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小学館文庫「英語どんでんがえしのやっつけ方」書評


松岡祥男さんから


 『意識としてのアジア』(深夜叢書社)、『アジアの終焉』(大和書房)、『論註日記』(学藝書林)、『物語の森』(ミッドナイト・プレス)、『学校・宗教・家族の病理』(深夜叢書社・共著)等の著者。常に時代の理念の先端を提示しつづけてきた詩人・批評家。現在は、猫々堂という出版社を興し、若月克晃小説集『ニューヨーク炭坑の悲劇』を出版、「吉本隆明資料集」をシリーズで刊行中。

 「ミッドナイト・プレス」9号の猫々堂の広告から「吉本隆明資料集」に関するものを以下に引用します。

第7集 60年安保闘争の渦中の発言。6・15以後。
 「前衛党の不在と全学連の悲劇」「安保闘争の前進のために」「日本の苦悩に目をそらすな」 (1960年)

第8集 安保闘争の総括をめぐる論戦
 「ゼロからの出発」「戦争と革命」 (1960年)

第9集 安保闘争の総括から、自立の拠点としての「試行」の創刊へ
 「苦悩する左翼」(1960年)「さしあたってこれだけは」(1961年)「『情況』と『行動』、その他」(1962年)

1〜6集好評頒布中。A5判 頒価1000円(送料共)
猫々堂 〒780−0921 高知県高知市井口町45 松岡祥男方
     電話 088(873)2479

 以上は、松岡さんの著作と現在の活動の紹介です。
             (根石吉久記 2000年9月27日)

 私は松岡さんの理念が持つ高さを常にあこがれてきました。
 このような批評家から、私の「英語本」を評価していただいたことは望外の幸せでした。
(根石吉久記 2000年9月27日)
 以下は松岡さんの文です。原文は縦書きです。


読書日録 8

個性に結びついた思想



四月二三日 小学館文庫の根石吉久『英語どんでんがえしのやっつけ方』がついに出た。画期的な本だ。なにが画期的なのかといえば、まずなによりも、徹頭徹尾実践的であるということだ。これで英語をやっつけることができなければ、逆立ちして長野の更埴から東京まで歩いて行ってもいいとは根石吉久は言ってはいないが、それくらいの気概と自負にあふれている。掛け値なしに元気が出る本だ。語学も格闘技に等しいというのが、この本を貫く精神である。
 第T部が「実践編」で、これに中学生の時に出会っていれば、おれの人生も少しは変わっていたかもしれないと思えるくらいに、方法論的に英語の攻め方が示されている。それはとりもなおさず、学校や勉強に対する苦手意識や逃避の克服につながるものだ。なにを隠そう私は、英語文盲なのだ。自分がどこで躓き、なにが嫌で逃げ出したかを、まざまざと呼び覚まされた。私は年間五〇日以上もサボっていた。そんな私でも、中学一年になると環境が変わり、めずらしく意欲が出た。義務教育九年間でこの年だけが欠席が五〇日を下回ったことが、それを物語っている。しかし、そのにわかやる気も英語と音楽ですぐに挫折した。音楽は音痴となに一つとして楽器をこなせないので始めから放棄していたが、英語はそうではない。一応その気はあったのだ。まず単語を覚えるのに、小学校で習ったローマ字が障害になった。英語のスペルはローマ字読みできない。ここでとまどってまごまごしているうちに、授業は進み、当てられて立って読めということになっていた。単語もまともにこなせない段階でどうやって英文が読めるというのだ。こうなると、もうアウトだ。私のようなひきこもりの資質でなくても、この年頃は自意識過剰だ。当てられて、ろくに読めないと恥ずかしい。教室のさらし者だ。自分は英語はできないという劣等意識がそこに生れる。そうなると、逃げの一手である。英語の授業といえば、寝たふりをしているか、サボって学校を抜けだすかだった。それで、私は発音記号を覚えることもなく、英語文盲のまま現在に至ってしまった。しかし、英語は日本の社会に恐ろしく波及し、いたるところに氾濫している。こうなってくれば、まったく英語が駄目だと、ものすごく不便だ。私みたいにならないためにも、英語をやっつけることは必要である。そのための有効な攻略法が明示されたといえるだろう。やりもしない私が、なぜそういうかといえば、私の不毛な挫折感がかなり慰撫されたからにほかならない。根石吉久はそんなことよりも、「電圧装置」から、とにかくやることだよ、というだろうが。
 これは余談だが、以前Uという同年代の優等生崩れとつきあっていて、外国語はからっきしなんだよ、と打ち明けたら、後日電話をかけてきたときに、Uは英語をやたらとまじえて喋りはじめた。私はあきれた。そして、憐れな奴と思うしかなかった。そんなこと、どうってことはないということもわからないのかよ。
 第U部は「理論編」だ。元塾生の村田晴彦との対談なのだが、「英語の周囲の不快な湯気」が圧倒的におもしろい。「まえがき」と、ここに根石吉久の個性と思想がよく現れている。私は個性に結びつかない思想を尊重しない。根石吉久のイギリス娘とのケンカには、いいぞ、もっと云ってやれ、と声援を送りたくなるし、井上一馬や鈴木孝夫への評価と批判はちゃんと筋が通っているし、学校のインチキ性や英会話教室のサギを痛撃したところは痛快だ。根石吉久はここでは実践語学と言語論のはざまに立っているといえるだろう。それが彼の日常に開かれた足場なのだ。言語の発生の根ということでいえば、さらなる格闘が不可避に違いない。<ことば>という謎は、まだ誰によっても、完全には解明されていないのだから。


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