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からっぽの勃起


 場所は今でも覚えている。その場所を車で通れば、新しい住宅が建っていて、そこがその場所であるとは思えない。歳とった木も切り倒されて、あったはずの墓もない。あたりに畑は残っているが、遠くまで見渡すことができる。桑畑はなくなってしまった。
 それは小学生の頃の通学路だった道だ。養蚕が百姓の現金収入として大きな割合を占めていた時代で、通学路の両側は桑畑だった。とりわけ、道沿いの縁には桑が並んで植えられていたから、道の両脇が桑の木で、通学路が暗くなるほど茂っている場所もあった。
 小学校へ通うようになってそれほど時間はたっていなかっただろう。一人で歩いて帰る途中、桑の葉の陰から三人が出てきて道を塞いだ。三人は私と同じ村の者たちで年上だった。何を言われた覚えもない。何を言った覚えもない。双方が無言だった。私の体に生の桑の棒が振り下ろされた。桑の枝を折って葉を払って作った棒が制裁のための棒であり、三人がかわるがわる私の体にそれを振り下ろし、その棒を桑の茂りの中へ放り込んで歩いて行った。言葉のやりとりは一切何もなかった。やつらは黙ったまま私に棒を振り下ろしたし、私も腕で顔をかばう動作はしたが、何も言わなかった。

 空虚だった。

 小学生の頃、私は「トヤンとした子供」だったそうだ。意識の動きが現実の動きに即応せず、ぼんやりしている子供のことを、「トヤンとした子供」と言う。そういえば、小学生の頃のことで覚えていることはほとんどない。小学生の同級生に会って、私が相手の顔を知っていても、向こうが私のことを覚えていないことはよくある。同じ組だったと私が言っても、お前、同じクラスにいたっけ?と言われたこともある。「トヤンとした子供」は、当時の同級生にとって、いてもいなくても同じやつなので、結局「いないやつ」になるのだ。
 「トヤンとした子供」は同級生だけでなく、自分においても「いてもいなくても同じ」やつなので、だから私は自分の小学生の頃のことをほとんど何も覚えていない。私の自分というものは、自分にとっても、「いないやつ」に等しい。そう思えば、なさけないようなさびしい気持ちになってくる。

 「トヤンとした子供」になぜ桑の棒が振り下ろされたのか。それが振り下ろされたことだけははっきりと覚えている。だから大人になってから何度も考えた。そして、桑の棒を振り下ろした三人のうちのオヤダマが、「ハシッケえ子供」だったことに思い当たった。いや、「ハシッケえ」場合は、「ハシッケえガキ」と言う方が適当か。いずれにせよ、私は「ハシッケえ」者が嫌いになった。

 大人になって、私は「ハシッケえ」ことのマネをするようになったが、どうもどこかが間が抜けている。目つきが鋭いですねと言われることもあるが、その目つきの根の先が「トヤンとしている」。

 つまり、分裂こそは私が生きているものだ。ここは戦後だから、ここはアメリカのいいなりを装う場所だから。英語のハヤル場所だから。(いや、英語で食わせてだけはいただくがね。更埴市なんぞは相手にしてもしなくてもいい。原理を提示している俺の英語塾を小馬鹿にできるならずっとやっているがいい。俺を小馬鹿にしたおめえらの英語力はちゃんと滅びているじゃねえか。それが原理を小馬鹿にする者の英語の末路なのだ)

 ハシコい野郎ども。おめえらのマネだけはちゃんとしてやる。おめえらが何者であるかを知らしめるために、このマネは必要なものだ。マネだけはしてやるのだ。

 英語をしゃべろうがしゃべるまいが私は半日本人だ。ニッポンジンの「ハシッコさ」が嫌いだから。いや、世界の半分が嫌いだから。その嫌いなもののマネは、避けられない。避けられないなら、十分にやってやる。

 オリジナリティやオーセンティシィティそのものはいやらしくないが、ニッポンジンのオリジナリティ信仰、オーセンティシィティ・コンプレックスはとびきりいやらしい。臭くて鼻が曲がる。「マネ」という根源的な行為を馬鹿にしたこと。そして、コンプレックスを抱いたこと。それこそが日本の近代のいやらしさの正体だ。
 とことん「マネする」ことで、元のものと別のものが生じる。そこにようやく「オリジナル」なものが生じる。ところが、日本のウゾウムゾウのゲージツカたちは、初めからオリジナリティを信仰しているのだ。「個性」だとか、馬鹿なお題目を唱えて。そんなものは欧米というブタの餌にしかなりはしない。

 日本の近代は、西欧列強のマネであり、戦後はアメリカのマネだったじゃないかと言い返されるのだろうか。決してそうではない。日本はマネなどしていない。日本の近代がやってきたことは「猿マネ」だけだ。「猿マネ」の代表選手が戦後民主主義に他ならない。近頃のフェミニズムもセクハラ意識も「猿マネ」以外の何でもない。アメリカ人の意識を「猿マネ」するニッポンジン猿の意識によって、真正な日本の「すけべ」がおとしめられていくというのか。馬鹿な話だ。宝を腐らせるようなものだ。

 「愛」と「すけべ」の境界線を引いてみるがいい。その線を引く動作が、そのままアメリカの「猿マネ」にならないやつがいたら、お目にかかりたい。お目にかかって、お友達やお恋人になろう。お愛のお話をして、おセックスをしよう。

 さてさて講義に戻らなくては。
 オリジナリティ・コンプレックスと「マネする」ことはまるで違うことだ。「マネする」ことはすぐれて積極的な行為なのだ。
 赤子は「マネする」ことで人間になる。「マネする」ことで、赤子は自然から人間として分離する。そこで実際になされていることは「繰り返し」であり「反復」だ。「マネ」だ。この動態は腐らない。いつも新しい「他」を迎えているからだ。オリジナリティ・コンプレックスやオーセンティシィティ・コンプレックスは必ず腐る。「個性」なんぞはご立派に腐る。それらの腐ったものが、英語コンプレックスなんかになったりする。アホか。

 「マネすること」。この行為を純化すること。そこ以外に日本のオリジナリティがあるとでも思いたいのだろうか。日本は日本であることによって日本であると思いたいのだろうか。日本なんてものは「マネすること」で始まったのだ。日本の始まりが「マネだったのだ」。「日出るところの天子」は、中華思想のマネではないか。それならば、「マネすること」以外に日本のオリジナリティはない。「日出る」という具合に、自然の動きに頼ったところで、その自意識自体が中華思想のマネによって出来ているのなら、日本をどこまで分解しても「マネ」という金太郎飴の同じ顔が出てくる。

 半日本人。帰国子女たち。
 半日本人こそはホンモノのニホンジンなのだ。古来から「分裂」こそは日本であり、それ以前に日本なんてものはどこにもなかったのだ。帰国子女たちよ、ぺらぺら英語なんてくだらないものを発していないで、いや発してもいいが、一方で書き言葉による批評的言語の声をあげるがいいのだ。二つの言語に裂かれた意識だけが持ちうる楔というものはあるのだ。

 子供の頃からハシッコく、今もハシッコいことを続けている人を相手に話していると、途中から何だか非常に寒々としていやな嫌悪が胸に生じる。空しい気持ちが胸に広がる。その「ハシッコさ」の一筋縄なこと。「分裂」に積極的な価値を見いだせないこと。自分というものがオリジナルなものであると思っていること。日本は日本であるから日本なのだと思っていること。

 「ハシッケえ」者たちの特徴は、政治が好きなことだとも思っている。「ハシッケえ」者たちは民主主義者をやるとも思っている。田中康夫。

 政治をいじるかいじらないかは、私には本質的なことで、子供の頃いくらトヤンとしていても、大人になって政治をいじるようなら、私は胸の中でその人から「トヤン」の資格を剥奪している。文学の無価値という本源的な価値は、この人間からははげて落ちていく。

 モノカキが政治をやる?
 ただの馬鹿とどこか違うのか。繰り人形とどこか違うのか。
 金を得て生きざるをえない世の中では、「ハシッケえ」ことのマネはしなくてはならない。それは確かだが、マネをしているのだから、いくら「ハシッコそう」に見えても、「ハシッコさ」の偽物をやり続けているのだ。だから、この里において私もあいつもあいつらも偽物である。この偽物が偽物にとどまることができず、政治をいじったとたんに、根源的な人間の様態である「トヤン」が滅びるのだ。

 田中康夫のスローガンは「なんとなくクリスタル」だったんだから、ニセモノに対する感性がないわけではないだろう。歳をとって、ニセモノを続けることができなくなって、知事とかいうステイタスにホンモノの臭いを嗅いだのか。それは馬鹿ということと違うのか。ふざけるな、この糞ガキャーと思うことは、もうすでに充分に思った。

 さてさて。「トヤン」とした者は、眠いわけではない。意識が覚醒したまま、きわめて自然に放心しているだけだ。きわめて自然に分裂を生きているだけだ。夢とうつつの間の分裂そのものを生きていることが「トヤンとした」人間なのだ。この状態は人間以外の動物にいくらでも見られそうだが、実際には見ることはできない。人間にだけ現象する。だから、「トヤンとしている」ことこそが人間的なことなのだ。
 「ハシッケえ」ことは猿でもできる。猿の世界にも政治的な力学はあり、実際の政治がある。言葉をしゃべる猿はたくさんいて、この猿たちは「ホンモノ」が好きだ。オーセンティシィティ・コンプレックスという病気なのだ。・・美術館やら、・・版画館やら、・・ホールやら、・・記念館やらがこのコンプレックスを増幅する。

 「ホンモノ」が好きな人たちは、自分というものも「ホンモノ」だと思いたいらしい。どうも連中ははっきりとは言わないのだが、自分というものをホンモノだと思いたがっているらしい節がある。ホンモノだと思いたがることが、ニセモノの証拠なのに、だ。ホンモノだと思いたがることでニセモノになるのがニホンジンというものなのに、だ。
 この人たちはニセモノになることしかできない。ニセモノに徹することができない。自己愛によってぼろぼろになっているので、自己対象化ができない。だから政治なんぞに手を出す。ホンモノと思うかどうか以前に、自分で自分を自分と思うこと自体が、自然界ではニセモノの証拠なのだし、人間という奇態な生き物に特有の病気なのだが、その病気によって、自分に「ホンモノ」という呼称を導き出すほどになれば、人間と呼ぶよりは「ニンゲン中毒」という病気でもあるのだ。病膏肓に入り、「ホンモノ」という観念を病む病気を病気だと思わなくなれば、人間は言葉をしゃべる猿に至ることができる。楽なもんだ。言葉をしゃべる猿に首尾一貫しているのは、「ハシッケえ」ということだけだ。そういう者たちはいくらでもいる。

 いやだいやだ、カルチャーばばあども。とそうは日常のお話では言わないでいる。なるべく真正な「マネ」の世界にご招待するようにしている。英会話学校に通ったりして、「猿マネ」しか知らなかった人がちゃんと「マネ」をやれるようになれば、それはエーカイワなんかじゃない。それは英語だ。ちゃんと日本語で発音すべき「英語」という語学だ。
 語学はニセに徹してニセを客体化する技術だ。客体化するまでのエネルギーを惜しまなかった者だけが、日本在住のまま英語をしゃべるようになる。ただ単にぺらぺらしゃべるアメリカ帰りのアメリカ英語の在日は、ニセをニセと認識できない一点でお馬鹿さんである。

 ホンモノの英語?
 ホンモノのわけがないだろう。 ホンモノの英語とは英語が作る言語的磁場に置かれた英語のことだ。日本語の磁場に置かれた英語は、もうそれだけで在日英語という淋しいものになる。それに対する意識の鈍さがホンモノという信仰にすがるのだ。

 さて。「トヤン」はまだ未分化な状態だ。意識の動きが現実の動きに即応しないということは、意識は現実から独立した領域だということの萌芽だ。この分裂を分裂のままにただただ生きていると、「トヤンとしている」と人に言われるようになる。栄光の「トヤン」である。日本に居住しつづけて英語をやるという位置は、語学としてはきわめて当たり前の位置だが、これは栄光の「トヤン」の位置でもある。
 「トヤン」が現実の動きに即応しないことによって、現実の側から無価値とされるなら、真正の「マネ」によって立ち上がる語学も、立ち上がってみたところで、そこは英語の磁場が払底している日本という場所だ。だから「トヤン」としたものになる。つまり、無価値とされるのだ。
 価値とされるのは、学校英語の点数の方だ。これは、「猿マネ」に分類される英語であり、そもそも英語であるかどうかすら疑わしい。シンタックスの身体化がなされない英語など、オツムの観念遊戯にすぎず、パズルをいじるようにエータンゴをいじり、女もいないのにアナウメをやったり、右から左に目を動かして白黒させ、日本語を思い浮かべてオナニーをしたりする。アナウメモンダイだけでなく、学校英語というのはオナニーなのだ。オナニーの激しいやつが学校英語では余計に点をとる。
 オナニーが激しくてはいけないのか。いけなくはない。点数などに汚されずに無価値にまで至ればいいのだ。学校の点数というものを突き抜けて、既製の学力評価の枠を出てしまうなら、そこに(学校)制度ではかれない価値=無価値が出現する。それはもう語学だ。

 ところが、学校の生徒さんや受験生さんたちは、立ちもしないふにゃふにゃしたものをいつまでもいじりまわしているだけなのだ。それが価値だと信じて。

 一方、私の文章というものは、いじればいじるほど下品が固く勃起する。いったいどこへ持っていけばいいのだ、この固くなっちまったものを。ねえ、今夜会わない?

 はあはあはあ。「トヤンとしている」者を、なぜ「ハシッケえ」やつらは嫌うのか。なぜ手を出すのか。
 「ハシッケえ」やつらの信仰は、ひたすら「人間の標準的な行動様式」にあり、「意識の現実への即応」にある。「トヤンとした」子供はこういうすばやい意識に不安をもたらす。「トヤンとした」子供を見ると、「ハシッケえ」猿やしっかりした猿は不安になってしまう。「トヤンとした」者は共同体を無化するからだ。だからやつらは許せないのだ。
 病気の深さは「ハシッケえ」側にあると言っても、蟷螂の斧だが、この斧は振り上げておく必要がある。この斧は、欧米に対するアジアの斧でもあるはずなのだ。里に対する山の斧でもあるはずなのだ。

 ナガノケン。ニッポンジュウのどこから見ても山であるここで、なおも里を生きようとする貧しさ。

 「ハシッケえ」やつらとは、現実にさっさと従う者ということだ。現実の動きの中に働く法則を身体化し、それに則って「人間の標準的な行動様式」を行動する。その代表的な行動が政治的な行動だろう。「トヤンとした」者は何をするわけでもない。ただ「トヤンとしている」。だから、現実法則に「さっさと従う」こともしない。多分語学なんかをしている。意識がいくら激化されても、やっていることは実にヘーワだ。猿たちの現実に対してはトヤンとしているのだ。語学の空虚さ加減こそは、比べるものを探すのが難しいほど本源的なものだ。

 これらの文は要するに、「トヤン」としていた貧乏人のこせがれが「言葉」を持ったことのあかしだ。桑の棒の一振りが、これらの言葉を私に持たせたのだろう。これらの「言葉」を罪とするものの罪だけはいつでもはっきりさせる用意がある。いつだって蹴散らしてやる。
 貧乏人のこせがれが「言葉」を持つこと。それこそが民主主義だ。その言葉が、名家やら名門を蹴散らす力をもつこと。それが民主主義だ。
 民主主義の根源には「破壊」がある。
 ヨーロッパの民主主義の根源には「殺し」がある。
 田中康夫のおやじは信州大学の教授(?)だとかいうことは、知事選があって初めて知ったが、大学教授の息子の唱える民主主義なんぞはとことん疑っていい。その民主主義の基盤自体が底上げされていないかをとことん疑うべきだ。クリスタル主義やクリトリス主義につきまぜられたそれは本当に民主主義なのか。

 知事選の間も私は「トヤン」としていた。

 「トヤンとした」者は、ただその者がそこにいるだけで、「ハシッケえ」やつらの神である「現実」を無化する。何の罪もなく無化する。「ハシッケえ」やつらが、「トヤンとした」者に手を出すのは、自分たちの神=現実を無化されるからだが、これは現代では、中学生程度の年齢の者が浮浪者を叩き殺すような現象として現象している。中学生どもはおびえているのだ。汚らしいおやじが、一筋の「トヤン」を生き続けることに。中学生どもこそ臆病者なのだ。
 なぜそれほどにやつらはおびえるのか。戦後民主主義が民主主義でもなんでもないからだ。戦後市民社会がニセをニセとしないからだ。ニセモノに徹することができないでいるからだ。単なるニセモノをやっているだけだからだ。ホンモノなどという信仰に走るからだ。戦後民主主義や戦後市民社会という地獄に住む者たちは、「トヤン」におびえている。  

 「市民社会」を味方につけた田中康夫の宅八郎の抹殺の仕方を私は今も許していない。宅八郎の恐怖のパフォーマンスを受け入れがたいのは、大学教授の息子の限界だから仕方がないが、その限界を素直に言えばいいところで、田中は「市民社会」を味方につけて宅を抹殺した。これは劣等な種族を殺すことをためらわない優越した種族の行いだ。少なくとも、田中康夫の意識においてはそうだった。てめえ、と思っている。

 同じ田中でも、学歴のない田中角栄は気の毒だった。この両田中は見た目ほど違っているとは思わない。田中角栄が決して通っていない(であろう)場所こそは生徒会だが、生徒会を通った(であろう)田中康夫は、生徒会経由の土建屋なのだ。イメージを扱う土建屋なのだ。有名人による阪神大震災のボランティア。だまされたいやつはしっかりとだまされるがよろしい。

 田中が単なるエピキュリアンをやっている分には文句はないが、そこにとどまることができずに、使える流通観念を使い、それを現実政治に結びつけたとき、それがイメージの土建屋の誕生だ。土建国家の文壇のイメージ土建。
 同じ土建屋根性なら、土建丸出しでやっていた田中角栄のほうがはるかにかわいげがある。

 さてさて、私は言葉が土建屋で、あほか、クリスタル野郎が、と思っている者だが、風体は浮浪者だ。その点で、私は「鰐る」編集委員の浜田さんと同じだ。すみませんね、浜田さん、ひきあいに出してしまって。
 私は今のところ叩き殺されていない。私は今のところホンモノの浮浪者ではないし、風体だけが浮浪者まがいにすぎない。いくら「見た目」が浮浪者でも浮浪者としてはニセモノだ。ニセモノにはニセモノの義務があり、叩かれれば必ず叩き返すことにしている。ニセモノを生きる身の上としては、娑婆にいじりまわされてハシコいマネだけをさせられてきたことの芯から生じた鉄則だ。

 山の者ということ。
 私の母親は山の者だ。
 俺は山の者の子供だと思ったのは高校生の頃だ。
 同じ学年に、山から善光寺盆地に降りてきて下宿して高校に通っている人たちがいた。この連中と私はじきに仲良くなった。
 子供の頃、夏休みといえば、休みの間じゅう、母親の実家に泊まっていたので、山の人たちの生活と息づかいが私に親しいものだったからだろう。車が普及し、テレビが普及し、現金収入が普及し、村が滅びた現代では、私が高校生の頃に感じていた山の人の息づかいや心のゆるやかさが今の山の村にあるのかどうか。
 自分の「トヤンとした」状態から抜け出そうともがいていた高校生の私が、同時に、逆に、山の人のゆったりした息づかいや心のなだらかさを懐かしんで慕い寄っていた。山の人とつきあっていると、彼らが高校生である間に二つの方向へ分かれていくのがよくわかった。非常に熱心に勉強し優等生になっていくタイプと、グレて努力を要することを完全に放棄するタイプとにきれいに分かれていく。これは里の人間でも見られる傾向だが、山の人はそれが極端だと思ったことがある。中間があまりいない。少なくとも、私がつきあった連中ではそうだったのだ。よく勉強するやつは里の者よりもずっと余計に勉強したし、グレるやつは里の者よりも、もっとグレた。山の者のグレ加減に比べれば、里のグレた者は乱暴なだけに見えた。山の者がグレると、そのグレ具合に深酔いのようなものがある。人の良さがそのまま人の悪さであるようなところがある。それに比べれば、里の人間は一筋縄なのだ。
 山の人間の一筋縄でない心の動きが私にはわかる気がした。子供の頃に、母親の実家に行っていて、なだらかな心に多く触れたことが私が山の人間が好きな理由だが、その山の村から善光寺盆地の隅に嫁に来た私の母には負けじ魂というものが明らかにあった。具体的には、「里のもんに負けてたまるか」なのである。これを私は母の口からあからさまに聞いたことはない。しかし、心に動いているものは明らかにそれなのだ。山の人のなだらなかな心のすぐ裏側に、「負けてたまるか」というなまなましい動きはあるのだ。
 この「負けてたまるか」という心の動きによって勉強を激化した山の高校生が、非常に多く教員や公務員になった。理由もなく断言してしまうのだが、公務員なんぞになることは、もうそれだけで負けたことなのだ。それなのに、「負けてたまるか」の山の高校生は、さっさと公務員になり、さっさと負けた。理由なき犯行と同じように理由なく、私は内心に断言している。公務員なんぞになることこそが負けることなのだ。何度でも言う。それが負けることなのだ。税金にたかるダニ。そんなダニになることが負けることでなくてなんだというのだ。国家権力の方へざわざわと動くダニ。公務員というものはそういうものだ。(専門職で研究をしている者を除けば)
 公務員になる山の人たちを見ていても、やはり気持ちが空虚だった。山の高校生だった人たちの中で、今でも友達づきあいをしているのは、富士通のプログラマの仕事に嫌気がさして、小さい会社に勤めて配線工をやっているやつ一人だけになってしまった。こいつは山の人には珍しく、中庸を旨とするやつだった。一度も公務員になろうとしたことはなかったようだ。
 公務員とは話したくない。口が曲がる。

 山の人は「負けてたまるか」と思うことで負けてしまう。この悲しさは、親類に公務員の多い私には切実なものがある。生の場面では口には出せず、噛みしめてだけいなければならない悲しさなのだ。その根底的な貧しさ。公務員になるということの貧しさ。長野県で教員になるということの貧しさ。その貧しさに従ってしまう貧しさ。

 非常にすぐれて優等生になる山の人はもちろんだが、グレて荒れていく山の人の、その荒れ方の強さにも、「負けてたまるか」があった。高校でつきあった連中の中に見たものは、私の母の心の動きに相似形のものだった。その心の動きそのものが貧しい。

 「トヤンとした子供」だった里の小学生の私に、この「負けてたまるか」があったわけではない。しかし、村の歳上の子供は、私の呼吸の中に何かふてぶてしいもの、里の標準に不服従なものをみつけていたのかもしれない。当時私はガンジーだった。無抵抗不服従。「負けてたまるか」と跳ね上がるのではなく、ただ単に不服従であっただけだ。少なくとも、小学生の私に跳ね上がりはなかった。
 大人になってからは、ご要望があればいくらでも跳ね上がってみせた。こんな文章を書くくらいのもんでね。ジンセイイロイロだもんでね。

 天皇制に、とまでは言うまいが、少なくとも里の標準にまつろわぬ感性というものが里に育った私にあったのは、母親経由のものだ。里の標準に対して、あくまで不服従の心の動きである。おそらくは、それをみつけた村の上級生が私に桑の棒を振り下ろしたのだろう。小学生の私は、自分がそういうまつろわぬ感性をオーラとして発していることは知らなかった。果たしてそうだったのかどうか、本当のところは今でも明らかではない。しかし、何かのオーラを私が発していたのでなければ、あの桑の棒の一振りはわけのわからないものだ。

 桑の棒の激しい一振り。この一振りこそが、村というもの、あるいは里というものに対する私の基本的な認識をかたちづくっている。そして、機会があれば殺してやりたいと思っている人間が何人かはいる。

 母親からの災厄があった。この火の粉はどう払っても払いきることはできない。小学生の頃は、私は非常におとなしい子供だったが、そのおとなしい子供にすでに本人が知らないうちに、「まつろわぬ感性」があったのであれば、災厄以外の何でもないだろう。

 私が中学生の頃、母親は公務員になれ公務員になれと言い出した。そう言って、息子をくどき続けた。公務員になれ、教員になれと私はくどくくどくくどかれた。

 「まつろわぬ感性」は、純化されることがあることを母親というものは知らないらしい。

 自分で息子に「まつろわぬ感性」を感染させておいて、公務員になれはないものだ。なあにが、キョオインか。なあにが、コオムインか。コオムインはゴメンコオムイン。息子はとことん母親を馬鹿にした。当時母親を馬鹿にした力は、そのまま公務員や教員を馬鹿にする感性として五十に手が届きそうな今も持続している。だって、あいつらは国家権力経由の金を得ているんだから。  

 人生はほんのちょっとのことを純化するだけで、じきに終わるものらしい。

 コオムインになれという声は、私には明らかに政治の声だった。山を背後にした母親による家庭内政治。子供に屋代高校へ入れと言うような、現代の貧乏な感性と同じようなものは、すでにもう何十年も前からあった。母親は里の標準には強かったが、日本の近代には弱かった。近代の奴隷根性によるその政治が盲目であるなら。それが自分の母親だったとしたら。「だったとしたら」では済まないのだ。本当にそれが母親だったのだ。

 愛を欠いた者。それが私だ。だから、愛は嫌いだ。

 私は今後は、五十男として「トヤン」とする所存だ。どこまでも母親政治を無化しつづける所存である。皆様のあたたかいご支援をお願いしない。

 山の者を二分する里の視線。その根源に、センスというものがある。センスは、排除の力学そのものにのっかっているシロモノだ。あの人はいいセンスをしているという場合、あの人は排除の力が強い人だと言うのと同じだ。しかし、ほとんどの場合、単にセンスのいい人は、この力学にはほとんど無意識な場合が多い。たいていは単にこの力学を行使するだけだ。だから意識もせず力学を行使するという一点において、単にセンスがいいだけの人はお馬鹿さんだ。
 あの人たちは単に闇を排除する。闇と闘う認識力を持ったとたんに、あの人たちのセンスはぶっこわれてしまう。単にセンスがよければ、利口そうに見える。よかったね。

 センスのよさというものに備わっている排除の力学を相対化する方法はあるのか。いろいろ試行錯誤してみたが、ことさらにセンス悪く生きることくらいしかないようだ。それには、なるべく「見た目」を汚らしく保つことだ。とりわけこの時代のデオドラントな文化を信仰する者たちが、身ぎれいにし、臭いを消し、臭みを消していくのであれば、とにかく「見た目」だけは汚らしく、見るからに臭い出しそうな格好だけはしていなくてはならないだろう。この里の身ぎれいさに異物として立ち上がること。
 実際の山の人たちは、今ではすっかり身ぎれいになっているだろうが、私は里に生まれて里に育った山の者だから、ことさらに努力して汚らしく見えるようにセンスを磨かなければならない。センスが悪くなるようにセンスを磨く必要がある。あれらの馬鹿な「センスのよさ」が行使する排除の力を排除するセンスを行使する。それは避けられない。だから、なにはともあれ、「見た目」だけは汚らしくしていることだ。人に笑われるようでなければならない。あるいは、人に呆れられるようでなければならない。
 実際に呆れられたことがある。篠ノ井駅の前を私が歩いて行くと、どこかのおばちゃんが、私の風体を見て、呆れかえって立ち止まってしまったのだ。おいおい、呆れるのはいいが、立ち止まっちまうことはないだろうと思ったが、おばちゃんの口ぽかんに気づかないように私は歩き続けた。歩いて行って、おばちゃんの脇を通る時も、私はおばちゃんと目を合わさないままだったが、おばちゃんは口ぽかんのまま、首を回して私を見続けた。そのことを文章に書いたことがある。私があんたの脇を通り過ぎても、あんたは私の背を追いかけ、呆れ続けるのか。「どうせあんたは見るだろう」と書いた。
 ここは里なのだ。

 自宅を自作しているので、現場で着ているものが汚れる。その格好のまま、東京に住んでいる娘と新宿の紀伊国屋の前で待ち合わせた。紀伊国屋の前は待ち合わせの場所に使われることが多いので、いつでも混んでいる。しかし、私は混んでいるとは思わなかった。私の回りはがら空き状態だ。
 娘は遠くから私に気づいたが、そのままアパートに帰ろうかと思ったそうだ。まるでどこから見てもホームレスのおやじが紀伊国屋の前に来て立っているとしか見えなかったそうなのだ。これは私としては本意でもあり不本意でもある。そんなに人から避けられるほど汚い格好をしているとは思わなかったことが不本意である理由だが、自分で努力しないで皆さんから嫌われる格好ができたことは本意であった。
 柿崎師匠! 免許皆伝かもしんない。

 私は風呂好きなので、風呂に入れば体は洗う。だけど、格好だけは、「見た目」だけは、浮浪者まがいでいつづける必要がある。このピカピカしたご清潔な時代には、浮浪者まがいでいることがせめてもの正気なのだ。
 見た目はとても大切だよね、柿崎くん。

 災厄は続くしかない。この点では、私は長谷寺をあてにしない。(『鰐る』の編集長は長谷寺というお寺の副住職だ。)
 私の災厄は、長谷寺の御利益でどうにもならない。私に振り下ろされた桑の棒を無化してくれるものが生きているうちに、この私に与えられるとも思えない。私自身が、あれを許す気もないし、無化する気もないのだ。

 殺し、があるのだ。
 上位に置かれるセンスによって、下位に置かれたセンスを殺すことは、真綿でクビを閉めるように、あるいは蛇を生殺しにするように、あるいはまた、見殺しにするように日常的に行われる。私があらゆる文化活動が嫌いなのはそのせいだろう。文化や文化活動というものこそはセンスの温床なのだ。共産党なのだ。

 殺されまいと必死になる人たちが、カルチャーばばあや美術じじいになる。「トヤン」という秘法があるのだが、彼らは忙しい。
 文化や文化活動というものは、ある時、ある場合に「避けられない」だけのことである。自己証明として避けられない行為が文化的活動になってしまうことは仕方がない。あれらの文化文化の大合唱や、文化をあらかじめ何か上等なもののように語る口は要らないものだ。

 昔書き付けた一行を写しておこうか。

 屁をしようよ、文化文化

 避けたくても避けられないという構造を含まない文化活動に火をつけて焼き尽くしてやりたいという心は私に確実にある。文化を飯の種にしている者に対しては、自分への嫌悪、自分への侮蔑、自分への憎悪のすべてをいつでもお裾分けできる用意がある。


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