活言語は、すでに語学ではないこと。ここに、一本の線を引かないと、語学は理論としては基礎づけることはできない。
最終理念。語学は、「からっぽ」の電池を無数に作りつづける過程そのものであること。生活言語と語学の言語は厳密には区別できない。にもかかわらず、この区別は置かれるべきであること。
「からっぽ」のままでいいということを、どれだけ一般に納得させることができるか。難題である。
しゃべる能力を作るのは一種の反射神経づくりであり、好みを言うなら、俺は決して好きではない。しかし、世の需要はみんなそっちを向いている。3種のデータベースのうち、「1」についてのみは、乱数を発生させ、生徒の復習範囲について、30〜50個数の英文がランダムに並ぶテキストを作るべきこと。これによって、反射神経づくりはできる。まだ、インプットの領域にとどまったままの反射神経だから、反射神経の熟成過程とでも言えばいいのか。モノローグとしての反射神経。ひとりごと。
しかし、語学は「ひとりごと」だ。ひとりで行うべきであるという意味も含めて、「ひとりごと」だ。初めから、ダイアログの原理を持ち込んだ語学は欧米語と日本語の間ではことごとく失敗するだろう。
初めからダイアログで始まるのは、ネイティヴ言語だけなのだ。ネイティヴ言語獲得過程は、決して語学ではない。
欧米のオリジナリティ文化をネイティヴ言語に対応させれば、日本のまねごと文化は、語学に対応するだろう。だから、本当は日本人の語学に対する才能は潜在的には非常に大きいはずだ。それが、なぜこんなにも無惨なものになっているのか。近代の語学理論(といっても、そんなものをろくに読んだわけではないが・・・)が、「からっぽ理論」を欠いていたためだとしか思われない。
民俗学の「採集」の方法にならって、語学に関する考察のまともなものを採集し、引用し、データ化すること。そういうページもいずれは作りたいが、手間と金がない。「採集者」が現れてくれればいいんだが。作業は、正確にデータを打ち込むことと、著者名、書物名、雑誌名、出版社名などの付記。こういう仕事は、一介の私塾にやれることではない。生活にかまけることから解放されなければできはしないのだ。
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生徒が新しい文の獲得に進むべきか、復習範囲の復習だけを行うべきかの判断は、乱数が生成する英文の並び順でテストを行い決定すべきこと。「技法グラウンド」で行う必要もない。「技法グラウンド・3」でテスト自体はできるだろう。テストをパスした者は、「技法グラウンド・5」で新しい文の獲得練習にに入る。パスしなかった者は、「技法グラウンド・7」で復習範囲を扱う。
原データベース(語数あるいは字数による英文の分類)の変更を、そこから派生する二次データベース、三次データベースの変更によって生じる変更としてどう反映させるかの問題はある。
データベースは完成される時点がないこと。語数による英文分類は、実は終点がない。
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・データベース自体は、教材販売会社としては成立しない。文字部分に関しては、公開し無料で誰でも利用できることが前提。これを呑むのでないかぎり、いかなる会社とも組むことはない。しかし、現在、根石が吹き込んだテープとしてあるような、音声教材の販売会社としてなら成立しうること。文字データから派生する教材については、商用利用はかまわないはずだ。テープがいいのか、MDがいいのかCDがいいのか、メディアは考慮すべきこと。
・「音」の扱いに関しては2段階を踏むべきこと。
日本にだけ在住し、英語の音を鍛えた人、あるいは日本語だけで育ち、その後、英語圏で生活し、英語の音を身につけた人、つまり、ベースに日本語の音がある人が吹き込んだ音声教材を作るべきこと。
・まったく同一の並び順で、ネイティブの音で吹き込んだ音声教材を作るべきこと。
・分量は、いつも「技法グラウンド5」に準ずることとする。
・ベースに日本語の音を持った人の吹き込んだ音声教材は、ネイティブの音を瞬時につかむための「橋渡しの橋」としてきわめて有効であること。ネイティヴ音をあがめる馬鹿はいくらでもいるが、「橋」の必要性をきちんと考える者がほとんどいない。日本の語学は淋しい限りだ。
・ひとまずは、音声教材によって、利益を生じさせるしかないだろうが、本当にIが話に乗ってくれるなら、このきわめて単純な原理によって成り立つデータベースから派生する商売は種々雑多にありうるはずだ。
・「外国語の語数別分類」。
・「外国語の字数別分類」。
言ってみれば、ただそれだけのことなのだが。
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・初級・中級・上級の概念が撤廃しうること。これらには実は実体はあるものの、これらの概念を学習者が持つことの弊害があること。
・語数(字数)別分類のデータベースが育てば、その撤廃が成り立つこと。初級・中級・上級はシームレスになり、自分が何語から成る英文にアタックしているかという基準しかありはしないこと。
・インターネット上の教材は、2,3に関しては、根石が作成してもいいが、上質の英語学者あるいは高等教育を経たネイティブと根石が接触しうること。気心が知れて以後は、メールによるやりとりでいいこと。
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・きわめてゆるやかな上達の方法が準備されるべきこと。
・だから、音声面の指導による価格が高ければ続かないだろうということ。
語学自体を利益の柱にしようとすると、ここが最大のネックになること。
・インプット量によって、使えるアウトプット形成の場が制限されるべきこと。
・英語を使うことが、「よちよち歩き」以後、「一人闊歩」以後の人には、旅行会社などとアイアップしての語学研修が有効であること。このように、商売を派生させるなら、利益の生じさせる余地あり。そういう見方でI商事が見てくれるかどうか。
・特化された旅行などもある。このごろでは、「ガーデニング」のパック旅行などもある。ほとんどの人が目で見て帰ってくるだけをしているだろう。話ができたらどんなによかったかと思っている人だっているだろう。だったら、ただちに、「園芸」の英語を、語数別に分類してデータベースを作ることに着手しうること。「コンピュータ英語」なり、「貿易英語」なり、ジャンル別に、語数別分類、あるいは字数別分類が育っていけば、最初にモチベーションを持った英語の力が育つ。しかし、そんなことを俺個人の力でどうにもできはしない。ここまで来れば、語学がひとつの文化を形成し始める。個人のやれることではない。
・インプット回路の形成が、素読舎の開発してきたノウハウだということ。
練習過程の細部の決定権は素読舎にあるべきこと。これは、職人として手放す気がない。
・アウトプットの回路形成の場は、アウトプットの回路形成の場として、幼稚園、私立小学校、私立中学などによって整えるべきこと。最終的には、喫茶店、酒場もアウトプット回路形成の場になりうること。これらの場には、英語の話せる日本人(帰国子女など)や、英語ネイティヴの最低二人がいればいいこと。この二人が、絶えず客からインプットされたものを引っぱり出し活性化させる(アウトプットさせる)ことが仕事であることの自覚を持っていること。つぶれそうな喫茶店や酒場をとりこめること。そのあたりにも商社の利益の生じうる余地あり。
・と、そのように誇大妄想してみても、先立つものはインプットだということがいよいよ判明してくる。これがしろうとさんやしろうと先生たちにはわからないのだ。
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以上、酔った頭での妄想。まだ、海のものとも山のものともわからない段階だが、一応考えられるだけのことを考えておく。HPへのアクセス2252。
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2月22日 午後1時5分
いろいろ考えるが、WEB上英語塾は、文字データ自体は著作権を放棄して公開するので、利益の生じうるところは「音作り」の過程のみ。アウトプット回路の形成は、いずれ必要になるとしても、先行すべきはインプットの回路形成の方法の確立。このインプットの過程は、「音作り」の過程そのものであるから、この過程で利益を生じさせる以外にない。
一人でWEB上で英語塾をやっていても、データを太らせることの労力に限りがあること。私と妻とだけで、電話でレッスンを受け付けていっても、受け付けられる数がきわめて限られること。生活費を稼ぎ出すだけのことなら、それで十分だとも言えるが、それでは、学校、進学塾、英会話学校の無能の三位一体(駄目駄目三位一体)をうち倒すことはできない。やりたいことは、生活費を稼ぎ出すことではない。あれらの幻想商売の実のないことを明らかにすることこそがやりたいことなのだ。
「音作り」のノウハウは、練習そのものによって身につける。そうして身につけたノウハウによって、先生になってしまうこと。これまでの学校のような先生は先生、生徒は生徒という区別をなくしてしまうこと。つまり、この程度まで練習が進展した生徒は、この程度までの生徒の面倒が見れるという基準を設けること。そして、どの生徒も練習さえ進めば、誰でも先生になれること。どの時点で、生徒が先生となるかということの基準の設定が必要になること。
組織は、建物を必要としない。
必要な機材は電話と、インターネット接続されたコンピュータ。その他にはただ英語力のみ。
ただ、「センセイ」「せんせい」「先生」くらいの区別は設けるべきか。「センセイ」も「せんせい」も「先生」も全員生徒だ。実際、素読舎はそうやってきた。村田君が「せんせい」で俺がひとまず「先生」だったとすれば、その二人とも自分の勉強は自分でやってきたのだ。俺の考えるシステムの中には「センセイ」やら「せんせい」は発生するし、それは必要なことだが、どの人にも必ずあてはまる根底的な身分とは「生徒」であることだ。この場所から、資格商売のセンセー達を笑うことだってできた。「生徒」であることをやめたセンセーとは何か。その者たちをこそ、幻想と呼べ。
・「センセイ」「せんせい」「先生」の区別は、生徒としての練習の進度の1〜10語、11〜20語、21語〜30語にそれぞれ相当させればいい。
日本在住であるかぎり、日本語が日常言語であるかぎり、一度獲得した英語もどんどん錆び付くという一事がある。これを防ぐには、いつまでも生徒だけをやっていたのでは駄目で、何らかの形で英語を使うか、日常的に職業として、あるいは副業として、先生をやる必要がある。絶えず人の面倒を見続けていることが、そのまま自分の復習になる。英語の錆び付きを防ぐにはそれが最良の方法であること。
電話代は生徒が負担すべきこと。シャベリッチ等の電話会社のサービスの選択は適宜行っていただくこと。
最初しばらくの間は、生徒しかできないが、最低6語から成る文に慣れたあたりから、センセイとしての資格が自動的に生じる。
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(インプット&シャフル)
公開されたテキストの順番通りに「技法グラウンド5」で練習を進めることを、ステップバイステップと名付けるとする。
ステップバイステップがいくつ進んだら、50個数程度のランダムのチェックを受けるかという基準を設けること。発生させた乱数でソートし、ランダムな順でチェックをすること、これをシャフルと名付けること。
暫定案。
ステップバイステップで100の文が終了したら、前半50の文をシャフルする。(1−100のうち1−50。51−150のうち51−100。101−200のうち101−150など、以下同じ)
シャフルは70パーセント以上クリアすれば受験資格獲得とする。受験資格を与えられた人は、受験希望日時、氏名、電話番号を根石にメールする。根石はメールにより、実際の受験日時を調整する。シャフルの合否は、別の乱数発生により、ランダムに「技法グラウンド3」を行い判定する。80パーセント以上クリアを合格ラインとする。
受験資格獲得に至らない者に対しては、先生は、「技法グラウンド7」を行うべきこととする。
先生により受験資格を与えられた者が、シャフルに不合格となった場合は、不合格者一人につき受け取るべき月額を1割減ずる。
先生としてふるまえる教材の範囲は、どの参加者にとってもシャフル合格によって構成される。
シャフル合格認定者は根石あるいは根石が指定した者による。ここの質が崩れるとすべてが崩れていく。
ステップバイステップの先生は、プラス5語数の同じ番号まで終了している者であること。例えば、1語の文の200番までのチェックができる人は、6語の文の200番までが終了している人であること。同様に2語の250番までをチェックできる人は、7語の250番までが終了している人であること。3語の文のチェックは8語の文の同番号までが終了している人であること。
先生の資格は自分のシャフル合格の進展度により、自動的に発生する。先生の名前と、発生した有資格範囲は、根石のホームページ上に公表する。
申し込みは、根石が一元管理する。また、チェック資格の推移も根石が一元管理するものとする。
根石は、シャフル合格認定者の指導を専任する。また、WEB上データベースの総合責任者となる。
必ずしも1語の文から練習を始める必要はない。適当な語数から始めるので構わないが、先生としてふるまえる範囲を獲得するためには、シャフルによるテストに合格すべきであること。練習が継続されていること。
練習を継続することをやらない先生ほどたちの悪いものはない。それならば、学校という場所に多数棲息しているが、こと語学に関してはたちの悪い者たちだ。先生としての質は問われるべきだが、それは生徒としての(つまり、練習力としての)質によって決定されるべきだ。この一点で、世の中はひっくりかえっているのだ。
俺が描いている幻は、塾の偏在だ。どこにでも、無数に発生する塾。それを支えるのが、一つのデータベースであるべきこと。
「技法グラウンド」1回30分。週一回。月額1万2千円。これを3分割する。根石に3分の1。ステップバイステップの「音作り」の先生(その後のシャフル受験資格授与者)に3分の1。I商事に3分の1とする。
途中から、先生がやれるので、必要なお金は初期だけで済む。自分がろくな練習をしない人は、いつまでもお金がかかる。激しく練習する人は、収入が得られる。ここをどんぶり勘定でなく、お金が動く方式で立てるべきだ。そうでないと、あれらの英会話学校のふりまく幻想がどれほど高価な幻かをはっきりさせることができない。どれほど、人々が学校に使ってきた税金が無駄なものであるかをはっきりさせることができない。
人数が増えてくれば、根石の生活費は、素読舎本体でなく、「電話でレッスン」による「技法グラウンド」や、シャフルのスタッフを育てることで得られるかもしれない。生活費以上の金は要らないのだから、余分に生じた金は、いいスタッフを得てデータベースを充実させることにそそぎ込めばいい。
データベースの原型は根石が作成する。
I商事の作成する音声教材、アーティキュレーション用アニメ教材等の監修は根石が行う。あるいは、根石が作成し、信頼できる大学の先生に監修してもらうのでもいい。これは、日本語の音にも詳しい先生でなければ駄目だから、日本人であるべきだ。
I商事は、広告、データベースの充実。必要な音声教材等の作成。データベースのネイティヴチェック等を受け持ち、全生徒に教材を配布する。
自分の練習箇所が15語以上、先生としてふるまえる範囲が10語以上となった人は、よちよち歩きながら職業として成り立たせることが可能なレベルに達しているかもしれない。素読舎での研修を行った後、シャフル実施者の候補とする。その場合に、システムの稼働の伝達は、素読舎で素読により行う。使用するテキストは根石が作成する。あるいは、この伝達自体も、電話でレッスンし、シャフルにより身につけてもらう。
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以上、その後、やじろべえでコーヒーを飲みながら考えたこと。あくまでも暫定案であり、今のところ妄想に近い。
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2月23日 午前9時35分。
いまだ、ニコチン切れによる、睡眠の細断おさまらず。それでも、ゆうべは5時間ほどは続けて眠れたか。朝7時に起きる。
その前は1時間ほどで目がさめ、その後丸一日起きていようとしたが、途中でどうしても眠くなり、2時間ほど寝た。1時間、2時間、3時間程度のこまぎれの睡眠だけによって、この1週間ほどを暮らした。
岡沢加代子さんから、小学館文庫の筆字届く。少し、筆がのびのびしてきている。明日、まとめて小学館へ持参することとする。
大西さんからメール。朝3時までの仕事が続いているそうだ。小学館は社内に寝る場所を持っているのだろうか。どこもすごいことをやっている。
昨日は、起業の妄想で一日つぶれる。女の妄想で一日つぶれるのと比べれば、妄想ははるかに安定した地盤を歩くのでよろしい。途中、やじろべえでコーヒーを飲んだが、単にもうろうとしていただけ。妙に神経が立っているので、もうろうとしているが、そう見えないだけだろうと思う。中身はもうろうのみなりけり。
やじろべえの教室の生徒は、近頃気が抜けている。やはり、早急にシャフルの導入が必要だろうと思う。西沢さんが、一段目と二段目の練習をやらず、三段目から調べてくれと言うので、それなら、浜田さんの奥さんと入れ替わってくれと言い、並ぶ順を変わってもらう。今日の「ゆいまある」からもうさっそくシャフルを使いたくなる。村田君に作ってもらった乱数発生用の123のファイルをいじってみるがどうもよくわからない。ちょっと来てもらって、今日の分をつくってもらおうと電話するが留守。
留守番電話に、デニーズで飯食っているから、携帯に電話くれと入れて、デニーズへ。
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2月24日 朝5時10分
昨日、デニーズにいる間に村田君から電話。123上で、乱数を発生させる件について、ちょっと来て教えてもらえないかと依頼。1時、村田君来る。マクロなど使用せず、もっとも単純な手順のものを教わりメモする。これを使って、「ゆいまある」で使用する分をさっそく作る。教わった手順通りやると、すぐに終了した。プリントアウトして持参することにする。
その後、英文の語数別分類やる。炬燵にいるせいか、だんだん眠くなる。そのまま炬燵で寝たら、「ゆいまある」の教室の時間がやばいので、「やじろべえ」に行きコーヒー。寝不足のせいで、やたらに口が軽く、回りの人はげらげら笑うのだが、あっしはとても体がきつい。
やじろべえを出て、ゆいまあるに向かう。用心しながら車を運転する。少し時間があったので、T−ZONEへ。ソニーのノートパソコンが店を入ったすぐのところにあった。小学館の話が本決まりになったら、ノートパソコンを買うつもり。今日は、ホイール付きマウスとマウスパッドのみ買う。炬燵板の上で、直にマウスを動かしていたら、すぐにマウスのボールが汚れるので、マウスパッドは必要。マウスは1700円の安物。パッドも400円の安物。
「ゆいまある」で、ランダム関数で英文の順番を入れ替えたものをさっそく使う。ほとんどの人が「抽出1〜5」はクリアした。次は「6〜10」をテストしますからと申し伝える。一人に対し、10の文を使ってテスト。7つの文がOKならいつも通りの練習に入り、OKでないなら、その復習範囲を使って復習のみ行う。これを、少しずつ「電話でレッスン」の抽出にも適用させていくことにする。「ゆいまある」「やじろべえ」は、お金にはならないが、新しい方法を考えたらすぐに適応することができるのがいい。これで、試しておいて、「電話でレッスン」などの方法を練り上げていく。
ニコチンガム「ニコレット」をじっと噛んでいるせいで、口の筋肉がくたびれすぎていて、うまく英語が発音できない。このガムのおかげで、咳は本当に少なくなった。
ソニーのノートパソコンは、デザインが俺には合わない。東芝にするか。IBMのやつが安くなっていると、仏円さんに教わる。IBMでもいいかもしれない。20万円以下で、バッテリーの性能が一番いいやつにすることになるだろう。
もうろうとしながらも、「ゆいまある」教室無事終了。橋詰さん休み。
山賀さん、山奥さんと話をしてから帰宅。少し頭がはっきりしてきたと思ったが、篠ノ井あたりでまたもうろうとし始める。なんとか帰宅。
「ゆいまある」教室終了時に新しいガムを口に入れたが、そのきりで11時頃、眠りに入る。眠る前にガムを補充しなかったのがまずかったか、夜中3時半頃に目がさめて眠れなくなる。やばい。今日の夕方、小学館へ行き、大西さんに会う。その頃が一番もうろうとしてくるだろうと予想される。また今日一日も鍋でぐつぐつ煮られるような状態で、ぐたぐたにもうろうにてそうろうかも知れず。やはり、眠れない。買ってきたマウスを試してみる。WZエディタだけ使っている分には、それほどのありがたみは感じないが、まあ、徐々に慣れていって、デスクトップ用に安物でないやつを買い、表計算で教材の英文を管理するような仕事になれば、使いものになるだろう。どうしよう。今、朝の6時前。語数別分類でもやって、マウスに慣れるか。
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2月26日 土曜日 午前7時5分
24日は、夜中3時半に目をさまし、そのまま10時まで炬燵でパソコンをいじり続けた。その間にメール、英文語数別分類。10時に屋代駅発。上田で15分ほどの待ち時間。新幹線の中で、酒を飲むべきか、コーヒーを飲むべきか迷う。1時間半で東京に着くので、寝ても大して眠れるわけではない。コーヒーを選ぶ。
水道橋。なつかしい。しかし、スイングのあった建物はなくなっていた。三角のビルに変わっていて、一階はマクドナルド。村上春樹と一緒にスイングというジャズ喫茶でバイトしていたのだとわかったのは、村上春樹が新潮文庫の新刊案内に写真入りで名前が出たときだった。あれ、どこかで見たことのある人だなあと思って、ああ、スイングの時の村上さんだと思い出した。当時、村上さんは早稲田の三年か四年だった。俺は早稲田の二年だったような気がする。同じ学校ですねと言われ、ああ、そうですねと答えただけだった。俺は学校にはほとんど行かなかったから、学校で会ったことは一度もない。村上さんは、口数の少ない人で、小説を書いているとか、書く気があるようなことは一度も聞いたことがなかった。村上さんはあまり背が高くないが、すごく背の高いきれいな女の人が、ときどき店に来た。奥さんだと聞いたか、恋人だと聞いたか忘れた。お互いに心事には立ち入ることは何もなかった。時給150円の安いバイトだったが、店がハネるのが夜の11時頃だったか。その後は、飲み物や食べ物はバイトの連中で好きに持ち出して飲み食いできることになっていた。好きなレコードをかけて、店のメニューから好きなものを勝手に作って食べる。たいていいつも1時間程度はそうしていたはずだが、村上さんと何を話したか何も覚えていない。ほとんど何も話さなかったのだ。ただ、ジャズのレコードを一緒に聞いていただけだったのだろう。当時、俺は誰ともほとんど何も話さなかったのだから、村上春樹と話したことを覚えていないのも当然だ。村上春樹よりも、俺はもっと口数が少なかった。この世で話すべき何があるかと思って、病気のように口をきかずに生きていた。
半地下のスイングのあったところに一番近い、橋のたもとから下を見ると、大型の鯉が13匹、ひなたぼっこをしていた。ほとんど動かないので、楽に数えられる。当時より、この川の水は少しきれいになっている。
神保町の方へ歩く。途中で帽子を買ってかぶる。スイングのあった建物は根こそぎだったが、白山通りを歩いていると、神田という町の変化のおだやかさがいい。当時とはかなり変わっているが、当時につながるものがそのままあったりもする。古本屋のある大通りを少し歩き、そのひとつ裏側の通りに入り、ビル工事が放置されている場所に日が当たっていたので腰を降ろし、「真田御膳」を飲み物なしで食う。上田で買って、その後腹が減らないので持って歩いていたもの。食ってみたら、うまい。その後、その裏側の通りを神保町の交差点の方へ戻る。「さぼうる」という喫茶店から岡沢さんに電話。「さぼうる」は、店が混んでくるとやたらに席を変わらせられる。都合4回変わった。
岡沢さんが来た頃から、もうろうが始まる。べらべらしゃべる。寝不足とニコチン切れで、心が不安定になっていて、やたらべらべらとしゃべる。三十年近く前、ほとんど毎日来ていて何もしゃべらずにいた町で、今はべらべらとしゃべる。どちらの状態の病気が深いのか。切れてしまったものは、アジアの農村の根というようなものなのか。
3時頃か、大西さんに電話。印刷関係でトラぶっているので、少ししたら行くとのこと。やがて、見える。メールで何回もやりとりしてあったので、問題点ははっきりしている。タイトルは、「英語のやっつけ方」の方がいいとの考えは、編集長の考えというよりは大西さんの考え。編集長が、「英語どんでん返し」が駄目だというのは、そのタイトルでは内容がわからないからとの理由。俺が「英語どんでん返し」を提示したのは、「英語のやっつけ方」では、ハウツウ物の臭いがするからで、今回の文庫書き下ろしの部分は、ハウツウから抜けてなるべく遠くまで歩いてみたかったからだ。
要するに、「英語のやっつけ方」は大西さんの案。「英語どんでん返し」は俺の案。編集長は、駄目を出しているの図。メールのやりとりの最後では、「英語のやっつけ方」でもいいと俺が妥協した。そこまで煮詰めた上で、上京したのは、岡沢さんと大西さんに会ってもらい、今後、カバーデザインの仕事をすすめる上で直接にやりとりできるようにするため。なるべく多くの時間を岡沢さんに割いて欲しいと大西さんのメールにも書いておいた。
筆字をかばんから取り出す。ハーフトーンの模様にして使うのなら、字と字がくっついていてもかまわないが、そのまま、墨と白で強く出す場合は、読みやすくないと駄目とのこと。ハーフトーンの案が大きく浮上する。これは岡沢さんが最初に考えたもの。今回の収穫のひとつ。
その後、大西さんは印刷関係のトラブルの処理に小学館へ戻る。「さぼうる」を出て、美学校へ行く。15分ほどいた。岡沢さんは刷りを少しやりたいとのこと。俺は、白山通りの「白十字」という名曲喫茶で寝ることにする。名曲喫茶という割には、スピーカーが商店用のボウズ。ろくな音が出ていない。寝るには関係ないが、人の話し声が近くの席でしていて眠れない。少しうとうとしていたら、大西さんから電話。小学館まで来るようにとのこと。岡沢さんに電話。マツモトキヨシの角で待つことにするが、寒いので隣の中古CDの店で待つ。
白山通りを歩く。途中、帽子が風で飛ばされ、車道へ転がる。信号待ちの車の中へ走り込み、拾ってくる。
小学館の裏口で待つつもりでいたが、上まであがって来いとのことなので、文庫の部門まで行く。小学館の建物はさすがにでかい。警備体制なんかが新聞社みたいですねと岡沢さんが言った。彼女は長野でデザイン事務所に勤めていた頃、新聞社に出入りしていたことがあるのだろう。
5階へ着いてすぐに、字数を調整したものがレーザープリンタから出て来た。ページ数は、3分の1ほど減るので、削除する作業は要らなくなるだろうとのこと。有り難い。「塾長」と「弟子」という字は、本文より一字分だけ飛び出すようにするとのこと。その辺はおまかせする。
さて、行きますかということになり、また水道橋の駅の方まで戻る。ただついていっただけなので、どこの何という店かわからない。刺身と焼き魚をごちそうになる。鯛の刺身と太刀魚の焼き魚がうまい。酒がうまい。もうろうと話す。寝不足、ニコチン切れ、酒。初めての店。人が俺の顔をちらちらと見る。目をあげると見ている人がいる。要するに俺の風体が異様なのだ。いつものことだ。途中、どうしても吸いたくなり、店のかみさんにたばこを一本もらう。何時頃まで飲んでいたのだろう。打ち合わせのことが出るかも思ったが、ほとんどよもやま話で終始した。よかった。もうろう状態が限界近くまでいっていた。
店がハネるまでいた。岡沢さんはまた工房に戻り、大西さんはまた小学館に戻るとのこと。店の前で分かれて、水道橋の駅へ。途中、金網にぶつかる。できあがった千鳥足。水道橋の駅で便意をもよおし、便所に入り、尻をまくったまま寝入った。どのくらい寝ていたのか、気がついたとき、自分がどこにいるのかわからなかった。そうか便所か、そうか尻をまくったままなのか、そうか、と思って尻をふき、立ち上がったとたんにめまい。そのまま便器の中に嘔吐した。2度3度、気持ちよく吹き上げてくる。すっきりした。
新宿で丸の内線に乗り換えるつもりで電車に乗ったが、信濃町という車内放送を聞いたきり、また寝入る。ぐっと寝入ったのだろう。気がついたら、日野。飛び降りるが、ホームが寒い。階段を降りて、改札へ行く途中の地下道で風をよける。やがて、中野止まりの列車来る。この列車の中で、国立という車内放送を聞いてから、また寝入る。目を開いたら、荻窪。飛び降りる。まあ、中野どまりだから目がさめなくても、大事には至らなかっただろうが、ともかく荻窪で目が覚めてよかった。タクシーに乗り、携帯電話で足立さんに道順を聞く。そうか、荻窪に住んでいた時、毎日横切っていた道が青梅街道なのか。跨線橋を渡ってどんどん行けば、足立さんのマンションまで行くのかと、頭の中の道がつながった。
足立さんのマンションが何階なのかわからないので、郵便受けの数字の部屋番号で推測し、エレベータのボタンを押す。当たり。足立さんがこのマンションに引っ越して十年くらいは経つのだろうか。引っ越したときのダンボールの箱がその後一度も開けられないまま積み重ねられている。足立さんの昔のアパートにも行ったことがあるが、よく整理されていた。しかし、マンションに引っ越してから、おそらく掃除は一度もされていないだろう。主に本が多いが、物の上に物が積み重ねられて、足の踏み場もない。いや、足の踏み場「も」ではない。正確に足の踏み場「が」ない。しかし、足は部屋を移動するときに踏むので、人の歩く山に自然に道ができるように、道はできているのだろう。初心者にはよくわからない。要するにところどころ、穴状のところがあり、そこに足を置いて、ものを跨いで移動するのだろう。あまり奥まった方向へ行くと出られなくなりそうな部屋なので、玄関に近い方に座り、お茶をもらう。この部屋の乱雑なせいで気持ちが落ち着く。足立さんは朝が早いとのことで、ほとんどあまり話もしないで寝ることにする。風呂をもらって、いつも布団を敷いてもらう別の部屋で布団にもぐって、まもなく寝入る。
目をさましたら10時。地下鉄でそのまま東京駅まで行くかと思ったが、KAOKIさんに教わった字幕なし・英語の解説本つきの、つまり語学用に作った映画のビデオを探そうかとも思い、新宿に寄ることにする。別に八重洲の本屋でもいいのだが、学生の時の固定観念が働くのか、新宿で紀伊国屋に入る。KAOKIさんが買った「ゴースト」の他にもいくつもタイトルがある。携帯電話で自宅に電話。映画に詳しい妻に何を買うべきか相談しようとしたが、留守番電話になってしまう。結局、ビデオと解説本のセットは見送り、スクリーンプレイ出版の「L.A.コンフィデンシャル」の解説本だけ買う。この映画は、自分でも見たような覚えがある。
この種の解説本は、多くの人が使い間違えるだろう。映画を見ながら、本を開き、映像を一時停止して本で調べたりする人がいるだろうと思う。それでは駄目なのだ。
この種のテキストを、ビデオ(映画)と組み合わせる場合でも、丁寧にやるなら「技法グラウンド7」、多くは「技法グラウンド5」のような練習を一度通すべきなのだ。
リスニングのコツが、自分の口の筋肉を動かすことにあることに気づいている人があまりいない。
この種の本と「技法グラウンド」をかませれば、強力な練習方法になる。それを「電話でレッスン」で行うこともできる。ある程度の力のある人にはそれが一番いいだろう。誰かやると言い出さないものか。
原理としての素読、その煮詰められた技法としての「技法グラウンド」、これを世に広めることができないうちに俺はくたばるだろうか。それとも、一つの強力な語学の方法として認知させることができるのだろうか。
ともかく、妻は映画好きであり、字幕なしで映画のストーリーを追うようになれることを望んでいるので、一緒にこのテキストで練習しようかと思う。俺がやるのは、やはり、仕事がらみであって、「やじろべえ」「ゆいまある」「月曜素読舎」の英語のインプットクラスの人たちが、「話体」という教材を使い終わった先のことを考えているのだ。
あるいは、ホームページ上で蓄積していく語数別の英文データベースで、十数語のレベルに達した人に対して行う「電話でレッスン」の練習方法として、映画を使うということを考えている。
紀伊国屋を出て、新宿駅で屋代までの切符を買う。東京駅で時間があったので、冷たい紅茶。車内でコーヒー。上田で30分の待ち合わせ。その間、文芸春秋の「本の話」・特集「読書とパソコン」を読む。長谷部浩「池袋をのみこんだ電子の森」は、宮沢章夫の「サーチエンジン・システムクラッシュ」の紹介の文だが、そこに次のような記述。
小説の現実感は、次第にこのあたりから希薄になり、「僕」の意識は、じぶんじしんさえも把握できなくなっていく。新宿や池袋の繁華街で、ネオンサインが満載のビルを見上げたときのめまいを、私は小説によって呼び覚まされる。このたった一つのビルにさえも、数え切れないドアがあって、内部では何が行われているかわからない。無数の密室と無限の行為のほとんど一切を、人は知らずに死んでいくのだ。
帰宅。メール読む。大西さんからのメールで、またタイトルが変更になっていることを知る。
「英語に勝つ!反「勉強」法」、「回転読みで英語に勝つ」、「英語のやっつけ方ーーどんでん返し勉強法」、「目からウロコ! 英語のやっつけ方」、「目からウロコ! 英語のやっつけ方」、「読み・書き・発声で英語に勝つ!」、「回転読みで英語に勝つ!」、「どんでん返しで英語に勝つ」、「英語急がば回れ」、「けんか英語入門・英語のやっつけ方」、「英語に勝つ! 秘技回転読み」、「英語は声で学べ!」、「英語に勝つ!どんでん返し勉強法」
これらの案を提出し、大西さんは編集長と長い時間を交渉してくれたのだが、最終的な決定は、『英語「どんでん返し」やっつけ法』に決まったという。ちょっと待ってくれと思い、すぐに電話する。くどくどとしたものだし、「どんでん返し」という語にカギ括弧がつくのが嫌だ。「やっつけ法」という言葉が座りが悪い。やはり、「やっつけ方」だろうなどと話す。
大西さんは、俺の本のタイトルについては、もうくたくたになってしまっていて申し訳なく思うが、それでも、『英語「どんでん返し」やっつけ法』はないと思う。話しているうちに、「どんでん返し」からカギ括弧をとること。「英語のやっつけ方」を分割し、「英語の」と「やっつけ方」の間に小さく字体を変えたもので、「どんでん返し」を二行程度で入れることに落ち着く。「どんでん返し」は「やっつけ方」というノウハウに関してのことではなく、世に流通する英語に関するものの見方をどんでん返ししてみたいというこころざしを言ったもので、まだ不満が残る。塾をやっている間もそう思っていた。しかし、今になると、最良のタイトルかもしれないという気がしてきた。「英語のやっつけ方」とも読めるし、「英語どんでん返しのやっつけ方」とも読める。だんだん気に入ってきた。
塾を終えて、12時前に寝る。翌日、つまり今朝、5時に起きる。考えるのは相変わらず、文庫のこと。『初発!「語学=からっぽ」理論』というような文字が帯に欲しいと思う。
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2月29日 午前9時15分
久しぶりに、夜の間ぐっと寝て、朝に目がさめるという世間の標準型の寝方をした。ゆうべ、寝たのが午前2時、今朝目が覚めたのが、8時半。寝た気がする。寝た気がするのが大事で、ここ半月ほど、ほとんど寝た気がしない状態が続いていたのだ。どうしても眠ってしまうことはあったが、基本的には午前0時を意識に置いた。そのあたりで寝ることにしておいて、昼間はなるべく起きているようにしておいた。そうしても、例えば午前0時に寝て、午前1時半には目が覚めるというようなことがあり、神経がたってその後が眠れないというようなことがあった。
あと一月ほどすれば、また自宅自作の建築現場が始まる。それまでに小学館文庫が無事進行してくれることを切に願う。
冬の間にホームページを作り変えるのだと考えていた。確かに正月明けあたりから作り変えたが、以前の記事を復活させている途中で、「WEB上英語塾」などというものを構想してしまったのだ、近頃では、そのための英文語数別分類ばかりやっていて、ホームページの記事は充実していかない。一日に十人ほどの人が読みにきてくれているが、ほとんどは日録を読んでくれているのだろう。そのうちの、三人ほどはすでに誰であるかもわかっている。俺のホームページはいまだそんな程度のものだ。
26日、S、塾をやめる。高校入試のため、他の科目に時間をまわさなければならないということ。この理由で塾をやめる子供は毎年いる。高校入試があるから塾が成り立つという塾が多いだろうが、素読舎は高校入試には仕事を邪魔されているだけだ。心で葬式をやる。Sの英語は、あそこで終わる。つまり死ぬ。その死ぬ過程が見えるのが切ない。
26日、土曜日、浜田さんに「コテンパン」の0〜2号までの記事を読んでもらい、感想なり意見なりをしゃべってもらって、テープ起こしし、「コテンパン」3号の記事を作るということになっていた。土曜日、塾が終わって、村田君と二人で浜田さんを待つ。10時半、浜田さん見えて、世間話から始める。くたくたに疲れていたが、午前1時頃から話が面白くなってきて、三人ともけっこうしゃべった。結構、内容としては濃いものが採れているので、「コテンパン」の記事としては、ていねいにテープ起こしをやっていけば1年分くらいはあるのではないか。浜田さんのしゃべる言葉というのは、実に魅力があって、この人には智恵がぎっしり詰まっていると感じることがある。
27日は何をどうしたのか覚えていない。何時に起きたかも覚えていない。塾はいつも通りやったが、ほとんど英文の語数別分類をやっていた。子供を相手に読みのチェックをする仕事は、ほとんど妻と村田君にまかせておいた。塾が終わっても、英文語数別分類は続ける。それをずっとやっていた記憶だけがある。
英文語数別分類は、英会話という枠も無化するだろう。4語、5語あたりに出てくるものは、英会話の決まり文句と言われているようなものが多いが、10語台で次第に書き言葉が混じり始め、20語台では書き言葉がほとんどになるだろう。話し言葉と書き言葉という観点から見れば、話し言葉から書き言葉へシームレスにつなげるという効用はあるはずだ。だから、「英会話」病を治す効用もあるはずだ。
28日、月曜日。
妻が俺の細切れ催眠に巻き込まれ、変な時間に寝起きするようになってしまった。俺の寝起きの時間といつもずれている感じで、向こうは向こうで細切れ睡眠になってしまっている。月曜日は、午前中に起きたような気がする。腹が減って、時計を見たとき、まだ元気寿司はやってないなと思った覚えがあるからだ。午後1時頃になっても、妻がまだ寝ている。俺の睡眠細切れの迷惑を受けているので、なるべく寝かせてやりたいと思い、外に出る。またラーメンを食うかと思って、国道を少し走ったところで、焼肉屋の入り口にランチの字を見つけて入る。ビビンバ590円というのを頼む。食後、少し休んでやじろべえへ。カウンターで頬杖をついて目を閉じているうちに眠くなり、カウンターに置いた腕に顔をうつぶせにして寝る。起きてから、上原さんの個展を見る。台敷きを一枚買う。カウンターに戻って時計を見たら4時。小山さんに聞いたら、1時間くらい寝ていたそうだ。
家に戻り、英文語数別分類。7時半風呂に入る。雪のせいで、横田さん休み。他の人たちもなかなか来ない。Kさん来る。吉田さん来る。寿司屋の娘さんはやめたのだろうか。もう何回も来ないのが続いている。
他の人たちが帰った後、Kさんと村田君と話す。
Iに教材作成と販売をやってもらうという案は駄目とのこと。そんなことならアルクなり研究社なりの方がいいとのこと。FM長野に「技法グラウンド」をやる時間帯を作らせる方がいいという話が出た。
Kさんが考えているのは、iモードとかいうインターネットの携帯端末を使うこと。あくまでネットをどう商売にできるかということだとわかる。俺のホームページ上に蓄積していく予定のものをインターネットにつなげて見てもらう。これはこれでいいだろうが、これだけならIの入り込む余地はないとのこと。
そもそもiモードとやらが俺にはよくわからない。何ができて何ができないのかがわからない。やたらに売れているという話は聞くが。
Kさんの話を聞いて、その後考えたのは、iモードをあくまで呼び水として位置づけること。
「技法グラウンド5」を、電話の音声でやることはできる。録音されている英文とそれに対応する日本語を画面に表示し、ユーザーは録音音声を聞く。ユーザーは、そのまま「技法グラウンド5」をやるのでもいいし、いったん電話を切って、口慣らししてから「技法グラウンド・5」をやるのでもいい。
iモードが、文字を表示したまま、それに対応させてある録音音声を流すということができるのかどうか。その後、「技法グラウンド5」でユーザーが受話器に向かって言う音声の5回分の区切りをどう機械に認識させるか。発音の正確さや、イントネーションの型を認識させることがどの程度の精度でできるのか。どこかで実験してみなければ、これが実用化できるのかどうかは見極められない。
問題点は、コンピュータの音声認識の精度が、iモードならiモードでどのくらいまでできるかだ。
もし、ここがクリアできれば、ユーザーが機械に返す音声に点数をつけることができる。0点〜5点くらいの点数をつける。この点数は、ホストコンピュータ側に記録され、加算されていくようにする。ただし、同一の文については、その文の最高得点だけが加算の対象になるようにすること。総得点は、ユーザーがいつでも参照できること。全体をゲームにするのであれば、高得点順にユーザーのアクセス名が表示されるようにする。
100点獲得するたびに、ネイティヴの生のシャフル・チェックが受けられるようにしておく。5分から10分程度、ネイティヴの側から電話をかけさせるのがいいだろう。これは、学校英語にしか触れてない人にちょっとしたショックを与えることができる。普段、ガイジンから自分に電話がかかってくるなんてことがない人がほとんどだろうから。ここで、8割以上のOKが出たら、そのチェック範囲は合格とする。
料金は、月額1000円〜2000円だろう。
問題は、俺の利益がどこから出てくるかだ。
小さい画面に「素読舎」のクレジットやURLが入れられるだろうか。
俺が本当にやりたいことは、話し言葉と書き言葉をシームレスにつなげてみたいことと、「センセイ」「せんせい」「先生」の3段階の階層づけによって、素読舎の子となる塾を日本全国にばらまきたいということだ。教室は要らない。電話線とインターネット接続したコンピュータがあれば、成り立つだろう。素読舎は塾の塾となればいいのだ。
俺が蓄積している語数別分類の4語あたりの文をこのiモード用に切り分けることはできる。このあたりのものは、まるで著作権などの問題の生じるものではないから、俺が作ってもいくらでも作れる。と、いうより、そんなものは世の中にあふれかえっていて、引用につぐ引用だ。実際に、そのフレーズが英語圏で使われている場合も、実態は、話し言葉による引用につぐ引用なのだ。
ポイントはある。
ユーザーが受話器に返す音が4点か5点である場合に限り、文法的な説明が画面表示されることだ。任意の一文が4点か5点に達しないと、文法的な説明は行われないこと。
その文に関して、動画は送れないのか。
アニメーションで、文全体を言う場合の口の動きが断面図で表示されればいい。
以上は、おそらく現在の技術水準ではクリアできていないものを多々含むだろう。素読を基底に持つ技法、その一例が「技法グラウンド」だが、そういう性質の練習方法の組み立てに関してなら、職人として参加することはできる。しかし、導入口をそこに作れたとしても、素読舎を塾の塾として立たしめる道につながらないなら、俺にメリットはない。
大金が欲しいわけではない。学校英語の犠牲者たちを鍛えなおし、学校的方法をひっくり返してやりたいのだ。
現在、午後1時20分。正午前、小学館から初校用のテキストが届く。これから、そっちにとりかかることにする。
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